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以前聞いたことがあるのだが、占い師さんばかり集めていくつか質問をしてみんなの答えをきく、というテレビ番組があったそうだ。「占い師になってから変わったことは?」という質問で、ある人が「ばちが当りやすくなった」と答え、みんな、そうそう、と頷いていたそうだ。司会者も、テレビを見ていたその人も「???」という感じだったのだが、答えた人に話しを聞くと、これぐらいいいか、と思ってずるをしたりすると結構あとで大変なことになるらしい。例えば、どこかが汚れていて誰かのタオルを雑巾がわりにして拭いてしまったら、自分のバイクが盗まれた、ということもあったそうだ。スピリチュアルな世界のことを知り、そちらの法則に従って生きていこうとする人には、わかっていて不正なことをするとかなり厳しいお叱りがあるようだ。その代わり、と言ってはなんだが、願いも瞬時にして叶ったりすることもあるそうだ。因果応報というのがより純粋な形で直結するようになるのかもしれない。
2006年01月31日
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私のメルマガをサイトやブログで紹介してくださる方が多い。丁寧な方はメールで転載したい旨を知らせてくださるし、そうでなくても大抵の方はHPのことや、私のメルマガであることを紹介してくださっている。ところが時々、自分のブログやHPにメルマガの内容を自分が書いたかのように、無断で転載している人がいる。新月に願いごとをするのは、勿論私が始めたわけでも、「新月のソウルメイキング」の著者であるジャン・スピラー氏が始めたわけでもない。ずっと昔から行われていたことだろうし、とてもよいことなので多くの人がそれを知って、自分の手で幸せを掴んでいくのは素晴らしいことだ。だから、広めるのはよいことだけれども、人の書いた文章を自分のものとして掲載するのは別の問題だ。こんなことがあるんだって という伝聞ならまだしも、その人はメルマガをほぼそのままコピーペーストして載せていた。スピリチュアルなことに興味を持ち、それにそった生き方をしようとしているにもかかわらず。抗議とか注意とかすることも考えたけれども、それも気がすすまず、かといって毎月毎月繰りかえされるのも正直不快だ。どうしようか、と思っていたが、こちらからは何のメッセージを入れることもなく、ただ、私はこれを読んでいる、ということだけが相手に伝わるようにした。翌月から転載はされなくなった。私はひとことも言っていないので、知られていることがわかって自発的にやめたということは、いけないことだというのを知りながらやっていたということだろう。見えない世界のことにかかわろうとしながら、こういうことをするのが私にはわからない。と同時にこういったことをするのは怖いと思う。しばらくぶりに、その人のブログを見てみたら大変なことになっていたらしい。大事にはいたらなかったが、家中の大掃除をしなくてはならないことになったそうだ。天井も壁も床も、一生懸命拭かなくてはならない状況のようだ。私にはそれは、自分の心を磨きなさい、というメッセージのように思えるのだが。
2006年01月30日
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今日は新月です。 23:15 水瓶座新月の時間になったら8時間以内に願いごとを書きましょう。アファメーションシートがダウンロードできます。水瓶座の新月に叶いやすい願いごとの文例は、メルマガのバックナンバーをご覧ください。
2006年01月29日
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友人からいつもと違うほうのアドレスにメールがきた。どうしたのかと思ったら、PCがクラッシュしてアドレスが全部飛んでしまったのだという。彼女とはメールのやりとりなんて半年に一度くらいしかしない。それが2週間くらい前にメールがきたばかりだったから、その直後にクラッシュしたのだろう。人生の節目とか転換期にいる人はよくこういうことがあると聞く。PCや携帯が壊れて、連絡先がわからなくなってしまうのだ。それでも必要な人や縁のある人とは必ずまた繋がっていく。彼女もそういう時期なのかどうかはわからないが、7年も互いに連絡先もわからずにいたのに、銀座の真中でばったり再会したのだから私との縁はあるのだろう。思い出も何も電子の藻くずと消えてしまいました。過去はふりきって人生一から出直します。とメールには書いてあった。「新月」「アファーメーション」で検索してHPを見つけてくれたそうだ。こういう時にHPがあると便利だな、と思う。逆の場合でも呼びかけて連絡もらうこともできるだろうし。
2006年01月28日
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1月29日 23:15 水瓶座の新月です。12月31日が山羊座の新月でしたので、今度の新月は水瓶座になります。叶いやすい願い事の書き方と文例をお知らせするメルマガを、明日28日の午前6時に配信します。ぜひ参考になさって願いをかなえてくださいね。メルマガの登録はこちらから めるま まぐまぐ
2006年01月27日
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デザイナーとして評価も高く、造形だけでなく意味のある仕事をしてこられている。それでも、道具は所詮道具にすぎない、と言う。作る側のためのものではなく、使う側のためのものだ、便利な道具であることは大切なことだ、と言い切る。理論武装もなく、文化で装飾することもなく、自分が思うこと、それを現実に形にしていくことに迷いがない。言葉がそのまま思っていることなので、何を言われてもまっすぐに入ってきて気持ちがいい。人間力のある人、というのはこういう人なんだな、と思える。私の最初の話はもう一つよくわからない、という感じだったらしいが、私が自分自身でやっている活動について話すと、たいして話していないにもかかわらず、それはすごくよくわかる、と言ってもらえた。つまり、私が本心からやっていることであり、自分の言葉で話しているから同じようにすぐに入ってくる、ということらしい。「建築家のメモ2」を差し上げると、とても面白い本だ、と言ってくださった。掲載されている建築家は殆ど知っている、一緒に仕事をしたり、対談をしたことのある人ばかりだ、と言っていた。予定の時間になって失礼する段になると、「今日はためになる話をいろいろと聞かせてもらってありがとう」と言われて慌ててしまった。とんでもないことだ。こちらが言うべきことを先に言われて、しかもそんなことを言ってもらえるなんて。相手がどんなに若かったり、社会的地位が低かったりしても、そこに自分が得るべきものを見つけたときには、謙虚にそれを評価し受け入れることができる、というのは本当に力のある人間だけができることなのだろう。
2006年01月26日
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こちらの提案に対しては、率直に疑問点や問題点を指摘された。決して攻撃的や否定的なのではなくて、至極真っ当な意見なのだ。私もその辺の不備は承知の上で、なんとか別の方向から大義名分をでっちあげてご協力を仰ごうと思ったのだが、しっかりお見通し、という感じでさすがに本物を作ってきた方だけある、と感服した。私がこの提案に興味を持ったのは、私がやりたいと思っていることに応用できるかもしれないと思ったからだ。まずは先方の意向を生かす形で認められるような状況を作り、その後に私がやりたい方向へも合うようなものを作れたら、と思ったのだ。これ以上、もっともらしい話をしても無駄だと思ったので、本音でなぜ私がこの話に関わったのかをお話した。すると、むしろそういうことなら協力できる、というではないか。私が考えているようなことを先にメインにしていったほうがいい、というのだ。
2006年01月25日
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ある有名な家具デザイナーの方に会いにいったのだが、素晴らしい方で久々に嬉しい気持ちになった。家具についてご相談したいことがあり、人を介して紹介していただいた。お名前だけは存じ上げていたのだが、作品も活動も正直言ってあまりよくは知らなかった。ただ、ひょんなことでその方の記事を読んで興味を持ったのと、調べてみたら以前に一度、お会いしたことのある方と一緒にお仕事をされていたので、その方に紹介していただいたのだ。ご相談の内容は私ももうひとつ、どうかな?、と思うところのあるものではあったが、とにかくその方に会ってみたいという気持ちもあったのでオフィスに伺った。とても気さくな方ですよ、との紹介者の言葉どおり、初対面でしかも向こうは世界的にも認められて第一線で活躍しておられるのに、とてもフレンドリーで何の気負いもない方だった。自分が物を作っている、そのことに自信を持っているからえらぶることも飾る必要もないのだろう。
2006年01月24日
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お天気はいいのに、寒かった~~ちらほらと粉雪が舞っているし・・・午前中に表参道に行くので、ちょっと散策でも、と思ったのだけどとんでもなく寒い。でもどんよりした日でなくて、これだけお天気がよくて冷たいと空気が冴えわたって澄んで見える。ハナエ・モリビルに入るのなんて随分久しぶりだ。あの頃は全館、森英恵のショップだったように思うけど、今はテナントビルになっているのだろうか。ここは故・丹下健三氏の設計になる。この界隈ではかなり古い建物になるだろう。附近には安藤さんの元同潤会アパートも含めて、多くの建築家の作品があるが、それらの中では一番古いはずのこのハナエ・モリビルが斬新に見えるのはなぜだろう。中も外も手入れが行き届いていて、築年数も感じさせない。内部がかなりゆったりとした空間になっているのは、もともとテナントビルではなくて自社ビルとして設計されたからなのだろうか。今は家具のショールームとして使われているスペースは、かつてはファッションショーが開催されていたそうだ。事後処理が終わるまで、一時的にショールームになっていたようだが、整理されて処遇が決まり、3月まででショールームはなくなるらしい。
2006年01月23日
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友人が新交響楽団の招待券をもらったというので、一緒に聴きに行った。東京芸術劇場は前を通ったことは何度もあるが入るのは初めて。最近聴きに行くのはアマチュアのオーケストラばっかりで、思ったよりも上手なのには驚いたが、やはりプロとアマとでは全く別物だ。曲目は三善 晃:交響三章ショスタコーヴィチ:交響曲第8番三善晃の作品は初めて聴いた。解説にもあったが、日本人的な粘着質のところがなくてなかなかいい。それにしてもこれだけの不協和音を美しく演奏できる、というのは素晴らしい。ショスタコも8番は初めて聴く。第1楽章だけで30分もある大曲なのだが、それほどの長さは感じさせない。ショスタコは曲のメリハリがきいているので、知らない人にでも比較的聴きやすいだろう。5番は昔演奏したことがあるけれど、5番も8番も金管はどこで息継ぎするのだろう、というくらい大変だけれど、その代わり思い切り表現できて気持ちいいだろうな、と思える。やっぱり音楽はいい。理屈ぬきに身体の中に、楽器の音が流れ込んでくる。細胞が活性化する感じがする。通路を挟んで斜め後ろに三善晃氏が来ていた。
2006年01月22日
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久しぶりの東京の雪。起きた時はすっかり昼も回っていた。この雪の中、宅配便が3件も届く。配達の人は大変だな、楽な仕事なんてないな、とつくづく思う。今かかわっている仕事の関係で、ガラス見本やステンドグラスのサンプルが次々に届く。返却しなくていい、というのだがとっておくのも場所をとる。いつまた使うかもわからないし・・・でも、必要な時にまたすぐに作ってもらえるとは限らないので、一応とっておかなくてはならないだろう。カタログやサンプルはできるだけ増やしたくないのだけれど、そうもいってはいられない。
2006年01月21日
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このお茶は石庭で有名な竜安寺の売店で売っていたものだ。「香葉茶」という名前で青しそに梅、昆布、抹茶をブレンドしてあるそうだ。売店の人はご飯にかけてお茶漬けやおにぎりにしても美味しい、と言っていた。試飲させてくれるので、飲んでみたらおいしかったので買ったのだが、何度か飲んでいると化学調味料の味がちょっと気にかかる。いわゆる味の素っぽいというのか・・・それでもやはり京都の食べ物は美味しいと思う。仁和寺の境内で売っていた焼き山栗もとてもおいしかった。
2006年01月20日
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京都で買ってきた、梅・昆布・抹茶のブレンドされたお茶を飲もうと思って、分包になっている粉を湯のみに入れた。お湯を入れて飲んでみると、なんだか味が違う。梅の香りが全くしなくて、やけにかつお節の味が強い。そうなのだ。間違えて粉末だしの素を入れてしまったのだ。同じ引き出しに入れてあるとはいえ、間違えるかなあ・・・たま~にこういうことがある。随分前だけれど、夏に毎日冷たい麦茶を作っていて、その日もやかんで沸かしたお茶が冷めた頃、冷蔵用のポットに移そうとした。いつもより色も薄いし、匂いも変。一瞬、時間がたちすぎて腐ってしまったのかと思ったが、そうではなくて麦茶パックではなくて、だしパックだったのだ。こういう時ってどこかに行ってしまっているのかしら・・・なんて、ただボケていただけか。
2006年01月19日
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よくコップに半分水が入っている時に“まだ半分ある”と思う人と“もう半分しかない”と思う人がいる、と言うけれど、私は間違いなく前者だ。何か面白そうなことを思いついたときに「ねえ、ねえ」と言って話すと、まず第一声が否定的な言葉で始まる人が結構多い。できない理由や勝算の見込みの低さや採算性への疑問などが大半なのだが、そもそも簡単にできてリスクも小さく採算性も高いのなら、誰かがとっくにやっている。ネームバリューもなく、資金力もなく、それでも何か面白いことをやろうと思ったら、頭も身体も目一杯に使って工夫するしかないだろう。どうしてできないのか、ではなくて、それならどうやったらできるか、ということを何故考えないのか不思議に思う。勿論、あの手この手を考えても、やっぱりだめだ、ということだってある。それでも考えたことや調べたことは、その時に役にたたなくても別の時に使えることもある。使わなかったとしてもそれだけ引き出しが増えるのだから、考えて損はないと思うのだけど。はじめの可能性が10%なら、それを15%、20%と上げていく工夫と努力をすればいい、と思う。内容でもうそれ以上は無理なら、それをより必要としている相手を選べば可能性をそこで上げることができるだろう。リスクはどんなことにでもある。最後の決断をいつかはしなくてはならない。その時には最悪の時の損害を最小限に抑えることを考えておけばいいのだ。
2006年01月18日
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今年中に実現することの3つめが決まった。他のことはだいたい共通していて、同じところで同時進行できるのだけれど、これだけは全く違う。それでなくてもやることが沢山あるのに、全然系統が違うことをやるのってどうなんだろう、と思っていたのだが、ためしに出してみたらこれでいいらしい。他のことと全く違う、ということで気分転換になっていい、とのことだ。それならそれで安心。気楽に愉しんで自由にとりくめそうだ。思いつきだけではしょうがないのだけれど、現実化するとして実際に物を作ってもらえそうなところもあるし、協力してもらえそうな人もいる。まずは承諾を得られるような内容まで煮詰めていくことが肝要だ。
2006年01月17日
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熱は下がったけれど咳がとまらない。電話をかけなければならないところがいくつかあるので、ちょっと困っている。それさえなければまあ、それほど悪い状態ではない。熱がでたことと関係があるのか、それともたまたまそういう流れなのかわからないけれど、引きずっていたものが吹っ切れたような気がする。いい意味でこだわりがなくなった、というか。今まで自分のパワーとかエネルギーを全開にするのを躊躇ってきた。特定の誰かに遠慮するというのでなく、丁度背の高い人がなんとなく引け目を感じて低い靴を履いたり、ちょっと身体を縮め気味にしているのと同じような感覚でいた。パワフル、と思われたり、引かれたりするのが嫌だったのだと思う。それが全然気にならなくなった。そう思って引いたり遠ざかったりする人とは、いずれにしても一緒に何かをやっていくことはできないだろう。頑張っているから応援しよう、とか、何か面白いことをやりそうだ、とか思ってくれる人とだけ関わっていけばそれでいいのだ、と自然に思えるようになった。別の見方をするなら、自分のパワーに見合うだけの体力がついてきた、ということかもしれない。今までは解放することによってバランスを崩す、自分が崩壊することを怖れていたのだと思う。その怖れは或は思い込みに過ぎなかったのかもしれないが、一旦かけてしまったストッパーを自分ではずすのはなかなか難しい。怖れを手放せるようになったのは自分への信頼と同時に、自分で止められなかった時にはもっと信頼できる大きな力へ委ねることができるようになったからだ。その大いなる存在へ委ねるためには、やはり自分が常に間違っていない、とは言えないまでも、少なくとも自分自身に恥じるような生き方はしていない、と自信を持って言えることが必要だったのだと思う。目的も動機も方法も、間違っていないなら必ずうまく行くはず。だってそれがみんなのためになることなのだから。うまくいかないならどこかが違っているのだろう。或は私のするべきことではないのだろう。全てが間違っていないのに、それが通らない世界なら、そんな世界そのものに意味はない。そう考えると、自分にとって怖れるものなど何もないことがよくわかる。
2006年01月16日
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テレビは普段あまり見ないし、特にドラマは見ない。ついつい最後まで見てしまって、時間を無駄にした、と思うことが多いからだ。たまたまつけっぱなしになっていたら「白夜行」というドラマの再放送が始まり、子役があまりにも上手なので珍しく2時間も見てしまった。多分原作はもっと面白いんだろう、と思ってネットで調べてみた。「東野圭吾」という作家の作品は読んだことがないが、名前は書店で見かけたことがある、と思っていたのだが、「ゲームの名は誘拐」というのもこの人の作品らしい。「ゲームの名は誘拐」は以前、書店で平積みになっているのを見て、面白そうかな、と手にとってとうとうそのまま1冊立ち読みしてしまったことがある。一気に読ませてしまう面白さはあったけれど、買ってまで読もうとは思わなかったし、作家の名前も忘れてしまう程度だったのだろうと思う。解説や感想を見る限りでは「白夜行」は読んでみてもいいかな、という気がしている。それにしても、よく掲示板などで「ネタバレ注意」とか、「ドラマを見てしまう前に原作を読んだ方がいい」と書いてあるのだけれど、私は全然気にせず読んでしまう。原作を読む前にストーリーを知らないほうがいい、というのなら古今の名作などストーリーを知る前に読むことなどほぼ不可能ではないか。推理小説もしかり、で犯人やトリックがわかったら読むのがつまらなくなってしまうものは、結局読み捨ての類で、そもそも読んだだけ時間の無駄、というくらいに私は思っている。
2006年01月15日
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熱をおして行った先は某出版社。ある人がその出版社の編集者に私の話をしたところ、一度会って話しを聞きたい、と言うので会いに行ったのだ。先方が興味を持った話題はすぐそのまま本になる、というようなものではないのでこちらも正直それほどの期待はしていなかった。案の定、その編集者個人としては大変興味深いが、このままではまず社内会議を通らないだろう、とのことだった。その代わり、というか話をしているうちに、どちらからともなく思いついたアイディアがちょっと面白いものになりそうだ。こちらのほうが多分、早く実現する可能性が高いだろう。それに他のこととも関連性が高い。一度にいろいろなことが同時に進行できそうだ。この編集者が最近担当したという本を2冊くれた。1冊は20人ほどのインタビューで構成されているのだが、そのインタビューをしている人の名前を見てびっくり。全く違う案件で考えている企画があり、友人に相談したところ、もう少し具体的につめたら相談してみるといいから紹介してあげる、と言っていた人なのだ。ついこの間まで縁もゆかりもなかった場所や人が、急にあっちからもこっちからも繋がってくる。
2006年01月14日
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久しぶりにひどい風邪をひいて寝込んでいた。平熱が36度くらいと低めなので、39度近くあるとかなりきつい。火曜の午後、打合せに出かけたときは大丈夫だったのに、夜から調子悪くなり2日間殆ど寝ていた。浄化の熱なのかな。時々熱を出すことはそういう意味だけでなく、身体のためにも本当はいいのだ、と聞いたことがあるような気がする。あまり定かな記憶ではないのだが・・・家の中で歩いていても平衡感覚を失いそうになる。普段おざなりになっている身体と健康への感謝を、あらためてひしひしと感じる。これくらい熱があると身体中が痛くなるのだ、ということを発見。寝返り打つのも大変なくらい痛いのは、元々問題のある部分なのかもしれない。普段からあまり睡眠時間が多くないので、二日も寝てるといくら熱があってももう眠れない。今日の午後も打合せが入っているので、それまでになんとか下がらないかな、と思っていたのだが、昼になっても38度を超えている。今日は這ってでも行かないと。自分の好きなことを仕事にできていい、とか自由でいい、とかよく言われるけれど、その代わりこういうこともある。先方の最寄り駅は調べると3つくらいある。うちの近くの駅から1本で行かれるのだけれど、その駅からだと向こうの会社まで9分かかるらしい。ちょっと重い荷物もあるので9分歩くのは自信が持てない。一番近い駅だと3分。乗り換え方法も幾通りかあるのだが、遠回りになるけれど乗換駅で一番歩かない行き方にする。頭ぼけぼけかも、と心配したのだが、打合せが始まると意外と大丈夫で一安心したのだが、途中で別の人が立ち寄って紹介され、名刺交換のあと立ち話が結構長引いた。す、すわらせてくれ・・・ めまいが・・・往復の時間も入れてなんとか3時間もてば、と思っていたのだが結局打合せだけで4時間かかった。帰り着いて倒れこむように寝ていたが、起きてみるとまだ頭はふらつくものの、熱もかなり下がって身体の痛みはなくなっていた。あまり熱を出すことはないのだけれど、ずっと以前に高熱を出した時も用事があって出かけたり、旅行に行ったりしたことがあって、そうしたら熱が下がって治ってしまった。自分でもリスクが高いと思うので、敢えてやることはないが、どうしてなのか不思議には思っている。
2006年01月13日
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人のネットワークが面白い。ネット=網 というのは本当にその通りだ。この人とあの人が思わぬところで別の人を介して繋がっている。それがあっちでもこっちでも繋がっていて、2点を結ぶ直線や1対多といった放射状ではなく、網の目のように広がっている。同じ業界内とか、似たような方向性を持つ、とか言っても人の数はものすごく多いわけで、それがこんな風にみな繋がってくるのが不思議で面白い。たまたま行った所で知り合った人がキーパーソンになったりして、思い返してみるときっとあれは“たまたま”ではなくて、こうなることに初めから決まっていたのだろう、と思ったりもする。“どうして!?”と思ったことが結局は完璧だったのだ、ということも今になってよくわかる。あの時は本当に大変なことになった、と思ったけれど、今よくよく検証してみると、結局ベストな展開だったのだ。最上の結果だけを得て、その後のトラブルには関わらずにすむことになったのだから。あとになってみればわかることも、渦中にいる時には自分ではわからない。結局はどんな事態になっても、誠意を持って最善を尽くす、という以上にできることはないし、それが最もよいことなのだと思う。
2006年01月12日
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年間計画をたてようとして、この作業が苦手なことに気づいた。企画をしたり、それをプロジェクト・シートに落とし込むのは全然苦ではない。むしろ得意なほうで、たいした時間もかからずにできてしまう。長期的な展望で考えて、それを持続しながら実現へ向けて進むこともできる。目の前のことをかなりな短期決戦で一気に解決することも好きだ。1年~3年くらいの中期的なスパンで計画することが多分苦手なのだ。1年後のゴールは決めたが、年間計画がたてられない。分割していけばいいのだろうか。まずシートを2枚作った。1枚は年間目標とその結果、それを半分に区切った上半期と下半期それぞれの目標と結果、さらにそれを半分ずつにして四半期ごとの目標と結果が書けるようにした。もう1枚は1月から12月までの目標と結果を書けるようにした。年間目標を書き、1年で完成するには6月にはどこまでできていなくてはならないか考える。これを繰り返して、なんとか月ごとの計画まで作ってみた。本当にこのスケジュールでいけるのか?まあ、調整は当然必要になってくるだろうけれど、まずはこれでスタートしてみることにしようか。
2006年01月11日
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今年、絶対に実現する、ということを3つ決めて年間スケジュールをたてるように言われている。2つはだいたい決まったのだが、最後の1つが決まらない。やりたいことは沢山あるのだけれど、長丁場のものも多く、今年中に実現する、となるとかなり難しい。決まった2つのことも不確定要素が多くて、はじめは、どうなるかわからないし計画なんてたてられない・・・などと思っていたのだけれど、「どうなるか」ではなくて「どうしたいか」が大切なのだ、と思い至った。状況や相手によって「どうなるか」わからない部分を「こうしたい」という結果へ導くために最善の努力をする。だから自分がこうしたい、こうする、という計画をたてればそれでいいのだ。あとはそれに沿った形の結果を出すための方法を考えて、実行していくだけなのだ。
2006年01月10日
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世の中がお正月休みの間に、少しでも時間をかせいでおきたいと思ったけれど、結局もう通常の生活が始まってしまった。考えてみると暮れからお正月にかけての休み、というのはそれほど日数があるわけでもない。4日から通常営業の会社も結構あるし。年賀状として出しきれなかったところへは、新年の挨拶と用件とを一緒にしたような手紙を出すことでなんとか対応しよう。今年は実現したい案件をできるだけ明確にして、具体的なスケジュールをたてて現実化するのだ。そのためにはやらなくてはならないことが山のようにある。
2006年01月09日
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今年最初のエネルギー研鑽会。実は2日ほど前から風邪をひいていて、時々咳がとまらなくなるし、昨夜は微熱もあったのでどうしようか、と迷っていた。熱が出る前に友人に、行くかどうかメールをしたのが返ってきたのが昼頃で、行くつもりだというものだから出かけたのに、その後のメールでやっぱり間に合いそうにない、という。だったら行かなかったのに! と思ったのだけど不思議と咳も止まってかなり楽になっていた。みんなでトリートメントの実習をしたりするから、よいエネルギー状態になっているのだろうか。私は普段から猫背気味で姿勢が悪く、深呼吸ができない。腹式呼吸をしようとするとおなかまで息が入らず、胸のあたりが締まるような感じになってしまう。以前整体の先生に、胸膜のあたりが緊張しているので収縮して引っ張られ、それで猫背になるのだといわれた。カレンダーにエネルギーを入れて下さった方に会ったのでそのことを話すと、そんなのは簡単に治せる、という。エネルギーだけで治す?それとも物理的に力を加えて治す?どっちでもできるけど、と訊かれたので、今日は物理的なほうでお願いします、と言うと首の後ろで手を組んだ状態の背後に回って、あっという間に治してくださった。身体の前面が解放されて呼吸が楽にできる。もちろん深呼吸も腹式呼吸も。気をつけて姿勢をよくしようとしていたのが、普通に背中が伸ばせる。こんなに楽だったんだ、とあらためて気づいた。もっと早く言えばいいのに、と言われたけれど、治療のほうもお仕事としてされているのに、ただお願いしてやっていただくのはやはり遠慮してしまう。私はカードを使うのでそういうことはあまりないのだけれど、占い師さんやヒーラーさんも道具を使わない方は、友人知人から悪気なく軽く頼まれてしまうことなんかがあるだろう。これは何の職業にもあてはまることだと思うけれど、プロはお金をもらってももらわなくても、仕事の手を抜くことができない。気軽に頼むほうはおそらくそんなことまで考えていないのだ。逆に気を使う人は、きっちりお金を払ってお客さんとなるわけにもいかない場合、折角身近にいるのにやってもらうことができなかったりする。金銭ではないお礼を、などと考えると互いに気が重くなってしまう。こういう場合の、みんなが気持ちよくやってあげて、やってもらえて、というよい解決方法はないものだろうか。
2006年01月08日
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「建築家のメモ 2」が書店に出ているので見に行った。 池袋のジュンク堂の書棚にあるのを確認したら、隣に並んでいる2冊の本に目が留まった。『近世建築論集』 と 『セヴェラルネスー事物連鎖と人間ー』 どちらも中谷礼仁氏の著作だ。中谷氏は10月に早稲田大学の建築関係学科の合同同窓会の時に講演をされていた。私は早稲田の卒業生ではないのだが、ある方の同伴として参加させていただいた。それまでお名前も知らず、その時に初めて講演を拝聴したのだが、極めて優秀な方でしかもとても心ある方で、すっかりファンになってしまった。タイトルの「編集出版組織体・アセテート」というのは中谷氏が運営している組織で、世に出ていない良書を限定的に公刊している。詳しくはこちらに記載されている。アセテートを立ち上げるに至った経緯も話されていたが、某社の社史編纂に協力された時に、無料奉仕のつもりが思いのほかの金額をいただいたので、それを基に始められたそうだ。その金額、および出版した本の売上げによる蓄えが尽きるまで、この活動を続けていくつもりなのだそうだ。活動存続に協力するため(笑)私も1冊購入させていただいたのだが、『近世建築論集』も気になっていて、いつか申し込もうと思っていたところだった。鹿島出版会から発行されたばかりの『セヴェラルネスー事物連鎖と人間ー』もとても気になる。どちらも時間的にも内容的にもすぐには読めそうにないが、時間をかけてじっくり読みたい本だ。
2006年01月07日
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自分のやりたいことだから、外から大変そうに見えてもそれほどではない。大変は大変なのだけれど、苦痛ではない。やるからには成功させたいから、いろいろと努力もすれば工夫もする。それはある意味、スポーツ選手とすごく似ているのかもしれない。体育会系ではない私には、ひたすら走る、とか、延々と泳ぐ、とかいう神経は全く理解できなかったけれど、きっと根は同じようなところにあるのだろう。やりたいことをやっているから、どの瞬間もいつでもバランスして安定していて常に幸せ。できる限りのことをやったから、結果がよければもちろん満足、うまくいかなくても今の自分の最高の結果がこれ、と受け入れてまた頑張れる。心に波風立てずにこういう風に淡々と生きていかれるようになれたら、と思っている。
2006年01月06日
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ようやくリストアップした先への年賀状が終わった。手紙用のソフトも使っていないし、シールを印刷してプリンターの調子が悪くなるのが怖いので、宛名は全て手書きにしていた。さすがに封筒の差出人のほうは途中から印刷にしたけれど。仕事関係の人はデータベース化して、ラベルもプリントできるようにしておかないと、とてもじゃないけど対応できなくなるだろう。PhotpshopにしてもIllustratorにしてもファイルメーカーにしても、適当には使えるのだがちゃんと習ったわけではないので、使いこなすまでは到底いかない。仕事で使いながら憶えたので、その都度必要なことを訊いたり調べたりしてできることを増やしていっただけだ。よくわかっている人なら、どうということのない作業なのだろうな、と思いながらマニュアルやネットで調べながらやらなくてはならない。それもだけど、それ以前に手紙を書かなくては。年賀状は片付いたけど、今度は個別の手紙が待っている。こちらは特にお正月でなくてもよいのだけれども、やはり年初めに本格的に仕事が始動する前に相手方に届いていたほうが望ましい。大変だと言いながらどうしてこんなことをしているのかな、と思う。やらなくてもそれはそれですんでしまうのに。もしやらなかったとしたらどうなんだろう?何も始まらないし、それに関して動くことは決してないだろう。そう考えると自分がやりたいと思っているんだな、というところに行きつく。そうなんだ、私がそれをやりたいと思っているからなんだ。誰のためでもなく自分がやりたいからなのだ。
2006年01月05日
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元日から開いているビックカメラに、元日にプリント用紙を買いに行った。250枚入りを買ったのに、昨夜夜中に全部なくなり、開店を待って買いに行った。会社宛のは仕事始めまでに着けばいいか、と思っていたのだけれど、早いところはもう今日から始まっている。しょうがないなぁ・・・あれだけ出してもまだ、こちらのリストにない人からも来たりする。今ではもう誰も信じてくれないけれど、私は元々人見知りで内向的、人付き合いは苦手だったのだ。大学の時はオーケストラに所属していた。100人を超える大所帯ではあったけれど、3年の夏合宿のコンパで同級生の男子の一人が、私の声を初めて聞いた、と言っていた。今でも自分では外向的とか社交的、とは全然思っていないのだけど、みんなに“顔が広い”とか“人脈が豊富”とか言われる。客観的に見れば確かにそういうことになるのかもしれないけれど、やっぱり自覚はない。チェーン店でない喫茶店に一人で入るのは今でも緊張するし、お店の人と話したり常連になるなんてほとんどできない。それほど親しくない人が向こうから歩いてきたら、気づかれないうちに反射的に道を曲がってしまう。自分としては全然矛盾していないのだけど、他人から見たらきっと不可解なんだろうな、と思っている。誰でもきっとこういうところは持っているのだと思う。本人にしかわからないこういった矛盾をそのまままるごと受け入れる、というのはなかなか難しい。どうしても、どちらかが嘘だ、と決めつけたり、裏があるのでは、と疑ったり何か納得できる答えを求めて問い詰めてしまう。でも、答えなどないのだ。理解するのではなく、信じられるか、受け入れることができるかどうか、ということしかないのだ。
2006年01月04日
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お仕事仲間と恒例の初詣に神田明神へ。昨年は4日に行ったら仕事初めと重なって、サラリーマンやOLで混みあっていたのだが、今年は普通に初詣の人でいっぱいだった。去年は天気がよくてやたら暑かった記憶があるのだが、今年はとにかく寒い。風が吹くと身体の芯まで冷える感じ。東京のからっ風、というのは昔から有名なのだけれど、最近はこの言葉もあまり聞かない。毎年、みんなでおみくじをひくのだが、昨年のおみくじを私は間違えて湯島天神に返してしまったのだけど、なんか問題あるのかしら・・・?神田明神の獅子舞
2006年01月03日
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31日の夜からひたすら年賀状を書いています。結構ながい間、年賀状は殆どいただいたお返事しか書かなかった時期がありました。こちらから出すのは、年賀状でしか繋がっていなくて、消息や存命かどうかもわからなくなってしまう可能性の高い方くらい。あとは毎年いただいていてもお返事しか出していませんでした。昔から年賀状を書くのが苦痛で、文を書きたくなくて版画にしていた時期もありました。今はプリントできるので本当に楽ですね。今年ははがきではなくて、御挨拶の手紙と昨年作ったパンフレットを封書で送っています。はがきで出すのは本当に個人的な付き合いの人だけ。思ったよりも数が多くて、ストックの封筒の束が消えていきます。いつになったら終わるのでしょうか・・・
2006年01月02日
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨年は大躍進あり、波瀾あり、激動の一年だったわけですが、今年のテーマは「結果を得る」ということにしたいと思います。暮も押し迫ってから、今年の仕事や活動に繋がるお話が次々に舞いこんできました。それらを確実に現実のものとして、結果を得ていきたいと思います。
2006年01月01日
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