お出かけ 北海道・東北・関東 0
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ケチケチ旅行の鉄則、ネカフェを最低限で出て早朝行動、東山線高畑駅近くの多宝塔が重要文化財の荒子観音に行くと、近くに前田利家生誕地で利家の父の利春が城主だった荒子城跡もありました。名古屋と言えばアロンゾモーニングですが、カリオカの「日本人ならお茶漬けやろ!」のお告げが聞こえた気がしたので、あえて今回は大名古屋ビルヂングの鯛茶福乃で、あさ鯛茶810円を頂いちゃったただの酔っ払いにしか見えない河村市長と武将隊による名古屋の国歌斉唱のオープニングセレモニーで幕を開けた名古屋まつり、次は撮禁のチームしゃちほこやし、人が少ない方に行ってしまう性質なんで、電車で移動して名古屋市の隣、春日井市の春日井まつりに来てしまった。名古屋では大人気らしいスペシャルゲストdelaは、ライブ中の撮影はNGで、トーク中写真のみOKやった。 なまはげ太鼓の後に登場した日本コロムビアのアイドルClef Leafはメンバーの一人が春日井出身。名古屋まつりとかぶってるせいか、そんなに人が多くはなかったんで撮る側にとっては良かった。
2018.10.20
近鉄週末フリーパスで名古屋まで向かうが、それまでお腹が持ちそうもない、でも、ひつまぶしの口になってしまっているって事で、津駅の西口出て直ぐの大観亭支店で、ひつまぶしを食べました 名古屋駅から地下鉄東山線に乗り換え、一日乗車券740円で東山公園駅で下車、東山動植物園に行くと、イケメンゴリラのシャバーニがいるゴリラ舎の前で、オーストラリア・シドニー市のタロンガ動物園との友好記念セレモニーをしてて、なんかクリアファイルとシャバーニシールをもろた。本山で名城線に乗り換え、八事駅から徒歩3分の五重塔が国の重要文化財の興正寺に行ってみた。八事駅から鶴舞線で赤池駅まで、そこから別料金を払って名鉄豊田線で豊田市駅に行き、豊田市のアイドルStar☆T(スタート)の無料のハロウィン仮装ライブを撮影。名古屋に戻って、大名古屋ビルヂングの「肉そば けいすけ 」で晩飯食って、ネカフェに泊まって遠征1日目終了。
2018.10.19
静岡遠征2日目、昨夜の晩御飯も静岡おでんやったのに、静岡駅近く、朝7時からしてる「おにぎりのまるしま」で朝おでん(笑)おでん60円って安すぎやろ早朝観光で、徳川家康が元服式を行い、本殿や楼門など23棟が重文の静岡浅間(せんげん)神社に。お次は、興津(おきつ)駅の清見寺(せいけんじ)に。徳川家康が人質時代に勉学に励み、朝鮮通信使遺跡として国の史跡、庭園が国の名勝で、雪舟、夏目漱石、島崎藤村も訪れたらしい。清水港はマグロ水揚げ量日本一という事で、清水駅から歩いて河岸の市の「みやもと」でマグロランチ。その後、清水区役所のまるちゃんマンホールを観た後、今回の旅行の目的地、エスパルスドリームプラザ内のちびまる子ちゃんランドを楽しんだ後、無料シャトルバスで清水駅に戻って、静岡県沼津市を舞台にしたアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」とコラボした静岡県民ソウルフード、のっぽパンで小腹を満たしながら、青春18きっぷでノロノロと大阪に帰ったとさ。
2018.08.31
香川遠征、岡山遠征ときて、今度は静岡遠征(笑)遅れてきた盆休み的な3連休、いつものように青春18きっぷでノロノロと静岡へ向かうが、お昼までに辿り着ける訳もなく、豊橋駅で途中下車して勢川本店で、とろろご飯が隠れているカレーう丼やないかい!な名物の豊橋カレーうどんをペロリ香川遠征と岡山遠征では、以前に行ってるから丸亀城と岡山城そっちのけでアイドル撮ってましたが、今回は観光メインって事で日本初の木造復元天守、二の丸御殿が重要文化財、山内一豊の掛川城へ。それと、SMAPの劣化実写化の方じゃなく、原作漫画の方の「シュート!」が昔好きやったから、掛川には寄りたかってんな。静岡駅に降り立つと偶然、9月16日に引退する安室奈美恵にメッセージを届けるキャラバンのトラックが止まってて、めっちゃ女の人がおったけど、ファンちゃうから、そそくさと立ち去って、ちびまる子ちゃんのマンホールが期間限定で飾られている葵区役所へと向かうと、静岡で初開催のKEIRINグランプリをPRするキャラバン隊の出発式が終わった直後やったグラドルの桜井奈津がいたらしく、掛川城は逃げへんから、こんな事なら寄らんかったら良かった。葵区役所の近くの徳川家康の駿府城に寄った後、晩飯には武藤やロンブー亮のサインがある静岡駅の「海ぼうず」の静岡おでんで一杯やる。この日は神奈川サザンビーチちがさきで、aikoのフリーライブがあって、行こうと思ったら行けたけど、観光ゼロやないと無理やし、人多そうやし(3万7千人)、今年は仕事で全然見れんかった花火を熱海へ見ようと計画したが、花火の前に元アイドリング!!!の関谷真由、古橋舞悠のBESTIEMとスリジエが無料ライブしてたのを行きの列車で知った駿府城は逃げへんし、さっさと熱海行けば良かったさくらももこ先生が8月15日に死去した事が27日に発表され、急に静岡行きを決めたし、計画が杜撰すぎスリジエのメンバーはフォロバしたのに、昭和の人間やからツイッターを全然活用できてへんな。ただ、熱海の花火に関しては、大満足の内容毎週のように打ち上がってるせいか、aikoのフリーライブのせいか分からんけど、そんなに人多くなくて、ギリセーフな時間に到着して、5000発もの花火を絶好な場所で観れるなんて信じられへん
2018.08.30
ノーグランドレベル中居君が打席と守備位置を勘違いした糸井福留温存、飛車角落ちの阪神に侍ジャパンが負けた昨日のWBC強化試合で誕生日を祝ってもらってた原口文仁と同じく3月3日が誕生日の有名人は坂口杏里の他、恵比寿マスカッツの吉沢明歩、桜木凛、水玉レモンがいますが名古屋オートトレンドのイメージガールは、第二期恵比寿マスカッツの恵比寿★マスカッツで初日の25日には川上奈々美、三上悠亜、桃乃木かな、由愛可奈、古川いおり、夏目花実、ティア、市川まさみ、小野美公、石岡真衣、三田羽衣、辻本杏が登場してライブを行い、しかも珍しい事にトーク中は撮影し放題という事で、沢山写真を撮ってきたが、めっちゃ大勢のファンの頭越しでの撮影って事で、あんまり良い写真は撮れへんかったな。CD1枚予約で握手、3枚予約でツーショット撮影も出来たんやけど、そこまでファンではないんで、せんかった
2017.03.04
カーズとワイルドスピードまさかのコラボ!免許も無いのに名古屋までオートトレンドを観に行ったのは4月28日全国ロードショーのワイスピ最新作『ワイルド・スピード ICE BREAK』で使われた車で展示してるから?いや、映画好きやけど、そこまで物好きちゃいます。第3話放送延期で第1話再放送、第5話放送延期で総集編放送第11話・第12話放送延期で翌年に放送の伝説となったアニメ「ろんぐらいだあす!」の原作者の三宅大志先生とパカさん役と言うより、せーの一迅社で知られる声優(笑)の 東城咲耶子のトークショーもあったサイクルトレンドという自転車のイベントも同時開催されていて、そのアニメも観てたし、「弱虫ペダル」観て自転車に興味もあるけど、わざわざ名古屋に行くまでの理由にはならず、では一番の目的はと言うと・・そこにオッパイがあるから近鉄週末フリーパスを使って遠くに行きたいと思い立って伊勢は去年2回行ったから、やっぱ名古屋かなってなってそれでイベント探してたら、画像検索してみると車は皆無でコンパニオンの写真ばっかりのオートトレンドを見つけこれエエやんって事で行ってみる事にしました。アンケートでも、正直にコンパニオン目当てに印を付けた
2017.03.03
世界7カ国8カ所目、日本初上陸の2歳から12歳の子供とその家族が1日を思いきり楽しめる屋外型テーマパークのレゴランド・ジャパンが4月1日(土)にオープンしますが、一足先に行ってきた・・・・・って行ってきたのは名古屋市港区、あおなみ線金城ふ頭駅近くで工事中のレゴランド・ジャパンの横にあるポートメッセなごやで、先月25日(土)・26日(日)の2日間開催された中部地区最大級となるドレスアップ&チューニングカーイベントのオートトレンドその初日の25日に、車を持ってないどころか免許もないのにわざわざ大阪から行って、写真を撮ってきました
2017.03.03
歴代で最も高齢43歳で横綱になった第13代横綱鬼面山谷五郎「めちゃ×2イケてるッ!」でお馴染みの露出狂モデル敦士「探偵!ナイトスクープ」でシャ乱Qの「いいわけ」を歌ってブレークした養老の星☆幸ちゃんの出身地、岐阜県養老郡養老町居酒屋チェーンの店名でもお馴染みの養老の滝日本の滝百選でもあるし、行くっきゃないじゃん!と歩いても行けるけど、駅から歩いてきて疲れたしそもそも、その前にも結構歩いてたんで、ちょっと贅沢して片道400円のリフトに乗って行く。涼を求めて行ったけど、肌寒いくらいやったな息切れしやすい喫煙者の為に、至る所に喫煙所がありましたが、山火事心配するなら禁煙にしたら、ええんちゃうんか?こんな事書くと、小宮山洋子みたいに叩かれるんかな?養老神社ですが、何故か埼玉県のらき☆すたで有名な鷲宮神社の痛絵馬が養老神社の境内には、名水百選の菊水泉が湧き出ていてこの水を使い、日本で最初のサイダー養老サイダーが生まれ、その会社は今は無いが菊水泉を使ったサイダーとラムネが売ってました。なんでひょうたん?元正天皇も認定した親孝行、源丞内って人の逸話に、ひょうたんが登場するようで養老ランドも初めて知ったし、勉強になる旅だった
2011.09.12
田んぼの真ん中にヤギおるやん!総人口7987人の岐阜県不破郡関ケ原町では耕作放棄農場の除草対策と獣害対策でヤギを飼育しているそうだ。除草対策は分かるけど、獣害対策ってのがいまいち分からん普段は、そこら中にドラッグストアやスーパーがある中で暮らしてるので、節約の為に飲み物は自販機やコンビニでは買わない事にしてるけど関ヶ原では駅前以外には、コンビニはおろか自販機すら見当たらず、三成の陣地跡の所でようやく自販機を見つけたが、ほぼ売り切れ仕方ないので、この笹尾山詰所って言う土産物屋で栄養成分は牛乳より豊富で、牛乳のように下痢しないヤギ乳で作ったアイスが売ってたので購入したバニラ、チョコ、抹茶などの種類があったがヤギだけにラムレーズン関ヶ原の戦いだけが売りのような関ヶ原町ですが実は、672年に起きた日本古代最大の内乱壬申の乱ゆかりの地でもあります。矢印通り進んだけど、ほんまに入って大丈夫かよ?って感じの普通の民家の畑のまん真ん中に後の天武天皇である大海人皇子が壬申の乱の時、兜を脱いで掛けた兜掛石と沓(くつ)を脱いだ時、足を掛けた沓脱石がありました。その兜掛石がある場所は、壬申の乱の翌年天下の変乱に備え、通行人たちを取り締まる為天武天皇が設置した不破関の庁舎跡で、少し歩いた場所には不破関跡と不破関資料館があった。かつては、この不破関を境に東を関東西は関西と呼んだらしい。ここから、ちょっと歩いた場所には、大友皇子が自害した場所が、更に歩いた所に、事務所の力で仕事に恵まれている武井咲が来年の大河で演じる事になっている常盤御前の墓があるが、暑さに挫け断念したまた、関ヶ原は中山道六十九次58番目の宿場関ヶ原宿のあった場所で、県天然記念物のスダジイのある八幡神社に、かつて本陣があり脇本陣跡は、日本禅宗の祖・至道無難禅師の生誕地で、宿の番頭だった禅師は、愚堂国司という高僧が宿泊する度に、30年間教えを請い続けて出家したそうですおまけ、いつも通り失敗写真になっちゃいましたが1万発のびわ湖大花火大会の画像。被災地を支援しようと、被災地の花火業者に例年より200発多い2000発を発注したそうです。
2011.08.14
内装は絵で描いてるだけの残念なクオリティの関ヶ原ウォーランドのにんにん城コンクリート像が並んでる所から少し離れてたがわざわざ足を運ぶ必要はなかったなんちゃって浅井三姉妹やたらトイレに色んな物が飾っていて土産物を販売している麗守都関ヶ原という1600名が食事できるドライブインが関ヶ原ウォーランドの前にあった。関ヶ原ウォーランドで、なんちゃって関ヶ原を観ただけで帰ったのでは、流石に勿体無いのでリアル関ヶ原も散策してみました。現在の韓国料理には欠かせない唐辛子を朝鮮にもたらした秀吉の朝鮮出兵で先鋒を務めたキリシタン大名の小西行長の陣跡の近くで、先鋒役の福島正則を出し抜いた徳川四天王の一人、井伊直政隊の発砲により慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)天下分け目の関ケ原の戦いは、火蓋を切る。関ケ原合戦屏風にも描かれている歴史の証人樹齢800年の月見の宮大杉が聳える春日神社に、出し抜かれた福島正則が陣を構えていたそうだ。領主の竹中重門が徳川家康の命によりわずか1日で8000人が犠牲になったと云われる関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬した西首塚と東首塚は、旗や石碑が建ってるだけの陣跡や決戦地とは違い、迫力を感じた。治部少に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城と言われたのにウォーランドの像が、あまりに可哀想すぎた島左近と石田三成の陣跡がある笹尾山では敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来馬防柵が復元されていた。三成が陣取った笹尾山からの風景ですが右側にある松尾山に、裏切り者のデビルマン小早川秀秋の陣跡がありました。他にも、色々あるんで、興味がおありの方は今回の自分は徒歩移動でしたが、ケチらずにレンタサイクルで周る事、こんなクソ暑い季節は避ける事をお薦めします
2011.08.13
滝田栄や「葵徳川三代」では、津川雅彦が演じた徳川家康リオンにフルボッコされた海老蔵が主演した「武蔵MUSASHI」の宮本武蔵「功名が辻」の山内一豊大河ドラマの主役が顔を揃えるコチラはJR東海の関ヶ原駅近くの関ヶ原ウォーランド約30,000平方メートルの敷地に、200体以上の戦国武将のコンクリート像で、関ヶ原の戦いを忠実に再現されている。関ヶ原の戦いの時には、とうの昔に死んでいた武田信玄の亡霊って現在放送中の大河で亡霊と言えば織田信長やし、信長も作れば良いのに大久保彦左衛門や!自分は、オジイチャンのイメージやねんけどな。これらのコンクリート像を手掛けたのは珍スポットとして有名な愛知県犬山市の桃太郎神社と同じく浅野祥雲という人らしい。合戦資料館では、実際に合戦で使われた甲冑等も展示され、ノーモア関ヶ原シールも貰えて入場料はたったの350円ぽっきり東京オリンピックの1964(昭和39)年から潰れずに、生き残ってきた底力を感じた
2011.08.12
サンダーバード♪青く光る広い宇宙へ行け風巻いて大阪と福井を2時間弱で結ぶサンダーバードですが青春18きっぷの貧乏旅行なので、当然利用せず湖西線の各駅停車で、ちんたら行きました福井駅から、一乗谷遺跡に行くために乗った越美北線、愛称・九頭竜線。なんか匂うなと思ったら、電車やなくてディーゼルやからか。昭和20(1945)年7月の福井空襲昭和23(1948)年6月の福井地震同年9月の九頭竜川堤防決壊から復興した不死鳥のまち福井市のフェニックス通りを走る路面電車の福井鉄道。路面電車と言えば、大阪の堺市にも走ってるけどそう言えば堺市にも、堺大空襲からの復興の象徴のヤシ科のフェニックスが植えられたフェニックス通りがあったよな。福井に来たら、忘れてならないのが越前おろし蕎麦てな訳で、有名店つるきそば佐佳枝支店で頂きました福井名物と言えば、もう1つ有名なのがソースカツ丼その生みの親の高畠増太郎が創業者であるヨーロッパ軒総本店にも、当然足を運びました欲張りなもので、普通のソースカツ丼ではなくエビフライ、トンカツ、ミンチカツが乗った3種盛スペシャルカツ丼(1050円)をオーダー。やっぱり、ソースが美味しいですね。個人的には、ミンチカツが1番好みやった。あの夏の日の空は♪今もずっと胸に焼きついてる波打ち際 消えたメロディ愛のセレナーデ潮騒だーいや、塩サイダーです金沢では柚子小町という地サイダーを紹介しましたがここ福井は・・・、いや福井駅で売ってはいましたが実際は、日本でただ一ヶ所、江戸時代からの「揚げ浜式製塩」が続けられている石川県奥能登塩田村の地サイダーです塩分が失われがちな夏に最適な地サイダーでした
2010.09.01
昨日に引き続き、北陸城攻めシリーズの一乗谷朝倉氏遺跡編で、今回は朝倉義景館跡と道路を挟んだ所にある当時の城下町を再現した復元街並を紹介したいと思います。210円を払って、復元街並を歩いてみるとまるで戦国時代や行ったことないけど、そんな気がしたくそ暑いのに、火鉢かよ福井って雪国やし、もう少し涼しいと思ったけど、そんなに大阪と変わらんくらい暑かったな一乗谷朝倉氏遺跡と一乗谷駅の間にも平面復元町並や朝倉景鏡館跡、下城戸等マニアには堪らなそうな遺跡が点在していた。安波賀春日神社は、1068年の創建と伝えられ1573年に朝倉氏滅亡とともに焼失したが1700年、福井藩主松平吉品によって再建されその社殿、滝殿社は社叢と共に、福井市の文化財に指定されてるそうです。 そんな見所いっぱいの一乗谷に沢山の観光客が訪れるのをあの?ふっくりんも首を長くして待ってるようでした。首ないけど
2010.08.31
福井城だけには飽き足らず、生まれて初めて九頭竜線に乗り込み、周りにコンビニどころか、自販機すらない僻地の一乗谷駅に降り立ち、徒歩20分程の一乗谷城に城攻め戦国時代の名コンビ、アザアサの浅井ゆかりの地に行ったら、やっぱり朝倉氏の居城にも行かなくっちゃ越前朝倉戦国まつりが、この日は行われていて、実際は戦国コスプレイヤー目的のこっちがメインで、福井城の方がついでだったりしたんですけどね火縄銃スゲー音布団叩きの音なんて、比べもんにならへんな男もすなる火縄銃といふものを女もしてみむとてするなり そんなこんなで、国の特別史跡で4つの庭園は国の特別名勝出土品は国の重要文化財の一乗谷朝倉氏遺跡を散策。夜にはライトアップされるみたいでした。おっトカゲ久しぶりに見たから、思わず捕まえそうになったけどむやみに野生動物に干渉してはまずいと思いとどまったトカゲ以外にも、蛇やら色んなものが出てきそうな自然豊かな所やったな。無人駅で5分で干物になりそうな一乗谷駅近く一乗谷朝倉氏遺跡資料館が越前朝倉戦国まつり委員会のご好意で無料開放されてたので、電車が来るまでの間展示品を見てる振りをしながらクーラーの効いた資料館で涼んだ
2010.08.30
美人3姉妹道端3姉妹の故郷の福井市は上野樹里主演の来年の大河ドラマゲゲゲの女房戦国編じゃなくて、江 姫たちの戦国の元祖美人3姉妹の浅井三姉妹ゆかりの地だという事で、早くも気合が入っていた賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れた柴田勝家と浅井三姉妹の美人ママお市の方が自害した北ノ庄城の石垣が残る場所には現在、2人を祀る柴田神社が建っていました。そして、その境内には浅井三姉妹を祀る三姉妹神社まであった来年は、 凄い儲かりそうやねさて、今回の福井行きの1番の目的地は実は福井城でも柴田神社でもなくって復元された福井城の舎人門がある福井市立郷土歴史博物館の隣にある・・・養浩館庭園だったりした。金沢の野村家を調べた時に、こちらが日本庭園ランキング第3位だと知って、凄く興味が涌いたのが福井行きの決め手になったこちらは福井藩主松平家の別邸で江戸時代には御泉水屋敷と呼ばれてたが龍馬伝でお馴染みの松平春嶽により養浩館と名付けられたそうです。空襲で焼けてしまい、建物は復元ですが凄く良い雰囲気でした鯉密度高すぎアメンボも、めっさ多かったな入園料は210円で、歴史博物館との共通券は330円家庭の日(毎月第3日曜日)、文化の日(11月3日)ふるさとの日(2月7日)は、無料公開してるそうです。
2010.08.25
大垣城、金沢城と攻めてきましたが、今回は徳川家康の次男の結城秀康が初代藩主の福井藩の居城、福井城です。でも、現在の福井城跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部が建っていて、残ってるのは石垣と内堀だけで、復元されたのも御廊下橋しかなく、少し面白みに欠ける城跡ですけどねこの井戸は福の井と言い、福井という地名の由来となったそうだ。死者数は阪神・淡路大震災に次いで戦後2番目震度7「激震」を新たに設定する程の甚大な被害を及ぼした昭和23(1948)年の福井地震で崩れた石垣です。先月末に、AKB48のあっちゃん等がライブを行った福井城の横にある中央公園にも寄ってみると、福井が生んだ偉人達の銅像が建ち並んでいた。こちらは二・二六事件で知られる第31代内閣総理大臣の岡田啓介。坂本龍馬に、藩財政再建の手腕を買われ新政府への参画を求められたり、板垣退助等と共に政府に対し、民撰議院設立建白書の建白書を提出した事で知られる由利公正。由利公正の銅像は、福井城の南側にもあり「世の中の流れから見れば、一人の人間など 芥子粒ほどのもんでしかなか」龍馬伝では、やけに嫌な奴として描かれた由利公正の師、横井小楠が隣にいた。アーネスト・フェノロサの助手として美術品収集を手伝い、日本美術界を語る上で外せない岡倉天心。でも、天心は福井藩士の息子ではあったけど横浜生まれの横浜育ちじゃん熊谷組の二代目社長で、自民党の参議院議員となり高速増殖炉もんじゅの建設推進、若狭湾沿岸を原発銀座と呼ばれる地帯に一変させ熊谷組を日本の準大手ゼネコンに躍進させた熊谷太三郎と、太三郎の父で熊谷組初代社長の熊谷三太郎の銅像はあるのに福井出身では、もっと有名な人物である神戸海軍操練所にお金をポンと出してくれた松平春嶽や、緒方洪庵の適塾出身で春嶽の側近となるが、安政の大獄で殺された橋本左内の銅像があらへんなんておかしいやん春嶽の銅像は、中央公園の横にある春嶽を祀る福井神社の方に、左内の銅像は左内公園の方にあるからみたいですね。春嶽を祀る神社としては、福井神社より歴史がある佐佳枝廼社(さかえのやしろ)が中央公園の横にありました。こちらには春嶽の他に、徳川家康家康に嫌われてた結城秀康も一緒に祀られてるそうです
2010.08.24
自動改札はないのに、やたら立派な建物の金沢駅にある名物の加賀人形をモチーフにした郵太郎というポストはかつては、渋谷のハチ公前みたいに待ち合わせの場所となってたそうですが今は隅に追いやられ、ひっそり建っている。そんな金沢駅の現在の待ち合わせスポットは巨大やかん・・・かどうかは金沢市民ではないので知る由もないそんな金沢の名物B級グルメと言えばハントンライスオムライスの上に白身魚フライとタルタルソースが乗った食べ物って感じですけどハンガリーの「ハン」と、ハンガリー語でマグロを意味する「トン」で、ハントンライスだそうですがマグロ以外の魚だったり、エビフライが乗ってる場合もあるようです。金沢駅ホームに、まさかのたこ焼き屋しかも、タイガースカラーやしこんな店があるんやったら、晩飯を食わんかったら良かった金沢名物の甘エビを使ったイカ焼き風あまえび焼ってのも売ってるらしい。金沢と言えば、金沢カレーも忘れてはいけないって事でお土産に、松井秀喜が高校時代に通っていたカレーの市民アルバのアルバ熟成カレーを購入。でも、ファミマで売ってるらしく金沢で買うことなかってんけどそれに、カレーの市民アルバは甲東園にゴーゴーカレーもターバンカレーも京都にあるから、金沢カレーが食いたかったら、行きゃいいだけやし寛永二(1625)年創業の老舗の福光屋の福正宗のカップ酒で品名通りに、黄金色してました。竹久夢二が生涯で一番幸せな時を過ごした金沢の湯涌温泉の柚子街道に因んで柚子果汁の地サイダーの柚子小町。夏にぴったりのサッパリした味わいで売上の一部は、金沢湯涌ゆず街道の整備金となるそうです。これは土産じゃないんですが、ご当地限定石川県名物の加賀棒茶のペットボトル。暑いから、そんなに甘い物を食べたい気はおきへんねんけど、日本三大菓子処という事で、五郎島金時の餡を包んだ饅頭福うさぎを、値段が手頃なので購入。しろえび紀行という煎餅も値段が手頃という理由で購入したけど金沢土産やなく、富山土産やった
2010.08.23
兼六園、金沢城、尾山神社、尾崎神社武家屋敷野村家と、駆け足で巡った金沢観光を駆け足で紹介してきましたが紹介しきれなかった所があったので今回は、残りその他の話です尾山神社から武家屋敷の方に向かう途中にあった金沢市文化ホールというコンサートホールは公共建築百選に選ばれてるそうです。武家屋敷から少し歩いた場所に架かる犀川大橋は、大正13(1924)年の物で登録有形文化財だそうだ。詩人の室生犀星のペンネームは漢詩人の国府犀東に対抗し、犀川の西に住んでいたので「犀西」、それをもじり命名されたものであるらしい。同じく金沢出身の小説家の泉鏡花が金沢市に流れるもう1つの川の浅野川を「由縁の女」の作中で女川と表現した事から犀川は別名、男川と呼ばれるそうだ。犀川大橋近くのビルの谷間に、前田家が菅原道真を祖先と信じてた事に由来する金沢城下25天神KJT25の1つで、第八番札所の小橋菅原神社がありました。かつては宝来寺と称していたが神仏分離の際に、現在の社号になったそう。もとは別の場所にあり、現在地には昭和46年に移転したんですけど、この樹令約480年を超えるこの御神木の大銀杏も、同時に移植されたんですが38mと、あまりにも巨大だった為に上部を伐り現在は18mになってしまっている。兼六園、金沢城公園の横の金沢21世紀美術館はヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展の最高賞の金獅子賞を受賞したそうだ。おもろい野外展示物があるな。金沢21世紀美術館の敷地内には加賀藩13代藩主前田斉泰が江戸の隠居所として建てた松涛庵と山宇亭という茶室があり、無料公開されていた。
2010.08.22
レストランを格付けする事で知られるミシュランですが、観光地の格付けも行っていて、それによると長町武家屋敷跡の野村家は、世界遺産の下鴨神社延暦寺、金剛峯寺、薬師寺の1つ星よりも高評価の2つ星という事なので、あまり金を払う施設は行きたくなかったが、500円を払い中に入りました。玄関には、前田家の命運をかけた末森城合戦で前田利家の直臣の野村伝兵衛信貞が着用していた甲冑が飾ってましたが、野村家はその伝兵衛から代々、奉行職などを歴任してきた由緒ある家柄だそうです。ただ、当時の建物は明治以降に取り壊されて現在建っているのは昭和初期に、北前船の商人久保彦兵衛の豪邸の一部を移築したものらしい。2003年にアメリカの雑誌の日本庭園ランキング3位に輝いた庭園です。その後、調査箇所が増えたせいか、19位になりましたが、それでも27位の兼六園よりも高評価ではあるんですけど素人目からすれば、野村家と兼六園のどちらか1つしか行く時間がないなら兼六園の方を薦めますけどね通好みの庭園、狩野派の山水画をほどこした襖に写真を自由に撮って良いってのは、ポイント高いけど世界遺産より上かと言われれば、疑問やな2階には茶室があって、利用しなかったんですがもしかしたら、世界遺産を上回る何かが入ったお茶が出されてたんかもしれへんな長町には野村家以外にも、色々な施設があって金沢の伝統工芸の獅子頭が展示されていた長町武家屋敷休憩館は、休憩室やトイレがあり観光ボランティアガイド「まいどさん」がいて長町武家屋敷を散策する時に便利なスポットです。立派な長屋門がある旧加賀藩士の高田家跡は無料で公開されてました。野村家に比べ、随分質素な2棟の足軽資料館も、無料♪ミシュランで、世界遺産と同等の1つ星と格付けされた老舗記念館は、わずか100円で入れるんですが、時間がなかったんでスルー
2010.08.21
金沢城公園の西にある尾山神社の東神門は、金沢城の二の丸の唐門を移築したもので、登録有形文化財です。でも、こちらの神社の門で有名なのは明治8年に建てられた和漢洋折衷の一風変わった神門の方ですが日本で最初に避雷針を設置した建物らしく国の重要文化財に指定されてます。神門も変わってるけど、それ以上に変わった銅像やな噂の夫婦トシーとマツを祀る尾山神社ですが、加賀藩初代藩主の前田利長は、亡き父の利家を神として祀ろうと考えたが、外様大名の立場なので徳川幕府にはばかって、物部八幡宮ならびに榊葉神明宮を遷座する名目で社殿を建立して利家の神霊を合祀したそうです。こちらの神苑は、かつての加賀藩主の別邸金谷御殿の庭園だったそうで、県名勝となってます。僕が僕であるために♪勝ち続けなきゃならない尾山神社の近く、元は金沢城北の丸に建立され明治に入って金沢城が陸軍省用地となって移築された尾崎神社は、葵の御紋だらけなのからも分かるように、徳川家康を祀っていて、重要文化財の華麗な本殿中門、透塀、拝殿及び幣殿が建っており北陸の日光と呼ばれたそうだ。
2010.08.20
兼六園に来たからには、隣にある加賀百万石前田家の居城金沢城に城攻めするのは、自然の流れだった金沢は大都市にしては珍しく、空襲を受けなかったが明治時代に残念な事に、陸軍歩兵第七連隊の失火で石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫を残して焼失したそうだそれら現存する建物は、いずれも国の重要文化財となっています。菱櫓、橋詰門、橋詰門続櫓、五十間長屋が再建されているが、天守は慶長7(1602)年落雷によって焼失してから再建されなかったので3度の飯より好きな天守はなかった金沢城の特色としては、寒さ対策と有事に鉄砲弾にする為と云われる白い鉛瓦を使用してる事と 石垣の博物館と呼ばれていて、石垣好きの方、つまりガッキー好きには、たまらない場所だという事らしい日本の道100選の百間堀通りはその名の通り、かつてはお堀だったそうだ。この日は、金沢城オペラ祭とかでYOSAKOIを踊っていて、賑やかやった若さが眩しいぜ「もし男であったら 関白にしたものを」豊臣秀吉にそう言わしめた前田利家の四女で秀吉の養女となった豪姫は嫁いだ宇喜多秀家が関ヶ原の戦いに敗れ島流しされた後、金沢に戻ってきて金沢城の黒門前で暮らし、生涯を閉じた。その豪姫の住居跡には現在、タカジアスターゼとアドレナリンの発見で、世界的に有名な科学者高峰譲吉の生家が移築されていて無料で公開されていました。
2010.08.19
人生初の109やと言っても渋谷ではなく、石川県金沢市のKOHRINBO109ですが 金沢に109があったとは大阪より進んでるやんKOHRINBO109の近くには、林銑十郎阿部信行、歴代総理をはじめ、正力松太郎井上靖等、数多くの優秀な人材を輩出した旧制第四高等学校の重要文化財の明治時代の建物を活用した石川四高記念文化交流館がありました。今回、はるばる金沢にまでやって来たのはしいのき迎賓館に、ピカチュウが来てたから、・・・では勿論なく岡山の後楽園、水戸の偕楽園と共に日本三名園の一つに数えられる兼六園の入園料300円が、お盆の期間は無料だと知ったからです日本最古の噴水はあるし、眺望は良いしさすが、ミシュランのグリーンガイドの三ツ星や兼六園の横に、加賀藩藩主前田家の先祖菅原道真を祀った金澤神社がありましたが藩校の鎮守社だった事もあって、受験シーズンには多くの受験生が参拝に訪れるらしい。金沢って、昔は小京都って呼ばれてたけど昨年、金沢は武家文化の城下町なので公家文化の京都と違うし、観光面での効果もないからと脱退したそうだその前年、金沢は文化財保全や文化財周辺の景観向上などを国が支援する歴史都市に岐阜県高山、滋賀県彦根、山口県萩、三重県亀山と共に認定され、公認だけでも25市町非公認を含めると星の数ほどある小京都より5都市しかない歴史都市を優先したのは当然の選択と言えるな
2010.08.18
松尾芭蕉の「おくの細道」は、江戸深川を出発し家電俳優の故郷の大垣市までの道のり約2400キロ、約5か月の旅が書かれてますが・・・大垣駅東の市重要有形民俗文化財の岐阜町道標が建つ愛宕神社から奥の細道むすびの地までの間には芭蕉の句碑が並ぶ、ミニ奥の細道が整備されているので、歩いてみました。ミニ奥の細道を歩いていくと掘抜井戸発祥の地というのがあった。天明年間(1781~1789)頃まで大垣地方では渇水期になると、大垣の三清水(西外側町、清水町室町)まで汲みにゆく事になり、非常に不便だったので天明2年、こんにゃく屋文七が川端に2メートル程の穴を掘りそこに5メートルの材木を打ち込み、節を抜いた青竹を力いっぱい打ち込むと、竹の先からきれいな水が噴出し「これはこれは」と大層喜び、「これはの井」と名付けられたそうだ。さらに進むと、大垣藩校敬教堂跡があった。大垣藩は教育に、とても力をいれる気風があり天保9(1838)年、第8代藩主氏庸の時代大垣藩士の岡田主鈴が開いていた私塾を援助し大垣藩の学問所として、その後に講堂や寄宿舎を建て英語や西洋医学等の洋学、武学、国語・蘭学などの皇漢学を教え、全国的に有名になったようです。大垣の湧水で知られる八幡神社など水の都、大垣をさらに歩いていくと・・・大垣藩藩主戸田家廟所がある円通寺がありました。山門は、市の重要文化財です。大垣と桑名を結ぶ輸送経路として、昭和初期でも年間約1万もの船が行き来し、芭蕉も舟で下った水門川に沿って進むと、市重要有形民俗文化財の船町道標などが建ってたりしますが・・・ようやく、岐阜県指定史跡の住吉燈台大垣市指定史跡の船町港跡、そして・・・奥の細道むすびの地にキタ━━(゜∀゜)━━ッ!!ミニだけど夏の細道嗚呼しんど真夏に歩くもんやないな桜の季節が良いらしいです
2010.08.17
神戸町に来たついでに、大垣駅周辺の観光もしてみる事にし、やはり大垣なら関ヶ原の戦いの時、石田三成が拠点とした大垣城に向かうが・・・改修工事中で、姿が拝めんかったある意味、改修中なんて貴重な体験じゃんとポジティブに考え、普通に中には入れるしまあエエかと思って登ってみると・・・見晴らし悪すぎ大垣城は不運だった代わりに、幸運にもこの日は偶然、大垣水まつり当日で本町通りには、アニメキャラや七夕飾りが彩られていた。軍曹が死んどるめっさ、風が強かったからな。まつりは夜からが本番で、駅前通りでは大垣おどりが行われたようなんですが夜までおったら帰宅が、とんでもない時間になってしまうので、門限があるので帰りました
2010.08.14
人生初めての養老鉄道に乗って岐阜県安八郡神戸町に生まれて初めて、足を踏み入れた揖斐線の広神戸駅で降り、やって来たのは弘仁8(817)年、最澄によって創建され近江坂本の日吉大権現を主神として7柱の神を祀り、往時は社僧八坊を有した日吉神社という神社。神仏習合の名残りを、色濃く残していて神社やのに三重塔が永正年間に斉藤利網に建立され、天正13(1585)年「我が手の者なら連れて行きなされ」姉川の戦いの時、織田信長にそう言われ徳川家康が迷いも無く指名した武将で頑固一徹の語源と云われる稲葉一鉄が修造したもので、重要文化財です。また、稲葉一鉄は春日局の祖父でもあるらしい。県の重要文化財の本殿横にある狛犬は稲葉一鉄と共に美濃四人衆と呼ばれた不破光治が寄進したもので重要文化財に指定されている。また、こちらでは県重要無形民俗文化財の日吉山王まつりが、毎年5月3、4日に行われている。4日の深夜零時に拝殿から七社の神輿が次々と担ぎ出されて、参道大鳥居前の琵琶湖になぞらえた川を一気に渡って、お旅所へとお渡りになる神事で神輿の前後には、幾百本の松明で照らされる勇壮な火まつりらしい。
2010.08.12
純情きらりロケ地探訪第2弾!名鉄東岡崎駅近くの六所神社にも行きました。えーと、もう一度言いますけど、純情きらりは全く観てないんですがおっ、ここにも純情きらりの手形か?徳川家康の手形やん!松平氏発祥の地の松平郷(現在の豊田市)の六所神社から祭神を勧請して創建され徳川家康の産土神として、江戸幕府から厚い保護を受けた神社だそうです。という事で、ご利益は安産だそうでますます関係ありませんが城好きは世を忍ぶ仮の姿で、実は神社好きなので、重要文化財指定の美しい楼門や拝殿などを、じっくり堪能した。さすが愛知、ここにもドラゴンが5時になり、徳川家の菩提寺の大樹寺はとうの昔に閉門だし、家康を祀り家康の命日には、将軍の名代として岡崎藩主が代参していた伊賀八幡宮に行ってみる。伊賀八幡宮は、愛知環状鉄道の北岡崎駅から歩いて数分の所にありましたが門は固く閉ざされていた家康が建てた重要文化財の本殿を間近で観る事は叶わなかった寺と違って、神社は夜中でも行けるイメージやってんけどなぁ同じく重要文化財で、絢爛豪華な随神門が観れたから、まぁエエけど随神門の前の地味な石橋も重要文化財らしい。敵地に、タイガー発見名残惜しかったんですけど、なにぶん岡崎は遠過ぎてのんびりしてると、家に帰れないんで翌日は仕事なのに困るし、焦って帰路についた
2009.09.05
岡崎は、愛知県が初めて舞台になった朝ドラ純情きらりのロケ地だったそうで、中岡崎駅周辺にはあちこちに、出演者の手形がありました。八丁蔵通りという所には、宮崎あおいちゃんの手形がありましたが、顔も可愛いけど字も可愛いきらり通りってそこまでやるか?岡崎市実は、純情きらりは、全く観た事ないですがロケ地となった八丁味噌の郷を見学しましたこの建物は登録文化財だそうです。こちらは、宮内庁御用達カクキューの工場や蔵を見学出来る施設です。すげ~八丁味噌臭が漂ってます樽には6トンの味噌が入っていて重しに、3トンの石が乗っている。崩れそうで怖っ!って感じですが、職人の計算された積み方により地震でも、崩れた事が無いそうです見学は無料で、味噌汁や田楽を試食が出来アンケートに答えると、お土産に味噌まで貰えましたカクキュー最高!!八丁味噌ソフトというのが売ってたので、食べてみた八丁味噌というと、もっとウ○コみたいな色を想像したけど、案外おとなしい代物やね味も、それほど八丁味噌の味は強くはなくソフトな味わいこのウ○コ色の物体は、お土産に買った八丁味噌栗ういろうこちらは、かなり八丁味噌の味がしますが見た目や匂いに反し、意外にイケます
2009.09.04
大阪の人間が、ふらっと岡崎と言ったら普通は、京都の岡崎公園を指すと思いますが岡崎公園は岡崎公園でも、愛知県の岡崎市の方に行ってきましたボクらの時代という番組で、春風亭昇太などが熱い城トークを繰り広げているのを観て久しぶりに、城を見に行こうと思ったけど近場の城は殆ど行っており・・・石垣萌えするほどの城マニアではなく復元でも天守閣が好きミーハー城ファンにとって、日帰りで行ける限界では、岡崎城しかないってな事で、名古屋から名鉄で行った方が早いんやけど青春18きっぷなので、JRで岡崎まで行き生まれて初めて愛知環状鉄道に乗りはるばる岡崎城にやって来た。家康生誕の城というのもミーハーな人間には、嬉しいポイントだった因みに、岡崎市は、岡村孝子中嶋悟、平泉成の生誕の地でもあります城好きと煙は高い所が好き♪天守閣があると、登れるからエエなこの辺りの土地勘は皆無やから少し面白みに欠けたけど岡崎城は別名を龍城と言い、天守閣の隣に徳川家康と本多忠勝を祀っている龍城神社というのがありました。愛知で龍と言えば、中日ドラゴンズなんか関連があるのかと思ったら、オーナーの干支が辰年だから、ドラゴンズになったそうで何も関係ありませんでしたそのオーナー、辰年なのに何故か杉山虎之助また、ここは三河花火の発祥地だそうです。徳川家康が三河の若者で組織された鉄砲隊に花火作りを命じたことが三河花火発祥の由来らしいです。岡崎城と花火に加えて、マンホールに描かれてたのは桜で、岡崎のもう1つの名物だそうだ。
2009.09.03
金沢監獄正門 posted by (C)YOSHIYU機今回の犬山行きの目的は、1つは犬山城そして、もう1つが、明治時代の貴重な建物を展示するテーマパークの博物館明治村でした。宇治山田郵便局 posted by (C)YOSHIYU機国鉄スワローズの選手宿舎として使われていた西郷隆盛の弟の西郷従道邸や聖ヨハネ教会堂、品川灯台、札幌電話交換局三重県庁舎、東山梨郡役所、宇治山田郵便局など 重要文化財の建物があちこちに並び博物館明治村 posted by (C)YOSHIYU機京都市電やSLが走り、その名の通りまるで明治時代に、迷いこんだかのよう呉服座 posted by (C)YOSHIYU機大阪府池田市にあった芝居小屋で憲政の神様、尾崎行雄が演説を行った呉服(くれは)座も、重要文化財です。聖ザビエル天主堂 posted by (C)YOSHIYU機この聖ザビエル天主堂って京都の河原町にあってんやなんか、想像つかへん。帝国ホテル玄関 posted by (C)YOSHIYU機こういう場所ですから、やっぱり映画のロケ地として使われる事も多く聖ザビエル天主堂は『デビルマン』で帝国ホテル玄関は『スパイ・ゾルゲ』で無声堂は『春の雪』でそれぞれロケ地となったそうです。日本赤十字社中央病院病棟 posted by (C)YOSHIYU機だから何?って感じの映画ばっかり西郷従道邸 posted by (C)YOSHIYU機今年の年末に、「天地人」が終わった後に数回放送されるスペシャルドラマの「坂の上の雲」のロケ地でもあるらしく一足先に来れて、ちょっと嬉しいかな森鴎外・夏目漱石住宅 posted by (C)YOSHIYU機夏目漱石が「吾輩は猫である」を執筆し森鴎外も住んでた家があったり有名人ゆかりの建物が多かったから有名な映画は撮られてなくっても楽しめるスポットではありました三重県尋常師範学校 posted by (C)YOSHIYU機博物館明治村 posted by (C)YOSHIYU機それから、桜が綺麗ッ!名鉄犬山駅から、バスで20分ほどの辺鄙な場所にあり、入村料が1600円と高いせいか、あまり人おらんかったし背景の建物は味わいあるし、ええ花見スポットやね歩兵第六聯隊兵舎 posted by (C)YOSHIYU機入村料1600円って、高いと思ったけど普通、ここに展示されてるような建物を見学すると300円、下手すると500円ぐらい取られたりするし6軒くらい観たら、元が取れるのでこんだけ沢山観れて、お得かもな。宮津裁判所法廷 posted by (C)YOSHIYU機犬山祭の人混みで、かなりタイムロスして今回は駆け足で回ったから、また来てゆっくり回りたいな~。博物館明治村 posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.10
犬山城 posted by (C)YOSHIYU機今回、犬山を訪れたのは、この前、備中松山城に行ってまだ行ってない現存天守で、日帰りで行けるのは犬山城しか無いという理由からです。そして、桜の時期に、国宝の天守を撮影すれば下手くそでも、絵になる写真が撮れるだろうという考えで、犬山にやって来てみると犬山祭も観れて得した訳なんですが・・・犬山城 posted by (C)YOSHIYU機天守に入るのに30分待ちかよ犬山祭のせいで、人が多すぎた犬山城 posted by (C)YOSHIYU機犬山城が1番の目的だったので並びましたよ幸い、実際は15分くらいで入れました。犬山城 posted by (C)YOSHIYU機「あっ、モンパ!」「あれは成田山?」てっぺんに到着し、カップルが騒いどったけど土地勘がなかったから、良いガイド役になったなんやねん、モンパって?大阪では、成田山の近くにあるのはモンパではなく、ひらパ~やねんけどな犬山城 posted by (C)YOSHIYU機木曽川沿いに建つ城なので、長江沿いにあった『レッドクリフ』の劉備の城に因んで白帝城とも呼ばれてるそうだ。えっ、それだけの理由で?犬山城 posted by (C)YOSHIYU機犬山城の城主は、織田信長の従兄弟の織田信清だったが、不仲となった信長が城を奪いその後、信長の乳兄弟の池田恒興や信長の五男の勝長などが城主となり江戸時代は成瀬家が城主を務めた。針綱神社 posted by (C)YOSHIYU機犬山城の手前には、犬山城を守護する針綱神社がありました。犬山祭は、この神社の祭礼だそうです。針綱神社 posted by (C)YOSHIYU機信長の叔父で犬山城城主の織田信康が手彫りの狛犬一対を奉納し、安産祈願して以来安産に御利益のある神社として知られる。巫女多すぎやろ奥村邸 posted by (C)YOSHIYU機駅に向かう途中で偶然に、1842年の犬山大火直後に建てられた国の重要文化財の奥村邸という建物を見つけた。呉服商の屋敷だったそうで、かつては博物館として公開されてたのが、現在ではフランス料理食わんと中が観れへん敷居の高い施設となってました。犬山城 posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.08
犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機日曜日、ふらっと犬山に行ってたらたまたま、重要無形民俗文化財の犬山祭をしていたinuyama 014 posted by (C)YOSHIYU機桜の季節やから、出店が並んでるんかと思ったら1635年に始まった歴史ある犬山祭をしてたなんて、ラッキー犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機祇園祭、大津祭、亀岡祭など、基本的に曳山の祭って好きやねんけど・・・犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機桜の季節やと2倍得した感じ♪犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機それにしても、うんざりする程のすげー人!犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機救急車で運ばれた人もいてました犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機車山の上には、からくり人形が乗っていて様々な仕掛けで、見物客を楽しませてくれた。中には、煙を吐き出すからくりも!犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機この中に、虎がいるのが分かりますか?中日ファンに囲まれて、居心地が悪かったが虎に出会えて、元気をもらったinuyama 020 posted by (C)YOSHIYU機それから、城下町にある寺で飼われている人懐っこいワンコにも、撫でさしてもらって癒してもらいました犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機街中が、こんな風に飾られてましたよ。なかなか楽しいお祭でしたね♪やってる方は、大変そうやったけど犬山祭 posted by (C)YOSHIYU機
2009.04.07
湖西線 posted by (C)YOSHIYU機世界の車窓から・・・その1湖西線の景色です。熊川宿には、近江今津駅からバスに乗って行きました。小浜線 posted by (C)YOSHIYU機世界の車窓から・・・その2小浜線の景色です。熊川宿の帰りは、少し遠回りになるんですがバス代節約の為に、小浜線の上中駅から帰りました。五湖寒梅 posted by (C)YOSHIYU機鉄ヲタには撮り鉄、乗り鉄とか色々いますが私は、飲み鉄です敦賀駅での乗り換え時間を利用して購入したお酒はラムサール条約指定湿地の三方五湖の名を冠した五湖寒梅です若狭菊 五湖寒梅 カップ 180ml 30本入 [福井の地酒]えちぜんかにずし posted by (C)YOSHIYU機そして、食い鉄!創業100年の駅弁の老舗、塩荘のえちぜんかにずしですえちぜんかにずし posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.26
熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機松木神社若狭の義民、松木庄左衛門を祀る。関ヶ原の戦いの後、小浜の新藩主はそれまでの後瀬山城から、新たに小浜城を築城した為財政が厳しくなり、大豆納の年貢を増やした。しかし、築城に多くの人手を駆り出され農民達の暮らしは苦しかったそこで20名が代表して、年貢を元に戻すよう陳情を行うも、捕らえられて拷問を受ける松木庄左衛門は唯一人、拷問に耐え抜き年貢を戻すよう訴え続けた事から、藩は訴えを認めるも代わりに、松木安太郎庄左衛門は磔にされた熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機孝子与七の碑280年ほど前、貧しい与七とその妻は自分たちは貧しい物を食べて、父母にはご馳走を食べさせていた。当時の小浜藩主は、聞くに及んで米数俵を与えたと云う。与七も偉いが、殿様もエエ人やん熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機得法寺徳川家康が、織田信長や豊臣秀吉と共に、朝倉義景攻めに向かった際、泊まった寺。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機これは家康が腰掛けた松の根元らしいこの後、浅井長政の裏切りに遭って信長は一目散に、家康と秀吉も命からがら逃げ帰る事となった熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機道路から水が噴き出し、積もった雪を溶かしていた。5日間(?)に渡って書いてきた熊川宿レポートも今日が最終回となりますが、こんな時期に行くより春になってから行く方が、利口だと思います熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.22
熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機熊川宿の紹介も3日目ですけど、雪が凄い事しか伝わってないと思いますが、こちらは町指定文化財の旧逸見勘兵衛家。伊藤忠商事二代目社長の伊藤竹之助の生家です。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機ボロボロの状態だったのを、5000万かけて外観は、昔の町屋の面影を残しつつ内装は、現代風にリフォームしたそうだ。昔の人は背が低かったから、天井を外して吹き抜けにしていたり、キッチンがお洒落なカウンターになっていたりした。過疎化が進む熊川にあって、昔の家屋でも改装すれば現代的な快適な暮らしが出来る事をアピールする為のモデルハウスだそう。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機こちらの宿場館は、熊川宿や鯖街道に関する物を展示している資料館です。建物は、伊藤竹之助が昭和15年に熊川村役場として建てたものらしい。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機この熊川宿は、様々な物資が行き交う鯖街道の宿場としてだけでなく西国三十三所巡りをする人にとって松尾寺から竹生島に行くのに最適な宿場でもありあまりの人気ぶりで、連泊はお断りにしたそう。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機また、あまり大きな建物が無いのは海からの風の通り道となっていて、火事が多く建物にお金をかけないかららしい。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機1軒、1軒を見ると、バラバラな建物が並ぶが全体として見ると、統一感がある様に町造りが成されてる事など宿場館のオバサマが、入館料200円なのに400円分くらい、マンツーマンで説明して頂いた熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機街道沿いに流れる用水路は、前川と言い平成の名水百選に選ばれている。 こんな時期に、こんなマニアな場所に来るのは自分くらいかと思ったら、観光バスの団体も見かけた街道には、鯖寿司や葛餅が食べれる店は勿論、雑貨などの店なども並んでました。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.20
熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機朝ふと、おもいっきり冬らしい所に行きたいと思い重要伝統的建造物群保存地区となっている鯖街道の熊川宿へと、ふらっと行ってきた。鯖街道とは、福井県小浜市と京都を結ぶ街道で様々な物が運ばれたが、特に有名だったのが鯖だったので、鯖街道と呼ばれた。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機という訳で、やっぱり鯖寿司は食わないとって事で、道の駅「若狭熊川宿」で食べました京都みたいに、上品な感じではなくご飯のボリュームたっぷりな鯖寿司だった熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機この道の駅では、名産品も売っていて地酒や、眉山の名付け親である江戸時代の儒学者の頼山陽が吉野よりよほど上品と評した葛とか梅干しなんかも名産らしい。熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機また、資料館とレンタサイクルも併設されていた。でも、レンタサイクルなんかで廻るのは熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機無理やろ、これ復元された番所ですが、殆んど埋まってました熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機この大きな岩は、子守り岩と呼ばれ子供は、この岩の上でよく遊ぶそうだが怪我をした事がないらしい。to be continued熊川宿 posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.19
銀世界 posted by (C)YOSHIYU機トンネルを抜けると雪国であった銀世界 posted by (C)YOSHIYU機続く・・・。銀世界 posted by (C)YOSHIYU機
2009.01.18
赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機ウパウパこの赤目は、天然記念物のオオサンショウウオの生息地となっており、滝の入り口にはオオサンショウウオセンターがありました。昔、CMで火が点いて大人気となったウーパールーパーこと英名アホロートルが展示していた。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機オオサンショウウオをモチーフにした赤目四十八滝オリジナルの可愛いキャラクター。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機実際のオオサンショウウオは、決して可愛くないけどな赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機体力を消耗した帰りに、滝入り口の前で売っていたへこきまんじゅう(130円)を買いました。まんじゅうという名ですが、鯛焼き風のお菓子で、分かりにくいかもしれませんが伊賀忍者を型どっている。中身が餡子ではなく、サツマイモだからへこきまんじゅうですスィートポテトみたいで美味し~中身は、リンゴ入りの「へこき姫」やチーズ入りの「へこきち」など、全部で5種類あった。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機お土産屋さんの看板犬。大人しくて可愛かった赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機全国菓子博覧会金賞受賞の赤目名物瀧草もち(1個100円)をお土産に購入。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機この上田屋には、美川憲一、板東英二ボビー、きんに君も訪れたようだ赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機滝巡りの前に、この上田屋で昼食として鴨うどん(850円)も食べました。鴨うまー!鴨の肉、たくさん入ってたな赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機鴨うどんには不満はなかったけど、この店はドアとか無いから、めっちゃ寒かったこちらはスナック感覚で食べる有平糖。うどんが来るまで、食べまくった落花生が1番のお気に入り赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機
2008.12.10
赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機直木賞受賞の車谷長吉の小説やそれを寺島しのぶ主演で映画化した『赤目四十八瀧心中未遂』でお馴染み三重県名張市の赤目四十八滝に先週の土曜日、行ってきましたが人が多かったので、心中は未遂に終わった1人じゃ心中できんし赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機紅葉の名所として知られるが前日の雨がトドメとなり、紅葉してるのは地面や川底だけの状態やったなまず、最初に見える大きな滝は高さ15メートルの不動滝で下降線を辿る不動裕理に因んで名付けられた・・・訳では当然なく、役行者が修行中に赤い目の牛に乗った不動明王に出会ったという伝説から名付けられた。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機岩を伝って千手のように落水するところから名付けられた千手滝も、高さ15メートルある。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機近くには、弘法大師が護摩行をした護摩の窟がありました。また、弘法大師だけでなく、石川五右衛門の師匠で伊賀忍者の祖、百地三太夫もこの付近で、修行をしたと云う。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機この布曳滝は、赤目最大の滝で落差が30メートルもあります。結構歩いたのに、案内板を見てると気が遠くなるぐらいに、ゴールは遠くてこの後、途中で引き返す人が目立つようになる赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機前日の雨で、ぬかるんだ狭い道は死と隣り合わせの危険に満ちていたなおかつ、この日は天気が良かったけど雪が降るほど、クソ寒かったしもっとも、アップダウンの厳しい道を歩いていると体は温もり、それほど寒さは堪えなかったが。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機こちらは、雨降滝です。ほんまに、雨みたいやな。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機滝が別れて流れ落ちるさまが、荷を担っているように見える事から名付けられた荷担滝です。高さ8メートルほどだが、必死に歩いてるのにしばらく、小さな滝や滝が無い状態が続いてたのでこの滝が、1番感動したなakame 039 posted by (C)YOSHIYU機雛段滝です。確かに、雛壇っぽい。赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機15メートルある琵琶滝。ゴールは、もう直ぐや!赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機こちらは、マウンテンゴリラ岩赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機最後の滝の岩窟滝。ゴールの達成感よりも最後がこれかよって感じでしたそれに、ゴールではなく、折り返し点やしここから過酷な長い道を、引き返しました赤目四十八滝 posted by (C)YOSHIYU機
2008.12.09
柳ヶ瀬 posted by (C)YOSHIYU機柳ヶ瀬ブルースでお馴染み・・・なのは年配の方だけと思いますが柳ヶ瀬にも寄りましたけど、この日はスイーツフェスタなるイベントがあり美人野菜パティシエ柿沢安耶の講演会や限定のスイーツカフェ、お菓子教室などが行われていました。柳ヶ瀬 posted by (C)YOSHIYU機スイーツと言えば、近くにある「赤鰐」というかき氷の人気店が、凄い行列でしたね柳ヶ瀬 posted by (C)YOSHIYU機その店の近くには、古い電車が飾ってある公園があり柳ヶ瀬 posted by (C)YOSHIYU機金(こがね)神社というのがありました。とりあえず、小金に恵まれますようにとお願いしておきました飛騨牛 posted by (C)YOSHIYU機岐阜に来たからには偽装飛騨牛を食べねば!てな訳で、およそ牛肉を食べさしてくれるような店名じゃない馬喰一代(ばくろういちだい)に入った。店に入ると、周富徳など沢山のサインが飾ってあった。飛騨牛 posted by (C)YOSHIYU機何やら恐ろしい物が詰まってるが如く肉が、壺に封印されて出てきました飛騨牛 posted by (C)YOSHIYU機うんま~!とても偽装とは思えんな(怒られるぞ)岐阜 posted by (C)YOSHIYU機至福の時を過ごした岐阜観光ですがお土産には、つちやの水まんじゅうと長良ういろの枝豆ういろを買って帰りました。岐阜 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.15
岐阜 posted by (C)YOSHIYU機アウェイで逆境の中、美濃国の第三の宮伊奈波神社にも行きました拝殿は屋根の葺き替え工事中でしたけど阪神優勝を祈願してきた岐阜 posted by (C)YOSHIYU機伊奈波神社の前にあった岐阜善光寺。こちらの本尊の善光寺如来は、武田信玄が信濃善光寺から持出し、信玄が没すると織田信長によって岐阜に持ち込まれ、本能寺の変後信長の次男織田信雄により尾張の甚目寺にその後、豊臣秀吉によって京都の方広寺徳川家康により遠江浜松の鴨江寺に移される等数奇な運命を辿りながら、岐阜に戻ってきたそうだ岐阜大仏 posted by (C)YOSHIYU機日本三大大仏の1つ岐阜大仏を見ずに死ねるか!てな訳で、中国風の建物の正法寺にも寄るヘキサゴンを見ながら受付をしていた可愛らしい女の子に拝観料を払い、建物の中へ。ここって、撮影出来るんかな?岐阜大仏 posted by (C)YOSHIYU機OK!大仏さんが、そう言うなら、多分OKやなこの大仏は、高さ13・7メートルあり竹を編んだ上に経典を張り付け、漆を塗り金箔を張って作られた乾漆仏の中では日本最大の物だそうで別名「籠大仏」と呼ばれている。岐阜 posted by (C)YOSHIYU機正法寺の近くに、油売りから戦国大名となった斎藤道三の菩提寺の常在寺がありました。重要文化財の斎藤道三肖像画を所有するが傷みが激しいので、現在展示しているのは複製だそう長良川 posted by (C)YOSHIYU機鵜飼いで有名な長良川を渡った向こう岸には鵜匠のお家が、建ち並んでました。長良川 posted by (C)YOSHIYU機鵜が庭に放し飼い!?まるで岩鬼のように、葉っぱをくわえた鵜と遭遇しましたよ岐阜 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.14
岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機夏ですね!岐阜ですね!という訳で(どんな訳だ?)、人生初の岐阜体験をしてまいりました。岐阜と言えば、やっぱりロボット水門ですよね岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機次に外せないスポットと言えば日中友好庭園でしょう!北京オリンピック期間中ですし ここは見逃せませんよね!岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機そうやって、ボケ倒しながらも「板垣死すとも 自由は死せず!」かの有名な言葉が生まれた岐阜観光の定番岐阜公園にたどり着いた。山内一豊と千代の婚礼の場所でもあるそうだ。岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機何とかと煙は、高い所が好きと言う訳で迷わずロープウェーに飛び乗り岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機昭和31年に再建された文化的価値の無い岐阜城とリス園ぐらいしか無い金華山の頂上にも登りました岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機文化的価値から言えば、ロープウェーから見えた川合玉堂の提唱により、大正天皇御大典を記念して建てられ、登録有形文化財に指定されている三重塔の方が見所と言える。岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機岐阜公園は、夜はイルミネーションが綺麗らしい。帰れなくなるので、夜まではいませんでしたけど。岐阜公園 posted by (C)YOSHIYU機
2008.08.13
亀山城 posted by (C)YOSHIYU機松阪に行くのに、JR西日本からJR東海に、亀山駅で乗り換えるのですがコンビネーションの悪い両社という事でかなりの時間の足止めを強いられたただ待つのも何なんで、近くに亀山城というのがあるので、行ってみる事にした。亀山城か、亀山努みたいにデブっちょな城かな?亀山城 posted by (C)YOSHIYU機亀山城に行くと公園になっていて、SLと飛行機が置いてました。三重の亀山城は初耳だったが、京都にある亀山城は知ってたんですけど、実は、この二つの亀山城には因縁めいた話がある。亀山城 posted by (C)YOSHIYU機江戸時代、三重の亀山城の天守閣は、徳川家康や家光の宿として使われていたが、京都の亀山城の天守の解体を命じられた人が三重の亀山城の天守を、間違って解体んな、アホな亀山努と亀山忍を、間違えるなら分かるけどその後、天守の跡地に、現在の多聞櫓を建てる事となった。亀山城 posted by (C)YOSHIYU機なんか、賑やかやんこの日は、亀山桜まつりをしていて露店が立ち並び、ダンスをしてたり外人が歌ってたりしてました。亀山城 posted by (C)YOSHIYU機なんか、歴史的な建物らしい場所では子供の剣道大会が行われていた。亀山城 posted by (C)YOSHIYU機ゆっくり観てたかったけど、電車の時間なので後ろ髪を引かれながらも、その場を後にした。この亀山は、東海道46番目の宿場町でもあり時間つぶしではなく、今度はゆっくり周りたいな。偕楽公園 posted by (C)YOSHIYU機おまけ松阪からの帰り道、亀山行きの電車待ちの間に津駅近くにある偕楽公園に、少し立ち寄る。 津藩第11代藩主の藤堂高猷(たかゆき)が造営した「御山荘」があった場所に造られた公園らしい。桜の名所らしく、露店が並び、花見客で賑わっていた。三重の人は、SL好きやな中日新聞の旗が、やたら目につく敵地な雰囲気に居心地が悪くなり、早々に退散した偕楽公園 posted by (C)YOSHIYU機
2008.04.13
松阪 posted by (C)YOSHIYU機この松阪は、鈴コレクターとして知られるいや、古事記を編纂した事の方が有名な本居宣長の出身地です。松阪 posted by (C)YOSHIYU機松阪 posted by (C)YOSHIYU機松阪城には、本居宣長の資料を展示した記念館と彼が住んでいた家がありました。松阪 posted by (C)YOSHIYU機松阪 posted by (C)YOSHIYU機宣長は、松阪の商家の小津家の次男として生まれたそうですけど、関係があるか分からないが豪商・小津清左衛門の建物が「松阪商人の館」 として公開しており、覗いてみた。松阪 posted by (C)YOSHIYU機松阪 posted by (C)YOSHIYU機江戸時代、松阪木綿は、年間五十数万反(当時の江戸の人口の半分)の売り上げを誇った言われ屋内には千両箱ならぬ、万両箱が展示されてあり当時の隆盛のほどが窺えた。小津と言えば、世界のナベアツ、世界の小津小津安二郎監督が、青春時代を過ごしたのが松阪で小津安二郎青春館というのもあったが時間が無いのと、小津さんの映画をあまり観た事がないので寄らず。老伴 posted by (C)YOSHIYU機お土産に、天正(1575)年に生まれたお菓子で三井財閥の創設者の三井高利により永遠に付き合えるお菓子の意味の「老伴(おいのとも)」と改名された赤い羊羮と最中のお菓子を購入した。甘さを抑えてあり、確かに、長く付き合えるお菓子かも松阪 posted by (C)YOSHIYU機
2008.04.10
松阪 posted by (C)YOSHIYU機マツザカしばいてきた!標準語で、丁寧に言うと松阪牛を食べてきましたわざわざ、松阪まで行って「和田金」という店が有名らしいが庶民にはお高いので、「和田金」直営ながらリーズナブルな「翠松閣」に行き最初、牛肉カツ鍋定食(1200円)を注文したら品切れで、店員が牛丼を薦めてきたので牛丼定食(1000円)を頂きました松阪 posted by (C)YOSHIYU機松阪牛を堪能した後は桜満開の松阪城を堪能縁起のいい松と大坂城の坂の字をもらって、松坂城と名づけられたそうです。松阪 posted by (C)YOSHIYU機 安土城の築城に加わった蒲生氏郷の優美な石垣は残るものの、天守閣が無いので個人的には少し不満だったが、桜は綺麗やったし登録有形文化財の歴史民俗資料館の建物が渋かったし松阪 posted by (C)YOSHIYU機城の前には、武家屋敷が残っていたのでけっこう楽しめました。松阪 posted by (C)YOSHIYU機なんと、この武家屋敷群には普通に人が住んでるんですが一軒だけ、内部を無料で公開してるので、お邪魔した。邪魔するで!松阪 posted by (C)YOSHIYU機邪魔するなら、帰ってんか邪魔したな松阪 posted by (C)YOSHIYU機武家屋敷の近くには、松阪神社がありこちらも桜が、綺麗やったな~松阪 posted by (C)YOSHIYU機
2008.04.09
伊賀 posted by (C)YOSHIYU機上野城があるのは、伊賀市という事で伊賀と言えば、忍者伊賀鉄道の車両は、松本零次デザインの忍者列車でしたそして、運転席をよく見ると・・・伊賀 posted by (C)YOSHIYU機忍者が、ピースサインしとる忍者なのに、目立ちたがり屋か伊賀 posted by (C)YOSHIYU機上野城の最寄り駅、上野市駅を降りると忍者が、熱烈歓迎してくれた駅名の上野市駅ですが、合併して伊賀市になる前は上野市だったので、その名残りです。ついでに言うと、私が持っている古いガイドブックには近鉄伊賀線と書かれてるが、昨年から伊賀鉄道に変わったようだ。伊賀 posted by (C)YOSHIYU機改札を出ると、自販機も忍者やんこの「伊賀フットボールクラブ くの一」はなでしこリーグのサッカークラブだそうだ。ご当地ドリンクの「伊賀のお茶」も気になったがすっかり、お馴染みになった「おでん缶」の横のカレーうどん缶がめっさ、気になる伊賀 posted by (C)YOSHIYU機流石、忍者の町!普通に忍者が歩いてござる店員が忍者だったり、伊賀恐るべしっ!伊賀 posted by (C)YOSHIYU機上野公園には、忍者屋敷があり、くの一がどんでん返し等の仕掛けを説明してくれたり手裏剣打ち体験が出来たり、忍者ショーも見れます。忍者ショーと言っても、少年御三家の忍者のショーじゃないので、お間違いなく伊賀 posted by (C)YOSHIYU機
2008.04.08
伊賀 posted by (C)YOSHIYU機先週の土曜日、上野公園に桜を見に行ってきましたえっ?上野公園に、城なんか無いやろって?東京の上野公園じゃなくて三重県の上野公園ですから別名を、朝青龍城もとい、白鳳城と呼ばれる上野城の公園だから、上野公園です伊賀 posted by (C)YOSHIYU機現在の天守閣は、昭和10(1935)年に再建された物ですが日本一の高さと謳われた石垣は、築城の名手、藤堂高虎が築いたままの姿を残している。実際の石垣の高さ日本一は、大阪城ですが黒沢明監督の『影武者』のロケ地ともなった。伊賀 posted by (C)YOSHIYU機それから、「奥の細道」で知られる松尾芭蕉は、この上野で生まれた。城の周辺には生家など、ゆかりの場所が点在するが上野公園には、芭蕉翁記念館や、昭和17(1942)年芭蕉生誕300年を記念して建てられた俳聖殿という建物がある。伊賀 posted by (C)YOSHIYU機この俳聖殿は、芭蕉の旅姿を模してるそうで中には、伊賀焼の等身大芭蕉像が安置している。それから、椎名桔平さんの生誕地でもありご両親は、現在も住んでいてカフェ「417」を経営してるらしい伊賀 posted by (C)YOSHIYU機
2008.04.07
先日、長谷寺と室生寺に行ったついでに乗り放題なら遠くに行かなきゃ損という訳でスルっとKANSAI3dayチケットで行ける最東端の駅の青山町に行ってみた。関西を飛び出し、三重県に突入や!ここの観光名所は、延喜式にも記されている古社で安土桃山時代作の朱色の鮮やかな重文の宝殿がある大村神社だ。この祠には、要石という石が置かれている。その要石の下には、巨大なまずがいて暴れださないように抑えているらしい。『地震の神さま』として多くの参拝客を集めている。最近、地震が多いのでお祈りしました。なまず様 大人しくしとってな!日本三奇鐘の「虫喰鐘」。ある娘が大事にしてた鏡を溶かして鐘を造った為に娘が虫になって鐘を喰った等と様々な伝説がある。虫喰いの鐘は珍しいけど神社に鐘があるのも、珍しい気がする。帰りに、伊賀銘菓の釣鐘最中や要石を販売する「すりもと」に寄りました。人気商品となっているコーヒー大福を購入。大福の中に、コーヒー餡とホイップクリームが入っている。わっ!?ほんまにコーヒーの味や!おもろ~そして、ここは伊賀市という事で忍者の保存食だったと云う日本一堅い煎餅の「かたやき」も買いました。普通に噛もうとすると、歯が欠けるので木槌などで砕いてから、口の中でふやかしながら食べる。煎餅だが、味は甘いです素朴な美味しさですね~
2007.05.12
アメリカでも話題沸騰のオバマですが・・・別のオバマかとにかく小浜の旅の続きです木が鬱蒼と生い茂り、荘厳な雰囲気がするココは721年に創建された若狭彦神社です。近くにある若狭彦神社と共に、若狭一の宮と総称される。この姫神社を下社、彦神社は上社と呼ばれる。で、こちらが若狭彦神社です。両神社ともに建物は、江戸後期の物で県指定の文化財となっている。拝殿は、姫神社は昭和20年の雪害で彦神社は昭和40年の風害で、それぞれ倒壊した。その若狭一の宮の神願寺として714年に創建されたのが神宮寺である。拝観の受付が、若い女の子だったので驚いた普通は、年寄りか若い坊主やもんな。自然にテンションが上がって、境内を散策できた鎌倉初期は、七堂伽藍二十五坊を誇ったが豊臣時代に寺領を没収、更に明治初期の廃仏毀釈により衰微し今は仁王門、本堂、開山堂、円蔵坊、桜本坊を遺すのみだ。室町末期に再建された本堂と鎌倉時代に再建された仁王門は国の重要文化財に指定されている。毎年3月12日に、奈良東大寺で行われる「お水取り」という有名な行事があるがその水を送っているのが、この神宮寺である。天平勝宝4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全国の神々を招くが遠敷明神(おにうみょうじん)だけが釣りに時を忘れ遅刻。そのお詫びに、若狭からお香水を送ると約束し二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧き出したと伝えられる。毎年3月2日に、この井戸のお香水を遠敷川の鵜の瀬へ流す、「お水送り」が行われている。お香水は、10日かかって奈良に届くという。んな、アホな( ̄□ ̄;)!!遠敷川に流したら、若狭湾に行くやんそんな事言ったら、こらーって怒られそうやな怒られる前に、小浜から退散した本堂と木造十一面観音立像などが重文の羽賀寺若狭最古の本堂と木造千手観音立像などが重文の妙楽寺日本三大薬師の一つと言われる多田寺などまだまだ見所は尽きないが、拝観料がバカにならないので次の機会にしておいた。
2007.03.28
おニャン子クラブ会員番号16番高井麻巳子の出身地である小浜の旅の続きです「海のある奈良」小浜にもちゃんと大仏さんはいてはる。国の史跡の若狭国分寺跡にある国分寺にいます。741年、聖武天皇によって建立された国分寺だが当時の建物は現存していない。昔は金堂があった場所には、現在は釈迦堂が建っているがここに「大仏さん」こと像高3m18cmの木造釈迦如来坐像がいらっしゃる。薬師堂には、国の重要文化財である鎌倉時代の木造薬師如来坐像がある。釈迦堂の南西には、径50メートルの円墳があった。寺域内に巨大な古墳のあるのは全国的に珍しい。4時間500円のレンタサイクルで、あちこち回ったが行く先々でレンタサイクル仲間に出会った。この日は曇っていたが、自転車を漕いでると少し汗ばむほどサイクリング日和だった。だが、国指定名勝の枯山水庭園のある萬徳寺では誰にも会わず、貸しきり状態だった社務所にすら、誰もおらんかった呼び鈴を押したら、出てきましたけど。庭園の前のお堂が工事中やったせいかな~?庭園前の椅子の所にも足場が組まれ風情もあったもんやないからなその椅子に腰をかけさせられ、寺の人からマンツーマンでお寺の説明を聴かされた、いや、お話して頂いた庭園のツバキは、1本の木に5色の花が咲く全国でも珍しいものだ。秋は山もみじが美しいそうです。阿弥陀堂にある木造阿弥陀如来坐像は平安後期のもので、国の重要文化財に指定されている。小浜の見仏記は、まだ続きます。
2007.03.27
週末恒例の自分探しの旅今回のレンタサイクルの場所は福井県の小浜市です。電車で小浜に向う途中、母からのメールで能登半島地震の事を知ったえっー!?どうなんねんと思ったが敦賀以北の路線は運休していたけど小浜線には影響はなく、一安心。不謹慎か!?和歌山線以来の乗り慣れないワンマン電車で東小浜駅に無事に到着した。この小浜は、有栖川有栖の小説の海のある奈良に死すに書かれてるように、「海のある奈良」と呼ばれる。歴史ある寺院が、数多く点在している。その代表格と言えるのが、大同元(806)年誠意大将軍羽賀研二ではなく征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して創建した明通寺だ。火事に遭い、鎌倉時代中期に再建された物であるが本堂と三重塔は、いずれも国宝である。あの時代を表すような簡素な作りとなっている(住職談)本尊は薬師如来像である。脇侍は通常は、ヤンボー、マーボー左に日光、右に月光(がっこう)菩薩であるがこちらは、五大明王の一人で四面八臂の降三世明王像と沙悟浄のモデルと言われる深沙大将像といかつい2人で、珍しい組み合わせだいずれも一木造りで、平安後期のものとされる。手前にある十二神将は寄せ木造りで室町時代以降のものらしい。この本堂の3体と入り口付近にあり、拝観料(400円)を払わずに見仏出来る不動明王像は国の重要文化財だ。レンタサイクルと一緒に観光マップを貰ったが地図で見るよりも、けっこう遠かったな遠いと言えば、この辺りの地名の遠敷はおにゅうと呼ぶ事に驚きました古い町並みなのにおにゅうとは、これ如何に
2007.03.26
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