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僕は、恵まれていた。自分の進む道を、自分で選択する機会が与えられていた。選択するのは、自分自身だということも知っていた。孤独な道。不安な道。しかし、それは、自由な道だった。自分を生かすための、自分だけが通るための、気が遠くなるほど、自由な道だった。笑顔でなかったのは、つらかったからではなくて、真剣だったから、本気で、生きることを楽しんでいたからだった。さびしくなかった。苦しくもなかった。永遠に歩くことができる、楽しい道だった。やがて、、、、道の途中で、“夢”に出会った自分は、ようやく、心からの笑顔を人に見せることができた。そして、泣いた。夢を手に入れ、歩くことをやめた自分は、いつまでも、夢に寄り添って、泣いていた。
Sep 7, 2006
絶対に傷つけないなんて空虚な約束を僕はできない幸せにしてみせるよなんて傲慢な約束を僕はできない夢なら叶えられるさなんて儚い約束を僕はできない今の僕にできる唯一のことは 一歩を踏み出す 君を待つこと僕にしかできない唯一のことはありのままに歩む 君を待つこと傷ついても不幸せでも夢は遠くてもいつでも戻れる居場所があるならいつかは愉しい瞬間もあるかなと想ってくれる 君を待つこと
Apr 6, 2006
人間は考えるがゆえに記憶するがゆえに迷うがゆえに愛するがゆえに脆く危うい ------------- 羞恥心を感じていることをそしてそれを見透かされることにも羞恥心を感じて照れ隠しの行動に出てさらに恥をかいて自分を責めて後悔して言い訳してそんな自分が見透かされて救いようがなくなったときに心から救われる心 ------------- 勝つことだけに意味があるのか負けることには意味がないのかその過程が意味なのか目的とやらが意味なのかその両方に意味があるのかあるいは意味なんて考えずに行動していればそれでいいのか 生きていればそれだけで意味があるのか ------------- 天使も悪魔もしょせん神の支配下にある者たちましてや人間が善とか悪とか語ろうとするなんてなんと身のほど知らずの傲慢
Dec 7, 2005
今から、38億年前のこと。1つの生命が、地球上に誕生した。たんぱく質の泡が、でき損って生まれたような、小さな細胞。そんな、ちっちゃな生命でも、『独り』は淋しかった。だから、泡が2つに分かれるように、自分のコピーを作った。しかし、2つの泡が海流に流されて離れ離れになると、それぞれが、再び孤独を淋しがった。そして、それぞれが自分のコピーを作った。コピーたちも、海中に溢れる大量の有機物をもりもり食べて、どんどん自分たちのコピーを作った。しかし、いくらコピーたちが周りに溢れても、それらは、しょせん、自分のコピー。結局、この世界には『自分』しか存在しないという、孤独。淋しさは、消えることがなかった。そんな、あるとき、環境の変化が原因で、異常なコピーが生まれた。この初めての『他者』の誕生に、たくさんの『自分』のコピーは、狂喜した。この「異常」な他者は、「正常」な『自分』のコピーたちに、とても大切にされた。初めは1つだった『他者』も、自分のコピーを作り、増殖した。「異常」な他者も、数が増えるにしたがって、「正常」とみなされるようになった。やがて、『他者』が『自分』の中に入り込んで、第3の生命が生まれた。第1、第2、第3の生命体は、それぞれお互いがお互いの中に入り込んだり、触れたり、混ざったり、さらなる異常なコピーを作ったりしながら、数と種類を急激に増やした。原核生物から真核生物へ、単細胞から多細胞へ、菌類から植物へ、魚類から爬虫類へ、、、しかし。どんなに形が変わっても、どんなにコピーが増えても、遠い遠い昔、『独り』だった頃の淋しかった記憶は、どの生命体の魂の奥底にも、深く強く、残っていた。だから、生命は、自分のコピーを増やすことを止めなかった。同時に、できるだけ多くの『他者』を作ろうとする努力も、止めなかった。いくら増えても、『自分だけ』というのは、淋しい。この世界に存在するのが『自分』だけでないことを自分に言い聞かせるために、『他者』との間には、できるだけ大きな『壁』を作ろうとした。自分に近い者だけを愛し、自分と少しだけ違う者とのみ、交わることにした。他者を避けたり、ときには他者と争ったりすることで、自分が「独り」でないことを証明しようと努力した。しかし、それでも、『淋しさ』は、消えることがなかった。だから、あらゆる生命体は、必死に、もがいてきた。お互いを愛し、お互いを憎み、お互いを助け合い、お互いを殺し合うことで、自分の魂に厳然として受け継がれている淋しさを、どこかに昇華させようとしてきた。自分がこの世界に『独り』ではないことを証明するために。懸命に生きようとすることを、止めなかった。「今とは違う何か」になろうとすることを、止めなかった。自分とは少しだけ違うコピーを、作り続けることを止めなかった。そして、迷い続ける。何を愛し、何を避け、何から逃げ、何を助け、何を殺せばよいか、迷い続ける。命は、命であり続ける限り、迷う。そんな自分の魂の奥底の『迷い』に気づき、意識することができた最初の生命体。ヒト。 生命どうしが、お互いを愛し助け合うことを『美しい』と感じ、お互いを憎み殺し合うことを『醜い』と意識することができる生命体。しかし。ヒトも、しょせん、遠い遠い昔のちっちゃな生命体のコピーの集合体でしかない。だから、迷うことを止めない。淋しがることを止めない。懸命に生きようと、そして、時には、死のうと、することを止めない。愛することを止めない。憎むことを止めない。助け合い殺し合うことを止めない。他者に触れようとすることを止めない。他者との間に壁を作ろうとすることを止めない。何もかも、わかっていながら、止めない。命が、命である限り。止めない。
Nov 16, 2005
船が難破し、無人島に漂流して以来、5年。男は、退屈していた。毎日、山や海から食糧は豊富に採れるから、空腹になることはない。危険な猛獣や毒のある昆虫などもいない。一年中、気候も穏やかで快適。街に住んでいた頃から、孤独な生活にも慣れている。社会に戻っても、特に楽しいことがあるわけではないような人生だった。しかし、、、男は、ただ「文明」が恋しかった。何か、欠片(かけら)だけでもいい。自分以外の人間が作り出したもの。文明の欠片に、もういちど触れたい、、、、そう祈りながら、日々を過ごしていた。と、そんなある日。いつものように海辺で魚を捕っていると、一艘の小さなゴムボートが、島に近づいてくるのが見えた。人影も見える。男は、5年ぶりに目にする『文明の欠片』に、興奮を抑えきれなかった。やがてボートは岸に近づき、人がひとり、降りてきた。全身をウェットスーツに包んだ、これまで見たことがないほど、美しい女だった。「ずいぶん長い間、この島で暮らしているご様子ですね」と、女が尋ねる。嬉しさと感激が、極度の昂奮を男にもたらした。「な、なな、、、何か、持ってませんか?ちょ、チョコレートとか、タバコとか、、、」あろうことか、男は、いきなり、物をねだりはじめた。すると、女は、ウェットスーツのポケットを探ったかと思うと、中から、当然のようにチョコレートとタバコを取り出して、男に渡した。「あぁ、、、最高にうまい。こんな美味いものは、生まれて初めてだ」5年ぶりに味わう文明の味に、男は心から感激した。「もしよろしかったら、こんなものも、ありますけど?」と、女は、ウェットスーツの胸の部分に手を入れたかと思うと、紙に包まれたハンバーガーを取り出して、男に渡す。「こ、こんなものまで、、、もう、、、に、二度と食べられないと思っていた」男は、感激のあまり、ハンバーガーを食べながら涙をぽろぽろと流した。「ノドは、渇いてませんか?」「ま、まさか、酒なんか持っていたり、しないだろうね・・・?」すると、女は、ウェットスーツの中に手を差し込み、薄くて小さなウィスキーのボトルを取り出し、男に渡した。「うひゃぁー、ひさしぶりの刺激・・・・。い、生きていて、よかったぁ」「いいえ、幸せな気分に浸るのは、まだまだ、早いわよ」「え、、、、まだ、何か、そのウェットスーツの中に入ってるって言うのかい?!」「そう。この中には、『人生で一番の楽しみ』が、入っているの。。。。何だかわかるでしょ」思わせぶりな微笑をうかべながら、女は、ゆっくりとウェットスーツのファスナーを下ろし始めた。「ま、ま、まさか・・・・」男の昂奮は、最高潮に達した。「その中に、パソコンが入ってるって言うんじゃないだろうね!!」「・・・・・・・・・・・。」(←女)男は、ただひたすら、文明が恋しかったのだった。
Feb 17, 2005
彼女の日記:どうして、こんなに、かなしい気持ちになるのだろう。さびしい気持ちに、なるのだろう。あなたが、ときどき、わからなくなる。なんだか、とっても冷たい人間に見えることがある。わたしのことなんて、どうとも思ってない。たぶん、それが、あなたの本音?「また電話するよ。」と言う、その声は優しいけれど、それが本当に意味しているのは、『こっちから電話するまで、かけてくるなよ。』・・・・っていうこと。わたしは、どうしたらいいの。このまま、ただ待っていることしかできないの?あなたの本当の気持ちが知りたい。いつわりの優しさは、もういらない。彼の日記:40分間の電話。いつ聞いても可愛いと思う、彼女の声。「また電話するよ。」「うん、・・・・。」最高に幸せな、いま。“男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。” ―― 紀貫之「土佐日記」
Feb 11, 2005
実在した、ある少女の物語。 ------------------------------ ネルは、小さい頃から、人に対する劣等感と恐怖心にさいなまされながら育った。容姿に恵まれず、器量が悪いことで、いつも心を傷つけられ、惨めで恥ずかしい思いをしていた。「あんたみたいな醜い女の子は、誰の目にも止まらないわ。恋人なんて永遠にできっこないわね」と、よく姉妹たちにからかわれたものだった。ネルの家は、裕福な名門の家系で、母も、祖母も、叔母たちも、みんなニューヨーク社交界きっての美人ぞろい。しかし、どういうわけか家族の中でネルだけが不器量なので、彼女はそのことが恥ずかしくてたまらなかった。姉妹たちのような、かわいくて活発な女の子になれたら、どんなに幸せだろう、と思いながら少女時代を過ごした。洋服は、叔母たちの古着の仕立て直しばかり着せられた。運動神経がにぶく、ダンスやスケートの練習をしても、ちっともうまくならなかった。おまけに内気な性格のため、ダンス・パーティーのときも、いつも皆に取り残されていた。母親までが、「ネルったら、あんまり年寄りくさいので、みんなから『おばあちゃん』って呼ばれているんですよ」と訪問客に語っては、ネルを笑い者にしたものだった。母も、この陰気で鈍くさくて不器量な娘を、正直、うとましく思っていたのだ。ネルが8歳のとき、母は病気でこの世を去った。母が死んでからは、祖母に育てられた。ネルがこの世で誰よりも慕っていたのは父親だったが、ネルを引き取った祖母は、彼女を父親には会わせようとしなかった。父は、アルコール中毒で、どうしようもない飲んだくれだったからだ。その父も、彼女が10歳のときに事故で死んだ。そんなふうに、幼い心を傷つけられながら、孤独な少女時代をすごしつづけたネルは、やがて、「自分は醜くて、誰からも愛されない人間なんだ」と考えるようになった。 ・・・・・・ しかし、あるクリスマスの夜、そんな彼女の人生を変えるきっかけとなる出来事が起きた。パーティーでも仲間に溶け込めず、一人ぼっちで座っていた彼女に、一人のハンサムな青年が声をかけたのだった。「踊りませんか?」この青年の名は、フランクリン・ローズヴェルト。後に、アメリカ合衆国第32代大統領となる人物である。少女時代、「恋人なんてできっこない」とまで言われたネルだったが、20歳のときにフランクリンと結婚。そう。この「ネル」という愛称の女の子こそ、アメリカ合衆国の歴史上、最も偉大なファースト・レディとも言われるエリノア・ローズヴェルトその人だった。フランクリンとの結婚後、エリノアは、自分自身も政治活動家として大いに活躍した。政治家としての彼女は、女性、黒人、失業者、貧困層など、つねに、弱い立場におかれている人々に目を向け、彼らの話に耳を傾け、その社会的な地位の向上に力を尽くした。さらに、晩年には、「世界人権宣言」の起草にもたずさわり、その採択や、ユニセフ設立のために重要な役割を果たした。“この世の中で、不安や恐怖心ほど、人の心を弱らせるものはありません。 私は、自分よりはるかに不幸な方々を助けることにより、ついに自分自身の不安と恐怖心を克服したのです。” ―― エリノア・ローズヴェルト人の言葉に傷つけられながら、家族に愛されることをほとんど知らずに育った少女ネルは、いつも自分を「不幸な人間」だと思っていた。「不幸であること」の怖さ、悲しさを、身をもって知っていた少女は、大人になって、世界中のもっと不幸な人々の悲惨な生活を少しでもよりよいものにするために、生涯を捧げたのだった。
Sep 23, 2004
君はハイエナのように機を窺いながらゆっくりと僕の心の奥に入り込む食い散らかされた僕の魂を最後の一切れまで貪り尽くすためにどんなに心を固く閉ざしても君の鋭い歯と顎が僕の全てをさらけ出す誰も許さなかった場所にたやすく君は入ってくる未練に揺れる僕の魂の悔しさと淋しさと悲しさと虚しさとをざらついた舌でしっとりと癒すように
Jan 28, 2004
信じること。それは、あらゆるものの原動力。不可能を可能にする。人間の不思議な力を呼び覚ます。だけど、信じるだけでは、ときどき、落とし穴にはまる。立ち止まって、足下も確認しないと。 疑うこと。それは、あらゆる危険を教えてくれる。真実を知らせる。人を賢明にする。だけど、疑うだけでは、前に進めない。たまには、直観を信じて、まっしぐらに進もうよ。
Jan 27, 2004
今日という一日は、実に、感動の連続であった。喜怒哀楽のすべてが噴出する、心が激しい一日であった。 生きている心地に満たされた一日であった。 自分の中で、何かが終わると同時に、始まりの予感がした一日であった。
Jan 25, 2004
これは、恋じゃない 君が好きだというこの感情。これは、恋じゃない。恋はいつか醒めるけれど、僕の愛は、いつまでも醒めない。美しさに惹かれたわけじゃない。美は色褪せるけれど、僕の愛は、決して色褪せない。同情しているわけじゃない。同情は疲れるけれど、僕の愛は、疲れを知らない。約束しているからじゃない。約束には終わりがあるけれど、僕の愛に、終わりはない。打算に基づく、決断じゃない。打算には迷いがあるけれど、僕の愛に、迷いはない。言葉で表せる何かでもない。言葉には限界があるけれど、僕の愛に、限界はない。
Oct 25, 2003
秋というのに何だかやたら暑いので、今日は、ジョークを3つ。(←意味不明)---------------------------------日本を代表するビール会社の社長たちが一同に会して、店で飲んだときのこと。アサヒの社長は、当然のように、アサヒ・スーパードライを注文した。キリンの社長は、ラガーと少し迷った後、キリン・一番絞りを注文した。サッポロの社長は、長い時間をかけてエビスと迷った末に、黒ラベルを注文した。最後に、サントリーの社長は、遠慮深そうに、ソーダ水を注文した。当然、サントリー・モルツを注文すると思っていた他の3人は、不思議に思って尋ねた。「なぜ、モルツじゃなくて、ソーダ水なんて注文したんですか?」すると、サントリーの社長は申し訳なさそうに、答えた。「いや、皆さんが誰もモルツを注文しないものですから、、、、自分だけ“本当の”ビールを飲むのは悪いので、我慢することにしたんですよ」 --------------------------------- 一人暮らしをしている老人が、裏庭のジャガイモ畑を耕そうとしていた。しかし、年のせいで、鍬をふるう力がなかった。昨年までは、親孝行の一人息子が代わりに耕してくれていたのだが、残念ながら息子は今、刑務所に入っている。老人は、息子に手紙を書いた。「残念だが、今年はジャガイモが作れそうにない。お前さえいてくれたら、畑を耕してもらって、今年もおいしいジャガイモが実ったはずなのだが、わしだけの力では、どうにもしかたがない・・・・」数日後、息子から返事が届いた。「おやじ、裏庭の畑を掘ったらダメだぞ!そこは、オレが“ホトケ様”を埋めた場所だ。オレが務めを終えて帰るまで、裏庭だけはそっとしておいてくれ・・・・」手紙が届くのとほぼ同時に、地元の警察が数人やって来て令状を老人に示した後、裏庭の畑を隅々まで掘り返した。しかし、結局、“ホトケ様”は見つからなかった。警察は老人に謝り、去っていった。数日後、息子から手紙が届いた。「おやじ、もうジャガイモを植えてもだいじょうぶだよ。どうだい、土が柔らかくなっただろう・・・・」 ----------------------------------- 小学生の奈々は、先生とクジラについて話していました。先生は言いました。「クジラの喉はとても小さいから、クジラが人間を食べることはできないのよ」「でも、、、」と、奈々は言いました。「涼子ちゃんは、本当にクジラに食べられたんです」「そんなことは、科学的に考えて、ありえないのよ。クジラの喉は、人間を飲み込めるほど、大きくないんだから」「じゃあ、天国に行った時、涼子ちゃんに直接たずねてみることにします」すると、先生は、意地悪そうに言いました。「涼子ちゃんがもし地獄に行っていたら、どうするの?」奈々は、答えました。「その場合は、先生が聞いておいてください」
Sep 11, 2003
最近聞いて、ちょっと感動した実話。--------------------------------- 今から20年以上前のこと。カリフォルニア州の小さな町のゴルフ場で、一人の黒人青年が熱心に練習しているところへ、2人の白人が近づいて、言った。「ちょうどよかった。キャディを探していたところだったんだ」「オレは、キャディじゃない。ゴルフの練習をしに来ているんだ」と青年は言った。2人の白人は顔を見合わせ、笑いながら言った。「はははは、、これは失礼。では、ゴルファー君、クラブハウスでビールとタバコを買ってきてくれないか。お釣りは、君にあげよう」そう言って、1人が、20ドル紙幣を青年に渡した。青年は、クラブハウスに行く代わりに、紙幣を途中で捨て、家に帰った。そして、まだ幼かった自分の息子に、ゴルフを教え始めた。青年は、固く決意したのだった。“この息子を一流のゴルファーに育てて、あいつらを見返してやる。しかし、息子は一流になっても、決して、ゴルフの練習をしている青年をつかまえてタバコを買いに行かせたりするような人間にはならない。息子は、たとえプロになっても、一生懸命練習している他人を見下すようなゴルファーには、絶対にならない・・・・。”それから、毎日、毎日、父親の指導と訓練は続いた。やがて、息子は、成長するにつれて瞬く間にその才能を発揮し、20歳でプロになった。プロのゴルファーになった息子は、あらゆる大会で、勝ち続けた。マスターズ、全米プロゴルフ選手権、全米オープン、全英オープンを連続制覇し、世界ゴルフ史上で最も偉大なゴルファーと呼ばれるまでに成長した息子、タイガー・ウッズは、父に、初めてのトロフィーを捧げた。自分が揺りかごに寝ていた頃から、ゴルフ・クラブを与えてくれた父に。
Aug 14, 2003
うぬぼれ。傲慢。自信過剰。思い上がり。慢心。虚栄。不誠実。誤魔化し。欺瞞。ペテン。偽善。卑怯。恥知らず。臆病。見栄っ張り。低能。これらあらゆるコトバの類義語を、今日の自分に捧げよう。そして、全部、今日に置いていけ、自分。明日は、こんな自分にだけは、会いたくない。 絶対に、二度と、会いたくない。
Jul 26, 2003
誰でもよかった、と彼女は言った僕でなくても、よかったんだ、とそう僕がいなくても誰かが、彼女の話を聞いてあげただろう誰かが、いつも、彼女のそばにいてあげただろう誰かが、彼女の涙を、拭いてあげただろう誰かが、彼女の絶望を、幸福に変えることができただろう誰かが、彼女の笑顔を見るために、何の犠牲も惜しまなかっただろう僕は、、、その「誰か」になりたかっただけなんだ 誰でもよかった、のなら、僕でもよかった、はずなのだから
Jul 12, 2003
(前回のつづき)リクエストにお答えして、昨日の日記に登場した可哀相な子どもたちの質問に対する、ブッシュ大統領の回答(しそうなこと)を以下に掲載。--------------1.なぜ、ゴアよりも票が少なかったのに、大統領になれたのですか?まあ、君の言う通り、正確に数え直していたら、得票数では明らかにゴアが勝っ、、、(ゴホッ、ゴホッ)、いや、つまり、素人目には、ゴアが勝っていたように見えたかもしれないが、共和党支持の裁判官たちが頑張ってくれたおかげで、票の数え直しは、法的に、不必要ということになったんだよ。ちなみに、あの判決のときにも活躍した最高裁長官のレンキスト判事は、次期大統領選前のこの時期を見計らって、近々退職する予定だ。今なら、代わりを共和党の支持者で確実に埋めることができるからね。在職中もいろいろ協力してくれたし、身の引き方までも、すべて共和党のために尽くしてくれる実に信頼のおける人物だよ。(満面の笑み)2.なぜ、何の証拠もないのに、イラクを攻撃したのですか?それはね、私と、私の父が大好きな石油がたっぷりと出る国だからだよ。父が、湾岸戦争で果たせなかった夢を、とうとう自分が実現したわけだ。親子2代、実業家として石油で大儲けさせてもらったたばかりではなく、政治家としても、石油関連業界から、相当の「支援」を頂いてきたんだ。少しは恩返し、しないとね。これで、こっちの言うことを全く聞こうとしなかったあのひげ面の男もいなくなり、アメリカに大量の石油が安く入ってくることは確実になった。「国益」にも、かなうだろう?それに、「大量殺人兵器がある」とでも言わないと、アメリカ国民に戦争に賛成してもらえなかったんだよ。テロへの怒りと恐怖で国民がいまだ冷静さを失っている間に、ちょっとだけ、国民の恐怖心を利用させてもらっ、、、いや、つまり、国民の「平和への願い」に応えさせてもらったまでだよ。百戦錬磨のフランスやロシアは、さすがに騙せなかったが・・・日本などは、あんな出まかせの大義名分に、単純に乗ってくれたよ。あの国は、自国の安全と損得勘定だけを基準に動くからね。大量殺人兵器の『証拠』は、今も、国の威信をかけて、全力で、でっち上げようとして、、、いや、探しているところなんだ。3.なぜ、広島で史上最大のテロをした国が、テロを非難できるのですか?あの時も、日本が先に真珠湾を奇襲したんだから、悪いのは向こうさ。もちろん、アメリカは真珠湾のときも、世界貿易センターのときも、計画は事前に知っていた・・・いや、CIA の連中は、、、情報を掴んでいないこともなかった、と言うか、その、、、(マズイ、これは極秘事項だった。。)ともかくも、「ちょっと針で突かれたら、斧で相手の首を切断しなければどうしても気が済まない」というのが、アメリカ人の国民感情というやつだ。アラブやアジアの「悪者」たちの企みを、いかにうまく逆利用してアメリカ国民の復讐心を操れるか、、、いや、いかに世論の一致団結を図れるかが、大統領の腕の見せ所なんだよ。国家の緊急時に世論の一致団結が必要なことは、ヒトラー政権下のドイツを見れば明らか・・・いや、つまり、その、、、とにかく、君たちは何も考えず、敵を憎んで、「アメリカ万歳!」と叫んでいれば、無難だということだよ。4.なぜ、さっき、ベルがいつもより20分早く鳴ったのですか?き、君は、まだ、知らなかったのか・・・。そうか、、、無理もない。自由主義を標榜するわが国では、大統領の意のままに動く工作員など存在しないことになって、、、、いや、そんなものは、存在しないのだからな。そうとも、存在しないのだから、ベルなど鳴らすはずはない。ベルがいつもより早く鳴ったなんて、君の勘違いだよ。そうだね、先生?(担任のほうを睨む)「はい。大統領閣下。いつも通りの時間でした。子どもは、空想好きなもので。。。」5.なぜ、スティーブはいなくなってしまったのですか?それが、私にも、実に不思議なんだ。。。オサマ・ビン・ラディンにしても、サダム・フセインにしても、金正・・・いや、あの男は、まだ、これからだが、、、ともかくも、私に反抗的な態度を取る人間は、いつのまにか、この世界からいなくなってしまうんだよ。ふっふっふっふ・・・。----------------------G.W.ブッシュ大統領は、これまで数多くの「迷言」によって我々の心を和ませてきた。******* (「ブッシュ妄言録」より)“すべてひっくるめて、素晴らしい一年だったよ。”(2001年12月) ↑ 同時多発テロが起きた年。“アメリカと日本は150年もの間、素晴らしい同盟関係を結んでいます。” (訪日の際のスピーチで) ↑ 太平洋戦争中も、「同盟関係」だったという認識らしい。。。“白いよ。”(イギリスからきた子供にホワイトハウスはどんなところかと質問されて…) *******ちなみに、彼は、9月11日以前、2001年の7月頃までは「タリバン」をロック・グループの名前か何かだと思っていたそうだ。“人間の過ちこそ、人間を本当に愛すべきものにする。” ----- ゲーテ確かに友人としては、愛すべき愉快な仲間になりそうな人物だ。しかし、大国の指導者として、「愛すべきもの」になるのかどうかは・・・・。
Jun 26, 2003
政治をネタにしたアメリカン・ジョークには、痛烈な皮肉で鋭く真実を抉っているものが多い。少し前に、こんなのがあった。******************ブッシュ大統領がイメージアップ・キャンペーンのため、小学校を訪問したときのこと。子どもたちの前で自分の政策をひととおり説明し終えた後、大統領は、何か質問がないか尋ねました。すると、スティーブ坊やが手をあげて言いました。「大統領閣下、3つ質問があります。1.なぜ、ゴアよりも票が少なかったのに、大統領になれたのですか? 2.なぜ、何の証拠もないのに、イラクを攻撃したのですか?3.なぜ、広島で史上最大のテロをした国が、テロを非難できるのですか?」その瞬間、授業終了のベルが鳴り、子どもたちは教室の外に遊びに出ました。休み時間が終わり、子どもたちが教室に戻ると、ブッシュ大統領は、再び子どもたちに向かって何か質問がないか尋ねました。今度は、エディ坊やが手をあげて言いました。「大統領閣下、5つ質問があります。1.なぜ、ゴアよりも票が少なかったのに、大統領になれたのですか? 2.なぜ、何の証拠もないのに、イラクを攻撃したのですか?3.なぜ、広島で史上最大のテロをした国が、テロを非難できるのですか?4.なぜ、さっき、ベルがいつもより20分早く鳴ったのですか?5.なぜ、スティーブは、いなくなってしまったのですか?」その瞬間、授業終了のベルが鳴り、、、、 (原文出典:A-Grin-A-Day)****************** おそらく、質問をしたいという生徒が1人もいなくなるまで、このプロセスが続けられたに違いない。 言論の自由、万歳。
Jun 25, 2003
人と人との距離を測るには、心眼というものが必要らしい。僕の心の眼は、近眼でもあり、極度の乱視でもある。人間関係が少し微妙な距離になると、まるで遠近感がつかめない。視野に映る像の境界線が不明瞭になる。そのせいで、数多くの失敗を重ねてきた。忙しさのために心を亡くしていた僕は、人間関係を粗雑に扱った。その結果、たいせつな人を取り返しのつかない距離に遠ざけた。知り合ったばかりの人の心に、ノックもせずに入り込もうとした。その結果、入り口に近づくことさえも許されなくなった。・・・・・・ やがて、遠近感がつかめない心の眼にコンプレックスを抱いた僕は、人間関係という「海」に入るのが恐くなった。自分は海に入らず、岸辺から泳ぐ人々を眺めるだけになった。「泳ぎ方を覚えるまで、水には入らない」という愚かな決意をした。溺れること、流されることに、臆病だった。「浮き輪を使えばいい」と教えてくれた人がいた。僕は、恐る恐る、水に入った。しかし、すぐに流されそうになって、慌ててまた岸辺に戻った。「流されてもいい。流れに身を任せればいい」と言う人がいた。思い切って、海に飛び込んだ。自分の意思で、浮き輪を捨てた。溺れた。流された。・・・・・・少しだけ泳ぎを覚えた今、岸が見えない海の真中に、漂っている。遠近感は、相変わらずうまく掴めないまま。しかし、少なくとも、自力で泳ぎ続けている。心の眼をできるだけ研ぎ澄ませ、距離を測ろうと必死になっている。人を傷つけながら、人に傷つけられながら。 泳ぐことをあきらめない自分がいる。心の眼に映る、ぼんやりとした世界を愉しんでいる自分がいる。
Jun 12, 2003
今日の人物紹介: フランクリン・ローズヴェルト(合衆国第32代大統領)フランクリン・ローズヴェルトは、超一流のバランス感覚を備えた政治家だった。名門の家系に生まれ、苦労知らずのエリートとして出世街道を走っていた彼は、39歳のとき、小児麻痺のために半身不随になり、生涯、車椅子の生活になる。長い闘病生活の後、ようやく政治の世界に復帰し、州知事を経て大統領になった。しかし、彼が大統領に就任した1933年、恐慌は最悪の状況にあった。前任者フーヴァーの経済政策は恐慌の克服に失敗し、失業率は頂点に達していた。多くの企業は倒産し、また銀行は全面的に閉鎖を余儀なくされた。世界一豊かな国アメリカが、不安と失望の重苦しいムードに支配されていた。そのような状況の中、就任したローズヴェルトは直ちに行動を起こした。"The only thing we have to fear is fear itself."「唯一恐れるべきものは、恐怖そのものだ」失業対策、銀行政策、農業政策、公共事業、、、ローズヴェルトが満を持して打ち出す法案を、議会は次から次へと、機械のように可決していった。そして、実際に大きな成果を上げた。アメリカの社会・経済は、安定を取り戻した。ところで、ニューディール政策の成功の大きな原因の1つに、彼の顧問ブレーンの存在がある。その注目すべき特長は、学者や実務官僚のうち、保守主義者から革新的主義者、理想主義者から現実主義者まで、幅広い主義主張をもつ人材の知恵を集結させたことだった。それぞれが全くバラバラな立場や考え方を持つ人物の集まりであったため、当然、意見がまとまるはずはない。彼の打ち出す政策は、時に矛盾した立場をとっているとも批判された。しかし、まさにそのような主義や政治哲学にこだわらない、現実的な課題に即した柔軟な対応にこそ、彼の政治家としての真価があったのだ。“哲学は決断をすべきでなく、決断の前に立ち止まるべきなのである。” ----- ラートブルフ企業側の主張を受け入れる一方、労働者側の要求にも応じ、さまざまな利害を巧みに調整することで、民衆からの圧倒的な支持を得た。当時の常識を破りラジオを通して国民に直接語りかけ、大統領を身近な存在にした。彼は自分を public man(公人)と呼んだ。自分の主義主張に基づいて人民を引っ張っていくのではなく、人民の求めるものを公平無私な眼差しで探り、自分はそれらを実現していくだけだ、と。その後、第二次世界大戦を連合国の勝利に導いたのは周知のとおりである。-------------F. D. ローズヴェルトは、ワシントン、リンカーンとともに歴代大統領中でもビッグ3に数えてよい人物だろう。重大な危機に際して、理想よりも現実的課題の解決を重視する彼の姿勢には誰もが大いに共感を覚えるが、決して並みの政治家に真似できることではない。彼の人格と政治的力量があってこそのものなのである。しかし、それがちょっと行き過ぎたところもあった。三権分立の原則を軽視し、彼の政策に反対する最高裁判所を、自分の意のままになる裁判官で埋め尽くして違憲判決を封じ込めようとしたのだ。幸い、議会の猛反発にあって実現しなかったが、この試みは、彼の政治的決断のうち唯一最大の汚点だったと言ってもいい。“世界が滅びるとも、正義は行われるべきだ。” ----- カントいずれにしても、正義が行われる限り、この世界が滅びることはない、と僕は考えている。
May 31, 2003
どうでもいい、と思っていた。自分のことも。人のことも。人間は、いずれ死ぬ。どんな生き方をしようとも。がんばっても、がんばらなくても、いいことをしても、わるいことをしても、楽しくても、悲しくても、苦しくても、長い人生でも、短い人生でも、みんな、死ねば、同じ。そう、思っていた。君に会うまでは。。。今は、、、自分が、少しでも、君に見合う、人間になりたい。君に誇れる、生き方をしたい。そんなことばかり、考えている。
May 24, 2003
ふたりで、映画に行ったね。ふたりで、お台場の砂浜を、歩いた。ふたりで、井の頭公園を、歩いた。ふたりで、スケートをした。ふたりで、部屋で、いつまでも、話をしてた。ふたりで、、、いた。ふたりで、、、いつまでも、いられると思ってた。ふたりで、いつまでもは、いられないってことに、そのときの僕は、まるで気づかなかった。“ 人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと 愛したことを思い出すヒトとにわかれる ・・・私はきっと 愛したことを思い出す ” ----- 辻仁成「サヨナライツカ」
May 20, 2003
偽善者とは・・・自分のためだけに、他人に優しくする人。自分のためだけに、いいことを言う人。自分のためだけに、他人を助ける人。自分のためだけに、他人を励ます人。自分のためだけに、他人を笑顔にする人。自分のためだけに、他人に笑顔を見せる人。・・・なんだ、結局、すごくいいやつ、ってことじゃないか。
May 13, 2003
評判が悪い、と言われた頃の自分は、がんばっていた。評判がいい、と言われた頃の自分は、生意気だった。評判どおり、と言われた頃の自分は、うぬぼれ屋だった。評判以上、と言われた頃の自分は、努力を忘れた。評判なんて気にしない今の自分は、がんばっている。
May 11, 2003
ムダだと思っても、がんばる自分がいる。こんなにがんばっても、届かない。それがわかっているのに、がんばる自分がいる。もう少し、もう少し、と自分に言い聞かせながら、まだまだ全然届かないとわかっている自分がいる。あきらめない自分に対して、誇りを持つ自分がいる。
May 7, 2003
(前回の続き)<答え>もちろん、砂糖を溶かすため---------------------【 教訓 】国によって、一見すると人々の外見や行動パターンや考え方は違うかもしれないけど、みんな人間、根本は同じ。本当はどちらも同じことを目指しているのに、表面上の小さな違いが、それを見えなくさせてしまう。“みんなちがって みんないい” ----金子みすず
May 6, 2003
どの本で読んだのか忘れてしまったが、国民性を題材にしたジョークで、こんなのがあった。-------------------タイタニック号が沈む直前、救命ボートが不足したため、何人かの男に直接海に飛び込んでもらわなければならなかった。各国の男たちを説得するとき、アメリカ人は、英雄になれます、と言えば飛び込んだ。イギリス人は、紳士の義務です、と言えば飛び込んだ。フランス人は、貴婦人のためです、と言えば飛び込んだ。ドイツ人は、規則ですから、と言えば飛び込んだ。日本人は、みなさんそうしてます、と言えば飛び込んだ。--------------------では、今日の問題。カナダ人は、コーヒーに砂糖を入れてかき混ぜるとき、右回りにスプーンを回す。アメリカ人は、左に回す。なぜか?
May 5, 2003
(前回のつづき)弟子は即座に立ち上がり、師の手から棒を奪い取った。弟子: 私の手の中に、この棒は、確かに「実在」します。 師がお望みでしたら、証明して差し上げても よろしいですが・・・。(弟子、棒を構える)師: ま、待て・・・ふむむ。。。見事じゃ。 それが、わしの求めていた答えじゃ。 さすが、わしの弟子だけのことはある。 【 教訓 】 いくら考えても、解決できない問題がある。 行動しなければ、解決できない問題がある。
May 3, 2003
禅僧が、弟子に言った。もしお前が、この棒は実在する、と言えば、この棒でお前を叩く。もしお前が、この棒は実在しない、と言えば、やはりこの棒でお前を叩く。もしお前が、どちらでもない、と言えば、それでもこの棒がお前を打ちすえる。もしお前がこの棒に叩かれないための答えを見つけたら、叩かないでおこう。さて、弟子の出した答えは・・・・(つづく)
May 2, 2003
道 僕は、精一杯、努力しました。 勝つために、 自分を大きくするために、 努力しました。 本を読むのがよい、と考えました。 多くのことを知ろうと思いました。 でも、わかりませんでした。 人を見ると、人を知ると、人を思うと、 正しいことが、わからなくなりました。 自分のことさえも、わからなくなりました。 いや、何もかもわかったような顔をして、 自分にわからないものを嘲笑っていた、 そんなものだっただけなのかもしれません。 Ether @JHS
May 1, 2003
トロントに住む友人が、メールでこんな話を送ってくれた。-----------ある病院で、ベッドから体を動かせない患者だけがいる大部屋があった。ほとんどが長期入院患者で、毎日同じベッドに寝たきりの生活だった。同じ部屋の仲間と話をすることだけが唯一の気晴らしだったが、中でもいちばんの楽しみが、Jack の話を聞くことだった。Jack は、その病室の中で最も病気が重かったが、窓際のベッドにいて、少しだけ体を起こすことができた。そして、部屋のみんなに、窓から見えるさまざまな風景について、毎日、熱をこめて語ってくれた。目の前に広がる湖の美しさ、遠くの山の稜線に沈んでいく夕陽、近くの公園の花壇に咲く美しい花、季節ごとに色を変える木の葉、遊びに来る夫婦が連れてくるかわいい赤ちゃんや、いつも公園に来る若い恋人同士の男女がある時は幸せそうに、ある時はケンカをして、怒鳴りあったりしていること、そして翌日にはまた仲直りして池のそばでいつまでも寄り添い合っていること、、、Jack は、時にはユーモラスに、時には悲しみを誘い、時には思慮深げに、窓から見える外の世界がどんなにすばらしいかを、みんなに教えてくれた。Sam は、Jack がうらやましかった。自分も少し体を起こすことができたので、もし窓際のベッドにいたなら、Jack のように外の美しい風景を見ることができる、そして、みんなを愉しませる話ができるのに、、、、それからというもの、Sam の頭の中は、Jack の場所に移りたい、外の景色をこの目で見てみたい、という願いでいっぱいになった。Jack がいなくなってくれればいいのに、とさえ思った。ある日、Jack の病気がとつぜん悪化した。Jack は、まもなく息を引き取った。病室のみんなが、Jack の死を悲しんだ。Sam は、少し悲しくなると同時に、内心のうれしさをおさえきれなかった。Jack のベッドが空いたので、その場所に、自分が移動することになったからだ。翌朝、ベッドを窓際に移された Sam は、待ちきれずに、体を起こして窓の外を見た。そして、、、、目を疑った。窓の向こうに見えるのは、隣の建物の平坦な壁だけだった。Sam は、悟った。美しい湖も、夕陽も、かわいい赤ちゃんも、恋人たちも、すべて、Jackがみんなを楽しませようと必死に考えた作り話だったことを。自分が死ぬ直前まで、目の前のくすんだ色の壁を見ながら、信じられないような想像力でみんなに生きる希望を与えつづけてくれていたことを。------------
Apr 25, 2003
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