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気がつけばもう今年も半分が過ぎている。何をしてきたのか思い出せないくらいに慌しく過ぎた日々。記録を辿ってみると、わずか2ヶ月ほど前のことが、はるかに遠い以前のように感じられる。そういえば、今年になってから泣いたことってないかも。
2006年06月30日
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誰でもだいたい、物事が上手くいっている時はあまり考えたりはしないものだ。うまくいかなくなって初めて立ち止まって考える。その時に、他人のせいにするのは一番簡単な答えだろう。自分を省みる必要もなく、プライドが傷つくこともない。でもそれと同時に、自分の真実と向き合う機会も失われる。意味のないことは起こらない。必要でないものはやってこない。次のステージに上がる準備ができたら、その前に終了試験がやってくる。やっかいなことに、受けずに済まそうとしても何度でも追試がくるのだ。
2006年06月29日
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随分前になるけれど、ある占い師さんのところへ行った時のことだ。その占い師さんは、オーラリーディングとか、透視リーディングの勉強もしていて、そちらのモニターに参加させてもらった。透視というともともと持っている特殊能力のようだが、きちんと学んで訓練すれば誰でも身につけられるものらしい。その能力を取得したからといって、見たくないものも見えてしまう、または見せたくないものも見られてしまう、ということにはならないそうだ。占い師にしても、ヒーラーにしても、正しく学んだ人は邪な使い方をした場合に、なによりも自分自身にその結果が倍増されて返ってくることをよく知っているので、徒に心配する必要はない。気さくな方で、リーディングといってもオーラの掃除をしてもらいながら、雑談をしているような感じだった。「貧乏くじをひきやすいですね」と言ったあとで、すぐに「ああ、ご自分で選んでいるんですね」と言われた。確かに、貧乏くじをひくことが多い、といえなくもない。だけどなんでまた、わざわざ好きこのんでひいているんだろう?「自分から貧乏くじをひいているんですか?どうして・・・」と訊くと、こともなげに「強くなりたいから」と言われた。強くなりたい・・・そうなのか・・・私は強くなりたいと思っているのか・・・もともと決して弱いほうではなかったし、むしろ今でも十分に強い、と思っていた。これ以上まだ強くなりたいと思っているのか。当時は相当に過酷な状況下にあったが、それは強くなるために望んで選んでいる、という。私は一体何をどうしたいのだろう、と複雑な心境だった。今になるとよくわかる。攻撃力の強さではなく、しっかりと根を張って動じない強さを、あの時の経験から身につけることができたのだ。そしてそれを望んでいたのは私自身にほかならない。
2006年06月28日
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「新月のアファメーション」が『まぐまぐ!』殿堂入りメールマガジンになりました!!まぐまぐでは発行歴2年以上で、最新号発行部数 3,000部以上のマガジンが 殿堂入りメールマガジンになります。おかげさまで、「新月のアファメーション」のメルマガが、25日に発行部数3159部になり殿堂入りしました。登録して読んでくださった皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。「まぐまぐ」は「めるま」より1ヶ月遅れで、2004年の5月19日、牡牛座の新月からスタートしました。友人、知人に「読んでね」とメールを出して、44人の登録で始まったメルマガが、2年でこんなに大勢の方に読んでいただけるようになるなんて、夢のようです。何かいい言葉がないかな、と思って作った「新月のアファメーション」という言葉も、今は多くの方に使っていただいて本当に嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。心より感謝をこめて。
2006年06月27日
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深夜1:05 新月になりました。今月は蟹座の新月です。みなさん、もうアファメーションはされましたか?8時間以内、というと深夜から朝の9時くらいまで。今日は月曜日ですしちょっと大変だったかもしれないですね。48時間以内有効ですから、8時間以内にできなかった方もゆっくりと心を落ち着けて、しっかりと自分自身にアクセスしましょう。毎月続けることが大切です。 願いごとの文例はこちら めるま まぐまぐ
2006年06月26日
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明日26日 午前1:05に蟹座の新月になります。アファメーションは48時間以内有効ですが、8時間以内だと効果大です。蟹座の新月に叶いやすい願い事の文例は、今朝配信したメルマガに書いてありますので、参考にしてくださいね。 めるま まぐまぐ
2006年06月25日
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好奇心が強く、知りたいと思うと行動に移す、というのは持って生まれた性向なのだろう。幼稚園の頃、お帰りの時間にそれぞれの親達が迎えにくると、全員が帰るまで先生は見送ってくれていた。私は門のところの地面を、みんなで大きな獲物を担いで巣へ向かう蟻の行列が面白くてずっと見ていた。先生は、「あなたは気が済むまで見ていないと帰らないでしょうから、先生はもう戻りますよ」と言って園舎のほうへ戻っていった。見終わって私が立ち上がるまで、親はいつまでも待っていてくれた。今から思うと、本当にありがたい親だったのだ。一時が万事、この調子なのだから。手のかかる子どもだっただろう、というか実際トラブルメーカーだった。その幼稚園には小さな中庭があった。中庭に面した部屋はよその組で、その組の子達は部屋の窓からいつも中庭に出て遊んでいた。私も出てみたかったが、歳の違う知らない子ばかりの部屋へ入っていって、窓から出る気にはなれなかった。その部屋のある建物の1階と、中庭の向かいの増築部分の2階はスロープの廊下で繋がっていた。廊下の窓下にはお道具入れのボックスが並んでいた。よくあるカラーボックスのようなものだ。私は毎日そのボックスの上に座って、この窓から中庭に降りられないだろうか、と考えていた。上から見ると、壁に突起物がいくつか見える。窓枠にぶら下がって、最初にあの突起に足をかけ、次にあちらに反対の足をかけて、次はこちら、最後は飛び降りれば中庭に降りられるのではないか、と何度も頭の中でシミュレーションして、ある日実行してみることにした。ところが、窓枠に手をかけて壁の向こうへぶら下がってみると、最初の突起には到底足が届かないことがわかった。上から見ていたので、遠近感が全く違ったのだ。どうしようかな、全然届かないし、手を離したら怪我するかな・・・などと思案していると、先生達が飛んできて引っ張りあげられた。それからどうなったのか憶えていないが、怒られはしなかったような気がする。中庭に出たかったら、下の部屋の窓から出るように、と言われたように思うが、私は窓からぶら下がってみんなが大騒ぎになっても平気なのに、よその組の部屋へ行って窓から出る、ということはシャイでできない、という変な子どもだった。ずっと大きくなってからこの時の話をしたら、親は初めて聞いた、と驚いていた。先生はどうやら、本当のことは話さなかったらしい。ボックスの上に座って向こう側へ足を出していたので、驚かさないように気をつけながら声をかけて下へおろした、という話になっていたようだ。 Curiosity killed the cat.《好奇心は猫を殺す》という諺があるが、よくまあ、ここまでこられたものだ。無事に、とは言い難い気もするが。
2006年06月24日
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私は思考がきわめて単純で、気が短い。おまけに本質を示すソウルカードが“正義”であるためか、白黒はっきりつけたがる傾向が強い。理系のせいか(?)論理的に問題がない、と納得すると情緒的なためらいがあまりない。何か新しいことを思いつくと、果たしてそれが可能なのか、或いは有効なのか、結果を早く知りたくなる。空想を膨らませて楽しむよりも、現実の結論を知りたくて実践してみたくなる。実践方法も確実性が高く、効率よいものにしたいので、しっかりと計画をたてる。当然ながら不確定要素はいろいろとあるが、わかっている範囲においては論理的に問題がないので、実行に移すことに躊躇はない。考えうるトラブルは全てリストアップして、とりあえず3段階くらいの回避・リカバリー手段は用意してある。最悪の事態を考えて、犠牲にするものと撤退ラインを決める。予想外のことも起こるだろうが、なにせ予想外なのでこればかりはやってみなければわからない。自己顕示欲がないほうなので、失敗して笑われたら、という怖れがあまりない。全くないわけでは勿論ないけれど、それよりも好奇心のほうが勝つ。と、ここまで書いてきてはっきりと確信をもった。私のモチベーションの核となっているのは、好奇心なのだ。
2006年06月23日
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その頃私は始めてみたのはいいものの、アイディアを現実化するためのノウハウとシステムを持った人がいないとそこから先には進めない、というところにいた。方向性は間違っていない筈なのだが、思いつくだけではだめなわけで、実際に形になって初めて意味を持つ。よく、出来上がったものを見て、「自分も同じことをもっと前に考えていた」 とか「そのアイディアは自分がだしたのだ」と言う人がいるけれど、確かにアイディアがなければ始まらないが、自分が思いつく程度のことは大抵は他の誰かも考えついている。それに、アイディアをだすこととそれを実現することの間には膨大な開きがある。自分が考えついた、というなら自分が現実化すればよかったではないか。動こうとすると、実に大小さまざまな問題が次々に現れてくるのだが、動いたことのない人はそれがわからないから、平気で上のようなことを言う。いいアイディアを出す(だけ)の人はたくさんいる。玉石混合の中から、良質な原石を拾いだし、磨いて商品にするまでにどれくらいの工程があると思っているのだろう。「それならご自分でなさってはいかがですか?」と言うと、こういう人に限って、お金がない、とか、時間がない、とか、できない理由をいろいろと挙げる。全ての要素が揃ってはじめて形になるのだ。アイディアは大切だけれども、同時にその要素の一つにすぎない。考えているだけ、思っているだけ、ならそれは他の人にとっては存在しないのと同じことだ。
2006年06月22日
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一年前からお会いしたいと思っていた方と、ようやく会うことができた。その某氏は年に一度のあるイベントをプロデュースしている。昨年、参加者からご案内をいただき、初めて行った。そのときに、たまたま知り合ったお二方と初対面なのにそのまま飲みに行き、すっかり意気投合して今でもお付き合いさせていただいている。お二人は某氏とは以前から親しいらしく、私のことをぜひ紹介したい、としきりに言っていた。何度か集まる機会を設けようとしてくれたのだが、某氏は非常に多忙でいつも不参加のお返事だった。高山へ行ったときに、吉島氏の口から思いもかけず、某氏の名前が出た。「○○って知ってる?」「ええ、お名前だけは」「学生の頃、東京で一緒に住んでたことがある」「ええっ!!そうなんですか!」本当にびっくりした。こんなことってあるんだろうか。確かに同年代ではあるけれど、吉島氏と某氏は大学も違う。なんでまた、ルームシェアなんかしていたんだろう。このお二人がどんな共同生活をしていたのか、とても興味あるところだ。しかし、ネットとはよく言ったもので、点在していたユニットを繋ぐ線が次々にできて、いつの間にか人脈が網の目のようになっている。某氏とはお会いするのは初めてだけれど、活動のご案内やご報告のメールは何度か送らせていただいていた。彼らから私の話も聞いていらしたようで、紹介していただいてご挨拶するとすぐにわかってもらえた。会場では入れ替わり立ち代り、皆さんがご挨拶に見えるので話は途切れがちだったが、それでも十分に興味深く意義あるお話をうかがうことができた。やっぱり楽しい。自分の言葉で自分の美学を語れる人と、話すことができる時間が一番楽しい。
2006年06月21日
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1970年代から1980年代、女子テニスの決勝はいつもクリス・エバートとマルチナ・ナブラチロワだったような気がする。実際はもちろん全てがそうだったわけではないのだろうが、印象としてはそうだ。天才少女と呼ばれる新人が彗星のごとく現れても、いつのまにかまたこの二人の戦いに戻っていた。次々に世代交代していく女子プロスポーツの世界で、この二人ほど長い間トップにい続けた人たちはいないのではないだろうか。クリス・エバートとナブラチロワは好対照だった。筋肉隆々といった感じで力強く男性的なナブラチロワと、スタイリッシュでいつまでも少女のような雰囲気のクリス・エバート。どんな時にも表情を変えずにプレーしていたことから、“アイス・ドール”(氷の人形)と呼ばれたクリス・エバートが、私は好きだった。彼女の発言で今でも憶えている言葉がある。 「転んでまでとりたいボールなんかないわ」醜態を晒してまで貪欲に勝利を求めない、と言いながら圧倒的に強かった。かっこよかったなぁ、と今でも思う。そういえば、件の建築家も「筋肉つけるよりかっこつけろ」と言っていたっけ。
2006年06月20日
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以前は毎週、いくつもの星占いのページを欠かさずにチェックしていたものだが、最近は殆ど見るのも忘れている。久しぶりにブックマークに入れてある、占いページを見てみた。------------------------------------------------------------ - 前略 - 射手座の性格の核を成すのが「意思あるところには道あり」という格言です。 この道、他の星座は見たことも聞いたこともありません。また、その道は必要に 迫られたとき忽然とあなたの前に出現します。現時点でそんな道はまだ見つかっ ていません。諦めずに探し続けてください。必ず見つかるでしょうから! ジョナサン・ケイナーの星占い------------------------------------------------------------ 多くのことはコツコツ長期計画で考えていて良いでしょう。ひとつふたつ、特別に 思い入れの深いことについてだけ、一点集中して力を注ぐとよい運勢があります。 ある日ある時間に向けて準備をし、力を出すべき点に集中できるような機会がある 人は、計画的に奮起して大いに頑張ってみてよいでしょう。そういうチャンスのため にも、今すぐ行動や結果を求めなくてよいことや普段の生活などは、長い目で考えて 着々と積み重ねるのがよい感じです。- 後略 - よーじゅ的タロットルーム------------------------------------------------------------ちょっと閉塞感まではいかないけれど、どうしたらいいんだろう、みたいな気分はあったので、これらを読んで元気を取り戻した感じ。「コツコツ長期計画」「長い目で考えて着々と積み重ねる」は、先日チャネラーさんに言われた「ひとつひとつこつこつと」と同じだ。やっぱり今はそういう時期なのだろう。
2006年06月19日
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その建築家は支持率が5%を切ることを目指しているのだそうだ。今はだいたい10%くらいではないか、と思うので5%まで落とさないと、という。5%を切っていないと本物ではないのだそうだ。つまり、大勢の人に支持されている、ということは現在の状況に即しているので理解されやすい、ということに他ならず、まだ殆どの人には理解されない未来のことを考えているのではない、というのだ。自己顕示欲が強い、とか、はったり屋、とか昔から陰口を言われることも多い方だったが、それだけではない確かな結果を残している。40年近く前から同じことを提唱し続けているが、今になってそれはしっかりと現実となっている。確固とした自信と信念があるのだ。70歳を過ぎた今でも、「仕事がなくなったら、食べるものを減らせばいいんです。」という。生活のための仕事はしない、ということだ。それと同時に、若い人たちに建築以外の道も自分のものにしておいたほうがいい、というアドバイスもする。「建築の仕事がなくなっても、私は本が書ける。君たちも何かそういうものを持っていたほうがいい。」と。建築を目指したころ、建物を建てることができる日が来るとは思わなかったそうだ。当時日本は敗戦後の焼け野原で、大きな建築物を設計できるようになるあてなどなかった。それでも毎日、仮想プロジェクトを設計し、スパゲッティや乾麺をご飯粒の糊でつけて模型を作り、夜には茹でて食べていたそうだ。哲学に関しても造詣が深く、西欧の学会で自説を発表する。お話を聞いて実際にその一端を垣間見て、知識も勉強も半端でないことがよくわかる。人を誹謗することは易しい。でも、その人がどれだけのものを持ち、それをどのようにして手にいれてきたのか、考えることも知ることもせずにそう言うことは、自分自身の貧しさを露呈するだけだということに、気づかない人が多い。
2006年06月18日
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先日、ある建築家の対談を聞きに行った。以前「建築家のメモ」でお世話になった方だ。ご挨拶するとしっかり憶えていてくださった。あの時はインタビューもテープ起しも初めてのことで、いきなり難しい内容の話を文字数内にどうやってまとめようか、と戸惑った。何度も繰り返しテープを聞き、わからないところは調べて補足し、なんとか書き上げた。インタビューの終わりに「先生のお話は大変高度で難しく、私にまとめられるかどうかわかりませんが、なんとかがんばってみます。」と言うと「どうぞ好きに書いてください。あなたはプロなんですからお任せしますよ。」と言われた。さすがにすごい人だな、と思った。馴染みの編集者ではないのだ。初対面で、インタビュー慣れしていないこともすぐわかるだろう。それでも「プロなのだから任せる」と言う。初めてだから、とか成り行きで引き受けることになった、とかは関係ないのだ。私はプロとしてこの仕事をするためにここにいるのだ。この一言で、そのとき強くそう思った。書き上げた原稿を確認していただくために送ると、どうしてもなんと表現するのかわからなくて、曖昧にごまかした部分だけに赤が入っていた。インタビューにはでてこなかった言葉が、その部分に置き換えて入っていた。「あの時の先生のお話は内容が深くて、まとめさせていただくのが難しかったです。」と言うと「いや、よく書けていましたよ。たいしたもんです。よく勉強されていると思いましたよ。」と言ってくださった。転機もチャンスもいつどんな形で訪れるかわからない。ただひとつ言えることは、何度も言っていることだが"今、目の前にあることに最善を尽くす”これにつきると思う。
2006年06月17日
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ネット徘徊のひろいもの。最近のヒットはどこかのブログで見つけたこのフレーズ。 諭吉が手を取り合って出て行ったかなりウケた。お友達をたくさん連れて帰っておいでね。
2006年06月16日
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ちょっと嬉しいことがあった。全く期待していなかったのに、2つが2つともクリアできた。そうか・・・もうそれだけの時間が経ったのか・・・あの時は気が遠くなるほど遠い先のことに思えたけれど。時間がたちさえすれば解決できることがある。時間がたたなければ決して解決できないこともある。根気よく、諦めずに時が過ぎるのを待てばいいのだ。“時期”でないことにやみくもに向かっていってもしかたがない。“その時”が来るまで、今できることに精一杯の力で取り組んでいくしかない。時は必ず過ぎていくのだ。“その時”は必ず来る。
2006年06月15日
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自分にとってのバランス感覚、というのが重要なのかもしれない、と最近思っている。近くにいたり、話していて、居心地の悪い相手はどうもこれが欠けているような気がする。強い人は強いなりに、弱い人は弱いなりに、というと変な言い方だけれども、あまりに違い過ぎる部分が混在していなくて、全体に調和がとれている人は安心していられる。言いかえれば、自然体、ということなのだろう。全体のバランスをとりながら先へ進むことができれば、理想的なのだろうけれど、なかなかむずかしい。逆に思い切ってある部分だけを崩して、突出させてしまうのもよいのかもしれない。それに合わせて調整しようとすることで、他の部分も成長促進できる場合もある。いずれにしても、平衡状態に持っていこうとすることが、ポイントのように思っている。
2006年06月14日
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面白いもので、図面を描いたり、企画を考えたり、デザインの仕事をしたりしている時はかなり忙しくてもブログが書ける。ところが、文章を書く仕事が続くとブログが書けなくなる。仕事によって使っている頭の部位がきっと違うのだろう。考えていることや、仕事の中で気づいたこと、感じたことなどを、今やっていることとは全く違う「文章を書く」というところに落とし込むことができる。ところが、文章を書く仕事をしている時は、その部分はフルに仕事のために使われる。自分の書きたいことを書くのではなく、オーダーに合わせて書く、ということは本来の自分の位置座標を修正して違うところから書かなくてはならない。そうすると、自分の座標から書くブログは書けなくなる。
2006年06月13日
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新宿の紀伊國屋書店4階のギャラリーで「オークヴィレッジの家具展」が開催されているので行ってきた。オークヴィレッジには大学の後輩がいる。先日、ある方からそのことを聞き、連絡先も教えてくださったので電話をしてみると、近々紀伊國屋書店で展示即売会があるので、その時は東京に来て展示場にいるという。それで訪ねていった次第だ。それほど広くはない会場に、それでもダイニングセットや食器棚、文机などが展示されていた。文机には通常の木目とは違う細かく波打ったような、しわのような模様がある。これは「縮み杢」といって厳しい自然環境で成育した樹によく見られ、漆を塗るとはっきりと現れるそうだ。2000本に1本の割合でしかないという最高級の素材、バーズアイメープルも「鳥目杢」と呼ばれる杢の一種だ。模様の出方がとても美しいが、強度的にはどうなのだろう、と思って訊いてみた。家具では何の問題もないが、バットなどではこの部分に力がかかると折れてしまうのだという。バット製造工場では、使えない部材として廃棄、焼却していたのを、提携してまわしてもらうことになったそうだ。バットとしては不良な素材が、家具としては逆に価値あるものとなる。場面や用途に応じてどのようにでも生かされるのが、木を始めとする自然素材の持つよさだろう。これが工業製品なら、不良品はどこまでいっても不良品でしかない可能性が極めて高いが。会場では大きな画面で、オークヴィレッジのDVDの映像がずっと流されていた。吉島家住宅も解説と共に内部が紹介されていた。DVDでも言っているが、アメリカの現代建築の巨匠チャールズ・ムーアは飛騨を訪れた時に、吉島家を「世界を半周しても見に来る価値がある」と絶賛した。「人間の手で造られたものの中では最高傑作」とまで言ったとも聞く。日本人はもっと先人の美意識を、それを手技によって創出した職人の仕事を、尊重して敬意を払ってもよいのではないだろうか。
2006年06月12日
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スタジオジブリが「ゲド戦記」をアニメ映画化した。う~ん・・・正直、見たくない・・・「ゲド戦記」はフリーページのお薦め本にも挙げているように、私の好きな本だ。正確に言えば第1巻の「影との戦い」だけだが。今回、アニメ化されたのは第3巻の「さいはての島へ」らしいから、第1巻でないだけまだましか。「指輪物語」「 ナルニア国ものがたり」とあわせて世界三大ファンタジーと言われているそうだから、前2作が映画化されて話題になったので時期的にもちょうど、ということなのかもしれない。物語としては第1巻が私は好きだが、全巻を通じて名言や名文が散りばめられている。真理であると同時に、時に詩的で美しい文章だ。翻訳でしか読んでいないが、邦訳が秀逸であるだけでなくおそらく原文も美しいのだろうと思われる。「影との戦い」は1968年に書かれた児童文学で、スターウォーズやロールプレイングゲームの基になったようなストーリーだが、人の心の深淵や自分自身の闇の部分との葛藤も描かれていて、大人にとっても十分に読み応えのある作品だ。スタジオジブリの手にかかると、何でもわかりやすく教訓的な話にすりかえられそうだ、と思うのは私の偏見だろうか。批評をするつもりは毛頭ないけれど、単に好き嫌いで言うのなら、嫌い寄りの無関心というところか。(微妙・・・)ところで「アースシー」って「Earthsea」だったんだ!! ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ 飛翔せるタカの 虚空にこそ輝ける如くに
2006年06月11日
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朝、友人からメールがきて、高山にいる、とのこと。吉島家住宅を見にいってきたらしい。友人のところから高山までは車で1時間ほどだろうか。彼のブログには私よりはるかに建築的な観点から吉島家と高山が語られている。
2006年06月10日
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この本の著者は元大学教授で商学博士、日本の商品色彩学の草分け的存在だそうだ。建築、インテリアのみならず、アパレル、食品、照明などの業界で、カラーコーディネートやデザインの指導をしていたとのことだ。色彩を光として数値に置き換え、膨大な研究と実験結果を元にデータを提示しながら、それを具体的な心理や身体への影響から衣食住のアドバイスまで落としこんでいる。学術書だったら退屈かもしれないが、こうして実際の生活にあてはめて活用したり、参考になるので読んでいて面白い。相手の服装や好みの色で、心身の状態もある程度わかるかもしれない。ところで、著者は学者で数値や実験データを多く掲載しているにも関わらず、興味深い記述もあった。黒は肉体を老化させる、という項目の前に、若返りに効果のある色としてピンクをあげている。下垂体や松果体、視床下部を刺激して、ホルモンや内分泌系を活性化するのだそうだ。ピンクのブラウスを着たり、カーテンをピンクにすると若返った、という実験結果があるそうだが、さらに積極的に活用する方法として、色彩呼吸法というのを紹介している。ピンクの色を思い浮かべ、ピンク色の空気を吸い込んで「美しくなりたい!」とか「若くなりたい!」と願うといいそうだ。さらに、ピンクの空気を吸ったあと息を止めて、若返りたい身体の部分へ吐きかける、と書いてある。実験では半年以上続けると、しわやたるみが消えるそうだ。この著者の『誕生色事典―「色の秘密」366日』という本も面白そうだ。1年366日分の色とその色名が書いてあって、その色が自分の「誕生色」なのだそうだ。「自分色」によって、特徴や適職など今まで気づかなかった自分自身を知ることができるらしい。色を眺めているだけでも心が落ち着くそうだ。
2006年06月09日
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ラッキーカラーや風水など、色で運気を向上させる、というのはあながち根拠のないことでもないらしい。好きな色と性格は密接な関係をもつが、性質の不足している部分が色を補うことによって補正されたり、交渉ごとや会議でも服装の色が結構影響力を持つそうだ。インテリアや衣服の色は、目だけでなく皮膚でも見ているそうで、身体に直接作用する。弛緩や緊張などの筋肉反応や、交感神経、下垂体にも刺激を与えるそうだ。身体のためには緑色がいいらしい。本物のグリーンはもちろんのこと、緑色のものを見るだけでもいいそうだ。ただし、空想をもたらすので、妄想傾向の強い人には禁物だということだ。ちなみにロンドンやサンフランシスコの自殺の名所だった橋では、色を塗り替えただけで自殺者が三分の一以下に急減したというのだから、たかが色とは侮れない。
2006年06月08日
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この本には更に興味深いことが書いてあった。音を色として感じることができるのだという。音を聴いて、色を見ることを「色聴」といって、その特殊能力を持つ人を、心理学では「色聴所有者」と呼ぶそうだが、一般の人も多少はこの傾向をもつそうだ。ひとつひとつの音に見える色が決まっていて、和音やいくつかの音を一緒に聞かせると、それぞれの色の混色になる、というのだから面白い。また、音の強弱や高低もそれぞれ色に影響を与え、明色や暗色になるのだそうだ。低音では色は濃く見え、高音ではどんな色も黄色身を帯びる、と書いてある。女性や子どもの甲高い声を「黄色い声」というのは、見ているものの色を一瞬にして黄色がかって見せるからなのだ。
2006年06月07日
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色彩について調べる必要があり、資料を探していた。時間があいてしまったのでたまたま寄った書店に、平積みになっていた本をぱらぱらとめくってみたら、ちょうど必要な情報が得られそうだった。色が視覚を通じて心理的に作用することは、誰でも想像に難くないと思うが、視覚を介さずに色が直接肉体に働きかける、というのは驚きだった。しかし解説を読めば、色は即ち光であり、どの波長の光なのか、というのを視覚によって認識しているわけだから、目だけでなく皮膚全体で色を見ているというのも当然だと納得できる。植物が光のほうへ向くのと同じように、人間も目隠しした状態で背後の片側から光を照射すると、見えていないにもかかわらずそちらへ身体が傾くそうだ。以前、黒い服を着ないように、とアドバイスをされたが、単に心理的なもの(沈みがちになる)やスピリチュアル的な助言ではなくて、科学的な根拠がある。白い布地は全ての色波長を透過するが、黒い布地は全ての色波長を吸収する。どういうことかというと、白い布は生命体が必要とする光を透過するが、黒い布は吸収してしまい、肌がしなびて老け込んでしまうのだという。風邪を引いた時は、素肌に白いシャツを着て、白湯を三杯飲んで寝るといいそうだ。たっぷり汗をかいたら新しい白い下着に着替えると、二日で治ってしまうとのことだ。白という色が放射エネルギーを肌に透過して、自律神経を活性化させて、胎内のウイルスを汗とともに排出してしまうそうなので、風邪を引いた時はぜひお試しを。
2006年06月06日
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侃々諤々(かんかんがくがく) はばかることなく正論を堂々と主張するさま。また、大いに議論するさま。侃諤。 「―と議論をたたかわす」喧々囂々(けんけんごうごう) 多くの人が銘々勝手に発言してやかましいさま。 「不注意な発言が―たる論議をよびおこす」 【三省堂国語辞典】この二つの言葉が混交してしまい、「けんけんがくがく」と言っている人が結構いる。先日も数人で話していたときに、その中の一人がこう言っていた。注意すべきかどうか、こういう時は本当に迷ってしまう。友人だったらその場ででも、後で本人だけにでもいくらでも言うことができるのだが、数回しか会ったことのない年長者だったりすると、結局黙ったままでいてしまう。その年齢になるまで知らずに使っていたのだ、何の問題もなく。指摘されたとたんに、何十年の恥ずかしさが一度に湧き上がってくることになってしまうかもしれない。自分で気づいて密かに訂正するのとは、比べものにならないくらい恥ずかしいのではないか、と思ってしまって私からは伝えられない。こういう時はPCが便利だ。間違った言葉は単語として一度で変換できないからだ。ためしに「けんけんがくがく」と辞書ツールに入れてみると、「該当する項目が見つかりませんでした」と言われる。手書きだったら書いてしまっていただろう間違いに気づくことも多い。
2006年06月05日
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PCの前にいる時間が長く、思いついたことや書き留めておかないと忘れそうなことは、紙に書くよりPCで打ち込んでおくことのほうが多い。メモ書きなど急いで書いたものは、あとから読み返そうと思っても、自分でも読めないこともしばしば。中学生の時はペン習字の宿題はいつも貼り出されていたのに・・・メールではなくて手紙を出すことも多いが、長文だとワードで書いてプリントする。読みやすい字が書けないので、非礼を詫びて署名だけ自筆にする。どうしても手書きで出さないとならない相手には、ワードで下書きしてそれを見ながら手書きで清書する。考えるスピードでキーボードを打つところまではまだいかないが、少なくとも後でちゃんと判別できる字を書くよりは早い。漢字も変換されるので、辞書をひく手間もなくていいのだが、たまに変換ミスに気づかないことがある。難しい言葉ではなくてむしろ簡単な、手で書いたら絶対に間違えないような言葉のほうがミスは多い。頻繁に使う言葉だし、正しく変換されているものと頭から思い込んでいるからだろう。
2006年06月04日
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これから先の手がかりを探して、いろいろなところをあたってみた。ネットや紙媒体から情報を得て、何人かの方に直接連絡を差し上げたところ、その中の一人の方から早速お返事をいただき、訪問することになった。私の考えていることは、お話すると大概理解や評価をしていただけるけれど、実際に行動できなければ結局、理想論や机上の空論になってしまう。実現するには協力者が必要だ。しかも一度や二度ならまだしも、ボランティアで協力していただくのでは長くは続けられない。そのあたりをどう整合させていくのか、が一番の問題だった。思いもかけず、この方から素晴らしいアイディアをいただいた。互いにメリットがなければ、どこかに無理や歪が生じる。長期的な視点で見れば必ずメリットになるのだが、短期でもそれがなければ持ちこたえることは難しいだろう。両方を満足させることができる手段があったのだ。幸いなことに、そこに繋がる個人的なルートが別なところにある。そのルートのことを知ったのも、つい最近のことだ。全ては完璧なタイミングで用意されている。それは信じていい。
2006年06月03日
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チャネラーさんに言われた。「もう、6月ですよ」そうだ、もう6月なのだ。まだまだ先のこと、とのんびりしているわけにいかない。予定はまだでも今から準備を整えておかないと、その時になって何もできていないことになってしまう。逆算したらもう、すぐにでも始めないとならない。締め切りに追われないとエンジンがかからないので困ったものだ。いつもラスト・スパートばかりではしょうがない。
2006年06月02日
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この社長もとても素敵な方だ。ある会社が学生向けに出した起業家募集の広告を見て、「36歳で家庭の主婦だけどいいですか?」と電話で尋ねたら「かまわない」というので、すぐに一晩かけて企画書を作って送ったそうだ。企画書を出してから何ヶ月たっても返事がこないので、何度か電話をしてみても、『慎重に審議中です』という返事ばかり。電話でダメなら直接!と会社を訪ねて事業部の責任者に会って話をしたそうだ。後日、その会社の代表に「あなたはこのビジネスを金儲けのためにやるのか?」と訊かれた。確かに生活できるくらいのお金は必要だが、お金儲けが目的ということではないので「わたしはお金儲けではなく、芸術家のためになると思ってやりたいのです」と答えると、代表は「あなたは社会のためにこの事業をやりたいのですね。わかりました。援助をしましょう!」 と言って出資してくれたそうだ。この代表も会社の名前を出せば誰でも知っている人だが、一代であれだけの大企業にしたのにその根底にあるものは、営利ではなくて公益なのだ。逆の言い方をするなら、だからこそあそこまで事業を大きくできたのかもしれない。人のためにすることは、それが真にみんなにとってよいことなら、多くのサポートやパワーがその人の元にかえってくる。自分の利益のためにした結果よりももっとたくさんのものが、その人によって利益をもらった人たちから返ってくるのだ。
2006年06月01日
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