2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
『鹿を指(さ)して馬と為(な)す』『鹿を指して馬と為す』誤りを誤りと知りつつ、強引に押し通すこと。また、人を騙(だま)し、愚弄(ぐろう)すること。類:●鹿を馬●鷺(さぎ)を烏(からす)●這っても黒豆故事:「史記-秦始皇本紀」・「十八史略-秦・二世」 中国、秦の丞相・趙高(ちょうこう)が、自分の権力をもって、二世皇帝・胡亥(こがい)に対して鹿を献じたがこれを馬と言って押し通した。「鹿だ」と述べた者は、後日趙高によって罪に落とされた。*********源五郎と差し向かいに腰を据えた元締め・相馬屋は、徐(おもむろ)に懐(ふところ)から書面を取り出した。耳が遠い相馬屋は、対話には文字を通すことにしている。>相:早速(さっそく)なんだがね、源五郎。頼みというのは外(ほか)でもない・・・>源:元締め、話の腰を折るようで申し訳ねえんですが、込み入ったことでしたら親父(おやじ)の方に言って貰わねえと・・・>相:なんだね? なんか言ったか?>源:だから、面倒(めんどう)なことだったら親父に言って呉れってことですよ。>相:源蔵にかい? そういうことじゃねえんだよ。まあ、こいつを見なって。>源:何々・・・。「手代・友助儀(ぎ)、就職斡旋(あっせん)のこと、宜しく取り計らいくだされたし。」 ・・・なんでやすか、これは?>相:続きを読んでみろ。>源:「右の者、大工作事(さくじ)ごとに些(いささ)か覚えがある由(よし)、勘案(かんあん)されたし。享和3年(1803)師走(しわす)吉日、両毛屋善蔵。」 ・・・へ? 両毛屋ってえと、あの?>相:両替商ではそれなりの老舗(しにせ)の両毛屋の主からの書面だ。略式ではあるがね。・・・で、どうする?>源:ど、どうするって聞かれやしてもねえ・・・>相:本物かだと? 見てみるが良い、花押(かおう)もあるじゃろう。>源:そんなこと聞いていませんや。・・・そんなことはどうでも良いんでやすが、そいつは一体、誰宛てに書かれたもんなんでやすか?>相:なんだと? いつ誰から渡されたのかだと? 昨日の夕方だ。そこに書いてある友助という者が直々(じきじき)に持って来よったわ。両毛屋さんからの書状付きでは、無下(むげ)に追い返す訳にもいくまい?>源:・・・なんだよ、頼まれたのは元締めなんじゃねえか、そいつをこっちに盥(たらい)回ししようって魂胆(こんたん)か?>相:誰が責任転嫁(てんか)をしているだって?>源:そんなこと言ってませんって。・・・ほんとは聞こえてんじゃねえのか、この爺さんは?頓珍漢な遣り取りに業(ごう)を煮やして、源五郎は紙と筆を取り出した。「頼まれたのは元締めでやすよね」と、問い掛けの文言(もんごん)を書いて差し出した。>相:そうだよ。だから、私の判断でお前を選んだんじゃないか。>源:えーと、「おいらの手には負えないと思いやすが」っと。>相:そんなことはない。5人もの弟子を立派に纏(まと)め上げてるじゃないか。>源:「その5人でも多いくらいなのに、これ以上は無理です」と。>相:こうなりゃ、5人も6人も一緒だろう。お前が一番の適任なんだよ。な、頼む。>源:「無理ですって。誰か他の奴にやらせてください」。>相:ならん。これはもう、決定事項なんだ。今更変えることはできん。>源:「寄り合いの席じゃ、そんな話はなかったじゃねえですか」と。>相:決めたのは私の一存だからな。他の者の意向など一切聞いておらん。>源:「横暴(おうぼう)でやす」。>相:横暴で結構。話は以上だ。相馬屋は、書面を源五郎に押し付けて、もう冷(さ)めてしまった銚子に手を伸ばした。その銚子を源五郎の鼻先に差し出して、受けろと言いたげに、一振りした。これを受けるということは、この件を請(う)けることになるということを了解しながらも、源五郎は断(こと)われなかった。>源:1つ教えてください。その友助って奴は幾つくらいの年なんでやすか?>相:年か? そうさな、40くらいじゃなかったかな?>源:なんですって? そんな年から大工になろうって言うんでやすかい? そいつぁあ・・・>相:腕に覚えがあるってんだから、信じるしかねえだろ。>源:・・・生半可な腕で大工が勤(つと)まる訳ねえって、一番知ってる筈じゃねえかこの爺様は、まったくよ。>相:なんか言ったか?>源:いえ。・・・で、そいつは、両替屋で何をやってたんですかい?>相:そりゃあ、算盤(そろばん)を弾(はじ)いてたに決まってるじゃないか、両替商なんだから。>源:成る程ね。聞くだけ無駄ってやつでしたね。・・・ほとほと参りましたね、まったく。この話を押し付けた相馬屋の方にも、後ろめたさがなかった訳ではない。そもそも商人と職人とはまったく別物なのである。仮令(たとえ)玄翁(げんのう)使いが巧(うま)いといっても、商人の作事ごとなど、高が知れているのだ。源五郎は書面を懐(ふところ)に収(おさ)め、肩を落として家に帰った。熊五郎の手伝いをしなければならないことなど、すっかり忘れてしまっていた。一応、報告しておこうと、父・源蔵(棟梁)の部屋に入っていった。>棟:なんだ、真昼間っから赤い顔をしやがって。赤鬼でも入ってきたかと思うじゃねえか。>源:倅(せがれ)の顔を見てなんてことを言いやがる。・・・なあ親爺、困ったことになっちまったぜ。>棟:なんだ? 五六蔵が音を上げてきやがったか?>源:そんなことだったら尻を蹴り上げて追い返してやれば済む。まあ、こいつを読んで呉れよ。>棟:なんだそりゃ? ・・・ほう、成る程。この友助ってのをお前ぇの弟子にしろって話だな?>源:「決定事項」なんだとよ、相馬の爺さんの言い分だとな。>棟:良いじゃねえか。丁度忙(いそが)しいときだし、手伝わせてみたらどうだ?>源:なんだと? 人事(ひとごと)だと思いやがって、勝手なことを言うなってんだ。相手は40なんだぞ、40。>棟:ほう。そりゃあまた・・・>源:なあ、どうしたら良いと思う?>棟:だってもう引っ繰り返らねえんだろ? そんじゃあ仕方がねえじゃねえか。一先(ひとま)ず使ってみろ。それでも駄目だってんなら、ようく言い聞かせて、お帰り願えば良い。2日分くらいの給金でも渡しゃ文句も言うまい。>源:しかしよ、無理だと思うぜ。算盤弾いてたってんだからよ。>棟:そんなの分かるかよ。良く言うじゃねえか、「馬には乗ってみよ」ってよ。妻のあやに至っては、「お弟子さんが増えるってことは良いことですよね」と、にこやかに言い切る始末である。「どいつもこいつも・・・」と、源五郎は溜め息を吐(つ)いた。こうなっては仕方がない。経緯(いきさつ)はどうあれ、その友助という男に会ってみなくてはならない。とぼとぼと、「両毛屋」へと向かった。そんな頃、張り切っていた筈の八兵衛も、気力が萎(な)え始めていた。>八:なあ三吉、そろそろお八(や)つにしねえか?>三:子供じゃあるまいし、お八つでもねえでしょう。>八:だってよ、蕎麦(そば)1杯じゃ幾らなんでも腹持ちが悪くってよ。>三:そんなこと言って、世の中にはその蕎麦だって食えねえ人がいるんでやすから。>八:そんな奴の面倒まで見てられるかってんだ。こちとら、2人前食わねえと力が入らねえ質(たち)なの。おいらの1杯は普通の人の半分なんだからな。>三:滅茶苦茶な理屈でやすね。>八:おいら本人が言ってるんだから間違いはねえ。お前ぇ、疑(うたぐ)ってるのか?>三:い、いえ、そううことじゃなく・・・>八:なら、信じてりゃ良いの。「信じる者は救われる(※115欄外注釈参照)」って言うじゃねえか。>三:言いますか、そんなこと?>八:どうでも良いじゃねえか、そんなこと。お前ぇはおいらの分も働いとけ。おいらは腹が減るから、暫(しばら)くぼうーっとしてる。任(まか)したからな。>三:そりゃあねえですよ、八兄い。>八:それもこれも「一黒屋」のご隠居さんが算盤なんか弾いてるせいだ。そうでなきゃ今頃、ほんのり桜色に頬染めて、ふわふわした気分で仕事ができたのによ。>三:酔っ払ってたら良い仕事はできませんが・・・>八:酔っ払う一歩手前で止(や)めりゃ良いんだろ? 簡単なことじゃねえか。>三:簡単ですか? おいら笊(ざる)でやすから、何人もの酔っ払いを見てきましたが、一歩手前なんてものを承知している酒飲みなんかには、一度だってお目に掛かったことはありませんよ。>八:そうか? そんなら今度おいらがそれを見せてやろうじゃねえか。楽しみにしていやがれ。>三:そうですか? そうまで言うんでしたら見させていただきますがね、あんまり期待はしねえことにしときます。八兵衛は、明日か明後日には一黒屋与志兵衛を引っ張り出してやるぞと、密(ひそ)かに決心していた。そんな頃、熊五郎は、源五郎の助けを期待しながら、1人でできることをこなし続けていた。しかし、待てど暮らせど、当の源五郎は現れない。間もなく7つ(16時頃)になろうとしていた。「こりゃ今日は来ねえな」と、割り切り始めていた。
2008.01.31
コメント(0)
『鹿(しか)を逐(お)う者(もの)は山(やま)を見(み)ず』 『鹿を逐う者は山を見ず』[=追う者は~]一つのことに熱中すると、他のことを顧(かえり)みる余裕がなくなるということ。類:●獣を逐う者は目に太山を見ず●鹿を逐う猟師は山を見ず●金を掴む者は人を見ず●木を見て森を見ず出典:「虚堂録」「逐鹿者不見山、攫金者不見人」参考: 「淮南子-説林訓」「逐獣者、目不見太山、嗜欲在外、則明所蔽也」出典:虚堂録(きどうろく) 禅書。虚堂智愚。咸淳5年(1269)。10巻。虚堂和尚の行履、説法を収録したもの。*********暦(こよみ)が師走に変わった途端、町なかは急にざわめき始める。年内に片付けなければならない仕事がまだ3つ残っており、源五郎は已(や)むなく、弟子たちを3つの組に分けた。八兵衛と三吉、五六蔵と四郎、そして、熊五郎は1人である。>熊:親方、そりゃあねえですよ。材木は1人じゃ運べねえですぜ。>源:時々見回りに行ってやるから、そんときに手伝ってやるよ。>熊:ですが、1人っきりってのはどう考えたって良くねえですよ。>源:仕方がねえだろ。親父が調子に乗ってほいほい請(う)けてきちまったんだからよ。・・・まったく、孫にばっかり気を取られて呆(ぼ)けちまったんじゃねえのか?>熊:断(ことわ)って呉れりゃ良かったじゃねえですか。>源:そんなこと言って聞いて呉れる玉かよ。>八:良いじゃねえかよ、熊。こんなとこでぐだぐだ言ってても始まらねえだろ。さ、おいらたちゃ出掛けるぜ。行くぞ、三吉。>三:合点(がってん)でぇ。>熊:お、おい。・・・なんだよ。冷てえな。>五六:そんじゃあ、あっしたちも出やす。お先でやす、熊兄い。>四:行ってきます。>熊:お前ぇらもか、五六蔵、四郎? この人でなし。>源:お前ぇもさっさと出掛けやがれ。大晦日までもう何日もねえんだからよ。>熊:分かりやしたよ。行きゃあ良いんでしょ、行きゃあ。・・・ですけど、ほんとに来てくださいよね。寄り合いで昼間っから酔っ払ったなんてことにならないでお呉んなさいよ。>源:大丈夫だ。正月じゃあるまいし、そうそう酒ばっかり飲んでいられるかってんだ。熊五郎は、仕方なしに宛てがわれた現場に向かった。「こうなったら、できるだけ手際(てぎわ)良く済ませて、2人分の手間賃をせびってやるぞ」と、考え方を改めた。勿論、手間賃が1人分なのは分かっている。しかし、そうでも思わないと気持ちが挫(くじ)けてしまいそうだったのだ。一方、八兵衛は暢気(のんき)なものである。自分のところが遅れても、先に終わった五六蔵たちが手伝いに来て呉れるだろうくらいに考えている。>八:なあ三吉、今日っからのとこはよ、あそこに近いっての気が付いたか?>三:あそこってどこなんでやすか?>八:決まってんじゃねえか。食い道楽の「一黒屋」のご隠居さんのとこだよ。>三:真逆(まさか)八兄い、昼間っからご馳(ち)になりにって訳じゃ・・・>八:何を言ってやがる。その真逆に決まってんじゃねえか。>三:止(よ)しましょうよ。もしも、そんなことをしてるってのが、熊兄いに知れたらどうなると思います?>八:どうなるってんだ?>三:頭から湯気を立てて怒りやすぜ。>八:昼休みに何をしようとこっちの勝手だろ? 熊が何を言おうと構うもんかよ。へへーんだ。>三:大丈夫なんですか、ほんとに?熊五郎が、昼飯の時間を惜(お)しんで働いている頃、八兵衛と三吉は一黒屋の隠居所に向かった。野菜売り場の方で、高麗鼠(こまねずみ)のように働いている与太郎を見付けたが、客が引っ切り無しに来るので、中々声を掛けられない。仕方なしに、手近にあった蜜柑(みかん)を2つ掴んで、支払いの列に並んだ。>八:よう、与太郎。ご隠居さんはいるかい?>与:おや、八つぁん。態々(わざわざ)ここまで買いにきて呉れたんですか?>八:まあな。今日から掛かる現場が偶々(たまたま)近所だったもんでよ。>与:そうですか。それは有難う御座います。この蜜柑、今日の目玉商品なんですよ。流石(さすが)食べ物に関しては目が利きますね。>八:そ、そうか? はは。恐れ入っただろう?>与:はい、とっても。・・・2個で4文(約80円)です。>八:なんだと? おいらから銭を取ろうってのか?>与:当たり前じゃないですか。売り物なんですから。>八:それに、目玉商品なのに4文たあどういうこった?>与:それでも半値以下なんですよ。一黒屋お勧めの「あまーい蜜柑」ですからね。三ケ日(みっかび)産ですよ。>八:なんだそりゃ? 黴(かび)が生える三日前のやつってことか?>与:産地の名前ですよ。遠州(えんしゅう)の方です。>八:遠州ってなんだ? ・・・おい、聞いたことあるか、三吉?>三:鰻(うなぎ)で有名なところじゃねえですか?>八:おおそうか。そりゃあ凄(すげ)え。よし、なんだか分からねえが、買った。ほらよ、4文。>与:毎度ありぃ。・・・ご隠居様なんですが、ちょっと忙しくってお会いできないかも知れませんよ。>八:だって、隠居してるんだろ?>与:暇なときはそんな風にしてらっしゃいますが、この時期は書き入れ時ですから、張り切ってらっしゃいますよ。>八:ふうん。そうなのか。・・・それじゃあ仕方ねえな。今日のところは、働き振りを見るだけにしとくか。>三:そうですよ。そうしましょうよ、ね。仕事の続きもあることですし。>八:そんで、与太郎? ご隠居が暇になるのはいつなんだい?>与:師走(しわす)の間は無理でしょうね。>八:なんだと? それじゃあ、おいらたちの現場も終わっちまうじゃねえか。それじゃあ意味がねえ。・・・夜はどうなんだ?>与:いつも5つ(20時頃)近くまで帳場にいらっしゃいます。>八:ああ、なんてこったい。おいらって、ほんとに付いてねえな。与太郎の言葉通り、一黒屋与志兵衛は、帳場で算盤(そろばん)を弾(はじ)いていた。店内には10人近くの客が居り、職人風体(ふうてい)のまま入るのは憚(はばか)られた。>八:ちぇ。これじゃあどう仕様もないな。引き上げるとするか?>三:そうしましょう。>八:それにしても凄え繁盛(はんじょう)振りだな。誰でも彼でも着物を新調するほど景気が良いとは思えねえのにな。>三:こいつを見てくださいよ。「一色袷(あわせ)弐拾色取り揃えており升(ます)」って貼り出してありますぜ。>八:なんなんだそりゃ?>三:あれですよ。お内儀(かみ)さん連中が群(むら)がってるじゃありませんか。橙(だいだい)のやら緑のやら、一杯あるじゃねえですか。>八:あんな派手な着物なんか誰が着るってんだ?>三:買いに来てる人みんなですよ。ほら、飛ぶように売れてるじゃねえですか。>八:はあ、こりゃ魂消(たまげ)たね。一体どういう好みをしてるんだ、こいつら?>三:1人じゃ恥ずかしいけど、みんなが着てるんなら怖くないってことですかね。値段を見てくださいよ。そこいらの呉服商の半額ですぜ。これならちょっとくらい恥ずかしくても買いますよ。>八:へえ。買う方もどうかと思うけど、それにも況(ま)して、考え付いた方も凄(すげ)えな。商(あきな)いってのはそんなもんなんだな。>三:感心してるのは結構ですが、そろそろ引き上げましょうよ。ご隠居様と話がしたいからって着物を買わされるのはご免ですからね。>八:だがよ、あんな派手なのでも着て町を歩けば、お前ぇでも持てるかも知れねえぞ。>三:そうまでして持てたいとは思いませんよ。さ、行きやしょう。八兵衛は名残(なごり)惜しそうに与志兵衛を見遣ってから、諦(あきら)めたのか、現場へと歩き始めた。>三:着物の方も青物の方も、安泰のようですね。>八:まあな。・・・しかしよ、いくら書き入れ時だからって、あんなに忙しそうに働くことはねえんじゃねえのか?>三:稼(かせ)げるときに稼いでおけば、後で楽ができるってことじゃねえんですか?>八:どうだかな。おいらにゃ、齷齪(あくせく)し過ぎて付き合いをなくすような気がするけどな。>三:そりゃあ、貧乏人のやっかみってやつですよ、きっと。>八:そうかなあ・・・>三:そこまで考え込まれちゃうと、はっきりそうだとは言い切れなくなっちゃいますけどね。>八:ほれ見ろ。やっぱりそうじゃねえか。いけねえな、まったく以っていけねえ。ご隠居さんは美味いもん食って、美味い酒を飲んでりゃ良いの。そうでなきゃご隠居らしくねえんだよ。>三:そいつは八兄いだけの考えでしょう?>八:そんじゃあ聞くが、三吉、お前ぇはどう思う? 隠居してる年寄りが帳場に座ってても良いのか?>三:そんなこと言ったって、後継ぎがねえんじゃ仕様がねえでしょう? 八兄い、なんだったら、もう一遍考え直しやすか、養子の話?>八:冗談じゃねえ。おいらは大工が性に合ってるの。今更お店(たな)の暮らしなんかできるかってんだ。>三:そうですよね。立派な大工の親方にならなくちゃならねえんですよね。>八:その前に嫁を貰わなきゃならねえがな。>三:ははは。そいつはいつになることやら・・・>八:手前ぇ、喧嘩を売ろうってのか?>三:そうじゃありませんって。・・・食いもんとか酒のことばっかり考えてて、仕事を疎(おろそ)かにしてると、来て呉れる嫁もいねえってことですよ。そうじゃありやせんか?>八:へえ。お前ぇにしちゃご立派なことを言うじゃねえか。確かにその通りだ。・・・よし、ささっと飯を掻っ込んで、ばりばり仕事をこなすとするか。>三:そうしやしょう。>八:きりきり働けよ。ぎゅうぎゅう締め上げてやるからよ。>三:極端過ぎやすよ、八兄い。ほどほどにお願いしやすね、ほどほどに。>八:何言ってやがる。もっと大きい目でものごとを見ろって言ってるのはお前ぇの方なんだぞ。お前ぇだって、やがては弟子を持つ身になるんだ。それまでに一本立ちできるようにおいらが鍛(きた)えてやろうってんだ。有り難くて涙が出るだろう?>三:泣けやすねえ。・・・まあ、単純な兄いの下に付いたのを、運の尽きだと思って諦めますよ。その頃、五六蔵と四郎は、悪戦苦闘しながらも、それなりに順調に仕事をこなしていた。熊五郎は、昼飯もそこそこに、目の回るような思いで、働き続けていた。進み具合いでは、一番進んでいたかも知れない。一方、源五郎は、寄り合いの席で酒を振る舞われ、挙げ句の果てに、元締めの相馬屋に連れられて、頼まれごとの酒席に座らされていた。
2008.01.30
コメント(0)
『山椒(さんしょう)は小粒(こつぶ)でもぴりりと辛(から)い』 『山椒は小粒でもぴりりと辛い』山椒の実は小さいが非常に辛いことから、特に、身体は小さくても、気性や才能が非常に鋭く優れている者を指して言う。類:●小さくとも針は呑まれぬ用例:俳・毛吹草-二「さんせうは小粒なれどもからし」、伎・極附幡随長兵衛-大詰「是れが譬にいふ通り、山椒は小粒でぴりりと辛い、大きな形(なり)だがおいらは甘い」用例の出典:極附幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ) 歌舞伎。世話物。4幕。河竹黙阿弥。明治14年(1881)東京春木座初演。講談からの脚色。旗本水野十郎左衛門が町奴幡随長兵衛を自邸に招き、湯殿で刺殺する一件に、力士桜川五郎蔵の義死をからめる。通称「湯殿の長兵衛」。*********約束の日の晩、小豆内海(しょうどうつみ)の役宅に、10人が集まった。一堂に会するとはこのことである。熊五郎・八兵衛・お咲に伝六、猪ノ吉・鹿之助、そして小豆一家(内海・久恵・磯次郎)と家島網綱である。お花は、「だるま」の仕事があるので、今日は参加していない。>八:あれ? 鹿の字は呼ばねえんじゃなかったっけ?>熊:一昨日(おととい)の話は冗談に決まってんだろ。折角(せっかく)やる気を出したってのに、仲間外れってんじゃあんまりじゃねえか。・・・それともなにか? お前ぇは鹿之助のことを使い物にならねえとでも思ってるのか?>八:そんな訳あるか。いくら末成(うらな)りの瓢箪みてえでも、しがねえ小役人でも、妹の半分も機転が利かねえでも、一応は立派な男なんだからよ。>鹿:馬鹿にしてるのか、八つぁん?>八:誉めてるんだって。>鹿:そうは聞こえんが。>熊:兎(と)も角(かく)、家島様がその気を起こすように立ち回って呉れたんだ。少しは敬意を払ってやれよな。>八:分かったよ。・・・機転が利かねえってのは取り下げるよ。>熊:それだけか?>八:女房より背が低いけど、たいしたお役人だな、まったくよ。焼け糞だ、もう。>熊:「背が低い」は余計だ。>鹿:もう良いよ。こう次から次へと粗(あら)を持ち出されては、自分が情けなくなる。家島網綱は、3人のやり取りをにやにやしながら聞いていた。一段落着いたところで、姿勢を正し、口を開いた。>家:そなたたちは、確か源五郎という大工のところの者たちであったな?>八:へい。おいらが八兵衛で、こいつが熊五郎でやす。>家:去年の正月には、兄が世話になったな。>熊:お礼しなきゃならないのはこっちの方です。親方や棟梁の顔を潰さないで済んで、助かったんでやすから。>家:いや。あの一件以来、兄の顔付きががらりと変わった。弟の口から言うのもなんだが、それまでは酒に浮腫(むく)んだ青魚のような顔をしていた。とても、久恵殿にお勧めできたものではなかったよ。>小:網綱、もうそのくらいで良かろう。顔から火が出そうだ。>家:ある意味では、磯次郎にとくと見せてやりたかったな。きっと、立派な反面教師(※)になったであろうな。>磯:見てみたかったな>小:これ、磯次郎。大概にしなさい。>磯:良いじゃねえか、今は立派な人間になったんだからよ。それなりに尊敬してるんだぜ、これでも。>家:はは。変わった父子(おやこ)だが、巧くやっているようですな、兄上。>小:嫌味か、それは。・・・そんなことより、そろそろ本題に入ったらどうなんだ。「確かにな」と、言ってから、家島はかなり長い間を置いた。表情は、にこやかな儘(まま)ではあった。>家:まず最初に、残念な話をしなければならないのだよ。>小:どういうことなのだ?>鹿:真逆(まさか)、今更仲間には加われぬと?>家:そういうことではない。・・・なんと言えば良いのか、つまりだ、必要がなくなったのだよ。>鹿:何の必要がなくなったのですか?>家:藤木さんは、隠居を願い出られた。今朝のことだよ。>鹿:そんな話は・・・>家:このことを知っているのは、まだほんの一握(ひとにぎ)りの者しかいないのだよ。>小:そんな重要なことを、どうしてお前が知っているのだ? 真逆、一人で先走ったのではあるまいな?>家:実際に先走ったのは私ではありませんが、原因を作ったのは私です。あの方が相当なせっかちだということを、失念していました。>八:そりゃあもしかして、内房のご隠居のことですかい?>家:まあ、そういうことだな。家島は、照れ臭そうに頭を掻いた。>家:栗林さんから話を貰ったときに、少々腰が引けてしまったのだよ。正直言って、相手は途方もない人脈を持っているのだ。どこで誰とどう繋(つな)がっているか知れたものじゃないから、相談できる相手も極端に限られてしまってな。>小:それで、内房殿はなんと仰られたのだ?>家:「藤木様の命運は風前の灯ですよ。ふうっと息を吹き掛けるだけで消えちゃいます。なんでしたら、あたしが試してみましょうか?」と、こうお出でなさったのです。>鹿:「風前の灯」とは、どういう意味なのですか?>家:重要な位置にある然(さ)るお方からの覚えが悪くなったということですよ。>八:あの、さっぱり分からねえんでやすが・・・>家:簡単に言ってしまえば、若年寄か、然もなければ寛政の時代の生き残りあたりが、もうそろそろ手を切るべきと判断して、外方(そっぽ)を向いたのであろう。>熊:「蜥蜴の尻尾切り」でやすか?>家:そういうことだ。>八:それで、ご隠居は一体何をやらかしたんでやすか?>家:陰で糸を引いていると思(おぼ)しきご老体の名前を出しただけだそうだ。>八:それだけでやすか?>家:直接話した訳ではないからな。しかし実際、ご当人は近頃随分とおどおどしていたようだからな。以前からそういう兆(きざ)しがあったのではないかな?>熊:そう言やあ、孫が剣術を始めた理由ってのがそんな内容のことじゃなかったか? なあ、猪ノ吉。>猪:「お爺様の立場が怪しくなったから」って、確かにそう言ってた。>家:藤木さんもちょっとばかし調子に乗り過ぎたのであろう。>八:そんなもんで隠居を決めちまったのか。なんだかつまらねえな。折角だから、頭をぽかりとやってきたかったな。>熊:そればっかりだな、お前ぇはよ。>八:それに、ご隠居の旅籠(はたご)のご馳走(ちそう)も、今回はなしだな。あーあ。>家:旅籠のご膳ほどで出なくても良いのなら、私がご馳走してあげよう。>八:ほんとですかい? やったあ。>小:良いのか、そんなこと約束して?>家:管轄外のことに関わって罷免(ひめん)されることを考えれば安いものです。そうでしょう?>小:それはそうだが・・・>家:人生、割り切り方一つですよ、兄上。・・・兄上だってそうですよ。兄上の屋敷に、これほどの人数が集まったことなど、これまで一度だってなかったでしょう? みんな兄上を頼って集まって呉れたのです。喜ばしい限りではありませんか。>小:う、うむ。確かに。・・・だが、儂(わし)は薄給(はっきゅう)ゆえ・・・>家:そんなみみっちい話は止しましょう。・・・ああそうだ。内房殿の遣いの者の話でもしましょうか?>八:あ、おいらそいつのことなら知ってやすぜ。託(ことづけ)を終えたあと、こうやって手のひらを出しやがるんですよね?>家:はっは。そうだよ。駄賃をせがむのだよ。宿屋の丁稚(でっち)が奉行所の与力に駄賃を求めるのだ。・・・どう思うかな、兄上?>小:商人の根性だと蔑(さげす)めというのか? 儂のようにみみっちいいということか?>家:そうじゃありませんよ。12か13の子供が武士に対して平気でいられますか? 怖い筈でしょう? その上、駄賃まで要求するんですよ。斬られるかも知れないんですよ。どうです?>小:内房殿の言い付けということなのか? 嫌々ながら強請(ねだ)っているということなのか?>家:そうですよ。客商売をするということは、どんなに怖くても平然とした顔を作らねばならぬほど大変なことなのです。あの丁稚の子供は、あの年から客商売の基本を覚え始めているのです。凄(すご)いことでしょう? なんだか、やる気が出てくる話ではありませんか?>小:うん。そうだな。将来が楽しみな小僧だな。>八:・・・おいらんときは、にやって笑いやがったぞ、あの餓鬼。ほんとは、小遣い稼ぎが目的なんじゃねえのか?>熊:人の顔を見られるってこった。ある意味、末恐ろしいじゃねえか。あっけない結末ではあったが、考えようによっては、家島の言う通りなのかも知れないと、熊五郎は考えていた。罷免などで済めばまだ良い。命だって危険になり得(う)るのだ。黒幕というのはどこに潜んでいるのか分からないだけに恐ろしい。いつもいつも円満に解決することばかりではないということを、肝に銘じておかなければならないと、少し神妙な気持ちになった。>猪:でもよ。藤木が隠居するとなりゃ、小豆さんがいびられることも、磯次郎が嫌がらせをされることもなくなるんだよな。>小:儂の方はどうか分からんが、磯次郎の方はやがてなくなっていくだろう。>熊:それに、道場に嘉剛(よしたけ)が来なくなるってんなら、猪ノ吉も楽になるな?>猪:ああ、そうだ。案外、一番良い思いをするのは俺かも知れねえな。・・・と、信じていたことなのに、嘉剛は懲りずに、その後も千場道場に通い続けた。「父親からの言い付けだって、山盛りの亥(い)の子餅を差し入れてきたときにゃ、背筋を冷たいものが走ったぜ」と、「だるま」に現れた猪ノ吉は語った。口で言っているほどには、嫌そうな顔をしていないように、熊五郎には見えた。(第23章の完・つづく)---≪HOME≫※お詫び:時代考証を誤っています。「反面教師」は、1960年代に毛沢東が作った言葉ですので、この時代(1803)にはありませんでした。
2008.01.29
コメント(0)
『三十六計逃げるに如(し)かず』 『三十六計逃げるに如かず』[=が勝(かち)]1.計略はたくさんあるが、困ったときはあれこれ考え迷うより、機を見て逃げ出し、身を安全に保つことが最上の方法である。身の安全を計って、後日の再挙を図れ、ということを教えたもの。2.転じて、面倒なことが起こったときは、逃げるのが得策であるということ。類:●逃げるが勝ち●He who [that] fights and runs away lives to fight another day.落ち武者となっても生き長らえれば、また戦う機会も巡ってくる<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>参考:「三十六計」は、古代中国の兵法で用いられた三十六の計略のこと。故事:「南斉書-王敬則伝」「敬則曰、檀公三十六策、走是上計。汝父子唯応急走耳」 中国、南北朝。王敬則が、叛軍を率いて、成都・建康(今の南京)目指して攻め上っていたとき、「王敬則が逃げるらしい」という皇帝側が流した噂を耳にした。それに答えて「檀将軍の計略は数々あったが、逃げるのが一番の策だったそうな」と笑い、退こうとしなかった。やがて、斉の軍に囲まれ、逃げることもならずに首を討たれた。これは、宋の将軍・檀道済が魏軍を避けたのを謗(そし)って言ったものとされる。出典:南斉書(なんせいしょ) 中国の正史。梁の蕭子顕(しょうしけん)撰。59巻。本紀8巻、志11巻、列伝40巻から成立。もと60巻で唐代に1巻を逸した。二十五史の一つ。南朝の斉の歴史を記したもの。*********「あたしも付いていく」と、お咲が言い出した。翌日の夕方に、熊五郎と八兵衛が、小豆(しょうど)の役宅に向かおうとしたときである。>熊:遊びに行くんじゃねえんだぞ。>咲:磯ちゃんが、頑張ってるみたいだから、誉(ほ)めてやりたいのよ。>熊:随分と偉そうなことを言うじゃねえか。>咲:だって、あたしは恩人みたいなもんなのよ。そのくらいのこと言ったって罰(ばち)は当たらないわ。・・・それに、あたしがいた方が、小豆様だって話に乗って呉れ易いでしょ?>熊:どうだか。>八:まあ良いじゃねえか。2人が3人になったからって、困りゃしねえって。>熊:磯次郎は嫌な顔をするかも知れねえがな。>八:用があるのは小豆の旦那なんだからよ、磯次郎のことはどうだって構わねえさ。>咲:お夏ちゃんが旅立ったのを、どう考えてるのか聞いてやるの。>熊:その必要はねえんじゃねえかな。真面目(まじめ)にやってるようだしよ。>咲:それでも、磯ちゃん本人の口から聞きたいの。捻(ひね)くれたことを言うようだったら引っ叩いてやるんだから。>熊:おいおい。それで、小豆さんが怒り出しちまったりはしねえだろうな?>咲:平気よ。そういうときは奥様がびしっと言って呉れるわよ。「磯次郎、恩人に対してそのような憎まれ口を叩くものではありません」ってね。話の分かる方だもん。>熊:成る程。・・・でも、恩の押し売りみてえなことをするんじゃねえぞ。>咲:分かってるわよ。あたしだって、そんな恥知らずじゃないわよ。>八:でもよ、お茶菓子のお代わりくらいお願いしても構わねえよな?小豆は、夕餉(ゆうげ)の前の、ささやかな晩酌(ばんしゃく)をしていた。磯次郎はまだ戻っていなかった。>小豆:おお。これはこれは。熊さん八つぁんに、お咲殿ではないか。>熊:お寛(くつろ)ぎのところ失礼しても良いですか?>小:どうぞどうぞ。気にせんでくだされ。>八:なんでお咲坊だけ「お咲殿」なんだ?>熊:そんなこと気にするんじゃねえっての。>小:ご一緒にどうですかな? ・・・と言っても、お咲殿にはお酒では失礼ですな。>八:飲めないもんは放っときゃ良いですって。そいじゃあ、おいらがお相伴(しょうばん)にと・・・>熊:止(よ)せったら。頼み事が先だろう?>小:はて? 拙者(せっしゃ)に頼み事ですかな?>熊:へい。ちょっと手伝っていただけないかと。>小:また勘定組頭の類(たぐい)ですか?>熊:あの、言い難(にく)いんでやすが、小豆さんの上役(わやく)のことでして・・・>小:拙者の上役ですと? 瀬戸様のことか?>八:誰です? その瀬戸焼きのお猪口(ちょこ)ってのは?>熊:意地汚え聞き間違いするんじゃねえって。・・・ええとですね、小豆さん。一番上の上役ってことで。>小:一番上というと、お奉行のことか?>熊:へい。そうなんです。>小:お奉行の悪事のあれやこれを嗅(か)ぎ回れというのか? そ、それはできん。>熊:お役人として、忠義に外れることなのは、重々承知していますよ。ですがね・・・>小:そういうこともあろうが、それよりも何よりも、拙者のごとき平役人1人ではどうしようもない相手だというのだよ。「それがね、旦那」と言いながら、八兵衛はずかずかと小豆の傍(そば)まで行ってしまった。酒をいただこうという魂胆(こんたん)が見え見えである。>八:手伝って呉れそうなお人がいたんですよ。それも、とっても心強い味方が、です。>小:幾らそうであっても、たったこれだけの人数で太刀打ちできる相手ではないのだ。>八:誰が手伝って呉れるのかを聞いてから言ってくださいよ。・・・家島様ですぜ、家島様。>小:なんと。網綱(あみつな)がか? ・・・あの堅物(かたぶつ)が本当に動くというのか?>八:旦那に嘘吐(つ)いたってしょうがないでしょう。>小:一体どういう経緯(いきさつ)で網綱が?>八:お夏ちゃんの兄貴に鹿之助っていうちんけな小役人がいやしてね。>熊:「ちんけ」は余計だ。>八:良いじゃねえか、そんなこと。・・・なんでも、昼と、夕と、晩の3回も頼みにいったらしいんで。>小:ほう。大したもんでありますな。>八:そうでやしょう? 昼飯と晩飯を抜いてまでなんて、普通の人間には、ちょっとできねえことでやしょう?>熊:そんなの、お前ぇだけだっての。>小:流石(さすが)はお夏殿の兄御殿でありますな。>八:とんでもねえ。それだって、鴨太郎に脅(おどかされてその気になっただけですって。そんなことでもなかったら、一等最初に逃げ出してたに決まってやすって。なんてったって、旦那なんかよりよっぽど下っ端の平役人でやすからね。>熊:そんなとこで旦那のことを引き合いに出すなっての。八兵衛は、きょとんとしている小豆の猪口に、「ささ、どうぞ」と酒を注(つ)いだ。これまた、下心から出た行動である。しかし、小豆は考え始めてしまい、八兵衛の魂胆など、まったく取り合わなかった。そんなところへ、帰ってきた磯次郎と、炊事に一段落付けた久恵が部屋に入ってきた。>磯:栗林夏は旅立ったんだってな?>咲:あら、知ってたのね? どう、羨(うらや)ましい?>磯:ああ、羨ましいよ。・・・だがな、あいつと俺の進む道は別だからな。>咲:噂に聞いたけど、結構ちゃんとやってるみたいじゃないの。あんたにしてはね。>磯:大きなお世話だよ。あんたも栗林夏と同じで、口が悪いな。嫁の貰い手がなくなるぞ。>咲:それこそ大きなお世話よ。>磯:俺が園部屋で世話になってるってのは、栗林から聞いたのか?>咲:お夏ちゃんはどこのお店(たな)かまでは知らなかったわ。教えて呉れたのは猪ノ吉さん。知ってるでしょ? 千場道場の師範代。>磯:なんでお前たちが柿本様のことを知ってるんだ?>咲:熊さんの幼友達なの。>小:そうなのか、熊さん?>熊:へい。・・・今回のことには猪ノ吉も一枚噛んでるんです。>小:そうか。そういうことなら、仲間に加わらない訳にはいかんな。>久:どういう「仲間」なんですの?>小:普請(ふしん)奉行・藤木嘉秋の欺瞞(ぎまん)を暴(あば)くのだ。>久:まあ。それを、熊五郎さんたちとで御座いますか?>小:それに、どうした訳だか、網綱も加わるらしい。>久:そうですか。それなら、存分になされませ。ご兄弟の片方だけということにはできませんでしょう?>小:久恵。そなたたちにも迷惑が掛かるかも知れないのだぞ。>久:そのようなこと。夫に掛かる苦労なら、同じ苦労を厭(いと)うような妻など居りません。>小:忝(かたじけな)い。・・・八つぁん、熊さん。>熊:決心してくださいやしたか。>八:そうこなくっちゃ。それじゃあ、固めの杯(さかずき)でも・・・>熊:止せったら。まったく、意地汚えったらありゃしねえ。>小:熊さん。多分、あの頃の儂(わし)であったら、間違いなく尻込みしていたであろうな。>熊:昔のことは良いじゃありませんか。>小:我が身の保身のためだけに勤めているようなものだった頃には、逃げて回ることばかり考えていたように思う。・・・それが、天の恵みか、妻と倅(せがれ)を授かった。妻も倅(せがれ)も、儂には勿体無いほどできた人間であった。もう、逃げてばかりは居られんな。>久:貴方(あなた)・・・>磯:親父・・・>小:熊さん。儂は、一体何をすれば良いのだ?>熊:それじゃあ、最初の会合の日取りを決めてください。それと、このお屋敷を話し合いの場所として使わせていただくことを了解してください。>小:相(あい)分かった。それに、儂の方から網綱に遣(つか)いを出すべきだということだな?>熊:お願いしやす。猪ノ吉とその他のもの共には、こちらから報(しら)せやす。>小:日取りは、明後日で良いか?>熊:へい。あまり間を置かねえ方が良いでしょうから。>小:場合によっては、調べ物のために儂の友人を交(まじ)えるかも知れないが。>熊:お任(まか)せしやす。が、あまり大っぴらになさらねえように。>小:承知した。・・・まあ、その辺は、網綱が指示を出して呉れようがな。儂に似ず、優秀な弟だからな。>八:・・・あの、内房のご隠居は混ぜないんでやすかい?>熊:お前ぇなあ・・・>小:それも網綱の判断に任せたいと思う。そういうことでどうかな、八つぁん?>八:良うがすとも。・・・どの道、若年寄の名前が出てくりゃ、ご隠居に出張って貰わなきゃならねえんですからね。楽しみにして、待てますって。>熊:そんなの楽しみにするなってんだ。
2008.01.28
コメント(0)
『三顧(さんこ)の礼(れい)』 『三顧の礼』目上の人が、ある人物に礼を尽くして仕事を頼むこと。また、目上の人が、ある人物を特別に信任したり、優遇したりすること。類:●三顧故事:「蜀志(三国志)-諸葛亮」 中国の蜀の劉備(りゅうび)が諸葛孔明の庵を三度訪れ、遂に軍師として迎えた。人物:諸葛亮(しょかつりょう)・孔明(こうめい) 中国、三国時代の蜀漢の宰相。181~234。亮(りょう)は名、字は孔明。諡(おくりな)は忠武。襄陽の隆平に隠れていたが、蜀漢の劉備の三顧の礼に応じて仕え、戦略家として活躍し、天下三分の計を説き、孫権と連合して赤壁の戦に曹操を破った。後、五丈原で司馬懿(しばい)と対陣中病没。著「諸葛武侯文集」。*********八兵衛が酔っ払ってしまわない内に普請奉行・藤木について話し合っておこうと、伝六が提案した。酔っ払っていなくても、逆上(のぼ)せ上がってしまっている八兵衛では、どちらにしろ役に立たなかろうがと、内心で呟いていたのだけれど。それじゃあ自分の方から説明を始めようかと、伝六が咳払いしたところに、鹿之助が現れた。>鹿:やあ済まぬ済まぬ。予想以上に手間取ってしまって、出るのが遅くなってしまった。>猪:お前が来るとは思っていなかったがな。>熊:端(はな)から期待してなかったぞ。>鹿:そりゃあないよ、熊さん。鴨太郎からあれだけ念を押されてしまっては、手伝わない訳にもいかんだろう。>猪:お前が本当に協力するとはな。変われば変わるもんだな。>鹿:妹から「お負け」呼ばわりだけはされたくないからな。>猪:ほう。見上げた根性だな。>熊:お夏坊ほど役に立つかどうかは分からんがな。>鹿:そう舐(な)めて掛かられては困る。これでも少しは役所では顔が利くのだからな。>熊:小役人の癖に。>鹿:もう小役人ではない。>猪:おいおい、そのくらいにしておけ。酒が不味(まず)くなる。・・・そうだろ、八つぁん?>八:あん? ああそうだな。>熊:なんだよ。気のねえ返事しやがって。もうちょっとしゃんとしやがれ。>八:おいらのどこがしゃんとしてねえってんだ?>熊:全部だ。何処も彼処も、丸々全部だよ。>八:蛸(たこ)の徹右衛門じゃあるめえし。くねくねしてなんかいねえぞ。>熊:ああそうだな。分かった。もう言わねえ。・・・鹿之助、こいつのことは放っておいて、早速(さっそく)話に掛かろうじゃねえか。>伝:それじゃあ、先ずおいらの方から、大雑把(おおざっぱ)にお話ししやしょう。栗林の旦那は、足りねえとこを補ってくだせえやし。>鹿:承知した。伝六が語ったのは、藤木嘉秋を巡る人間関係の複雑怪奇について、である。梅雨の時期に関わりのあった勘定組頭・林田主税(もんど)と勘定吟味役・亘理(わたり)信之助から始まって、川田塩十やその他老獪(ろうかい)の錚々(そうそう)たる名前が挙(あ)がった。猪ノ吉は、聞いたことのある名前を耳にする度に、「へえ」や「ほう」という声を漏(も)らしていた。>熊:そんなに凄(すげ)えことなのか?>猪:当たり前だ。代々幕府から覚えの目出度(めでた)い家柄ばかりじゃねえか。>鹿:そうだ。上手く立ち回りさえすれば、幕府の転覆(てんぷく)だって夢じゃない。>熊:そ、そんな大それたことなのか?>鹿:仮定の話だ。そう考えていたかどうかは知らん。>伝:こいつも噂なんでやすが、若年寄とも繋(つな)がりがあったようなんでやす。>咲:堀田摂津守(せっつのかみ)?>鹿:知っておるのか?>咲:勿論(もちろん)よ。随分と、陰でこそこそやってるみたいじゃないの。>鹿:その通りだ。・・・これは、拙者たちの間では、口にしてはいけないことになっている話なのだ。>咲:口止めされてるの?>鹿:そうじゃない。誰も己(おのれ)の立場が大事なのだ。上から睨(にら)まれたら、お終(しま)いだからな。>咲:悪事と知ってて見逃してるってこと?>鹿:恥ずかしいことだが、その通りだ。>咲:それじゃあ・・・>鹿:そう責めないで呉れ、お咲ちゃん。役人というのは、そういう性格の生き物なのだよ。お咲も、それ以上鹿之助を責められなかった。しかし、情報源として一番頼りになりそうな鹿之助がそれでは、今後の先行きが覚束(おぼつか)ない。>猪:なあ。それじゃあ、これからどうするんだ?>伝:おいらは引き続き、普請奉行が出掛けた家や料亭なんかを調べやす。お咲ちゃんには、おいらの手伝いをして貰うつもりです。・・・良いだろ、お咲ちゃん。>咲:合点(がってん)承知の助。>猪:それは良いとして、俺たちがどうするかってことだな。>熊:嘉剛(よしたけ)のことを使っちゃどうだ?>猪:あいつなんかじゃ、どうにもならねえよ。会えても親父(おやじ)の嘉道が関の山だ。あの親父は、奉行の使い走りすらさせて貰ってねえだろうよ。>熊:駄目か。>鹿:私がなんで後れてきたのかなんて、考えたこともないだろうな、熊さん。>熊:ん? どういうことだい?>鹿:根回しに決まってるだろう。>熊:根回しってえと?>鹿:藤木の誘いを断ったという実直な人がいると聞いてな。頼みに行ってきたのだ。>熊:鹿之助がか? はあ。ほんとに人が違ったようだぜ。>猪:それで? 協力して呉れるというのか?>鹿:最初は断(ことわ)られた。昼飯時なら掴まるだろうと思って行ってみたんだが、話だけは聞いて呉れた。それで、この人なら必ず協力して呉れると思ったので、夕刻にもう一度頼みに行った。>熊:請(う)けて呉れたか?>鹿:散々粘ったのだが、首を縦に振っては呉れなかった。>猪:なんだよ。結局駄目なんじゃねえか。>鹿:そうじゃないよ。成果がなければここに来たりするものか。>猪:それじゃあ・・・>鹿:屋敷まで押し掛けたのだよ。分かってくださった。あまり表立っては無理だが、なんらかの手伝いはして呉れると約束してくださった。>熊:やって呉れたな。見直したぞ、鹿之助。>猪:なんとかいう唐(から)の国の話に、こんなのがあったな。>熊:『通俗三国志』か? 市毛道場の若先生に聞いたら、半日喋(しゃべ)り続けるぞ。>猪:そいつは遠慮しとく。・・・しかし、まるでその話みてえじゃねえか。>鹿:持ち上げ過ぎだよ。そっちは、将軍様が一介(いっかい)の学者に3回も頭を下げたってのだろう? 拙者のような一介の役人に当て嵌(は)めては、あの方に失礼というものだ。>猪:ほう。一丁前に謙遜(けんそん)しやがるじゃねえか。>熊:それはそうと、その方はなんというお方なんだ?>鹿:家島様と仰(おっしゃ)る。寺社奉行所の与力をなさっている。>熊:なんだと? 家島様なのか?>鹿:知っているのか?>熊:知ってるも何も、なあ、八。>八:なんだ、鹿の字はそんなことも知らねえのかい? その人の兄貴ってのが、昨夜(ゆうべ)話してた小豆(しょうど)の旦那じゃねえかよ。>猪:なんだって? それじゃあ、まるっきり無関係って訳じゃねえんじゃねえか。>熊:そういうこったな。義理とはいえ、甥(おい)っ子が難儀してるんだ。助けてやるのは縁者として当然のことだな。>鹿:では、その小豆様の屋敷で会うということなら、不自然なことじゃないのだな?>熊:そういうことだ。>八:へへ、段々話が面白くなってきやがったな。そう来なくちゃな。>熊:それじゃあよ、近々おいらと八とで小豆の旦那のところに行ってくるからよ。家島様との連絡は、小豆の旦那にやって貰うことにする。そして、集まる日取りが決まったら、猪ノ吉と伝六に知らせを出す。こんなとこでどうだ?>猪:決まりだな。>鹿:そうすると、私の役目はもう終わりか?>熊:立派な人を探し当てて呉れたじゃねえか。もう十分だ。>猪:上から睨まれたら、生きていけねえ生き物なんだろ?>鹿:それでは、鴨太郎との約束が・・・>猪:もう十分だって言っただろ? 鴨太郎だって文句は言わねえさ>鹿:だが、夏に対する兄の面目(めんぼく)というものが・・・>熊:そんなの、端からねえんだから構うこたぁねえって。>鹿:しかし・・・鹿之助はしょんぼりしてしまった。そんな鹿之助を見て熊五郎は、家島に頼んで、花を持たせるように計らって貰おうかと、考えていた。>八:なあ、おいら思うんだけどよ。小豆の旦那と家島様が揃(そろ)うと知ったらよ、内房のご隠居が混ざりたいって言い出すんじゃねえかな?>熊:お前ぇが呼びてえんだろ?>八:なんてったって「臭(くさ)い仲」だからな。
2008.01.27
コメント(0)
『触(さわ)らぬ神に祟(たた)りなし』 『触らぬ神に祟りなし』関わり合わなければ、禍(わざわい)を招(まね)くことはない。類:●It is ill to waken sleeping dogs.寝ている犬を起こすのはよくない<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********お花が追加の酒を運んできた。伝六は訝(いぶか)しそうな顔で、じろじろとお花を見詰めていた。>花:あたしの顔に何か付いてる? ええと・・・>伝:伝六ってもんです。不躾(ぶしつけ)なんでやすが、どっかで会っていやせんか?>花:いいえ。見覚えないです、じゃない、見覚えないけど。>伝:そうかなあ。確かにどっかで・・・>咲:何よ、伝六さん。新手の口説き文句?>伝:そんなんじゃねえや。・・・ああ、おいらはよ、この間まで桃山の旦那んとこで下っ引きをやってたんだがね。小石川界隈(かいわい)もしょっちゅう歩いたりしてるから、そんときにでも見掛けたのかな?>花:おっ母さんが足を挫(くじ)いちまったんで、ここ1月ばかし通ってるから。>伝:・・・1月か。そんなに最近のことなのに覚えてねえとはな。俺も焼きが回ったな。>八:お前ぇもか。ここのおからごときで腹を壊すくらい衰えてきちまったって、おいらのことばっかり言ってられねえな。>伝:一緒にするな。>八:先月のことくらいおいらだって覚えてるぜ。それを忘れちまってるってんなら、相当呆(ぼ)けてるぜ。>伝:何を言いやがる。普請奉行のことで、頭が一杯だったんだよ。仕方ねえだろう。>花:お夏ちゃんも話してたけど、その普請奉行って、藤木なんとかっていうお爺ちゃんですよね、じゃない、お爺ちゃんよね?>咲:知ってるの、お花ちゃん?>花:いいえ。ご当人じゃないの。その息子っていう人。>咲:普請奉行の跡取りってこと?>熊:嘉剛(よしたけ)の親父ってことか、猪ノ吉?>猪:そうなんだろうな、きっと。>咲:一体何があったの?>花:そ、そんなこと・・・>八:言いたくねえんだったら、言わなくたって良いんだぜ。>花:いえ。言えない訳じゃないんだけど、恥ずかしいから。・・・でも、おっ母さんの足を挫(くじ)いた原因ってのが、そいつの家の早駕籠(はやかご)だったのよ。>咲:そうなの? じゃあ、治療代を貰わなくっちゃ。>花:そんなこと・・・。こっちは商売だから、お武家様を相手に回したりしたら、潰(つぶ)されちゃうかも知れないもの。>八:そうかい。そりゃあ、難儀なことだったな。>熊:弱い方ってのは、長いものに巻かれてるしかないのかね。やんなっちまうぜ。八兵衛は、すっかり同情してしまっていた。熊五郎たちの方は、一体そのどこに恥ずかしがることがあるのかと、思案顔のままであった。>咲:それで、その奉行の息子で、弱い弟子の父親ってのは、・・・ああ面倒臭い、名前はなんていうの?>猪:確か、嘉道(よしみち)だったかな。>咲:その嘉道からは、なんの音沙汰もないの?>花:それが、遣いの者だとかいうのが3人ほどきたんだけど・・・>咲:見舞い金でも持ってきた?>花:いいえ。駕籠が遅れたのはお前のせいだって、お店に怒鳴り込んできたの。>八:なんだそりゃ。とんだ難癖(なんくせ)じゃねえか。>咲:どうしろって?>花:5両(約40万円)出せって。そんなの、出せる訳ないじゃない。>熊:そりゃあ酷(ひで)え。>八:自分の方からぶつかっといて、銭を寄越(よこ)せなんての聞いたこともねえぜ。許しちゃおけねえな。なあ熊、懲(こ)らしめてこようぜ。>咲:駄目よ。相手はお武家様でしょう? 逆にこっちがやられちゃうわ。>八:こっちには、千場道場の師範代が付いてるんだぜ。なあ、若先生。>猪:そう簡単に言うなよ。こっちは、他流試合は駄目だの、謂われなき果たし合いは駄目だのって、却(かえ)って雁字搦(がんじがら)めなんだからよ。>八:そうなのか? それじゃあ、もうちょっと作戦を練(ね)らなきゃ駄目だな。>花:そんなこと、しなくったって・・・>伝:あっ。思い出したぜ。>八:な、なんだ伝六。素っ頓狂な声なんか出すなよ。こちとら真剣なんだからよ。>伝:やっと思い出したよ、八公。もうその必要はねえんだよ。その一件はもう解決してる。>八:なんだと? お前ぇ、いつの間に片付けちまったんだ?>伝:片付けたのは俺じゃねえよ。その、お花ちゃんだ。>八:なんだって? どういうこったい、お花ちゃん?>花:あたしの口からは・・・>伝:その3人ってのは、藤木の屋敷のもんじゃねえよ。かといって、まったく関係ねえやくざもんってのでもねえ。嘉道が護身のために雇ってる奴らだ。>八:それで?>伝:こてんぱんに伸(の)されてよ、尻に帆掛けて逃げてった。>八:誰が助けに来てくれたんだ? 鴨の字か?>伝:生憎(あいにく)、桃山の旦那はお役目で他所(よそ)に行ってたのさ。>八:それじゃあ、誰なんだよ。じらさねえで教えろよ。>伝:だから言っただろ。お花ちゃんが片付けたんだってよ。>八:なんだとお?伝六が聞いた話では、お花は幼い時分から護身術を学んでいて、今ではいっぱしの腕前であるという。ごろつき上がりごときが束になって掛かっても、相手にならないほどだという噂まで立っているらしい。>八:へえ。こいつは魂消た。・・・凄いんだな、お花ちゃん。おいら、見直したぞ。>花:そんな。恥ずかしい・・・>熊:なるほど。お夏坊はそれを知ってて。・・・はあ、たいしたもんだ。>花:あんまり言わないでください、じゃなくって、言わないでよね。>熊:もう話し方なんかどうでも良いからよ、なんでお花ちゃんがそんなのをやるようになったのか、教えて呉れねえか?>花:はあ。・・・あたし、小さい頃身体が弱くって、お父つぁんやおっ母さんに心配ばっかり掛けてたんです。それで、近所に住んでたお師匠様に、どうやったら元気な身体になれるのって聞いてみたんです。そしたら・・・>咲:でも、名のあるお師匠様じゃ、月謝とか大変でしょう?>花:「べったら漬け1本で良い」って言って呉れまして。>熊:随分と安い月謝だな。>花:大好きなんですって、お漬物が。変わった方ですから。その分はお武家様から取るからって。>熊:それを今でも続けてるのかい?>花:今は恩返しに、時々若い娘さんたちの相手をしてあげてるだけです。>熊:猪ノ吉とおんなじじゃねえか。こんな小汚い縄暖簾(なわのれん)になんか来てねえで、師範代でもやってた方がよっぽど稼ぎが良いんじゃねえのかい?>花:でも、お夏さんに誘われちゃったから・・・>咲:そうだったの。また、悪い女に見込まれちゃったわね。>花:でも、あたし、ここで使って貰って良かったと思ってるの。だって、とっても楽しそうだもの。>咲:嫌味じゃなくってそう思う?>花:勿論(もちろん)。人と話すのって苦手だったの。でも、ちょっとずつ治せそう。>咲:それなら良かった。あと1日くらい、あたしが小姑(こじゅうと)みたいに口煩(くちうるさ)くしてあげるね。>花:お願いね、お咲ちゃん。隠し事を話してしまったせいか、然(さ)もなければ元々素養があったのか、お花は、一点の曇りもない笑顔を作って見せた。八兵衛は、やっと、自分がお花に惚れてしまったのだと、気が付いた。しかし、そんな物凄いお花に惚れてしまって良いのだろうかと、少々複雑でもあった。>伝:なあ、お夏ちゃんが抜けちまった分、お花ちゃんに混ざって貰うってのはどうなんだ?>咲:賛成えーっ。>熊:おいおい、本人の事情ってものが先だろう。なあ、お花ちゃん?>花:是非(ぜひ)、あたしも混ぜてください。お夏ちゃんみたいにはできないけど、誰かのためになりたい。・・・ううん、そうじゃない。誰かから必要にされたいの。>咲:それならもう大丈夫。・・・ほら、八つぁんなんかもう、お花ちゃんなしじゃ駄目って感じだもんね。>八:ん? おいらがなんだって?>咲:ほうらね?>花:はあ。ちょっと、嬉しいですが。>熊:おいらがお花ちゃんだったら、八の野郎だけは遠慮しとくがな。こいつと関わると碌(ろく)なことにならねえ。>伝:違(ちげ)えねえ。>八:なんだとこの野郎。馬鹿にしてやがるのか。>伝:俺じゃなくって、熊公を怒れってんだ。お門違いなんだよ。>八:あ、そっか。そいつぁあ済まなかったな。へへ。>咲:お花ちゃん、どうやら、八つぁんは駄目みたい。あたしもあんまりお奨めはしないわ。>花:そんなことありません。>咲:え?>熊:じょ、冗談も大概にして呉れよな。寿命が縮まるじゃねえか。
2008.01.26
コメント(0)
『去(さ)る者(もの)は日々(ひび)に疎(うと)し』 『去る者は日々に疎し』1.親しかった者でも、離れていると次第に交情(こうじょう)が薄くなっていくものだということ。2.死んだ人は月日が経つにつれて、段々と忘れられていくということ。類:●Out of sight, out of mind.目に見えなくなれば心から消えて行く<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>出典:「文選-古詩十九首・一四」 「去者日以疎、生者日以親」出典:文選(もんぜん) 中国の詩文集。30巻。梁の昭明太子蕭統(しょうとう)ら撰。6世紀前半に成立。唐の李善注本60巻が伝わる。周から梁に至る約千年間の美文の粋、約800編を文体別・時代順に並べたもの。中国現存最古の選集。日本への伝来は古く、「白氏文集」とともに文集・文選と併称された。*********八兵衛は、おからに使った食材に傷(いた)んだものでも入っていたのではないかと、「だるま」の親爺に食って掛かっていた。親爺の方は、「お夏ちゃんの餞別(せんべつ)だってのに、腐ったもんなんか仕入れてられるか」と言い張ったが、前日の残り物だということを口に出せる訳がない。「お前ぇも衰(おとろ)えてきたってことなんじゃねえのか?」と、空惚(そらとぼ)けて言った。>八:おかしいよな。おからぐれえで腹を壊すおいらじゃねえのにな。・・・親爺が言うように、年を食ってるってことかな?>熊:季節の変わり目だからな。調子が悪いときだってあるだろう。>八:それが、年を食ったってことなんじゃねえのか? こんなこと滅多(めった)にあるもんじゃねえぞ。>熊:半年くらい前だって、あっただろ?>八:梅雨(つゆ)の頃のだろ? 母ちゃんが捨て忘れた卵焼きのことじゃねえか。あんときは、食う前から危ねえかなって、分かってたから良いのよ。>伝:お前ぇの食い意地ときたら、野良猫並みだな? しかしよ、腐ってりゃ、猫も跨(また)いで通るって言うぜ。>八:放(ほ)っとけ。>熊:まあ、今日のところはちびちびやって終(しま)いにしとくんだな。>八:物を食わずに指を咥(くわ)えてろってのか? 冗談じゃねえや。>熊:だって、まだ具合いが悪いんだろ?>八:そんなもん、1合も飲みゃあ治(なお)る。・・・おーい、親爺い、温(ぬる)めの燗(かん)で2本付けて呉れ。>熊:まったく、懲(こ)りねえ野郎だな、お前ぇは。3人が烏賊(いか)と大根の煮物を突付き始めた頃、お咲とお花が立て続けにやってきた。>花:熊さんに八つぁん、いらっしゃい、ませ。>咲:「ませ」もいらないのよ、お花さん。そう教えたでしょ?>花:でも、年上の殿方に向かうと、つい。・・・それに、良いんですか? 「熊さん」とか「八つぁん」とか、馴れ馴れし過ぎやしません?>咲:良いの良いの。慣れてる呼ばれ方の方が、ご当人たちにとっても気楽なの。ねえ、そうでしょう?>熊:あ? まあ、そうだな。最初のうちは照れ臭いけどな。>咲:照れ臭いのなんか、3日も呼ばれりゃ、なくなるって。>花:はあ。それじゃあ、そういう風にしてみます。>咲:「してみます」じゃなくて、「してみるわ」でしょ?>花:あ、そうだったわね。あたしったら、とっても愚図(ぐず)ね。・・・あたし、支度(したく)してくるわね。>八:よう、お咲坊。お前ぇ、お花ちゃんに厳し過ぎるんじゃねえのか? まるで、寺子屋の先生かなんかみてえじゃねえか。>咲:良いの。お夏ちゃんから任(まか)されたんだから、あたしのやりたいようにさせて貰うわ。>八:それにしても、なんだか可哀想(かわいそう)に見えるぜ。>咲:あら。八つぁんはやけにお花さんの肩を持つのね?>八:そ、そんなんじゃねえよ。・・・親爺の親戚でもねえ小娘から、そうまで厳しくされちゃ、誰だって可哀想だって思うだろうよ。なあ、そうだろ、熊?>熊:そうだな。ほどほどにしてやれよ、お咲坊。>咲:当たり前じゃない。お節介(せっかい)は明日まででお終い。3日も我慢できればもう大丈夫だから。暫(しばら)く、大人しく様子を窺(うかが)っていた伝六が口を挟んだ。>伝:あの娘は、お花っていうのかい?>熊:なんだよ。お前ぇまで肩を持ちたくなりやがったのか?>伝:そうじゃあねえんだよ。どっかで見たような気がするんだよな。>熊:他人の空似だろ。>伝:そうかなあ。・・・どこに住んでるのか聞いてねえのか?>熊:そこまでは知らねえよ。お咲坊は聞いてねえか?>咲:知らない。知ってても教えてあげない。女の年とか家のことなんか無闇に教えちゃ駄目(だめ)なのよ。>熊:別に、下心があって聞いてる訳じゃねえだろ?>咲:そんなの分かるもんですか。>伝:熊さんは、お咲ちゃんには信用がねえんだな。>熊:放っとけ。>八:養生所で知り合ったって、お夏ちゃんは言ってたっけな。>伝:養生所か。・・・小石川の辺りだよな。うーん・・・>熊:そんなこと考えてたって仕方ねえだろ。そんな暇があるんだったら、普請奉行のことを話そうじゃねえか。そうだろ?>伝:そうだな。・・・でも、桃山の旦那もお夏ちゃんもいねえとなると、なんだか締まりのねえ顔触れだな。>熊:なんてことを言いやがる。お夏坊から「頼りにしてる」って言われたのは、このおいらなんだからな。>八:おいらだって。>咲:猪ノ吉さんと鹿之助さんもだけどね。>熊:あいつらはいつ来るか分かったもんじゃねえからな。>伝:猪ノ吉さんってのは、旦那の昔馴染みだったよな?>熊:ああ。剣術道場の師範代をしてる。>伝:そいつは心強いな。鹿之助さんってのは?>熊:やっぱり鴨太郎の昔馴染みで、お夏坊の兄貴だ。一応な。>伝:それじゃあ、相当な切れ者なんだろう? そりゃあ心強い。>熊:「一応」って言ったじゃねえか。あんまり期待し過ぎるなってんだ。・・・下手をすると、与太郎の方がよっぽど役に立つぜ。>伝:なんだ、そうなのか。与太郎程度じゃ、高が知れてるな。>熊:だから、ここにいる4人でやるしかねえんだよ。・・・そのうちの1人は、二日酔いが抜けてねえから、今日のところは半人前だけどな。>八:もう大丈夫だぞ。見てみろ、1本目の銚子を空けたからよ。こうなりゃこっちのもんだ。矢でも鉄砲でも持ってきやがれってんだ。>伝:駄目だなこりゃ。・・・仕方がねえな。心許ないけど、この面子(めんつ)で始めるとするか。そんなところに、猪ノ吉が現れた。「よう」と、結構気楽そうに挨拶(あいさつ)を寄越(よこ)した。>熊:連日だってのに、よく出さして貰えたな。>猪:嘉剛(よしたけ)のことで気が塞(ふさ)いでるんでって言ったら、喜んで送り出して呉れたよ。>熊:まだ来てやがるのか、やっぱり?>猪:まあな。唯(ただ)、大工に叩きのめされたのが悔しかったのか、今日は大人しく素振りだけを続けてたよ。格段の進歩だな。まあ、先は知れてるけどな。>熊:そうか。幾らか役に立った訳だな。>猪:大いに役に立ったさ。>熊:・・・ああ、そうだ。猪ノ吉、こいつが、鴨太郎の下で岡引きをしてた伝六だ。普請奉行のことは、半年も前から調べてるそうだ。>猪:おおそうか。これは心強い。宜しく頼むぜ。>伝:こっちこそ、宜しくお願いいたしやす。>猪:それにしても、半年前とはな。鴨太郎の奴も隅に置けねえな。>熊:鼻が利くんだか、運が悪いんだか。>猪:はっは、あいつらしいよな。やっちゃいけねえことにばっかり関わりたがる。>伝:そんなことだから、用心棒紛(まが)いの役目をやらされるんでさ。1年も2年も行ってるとなりゃ、与力とかお奉行とかからの覚えだって、悪くなっちまうに決まってる。どうしようってのかね、まったく。>熊:2年じゃねえよ。5年だとよ。>伝:なんだと? そんなになのか? ・・・こりゃあ駄目だな。こりゃ、本気になって別の旦那を探さなきゃならねえかな?>熊:そうした方が良さそうだな。・・・まあ、鴨太郎本人にとっちゃ、良いことだったのかも知れねえがな。>伝:良い訳ねえじゃねえか。戻ってきたって、食い扶持(ぶち)がねえんだぞ。>熊:まあ、そんときゃ、お夏坊がやる医者で小間使いでもするしかねえな。>伝:小間使いだと? あの旦那が小間使い? ・・・嗚呼、情けねえ。>猪:遠くに行っちまったら、その遠さの分だけ情も薄くなる。役人たちってのはそういうもんだな。>熊:そうと決まったら見送りもしねえっていう、変わり身の早さも役人らしさってことか?>猪:そういうことだ。>熊:まったく、血も涙もねえのか役人どもには?>猪:ねえんだろうよ。・・・尤(もっと)も、俺たちだって、5年も会わねえとなりゃ、自然にそんな風になっちまうのかも知れねえがな。>熊:そんな寂しいこと言うなよ。>猪:毎日の暮らしってのはよ、段々同じようなものになっていって、鴨太郎のことなんてのは、後回し後回しにされてるうちに「非日常」になっちまうのさ。>熊:まあな。そういうもんなのかも、知れねえな。>八:おいらは違うぞ。お夏ちゃんのこと、忘れたりなんかするもんか。絶対にだ。>熊:お前ぇの「絶対に」ほど確かじゃねえもんはねえだろ?
2008.01.25
コメント(0)
『五月(さつき)の鯉(こい)の吹流(ふきなが)し』 『五月の鯉の吹流し』1.鯉幟(こいのぼり)のこと。2.口を大きく開けていて腸(はらわた)がない鯉幟のように、腹の中がさっぱりとしていて、少しの蟠(わだかま)りもないということ。江戸っ子の気質を表わした言葉。*********早朝、熊五郎とお咲は、お夏と鴨太郎を見送りに出た。八兵衛は、昨夜の飲み過ぎが祟(たた)って、起き上がることができなかった。鹿之助と猪ノ吉も来ていたが、町奉行所の者は誰一人顔を見せていなかった。少し離れたところに立っていた、岡引きの伝六が1人、人目も憚(はばか)らずに号泣していた。>咲:伝六さん、そんなに泣かないでよ。折角の旅立ちが湿っぽくなっちゃうじゃない。>伝:ああ、お咲ちゃんか。みっともないのは分かるんだがよ、これが泣かずにいられるかってんだ。>咲:そんなに鴨太郎さんのことが好きだったの?>伝:そりゃあ確かに桃山の旦那には良くして貰ったさ。だが、俺が泣いてるのはそういうこっちゃねえんだ。>咲:どういうこと?>伝:桃山の旦那が居なくなっちまうと、こっちの食い扶持(ぶち)がなくなるってことさね。女房子供を抱えて、路頭に迷っちまうんだよ。・・・これから一体どうすりゃ良いってんだ?>咲:そういうことで泣いてるの? 何よそれ?>伝:そうは言うがよ、こっちだって食い繋(つな)ぐのに必死なんだぜ。情も大事だが、自分の暮らしの方がもっと大事なの。分かるだろ?>咲:でも、鴨太郎さんからは随分余計に貰ってたんでしょう? 蓄(たくわ)えだって、ちょっとくらいならあるんじゃないの?>伝:そんなの、旦那が謹慎してた1ヶ月の内になくなっちまったよ。・・・今日ここに来れば、他の同心とかに口利きして呉れるんじゃねえかと期待して来てみりゃ、誰も来やしねえ。あんまりだ。>咲:あんまりだわよね、見送りくらい来るべきよね。>伝:まあ、来たからって、使って呉れたかどうかは、知れたもんじゃねえがな。あーあ、いよいよ首括(くく)りか・・・>咲:止(よ)してよ、そんな物騒な話。>伝:只でさえ不景気な世の中だ。こんな年になって職に有り付くのは簡単じゃねえ。>咲:そうよね。岡引きをやってた人なんて用心棒くらいにしかならないかもね。それに、雇いたがるのは、後ろ暗いところがある口入屋くらいのもんだものね。>伝:幾ら苦しいからって、怪しげなことの片棒を担がされるのはご免だしな。>咲:・・・じゃあ、こうしましょ。ほんの繋ぎにしかならないかも知れないけど、あたしたちを手伝ってよ。>伝:銭になるのかい?>咲:どうかしら? でも、只働きにならないように頼んでみるわ。>伝:この際、贅沢(ぜいたく)は言ってられねえ。藁(わら)にも縋(すが)る思いで、任(まか)せてみることにするよ。お咲ちゃんは嘘を言わねえからな。そんな中、お夏と鴨太郎は、静かに旅立っていった。熊五郎たちも、それぞれの住処(すみか)へと帰っていった。「藤木のこと、頼んだからな」と、鴨太郎から、半(なか)ば脅すように言われた鹿之助だけが、その場に暫(しばら)く立ち尽くしていた。>咲:ねえ、熊さん。伝六さんがね、今夜「だるま」に来るって。>熊:伝六がか? さては、鴨太郎が居なくなって、やることがなくなっちまったんだな?>咲:「やることが」どころじゃないわよ。稼ぎがなくなるのよ。お飯(まんま)の食い上げってことよ。>熊:食い上げってったって、実入りが全くなくなる訳じゃねえだろ。>咲:だって、そう言ってたわよ。>熊:そんな訳あるかよ。・・・そりゃあ、岡引きは、「心付け」だとかいう名目で袖の下を受け取ったりして、金回りは良いだろうが、大概の岡引きは「本業」ってのを持ってるんじゃねえのか?>咲:そうなの?>熊:伝六のことはあんまり知らねえから、なんとも言えねえがな。・・・でも、もし本当に食い上げだってんなら、よっぽど真面目な岡引きだってことだな。>咲:ふうん。・・・でも、それなら、早朝の町中(まちなか)であんなに大泣きする?>熊:するかもな。何か魂胆(こんたん)があるんだったらな。>咲:それは勘繰り過ぎなんじゃない? あたしは、あの泣き顔は作り物じゃないと思うわよ。>熊:それなら聞くが、伝六のことなら分かってる筈の鴨太郎が、なんの手当てもしねえで旅に出て行くってのはどういう訳だ? あいつは、そんな薄情な男じゃねえぞ。>咲:うーん。そう言われると、そうなんだろうけど・・・>熊:・・・でもま、聞き込みをしようってんなら、伝六の手助けは有り難い限りだ。歓迎してやろうじゃねえか。八兵衛は、昼時になっても、食欲が湧いてこないという。顔色もあまり良さそうではなかった。>熊:お前ぇははしゃぎ過ぎなんだよ。餞別の会合だってのに、あんなに馬鹿騒ぎするからだ。>八:酒のせいだけじゃねえよ。あの親爺が拵(こさ)えたおからを山盛りで食っちまっただろ? どうも今朝っから腹の具合いが悪いんだよな。>熊:元を正せば、お前ぇが意地汚えからじゃねえか。丼一杯食う奴がいるかってんだ。>八:太助の野郎は全然平気な顔して食うじゃねえか。>熊:あいつと五六蔵は特別だ。ちょっとばかし大食いってだけのお前ぇが太刀打ちできるもんじゃねえのさ。>八:量だけなら十分に渡り合えるぞ。問題なのは、親爺の料理の腕が滅茶苦茶だってことの方だ。>熊:然(さ)もありなんだな。・・・だがよ、今夜も「だるま」へ行かなきゃならねえぞ。>八:おいらは遠慮しときてえな。>熊:何を言ってやがるんだか。「関わらなかったら男が廃(すた)る」とか言ってたのはお前ぇの方じゃねえか。>八:おいらそんなこと言ってたっけ?>熊:何を惚(とぼ)けてやがる。・・・でもま、どうしても嫌だってんなら仕方がねえな。今回の件はお前ぇ抜きでやらして貰うとするかな。>八:なんだと? おいらのことを除(の)け者にしようってのか? そいつはあんまりじゃねえかよ。>熊:だって集まりに出ねえんだろ? それじゃあ話になりゃしねえじゃねえか。>八:分かったよ。行きゃあ良いんだろ? ・・・まったくお前ぇって奴は、意地の悪い野郎だな。伝六は、どうやら日の高いうちから飲み始めていたらしい。ご機嫌である。>伝:よう。遅えじゃねえか。こちとらもう出来上がっちまいそうだぞ。>八:そんなに早く来たって、顔触れが揃わなきゃ意味がねえくらい、ちょっと考えれば分かりそうなもんだがな。>伝:良いじゃねえか。こっちは桃山の旦那がいなくなっちまって、暇を扱(こ)いてるんだからよ。>熊:・・・その話だけどよ。お前ぇ、ほんとに職がなくなったのか?>伝:な、なんだよ。気持ち良くのんでるとこにそんな辛い話なんかさせるなよな。>八:辛い奴が明るいうちから酒なんか飲んだりしねえだろ?>伝:そ、そうか?>熊:素直に吐いちゃどうだ? 一体どういう魂胆があるんだ?>伝:魂胆なんかねえさ。俺は唯(ただ)・・・>熊:唯、どうしたってんだ?>伝:・・・だから無理だって言ったんだ。あーあ。分かったよ。喋(しゃべ)りゃあ良いんだろ、喋りゃあ。>八:なんだ。やっぱりなんか企(たくら)んでやがったのか。>伝:「それとなくあいつらに混ざって呉れ」って頼まれたんだよ、旦那から。>熊:鴨太郎からか?>伝:俺にそんな器用な芸当ができる訳ねえじゃねえか。なあ?こちとら江戸っ子だぞ。腹ん中に何かを貯(た)めとくなんて、無理に決まってんだろ?>熊:それで、なんだって言われたんだ?「その前に、お前ぇたちも1杯やれよ」と言って、伝六は、冷めた大根の小鉢を、八兵衛の方に押しやった。>伝:実はな、旦那に言われて、ずっと前から普請奉行の動きを追ってるんだ。>八:いつからだ?>伝:そうさな、半年くらい前からかな?>熊:でもよ、それだって、町奉行所のやることじゃねえだろ? 只でさえ、勘定組頭のことでお目玉を食らってるってのに。>伝:その前からだよ。謹慎よりずっと前。>熊:まったく、鴨太郎ときたら、どうしてそういう手に負えねえことにばっかり首を突っ込むんだ?>伝:そんなこと俺に分かるかよ。巡り合わせだろ? 然もなきゃ、そういう星の下に生まれ付いちまったってことさ。>八:こりゃまた、面倒な星の下だねえ。>伝:暇を扱いてる岡引きよりは、忙しそうにしてる岡引きの方が、よっぽど面白そうだろ? そういうのって、嫌いじゃねえんだよな、俺はよ。>八:まあ、おいらも嫌いな方じゃねえわな。>熊:鴨太郎の奴、余計な気の回し方をしやがって。端(はな)っから正直に言えば、良いじゃねえか。そうは思わねえか?>伝:でもよ、相手は大物なんだぜ。ことはできるだけ慎重に運ばなきゃならねえ。変に岡引きとくっ付いてる、なんてことにしねえ方が良いに決まってる。だから、職に溢(あぶ)れた「元岡引き」ってことにしといた方が良いんだ。>熊:ふうん。言うじゃねえか。鴨太郎の置き土産(みやげ)だと思って、精々こき使ってやるとするぜ。>伝:そうこなくっちゃ。不器用な旦那にしちゃ、出来過ぎの心意気だからな。
2008.01.24
コメント(0)
『左袒(さたん)』 『左袒』左の肩を肌脱ぎにするという意味で、味方すること。また、同意して肩を持つこと。類:●肩を持つ 出典:「礼記-檀弓・下」「既封左袒、右還其封、且号者三、曰、骨肉帰復于土命也〈略〉」 春秋時代、賢者の誉(ほま)れが高かった呉の季札(きさつ)が、我が子を葬(ほうむ)ったとき、左の肩を肌脱ぎにし、右回りに墓を回って三度(みたび)号泣した。そうするのが呉国の礼だったという。故事:「史記-呂后本紀」「為呂氏右タン[衣+亶]、為劉氏左タン」 中国、前漢。専横を続けていた呂后が死んだ後、劉邦の側近の周勃・陳平らが呂氏を討とうとした時、呂氏に付く者は右袒せよ、劉氏に付く者は左袒せよと言ったところ、軍中ことごとく左袒した。参考:「戦国策-斉下・閔王6」「[サンズイ+卓]歯乱斉国、殺閔王、欲与我誅者、袒右」 王孫賈(か)は、加勢する者を右肩を脱がせたが、意味は同じ。*********2日目になったお花は、それなりに手馴れてきたらしく、黙々と銚子や肴(さかな)を運んでいる。表情こそまだ硬いが、馴染(なじ)むのもそう遠いことではないだろう。>花:お夏さん、お咲さんを紹介しておいて貰えません?>夏:あ、そうだったわね。お咲ちゃん、あたしの後釜(あとがま)。お花さんっていうの。>咲:お夏ちゃんに見込まれちゃったの? こりゃあ、大変だ。>花:はあ。一所懸命頑張ります。宜しくご指導くださいませ。>咲:そういう話し方は駄目よ。ここはね、どっちかっていうと、下品な縄暖簾(なわのれん)なの。「宜しくね」くらいにしとかないと、周りの人が緊張しちゃうでしょう?>花:はあ。そ、そうですね。>咲:「そうですね」じゃなくって、「そうよね」。・・・「です」とか「ます」とか使っちゃ駄目よ。相手がお役人さんだって、道場の師範代だって関係なしよ。そうよね、鹿之助さんに猪ノ吉さん。>鹿:夏がそうしていたのであれば、それで良かろう。>咲:あっはっは。「良かろう」だって。まるで、とっても偉いお役人様みたい。>鹿:そこそこに偉い役人ではあるのだが・・・>咲:それじゃあ駄目よ。だから飲めない人って困るのよね。お酒を飲むところでは、無礼講(ぶれいこう)なの。特に、こういう下品な飲み屋ではね。>亭主:なんだなんだ、さっきから聞いてりゃ「下品下品」って。他の客だっているんだぞ。本気にするじゃねえか。>咲:あら、本気にされて困るようなことなんかないじゃない。事実なんだから。ねえ、八つぁん。>八:その通り。これでお夏ちゃんがいなくなっちまったら、火の消えた掘っ立て小屋と変わりねえ。>亭主:何をーっ? その掘っ立て小屋に、毎晩のように来てる奴ぁ誰だってんだ。>八:儲(もう)けがなくなって、骨と皮になって、そろそろくたばってるんじゃねえかなって、見にきてやってるだけよ。>亭主:お前ぇより先にくたばって堪(たま)るかってんだ。食い過ぎでくたばらねえように気を付けるんだな。山盛りのおからでも供(そな)えてやるよ。>八:供えるおからがあるんだったら、今ここに出しやがれ。おいらの腹はここの肴を食ったって壊れねえくらい頑丈なんだからよ。>亭主:抜かしやがったな? 良いだろう。おい、お花ちゃん、大盛りで出してやれ。>花:は、はい。>咲:ね? こんな調子でやるのよ。>花:はあ。分かったような・・・>熊:酔っ払い娘に教えられたって、納得はできねえわな。・・・でもま、ここはよ、肩肘張らねえで良いから客はまた来るんだ。そうだろ?>花:そうですね。ちょっと分かりました。お花がにっこり笑った。また、である。八兵衛は、お花の笑顔を眩(まぶ)しそうに見ながら、自分の動悸(どうき)の音が聞こえたように思った。>猪:なあ、熊ちゃん。>熊:なんだ?>猪:俺も偶(たま)にここに来ても良いかな?>熊:なんだよ、そんなこと自分で決めろよ。おいらがどうしろっていうことじゃねえだろ。>猪:それはそうなんだがよ・・・>熊:真逆(まさか)、相談事があるなんて言い出すんじゃねえだろうな?>猪:その真逆なんだ。>熊:だって、あいつのことはもう済んだんだろ?>猪:別のことだよ。>熊:まだあるのか? おいおい。沢山(たくさん)の弟子を抱えて大変なのは分かるが、一介の大工にゃ、出来ることと出来ねえことってのがあるんだぜ。>猪:分かってるって。却(かえ)って大工の方が良いくらいなんだ。だから相談に乗って貰おうってんじゃねえか。>夏:ねえ、その前に、兄上に相談した件はどうなったの?>猪:ああ。あいつは、この熊五郎名人に二本取られて卒倒しちまいやがった。>夏:何、それ? 猪ノ吉さんでも手に負えなかった人なんでしょ? その人に勝っちゃったの?>猪:ものの見事にな。面を二本だぜ。>夏:へえ。見直しちゃったわ。凄いじゃない、熊お兄ちゃん。・・・ねえ、お咲ちゃん、鼻が高いでしょう?>咲:なんであたしが? そりゃあ、同じ長屋の住人としては・・・>夏:照れない照れない。これであたしも、お咲ちゃんを熊お兄ちゃんに、安心して任(まか)せて行けるわ。>熊:何を言ってやがる。それに、今生(こんじょう)の別れじゃねえってんだ。>夏:ねえ、その人って、どういう剣の使い手なの?>猪:ああ。そうさな、武者小路千家辺りかな?>咲:それって凄いの?>夏:馬鹿ね、あんたも武家の娘ならそのくらい知っときなさいよ。お茶の流派じゃない。・・・猪ノ吉さんも猪ノ吉さんよ。ちゃんと説明しなきゃ、駄目じゃないの。>猪:だがな、そういう奴なんだから仕様がねえ。>夏:どういうこと?>猪:箸(はし)より重いもんを持ったことがねえって感じなんだ。竹刀(しない)を持つのもやっとってとこだ。>咲:それじゃあ、何? 千場道場じゃ、そんな弱いもんを入門させて、見込みがないとなると、大工と立会いさせるって訳?>猪:そういう訳じゃ・・・>熊:曰く付きだったのさ。そう食って掛かるなよ。>咲:熊さんも熊さんよ。鼻高々って顔しちゃってさ。唯の弱い者苛(いじ)めじゃない。>熊:ま、まあな。・・・面目ねえ。>猪:俺がどうしてもって頼んだんだよ。熊ちゃんが悪いんじゃねえさ。>夏:そうよね。凄い遣い手なんじゃないかって、勝手に思い込んでたのはこっちなんだもんね。熊お兄ちゃんを持ち上げたあたしも悪い。・・・だから、訳を聞かずに、寄って集(たか)って2人を責めるのは止(よ)しましょう。ね、お咲ちゃん。>咲:今日の主役のお夏ちゃんにそう言われちゃ仕方がないわね。・・・じゃあ、もうちょっと事情を聞かせてよね。>猪:そいつはな、藤木嘉剛(よしたけ)っていってだな・・・>夏:え? あたし知ってる。>咲:知ってるの?>夏:うん。よーく知ってる。普請奉行の孫でしょ?>猪:なんで知ってるんだ、そんなこと?そこへ鴨太郎が入ってきた。勢い込んで猪ノ吉に詰め寄り、「藤木嘉秋(よしあき)がどうしたって?」と尋ねた。>猪:ん、なんだよ、鴨太郎。お前、外で聞いてたのか?>鴨:そんなことはどうでも良い。藤木がどうした? また誰かを脅したのか?>八:「脅す」だと? 普請奉行ってのは、そういう悪い奴なのか? それなら話は別だぞ。・・・うん。俄然(がぜん)乗り気のなってきたぞ。>熊:止せったら。お前ぇが出てくると碌なことになりゃしねえ。>八:冗談じゃねえ。こんな面白い話、関わらねえとあっちゃ、八兵衛さんの名が廃(すた)るってもんだ。・・・それで、お夏ちゃん、その笑い茸(たけ)だか天狗茸だかってのは、どんな奴なんだい?>夏:覚えてるかしら、磯次郎っていう臍曲がりのこと?>八:ああ、あの小豆(しょうど)の旦那の養子になった・・・>熊:薬の勉強をするんだって言ってた奴だよな? 今何をやってるんだ?>夏:寺子屋に通いながら、とある薬種問屋で手伝いをさせて貰ってるのよ。丁稚(でっち)みたいなこと。>八:そのお頭(つむ)の良い磯次郎と関係があるのか?>夏:ほら、小豆様って、普請奉行所の平役人でしょう? ねちねちいびってるらしいのよ。・・・直接見た訳じゃないんだけどね。>猪:俺は見てるぜ。>夏:なんで、鴨太郎さんが小豆様のことを知ってる訳?>猪:まあ、行き掛かり上ってとこだな。その磯次郎っていう倅(せがれ)から膏薬を分けて貰ってるんだ。>八:こりゃまた、奇遇だな。小豆さんとはだな、おいらたちは深―い付き合いでな。もう、つうと言やあかあよ。>熊:そいつは幾らなんでも言い過ぎだろう。>八:似たようなもんだろう? あの人が真っ当になったのはおいらたちのお陰なんだからよ。>猪:そうなのか? それなら話が早えや。その藤木っていう普請奉行の悪さの証(あかし)をどっかから聞き出してきちゃあ呉れねえか?>熊:相談ごとってのはそれなのか?>猪:そうだ。・・・俺はよ、なんだか、あの親子のことを放っちゃおけねえんだよ。>鴨:待て待て。そいつは俺らの仕事だ。>熊:何を言ってやがる。明日っから長崎に行こうって奴が、意気込んだって仕方がねえんだよ。>鴨:それにしたって、あの藤木の野郎には、俺も頭にきてるんだ。只じゃ済まさねえぞ、あの野郎。>熊:そう熱くなるなって。聞いちまった以上、何とかやってみるからよ。>猪:やって呉れるか?>熊:仕方ねえだろう。鴨太郎はいなくなるし、猪ノ吉は孫の方の面倒を見なきゃならねえ。鹿之助は関係なしだもんな。>鹿:な、何を言う。拙者とて、仲間の端くれ。・・・それに、そういう調べごとなら、何かと役人の方が便利に決まっておる。>熊:お前ぇ、酔っ払ってるのか? 素面(しらふ)になったとき後悔したって知らねえぞ。>鹿:冗談ではない。妹ばかりに格好の良いところを見せられて、兄たるものが黙って居られようか。>夏:そう来なくっちゃ。頼りにしてるわよ。熊お兄ちゃん、八兵衛さん、お咲ちゃん。それに、猪ノ吉さんと、お負けに兄上。>鹿:なんだ、拙者はお負けか?
2008.01.23
コメント(0)
『酒(さけ)は百薬(ひゃくやく)の長(ちょう)』 『酒は百薬の長』酒は、適量を飲めば、多くの薬以上に健康のために良い。類:●Good wine makes [engenders] good blood.(良い酒は良い血を作る)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>反:●酒は諸悪の元出典:「漢書-食貨志・下」 「夫鹽食肴之將、酒百薬之長、嘉會之好」 ★王莽(おうもう)が施行した法令の1つ「六管」<6品目の専売(専有)制度>の詔(みことのり)にあった言葉。 「そもそも塩は食物に最も肝心なもので、酒は百薬の長、目出度い会合で嗜(たしな)む良きものである。鉄は農耕の基本となるものであり、名山や大きな湖沼(こしょう)は、狩猟や採集、漁業の豊饒(ほうじょう)な倉庫なのである。」出典:漢書(かんじょ) 中国の歴史書。正史の一つ。100巻。後漢の班固(はんこ)著。高祖から平帝までの231年間の史実を紀伝体で記(しる)した書。司馬遷の「史記」と共に中国の史書を代表する。「前漢書」。人物:王莽(おうもう) 中国、前漢末期の政治家。新の建設者。前45~後23。字は巨君。前漢の元帝の皇后(王太后)の甥。自ら擁立した平帝を毒殺し、やがて帝位を得、国号を「新」と改める。政策の失敗、匈奴の侵入などにより財政が逼迫し「赤眉の乱」を招き、漢の劉秀(後漢の光武帝)に攻められ、長安入城の混乱の中、商人に殺された。在位15年(8~23)。*********藤木嘉剛(よしたけ)は、額に大きなたん瘤(こぶ)を作って、道場の隅に転がされていた。剣術の「け」の字も知らない熊五郎に立て続けに2本取られた上に、足を縺(もつ)れさせて、額(ひたい)から倒れ込んだのだ。>熊:あれまあ、自滅しちまいやがった。・・・それにしても、お頭(つむ)ってのは我知(われし)らずのうちに庇(かば)うもんじゃねえのか?>猪:それほど鈍(にぶ)いんだよ。>熊:本当にお武家様なのか? 役者の倅(せがれ)だって、もう少し骨があるぜ。>猪:大方、お茶とかお花とかでもやってたんだろうよ。>熊:土台(どだい)、武道なんか向いてなかったってこったな。・・・これに懲(こ)りて、きっぱり諦(あきら)めるだろうよ。>猪:そうだと良いんだがな。>熊:また来るっていうのか?>猪:親から「行け」と言われたら来るしかなかろう。そうでないんなら、初日だけのことで収まってたよ。>熊:ある意味では、良い根性してるんじゃねえか?>猪:そうかも知れんが、「見返してやる」とか「負けるもんか」とかというのが全くない。そういうところが髪筋ほども見えねえってのはどういうことだ? ・・・一体(いったい)どう育てたら、こういう風になるんだかな?>熊:親父のせいなのか、爺(じい)さんのせいなのかだな。まったく、お奉行様が聞いて呆れるな。>猪:そして、それに輪を掛けて本人にやる気がねえ。こりゃあ、育て方も、育ち方も間違ったってとこだな。>熊:救いようがねえじゃねえか。八の野郎の方が、よっぽど正面(まとも)に生きてるな。>猪:飯と女のことだけに一所懸命だもんな。・・・だがな、そういう簡単なことの筈じゃねえのか、生きてくってことはよ。気が付くと、もう疾(と)うに昼の時間は過ぎていた。>熊:いけねえ、おいら戻らなきゃ。親方にどやし付けられちまう。>猪:つまらねえことさせちまって、済まなかったな。>熊:逆恨みなんかされねえだろうな?>猪:さあな。・・・唯(ただ)、子供の喧嘩に親や爺さんが出てきやしねえだろ。「立場が怪(あや)しくなってきている」ってったって、奉行は奉行なんだからな。>熊:そうだな。大工なんか相手にしてちゃ、奉行の名が朽(く)ちるってもんだもんな。・・・一安心だな。>猪:今夜は俺も早めに行くとするよ。>熊:ああ。鹿之助も来るそうだから、久し振りに昔の話でもしようぜ。>猪:4人が集まるなんて、初めてじゃねえかな?>熊:そうだな。もう15年くらい経(た)っちまうのかぁ。>猪:ああ。・・・なあ、餞別(せんべつ)はどんなもんが良いんだろうな? やっぱり路銀(ろぎん)の足(た)しかな?>熊:なあに。路銀の方はお上(かみ)がどうとでもして呉れる。>猪:お上だと? いまどきそんな気の利く人がいたのか?>熊:その何十倍もの銭を取り返してやったんだ。安いもんよ。>猪:なんだと? お前ぇたち一体何をやらかしたんだ?>熊:後で聞かしてやるよ。・・・じゃあ、「だるま」でな。熊五郎は慌(あわ)てて現場へ取って返した。が、源五郎の機嫌(きげん)は、気持ち悪いくらい良かった。>熊:お、遅くなりやした。相(あい)済(す)いやせん。>源:おう、ご苦労だったな。お前ぇ、飯も食ってねえだろ? 俺の握(にぎ)り飯の余りで良かったら食え。仕事はそれからで良いぞ。>熊:へ? へい、どうも。>源:ほれ、食え。>熊:余りって割には殆ど手を付けてねえじゃねえですか? 良いんですかい?>源:良いんだ。今日はお夏ちゃんの餞別の会なんだろ? 残りの仕事もそこそこで良いぞ。今日は早めに切り上げる。>熊:へい。有難う御座いやす。握り飯を薬缶(やかん)の水で流し込んで、熊五郎は八兵衛のところへ経緯(いきさつ)を聞きにいった。>八:さっき姐(あね)さんが、静(しずか)嬢ちゃんと源太坊を連れて、様子見に来たのさ。>熊:それで?>八:餞別の会には出られないからって、「ちょっとばかし」お足を置いてって呉れたのよ。「鹿之助さんや猪ノ吉さんに集(たか)るようにして飲んでいては、お酒も美味しくないでしょう?」だとよ。気が利くよな、まったく。>熊:ほう。そりゃあ助かるな。・・・で、それだけか?>八:そうよ。それだけよ。他(ほか)に何があるってんだ?>熊:それにしちゃあ、親方の顔付きが仏様みてえに穏(おだ)やかなのはどういう訳だ?>八:ああ、そのことか。・・・「今夜は親方と2人っきり差し向かいで、お夏ちゃんの旅の安全を祈ってるわ」ってことだからよ。水入らずで、しっぽりできるのが嬉しいんじゃねえのか?>熊:ははあ、そういうことか。姐さんと2人っきりってとこが味噌だな?>八:そういうこと。姐さんから「お1つどうぞ」なんて言われながら飲む酒ってのは、きっと一味違うんだろうな。・・・でもよ、おいら思うんだけど、大女将(おかみ)さんがいるとこで、しっぽりなんかできるかってことだよな。>熊:あっはっは。確かに。・・・でも、なんにせよ、親方がご機嫌でいるってのは有難(ありがて)え。>八:おいらは、ふんだんに飲めるのが有難え。>熊:まったく、お前ぇは簡単で良いよな。猪ノ吉が言ってた通りだ。>八:猪の字がなんだって?>熊:お前ぇみたいに、なんの心配事もなしに、毎日飲んだり食ったりできるのが羨(うらや)ましいんだとよ。>八:なんだ、そんなことか。そんなの簡単じゃねえか。他人(ひと)より良い暮らしをしようとか、出世しようとか考えなきゃ良い。それだけだ。>熊:それができてりゃあ世話がねえ。できねえからみんな困ってるんじゃねか。>八:ふうん。面倒臭えんだな。お夏が鹿之助と共に暮れ6つ(18時頃)前にやってきたとき、「だるま」には鴨太郎以外の全員が揃(そろ)っていた。八兵衛は、我慢し切れず、既に銚子を1本空(あ)けていた。>熊:鴨太郎は一緒じゃなかったのか?>鹿:「金魚の糞じゃあるまいし」だってさ。臍曲がりだけは変わりようがないらしい。>熊:あの野郎、真逆(まさか)すっぽかすつもりじゃあるめえな。>猪:約束は守るさ。義理堅いのだけは間違いないからな。>鹿:それもそうだ。・・・きっと、照れ臭いんだな。>猪:半時もしたら来るだろ。さ、夜は長いんだ。面白可笑(おもしろおか)しくやろうじゃねえか。なあ、お夏坊。>夏:猪ノ吉さんまで子供扱いするの? もう「坊」なんか付けて呼ばないで。・・・熊さんもよ。>熊:分かってるって。・・・でもよ、これが最後だ。今夜だけは構わねえだろう?>夏:最後か・・・。そうね。特別に今夜だけは許しちゃうわ。でも、戻ってきたときは「先生」って呼ぶのよ。分かった?>熊:ほう、こいつは心強いな。立派な先生になれそうだ。>咲:それじゃあ、皆々様。未来の医者先生への餞(はなむけ)ということで、景気良く乾杯といきましょう。>八:待ってましたあ。>熊:お前ぇはもう飲み始めちまってるだろ?>八:良いじゃねえか。暫(しばら)くお夏ちゃんの顔を見ることができなくなるんだぞ。この寂しい気持ちは酒でなきゃ埋まらねえのよ。>咲:今日は特別。口喧嘩も抜きよ。じゃあ、かんぱーい。>熊:お咲坊、真逆、お前ぇも酒なんじゃねえだろうな?>咲:何を言ってるの。お酒に決まってるじゃない。お水で乾杯したって詮(せん)ないもんね。それに、適量のお酒は身体(からだ)に良いっていうじゃない。・・・ね、お夏先生?>夏:なにごとも過ぎたら駄目よ。その上、お咲ちゃんの父上のお酒の弱さね。あれは似るらしいわよ。>咲:意地悪(いじわる)。>夏:へへ。でも、ほんとにちょっとだけにしといてよね。負(お)んぶされて帰ったりなんかしたら、旅の間中気に掛かって仕方がないからね。>咲:それも良いかもね。・・・だって、気に掛かってるってことは、あたしのこと忘れてないってことだもんね。>夏:馬鹿ね。みんなのこと忘れたりなんかするもんですか。あたし、そんな薄情(はくじょう)娘じゃないもん。>八:お、おいらのことも忘れねえで呉れよな。な?>夏:八兵衛さんは、あたしのことなんかさっさと忘れて、素敵な人と幸せになって呉れると良いんだけど。>八:なんだよぉ。お夏ちゃんの、意地悪ぅ。
2008.01.22
コメント(1)
『先(さき)んずれば人(ひと)を制(せい)す』 『先んずれば人を制す』他人よりも先に物事を実行に移せば、有利な立場に立つことができる。先手を取ることができれば、相手を制圧することができる。類:●先んずる時は人を制す●He who makes the first move wins. ●The early bird gets the worm.出典:「史記-項羽本紀」「吾聞、先即制人、後則爲人所制」*********熊五郎は、源五郎から少し時間を貰って、昼時間の千場(ちば)道場を訪れた。師範代・猪ノ吉は、今一つ気が乗らないらしく、母屋の居間で憮然(ぶぜん)と目刺を齧(かじ)っていた。>熊:よう、猪ノ吉。随分 時化(しけ)た面してるじゃねえか。>猪:なんだ、熊ちゃんじゃねえか。まあ上がれや。・・・どうだ、目刺しでも食うかい?>熊:大道場の師範代が目刺しでもねえだろう?>猪:そうか? 今はどこだってこんなもんだろ? それに、武士は食わねどを気取ってねえとな。人の目もあることだし。>熊:そんなことはあるかよ。こんな世の中だからこそ、余計に見栄を張って楽しそうにするべきなんじゃねえのか?>猪:成る程、それもそうか。・・・ま、明日っから心掛けてみよう。>熊:かみさんにでも頼んでみるんだな。・・・誰もいねえのか?>猪:ああ。嬶(かかあ)は餓鬼どもの読み書きの様子を見る会だとよ。そんなの放っとけってんだよな。剣術さえ立派なら良いって言ってるのに、まったくよ。・・・親父殿は、道場だ。>熊:大(おお)先生が直々(じきじき)に手解(ほど)きか? 珍しいんじゃねえのか?>猪:俺が逃げ出したんだから仕方がねえだろう。>熊:なんだと? ・・・じゃあ、お夏坊が聞いてきたってのは本当なのか?>猪:お夏? ああ、鹿之助の妹か。・・・鹿之助に愚痴を零(こぼ)した通り、俺の手に負える野郎じゃねえんだよな。>熊:お前ぇほど腕が立つ奴がお手上げだってんなら、大先生だって無理だろ。>猪:そうでもねえさ。親父殿は根気がある。俺と違って途中で投げ出したりしねえ。>熊:どういうことだ?>猪:弱過ぎるんだよ。竹刀(しない)を持ち上げるのがやっとって感じだ。木刀なんかとてもとても。>熊:なんだと? 強えんじゃなかったのか?>猪:見込みなしだ。親はこれまでどういう育て方をしてきやがったのかねえ、嫌んなるぜ。>熊:商人の若旦那とかで、なよっとしてるとか、そういうんじゃねえのか?>猪:ああ、違う。歴(れっき)とした武家の長男坊だ。名前なんか凄(すご)いぞ。「嘉剛(よしたけ)」ってんだ。>熊:強そうじゃねえか。それなのにひょろひょろなのか?>猪:ああ、ひょろひょろだ。末成(うらな)りの瓢箪(ひょうたん)の方がまだ増しってもんだ。>熊:そんなに酷(ひで)えのか?>猪:酷え。お前ぇんとこの四郎とかいう、大人しいのの方が間違いなく強えな。>熊:よっぽどだな、そりゃ。お前ぇが頭を抱えるのも分かるぜ。猪ノ吉は「そうだろ?」と言って、茶碗に茶を注いで、残った米を掻き込んだ。>熊:お夏坊から「頼りにしてる」とか言われちまったが、そんなんじゃ、おいらは出る幕なしだな。>猪:なんだ? そんな気で来たのか?>熊:とんでもねえ。おいらは、今夜鴨太郎の餞別の会があるからって、呼びにきただけだ。唯の大工なんだぞ。大工が木刀なんか握って、なんの役に立つかってんだ。>猪:そうでもねえかも知れねえぞ。なんてったって、子供より弱いんだから。>熊:冗談は止せよ。大工なんぞ道場に入れやしねえだろ? それに、相手は武家の長男さんなんだろう?>猪:俺が許す。好きなように叩きのめして呉れ。>熊:そんなことをして、親が怒鳴り込んできたらどうするんだよ。>猪:親も承知のことだ。命に関わることでなければ、構わねえってことだからな。>熊:だからってったてよ。・・・しかし、変わった親だよな。一体どこの何様なんだ?>猪:普請奉行の藤木様の孫だとさ。>熊:その藤木っていうお奉行さんは偉い人なのかい?>猪:さあな。少なくとも俺は会ったことがねえ。奉行になったくらいの人だから、多分偉い人なんだろ?>熊:その偉い人の孫をこてんぱんにしちまったら、お前ぇ、道場を潰(つぶ)されちまったりするんじゃねえのか?>猪:当の本人と、その父上殿が、頼むって言ってきたんだ。この際、爺さんのことは気にしねえで良いだろ。>熊:そんなもんかねえ・・・道場へ向かいながら、「ときに、鴨太郎はどこへ行くんだ?」と尋ねられて、お夏とのことを掻い摘(つま)んで説明した。「へえ、鹿之助の妹とねえ」と、感慨深げに溜息を吐(つ)いた。気付かなかった振りをしてはいるが、鴨太郎に負けず劣らず、お夏を可愛がっていたのを、熊五郎は知っていたのだ。藤山嘉剛は、道場の隅(すみ)で伸びていた。額には、たん瘤(こぶ)を冷やすためか、濡らした手拭いが載せられていた。>猪:ご師範。熊五郎に手合わせをさせたいのですが、宜しゅう御座いますか?>功次郎:おお、これはこれは熊五郎殿。その節はお世話になりましたな。>熊:あの、おいらは別に・・・>功:昼前一杯嘉剛の相手をしてたので、このわたしも流石(さすが)に疲れました。宜しかったら、代わってください。>熊:で、でやすが、おいらは唯の大工だし。>功:そんなことはこの際関係ありませんよ。それに、わたしは腹が空(す)きました。・・・では頼みましたよ。>熊:そ、そんな。大先生・・・行ってしまった。熊五郎に口を挟む間も与えぬほどである。それほど、代わって欲しかったのかも知れない。猪ノ吉に、嘉剛の昼飯はどうするのかと聞いたら、「無駄に太っているから抜きだ」と、あっさり答えられた。>猪:さて、おい、そろそろ起きたらどうだ? 大方、もう四半時(約30分)は狸寝入りしているんだろう?>嘉剛:・・・あれ、ばれていましたか? 流石は師範代ですね。>猪:お前は、自分の口から「鍛(きた)えてください」と言ったのだぞ。その癖に、まったくやる気が見えぬ。>嘉:あれは、父上が隣にいたから・・・>猪:そういう了見(りょうけん)だから少しも上達せぬのだ。>嘉:それでは話が違うではありませんか。大きな道場だから、さぞかし教え方が巧いのであろうと思って来たのですからね。私が上達しないのは、師範代が碌に立ち会って呉れぬからではないのですか?>猪:やる気のない者には、何を教えても無駄だ。>嘉:そんなことはないでしょう? 兵法書を隅から隅まで読んだだけでも違うというではないですか。>猪:兵法というのは、戦(いくさ)の陣形であって、個人の熟達を説いたものではない。>嘉:それなら、私は軍を指揮する者になります。それなら、剣客(けんかく)でなくても良いでしょう?>猪:指揮するのは、藩主やその参謀と相場が決まっておる。お主がご当主様から召し抱えられるほど立派とは、到底(とうてい)見えぬ。・・・そもそも、その兵法書などを、手に取ってみたことはあるのか?>嘉:そ、それはまだですが、これから帰って、早速(さっそく)求めに行かせるつもりです。善は急げと言いますし。>猪:嘉剛、お主は幾つになった?>嘉:年ですか? 17ですが、それが何か?>猪:やる気がある者は、早ければ10(とお)になる前にここに来る。お主がその年になるまで何もしてこなかったということは、もう既に負けているということなのだ。兵法書には「先手必勝」という言葉だってある。それだというのに、何を今更「善は急げ」か。>嘉:そんなことを言ったって、お爺様が、何もしないで良いと言ったのですから・・・>猪:他人のせいにするでない。責任は全て己で取るのだ。>嘉:しかし・・・>猪:しかしも案山子(かかし)もない。・・・それでは聞くが、なぜ剣術を選んだのだ?>嘉:それは、お爺様の立場が怪しくなったから、「自分の身くらい守れるようになれ」と、父上から・・・>猪:また他人に選択を委(ゆだ)ねたのか? 一体、お主の本心はどこにあるのだ?>嘉:そんなこと急に言われてって・・・>猪:「急に」であるのかどうか、もう2、3発打ち込んで貰ってからじっくり考えてみろ。>嘉:え? まだ打たれろっていうのですか?猪ノ吉は熊五郎に、「こういう男だったら思う存分打てそうだろう?」と言って、竹刀ではなく木刀を持たせた。「気を失うまでやって良いぞ」と、小声で言ってから、「餞別の会の前に喉(のど)をからからにしとけ」と付け加えた。>嘉:ちょ、町人ではありませんか。そのような者と立ち会えというのですか?>猪:そうだよ。1本でも取れたら、お父上のところに頭を下げに行ってやる。・・・頼むぞ、熊ちゃん。>熊:済まねえが、お坊ちゃん。おいら、剣の作法なんか知らねえから、手加減なんかできねえからな。>嘉:町人の分際で、その口の利き方はなんだ。か、仮にも普請奉行・藤木嘉秋(よしあき)の孫であるぞ。>熊:爺さんのことなんか、知ったこっちゃねえってんだ。お前ぇさんの話を聞いてたら、性根が腐ってるってことが分かったからな。おいらがその膿(うみ)を出してやるよ。>嘉:何を偉そうに。町人は町人ではないか。それは一生掛かっても引っ繰り返りはしないわ。>熊:お前ぇさん、まだ分かってねえのか? おいらが上に上がることはなくっても、お前ぇさんが地に落ちるのは目に見えてるってことだよ。>嘉:そんなこと町人になど分かって堪(たま)るか。>熊:まったく、物分りの悪いお坊ちゃんだな。・・・おいらの知ってる娘はだな、今16だってのに、長崎に行って5年も掛けて医学を学ぶんだって、明日旅立つんだよ。どんな決心か、お前ぇさんには、それこそ一生掛かっても分からねえだろうよ。
2008.01.21
コメント(0)
『塞翁(さいおう)が馬(うま)』 『塞翁が馬』人生では禍(わざわい)がいつ福の因(もと)になるか分からず、また福がいつ禍の因になるか分からない。吉凶福禍の転変は測り知れず、禍も悲しむにあたらず、福も喜ぶに足りないということ。用例:俳・毛吹草-二 「人間(ニンゲン)万事塞翁が馬」類:●人間万事塞翁が馬●禍福は糾える縄の如し●Life can be long and you got to be so strong and the world is so tough. Sometimes I feel I've had enough. --John Lennon (1940-80): How?<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「淮南子-人間(じんかん)訓」 昔、中国の北辺の老人(塞翁)の馬が逃げたが、後に立派な馬を連れて帰ってきた。老人の子がその馬から落ちて脚を折ったが、そのために戦争に行かずにすんだ。このように人生の吉凶は簡単には定め難いものである。用例の出典:毛吹草(けふきぐさ) 江戸初期の俳書。5冊。松江重頼著。寛永15年(1638)成立、正保2年(1645)刊。俳諧の作法を論じ、句作に用いる言葉や資料を集め、句作の実例として四季に分けた発句2000句、付合(つけあい)100句を収録。貞門の俳論を代表する。*********お夏が連れてきた娘は、「お花っていいます」と名乗った。嘗(かつ)て「だるま」の女中を勤めたあややお夏に比べると、どうということのない普通の娘であるように見て取れた。お夏が選んだからには、それなりの美点があるのだろうが、とてもそういう感じには見えない。>八:それで? 縄暖簾(なわのれん)の仕事ってのは、したことがあるのかい?>花:初めてです。どういう風にしたら良いのか、さっぱり分かりません。>夏:そんなに心配するほどのことじゃないわよ。あたしがするのを見てればすぐに慣れちゃうわ。>花:はあ。>八:料理の味付けとかは上手い方かい? なんてったって、ここの親爺ときたら、碌(ろく)なもんを拵(こさ)えねえからよ。>花:まあ、人並みにはお料理もしますけど、美味しいかどうかは・・・>夏:それも大丈夫よ。何を作ったって、親爺さんのよりも不味(まず)いものなんかありゃしないから。>親爺:なんてえ酷(ひで)え言い種(ぐさ)だい。>八:まあ、当たってるんだから仕様がねえな。>親爺:なんだと? やい八公、喧嘩を売ってやがるのか?>八:ああそうだよ。悔しかったらな、頬っぺたが落ちるほど美味いもんを出してみやがれってんだ。>親爺:ようし、今度取って置きのを拵えてやるからな。お変わりをくださいなんて言ったって出してやらねえから、吠え面でもなんでも掻きやがれ。>八:ああ。せいぜい楽しみに待っててやるよ。「いつものことだから、気にしないでね」とお夏に言われて、お花は、「はあ」とだけ返事をした。捕らえどころのない娘である。>八:なあお夏ちゃん、お花ちゃんとはどういう間柄なんだ?>夏:どういうってほどのことはないのよ。何度か養生所で顔を合わせただけ。>八:それだけか?>夏:そうよ。>花:おっ母(か)さんが大八車に撥(は)ねられて、足を挫(くじ)いちゃいまして・・・>八:そうかい。そいつは難儀(なんぎ)だったな。>花:漬物(つけもの)売りをしてるんですが、歩けないとあまり売れなくって、困ってたところだったんです。>八:漬物を作ってるのかい?>花:はい。お父つぁんの漬ける大根漬けは、中々評判が良かったんですけど・・・>八:へえ、大根漬けか。こりゃあ美味そうだな。今度持ってきてみて呉れよ。酒に合いそうじゃねえか。>花:はい。さっき親爺さんにも頼んでみたんです。「食ってみてからだな」って言われちゃったんですけど。>八:味の分からねえ親爺に味見なんかさせたって駄目だぜ。客が喜びゃ良いの。おいらが食って美味いって言えば、それで良いのさ。なんてったって、この八兵衛さんはここの味奉行みてえなもんなんだからよ。>花:そうなんですか?>夏:まあ、言いたいように言わせとけば良いの。>花:でも、お店で買って貰えるようになれば、うちの暮らしも随分と良くなりますから。もしかすると、お父つぁんも大喜びして呉れるかも知れません。>夏:こんなちっぽけな縄暖簾じゃ、高が知れてるけどね。>花:いいえ、そんなことありません。おっ母さんが足を挫いたのも、もしかすると、八兵衛さんたちに引き合わせて呉れたっていう意味じゃ、良い兆(きざ)しだったのかも知れません。>夏:そんなご大層なものかしら?>花:きっとそうですとも。お花は力強く頷(うなず)くと、今日初めて笑った。笑顔は輝くほど愛らしいと、八兵衛は、思ってしまっていた。>熊:なあ、お夏坊、出掛けるのはいつなんだ?>夏:寒くなる前には発(た)ちたいから、なるべく早く、かな?>八:もう行っちゃうのか?>夏:明後日か、その次辺りね。鴨太郎さんの方のあれこれが済んだらね。>八:明日は来るよな? 今日でお終(しま)いってことはねえよな?>夏:なによ。今生(こんじょう)の別れって訳でもあるまいし。>熊:そうだぞ、八。1年もすりゃあ戻ってこられるんだろ?>夏:そんなに早くは無理よ。5年くらいは掛かるんじゃないかしら。>八:5年もか?>夏:その頃は、きっと八兵衛さんも素敵な娘さんと夫婦(めおと)になって、稚児(やや)も何人か生まれてるんだろうな。>八:そんなことねえさ。お夏ちゃんが帰ってくるまで、ずっと独り身で待ってるからよ。>熊:お前ぇが待ってたってしょうがねえだろ。お夏坊だって、お前ぇに待たれてちゃ迷惑ってもんだ。>夏:そういうこと。立派な親方になってね。>八:お夏ちゃん・・・>熊:明日は鴨太郎も呼んでやろう。細(ささ)やかながら餞別(せんべつ)の会をやろうぜ。>夏:ほんと? じゃあ、兄上も呼んじゃおうかしら。>熊:もやしは下戸(げこ)だろう?>夏:良いじゃないの。昔の仲間が旅に出るってことなら、ちょっとくらい余計に餞別を包むべきよ。>熊:なるほど。・・・じゃあ、猪ノ吉にも声を掛けてやらねえとな。>夏:そうね。猪(しし)鍋三人組だもんね。・・・なんだか楽しくなりそう。>八:そういうことならよ、本当に猪鍋でも出すか?>熊:ここにそんな洒落(しゃれ)たもんなんかあるかよ。>八:親爺い、土鍋くらいあんだろ?>親爺:自慢じゃねえが、そんなもんはねえ。>八:そんならよ、大女将さんに頼んで貸して貰うことにしようぜ。な?>夏:あやさんも来て呉れないかしらね。>熊:どうだかな。親方が出さして呉れるかどうかだな。>夏:そうね。もう餞別の脚絆(きゃはん)も貰っちゃってるしね。それに、猪鍋三人組と一緒じゃ可哀想だもんね。>熊:そうかも知れねえな。>夏:あ、そうそう。お咲ちゃんは連れてきて貰えるんでしょう? お花さんをお願いしとかなきゃ。>花:お咲ちゃんというのは?>夏:熊お兄ちゃんと八兵衛さんが住んでる長屋の娘(こ)なの。あたしの友達。時々ここを手伝って呉れるのよ。あたしなんかよりずっと慣れてるんだから。>花:そうですか。ようくお願いしておかなきゃいけないわね。>夏:あたしよりお転婆だから、引っ張り回されないように気を付けてね。>花:はい。・・・でも、こう見えてあたしだって結構お転婆なんですよ。>夏:分かってるわよ。一度見掛けたことがあったもの。>八:何をどう見たってんだ?>夏:お花さんって、凄(すご)いのよ。>花:お夏ちゃん、それくらいにしといてくださいな。恥ずかしいから。>夏:そうね。>八:なんだよ。そこまで言い出しといてお預けはねえだろう?>夏:へへ。後のお楽しみってことにしといて。>八:そりゃあねえよ。教えて呉れよ。>夏:駄目。・・・さ、もう良いでしょ? みんなを待たしちゃってるから、お給仕お給仕っと。初めてということではあったが、お花は意外にてきぱきと給仕をこなしていた。愛想笑いこそ引き攣(つ)っているが、その硬さもやがて取れるであろう。>夏:あ、それはそうと、熊お兄ちゃん。猪ノ吉さんのところ、変わったお弟子さんが入ったって言ってたけど、聞いてる?>熊:いや。あいつとは新山様の見合いの件以来会ってねえ。「変わった」ってどんな風に変わってるんだ?>夏:さあ。兄上のことだから、詳しくは聞いてこなかったみたいなの。・・・でも、頭を抱えてるってことだったわ。>熊:ふうん、そうか。それじゃあ、明日誘いに行ったときにでも、聞いてみるとするか。>夏:お願いね。頼りにしてるわよ。>熊:お夏坊から頼りにされたってしょうがねえがな。>夏:まあ良いじゃないの。あたしがお医者様になったら、只(ただ)で診(み)てあげるから。>熊:はは。そりゃあ良い。それまでは精々怪我(けが)をしねえように取っとくとするか。>夏:そうね。お咲ちゃんに心配を掛けないようにしてあげなきゃね。>熊:こんなとこで、お咲坊の名前なんか出すんじゃねえっての。>夏:良いじゃない。もうみんな知ってることだもの。あたしが江戸に帰ってくる頃にはもう一緒になってるんでしょ?>熊:止(よ)せったら。そんなんじゃねえってんだ。・・・お前ぇこそ、鴨太郎とどういうことになるか分かったもんじゃねえんだからな。>夏:ないない。そんなことになったら、朝日が西から昇るわ。>熊:だがよ、5年も一緒にいることになるんだぜ。遠くに行って、頼るのが鴨太郎しかいねえとなりゃ・・・>夏:うーん。旅の間にあたしが病気にでもなって、砕身(さいしん)で看病されちゃったりしたら分からないわね。>熊:病気になったらか・・・。医者になろうってお夏坊が病気になってりゃ世話はねえがな。>夏:それこそ医者の不養生ね。
2008.01.20
コメント(0)
『転(ころ)ばぬ先(さき)の杖(つえ)』『転ばぬ先の杖』躓(つまづ)いて転ぶ前に予(あらかじ)め杖を突くという意味で、事前に注意していれば失敗しないで済むということ。★「ぬ」は、打消しの助動詞。類:●倒れぬ先の杖●濡れぬ先の傘●降らぬ先の傘●用心は前にあり類:●Prevention is better than cure.予防は治療に勝る●Light your lamp before it becomes dark.ランプは暗くなる前にともせ<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*******源五郎には、あやとお咲がどうやって弥兵衛を丸め込んだのか、皆目(かいもく)見当(けんとう)も付かなかった。「分かってくださいました」というあやの言葉を信用するしかない。>源:それじゃあ、八兵衛と半次を擦り替えちまっても良いってんだな?>あや:いっそのこと、祝言(しゅうげん)ってことにしてしまいますか?>源:そいつは気が早えってもんだろ。弥兵衛父つぁんにだって、心の用意ってもんがある。>あや:心の用意はすっかりできちゃったようですよ。>源:なんだと? 一体(いったい)、お前ぇら、何してきやがったんだ? 真逆(まさか)ほんとに「駆け落ちさせる」って脅(おど)かしたんじゃねえだろうな?>あや:そんなことしませんよ、お夏ちゃんじゃあるまいし。>源:そうか、それなら良いんだが。>あや:祝言はまだにしても、なるべく早めに一席設(もう)けてくださいませんか?>源:お互いにそういう気持ちだってんなら、何も急ぐことはねえじゃねえか。逃げも隠れもしねえんだろ?>あや:念のためですよ。・・・あんまり日が経(た)っちゃうと、お腹(なか)が苦しくなっちゃうんですよね。それも、わたしだけじゃなく、菜々ちゃんやお三っちゃんもね。>源:五六蔵の嫁は関係ねえだろ。>あや:仲良しなんですってよ、後から聞いたんですけど。>源:そうなのか? ・・・なんだよ。そうと知ってりゃ、お前ぇらじゃなくお三千を遣(や)っときゃ、世話なしだったじゃねえか。>あや:そうでもないですよ。顔馴染みのお三っちゃんが言ったのでは、逆に耳を貸さなかったかも知れませんから。>源:そんな際疾(きわど)いことを言ってきたのか?>あや:「際疾い」だなんて、人聞きが悪いですよ。押し付けがましくした訳じゃありませんもの。「理詰め」とかなんとかって言ってください。>源:・・・結局、やらかしてきちまったってことか。>あや:良いじゃありませんか。「終わり良ければ全て良し」ですよ。>源:まるで八の野郎みてえなことを言いやがる。>あや:八兵衛さんといえば、お嫁探しはどうしましょう?>源:なんだかよ、盛り上がりかけたところを下げちまったもんだから、今んところ冷(さ)めちまってるようだぜ。>あや:あら、そうなんですか? 悪いことをしてしまいましたわね。>源:本当に済まねえと思ってんのか?>あや:あら、そうは見えません?>源:八に同情してるようには見えねえがな。>あや:まあいけない。わたしったら、どうもいけませんね。根が正直な者ですから、すぐ顔に出てしまって。>源:お前ぇなあ。・・・まあ良い。じっくりやらして貰うとするか。良い話なんてものは、そうそう転がっちゃいねえからな。八の野郎も、「花より団子ですよ、親方」なんて言ってやがるし。>あや:そうですか。なら、また振舞い酒でもしてあげないといけませんね。親方も偶(たま)には「だるま」に顔を出してあげたらどうです?>源:仕方ねえか。あんまり気は進まねえがな。・・・お前ぇの方は、今度の十五夜に、月見団子をたんまり拵(こさ)えといて呉れ。そうすりゃ八の野郎も、暫(しばら)くは大人しくしてて呉れるだろうよ。その頃、八兵衛と熊五郎は、三吉を従えて「だるま」に向かっていた。五六蔵と四郎は、身重の女房に付いててやるからと、それぞれ帰っていった。>熊:それで? 半次はどうしたんだって?>八:お咲坊が弥兵衛父つぁんのとこへ、引っ張っていったとよ。>熊:良かったじゃねえか。>八:なにが良かったもんか。また1人、周りの独(ひと)り身が減っちまうんだぞ。残されるこっちの身にもなれってんだ。>熊:そんなら、親方にもっと食い下がってくりゃ良かったじゃねえか。「思い立ったが吉日って言うじゃねえですか」とかなんとか言ってよ。>八:おいらの吉日は、半次と飲んだあの晩で終わっちまったのよ。次の朝の小便(しょんべん)と一緒に流れちまったって訳だ。>熊:それで終わりってことはねえだろう。またすぐに来るって。>八:どうだかな。・・・せめて、あの晩の小遣い銭の半分でも残ってりゃあな。>熊:お前ぇ、それじゃあまるで、見合いが駄目になったことより、銭がなくなったことの方が辛(つら)いように聞こえるぞ。>八:おいらにとっちゃ、どっちも大事(おおごと)なの。嗚呼(ああ)、あの日に帰りてえ・・・>熊:流行唄(はやりうた)かなんかみてえなことを言ってんじゃねえ。「だるま」には、弥兵衛のところまで半次を連れて行った帰りの、お咲が待っていた。>咲:「こっ恥(ぱ)ずかしいから付いてくるな」なんて言っときながら、戸の前でもじもじしてるのよ、半次さんったら。>熊:喋(しゃべ)り言葉が悪いってのは、初心(うぶ)だってことの裏返しなんだよな、あいつの場合。>咲:可愛いところがあるのよね。・・・女って、ときに、男のそういうところに、妙に惹(ひ)かれたりするのよね。>八:おいらだって、そんなようなもんだぞ。>熊:どこが、だ。>八:いつもお気楽そうにしてるのは、傷付き易い、小心者だってことよ。>熊:お前ぇのは、生まれつきだろ? 長い付き合いだが、「八兵衛の裏返し」なんか一遍だって拝(おが)んだことがねえ。>八:そうだったか? そりゃあきっと、お前ぇたちが寝静まった頃にしくしくと枕を濡らしてるからだな。>熊:・・・だとよ。お咲坊、何とか言ってやれよ。>咲:「お休み」って言った途端に眠るのが十八番(おはこ)だって言ってたわよ、おっ母(か)さんが。>八:何い? そんなことまでみんなに言っちまってるのか、あの婆(ばば)ぁは。>咲:でもね、八つぁん、そういう生き方の方が良いのよ、きっと。八つぁんは八つぁんじゃない。>熊:そうだぜ。半次は半次で、好きでそういう風になっちまった訳じゃねえんだからな。相手から分かり易いのが一番なの。案外、半次の野郎も、お前ぇみてえな性質(たち)に憧(あこが)れてるんじゃねえのか?>八:そ、そうか? そう言われたら悪い気はしねえな。・・・安心したら急に腹が減ってきやがったぜ。おーい親爺(おやじ)ぃ、松茸があったら丸のまま焼いて呉れーっ。>熊:そんなのここにある訳ねえじゃねえか。>八:それもそうだな。第一、そんなもんがほんとに出てきた日にゃあ、明日っからの食い扶持(ぶち)に差し支(つか)える。親爺が「これでも食ってろ」と置いていった椎茸(しいたけ)入りの煮染(にし)めを突付いているところに、源五郎がやってきた。>熊:お、親方あ? どういう風の吹き回しで?>源:なんだ? 俺が来ちゃあいけねえのか?>熊:とんでもねえですよ。ささ、どうぞどうぞ。>咲:今晩は、親方。また一組纏(まと)め上げちゃいましたね?>源:別に俺の手柄(てがら)でもなんでもねえさ。お咲ちゃんの方がよっぽど立ち回って呉れたんじゃねえか?>咲:あら、立ち回ったのはあやさんの方よ。親方にも見せてあげたかったな、あやさんの大立ち回り。>源:そ、そんなことやりやがったのか?>咲:掴(つか)み合いの喧嘩をしたって言うんじゃないわよ。お芝居かなんかみたいに素敵だったってこと。良いわね、親方は。>源:何が良いもんか。こっちは冷や冷やさせられっ放しだぜ。>咲:そこが良いんじゃない。ね、八つぁん。ね、熊さん。>八:姐さんって、一等上等ですよね。・・・だって、ここに来るように言ったのも、姐さんなんでしょう?>熊:調子の好い野郎だな、まったく。・・・お前ぇが腐(くさ)らねえように、先手を打たれたんだってのが分からねえのか?>八:なんでだ? そんなことされなくたって、おいらちっとも腐ったりしねえぞ。見合いってったって、ご当人と会ってから振られたんじゃねえもんな。姐さんも、今度のことに関しちゃ、当てが外れやしたかね。>源:まあ、当たろうが外れようが、そんなのどっちでも良いだろう。家主の下見を押し付けたのから始まって、お前ぇたちには面倒を掛けたからな。俺のささやかな詫(わ)びの印だと思って呉れ。>八:そういうことでしたら、喜んで。・・・おーい親爺い、松茸はほんとにねえのかぁ?いつもの通り6つ半(19時頃)にやってきたお夏に、源五郎が何やら包みを渡した。出掛けに「ついでにお願いしても良いですか?」と渡されていたものである。>夏:あれまあ。やっぱりあやさんには、嘘は吐(つ)けないわね。>咲:ねえ、なになに? あたしにも見せて。>夏:脚絆(きゃはん)、かな?>咲:なんなの、それ? なんでそんなの呉れる訳?>夏:だってお咲ちゃん、旅には必要でしょ? もしものことがあったら大変じゃない。>熊:旅って、真逆(まさか)・・・>夏:そ。来月出掛けるの。・・・長崎。>八:行っちゃうのか?>夏:行っちゃう。>八:ここはどうするんだよ。ここの客たちはどうするんだよ。おいら、どうすりゃ良いんだ?>夏:代わりの人は見付けてあるの。そのうち連れてくるわね。どう? 手回しが良いでしょ?>熊:一人旅なのか?>夏:断(ことわ)ったんだけどね、坂田様が余計に気を回して呉れちゃってね。あたしは要(い)らないって言ったのよ。>熊:そりゃぁもしかして、余計な働きをして謹慎(きんしん)させられてる馬鹿同心か?>夏:へへ。ちょっと口煩(うる)そうだけど、確かに用心棒には持って来いよね。お堅(かた)いお役人よりは、機転も利きそうだしね。
2008.01.19
コメント(0)
『子(こ)ゆえの闇(やみ)』『子ゆえの闇』子を愛するあまり、親が理性的な判断を失うこと。類:●子故に迷う親心●子を思う心の闇●子の道の闇参考:「後撰-雑一」 藤原兼輔の「人の親の心はやみにあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」出典:後撰和歌集(ごせんわかしゅう) 平安中期の2番目の勅撰集。20巻。天暦5年(951)、村上天皇の勅命で和歌所が置かれ、藤原伊尹が別当に、大中臣能宣、清原元輔、源順、紀時文、坂上望城のいわゆる梨壺(なしつぼ)の5人が撰者となり、天暦10年(956)前後に成立した。紀貫之、伊勢、凡河内躬恒ら220人余りの歌約1420首を、四季、恋、雑など10部に分類し収録したもの。私的な贈答歌が多く、歌物語的な傾向が見られる。「後撰集」。*********櫛引(くしひ)きの弥兵衛の家は、飯田町にあるということだった。あやとお咲は、連れ立って、弥兵衛が住むという長屋に向かっていた。>咲:櫛だったら飾り職の松つぁんが知ってるんじゃないかと思って聞いたみたのよね。そしたら、大当たりよ。半次さんにお八重さんを引き合わせたのって、松つぁんなんだって。>あや:そういうことだったの。あのがらっぱちの半次さんが誰かを口説(くど)くなんて、ちょっと巧く結び付かなかったのよ。>咲:あたしも。・・・でも、「案外お似合いだったぜ」って言うのよね。「だった」なんて言わないでよねって、叱(しか)っちゃった。>あや:松吉さんと半次さんって、仲が良かったものね。きっと、逐一(ちくいち)返り申ししてたんじゃない? 半次さんって、ああ見えて律儀(りちぎ)だから。>咲:だからって、「だった」ってことはないでしょう? 自分で仲立ちしたんだったら、最後まで、巧く行くように助けてあげるべきよ。>あや:菜々ちゃんに稚児(やや)ができたって聞いて、それどころじゃなかったのよ、きっと。>咲:それにしたってよ。友達甲斐(がい)ってものもあるでしょう?>あや:でも、教えて呉れたんでしょう、弥兵衛さんのこと。どういう風に言えば耳を貸して呉れるかって。>咲:とんでもない。「世話になってる人だから、あんまり煩(わずら)わせねえで呉れよ」だって。>あや:まあ。>咲:唯(ただ)ね、「『俺は娘の育て方を間違ってるのかな』って、時々ぼそっと言うことがあるんだよな」、なんて言ってたわ。>あや:やっぱり、お八重さんに気を使っちゃってるのね。それなら、益々お八重さんのためになるようにしてあげなきゃね。>咲:・・・ねえ、あやさん。八つぁんとより、半次さんとの方が幸せになれると思う?>あや:さあ、どうかしら? ・・・でも、それはお八重さんが決めること。そうじゃない?>咲:そうね。弥兵衛さんじゃなくって、お八重さんが決めることなのよね。弥兵衛は近所まで出掛けていると、お八重本人が2人に答えた。お八重は、一見、控え目な質(たち)であり、とても大喧嘩をやらかすようには見えない。>あや:わたしは大工の源五郎の女房のあやという者です。>八重:まあ、それじゃあ・・・>あや:この娘(こ)は、お咲ちゃんといって、うちの八兵衛と同じ長屋に住んでいる娘さんです。>咲:お咲です。今日(こんにち)は。>八重:今日は。八兵衛さんの名代(みょうだい)? あたしのこと見に来たの?>咲:名代? ・・・とんでもない。後ろ見役みないなものよ。それにね、こう言っちゃうのはなんだけど、あたし、八つぁんとの見合いを潰(つぶ)しに来たのよね。>八重:潰しに? どうして?>あや:ご免なさいね、お八重さん。説明はわたしの方からします。でも、その前に聞いておかなきゃいけないことがあるの。>八重:あたしじゃ、不似合いってことですか?>あや:そうじゃないの。うちの八兵衛には勿体無いくらいなのよ。源五郎もそう言ってたでしょ?>八重:じゃあ・・・>あや:引っ掛かってるところはね、半次さんがお咲ちゃんと同じ長屋だってことなのよ。つまり、八兵衛と半次さんは長い付き合いだってこと。>八重:あっ・・・>咲:半次さん、物凄(ものすご)く落ち込んじゃってるのよね。あの口の悪い半次さんが、「見合い話となっちゃ口出しできねえじゃねえか」なんて、しんみり言うのよ。見ちゃいらんないわよ。>八重:知ってらしたんですか・・・>あや:あなたの気持ちを確かめたいの。このまま半次さんとのことを終わりにしちゃっても良いの?>八重:・・・。もう、遅いんです。お父つぁんからも「忘れろ」って言われちゃいましたし。>咲:でも、お父さんは事情を知ってるの? 椎茸(しいたけ)と占地(しめじ)でしょ?>八重:そんなこと、言える訳ないじゃない。>咲:言えば良いじゃない。今からだって遅くないわよ。>八重:だけど、あの人は5日経(た)っても迎えに来て呉れなかった。会いに来て呉れなかった。・・・謝って欲しかったんじゃないの。あんなことなんでもないよっていう顔で、顔を見せて欲しかったのよ。>咲:だからって、お見合いして、お嫁に行っちゃっても良いっていうの? そんなことで、もう会えなくなっちゃっても良いの? 金輪際言葉を交わせなくなっちゃっても良いの?>八重:そんな聞き方をしないで。やっと気持ちに方を付けたところなんだから。>咲:そんなので、気持ちって方が付いちゃうものなの? お八重さんの半次さんに対する気持ちって、そんなもんなの?>八重:あたしを責めないでよ。兎や角言われるのは、お父つぁんだけでたくさん。>咲:間違ってる。・・・お八重さんも、お父さんも間違ってる。>八重:あたしだって、そんなこと分かってるの。でも、世の中なんて、思うようになることばかりじゃないもの。>咲:駄目よ、駄目駄目。・・・そんなこと言ったら、幸せになれない。>八重:でも、お父つぁんを説得するなんて、あたしにはできそうにない。>咲:でもでもでも。でもばっかりじゃなんにも変わらない。・・・あたしが八つぁんとのお見合いを破談にしてあげるからね。ね、あやさん、破談よね?>あや:いいえ。破談にはしません。>咲:どうして?>あや:弥兵衛さんと、うちの親方の顔が立たなくなるもの。間に元締めまで絡(から)んじゃってるんだもの、おいそれとは段取りを変えられないのよ。>咲:そんなあ。「お客さんか?」と言いながら、弥兵衛が戻った。>弥:あんたたちは?>あや:源五郎の女房のあやと申します。留守中にお邪魔して申し訳ありません。>弥:ああ、源五郎さんのかね。今度のことじゃ、こっちの都合(つごう)でばたばたと決まっちまいましたんで、慌てさせちまいましたか?>あや:いいえ。こちらにも独り身の若い衆がごろごろいますので、願ってもない良いお話です。>弥:そう言っていただけりゃこっちも気が休まりますわ。・・・それで? 今日はお八重のことを見に?>あや:それもあるんですが、お父様とお話をしに。>弥:あっしに? そりゃあ一体どういうこって?>あや:弥兵衛さんの子育てについて、兎や角申し上げようと思いまして。>弥:なんだって? あっしの、いや俺の子育てがなんだって?>咲:あやさん・・・>あや:弥兵衛さん、あなたは「躾(しつけ)」というものを勘違いしてらっしゃいます。>八重:お内儀(かみ)さん・・・>弥:お前ぇは黙ってろ。・・・俺の躾のどこが間違ってるって言うんだ。>あや:あなたは、お八重さんが大人になろうとするのを押さえ付け過ぎてます。>弥:なんだと? 俺の娘だ。他人からそこまで言われる筋合いはねえ。>あや:相手が婿(むこ)の家の者だとしても、そう言い切れますか? 弥兵衛さん、わたし共のところでは、子離れしていない父親が付いた娘など、欲しいとは思いません。>弥:子離れしてねえだと? 俺のどこが子離れしてねえってんだ?>あや:お友達と集まって世間話をするのも、町衆に惚(ほ)れてお昼を一緒に食べるのも、あなたは認めようとしないでしょう? それって、本当に正しいことですか? 「勝手」だとか「気侭(きまま)」だとか「ふしだら」だとか言いますけど、それって本当にいけないことですか?>弥:良くないことだ。そうだろう?>あや:一辺倒(いっぺんとう)なのは良くないでしょう、確かに。でも、一切許されなかったらどうです? 偶(たま)に好きなことをするくらいのことも、許されなかったらどうします?>弥:・・・>あや:そういう育てられ方をした人は、いざ縛(しば)りが解(と)けたとき、何もできない人になるんです。誰かから指図(さしず)されないと何もできない能無しになるんです。お分かりですか? あなたは、お八重さんをそういう人に育てようとしているんだって、気付きませんか?>弥:だったらどうしろってんだよ? 一生嫁にやるなってことか?>あや:いいえ。・・・でも、それを決めるのはあなたです。弥兵衛は考え込んでしまった。思い当たる節があったのであろう。けれども、とうとう巧い考えは思い浮かばなかったらしい。>弥:なあ、源五郎のお内儀さん。一体あんたたちはお八重をどうしたいんだ?>あや:お見合いの相手を半次さんに擦り替えさせていただきたいと思います。>弥:なんだと? あの減らず口の半次の野郎にか? そんなことは許さねえ。>あや:決めるのはお八重さんです。あなたはそれを認めるだけ。>弥:なんでそんなことになる。>あや:一生のうちで一番大事なことを親が決めたのでは、ゆくゆく、恨(うら)まれることになりますよ。あなたが言うところの「子育て」の、見事(みごと)な遣り損(そこ)ないです。そうじゃありませんか?>弥:・・・そういう、ことなのか? ・・・なあ、お八重、そういうことなのか?>八重:あたし・・・>咲:言っちゃいなさいよ。半次さんと一緒になりたいって。>弥:そうなのか? つまらないことで喧嘩になって、謝りにも来ねえあの碌でもない半次が良いのか?>八重:うん。そうなの。減らず口の碌でもない、だけどちゃんとあたしのことを分かろうとして呉れる半次さんが好きなの。>弥:そうなのか・・・。そうか、俺も、馬鹿だよな。お八重に言い寄る男共なんてのは、下心ばっかりだって思ってた。・・・そうだよな。お八重の方から選ぶなんてこと、これっぽっちも考えてみなかったなんてな。俺は一体、何をやっていたんだか。縁者でもねえあんたたちから言われて初めて気付くとはな。まったくよ。>八重:お父つぁん・・・
2008.01.18
コメント(0)
『田作(ごまめ)の歯軋(ぎし)り』 『田作の歯軋り』[=?の~]悔しがっても、力がないためにどうしようもない。また、力量不足の者が徒(いたずら)にいきり立つこと。類:●蟷螂(とうろう)の斧●石亀の地団駄(じだんだ)●泥鰌の地団太*********>八:あいたたたたたた。・・・なあ熊よ。おいらそんなに飲んだっけかな?>熊:茄子の新香を3回もお代わりしてたぜ。>八:新香か? あーあ、飲み代(しろ)がたんまりあるってのに、茄子の新香とはね。とことん安上がりにできちまってるんだな、おいらって生き物はよ。「松茸の姿焼き」みてえなもんでもありゃあ、3本も4本も食うんだけどな。>熊:「だるま」にそんな贅沢(ぜいたく)なもんがあるか。>八:親爺がいつも言ってるじゃねえか、「手前ぇたちがしみったれた奴らじゃなかったら、今ごろ日本橋かどっかで高級料亭をやってる筈なんだがな」なんてよ。そうすりゃ、鯛の尾頭付きだろうが、鰻(うなぎ)の蒲焼だろうが、食えたのによ。>熊:銭のねえお前ぇが言ったって始まらねえだろ? 新香だけで1升近くも飲んどきゃ十分だろうよ。>八:そんなに飲んじまったのか? 今晩のために取っときゃ良かったな。>熊:二日酔いだってのに良く飲む気になるな。>八:今は駄目でも、日が沈みゃそういう身体になっちまうんだな、これが。>熊:便利なんだか、不便なんだか。>八:割り勘負けしねえ得な身体だって言って貰いてえな。>熊:意地汚えってことだな。>八:失礼な。「酒飲み魂」って呼んで貰いてえな。どうだ? 見上げたもんだろ?>熊:例えばの話だが、おいらがお前ぇの嫁のてて親だったら、芯から叩き直そうと思うだろうよ。>八:無理無理。そんな無理なことは、やるだけ馬鹿を見るってことよ。>熊:開き直るなってんだ。本当に厳しいてて親だったらどうするんだよ。>八:そのときはそのときよ。・・・だってよ、ちっとくらい余計に酒を飲むからって、何も人様に迷惑を掛ける訳じゃなし。そっちの方がよっぽど増しな人間だと思うぞ。>熊:そいつは、手前ぇの勝手な言い分だろう? あそこまで飲まなくたって、真っ当に暮らしてる奴なんてのは、ごまんといるだろう? そういう奴の方が良いに決まってる。>八:無理に我慢してる奴なんてものはな、いつかきっと我慢し切れなくなって、人様に迷惑を掛けるようになるの。おいらが言うんだから間違いはねえぞ。>熊:お前ぇが言うからこそ怪しいんじゃねえか。源五郎の家に着くと、八兵衛はすぐさま居間へ呼び出された。勿論、見合いの話である。>源:八、お前ぇももう良い年だな。>八:へい。間もなく30の半ばになりやすから。幾らなんでもそろそろ身を固めろって、母ちゃんが喧(やかま)しくて仕様がありませんや。>源:そのことだがな。>八:待ってました、親方。>源:なんだ?>八:だって、見合いの話でしょう? 昨日一日いなかったのだって、きっとそのことに違いねえって思ってやした。>源:そうか。それなら話が早い。相手は、櫛引きの弥兵衛っていう父つぁんの娘だ。>八:あれ? なんか聞いたことがあるような・・・。もしかして、その娘の名はお八重って言いませんか?>源:その通りだが、お前ぇ、会ったことがあるのか?>八:ちょ、ちょっと待ってお呉んなさいやし。そ、その、お八重さんって娘さんは、実は、うちの長屋にいる半次の思い人なんでやす。>源:なんだと? だがよ、向こうの親爺さんから正式に嫁の先を探してるって話が来たんだぜ。>八:それが、込み入った事情がありやして。・・・半次の野郎、5日前に喧嘩別れしちまってからなんの音沙汰もねえって落ち込んじまってやして。>源:それで? 半次とお八重さんってのは、お互いに好き合ってるってのか?>八:そりゃあもう割れ鍋に閉じ蓋でさあ。>源:そうは言わねえってんだ。「十五夜に月見団子」とかなんとか言いやがれ。>八:成る程。中々美味そうなことを言いますね、親方。・・・でね、おいらが思うにでやすね、喧嘩の元なんてものは、何てこともねえことですよ、きっとね。お互いのことを好きだからこそ、ずけずけとものを言っちまって、ほんの少しだけ言い過ぎちまうんでやしょう。半次の野郎は、あの通り口が悪いから、尚更(なおさら)でやすね。>源:分かった。ふむ。そういうことなら・・・>八:どうなるんで?>源:おい八、ちょいとみんなを仕事場に集めとけ。俺はあやの奴を連れてく。・・・ちょいと面白くなってきたぞ。>八:・・・あの、おいらの見合いの話は?>源:そんなの後だ後。>八:「そんなの」ってことはねえんじゃ・・・がっくり項垂(うなだ)れて熊五郎のところへ戻った八兵衛は、渋々、「見合いの話は延期になった」と告げた。>熊:なんでだ? 良い話じゃなかったのか?>八:そうじゃねえんだって。>五六:飲兵衛は駄目だとかいう条件でも付いてたんでやすかい?>八:そうじゃねえんだよ。>三:あ、分かった。瘤付きの姉さん女房だったんでしょう?>八:違うったら。・・・あのなあ、選りにも選って、あの「お八重」って娘だったのよ。>熊:何い? 半次の相手のか? なんでまた・・・>八:経緯(いきさつ)は分からねえがよ、昨日の昨日なんだから、そういうこともあるだろうよ。>熊:親方は、本当に「からっきし」だったな。>源:・・・悪口なら陰で叩けよ。>熊:こ、こりゃ、親方。姐さんまで。まったく都合の良いところへ・・・>源:まあ、事情を知らなかったとはいえ、このまま話を進めちゃあ、半次に対して顔向けができなくなる。そこでだ。俺たちが半次とお八重さんの間を取り持ってやろうと思うんだが、どうだ?>熊:やったあ。そう来なくっちゃ。>八:お前ぇ、なんだかおいらが駄目になったのを喜んでねえか?>熊:そんなこと、ほんのこれっぽっちしかねえさ。>八:あるってことじゃねえか、この野郎。昨夜半次から聞かされた話を、源五郎に説明した。>源:椎茸と占地ねえ。そんなもんで喧嘩になるかねえ?>あや:お八重さんにとっては、とっても大事なことだったんですね、きっと。>源:そんなもんかねえ。俺には分からねえな。>熊:兎も角でやすね、今日、お咲坊がそのお八重さんに会って、経緯(いきさつ)を聞いてくるって言ってやした。>あや:それじゃあ、わたしも一緒に行ってこようかしら、お散歩がてらに。>源:何もお前ぇが行くことはねえじゃねえか。>あや:だって、うちに来たお見合いの話でしょう? ご挨拶に行くのは筋というものじゃありまんか。>源:お前ぇがそういう風ににっこり笑うときってのは、別の魂胆があるときに決まってるんだ。余計なことをして、引っ掻き回したりするんじゃねえだろうな?>あや:あら、そんなことしやしませんよ。自分の気持ちに素直になれるように、ちょっとだけ後押ししてあげるだけです。>源:それが余計なことだってんだ。>あや:そうは仰いますが、お咲ちゃん独りで行ったって同じことをしますよ。わたしよりも単刀直入に、半次さんの名前を持ち出すに決まっています。それなら、わたしが付いていった方が良いんじゃありませんか?>源:屁理屈を捏(こ)ねやがって。>熊:親方も、口じゃあ姐さんにゃ敵(かな)いませんね。>源:放っとけ。>五六:でも、お夏ちゃんの話だと、親父さんの弥兵衛ってお人が、ちょいと曲者(くせもの)らしいってことで・・・>三:お八重さんのことを物凄く厳しく躾(しつけ)たって話でやすぜ。>源:そうは見えなかったぜ。物静かで、落ち着いてて、腕一本でやってるって感じの職人だった。>四:男手1つで育て上げたから、お八重さんのこととなると頑固親爺になるってことです。>源:そうか、成る程な。・・・それじゃあ、ちょいと慎重に運ばねえといけねえな。大丈夫か、おい?>あや:大丈夫ですよ。>源:そうあっさりと言うなってんだ。拗(こじ)らせちまったら、後戻りできねえようになっちまうぞ。>あや:分かっていますよ。・・・お父様がどんなに厳しい方だって、お八重さん本人の気持ち次第なんですもの。どうあっても半次さんでは駄目だって言い張るようでしたら、わたしとお咲ちゃんとで、駆け落ちさせてしまいますから。>源:おいおい、滅多なことを言うもんじゃねえよ。>あや:脅かすだけですよ。本当に逃げさせたりするものですか。そういう遣り方じゃ正しい祝言(しゅうげん)にはなりませんからね。>源:お前ぇらだと、本当にやり兼ねねえからな。>あや:あら、お咲ちゃんって、そんな型破りな娘じゃありませんよ。>源:お前ぇのことだよ。まったく、けろりとした顔でとんでもねえことをしやがる。源五郎は、「まあ良かろう」と、あやが出掛けることを許した。いつも、最後は源五郎が折れるようになるのである。>八:ねえ姐さん。あの、でやすね、・・・もし、そのお八重さんって娘さんが、半次のことは嫌いになっちまったってことになったら、おいらと見合いして呉れることになるんでやすかね?>あや:どうかしら? 難しいかも知れませんよ。>八:どうしてでやすか?>あや:八兵衛さんは、半次さんと関わりがあり過ぎますからね。>源:だがよ、それはそれだろう? よっぽどってことなら、甚兵衛長屋から出りゃあ良い。>あや:それだけじゃ済まないでしょう? 仕事ではしょっちゅう顔を合わせる訳ですし、「だるま」でだって会う訳でしょう? 平気な顔で半次さんと話ができるかしら?>八:そいつはなんだか面倒な感じがしやすねえ。>熊:それによ、弥兵衛父つぁんから、酒に意地汚ねえとこを物凄く厳しく叩き直されるかも知れねえし。>八:そ、そういうことを言うと思うか?>熊:そりゃあ、娘に厳しいってことは、婿にだって厳しいに決まってんじゃねえか。>八:そ、そりゃあ、あんまり旨(うま)くねえな。>熊:威勢良く突っ撥ねるんじゃなかったのか?>八:そりゃあお前ぇ、時と場合と、相手に因(よ)るだろうよ。厳しい親父ってのはちょっと、なんだ、あんまり慣れてねえもんでよ。・・・止(や)めやしょう、ね、親方。おいら、俄然(がぜん)半次のこと応援しちまいやすから、ね。見合いの話は、また別のときってことで。後生(ごしょう)ですから。頼みますよ、ねえ親方あ。
2008.01.17
コメント(0)
『鼓腹撃壌(こふくげきじょう)』 『鼓腹撃壌』腹を叩き土を打つということで、太平を謳歌する様子を意味する。政治が行き届き人々が太平を楽しんでいる状態のこと。 例:「鼓腹撃壌の世(民)」類:●鼓腹を打つ故事:「帝王世紀」・「十八史略」など 中国、堯帝(ぎょうてい)の時、一老人が腹鼓(はらつづみ)を打ち、大地を叩いて太平を謳歌したという。 出典1:帝王世紀(ていおうせいき) 列伝。中国西晋。皇甫謐(こうほひつ)。上古以来の帝王の事跡を記録したもの。出典2:十八史略(じゅうはっしりゃく) 中国の史書。2巻。元の曾先之(そうせんし)撰。西暦1300年前後か。太古から宋代に至る歴史を「史記」以下17の正史と宋関係の史料によって記述。編年史で、逸話風に書かれている。現行のものは、明の陳殷が注解を付けて7巻にしたもので、日本では室町末期から江戸時代にかけて盛んに読まれた。*********いつもなら酒に呑まれることなどない筈の半次が、半時(約1時間)もしないうちにへべれけ(※)になっていた。止せば良いのに八兵衛は、箸(はし)で器を叩いて、流行(はや)りの小唄まで歌い始めていた。>八:♪下駄履(は)いて杖衝(つ)いて、絞(しぼ)りの浴衣(ゆかた)で来るもんかー、ときた。>半:誰が寝取られ男だと?>八:そんな文句どこにも出てきやしねえじゃねえか。>半:だってよ、その唄はよ、女房んとこに来た間男(まおとこ)のやつだろ? 丸っきりおいらのことみてえじゃねえか。>八:間男じゃねえだろ。見合い話なんだろ? 寝取られたってのとは、違うわな。>半:どっちにしたって、取られちまったのには違いはねえ。>八:そう自棄(やけ)になるなってんだ。その見合いが駄目になっちまえば良いんだろ? なんなら、おいらが打(ぶ)ち壊してやろうか?>熊:おいおい、そんなこと言い出すなってんだ。本人の気持ちってもんもあるだろ。>八:それじゃあ何か? その娘さんが半次のことを嫌いになったってのか?>熊:そうは言い切れねえがよ。>八:男のおいらが言うのもなんだが、半次ほど男らしい奴は、そうはいねえぞ。どこの女が半次を振ったりするかってんだ。>半:八公、お前ぇ、案外良い奴だな。おいら、そう言って貰っただけで十分だ。もう良い。きっぱり忘れることにするよ。>八:まあ待てったら。見合いの相手がどんな野郎だか、一遍見てからだって遅くねえだろ?>熊:・・・そうだな。ま、どういう事情なのか、聞いてきてやるとするかね。>咲:なら、あたしが聞いてきてあげる。女同士の方が話し易いでしょ?>熊:良いのか?>咲:半次さんがどういう人に惚れたのかも見ておきたいしね。将来の参考に。>熊:なんだよ、只の野次馬根性かよ。飲み始めが早かったせいか、お夏がやってくる刻限には、宴も酣(たけなわ)になっていた。「なんの騒ぎ?」と、お夏は入ってくるなり目を丸くした。>夏:ありゃ、お咲ちゃんまで酔っ払っちゃってるじゃないの。>咲:あたしはまだ素面(しらふ)よ。このくらい、飲んだうちに入らないわよ。>夏:ねえ、知ってた? 自分のことを素面だって言い張る人ってのが一番の酔っ払いなんだって。>咲:それなら、半次さんと八つぁんに言ってよ。もう5合以上飲んじゃってるんだから。>夏:ほんと? たくさん飲んで呉れるのは有り難いんだけど、まだ6つ半(19時ころ)よ。ついさっきまで日が出てたんじゃないの。>咲:明るいうちから飲んでるんだもの。>夏:仕事は?>咲:くさくさすることがあったからって早めに切り上げちゃったんだって。ね、熊さん?>熊:検分にきた家主ってのが物凄くねちねちしていやがったもんだからよ。こちとら、昼飯も抜きだったんだぜ。暑い盛りに腹を空かしたまま突っ立っててみろよ。もう働きたくなくなるのも分かるだろ?>夏:ふうん。・・・でも、八兵衛さんだけがなんだか楽しそうなのはなんで? >咲:親方がね、八つぁんのお嫁さん探しに本腰を入れたんだってさ。>夏:ほんと? それは良かったじゃない、八兵衛さん。>八:どういうことになるのか、あんまり期待できやしねえけどな。なんせ、空っ穴(けつ)の親方だからな。>熊:それを言うんなら「からっきし」だろ? 空っ穴が飲み代(しろ)を呉れたりするかってんだ。>八:ははは。そうそう、その空っ穴だ。>熊:てんで聞いちゃいねえ。>夏:そういうことなの。じゃあ、今夜はいつもより余計に飲んじゃっても良いって訳だ。よーし、ぱーっと行っちゃいましょ。とは言いながら、半次1人だけが沈んでいるように見える。相当悪い飲み方をしているようだ。>夏:ねえお咲ちゃん。半次さん、何かあったの?>咲:それがね、コレに嫌われちゃったんですって。>夏:コレって。・・・え? お八重(やえ)さんに?>咲:あんた知ってたの?>夏:何よ、あんた、おんなじ長屋に住んでてそんなことも気が付かなかったの? この辺りじゃ有名な話よ。>咲:全然知らなかった。・・・で? そのお八重さんってどんな人?>夏:櫛引きの弥兵衛さんって人の娘さんでね、器量も良い方なんだけど、それより、家事全般が得意で、お料理なんかとっても上手って評判よ。半次さんのところに時々お弁当を持ってきてるって言ってたわ。それがねえ・・・>咲:もう5日も顔を合わせてないんですって。>夏:そうなの。熱々だって聞いてたんだけどな。>咲:それどころか、今日の昼間、「見合いの話がある」っていう報(しら)せが来たんだって。>夏:あちゃあ。そりゃあ堪(こた)えるわね。>半:・・・その話はもうしねえで呉れ。おいら、きっぱり諦(あきら)めることにしたんだからよ。>夏:あ、あら、聞いてたの、半次さん?>半:八公のとこの話が巧くいったらよ、次はおいらの見合いを世話して貰うかな、源五郎親方に。>八:それが良い。おいらからも頼んどいてやるよ。やっぱりなんだな、女房にするんだったら、料理が巧い娘が一番だな。なあ、そう思うだろ、半次。>半:あ、ああ。まあな。「お八重より美味い飯を作って呉れる娘なんかいるかよ」と、ぼそり呟いて、半次は銚子から直接酒を飲んだ。>熊:「きっぱり忘れる」が聞いて呆れるぜ。反対に益々深入りしちまってるじゃねえか。>三:罪な娘ですねえ、そのお八重って人は。>咲:きっと事情があったのよ。本気でお見合いする気になったのかどうかだって、分かったものじゃないでしょう?>熊:なあ、お夏坊、その櫛引きの弥兵衛って親爺さんはどういうお人なんだい?>夏:仕事一筋っていう感じかな? 物静かな人よ。でも、お八重さんのこととなると、頑固親爺になっちゃうんだって。>熊:親馬鹿ってやつか?>夏:そうじゃないわよ。おかみさんを早くに亡くしちゃったからって、お八重さんに対して、物凄く厳しいらしいの。「そんなぐうたらじゃ、嫁の貰い手がねえ」っていうのが、口癖だって。>咲:ひゃあ、怖そう。あたしだったら逃げ出しちゃうかも。>熊:それにしちゃあ、良く頑張ってるんじゃねえか、お八重さんってのはよ?>夏:だから、半次さんと巧くいけば良いって、周りのみんなは思ってたみたいなのよね。>熊:ふうん。それが今度みたいなことになっちまったって訳か。>夏:・・・でも、変ね?>熊:何がだ?>夏:それほど我慢強いお八重さんが、なんで半次さんと喧嘩なんかしちゃったのかしら?>咲:「大喧嘩」よ。>熊:ふむ。先ずは、その辺から質(ただ)してみねえといけねえな。今や八兵衛と折り重なるようにして、卓に突っ伏している半次を揺すり起こした。半(なか)ば寝起き状態で、相当不機嫌そうである。>熊:なあ半次。そもそも、喧嘩の原因はなんだったんだ?>半:そんなこと言えるか。>熊:言わなきゃ始まらねえじゃねえか。謝って済むことなら、こんな楽なことはねえ。>半:だから、もう良いってんだ。>咲:じゃあ、あたしにだけ教えて。どんなこと言ったら喧嘩になっちゃうの?>半:椎茸(しいたけ)と占地(しめじ)のどっちが好きかって話だよ。>咲:へ?>熊:そんなことなのか?>半:だってよ、お前ぇ、松茸かって聞くんなら「土瓶蒸しなんか美味そうだよな」って言えるじゃねえか。>熊:そんなもの知ってるのか、お前ぇ?>半:昔、然(さ)るお屋敷のお内儀さんに飲まして貰ったことがあるのさ。1遍だけな。>八:ん、なんだと? なんでおいらのこと呼んで呉れなかったんだ? 酷(ひで)えじゃねえか。>半:冷めちまったら勿体無えだろ? それに、あんな美味えもん、お前ぇなんかに分けたやれるかってんだ。>八:何をーっ。>熊:まあ、待てったら。今話してるのは松茸の話じゃねえだろ? 椎茸と占地で、なんで喧嘩になったのかってことだ。>八:なんだそりゃ。なんでそんなので喧嘩することがある? どっちも美味いじゃねえか。醤油を一っ垂らしした焼き椎茸と、占地の澄まし汁で一杯やったら、天にも昇った心地になれるぜ。・・・でも、今日のとこはもう良いや。おからは食ったし、茄子は食ったし、酒もたんと飲んだしな。もう、腹一杯。明日にしと呉れ、明日に。むにゃむにゃ・・・>半:寝言かよ。随分はっきりした寝言だね、こりゃ。>熊:それで? お前ぇは、どっちだって答えたんだ?>半:「椎茸の石突きだ」って言った。そしたらお前ぇ・・・>熊:なんで石突きなんて答えたんだ?>咲:そりゃ怒るわ。ちゃんと答えてあげてないじゃない。>半:そんなことあるか。おいらはそこんところが一等好きなの。怒る方が可笑しいってんだ。>咲:分かってないのね、半次さん。あのね、女はね、好きな男のために少しくらい手の込んだ料理をしてあげたいものなの。「椎茸の石突き」じゃあ、焼き椎茸の笠を切っただけじゃないの。「椎茸の笠に十字の切込みを入れて、甘辛く煮付けて貰いたい」くらい言わないと。>半:そんなこと言われてもよ・・・>夏:そういうことね。初めはそんなこと、後はもう売り言葉に買い言葉、気が付いたらもう取り返しが付かないところまできてたって訳よね。>半:まあ、そういうこったな。>夏:なら、まだ捨てたもんじゃないじゃないの。「同じ焼き椎茸の石突きでも、お前が焼いて呉れたもんじゃないと食った気がしない」とかって、頭を下げたらもう一発よ。ね?>半:そ、そんなこと、口が裂けても言えるもんか。・・・そんなことより、見合い話となっちゃ、もう遅(おせ)えんだよ。半次は、すっかり酔いが覚めてしまったらしく、お夏に白湯(さゆ)を所望した。半次を背負って帰ると胸を叩いた八兵衛は、もう揺すろうが叩こうが起きやしなかった。>半:まったく、幸せそうな顔をしてやがる。こいつだけは、何があっても面白おかしく生きていけるんだろうな。>熊:まったくな。背負って帰るこっちの身にもなれってんだ。>半:いや、今夜はおいらに負んぶさせてって呉れ。八公のお陰で、なんだかちょっとばかし、気が楽になったぜ。(つづく)---≪HOME≫※ご注意「へべれけ」は、ギリシャ語の「ヘーベーエリュエケ」が語源とされていますので、この時代(1803)には相応ではありません。
2008.01.16
コメント(0)
『子は三界(さんがい)の首枷(くびかせ・くびつかせ)』 『子は三界の首枷』「三界」は、仏教用語で、すべての世界という意味。親は子を思う心に引かされて、一生自由を束縛される。類:●子は浮き世の絆(ほだ)し*********三吉を呼びにやると、五六蔵はすっ飛んでやってきた。「いやあお恥ずかしい限りでやす」と、頭を掻きながらも、にこやかに話す。>熊:腹を壊した訳じゃなさそうだな?>八:寝坊してずるした訳でもなさそうだな?>五六:へい。身体はぴんぴんしてやすし、今朝は早くにぱっちりと目覚めやした。>八:それじゃあ、一体どういうことなんだ? さあ、きりきり説明しやがれ。>五六:へ? 姐さんからまだ聞いてなかったんでやすか? 実はですね、お三千のやつが身篭りやして。>八:なんだとぉ? 身篭ったって、稚児(やや)か?>五六:他に何を身篭れってんでやすか? 卵なんて言わねえでお呉んなさいよ、鶏じゃあるまいし。>八:お前ぇの卵だったら卵焼きが山ほどできるな。>五六:食うなんて言わねえでお呉んなさいよ、まったく。>熊:成る程、そういうことかね。おいら、もっと面倒なことにでもなってんのかと思っちまったじゃねえか。まあ、なんにしても、そりゃあ目出度え。さ、一杯やんな。>五六:有難う御座いやす。・・・そしたらね、菜々のやつんとこも、どうやらそうらしいってことなんでやす。魂消(たまげ)たのなんのって。>八:なんだ? 兄妹(きょうだい)揃ってか? こりゃまた、仲が良いこったな。>四:あの、その上、うちのおよねもそのような感じなんです。>八:何ぃ? 四郎んとこもか? どうなってやがるんだ?>熊:まあ授かりものだからな。そういうこともあるだろうよ。さっきの姐さんからの小遣いってのはそれか?>四:はい。何かと要るようでして。>熊:稚児か。そりゃ、姐さんが言う通りだ。八のやつには来年か再来年ってことになるわな。>三:然(さ)もなきゃ、もっとずうっと先になるか、でやすね?>八:なんだと、手前ぇ。>三:冗談ですって、冗談。>八:まあ、三吉がそう言うのも仕方ねえ。そう簡単にできるもんじゃねえもんな。第一、肝腎(かんじん)の嫁がいねえ。>四:姐さんは、「前祝」って言ってましたが・・・>熊:もしかして、親方の用ってのは、八の嫁探しってことなのか?>四:有り得ます。>八:ほ、ほんとか? こ、こりゃ、明るい将来が開けてきたか?>三:そうに違いありませんって。>八:やっと春が巡ってるか。遠い春だったなあ・・・>熊:今は秋だってんだ。>八:ものの喩えだってんだ。お前ぇは日頃っから言葉に五月蝿(うるさ)過ぎるぜ。>熊:分かってるさ。・・・でもな、女に関しちゃからっきしなあの親方だぜ。あんまり期待し過ぎねえのが良いんじゃねえのか?>八:なあに、親方が自分で見付けてくる訳じゃなし。大方、元締めんとこにでも行って呉れてるんだろうよ。>三:耳の遠い相馬屋の爺さんですぜ。期待薄ですね。>八:成る程。相馬屋の爺さんじゃあ心許(こころもと)ねえな。うーむ。そんなところへお咲が現れた。まだ明るい刻限だというのに、良くぞ探し当てたものである。>咲:井戸端で話してて、菜々さんに聞いたら、お目出度だそうじゃない。しかもよ、お義姉(ねえ)さんのお三千さんまでそうだってじゃないの。こんな良い話、ここんところとんと聞いたことがなかったもんだから、あんまり嬉しくなっちゃって、あやさんのところにお茶を飲みに行った訳よ。>八:それでここだって分かった訳だ。鼻が利き過ぎると思ったぜ。>熊:四郎んとこのおよねちゃんもだとよ。>咲:えーっ。そうなのぉ? これは吃驚(びっくり)。>八:なんでまたそんなに重なるかね?>五六:「梅雨が長くてやることがなかったからじゃねえのか」なんて、半次の奴は言ってやした。まったく口が減らねえったらありゃしねえ。>四:夏蒲団に変えた後に寒い夜があったりしましたから・・・>五六:そう言われりゃ、そんな風な梅雨だったからな。>八:こっちが悪人退治で走り回ってたってのに、お前ぇらはせっせと子作りか? あーあ、やってらんねえな。>三:走り回ってたのはお咲ちゃんと、鴨太郎の旦那だけだったんでやすがね。>八:おいらはな、お夏ちゃんと一緒にみんなに指図(さしず)を出してたの。お頭(つむ)を使う方だって結構忙しいんだぜ。>三:お頭を使ってたのは、専(もっぱ)らお夏ちゃんだったんですけど。八兄いはおいらと飲んでただけじゃねえですか。>八:子作りはしてなかったぞ。真剣に悪人退治をしてたの。>熊:まあ良いじゃねえか。そんなことより、子作りだとかそんな話は、お咲坊には毒だろうってんだ。もうそのくらいにしたらどうだ。>咲:あら、あたしなら構わないわよ。もう立派な大人の娘なんですからね。>熊:そんな話、六さんが聞いたら卒倒するぞ。>咲:父上は過保護過ぎるのよ。まったくもう、あたしのことなんか放っといて、後妻でもなんでも探せば良いのよ。いつまで経っても子離れができないんだから、やんなっちゃうわよね。>熊:やれやれ。実の娘がこんなことを思ってるなんて、気付いてねえだろうな、六さんは。「お? もうやってるのかい?」と、常連の1人が顔を覗かせた。いつも半次とつるんでいる男だった。「直ぐに連れを呼んでくるからいつもの卓を空けとけよな、親爺」と言って駆け出していった。>咲:そんなことよりさ、聞いた? あやさんのとこもできたようなんだって。>熊:なんだと? 本当かよ。4人が一緒か? こりゃあ、来年は大騒ぎになるぞ。>八:そしておいらは蚊帳(かや)の外か?>三:おいらもですよ。自分だけみたいなこと言わないでくださいよ。>八:お前ぇはおいらより若いから良いの。おいらは崖っ縁なんだからよ。>熊:そんな大袈裟なもんじゃねえだろ? なるものはなるようになるし、駄目なもんは駄目になる。>八:なんだお前ぇ、駄目になって貰いてえような言い様に聞こえるぞ。>熊:そうじゃねえって。あんまり期待し過ぎるなってこった。とんとん拍子に行くことばっかりじゃねえからな。>八:分かってるさ。でも大丈夫に決まってる。このおいらの凛々(りり)しい顔を見たら、どこの娘だって一ころよ。>熊:お前ぇ、言ってて自分が恥ずかしくねえのか?>八:はは。・・・恥ずかしいって言うよりも、不安の方がでっかいに決まってるじゃねえか。どっしり構えてなんかいられる訳がねえ。軽口(かるくち)でも吐かなきゃやってられるか。>熊:五六蔵、四郎。お前ぇたちも、安心してばっかりはいられねえぞ。悪い病気が流行(はや)るかも知れねえし、凍(こお)った道で足を滑らすかも知れねえんだからな。>五六:へい。十分に注意しやす。>熊:4人が4人とも無事に揃って生まれるように気を付けてやらねえとな。>四:生まれる前からこれじゃあ、子供の親になるってのは、大変なもんなんですねえ。>熊:それに気が付いたんなら、今のうちに親孝行を心掛けてやれ。おいらんとこみてえに、孝行したくたってできねえのもいるんだからよ。>四:へい。>熊:当面の親孝行は、無事に生まれた孫の顔を見せてやることだ。>八:それができねえおいらやお前ぇはどうすりゃ良いんだ?>熊:まあ、1日でも早くそうなるようにするこったな。なにしろ、孫は目に入れても痛くねえってほど可愛いもんらしいからな。>八:確かにな。あの棟梁の顔を見てりゃ、そいつも頷(うなず)けるわな。>咲:あたしも早く孫の顔を拝(おが)ませてあげなきゃね。>熊:お、お咲坊はまだ先で良いだろう。子供がそんなこと言い出すなって。>咲:子供じゃないって言ってるでしょ。・・・それとも何? 熊さんってば、何か如何わしい想像を働かせちゃったりした訳?>熊:よ、止せったら。お前ぇ、酔っ払って・・・。あっ、いつの間に飲んでやがるんだ。>咲:良いじゃないの、もう大人なんだから。それに、目出度いときには、ちょっとのことはお目溢(こぼ)しして貰わないとね。>熊:帰ったらまた六さんに怒られるぞ。>咲:そんなの知ったことじゃないわ。父上は父上、あたしはあたし。ね、そうでしょ?>熊:あーあ、これだからな・・・半次たちがやってきた。「おう、なんだ、みんなお揃いだな。そっちに混ざっても良いか?」と言い出した。>八:どうしたんだ? 珍しいこともあるもんだな。>半:いや何、ちょいとくさくさしてな。楽しいことがある方に混じっていたいんだ。・・・しかし、あのごろつきの五六蔵に稚児とはな。世も末だな。>熊:「世も末」はねえだろう。まったく、口が悪いな。>半:口の悪さは親譲りよ。おいらの咎(とが)じゃねえや。・・・で? どんな楽しい話をしてたんだ?>五六:田舎の親たちに、孫の元気な顔を見せるのが親孝行だってことだ。>半:そうだな。それは言えてるな。精々大事にしてやんなよ。>八:・・・そういや半次、お前ぇもそろそろ、そういうことを考えなきゃならねえんじゃねえのか?>半:その話は、今日のところはおいらに向けねえで呉れ。>熊:何かあったのか?>半:大喧嘩をやらかしちまってよ。もう5日になるのに顔も見せちゃ呉れねえ。>八:お前ぇにそんなのがいたのか?>半:5日前まではな。>熊:なんだよ。諦(あきら)めちまうのか?>半:昼間、向こうの遣いが来てよ、「縁談がある」って言い置いて帰っていった。・・・なんだよ。しんみりさせちまったじゃねえか。だから喋らすなっていったじゃねえか。>熊:聞かれるままに喋ったのはお前ぇだってんだ。>半:そうか。済まなかった。・・・今夜はよ、ちょいと飲み過ぎちまうかも知れねえから、そんときにはおいらのこと長屋まで負ぶってって呉れねえか。>八:そりゃあ、構わねえよ。>半:恩に着るぜ、八公。
2008.01.15
コメント(0)
『壺中(こちゅう)の天地』 『壺中の天地』[=天(てん)・仙(せん)]1.俗世界とは掛け離れた別天地。2.酒を飲んで俗世間のことを忘れる楽しみ。類:●壺中の天●一壺(いっこ)の天●壺天●桃源郷●武陵桃源●仙境故事:「後漢書-方術伝下・費長房」 後漢の費長房が市の役人をしていたとき、店先に壺を掛けて商売をしていた薬売りの老人が、売り終わると壺の中に入ったのを見て、頼んで自分も入れて貰ったところ、立派な建物があり、美酒、嘉肴(かこう)が並んでいたので、一緒に飲んで出てきた。*********>八:あれ? 五六蔵はどうしたんだ?>三:おいらは知りませんや。腹でも下したんじゃねえですか?>八:あの五六蔵が腹なんか下すもんか。寝坊に決まってんだろ、寝坊によ。>熊:「鬼の霍乱(かくらん)」ってやつか?>八:なんだいそりゃ? 鬼の枕かなんかのことか? あんまり寝心地が良いもんで朝寝坊してるってのか?>熊:そうじゃねえって。頑丈な五六蔵だって、時には具合いが悪くなることもあるってことだ。>八:ご冗談。・・・毒茸(どくきのこ)を山ほど食ったって、平気な顔をしてるに決まってる。>三:もしかして、お三っちゃんに何かあったんじゃねえですか?>熊:成る程、それなら頷(うなず)けるな。>八:五六蔵に向かって小言を言うような嫁だぞ。頑丈にできてるに決まってる。>熊:口が達者だからって、身体も頑丈だって訳じゃねえだろ。>三:様子を見に行ってきやしょうか?>八:そうだな。そんでもし、まだ寝てるってんなら、鬼の枕を引っこ抜いて叩き起こしちまえよ。>熊:だからよ、そんな枕はねえってんだ。>三:親方に断(ことわ)ってから、行ってきやすね。・・・親方ぁ、厠(かわや)ですかい? あのー、ちょっとお話があるんでやすがー。三吉が呼ばわると、暫くの間があって、奥の部屋から返事があった。のろのろとした足音の後で、漸(ようや)く不機嫌そうな鬼瓦が現れた。八兵衛の「なんだ、やっぱり厠かよ」という呟(つぶや)きは、はっきりと聞き取っていた。>源:俺は、ちょっとした用ができた。今日はお前ぇたち4人に任せた。>熊:「任せた」って、親方。今日は家主が検分に来るって言ってたのは親方なんですぜ。>源:熊、お前ぇが済ましといて呉れ。頼む。>熊:頼むって・・・。そりゃあ、親方がそれで良いってんなら従いやすが、ほんとに良いんでやすかい?>源:良いって言ってんだろ。とっとと出掛けやがれ。>四:あの、親方? 「4人」ってどういうことですか? どうして・・・>三:親方ぁ、五六蔵兄貴がまだ来てねえんでやすよ。呼びに行ってきやすんで。>八:今ごろ気持ち良さそうに夢の中なんでやすぜ、きっと。まったく、とんでもねえ野郎だな。>源:五六蔵か? あいつはな、もう半時(約1時間)も前に来たさ。今ちょいと使いに出て貰ってる。現場に行かせるかどうかは、五六蔵が帰ってきてから、俺が決める。>八:どういうことなんでやすか?>源:だから、野暮用(やぼよう)だ。細かいことまで聞くな。>八:そうまで言うんなら仕方がねえ。聞きゃあしませんが、なるべく五六蔵を寄越(よこ)してくださいよ。>源:ああ。なるべくそうするよ。>八:使いの駄賃はちょっと多めに渡してくださいやしねえ。>熊:お前ぇが待ってるのは、駄賃の方かよ?>八:なんだよ。人聞きが悪(わり)いな。それじゃあまるで、おいらが強請(ゆす)りか集(たか)りみてえじゃねえかよ。>熊:違うって言えるのか?>八:いや、なんだ。だははは。しかしそれにしても、源五郎らしからぬ、有耶無耶な言い様である。五六蔵がなぜ早朝に出掛けてきたのか? その五六蔵にどんな用を言い付けたのか? そして、急にできた用事とは一体なんなのか? ・・・さっぱり分からない。熊五郎は首を捻(ひね)りながら、八兵衛たち3人の後ろから歩いていた。>三:何か揉(も)め事でやしょうか?>八:待ってました。そうとなりゃ、うかうかしてられねえな。なあ熊?>熊:ん? なんか言ったか?>八:これだもんな。お前ぇ、検分の役がそんなに重荷か? なんならおいらが、ちょちょいのちょいで済ましてやるぞ。>熊:何を言ってやがるんだか。お前ぇじゃ心許(もと)ねえからこそ、おいらに任せたんじゃねえか。お前ぇがやったら家主が心配しちまうだろ。>八:何をー?>三:まあまあ。今話してたのはそのことじゃないでしょう? 五六蔵兄貴のことですよ。兄いたちは心配じゃねえんですか?>八:心配に決まってんじゃねえか。うん、心配だ。・・・そうだよな。もし揉め事ってことになりゃよ、おいらが出張らなきゃ話にならねえやな。>三:八兄い、なんだか楽しそうな顔なんでやすけど。>八:お? そうか? 目一杯心配してるんだけどな。>熊:そのどこが心配してる顔だってんだ? なんの悩みも寝えような面(つら)しやがって。>四:五六蔵兄貴が来れば分かることです。今は、家主さんのことを考えるべきなんじゃないですか?>八:勿論そうだとも。そっちをきちんと済ましゃあ、五六蔵が貰った駄賃でどんちゃんとやれるって寸法だな。>熊:だからよ、そんなもん期待するなってんだ。>八:でもよ、何があったのか、五六蔵の説明を聞きてえだろ?>熊:そりゃあ聞きてえさ。>八:だから、丼飯屋でも上等な小料理屋でも良いから、贅沢(ぜいたく)なもんを突付きながら美味(うま)い酒をくいっと・・・>熊:お前ぇの頭には飲み食いのことしかねえのか?>八:おう、そうとも。そのどこが悪いってんだ?>熊:そう居直られちゃ立つ瀬もねえわな。家主は、相当ねちっこい質(たち)らしく、検分は昼の刻限を過ぎても続けられた。残暑の中で辛くないのだろうかと、熊五郎がちらちら顔を窺(うかが)うのだが、涼しい顔である。傍(はた)で見ている八兵衛の方が、空腹で音(ね)を上げそうだった。8つ(14時ころ)時分までべったり張り付かれ、挙げ句の果てに「源蔵さんのところの若い衆はあまり元気がないようですな」という捨て台詞(ぜりふ)を吐かれては、然(さ)しもの熊五郎もうんざりである。今日は早々に引き上げようかということになり、片付けに取り掛かった。・・・五六蔵は、結局現れなかった。>八:五六蔵の駄賃も来なかったことだし、このまま「だるま」を開けさせて飲んじまうか?>熊:ああ。鬱憤晴らしでもしねえと気が変になりそうだぜ。>三:案外、親方はこうなるのが目に見えてたから、熊兄いにやらせたんじゃねえですかね?>熊:そうは思いたくねえが、満更(まんざら)出任せでもねえような気がするのはどうしたことだかね。>八:親方の付けにしちまおうか?>熊:付けになんかするかよ、あそこの親爺が。>八:五六蔵の駄賃は来ねえ、昼飯は抜かなきゃならねえ、その上、付けにもできねえのか? 踏んだり蹴ったりじゃねえか。>熊:駄賃のことは別として、やり切れねえ気分だな。この際、銭のことなんか考えねえで、とことん飲みてえ。>八:おいらも賛成ーっと。・・・そうと決まりゃ、善は急げだ。ぱあーっとやろうぜ。>熊:まったく、幸せそうな顔しやがって。一番嫌な思いをしたのはこっちだってんだ。>八:それじゃあよ、元々の原因を作った五六蔵を呼び出して、肩でも揉ませるとするか。・・・おいらはお夏ちゃんの優しい言葉があればそれで十分だ。>三:おいらもそっちの方が有り難えな。むしゃくしゃしたときは、綺麗な花が一番でさあ。>熊:お前ぇらはお得で良いよな。知らねえやつが聞いてたら、あの小汚(こぎたね)え縄暖簾(なわのれん)のことを、龍宮城かなんかみてえなんだと信じ込みそうだぜ。源五郎は、どこかへ出掛けているということで、まだ家には帰っていなかった。あやの話では、五六蔵はお三千の元へ戻ったという。早いけれど帰る旨を告げて、「だるま」へ歩きかけた一行の背中に向かって、あやが呼び止めた。「四郎さん、ちょっと」>四:は、はい。おいらで御座いますか?>あや:何かと物要りでしょう? 一先ずの小遣いですけれど、ちょっとこれをおよねさんに渡してくださいな。>四:そ、そんな滅相もありません。そんなことされちゃあ・・・>あや:良いんですよ、順番ですからね。行く行くは皆さんにも同じようにお渡しするものですから、気にしないでくださいね。>四:そうですか? ・・・本音を言えば、とっても助かります。済いません。>八:姐(あね)さん、どうして四郎だけなんでやすか? おいらにはいついただけるものなんです?>あや:そうですね、来年でしょうか? それとも、再来年かしら?>八:そんなに先なんでやすか? 言っときますが、四郎よりおいらや熊の方が先輩なんでやすぜ。>あや:それとこれとはちょっと話が違うんですよ。・・・まあ、「だるま」にでも行くんでしょうから、そこで説明してあげたらどうかしら、四郎さん。>四:は、はい。それでは、そういうことにします。>あや:五六蔵さんのところへも同じものを渡してあるのよ。>四:へ? 五六蔵兄貴のとこもなんですか? こりゃまた・・・>あや:それと、こっちの包みは、皆さんに。飲み代(しろ)の足しにしてくださいな。親方が面倒がって逃げちゃいましたからね。お詫びの代わりです。はい、八兵衛さん。>八:い、良いんですかい? ・・・これだから、姐さんのこと大好きなんでやすよ。>あや:まあ。>八:これで今夜は心置きなく飲めるってもんだぜ、なあ、熊。嫌なことなんか全部吹っ飛んじまうよな。>あや:精々楽しくやってくださいね。前祝いということですからね、八兵衛さんにとってもね。>八:おいらにも、ですかい? なんだか分からねえけど、姐さんが言うんだから間違いはねえや。・・・よし。ぱあっといこうぜ、みんな。今夜は楽しくなりそうだぜ。>熊:一体何がどうなってんだ? さっぱり分からねえ。うーむ。
2008.01.14
コメント(0)
目標とはなんだろう 『“ 信念 ”と“ 希望 ”に身を護られている人に、 不運はまとわりつきません』 「中には幸運な生活を送っている人たちがいて、彼らは何をやっても うまくいっているように見えるけど、どうしてなのだろう?」 と不思議に思ったことはありませんか? しかし、よく見てみると、見かけに惑わされていたことに気がつくで しょう。一見幸運そうに見える人たちも、他の人と同じように多くの 問題を抱え、挫折や失敗を経験している可能性は十分にあるのです。 ただ、問題や挫折や、失敗への対処の仕方が違うのです。彼らは、不 幸な経験をしたからといって希望を捨てるようなことはりしません。 必ず最後にはうまくいくと信じているのです。 自分に不運が降りかかった時、それを一身に引き受けるのは難しいこ とでしょう。しかし、その敗北に甘んじることがなければ、いつの日 か必ず成功します。 信念と希望を持っている限り、克服できない不運などないのです。---------------------------------------- 『信念を持つにはその拠り所となる土台が必要ですが、 恐怖は根拠なしに現れます』 すべての宗教に共通する最も基本的な教義の一つは“ 信じること ” です。皮肉や不信を捨て去らなければ“ 絶対的な存在 ”を受け入れ ることは不可能です。それは自分自身や自分の脳力を信じることや、 自分が崇拝する“ 絶対的な存在 ”を信じることに関しても言えるこ とです。 自分自身や、自分の信念を支えるためには、その土台を築かなければ いけません。土台がしっかりしていれば、信念を揺るがせようとする 不安や恐怖を簡単に追い払うことができます。 自分が信じる様々な物事の本質を、しっかり理解した上に築かれた土 台でなければ、私たちを時折攻め立てる“ 猜疑心 ”や“ 恐怖 ”に よって打ち砕かれてしまいます。自分が何を信じるのか、どうしてそ れを信じるのか、という点をきちんと知っておけば、信念の土台が揺 らぐことはないのです。--------------------------------------『自分自身に対して完全に正直にならない限り、 完全に自由になることはできません』 自分を欺くことは、知らぬ間に進行していく、心のガンのようなもの です。自分はどんな人間なのか、どんな価値のある人間なのか、とい う点について自分自身を偽っている限り、自分が作った牢獄に自分を 閉じ込めてしまうことになります。 ありのままの自分を認め、なりたいと思う人間になる努力を始めない 限り、潜在脳力を発揮することはできません。人間として成長すると いうことは、一生続く過程ですが、それは正直な人間になろうという 決意、自分自身に対する責任の自覚から始まるのです。 できることを自分で分かっていながら、怠ってしまい、そのことを正 当化するようであれば、それは成功への道を阻む障害を、一つ作りだ すことになります。 自分の脳力を完全に理解しない限り、そして自分自身に対して正直に ならない限り、どのような目標を選んだとしても、それを自由に追求 することはできないでしょう。自分の行動を、正直に評価しようとし なかったために、自分で作り出してしまった疑念や、恐れに行く手を 阻まれてしまうのです。
2008.01.13
コメント(0)
『五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ)』『五十歩百歩』自分と大差がないのに人の言動を笑うこと。小さな差はあるが、本質的に違いはないことの喩え。 ★「五十歩を以って百歩を笑う」の略。類:●目糞が鼻糞を笑う●樽抜き渋柿を笑う●団栗の背比べ●似たり寄ったり●The pot calls the kettle black.鍋はやかんを黒いと笑う<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「孟子-梁恵王上」 「以五十歩笑百歩、則如何」 梁(りょう)の国の恵王(けいおう)が、良い政治を行なっているのに隣国の人口とあまり変わらず、人口が増えないのはなぜかと孟子に尋ねた。孟子は、「戦場で50歩逃げた者が、100歩逃げた者を臆病者と笑ったとしたらどうですか?」と言った。恵王は、どちらも逃げたことには変わりないと答えた。すると孟子は、「王が言うところの民のための良い政治も、隣の国とあまり変わりがないということです」と諭(さと)した。出典:孟子(もうし) 中国、儒教の経典。四書の一つ。7編。孟子の言行をその弟子が編纂したもの。宋代の朱子によって四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)に列せられてから特に盛行。仁義の道を強調し、やがて仁義礼智の四端の説を確立した。日本では、易姓革命の主張と我が国体とが相容れないとして忌避傾向もあったが、江戸時代に入って朱子学の流行と共に必読の書となった。人物:孟子(もうし) 戦国時代の儒家。魯(=山東省)の鄒(すう)の人。名は軻(か)、字は子輿(しよ)。前372~前289。孔子が唱えた仁に加えて義を説き、巧みに比喩を用いた優れた議論によって、戦国諸子百家の説の中に儒教思想の基礎を確立した。性善説に立ち、人は修養によって仁義礼智の四徳を成就する可能性を持つと主張し、富国強兵を覇道として斥(しりぞ)け、仁政徳治による王道政治を提唱した。亜聖と呼ばれる。著に『孟子』がある。*********孫の源太の汗疹(あせも)が、見るからに痒(かゆ)そうだからと、棟梁・源蔵は、「どうにかしてやれ」と源五郎に命令する。壊(こわ)れ物を弄(いじ)るようで、どうにも気安く手を出せないのである。源五郎が「痛みや痒みじゃ死にゃあしねえよ」と答えると、「その言い種(ぐさ)はなんだ」と難癖(なんくせ)を付ける。揚げ足取りも良いところである。>源:静(しずか)のときは、汗疹程度じゃ大騒ぎしなかった癖しやがって。>棟:静は汗疹なんか拵(こさ)えことなんかねえじゃねえか。>源:汗疹ができねえ赤ん坊なんか、いるかってんだ。夏は暑いから誰だって汗を掻(か)くの。汗を掻かなかったら心配だろうよ。・・・兎も角だ、汗疹だとか、そんな下(くだ)らねえことで、がたがた大騒ぎするなってんだ。弟子どもに聞こえたら恥ずかしいじゃねえか。>棟:下らねえだと? お前ぇには血も涙もねえのか? 源太はな、冬に生まれたから特に、暑さが身に堪(こた)えてるんだって、そういう風には思い当たらねえのか? 嗚呼(ああ)情けねえ。>源:まだ半年くらいしか経ってねえ赤ん坊に、情けなんか掛けたって、本人は覚えちゃいねえ。>棟:その言い様が冷血漢だってんだ。晒(さら)しかなんかでこまめに汗を拭ってやるとか、粉を叩いてやるとか、なんでも良いからしてやれってんだ。>源:そんなに言うんなら、親父(おやじ)がすれば良いだろう?>棟:手前ぇの倅(せがれ)だろう?>源:親父の孫だろう?>雅:まったく、朝っぱらから五月蝿(うるさ)いねえ。源太が吃驚(びっくり)しちゃうじゃないか。・・・どうれ、貸してご覧よ。あたしがやってあげるから。>源:母(かあ)ちゃん。何も母ちゃんがやることはねえよ。俺がやりゃ良いんだろ? 俺が。>雅:何言ってるんだい。自分の子供も満足に抱けない癖して。>源:そ、そんなことねえさ。>雅:どうだかね。あんたの父親に似たんだろうよ。・・・誰かさんも、お前のことを上手(じょうず)に抱けなかったっけねえ。>棟:な、何を今更。そんなこと、ここで出さなくったって良いじゃねえか。>雅:はいはい、そうで御座いましたね。・・・でも、源五郎のことを「しようのない奴だ」なんてもう言えないわねえ、お前さん。まったく、下らないとこばっかり似るんだねえ、親子ってのは。源蔵と源五郎は、その場に居た堪(たま)れなくなって、すごすごとそれぞれの部屋へ引き上げた。源太は、汗疹の痒みなどまったく気にした風もなく、祖母の腕をぱしぱしと引っ叩(ぱた)いて遊んでいる。>あや:棟梁もあなたと一緒だったんですってね。>源:笑うなってんだ。日頃っから材木なんかばっかり相手にしてるから、柔らかいもんは扱(あつか)い辛いんだよ。>あや:あら、大福餅とか豆腐なんかは、なんの抵抗もなく食べてるじゃないですか? なんだか可笑しいですね。>源:生き物と食い物じゃあ、ものが違うだろう。>あや:そうですね。確かに違います。・・・でも、だからって赤ん坊を巧く抱けない理由にはなりませんわね。>源:そりゃあそうだが・・・>あや:でも、わたしは構いませんよ。静くらいの年になればもう平気ですものね? あなたに、棟梁が抱いてくれなかったっていう記憶が残っると言うんなら、話は別ですけど。>源:そんな小さいときのことなんか誰が覚えてるかってんだ。静がどたどたと廊下を走ってきた。楽しい話でもしているのじゃないかと、見にきたのだ。「おんも?」 どこか楽しいところへ出掛けるのかと聞いているのだ。>源:父ちゃんはおしごと、だ。母ちゃんにどっかへ連れてって貰いな。>静:オシゴト?>源:そうだよ。とんてんかんだ。>静:トンテンカン、トンテンカン。・・・ハチと?>源:ああそうだ。八と一緒だ。・・・どういう訳か、八の名前だけは覚えちまったな?>あや:子供あしらいが巧いんですね、八兵衛さんは。>源:まあ、確かに、愛嬌はあるがな。>あや:誰か良い娘さんがいたら、引き合わせてあげたいですねえ。>源:ああ、そうだな。>あや:あなたと違って、上手に稚児(やや)を抱くんでしょうね、きっと。>源:嫌味か、それは。>静:イヤミイヤミ・・・。はははっ。葉月初め(今の9月初旬)といえば、暦(こよみ)の上では中秋の筈なのだが、残暑はまだまだ厳しそうである。朝だというのに、蝉(せみ)どもの大合奏が始まっていた。>五六:おはよう御座いやす、親方。>源:おう、五六蔵。いつもより早いじゃねえか。>五六:暑くって寝てなんかいられませんや。あっしの生まれは信州でやしょう? 江戸の夏は辛いんでやすよ。>源:うちに来たからって涼しくなる訳でもあるめえに。>五六:そうでもねえですよ。狭苦しい長屋と違って、広い土間があるだけで、ひんやりと感じるもんでやす。>源:ふうん。そういうもんかね。俺には分からねえがな。>五六:そういうもんでやすって。・・・それとですね、親方。あの・・・>源:なんだ? 里帰りの話か?>五六:え? 知っていなすったんでやすかい?>源:飲み屋での話だろうと、ちゃーんと聞こえてくるさ。・・・俺の耳へじゃあねえがな。>五六:なるへそ。姐さんのところへでやすね? ・・・それですすね、その話は無しになりやして。>源:なんでだ? お前ぇたちもなんだかんだいいながら、3年も勤め上げてきたんだ。半月くらいなら里帰りしたって構わねえぞ。>五六:そうしたいのは山々なんでやすが、お三千の話だと、どうやらできちまったようなんで。>源:できたって、稚児(ややこ)か?>五六:へい。勘違いでなければ、でやすが。>源:そりゃあ目出度えじゃねえか。・・・そりゃあ残暑じゃなくたって、寝てなんかいられねえ訳だな?>五六:お恥ずかしい。>源:恥ずかしいことなんかあるもんか。良かったじゃねえか。早速(さっそく)あやのやつを、お三っちゃんのとこへ遣らせるぜ。・・・そうだ、お前ぇは、菜々ちゃんのところへ報(しら)せにいってやれ。>五六:良いんでやすかい?>源:ああ構わねえ。菜々ちゃんが見て、間違いねえとなったら、みんなにも教えちまって構わねえな?>五六:へい。そうしてお呉んなせえ。源五郎は、五六蔵の背中を見送りながら、次はいよいよ八兵衛の番かと、溜め息を吐(つ)いた。付き合いが長過ぎるせいであろうか、いざ相手を宛がう段になると、どうしてもぴったり合いそうには思えないのだ。真逆(まさか)、八兵衛の身になって考えている訳でもあるまいにと、苦笑いをしていた。>あや:あら、そうですか。なんだか、来年は重なりそうですね。>源:なんだ? お前の勘か?>あや:あら、知らなかったんですか? 松吉さんのところと四郎さんのところも、どうやらそうらしいんですってよ。>源:なんだと? それじゃあ、五六蔵のところは、兄妹揃ってってことなのか?>あや:産(うぶ)祝いも3つ重なると嵩(かさ)みますね?>源:何を嬉しそうに・・・>あや:だって、源太の弟や妹ができるんですもの。賑(にぎ)やかになりますわね。>源:暢気(のんき)だな、お前ぇは。>あや:嬉しくないんですか?>源:そういうことじゃねえさ。何も示し合わせたように時期を重ねることもねえだろうってことだよ。>あや:こればかりは、授(さず)かりものですからねえ。・・・もしかすると、梅雨が長かったことと関係があるかも知れませんわね。>源:真逆な。そんなことでもあったら、どこもかしこもおんなじ生まれになっちまうじゃねえか。想像すると、ちょいと恐いようだな。周りのみんなが揃いも揃って稚児を抱いてるなんざ、まるで、八への当て付けだな。考え過ぎかな?>あや:さあ? ・・・案外、もっと本気になって探してあげなさいっていう思(おぼ)し召しかも知れませんね。>源:頭が痛え話だよな。好い加減(かげん)年を食った大人なんだからよ、自分でなんとでもしろってんだよな、まったく。>あや:あら、わたしが甚兵衛さんから聞いた話だと、数年前のあなたもそう言われていたそうですけど?>源:混ぜっ返すなってんだ。>あや:八兵衛さんのことを晩生(おくて)だなんて笑えませんね。>源:俺のことはこの際どうだって良いだろう?>あや:都合が悪くなると、自分のことを棚に上げるところも、親譲りなのかしら?>源:なんだよ。今朝はやけに絡(から)むな?>あや:内緒の話なんですけど、もしかしたら、うちも同じころに生まれるかも知れないんです。>源:なんだと? 本当なのか?>あや:いけなかったかしら?>源:そんな訳があるか。・・・しかし、どうなってやがるんだ? 八や熊には、一体どういう風に説明すりゃ良いんだよ?>あや:事実をありのままにどうぞ。>源:とほほほ・・・
2008.01.12
コメント(0)
『虎穴(こけつ)に入(い)らずんば虎子(こじ)を得ず』 『虎穴に入らずんば虎子を得ず』[=虎児を~]虎が住む穴に入らなければ、虎の子供を奪い取ることはできない。転じて、大変な危険を冒さなければ、望みの物を手に入れることはできない。類:●危ない所に上がらねば熟柿(じゅくし)は食えぬ●枝先に行かねば熟柿(じゅくし)を食えぬ●Nothing venture, nothing have. /Nothing ventured, nothing gained.(思い切ってやらなければ何も得られない)●Great gains are not achieved except by great risks.<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>故事:「後漢書-班超伝」「官属皆曰、今在危亡之地、死生従司馬、超曰、不入虎穴、不得虎子」 漢の使者・班超(はんちょう)が西国のゼン善(ぜんぜん)へ赴いた。初め手厚く持て成されていたが、ある日を境に王の態度が冷たくなった。調べてみると、匈奴(きょうど)の使者が到着した様子。王は「遠くの漢よりも近くの匈奴」と組みたいと思ったらしい。このままでは使者全員が匈奴に引き渡されて殺されると思った班超は、この言葉を用いて部下を説き伏せ、城に火を放って、匈奴の使者を全滅させゼン善を漢の属国とした。*********桐箱(きりばこ)の残りの8つは3日後に出来上がった。希望通り餅抜きで、である。早速(さっそく)お咲が納めに行くと、「あと10箱作って貰う訳にはいくまいか?」と、林田のお内儀(かみ)から持ち掛けられたという。>咲:よっぽど評判が良かったみたいね。今度は10箱で2分(約4万円)払うって。>八:ひゃあ。そりゃあ凄(すげ)え。金太楼(きんたろう)の親爺(おやじ)なんか、下手(へた)すると気が変になっちまうぜ。>熊:止(よ)せやい。これから鴨太郎が踏み込もうってのに、次の10個なんて作れるかってんだ。>八:でもよ、ちょっとくらいお零(こぼ)れをいただいちまったって、良いんじゃねえのか?>熊:駄目(だめ)だってんだ。>咲:あらどうしましょう。前金だって寄越(よこ)されちゃったのよね。>熊:なんだと? それでお前ぇ、受け取ってきちまったのか?>咲:だって、どうしてもって言うんだもの。断れなかったのよ。>熊:それにしたってよ・・・>八:いただいちまおうぜ。な?>熊:駄目だ。・・・そうさな、太市の旦那に預けて、どうするか決めて貰うしかねえな。>八:黙ってりゃよ、分かりゃしねえって。>熊:だから、正義を行なおうって奴が、着服(ちゃくふく)なんかできねえだろってんだ。そうだろ、お咲坊?>咲:そうだったわね。・・・ちょっと惜(お)しい気もするけどね。先日話し合った予定では、瓦版が撒(ま)かれるのは明日ということである。文面は予(あらかじ)めお夏が添削(てんさく)してあった。林田と亘理(わたり)、それに、堀田摂津守(せっつのかみ)の名まで実名で出ているらしい。梅雨(つゆ)明けが近付いているらしく、今日は雨にならなかった。鬱々(うつうつ)と長屋に篭もっていた連中が瓦版を見たら、鬱憤(うっぷん)晴らしとばかりに騒ぎ立てることだろう。>八:それで? 鴨の字が踏み込むってのはいつなんだ?>熊:明日の夕刻ってことらしい。>八:それじゃあよ、おいらたちも見に行こうぜ。面白そうだもんな。>熊:駿河台小川町だぞ。そんな遠くまで行けるかってんだ。>咲:あたしは行けるわよ。みんなの代わりによぅく見ておいてあげる。>八:おいらも見に行きてえな。・・・なあ熊、おいら、昼過ぎから腹痛(はらいた)になるからよ。親方に巧く言っといて呉れ。>熊:お前ぇと五六蔵の腹痛なんぞ、誰が信じるかってんだ。>八:ここで食った蕗(ふき)かなんかに当たったって言っとけよ。おいらだって偶(たま)には腹を壊すってのを親方にも知っといて貰わねえとな。>熊:一緒に食ったおいらとか三吉はなんともねえのにか? 一番頑丈(がんじょう)そうなお前ぇだけが当たるなんてあるかよ?>八:太助みてえに1人で平らげちまったって言えば良いだろ? 親方だってここの食いもんの不味(まず)さは知ってなさるから、きっと、ころっと騙(だま)されるって。>亭主:なんだと、八公。この野郎、うちの料理のどこが不味いんだ? 喧嘩売ってやがるのか?>八:そうじゃねえって。方便(ほうべん)だよ、方便。>亭主:何をどうやったら方便になんかなる? ・・・そうかよ。覚えてやがれ。今度親方がいらしたときに、洗い浚(ざら)い打(ぶ)ちまけてやるからな。亭主は、その伽羅蕗(きゃらぶき)を丼(どんぶり)一杯に盛り、「腹を壊すかどうか試してみやがれってんだ」と置いていった。>熊:食ってみちゃあどうだ?>八:殺す気か? こんなの山盛り食ったら、それこそ腹が壊れちまうぞ。>熊:太助でも呼びにやって手伝って貰うか? 勿論、飲み代(しろ)はお前ぇ持ちだ。>八:冗談じゃねえ。太助の飯代まで面倒見られるか。こっちが干上がっちまわ。飢え死にするくらいなら食って死ぬ方を選ぶぜ。・・・ようし、清水の舞台から飛び降りるつもりで、いっちょ食ってやるか。>熊:こいつ本気で食う気だぜ。・・・止せよ。おいらや三吉だって食いてえんだからよ。>八:なんだよ。そんなら端(はな)っからそう言えってんだ。まったく脅かしやがる。本当に死んじまうとこだったぜ。「だるま」の蕗が元で死んじまったとあっちゃ、八兵衛さんの男が廃(すた)るってもんだぜ。そんなことになったらよ、町中の娘が押し寄せて、親爺を吊るし上げにしてるとこだったぜ。>熊:まったく、口の減らねえ野郎だな。翌日、お咲が「大金餅」の代金を払いに行くと、金太親爺は腰を抜かしてしまった。たった4個を箱に納めただけなのである。>金:そ、そ、そんな大金いただく訳にはいきません。餅は、4日前に4つお売りしただけじゃないですか。それが、どうして2朱(約1万円)にもなるんですか?>咲:だって、売れちゃったんですもの、「大金餅」の名前のお陰で。>金:ですが、お作りしてないもののお代はいただけません。>咲:それは困るわ。斬られるかも知れないような怖い思いをしたんだから。>金:それなら、お咲さんが受け取ってくださいまし。>咲:そうはいかないのよね。だってあたしは大福餅を作った訳でもないし、況(ま)して、箱を作った訳でもないんだもの。>金:それでは、箱を作ってくださった方に上げてくださいまし。>咲:安兵衛さんにも、同じく2朱を払うのよ。五分と五分。・・・どう? 公平でしょう?>金:ですが・・・>咲:受け取って貰わないとあたしが困っちゃうの。報(むく)われないのよ。ね、お願い。半(なか)ば押し付けるようにして「金太楼」を後にしたお咲は、いそいそと駿河台小川町へと向かった。安兵衛に渡すべき2朱と、前金として受け取ってしまった2分は、坂田太市に渡せば処理して貰えるだろう。太市なら、きっと林田の家の辺りにいる筈だと踏んでいた。と、先に目が合ったのは、お夏であった。>咲:あんた、なんでこんなとこに来てる訳?>夏:絡(から)んじゃった以上、仕方がないじゃない?>咲:はーん。素直じゃないわね。鴨太郎さんのことが心配なんでしょ?>夏:そりゃあ心配よ。あたしって、そんな人でなしじゃないもの。>咲:ほほう。言い抜けるわね。ま、そういうことにしといてあげても良いんだけどね。でもさ、坂田の小父(おじ)様が巧い具合いに手を回しておいて呉れてると良いわね。>夏:そうね。・・・そんなことより、見てよ。読売りの効き目って思ったより凄(すご)いのね。吃驚(びっくり)しちゃった。それとも、文面が良かったのかな?>咲:あんたねえ・・・。そんなことに感心してどうなるってのよ。>夏:さあね、どうなるかしら? でも、野次馬がたくさん出れば、それだけ鴨太郎さんの首が繋(つな)がる見込みは高くなる。>咲:そうね。お奉行様もご無体(むたい)なお裁(さば)きはできないわね。太市が話し込む2人を見付けて、近付いてきた。>太:林田は今日、非番になっておりまして、屋敷から一歩も出ておりません。>咲:こんなに人が集まっちゃ、出るに出られないわよね。・・・あ、そうだ。これ、2分と2朱あるわ。>太:なぜこんなに?>咲:2朱は安兵衛さんの代金。そして、2分は次の10箱の前金なの。>太:前金ですって? それも、最初の倍の値段じゃありませんか。よっぽど使い道に合ったのですね。>咲:でも、もう作らないから、騙(かた)りの上がりみたいなものね。>夏:人聞きが悪いわね。悪の道から立ち直るための手間賃とすれば、こんな安いものないわ。>太:そうですね。これは私が預かりましょう。後で悪事の証(あかし)として使わせて貰います。>咲:ちょ、ちょっと待って。そうすると、あたしが売りに行ったってことも、ばれちゃうじゃないの。あたし、あんまりお白州(しらす)とかには出たくないな。>太:その辺は有耶無耶(うやむや)にしておきますよ。・・・実はですね、今回の件では、あの竹上太蔵もやる気を起こして呉れましてね。「内々に」ということで、ご老中に話を通して呉れたのです。>夏:じゃあ・・・>太:ええ。鴨太郎さんの罷免(ひめん)の件は、なしということで済みそうです。>夏:そうですか。どうも有難う御座います。>太:お礼を言わなければならないのはこちらの方です。まだ時は掛かりますが、若年寄をまた1歩窮地に追い込むことができます。>咲:これで世の中も少しは増しになるかしら。>夏:なるわよ。きっと。>太:竹上の奴のことですが、相当肝を冷やしたそうですよ。万一、当のご老中が、堀田から賂(まいない)を受け取っていたら、竹上自身の命が危なかったのですからね。出仕(しゅっし)前に、妻女に遺言まで託(たく)したそうです。>咲:まあ、大袈裟ね。>太:いえ、ないとは言い切れませんよ。表向きだけ対立しているように見せることなど、そう難しいことではありませんからね。ですが、竹上もやっと分かったようです。>咲:何を?>太:正しいことを成すためには、そういう肝を冷やすような場面が付きものだと言うこと、ですよ。いじいじしているだけでは、何も動きません。まったく、そういうことですな。野次馬の垣根の一部が割れ、鴨太郎を筆頭とした捕り方たちが雪崩(なだ)れ込んできた。「それー」という鴨太郎の一声で、勘定組頭宅へ押し入り、寸刻と要せずに林田を引っ立ててきた。屋敷を囲んでいた庶民の歓声が、鬨(とき)の声のように湧(わ)き上がった。この歓声は、鴨太郎に向けられたものである。>咲:どう? 男らしいって思わない?>夏:そうね。ちょっと見直しちゃったかな?>咲:惚れ直した?>夏:・・・馬鹿。(第21章の完・つづく)---≪HOME≫
2008.01.11
コメント(0)
『故郷(こきょう)へ錦(にしき)を飾(かざ)る』 『故郷へ錦を飾る』故郷を離れていた者が、立身出世して、華やかに故郷へ帰ること。類:●故郷へは錦の袴を着て帰る*********三吉が「お夏が呼んでいる」と告げると、太助は三吉を引き摺るようにして「だるま」へ駆け付けてきた。その第一声が「只で飲み食いさせて呉れるんですよね?」だった。>八:そんなの知るかってんだ。>太助:だって、呼び付けといて銭を出せってことはないでしょう?>八:お前ぇの食いっ振りってったら尋常じゃねえからな、幾ら掛かるか分かったもんじゃねえ。>熊:まあ良いじゃねえか。鴨太郎が来るだろうから、余計に出させりゃ良いだろうよ。・・・それにしても太助よ、お前ぇほんとに飲み食いのこととなると、まるで人が変わったようだな。>太助:前にも言いましたが、食うことだけがたった一つの生き甲斐ですから。>熊:まったく、変わってやがるぜ。>八:太助、お夏ちゃんが来るまでは酔っ払うなよ。話があるって言うんだからよ。>太:分かりました。・・・それじゃあ、親爺さーん。おからはありますかい? 丼(どんぶり)一杯欲しいんですけど。>八:なんてこった。人の話なんか全く聞いてねえ。もの凄い勢いでおからを掻き込む太助に半(なか)ば見蕩(みと)れながら、熊五郎たちは、胡瓜(きゅうり)味噌をちまちまと食べていた。程なく、お咲に引っ張られるようにして、仏頂面の鴨太郎が現れた。>熊:おお、来やがったな? この唐変木。>咲:どうかしちゃったの、鴨太郎さん? 入り辛(づら)そうにうろうろしてるなんて。>鴨:いや、別に。>熊:ちょいと発破を掛け(※)てやったんだ。勝手にいじけてるだけさ。放っといて構わねえよ。>咲:ふうん。そういうことなの。>八:何が「そういうこと」なんだ? 分かるように話して呉れよ。>咲:教えてあげない。後でお夏ちゃんにでも聞いてみれば?>八:ん? そうか? それじゃあそうするか。>鴨:そんな下らないこと聞くな。飲み代(しろ)くらい出してやるから、猪口(ちょこ)を咥(くわ)えて大人しくしてやがれ。>太助:ほ、ほんとで御座いますね? やったあ。・・・おーい、親爺い、お銚子5ほーん。それと、おいらにも胡瓜(きゅうり)を、丸のまま3ぼーん。鴨太郎は、それまで太助の存在に気が付いていなかった。周りに気を配らなかった己の迂闊(うかつ)さに、自分に向かって毒突いた。裏を返せば、熊五郎から指摘されたお夏のことで、それほど動揺していたのである。太助が凄まじい勢いで器を空にしていく様子を見守っているとき、坂田太市が現れた。お咲の首尾(しゅび)はどうだったかが気になって見にきたのである。折りしも、その直(す)ぐ後ろから、お夏が元気に登場した。鴨太郎は、また一層動揺してしまっていた。>太市:おや、桃山さんが来ているということは、首尾(しゅび)は上々だったということですか?>咲:勿論よ。あの調子なら、残りの8つも100文(約2千円)で買い取るわよ。>夏:ええーっ? 何々? そんなに吹っ掛けちゃったの? あんたの度胸ったら、まるで牛並みね。心臓に毛でも生えてるんじゃないの?>咲:何よその言い方。繊細な乙女に向かって言う言葉じゃないわよ。>熊:どこが繊細だか・・・>咲:なんか言った?>熊:べ、別に。>夏:あら、もう尻に敷かれちゃってる。先が思い遣られちゃうな。>熊:お前なあ・・・。そんなんじゃねえって言ってるじゃねえか。>夏:はいはい。・・・それで、お咲ちゃん? 1分(ぶ)(=約2万円)もの大枚(たいまい)で前祝しちゃうって訳?>咲:真逆(まさか)。ちゃんと、半分ずつ金太楼の親爺さんと安兵衛さんとに渡すわよ。>八:渡しちまうのか? ピンを撥ねちまうって訳には・・・>咲:いかない。八つぁんが「死に損(ぞこな)い」って言ったお詫(わ)びも含めてね。>八:それとこれとは・・・>咲:折角(せっかく)正しいことをしようってのに、ピン撥ねなんかしちゃったら、台無しになっちゃうじゃない。そうでしょ、坂田の小父(おじ)様?>太市:そうですね。・・・でも、本当に正しいことができた暁(あかつき)には、相当の謝礼を出すように、掛け合ってみますよ。>八:やったあ。そういうことなら、1朱(=約5千円)や2朱の端た金(はしたがね)なんぞ取らなくたって良いや。>熊:謝礼の額なんか期待するもんじゃねえっての。>太市:そうですよ、八つぁん。まだ巧く行くかどうかも知れたものではないのですからね。>夏:・・・さて。それじゃあ、次に進むとしましょうかね。>太市:次とは?>夏:太助さん。ちょっと頼まれて欲しいのよね。>太助:へ、へい?>八:お前ぇ、お夏ちゃんから話し掛けられてるときくらい、口からものを出せってんだ。>夏:瓦版の文面はこうよ。「豪華大金餅詰合せの桐箱は賂(まいない)に持って来い」。どう?>熊:なんだと? そんなもん瓦版にして町中にばら撒(ま)くってのか?>夏:決まってるじゃない。焦(あせ)るわよ、勘定組頭の林田って人。そのときの顔を間近で見てみたいわ。>鴨:ちょ、ちょ、ちょっと待て。お前ぇら一体何を仕組みやがったんだ? なんとか詰め合わせの箱ってのはなんだ?事の成り行きは、鴨太郎への約束通り、熊五郎が説明した。初めて聞く内容に、鴨太郎は口をあんぐり開け、目を白黒させた。>鴨:そ、そんなことやってお上(かみ)が許すとでも思っているのか?>熊:許すも許さねえもねえだろう? 桐箱に賂(まいない)を詰めて誰かに渡して、それで目を瞑(つぶ)って呉れって方が、よっぽど許されねえことじゃねえのか?>太市:・・・桃山さん。今の世の中は、仕組みが可笑(おか)しくなっているのです。太平に見えても、闇ではどんどん悪い方へと移っていっているのです。少しずつでもなんでも正しい在り方に変えてゆかないと、庶民が食べていけなくなってしまうのです。お分かりですね?>鴨:しかし、そりゃあ、命懸けですぜ。悪くすりゃ、胴から離れる首は1個や2個じゃねえかも知れねえ。>太市:覚悟の上です。尤(もっと)も、こちらの皆さんにはできる限り累が及ばないようにするつもりです。>鴨:聞いちまった以上、俺だって黙って見てられねえんだぜ。>熊:当事者が何言ってやがる。>鴨:なんだと? 俺がどうして当事者なんだ? こんな話、今聞いたばっかりじゃねえか。>熊:お夏坊の筋だとよ、林田のところに踏み込むのはお前ぇの役なんだがな。>鴨:か、勝手に決めるな。・・・仮に見事(みごと)証(あか)しを押さえたって、町奉行の分(ぶん)を越えてんだろう。>熊:そんなの当たり前ぇじゃねえか。だがよ、本来その役にある筈の役人が賂を握(にぎ)らされてて、取り締まろうともしねえんだったら、分を越えた誰かが捕まえてやるしかねえだろ?>鴨:うーむ。・・・そういう筋書きになっちまってるんだな?>熊:そうだ。>鴨:分かったよ。これも、お前ぇらと付き合っちまったばっかりの「運の尽き」ってやつだな。・・・あーあ。この年でお役御免、浪人暮らしか。ま、それも、俺らしくって良いか。>夏:そうならないように瓦版を出すんじゃない。みんなが騒げば、決して悪いお裁きはしないでしょ、今のお奉行様なら。お夏の配慮がそこまで行き届いていたのなら、まだ脈はある。お夏の中で、鴨太郎に下(くだ)る処分のことが、重要な問題だったというのなら、鴨太郎としても気持ちに応(こた)えなければならない。>太市:わたしの力がないばかりに、桃山さんにはご迷惑をお掛けすることになりそうです。面目(めんぼく)ない。>熊:良いんですよ。太市の旦那のせいじゃありません。遅かれ早かれお役人の遣り方から食(は)み出しちまうのは目に見えてたんです。ちょっとばかし早まっただけのことですよ。>鴨:分かったようなことを言うな。偶々(たまたま)妻子もなく、これといって困らないから良いようなものの、年老いた両親ががっくりして寝込んじまうようなことになったらどうする?>熊:お前ぇの父上はそんなことでへこんじまう人じゃねえだろう? 母上だってそうだ。却(かえ)ってよ、「良くやった」って誉めてくださるだろうよ。>鴨:ああそうだな。住んでる屋敷は召し上げだろうがな。>熊:田舎(いなか)にでも引っ込むんだな。・・・今回のことで本当に手柄(てがら)が立てられりゃ、幟(のぼり)を上げて歓迎して呉れるだろうよ。>鴨:親父達はそれで良いとしても、俺は嫌だね。傘を貼りながらでも、江戸に残る。>熊:そんならよ、いっそのこと、用心棒なんてのはどうだ?>鴨:馬鹿を言え。元同心を雇(やと)うようなところなんかあるかよ。>熊:そうじゃねえってんだ。うら若い乙女が遥か彼方の長崎に行こうって言ってるんだ。その用心棒でもしてやれってこった。>鴨:そ、そんな・・・>熊:なんだ? そんな打って付けの話なんか、ある筈ねえってのか? そんなの分からねえぜ。・・・ねえ、太市の旦那?>八:さっきから、何の話をしてるんだ? 用心棒なんかしねえで、お夏ちゃんが辞(や)めちまうとかいう後の「だるま」の給仕でもやりゃあ良いじゃねえか。親爺と話を付けてやっても良いぞ。>熊:お前ぇは草津にでも行って逆上(のぼ)せたお頭(つむ)を冷やしてこいってんだ。>五六:あっしが案内しても良いですぜ、八兄い。一遍お三千を披露(ひろう)しに行きてえなと思ってたところでやすからね。>八:なんでおいらがお頭を冷やさなきゃならねえんだ? なあ、お咲坊、講釈して呉んねえか?(つづく)---≪HOME≫※お詫び:時代考証を誤まっています「発破」つまり、ダイナマイトがノーベルによって発明されたのは1866年ですので、この時代(享和3年1803)には、「発破を掛ける」は、どう考えても使われていません。
2008.01.10
コメント(0)
『呉下(ごか)の阿蒙(あもう)』 『呉下の阿蒙』[=旧阿蒙(きゅうあもう)]「阿」は相手を親しんでいう言葉。昔ながらで進歩のない人物。学識がないつまらない者。 例:「呉下の阿蒙に非(あら)ず」類:●呉下の旧阿蒙★「阿」は発語<大辞林(三省堂)>故事:「三国志-呉書・呂蒙伝・注」 昔、中国の呉の魯粛が(ろしゅく)が呂蒙(りょもう)に遇って談議し、呂蒙のことを武略に長じただけの人物と思っていたが、今は学問も上達し、嘗(かつ)て呉にいた時代の君ではない、と言った。 出典:呉書(ごしょ)→ 三国志(さんごくし) 中国の正史。65巻。西晋の陳寿(ちんじゅ)撰。魏・呉・蜀三国の歴史。魏志30巻、呉志20巻、蜀志15巻から成る。魏志の「東夷伝-倭(魏志倭人伝)」は日本に関する最古の文献の一つ。*********次の雨の日、「御用聞きに出掛けてきやす」と源五郎に断(こと)わってから、熊五郎は長屋へ取って返した。お咲の元へは、丸に「金」の焼き鏝(ごて)が捺(お)された桐箱(きりばこ)が2つ届けられていた。>熊:安兵衛父(とっ)つぁんも、なんだかんだ言いながら、良くやって呉れたもんだな。見てみろよ、蓋(ふた)がぴたっと嵌(は)まってるだろ? 並みの腕じゃ、こうはいかねえな。>咲:死に損(ぞこな)いなんて言ったら、罰(ばち)が当たるわね。八つぁんったら、口が悪いにも程があるわ。>熊:まったくだ。そのうち痛い目に遭うな、ありゃ。>咲:・・・父上、ちょっと頼まれ物を届けに行ってくるわね。>六:傘貼りの娘がどうして桐箱など扱わなければならんのだ? それに、昨夜の得体(えたい)の知れぬ男はなんなのだ?>咲:そんなこと、話が長くなって大変だから、今度落ち着いたときに講釈してあげるわ。>六:熊さん、昨夜(ゆうべ)からこの調子なのだ。熊さんからも何か言って呉れぬか?>熊:へ? あ、あのですね。昨夜の男というのはですね、坂田太市様という方でして、内房のご隠居と縁(ゆかり)のあるお人なんです。ちょいとばかし訳ありでして。ご当人が届ける訳にはいかねえってことで・・・>六:曰(いわ)くありげな言い方だな。後ろ暗いものではあるまいな?>熊:真逆(まさか)。そんなもの引き受けやしませんって。>六:本当であろうな? こちらが気付かないうちに、賂(まいない)の片棒を担(かつ)がされたりはせんだろうな?>熊:大丈夫ですって。太市の旦那は、天地が引っ繰り返っても悪事なんかできないお人ですから。>六:そうは言ってもな。年頃の娘を持つ身になってお呉れよ。心配で心配で、仕事にも身が入らぬのだ。>咲:父上ったらもう、そんなこと言ってたら、あたし、いつんなったってお嫁にも行けないじゃない。>六:うむ。いっそのこと嫁になど行かずにここで暮らしてはどうか?>咲:そんなことできる訳ないじゃないの。・・・さ、出掛けましょ、熊さん。六之進は潤(うる)んだ目をして、娘と熊五郎の背中を見送った。そんな調子では、今日の傘貼りはあまり捗(はかど)らないに違いない。熊五郎たちは、先ず「金太楼」に寄って「大金餅」を4つ買って、桐箱に納(おさ)めて貰った。もう1つの桐箱には、八兵衛が拵(こしら)えた木の切り餅4つが納められていた。>咲:ねえ、親爺(おやじ)さん。1箱100文(=約2千円)で売れたら、半分は親爺さんに返すからね。>店主:ひゃ、100文ですって? どっからそんな法外(ほうがい)な値(ね)が出てくるんですか? 大福のお代はたったの16文なんですよ。そんなに高く売れる訳ないじゃありませんか。>熊:お夏坊は1箱50文って言ってなかったか?>咲:だって、この箱とっても良くできてるんだもん。安兵衛さんに50文払ったって罰は当たらないわ。それとも何? 八つぁんみたいに、死に損ないなんて言うんじゃないでしょうね?>熊:そうは言わねえさ。しかし、100文でなんか買うのか?>咲:買うわよ。なんてったって評判の「大金餅」なんですもの。ねえ、親爺さん。>店主:それにしてもですよ。そんな高価なものにしてしまったら、他のお客様が来なくなってしまいます。>咲:あら。だって、1個4文ってのまで変えたりはしないでしょう? ご贔屓(ひいき)さんたちからは、今まで通りのお代を取れば良いのよ。>店主:はあ。>咲:でも、100文の方を欲しがる客が増えたりなんかするかもね。>店主:真逆(まさか)。>咲:そういう噂って、物凄い勢いで広がるって言うもんね。>熊:「悪事千里を走る」か。然(さ)もありなんだな。>咲:「豪華大金餅詰め合わせ、1箱100文」ってのも、貼り紙しといた方が良いかもよ。>店主:そんな、滅相もないことですよ。そんなもの貼れますか。駿河台小川町界隈で、擦(す)れ違った棒手(ぼて)振りを呼び止めて、林田と亘理の両家の様子を聞いてみた。近頃、両家とも金回りが良くなったらしく、「気前良く買い取って貰ってやすよ」とのことだった。特に林田の内儀(ないぎ)は、化粧品や小間物を買い漁(あさ)っているらしい。「言っちゃあなんだが」と前置きしながら、「まったく、年を考えて呉れってんだ」と、半ば呆れている風だった。>咲:決まりね。あたし、勘定組頭・林田のお内儀のところに行く。>熊:何も今日の今日に売り付けなくたって良いんだからな。組頭ご当人に会う段取りだけ付きゃあ、それで十分なんだぜ。>咲:分かってるわよ。・・・でも、欲の深いお内儀様だったら、桐箱の意味にも気が付くでしょう? そういうことなら、もうこっちのものよ。>熊:危なくはねえのか?>咲:大丈夫よ。生駒屋の白粉(おしろい)を1包み持ってきてるの。きっと、池の鯉みたいに口をぱくぱくさせながら乗ってくるわ。>熊:なんなら、一緒に付いていくぜ。>咲:大工の半纏を着て? それこそ怪しいでしょ? お夏ちゃんが言った通り、雨漏(あまも)りの直しでもしといて。饅頭屋の御用聞きなど聞いたことがないと、お内儀は怪訝(けげん)そうにお咲を招(まね)き入れた。お近付きの印にと、下女に持たせた白粉が効(き)いたのである。>咲:奥方様は「大金餅」と「小金餅」という名前の大福餅のことを、お聞きになってはいらっしゃいませんでしょうか?>内儀:おお、聞いたことがありまするぞ。この辺りでは遠いこともあり、まだ誰も食べたことはないようであるが、いずれ人を遣って買ってこさせようと思っていたところです。>咲:そうで御座いますか。評判がこの辺りまで届いているとは、感慨も一入(ひとしお)で御座います。>内儀:それを担いで売っておるというのですね? それでは、試しに1ついただいてみましょうか。>咲:いえ。実はですね、今日お持ちしておりますのは、これから商(あきな)い物として売り出すもので、まだ誰にもお売りしていないものなので御座います。>内儀:なんと? 特別な代物(しろもの)を入れておるのか?>咲:そういうことでは御座いません。先(ま)ずはこれをご覧ください。>内儀:おお、これはなんとも見事な箱造りでありますね。>咲:有難う存じます。腕の確かな指物師(さしものし)に作らせました。「豪華大金餅詰め合わせ」で御座います。>内儀:ほう。大層な名前でありますね。>咲:お恥ずかしゅう御座います。何分(なにぶん)にも、店主が無粋(ぶすい)の者ですので。ですが、この箱は、特別仕立てのものでして、大福餅を食べてしまった後、何かと役に立つように設(しつら)えて御座います。>内儀:ほう。それはどういうことでありましょうや?>咲:このような用途でお使いになれる方というのは、そうざらにはいらっしゃいません。こちらのような、特別にご立派なお宅でしか使い道がないかも知れないのです。もう1つの箱をご覧くださいませ。・・・良いですか? 開けますよ。>内儀:こ、これは・・・>咲:お望みの方には、10箱一揃(そろ)いで、1箱辺り100文でお分けしたいと考えておりますが、いかがで御座いましょう? こちらの旦那様のお役に立つとはお思いになりませんか?>内儀:わ、わたくしの一存ではなんとも・・・。しかし、きっと、きっと・・・>咲:2、3日中に残りの8つをお持ちできると思います。奥方様の方からもお口添えいただけると有り難いのですが?>内儀:分かりました。では先ず、この2箱はわたくしが食べたいと思いますので、一先ず200文だけお支払いしましょう。・・・それから、これはここだけの話ですが、当分の間、他の屋敷には売りに参られぬよう頼みたいのですが、いかがでしょうか?>咲:承知いたしました。次の10箱を作るのは、半月後ということにいたします。巧く事が運んだと聞いて、熊五郎は、その足で鴨太郎のところへ回ることにした。鴨太郎は、今日も番所で鼻毛を抜いていた。>熊:そんなに毎日鼻毛を抜いてたら、鼻がすーすーして風邪を引くぞ。>鴨:お? おう、熊じゃねえか。なんだ、大工は開店休業か?(※)>熊:何を言ってやがる。こっちはこれから大仕事に掛かろうってのによ。お前ぇがそんな唐変木だからお夏坊が苦労してるんじゃねえか。>鴨:なんだ? お前ぇも勘定組頭たちの一件に関わろうって言うのか? 止せ止せ。大工風情(ふぜい)が関わってどうにかなるような相手じゃねえ。>熊:悪事を放っておけるほど、おいらたちはお人好しじゃねえんだよ。お前ぇはなにか? 奉行所同心をやっていながら、悪事を取り締まりもしねえのか?>鴨:町奉行所がやることじゃねえんだよ。下手(へた)に手を出しゃ、こっちの首が飛ぶってんだ。>熊:そんなこと言ってるから、お夏坊が気持ちの踏ん切りを付けられねえんじゃねえか。罷免(ひめん)でもなんでも覚悟して手伝ってやれってんだ。今夜「だるま」へ来い。話して聞かせてやるからよ。このくらい焚き付ければ、少しは真剣になるだろうと、熊五郎は障子(しょうじ)を後ろ手に閉めた。源五郎の家に帰り着くと、八兵衛が怪訝(けげん)そうな顔で、首を捻(ひね)っていた。>熊:どうしたんだよ。ひょっとこみてえな面(つら)をしやがって。>八:お夏ちゃんがよ、今夜はどうしても太助を連れてきて呉れって言うんだよな。>熊:どういうこった?>八:おいらの方が聞きてえぜ。選りに選ってどうして太助なんだ? あんな図体(ずうたい)ばっかりでけえだけの大飯食らいのどこが良いってんだ?>熊:さあな。>八:真逆、図体のでかいのが好みだ、なんてことじゃねえだろうな?>熊:そうかも知れねえぞ。葱(ねぎ)みてえにひょろっとしてる方が良いのかもな。>八:冗談じゃねえぜ。こちとら、もう30だぞ。これから背を伸ばせってったって、そいつは無理な相談ってもんだぜ。・・・でも、ものは試しだ、五六蔵とお前ぇでちょこっと引っ張ってみちゃあ呉れねえか?>熊:そんな馬鹿なこと言ってるんだったら、いっそのこと、梁(はり)に縄を掛けて首からぶら下がってみちゃあどうだ?>八:おう、成る程。その方が手っ取り早いな。いっちょ、やってみるとするか。>熊:馬鹿は死ななきゃ治らねえってのはこのことだな。(つづく)---≪HOME≫※お詫び:時代考証を誤っています。「開店休業」という言葉は、どう考えても現代の言葉です。「お茶を挽(ひ)く」あたりを使った表現が、妥当だと考えられます。
2008.01.09
コメント(0)
『呉越同舟(ごえつどうしゅう)』 『呉越同舟』1.呉の国の人と越の国の人が一つの船に乗り合わせるという意味で、不仲同士や敵味方が、同じ場所に居合わせること。2.反目(はんもく)し合いながらも共通の困難や利害に対して協力し合うこと。 反:■同床異夢★元々は、孫子が、呉と越の敵対する国の人が同じ船に乗り嵐に出合った場合、敵味方が協力して水を掻き出し、困難を乗り切るという団結心を説いたもの。出典:「孫子-九地」「夫呉人与越人相悪也、当其同舟而済而遇風、其相救也、如左右手」出典:孫子(そんし) 中国の兵法書。1巻13編。呉の孫武撰と言われる。戦略戦術の法則、準拠の詳細を説明した。古代中国の戦争体験の集大成で簡潔警抜な記述による名文で知られる。後世兵学への影響は大きく、「呉子」「六韜(りくとう)」「三略」などの類書を生じた。人物:孫武(そんぶ)・孫子 中国春秋時代の兵法家。斉の人。紀元前6世紀頃。生没年不詳。呉王闔閭(こうりょ)に仕え、楚・晋を威圧し、呉を覇者とした。軍隊に節制規律を徹底させ、兵書「孫子」を著したとされている。*********お夏が言うところの「人騒がせなこと」とは、こんな話である。「豪華大金餅詰め合わせ」というものを、10箱ほど桐箱(きりばこ)入りで拵(こしら)えて、勘定組頭に買い取らせる。>夏:1箱当たり50文(約1千円)でどうかしら?>八:50文は幾らなんだって吹っ掛け過ぎじゃねえのかい? 中身は良いとこ16文(約320円)だぜ。金太親爺(おやじ)なんか、嬉しさを通り越して卒倒(そっとう)するぜ。>熊:そんなことより、なんで桐箱入りの大福餅なんだ? そんなの買わせたからって、食っちまえば終(しま)いじゃねえか。>八:そうそう。材木1本切るほどの間も掛からねえ。>熊:そりゃあ、お前ぇだけだっての。・・・そもそもだ。餅の詰め合わせなんて、誰が10箱も買うかってんだ。>夏:買うわよ。ちょっとした小細工(こざいく)をすればね。>熊:うーん。どうも話の先が見えねえな。一体どういうことなんだ?>夏:・・・要するに、林田って人でも亘理(わたり)って人でも、賂(まいない)をばら撒(ま)いているところを押さえれば良いんでしょう? それなら、ばら撒きたくなるようにしてあげれば良いのよ。>八:それで? どうして「豪華大金餅詰め合わせ」なんだ?>夏:肝心(かんじん)なのは、中身じゃなくって箱の方よ。切り餅(25両=約200万円)4個がぴったり納まるようにするの。そして、蓋(ふた)には丸に金の文字。・・・どう? 賂にはぴったりじゃない? 受け取る人の心を鷲掴(わしづか)みよ。>八:そうか。そいつは凄(すげ)えや。お夏ちゃんはやっぱりお頭(つむ)のできが違うな。>熊:かなり突飛(とっぴ)ではあるがな。>夏:好いじゃない。欲に目が眩(くら)んだお役人なんてものは、案外騙(だま)し易いものなのよ。>熊:分かった風な口を利くじゃねえか。>夏:知らなかった? 鴨太郎さんの口癖よ。「上役に媚(こ)びを売ってる奴は、こっちが下手に出て、甘い言葉で騙すに限る」だってさ。>熊:半端(はんぱ)役人なりの処世術ってやつか。あんまり、誉(ほ)められたもんじゃねえな。とは言いつつ、鴨太郎のそんな言葉を知っているということは、そう捨てたものでもないのかなと、内心喜んでもいた。>夏:ねえ坂田様、切り餅を1つ用意できます? 寸法を計らなきゃ。>太:そのくらいなら用意できますが、しかし、本当にそんなに巧く行きますか?>夏:巧く行かなかったらまた何か考えますよ。・・・でも、あたしの勘だと、どっちか欲の皮が突っ張ってる方が飛び付いてくるわね。>太:そうでしょうか?>八:太市の旦那。巧く行くか行かないかなんてことを考えてても始まらねえでしょう? やらないでじっとしてるのは、悪さに肩入れしてるのとおんなじだって、そう言ってたのは旦那じゃねえですか。>太:成る程、そうでしたね。・・・分かりました。その桐箱のお代はあたしが持ちましょう。>八:そんなら、おいらが安兵衛の父(と)っつぁんに頼んでくるよ。頑固だけど、腕だけは確かだからな。>熊:そんな口を利いてると雷が落ちるぞ。>八:構うもんか。親方に比べりゃ、あんな死に損(そこな)いの拳固(げんこ)なんか高が知れてらぁ。>夏:切り餅は八兵衛さんが作ってよね。木(こ)っ端(ぱ)なら幾らでもあるでしょ? 数は4つで良いわ。ちゃんと紙で包んでね。>八:お安い御用だぜ。>咲:ねえ、あたしは何をすれば良い?>夏:それじゃあ、2人のどっちの方が騙し易そうか聞いて回って。・・・そうねえ、例えば、生駒屋の白粉(おしろい)かなんかで、お内儀(ないぎ)さんでも丸め込んでおいて頂戴(ちょうだい)。>咲:白粉なんかで丸め込めるのかしら?>夏:余裕ができた家のお内儀で、化粧の道具に興(きょう)を示さない人がいたら、お目に掛かりたいものだわ。案外ちょろいかもよ。>熊:そういうことなら、おいらは用なしだな? 大工が白粉なんか持ってたら変だもんな。>夏:熊お兄ちゃんは、同じ家に雨漏り直しの御用聞き。ないとは思うけど、もしものことがあったら直ぐに駆け付けられるでしょ?>熊:もしものことなんか起こるかよ。>夏:何言ってるのよ。何がどう転がるか分からないから、「もしものこと」なんじゃないの。それとも何? お咲ちゃんの逃げ足のこと、本気で信じちゃってるって訳?鴨太郎の出番は、「豪華大金餅詰め合わせ」が出回り始めてから、ということになる。目処が付いたら、熊五郎が話を付けに行くことになった。>夏:でも、坂田様は暫(しばら)く知らん振りしていてくださいね。>熊:だがよ、いざふん捕まえる段になったら、太市の旦那1人じゃ大変なんじゃねえですかい? いくら町奉行様が立派な方だってったって、畑違いはご法度(はっと)でやしょう? 握り潰されちまいやしませんか? それに、鴨太郎の立場だってどうなるか分かったもんじゃねえ。>太:そうかも知れません。しかし、そのようなことであっても、悪事は悪事です。その事実は隠し果(おお)せるものではありません。若年寄の名前は出ないにせよ、少しずつ追い込んでいることに違いはありません。それに、林田と亘理が着服(ちゃくぶく)していた金品だけでも、幕府の蔵に戻れば、今回の一件には役に立つのですからね。>熊:あの竹上なんとかって学者を引き込むことはできませんか?>八:だって、1回断られちまってるんだぜ?>熊:そりゃあ、相手が若年寄だからだろ? もうちょっと小者が相手なら、うんと言うかも知れねえだろ? どうです、旦那?>太:どうも私を避けているようなのです。ちゃんと話を聞いて呉れるかどうか・・・>八:やっぱり恨(うら)んでるんでやすかね? 斉(なり)ちゃんから、こってり絞(しぼ)られてやしたからねえ。>太:竹上さん本人の恨みはあるかも知れません。しかし、私(わたくし)の事情を持ち出している場合ではない筈です。もう一度説得してみることにしましょう。・・・幕府のためなのです。小さいことに拘(こだわ)っているときではないのです。>八:そうでやすよね。それでもまだごちゃごちゃ抜かしてるんなら、おいらが行ってお頭(つむ)をごつんと・・・>熊:またそれかよ。お前ぇは唯(ただ)誰かを引っ叩きたいだけだろう。>八:暫く釘の頭を殴(なぐ)り付けてねえからな。うずうずして仕方がねえんだ。お前ぇも分かるだろ?>熊:分かるかってんだ、そんなの。お前ぇがあの爺さんの頭なんか引っ叩くから、そんなことになったじゃねえのか?>八:あ、そうか。あの爺さんもいたんだっけな。・・・どうです旦那、塩十の爺さんも仲間に入れてやっちゃ?>太:そ、それは、止(や)めましょう。それこそ三(み)つ巴(どもえ)です。進む話も進まなくなってしまいます。翌日昼過ぎに、太市が八兵衛を訪ねてきた。見本の切り餅を持ってきたのである。>太:お恥ずかしい話ですが、これは借り物ですので、指物(さしもの)師の安兵衛さんのところでもご同道して、今夜までに持ち帰ろうかと思っているのです。>八:恥ずかしいことなんかじゃねえですよ。おいら、こんなもの初めて見やしたよ。持たして貰っても良いですかい?>太:ええ、どうぞ。存分に計ってください。>熊:それで? 竹上さんとは話せたんでやすか?>太:ええ。出仕(しゅっし)前の早朝を狙って押し掛けました。お夏さんの考えを説明したら、渋い顔をしてはいましたが、「考えさせてください」という返答を寄越(よこ)しました。きっと色好い返事を呉れるでしょう。>八:今回は随分と手際が良いじゃありませんか。>太:先の見通しが良い場合は、とんとんと運ぶものですね。お夏さんのような、先の見える良策を思い付かないと、良い方には進みませんね。>八:そうでやしょう? まったく、お夏ちゃんは頭が良いんでやすからね。「だるま」なんて小汚いとこに置いとくのが勿体無いくらいですよね。>熊:だから辞めるって言い出したんじゃねえのか?>八:お、おい。そういう意味で言ってるんじゃねえんだって。お夏ちゃんにはずっとあそこにいて貰わなくっちゃな。>熊:辞めさせてやるのが、お夏坊のためになるんじゃねえかと、おいらは思うぜ。>太:お夏さんには何か目当てがあるのですか?>熊:ええ。長崎に行って医術を学んできたいんだそうです。>太:長崎に、ですか? それで、長崎まで往復できるほどの額かと聞いたのですか。・・・ふむ。そうですか。>八:旦那、惚(ほ)れちゃったなんて言わないでくださいよ。恋敵(こいがたき)になっちまいやすからね。>太:はっは。そんな年ではありませんよ。・・・それに、今はこっちのことに一所懸命ですから、それどころではありません。>八:そうですよね。仮令(たとえ)恋敵だろうと、そんな手前勝手なことを持ち出してる場合じゃねえんでしたよね。>熊:ちゃんと分かってるのかねえ。
2008.01.08
コメント(0)
『紺屋(こうや・こんや)の白袴(しろばかま・しらばかま)』『紺屋の白袴』布を紺色に染めるのを仕事とする紺屋が、自分の袴も染めないで、白袴を穿(は)いているということ。1.他人のためにばかり忙しく、自分のことには手が回らないこと。2.いつでもできるにも拘(かか)わらず、放置しておくようなことを指摘する言葉。類:●医者の不養生●髪結いの乱れ髪●坊主の不信心●儒者の不身持ち★一説に、染色の液を扱いながら、自分のはいている白袴にしみ一つつけないという職人の意気を表したことばであるとする。<国語大辞典(小学館)>*********「梅雨時って、傘貼りには忙(いそが)しい時期なのよね」と言っておきながら、お咲は「だるま」に毎晩顔を出していた。お咲が来るたびに、お夏は熊五郎の顔を見て、にっと笑うのだった。>咲:ねえ、ぐずぐずしてないで、勘定組頭(かんじょうくみがしら)の家を見に行きましょうよ。>熊:そう慌(あわ)てるなって。・・・それより、伝六には報(しら)せてあるんだろうな?>咲:当たり前じゃない。只働(ただばたら)きなんかご免だもんね。>熊:そういう話かよ。>咲:他にどんな訳があるって言うの?>熊:危ないからに決まってんじゃねえか。娘がやることじゃねえんだからな。>咲:その点は平気よ。こう見えても逃げ足は速いんだから。>夏:それに、熊お兄ちゃんが一緒だもん、とっても安心よねえ?>咲:どうかしら? 却(かえ)って邪魔かもね。>熊:あのなあ・・・>八:そんなことより、組頭と吟味役の素性(すじょう)ってのは分かったのか?>夏:あ、それ、あたしが聞いといたわ。林田って人と、亘理(わたり)って人。駿河台小川町の方に住んでるんだって。>八:凄(すげ)えな、お夏ちゃん。どうやって調べたんだい?>咲:馬鹿ね、八つぁん。お夏ちゃんの兄上に決まってるじゃないの。ねえ?>夏:違うわよ。兄上に聞いたりなんかしたら、変に勘繰られちゃうじゃない。そうじゃなくたって、父上からここの手伝いを止(や)めなさいって言われてるんだから。>八:そんなこと言われてるのか? ・・・でも、止めたりしないよな? な?>夏:少なくとも秋頃まではね。>八:その先は?>夏:さあ。どうなることやら。>八:続けて呉れよな。後生(ごしょう)だから、ずっと続けて呉れよ。>咲:八つぁん、女々しいこと言わないの。いなくなっちゃう訳じゃあるまいし。>夏:あら、いなくなっちゃうかもよ。・・・へへ。お夏は、ちょっとだけ、寂しそうな顔をした。八兵衛は泣きそうな顔になった。>夏:そんなことより、詳しく知りたくないの、2人のお屋敷のこと?>熊:おう、そうだったな。駿河台小川町だったっけな。ちょいと遠いな。>夏:長い道程(みちのり)も2人で行けば近いもの、なんてね。>熊:止(よ)せってんだ。>夏:お屋敷の場所もちゃんと書き付けてあるわよ。>咲:抜かりがないわね。誰に調べさせたの?>夏:へへ。鴨太郎さん。・・・半端役人の割には、結構役に立つのよね。>熊:お前ぇ、太市の旦那の返事も待たねえで、勝手に手を回しやがったな?>夏:良いじゃないの。順番がどうだって、結果がおんなじなら良いのよ。それに、鴨太郎さんなら、兄上や父上に告げ口したりしないもんね。>熊:あいつだって、お役目ってもんがあるんだぞ。こっちの都合だけで、引っ張り回したりしちゃ駄目じゃねえか。>夏:暇そうにしてたわよ。番所で鼻毛なんか抜いてたんだから。>熊:それにしたってなあ。・・・番所には他の役人とか番太郎とかもいたんだろう?>夏:大丈夫よ。みんな、花札をしてたから、こっちの話なんか聞いちゃいなかったわ。>熊:なんだと、番所で花札だあ? 鴨太郎の奴は黙って見てたのか?>夏:何か考え事してたみたい。でも、「銭を賭けてる訳じゃないから構わねえだろ」だって。>熊:どうかしちまってるんじゃねえのか? いくらお役目のことを考えてるにしたって、番所の中で花札なんかしてたら、どやし付けてやらなくちゃ駄目じゃねえか。>夏:それは立派なお役人様のことでしょ? 鴨太郎さんなんだもの。半端役人らしいじゃない。>熊:まったく、お夏坊に庇(かば)われてりゃ世話がねえな。・・・それで?>夏:鴨太郎さんも日頃から気になっていたらしいのよね、その林田主税(もんど)って人のこと。でも、自分のお役目ではとても手を出せる相手じゃないもんだからって、焦(じ)れてたみたいなの。>熊:真逆(まさか)、考え事ってのは、当の林田って奴のことだった訳じゃねえだろうな?>夏:真逆。あたしには「口が裂けても言えないようなこと」だってさ。>熊:なんだ、そういうことか。>夏:そういうことって?>熊:なんでもねえよ。・・・ま、そういうことなら、この際、どっぷりと関わらせてやった方が良いかな。>夏:ん? どういうこと?怪訝(けげん)そうに首を傾(かし)げたお夏であったが、熊五郎から催促(さいそく)されて、袖(そで)から鴨太郎が書いたという地図を取り出し、卓に広げた。牛込箪笥町(たんすまち)からでは、確かに遠い。夜の行動を追うとなると、お咲を六之進のところへ連れ戻す刻限が、相当遅くなってしまう。>熊:こりゃあ、やっぱり、おいらと伝六の2人でやった方が良さそうだな。>咲:どうしてよ。あたしじゃ頼りないって訳?>熊:そうじゃねえよ。ことに拠(よ)っちゃ、夜の日本橋辺りへの遠出になるかも知れねえんだぞ。>咲:夜の足取りを追うこと以外にだって、やれることはあるでしょ?>熊:例えば、どんなだ?>咲:馴染(なじ)みの棒手(ぼて)振りの人に話を聞くとか、井戸端にいるお内儀(ないぎ)さんたちにそれとなく当たってみるとか、下働きしてる人にお小遣いを握らせるとかよ。>熊:そんなこと、おいらにやらせようってのか?>咲:当たり前じゃないの。大工の半纏(はんてん)を着てたら、怪しまれないで済むしね。案外良い働きができるかもしれないわよ、熊さん。>八:おいらもそう思うぜ。なんなら、与太郎に言って、野菜売りの道具一式借りてやっても良いぜ。きっと似合うに違(ちげ)えねえ。>熊:手前ぇ、面白がってやがるな?>八:いっそのこと、お咲坊共々、伝六の手下の下引(したっぴ)きになっちまえば良い。後もことはおいらに任せて、心置きなく野菜売りにでもなんでもなっちまえば良い。>熊:手前ぇんとこの軒(のき)の雨漏りも直せねえようなぐうたらになんか、任せられるかってんだ。>八:お、言いやがったな? おいらだってな、飲まねえで真っ直ぐ帰ってりゃ、ちょちょいのちょいでやっつけちまわい。見ていやがれ、お前ぇとお咲坊が駿河台に行ってる間に向こう三軒両隣、ぜーんぶ直してやらあ。>熊:そんなこと言って、おいらがいなくても飲んだくれるのが落ちだろう? お前ぇが真っ直ぐ帰れる日なんか待ってたら、梅雨(つゆ)どころか秋の長雨まで明けちまうだろうよ。「まあまあそれくらいにしてよ」とお夏が割って入らなかったら、騒ぎになってしまっていたかも知れない。何しろ、すぐそこまでしょぼくれて歩いてきた坂田太市が、何事かと駆け込んできたのだから。>太:八つぁん、熊さん、仲間割れはいけません。お止(や)めなさい。世の中には、仲間割れほど効率の悪いものはないのですぞ。>八:おや? 太市の旦那じゃあありやせんか? どうしたんです、そんなに泡を食っちまって?>熊:もう7日目ですぜ。一体どうしちまってたんでやすか?>太:え? お2人は今、喧嘩をしてたんじゃなかったんですか?>八:喧嘩でやすか? とんでもねえ。唯の酒飲み話をしてただけですって。なあ?>熊:お騒がせしちまいましたか? でも、ほんとにいつものことなんです。ほら、他の客たちの面(つら)を見てくださいまし。おいらたちのことより、血相を変えて入ってきた旦那の方に驚いてるでしょう?>太:そ、そうでしたか。これは、申し訳ありません。・・・でもまあ、そういうことでしたら言うことなしですな。>八:何が「言うことなし」ですか、太市の旦那。一体何日待たせりゃ気が済むってんですか。>太:そ、そのことなのですが、まったく思うように進みませんで・・・>八:2、3日で話が付くって言ってたんじゃなかったですかい?>太:それが、てんで話にならなかったのです。>八:竹上がですかい、他の奴がですかい?>太:どいつもこいつもとはこのことを言うのです。誰一人として賛同して呉れる者はいませんでした。どうなってしまったのでしょうかね、この国は。太市の説明によると、断わり方は、大雑把に3つに分かれるという。ある者は若年寄怖さのため。ある者は自分の保身のため。そして残りの大多数は、現状を変えるのが面倒だからという消極さのために、である。>八:なんですかい、そりゃ? お国を良くしようって役人は、1人もいねえんですか?>太:情けないことですが、1人もいませんでした。>八:あーあ。やんなっちまうな。役人ってのは、国を良くしていくのが本分なんじゃねえんですかい? それを、自分らはなんにもしねえで、人任せでやすか?>太:人任せならまだ可愛いものです。悪い慣習を変えようとしないのですから、言ってみれば、半分以上が悪事に荷担(かたん)していることになる訳です。>八:そんなんじゃ、景気はいつんなったって良くなる訳ねえじゃねえですか。>太:「長いものには巻かれろ」というのを、確かにこの目で見たきた思いです。>八:そんでもって、その長いもんってのが、若年寄でやすか。・・・あーあ、またここで行き止まりかよ。>五六:力を持ってでっかくなる一方の奴がいると、残りのもんは縮んでいく一方になっちまう。そんな絡繰(からく)りになっちまってるんでやすね?>太:そういうことです。・・・どうやら、なるようになるのを、唯々、見守っているしかないようです。>夏:まったく、お役人たちって駄目ねえ。・・・こうなったら、あたしらが頑張るしかないんじゃない?>咲:賛成ぇー。>太:しかし・・・>夏:坂田様は見なかったことにして呉れていれば良いんです。あたしたちで、ちょっとだけ人騒がせなことをしてきますから、それを取り沙汰して、良しなに片付けてくだされば良いです。>太:人騒がせなこととは?>夏:蓋(ふた)を開けてのお楽しみ。>咲:賛成ぇーっ。
2008.01.07
コメント(0)
『紺屋(こうや)の明後日(あさって)』『紺屋の明後日』紺屋の仕事は天候に支配されがちであるため、明後日になればできると言っては期日を延ばすことが多く、当てにならない。転じて、一般に約束が当てにならないことの喩え。類:●医者の只今●蕎麦屋の出前●One of these days is none of these days.(いずれ近日中は、近日中には来ない)<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********途中からの話だったが、お夏にも飲み込みが付いてきたらしく、目が爛々(らんらん)と輝きだしていた。>夏:ねえ坂田様、その杉乃井なんとかとかが貯め込んでた大判小判はどうなったのかしら?>太:大方、若年寄の手の者が巻き上げていったのでしょう。>夏:でも、法外な量よね?>太:遊蕩(ゆうとう)にどれだけ使ったかは知りませんが、たいへんなものが残っていた筈です。>夏:そのくらいあれば長崎まで往復できるかしらね?>太:長崎ですか? ええ、まあ100人でも往復できますとも。>夏:凄(すご)い。・・・決まりね。>熊:おいおい、お上の銭だぜ。お夏坊が使って良いってもんじゃねえ。・・・それに、もう若年寄の蔵に入っちまったんだ。取り返しようがねえだろう。>夏:それなら、今の勘定組頭のところに押し込んじゃいましょうよ。>熊:だから、そいつは咎(とが)だってんだ。お縄(なわ)になっちまうぞ。>夏:あたしたちが行ったらそうだけど、捕(と)り方が行けば良いんでしょ?>八:そりゃそうだ。お夏ちゃん、頭良いっ。>熊:あのなあ。・・・お前ぇたち、鴨太郎を良いように使おうって魂胆(こんたん)だろう。>夏:当たり前じゃないの。>八:そうよ。あたりきしゃりきのこんこんちきよ。>熊:あいつにだって、分(ぶん)ってもんがあるだろ? 勘定方のお偉いさんとか勘定吟味役とかに手を出したりたら、どうなるか分かったもんじゃねえんだぞ。>八:そのために太市の旦那がいるんじゃねえか。ねえ?>太:ねえと言われましてもねえ・・・>八:その甘党の役人に「小金餅」を10個も渡しゃ、生き証文になって呉れるんじゃねえですかい?>四:・・・あの、「小金餅」は3個売りなんですけど。>八:そんなのどうだって良いじゃねえか。なんなら12個でも15個でも構わねえ。15じゃ数が悪いってんなら、5個くらいおいらが食ってやるさ。>夏:でも、そのお役人って当てになるの? たった8文でぺらぺら喋っちゃう人でしょ? なんだかもの凄く不安だわ。>太:鴨太郎さんという方が畑違いだろうがなんだろうが、罪状を押さえてしまえばなんとでもなります。そうなれば、ご公儀の庇護がありますから証人にもなって呉れるでしょう。>夏:信用して貰えるかってのも心配なんだけどね。>太:確かに不安はあります。それは、ご老中や上様次第でしょうね。わたしにはなんとも言えません。>八:そんときゃ、内房のご隠居に頼んで、斉(なり)ちゃんに口添えして貰えば良いでしょ?>太:そういうのは反則というものです。>八:悪人をやっつけるのに反則も糞(くそ)もねえでしょう?>熊:・・・それなら、端(はな)っからご隠居様に頼めば良いんじゃねえのか?>八:そりゃあそうなんだろうが、あのご隠居はせっかち過ぎて、下手(へた)すると日本橋の料亭にまで斉ちゃんを引っ張り出し兼ねねえぞ。>太:ふむ。なるほど。それでは、障(さわ)りが来ますな。若年寄のことですから、徹底抗戦の構えを取るかも知れません。そうなると、天下泰平の世の中そのものが危うくなります。>熊:そんな大事(おおごと)になるようなこと、あのご隠居様がしやすかねえ?>太:さあ、どうでしょう。わたしはあまり詳しくありませんので。しかし、八つぁんが言うのでしたら、暫(しばら)く見合わせた方が良いかも知れませんな。>八:そうでやすとも。もうちょいと出し惜しみしとかねえと、ご利益(りやく)が少なくなっちまうからな。>熊:なんだと? 手前ぇの目当てはやっぱりそれか。>八:と、とんでもねえ。太平な世の中のためだよ、勿論(もちろん)。>熊:お前ぇにそんなご立派なお頭(つむ)があるとは知らなかったよ。しかし幾らなんでも鴨太郎だけでは手に余るだろうということで、太市は「一応、竹上太蔵にも相談してみます」と言った。「明後日くらいには報せに来ます」と太鼓判を捺して帰っていった。結局、猪口(ちょこ)には手を付けず仕舞いである。>八:あの学者が手を貸すと思うかい?>熊:まあ、お上のことを考えてるには違いなかろうから、手伝って呉れるんじゃねえか?>夏:ねえ。それはそれとして、下調べは必要よね? お咲ちゃんと与太郎さんに調べてきて貰った方が良いんじゃない?>熊:お咲坊も巻き込もうってのか? おいらはあんまりお勧(すす)めしねえぞ。>夏:大丈夫よ。お役人なんかよりずっと信用できるんだから。>熊:そういうことじゃねえって。相手は銭に狂ったお武家さんだぞ。やっとうでも持ち出されたら危(あぶ)ねえじゃねえか。>夏:ま。随分と庇(かば)うのね。そんなに大事?>熊:馬鹿なこと言うなってんだ。おいらは当たり前のことを言ってるだけだ。>夏:あらそう。でも、大丈夫よ。お咲ちゃんなら抜け目なくやるわ。>八:大丈夫だって。伝六の兄さんだってついてるんだからよ。>熊:だから心配だって言ってるんだよ。与太郎だって、一黒屋の方で手一杯だろ? お咲坊のこったから、独りで突っ走っちまうんじゃねえのか?>八:なら、お前ぇがついてってやりゃあ良いじゃねえか。なあ、そうだろ?>熊:お、おいらには仕事ってもんがあるしよ。>八:何言ってやがる。こう雨続きじゃ、仕事になんかなりゃしねえだろ? 御用聞きは三吉と四郎がいりゃ十分よ。なあ?>三・四:へい。任(まか)しといてお呉んなさい。>熊:お前ぇらなあ。からかってやがるのか?>三:へい。少しばっかり。お夏には、どういう経緯(いきさつ)でこういうことになったのかを、四郎が説明した。「両替商がねえ」と、お夏は溜め息を吐(つ)いた。>夏:嫌な世の中になったものよね。あたしら貧乏人は、いったいどこを信じて生きてきゃ良いっての?>熊:まあ、太市の旦那なら信じてみて良いんじゃねえのか?>夏:だけど、今度のことが巧(うま)くいったからって、笠貼り浪人とか職人とかにはなんのご利益もないのよね。>熊:良いじゃねえか。首になる人が減るってだけでも万万歳よ。・・・それに、お上の蔵が米や銭で一杯になりゃ、もしかすると、ちっとは有り難いお触れでも出して呉れんだろ。>夏:期待薄よね。でもまあ、今回は、気持ちの上で満足ってとこで、手を打ちましょうか。>八:偉い。お夏ちゃんはやっぱりできた娘だねえ。>熊:なんでもかんでも誉(ほ)めりゃ良いってもんじゃねえぞ、八。>夏:まったく誉めない誰かさんよりは嬉しいけどね。>熊:誉められたきゃ、それなりのことしろってんだ。>夏:じゃあ、お咲ちゃんがきちんとやることをこなしたら、懇(ねんご)ろに誉めてあげてね。ねんごろによ。>熊:五月蝿(うるせ)えったら。放っとけ。>夏:まあ、怒ったわ。可愛い、熊お兄ちゃん。・・・さてと、前祝いといきますか。>熊:こんなでかいことだってのに、前祝いなんかやってられるか。>夏:気持ち次第ってことよ。必ず巧くいくって思ってれば、きっとそうなるわよ。お咲には、お夏から説明するからということになった。一先ず、明日から、入念な打合わせをしようということである。鴨太郎に声を掛ける役は、熊五郎に割り当てられた。念のためということで、八兵衛には、内房老人に渡りを付けて貰うことにした。>熊:上様とかお奉行様への橋渡しじゃねえぞ。飽くまでも、勘定組頭と勘定吟味役の様子を聞き出すだけだからな。>八:分かってるって。おいら、茶菓子でも出して貰えりゃ、それで満足して帰ってくるよ。>熊:大丈夫かよ。なんだか心配だから、四郎、お前ぇも一緒についてって呉れねえか?>四:御用聞きの方は良いんですか?>熊:そっちの方は、五六蔵と三吉2人で、何とか親方を誤魔化しといて呉れ。>五六:分かりやした。あっしもその方が、お三千に顔が立とうってもんで。>三:でもなんだか騙(だま)すってのは、ちょいと気が引けますね。>八:世のため人のためなんだぜ。そんなちっちゃいこと、気にすんなって。>三:そうは言いやしても、姐さんの目は誤魔化せないかもしれませんぜ。>八:そりゃそうだな。・・・でも、ま、そんときゃそんときよ。なるようになるさ。>三:どういう風になるってんですか?>八:お夏ちゃんに頼んで、姐さんまで仲間に引き込んじまえは良いのさ。>三:おいら、親方が恐くって、とてもそんな大それたことなんか、できやしませんよ。>八:姐さんが自分から関わったんだって言えば、親方なんざ一ころよ。大丈夫だって。おいらが請(う)け合うって。>熊:お前ぇが請け合ったって、全然有り難味なんかねえよ。どうせ人任(まか)せ運任せだろ?>八:お、言いやがったな? おう、そうだとも。だけどよ、それのどこが悪いってんだよ。>熊:開き直りやがったな?>五六:まあ、待ってくださいやし。要は、姐さんにばれなきゃ良いんでやしょう? 精々(せいぜい)気を付けやすって。>熊:まあそうだな。ばれる前から心配しても始まらねえな。ここは、太市の旦那がなんか良い話を持って来て呉れるのを待ってみようじゃねえか。>五六:そうでやすね。とは言ったものの、太市は、3日経っても5日経っても「だるま」に顔を出さなかった。
2008.01.06
コメント(0)
『高木(こうぼく)は風(かぜ)に折(お)らる』『高木は風に折らる』[=喬木(きょうぼく)は~][=倒る・嫉(そね)まる・妬(ねた)まる・憎まる]高い木は風を受け易く折れ易い。それと同様に、地位や名声が高い者は、他人から妬(ねた)まれて、困難に会いがちである。類:●出る杭は打たれる●喬木(大木)は風に折らる●桂馬の高上がり●The highest branch is not the safest roost.(一番高い枝が一番安全な止まり木ではない)<英語ことわざ教訓事典>*********坂田太市が「だるま」にふらっと顔を出したのは、饅頭屋の日から5日も後だった。今夜も、笠なしの濡れ鼠(ねずみ)である。>八:おお、太市の旦那じゃねえですか。どうぞこっちに。さ、きゅっと1杯いってお呉んなさい。>太:いえ、今日はお酒抜きということにさせてください。何しろ、てんで下戸(げこ)ですから。>八:小難しい話のときはその方が良いですかね。>熊:それにしても、随分と時が掛かりやしたねえ? あれから5日ですぜ。>太:役人というものは、まったく、厄介(やっかい)な生き物ですね。自分の口から出たと知れると立つ瀬がないからとか何とか言って、直ぐに逃げ腰になってしまうんですから。>八:それじゃあ、思わしい話は聞けなかったんでやすか?>太:なんとか1人掴(つか)まえました。新しいもの好きで、甘いものに目がないという者がいましたので、鰻(うなぎ)入りの大金(おおがね)饅頭2個で丸め込みました。>八:たったの8文でやすぜ。こりゃまた、安上がりでやすねえ。>太:まったくです。こっちは、料亭に何人もの役人を呼んでの椀飯(おうばん)振舞いまで覚悟していたのですからね。>八:それじゃあ、随分と余計にお足があるってことでやすね?>太:とんでもない。勿論(もちろん)、自腹を切るんですよ。相手が悪かったら破産していたところです。>八:なあんだ。今夜はここで椀飯振舞いかと思ってたのによ。>熊:正月じゃねえってんだ。もう夏だぞ。>八:良いじゃねえかよ。良い風習は、年に2度だって3度だって、多いに越したことはねえじゃねえか。・・・尤(もっと)も、「だるま」での椀飯振舞いなんて、高が知れてるがな。>熊:お前ぇも振舞う側になってみやがれってんだ。6つ半(19時頃)に、お夏が現れた。梅雨時には客の入りも少なくて、お夏の乗りも今一つである。>夏:嫌ねえ、着物に泥が撥(は)ねて。・・・あら、いらっしゃい、熊お兄ちゃん。それと、その他ご一行様。>八:その他はねえだろう、お夏ちゃん。>夏:あらご免なさい。八兵衛さんたちに当たっちゃ駄目だわね。>八:なにかあったのかい?>夏:いえね、あたしのこの魅力も雨降りには勝てないのかなと思うと、なんだか無性に腹が立ってね。>熊:天気に当たったってしょうがねえだろ。>夏:まったくね。女って生き物は、こんな下らないことに一喜一憂しちゃうものなのよね。>熊:何を偉そうに言ってやがる。まだ餓鬼の癖しやがって。>夏:あら、熊お兄ちゃんも父上とおんなじこと言うのね。あたしはもう立派な大人だっていうのに。>熊:お夏坊こそ、お咲坊とおんなじこと言ってやがるぜ。>夏:お咲ちゃんが聞いたら怒るわよ。・・・その点、あたしは物分りが良いから、黙って聞いていてあげるけどね。>熊:どこが大人だか。まったく、今日日(きょうび)の娘はどうつもこいつも・・・>太:あの、私は、立派な大人の女子(おなご)だと思いますぞ。>夏:あら、坂田様じゃないですか。ご立派な方はやっぱり目が肥えていらっしゃいますわね。お銚子1本お負けしちゃおうかな?>太:いや、あたしは、あの・・・太市は、まだ一滴も飲んでいないというのに、首筋まで赤くなっていた。八兵衛は八兵衛で、怒った顔も可愛いななどと、浮わ付いたことを考えながら、酒を舐(な)めていた。>夏:あ、そうそう。聞いたわよ、五六ちゃん。こんなとこで飲んでて良いの? お三千さん、厳しいんでしょう?>五六:な、なんで知ってるんでやすか?>夏:あら、この辺のおかみさん連中には、もう知れ渡っちゃってるわよ。>五六:姐(あね)さんに聞かれちまってたんでやすか?>夏:あやさん、誉(ほ)めてたわよ。お弟子さんを持つようになったら、立派な女将(おかみ)さんになれるわって。でもね、仕事場で井戸端会議みたいなことしてちゃ駄目よね。五六ちゃんたちの方の株は下がっちゃったみたいね。>五六:とほほ。>熊:でもよ、偶(たま)の酒ぐらい目を瞑(つぶ)って貰わねえとな。いくら稼(かせ)ぎが少ない時期だってったって、おんなじだけ気疲れはあるんだからよ。>夏:誰も悪いなんて言ってないじゃない。お三千さんのことを誉めてるだけ。五六ちゃんはお三千さんの気持ちに応えてあげなきゃ駄目ってことよ。>五六:へい、分かりやした。肝に銘じやして。>八:お夏ちゃんから言われたら、そう答えるしかねえよな。なんてったって、姐さんと繋(つな)がってるんだからよ。>夏:そうよ。しっかり稼ぎなさいよ。>熊:しかしな、こう雨ばっかりだとな。それに、世の中がこうも不景気だと、中々良い稼ぎ口もな・・・>夏:何言ってるの。こういう不景気だってちゃあんと儲(もう)けてるところだってあるのよ。聞いた? この先の「金太楼」っていうお饅頭やさん。ちょこっと頭を使えば、不景気なんて関係なしよ。>八:「大金餅」と「小金餅」だろ?>夏:へえ、流石(さすが)八兵衛さん、食べ物のことだと耳が早いわね。>八:そうじゃねえのさ。何を隠そう、その名前を考えたのはおいらたちなのさ。>夏:嘘でしょう?>熊:ちょっと、嘘かな? だがよ、おいらたちと一緒にいるときに太市の旦那が付けなすったんだ。>八:だから、おいらたちだろ? まったく嘘って訳でもねえだろ?>夏:やっぱりね。八兵衛さんの訳ないもんね。でも大変みたいよ。向かいの団子やさんがやっかんじゃって、毎朝嫌味を言うんだって。>熊:あの業突く張り、そんなことしてやがるのか? しょうがねえ親爺だな、まったく。>夏:良くあることよ。でも、「金太楼」の親爺さん、全然偉ぶってないみたいだから、お客さんたちが庇(かば)ってくれているみたい。そのうち諦(あきら)めるでしょう。>熊:そうだと良いんだがな。>夏:ふうん、坂田様が考えたんだ。へえ。・・・それで?>熊:それでってなんだよ。>夏:大の大人が大勢で饅頭屋にいるってことは、普通じゃないでしょ? また何か起こったんでしょ? 面白そうなこと?>熊:まったく。お咲坊みてえに目をくりくりさせながら聞くなっての。>夏:だって、面白いことないんだもん。だから梅雨って嫌。でも、何かあったって言うんなら、あたし、全面的に協力しちゃう。>熊:そういう簡単なことじゃねえんだけどな。>夏:そんなの、聞いてみなきゃ分からないじゃないの。お夏はすっかりその気になってしまった。客もほかに1組いるだけだったので、熊五郎たちの卓に腰掛けを持ってきて、ちょこんと座った。そして、太市の方を見上げて首を傾(かし)げた。>太:あ、で、では、その甘党の役人から聞き出した話を、掻い摘んでお話しましょう。>八:その役人ったらよ、たったの8文で丸め込まれて、喋(しゃべ)っちまったんだってよ。8文だぜ。>熊:黙って聞きやがれ。旦那、続けてお呉んなさい。>太:もう何年も前からのことで、勘定方では暗黙(あんもく)のうちに許してしまっていることのようなのです。具体的な名前は出しませんでしたが、勘定組頭と、勘定吟味役が、日本橋の料亭で誰かと密会しているのを見たというのです。>夏:一番上の方の人じゃない。>太:そうです。年貢のできが悪かったと偽り、幕府の蔵には3分しか入れていません。4分を2人で懐(ふところ)にし、残りの3分を別のところへ横流ししています。>熊:そんなにでやすか? それでも気が付かなかったんでやすかい?>太:気が付いていても、山吹色を見て、口を噤(つぐ)んでしまうのです。そうして、上から下へと、相当数の役人の生活に甘い汁が零(こぼ)れているのです。それに、恐らく糸を引いているのは、若年寄だろうというのです。>熊:堀田摂津守(せっつのかみ)でやすか?>太:まず間違いないでしょう。>熊:そんな非道なことをやって、許されちまうってのが分からねえぜ。>太:命が惜しいのですよ。調べてみましたら、5年前、勘定組頭だった杉乃井考右衛門という者と、勘定吟味役だった長島疑一郎という者が、時を同じくして罷免(ひめん)されています。>熊:誰かが悪事を暴(あば)いたってことでやすか?>太:それが、そうではないらしいのですよ。記録には、どちらも健康上のことでとされていたようです。・・・しかし、「夜盗にでも押し込まれたように家が荒らされていた」とか、「気付いてみると、家族が皆いなくなっていた」とかという話もあったそうです。>熊:消されたんでやすか?>太:蜥蜴(とかげ)の尻尾切りです。大方、放蕩三昧して世間の目を引いてしまったのでしょう。人の口に戸は立てられぬと言います。やっかみや非難の声が増えてくれば、いつどこから若年寄の名が出てこぬとも限りませんからね。>八:銭が貯まってくると、それを誰かに見せびらかしたくなるってことでやすか?>太:それが人情というものです。況(ま)して、自分には若年寄の後ろ盾があると、思い込んでしまったのですからね。勘違いも甚(はなは)だしいです。あの方が、誰かの後ろ盾になることなんか、決してないというのにね。>八:でも、手懐(てなづ)けていたのを2人一緒に辞めさせちゃっちゃ困るんじゃねえですかい? もう横流しが来なくなっちまう。>太:蜥蜴の尻尾というのはね、また幾らでも生えてくるんですよ。僅(わず)かばかりのお零れだけだった者が、明日から丸々取れる立場になれるのです。近い将来、自分も杉乃井たちと同じ道を辿(たど)ることなど、夢にも思わないで、嬉々として引き受けるのですよ。
2008.01.05
コメント(1)
『弘法(こうぼう)も筆の誤(あや)まり』『弘法も筆の誤まり』弘法大師のような書道の名人でも書き損じをすることがある。その道に長じた人でも時には失敗を犯すことがあるという喩え。類:●猿も木から落ちる●河童の川流れ●麒麟の躓(つまず)き●Even Homer sometimes nods.ホーマーすら時に居眠り[失策]をする<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>★ 空海は勅命を受け、京の都の応天門の額を書いたが、門に掲げてから「応」の字の初めの点を書くのを忘れたことに気付いた。 しかし慌てず、墨を含んだ筆を投げて点を足し、「応」の字を完成させた。人物:空海(くうかい) 平安初期の僧。真言宗の開祖。774~835。俗姓佐伯氏。幼名真魚(まお)。諡号(しごう)弘法大師(こうぼうだいし)。讚岐の人。延暦23年(804)入唐して長安青竜寺の恵果(けいか)に真言密教を学ぶ。大同元年(806)帰国、高野山に金剛峯寺を建立。弘仁14年(823)には東寺を与えられ、これを国家鎮護の祈祷道場とした。綜芸(しゅげい)種智院を設立して子弟を教育。承和2年(835)真言宗年分度者三人の設置が勅許された。書に優れ、三筆の一人といわれる。死後、大僧正、法印大和尚位を贈られた。著に「三教指帰」「文鏡秘府論」「文筆眼心抄」「篆隷万象名義」「性霊集」「十住心論」「秘蔵宝鑰」「即身成仏義」、書簡「風信帖」など。*********雨は一向に降り止む気配を見せない。もう半時(約1時間)近くも居座っているというのに、饅頭(まんじゅう)屋には1人の客すら現れていない。「かつかつです」という店主の言葉も頷(うなず)ける。>八:太市の旦那はいったいどうしたいんでやすか?>太:どうもこうもありゃしませんよ。状況を鑑(かんが)みれば、静観するしかないのですから。>八:そうじゃなくって、お上のご意向とか、幕府の金蔵とかのことを抜きにしたら、どうしたいかってことでやすよ。>太:そのような、考えても仕方ないことを、ここで言っても詮(せん)ないのではないですか?>八:その通りにならないのは百も承知ですよ。ですが、全く意味がねえ訳じゃねえですよ。気分がすっきりするでしょう? そういうのが結構(けっこう)、一番必要なことなんじゃねえですかい?>熊:八の言いようはちょっと乱暴ですが、間違ってねえと思いやすぜ。どうです? 話してみませんか? >太:ふむ。なるほど。その言い分にも一理ありますな。・・・それでは、いま暫(しばら)くお付き合い願いましょうかね。>八:それじゃあ、普通の大きさの大福餅も頼むとしましょうよ。ねえ、良いでやしょう?>熊:なんだと? お前ぇの目的はそっちの方だったのか?>八:うん? なんだ? 他に何があるっていうんだ? そんなの決まってんじゃねえか。「親爺ぃーっ」と八兵衛が店主を呼び付け、大福8つを頼んだ。2つ多いじゃないかという五六蔵の苦情にも、「おいらが3つ食うのさ」と、八兵衛はこともなげに答えた。>太:2つの両替商は1つになって、屋号も変えるそうです。瑞穂(みずお)屋と名付けたそうです。瑞穂の国というのは、この日の本の国のことです。大それた名だとは思いませんか?>八:凄(すげ)えな。流石(さすが)は太市の旦那。物識(し)りでいらっしゃる。>熊:感動するとこが違うんだがな。>太:屋号を変えれば悪評も消えるというのは、大きな勘違いです。どう頑張ってみても、元のようには戻れません。>熊:でも、雇(やと)い人を沢山(たくさん)辞めさせれば、巧く回っていくんでしょう?>太:初めのうちだけです。考えてもみてください。沢山辞めさせるということは、お店(たな)のことを一所懸命に考えて呉れていた人も沢山辞めさせてしまうということです。・・・長い目で見ると、これこそが大損そのものなのです。>八:するってえと、遅かれ早かれ潰れちまうってことですかい?>太:人の情(なさ)けというものをどの時点で取り戻すかに掛かっているでしょうね。>八:情けですかい?>太:そうです。情けがない者への人々の接し方は、情けがないものと決まってますからね。借りるのなら情けがある方へと考えるのが当たり前でしょう?>八:そりゃあそうだ。太市の旦那が言うまでもなく、そりゃあ世の中の理(ことわり)ってもんだ。>熊:お上は、それが分かっていても梃(てこ)入れしなきゃならないんですか?>太:借財を返さなければなりません。しかし、蔵は空(から)同然。名目だけでも梃入れしているということにしなければならないというのが実情なのです。太市は視線を目の前に積まれた饅頭に落とした。1つ摘(つま)み上げてそれをしげしげと眺め、やおら口へ運んだ。「ふむ、中々いけます」と呟いた。>熊:幕府の蔵って話でやすがね、上納金や運上(うんじょう)金ってのは、いつになったら入ってくるんでやすか?>太:米の収穫が終わった後ですな。しかし、どこもかしこも内証は火の車です。先延ばし先延ばしで、2年分も滞(とどこお)っているところだってあります。>熊:溜めてたって払える見込みがあるんですかね? おいらは無理だと思いますぜ。>太:無理でしょう。しかし、勘定方は「必ず納めさせるのでご安心召され」としか言ってきません。それとなく納所(なっしょ)も調べさせましたが、同様の返答のようでした。>八:なんか怪しくねえですか?>熊:なんでだ? こんな世の中なんだぜ。無理に絞(しぼ)り取らねえってのが温情かも知れねえじゃねえか。>八:何を言ってやがる。役人だって運上が上がってこなけりゃ食いっ逸(ぱぐ)れちまうんだぞ。にこにこ笑いながら「ご安心を」なんざ、どうして言えるってんだよ。>太:やっぱりそう思いますか、八つぁん?>八:おいらの目は節穴じゃあありやせんぜ。大方、そいつら寄って集(たか)って示し合わせて、ピン撥ねしてやがるに違いねえんだ。>太:全部がそうとは言えませんが、大体は八つぁんの推察の通りでしょう。そうでなければ、いくらなんでも蔵が底を突くことなど考えられませんからね。>八:それじゃあよ、蔵に入ってくる筈のもんをきちんと入れさせりゃ良いんじゃねえですかい?>太:そうですね。そうすれば、両替商ごときへの借財など、熨斗(のし)を付けて返せます。>八:そうなりゃ、加賀屋と岡部屋が合わさるのも止められやすか?>太:そこまでは無理でしょうが、辞めさせられる人を減らすことくらいには、役に立つでしょう。>八:まあ良いか。指を咥(くわ)えて見てるより、なんぼか気が休まる。>太:ちょっと当たってみる価値はありそうですかね。店主が大福餅8個を盛ってやってきた。もうにこにこ顔である。>八:今度はやけに早えな。>店主:へい。なんと言いましても、主力商品ですので、いつも10個は作り置くことにしていますです、はい。>八:昨日のじゃあねえだろうな?>店主:勿論ですとも。1日置いておくと餅が硬くなってしまって、とてもお売りできない代物になってしまいますから。>八:そうかい。それを聞いて安心したぜ。それじゃあ、いっただきまーす。>太:ご主人。>店主:は? なんで御座いましょう?>太:半紙を2枚いただけますかな?>店主:はい、良う御座いますとも。硯(すずり)もご入り用で?>太:そうさな。それでは、太目の筆もお借りしましょう。太市は、紙と筆を受け取ると、さらさらとなにやら書き付けた。>八:なんて書きなすったんで?>太:「小金(こがね)餅3個にて4文、大金餅1個にて4文。但し、小人(こども)に限り小金餅2個にて1文」と書きました。いかがでしょう?>店主:「小金餅」とは?>太:ご主人、名はなんと申される?>店主:はい、金太で御座いますが、それが?>太:やはりな。屋号が「金太楼(ろう)」とあったからそんなところじゃないかと思いました。どうです? こういう風に品物に名前を付けると、少し高くなっても食べてみたいと思いませんか?>八:なるほど。おいら物凄く食いたくなったぞ。>熊:お前ぇには名前なんか関係ねえだろ。>八:だってよ、面白いじゃねえか。「大金餅」に「小金餅」だろ? 小金餅で良いっていう控え目なとこなんか洒落(しゃれ)が利いてるじゃねえか。>熊:お前ぇに洒落なんか分かる筈がねえじゃねえか。>八:おいらだから分かるんじゃねえか。ねえ、太市の旦那?>太:まあ、そういうことにしておきましょう。・・・ご主人、丸に「金」かなんかの焼き鏝(ごて)でも誂(あつら)えて、大福や饅頭に捺(お)せば、箔も付くと思いますよ。>店主:ですが、それでは儲(もう)け過ぎでは御座いませんか?>太:なんの。これでも安過ぎるくらいです。評判が良くなったらほんの少し値上げすると良い。>店主:そ、そんな滅相もないことで御座います。それ以上高くしたら罰(ばち)が当たります。>三:それにしても、太市の旦那。達筆でやすねえ。>四:文士をしてらしたんだから、筆遣いは慣れたものなんでしょうか?>太:文士だからということではありませんよ。文士には悪筆の者も沢山います。若い頃に良い師匠に付いて手習いしましたからね。>四:なるほど。昔取った杵柄ですね? ・・・おや?>八:どうかしたのか?>四:「饅頭」の饅の字が違ってます。・・・ほらね、鰻(うなぎ)になってるでしょう?>太:あいや、これは失態。昨日、水道町の鰻屋に飯を食いにいって、「土用の丑の日は鰻」というのを10枚も書かされたもので、つい。手が癖になってしまったのですかな。書き直しましょう。済みませんが、半紙をもう1枚ください。>店主:恐れ入ります。今すぐお持ちします。・・・あ、そうだ。その書き損じなのですが、そのままいただいても宜しゅう御座いますか?>太:しかし、書き損じでは意味をなさぬでしょう?>店主:今思い付いたんですが、鰻の頭を擂(す)り潰して、饅頭の粉に練(ね)り込んで売れば、梅雨の季節の売り物になるのではないかと・・・>太:ほう。それは奇抜ですね。気を惹(ひ)かれそうな饅頭です。>八:親爺、もしそいつが出来上がったら一番に食わして貰えるかい? なんてったって考えの元はおいらたちなんだからよ。>熊:太市の旦那だけだろ。おいらたちはなんにもしちゃあいねえ。>八:みんなで一緒にってことにしといでも良いでしょう? ねえ、太市の旦那?>太:良いですよ。それじゃあ、締(し)めて80文、波銭10枚ずつを八つぁんと2人で払いましょうか?>八:そ、そんなに高かったでやすか?>店主:42文です。9の9の24ですから。>太:良いではないですか。値段を決めてしまったのは私ですから、私が一番最初にその代価でお支払いしませんとね。>八:おいらがその半分でやすか? だって、40文ってったらこれまでの値段の6人分と2文しか違わねえじゃねえですか。>太:はっは。わたしが全部持ちますよ、安心してください。>八:ほんとでやすね? ・・・ふう。身包(みぐる)み剥(は)がされるかと思ったぜ。>太:そこまで大袈裟に言わなくても良いでしょう。>八:とんでもねえ。飲み代(しろ)より余計に銭を使うってことは、おいらにとっちゃ、身を切られるのとおんなじくらい辛いことなんです。おいらこれまで、一度としてそんなへまをやらかしたことなんかねえんです。それが真逆(まさか)こんな饅頭屋でやらかすことになってたら、もう死んでも死に切れねえ。>熊:もっと増しなことで、生き死にを考えて呉れってんだ。
2008.01.04
コメント(0)
『好事(こうじ)魔(ま)多(おお)し』 『好事魔多し』良いことには、兎角(とかく)邪魔が入り易いものだ。類:●魔障多し●月に叢雲花に風●寸善尺魔出典:通俗要(つうぞくよう) ・・・調査中。出典:琵琶記(びわき) 中国元代の詞曲。42幕。高明撰。妻を残して上京した蔡?(さいよう)は進士試験に首席で合格し、宰相(牛僧孺)の娘婿となる。郷里の妻は琵琶語りとなって夫を探しに苦労して上京。新夫人の計らいで大団円を迎える。南曲の傑作と評され、北曲の「西廂(せいそう)記」と併称される。*********加賀屋煎兵衛は、自分のお店(たな)が危ういなどとは夢にも思っていなかった。番頭の宗右衛門からは、「万事(ばんじ)恙(つつが)無く」との報告しか来ていなかったのである。それが、大口の取引先だった岡市屋の夜逃げで、あちこちにあった綻(ほころ)びが、次々、穴となって現れたのである。洋々たる将来を信じて疑わなかった加賀屋は、冷水を浴びせられたように立ち竦(すく)んだという。>太:坂道を転げるようだとは良く言ったものです。あれよあれよという間に悪い噂が立って、お客は離れる一方。とても引き止めることなどできませんでした。>八:岡市屋みてえに夜逃げしちまえば良いじゃねえですか。ねえ?>太:そりゃあ、その方が幕府としても有り難いことですよ。ですがね、店主1人の損得を考えると、お上に繋(つな)がっていた方が得だということのようです。>熊:雇(やと)われ人はどうでも良いってことでやすかい?>太:まあ、そういうことでしょうな。>八:でもよ、客に逃げられちまったんじゃ、1年と持たねえんじゃねえですかい?>太:そうでしょうな。・・・但し、お上が何某(なにがし)かの借財を返せば話は別です。直々(じきじき)に面倒を見たとなれば、逃げた客も戻らない訳にいかないでしょう?>八:預けるだけの銭を持ってる奴なんかいるんですかい? こんな不景気な世の中に。1朱(約5千円)や2朱じゃ高が知れてるでしょ? そんなんじゃ、もう持ち直すのなんて無理なんじゃねえですかい?>太:八つぁん、両替商というところはね、預かることで儲(もう)けるんじゃないんです。貸して儲けるんです。それと、相場ですかね。>八:米相場でやすかい?>太:米もそうでしょうが、金とか銀、場合によっては大豆だって売り買いしますよ。>八:そんなことやってるんでやすか? おいらちっとも知らなかったぜ。>太:相場などという目に見えないものを遣り取りするのなんて、健全じゃありませんよね。>熊:必ず儲かるってんならいざ知らず、そんな博打(ばくち)紛(まが)いのことを、良くやりますよね。>太:それがね、然(さ)る筋からの確かな内情さえ取っておけば、大きく負けることはありません。大店は、その内情を聞き出すために大枚(たいまい)を叩(はた)くのですよ。>八:そんなことやってるんでやすか? おいらちっとも知らなかったぜ。・・・と言っても、大工風情(ふぜい)が相場のことなんか知ってても仕方ねえんでやすがね。>熊:そして、割りを食うのは、いつだって真面目(まじめ)にこつこつ働いてる正直(しょうじき)もんって訳だ。そこへ店主が、一口大の大福餅18個を盛った大皿を持ってきた。確かに手は込んでいるが、2つや3つでは腹の足しになりそうもなかった。食った気がしないから客にとっては不十分で、これだけ積み上げてもたったの9文(約180円)では売上げにも不十分である。>八:3つくらいじゃ、なんだか食った気がしねえな。>五六:八兄い、そいつは4つ目でやすぜ。割当てより多いじゃあありやせんか。>八:良いじゃねえか。兄弟子に1個ずつ余計に食わしたって罰(ばち)は当たらねえぞ。>五六:そりゃあねえですよ。食った気がしねえのはあっしらだっておんなじでやしょう?>四:まるで加賀屋の主(あるじ)みたいなやりようです。>三:真面目に働いてるおいらたちばっかりが割りを食うんでさ、まったく。>八:五月蝿(うるせ)え。これっぽっちの大福のことでがたがた言うんじゃねえ。>熊:がたがた言ってるのはお前ぇの方だっての。>太:ははは。・・・なんだか、八つぁんを見てると、ものごとを難しく考えるのが馬鹿らしくなってきます。>八:そうでやしょう? 世の中なんか、案外分かり易いもんなんでやすよ。>熊:半(なか)ば呆(あき)れ返られちまってるのが分からねえのか、こいつは。>八:そうそう、太市の旦那、もう一方の岡部屋の方はどういう事情なんで?>太:似たり寄ったりですよ。先ず角屋(かどや)がお手上げとなり、朝野屋が傾いて、果ては富籤(とみくじ)の上がりの横流しまで露見する始末で、二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなってしまったのです。>八:富籤ですかい?>太:一時は富籤の利権でほくほく顔をしていたんですがね。良いことはそう長くは続きませんね。それにしても、庶民の夢を悪いことに使ってはいけませんね。・・・兎も角、やっぱり同じようにお客が逃げてしまいました。>八:ふうん、どいつもこいつもあくどいことしてやがるんですねえ。銭を持つと碌(ろく)なことを考えねえ。いっそのこと両方ともすっからかんにしちまった方が良いんじゃねえんですかい?>太:そうしたいのは山々ですが、無理な相談というものでしょうね。>八:どうしてですかい?>太:召し上げにしたところで、食いっ逸(ぱぐ)れないほどの貯(たくわ)えを持っているのですよ。むしろ、食いっ逸れるのは、雇われ人たちだけなのです。加賀屋や岡部屋は、その気さえあれば、またどこかで別の暖簾(のれん)を出せるのです。>熊:元の木阿弥でやすか。>八:いや、食いっ逸れが出る分、元に戻る訳じゃねえ。>太:昔「棄捐令(きえんれい)」という、札差(ふださし)を抑えるお触れを出したことがあるんですが、結局泣きを見たのは札差ではなく、旗本や武士でした。幕府はそれ以来、札差や両替商に対しては、思い切ったことができんのです。>八:それじゃあよ、お上ができねえんなら、おいらたちがやってやったらどうだ?>熊:冗談言うなっての。お上にできねえことをなんでお前ぇができるってんだ? そもそも何をどういう風にやるってんだ?>八:さあ。>熊:「さあ」じゃねえよ。言い出したのはお前ぇだろう?>八:ちょいと口が滑っちまっただけだ。・・・でもよ、みんなで寄って集(たか)って考えたら、何か良いことが思い浮かぶんじゃねえか?>熊:加賀屋と岡部屋の頭をぽかりとやる、なんて言い出しやがるんじゃねえぞ。>八:そんなことじゃなんにも変わらねえって、今太市の旦那が言ったばっかりだろ? 耳でも悪いのか?>熊:だから、手出ししようなんて考えるなってことだろうが。>八:うーん。でもよ、なんだか見てるだけってのは、あんまり情けねえじゃねえかよ。>熊:そりゃあそうだが、町人には町人の分(ぶん)ってもんがあるだろう。見てるしかねえのさ。悔しくてもな。「うーん」と唸(うな)りながら、八兵衛が大福に手を伸ばした。「5個目ですぜ、八兄い」と、五六蔵に窘(たしな)められたが、耳に届いてないらしく、ぱくりと口に放り込んでしまった。>八:ねえ、太市の旦那。左団扇で悠々と暮らしてきた大店の主が一番嫌だと思っていることってなんでやしょうね?>太:それは、貯えを全て失うことでしょうね。銭金に任せて良い思いをしてきた者は、一文無しの自分の姿など、恐ろしくて想像だにしたくないでしょう。>八:何かそいうことってできやせんかね?>太:さあねえ。武家なら、悪さをしたらお取り潰しということにするのでしょうが、そういうお家は悲惨なものですから。藩主は切腹、ご家中は浪人生活。特に家族を抱えた下級武士などは、1月も食い繋(つな)げずに首を括(くく)るようです。>八:ここでも、下々のもんが割を食うんでやすね。あーあ、世の中どうなってんだか。「まったくねえ」と言いつつ、6個目を頬張った。五六蔵も、今度は諦(あきら)めたらしく、空(から)になった皿を見ながら溜め息を吐(つ)いただけだった。>熊:加賀屋と岡部屋が一緒になるってのはもう止められねえんでやしょう?>太:止められません。少なくとも、お上は口出しできないのです。>熊:肝心なとこは、首にされるもんが沢山出たときにどうするか、なんじゃねえですか?>太:しかしねえ、幕府の蔵には普請事業のためどころか、大奥の女官の着物を買う金子(きんす)さえないのです。これほど逼迫(ひっぱく)しているとは思いませんでした。>熊:ご老中とか偉い人たちは、いったい何をやってたんですかねえ。>太:相手が上様では、何も言えないということです。>八:言えなかったんじゃなくって、言わなかったんでやしょう? おいらが言ってやったじゃないですか。それでも直ってねえんでやすか?>太:遅かったのですよ。もう手が付けられない状態でしたからね。>八:「遅かった」で済ましちゃ駄目じゃねえですか。罪人だって心を入れ替えるし、大工だって失敗すりゃ作り直しやすぜ。一国の主が間違いをやらかしたんなら、自分から先に立って、目刺しだけの飯を食えってことでやすよ。>太:そうですな。上様も「倹約令」をご自分から破ったのですから、少しは苦労していただかなければいけませんな。>八:加賀屋の頭をぽかりとやるのはなんてこたぁねえんでやすが、もっと大元をなんとかしなきゃ駄目みたいでやすね。>熊:「なんてことねえ」か?>八:尤(もっと)も、頭をぽかりとやったくらいじゃ、心を入れ替えそうもねえけどな。銭の亡者(もうじゃ)ってのは、まったく始末に負えねえな。そこへ、一口大の饅頭が18個、皿に盛られて出されてきた。八兵衛が飛び付こうとする前に、五六蔵が、2尺(約60センチ)ばかり、皿を太市の方へ引き寄せた。
2008.01.03
コメント(0)
『後悔(こうかい)先(さき)に立(た)たず』 『後悔先に立たず』既にしてしまったことは、後から悔いても、もう取り返しが付かない。類:●覆水盆に反らず●It is too late to lock the stable when the horse has been stolen.馬が盗まれてから馬屋に鍵を下ろしても遅過ぎる●A good thing is known when it is lost.なくして初めてその価値が分かる<「英⇔日」対照・名言ことわざ辞典>*********「まったくよく降りやがる」と、つい愚痴(ぐち)ってしまいたくなるほど連日の雨である。「大工殺すにゃ刃物は要(い)らぬ」などという軽口(かるくち)が、合い言葉のように口にされる始末である。>八:なあ五六蔵、今年は例のやつやらねえのか?>五六:例のやつって言いやすと?>八:梅だよ梅。青いやつ。>五六:そんなことするもんですか。お三千が卒倒(そっとう)しやすぜ。>八:なんだ、詰まらねえ。お前ぇみてえな頑丈なやつは、偶(たま)に寝込むくらいのが良いんだがな。>五六:手前勝手なことばっかり言わねえでお呉んなさいよ。そうでなくたって、近頃は、お三千に小言を言われっ放しなんでやすから。>熊:なんだ? お三っちゃんでも小言なんか言うのか?>五六:気が付かなかったんでやすかい? 足が不自由な分、輪を掛けて口が達者ときてやす。「むさ苦しい男ばかりが集まって井戸端会議みたいなことしてるんじゃないでしょうね」なんて言われるこっちの身にもなってくださいよ。>熊:こいつは耳が痛(いて)えな。>五六:早く帰りゃあ「道具が泣いてるわよ」でやすよ。そんでもって、飲んで遅くなったら「お銚子2本分くらいの働きしかしてないんでしょう」ですぜ。>熊:止して呉れよ。まるでおいらが言われてるみてえじゃねえか。>五六:そんなつもりじゃあ・・・>熊:分かっちゃいるさ。こんなことをやって、無駄話してるって訳にもいかねえなってことよ。せめて飯代分くらいのことはしねえといけねえな。>八:何をしろってんだ? 人足(にんそく)仕事でも探せって言うのか? ・・・おいらは ご免を蒙(こうむ)るぜ。>熊:誰がそんなことしろって言うかよ。そんなことしたら親方の顔を潰し兼ねねえじゃねえか。修繕仕事かなんかがねえか聞いて回るとか・・・>八:御用聞きしろってのか? 冗談も程々にしろってんだ。>熊:それじゃあ、今日もこのまんまここ油を売ってろって言うのか?八兵衛は最後まで渋っていたが、三吉と四郎が率先して聞いて回るというので、「お目付け役としてなら」と条件を付けて、重い腰を上げた。>八:なんでも良いからどっかに揉(も)めごとでも落っこちてねえかなあ。>熊:止せってんだ。いつかだってほんとに揉めごとが起こっちまったじゃねえか。おいらはもう懲り懲りだからな。>八:そんなにしょっちゅう起こって堪(たま)るかってんだ。そんな面白い世の中だったら、大欠伸(あくび)しながら三吉の後なんかくっ付いちゃいねえ。>熊:そうあって呉れりゃ良いんだがな。と、小糠雨の中を傘も差さず、笠も被(かぶ)らず、思案顔で辻を曲がってきた者がある。銚子1本の酒で赤くなるという、あの太市である。いや、坂田様と呼ぶべきか。>八:おや、太市の旦那じゃねえですか?>太:おお、これは八つぁんに熊さん、皆さんもお揃(そろ)いで。こんな雨の日に仕事ですか? 精が出ますねえ。>熊:いえね、雨続きで、商売上がったりなもんで、御用聞きにでもと思いやして。>八:太市の旦那こそ、雨だってのに笠もなしで、どうかしたんでやすかい?>太:ああそうでしたね。ちょっとばかし考えごとをしてたもので、すっかり忘れてました。>八:考えごとですかい? ・・・もしかして、面倒なことでやすかい?>太:うーむ。事情はかなり込み入っているな、確かに。>八:そうですかい。こりゃあ良い。・・・雨ん中、立ち話もなんですから、そこの団子屋で茶でもどうですかい?>太:そうですな。考えてばかりでも埒(らち)が明きませんし、ちょっと息抜きしましょうか。>八:序(つい)でに、どんな話だか聞かせてくださいよ。>熊:こら八、そんな話をおいらたち下々のもんが聞いたって、仕方がねえじゃねえか。首を突っ込もうなんて魂胆なら止(や)めとけ。>八:聞くだけだって。大工のおいらたちに何ができるってんだ? 相場だの金回りだのってことだろ? 勿論(もちろん)聞くだけに決まってんじゃねえか。うん、聞くだけだ。>熊:お前ぇがそういう言い方をするときが、一番始末が悪いの。五六蔵たちも、兄弟子に従うように団子屋へ入った。閑古鳥が鳴いていたところへの6人もの客に、主(あるじ)はぱっと顔を輝かせた。前掛けごと揉み手しながら注文を聞きに来た。目指す相手は、一番身形(みなり)の良さそうな太市のところである。>太:ちょっと長居するかもしれないから、一先(ひとま)ず1本ずつ持ってきてお呉れ。>亭主:旦那、申し訳ありませんが、うちでは3本ずつしかお出ししてないんですよ。6人前で宜しゅう御座いますね?>太:それでは、2人前いただこう。それなら良いですね?>亭主:そ、そうですか? お茶も2人前ですよ。>太:茶などいくらでもあるでしょう。人数分出してください。>亭主:ですが、うちの決まりでして・・・>太:そうか。折角座ったんですが、仕方がない。それでは河岸(かし)を替えるとしましょう。>八:太市の旦那、団子を1本も食わずに出ちまうんですか? 食いてえなあ・・・。>太:主(あるじ)、客の足下を見るようなことをすると、一文も儲(もう)からずに終わりますよ。2皿ずつくらい取ろうと思ったので、3×6(さぶろく)18の、倍の、36本分損という勘定です。生憎(あいにく)でしたね。でも、良いことを学びましたね。せいぜい稼(かせ)いでくださいね。・・・さ、余所(よそ)へ参りましょう。団子屋の亭主は、ぞろぞろと出て行く6人を見送りながら、ぽかんと突っ立っていた。一行は斜(はす)向かいの甘味処に入った。こちらの店主は、予め人数を確認してから6つの湯飲みに茶を注いで持ってきた。脇の下に手拭いも6本抱えてきていた。>店主:お出でなさいませ。まず、濡れたお召し物をお拭きください。・・・それにしても、良く降りますなあ。こう人通りが少ないと、唯でさえ客の少ないうちなんかは、逆に干上がってしまいますよ。・・・ええと、何になさいます?>太:ちょっと長居になるかもしれないから、間の持ちそうなものはありますかね?>店主:そうですね、一口大の大福餅なんてものを作ってみたんですが、いかがですか? さもなきゃ、一口大の薄皮饅頭もありますが。>太:ほう、それは手間が掛かりそうですね。>店主:へい。手間ばっかりで、その割りに儲けが少のう御座います。もう、かつかつです。>太:幾らで売ってるんですか?>店主:へい、2つで1文(約20円)です。普通の大きさのは1つ3文ということにしています。>太:2つ1文では手間賃も出ないでしょう? 普通のにしたって3文では払い難(にく)かろう。どうせなら、どちらも波銭1枚(4文)ということにしてしまった方が、却(かえ)って良いのではないでしょうか?>店主:1文銭1つ握り締めてくる子供たちのことを考えますと、中々・・・。商(あきな)いが下手(へた)なんでしょうかねえ?>太:そうかも知れませんね。向かいの団子屋では3本1皿だそうです。幾らで出しているかは聞きませんでしたが。・・・まあ、お節介はこれくらいにして、小さい大福と小さい饅頭を18個ずつ2回に分けて出していただけますか?>店主:そんなにたくさんで良う御座いますか? これは久方ぶりの大商いです。>太:「大商い」がたったの18文ではねえ。うーむ。それでも、店主はいそいそと奥へ引っ込んでいった。暫(しばら)く考え込んでいた太市が、やっとお茶を啜り、徐(おもむろ)に思案の訳を語り始めた。髪の毛はまだ濡れたままである。>太:皆さんにはあまり関わりのない話かもしれませんが、加賀屋と岡部屋というのはご存知ですよね。>八:当たり前じゃねえですか。どっちも立派な両替商でやしょう? そんなのそこいらの子供だって知ってますぜ。>太:そうでしたな。聞くだけ野暮というものですね。・・・実はですね、今、どこの両替商も左前で危ないのです。>八:だって、景気が悪けりゃ、みんな両替商に借りに行くんでやしょう? 儲かってるんじゃねえんですかい?>太:借りたい人は沢山いますよ、確かに。ですが、貸し倒れが怖くて、おいそれとは貸せんのです。事実、両替商の帳簿には赤い線で消したところが山ほどあるのですよ。>八:へえ、そいつは知らなかったな。>五六:でもよ、旦那、大店なんだから、ちゃんと利子を払って呉れる大口のお客だって沢山あるでやしょう?>太:それはそうです。それに、誰も好き好んで夜逃げする訳ではありませんからね。あとほんの10両借りられれば潰れずに済んだお店(たな)だって、少なくありません。>八:なんだよ。そんなら、潰れそうなところに追加で貸してやりゃあ、踏み倒されずに済むんじゃねえか。>太:それができんのです。>八:なんででやすか?>太:貸したからといって必ず持ち直すとは限らないからですよ。そうでしょう?>八:そんなら、必ず持ち直すように、情けを掛けてやりゃあ良いじゃねえか。そうすりゃ、間違いなく銭を取りもでせるでやしょう?>太:そうですな。まったく、八つぁんの言う通りです。・・・でも、肝心なときにそれができなかった。気が付いたときには、自分の尻に火が点(つ)いていたということです。もう取り返しは付きません。>八:まったくよ、算盤勘定が巧い癖に、情を持つことができねえなんてな。お天道(てんと)様も黙っちゃいねえってことでさあね。>太:そういうことですね。それで、情のないそいつらが考えた苦肉の策というのが、2つのお店の合併ということなのです。>八:駄目なとこが2つ併(あわ)さったからって、おんなじでやしょう?>太:それがそうでもないのです。雇い人を大幅に辞めさせることができるんです。>八:首ですかい? こりゃまた、一番情のねえことじゃあありやせんか。>太:まったく。「相手方の店主の意向だから」とかなんとか言って、良心の呵責(かしゃく)もなくばっさりばさっさり辞めさせる訳です。>八:そりゃあ酷(ひで)え。2人の店主は?>太:そのままですよ。どっちかが上になってどっちかが下になる。それだけです。>八:そんなのお上の力で、ぶっ潰しちまえば良いじゃねえですか。>太:それが簡単にできないから困ってるんですよ。なにしろ、一番たくさん借りているのが、他でもない幕府なんですからね。そして幕府は、あわよくば踏み倒そうと、密かに目論(もくろ)んでいるのです。>八:なんだそりゃ? それじゃあ、まるでお話にならないじゃあねえですか。
2008.01.02
コメント(0)
新年明けましておめでとうございます 今日は朝からいい天気で気持ちがいいなー 穏やかな新年を迎えたよ さー 今年も頑張っていくぞー 昨年は言葉のお薬からの引用や、諺等をかき集めて 自分なりの体の健康、心の健康を目指してきました それでは今年最初の自分なりのためになる言葉、引用の始まりー------------------------------------『いつまでも健康でいたければ、 食事は腹八分で抑えるようにしましょう。』 不適切な食習慣の多くは、子供の頃に身につくものです。私たちは、 出されたものは全部食べるように躾られてきました。しかし、大人に なると代謝機能が変化し、必要とする栄養素も大きく変わってきます。 身体が十分に成熟すると、身体に栄養を与えるために必要なカロリー はぐっと減り、余分なカロリーは脂肪として体内に貯えられてしまう のです。だから、成長が止ると、太り始めるのです。 食事の量を抑えて、食べるのを腹八分でやめ、これまでよりもよく噛 んで食べるようにしましょう。良い食事相手も必要です。楽しく会話 をしながら食事をすると、食べ物から気を逸らすことができるだけで なく、その食事のひとときを“心の糧”とすることができるのです。------------------------------------- 『有名人の中には、自分では絶対に買わない商品のコマーシャルに 高額の報酬で出ている人がいます。』 そのようなコマーシャルを見る場合は、他のどんな時にも増して、 常識を働かせながら正しい判断を下すことが大切です。 私たちは、誇大宣伝やそらぞらしい約束事に囲まれて暮らしています。 コマーシャルの出演者たちは報酬をもらっているので、あなたが憧れ る有名人も、時には、自分では買いたくもない商品の宣伝者になりま すが、それでも、一般の人たちに対してその商品を買うように説得し ていることについて、良心の呵責をあまり感じていないのです。 そういうわけですから、食物のことに関しては、何を食べるか自分で 決めることです。あなたに何かを売ることによって利益を得ている人 に影響されてはいけません。食品会社は、消費者が自分で商品購入の 判断をできるように、製品の内容を明確に表示することが法律によっ て義務づけられています。熱心な“ ラベル読み ”になりましょう。-------------------------------------- 『熟した果物と生野菜に関しては “ 食べすぎ ” ということはあり得ません。』 人間は、進化したことで身体の健康に最適な食物を食べることに、 喜びを見出すことができなくなったのではありません。人間の消化器 官が、身体の健康に最適な食物を効率的に消化できるような適応を、 してこなかったのです。 例えば、肉やその他の消化しにくい食物を消化するためには、おびた だしいエネルギーが必要です。そのため、本来ならもっと建設的な事 柄の遂行に向けられるはずのエネルギーが、消化に向けられてしまい ます。 しかし生野菜や熟した果物については、実際のところ“ 食べ過ぎ ” ということはあり得ません。なぜなら、そのような食物はほとんど脂 肪分を含んでいないため消化されやすく、栄養分はすぐにエネルギー へと転換されるからです。------------------------------------------ 『車を調子良く走行させるには、何を供給すれば良いのか お分かりのはずです。同様に、健康を保つためには何を食べれば 良いのか、ということを学びましょう。』 自動車であれば、それがどんな具合に動くのか、調子良く動かすには どんな点検が必要なのか、といったことを知ろうと徹底的に調べるは ずです。ところが、自分の身体のこととなると、一番大切なものであ るにもかかわらず、あまり注意を払わないものです。 しかし決して遅すぎることはありません。身体のことについて書かれ た本は何百種類もあります。 知らなければいけないことについて学び、摂生に努めれば、健康は保 たれるのです。---------------------------------------『頭痛を治そうとするより、 頭痛の種を取り除いたほうが良いのです。』 身体に何か異常を感じたら、何はともあれすぐに医師に診てもらいま しょう。ただし、病気の多くが、実は自分で管理の可能な事柄が引き 金となって生じることも覚えておきましょう。薬や処方箋なしで買え る薬の多くは、このような病気のために売られているのです。 頭痛、胃の不調、筋肉痛、無気力などといった症状は、自分の身体の 要求や心の問題を無視していることの表れなのです。 不安の原因になっている、心配事の処理を一日延ばしにしていないか どうか、よく考えてみましょう。 身体を調子良く、活力に満ちた状態に保つために身体が要求している 運動をきちんとしているかどうかチェックしてみましょう。 どんな逆境にいたとしても、すぐに行動を起こして問題の原因を突き 止め、努力してそれを改めることが大切です。そうすれば、あなたの “ 明確な目標 ”を追求するためのエンスージアズム(熱意)と活力 がまだまだたくさんあることに気がつくはずです。 ------------------------------------- -『旺盛すぎる食欲は、概して健康には結びつかないものです。』 食物が関係する病気の多くは、食べ過ぎから生じます。食物や飲み物 は、摂りすぎるよりも摂取量を控え目にする方が絶対に良いのです。 それは、糖分を含んだ食物に関して特に言えることです。 甘いものを完全に断つことができなければ、少なくとも週に1回とか 2回とかに抑えましょう。 人間の身体は、最低限のエネルギー量で、機能する仕組みになってい ます。砂糖を含んだ甘い食物は、常習的に摂取しないよう習慣づけま しょう。-----------------------------------『“ 時 ”は、最も偉大な医者です。チャンスを与えられたなら、 人が苦痛を訴えるような病気はたいてい治してしまいます。』 だからと言って、身体の異常を無視して良い、という意味ではありま せん。身体に異常を感じたら、原因をできるだけ早く突き止め、治療 のためにすぐ行動する必要があります。 しかし時には、緊張や痛みが伴う場合もあります。頭が爆発しそうな くらい頭痛がひどかったり、何を食べても胃が受けつけなかったり、 耐えられないほど背中が激しく痛む、などといったこともあるでしょ う。単なる緊張が原因なら、それを治す方法として、月並みではあっ ても簡単で効果的なのが、“ リラックスすること ”です。 緊張を解しながら楽しいことをじっくり考える時間を毎日取りましょ う。さらに、毎週、数時間、のんびりと楽しめる時間を取れば、あな たを悩ます問題の解決に驚くほどの効果をあげ、失ったと思っていた エネルギーや物事を把握する力を取り戻すことができることでしょう------------------------------------『家を建てる人は、家を壊す人よりも、 常に多く報酬を受け取ります。』 どんな仕事でも、他人の作品を破壊するよりも、何か価値のあるもの を創り出すほうがはるかに高度な技能と意欲と根気を必要とします。 また、―― 誰でも手に入れることのできる普通の素材から ―― 美しいものを創り出すのに必要なヴィジョンと技能は、作品を壊すだ けという単純な労働に比べ、はるかに大きな報酬に値するのです。 あなたは“壊す人”ではなく、物事やアイディアを“構築する人” “創り出す人”にならなければいけません。 それは心構えの問題です。クリエイティヴで想像力に富んだアイディ アを追求する習慣や、昔ながらのやり方で行われている物事について、 もっとうまく実行する方法を見出す習慣を身につければ、あなたは “ 創り出す人 ”になれるのです。-------------------------------------- 『戦いに勝てなかったとしても、 ほほ笑むことぐらいはできるはずです。』 アーネスト・ヘミングウェイ[訳注]は、勇気について、 “ プレッシャーの下での大らかさ ”と表現しています。負けても優 れたスポーツマンシップを示すことができれば、仲間からの注目を集 め、次の勝利を誓う最初の一歩を踏み出すことになるのです。 一時的にあなたを負かした相手に「おめでとう」と笑顔で声をかける こともできないほど、自分自身や事態を深刻に受け止めてはいけませ ん。まず相手の健康を願い、それから自分自身のスキルを高めて戦い 続けるための努力を、再び始めるのです。 [訳注]アーネスト・ヘミングウェイ(1898~1961) 米国の小説家。1954年ノーベル文学賞授賞。------------------------------------ 『病気の徴候を予感し始めたなら、 すぐに病気そのものが姿を現します。』 “ 心 ”には、実に信じられないほどの力があります。 心が身体に及ぼす影響力があまりに大きいので、新薬のテストのとき などは、比較対照のグループの人たちに、偽薬を投与して実験するの が標準的な方法になっているほどです。 実験の比較対照グループの人たちには、効果のある薬だと偽って実は 害のない薬を飲んでもらうのですが、効果のある薬を飲んだのだと心 から信じた人には、本物の薬を飲んだ時と同じような効果が現れるこ とがあります。 心が身体に及ぼす影響力をうまく利用して、健康に及ぼす影響をうま く利用し、積極的心構えで身体の摂生に努めましょう。 健康を維持するために必要なステップを踏んでいけば、あなたの心構 えも改善されるでしょう。そして積極的心構えが身につけば、あなた のライフスタイルは健康的なものになるのです。 この効果は健康な心が、身体の健康に良い影響を与え、また良い影響 を与えられた健康な身体は、心の健康に良い影響を与えるという、心 と身体の関係から生じるのです。------------------------------------ 『あなたの心が、あなたを病気にさせることができるなら ―― 実際にそれは可能なことなのです ―― 心があなたを健康に させることもできるのだ、ということを覚えておきましょう。』 健全な心を持っていなければ、健全な身体を持つことはできません。 また、身体の具合が悪ければ、積極的心構えを保つことは非常に困難 です。 働いた後は、遊びましょう。神経を使う仕事をした後には、身体を動 かしましょう。運動した後は、休んでリラックスしましょう。食事の 後は何も食べないようにしましょう。また、気を張り詰めた後には、 それをユーモアで解きほぐしましょう。
2008.01.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
