お出かけ 北海道・東北・関東 0
全102件 (102件中 51-100件目)
湖南三山巡り、西寺の常楽寺に続いては東寺(ひがしでら)の長寿寺。聖武天皇に世継ぎがなかったので良弁が阿星山の瀑布に籠もって祈願したところ皇女が生まれ、そこで紫香楽宮の鬼門にあたるこの地に寺を建立し、皇女の長寿を願って長寿寺と名づけたそうです。こちらの本堂は、鎌倉時代に再建されたもので国宝に指定されています。内部には、国宝の春日厨子に納められた秘仏の行基による子安地蔵尊の他に重文の藤原時代の阿弥陀如来坐像などの仏像が並んでいます。本堂の左手には白山神社があり、この拝殿は重要文化財だそうです。白山神社の左手の丘には、かつて三重塔が建っていたそうですが、織田信長が安土城に移築したそうだ。信長の奴、ろくな事せんな本堂の右手の池にある弁天堂も重要文化財です。少し奥に入った所にある真新しいお堂には同じく重文で、3メートル程の大きな丈六阿弥陀如来坐像が安置していました。その他の文化財としては、聖武天皇の菩提を弔う為に鎌倉時代に建立した石造多宝塔が湖南市指定の文化財らしい。それにしても、可愛らしい置物が至る所に置いてある寺やなったぁいくら少食男子でも、餅とコロッケだけでは持たないので長寿寺の近くにある木工作体験のできる「木工の館」陶芸体験のできる「土の館」などの施設があるじゅらくの里のもりの駅で食事をする事にした。きつねうどんを食べましたがカレーライスや定食メニューもあります。上を見上げると、干し柿やちょっと不衛生やな
2009.12.04
この前は湖東三山を紹介しましたが草津線に乗って向った先は・・・湖南三山行ったのは先週の月曜日、つまり祝日なのにバスガラガラ湖東三山に比べて、マニアックやねんなJR石部駅からバスに乗り、最初に着いたのは普段は予約しないと観れない常楽寺。近江西国三十三箇所の第一番札所だそうです。湖東三山の門に比べるとめっさ貧相仁王さんも小さって言うか、めっさ素朴て言うか、割れてるしわらじも小っちゃかったですが境内も狭っ湖東三山は周るのに1時間近くかかりますがこちらは30分で周れるくらい。でも、本堂はデケー三重塔も立派やんいずれも国宝だそうです。本堂には、重文の釈迦如来像や二十八部衆立像が安置されおり文化財に関しては、湖東三山に全くヒケを取りません!二十八部衆の中には、阿修羅もいましたが興福寺のとは、ずいぶん違ってチビで手足が短かったな常楽寺は通称、西寺と呼ばれてますが続いて向ったのは、東寺と呼ばれる長寿寺。歩いて行けなくもない距離でしたけど拝観料50円引きになるバス乗り放題のきっぷを買ったので、バスで行く結構な坂やったし、バスで正解やったな湖東三山では、門前にお土産屋や飲食店がありましたが湖南三山はマニアックなせいか、何もあらへんかったけど特別公開中は稼ぎ時という事で、長寿寺の門前ではテントが張られ、お土産やら長寿もち等の販売をしてました。こちらは、近江牛コロッケ腹ごしらえも済み、いざ長寿寺!・・・は、明日書きます
2009.12.03
金剛輪寺は、めっちゃ広いから駆け足で周って、バス停に向ったものの1時間おきに発車するシャトルバスが走り去っていったしょうがないんで、金剛輪寺に隣接する愛荘町立歴史文化博物館(入館料200円)で時間を潰す事にした甲良町の西明寺と愛荘町の金剛輪寺は比較的近かったけど、東近江市にある百済寺(ひゃくさいじ)は、結構離れてて長い時間、田園地帯をバスに揺られようやく百歳児百済寺に到着する事が出来た。立派な石垣に囲まれていましたが百済寺城の遺構だそうこの石垣に対して、注意事項が書かれてました。史跡に指定された石垣の石は勿論カニも取っちゃダメ!ここにも、不断桜が。湖東三山には、不断桜を植える決まりが?拝観料を払う入り口の手前に天下遠望の庭園というのが、ありました。この日は天気良くなかったしあまり見晴らしは良くなかったけどお年寄りに、優しいお寺やなでも、金比羅さんや長命寺に比べると屁でもないので、早く行きたかったし私は石段を使いましたけど湖東三山の他の2つ以上に、二天門のわらじがデケー!そして、他の2つみたいに、小銭が挟まってなくお洒落なミニ草履が、ぶら下がってた。藤原定家、ルイス・フロイス春日局、五木寛之が絶賛する百済寺は、湖東三山では最古の寺なんですけど・・・他の2つと違い、織田信長の焼き討ちで全山焼失してしまい、本堂は国宝ではなく重要文化財塔も建ってなくて、重要文化財の仏像もないし山奥にあるので、他の2つに比べ紅葉の色づきもイマイチで、ぶっちゃけ少し物足りへんかったけど雰囲気は悪くない寺やったなぁ
2009.11.28
近江鉄道と湖東三山を巡るシャトルバスが乗り放題で湖東三山の拝観料が50円引きとなる湖東三山アクセスきっぷ(1500えん)を使い西明寺の次に訪れたのは、まるで血で染めたように境内の紅葉が、真っ赤に見えることから血染めのもみじと呼ばれる金剛輪寺です。ほんま紅葉が綺麗なぁそれから、西明寺と同じように、こちらでも国宝の本堂の横とかに、不断桜が咲いていました。そして、なんと・・・紫陽花まで咲いとったそれにしても、千体地蔵が並ぶ金剛輪寺って境内広っ!国宝の本堂のある重要文化財の二天門に辿り着くまで、結構かかった二天門には西明寺と同じく、沢山の小銭が挟まった大きなわらじが、かかっていましたけど小銭取り放題やん下見たら、いっぱい小銭落ちとったけどイヤリングも落ちとるがな本堂では、いわゆる大黒さんと違う強面で日本最古の大黒天の特別公開など、重要文化財の素晴らしい仏像が並び重要文化財の三重塔は、外からとはいえ1000円払わずに、内部が観れたしええ寺やった
2009.11.27
「赤影どのぉ~」凧に乗って行ってきたのは・・・いや、近江鉄道に乗って行ってきたのは・・・紅葉真っ盛りの湖東三山の西明寺そして、紅葉だけじゃなくサクラも真っ盛り!県天然記念物の樹齢250年の不断桜はいまいち元気なかったですが、名勝庭園蓬莱庭の手前にある不断桜は綺麗に咲いてた。重要文化財の二天門を潜ると・・・正面に、国宝の本堂が右にも、国宝の三重塔が三重塔の内部には、極彩色の壁画が描かれてるそうですが、拝観料は1000円という事で、外から眺めるだけにした重要文化財の仏像だらけの本堂の内部を観ただけで、十分満足やし
2009.11.26
senkosai 105 posted by (C)YOSHIYU機8月17日、多くの見物客が沿道で見守る中大津三大祭の1つ、船幸祭が行われました。senkosai 065 posted by (C)YOSHIYU機西日に向って歩く為、参加者は皆まぶしそうにしてました船幸祭とは、源頼朝が平家に捕らえられて伊豆に流される途中に立ち寄り、源氏再興の祈願をし見事にその願が叶って、武運来運の神として信仰を集めた近江一の宮の建部大社の例祭です。senkosai 079 posted by (C)YOSHIYU機子供神輿senkosai 084 posted by (C)YOSHIYU機ギャル?神輿に続きsenkosai 092 posted by (C)YOSHIYU機重さ1.5tの大神輿が登場!senkosai 129 posted by (C)YOSHIYU機日本武尊の海路東征に由来するお祭りで神輿は船に乗せられ、瀬田川を船上渡御する。senkosai 089 posted by (C)YOSHIYU機滋賀県を代表するキャンギャルにより運ばれた竹生島から持ち帰った元火を、船の提灯に灯しいよいよ出発!senkosai 148 posted by (C)YOSHIYU機神輿は御旅所まで行き、戻ってくる頃には花火が打ち上げられたようです。普通の人は、花火がメインかもしれませんが花火には目もくれずに帰りましたsenkosai 072 posted by (C)YOSHIYU機
2009.08.21
志那神社 posted by (C)YOSHIYU機三大神社の近くにある志那神社にも藤棚があるという事で、チャリなら直ぐだしついでに行ってみました。志那神社 posted by (C)YOSHIYU機さて、神社にお参りする時は、手を清めないと・・・水あらへんやん志那神社 posted by (C)YOSHIYU機盛砂は崩れてしまってるし賑わいのあった三大神社とは大違いのめっちゃ寂れた神社やな志那神社 posted by (C)YOSHIYU機でも、藤は、めっさ綺麗やん!こっちはタダやけど、200円の藤にそれほど引けを取ってへんなしかも、人っ子一人おらへんから藤を独占!してたんですが、藤の甘い香りにつられたでっかいアブに、邪魔されました志那神社 posted by (C)YOSHIYU機拝殿に比べ、とても小ぢんまりとした可愛らしい本殿は、鎌倉時代の物で重要文化財らしいです。志那神社 posted by (C)YOSHIYU機こちらの宝塔は、草津市指定文化財だそうで藤だけを目当てに来た志那神社ですが思わぬ拾い物の神社でした志那神社 posted by (C)YOSHIYU機おっとこんな時間やんこの日は1日中曇ってて、時間が分かりにくかったけどいつの間にか、こんなに経ってたんやな。昨日のNHKマイルカップでGI初勝利を挙げた中竹和也厩舎があり、騎手の藤岡康太の出身地である栗東市に始まり、守山市草津市と滋賀県の3市を股にかけた珍道中は、これでおしまい志那神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.05.11
三大神社 posted by (C)YOSHIYU機守山市の樹下神社の次にやって来たのはSHIHOの出身地でお洒落な?草津市にある三大神社です。ritto 175 posted by (C)YOSHIYU機なんか三大神社って、日本で有名な3つの神社みたいな感じですけど志那津彦命 志那津姫命 大宅公主命 3つの神さんを祀ってるから三大神社という名前みたいです三大神社 posted by (C)YOSHIYU機本殿は明治時代の物でしたが、この石燈籠は鎌倉時代の物で、重要文化財となってます。ですが、ここの見所は何といっても滋賀県指定自然記念物で草津市指定天然記念物の砂擦りの藤三大神社 posted by (C)YOSHIYU機藤原氏が栄えた頃に植えられ織田信長に燃やされたものの復活したという老藤らしいなお、藤のシーズンのみ200円の協力金が必要です。ちゃっかりしとるのうばがもち posted by (C)YOSHIYU機境内に草津名物で徳川家康はわざわざ出向き和希沙也はテレビで宣伝してちゃっかり店から送って貰ったうばがもちが売っていたのでお土産に購入しました。おっぱいうま~ 三大神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.05.10
樹下神社 posted by (C)YOSHIYU機大宝神社の祭りの後に、祭りのハシゴで比叡山を守る寺の東門院がある事から守山という地名になった守山市にある樹下神社のお祭りも見ました。樹下神社 posted by (C)YOSHIYU機実は、この日3つ目の目的地のある西の方向に向かってたつもりが実際は北に進んでいて、なんか観た事ある景色やと思ったら、中山道の宿場だった守山宿で、祭りの一団にも偶然、遭遇したんですけどね樹下神社 posted by (C)YOSHIYU機境内には、守山市指定有形文化財で守山宿の遺構である常夜灯や菅原道真の娘と関係のある安産石などがある神社です。樹下神社 posted by (C)YOSHIYU機子供中心のお祭りみたいでしたね。出店などは並んでおらず、小さな町の小さな祭りといった感じでした。宝光寺 posted by (C)YOSHIYU機本来の目的地に向かう途中、また偶然見つけた宝光寺は、白鳳4年(7世紀後半)僧定恵が天武天皇の助命延命のために創建したという古刹らしい。本堂に安置されている薬師木造本尊如来立像は平安時代中期の物で、重要文化財だそうです。吉田虎之助 posted by (C)YOSHIYU機そこから、しばらく行った所に、小さなお堂が建っていて何故か、淡水の琵琶湖で真珠を養殖する事に尽力した吉田虎之助という人の銅像が建ってました。虎之助ええ名前やな草津市 posted by (C)YOSHIYU機
2009.05.08
大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機競馬ファンなら、武豊の出身地で栗東トレーニングセンターがある事でご存知の滋賀県栗東市にある大宝神社のお祭りの続き。美少女の勇ましい太鼓が祭りに彩りを添えてました大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機Oh!ワンダフル!最近、どこの祭り行っても外人が混じってますよね大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機拝殿を一周し、本殿前で神輿を高々と持ち上げたこれは差し上げの儀と言って、神様の力を強めるのと神様に対する最高のおもてなしをする意味があるそうです。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機神輿が門を出て行きました。しかし、お楽しみはこれからです。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機待ってました!ギャル神輿やこちらでは、さつきみこしと言うそうですが大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機神輿は中山道を進み、お隣の守山市にある諏訪神社まで渡御していきましたがこれは7年に1度の大渡し行事の時だけだそうです。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機チャリで、諏訪神社に先回りして神輿を待ち伏せしましたが、諏訪神社の前に五道山十王寺という小野篁により開基された寺がありました。五道山十王寺 posted by (C)YOSHIYU機小野小町のじっちゃん小野篁(たかむら)は、夜ごと京都の六道珍皇寺の井戸を通って地獄に降り閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたと云われる人物で、この辺りの地名が焔魔堂というのは、その為です。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機その十王寺前の諏訪神社で、渡御一行はひょっとこ休憩いや、ちょっこっと休憩します発泡酒飲んで、出来上がる人多数大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機往路とは逆の順番で、さつきみこしから順に大宝神社に還っていきます。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機神輿に気を取られ、行きは観れなかった武者などに扮した行列ですが、これも7年に1度だけらしいです。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機この日1番の可愛い子ちゃんやな大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機はい、ドーンドーンドーンオチでーす!おしまい大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.05.07
正楽寺 posted by (C)YOSHIYU機GW期間中の休日は、わずか2日間だけでしたがその貴重な休みだった5月4日の日に滋賀県に足を運びました。そして、JR草津駅からレンタサイクルで芦浦観音寺というお寺に向かっていたらどう間違ったのか、正楽寺というお寺に辿り着いてしまいました正楽寺 posted by (C)YOSHIYU機鎌倉時代ころの石造宝塔は、 『ROOKIES』の森田まさのりの出身地である栗東市指定の重要文化財だそうです。 その後ろに見えるのは、霊仙(りょうせん)三蔵法師の像です。平安時代初頭に、弘法大師や伝教大師と共に、遣唐船で中国に渡った人でこの辺りの地名の「霊仙寺」や、この寺の院号の「霊仙院」は、彼に因んでるようです。正楽寺 posted by (C)YOSHIYU機「三蔵」とは、「経蔵・律蔵・論蔵」に分類された仏教聖典で、その三蔵の内容に通じている学徳優れた僧侶に贈られる称号であり、『西遊記』の「玄奘(げんじょう)三蔵法師」が有名ですが、霊仙三蔵は日本人で唯一、その称号を中国皇帝から授かった人だそうです大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機その正楽寺のそばにある八幡宮で祭りの一行と、偶然に出くわすこの日の2つ目の目的地である大宝神社の祭りの一団のようでした。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機その後、田んぼだらけの似たような景色ばかりで本格的に迷いそうになったのと、出発前にちんたらネットやって、元々あまり時間がなかったので芦浦観音寺は諦めて、少し早いけど栗東駅近くで分かりやすい大宝神社に行く事に。祭りの前の参加者による記念撮影をしてましたね。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機本殿の所では、祭りにとって重要でも観てる人には、とても退屈な形式的な儀式が行われてましたそれじゃ、ついでに形式的に大宝神社の紹介をばこの本殿の右前に、重要文化財の追来神社の小さな本殿がありましたが、この追来神社境内に大宝元年(701年)、疫病流行の時、素盞鳴尊(スサノヲノミコト)と稲田姫命を鎮座して疫病が鎮まった事が、この神社の起こりだそう。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機神輿が置いてある拝殿と本殿の左前にあった稲田姫神社本殿は、栗東市指定文化財で今は京都国立博物館に寄託している木造狛犬が国指定重要文化財だそうです。祭りには欠かせない出店が並び、鯉のぼりはためく境内を散策すると・・・大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機公園がありましたが、その一角にはミスマッチな松尾芭蕉の句碑へそむらの麦まだ青し春のくれと芭蕉が詠んだ場所らしい。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機拝殿の方に戻ってみると、やけに親しそうに肩を組んだ野郎どもが、砂ぼこりを巻き上げながら、駆けてきた大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機本殿前に到着するや、やり遂げたかのようなハイテンションで、盛り上がる一団。祭りはこれからやろ?大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機拝殿にある神輿を下ろし始めた。ガキんちょ、そんなとこにおったら、危ないって大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機神輿を担いで、拝殿の周りを砂塵を撒き散らしながら、一周した。大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機大人数で持てるような大きな棒に、神輿をのっけていよいよ、神社を出て渡御を行う・・・ですが、もったいぶって明日に続く大宝神社 posted by (C)YOSHIYU機
2009.05.06
鉄道総合技術研究所 posted by (C)YOSHIYU機米原駅の近くには、知る人ぞ知る鉄道総合技術研究所という鉄道に関する開発研究を行う機関があります。そこで、新幹線高速試験車両がこの日は特別に、一般公開されていてタダでもあり、迷わず足を運んだWIN350 posted by (C)YOSHIYU機これは、WIN350。West Japan Railway's Innovation for the operation at 350km/h(350km/h運転のためのJR西日本の革新的な技術開発)の略称だそうだその名の通り、最高時速は350kmです。500系の試作車という扱いですが外観は大きく異なってますね。STAR21 posted by (C)YOSHIYU機こちらは、Superior Train for Advanced Railway toward the 21st century (21世紀の素晴らしい電車)。愛称は、STAR21。最高時速は425kmです。300X posted by (C)YOSHIYU機そして、300系の後継車開発の為の試験車両の300Xは、日本国内最速時速443kmを記録しましたSTAR21 posted by (C)YOSHIYU機STAR21 posted by (C)YOSHIYU機全ての車両の内部が公開されていましたが長時間、列に並ばないといけなかったので1つしか観れませんでした鉄道総合技術研究所 posted by (C)YOSHIYU機車両公開だけではなく、ミニSLの運行鉄道グッズや米原の特産品の販売など様々な催しが行われ、小さなお子さんのいるご家族には最適なイベントでしたね。もちろん、鉄ヲタの方も楽しめるイベントです周囲は親子連ればかりの中での気まずさを苦にしない方ならWIN350 posted by (C)YOSHIYU機
2008.10.17
青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機大津祭、豊公まつり、米原曳山祭と祭りのはしごをしてきましたがいつものように、お寺に行くのも忘れません米原曳山祭が行われた湯谷神社の近くにある青岸寺に足を運んだ。青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機この寺は室町時代に、近江守護で婆沙羅大名の佐々木道誉が、米泉寺の名で開創したのが始まりで戦国時代に焼失した後、彦根藩主の井伊直澄の命により敦賀の伊藤五郎助の寄進によって再興される。その伊藤五郎助が亡くなった時に、彼を悼んでおくり名の青岸宗天に因み、名を青岸寺と改めた。本尊の室町時代作の聖観音菩薩像は米原市指定文化財となっている。青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機同じく米原市指定文化財の十一面観音菩薩像は鎌倉時代作の物だそうだ。maibara 056 posted by (C)YOSHIYU機庭園は国の名勝に指定されている。枯山水庭園では一般的に、水の流れは白砂や土を用いるが、杉苔で表現しているのが特色です。青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機美しい庭園を眺めながらお茶を頂く事も出来ます。青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機今年は腹立つ事も多かったけど少し癒されたな~青岸寺 posted by (C)YOSHIYU機
2008.10.16
米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機食事を済ませた後に、今度はラルクのtetsuアンドkenの出身地である米原市に行き新幹線が停まる駅なのに、やたら寂しい米原駅で降りて、米原曳山祭を見物した。米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機米原の曳山祭は、湯谷神社の祭礼で日本三大山車祭りのひとつである長浜の曳山祭を見習って江戸時代の後半期に始まったそうだ。米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機曳山の数は3つしかなく歴史も規模も、長浜には劣るが米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機「山を見るなら長浜 芸を見るなら米原」と言われてるだけあって、子供歌舞伎での子供達の演技が、とても見事やったな米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機次の出番まで、DSで息抜きする子供たち米原曳山祭 posted by (C)YOSHIYU機
2008.10.15
豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機大津祭と同じ日、小堀遠州、石田三成の出身地の滋賀県長浜市では、長浜城は、豊臣秀吉の初めての城で出世城とも呼ばれる事に因んだ長浜出世まつりの一行事である豊公まつりが行われ賤ヶ岳合戦の凱旋を表現した秀吉や賤ヶ岳七本槍等の武者行列・稚児行列が、黒壁スクエア界隈を練り歩いた。豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機長浜町民が、秀吉の3回忌に当たる慶長5(1600)年その遺徳を偲んで建立した豊国神社から行列はスタートし、長浜八幡宮まで練り歩き豊国神社に戻ってくる。長浜という地名は、かつては今浜と呼ばれた土地に信長から一字もらい、秀吉が名付けたそうです。豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機各地の様々な武者行列を観てきた武者行列マニアとしては、思ったより小規模な武者行列だったので、少し物足りなかったな豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機この長浜は、石田三成と豊臣秀吉が出会った場所でもあり、長浜駅前にはその場面を再現した銅像がありました。豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機4種の地ビールが味わえる長浜浪漫ビールで昼食。豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機これは1番人気の長浜エール。うんまー!豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機近江牛を使った浪漫ステーキ御膳。味としては不満はないけど、ランチメニューで2,700円は高いわ豊公まつり posted by (C)YOSHIYU機
2008.10.14
大津祭 posted by (C)YOSHIYU機小野妹子、最澄、モー娘。の光井愛佳の出身地の滋賀県大津市で湖国三大まつりの一つ、大津祭が昨日行われ、大津駅周辺を13の曳山が巡行した。大津祭 posted by (C)YOSHIYU機奈良時代(782年)に創立され、806年10月には近江に行幸された平城天皇が、仮の御所として禊祓いをした天孫神社の例祭です。大津祭 posted by (C)YOSHIYU機この祭りの起源は、江戸時代初めに鍛冶屋町の塩売治兵衛が狸の面をかぶって踊ったのが始まりとされる。やがて年老いた治兵衛のかわりに、腹鼓を打つ狸のからくりをのせた屋台を引き回すこととなったそうだ。大津祭 posted by (C)YOSHIYU機すべての曳山には、からくり人形が備えられおり街中の各所で、からくりを披露する所望(しょうもん)が大津祭の見どころとなっている。大津祭 posted by (C)YOSHIYU機曳山は、狭い大津の街中を引き回すのに適した三輪構造になっていて、祭が終われば解体して山蔵に収納するので、釘は1本も使われていない。大津祭 posted by (C)YOSHIYU機曳山は、民家や沿道の観光客に厄除けの粽(食べれません)を撒きながら、進んでいく。祇園祭では粽は売ってるものだけどタダでばら撒くとは、太っ腹な祭やな大津祭 posted by (C)YOSHIYU機そして、祇園祭に比べてほのぼのとした祭でしたね大津祭 posted by (C)YOSHIYU機
2008.10.13
五個荘 posted by (C)YOSHIYU機小幡人形が展示してる中江準五郎邸の左向かいにある勝徳寺は五個荘 posted by (C)YOSHIYU機かつては、大和郡山藩の供養堂であり、この門は大和郡山藩の陣屋の門を移築したものです。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機扉には、柳沢家の家紋の四つ花菱にその名残りを偲ぶことが出来る。石馬寺 posted by (C)YOSHIYU機五個荘町金堂から、少し離れた所に鬱蒼と生い茂る森の中の石段を登っていくと石馬寺 posted by (C)YOSHIYU機聖徳太子が、乗っていた馬を松に繋いでおき、後で戻ってくると馬が石になっており、その場所に建てられたと伝わる通称・馬の寺と呼ばれる石馬寺がある。石馬寺 posted by (C)YOSHIYU機森の中なので、涼しかったのが救いだったが長い石段を登って、あまりにもちっぽけな寺だったので、少しがっかりしたが石馬寺 posted by (C)YOSHIYU機大佛宝殿に入ると中央に、大きな大きな阿弥陀如来像が、その両脇に、十一面観音像が2躰二天像が大小2組ずつ、その向かい側には大威明王像、役行者像と、重要文化財の仏像が、ずらりと並んでいて石段を登った甲斐あったなと思いましたJR能登川駅前の観光案内所のオッチャンのイチオシだけはあるわ~石馬寺 posted by (C)YOSHIYU機新緑の時期も悪くないが、楓が多かったので紅葉の時期は、綺麗だろうなと思った。秋にもまた、五個荘に行こうかな五個荘 posted by (C)YOSHIYU機
2008.07.25
五個荘 posted by (C)YOSHIYU機五個荘町金堂は、「愛と死をみつめて」「エラいところに嫁いでしまった!」、『憑神』『俺は、君のためにこそ死ににいく』等映画やドラマのロケに使われる事が多く、外村繁邸では有名人のサインが、たくさん飾ってありました五個荘 posted by (C)YOSHIYU機中には、色んな団扇が展示されていて美空ひばり、原節子など往年のスターが描かれたものもあった。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機この団扇は、掃除用らしい五個荘 posted by (C)YOSHIYU機こちらの蔵では、『檸檬』の梶井基次郎と同人誌『青空』を創刊し、『草筏』は第1回の芥川賞の候補となった作家の外村繁についての資料が展示されてました。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機1番左が外村繁で、右から2番目は『黒い雨』で知られる井伏鱒二。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機蔵を守る狸だそうです。バットマンみたいや大きく、くり貫かれた目は、広く社会情勢を見渡せる人になるようにとの教訓が込められてるそうだ。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機幕末から明治にかけ、500ヶ所以上の庭を造った勝元宗益、通称・鈍穴による庭が、趣がありました五個荘 posted by (C)YOSHIYU機中江準五郎邸の蔵では、郷土人形の小幡人形が展示してました。素朴で可愛い人形でしたね。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機
2008.07.24
五個荘 posted by (C)YOSHIYU機ドラマ「CHANGE」で言うと、韮っちこと韮沢勝利役の阿部寛にあたる細川内閣で官房長官を務めた武村正義武っちの出身地である滋賀県東近江市。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機滋賀県には、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている地域は、3ヶ所ありますけど大津市坂本、近江八幡市には訪問済みですが東近江市の五個荘(ごかしょう)町金堂には行った事がなかったので、足を運んでみた。寺前・鯉通りの水路には、錦鯉が泳いでました。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機寺前・鯉通り沿いにある弘誓寺(ぐせいじ)は那須与一の孫の愚咄坊(ぐとつぼう)が開基したと云われ、金堂の町並みの中で一際目立つ、大きな本堂は国の重要文化財に指定されており那須与一に因んだ扇の飾りのある門は市の重要文化財となっている。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機この五個荘は、近江商人発祥の地とされ中江準五郎邸、外村宇兵衛邸、外村繁邸が近江商人屋敷として、3館1コイン500円で公開されている。こちらは、明治時代には全国の長者番付に名を連ねた豪商の外村宇兵衛邸です。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機蔵の内部も公開されていました。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機なかなか良いお庭でしたね。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機これは川戸と言って、屋敷内に水路を引き込み洗い場や防火用水として使われてたようです。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機竹の風鈴が、風情のある音を響かせてました。五個荘 posted by (C)YOSHIYU機
2008.07.23
守山宿 posted by (C)YOSHIYU機平成元年に就任し、女性スキャンダルによりわずか69日で退陣した宇野宗佑元首相の出身地である滋賀県守山市には中山道67番目の宿場の守山宿があった。この「どばし」は、戦国時代には、瀬田の唐橋同様近江路の戦略的重要拠点だったそうだ。江戸時代には、歌川広重が浮世絵を書いている。守山宿 posted by (C)YOSHIYU機滋賀県に唯一残る一里塚は県指定の史跡となっています。守山宿 posted by (C)YOSHIYU機滋賀県三大火祭りの一つ勝部の火祭りで知られる勝部神社。本殿は、国の重要文化財です。守山宿 posted by (C)YOSHIYU機と、軽く守山宿を回りましたが、今回の目的は洋菓子のモンレーブのふなずしパイでした鮒寿司とは、滋賀県の郷土料理で魚を発酵させて作り、独特な酸味と匂いが特徴でなかなか食べるのに、勇気がいる食べ物です私も、まだ本物の鮒寿司は食べれないでいますがこちらの「ふなずしパイ」は食べやすいと評判で早速、頂いてみましたが・・・全然食べれましたなんか変わった味なんですけど、病みつきになる感じ
2008.07.22
延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機今月の初めに、比叡山に花見に行きましたがついでに、延暦寺にも寄ったので今さらながら、その時の画像を載せておきます。延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機延暦寺は、大きく3つの地域に分けられる。ケーブルで行った場合、最初に観るのは延暦寺の最大の見所である国宝の根本中堂などがある東塔と呼ばれる地域です。大きさには圧倒されます!中は意外と、面白くないですが延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機その他、法然、親鸞、道元栄西、日蓮など、延暦寺で修行した仏教界のスーパースター達の像が安置されてる大講堂などがあります。延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機東塔から、西塔と呼ばれる地域に歩いて行く途中にある浄土院は、最澄の廟があり山内では、最も神聖なる場所とされている。こんな不浄な人間が、足を踏み入れて、良いんだろうか?延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機西塔にある重要文化財の常行堂と法華堂。全く同じ建物が、渡り廊下で繋がっていてかつて、弁慶が担いだという伝説がありにない堂とも呼ばれている。延暦寺 posted by (C)YOSHIYU機こちらも重文の釈迦堂は、信長の焼き討ちの後園城寺(三井寺)金堂を、移築したものだそう。それから、新西国三十三箇所札所の横川と呼ばれる地域があるんですが今回は行きませんでしたていうか、延暦寺は2度目ですが、前回も行ってない東塔と西塔を観たら、十分に満足しちゃうんだよな~hieizan 046 posted by (C)YOSHIYU機
2008.05.30
hieizan 110 posted by (C)YOSHIYU機穴太積みの石垣の町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている滋賀県大津市の坂本。坂本名物と言えば、蕎麦!という事で、食べましたよ。hieizan 111 posted by (C)YOSHIYU機二つの有名な店があるんですが前回は「鶴喜そば」で食べたので今回は「日吉そば」で!食べなくて、やっぱり「鶴喜そば」で登録有形文化財に指定された建物が渋いですからね味じゃないのかよhieizan 115 posted by (C)YOSHIYU機蕎麦を食べ終わって外に出ると、神輿と遭遇した何の祭かは、分からなかったがその後、京阪坂本駅から浜大津駅に行きナカマチ商店街にある光風堂でおはぎを土産に買って帰った。hieizan 119 posted by (C)YOSHIYU機今回の旅の一番の目的は、比叡山の桜でも明智光秀の墓でも、坂本の町並みでもなく実は、このおはぎだったりして産経新聞の別腹の誘惑というコラムに1658年創業の老舗造り酒屋の平井商店の店主が和菓子のイメージが変わったと絶賛する「おはぎ」とは、どんな物なのか?めっちゃ気になってたんでなんでも、余計な物は入ってない本物のおはぎの味らしい。それでは、ぱくり本物や!
2008.05.08
西教寺 posted by (C)YOSHIYU機レディースエンジェントルメンアンドおとっつぁんおっかさんかつては、そろばんと言えば大津と言われてましたがケーブル坂本駅から徒歩20分ほどの場所にある天台真盛宗400ヶ寺の総本山西教寺には、大津そろばんの祖と呼ばれる片岡庄兵衛が眠っている。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機先週は天王山に行ってきましたが、こちらには天王山に敗れた明智光秀の墓もついでに、ありましたこの西教寺は延暦寺同様に織田信長に焼き討ちに遭うがその復興を助けたのが、近くの坂本城の城主の明智光秀だった。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機この総門は、坂本城から移築されたものらしい。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機この鐘楼の鐘は、城の陣鐘だったそうだ。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機江戸時代に建てられた本堂は重要文化財に指定されており中の本尊の阿弥陀如来像も、重文だ。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機こちらも重文の客殿は、伏見城の遺構とされ狩野派の襖絵で飾られていた。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機こちらは、小堀遠州作の庭園です。西教寺 posted by (C)YOSHIYU機この寺の屋根の上には何故か色んな猿がいてましたなんでも、室町時代の明応2年(1493)坂本で徳政一揆が起こった時、その首謀者が真盛上人と誤解した山門の僧兵が西教寺に攻め入った。しかし境内には人影がなく、ただ鉦の音だけが本堂から聞こえてきた。それを聞いた僧兵が本堂に駆け込むと、そこには一匹の手白の猿が、上人の身代わりとなって鉦をたたいていた。日吉山王の使者である猿までが上人の不断念仏の教化を受けて念仏を唱えていることに感じ入った僧兵はその場を立ち去ったという。でも、展示室のドアには、こんな張り紙が猿が入ってくるのでドアは閉めて下さい矛盾してるやん西教寺 posted by (C)YOSHIYU機
2008.05.07
hieizan 020 posted by (C)YOSHIYU機よいしょ よいしょ大化の改新の中大兄皇子こと天智天皇が祀られている近江神宮に行きました。hieizan 004 posted by (C)YOSHIYU機天智天皇が近江京に遷都して即位した事から昭和15(1940)年に作られた新しい神社だが社殿は登録有形文化財に指定されている。小倉百人一首の一首目を詠んだ天智天皇に因みここで毎年1月に、かるた名人を選ぶ競技会が行われる事で、よく知られる。hieizan 015 posted by (C)YOSHIYU機また、天智天皇は日本最初の時計漏刻(水時計)を設置したという事で様々な時計を展示した時計博物館がある。これはオメガから贈られた漏刻時計です。hieizan 017 posted by (C)YOSHIYU機そして、これはロレックスが寄贈した日時計ならぬ火時計です。でも、中国製なので、精度は疑問ですがhieizan 019 posted by (C)YOSHIYU機世界最高精度の日時計もありました。どんなに精度良くても、晴れてないと時間が分かりませんけどhieizan 006 posted by (C)YOSHIYU機
2008.05.06
hieizan 084 posted by (C)YOSHIYU機先週末、日本一の長さを誇る坂本ケーブルに乗り、比叡山に行ってきましたhieizan 026 posted by (C)YOSHIYU機登録有形文化財のケーブル延暦寺駅に着くと満開の桜が出迎えてくれた。海開きする等、すっかり夏モードの関西にあってまだ花見が楽しめる貴重なスポットだ。hieizan 079 posted by (C)YOSHIYU機延暦寺の西塔の駐車場付近ではオリジナルグッズや抹茶接待が当たる萌桜会というイベントが行われていてなんと、無料で抽選できたという訳で、ガラガラ~と回したら・・・hieizan 071 posted by (C)YOSHIYU機阪神カラーの玉が!くず湯と八ツ橋接待が当たりました前の人が立て続けに、外れてくれたおかげやな先週の長岡天満宮の献菓祭でもお菓子が当たったし、最近ついてるな♪でも、この暑さで、くず湯はある意味、罰ゲームかもhieizan 075 posted by (C)YOSHIYU機桜が咲いてるぐらいだから、少しは涼しいかと思ったら普通に暑かったな~hieizan 046 posted by (C)YOSHIYU機世界遺産の桜ってタイトルにしましたが咲いてるのは、駐車場付近だけで延暦寺境内には、あまり咲いてなかったりしてhieizan 082 posted by (C)YOSHIYU機
2008.05.05
信楽高原鐵道 posted by (C)YOSHIYU機JR貴生川駅から信楽を結ぶ信楽高原鐵道です。1991年、列車が正面衝突し42名が死亡した事故を起こした鉄道として記憶されてる方も多いと思いますが車内では、ホーホケキョと鶯の鳴き声のテープが延々と流されてるけったいな電車でした信楽高原鐵道 posted by (C)YOSHIYU機そして、鶯の鳴き声だけじゃなくなんと車内は、梅だらけ客よりも梅が多い信楽高原鐵道 posted by (C)YOSHIYU機信楽高原鐵道 posted by (C)YOSHIYU機いつもじゃなく、期間限定のイベントだそうです甲賀市役所信楽支所別館では無料の盆梅展が行われてました。信楽高原鐵道 posted by (C)YOSHIYU機
2008.03.24
玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機忍者の里、滋賀県甲賀市にある玉桂寺には風車の弥七ならぬ風車の地蔵軍団がいました玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機玉桂寺は、奈良朝の淳仁天皇が一時、都を平城京から滋賀に移した時、皇居を作る間の仮御所として使われたのが始まりだそうです。玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機本尊は弘法大師で、境内には弘法大師がお手植えしたとされる高さ29メートルの世界一の高野槙(天然記念物)が聳える。玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機寺宝は、鎌倉時代作で重要文化財の阿弥陀如来立像やぼけ封じ観音菩薩日本唯一神経痛除薬師如来13メートルの大不動明王など。玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機場所は、信楽高原鐵道「玉桂寺前」駅下車しつり橋を渡って、すぐの所。玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機高所恐怖症の方は、信楽駅から徒歩15分で行けます玉桂寺 posted by (C)YOSHIYU機
2008.03.23
P3160044 posted by (C)YOSHIYU機信楽焼は、タヌキだけじゃありません!狛犬も、信楽焼だ!「陶園」で食べた後、少し歩いた所にあった新宮神社の狛犬です。たぬき posted by (C)YOSHIYU機また少し歩いた場所にある陶芸村です。やっぱり、タヌキばっかP3160059 posted by (C)YOSHIYU機ここでは、全長25mの巨大な登り窯や陶芸の見学、陶芸体験、土産物やセラミック浄水器 百年のしずくの購入が出来ます。P3160066 posted by (C)YOSHIYU機お土産は陶芸村では買わず、帰り道を散策しながら物色。カエルフクロウカメどれにしようかな?P3160144 posted by (C)YOSHIYU機買ったのは、1、100円が500円の処分品の皿と100円のお猪口だけ♪ちゃんちゃんP3160063 posted by (C)YOSHIYU機
2008.03.22
たぬき posted by (C)YOSHIYU機先週末、狸の置物で知られる信楽焼の滋賀県の信楽町に行ってきました。信楽高原鐵道の信楽駅に着くなり沢山のタヌキが出迎えてくれましたたぬき posted by (C)YOSHIYU機駅を出ると、大きな公衆電話タヌキに遭遇たぬき posted by (C)YOSHIYU機そこら中に、狸の置物が売ってましたたぬき posted by (C)YOSHIYU機これ、めっさ欲しい!陶園 posted by (C)YOSHIYU機とりあえず、腹ごしらえという事で2階がギャラリー、1階が信楽焼の器を使った喫茶店になっている「陶園」で食事をした。陶園 posted by (C)YOSHIYU機食べたのもタヌキではなく、近江牛肉丼(1050円)です肉が柔らかくて、タレが美味しくてたぬき posted by (C)YOSHIYU機グーグーググーググーグー、コォー陶園 posted by (C)YOSHIYU機
2008.03.21
草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機東海道52番目、中山道68番目の宿場草津宿には2つの本陣があったが田中七左衛門本陣だけが現存しているが篤姫が、古里の薩摩(鹿児島)から江戸(東京)へ向かう道中に泊まったそうだ。建坪四百六十八坪部屋数は三十室余二百六十八畳半本陣としては最大クラスであり東海道筋では、唯一ほぼ完全に残っている本陣でもあり国の史跡に指定されている。草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機篤姫以外にも、忠臣蔵の敵同士吉良上野介と浅野内匠頭和宮、シーボルト新撰組なんかも泊まったそうです。草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機大名などの休泊に使われた上段の間です。いわゆるスイートルームですね草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機宮崎あおいちゃん・・・いや、篤姫が入ったかもしれないお風呂です草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機土方歳三が、きばった便所草津宿本陣 posted by (C)YOSHIYU機
2008.03.16
今月初め、竹生島クルーズを終えて長浜に到着した。そして、昼飯に大通寺参道に住茂登(すみもと)で琵琶湖産の天然ウナギ(2,100円)を頂いた。天然物にこだわる美味しい郷土料理が食べれる店だ。琵琶湖の天然ウナギは肉厚で脂がのっている為蒲焼きには向かず、素焼きをワサビ醤油で頂く。脂がのって美味いうなぎの頭の唐揚げも付いてました。黒壁スクエアにある巨大万華鏡です。大きければ良いってもんでもないな前回、長浜に来た時はお土産を後回しにしたら閉店してて買い損ねた「なべかま本舗」の「なべかままんじゅう」(1個50円)を購入した。全国菓子大博覧会で賞を獲ったお菓子だそう。和三盆糖と黒砂糖を使った皮とこしあんのバランスが絶妙でコクのある昔懐かしい味ですそれから、高月町、木之本など湖北巡りした後再び花火を観る為に、長浜に戻った。花火まで時間があったのだが、5時過ぎだと閉まってる所が多く、北国街道安藤家が6時まで開いてたので、入ってみた。豊臣秀吉が長浜城主だった頃、町人の中から「十人衆」を選び、自治を委ねた。安藤家は、その一つであり、十人衆から選ばれる三年寄として、江戸期を通じて活躍した。この建物は、明治時代の近代和風建築である。北大路魯山人先生が彫った看板。年に数回特別公開される離れの小蘭亭には北大路魯山人の手に彩られた芸術の宝庫となっている。夕食は、黒壁スクエアの翼果楼(よかろう)で長浜の郷土料理の鯖そうめん(1,260円)を食べる。よくテレビでも紹介されるお店だ。功名が辻の上川隆也、テツヤ、前田吟も店に来たようで、店頭には写真が飾られていた。
2007.08.25
JR長浜駅の隣に、虎姫駅というのがある。虎姫町は日本で唯一虎のつく町と言うことでタイガースの勝利の女神として知られる。そして、有名な駅舎前にある虎神殿!優勝祈願してきました。虎柄の店が、結構ありました。この米屋には、虎せんべいと虎御膳なるお米が売ってました。ついでに、駅の南にある真宗大谷派本願寺の別院五村別院に行きました。本願寺12世教如は、元禄元年(1592)父顕如上人亡き後一旦は35歳にして本願寺を継職されたものの翌年母君春尼公(にょしゅにこう)の意向によって長男であっても弟の准如上人に教えの跡継ぎをお譲りになり北殿(ほくでん)に隠居されました。その苦しみの御心中を察し、人柄を慕った湖北の門徒衆が一つの坊舎を建立して上人をお迎えしたいと申し上げたところ上人の御許しにより、多賀山十念寺跡に建立されたのが五村別院の始まりだそう。重文に指定の本堂は、享保15年(1730)に上棟の大規模な建物で、富田村(現在のびわ町)の大工西嶋但馬元親により建立された。西嶋但馬家は、江戸時代を通して竹生島や五村別院の宮大工を務めた。また、この虎姫町は、姉川の戦いの功績により秀吉に賜った山内一豊の初所領の地でもある。
2007.08.19
高月駅から、隣の木之本駅に移動。木之本地蔵院というのが、駅の近くにあるというのに魅かれこの日、初めて知った木之本町に、思いつきでやって来た。眼病に御利益のある身代わり蛙で知られるお寺のようです。奈良時代に開かれ、空海により中興菅原道真、源義仲、足利尊氏等も参拝した歴史あるお寺。賤ヶ岳の戦いの折りは、ここに豊臣秀吉の本陣が置かれた。また、明治天皇の行在所(あんざいしょ)であった。そこには、名勝の庭園もあります。ここは入山料無料なので、タダで観れます!日本三大地蔵の1つで、本尊の地蔵像(重文)は秘仏だが、その写しの6メートルの地蔵像が境内に建っている。明治27年に建立され、太平洋戦争時には供出命令が出たが東條英機の妻、勝子夫人の援助もあり供出を免れたそう。地蔵堂には、裏の顔がある!裏地蔵尊もタダで拝めるので、お忘れなく。御香水という名水?も頂けます。ペットボトルが山積みしてたが、あれに入れて持って帰ってOKって事か?国宝阿弥陀如来の碑が建っている阿弥陀堂には、国宝ではなく、重文の阿弥陀如来立像阿弥陀如来坐像を安置している。戦前は国宝指定だったようです。この木之本地蔵院の前の道は、北国街道でありここには木之本宿があり、かつては宿場町として栄えた。道沿いには、うだつのある家が軒を連ねている。また、昔は牛馬市があり、千代が山内一豊の為に、ここで馬を買ったそうだ。
2007.08.18
昨日に続き、セインと磯山さやかが番組で訪れた場所の紹介です。竹生島、彦根城は有名だから驚かなかったが、この高月町もカブったのはビックリだ!私は滋賀県に高月町がある事すら知らなかったけど井上靖の『星と祭』にも登場するなど意外に有名らしい。竹生島の観覧船乗り場で待っていた時に置いていた無料ガイドマップに、日本に7体しかない国宝の十一面観音の一つがあると書かれていたので予定を変更し、長浜駅から高月駅近辺の渡岸寺(どうがんじ)に行ったのだ。青春18きっぷは、気ままに旅できるから、ええな~。渡岸寺に着くと、祭りの会場になってました。観音の里ふるさと祭りだそうだ。この高月町には、国宝や重文の観音像が多いそうで自称観音の里らしい。へぇ~、初耳や。滋賀県に高月町があるのも初耳やったしこの日は全ての観音が開帳され観音巡り出来るバスが運行されていた。竹生島クルーズをして、悠長に観音巡りする時間はなくとりあえず、目的の国宝の十一面観音を観ようと拝観料を払おうとするが、この日は無料でした!十一面観音は、番組でも撮影させてもえなかったように当然、撮影禁止でしたが、この写真は駅に飾ってあった着物です。平安時代作のこの仏像は頂上面が菩薩相で牙上出相と瞋怒相の各一面が、左右の耳の後方に配される等、頭上面の配置に特色があり最も美しい十一面観音とも称される。重文の大日如来坐像と県指定文化財の小さな十一面観音像もありました。門の仁王も、県指定の文化財だそうです。
2007.08.16
ひこにゃん、ひこにゃんひこにゃんにゃん♪先日、彦根城築城400年祭を開催中で街中は、ひこにゃん一色の彦根に行きました。ひこにゃんを知らない人の為に一応言っておくと招き猫発祥の地という事で、白猫をモチーフにした彦根城築城400年祭のキャラクターです。日曜に放送されたテレ東系の「ドライブ A GO!GO!」というマニアックな番組で、セイン・カミュと磯山さやかが、大人の修学旅行をテーマに国宝の数が全国第5位の滋賀県琵琶湖をドライブしていたが観てビックリ!彦根城、竹生島、長浜、高月町。最近行った所ばっかりやん!食事をした所も同じやん!二人が食事をした夢京橋キャッスルロードにある「せんなり亭 伽羅」です。鉄火丼御膳(1,380円)を食べました。2人は、もっと、ええもん食べてたな~これは、これで美味しかったから、別にええけど決してお安くない店だが、繁盛してはりました。実は今回、彦根城の天守の方には行ってません。馬小屋が特別公開していたのでタダなので、覗いただけ!今回の彦根は、近江牛とひこにゃん目当てだった近江鉄道で、ひこにゃん乗車券を購入した。招き猫は福を呼ぶので、290円でした。優勝を招き寄せてくれるかな?
2007.08.15
観音堂から、朝鮮出兵の折りに秀吉のご座船として作られた日本丸の廃材を利用して作られた渡廊の舟廊下(重文)を渡ると豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の束力使殿を移転した国宝の本殿の竹生島神社またの名を都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)に続いている。内部は桃山時代を代表する、優雅できらびやかな装飾で天井画は60枚で狩野永徳、光信の作で黒漆塗りの桂長押には金蒔絵(高台寺蒔絵)が施され要所には精巧な金の金具が打たれている。本殿の前には、竜神拝所がある。土器(かわらけ)の一枚に名前をもう一枚に願い事を書き、それを鳥居に投げると竜神様が願い事を叶えてくれるという。これが竜神?これか?そして、1時間弱の滞在を終え、長浜港行きの船に乗るまったりしたい人は、もっと滞在できますよ。長浜名物の高さ28mのびわこ大仏や!湖北の旅は、まだ続く。
2007.08.09
この船に乗りました。竹生島が見えてきた!樹木が枯れ、山崖は崩れ、山の保水能力が下がり湧水が枯れ果てた折、平成十四年に大弁才天様のお告げで深さ230メートルの井戸を掘ったのがこの瑞祥水なのだそうだ。実に深い味わいだ!全国でも珍しい、現存する鎌倉時代の五重石塔(重文)。宝物殿には、「法華経序品(竹生島経)」(国宝)や弘法大師直筆「御請来目録表」(重要文化財)をはじめ数々の宝物が収蔵されていました。この豪華絢爛な唐門は、国宝です。千手観世音菩薩を納めた観音堂(重文)は西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所。竹生島クルーズ2700円、入島料400円宝物殿拝観料300円、総額3400円かかったので勿体ないから、明日に続く
2007.08.08
土曜日、毎年、どちらかに行っている2万発の淀川花火と6千発のみなとこうべ花火が行われたが、今年はスルーしたまには気分を変えたいという事で、日曜に行われた1万発の長浜・北びわ湖花火に行ってまいりました。まずは、長浜駅周辺で観賞した。綺麗に見えるやん!少し遠いけど、人も多くないし、トイレや飲食物の調達が便利やし、良いスポットやね。ただ、長浜らしい写真が撮れへんな~って事で一駅離れた田村駅に移動した電車から眺める花火も、乙やね~!田村駅近くの湖岸から、再び花火を観賞。かなり花火は小さくなり、煙が邪魔になるが障害物に遮られる事なく、花火が観れました。背景には長浜の夜景、湖面に映る花火長浜の花火大会だと実感できる景色!ただ、いい台がなくて、写真は全部ボツやったトイレや食料調達には不便そうだが人も少なく、穴場スポットやね。公共交通機関はJRだけ、家からも遠いし次の日は仕事やし、途中で退散した。入場規制も無縁で、花火を観ながら電車を待つとやって来ました満員電車!混んでたのは米原までで、京都からは座れましたが。下調べもせず、行き当たりばったりの割には上手い事いけたな。
2007.08.06
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された近江八幡市の町並みではこの八幡堀を中心に、時代劇の撮影がよく行なわれている。鬼平犯科帳、暴れん坊将軍水戸黄門に『大奥』先月は「必殺仕事人2007」を撮影していた。そんな歴史的な町並みを代表する建物が重要文化財の旧西川家住宅である。入館料は、旧伴家住宅、近江八幡市立資料館歴史民族資料館と共通で500円だった。「近江八幡節句人形めぐり」というイベントが18日まで行われており、5月人形が展示されてました。かつては小学校や図書館として使われていた市指定文化財の旧伴家住宅では、様々な時代の雛人形が展示されていた。でも、婚期を逃すぞ!?誰も住んでないから、ええんか歴史民俗資料館では、近江商人の往時をしのぶ生活様式がそのまま残されており裏庭には、民具、農具などが展示されていた。旧近江八幡警察署の郷土資料館では考古・民俗・美術工芸・文書などの資料が展示されていた。古い日本家屋が立ち並ぶ中、ひときわ目立つ洋風の建物は明治10年に八幡東学校として建築された白雲館です。登録有形文化財に指定されており、現在は観光案内所として使われ、お土産や特産品も展示販売されていた。
2007.03.21
青春18きっぷとレンタサイクルでの近江八幡巡りの昼食は、日牟禮八幡宮近くの「麩の吉井」で、すき焼き定食を食べました。すき焼きと麸の付け合わせ、ご飯、コーヒーゼリーがセットで1、575円だった。このすき焼きには、近江八幡の名産品が詰まっていた。とろけるようにまろやかな風味の近江牛織田信長が赤い衣装を着た事が発祥とも言われ鉄分によって着色された赤こんにゃく八幡城主の豊臣秀次が、兵糧食として携行に便利なように造らせた角形の麩の丁字麩まるで、すき焼きの物産展や~すき焼き定食を注文した先着30人限定でオリジナル・コースターが貰えました食後に、左義長祭を観る傍らヴォーリズの建築物巡りをした。ヴォーリズ建築が3軒並ぶ池田町洋館街近江八幡YMCA会館、旧八幡郵便局、ヴォーリズ記念館松居一代の母校の近江兄弟社学園内にある国登録有形文化財のハイド記念館・教育会館と廻った。見所の尽きない近江八幡市巡りは、まだ続く・・・。
2007.03.20
ハチクロの竹本くんみたいに自転車に乗って、自分探しの旅に出た。いや、本当はレンタサイクルでJR近江八幡駅周辺を散策しただけですが一日500円、ブレーキの効きが弱くてサドルが少しぐらつくボロ自転車で出発だー!だが、まだサイクリングに快適なシーズンとは言えなかった。この前まで暖かかったのに、この日は寒過ぎッ!今年初めて、雪に降られました。更に最悪な事に、飛ばされそうな程の強風が吹き寒さが一段と堪えると同時に、進むのに苦労して体力を奪われた足を伸ばして安土の方まで行くつもりだったが、断念した やって来たのは、西国三十三箇所31番札所の長命寺。駅から結構あって、既に少し疲れていたがそこに待ち受けていたのは、808段の石段!!この寺に参拝すると長寿になるらしいが石段を登りきった時には、ヘロヘロになり寿命が縮んだかもしれない300歳まで生きたと伝えられる武内宿禰(すくね)がこの山で長寿を祈ったといい開基は聖徳太子と伝えられている。本堂、三重塔、鐘楼、護摩堂等の建築物をはじめ本尊の千手観音、聖観音、十一面観音、毘沙門天など多くの重要文化財に恵まれた寺院である。高い所にあるので、琵琶湖を見下ろす事が出来る。が、木が邪魔で、絶景とまでは言えなかった。
2007.03.19
うっひゃ~祭りや!飲め呑め!ドンチャン祭りしてますが、実はこれは国の無形民俗文化財の左義長(さぎちょう)祭の模様です昨日と今日行われたが、私は昨日行って来ました。勲三等瑞宝章を受賞した建築家のヴォーリズが「近江八幡は世界の中心」と言っていたがその近江八幡(おうみはちまん)市にある日牟禮(ひむれ)八幡宮の例祭である。左義長は元来、旧正月を中心に正月の飾り物などを集めて焼く行事であり、1年の無病息災を祈って現在でも全国各地で行われている。信長記に、「織田信長安土において毎年正月盛大に左義長を行い、自ら南蛮笠を被り紅絹にて顔を包み、錦袍を着け、異粧華美な姿で踊り出た」とある。信長亡き後、豊臣秀次の八幡城下に安土から移住した人々は4月に行われていた氏神八幡宮の例祭「八幡まつり」の荘厳さに驚き、これに対抗する形で3月に行われるようになった。「チョウサ、ヤレヤレ」「チョウヤレ、ヤレヤレ」等の掛け声で、国の重要伝統的建造物群保存地区を左義長だしを担いで練り歩いた。左義長の担い手は踊子(おどりこ)と呼ばれ踊子は老若男女を問わず、変装・女装も自由となっている。べっぴんさんもいてましたね~この奇祭は、湖国に春を告げる祭りとも言われるがこの日は、めっちゃ寒かったおまけに風が強くて、担ぐ人は大変そうでした左義長だしは、干支に因んだ物が作られる。左義長祭山車コンクール審査というのがあり優勝は、第十一区の「白巧猪(はっこうじし)」が選ばれた。奇麗な山車ですが、勿体無い事に今日、奉火されてしまった
2007.03.18
大丸百貨店心斎橋本店、大丸神戸店南一号別館日本基督教団大阪教会(登録有形文化財)など多くの建物を設計し、日本の近代建築の発展に貢献した建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)が設計した堅田教会が、JR堅田駅に向う途中にあった。そして、次なる目的地もヴォーリズ縁の地でヴォーリズ通りのある近江今津駅だこのヴォーリズ通りには、ヴォーリズの建築物が3軒並んでいる。国登録有形文化財となっている今津ヴォーリズ資料館は元は、百三十三銀行(現在の滋賀銀行)今津支店だったが銀行が移転後は町立図書館となり、現在は資料館となった。ヴォーリズが今津幼稚園に贈ったピアノやヴォーリズに関する資料が展示していた。それから、食事やコーヒーを頂く事も出来る。次にあるのが、こちらも国登録有形文化財となっている今津教会です。現在は、幼稚園として使われているようです。最後の旧今津郵便局だけ、国登録有形文化財ではない。廃屋みたいやもんな裏手は、ゴミ置き場みたいになってましたまだ、旅は、しつこく続くのだった・・・
2007.03.13
カタタタタタタタタタタタタ!堅田の旅の続きです道の駅から南に、歴史ある街並みを歩いていくと国指定名勝の天然図画亭(てんねんずえてい)庭園がありましたが、拝観は事前連絡が必要で面倒なので県指定文化財の建物を観るだけで我慢した。さらに南下すると、華叟宗曇(かそうそうどん)が開いた祥瑞寺(しょうずいじ)があった。 有名な一休さんは、彼の弟子なので青年期には、ここで修行をしていたそうだ。一休みせずに、次の場所へ向う。そこから、堅田の総鎮守である伊豆神社などにも寄りつつお目当ての場所である浮御堂に到着した。正式名称は海門山満月寺で、近江八景「堅田の落雁」の場所として有名である。拝観料300円を払って中へ。この貧乏旅行で、食事代以外での初出費だ樹齢500年の松が生える境内には松尾芭蕉が詠んだ鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂の句碑が建てられている。観音堂には、重要文化財である聖観音坐像が安置されている。立派な松と奇麗な梅がある本福寺(ほんぷくじ)は蓮如が真宗の布教を行った拠点だったそうだ。現在の境内には、保育園がありました。蓮如も、予想GUYだったろうその後、JR堅田駅に向かい、まだ旅は続くのだった・・・。
2007.03.12
JR20周年を記念して、青春18きっぷが8,000円と格安で販売されてるので地元の寂れたJR駅から、珍しく出掛けた昨日は、琵琶湖開きという事もあり今まで乗った事の無い湖西線巡りをする事にした。和歌山に行く案もあったが、昨日はケーブル火災で阪和線が6時間も運休だったようなので湖西線で正解やったなやっぱ、琵琶湖と言えば、びわ湖タワーやね。・・・今は無いんですが、観覧車だけ残ってます。びわ湖タワーは、滋賀県唯一の遊園地だったが業績不振のため、2001年に閉園された。この観覧車(108m)は、作られた当初は世界最大の観覧車だったそうだ。その観覧車の近くに、道の駅米プラザがあった。歩いて道の駅に行く奴って、余りおらんやろうな琵琶湖大橋の袂にあり、滋賀県の農産物を紹介販売しており、土産物も売っていた。おたべも売ってたけどそれは京都どすがな2階には、琵琶湖を一望出来る展望スペース観光案内所などもある。腹が減っては戦は出来ぬという事でしじみ釜飯定食(1000円)を食べました。近江米こしひかりが使われた釜飯にうどんは、近江米が使われた米うどんだ。お腹も一杯になったし、さあ、これからが本当の旅の始まりだ!!
2007.03.11
三井寺の次に向ったのは、比叡山の門前町である坂本である。穴太(あのう)衆積みという独特の石垣で統一された街並みは風情のある雰囲気を醸し出している。この坂本では日吉参道を始め、日吉大社、旧竹林院、西教寺、滋賀院門跡で今月末まで紅葉のライトアップをしており、それを目的にやって来たのだ。特に、日吉大社、旧竹林院はライトアップ時間帯は拝観無料という言葉に惹かれた(笑)ライトアップまで時間があったので、重要文化財の日吉東照宮を観に行った。三代将軍の頃、現在の日光東照宮が改築される時、その雛形として造られたのがこの東照宮で、関西の日光と言われているらしい。外観も派手ですが、中は金箔が施された内装で一層ゴージャスな雰囲気でした。徳川家康の他に、豊臣秀吉も祀っていました。小さな末社ではありますが、僅かながら紅葉を楽しめ紅葉に負けない色鮮やかな重要文化財の本殿は登って行って、拝観料200円を払う価値はあったな。ライトアップまでの時間を潰す為に、蕎麦でも食べる事にした。坂本名物日吉そばのそばに、登録有形文化財指定された築120年近い店舗を構える創業280年の本家鶴喜そばがある。その昔、司馬遼太郎さんが坂本に取材に来たときに、「鶴喜そば」と勘違いして「日吉そば」に入ってしまい、気まずい思いをしたそう NHKスペシャル 街道をゆく DVD-BOX一杯のかけそば〈700円)を注文した何だか素朴な感じの蕎麦でしたが、ダシも良く、普通に美味しかったです特製のゆず七味も良かった。いよいよライトアップ、全国の日吉・日枝・山王神社の総本宮である日吉大社に行く。日吉造で国宝の西本宮の本殿や、重文の西本宮楼門などが暗闇に浮かんだ。日吉大社は猿を神の使いとして崇拝しており猿の檻があるが、暗闇の中、猿が激しく動き回る音が響いていた。 ライトアップされた紅葉は、赤ではなくオレンジに見え昼間とは違った美しさを見せていた。その後、延暦寺の里坊の一つである旧竹林院で八王子山を借景にした庭園もタダで拝見させてもらいました。デジカメのメモリ不足&バッテリー切れで、写真は無しです。私もバッテリーが切れたので、大津小旅行から帰宅した
2006.11.28
石山寺の次に、近江八景「粟津の晴嵐」はスルーして「三井の晩鐘」で知られる三井寺を訪れた。三井寺は通称で、本当の名は園城寺(おんじょうじ)と言い天台寺門宗の総本山である。西国三十三箇所観音霊場の第14番札所でもある。これが「三井の晩鐘」で、日本三名鐘に数えられる梵鐘です。一回300円で誰でも撞く事が出来る。比叡山延暦寺との対立抗争で度々焼き討ちに遭い豊臣秀吉による寺領没収などもあったが、その都度復興し「不死鳥の寺」と称されている。三井の晩鐘とは別に、重要文化財の弁慶引摺鐘という鐘が雲鐘堂にあるが弁慶が鐘を三井寺から奪って、比叡山に引き摺って帰る途中に鐘が「イノー」(「帰りたいよう」の意)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという逸話が残り、苦難の歴史を象徴する遺品である。日本三不動の1つに数えられる秘仏で国宝の黄不動を始め国宝10件(64点) ・重要文化財42件(720点) にも及ぶ多数の名宝が残っている。国宝の金堂は、現在は工事中で外観は拝めなかったがオッサンが歩けば、国宝と重文に当るという感じで見所満載でお薦めのお寺です皆さんのお越しを、孔雀が首を長くして待ってる筈ですお土産に、ランドセル型の交通安全守りを購入しました。
2006.11.27
五月雨に 隠れぬものや 瀬田の橋(松尾芭蕉)琵琶湖から唯一流れ出る川である瀬田川。そこに、近江八景の一つ「瀬田の夕照」に挙げられる瀬田の唐橋(せたのからはし)が架かっている。「唐橋を制する者は天下を制す」と言われ、歴史的な重要拠点であった。現在はコンクリート製になったが、往時のデザインを偲ばせている。次に近江八景繋がりで、「石山の秋月」の石山寺を訪れた。まず、建久元年(1190年)に源頼朝の寄進により建てられた重要文化財の東大門が出迎えてくれる。西国三十三箇所観音霊場第13番札所で、本尊は秘仏で重要文化財の如意輪観世音菩薩国宝の本堂は天然記念物の珪灰石(けいかいせき)の上に建っておりそれが寺の名前の由来である。清少納言は、『枕草子』に「寺は石山」と書いているが犬猿の仲である紫式部もこの寺に参籠し、『源氏物語』の発想を得たとされる。石山の 石にたばしる 霰かなと読んだ松尾芭蕉の縁の地でもあり、たびたび仮住まいした芭蕉庵があります。石山寺周辺には、墓地のある義仲寺の無名庵、長期滞在した幻住庵などもある。また、『破戒』で知られる島崎藤村も、石山寺の茶丈である密蔵院で約二ヵ月間生活した。滋賀県最古の木造建築物で国宝の本堂の他に、国宝で最古の多宝塔や重要文化財の鐘楼など貴重な建造物も多くあり夜空に光る 黄金の月などなくても見所満点の石山寺でしたみんなも コイよ
2006.11.26
今回の旅で最後に向った先は、大人の遠足の締めに相応しく日本初のフィギュアミュージアムで9月7日にオープンした海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館だった。大人といえばフィギュアですよね~。って、どこがやねん!海洋堂といえば流行りの食玩ブームの中心的存在。私は殆ど買いませんが、ヴィトンとコラボしたりゆずのCDジャケットを手掛けた村上隆の食玩だけは持ってます。現在はオープン記念で入場無料である。建物は長浜オルゴール堂と繋がっている。1Fはミュージアムショップで海洋堂のフィギュア、食玩などが販売されています。ここでしか買えないオリジナル商品もありました。それから海洋堂の年代記という展示がされている。2Fに上がると小さな箱のジオラマが、多数展示されていた。まずは生物の歴史についてのジオラマが並ぶ。見た事のない古代生物が見れて勉強になります。自然の厳しさが表現された作品などが並ぶ中ユーモラスな作品が、和ましてくれます。恐竜の骨格や復元の大き目のフィギュアもありました。博物館から依頼を受けるのも頷ける精巧な造型ですね~。次にロボットヒーローやアニメなどの展示となっていた。鉄人28号、ゲッターロボ、銀河鉄道999などもありました。それから萌え~な美少女フィギュアの展示です。正直きらいじゃないですね。こういうの。持ってないですけど。お土産にミュージアム・オリジナル商品である彦根城の堀でも浮かんでいたコハクチョウ840円を購入した。良いお土産(?)も買えたので、彦根・長浜の夢の旅を締めくくり現実世界に帰っていったとさ。FIN
2005.10.14
彦根城の次は長浜城だー!という事で、やって来ました長浜へ。もっとも長浜城は1983年に再興された天守閣で長浜城歴史博物館なのだが。入館料は400円でした。長浜城は羽柴(豊臣)秀吉が築いた城で3代目の城主は、あの山内一豊である。来年の大河ドラマ「功名が辻」に因み「田中吉政とその時代」という企画展をしていました。田中吉政(1548~1609)は豊臣秀吉の甥秀次が近江八幡城主時代には、堀尾吉晴・山内一豊などと共にその宿老(重臣)の一人として、領内統治で活躍した人物である。関ヶ原合戦では家康配下として石田三成を捕縛した人物でもあります。この時に吉政から手厚く扱われた事を感謝した三成は遺品として脇差しを吉政に贈った。(その脇差しが展示されてました。)秀次家臣から秀吉直臣に戻り、さらに徳川家康に接近していった人生は、山内一豊と吉政は重なるところがあります。この企画展はこの後、岡崎市美術博物館・柳川古文書館で巡回展示が行われるようです。2F、3Fが展示室で5Fが展望室でした。移動は階段でした。今回は登ったり降りたりばっかりだな。浮き沈みの激しい人生やな~(笑)国内で現存する最古の旧長浜駅舎などもありましたが時間と予算の関係で素通りしました。加藤清正の銅像があった豊国神社日本三大山車祭の曳山祭の長浜八幡宮芙蓉の寺と言われる舎那院などを巡る。この3つと神照寺、知善院、総持寺それぞれで瓢箪が売られておりその6つを集めると無病(六瓢)息災の御利益が得られるらしい。大通寺も訪れる。本堂は伏見城の遺構と伝えられる。本堂西南側にある脇門は、旧長浜城の大手門だったようだ。その後、黒壁スクエアを散策。そして、この旅を締めくくる為に、ある施設に向った。続く
2005.10.13
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