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雨の日の翌日(10/22)お昼前、久々に富士山が姿を現してる。と思ったら、雪が積もってた。2019年(令和元年)の富士山初冠雪のようです。そして、初冠雪のこの日は「即位礼正殿の儀」が行われた特別な日。偶然とはいえ、おめでたい なぁ~。今年の初冠雪は冠のような積雪ではなく、普通に雪が降った形。(当blog参照:富士山初冠雪)富士山が見えてると何故か嬉しくって、時間がある日は写真を撮りたくなります。翌日の今日も同じ状態の富士山がきれいに見えてたので、せっかくのお休みだし富士山撮影に行ってきました。【さった峠】より 前回のさった峠からの富士山は、当blog参照:富士山 初雪化粧より。三保の松原へ移動し、今年2019年3月30日(平成31年)にOPENした三保松原文化創造センター「みほしるべ」へ。展示室を見学する前に屋上からの富士山を。 ちょっと離れると霞がかかって白っぽく見えるなぁ~。「みほしるべ」では三保松原に関する絵画、写真などが展示されています。 これは、羽衣の松の葉をうすくスライスして(0.02mm)赤く染めたもの。顕微鏡を覗いて写真撮影してみました。ところどころにお花のように見える部分は樹脂の通り道:樹脂道(じゅしどう)です。こんなの見るの、生物の授業以来かも~!【三保の松原】より沿岸約5kmにわたり松林が続く「三保松原」は、松原越しに富士山を望む風致景観の優れた場所として、大正11年(1922年)に日本初の名勝に指定されました。 前回の「三保の松原」からの富士山は、当blog参照:三保より。前回の海が入った写真の方が私的には好きかなぁ~。三保松原の海岸は黒砂です。火山に関係するのかと思ったら違うようです。 三保は、東北方向に伸びた長さ6km の砂嘴(さし)です、安倍川がもたらした土砂と、久能山東照宮が位置する有度山の南斜面の海食崖から削り取られた大量の砂礫が、東に運ばれて三保嶋が形成されました。(世界文化遺産「富士山」構成資産 三保松原 三保松原の歴史・地勢より)10月も下旬に差し掛かっているにも関わらず、昼間はまだまだ暑いです。静岡の方々は既に厚手の長袖を着用されているが、寒がりの私でも半袖でも暑く、汗ばむほど。関西人は静岡の方々とは体感温度が違うようです。昼食は前回「三保松原」へ寄った際に行った とんかつ「五郎十」で。 前回はデカイ、分厚い「ロースカツ定食」でお腹いっぱい過ぎて胃がもたれる程だったので、今回は「ロース ゴマ入り生姜焼き定食」にしてみました。 これまたデカイ、分厚い。 写真ではデカさが伝わらないなぁ~。撮影技術の問題ですね。 揚げてない分 胃がもたれず 食べきれました。味が濃い目なので、さっぱりするのにキャベツのおかわり出来るといいなぁ~。富士山 堪能しました。
2019年10月23日
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うさぎの島、地図から消された島、毒ガス島、などの呼び名がある広島の離島【大久野島】ずっと行ってみたかった島の一つ。アオハタジャム工場の向かい側の忠海港第2駐車場へ車を止めて切符売り場へ。 港前には「不思議の国のアリス」っぽい造りの可愛い建物が。 この建物内に、船のチケットを購入する券売機がある。 忠海港からはフェリーと休暇村客船の2種どちらかに乗って約15分で大久野島へ。 行きは旅客110人乗りの客船「ホワイトフリッパー」号。これに乗れなかった人は、次の船を待つしかないので、着いたら即並ぶのがお薦め予めフェリーか客船かを知っておきたい方は「大久野島へのアクセス」で要チェックhttps://www.qkamura.or.jp/cms/booklet/57260034/20180315104335.pdf島へ到着後、ビジターセンターへの無料送迎バスに乗るかどうか迷ったが、到着した第2桟橋のフェリー待合所内で地図をGETできたので、乗らずにここからSTART。 待合所から出たら、猛ダッシュで駆け寄ってきたこの子。 可愛すぎ~ 萌え~~ 辺りを見渡すと、あちこちにウサギ、兎、うさぎ。船を並んでる方々が大量に人参やキャベツを持ち込んでいた理由、わかります。お菓子やパンは食べさせないでネ「うさぎ からみんなへ おねがい」https://www.qkamura.or.jp/cms/booklet/57260034/20170503213216.pdf仲良く固まって井戸端会議? 地図を見るため、立ち止まるたびにあちこちから駆け寄ってくるうさぎちゃん。 エサくれ、くれ~。この子たちはラブラブ もはや2人ならぬ2羽の世界。 後ろ姿も可愛い。 そして、器用です。 うさぎに夢中になって、ちゃんとした道を歩かないと、ウサギが掘った穴ぼこ(寝床?)に足つっこんでくじけそうになったり、こけそうになったり。(笑) 土の部分はボコボコなので、足元注意です。まずは「大久野島ビジターセンター」瀬戸内海国立公園の自然や歴史、文化にふれあうための情報発信施設。 木の根っ子が外に飛び出してるデザインが面白い。「大久野島灯台」明治27年5月 初点灯。 灯器は石油使用→大正14年にアセチレンガス使用に改善→昭和11年 電灯使用に改善→→昭和33年に自動化(無人運用)と歴史ある灯台です。 しかし、近くまで行けない。灯台の広場のある向かい側にはお地蔵さん?うさぎちゃんも日々お参り。 灯台は、当然山手に設置されているのだが、弱い子達はここを隠れ家にしてるようです。 目をやられた白兎に出会った(左)。他にも耳をかじられたうさぎちゃん、足の悪い子(右)など、強い子にイジメられてるようです。動物の世界は厳しい。 山の中腹辺りで「小久野島」を望む。山を降りて海辺にはウサギ耳オブジェ。うさぎの耳の形の集音器です。 ウサギは弱い動物なので、敵を早く発見するため音がよく聞こえるよう耳が大きいんですよ。と、うさぎちゃんはおいといて、せっかくなので島一周し、毒ガス製造遺跡を巡ります。第2桟橋のフェリー待合所内でGETした地図は、日本語版と英語版があり、英語版の方が詳しく記載されています。日本語版は、あらかじめ「大久野島MAP」https://www.qkamura.or.jp/cms/booklet/57260034/20190423074856.pdfをダウンロードして英語版と見比べながら歩くのがおススメ。万が一 地図がなくっても、要所要所に案内板があるので、問題ないです。「毒ガス資料館」 内部は撮影禁止。 DVD映像が流れる研修室内に掲示されている地図がとても判りやすかったが撮影禁止だったので、残念。昭和4年~昭和20年の終戦まで秘密の「毒ガス島」として当時の陸軍毒ガス製造所が建設。製造、処理作業で多くの方々が被ばくし、亡くなられています。資料館では、毒ガスの実態を知り、二度と繰り返さぬ事を願い、ご遺族から貴重な資料をご寄贈されたものを掲示している重要な資料館です。外にある「陶磁器製毒ガス製造器具」を掲載しておきます。 ここには見張り番のウサギちゃんが右端にいますよ。 たまたまと思うけど。(笑)『長浦毒ガス貯蔵庫跡』主にイペリットとルイサイト製品を製造。いずれも びらん性ガスと呼ばれ、皮膚をただれさせる性質を持つ。年間生産量は多いときは 1,500t、製造期(15年間)の総生産量 6,616tと言われています。 コンクリートの内側が黒いのは、火炎放射器で償却した跡。当時は迷彩色だったよう。竪型毒物貯蔵槽(直径4m、高さ11m、容量85t)が入るほどの大きさで、デカいです。『北部砲台跡』日露戦争が始まる前の明治35年(1902年)に設置された砲台跡。「地下兵舎跡」 「トンネル」 「斯加24cm加農(カノン)砲跡」に『毒ガス(ルイサイト)タンク台座』が設置。 ここから最北部エリアが見えました。 行けなくなってましたが、そこには主に筒類ガスの「点火試験場」があったようです。更に「北部砲台跡」が続きます。「斯加12cm速射加農(カノン)砲跡」 「砲側庫跡」 案内看板にあるこの地図がわかりやすい。 「司令塔跡」を見逃しました。(>_<)ここを過ぎるとシダの道がしばらく続きます。 そして、通り道から見えた「オイルタンク跡」 奥に建物が見える。が、ここは入ってはダメな場所だったみたい。すいません。 正規の入口から見学です。『発電場跡』 毒ガスを製造する際(1929~1945年)に重油を燃料に電力を供給していた発電場跡。また、風船爆弾の風船の弱い部分を補修する(女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合わせ)作業も行われていました。ここから海に出ると、 石で造られた「芸予要塞時代の桟橋」に。毒ガス工場時代は人間の上陸に、その後は資材などを陸揚げするために使用されました。偶然にも「飛鳥Ⅱ(ASUKAⅡ)」に遭遇。 デカイですね。他にも「幹部用防空壕跡」「自動交換機室跡」「研究所跡」「南部照明所跡」「毒ガス工場時代のトイレ跡」「毒ガス貯蔵庫跡」や、や、土砂崩れの為、通行禁止で行けなかった「中部砲台跡」「火薬庫跡」などなど見所沢山。 「火薬庫跡」見たかった~。今後、崩れてる道は修復するのかなぁ~・・・。毒ガスの被ばくは、肌が腫れ、ただれ、辛いどころではない状態で、本当に痛々しく戦争の為、お国の為、とはいえ 人があって成り立つ事。お偉い方々はもっと国民の人々の為を思い、考えるべきだったと思う。大久野島は島をのんびり歩いて一周すると約60分。らしいのですが、戦跡観光しつつウサギちゃんとたわむれていると、あっという間の3時間。帰りはフェリー。時間帯によっては降り場と乗り場が違う場合あり。待合所で先に要確認。 船から大久野島(左)と小久野島(右)を望み、帰路に就く。 忠海(ただのうみ)港に着くと、長蛇の列。 第1駐車場の奥の端っこを超えて並んでてビックリ。フェリーだから乗れると思うけど・・・。やはり、お昼を挟んでゆっくりまったりの上陸が良さそうです。人も少ないし。忠海港で見つけたうさぎのマンホール(ショップ入口にあります。) おでかけ出来なくなるくらいのおばあちゃんになったら、うさぎちゃん飼いたいなぁ~。大久野島、堪能しました。
2019年10月21日
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今年 2019年(令和元年) は、呉鎮守府が明治22年に開庁してから130年。 『呉鎮守府開庁130周年』で土日のイベントに加え、映画「この世界の片隅に」のスタンプラリーも兼ね、週末の土日はミリオタさん達で大賑わい。しかも男率高すぎ~。入場するのに長蛇の列ができていて、女性を探すほうが難しく、男、男、男・・・。「鎮守府」は予約してなかったので見送り。というか、今回は見送りが正解だったかも。TVニュースで10/19の「海自カレーフェスタ」の様子が流れたが、あえて数少ない女性を映してた。野呂山から帰ってから巡るのは、残りの日本遺産巡り。【日本遺産を構成する呉市の文化財群】は20件。判りやすく呉市のHP上の番号【1】~【20】を記載しておきます。【11】旧呉海軍工廠海軍技手養成所跡と周辺の海軍遺構 「アレイからすこじま」駐車場辺りに『海軍技手養成所跡』があります。 大正7年(1918年) 呉海軍工廠は中国・四国地方の小学校高等科二年卒業生より、厳重な試験により、優秀者を採用し、中堅工員養成目的でこの地に職工教習所(工員養成所)を開校し、終戦までの27年間に約2万名の卒業生を送り出した。見習工 → 3年間の本科 → 選ばれて補修科 → 全国の工廠からの技手養成所等への道を設けられ名実共に工廠(陸海軍に直接所属して、軍需品を製造する工場)を担う者となった。養成所跡近くには、『防空監視所跡』 こんもりした山のように見える「串山公園」内にある神社へ向かう階段途中には これは「トーチカ(コンクリート製の防御陣地)」? 覗いてみました。 ゴミなどの不法投棄だらけ。しかし、奥のほうは地下へ続いていそうな・・・。少なくとも30年前は入口があって、ここへ出入りできた。という証言も えました。地下壕入口がどこかにあるらしいので、この換気口のような建造物にも納得。 上に登り切ったところには、『工廠神社(産業神社)』 詳しい説明書きはないのですが、かつての神社跡のようです。このまま公園内をぐるりと回ると、高台からは「アレイからすこじま」に停泊する潜水艦や水上艦艇( 空母船?護衛艦?、他 )色々 見えます。 そして、「歴史の見える丘」方面へ移動途中の、一般駐車場内の端にも トーチカ(コンクリート製の防御陣地)? 奥はどうなってるんだろう?気になって仕方ない。(笑) 他にも個人の所有する畑の中にも同じようなトーチカ?が見られました。道中、先ほど見えた水上艦艇(空母船?護衛船?)かな? レンガ造りや古い建造物等が好きな私なので、戦跡に行くことも多いのだが、ミリオタではないので、船などの詳しいネーミング等がよくわかりません。ご理解ください。【8】旧呉海軍工廠造船部造船船渠大屋根戦艦「大和」を建造した旧呉海軍工廠造船部造船船渠(現ジャパンマリンユナイテッド(株)呉事業所)現在も大型船の造船作業中。 写真だと造船中なのかどうかも判り辛いですね。同敷地内にはレンガ建造物がいくつもあり、海軍工廠時代の庁舎や組立工場として使用されていた。造船風景やドック内が気になって、大屋根全体を取り損ねました。 「大和神社」 「戦艦大和」にちなむ神社かな?と思ったが、違うようだ。IHI(現ジャパンマリンユナイテッド)の社内神社で、殉職散華されたみ霊に対し、追悼・祈り・ご冥福を祈る慰霊碑がありました。ちなみに、「戦艦大和ゆかりの神社」は奈良県天理市にある「大和神社」です。(関連ニュース 参考:産経WEST 2014.12.18「戦艦大和」由来の神社!? 誤解が生んだ呉の「大和神社」人気…軍事、ネトゲファン殺到し今や“聖地”に)どうりでミリオタさん達が少ないはずです。(笑)【7】歴史の見える丘 旧呉海軍工廠ドックの壁石を使ってドックの底に下りる階段を再現した「造船船渠記念碑」や旧呉海軍工廠の礎石や旧呉鎮守府開庁当時の庁舎建材のレンガ、他 等を組み合わせて作られた「呉海軍工廠記念塔」 戦艦「大和」の艦橋を模した「噫戦艦大和塔」 などの記念塔や大和の主砲徹甲弾が展示されています。「澤原為綱翁之像」これは? 当blog内の『「この世界の片隅に」の風景』で紹介した澤原家の第5代目当主。像がないのは、戦時中の金属供出によって像が撤去され、台座だけが残され保存されたよう。と、今回は前回巡った日本遺産の残り一部を巡りました。他の番号分については、当blog:「呉 日本遺産巡り」をご参照下さい。呉の日本遺産文化財の見学は あと5件。最も行きたいレンガ造りの建造物もあり、次回こそは予約するぞっ!!そして、残る【佐世保】も じっくり巡りたい。駅周辺は日本遺産がかなり集中しているので、巡りやすいです。ミリオタさん達もほぼ歩いて巡られてました。もちろん、私も歩いて巡りました。ちなみに、女子がいるグループはバスやタクシー利用も。この差って・・・。(笑) 呉の日本遺産巡り、堪能しました。
2019年10月20日
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呉での最後の滞在日。早朝から向かうのは標高839mの奇岩・巨岩の山【野呂山(のろさん)】ビジターセンター前の駐車場の紅葉がステキです。 最初に目指すは、ビジターセンターから約600m先の『弘法(こうぼう)寺』へ。お寺の手前には「呂山渓泉井」閼伽井 名水「龍神水」が。 水質分析結果報告書があるのみで、特に詳しい説明書きはありませんでした。ここは「弘法寺」に属さないようです。(「弘法寺」HP内の見所マップ参照)【野路山 伊音城 弘法寺】「西 之 高野山」と記された石柱がありました。参道 順路は参道を通らず、鐘つき堂を経て本堂への行く道(下方)を指しているので、順路通りに。「弘法寺 梵鐘」(呉市有形文化財) この梵鐘は本願主、高野山実相院谷奥の院龍泉院で、宝暦4年(1754年)建立となっています。本堂前の懸け造りの展望台からは、 安芸灘諸島と遠くには雲に隠れ気味の石鎚山が見渡せます。 奇岩・巨岩「飛び石」 飛び石の真下には「玉すだれの滝」 水量が少なく、写真ではわかりずらいですが、高さ20mの巨岩をすだれのように水が落ちている、野呂高原唯一の滝。 周りの岩は屏風岩らしいのですが、判りにくいので写真はありません。「伊音城 八十八ヶ所参拝コース」へ。(呉市有形文化財) 観音像、不動明王、地蔵菩薩、かん千音菩薩、毘沙門天、釈迦、勢至菩薩、阿弥陀様等が祀られている。 八十番から八十八番以外は全部11尊が祀られています。「くさり坂」を行くと 「勢至岩札所」71~80番 勢至岩は高さ6.8m。少し行った先には「龍頭岩とお大師像」 巨岩の真ん中の岩です。 ズームします。岩の名が「龍頭岩」で、右端の岩が「お大師像」左下手前の岩も「お大師像」らしい。ぐるっと一周し、「ご本堂」へ。 弘法大使ゆかりの古刹です。女人高野と称され、多くの参拝者が訪れます。中には、弘法大師が修業された岩窟「弘法寺奥の院岩屋」(呉市有形文化財)があります。 25年に一度のご開帳時 弘法大師のお姿が拝見できます。(ご開帳は令和元年11/2・3です。)今年が25年目なのに惜しい!「伊音城 八十八ヶ所」の「札所 81~88番」 もっと下の方には若い番号の札所と奇岩がみられるようですが、お寺周辺のみ巡りました。ご本堂の奥の院岩屋が見られただけでも有難かったです。ビジターセンターでいただいた「野呂山散策マップ」を見ながら近場の奇岩巡り。 予め国民宿舎野呂高原ロッジのHPにある「野呂山散策マップ」をダウンロードして持参するのがお薦めです。「かぶと岩展望台」から瀬戸内海を望む。 大きな島は上蒲刈島、手前の小さな丸っこい島は柏島です。そして、展望台の下の方には「かぶと岩」 下から見上げると兜に見えるそうです。木々の間にできた道を進むと、 「大滑岩(おおなめらいわ)」 周りは草でわかりにくいのですが、この岩辺り一帯滑岩です。 この下には「岩海」というゴロゴロした岩の海があります。『岩海(がんかい)』 薄くて判り難いですが、「岩海」のことを「ごうろ」というそうです。整備された平坦な遊歩道にそって歩くと岩海が見えてきます。 一部紅葉していてキレイです。 「岩海」 岩海は、氷河時代に岩が凍結、破砕を繰り返したことが成因と考えられていて樹林の中にも広く潜在している。下の写真左:上方部、右:下方部 マグマが冷えて固まったときに生じた割れ目に沿って風化が進み、破砕された大きな岩石が基盤からはずれたまま残留したり転落したり流水に運ばれたりしてゴロゴロと重なっている現象を「岩海」という。この説明がなければ、ただ単に岩が崩れたんだなぁ~と思っていた事でしょう。本格的登山でもなく巡りやすい野呂山。奇岩が多く集まる部分のみを散策しました。岩海は特に珍しい現象で、見どころありでした。
2019年10月20日
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以前、江田島へ訪問した際「旧海軍兵学校」に行ったのだが、当blog参照:「江田島 旧海軍兵学校」呉に行く前に、どこへ行くか観光案内等のHPを見て知った「創造の森 森林公園」の【旧三高山砲台跡】へ行ってみます。(土木遺産) 江田島市北西部に位置する三高山の北部に、ロシアとの国交が急を告げる明治31年2月を境に、バルチック艦隊の入港を阻止するため、広島湾一帯の数か所の一つとして造られた西日本最大規模(総面積約6万坪)の三高山砲台。北部と南部に分かれているので、まずは北部から見学。 登り路から広島湾とカキの養殖の風景、奥に見える街は広島市かな?『北部砲台跡』 「28cm榴弾砲砲台跡」と「弾薬庫」。 「観測所跡」 「掩蔽部(えんぺいぶ)跡(避難壕)」 「兵舎跡」 内部にも入れます。 兵舎跡の奥の展望台からは、厳島が見えます。 対岸側にも戦跡があるようですよ。ここから船がでてたら近いが、鳥居側からの入島しかダメみたい。『南部砲台跡』 「林内作業場(東屋)」 標高401.8mの三高山 は、意外にも遠かった。砲台跡、堪能しました。江田島市が本場の(有)二反田醤油 大君工場前の【だし道楽】へ行ってみた。 が、今日はお休みだったみたい。 お店の前にはトビウオ入りの出汁が自販機で売られています。 トビウオ入りは700円~750円。いいお値段しますね~。だし道楽でのうどんは、次回の楽しみにしておきます。10月中旬の土日はイベントやお祭りが目白押しのよう。おめでたい日やお祭りの日に食す「いが餅」を買ってみました。 ついでにフライケーキも。レンガ通りにもフライケーキは売られているのだが、(当blog参照:広島B級グルメ)揚げたてじゃない分しっかり油が切れてるのであっさりでした。いが餅のピンクとグリーンはお米に色をつけたもの。 あっさりした餡入り餅です。おいしゅうございました。
2019年10月19日
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本日は映画「この世界の片隅に」で描かれていた風景の中の建物へ。【旧澤原家住宅 三ツ蔵(上蔵、中蔵、下蔵)】重要文化財 文化6年(1809年)築。 三棟並列型の三ツ蔵は、類例が少ない特徴ある建物です。三ツ蔵を表から見ると、裏側とは大違い。裏側だけ土壁のようです。 奥には【旧澤原家住宅 新蔵】重要文化財 も見られます。【旧澤原家住宅 表門】重要文化財 文化2年(1805年)築。【旧澤原家住宅 主屋】重要文化財 宝暦6年(1756年)築。澤原家は,屋号を澤田屋と称した商家で,代々庄屋などの要職を務めた。主屋の敷地内には 重要文化財の『元蔵〔天保4年(1833年)築〕』『三角蔵(江戸末期築)』『前座敷〔文化2年(1805年)築〕』などがあるようだが、一般公開されていないので、見学不可。藩主の休憩所・宿所として建てられたもので、御成間がある。そうです。(重文)(文化庁 国指定文化財等データベース参照)明治に入って軍港の町になるまでは、澤原家周辺のほか各所に集落が点在する程度だったそう。そして、前回売り切れで買えなかった広島名物『メロンパン』へ。 前回行った際は朝早めに行ったのに売り切れだったが、13時過ぎだったが沢山あった。 随時焼いているようです。あとから続々、人がやってきた。80年前から呉名物だそうです。 アーモンド形のズシっとした重さのメロンパン。中はカスタードクリーム。重量もですが、半分でお腹にもズシっ! かなり きます。このメロンパンは一般的に市場に出回ってるタイプのメロンパンとは全く違うタイプ。説明が難しいが、クッキー生地は甘食のような感じもあり、クリームもちょっと違う。甘食知ってる人少ない上、最近めったに見かけないので説明しにくいが、九州方面にあるかな?パン系の部類で低い円すい の形でもったり生地で食べると唾液がとられるやつです。(笑)説明になってなくてすいません。他にも色々買ってみましたが、お腹いっぱいで明日、明後日の朝食にすることに。
2019年10月18日
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久々の呉。今回は呉市の日本遺産巡り。 「大和ミュージアム」と「てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)」 懐かしい~。【日本遺産を構成する呉市の文化財群】は20件。判りやすく呉市のHP上の番号【1】~【20】を記載しておきます。最初に向かうのは呉駅から3km先にある巨岩群と滝のある『二河(にこう)峡』 ネットで散策マップなるものを探したが、見つからなかったので、現地に行けばあるのか? 期待したが、現地地図は大まかすぎて細かいルートが判らない。とりあえず水管橋を渡って左に行きます。 ここでサバイバルゲームをする方がいるようで、サバゲ―禁止の注意書きあり。しばらく登ると「たきみばし」にやってきた。 橋を渡ると「観音堂」渡らなければ「滝見台」のようだ。「滝見橋」から下流を望むと巨岩ゴロゴロ。 上流を望むと滝。左右から流れるこの滝が雌滝と雄滝だろうか??? 入口の説明書きによると、落差は其々30m以上。もっと上流か? 巨岩だからこれ?橋を渡って、先に「観音堂」方面へ行ってみる。「日切地蔵」らしい。 滝があるからか、上の方には不動明王かな?「観音堂」はこれより更に上の方かな?道が整備されておらず、迷いそうだったのでここから戻り、「滝見台」方面へ。 これはテンション上がる。「くぐり岩」を抜けると、日本遺産の一つへ。【15】【二河水源地取入口(二河(上・下)井出跡)】登録有形文化財 第34-0020号 石には「呉鎮守府水道」と刻まれています。 「近代水道百選」明治22年(1889年) 呉鎮守府の開庁に合わせて竣工。 取入口は、近代水道としては横浜、函館に次ぐ歴史。120年以上経った今でも褪せることなく、当時の石工の技術の高さがうかがわれます。二河峡の上井手の取水口として造られ、今もなお「宮原浄水場」へと水を送っている。私の目的は、この日本遺産。既に満足しきって、滝見台 行かずに忘れてこのまま戻りました。(笑)【14】【宮原浄水場低区配水池】登録有形文化財 第34-0018号 呉鎮守府の軍用水道は、横浜、函館に続き我が国で3番目にできた水道施設で、我が国初期の水道施設。『日本遺産を構成する呉市の文化財群』他には、【20】「ラッパ君が代」については、自衛隊界隈の宿に泊まると、平日の朝、必ず6:30am頃(6:00amだったかも?)ラッパが鳴るので、出勤や通学する人は、目覚まし代わりかな? 君が代じゃなかったけど・・・。自衛官の方々は、ラッパが鳴るまでに出勤しないとダメらしく、その合図だとか。 【1】~【5】「入船山記念館」は 当blog参照「呉の町」【9】~【10】「アレイからすこじま」と「昭和町れんが倉庫群」は 当blog参照「アレイからすこじま」【12】「呉市海事歴史科学館の所蔵資料」は 当blog参照「大和ミュージアム と てつのくじら館」【17】「高烏砲台跡」は 当blog参照「広島県 呉市」日本遺産ポータルサイト『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』ご参考までに、当blogの過去記事のリンクをはっておきます。古すぎて写真添付が追い付かない場合があります。【横須賀】[観音崎公園] [横須賀 「軍港めぐり」] [横須賀の街] [軍艦 『みかさ』] [無人島 『猿島』]【舞 鶴】 「海軍の町、舞鶴」とりあえず、初日は日本遺産の一部を巡りました。後日、残りの一部を巡ります。
2019年10月17日
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あぷとライン井川線に乗って「千頭(せんず)」駅へ到着すると、トーマスが居た。 機関車トーマス号がいる日はちびっ子達たくさんで大賑わい。 これから このトーマスが大井川鉄道 千頭駅構内南端にある『転車台』に移動し、方向を変える作業が行われます。 トーマスが転車台に納まると、運転手さん達が必死で押して動かします。重そう~!! ひとたび動き出すと、軽く動き出し、女性運転手も一緒に動かせるぐらい。サービスのためか、2回転しました。 方向転換すると、行き過ぎないよう、逆に引っ張って定位置にセット。 【大井川鐵道車両用転車台】登録有形文化財 第22-0075号、機械遺産 第37号 ロンドン Ransomes & Rapier社製の人力回転タイプの転車台。全長15.24m転車台は蒸気機関車の向きを変えるために作られた鉄道施設。日本に輸入された当時は東北線で使用 → 新潟県 国鉄赤谷線東赤谷駅に設置(昭和59年廃止) → → 昭和55年(1980年) 大井川鉄道千頭駅 に移設され、以後使用できる状態で保存されています。トーマス号の運転手さんは、マリオやルイージが着ている服に似た制服「オーバーオール(サロペットジーンズ)と帽子」 で可愛い。 転車台見学の後は、お弁当食べて帰ります。お弁当はまたしても選択肢がなく、今回はちびっ子達のために沢山用意されたのであろう「きかんしゃトーマス弁当」 のりがキャラ弁仕様。(笑)お弁当を食べた後の箱は、立体になったトーマスキャラが飛び出します。 子供が喜びそうな仕様です。帰りの電車はSLではなく、東急の旧車両。 内装も昔のまんまで、扇風機がついてます。 帰りは疲れていたのか、いつの間にかうとうと。 気づいたら金谷駅到着~。ここで乗り換えて自宅まで。あっという間の1泊2日。めっちゃ堪能しました。たまには列車の旅もいいなぁ~。
2019年10月11日
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宿泊する宿は「接阻峡温泉駅」駅前の『森林露天風呂』という名の宿。 本館と新館 「接阻峡温泉駅」駅前ということもあり、宿のお父さんは駅長さん。 高台にある宿(本館)からは、駅と停車している「あぷとライン」、町並みが見えます。 始発駅なので、ずっとここに停まっているようです。 近くの踏切からは、こんな景色も。駅長さんをされているお宿だけあって、手荷物・小荷物 及 貨物扱所 も兼ねているようです。 昔は「川根長島駅」だったようで、昔の看板が残っていました。始発前に届く朝刊が駅に着くと、駅長さんが各家に健康のため徒歩で配達に行かれます。大変!宿に到着するや否や、早々に温泉へ。早い時間だったので、貸切りでラッキー。内風呂 露天風呂 そして、ケロリン。 「テルマエ・ロマエ」思い出す~。(笑)(当blog参照:テルマエ・ロマエ、テルマエ・ロマエ2)と、ケロリン ネタはおいといて、接岨峡温泉の泉質は、ナトリウム・炭酸水素塩冷鉱泉。ヌルッとしたお湯でお肌すべすべ~。「若返りの湯」と云われているのも納得。神経痛、筋肉痛、消化器系、皮膚病、等々に効能があるそうです。内風呂には北投石(ほくとうせき)の成分が入ってるらしいのですが、ぬる目のお湯に長くゆっくり浸かり、露天風呂メインで旅の疲れを洗い流し、まったり癒されました。受付時では、オンラインクーポンで1つ800円の「接阻峡の湯」いただきました~ クーポンは受付時の提示が必要です。家に帰っても旅の名残を楽しめるのが嬉しいです。夕食の用意ができたら、宿のお父さん兼駅長さんが呼びに来てくださいます。 本館と新館をつなぐ渡り廊下を通って階下へ降りると、手荷物扱所の奥が食堂になっていた。晩御飯はシシ鍋、ヤマメの焼き魚、等々、山ならではの食材。 山菜の炊き込みご飯がめっちゃ美味しくって、おひつのご飯全部食べ切りました。(笑) ご飯はもちろん、国内産 秋田県横手産あきたこまち100%の産直米。お値段によっては、囲炉裏を囲んで食事もできるようです。 翌日の朝食にも川魚の甘露煮がでてきました。 あぷとラインの始発時間は遅く、10:58am発。それまで時間がたっぷりあるので、「川根本町資料館 やまびこ」を見学。 常設展示に加え、「日本百名山 光岳展(テカリダケ)」が開催されていた。 1Fは大井川の歴史や金山や砂金採取、他等の展示で、古い道具や写真などが展示。一部の金山については、当blog参照:「日影沢金山 と 静岡おでん」2Fの常設展示は昆虫採集や木の枝の幹の数々、等マニアックすぎる・・・。館長はかなり詳しいそうですが、本日は交代の日だった。聞いてもマニアックすぎて理解できなかったかも? なので、逆に良かったか・・・(笑)なかでも、寸又峡あたりの大間という所の「悪たれ婆」伝説に残る火を吹いた石碗や明治44年の國民新聞に掲載された新聞記事が残っていた事にビックリ 、印象的でした。石碗があるということは、伝説ではなく実話なんじゃないのか??そうこうしているうちに、出発時間が近づいてきたので、あぷとラインに乗って千頭駅まで戻ります。帰りは長島ダム駅でアプトに接続。井川行のアプトは切り離しで反対車線との初対面。 翌日は台風で大井川鉄道、あぷとライン 井川線ともに運休。井川行の乗客は日帰りかな?ともあれ、接岨峡温泉、温泉街 ともに楽しみました。
2019年10月11日
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奥大井湖上駅~接岨峡温泉駅まで歩いて巡ります。「大井川鉄道沿線散策ガイド」パンフ 又は pdf に記載されているhttp://www.oigawa-railway.co.jp/pdf/ensen_map.pdf『歩いてみよう!接阻峡アドベンチャーウォーク』の地図を頼りに歩く。『岩瀧不動堂』と『不動の滝』 文久の初めころ 犬間村では疫病が流行して困窮していたところ、日正坊と名乗る修行僧が「川の上流に不動明王の宿る石があるから祈祷してあげる。疫病が鎮まったならその石を滝の傍らに運んでお堂に納めて供養するがよい」と告げほどなく疫病が治まり、村は平穏になった。という由来がある。 『若宮神社』 由緒等は特にありませんでしたが、戦争中には弾除け祈願の参拝が多かったイクサ神の神社。ここから「南アルプス接阻大吊橋」を望む。 吊橋を渡って 南アルプスユネスコエコパーク『八橋(やっぱし)小道ラブロマンスロード』へ。 「やつはし」と読むのかと思ったら、「やっぱし」って・・・。関西なんで、「やっぱり」の意味みたいで何かしっくりこないなぁ~。 それぞれ違う形をした橋が八つあり、末広がりの『八』で結ばれている遊歩道を歩き、 あれ?写真数えたら7つの橋しかない。吊り橋渡って右側に1つあったみたい。蜂の巣があるので立入禁止。となっており、ロープが張られて行けなかった所にあったようだ。まぁ『七』もラッキーセブンというし、気は心。ヨシとするか~。(笑)8つの橋のうち、階段式の吊橋「宮沢橋(みやんざわばし)」は水平距離が62メートルで、日本一の階段式吊橋(吊床板階段橋)となりました。(川根本町 更新日:2018年03月12日) 『若宮神社(男の神)』と『こだま石神社(女の神)』の間にある遊歩道。二つの神社に参拝すると願いが叶うと言われています。ラブロマンス感はよくわからなかったが「八橋小道」を堪能し、橋を降りた先には『河内地蔵(こうちじぞう)』 もともとは静岡へ抜ける街道にあたる、湯の河内沢の左岸に地蔵場と呼ばれる平場があり、梅地(うめじ)の村びとたいは旅の無事を祈って供養していた。 梅雲寺(ばいうんじ)跡地に祀られていたが、平成13年この地に安置された。地蔵には貞享二年(1685年)と刻まれているそうです。『こだま石神社(谺 谷辺に令 石神社*)』 応仁の乱(1467年~1477年)のころ、京都梅津に住む筑地清右衛門菅原の重常という武士が都落ちし、この地に至り梅地村を開き、氏神としてこだま神社を創建。*谺 谷辺に令 で「こだま」と読むようです。 天岩戸神話で鏡を作った女神を祀る神社とも。こだま石神社 へ行く道中、蕎麦の花が満開でした。 接岨峡温泉界隈満喫しました。本日は「接岨峡温泉」駅 真ん前のお宿でのんびり温泉につかって宿泊です。
2019年10月10日
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昭和10年(1935年)もともとは井川地区の電力開発のため、奥地に大型の水力発電所が建設されていき、大井川水系のダム建設の輸送手段のために作られたのが始まりの「南アルプスあぷとライン」昭和34年(1959年)中部電力専用鉄道 → 大井川鉄道へと引継ぎ営業運行が始まり、観光列車として井川線が開業し、今年2019年(平成31年/令和元年)で60周年を迎えました。 アプトラインに乗って、秘境駅の旅 です。 山の中の川沿いをディーゼル列車が走る。ほとんどの駅は無人駅。近隣住民も少なく、某駅では4家族のみの居住者しかいないという・・・。山の中とはいえ、大井川の渓谷美に茶畑と見どころいっぱい。 見どころの場所はゆっくり走行して下さるのも嬉しい。 大井川ブルーは白濁したブルーなんだけど、澄んでいるのにミルキーがかって見えるのが不思議。温泉成分が混ざってこんな色なんだろうか?「市代(いちしろ)吊橋」産業遺産 昭和11年(1936年)大井川ダム建設に伴い、木材流送を補償するため、鉄道用吊橋として建設。昭和29年(1954年)鉄道を井川まで延長する際、ルートが変更となり通路橋となった。「アプトいちしろ駅」 ~ 「長島ダム駅」の1駅区間は、日本の鉄道路線で最も急な区間。水平距離1000mあたりの高低差、90パーミルと日本一の急勾配です。その区間を登るため、機関車の後ろにアプト用電気機関車が連結され、連結作業の見学ができます。 乗客、全員降りて作業を見守りつつ、撮り鉄です。(笑) 英語の説明ないので、海外の方々も解ってないかもしれないが、とりあえず降りて写真。 レール部分が特殊です。時計の歯車のようなレールとアプト用機関車の歯車が合わさって回って登っていきます。 鉄ちゃん、鉄子には たまらんやろな~。以前、乗り鉄 鉄子 に、傾斜を上るにはジグザグに走行する「スイッチバック」の事を教えてもらったのを思い出す。あまりよく解ってないんですけどね。(笑)アプト式はジグザグに走らなくても歯車で上っていけるのが特徴です。急勾配を上るための鉄道システム(ラック鉄道)の一種、アプト式の列車は、日本では大井川鐵道の『南アルプスあぷとライン』だけ。らしい。写真では急勾配かどうか全くわかりませんね。(笑) 翌日、戻る際に撮った写真なら傾斜わかるかなぁ~?小さすぎて判り難いかなぁ~。傾斜。「長島ダム」 ダム完成時には一部区間が水没したり、村が水没し、無くなったりと悲しい過去もあるようです。写真には撮れてませんが、水没した線路やトンネルが眼下に見える場所もありますよ。そして、いよいよ目的の駅に到着。『奥大井湖上駅』中部の駅100選 線路横の通路を歩いてます。 本日は明後日の台風の影響でしょうか。風が強いです。でも線路なので揺れません。頑丈です。高所恐怖症の方は下を見なければ大丈夫かも? あずま屋のある展望台から。 そして、絶景ポイント。接阻(せっそ)湖に浮かんだように見える。 これが見たかった。湖上の線路横を歩きたかった。ようやく行けた奥大井湖上駅。 願望叶ったり。このまま約1時間ちょい かけて接岨峡温泉まで巡ります。
2019年10月10日
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JR東海道線『金谷(かなや)』駅で大井川鉄道に乗り換え、南海線の旧車両に乗って一駅先の『新金谷』まで。 『新金谷』でSL列車に乗りかえ、SL列車の旅です。と、その前に駅弁購入。金谷駅の売店では既に売り切れ。 SLの撮影は後にし、猛ダッシュで新金谷駅を一旦外に出て駅前 プラザロコで買い求める。 2日間有効、乗り降り自由の「大井川周遊きっぷ」が早速役立つ。 お弁当は既に選択の余地なし。残り3つの「大井川ふるさと弁当」を2つ手に取り、「もみだし茶」を。お弁当、ギリギリ~。(>_<) 「もみだし茶」は金谷茶の三角ティーパックを入れ、ウォーターサーバーで水かお湯を入れ手でもみ出すタイプ。店頭に並んでないので、知ってる人のみ買える。レジで伝えると買えるよSL列車に乗ってお弁当なかったら、悲しすぎます~。予約できないので、もう少し余分にお弁当の用意しておいて欲しいなぁ~。 お弁当の内容は、煮物、海老の佃煮、横に細く入っているのはイワナの甘露煮(右写真)、他です。本日乗るSL列車は【蒸気機関車C10形8号機 かわね路】号 大鉄で一番古い昭和5年製。C10形で唯一現存する機関車だそうです。by.川崎車両 運転席を覗いたら、暑っつぅ~!! ものすごい熱気。真夏は間違いなく地獄。 熱中症対策万全じゃないと大変!! 1日1~2便じゃないと倒れちゃうレベルでしょう。 昭和初期に製造された旧国鉄の客車を牽引し運転。 窓際にあるボタンを押すと扇風機が作動します。 洗面所付。トンネルに入るともっと雰囲気あります。 列車に乗ると、車掌さんが見どころを説明してくださる。車窓から大井川 日本一短いトンネル『地名トンネル』 地名(ちめい)と書いて「じな」と読みます。 大正から昭和14年頃まで川根索道があり、その下を通る列車の上にロープウェーに吊るされた荷物が落下し、列車や乗客に被害が及ぶ危険を回避するために建設されたもの。厳密にはトンネルには分類されないようです。 いいお天気でよかったです。車窓からの茶畑も青々。 大井川に架かる一番長い吊り橋「塩郷の吊り橋(愛称:恋金橋)」も遠く橋梁手前に見えます。写真ではほとんど見えないかも・・・(笑) (当blog参照:大井川沿い観光)私の乗った車両は海外からのお客さんが多かったからか、ハーモニカを何曲か吹いて下さり、歌える人は一緒に歌って 大変な盛り上がりよう。 この車両で良かった。(^^♪ 肖像権があるので、私のblogでは顔は載せませんが、なかなか男前でチャーミングな方です。ネットで「大井川鉄道 SLおじさん」「大井川鉄道 ハーモニカ車掌」などと検索すると、すぐにヒットしますよ。(笑)そして、SL車内でしか買えない「SL人形焼き」川根産茶葉100%使用の緑茶あん とトーマスのまんまる焼き が870円 → 500円(税込み) がお買い得だったので購入。 人形焼きは、これまた最後から2個目で、私が買った後に向かいに座られた方が2箱注文したら最後の1個といわれ、その方は1箱しか買えなかった。わ~ん 買えて良かった~次の車両の方はもちろん、私達の後ろの席の方も全く購入できない状態で、ちょっとな~・・・。これって、対策必要なんじゃない ・・・。そうこうしているうちに、あっという間の1時間ちょい。終点駅『千頭(せんず)』に到着。到着したら、蒸気機関車のパーシーとヒロがハロウィン仕様でお出迎え。 トーマスは運行日じゃないのでいなかった。SL列車、楽しかった~。特別、列車に興味のない私ですが、めっちゃ良かったです。ここからアプトラインに乗り換えしま~す。
2019年10月10日
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金太郎のふるさと巡りを堪能した後は、まだまだ時間もあるので、帰る道中(金太郎富士見ライン)にある『誓いの丘、誓いの鐘』で富士山を望みます。 鐘はありますが、恋人の聖地ではありません。が、ハート型には知っている方々が持ち込んだ?鍵がかけれるようになっています。 もっと富士山に近寄ると、御殿場や足柄市の街並みが眼下に見えます。 久々の富士山、何回見ても見飽きないなぁ~。富士山を堪能した後は、このまま「金太郎富士見ライン」沿いにある「林道 大沢線」(ゲートあり)沿いにある滝を見に行きます。 林道歩いていたらサワガニ?に出会った。ちょっと怖いニコちゃん。 以前、伊豆で出会ったニコちゃんガニと同じかな?(当blog参照: 南伊豆観光)と思ったが、甲羅の色が全く違った。しばらく行ったところで、長靴に三脚カメラ持参の方が撮ってた露出した巨岩。 私たちも真似して撮りました。(笑)やっぱ、これもGEOですよね。箱根ジオパーク認定ではないけど・・・。ようやく『遊女の滝』入口へ。 金時山の頂きで寝ていた八重桐は、夢の中で赤龍と結ばれ、この時お腹に宿ったのが金太郎。八重桐は山をおりるとこの滝に身を打たせ産まれてくる子の健康を祈願した。滝に打たれている八重桐を見た里人は、その後この滝の名を遊女の滝と呼ぶようになった。滝までは一応、階段があって整備されているようにみえるが、 杉の枯れ葉?がいっぱいで時々滑りそうになりながら川辺に降りるとすぐ遊女の滝が遠くに見えた。先ほどのおじさんのように長靴持参ではないので、岩を伝って滝つぼまで近寄ります。 正面から撮った際に気づいた。滝行に最適な岩がちょうど真ん中にあるんですね。 金太郎伝説とは関係ない場所だと思っていたが、ここも繋がっているようです。最近、日が暮れるのが早くなってきたので、ここで終わりにしようかと思ったが、ちょろっと行った先に6箇所の登録有形文化財がある公園があるみたいなので行ってみる。【豊門公園(ほうもんこうえん)】 ここ小山町の近代化の礎を気付いた富士紡績(株)が従業員および地域住民に修養・教育・保険・慰安の場を提供することを目的に、大正15年(1926年)開館・宿舎および庭園を整備したものが始まり。富士紡績 初代社長和田豊治邸宅が東京向島より大正14年に移築され『豊門会館』として現存。 「和館」第22 − 0100 と「洋館」第22 − 0101 和館の隣に洋館がくっついた造りになっています。 しかし、囲いがされていて入れません。内部装飾に優れた建物らしい。そして、とっても楽しみにしていた『豊門公園西洋館(旧豊門青年学校)』第22 − 0102 何と!!来年の3月末まで全面工事中。小山町のホームページでここを知ったのに、工事中とは一言も記載なし。めっちゃショックです~。 (>_<)ちゃんと見れてたら、こんな感じの建物を堪能していたはず!! (写真は小山町(おやまちょう)ホームページより。)『豊門公園噴水泉』第22 − 0104 豊門会館と西洋館の各正面軸線のほぼ交点に位置する噴水泉。『正門』第22 − 0103 登録有形文化財6個目の『和田君遺悳碑(ほうもんこうえんわだくんいとくひ)』は、柵がされていて入れなくなっており、遠すぎて写真にさえおさめられない状態。豊門会館の更に公園奥地に位置します。 登録有形文化財 第22 − 0105ここへ来る機会、めったにないのにショックです~。 帰り道中「道の駅ふじおやま」があったので、立ち寄ってみました。 金太郎の水汲み場「小山の水」。並んで水を汲みに来ていました。 もちろん、金太郎?像も。バックに富士山。秋空に富士山がめっちゃ映えてて綺麗でした。 16:30pm前の夕暮れ時の影った場所からなので、ちょっと暗いですが・・・。金太郎伝説巡り堪能しました。
2019年10月04日
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鎌倉時代、官道・公道として利用され東海道最大の難所で有名だった『足柄峠』。 元和4年(1618年)より箱根路に変わり、足柄街道や鎌倉街道と呼ばれ、甲斐(山梨県)と相模(神奈川県)を結ぶ物資の輸送や富士山詣などの信者でにぎわった。∴ 強盗団、しゅう(人偏に就)馬の党がでるので、取り締まるため、関所が設けられ通行手形が必要でした。『関所跡』が残っています。 旅人が石に手をついておじぎをし、手形を差し出したそうです。左の大きな石なのでしょうか? 葉っぱで鬱蒼としていてどの石かわかりません。(^-^兇悪な強盗や関所破りをした人たちを処刑された人たちの供養塔『首供養塚』 『足柄城址』への遊歩道も。鬱蒼としていたので行きませんでした。 「足柄峠主要史」 関所のある向かい側には『聖天堂』 お年寄りになりましても嫁御や子供達に「下」のお世話にならぬため云々の由来があり、安穏祈願をされる方々が数多く見受けられるそうです。ご本尊は「大聖歓喜双身天」(石像 高さ1.8m)もとは京都にあったものといわれている。 そして、ご本尊写ってないです。(笑)「日本三大聖天尊」(浅草聖天、生駒聖天、足柄聖天)の一つと数えられている。(生駒聖天尊のある宝山寺は当blog参照:生駒 宝山寺) 聖天堂入口にはこれから向かう金太郎のふるさとが近いからか、金太郎像が。足柄峠を越え、いよいよ金太郎のふるさとへ向かいます。『金太郎の生家跡』 今から約千年前、都からこの地を通ったお金持ちがここを大変気に入り、住みつき田畑を開墾し、鉄製の農工具を作り村人を指導し村を潤し、四万長者と呼ばれ慕われた。娘の八重桐(酒田村の郷土に嫁いだが、一族の争いで実家に戻った)の子供(金太郎)が産まれ育った四万長者の屋敷跡と伝わっている。(※諸説あり)『地蔵堂』曹堂宗 足柄山誓光寺 金太郎が産まれた場所とされています。令和2年11/21(土)、22(日)には神奈川県指定文化財「御厨子」室町時代末期作、御本尊「木造地蔵菩薩立像」鎌倉時代~南北朝時代作が御開帳されるそうです。金太郎が産まれた時に産湯として使用された滝に行きます。「sotosotodays CAMPGROUNDS」の横道を奥へと入っていきます。 整備された園地。 赤い橋を渡るとすぐに「金太郎の力水」 夕日の滝の横にある地蔵堂水源の湧水を浄水処理したものです。水質が比較されていましたので載せておきます。 看板をよく見ると、この水で銭洗いをして四万長者にあやかってみてはいかが?と記載されており、帰ってから気付く長者に無縁の私達。 (笑)市指定文化財【夕日の滝】(別名:金太郎産湯の滝、雄飛の滝) 地蔵堂横に移動すると、水しぶきがすごく、マイナスイオン全開です。 全身にマイナスイオンを浴び、気持ちいい~。(濡れるほどではありません。)冬場はこの飛沫が凍るそうです。太陽の日差しはまだまだ夏だが、秋の冷たい空気が体に心地よい。ハイキングにもってこいの季節です。 『金太郎の遊び石』家の前の田んぼの中に金太郎が遊んだと伝わる『たいこ石』 2m以上もある大きな凝灰岩質の巨岩です。金時山を起源とする地層だと考えられており、南足柄市の指定文化財となっています。近くに「かぶと石」もあったみたい。田んぼの中なので、見逃してしまった・・・。若者になった金太郎は、足柄峠を通った源頼光の目にとまり、家来となり名前を坂田金時と改め、京の都に上り「頼光の四天王」の一人として活躍しました。金太郎のふるさとを巡った後は古民家で営業されている「万葉うどん」へ。 うどんは手打ちうどんなので、先に注文してから店内見学。 店内は昔の農具などが飾られており、見応えあり。 平日で空いていて、他のお客さんが出た後だったので、写真が撮りやすかったです。秋のさわやかさを感じたかったので、外の席にしてみました。 季節のおうどん「きのこうどん」を食す。 柚子の香りがするきのこたっぷりのおうどん。きのこは、スーパーでは売ってないような自然に採ったような感じです。美味しかった~。
2019年10月04日
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10月のほしぞら情報 9日 10月りゅう座流星群が極大 見頃:9日の夜のはじめ頃~22時頃 数 :1時間に1個程度。 条件:月が明るく、条件は悪い。 10日 おうし座南流星群が極大 見頃:9/25日頃~11/20頃の夜半にかけて。 極大日を中心に約1ヵ月見られるようです。 夜半頃の月が出てない時の観察がおススメ。 数 :1時間に2個程度 22日 オリオン座流星群が極大 見頃:22日の極大を中心とする前後4~5日間の真夜中過ぎ。 数 :1時間に5個程度。 条件:28日の新月に向かって月が欠けて行くので、条件は良い。今月は流星群とはいえ、1時間に見える個数が少ないです。ふと、空を見上げた瞬間に見えたりもするので、気合を入れずにこまめに空を仰いで観察かな?運が良ければ見えるかも~。(笑)
2019年10月01日
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