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December 8, 2024
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北京-洛陽-西安に行って来て思ったのは、
日本の歴史学者や歴史マニアは中国に行ってみた方が良いと言うこと。
えーそうだったのか的なことがたくさん分かるから。

例えば、漢委奴国王の印の文字について、金印は「倭」を略して「委」と書いている。
これを略すわけはない。伊都国の「委」だと言う人がいるが、中国に行けばすぐに分かる。
そもそも魏志倭人伝には「伊都國」と書いてあるのだから「委」は伊都国のはずはないのだが、
学者と言うのは頑固だから思いつきでものを言うので、譲らない。

でも中国に行って分かったのは、中国人は漢字を略して書きたがると言うこと。
古代の中国だけでなく、現代中国でも同じである。

「簡体字」は1950年代の「文字改革」より制定されたもので、
偏(へん)や旁(つくり)が簡略化され画数が少ないため、とても書きやすく、
書き慣れると日本人にとって快適で馴染みやすい。
つまり倭のにんべんを略すなんて、今でも行われているのである。
だから委は倭のにんべんを略したものと考えるのが普通だろう。

それは中国に行くとあちこちで気づく。
今回特にそうなのかぁと思ったのは「洛陽(ルオヤン)」を現代では「洛阳」と書く。
何でそうなのかぁと思ったかと言うと、
篇はこざとへんでそのままなのだが、
つくりが「日」で元の全体の「陽」と意味が同じだと言う事。
なるほどなぁと思わずうなずく。

多分その程度なんですよ。学者先生。
その中国人の感覚が分かれば漢委奴国王の印の問題なんてすぐに解決すると思う。

そしてもう一つ、中国に行って分かったのは、
中国は韓国よりも日本と感覚が似ていると言うこと。
今回本当に日本人は中国から渡って来た中国人の子孫なんじゃないかと思った。

案外と史実の可能性もあるのじゃないかと思った。

昔から神武東征の話は神話ではあるけれども、
何らかの元になるエピソードが無ければ、あの話は作れないなぁと思っている。
もし徐福の話が本当で、彼の連れて来た人達が日本に散らばり、
その地の日本人と結びついたとしたら、神武東征の話は有り得るなぁと思った。
秦の始皇帝陵と兵馬俑を見たからである。
紀元前3世紀つまり卑弥呼の600年前にあのレベルの文化が有って、
その文化を身に着けた人達が日本に来たのならば、
日本に起こったカルチャーショックは容易に想像できる。
恐らく日本人は排他するのではなく、受け入れて吸収しようとするだろう。
だって当時の日本には馬もいないし、舟は丸木舟のレベルだったんだから。

そしてそれが事実ならば神武東征の話は簡単に解決する。
神武天皇が戦ったナガスネヒコは同じ秦から来たニギハヤヒを受け入れた日本人で、
ニギハヤヒグループの技術力により、優れた武器を持っていたので、
一旦は神武天皇の勢力は敗北する。
神武天皇が熊野に回って再挑戦したのは、
尾張にいた同じ秦から来た高倉下のグループの協力を得ようと考えたからで、
その時は伊勢に居た別のグループに襲われて全滅しそうになったが、
(古事記にはみんなが気を失ったと書いている)
関東に居た、同じ秦から来た別のグループ、武御雷が関東に根付いており、
(古事記に出てくる武御雷神を祀る鹿島神宮と 経津主大神を祀る香取神宮は関東に有る。)
武御雷が加勢に来て、たくさんの金属製武器(刀)を持ってきてくれたので、
(古事記ではふつのみたまのエピソードになっている)
再び力を盛り返し、ナガスネヒコに再アタックする。
その時にニギハヤヒが寝返って神武天皇についたので、ナガスネヒコは負けてしまう。
こうして神武天皇は大和の地を征服したと言うのが神武東征だとすれば、
中国から渡って来た徐福の一団が日本各地に散らばっていたとすれば、
簡単に解決するのである。

しかも日本人は仏教が中国から渡って来たと言うので、中国は仏教の国と考えるが、
確かに仏教寺院はたくさんあるけれども、
日本同様に「神様の国」である。
神仙や龍なんてのは仏教から発生したものではない。
故宮なんて仏教は形だけで、真実はほとんど神様の世界である。
なのであちこちに高麗犬(狛犬)はいるし、

屋根にはしゃちほこがあるし、もう日本じゃん。

お寺ではない神様のいる所には「門」がたくさん有って、日本の鳥居の原型のような感じ。
中国の神様のいる所の入口の「門」はちょっと変形すると宇佐八幡宮の門そっくりになる。
(反り返っている)
だから、中国は日本に似ているなぁと思った。
日本の神仏混淆は日本で発生したのではなく、既に中国の段階で神と仏は混じったんだ。
その混じった物が日本に伝わったものだから、
日本の学者は「混じった物」を真正の仏教だと考えて、仏教と神道が混乱したと考えるが、
すでに中国で混じってしまい、混じった状態で日本に伝わったんだなと思う。

なんかそんなことを今回の中国旅行で考えてしまった。
僕でも色々と考えるのだから、
偉い学者先生はもっと中国に行って新しい発見をすると良いのではないかと思う。
兵馬俑に色が付いていたのならば、高松塚古墳の壁画の例もあるし、
日本の埴輪に色が付いていてもおかしくは無いなぁ。
兵馬俑の色は衝撃的だった。


だってどの教科書にも書いてないもん。

そして西安の観劇でも大発見をした。
よく日本の銅鐸(どうたく)は元はもっと小さくて、
牛の首に掛けた鐘から発達したのだと学者先生は言うが、
確かに根源までさかのぼればそうかもしれないが、
日本に渡って来た時点ではもう牛の首の鐘ではなかったのでは?といつもそう思っていたら、
(だって魏志倭人伝なんかを見ていたら当時の日本にはまだ牛は居なかったはずだから)
西安で答えが出た。
牛の首の鐘から楽器に発展したのは既に中国での話であり、
その牛の首の鐘から進化した楽器が日本に伝わって銅鐸になったのだと直感した。

編鐘(へんしょう)である。これが牛の首の鐘から進化した楽器に違いない。
Wikiにはこう書かれている。
編鐘(へんしょう)は、音高の異なる複数の鐘を枠に吊るした、古代中国の打楽器である。
青銅で作られているため、八音の「金」に当たる。
ほら青銅で作られているって書いてあるじゃん。
西安で見た編鐘はこんな感じ。


まさに銅鐸(どうたく)じゃん。
銅鐸は古墳からは見つからず、村はずれのような所から見つかるらしい。
(偉い人のお葬式で使うのではなく、田んぼのそばで収穫祭や田植え祭りに使ったのだろう。)
出雲の加茂岩倉遺跡で見つかった39個の銅鐸は、重ね合わせた状態で見つかったらしい。
上の写真の銅鐸を使わない時には倉庫に重ね合わせて格納していたと考えれば、
まさに銅鐸そのままじゃん。
上の編鐘は木枠に取り付けるので、首の部分が銅鐸とは少し違うが、
紐で吊るしたのなら、上の写真の編鐘は日本の銅鐸の形になるのじゃないだろうか
そして、村の規模が大きくなるのつれて、祭司者も偉くなっていき、
使われる銅鐸も楽器から、その祭司者の宗教的な道具に変わっていき、
最終的には巨大化して、威信材として飾るものに変化していったのだろう。
そう思った。

そんな感じなので、繰り返しますが歴史学の先生方は是非中国に行ってみると良いと思います。

そう言えばもう一つ考えたことがある。
それは、2018年1月に神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市の偉い人達が、
鎌倉及びその周辺の「やぐら」と龍門石窟の関係について開催した会議の話である。
日本側の人達は「やぐら」と「龍門石窟」の形状が似ていることから関連性を主張したが、
僕は以前から、それって「くそみそ」の世界じゃんと思っていた。
確かに両方とも山の側面の岩に穴を掘って、壁に彫刻している。
(石窟については今回の中国旅行の中で紹介したが、
 やぐらは鎌倉近辺に多い横穴墓から発展した山の穴を利用した法華堂である。
 法華堂とは「皇家・貴顕の納骨堂。 納骨のために設けられた建物」である。
 中には死者を埋葬したり、或いは火葬した骨壺を生めて、傍らに仏塔を置いている。
 埼玉の吉見百穴が発展して法華堂になったような横穴。)
確かに見た目は同じなんだけれども、宗教的目的と歴史が違うじゃんと思っていたが、
今回行ってみて、やっぱり違うじゃんと確信した。

中国の龍門石窟は「仏様を祀るのが目的で、一部僧侶を祀る石窟もあるが、
それは僧侶その人を祀っているのではなく、仏としてさとりを開いた、
つまり仏になった人を祀っているのであって、お墓ではない。」
対して日本のやぐらは「鎌倉武士を始めとして主に亡くなった武士の菩提を弔う為のもので、
解脱して仏になった僧侶を祀るものも、その僧侶を仏ではなく故人として祀っている」
と言う絶対的な違いがあると思った。
つまり中国の石窟は、やぐらよりもむしろ摩崖仏に近いと言うことである。

たしかに形状は似ている。
でも祀られているのは中国の石窟は仏で、
日本のやぐらは武士である。
くそみそだと思う。くそと味噌は見た目は似ているが全然別の物。
偉い先生達はやぐらを世界遺産にしたかったのだろうけれども、ちょっとなぁ。
学者先生って変だと思う。見た目が同じだからって宗教や主旨が違うじゃん。

実は会議の席でも中国側の人達はその事に気がついていて、柔らかく否定している。
報告書の総括を見るとこう書いている。
「「やぐら」が「痙窟(いくつ)」 の派生形であるかを判断するには、
形状の比較だけに止まらない考察が必要ではないかと指摘があっ た。」と。
また中国側から、
「石窟葬のかなり古い例として、6世紀後半 の乙佛氏の「痙窟」がある。
その対象は僧侶だけでなく、皇帝 を埋葬した事例もあり、
さらに仏教徒以外も埋葬されたと考えられる。」と気を使っている。
皇帝は神様に近い人だろう?武士とは全然違うと思う。
仏教徒以外も埋葬されたと考えられると言うのは明らかに気を使っているので具体性が無い。
龍門石窟で僧侶が祀られているのは、12月3日のブログで書いたが、
龍門石窟の恵簡洞である。
​ 恵簡洞 ​
この石窟は確かに「痙窟(いくつ)」ではあるが、
説明に書いてある文を読むと、修業の末に仏になられたのでここに祀っていると書かれている。
つまり僧侶として祀っているのではなく、仏として祀っているのである。
皇帝も同じだろう。
死んだ皇帝として祀ったのではなく死んで神になったので、神として祀っているのである。
やぐらに三浦一族や北条政子が祀られているのとはわけが違う。
三浦一族も北条政子も仏や神になったわけではない。
子孫たちが亡くなった三浦一族や北条政子を故人として祀っているのである。

いくら「やぐらを世界遺産にしたいから」と言って、事実を曲げるのは良くないと思う。
先生方は中国に行って、龍門石窟を見てきた方が良いと思う。






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最終更新日  December 9, 2024 11:29:45 PM
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