2013/11/14
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テーマ: 社交ダンス(8754)
カテゴリ: アートのはなし
子供のころからピカソというと『変な絵』の代名詞でした。

未だにキュビズムは理解出来ませんが、ピカソという人物を知れば知るほどその天才が深みをまして行くんですね。

こちらバルセロナにあるピカソ美術館。 2013年11月2日 に行きました。

入館料11ユーロ。今年開館50周年だそうです。


IMG_1302.jpg


パブロ・ピカソは1881年にスペイン南部マラガに生まれます。

父親が美術の先生だったこともあってか幼いころから絵を描いていて、親の仕事の関係で14歳でバルセロナへ移り住みます。

ピカソ美術館には彼の10代のときの作品が多く展示されているんですが、『変な絵』とはほど遠い、凡人でも分かるものすごく上手な絵ばかりでした。

たとえばこれは彼が14歳の時に描いた作品。


ベレー帽の男.jpg


『母親の肖像』(1896)
母親の肖像.jpg


そしてこれは当時の彼の『自画像』(1896)
自画像.jpg


16歳のときの大作『科学と慈愛』(1897)
科学と慈愛.jpg


マラガの展覧会で金賞、マドリードの展覧会で佳作を受賞したこの作品により、マドリードの有名校・王立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学することになりました。

でもピカソは学校になじめなかったんですね。折角いい学校に入ったのに学校へは行かずプラド美術館に通い詰め、ベラスケスの絵を模写することで腕を磨いて行ったんです。

そしてパリに移り、20代『青の時代(1901-1904)』が始まります。

『母性』(1903)
母性.jpg


こちらは『バラ色の時代(1904-1906)』の作品。

『ベネデッタ・ビアンコの肖像』(1905)
ベネデッタ.jpg


まだ、理解出来る範囲ですね。

ところが30代になると突然こんな感じになって来るんです。


Blanquita Suárez.jpg


フラメンコ踊ってるのかなくらいのことは分かりますよね。

第一次世界大戦中のこのころ、ピカソはバレリーナと結婚して、時々写実的な絵も描いていたようです。

『ハーレクイン』(1917)
ハーレクイン.jpg


本格的に『変な絵』になってきたのは1925年頃から。

『襟飾りと帽子を被ったジャウメ・サバルテスの肖像』(1939)
サバルテス.jpg







ベラスケスの名画もこの通り。

『ラス・メニーナス』(1957)
ラスメニーナス.jpg


落書きみたいに書きなぐった訳じゃないんです。これを描くために彼が研究した下書きみたいなもので一部屋埋まってましたから。

それにしても一番右側の人、かわいそうすぎますよね。線だもん。

ここに行き着くまでに力尽きたのかな。

ベラスケス(左側の巨人)が存在感あり過ぎ。左から右に向かって研究を進めたんでしょうかね。

ちなみにオリジナルは こちら




この絵に対するピカソの思い入れはたいそうなものだったに違いありません。

こんな感じでバルセロナのピカソ美術館では彼の変遷を見ることができます。

ハトばっかり描いてる部屋もありました。奥さんより鳩が好きだったという噂もあります。

『鳩』(1957)
鳩.jpg

娘にもパロマ(鳩)という名前をつけたくらい。

亡くなったのは1973年。

何となく気に入ったのはこの絵でした。

『マルゴット』(1901)
マルゴット.jpg


パリの女性なんでしょうね。なんだか イワ様 みたいで親しみがわきました。




バルセロナのピカソ美術館の公式サイトは こちら です。オンラインでチケット買うこともできます。









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Last updated  2013/11/14 06:03:34 PM
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