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...っていうけど、なんだか違和感。日本の社員、ってひとくくりにして他人事みたいな言い方。自分の会社だよね?古館さんも言ってたよ。患者より医師優先?バカをお言いでない。製薬会社なんてのは、自分の会社の利益、自分のとこの製品のシェアを上げることが最優先でしょ。特に外資系は凄いえげつないよ。売上ノルマがきついから、処方権を持つ医者にすり寄るんでしょ。MR(薬剤情報提供者、要は製薬会社の営業)の全国売上ランキングで、最後のページに載っちゃったMRに「助けてください。クビになっちゃう」って泣きつかれたこともあるよ。もちろんどうしてあげようもないし、どうもしてあげなかったけど...結局彼は転職したっけ。私の勤務先、私のところへもMRよく来るけど。口では「いや、先生の患者様のお役に立てるのが一番」とか言うけど。本音を言えば抗精神病薬を全部自分のとこの薬で処方してもらいたい、SSRIなら全部自分のとこの○○から使って欲しい、でしょ?顔を見たこともない、私の背後にいる患者さんたちに思いを馳せることなんて、できないでしょ?だから健康な人の論理で、「うちの薬は△△より優れています」とか簡単に言えるのよ。薬を変えることって患者さんにとってすごく不安なことなのに(やたらにすぐ変えたがる患者さんもいます)。私は昔からえらい遜って、医者を持ち上げたこと言うこの薬屋さんの営業ってどうも苦手。慇懃無礼にしか見えなくて、裏表ありありで、嫌なのね。遜られれば遜られるほど、蔭では絶対こいつら私の悪口言ってるな、と被害的に思っちゃう。どっちかっていうと素に近くて、調べといてと頼んだこととか忘れても変に取り繕ったりしないような営業のほうが、信用できる。「先生は今回の診療報酬改定で、処方調整とか、いろいろ大変でいらっしゃいますか?」今年の診療報酬改定で、薬剤の種類に制限ができて、それを超えると薬剤料も減算になることになったから、どこの製薬会社も、自社製品が間引き対象にならないよう、必死の営業。まさに薬の椅子取りゲーム。私個人はトレンドに反し、もともと単剤処方が何がなんでも一番、というこだわりはない。一方でいざ制限がかかってみると、案外これに引っかかる自分の外来患者さん、2名しかいなかった。総量規制で、花粉症の薬とか、頭痛薬とか、整腸剤とか、降圧剤とか同時処方を頼んでくる患者さんで7種に引っかかった人はそこそこいた。これからは薬局で買ってちょうだい、とか、別に内科にかかれ、とか、別の日に診察に来い、とは言いにくいので、多分そのまま。製薬会社には「あー、私は大変じゃないよー、ほとんど変わんない」と答えて受け流してる。精神科なんで、表題のノバルティスはあんまり来ない。ノバルティスの営業を直接知ってるわけではないので、特定の製薬会社を指しているわけではありません。
2014年04月06日
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私は女医だがリケジョの☆でも何でもない。若い女性研究者を擁護するつもりもない。医学部学生の時、生理学のレポートとか、生化学のレポートとかを「書院」で作った。懐かしい人には懐かしい、シャープが出したワープロ専用機だ。一番最初に買った書院は計算機みたいな液晶にたった1行しか表示されなかったから、2台目の液晶がバックライトになって、10行くらい表示されるようになった時使いやすくなったと感動した。ただ、数式は書けないので、2行で書いて分数の間の線を定規で入れたり、方眼紙に手描きのグラフを貼ったりした。書院のよかったところは、よく使用する語句を学習して、最初に1字入れただけで変換候補に出てくること。今ならガラケーの変換でも出てくるけれど、当時これは結構画期的だったのだ。それらのレポートだが、先輩が過去に作ったレポートがどこからともなくコピーされて(勿論紙コピー)回ってきた。その中のデータを自分たちの実験結果と差し替えて、ワープロで文書を打ち直し、提出するのは当たり前だった。実験は決められた授業中にするわけだから、結果が一部変だったからと言ってやり直しもできない。若干都合の悪いデータは排除して書くのも当たり前。電気泳動なんてのも懐かしいが、待ち時間がかかるから、セットしておいてよく近所でボウリングをしていた。クラスの中では毎年テスト対策委員というのが選出されており、委員を通して過去問数年分が回ってきた。誰かが作った解答例を他の学生が持っていると、同じ問題が出れば何人かが同じ解答を書くこともある。当時クリックだけで手軽にというわけでこそなかったが、コピペなんていうのは今に始まったことではない。医学部卒業には臨床系のテストを全部通せばよかったし、国試もあるので卒論は要らなかった。私は医学博士も持っていないし、インパクトファクターを稼ぐことに興味もないので、これまで論文を書いていない。だから、今更過去の論文を取り沙汰される可能性ゼロ、怖くもなんともない。言いたいこと言える。論文は引用した部分を明確にし、引用でない部分を多くし、自分自身のオリジナルな結論や考察を入れなければならない、と言われている。だけどね、そんなに世の中これまで誰もしていない発見とか、誰も発表していない結論とか、そうそうあるわけがないよ。新発見や新結論ばかりだったら、今頃日本の科学とか、医学とか、文化とか、ものすごい進歩をしているはずなわけ。世の中の学生(ごとき)が出している卒論なんて、かなり多数が過去の論文を下敷きにして組み合わせて結論を出したり、焼き直しだったりするのが現実だと思う。まあ、コピーと言われないように、なるべく自分の言葉で書くようにはしているだろうけど。博士論文ですら、遡ってコピペの量を問題にされたら真っ青の○○博士が、沢山いるんじゃない?「教授に¥を何本積むか」と「教授の業績になる研究かどうか」「どれだけ下働きとして試験管を振ったか」で博士号を手に入れた人も、少なくとも私たちの頃にはいたはずで。そんなわけで、STAP細胞の論文はともかく、女性研究者の博士論文まで遡って取り沙汰するのって、現実を知る人間からすると、イジメに近いと思う。博士論文って、まあ大学院生だからね。学生感覚の延長で書いてても不思議はないと思うし。私は仕事上色々な学会誌を見る機会もあるし、たった一冊の学会誌にもかなりの数の論文が載っているけど、凄い!と思うような論文はほとんど見たことがない。どこかで聞いたことあるような結論の焼き直しだったり、他の医者が見てもさほど有用でない一例報告だったり。若い先生がとにかく発表しろと言われて、というような発表のための発表も多い。あの女性研究者の一番の失敗は、世界でも注目される画期的な発見と言えるような論文だったこと。コピペだらけだろうと、画像が他から拾ってきたのだろうと、ネイチャーの片隅に載っててあんまり注目されないような、地味な論文だったら、そのまま地味に業績にだけなっただろう。ネイチャーに載るような論文で地味なのはない、って言われるかもしれないけど、論文作成に興味ない私は正直ネイチャーの価値よくわかんない。でも、その少なくとも「未熟な研究者」の誰が見ても「杜撰な論文」が素通りして掲載されちゃうような科学誌なのは間違いない。ネイチャーに掲載された論文の執筆者が、片っ端からニュースになんて採りあげられてないし。割烹着も含め、ちょっとやりすぎちゃったよね。割烹着って、布目があんまり密に詰まってないから、薬品とかから研究者の身を守れないと思うんだけどどうだろう。理研は個人の責任にしているけど、それだけ画期的な実験をしていたなら、その実験経過やSTAP細胞が生まれる瞬間みたいなのに、共著者や上役も注目していたはずで、そんな中で一人で捏造とか改竄って、相当難しいはずでは?論文の共著者なんてのは、同じ研究室のメンバーをもれなく載せていることが多いんで、載せてもらったほうも自分の業績の数にできるから、「こんな画期的な研究に名前を連ねられてラッキー」とサインしただけの人がいても不思議はないけどね。ひょっとして私結構ヤバいこと書いてるかな?
2014年04月05日
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それから1週間足らずで母は亡くなったのだが、部長先生とお会いする機会があり、その時に先生がおっしゃってくださった。「いやじゅびあ先生、あの時おっしゃってくださってよかったのだよ。言われなければ、Sはずっと自分の間違いに気づかなかった。彼女はきっと、先生に教わったことをこれから先、いい経験にしていくと思う。」実は主治医の女医さんにもちゃんと謝礼を送ったのだが、「私のような未熟な者に、ご丁寧にしていただいて」というような返事の葉書が来た。ただ、字がすごく悪筆で(笑)びっくり。最後にもうひとつだけ、私が母の頼みを守らなかったことがある。母が亡くなった時休日だったので、死亡確認してくれたのは、主治医ではなくて、どこかの科から来た当直の若い男性医師で、これがチョーイケメン(爆)。すぐナースがぞろぞろ来たし、死亡確認の後、私が自分でもう一度対光反射診たり、頚動脈確認したりさすがにしなかった...。まあ、いいじゃん、若くてチョーイケメンの先生に確認してもらったんだからさ、お母さん。姉も同じことを言っていたっけ。尊厳死、というととかく在宅での死とか、無駄な延命治療をしない、病院で点滴やら呼吸器やら管だらけで死なないこととか、とイコールに捉えられがち。でも、母のように、とにかく1日でも1時間でも1秒でも長く、この世の空気を吸っていたい、と思うのもひとつの自分で選ぶ終わりの形。長くなったけど、そういうことが言いたかったのです。
2012年10月15日
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いつ亡くなっても不思議はない、と言われてから、母は約1ヶ月頑張った。それでも亡くなる1週間前ほどからはみるみる弱ってきて、眠っている時間が多くなっていた。その頃、おそらく最後になるであろう主治医面談に呼ばれた。私は、指導医の先生(その先生は呼吸器科の部長で、癌が見つかる前から世話になっており、外来ではずっと主治医だった)に同席してもらえるかどうかを尋ねた。同席してもらえる、とのことだったので、私はまたもや万障繰り合わせて、姉と一緒に出向いた。あとわずかの間なら、せめて主治医を替えて欲しい、と掛け合うつもりだった。姉が「医者のあなたより、私が言うほうがいいと思うから」と言い、一通り説明を聞いた後で切り出してくれることになっていた。これ、改めて考えると、「主治医を変更する」って発想がすごく精神科医的。後にも先にも、あの有名総合病院で「主治医だけ替えてくれ」って頼んだの、私たちくらいかもしれない。説明は、あと1週間以内だと思う、という、予想通りのものだった。というよりその後切り出すことばかり考えて、ほとんど頭に入っていなかった。姉が、交代要求をした途端、主治医の女医さんが固まった。姉の話を聞いた部長先生が「どうして、あなた、そんなことをカルテに書いたの?」と若い女医さんに言った。「僕は長くお母さんを診てきたけど、いつも旅行に連れて行ったり、受診に連れて来たり、本当によくやってくれるお嬢さん方でお母さんは幸せだと思っていた。そんなこと一度も思ったことないよ。」「いつも患者さんが、娘さんが来てくれなくて寂しいと言っておられました。私が自分の親だったら、こんな風にはしないと思ったし、いつも施設に入れることばかり言って胃ろうを入れろとか、そんなの家族のエゴイズムだと思いました。」精神科の病棟は、出入りにチェックがあるから、家族の面会は逐一フローシートに記録されている。だが面会時間内であればそのまま素通りで出入り可能な一般の身体科の病床では、誰がいつ面会に来たかなど、各患者のカルテや看護記録に記載されていない。母は、午前中に面会に行っても午後にもう「面会に来て欲しい」と電話してくるような人だったし、昨日面会に来たばかりで続けて来ても「ああ、やっと来てくれた」なんて言うものだから、姉はよく腹を立てていた。私が耐えかねてそれを言うと、主治医の女医さんは「お姉さんはよくいらしていると思いますけど、妹さんはそんなに来てないですよね」と言い放ったのだった。同じ女性医師で、子どももいて(あちらのほうがお若いので、子どもは乳児だが)、分かっていそうなものなのに、そんな言い方をされると思わなかった。ひょっとしたら精神科医なんて、内科医に比べれば暇だと思っていたのかもしれない。私がバツイチで、医師をしながら女手ひとつで双子の子どもを育てていることなど、精神科医のように家族歴など見ないので、彼女は気づいていなかったのだ。「仕事が終わってから、子どもの送迎もあります。それでもその合間や、子どもを迎えに行った後、そのまま来たりして。洗濯物などは姉に任せていましたが、施設の頃から最低でも週に1回は必ず来るように、危なくなってからは週に2~3回来ていますよ。だからここのところ家では夕食を一度も作れず、連日外食で子どもにも我慢してもらっていました。転院の検討を指示された時、先生は自分の病院にまたとってもらえばよいと思ったと思いますが、前の勤務先では、家でどうにもならなくなった母を一時入院でお願いしたことがきっかけとなって退職に追い込まれました。あなたは覚えていらっしゃらないようですが、あなたがローテート研修でいらした精神科病院です。私は今度の病院でまた退職するわけにはいきませんので、身体管理がメインになった母をもう一度とってくれと言うことはできませんでした。かといって、精神症状のある患者を、一般の内科病床しかもたない後方病院が、いかに受けてくれないかということを、私は常日頃から知っています。だから施設にお願いするしかなかったですし、医学的に胃ろうなど無駄だと分かっていてもお願いするしかありませんでした。施設に入れることばかり言う、とおっしゃいますが、先生はカルテをご覧になっていますか?病歴が何年あるか、ご存知ですか?私、夜中に泥棒が入ったと騒いだり、医師としてどう見ても緊急性がないのに、早朝から救急外来へ行くと言って聞かなかったりする母を4年、仕事と育児をしながら自宅で看ました。なのにこの1ヶ月ちょっとだけ診ている先生から、どうしてそう言われなくてはならないのですか?」彼女は胃ろうなど造って、管だらけにして、無駄な延命をするのも、苦しみを長引かせるだけで、家族のエゴだと言った。しかし、母がまだ元気な頃に私は、延命治療について話したことが何度もある。私が自分には無駄な延命治療をして欲しくない、というような事を言うと、また、テレビで尊厳死などを取りあげた番組があるたびに、母は言った。「あなたたちは若いから、平気で自分には延命治療をしなくていい、なんて言う。でも私のように年をとって、だんだん死が近づいてくると、そんなことは言っていられなくなる。」「私はたとえ癌の末期だろうと、もう治らない病気だろうと、一日でも長く生かしておいて貰いたい。医学は常に進歩しているから、今日なかった薬が、明日はあったりする。一日長く生きていたら、治療できる病気になるかもしれない。いくら医者に勧められても、絶対に延命治療を断らないで欲しい。」「もし病院で、私のことを死んだと医者が死亡確認しても、すぐに信じて火葬したりしないで欲しい。本当に生きていないのかあなたが何度も確かめてちょうだい。世界には死んだと思っていたら生き返ったっていう例がいくつもあるんだから。」ここまで世間体?を気にせず、生に執着できる母を、すごいと思ったものだ。「そうですか、お母さんはそこまでおっしゃっていたんですね」と部長先生が頷いた。「だから、私は、ここへ入院する時に、延命治療について『人工呼吸器を使わない』というところに丸をつけるだけでも、母の意に反しているという罪悪感にさいなまれました。」「いや、もういいと思います。ご家族はやれることを全てされた、そう思って頂いていいと思いますよ。今回のことは完全にこのS(女医さん)が悪い。私も指導医として、心からお詫び申し上げなければなりません。」「もうあとたった1週間なら、せめてその1週間だけでも、母との最後の時間の共有に集中したい。母の亡くなろうとしているこの時にまで、他の余計な辛い思いを入れたくないので、主治医を替えてほしいとお願いしたのです。」ここで若い女医さんも、涙を流しながら言った。「私の思い込みで、本当に申し訳ありませんでした。もしお許し頂けるのなら、最後まで私に診させてください。」「もし少しでもお時間がありましたら、カルテを読んでやってください。それでいいです。」と私は答えた。
2012年10月15日
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受診を終えて帰ってきた姉が、私のところへやってきた。わあわあ泣きながら、だ。姉の話はざっとこうだった。受診の付き添いのために少し早く余裕を見て呼吸器の病棟へ行ったら、主治医の先生が詰所の中にいるのが見えたので挨拶をしようとした。主治医の先生は看護師相手にブツブツ文句を言っており、その一部「ほんっとにあの家族!治療をするだのしないだの、胃ろうだのなんだのグジャグジャ言いやがって!」がばっちり聞こえてしまった。すぐにうちのことだと分かったので、声をかけられなくなってそっとその場を離れ、5分くらい時間を潰してから、改めて詰所へ行って知らないフリをしなければならなかった。泌尿器科の先生は部長のようだったけど、親切な先生で、説明もよく分かった。主治医の先生が、カルテに書いてたの、見えちゃったんだけど、何て書いてあったと思う?「家族が自己中心的で自覚・認識が無さ過ぎる!」って書いてあったのよ!...聞いた途端、私もどっと涙が出てきた。その後、また主治医の面談(むろん、平日昼間)に呼ばれ、腹膜転移が広がっており、もうイレッサは効いていないと思われるので中止すること、転院や施設への退院は難しいと思うので、このまま当院で看ることにします、というような説明を受けた。最後まで診てくれる、ということだったので、「ありがとうございます。よろしくお願いします。」とぐっとこらえたが、面談に臨む私の顔は、相当引きつっていたと思う。それでもその時「母はずっとこの病院ならば助けてもらえると信じて、治療を続けてきました。転院しないで最後まで置いてもらえるのならば、安心すると思います。母はイレッサのおかげで、遠隔転移があっても、4年間生きることができ、自宅で生活を続けることができました。副作用の足の潰瘍はきつかったですけど、母はイレッサを命の綱と思って、『副作用が辛いと言って、中止されると困るから』と黙ってのんできたのです。どうか母には、イレッサを中止したことを伝えないでください。母には最後まで、治療を継続している、まだよくなれると思ったまま逝って欲しいのです。新しいもっといい薬が出たから、と胃薬でも何でもいいので、出してやってくれませんか?」というようなことを、言った記憶がある。まだ生きると思うので胸膜癒着術をするかしないか、という話をし、その後すぐに半年くらいは生きるからと転院を指示され、転院先が確保できず施設の好意を受けて胃ろうを頼み、尿閉が出て泌尿器科を受診し、転院は無理といきなり撤回されるまで、たった1ヶ月ほどだった。結果だけ見ればあれだけ言われて悩んだ末に、本人の今後の苦痛を和らげるためだからとトライした胸膜癒着術も、転院先を当たったことも、施設ともう一度掛け合ったことも、主治医によい印象を与えないのを承知で頼んだ胃ろうも、みんな無駄だったことになる。その後1週間ほどで、母の呼吸状態が急に悪化し、もう経口では何も受けつけなくなり、いつ亡くなってもおかしくないという連絡を受けた。不思議なことに母は自分が何も食べていないことに気づいておらず、私が何か食べたいか尋ねると、思い出したように「そういえば今日何も食べてなかった」と言うのだった。母が食べたいというので、よく一緒に泊まりに行った旅館に急遽頼んで、名古屋コーチンの卵でできたカステラを取り寄せ、持っていった。事情を話すと本来料金前払いなのに、私が振り込むより先にお送りくださったI旅館さん。病院には許可を得て、もちろんそれで誤嚥して、死亡する可能性があることも承知の上で、小指の先ほどのサイズにちぎって口に入れてやった。「このカステラ、どこのか分かる?福●屋とか、文●堂とかじゃないよ。」「そりゃわかるさあ、Iの。」「当たり!また元気になって一緒にみんなでIへ行こう。牛ヒレの塩釜焼を食べようよ。露天風呂付きの一番いい部屋をとってさ。ここで治療してもらってるんだから、間違いないよ。」「そういえば昨日東京のお兄ちゃんが急に来たのよ。出張だったので帰りに寄ったって。」私はボロボロ泣いていたのだが、声だけは震えないようにこらえていたので、意識の混濁した母は私が泣いているのに気づいていないようだった。そのふたかけほどのカステラが、母の口にした最後の食べ物になった。「神様のカルテ」でカステラの話を何回読んでも泣けるのは、そのせいかな、と今急に思い当たった。
2012年10月15日
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幸い、母は、胸水を抜いたチューブから胸腔へ炎症を起こす薬剤を入れても、高熱も出さず、大して苦しむこともなく、いつの間にか終わった、というような感じで胸膜癒着術の治療を終えることができた。私も姉もほっとしたものだった。胸膜癒着術を終えると、次に提示されたのは「当院は急性期に対応する病院なので、後方病院に転院を検討してください」という指示だった。平たく言えば、「まだ死ぬまでに半年くらいはあると考えられるので、うちの病院には3ヶ月以上はいられません。うちでできる治療はもうありません。」ということだ。残念ながら私が医師なので、その意図するところはよく分かってしまう。後方病院、というのはいわゆる「老人病院」のようなところで、そこで死を待て、ということなのだ。「老人病院」で、母のような末期の患者に何をしてくれるかというと、そんなにしてくれるわけではないということは分かっている。「老人病院」であっても、助かる可能性のある患者さんなら手を尽くしてくれるだろうが、母の場合はもう死を待つだけなのだから、正直それほど一生懸命延命してくれる、ということはないと思えた。何と言ってもああいったところは、入りたい患者(入れたい家族)が順番待ちなのだから。主治医の指示通り、いくつか高齢者対応の病院に当たった。ひとつは医師の知人の親が経営している病院でコネもあったが、姉が私の名前を隠して相談員に話したところ、「当院は精神症状のある患者さんはお引き受けできません」だった。実は、そうなることを予想していたので、姉が私の名前を出すことを憚ったのだった。母の昔からの知り合いでもあるので、断られることが分かっていて、いたずらに母の名誉を傷つけることもないし、私の親だからと無理に受けてもらって迷惑を掛けては、後々私の仕事にも支障が出る可能性があったと思った、と姉は後で話してくれた。母は、肺がんが脳に転移しており、時として幻視(熊がタオルをくわえて室内に立っている、バッグからネズミが顔を出しているetc.)の訴えや、被害妄想などに代表される、せん妄という意識障害があった。今回全身状態が悪化する前にも精神症状が強くなり、施設で若いスタッフとトラブルを起こしたため、その時も入院先を探していた。あちこち断られた末に、1ヶ月ほどうちの院長が保護室で預かってくれたのである。院長不在時に呼吸状態が一気に悪化し、もう限界と判断、もともと治療していた総合病院へ転院依頼をし、母を送り出したのは、ほかならぬ私自身の手によってだった。入居して3ヶ月ほどで看られないと一度叩き出された(数ヶ月でも100万円単位のお金が償却で消えた...)施設だったが、そこの施設長が、それまでの対応を謝罪して「そんな状態とは分からなかった。自力で食べられるか、胃ろう(※)が入っていれば、(最後まで)看てくれる」と言ってくれた。施設ならば、面会時間も夜遅くまで融通が利き、子連れでも許される。母が食べたがるものを持っていって、いつでも一緒に食べることもできる。いよいよ危ないとなれば、母の居室に一緒に泊まることもできる。在宅医療を手がける先生を紹介してもらえば、「後方病院」で施される医療と大差があるとは思えず、私と母には施設のほうが合っているかもしれなかった。そのことを主治医に相談した。主治医は、「このような癌の末期患者に対し胃ろうを行ない延命することには意味がない」と否定的だった。私も医学的に分かっているが、何しろ私の母は三途の河原のススキの先1本にしがみついてでも、この世に一日でも長く留まりたい人である(そのことはまた後で詳しく述べる)。それに何より、一般の後方病院は、「精神症状のある」母のような患者を受け入れてくれないのが現実なのだ。そこを説明すると、主治医も胃ろうについては検討してくれることになった。数日後、母は尿の出が急に悪くなり、院内の泌尿器科へ受診することになった。受診には姉が付き添って行ったのだが、対応してくれた泌尿器科の部長先生は難しい顔をして言った。「もう癌は腹膜じゅうに広がり、そこから膀胱に達しています。そのために血尿が出たり、尿の出が悪くなっているのです。」姉は、主治医に転院を求められていること、転院先確保が難しいので施設へ戻すために胃ろうを検討してもらっていることを話した。泌尿器科の部長先生はかなり驚いた様子だった。「この状態で、転院しろ、と言われているのですか?もうこの状態だったら、最後までうちで診ますとお話しするのが普通だと思いますが...いや僕だったら、ですけど。もし胃ろうを本当に検討するのなら、すぐにやってもらわないと、時間の問題で、もうできなくなると思いますよ。」泌尿器科の部長先生は、姉に見えるように電子カルテの画面を向けていたので、姉はカルテの内容を見てしまった。泌尿器科部長は、説明をするのに行き違いがあっては困るので、主治医の先生に来るよう呼んだのだが、その返事は「今忙しいので行けません」だったそうだ。そのこともあって、おそらく医師としてかなりの先輩であるところのその部長先生は、内心ご立腹だったのもあると思う。だからこのような説明をされたのかとも思うし、姉にもわざと見えるように、電子カルテの画面を向けていたのかもしれない。カルテの中には、本当に驚くようなことが書かれていたのだ。胃ろう(※)=身体の外から胃に直接穴を開けてチューブを通し、その管から流動食を入れて栄養を維持すること。中期的に経口摂取ができなくなりかつ経腸的には栄養を摂取できる患者さんに対し、生命と身体機能を維持する目的で行なう。
2012年10月15日
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母が肺がんで亡くなって年単位の時間が経った。ずっと温めていたこの話題に触れても、そろそろ許してくれるだろうと思う。突然だが、久々の更新をすることにした。亡くなる3ヶ月前、母の呼吸状態は悪化して、再び総合病院へ入院となった。その時まず、胸水がかなり溜まっているとのことで、それを抜く治療が行なわれた。次に主治医(後期研修医で、内科になって1年目。もちろん上に指導医はついている)から勧められたのは、「胸膜癒着術」という治療だった。肺とそれを包む胸膜の間に薬を流し込み、人工的に炎症を起こさせて、肺の外側と胸膜を癒着させ、物理的に胸水の溜まるスペースをなくしてしまう、という説明を受けた。もちろん大手の総合病院なので、説明は書面で行なわれ、様々な合併症についても聞かされた。「この治療をやらないと、また短期間で胸水が貯留して呼吸困難になり、抜く治療を行なわなくてはならない」、「やっておけば今回のような呼吸困難は起こしにくくなる」、「ただ、この治療をしても十分に癒着しなかった部位に部分的に貯留することはある」、「炎症を起こすので、発熱、場合によっては高熱が出ることもある」「もちろん体力的に治療に耐えられない場合もありうる」云々...。現在の医療は訴訟に対して常に防衛的にならなくてはいけないので、とにかくマイナス要因について一通り説明しなくてはならない、というのがある。このような大手の総合病院では、きっと説明のマニュアルも決まっているのだと思う。私も医師の端くれなので、胸膜と肺をくっつければ胸水が溜まりにくくなるというのは分かる。そしてもちろん、それが姑息的な治療(一時しのぎ)でしかないということも分かる。だが、決めかねた。これが医師である私でさえそうなのだから、一般の「素人」だったらどうなんだろう、と思った。まず、母の余命はどれくらいと予想されるのか。短期間で胸水がまた貯留する可能性がある、と言っても、もうそこまでももたない可能性が高いなら、何も高熱など苦しい思いをして、そんな治療を受ける必要はないと思えた。それに体力的に耐えられない可能性がある、というのは「防衛的な説明」としては分かるが、実際のところ、そんなに危険を冒してするような状態なのか?また、その治療は実際かなり苦しいのか?主治医の説明は「とりあえずすぐに今の状態が生命を奪うということはないが、急変すれば分からない」「すぐに亡くなるような状態ではないので、数ヶ月から半年単位で考えてもらいたい」「高熱は出る人と出ない人がいるし、苦しい程度には個人差がある」「もちろん人工的に炎症を起こすし、合併症もあるので絶対安全とは言い切れない」...全然答えになっていない。そんなことは分かっているのだ。この先生はわざわざこの治療の説明で私たちを呼んだのだから、多分やりたいのだろうけど、やったほうがオススメなのか、危険だということを前もってやたらに念押ししておきたいのか、さっぱり掴めなかったのだ。私は仕事を急に早退してまで、指定された日時に姉と主治医面談に出向いたのだが、どうしても即決できなかったのである。数日後改めて主治医に面談をお願いして「先生のお考えは、色々な合併症も考えられるが、本人の呼吸困難を考えると、やったほうがベターということですね?」と念押しして、書面に署名をし、治療の同意をした。しかし主治医の先生にとって、この時の私たち家族の印象は、どうもサイアクだったようだ。
2012年10月15日
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...久々の更新がこんな話題になるとは思ってもいなかった。福島県、第一原発から3kmにある精神科単科病院F(病床数350)の病院の避難時の対応、その後計21名の患者さんが亡くなったことが問題あるように報道されていた。一時は「医師ら(患者を)置き去り」というような報道までなされ、その後福島県が発表を取り消したにもかかわらず、誤報を謝罪するような様子もない。訂正されたところで、大半の人々の心に残るのは、「患者置き去り」というセンセーショナルな部分だけであり、「間違いだった」という記事に関心を向ける人のほうが多いとは到底思えない。院長が「結果的に残して避難したのは間違いない」と言った、というような記事もあり、ニュアンスを取り違えて伝わる(推定)ような書き方をされているのは、同じ精神医療に携わるものとして、心が痛む。精神疾患の患者さんが身体疾患を発症した時、受け入れてくれる病院は本当に少ない。私の近隣でも精神科常勤のいる総合病院があるが、そこが最初に「満床です」と断れば、もう実質打つ手がないのが実情だ。たとえ実質的には社会的入院、ほとんど問題となるような精神症状を認めない、「大人しい」患者さん、まして身体症状が重篤で、大声を出すどころか、喋ることもできないような患者さんであっても、「精神」というだけで「対応できません」と断ってくる。「精神科なら●●病院ですよね」と言われ、そこが満床だったと告げると「●●が取らなかったものをどうしてうちが取らなきゃいけないんですか」という言われ方をしたことまである。救急車が行ってくれる範囲の総合病院に全て断られ、外来受診を受け付けている一般病院に診療時間帯内に職員同伴でどうにか受診させたら「こんな状態の患者を黙って送ってきた非常識な医者の患者は入院させないし、入院させなかったらどうせもたんだろうから、診ない」と怒鳴られ、受け付けてすら貰えず、そのまま介護タクシーで帰ってきた患者さんもあった(当日はまだ本人が話せる状態だったが...)。身体疾患で転院中に大腿骨骨頭骨折をした50代の患者さんが、本来手術適応であるにも関わらず「正直、普通の人ならやりますけどね、どうせリハビリにも協力できないでしょ」と手術をしてもらえずそのまま「今後車椅子で生活してください」と返されたこともある。福島県の対応について詳細は知らないが、一般住民や他の身体疾患に対応する医療機関に比べて、F病院だけに最後の要避難者が残っていたというのは、後回しにされたからでは決してなかったといえるのだろうか。他の医療機関に患者さんを避難・転院させようとしても、通常でも受け入れ先はなかなか見つからないところ、当時のFの場合、電話すら繋がらない状態であっただろうし、お願い先も大混乱だったであろうし、何処の精神科病院もお上の指導で病床削減傾向にあり、そうそうまとまって患者さんを引き受けてくれるところがあったとは思えない。また、軽症の患者であっても、各避難所がまとまって精神科入院患者を引き受けてくれるか、というと「ノー」のところがほとんどだろうと推測される。ある避難所で「明日100名の精神科患者を受け入れる」と聞いたら、「ただでさえ休めないのに、その上精神科患者と同じ屋根の下で過ごせというのか」と反対運動を起こす被災者が多いのではないか。そんな状況と、迫り来る放射能への恐怖の中で、約3分の2の患者さんの避難に成功したF病院のスタッフはむしろ優秀だと思う。100名前後の患者さんをたった4名で観ていたのか、他のスタッフはどこへ行った、というような意見も出ているようだが、もともと精神科単科病院というのは、職員数を身体より低く抑えられている。300名規模の病院であればスタッフは多くて220名...これは、外注の掃除のおばちゃん、給食のおばちゃん、事務員、運転手、パートの看護助手←ゴミ集め、おむつ交換など普通のお手伝いの人であって、医療職ではない...の数字であって、これらが交代で24時間勤務をしているわけだから、平日日勤帯であっても130名くらいだ。さらに医療職といえるのはその半分程度と見ていい。F病院のスタッフの中には、夜勤明けで休んでいたが交通が寸断されて出勤できなかった人もいようし、避難指示が出てからでは当時指示の10キロ圏内に入れなかった人もいよう。まとまって避難しているはずもない、約200名の患者さんに付き添って出た職員もかなりあるはずだ。病院の前に並べて「解散!」というわけにはいかないのだから。これが「津波で動ける患者さんの手を引いて高台に避難しました、動けない患者さんは逃がす時間なく流されました」だったら、ここまでセンセーショナルでなかったかもしれない。情報入手手段も乏しい中、「原発が爆発するかもしれないから、退避するよう」指示されて、保護室で暴れている患者さんを職員が1対1で手錠をつけて避難することもできず、寝たきりで動かせない患者さんを、もう時間的に、物理的に、マンパワー的にどうしようもない状態になったとしたら。いずれ戻ってくる患者さんたちのことも考えて医療従事者がとにかく一度病院から退避したとしても、責められないように思うが...。TVドラマの「コード・ブルー」の中では退避命令が出ても、「あともう少し」と処置を続けるフライトドクター研修生たちがいたが、あれはドラマだからできること。ハイパーレスキューだって、余震が起きればその場を一度離れるし、津波警報が出れば捜索を中断して高台に逃れる。自分が二次的に被災して要救助者になることは絶対にあってはならないと教育されているはずで、それが美談になるべきではない。これが目に見えない放射能だから、医療従事者が最後の患者の避難が終了するまでその場に残っていなかった、とされるのはどうか。F病院だって、地震・火災時のマニュアルはあっても、原発事故のマニュアルまでは作っていなかったと思うし。また、10キロ圏内に避難指示が出た時、すぐに迎えに来た家族がどれだけいたのか。うちの病院なんかだと「ここに入院していれば、地震が来ても、食べ物と水があるだろうし、困らないから入院しなさい」と患者さん本人に勧める家族もいて、そんな家族が被災時に迎えに来るとは到底思えないから...。私自身は、子どもたちに「いざとなったらお母さんは多分、ここに残らなきゃいけないから、あなたたちだけでも我慢して、お父さん(別れた夫)のお母さんのところへ疎開するのよ」と伝えている。日本で今放射能汚染の起きえない地域、というのはないだろうし(沖縄だって原潜とか来るし...)、即死は困るけど、職場に残って多少なりとも被爆して、寿命が3年とか、5年とか、最悪10年くらい縮まったとしても、私自身は仕方ないと思うから...。そんな話を姉にしたところ、「あんたは今のところ子どもが二人とも健康だからそう言える」と言われてしまった。そう、子どもに何らかの障害があって、残して死ねない状況、自分が少しでも長生きして面倒をみなければいけない状況だったら、やっぱりそんなことも言えないんだろうな。
2011年03月22日
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少し前のことになってしまったが、これまた大久野島へ行って、目に付いたこと。うさぎ島学会(1)で書いたように、大久野島はウサギ好きの聖地なので、ウサギ好きが沢山のラビットフードや野菜、果物を奉納しにやってくることが、よくある。私が訪れたときにも、5~6名の、おそらく私より若いであろう女性たちが、カートに大量のラビットフードと飲料水のポリタンク、野菜を積んで桟橋に降り立った。あまりの量の多さに、一瞬うさぎのために食事を運んでくるボランティアなのかと思った。だがボランティアであるのなら、休暇村のカウンターでフードを買って与える宿泊客の多い土日を避けて訪れるだろう。ウサギが好きで可愛がるのはいいし、沢山のウサギに囲まれて幸せな時間を過ごすのもよい。ただ見ていて「ちょっとどうなのか」と思ったのは、あまりにも一度に一箇所に置いていくフードと野菜の量が多すぎることであった。私は家から持ち込んだラビットフードを少しずつ、島を歩きながらおねだりうさぎたちに与えて回っていたが、彼女たちが大量のフードと野菜を与え始めるのを見て、自分はそれ以上与えるのを止めてしまった。気温も上がっているから、食べ残された野菜クズはじきに傷むし、次の日になればはっきり言って生ゴミでしかない(うさぎはそれでもいつか食べるだろうが)。一部はグラウンドゴルフ場の芝生の上にも散乱してしまっている。夕方になって休暇村に宿泊している幼い子どもたちが、買ったフードを与えようと出てきても、「ご満悦」なうさぎが多く、いつもの勢いで集まってこない。さらに残念なことにその夜は雨が降った。山積みにされて食べ残されたラビットフードが、あちこちで濡れてふやけてしまっていた。日帰りした彼女らは、この様子を見ることも知ることもないのであろう。帰りの桟橋までのバスの中で、小学生くらいの兄弟が残って持ち帰るラビットフードをどっちが持つかでもめていた。小さいほうの一人は「まだあげたい」と半泣きである。私の荷物の中にも持ち帰るラビットフードが残っていた。それをどうしたかというと、実は今月子どもの自由研究がてらもう一度島に行き、リベンジしたのであった(笑)。
2010年08月10日
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先月、日本精神神経学会学術総会に行ってきた。学会の専門医を維持するためには5年間で規定のポイントを集めることが必要だが、他の関連学会等で得られるポイント数はとても少なく割に合わない。基本的にこの「本会」に参加しないと集まらないようにできているのである。複数の医者が在籍する病院であれば交代で出席するが、開業医は大変なのだった。とにかくその結果年に3日ほど、日本中の精神科医が留守になる時があるのを想像してみてほしい。神無月に出雲の国に日本中の神様が集まるようだ、と例えたことがあるが、精神科医を神様に例えるのは神様に失礼だった。今年の学会は広島だった。せっかく広島まで行くので、12年ぶりにうさぎ島(大久野島)へ寄ってきた。私の中で密かにメインがこっちだったことは、言うまでもない。うさぎ島というくらいだから、野生のうさぎが多数生息している。12年前より数は増えているだろうか。船を降りた桟橋のところから、もうあちこちでフワフワの塊が地面を掘り返し、芝の根っこをハミハミしているのだから、「うさぎ好きの聖地」である。うちのうさぎたちが好き嫌いして食べなかったラビットフードやら、ペットショップの試供品やら、広島市内で買ったキャベツやらをスーツケースとリュックに詰めて持ち込んだ。うさぎへのお土産が多すぎて、今回の学会では人間のお土産を買うことが出来なかった(笑)。大久野島は、「毒ガス島」「地図から消された島」としても有名なところだが、今は島全体が休暇村となっている、施設職員以外の住民がいない無人島である。知らない方のために簡単に説明すると、1929年から太平洋戦争終戦まで、陸軍が密かにイペリット、ルイサイトなどの毒ガスを大量に製造していた場所なのだ。毒ガスの戦争使用はジュネーブ条約で禁じられていたため、軍は毒ガス工場の存在を秘匿していた。そのため、当時の帝国陸軍が発行した日本地図からは、大久野島の周辺だけがすっぽりと白く抜けている。広島へ平和学習に行くのであれば、原爆ドームという被害者としての歴史だけでなく、日本で唯一、戦争の加害者としての歴史を知ることの出来るこの島へも足を運ばないと、片手落ちだと個人的には思っている。12年前は北部海岸で発射赤筒のような筒が見つかっただの、土壌から基準値の数千倍の砒素が出ただの、戦争の傷跡はまだまだ生々しかった。当時は立ち入り禁止になっていた北部砲台も整備されて遊歩道のようになっていたし、発電場跡も土塁の内側、建物の前まで入れるように整備されていた。このような場所であるから、私が訪れた日の夕方も修学旅行の団体が到着していた。レジ袋のガサガサ音だけで猛スピードで集まるうさぎたちにエサをやりながら見たところ、近県の中学生。茶髪の子とか服装の乱れた子もおらず、いかにも真面目そう(勝手に見た目で判断)。引率の教官の指示にも従って、私語を止めたり整列したりしており、わりと好感を持った。しかし宿舎近辺の「わらわらズ」が集まる勢いが減り、なんとなーく「ご満悦」ポーズで寝そべる連中が増えてきても、まだ修学旅行組は荷物を持って宿舎の前で先生の注意事項を聞いている。...おい、まだ部屋に入れてもらえないのか...。夕食までのひと時、のんびりしようと部屋に上がり、窓を開けると「うさぎビュー」だが、ついでに「修学旅行ビュー」。自由行動をさせてもそんなに悪さをする子たちに見えないが、なんでこんなに管理的なんだ?だいたいこの島にはゲームセンターもカラオケボックスもコンビニもないのである。結局団体は夕食の30分ほど前にようやく解散、荷物を部屋に入れて大騒ぎをするほどでもなくいい感じに賑やかに夕食をとっていた。夕食後私が部屋に戻ると、またもや宿舎の前に団体が並んで座っている。ハンドマイクで教諭が何か喋っている。肝試しでもやるんだろうか?随分遅くまで外で何かした末、ようやく入浴をしたらしかった。翌日島内を散策していると、道々で会う夕べの修学旅行生たちが「こんにちは」と挨拶してくる。どう見ても根本的に真面目で健全なのである。今日は、修学旅行の団体があまりにも管理的で、ちょっと滑稽なほどだった、という話。
2010年06月21日
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ここのところ、タダでさえ忙しいのに、休日をほぼ産業医研修会に奪われてしまっている。法律の改正もあって、職場でのメンタルヘルスがトレンディになってきており、休職中の患者さんに対し主治医が復職可能と判断しても、産業医のところでストップがかかることが多くなってきた。その一方、「『精神科へ行って診断書を書いてきてもらえ』と職場の産業医が言ったので受診しただけだ」と言って、診断確定のために検査を勧めても拒否、次回来院日をきいても「そんなこと知るか」という休職の診断書ゲットだけが目的の困った患者さん?(彼らは治療を求めていないので真の意味では患者さんとは言えない)もいて、産業医ってのは随分失礼で不届きな輩だと思っていたのも事実だ。産業医ってのは(時として精神科が専門ではなかったりするのに)何だってそんなエライんだ、そんなことをこっちに指示してくるんなら、自分で診断して診断書作って、休職も復職も決めればいいじゃんか!...で、そんな私が産業医(日本医師会の資格)を突然取ろうと思ったわけ。私は病院勤務医を続けるつもりで、どこかの企業の専属産業医になるつもりはさらさら無い。しかし、ここのところ産業医との目に見えないバトルが増えてきており、産業医の立場ってのをこっちも理解して、手の内を知るのがいいんじゃないかと。新規に産業医になるには、基礎研修前期14単位、実地10単位、後期26単位が必要。1単位は1時間なので、トータル50時間の研修を受けなくてはならない。日常の業務をしながら、診察時間を削らないようにしながら単位を揃えるのだから、当然土日や祝日を潰して受講するしかない。しかも地理的に近いところでばかり単位を集めるのは難しい(定員になると地元医師会会員が優先。一般勤務医はお金のかかる医師会員にはなっていないことが多い)ため、一気に集める気なら、多少遠方でも国内を移動したり宿泊したりして集めることになる。50単位揃えるのに期限は無いが、「少しずつ集めればいいや」と思っていると忙しさにかまけて何年たっても産業医が取れない、ということになってしまうのだ。かなり頑張って、無理もして、数ヶ月で8割方集めた。受講してみていろいろ判った事がある。産業医の先生が自分のためにもっと休んだほうがいいと言ってくれた、と勘違いしている患者さんは結構居る。だが産業医っていうのは、実は労働者のための医者ではない。企業と契約を持っているだけで、労働者個人との間には何の契約も存在しない。だから、原則まず企業の利益を優先する。産業医がなぜ、労働者の健康を守るかと言うと、それは労働者が企業の財産であるからで、労働者の健康を守ることで、企業の利益を上げるためだ。また、産業医は労働者の健康安全に直接は責任を持たない。責任を持つのは、雇用主なのである。そして、企業は高給を払って産業医なんて雇いたくはないが、企業の規模により選任を法律で義務付けられているので、仕方なく雇用しているのである。主治医は、まず自分の患者さんの治療を第一に優先して考える。その人を、職場に、社会に戻すためにどうするのがベストか、心を砕いて考える。例えばその患者さんが休職を続けることが、本人の治療にかえって悪影響を及ぼす、と考えれば復職を勧める。まあ正直、企業の負担とか、周囲の同僚の迷惑なんて知ったこっちゃない(爆)。極論すれば、最初に面接して雇ったのは会社なんだから、社員の面倒くらい最後までちゃんとみな、くらいに思っている。しかし、そこで登場した産業医が、「この労働者を復職させると他の労働者に迷惑がかかる」「かえって企業の利益が上がらなくなる」と考えれば、当然復職はさせないということになる。企業が本音は「むしろこのまま辞めてもらいたい」と考えているような労働者であれば、なおさらだ。主治医の診断書があっても、最終的に労務をさせるかどうかを決めるのは今までももちろん雇用主だったが、主治医の診断書の威力が最近落ちているということは肌で感じていた。例えば、復職できずに退職に追い込まれた患者さんが生活の糧を失って自殺をしたとする。退職後の患者さんのことは、産業医には無関係、知らぬ存ぜぬだが、主治医は場合によっては治療内容を叩かれる可能性がある。もし、過重労働などが引き金で、雇用中の労働者が治療を受けることもなく自殺をしたとすれば、企業はその責任を問われるだろうが、休職させ専門医に治療を受けさせてさえおけば、その責任を主治医に投げてしまうことも可能になる。自殺の可能性がある労働者なんてのは、下手をすれば億単位の賠償が発生するわけで、企業としては早いとこ縁を切りたいはずだ。これがトリックなのだ。だから、ある労働者が本人の人格的な問題もあって他の同僚とトラブルを起こしていたとする。本音は、「会社にいてもらいたくない」。「あなたは疲れているようだし、休んだほうがいい。専門の精神科にちゃんとかかったほうがよい」こう説明して精神科に診断書を書かせてとにかく一度休職させる。確認したが、産業医は企業側なので絶対にこの診断書を自分で書いてはならないそうだ。数ヵ月後に復職可能の診断書をもって本人が来ても「本人の復職意思が明確でない」「まだ治療が不十分だ」「もう少し休んだほうがいいのではないか」と産業医が言えば、企業は復職をさせないでおくことができてしまうのだ。そして主治医の手元にだけ、その「困ってしまった患者さん」が残る。一部の企業や産業医がただ「精神科で診断書を書いてもらえ」とだけ言って、平気で患者さんを送り込んでくるからくりが、ようやく理解できた。もちろん、全ての産業医がこのような態度をとっているとは思わないが、根本的に産業医は企業側の人間なのだ、という立場の違いは理解しておく必要がある。産業医が送りこんできた患者さんには、主治医としてはやはり注意して臨まなきゃ駄目だ。復職可能という診断書を何回書かされても、産業医のところでストップがかかる場合は、「具体的な労務状況についてはこちらでは預かり知ることが出来ないので、貴職にてご判断ください」とはっきり書いてやろう...。ちなみに、現在事務職の多い企業において、産業医の仕事のうち約6割が復職面談を主とするメンタルで占められているそうだ。精神科で、産業医ってのは確実にトレンディではあるのだった。
2010年05月10日
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随分久々の更新になってしまいました。昨年秋に、母が亡くなり、それからバタバタしていたし、暫く何を書いていいか分からない状態だったのもあります。あんまり亡くなったばかりだと湿っぽくなりすぎてしまうし。急に呼吸状態が悪化し、もういつ亡くなるか分からない、数日から1週間以内と告知を受けてから、母は3週間も頑張りました。もう経管栄養も止め、点滴も1日500mlまで減らして絞ることで、かえって頑張れたように思います。あの人の生きる執念は凄かったな、と思います。母が最後の入院をしてから、担当の若い先生とすったもんだもありました(笑)。そんな話も、少しずつアップしていきたいと思っています。年が明けて、今の病院への勤務も1年を超え、ちょっと落ち着いてきました。今度の病院は当分辞めなくてよさそうです。私の仕事の仕方を病棟も外来も事務も理解してくれているのを感じているし、院長も、他のドクターとも(特に呑み会の席では)ざっくばらんに話せる雰囲気があります。みんな診療スタイルはそれぞれ違うけれど、お互いにその領域には踏み込まずにやれています。そういうのを、スタンダード化されていない、と批判することもできるでしょうが、管理的でないところこそ、今の病院のよさだと思うし、これほどありがたいことはないと思います。ちょっと、まだ何から書いていいかわからないので、ぽつりぽつりとの更新になると思いますが、またよろしくお願いします。
2010年02月13日
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総合病院に赴任したある精神科の先生に、久しぶりに学会で会い、食事をしながら聞いた話。総合病院で一番エライ?先生は、内科系・外科系(心臓外科、脳外科、整形外科を含む)・小児科・産婦人科のメジャーと言われる科の先生たち、次点が眼科耳鼻咽喉科皮膚科泌尿器科などマイナーと言われる科の先生たち、その下に精神科、更に下に口腔外科(口腔外科は歯科医師なので、本質的に免許が違う)、が来るそうだ。新しく赴任して納涼会に出席するので、前で挨拶をするよう依頼され、話す内容も考えていたのだが、会場では一切そんな場は与えられなかった。そしてその会場に行って、内科や外科のおエライ先生たちは、精神科になど一切目もくれないことに気付いたのだそうだ。話をしたのは泌尿器科の部長と眼科の若い先生、口腔外科の先生くらいで、内科や外科の先生たちには近づくことさえできなかったと言う。第一線の公立総合病院であれば、現在ほとんど電子カルテが導入(あるいは導入検討)されている。私も精神科専用の電子カルテなら、多少なりとも触ったことはある。が、総合病院の、身体科用に作られた電子カルテは、精神科医からすれば、「全然使えない」のだそうだ。精神科では現病歴、生活歴、ファミリーツリー、それまでの入院歴など精神科治療歴などがとても重要だから、一目で閲覧できるようなページがないといけないし、自分が新患について書き込みたい時にも困る。ところが、そんなページはない。また、精神科では、長期間で処方がどのように変遷してきたか、どういった症状(あるいは副作用)に対して処方変更したのか、処方変更によってどう症状が変化したが、が非常に大事だ。ところが、身体科のカルテでは、一部の薬剤アレルギー歴などは別にして、ここ1週間何の抗生剤を使ったか、今何の薬をのんでいるか、が重要だったりする。精神科専用の電子カルテなら、処方変更がどこでどのようになされたか、処方ごとに色分けされたカレンダーを月ごとに一覧表示できる。身体科用のカルテでももちろん過去の処方を見ることはできるが、それは3ヶ月前の日付を入力するとその日の処方がピンポイントで表示される、という形式だったりして、全く役に立たない。精神科に副科で依頼される、他科の患者さんをそれぞれの病棟に診察に行く時も、ギャップは大きい。身体科の看護師さんたちは、患者さんが夜寝ないとか、大きな声を上げたりすることにとてもナーバスだから、夜中に数十分「おーい、おーい」と大声を上げ続けただけで、「大変なんです」と主科の主治医に訴える。夜間の看護記録にも記事がわんさか載る。...この程度では、単科精神科病院で働いてきた私たちにすれば、「不穏」のうちにも入らない。主科の主治医がSSRI、安定剤、眠剤を使っても、ますます症状が悪化したり、ふらつきがひどくなってしまったりすると、私たちの出番になる。そういうのを四環系抗うつ剤や少量の抗精神病薬でどうにかするのが私たちの腕の見せ所で、数日後の副科再診の時に、主科の主治医が「いったいどうして(よく)な(った)んだあ?」と書いてあったりするのを見て、密かにほくそ笑むのが楽しみなのである。ところが、副科依頼を受けて処方を出して、その夜から症状が改善したりすると、看護の観察記録から一切精神症状に関する記載がなくなってしまう。私たちとしては、「夜間トイレ覚醒のみで静かに自床に戻った」とか、「訴えはあったが大声を出すことなく、視線を合わせて穏やかに話された」とか、よくなったらよくなったで、なんか書いといて欲しい、のである。数日後に病棟に行くと、看護師は誰も彼も忙しそうにしていて、誰が今日のリーダーかも、誰に話しかけていいのかも分からない。彼女たちにとって、その症状は改善してしまったら、もう「過去のもの」であり、精神科医がまた診察に来る意味なんて、理解不能なようだ。やっとリーダーを確かめて声をかけても「ちょっと、精神科の先生が来てなんか言ってるけど、誰か聞いといてあげて!」みたいな扱いを受けるのであった。....でも、身体科と全然診るところが違うから、精神科は面白いのよね。今日の学会だって、参加費が1000円安くなるから事前受付で申し込もうとしたら、診療部長の外科医に「精神科の学会っていうのは、1ケ月も前から参加する予定が組めるような連中の集まりなのか!」と嫌味を言われたんだよね、とその精神科の先生はブツブツ言っていた。
2009年08月27日
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娘が見慣れないノートを持っているので手に取ると、「ダメ!」とひったくられた。「別に中を見ようとは思わないけど、交換日記?」と尋ねると「違うけど、交換ノート」と言う。「誰としているの?」と何人か仲のよい子の名前を挙げたが、いずれも違っていて、「クラスで一番嫌いな子。『止めよう』って何度も書こうと思ったけど、書けない。」と言う。苦手な子が「交換ノートして」と持ってきて、断れなかったそうだ。家では自己主張のはっきりした娘だが、そこは使い分けているらしい。「それじゃさ、向こうが1日でノートをよこしても、こっちは3日とか、1週間とか、だんだん間を空けていけば、立ち消えになるかもよ。」まるで、別れたい男からのメールに対する返事の仕方を教えてるみたいだ(笑)。「そうだね」と言って娘は少しほっとしたような顔をしていた。ところが数日後、娘が寝る時間になっても、ノートを2冊床に広げて、「うーん...」と唸っている。「他の子とも始めたの?」「ううん、同じ子。」「同じ子と2冊?」「忘れた、忘れたと言って持っていかなかったら、今日もう1冊ノートを渡されてしまった。」...敵もさる者。なんと交換ノートが増殖するとは!娘は自分が休み時間に本を読んでいても外に引っ張り出されるし、自分はひとりで行きたいのに「トイレに一緒に行こう」とついてくるし、かなり苦痛になってきていると話す。ちょっと「いかにも女の子」という感じの相手のようだ。交換ノートの内容についても「クラスの素敵な男子ベスト3とか書いてあるよ!全部うるさい奴ばっかり!何を書いていいかわからない。好きなすしネタベスト3とか書けばいいの?かーちゃん。」とまだまだニュートラルな娘とは話題がかみ合わないらしい。とにかくノートを2冊書かず、1冊はそのまま返すように言った。2冊書いたら、毎日同時交換になってハマってしまう。夏休みでフェードアウトを狙っていたが、この分ではポストにノートが入っているだろうな...。そういう年頃だと思うので、交換ノートをするなとも言わないが、ちょっと相手の子にも空気を読んでもらいたいものだ。相手の子を悪く言うのも何なので、娘には交換ノートにあと2~3人自分の中のよい子を入れて、回ってくる頻度を減らし、自分たちの盛り上がりやすい話題に相手を引き込んだらどうかと伝えた。
2009年07月26日
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ずいぶん久々の更新になってしまった。今日はもう何年も前から、私の前の前の職場からずっと診察している、これまたずいぶん遠方から通ってくるうつ(正確には双極2型と言って、うつの症状が目立ち、躁の症状は軽くてあまり大きな問題とならないケース)の患者さんの話。彼女はここ数年、躁もうつも寛解して過ごしていて、家事・育児等日常生活も普通に送ってきた。もうどこから見ても、すっかりいい奥さん、いいお母さんである。素人が見たら、精神科に通院している患者さんということは全く分からないだろうという域に達していた。そんな彼女が、昨年、女性特有の悪性腫瘍を患った。私と同世代の彼女は「先生も検診、行ったほうがいいよ」などと飄飄と話していたが、聞いた私は内心「やっと躁鬱が寛解したのに、なんて因果な...」と思ったし、発病をきっかけに感情障害が悪化しないか心配もした。だが、本当に彼女は、淡々と、そして強く闘病生活を送ってきた。もちろん、精神科疾患が寛解していたからこそ可能だったのだろう。私も身体の治療スケジュールを優先するように話し、精神科受診は可能な限り間隔を空けられるよう最長期間で処方して繋いできた。腫瘍が大きくすぐに手術できないということで、まず何カ月も化学療法で叩いた。髪の毛はほぼすべて抜け落ちたそうで、ある日の診察に突然髪型が変わってやってきた(要は鬘である)。顔もすっかりむくんでしまって、別人のようになってしまった。やっと手術にこぎつけたものの、術後の痛みもまだ残っている中、今度は放射線療法を開始するという。「大変だねえ...。」私が思わずため息交じりに呟くと、彼女は「ううん、先生。全然!」と笑いながら言った。「うつの治療のほうが、うつの悪かった時のほうが、比べ物にならないほど辛かったのよ。うつは目に見えないよ。所詮、がんなんてはっきりしてて、見えるもの。取るしかないじゃない。」...そんなことを言われて、なんだか涙が出そうになっちゃった。辛いと感じる「心そのものが病む」、ということは「身体が病んで辛い」と「健康な機能をもつ心」が感じるよりも辛い。この仕事をしているのに、そういうことってあるのだな、と初めて教えられた。そして、私たちが向き合っている疾患はそういうものなのだと知って、これからも誇りをもって仕事をしていこう、ときれいごとでなく本気で思った。
2009年07月20日
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随分御無沙汰してしまいました。GWは母を連れて近場に出かけました。母を連れて出かけるのはこれが最後だと思いました。母は、私が精神科を選んだ時に言いました。「精神科なんて、私に何かあっても、使えない。内科とか、もっと役に立つ科に進んでくれればよかったのに。」今、姉と話しています。私が他の科でなく精神科医になったことが、一番役に立ったよね、と。それでも精神症状に、へとへとです。精神科医である私ですら、です。時折患者さんの家族に、「先生は専門家だから理解できるかもしれないけど、自分たちは素人だから無理」というようなことを言われることがあります。でも、私が精神科医であるとかどうとか、関係ないんです。もちろん、母の症状を見て、画像上の病巣と一致しているな、と冷静に捉える部分もなすいわけではありませんが、自分の家族のこととなると話は別です。母はいまだに歩行も困難で段差の上り下りができませんから、介助が必要です。外ではトイレも洋式を探して私や子どもが下見をしますし、エレベーターを使用するために遠回りをしなければならず、それはそれで歩かせるのが大変です。それでも、身体の介護はまだいいのです。精神症状のある人を介護することが、これほど疲弊することだとは。ここのところ、5時に起こされたことが何回あるでしょう。一度は5時5分に「大変、もう7時」と家族全員を起こしました。これは、寝ていて逆さまに時計を読んだからなのだそうです。4時55分に、突然私の部屋まで上がってきたこともありました。段差の上り下りはできないのですから、階段も上がれない、と言っているのですが、何故かそういう時だけ、上がれるのです。「心臓がどきどきして、息が苦しい。今から病院へ連れて行ってちょうだい。」チアノーゼもありませんし、自分で階段を上がれる状態なら、緊急性はありません。今から救急に出かけたら、子どもを登校させることもできませんし、9時に外来が始まるのを待つべき、と説得しました。この時間に行っても、主治医が出てくるわけではないので(当直医はほぼ確実に医師になって1ヶ月ほどの研修医の先生)肺がんなどという基礎疾患のある患者を勝手に判断するわけにいかず、今行っても9時の外来開始まで待たされるだけだと。母は半泣きで大声を上げました。「それなら私にどうしろって言うの!?とにかく病院の前に乗せて行って、置いて来てくれればいいだけじゃないの。」ひとりで病院の前に置かれても、受付して診察を受けられる人なら、その時間に救急で行く必要はありません。「じゃあ、救急車を呼ぼうかしら。」尚更顰蹙です。仕方なく、携帯で、固定電話でも起きない姉の家へ行き、インターホンを鳴らしまくって叩き起こしました。姉が半日かけて受診させましたが、やはり何の問題もありません。しかも主治医がいつから息苦しかったか尋ねると「2~3日前から」暫くすると「1週間前から」と言い出す始末で、これで早朝に救急にかかるなんてブラックリスト行きです。帰宅してから母に尋ねると、「苦しいのが、ゆっくり大きく息をすると楽になる感じだったから、おかしいと思った。」と言いました。簡易心電計と、パルスオキシメーターを購入することにしました。それで何ともなければ、受診の必要はない、とはっきり告げるためにです。食後にのむはずの下剤を、寝ていて粗相したら困ると言って夕食後にはのまず、おなかが張って苦しいからと早朝にのんだ末、私の部屋にあがって来て、「パントシンの粉が舞って目に入ったけど、目がつぶれないかしら」と起こしたこともありました。これも、5時です。「普通目を洗って様子を見る以外にないでしょう」と言うと、本人はそれでも明るくなるまで待った、あなたの一言を聞けば安心できるから、と言いますが、いかんせん、今は明るくなるのが早い。こんなことが続いて私は早朝階段に座り込み、子どもが起きるのも構わず泣きながら絶叫しました。「もう無理。ずっとうちでお母さんとやっていくことなんて、できない!」と。その日は外来がびっちり詰まっていて、寝る時間を遅らせても前夜にゴミの整理や洗濯ものをすべて済ませ、早めに出勤しようとしていました。そのまま眠れず出勤しましたが、赤信号を見落として加速しかけ、「どうして隣の車線の車が止まっているんだろう」と思って、急ブレーキで停車した時には横断歩道の人をはねる寸前でした。改めて、このままうちで看続けていくことは、もう無理だと確信しました。旅行中も、母を部屋に残して子どもに磯遊びをさせて夕食前に戻ると、母はもうパジャマを着て横になっているのです。「お母さん、まだこれから夕食なのに。」「あら、そうだったかしら。私は着替えるのがなかなか大変だから、先に着替えておいたの。ここは浴衣がないから、パジャマで行っていいんでしょう?」「お母さん、レストランなのよ。パジャマで行っていいわけないでしょう。」「でも、浴衣のあるところは浴衣なんだし。」「お母さん、浴衣で行っていいのは温泉旅館だけ。」「私は身体が思うように動かないから、一度だって着替えるのが大変なのよ。」もう、ここで半泣きです。夕食時間が迫っており、どうしても服に着替えるのを嫌がる母を、私は仕方なく怒鳴り飛ばしました。結局パジャマの上に上着とスカートを重ね着させるのがやっとで、スカートの下にずるずると出てくるパジャマのズボンを、母は何度もたくしあげては座っていました。子どもが見かねて「ばあば、引っ張り上げずに折り曲げた方がいいよ」と言っていました。翌日の朝も、6時25分に「7時半に目覚ましをかけたというのに鳴らない」と言って起こしました。実際はその1時間前、私が一度トイレに起きた時から、ずっと話しかけていましたが。これはもういつものことです。家では寝る前に、母の手首に「今日は休みだから、みんなが起きてくるまで絶対に起こさない」平日なら「遅刻をしてもじゅびあの責任なので、絶対に自分からは起こさない」という札をつけて寝るようにしていたほどですから。ところが今度は朝食の前に家に帰るというのです。子どもだけ残して朝食をとらせてもらって、私に自宅まで一往復して、母を送れと。タクシーは着払いというと嫌がるかもしれないし、道もうまく説明できない、今の時間なら道も空いているから、タクシー代として20万円払うので、送って行ってちょうだい、宿の人に体調が悪いなどといわれるのは嫌だから、急用ができたと言えばいいじゃないの...それは無理、というと姉に迎えに来させろ、と言って聞きません。仕方なく姉に電話をかけ、姉から断ってもらいました。姉には電話では(私のいる前では)言えないようなことがあったから、と訴えていたので、きっと夕食前のことなのでしょう。携帯の電池残量が少なくなったことを伝えるとようやく電話を諦めましたが、今度は、「今日の午前中の予定をキャンセルして送っていってほしい。そうしてくれたらあなたと子どもに1人5万円ずつあげるから。子どもはさっき話したら納得したから。」子どもの前で、平気でこういうことを言うのです。母は、悪くなると、すぐお金をいくら出すから何とかしろ、というようなことを言い出します。前にも、いくらお金を出したら仕事を辞めてずっと自分の面倒をみてくれるか、と言われたことがありました。ひとつひとつのエピソードは、些細なことかもしれません。しかしそれが毎日、すべてのことについて続いていくということになると、家族は限界です。本人の拒否が強くリハビリも含め介護保険のサービスは全く利用していませんでした。冬には「インフルエンザが流行らなくなるまで」と言っており、今は「豚インフルエンザが収束するまで絶対大勢の人のいるところへは出ない」と言っていますが、姉と私は、ショートステイでも施設に入れるという気持ちを固めつつあります。
2009年05月06日
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ホテルで、デパートで、二人乗りのベビーカーを押しているお父さん、お母さんを見ると今でもつい、話しかけてしまう。「双子さんですか?」横に居る自分の子どもを指して「うちのもそうなんですよ。もう大きくなりましたけど。」全く見知らぬ相手だけれど、多胎児を持つ親同士というだけで、話が弾む。エレベータに一緒に乗ったほんの短い間だけの、不思議な連帯感。子どもが座位を保てないうちは、A型ベビーカーしか使えない。二人乗りのA型ベビーカーっていうのは、本当に重い。空のベビーカーだけでも、13.5キロとか、11キロとかある(最近のはもう少し軽い?)。畳んで車のトランクに入れるだけでも、一苦労だ。だいたい畳むにも、子どもをどっかに置いて、両手でうんしょ、という感じ。私は実家と当時の自宅の2ヶ所でそれぞれレンタルしていた。一応、当時は結婚していたので、その後また出産したとしても、今度は双子でない可能性が高いわけで、二人乗りのベビーカーをもう一度使うなんてことはまずありえず、買って半年経てばほぼ確実に粗大ゴミ!まして、何とか座れるようになれば、一刻も早くB型ベビーカーに替えたい。A型の二人乗りベビーカーは、多くが縦並び。横幅は普通だが、とんでもなく奥行きがあるので、路地から出る時などは歩道を走ってくる自転車で何度か怖い思いをした。ベビーカーを引っ込めたまま、まず自分が首だけ出して、左右から何も来ないのを確認してからベビーカーを出す。歩道に乗り上げた路上駐車なんかがあると、それを避けた自転車が、路地からまだ先を出していないベビーカーすれすれを走っていく。先頭まで距離があるので、スーパーで自分が品物を見ていると、フードの陰で前に乗った子どもがイチゴパックに手を突っ込んで握りつぶしているなんてことも簡単にありうる。ちょっとした段差があると、普通のベビーカーのように前輪を持ち上げて載せるのだけど、何しろ重い上、前輪を持ち上げたときの重心(後輪の位置)がすごく離れているので、必要な腕力は半端ない。段差といっても歩道のように幅のあるところならいいが、誰の助けもなく奥行きの狭い階段を上げるのはまるっきり不可能。私は当時、ケーキ屋入り口手前に2段ある階段でどうしてもベビーカーを上げられなくて(しかも入り口のガラス扉を誰かに開けてもらった状態でなければ、ベビーカーを一気に載せることもできない)、何度かショーケースの向こう側にいる店員に声をかけたが、全く気づいてもらえず、諦めて帰ったことがある。ファミリーレストランの風除室(出入り口手前と奥に扉が2枚あるようなところ)で、外の扉が押して入るタイプ、内側の扉が手前に引くタイプで、ベビーカーがぶつかってしまい、どうしても入ることができなかったこともあったっけ(この説明でイメージが掴めます?)。一人乗りのベビーカーなら、子どもを抱いて畳んで入る、というのもありだが、双子連れはどうしようもないのである。公共交通機関でベビーカーを畳む畳まないが問題になっていたけれど、それは一人乗りの場合だけを想定した論議にすぎない。だから、縦並び二人乗りのベビーカーを見かけると、心底「大変ですねえ」と声をかけたくなってしまうのだ。子どもが何とか座れるようになると、横並びのベビーカー、「サイドバイサイド」を使う親が多くなる。このサイドバイサイドは輸入物、トイ●ラスで1万円を切る値段で売られている。安いだけあって、また軽い分仕方ないのだが、すぐフレームが曲がったりして、壊れる。畳むときはワンタッチでない傘を畳むような感じ(なんと言ってもサイドバイサイド『アンブレラ』って名前だもん)、とイメージしてもらうと、どれほど軟弱か分かるだろう。子どもがベビーカーを卒業する頃にはだいたい壊れているので、お下がりを譲るなんてのはありえない。サイドバイサイドを使うようになると、その軽さに、なんて楽になったのだろう、と思うが、これはこれでいろいろある。まず、横幅がありすぎて、スーパーのレジが確実に通れない!また子どもが重くなってきているのにベビーカー自体の重量が軽いので重心が高く、段差で安易に前輪を上げるとベビーカーごとひっくり返りそうになる。サイドバイサイドで自転車とぶつかったら、確実にベビーカーごと吹っ飛ぶと思う。でも、サイドバイサイドをアメリカのホームページで探すと、縦横2列の4人乗りベビーカーとか、平気で出てる!もう、ありえない。私は、街中で二人乗りのベビーカーを押して段差や店の入り口で困っているお父さんお母さんがいたら、絶対手伝う。あの苦労を身をもって知っているから。皆さんももし見かけたら、多分本当にどうにもならなくて困っていると思うので、ぜひ率先して手伝ってあげてください。
2009年03月16日
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私の世代としては、ご多聞に漏れず買ってしまった43巻。あまりにも間隔が空きすぎて、新しいのが出ている、と思って慌てて買うと、既に家にあるのと同じ巻だったりしてしまう「ガラスの仮面」。小学生の頃塾の帰り、当時は多くあった書店で、20巻まで立ち読みをした。コミックにはビニールはかけられておらず、「ガラスの仮面」は書棚の手前に平積みで並んでいた。自分よりお姉さんだったシンデレラ的なヒロインに自分を重ねたり、セレブ(当時はこんな言葉はなかったが)なライバルに憧れたりしながら、読みふけった。姫川亜弓の愛飲する紅茶は「クイーン・マリー」で、トワイニングの水色の缶を開けて「うーん、これが姫川家の香りか」なんて思っていた。でもあの頃のスーパーでも普通に売ってたもんな、クイーン・マリー。自分よりお姉さんだったはずの主人公が、いつの間にか自分の娘くらいの世代になってしまった...。昔オッサンだと思っていた「紫のバラの人」すら、今や私より若い...。やたら速水さんが煙草を吸っているのも時代に合わなくなってきた。テレビで北島マヤをやった安達祐美ももうお母さんだ...。確か主人公のお母さんが亡くなった時にかかってきた電話は黒電話だったのに、「桜小路くん」が二つ折り携帯を持っているのにも、「メール」って言葉が出てくるのにも、ありえねー、という感じ。もはや登場人物たちは、年齢不詳だが、サザエさんとは違うのだから、永遠に同じ年齢というわけでもなさそうだ。一度、登場人物の服装などから、夏や冬が何回過ぎているのか、きちんとカウントしてみたら、物語の中で、何年経っているか分かるかな?どなたか数えてみた方がいらしたら、ぜひ教えてください。
2009年02月17日
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いろいろありまして更新どころではありませんでした。本当に突然ですが、退職しました。この文章は、もともと12月31日に作成したものです。無事に退職してしまうまで、さすがにアップすることができませんでした。退職の原因は、うちの母の入院です。当面大部屋への入院のはずが、個室を用意してもらったり、いろいろな配慮をして頂いて、病棟には本当に感謝していたのです。私は、その病棟の師長と、部下のスタッフとの間に大きな軋轢が存在していることを知りませんでした。私の落ち度といえば、それまでこんなひどい状況と気付けず、それを今回初めて知ったということです。母が入院した翌日、ある一人のスタッフが、「私に相談もなく、師長がこんなことを決めた。絶対××先生(←一番の実力者)に言ってやる!」と息巻いていたそうです。そのスタッフが、「師長がじゅびあ先生の母親に特別扱いをしている」とメールでたれこんだのです。その結果、××先生が、看護長も主治医も私も知らないうちに、病棟スタッフを一人一人診察室に呼んで、尋問し、「なぜこんな患者を個室に入れた!」と大声で怒鳴ったそうです。普段師長についての不満をいくら言っても聞いてくれない××先生が、今回ばかりは一人一人の声に耳を傾けてくれる、と、みんながこの機会に、と洗いざらいぶちまけたようです。元はと言えば、「師長ばかりがじゅびあ先生にいい顔をして、面倒くさいことをやらされるのは私たち」みたいなやっかみだったのだと思います。そして、母の入院1週間後、××先生から委員会議長代筆としていきなり私のもとにメールが届きました。「じゅびあ医師は、医療を私物化し、一部スタッフで隠匿化(日本語として?)ている。これ以上続けるようなら、就業規則にのっとり、委員会で事情聴取を行う。」という内容です。いきなりすぎて、ほとんど、意味がわかりません。外来開始直前にこれを受け取って、さすがに泣き伏してしまったので、再来開始が30分遅れてしまいました。「退職願をすぐに書く」と肩を震わせて泣く私を、外来看護師が背中をずっと擦って「余分なことかもしれませんが、先生が辞められる問題ではないんです。あの病棟の師長とスタッフの間が、もともとうまく行ってなかったことから出ただけです。」「診察があるから、先生。」と押しとどめていました。持ち込んでいた物品については、姉が病棟で気持ちよく「いいですよ」と言われたものですし、逆に止めてくださいと言われたものについては持ち帰るだけです。入浴や食事、検温については、師長が「こうしましょうね」と言ってくれたものでした。残念ながら、医師というのは、病棟ルール(患者さんの生活上の規則)には疎いもの。しかも、病院によってルールは大きく違うし、各病棟によっても微妙に違ったりします。いいですよ、と言われたことを、急にお前がごり押ししただろうと言われても、困ってしまいます。母への処遇は急に変わりました。「ドアの外で看護師が『どうしてこんな人がこの部屋を遣っているのかしら』と言っているのが聴こえる」と母が言います。せめて幻聴であってくれればいいのですが。母は肺がんの化学療法で総合病院に入院中も、咳をする患者がいると言って、病院食の蓋のないおかずには手をつけない人でした。なので、大勢の中で食事をさせるのは相当難しい。そういうのが、臨機応変に譲れないのが症状でもあるのです。いや、看護が食べさせられるというのなら食べさせてもらえばいいですが、母は看護師には何も言いませんので、その分を家族が罵声を浴びせられることになります。師長は部屋で食べてもらっていい(実際私の担当患者さんでも、どうしても動かず部屋で食べている人がいます)、と言ってくれていたのですが、ある日突然「上」の命を受けたスタッフに「皆さんと食べましょうね」と車椅子で運ばれる始末。母は大混乱して、今すぐ来い、許可をもらったから(もちろん許可はありません)自宅へ外出してあんたたちと話をする、などと消灯直前に姉や私に電話をしてわめきました。薬についても忘れられて母の方から要求したことがあるのですが、母は「イレッサを1回でも忘れたら肺がんが悪化して死ぬかもしれない」くらいに思っているので、実は大変なこと。それだけで不安になり、落ち着かなくなり、時に興奮して家族に当たります。姉が「薬がつかなかったことがあると母が言っているが...」とある看護師に言った途端、「薬の間違いなんて絶対ありません!」とろくに顔も見ず、確認もせずに言われたそうです。見かねた主治医がカンファレンスを行なったのですが、スタッフは口々に「どうしてこんな穏やかで自分のこともできる人に入院が必要なのか」「開放病棟へ行ってもらえばいいのではないのか」と攻撃的に話し、まるっきり師長vs他全員という状態でした。師長さんに「私が母を連れて来たばっかりに、こんな迷惑をかけてしまって。」と謝罪すると、師長さんは「いいえ。こんなことでもなければ、私は周囲のスタッフにどう思われているかずっと分からなかった。むしろそれが分かったいい機会でした。」と言ってくれました。私は母の入院治療について、できるだけ自分が出ていかないようにしていました。家族の代表には姉を立てていましたし、主治医も他の先生に依頼していました。総合病院での安静指示が解けるまで、介護保険がつくまで、精神症状のコントロールにどれくらい薬剤を使うのが適正か診てもらって、とにかくその間にリビングにソファベッドを入れてそこで母が眠れるようにして、と在宅で過ごせる準備を調えている最中でした。明らかに、母を叩き出そうとする風が吹いています。母が、家族が、音をあげるのを待っているのです。師長が「じゅびあ先生からの指示は何もありませんでした。私の判断で決めたことです。」「信頼できないスタッフを管理して仕事をしていくことはできません。」と退職を願い出たところ、××先生は「あなたを辞めさせたくて言っているのではない」と言ったそうです。主治医と師長のところには「あなたがたはじゅびあ医師に巻き込まれた被害者と言える。あなたがたまで心を痛めて病院を去ることにならないように...」など、暗に「じゅびあ医師に強制されてやりました」という返答を求めるメールが次々に送られています。その中には、まったくうちの母を、一人の精神科患者として見る視点がありません。師長は「病院の建物を見ただけで吐き気がする」と、クリニックで診断書を作成し、長期休養に入ってしまいました。「多分これっきりになると思うから、じゅびあ先生と主治医の○○先生だけには、よろしく伝えてくれ」と他の師長経由で伝言がありました。主治医の先生が2回目のカンファレンスを行い、「僕が全責任を負って退職する。つまり、遅くとも1ヶ月後に、じゅびあ先生のお母さんの退院は担保されているということだ。何か上から言われたら主治医指示だと言うように。病院の都合で処遇を変える時は、ご本人と家族の納得や了承を得てということが当然だと思わないか」と言った時には、1回目と打って変わってスタッフは全員顔を上げることもできず、無言だったそうです。主治医の先生に私が謝ると、「ここは精神科医療をやるようなところではない、恐ろしいところだ。長居をすべきではないよ。先生のお母さんのお陰で早く分かってよかった。下手をすると今後、辞められる機会を失うところだった。」とおっしゃってくれました。年末年始、毎日母を外出で連れ帰ってきました。外泊させると、「家でやれるではないか」とそれを機に主治医以外に退院させられてしまう可能性があるので、外泊はさせられません。病院で安静にして、何とか車椅子から立ち上がれるようになり、支えがあればやっと少し足が出るようになったのです。準備も調わないまま元の生活に戻したら、また立ち上がることもできなくなってしまいます。私は母の残り数週間の入院継続と引き換えに、自分が退職することを決めました。もちろん、まだ母には話していません。暫くは非常勤や当直で繋がなくてはいけないかもしれませんが、母が帰ってきたら、リストラを隠すサラリーマンみたいに毎日出勤するフリをするつもりです。そしていつか勤務先が決まったら、「そちらの方が勤務条件が良かったから移った」と説明しようと思います。家へ帰って来て母が言います。「★さんと▽さんが特にとてもよくしてくれる。謝礼はダメと言うから、私が退院したら、あなたの口から必ずお礼を言ってちょうだい。」その二人は、最初の言いだしっぺで、一番攻撃的だったスタッフなんですね。他の病棟師長や主任たちから口々に「うちの病棟に先に相談してくれさえすれば...」「師長がいい、と言ったことは、それでいいんです。他のスタッフが納得できないのなら、それは内部で話し合うこと。下が『そんなことやるの嫌』と言うたび、上に報告され、いちいちひっくり返るのなら、看護はやれません。」「あそこだけはまずかったんです。前からあの病棟は、解体しないといけないって進言してるけど、手つかずだった。」「じゅびあ先生を引き留めたいけど、留める言葉が見つからない。先生に、これを『耐えてください』ってとても言えないです。」「先生みたいなチームを意識した医療をしてくれるドクターは、なかなかいないのに...。」「それでも万一残れたら、いや、たとえ残り1ヶ月でも、必ずお守りしますから。」「先生が辞めることはないと思う。私は嫌です。」と言われました。「先生のキャリアに傷がつく。そんな尻尾を巻いて逃げるようなことをされるんですか!」とも言われました。どうも私が周囲を巻き込んで病棟内のスプリッティング(分裂)を引き起こしたボーダーラインパーソナリティで、それにより病棟内に騒乱を引き起こし、勝手に辞めると言い出した、それ自体が異常な行動、むしろ早く退職させることになってよかった、と委員会は決定したようです。それどころか、何とか懲戒処分にできないかという画策もされていたとか。「お母さんに罪はなく、異常な娘に振り回される憐れな被害者だから、早く出てもらわなくては」と重症患者の入院があれば、その病棟に率先して入れ、追い出す計画も練られていたことを知っています。上層部が複数の医師と看護長を実質葬り去ってしまった責任を理事会で逃れるため、私に全て原因があったことにしようとしているのでしょうか。まるで恐怖政治です。それと、毎日顔を合わせているのに何の言葉もなく、隣の部屋からカタカタ打たれたメール1通で退職に追いやられるって、どっちが異常なんだろうと思います。...そしてその後、母は介護認定を受けて退院、私は更にその10日後、退職しました。幸い、続けて新しい勤務先が決まり、多くの外来患者さんとともに移ってきました。母だけが、私が転勤したことをまだ知らずにいます。年度が変わるまでは、秘密にしておこうと思っています。
2008年12月31日
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9時に姉と病棟へ行くと、主治医を引き受けた先生が、勤務日ではないにもかかわらず駆け付けてくれた。車椅子の母(スタスタどころか全く歩けなかった)は、主治医の先生相手にも「私の意思というものはこの病院では全く関係ないんですね。」「とにかく退院させてください。」「このまま動けなくなろうと、誰にも関係ありません。」「動けなくなる前に死にます。動けるうちでないと死ぬこともできないから。」「人権擁護はどうなっているのか、警察に訴えてやります。」「頭がおかしいのは私でなくてじゅびあの方です。」とまくしたてた。私は「ああ、普段患者さんの言うことと同じだな」と思いながら、聞いていた。そして、患者さんの家族っていうのは、こういうことを言われて、とても傷つくのだな、ということを初めて知った。いつも、患者さんがこういうことを言うのは、病気だから仕方のないことで、家族はいちいち傷つく必要なんてない、ってどこかで思っていたんだな。主治医の先生が耳元でぽそっと「お姉さん保護者で、医保(医療保護入院)にしますよ、いいですね」と囁いた。家族を医療保護入院にするっていうことも、凄い罪悪感がある。とても傷つくもんだな...。主治医の先生が後から笑って言った。「医療保護入院にすると、3000円余計にかかるし、入院診療計画書も1500円かかるから、作らないでやろうと思ったんだけどね。かえってガチッとやったほうがお母さん、落ち着くかもしれないね。お金がかかるけど、ごめんね。僕は何言われてもいつものことだし、平気だけどさ。」姉によれば、入院診療計画書を持ってきた男性看護師にも、「これに判を押させれば、あんたたちの思う壺なんでしょ。」「かかりつけでも検査は最低限にしてあげる、と言われているのに、どうしてこんなところで採血をしなければならないのか。主治医の説明を受けるまでは絶対しない。」などと言い張り、主治医の先生が直接採血に行ってくれたところ「これを採ったら退院できるのなら」と応じたそうである。嫌味を言われた男性看護師だが、私に「ここは某総合病院と違って、絶対21時~6時までは電話させませんから、先生その間は安心して休んでください」と言ってくれた。母は、絶対某総合病院で出された薬しかのまないので、主治医の先生と相談して、夕食にセレネース液を1mg混ぜて服用させることにした。とにかく休んでもらわなければならないし、少し落ち着いてもらいたい。実はここのところ、うちでも0.4mgくらいお茶に混ぜていたのだ。翌日行くと、セレネースの効果なのか、母は別人のように落ち着いていた。「退院したい一心であんたにひどいことを言ってしまった。主治医の先生にも本当にとんでもないことを言ってしまった。くれぐれも謝っておいてほしい」と言う。母に改めて、入院中に介護保険をつけたいし、また歩けるようになれば家に手すりをつける工事をするとか、そうでなければ介護のベッドを買うとか、車椅子を買うとか考えるので、回復の状態を見たい、でも家にいたまま布団から這って生活していたのでは、どんどん痛みもひどくなって悪くなる一方なのだから、とにかく負荷を減らしてよくしようよ、と伝えた。母は、尿漏れのために使っている使用済み生理用ナプキンを悪いから、と言ってゴミに出さず、すべて私と姉に持って帰らせるのだった。本人も恥ずかしいのだろう、と私も黙って持って帰っていたが、他の用事でゴミ袋(一応、中は見えないし、1個ずつ封はしてある)を持ったまま詰所に寄ると、いきなり師長に袋を取り上げられた。「じゅびあ先生!先生がこんなもの持って帰って家で処分なさってるんですか!うちにはちゃんと捨てるところがあります!全部置いてってください!助手さんも困ってます!」師長は「これは汚れもの」「これは普通ゴミ」「これは間違って入ってる洗濯物」とほいほい分別して、ほとんど空になった袋を私に手渡した。母の所に戻り「師長さんにも助手さんにも怒られて全部ゴミ取り上げられちゃったから、明日からちゃんと出してね...。」と苦笑いして伝えた。私が「ゴミを出して」とただ伝えたら、母は持ち帰るのを嫌がっているようにしか思わないよね。なんか、スタッフの愛をじわーっと感じてしまった。ありがたかった。他の患者さんが突然ふらふらと個室に侵入し、母がいちいち相手をしてしまうので、週明けにはサムターンで中から施錠できるように、工事を事務と交渉します、とも師長が言ってくれている。お言葉に甘えて入院させてもらったけれど、母にとってこれ以上の療養環境はないだろう。多分、他のどんな高額な施設に入っても、評判のいい総合病院に入っても、こんな配慮はしてもらえない。マニュアル通りの対応でお愛想だけ、じゃなくて、心底母がどうすれば気持ちよく過ごせるか、スタッフの方からいろいろ考えて、提案してくれる。私の勤務先だから、なのであるが。少しずつ、母にもそのことは伝わっているようで、日に日に表情は柔らかくなってきたように思う。
2008年12月14日
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細かいお金の話が多くなったり、被害的になったり、床の上が紙袋だらけになったり。転移性脳腫瘍による症状が着実に進んできていることを、肌で感じていた。「こんなに何もできなくて、ここにいていいのかしら」と、母は朝から私に確認しようとする。「こんなに何もできないと、施設にでも行くしかない。でもいい施設はとんでもなくお金がかかるでしょう。私は家を建てたり、あなたたちにお金を遣ってしまって、もうそんなお金がない。」「介護保険でなんて、そういう施設と高い施設では全然扱われ方が違うとテレビでやっていた。私は、一番高い施設にしか行きたくない。」朝、出勤前に子どもを追い立て、そんな話を聞かされながら、ごみを出したり、夕食のお米を研いだり。それでも、それだけなら入院はさせなかったかもしれない。外来の予約が枠よりオーバーしている日、私はいつも30分早く出勤して、30分早く外来をスタートする。看護師はどうせスタンバイできているし、一番を取りたい患者さんは1時間も前から病院に来ているので、たまにカルテが回ってくるのだけが遅いことはあるが、まあ大体問題なくやれるし、患者さんもそのほうが喜ぶからだ。ところが、先週、私が出勤しようとすると、母が言う。「イレッサが、ない!朝食後にどうしてものまなきゃいけないのに。新しくもらったのが、まだあるはずなのに!」母はここのところ立って歩けない状態で、キャスター付きの椅子に乗って移動している。母が1階か2階のどこかにしまいこんだ新しいイレッサのパックを、私が探すしかない。母があっちの引き出しの何番目だと思う、じゃあこっちの戸棚の左側かしら、そっちの角の紙袋かもしれない、といろいろ言う指示に従い、そこらじゅうをひっくり返して、ひたすら探した。20分後、何とか見つかった。その日の外来は時間どおりにしか、始められなかった。その3日後、朝起きると、1階のトイレの便座と壁の間で母が座り込んでいる。3時にトイレに起きた時も、洋式トイレに這って行ったが上ることができず、失敗した、その始末に1時間かかって寒かった、と訴える。私は何とか抱え上げて座らせようとしたが、力なしで全く動かせない。母と抱き合ったまま15分くらい、私もトイレに座りこんでいるだけだった。子どもを登校させ、自分の支度をしてから、もう一度試みようとしたが、母に「もういい」と言われた。出勤時間が限界に迫り、母をそのままにして家を出た。その日はPET検査が入っていたので、あと1時間すれば受診のために姉が来るはずだ。姉に、「到底自家用車には乗せられないので、すぐに介護タクシーを探して予約して。それからPETの前に、整形外科の初診を申し込んで。」と電話だけはした。母はPETの検査前は絶対病院に行かない、と言い張っていた。「病院へ行くと風邪をひくから。」「整形外科はPETが済んでからしか行かない。」「とにかくPETは大事で、これを逃してはいけない。」PETへのこだわりは強かった。どんどん歩けなくなっていくのに、受診しないなんて、と私も姉も言っていたが、こういう時の母に何を言っても無駄だ。母はその日、「PETが済んだら、夜救急車を呼んで整形外科に行ってやる。そうすれば入院させてもらえるはずだ。」と言い張ったが、さすがにそれは「心証悪くなるだけで、絶対入院させてもらえないからよしたほうがいい。」と止めた。いわゆる高度な医療を行う総合病院が、「動けないから」という介護理由の入院を受けるはずがないのである。ほとんど全体重を預ける母に姉と義理の兄で肩を貸し、引きずるようにしてケアタクシー(介護タクシーは既に予約が満杯だった)に乗せ、受診させたが、PET後12時間以内は周囲の人間が被曝するので受診はお断り、明日また出直せ、と整形外科が言う。おいおい、それじゃ一緒に家にいる私や子どもはどうなるの?送迎する姉は?被曝するって言ったって、終わった後患者は普通に待合室や、会計に座っているのよ?普通に外に出ているのよ?周囲の被曝が問題になるなら、12時間は入院させて遮蔽しとけばいいような気がする。それに診察だって、気になるなら防護服でも着てやってくれたらいい...。矛盾だ。姉も、そんな簡単に往復できないほど、動けない状態であることを訴えて、PETの時間を後ろに倒して先に整形の診察が受けられることになった。通常のX線上は骨折などはないが、MRIを撮ると何か出る可能性もある、だがPETをやるなら、まずそれでよい、と言われて結局帰ることになった。だが、そんなことは予想していた。私はその日出勤してすぐ、認知症など高齢者に対応する病棟に行き、病棟師長に相談していた。「個室、当分空かないよね。」「個室は、まず空かないですよ。」「いや、入院させたい患者はうちの母なんだ。私が家族として出入りするには、他の患者さんの目があるし、個室でないと無理だから。」母の病気のことは、職員の中でも常勤医師とごく親しい人たちにしか知らせていなかったため、唐突な訴えに師長はかなり驚いた様子だった。が、私が今朝トイレで座り込んだままの母を放置してきたことを聞くと、力強く言ってくれた。「じゅびあ先生、お手伝いできると思います。PETが終わったら、そのままいらしていただけばいいですよ。幸い女性が午後、1床空きます。そこで、何とかします。」姉には、受診が終わり次第こっちへ来るよう連絡した。家族の私では甘えてしまうので、主治医は他の先生に頼んだ。介護保険の申請をするにも、私が主治医で作成してはまずいだろう、と考えたのもある。母は17時を少し回ったころ、やってきて、「お願いします。いつもじゅびあがお世話になってます。」とすんなり入院した。師長も遅くまで残ってくれて、じきじきにイレッサのセットをしながら(薬価では1シート14錠で10万円近いのよね、なんて話しながら)、体温計は他の患者さんと一緒だと嫌でしょう、自分のをお持ちだからそれを使いましょうね、とか、食事はお部屋に運びましょうね、とか、お風呂も他の患者さんと一緒にならないようにしましょうね、とか、いろいろな配慮(はっきりと、特別扱いをしてもらっているのは分かっている...)を向こうから提案してくれた。だが、2時間後には、私の携帯に「どうしていつも出ないの!」と2分おきに怒りの留守電が入っていたので、こりゃ来たな、と思った。翌日6時早々、母から自宅の固定電話に電話がかかった。うちの固定電話は非通知を受けない。表示された番号は病院の番号だったので、出ない携帯に業を煮やして、詰所の電話を借りてかけたようだ。「とにかく帰る。あんたと家で話したいことがある。タクシーをすぐに呼んでもらう。お金をとられたのであんたの許可をもらわなくちゃ。イレッサも全部とられたので返してもらう。私は何年も自分でしっかりやらなきゃならないと思って、自分で忘れないようイレッサをのんできたのに!整形外科では骨は何ともないと言われて、もう痛くないし、看護師も見ているけどスタスタ歩いている。とにかくこんなところにいるのなら、死んだ方がまし。どこへでも出て行ってやる!一睡もできなくて、今朝は血圧もとんでもなく高いと言われて、頭もガンガンしている。」「お母さん、とにかく9時には行くから。こんな時間に病棟から出入りをしてはいけない。」「あんたがそんなことを言うなら、這ってでも必ず帰ってやるからな。もっとよく考えてくればよかった。あんたに騙された。私は○●×▽(一応伏せ字)なんかじゃない!」「とにかく、お姉ちゃんと、9時には行くから、それまで待って。」最後は「あんたとは、親子の縁を切ってやる~~~」という絶叫で、電話が切れた。あの体面だけは気にする母が、私が勤務している病院と分かっていて、職員の前でこれだけの電話をしてくる、ということは私が思っていた以上に病状は進行しているのだ、と凹んだ。直後、病棟の当直看護師からも「先生、お休みのところ本当に申し訳ありません。お母さまがどうしても退院するとおっしゃって、実は3時から...。入院時の採血も私はこんなところ退院するから必要ない、絶対こんなところではしない、とおっしゃって」と電話がかかってきた。母は、夜中の3時から「娘がまだ起きているはずだから、どうしても電話をさせてほしい。娘は朝早くいなくなってしまうから、今かけないと連絡が取れない。」と当直看護師相手に粘ったのである。3時に起きてるはずはないだろうし、子どもを学校に出す時間までは必ずいるし、朝早く家からいなくなるのは、そっちへ出勤するためなのだから、見当識が低下してしまっているのである。それでも当直看護師が、6時まではかけさせないよう(私を寝かせるよう)頑張ってくれたのであった。
2008年12月14日
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うちのしょこたん、餌箱の縁に両前足をついて、立ってご飯を食べます。でも、なぜか、そのまま爆睡していることがあります。辛いだろうに、両前足を突っ張らせ、直立不動で寝ています。後ろ姿はレッサーパンダみたいです。そして時々、ガクッと、前足を踏み外します。立ったまま寝ている姿を見つけると、つい期待してコケるのを待ってしまいます。どうして立ったまま、食べながら寝てしまうのだろう...。今までのうさぎの中で、この子が初めてです。かわいいです。なごみます。
2008年12月02日
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「寒くなったねえ。風邪なんかひいてない?」この時期の診察は、いつもそれで始まる。若干のバリエーションを加え、天気の悪い日なら「冷たい雨で、かなわんねえ」などが入る。基本的に夏は「夏だし、暑いし、しょんないわ」冬は「冬だし、寒いし、しょんない」春と秋は「季節の変わり目だから、調子も狂うよねえ」要するにいつもしょんないのだが。まるっきり中身のない会話をしているようで、実はこの時、患者さんの反応の仕方や反応のスピードが、普段と違わないか、観察しているのである。こういう時候の挨拶に、すっと乗ってこられるか、反応が鈍いか、共感できるか、さらに広げた回答が返るか、否定的な返答が返るか、それとも全然無関心で自分の話したいことを喋り出すか。普段、すっと「ねえ、ほんとに寒くなって」と返事をしていた患者さんが「...」と暫く無言なようなら、明らかに調子が悪くなっているのであり、場合によっては入院まで考慮する。寒いとか暑いとか、同じ地域に住んでいればほぼ最大公約数的に同じ感覚を持てることに対して、たとえ暑さや寒さが平気だったとしても、適当に合わせて返答ができるのであれば、その患者さんはそれほど調子が悪くないと見てよい。そういった意味で、私は診察中に冗談もよく言う。場合によってはちょっとブラックなものまで入る。ブラックなものはもちろんある程度付き合いが長くて信頼関係のできている患者さんに限るが。この間も高齢者施設で女性に付きまとわれて困る、入院したいと言う男性患者さんに「好みのタイプじゃないんだあ。好みなら、付き合えばいいだけだけどねえ」と言ったら、「先生、私らの歳で何言うんですか」と怒るもんだから、「イマドキ歳なんて関係ないさー、でも好みじゃないならバシッと断っちゃえ!それにしてもモテるんだねえ...よく見たらMさん、いい男だもんねえ。若い頃はもっとモテモテだったんじゃない?」て言うと、患者さんは笑って「そうですかあ?」←若干マト外れと帰って行った。たいていの診察はこんなノリなので、先生の診察は面白くて楽しい、と言ってくれる患者さんが多い。患者さんたちによれば、私の診察は一般的な精神科医の診察に比べて、かなり「明るい」らしい。だが、この他愛のない冗談に「馬鹿にしてるのか」と本気で怒りだす患者さんもいて、それはそれで、病状のひとつの判断材料にしている。冗談を、冗談として受け取れない場合、病状は結構深刻と考えていいのである。
2008年11月27日
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週末温泉に浸かってきました。今やってる昼ドラのロケ地にもなってる、いつものところです。なかなか厳しいです。母と旅行に行くのはこれが最後になるかもしれないです。ここのところ仕事の方も忙しくて更新が滞っていました。うちの病院は、地域の中ではとても薄給で、下手をすると倍、という他の病院もないわけではありません(この前書きました)。ところが今後は、救急を率先してやる、というような話が出てきました。救急をやってなかったと言っても、これまでも当院受診中の患者さんについては、夜間の緊急時の診察、入院を受けてきました。一般的な救急、というのは、まったくの新規の患者さんでも受ける、ということです。うちの病院は総合病院ではありませんので、夜間は検査技師も、X線技師もいません。つまり、精神症状を訴えてきた患者さんが、脳内出血だったり、肝性昏睡だったりしても、臨床症状だけで判断しなければなりません。普段診ていない、信頼関係もできていない患者さんやその家族を相手に訴訟になった時、どういったバックアップを病院としてしてくれるのか、という体制もできていません。普段いらしている患者さんなら訴訟になってもいい、誤診してもいいということではありませんが、明らかに新規の患者さんの方が、何が起こるか想像のつかない要素が多いのです。事務当直がたまたま重なってない限り、時間外は薬剤師もいません。医事課もいませんから会計も止まっています。給与条件も含めて、今のまま救急をやる、ということになると、誰も黙っていません。今は当直を積極的にやりたい先生も多いので、私は比較的当直を少なくすることが出来てます。しかし、救急をやれ、ということになると、「みんなやりたくないから、全員平等」ということになるのは、目に見えています。夜間救急の看板を掲げて寝ずの当直をしたとして、翌日は休むことができません。有給利用は認められていないので、決められた曜日と年末年始以外で休日をとれるのは年に4日しかありません(夏休みを薄めて使う形です)。学会へ行くことだけは、出勤日の代わりと認められますが、私のような家庭状況ではがんがん学会出張をうつことなんてできません。指定医でない先生が当直の日に新規の救急患者さんがやって来たら、他の指定医は住居が遠いので、片っ端から私が呼ばれることになります。...さすがに、それでは生活できません。今までも親子遠足とか、雨天順延になった運動会なんかは、参加できませんでした。参観会や懇談会も2回に1回です。学校行事では半日単位で病棟勤務を休むのですが、必ずその月のうちに振り替えで埋め合わせをします。外来の場合は当然、学校行事より優先しています。1日単位で使ってしまうと、もう借金は返済できなくなってしまいます。今の病院はいくつか素晴らしいな、と思っている点もあるので、金額だけではないから、と勤務を続けてきました。でも、この上に救急導入、ということになってしまうと、私と子どもの生活が破綻します。しかも、母の病状が思わしくありません。肺の方は問題ないようですが、ここへ来て多分、脳の症状が着実に進んできています。今年の春にも、一時そんな兆候がありました。ステロイドで脳浮腫を抑えてもらって、少し持ち直したのですが、何をしゃべっても被害的に捉えるので、子どもの前でもとんでもない喧嘩になります。イレッサの副作用で、足の爪が炎症を起こしているので、あまり歩けません。今回の旅行も、歩けないので観光はせず、御馳走を食べて、温泉に入って、のんびり過ごせばいいと思っていたのですが、「何もしないでいろと言われても、いようがない」と怒るようになってしまいました。出かけなくても子どもはインターネットでゲームなどをして、それなりに楽しんでくれるのですが、「家ではテレビばかり見ているくせに。ゲームをしていてテレビが見られない」と怒ります。子どもにゲームを止めさせて、母に好きなテレビを見るよう勧めると「そんなこと言われても、今何をやっているか分からない」と言い、テレビの番組表を渡すと今度は、テレビの前に座るのはきついと言って、テレビの見えない部屋の椅子に座ったまま動きません。「いつもはあんたたちが見ているテレビを適当に一緒に見ているのだ」と言うので、子どもが適当な番組をつけて、「図書室へ行ってくる!」と出て行ってしまいました。そうすると、「いつもは止めろと言ってもずっとテレビを見て動かないくせに」と怒ってしまいます。しまいには、「年末年始の旅行はあんたたちだけだから、楽しめていいわね」とひがみ出す始末。冬場は風邪やインフルエンザが怖いから人ごみには出ない、と母がここ数年自分で決めていることで、誘っても絶対に行かないんですけどね。足腰も弱ってしまって、ちょっとした段差が上がれなかったり、ゆっくりしか歩けないのを、「旅館の人は、どう思って見ているのかしら?こんなヨボヨボしたばーさんが来て、と思っているんじゃないかしら?みっともなくてもうあんたたちと出かけるのは無理だわ。」と決まって言います。トイレがかなり近くて失敗もあるのですが、尿漏れパットやリハビリパンツは嫌がって使いません。なんと、生理用ナプキン(当然高価な夜用)しか使わないんです。それでも移動中は早めにトイレへ寄るとか、食事に寄った店では尿意がなくても必ず最初と最後の2回トイレへ行くよう勧めたりして、工夫をして出かけています。和式トイレしかないところでも、洋式トイレのあるところを探す余裕がないので、そのまま飛び込むことになります。和式で一度しゃがむと、床に手をつかないと立てなくなってしまうので、私が中へ飛び込んで立ち上がるのを手伝います。母を立ち上がらせるには、私が母の前に回って抱え上げるのですが、便器と水洗のタンク、壁との間にそれほど隙間がないのです。もっと母の重心を前へ移せればいいですが、無理やり真上に引き上げようとしますので、なかなか持ち上がりません。母は腰を痛めた、とブーブー言いますが、本当は私もギックリ腰寸前、ちょっときてます。夜中も4回くらいトイレへ行くのですが、朝の4時半くらいに私とトイレでかち合うと大変です。何とかもう一度寝ようとしている私に、ずーっと話しかけてきます。長距離運転もあるし、温泉旅館でくらいゆっくり寝ようとしている私に、「部屋に時計がなくて、何時だか分からない」と時刻を訊くために何度も起こします。せめて温泉に浸かっている間だけでも、と思っていると、「もう少しでトイレットペーパーがなくなる!これでは朝みんな足りなくなるわよ!」と母が大騒ぎを始めたので、裸のままで飛び出して、どっちがペーパーを調達しに行くかでもめる子どもを「いいから、二人ともすぐ行きなさい!」と叱り飛ばしました。母は、ウォッシュレットのあるトイレでも、汚れがつかなくなるまでペーパーで拭いて、温水で洗って、さらに湿り気が完全になくなるまで拭くので、家でもものすごいスピードでペーパーが減ります。昼間は母一人しか家にいないわけですが、恥ずかしながら消費量が1日1ロールではありません。それは普通の使い方ではないよ、と言うのですが、「そのまま洗ったら、汚れが飛び散るから、そうやって使うのが普通。あんたがおかしい」と言って譲りません。休日のたびに子どもを連れて、持てるだけ、持たせられるだけのペーパーを買ってストックしています。しかも、足が痛くてスペアのペーパーを戸棚から出せない、まして夜使う2階のトイレに運ぶことはできない、と言うので、絶対にホルダーから欠かさないように毎日注意を払っています。夜中にもし2階のトイレットペーパーを切らして、下へ取りに行かせてしまおうものなら、翌朝出勤前にひとしきり、「足が痛いのに下のトイレまで行くのがどれだけ大変だったか」「そのために下着を汚してしまって着替えをしなければならなくなったこと」「さらにあんたたちのためにいくつペーパーを上まで運んだか」という話を聞かなくてはならないのです。トイレットペーパーがなくなる、ということは母にはものすごい恐怖のようです。患者さんの中に、ちり紙が大好きで集めている人は多くいますが、あれと同じ感覚なのかな、とも思います。旅行に行くと、部屋のトイレに置いてあるペーパー(たいていスペアもう1個くらいはあるのですが)では足りないことがほとんどです。母だけでいつも1日1ロール以上なので、4人でとてもとても、1泊2日2ロールでは無理です。1度くらいは宿の人に追加を頼みますが、それ以上は恥ずかしくて言えず、まして夜中には頼めず、人目を忍んで共用トイレからパクって来る怪しい客です...(もちろん、滞在中に部屋で使う分だけですよ!)。たえずトイレットペーパーの残量に気を配るだけでも、消耗します。私もここんところ、体力的、気力的にしんどくて、患者さんの前で笑顔でいるのがやっと、というところがあります。もともと気管支は弱い方ですが、ここのところ喉の炎症を繰り返していて、診察で喋るのも辛いし、夜もせき込んでなかなか寝付けないほど。こんな中で救急が増えたら、さらに当直が増えたら、いくら私でも無理です。今でも当直をすると、帰宅してすぐ、「子どもがいかにおばあちゃんの言うことを聞かなかったか」という話を2日分聞くことから、始まります。それがとても憂鬱で、この間ついに、子どもに「当直をすると、その後帰った時を思って本当に辛い。もう少しばあばの言うことをちゃんと聞いてくれないと、私は仕事を続けられない。」という話をしました。その話を聞きつけた母が「それじゃあずっと病院にいて、帰って来なければいいじゃないの!あんたは病院にだったらいくらでもいられるんでしょう!」と言いだし、私が当直の荷物をまとめ直して家を出る直前まで行きました。とても病院にはいられないので(行けば次々やることありすぎ...)、暫くホテルにでも泊まろうと思いました。子どもたちは「悪いのはお母さんじゃないよ。僕らが悪いんだ。」と大泣きしました。「病院に長くいたい」なんて全く思ってないし、そんなことは言ってないんですけど、母はそんな風に「被害的に」物事を捉えてしまいます。母は旅館ではあんなだったのに、帰りの車の中ではやたらに機嫌よく、運転の邪魔になるほど喋りっぱなしです。旅館ではあんなに眠くなくて、休めと言われてもすることがないだの言って、朝早くから起きてガサガサやっていたのに、帰ってくると荷物を広げることもせず、テレビをつけて眠くなったとソファでうとうとし、突然目を覚まして唐突に「この女優さん、きれいねえ」なんて話しかけてきます。返事をする気力もなくて黙っていると、今度は「お母さんにはみんな怒られてばかりだから」と言い出しました...。まさにリアルタイムで、たった今、です。明日の予約オーバーの外来を、どうやってやろうかな....。こういう時は早く出勤して、外来開始時刻を早くして待ち時間を短くするのですが、今日のうちから「足が痛いので残らずゴミを出していくように」と念を押されています。明日までに乾かなきゃいけない洗濯をしながら、ブログ書いてます....。せめて温泉旅行中くらいは、現実を忘れて過ごしたかったなあ。
2008年11月16日
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90代の施設ショートステイ中、という女性が、家族とケアマネに連れられてやって来た。大腸癌で下血して入院した他の総合病院を退院してから、日にちが浅いのに紹介状も持参していない。本人は寝たきりで家族の受付手続きより先に処置室に運ばれ、看護師がバイタルを測ってくれた。血圧も低いし、動脈血酸素飽和度も90パーセントを下回るほど。本人は声をかけても無反応で、もう意識が混濁している。全身土気色で冷たく、すごく素人的な言い方をすれば、「この人、生きてる?」というような印象。カルテ作成も済んでいないし、家族が予診(診察の前に、これまでの経過や家族歴、既往歴などをざーっと聞き出す。おもにワーカーさんが行う)にも入っていないので、先に出て行って、「全身状態が非常に悪いようだが、これは内科なり、退院した総合病院の診察を先に受けるべきではないか」と説明した。家族の記入した診察申込書には「ショートステイ先で大声を出し、これでは看られないと言われたため、精神科治療をお願いしたい」とあったが、この状態では鎮静をかけようもない。精神科病院では身体の詳しい検査を行うことはできない上、先日退院したという総合病院からの診療情報も全くない。まるっきり中の見えないブラックボックスなのである。その時間から予診でお話を伺い、先に精神科診察や検査、投薬を行うと3時間近くかかって、午後に入ってしまうため、総合病院への受診が難しくなるのだ。ところが家族とケアマネが、断固精神科診察と処方をしろ、と譲らない。この状態で、さらに鎮静がかかる向精神薬を使用すれば、さらなる血圧の低下と呼吸抑制が出現する可能性があり、使える状態ではないことも説明した。しかし、家族は退院した総合病院には止血してすぐ追い出されたので、絶対にもうかかるつもりはない、他にも以前から心臓疾患などで受診していた総合病院があったが、そこも認知症があるからと下血の時に引き受けてくれなかった、1ヶ月前に受診した老人病院では身体は何ともないと言われた(その後大腸癌で下血しているのだが)、などと言い、しまいには「お前は診察を拒否するのか」と怒りだした。退院後自宅では介護できないためあちこち施設を当たったが、ほとんど大腸癌のために断られ、現在のショートステイ先がようやく見つかった、その施設に看られないと言われれば行き先がない、それでも薬を出さないと言うのか、とエライ剣幕。施設の嘱託医が前日も安定剤を使ったが全く効かず、「精神科へ行け、ついでにそこで身体も診てもらえ」と言ったのだそうだ。ケアマネも、順番が違うことは分かったので、この後内科にかかるが、どうしても先に精神科診察をしてもらいたい、と粘る。...そういう問題ではないんですけど。大声もへったくれも、本人もう意識低下してきてるし。このままここにいたら(うちに入院したとしても)、死んじゃうよ。意を決して、強硬な態度に出た。これ以上の鎮静は本来必要ないが、家族の陳述を信用して向精神薬を出したとする。高齢でもあることだし、それを服用したことによって全身状態の更なる悪化、場合によっては突然死することがあるかもしれないが、当方は責任をとれない。ここで待っている間にも、急変する可能性がある。私は内科的なことは分からないので、当院では一切身体に関する対応はできない。それでも構わないという覚悟がおありになり、どうしてもとご家族がおっしゃるのであれば精神科診察を先に行う。一瞬家族は迷ったようだったが、その後施設の嘱託医(内科開業医。本来そんなところにかかるような悠長なレベルではない)を受診して、向精神薬の服用が可能か尋ねるので、とにかく大声が出ないようにしてもらいたい、診察と処方をしてもらいたい、と強く希望した。早く結果を出すために検体検査と頭部CTを先に行い、ワーカーが家族から話を訊いている間にも、さらに血圧が10低下し、下は測定不能に。動脈血酸素飽和度も60台まで下がってきた。怖い。「とにかく早く回して!本当にここで死んじゃうよ!」採血結果も90歳代とはいえ非常に悪く、本当に先日まで総合病院で手厚いケアを受けていた人なのかと思えるほど。なんていうか、もう大腸癌の末期だったのだと思う。急に興奮や暴言が出現したのも、意識が混濁し、ご臨終前のうわごとみたいな状態に入ってきたのだと想像する。身体疾患の悪化に伴う、せん妄の悪化である。施設もこんな人を看られないと言っているが、本人は寝たきりで徘徊もできない。他の入居者の所へ出向いて迷惑行為を行える状態ではもはやない。問題は産科医だけでも、医師の数だけの問題でもなくて、医療も、介護も、ここまで士気が下がっているのか。結局、一分でも早く家族を納得させ、身体科を受診させるために最小限の投薬をした。あの女性が実際にこの薬をのめることはないだろう、と思いながら。1週間後の予約には現れなかったから、やはりあのまま....だったんだろう。
2008年10月31日
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診察のたびに、私のことを「初対面」と言ってちっとも覚えてくれないおばあちゃん。CPUとキャッシュメモリはさくさく動いているので、一見しっかりして見える。一見で診察に訪れたら、ほとんどの医師は騙されてしまうのではないかと思うほど、ちゃんとした受け答えは自信に満ちている。「食事?ちゃーんと3食食べてます(実際は一日に何回も炊飯してご飯ばかり食べている)。」「私は一人で暮らしている。怖いから誰かと一緒でなくては出かけないし、道に迷ったこともありません(迷子になったことも分からず、誰かが自分を誘拐したと警察に飛び込んだ)。」「夜はちゃんと眠ってますよ。早寝早起きです。分からないうちに外を出歩く?そんなことは一度もありません。誰にも迷惑は掛けてませんよ(隣人が自転車を盗んだ、と夜中に外へ飛び出して行った)。」しかし、今日の日付、曜日を尋ねても「そんなことは、一人で暮らしているから考えたことないねえ。」と言うので、今の季節を問うと「もうすぐ、夏になるね。」一人暮らしで火の始末も覚束なくなって来たので、入院して病棟へ上がってもらったが、1分と経たないうちに同じ質問を繰り返す。一度は納得して、「そうかねえ」と頷いているのだが。パン食の日に突然、「私はパンを食べないから、おにぎりなら食べる」とおっしゃるので、心ある看護の職員が給食室へ走り、5分ほどでおにぎりを握ってきた。私はその様子を見ながら、「多分、おにぎり持って戻ってきた時には、覚えてないと思う...」と話して詰所で待っていた。案の定、看護の職員が息を切らしておにぎりを差し出した時、おばあちゃんは「ここでそんなこと言ったことはない!」と言い張り、そっぽを向いた。彼女の自信に満ちた態度は、自分が困ったこと、忘れてしまったことが何かすらも、覚えていないということに裏打ちされている。まるで配線が外れてしまったように、記憶がハードディスクに格納されるということがないのである。その場からその場へ、その瞬間瞬間だけを生きているおばあちゃん。そのおばあちゃんのセリフがツボにはまった。「私は若い頃結核をやってね。大丈夫かね。」「胸の写真を撮ってるからね。内科の先生に診てもらった。大丈夫よ。」「私、おっぱいは垂れとりゃーせん!」胸の写真はヌード写真ではなくて、前日に撮ったレントゲンであることをもちろん説明したが、「レントゲンなんて撮ったことはないね」と言われてしまった。このおばあちゃん、ユーモアもあって、憎めない。頑固だけれど、きっと生来の楽天的な性格なのだろう。感覚的に好きな患者さんの一人である。
2008年10月30日
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「どうしても、当直をやる先生が足りない。少し色をつけるので、どこでも都合のいい日を1日でいいからやってもらいたい。」とある病院の事務長に頼まれて、臨時で当直のお手伝いをした。何しろ、当直をやる医者が足りなくて、AAABBBCCAABCCB(A医師、B医師、C医師で2週間やりくり)みたいになっているのだから、行ってみてビックリだった。ほとんど呼ばれない、ということにもビックリした。行動制限の回診なんかも昼間にやってあって、夜行っても当直室にこもっている以外することがないのである。これはこれで閉塞感があり私のような人間には意外に苦痛。「あのぉ、私、ちゃんと来てるんですけどぉ。」と言いたいくらい誰にも会わず、看護スタッフにアテにされている感じも無い。当直日誌もえらい簡単な記載ばかりで、どうして当直のやり手がいないのか不思議なくらいだった。ひとつだけ、思い当たる理由があった。...この病院の常勤医の給与条件は、ものすごくいいに違いない。常勤医の本給がとんでもなくいいと、当直なんかで「一晩数万円のはした金」を稼ごうという気持ちにはならないはず。予想はしていたが、後輩のある先生が、給与明細を無造作に机の上に放置してあり、見ようと思わなくても見えてしまった。働く気をなくすから、見なきゃよかった。手取りがマジで私の2倍。こりゃあ当直なんてやる気にならないわ。しかも、その病院の1日平均外来患者数を、私はいつも半日で診てるんだよね。だはは...泣けるというより笑ってしまった。
2008年10月30日
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通常PCは、自宅でデスクトップ1台、職場でノート1台(職場のものには患者さんのデータが入っているので消去しない限り持ち出せず、病院に置きっぱなしである)を使用している。ノートにある患者さんのデータもイニシャルだけなので、あとから振り返って自分ですら、患者さんの氏名が思い出せないデータもある。2台のPCそれぞれで、マメにバックアップをとっていれば問題ないが、数か月忘れていることはよくある。私は「PCは基本的に壊れることがあるもの」と考えていて、いずれも3年保証をつけているが、3年超えたPCを信用しない(そこに載せたデータは、いつ消えても不思議はないと考える)ことにもしている。実際歴代のPCはいずれも3年保証で一回ずつ、修理に出ている。そのうち1回を除いて、ハードディスクは空っぽになって返ってきた。一番慌てたのは、ノートに自宅のデータをすべて移してからデスクトップ1台を修理に出して1週間後、ノートのほうのハードディスクも壊れた時だった。あの時はガリガリいいながら何とか起動していたので、手に汗を握りながら半日がかりでCD-RWにバックアップを取った。ここのところ家電の故障続きで散財したところだったが、4年半前のノートPCでWinXPが起動しなくなった。ちゃんと起動しないので、勝手に何回も再起動を繰り返し、電源ボタンで強制切断。むろんシステムの復帰とか、セーフモードでの起動とか、一通り試したが、そのうち電源を入れて起動もしないうちに勝手にダウンするようになってしまった。まあ大したデータを載せてない、遊びのPCでよかったわ、と思いながらも、「3台ないと不安...」と、新しいノートPCを注文した。医局にしても自宅にしても、どっちかが動かなくなったとき、修理期間あるいは新品納品までもすぐに代替機を用意しないと、仕事も生活もできないのである。医局のノートが2歳だし、自宅のデスクトップは1歳だし、ちょっと無駄遣いだったかな...と反省しながら、届いたPCをセットアップして、一応、自宅のデスクトップのデータをすべてコピーして、載せようとした。ところが、その時にデスクトップのDVDドライブが、検出されないことに気付いたのである。思い出すと去年、年賀状ソフトを載せて以来、そんなところは使ってなかった。「いかん、多分こりゃ修理だな」と思って、サポートに電話をかけ、指示通りの操作をしたが、やはりなんとかポート1、ノットデイフェクティド、と出る。仕方なくUSBメモリで何回かに分け、デジカメ写真やワードのデータを最新機にコピーし、デスクトップくんには修理に行ってもらった。やっぱり3台なくちゃダメだった...ほっ。せめてもの救いは、WinXPが起動しなくて電源のオンオフもままならなくなったノートの再セットアップをダメもとで試したら、なんとか初期状態に戻せたこと。回収廃棄に出すしかないと思ってたけど、これで買い替え下取りに出せるよ!それにしても最近のPCって、新しいのを買ってもすぐ使えるようになるんだね。昔はパソコン買い換えると、1日とか2日がかりで、データを載せ替えて、メールアカウントや入力を設定して、周辺機器を繋いでいちいちドライバをインストールして、ってやってた。説明書が間違っていた(外さなきゃいけないチェックを、外してはいけない、と書いてあった)ために、4時間かかってLANを設定したこともあった。PCの買い替えは連休に合わせないと、とてもできなかった。そのことを思うと、今のPCって、買ってそのまま使える、に近い。
2008年10月19日
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ある若い人気タレントの「できちゃった結婚宣言」がネットニュースを賑わせている。それにしても、芸能人、「できちゃった結婚」が多すぎる。まあ若い女の子が、仕事をしていて、人気も出て、ある程度稼ぎもあって...という状況にあれば、子どもでもできない限り「結婚するタイミング」を掴めないというのも分からないではないが。一応、仕事もしていて、スケジュールも埋まっていて、という状況で、周囲に迷惑をかけることが分かっていながら、どうしてバースコントロールをしないのか、っていうことも謎。私はバースコントロールの責任が、必ずしも男性側だけにあるとは思っていない。女性の側にも責任があると思っているのだ。私には男性側の気持ちは分からないので、あくまで女性の視点からだけ言わせてもらう。その時期に健康な(規則正しく月経のある)女性が性交渉を持てば、妊娠する可能性が高い、ということくらい、知識としてないのだろうか。分かっていて、バースコントロールしない(パートナーに協力を求めない)のだろうか?むしろ妊娠して、彼氏をつなぎとめたかったのだろうか?保健体育の授業を寝ていて聞いてなかったのだろうか?自分だけは妊娠しないと思ってるんだろうか?それとも、そんなことも見当つかないほどみんな月経不順なのだろうか、とまで思ってしまう。患者さんの中にも、もちろん「できちゃった結婚」をした人、過去にしていた人たちがいる。そういう人たちの話を聞いていると、やっぱり「できちゃった結婚」には否定的にならざるを得ない。意外に古風だと言われるかしらん?今時、婚前交渉を持つなんてけしからん、と言っているわけではない。ある意味、「性的な相性」というのも重要な要素だから、それが結婚してしまってから合わないとなると、生理的にヤバいだろうとも思う。そういうのって人間の本能に根ざすものなので、どうにも我慢ならない!ことがある(実際そういう相談も、よく受ける)。「今結婚しよう」と思い切る二人のタイミングに、「子どもができたから」という理由は、ないならないに越したことはない。たとえ元から結婚を前提にお付き合いしていて、いつ子どもができてもいい、と思っていたとしてもだ。赤ちゃんができたとか、できるとかいう要素は差し引いて、二人だけで、もしくはたとえこの先ずっと二人だけであっても、人生の同じ方向を見つめていこう、という気持ちの点で、「できちゃった結婚」は「できないうち結婚」にどうしてもかなわないような気がする。同じ相手と結婚するとしても、「子どもができたからその時結婚した」というより、二人の納得のいくタイミングという理由だけで結婚した方が、末永くうまくいく率は高いように思う。「できちゃった結婚」をすると必ず不幸になると言っているわけではない。「できちゃった結婚」で幸せを築ける夫婦であれば、「できないうち結婚」でも幸せに暮らしていけるだろう。だからできれば「できちゃった」要素は抜きで、結婚を考えた方がいいということ。「そんな要素は抜きで結婚を決めた」という「でき婚」夫婦でも、頭の片隅に全くそれがない、ということは普通考えられないから、勝手なことを言うとやっぱり「でき婚」には反対なのである。だいたい「できないうち結婚」をした末に離婚した私が言っても説得力全然ないよな(笑)。
2008年10月15日
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何らかの事情で食事が摂れなくなった時、末梢からの点滴を行うことが多いが、これで補えるのは水分だけだ。中心静脈栄養(IVH)であれば、高カロリーの輸液を行うことができるが、カテーテルからの感染などの問題もあるし、何より、消化管を通して摂る栄養には絶対に敵わない。消化管が長期に使えない状況であれば、もちろんIVHが第一選択になる。長期間にわたって食事が摂れないということになってくると、低タンパクなどにより褥瘡もできやすくなってくるし、どうしても腸管から栄養を吸収させる必要が出てくる。そうなると胃まで管を通して、流動食を入れるのだが、これには経鼻(N-Gチューブ)と、経皮(PEG)の二つの経路がある。N-Gチューブは、鼻から喉の奥を通して、胃の中に先端が届くように管を入れる。盲腸の手術後なんかに入れられた経験のある人も多いだろう。「消化管に物を入れてはいけない」状態の時は、唾液すらも邪魔になるので、必ずしも栄養剤を入れなくても、管だけ入れて留置し、排出させるのである。反射が強い人だと、唾液をのみこむたびに喉の奥で「ウエッ」となって苦しい。N-Gチューブは抜いてしまえばそれまでなのだが、誤って気管に入れてしまうケースがしばしば起こりうる。もちろん、管から空気を送って上心窩部の聴診をしたり、胃液が吸引できるか確認したりしているのだが、再挿入のたびに毎回X線を撮影するわけにもいかず(もちろんするのが望ましいが、いつも技師がいるとは限らない)、特に肺自体に喀痰が多い場合など、判別困難なことがある。反射の強い若い人なら、気管にこんな管が少しでも入ればすぐにむせるし、まず心配要らない。誤挿入が起こるのは、たいてい高齢者や、衰弱して反射が低下している場合である。管を入れた時点で気付けば問題ないが、そこに栄養剤を流してしまうと、重症肺炎をきたし、死に至る可能性もある。その結果、今は圧倒的にPEG(胃ろう造設)を行うケースが増えてきている。これは簡単に言えば、いきなり腹壁に穴を開けて、外から胃に管を入れる方法である(内視鏡的に行うので、外から穴を開けるのではなく、中から開けるのではあるが)。在宅で介護を行う場合、施設で介護を行う場合でも、比較的安全に栄養剤の注入ができるので(もちろん、腹腔内に栄養剤が入るなどの事故が絶対ないわけではない)、いい方法だとは、思う。昔、私の患者さんで引き継いだ時にすでにPEGになっていた女性がいたが、この女性、お腹に刺さっている管が何なのか、まったく理解していなかった。....何回引き抜かれただろう。PEGのチューブはバルーンを膨らませてあるので、簡単には抜けないようになっているが、それでも力いっぱい引っ張れば抜ける。何度かオペをしてくれた病院に再挿入を依頼したが、1週間に3回目ともなった時、明らかに嫌な返事をされた。簡単だから、自分で入れたらどうですか、みたいなことを言われたのである。しかも患者さんは、PEGの刺入部位をかきむしってしまうので、いつも浸出液とびらんでベタベタだった。彼女は、うつで食事量が低下したことでPEGになっていたが、引き継ぎ前の担当医の治療内容を見ると、薬物療法で最善を尽くした末とは言いきれず、本当に「もう口から食べられない」という判断をしてしまってよかったのか、疑問に思えてならなかったのもある。それが初めて付き合ったPEGだったので、以来私はPEGに対してあまりいい印象を持ってなくなってしまった。先日、しばらく診ていた患者さんの入所先施設が、「調子が安定しているから外来通院を止めさせたい、施設に来る嘱託医にまとめて診てもらうようにしたい」と言ってきた。「安定しているから来ません、困った時だけ来ます」というのは本来私の治療の中にはないのだが、相手が施設となると、いたしかたない。最近は介護業界も厳しい(潰れるケアセンターも次々ある)。限られた人員で介護をするのに、職員を割いて外へ受診させるのは、それはそれで負担が大きいことなのだ。仕方なく紹介状を書いて持たせたが、それから数週間後、施設から「本当に申し訳ないが、どうしても先生にもう一度診てもらいたい」と電話が入った。「患者さんの口のモグモグがひどくなってしまい、介助で食事を入れても舌で押し出してしまう。脱水で熱も出てきており、嘱託医にはPEGですねと言われた。だが、本人はまだ食事をする気持ち自体は持っており、家族もまだそんなすぐにPEGは...と躊躇している」というものだった。口のモグモグは遅発性ジスキネジアだが、原因薬剤の想像はついた。高齢者だから微量しか使っていない薬剤だったが、少量でも出る人は出るのだ。病状の変動に応じて私が半年ほど前に追加した薬剤だった。「原因はこれだと思いますので、すぐに抜いて新しく調剤します。PEGを入れるよう勧められているようですが、家族も二の足を踏んでいるなら、その結果を見てからにしたらどうでしょう?薬は完全に出ていくのにタイムラグがあるのですぐというわけにいきません。せめて、1週間、待ってもらえませんか?」数日後にはまだ食べられない、嘱託医の指示が切れた、と一度点滴に来たが、その後ぽつんと音信が途絶えた。大丈夫かな、と心配していたが、3週間後、彼女は施設職員に連れられて現れた。「もう介助なしで、自力で食事を摂っています」とのこと。こんなふうに、他の手を尽くさずに安易にPEG、という話が出てくるケースをちらほら耳にする。訴訟を避けるためや、介護の都合、医者の都合が優先されているケースも、少なからずあるんじゃないだろうか。自分が患者さんの立場でしっかり意識があったら、お腹に穴を開けて管を入れることをそんなにすぐに望むだろうか。もちろん、半恒久的に口から食事が摂れないことがはっきりすれば別だが。自分の胃袋の上にタトゥーで「ストップ、胃ろう!」とか、「他の方法はないか、もう一度よく考えて」とか、書いておこうかね、と他の先生と話題になった。
2008年10月06日
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さて、私の処方した薬をのみもしないうちから「こんな薬で眠れるか」と怒鳴った男性。その後音沙汰無いなと思っていたら、予約日にニコニコしながら診察室へ現れた。まるで怒鳴りつけたことなんて、覚えていないみたいに別人の態度だ。「何にも心配しなくていいから、これで寝てみてください、と先生のおっしゃったとおりだった。よく眠れてびっくりした。気分もよくなって、身体もすっかり正常です。食事も美味しくて、体重が2キロ増えてしまった。眠剤から抜けさせてもらって、本当に感謝しています。」...いや、それが私の内科医でなくて、精神科医たる所以なんだって。9割方あれで眠れるはずと自信はあったが、それでも正直ほっとした。しかししかし、「実はこの薬ものんでいました」と次々に出てくる、出てくる、別の医療機関の薬。吐き気止めとか、胃薬とか、痛み止めとか、いずれも「吐き気が出ないうち」「痛くならないうち」からのんでいるわけ。吐き気止めをもらっている医療機関で、調子がよくなったことを言ったら、「のんでものまなくてもいいんだけどね」と言って、同じ処方を出されたと言う。「これは、吐き気が出てからのめばいいです...吐き気がないのにのんでも、何に効いているのか分かりません...」男性は、眠れたことで私を信用してくださったようで、「分かりました、のむのを止めます」とあっさり薬をしまった。「あなたは薬の依存症ですね。心理的な依存。のんでないと不安だからのむのでしょう?薬はのめばのむほどいいわけではありませんよ。こんなに医療機関に通って、忙しくて大変ですねえ。私の方では、1種類の薬だけまたちょこっと減らしておきますが、あとは同じです。眠れて落ち着いていれば、次は1ヶ月後でいいですよ。何かあったら予約を電話で変更して、早めて構いませんから。」私も電話で怒鳴られたけれど、他の内科医療機関にもずっと同じようなことをしていたらしい。「この薬では気持ちが悪いのが治らない。今すぐ行ってやるからな!」etc.って...あらら。男性は、「随分内科の先生たちを困らせていたと思います...。あんなに言ったら、どこでも薬が増えちゃいますよね...」と頭を掻き掻き反省していた。私は彼の不眠だけでなく、彼の受診していたあちこちの内科の先生たちの精神安定にも、ちょっぴり貢献できたかもしれなかった(笑)。
2008年10月02日
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半年前、HI××CHIのサイクロン掃除機が吸わなくなってしまった。フィルターを掃除してもダメで、ノズルでフローリングを擦っても擦ってもゴミが残る状態。2ヶ月くらいは粘ったが、吸わない掃除機というのは、まるきりもうただの電力と労力の無駄で、致命的だと思う。そんな私に「吸引力が落ちない...」はめちゃめちゃ魅力的で、買い換えた掃除機はもちろんダイ○ン。音はさすがにちょっとうるさく、テレビが聴こえなくなるほどだが、吸引力はさすがで、ゴミがタンクで台風の目のようにぐるぐる回るのを見るのは気持ちいい。HI××CHIはゴミを捨てる時いちいちタンクを分解して、ブラシで擦り落とす必要があったのに対して、ダイ○ンはぽんと捨てるだけ。これで吸引力が落ちなければ間違いなくオススメである。炊飯器も半年くらい前からタイマーが壊れていた。コンセントを抜いてしばらく置くと、現在時刻がリセットされて勝手に8:30になってしまう。時計機能を守る電池が切れたのだと思うが、説明書を見ても本体を見ても電池を交換する蓋がない。修理に出せば直るだろうが、7年前の中級機種だし、「修理に出ている間」炊飯ができないので、その都度時計を合わせ直したり、「えーっと、今から9時間半後」と足し算したりして使っていた。だが、時々間違える。母など午前と午後の表示を間違えることもあって、おかずを揃えて食べようと炊飯器を開けると、「生米」。子どもの弁当の日に、朝起きたら時間どおり炊けてないこともたまにあった。次に壊れたのがオーブントースター。12~13年前の上位機種で、「バターロールあたため」「冷凍トースト」など今では当たり前の機能がいろいろついていて、長く現役を務めた。これも、タイマーが残り時間5分のところで勝手に電源が落ちてしまうのだ。朝急いでいる時に「チーン♪」と鳴ってもトーストが焼けてない。もっと悲惨なのは「餅」で、中途半端に膨らみかけたのがしぼんで固まっている。もちろんタイマーを+5分にして騙し騙し使っていたが、そうすると今度は焼きあがりが分からず、「チーン♪」と鳴るまで出すのを忘れていたりして、バターを載せるのにトーストが冷めてしまう。センサーグリルオーブンレンジはグリル機能が壊れた。赤外線ランプそのものが切れたのか、配線の接触不良か分からないが、とにかく焼けない。オーブントースターがあれば、当分レンジ機能だけで使えばよいと思ったがオーブントースターも不調。気のせいかレンジ機能も?で、冷凍御飯を自動で温めても芯が凍っていることが多くなり、冷凍食品のパッケージどおりに手動で温めても不完全で、追加の温めをしなくてはならないことが多くなった。まず、価格が安めのオーブントースターを買い替えた。だが、私はよく魚を焼くので(塩焼、粕漬け...)、パンと魚はあまり同じところで焼きたくない。パナソニックの最新フラッグシップ機種が3週間で半額(当初価格148000円)くらいに値崩れしているのを発見し、思い切ってスチームオーブンレンジを注文した。最初は私一人で重くてキッチンに上げられないし、近所の家電店でと思ったが、138000円と70000円(2台買えるではないか)では、ネットに軍配を上げざるを得ない。これ、パワーが違ってなかなか速い。速いので、粕漬けなんかを魚の浸焼モード(前と同じくらいの時間表示だったので、いいと思った...)で焼いたら1回目は真っ黒にしてしまった。幸い、粗大ごみの申し込みは当月末に滑り込めた。1軒1回3つまでの申し込みで、まだ吸わない掃除機を捨ててないことも思い出し、3つまでなら、と炊飯器も申し込み、慌てて買い替えを検討した。決められた日の朝、粗大ごみを出し、その日の午後に新しい炊飯器が届いたので、ギリギリだった。新しい炊飯器は、レンジと同じくらい奮発した。お米にこだわっているのだから、今度の炊飯器はいいのを買わなきゃ...。炊きあがりを一口食べた時、実は値段ほどは感動しなかった。食感や米の粒感がよく、シャッキリ炊けているが、甘くて粘りのあるご飯好きな我が家では、「思ったほど甘くない」だったのだ。ところが、おかずを邪魔しない、おかずによく合うご飯なのである。子どもが茶碗3杯ずつ食べてしまい、いつも半分近く残る2合では足りないほどだったから、さりげなく美味しい、上品なご飯だったのだと思う。甘味を増して炊くモードがあるし、季節に合わせて炊くなどいろんな炊飯コースがついているので、我が家に合わせたコースをこれから研究するつもり。さて、粗大ごみ。予約なんて要らないよ。8時半までに収集場所へと指示され、番号と日付を書いた紙を貼り付け、付属品もテープで止めて、8時15~20分に運んだ。私が出勤するのに車で前を通ったのが8時32分。私が出した家電ゴミは、跡形もなく何者かに全て持ち去られていた...。紙の隅に「よろしくお願いします」って書いたのに。収集日にそのへんに出しとけば、なくなるのだ。他はともかく、吸わない掃除機はどうかなあ。時々ゴミ屋敷の住人みたいな患者さんも来るけれど、そこから出てきたらちょっと嫌だなあ。
2008年10月02日
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大体このシーズンに病院である行事といえば「夏or秋祭り」「運動会」「バザー」「カラオケ大会」である。そんでもって、私は何故かカラオケ大会の審査委員長に抜擢されることが多い。これがとても憂鬱なのである。カラオケ大会では、各病棟やデイケアの患者さんから、平等に(同人数の)参加者が出る。別に予選があるわけではない。立候補制、早い者勝ちである。好きこそものの上手なれ、というが、確かに上手い人はいて、そういう人はカラオケが好きなので(上手いけど、嫌いと言う人はあまりいない?)、やっぱりすぐに立候補してくる。各病棟、一番目二番目に上手いような患者さんが、確かに出場する。しかし、何と言うか、正直上手い人ばかりではないのである。ちょっと聞くに堪えない...とっても凄い人もいるのである。聞くに堪えないのはいいのだが、カラオケ大会の審査員の辛いところは、そういうケースであっても、とにかくいいところを見つけて、褒めなくてはいけないことである。前の病院の某事務長はいきなりリアルな辛口コメントをつけていたが、あんなのはいけない。ちょっとこれはヤバい...という場合に、褒めるポイントがいくつかあって、声の大きさ、ノリ、堂々とした態度、何故か気合いの入った衣裳、高齢だけどお元気、などである。しかし、一通り使うと、どうしたって、出尽くす(泣)。それまでの人に使っていないパターンで褒め続けようとするのだが、厳しい。去年のカラオケ大会で、私がどういうコメントをしたか覚えている人がいないことを祈りながらやっている。審査員だから、一応採点もする。私は5~6人のうちの1人だから、1/5~1/6の影響力しかないのだが、私が受け持つ長期入院中の患者さんでおひとり、大変カラオケの上手な方がいた。これは、誰が聞いても上手いのだ(少なくとも患者さんたちの中では)。好きだから当然毎年出場するし、彼が歌えばもう一人舞台なのである。ところが彼が優勝すると、他の「我こそは」と思っている患者さんから苦情が出されるのである。「じゅびあ先生が、自分の患者さんをひいきしたから、僕が優勝できなかった。」そんなこと言われても審査は厳正に行なっているのだ!大体最後には、審査員代表特別出演で歌わされるのも恒例である。曲はいつもその場で決める。病院のカラオケが古かったりするので、最新の曲ではない。一部最新のカラオケが導入されることもあるが、若い入院患者さんたちが曲を取りあうので、そういうのは外して、なおかつその日誰も歌わなかった曲を選ばなくてはならない。あんまり暗くなくて、ノリがよく、妄想と結びつきにくそうな無難な曲を選ぶので、「TOMMOROW」とか、「My Revolution」とか、「ロマンスの神様」とか、「DIAMONDS」とかになる(世代が....)。なのに、マイクに向かって私が第一声を発すると、患者さんがシーンとしてドン引きするのである。私は声がでかくてよく通るうえ、歌詞の発音がクリアで聞き取りやすい。聴音やソルフェージュ、合唱団経験も長い(絶対音感の話を以前に書いている)ので、結構一般の中でもカラオケは上手いと言われる方だ。ちょっとしたバンドのボーカルみたいで、患者さんたちとレベルが違いすぎるから、本気で歌うな、と言われてしまうのだが、こういうのを手加減するのはとても難しい。もちろん、最後には一瞬の沈黙のあと、大変な拍手を頂き、特別賞になってしまうのだが、これはこれで心苦しい....。
2008年09月26日
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職場で、ある男性に陽性感情(平たく言えば好意)を抱かれているのに気づいた。時々私のブログを読んでくださっている方ならご存知だと思うが、私は一見「アネゴ肌」でフレンドリーなので、目下の人に頼りにされやすく、男女を問わず「憧れ~♪」とか「ファンです~♪」と言ってもらえることがこれまでもたびたびあって、その男性についても、あんまり気にしてなかった。じゅびあ先生と話すのは楽しいな、じゅびあ先生なら怒らないし相談しやすいな、と男性職員(医師でも看護師でもPSWでも事務系でも...)に思われるのは嬉しいことで、そういう好意は大歓迎。相手の方の気持ちが実際それより一歩進んでいるな、と私が感じたとしても、医局で与太話を話すのが楽しいとか、のみ会があった時にじゅびあ先生も誘いたい!とか、じゅびあ先生のことをもっと知りたい、自分のことを知ってもらいたい、もっと沢山話したい、とアプローチされるの自体は全然オッケーである。私もいい加減いい大人なので、そのへんについての距離感の保ち方は分かっているつもり。要はたとえ恋愛感情を抱かれても、それが、よいチームワークで治療をしたり、本音で言い分を語り合ったり、相手に恥ずかしくないようにと思うから頑張れたり...とにかく仕事にプラスに繋がる「想われ方」なら何人でもウェルカムなのである(利用しているとか、弄んでいるとか、魔性の女とか、言わないでください.....)。だいたい、私に評価されたくて頑張っちゃう男性なんて、カワイイではないか!しかし、今回の男性看護師の場合、ちょっと対応に困っているのである。本人はすごくいい人で、私の患者さんに何かあれば一番に報告をくれる。看護記録もすごく沢山書いてあるし、内容はちょっと変わってるけど、面白い。私が何か行動を起こそうとすれば「さあ、行きましょうか」とすぐ立ち上がって必要な器具を持って走ってついてきてくれる。詰所でみんなが忙しそうにしていて、私が「患者さんを呼ぶの誰に頼もう...指示をしたいけど誰に聞いてもらおう...」と躊躇なんかしていると、必ず「お呼びしますか?」「どうしますか」と目ざとく見つけて飛んできてくれる。私が病棟へ行けば必ず詰所のドアを解錠して開けてくれる。ちょっと面白いことを言うと、一番反応が早いし、大笑いしてくれる...。(自分で書いてるとここまでされて気づかなかったのがアホに思えてきた)頼りにもなるし、1年近く、その人はそういう人なんだと思っていたのだ。つまり、どの先生にも、そういう対応をするエネルギッシュな看護師さんだと思っていたのだ。ところが、最近他の先生たちに聞いてみると、彼は寡黙で、指示したことは「はいっ!」と黙々とやってくれる人だが、詰所にいて目立つ人ではないそうである。つまり、私が詰所にいる時だけ、テンション上がって、多弁になって、目立つのである。そういう話題になったのは、他の先生から「あれじゃ、じゅびあ先生のこと好きなの、バレバレだよね...」と言われたからなのであるが。その先生の観察では、私が患者さんの診察をしていると、彼はパソコンに向かっていても私の一言一言を頷きながら聞いているし、私が他の看護師と喋っていても必ず間に入ろうとする。私の一言一句聞き洩らさないようにし、一挙手一投足に注目しているのである。「じゅびあ先生注目されて辛そうだったから、間で彼に自分の患者さんの話とか、わざわざ振ってみたけど、上の空で聞いてないし~」って....あららら....。実のところ彼の態度がちょっとエスカレートしてきて困っていたのである。私の患者さんの担当看護師を(多分)買って出たり。看護記録の中で、「★☆(患者名)さんに『結婚してるんでしょ』と言われたけれど、ハズレです。」とアピールしてたり。夜勤明けに送られてきた実務に関するメールに、普通に返信したが、最後に「夜勤お疲れ様でした」と書いたら、「メチャクチャ嬉しいメールでした」とまた返ってきたり(その時は情けないことに意味が?分からなかったのである)。私と気の合う病棟看護長がマシンガントーク(例の可愛げ、の話である)をしていたら、彼はずっと後ろに立って、私に話しかけるタイミングを掴めずに困ってたなあ(実は彼が話しかけるのをブロックするために、看護長と話し込んでいたのである)。この間は、わりと安定してて、そうそう新しい治療方針、治療戦略を次々打ち出せない患者さんについて「●●さん、どうします?」と隣に来て座りこんじゃった。彼はニコニコと私の隣に座っているが、私が目新しい治療方針をひねり出すまで、立ち上がってくれないので、私はとっても苦しいのである。それを1日おきにされても、ねえ...。彼が近くに座っていて困る、というより、その時の周囲の目が気になってしまうのだ。詰所の隅っこで二人固まって、周囲から遠巻きに見られているような、注察妄想に陥りそうだ。彼と沢山喋ってしまうと、看護長さんや今日のリーダーさんとも同じくらい世間話を喋らなきゃいかんかな、と思ったり、今度はタイミングを見て彼以外の看護師に用事を頼まなきゃ、とか思ってしまう、私は強迫的な人なのだ。そんなこんなで、ここのところ「あの病棟」にいる私はかなり挙動不審になりつつある。看護師同士、というのは独特の団結力、同盟意識がある。医局と看護部は独立しているから、医師は看護師の上司ではないけど、看護師は医師の指示で業務を行う立場なので、現実には上司的な見方をやはり、する。そんな中で、彼の気持ちを拒んだら、「じゅびあ先生が××さんの気持ちを傷つけた」とか、「実はじゅびあ先生がパワハラしたんじゃないか」とか、思われたらどうしようと、余計な気を回してしまう。もし彼のことを好きな女性看護師がこの中にいて、嫉妬心を向けられてしまったら、この病棟の看護師全員、私は敵に回すことになるんだぞ、とか。実際今の病院ではないが、「既に退職した男性医師が、ある女性看護師を妊娠させた末に捨てた」なんて話は看護師の間では掃いて捨てるほどある...。一応、彼はいい人だし、実務上頼りにもなるし、そこにいてもらわないと困る人ではある(他の先生の評価もそこは同じ)。一歩誤れば、彼も私も、今の病院にいられなくなる。私が余計な気を回すのは、彼を守るためでもあるのだ。私に気持ちを伝えたくてやってるんだったら、もうすごく分かってる!周りに分からないようにだけ、もうちょっとさりげなくやれんのか!困った私が、院長に相談するかも、とか思わんのか(できないけど)!そんなに私と喋りたかったら、1回くらいとんかつ定食割り勘でディナーしてもいいから、詰所じゃないところでいっぱい喋ってやるわい!やっぱり私の方が給料が多いから、払うべきなのか?いやそんなことをしたら彼のプライドが傷つくから、とんかつ定食くらいなら「ごちそうさまでした♪」と奢ってもらうべきなのか?ああ、それではデートになってしまうではないか!...なんて考えていたら、すっかり頭が痛い。彼にしてみれば、自分が日勤をしている時で、かつ私が病棟へ足を運んだ時以外は会えないわけで、施錠された扉1枚隔てて管理棟があることが分かっていても、用もなく医局へ行くこともできず、外来をフラフラすることもできず、ただひたすら、私が担当病棟へ来るのを待っているわけだ。必要以上に想いも募るわなあ。せめて来た時くらいは、少しでも沢山お話ししたい!んだろう。ちなみに私をこんな風に悩ませている彼は、私より結構年下のアラサーだと思う(正確な年齢は訊く理由もなく、知らない)。どっかで精神科医がヒロインの、そんなドラマがあったなあ。天海さんと藤木くんみたいにスマートでかっこいいイメージなんて、絶対ウソだからねっ。いやいや、私と彼はそんな関係にはなりえないけど!
2008年09月21日
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...眠れない時は眠剤をのまなければダメだ。そういう幻想にとらわれている患者さんは多い。時として、眠剤がなおさら睡眠状態を悪化させていることがあるにもかかわらず。私は、精神科医の中ではかなり睡眠薬の処方が少ない方の部類だと思う。本来統合失調症やうつ病があって不眠を呈している場合、大元の疾患の治療をするのが基本だと考えている。そちらを治療すれば、睡眠はおのずと改善してくる。睡眠薬で不眠を解決したとしても、それは一時しのぎ、生活リズムを作るためにすぎず、本当に解決したことにはならないとまで思っている。極端な話、眠剤なんていうのは、健康な人が疲れすぎて神経が高ぶってしまい、休むことが難しい時や、海外旅行の時差コントロールのために、単発で服用するからよく効くのだ。前医の処方をやむをえず引き継いでいる場合を除いて、私の処方では、ベンゾジアゼピン系の薬(眠剤+安定剤)が同時に3種類以上出ていることはない、と言っていい。本来、私が初診担当ではないのだが、昔とてもお世話になった内科の紹介で、「コントロール不能な頑固な不眠」の患者さんがやってきた。その先生からの名指しの紹介では、診ないわけにはいかないので、なんとか予約外来の合間で診察をした。紹介状にはもちろん、現在処方されている薬剤が明記されているが、実際にはさらに他の内科2ヶ所にかかっており、そちらでも処方を受けているようだった。患者さんはコレステロールと尿酸値も高く、そちらの薬も服用していた。メタボっている場合の不眠ではSAS(睡眠時無呼吸症候群)を疑うのが鉄則である。本人は内科で足してもらった眠剤で何とかこれだけは寝ているが、寝つきが悪い、寝た気がしない、昼間は眠いが寝るところまでいかない、などと話している。内科で眠剤を追加してもらうと最初は眠れるが、だんだん効かなくなってしまうのだそうだ。同席していた妻に尋ねると、夜の鼾がかなり激しく、日中は始終うとうとしている、と話す。SASの可能性が高かった。内科で眠剤数種類、安定剤、SSRIを開始されていたが、それらはいずれもSASには不向きだった。ベンゾジアゼピン系で筋弛緩作用の強い薬は舌根沈下を悪化させるし、SSRIは浅い睡眠を増やす傾向がある。SSRIをいきなり中断すると離脱症状が出て、後から信用されなくなってしまう可能性があるので、減量して残し、高齢者であることもありベンゾジアゼピン系の薬剤でなく、眠気の強く出る抗うつ剤を眠剤代わりとして処方した。万一多少認知症のせん妄が入っていたとしても、その薬なら悪さをしない。一般に精神科医なら抗うつ薬としてより眠剤としてよく処方する薬だ(内科医は通常出さないと思う)。そして内科から出されていた様々な薬物から、血圧、コレステロール、尿酸値を下げる薬だけを服用するように指示し、一通りの検査もオーダーした。そこまではよかった。夕方になって、他の患者さんの診察をしていると、先ほどの初診患者さんから外線電話が入っていると言う。私が電話に出るなり「睡眠薬が出ていない!これで今までの薬を止めろと言うのか」と怒鳴られたのである。彼によれば、診察時には言わなかったが、まだ他にも何種類かの眠剤をキープしているようで、「●●と××ものんではいけないのか。▽▽はどうだ」などと言い出す。診察時にも説明をしているが、SASの可能性や、「いわゆる普通の眠剤で、寝た気がしない場合の処方について」「高齢者が多くの眠剤を服用することの危険性について」もう一度電話口で説明し、とにかく不眠については、私の処方したものだけでまず様子を見るように伝えた。ところが彼は、「内科の薬で眠れてはいた」「やっとここ数日食事も摂れるようになったのに、これで今夜眠れなかったらどうしてくれる」「絶対にこれで眠れるのか」「こんな薬では怖くてのめん」「俺は薬を変えると眠れないんだ」などと大声の、しかも早口でまくしたてた。内科の先生は、その薬でコントロールできていないから、精神科専門のじゅびあ先生のところへ、と紹介しているのである。内科の薬でいいのなら、紹介は不要だ。一応、不眠については私の方がより専門だし、実際意外と不眠の治療は得意だ。人間というのは健康な状態でも睡眠の波があるものだから、3日続けて眠れなかったら、その時にどうにかすればよいのだから、あまり強迫的になるのは逆効果であることを告げたが、彼は電話口で「眠れなかったら明日すぐまた行ってやるからな」などと叫び続けた。まあ、十中八九、これまでの経験からも、自分の出した処方で彼は眠れるだろう、と思ったので、「この薬で眠れますから大丈夫ですよ。安心してのみましょう。」と伝えると、「今夜眠れなかったら、お前の薬なんかもうのんでやらないからな。」と電話が切れた。...まあ、それは好きにしてもらえばいいのだが。別に、もう来なくても、薬をのんでもらえなくても、私が困るわけじゃないんだけどなあ。「普通の内科の先生」が、次々に眠剤を出してしまった理由もよくわかった。でも多分、彼はあの薬で、数年ぶりによく眠れた、と次の診察に現れると予想している。今までの大多数の「頑固な不眠の高齢者」さんたちと同じように。
2008年09月18日
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子どもたちが通っている小学校には、意外に有名人の子どもとか、芸能人(本人が子役)が在籍している。ちなみに普通の公立小学校なので、転校してきたり、じきに転校して行ったりということが多いのだが。ある有名スポーツ選手の子どもが、娘と同じクラスで、隣の席だった時に参観会があり、その選手本人が私の隣に座っていたこともある。入学式の写真には一緒に収まっていたのだが、私はそういうことに疎いので、そのことに気づいたのは半年も後だった。題名を聞けば、かなりの人が「おお!」と思うようなテレビ番組に出演している子も登校している。...ちなみに、テレビで観る時(ハイレベルな子が沢山出演しているために、目立たない)以上に、一般人の中で見る実物はめちゃ可愛い。服装なんかも抜群に垢ぬけているし、ノーメイクでも眉毛なんかはお手入れしているだろうから、普通よりきれいに決まっているんだけど。そういう有名人とか、芸能人とかっていう人たちは、やっぱりそのへんの廊下に立ってるだけでオーラが違う(笑)。入学式の写真を後で見ても、有名人とその奥さん(写真慣れからしても、多分元モデルさんとか、一般人ではない雰囲気)の周囲だけ、ぽっかり人の隙間が空いている。大人はつい、「有名人の子」とか、「芸能人」が登校していると聞くと、見て見ぬふりをしつつ注目してしまうもの。もちろん、露骨にサインなんかを求める人を見たことはないけど、やっかみ半分の人、有名人宅に出入りしたくて取り巻きになっているお母さんたち、いろんな感情が交錯してる。子どもたちを見ていて凄いと思うのは「●★▽ちゃんって子が転校してきたよ!テレビに出てる子だよ。すっごく可愛いよ!」と報告するものの、その後はその子を当たり前に受け入れていること。家のテレビの前では「▽ちゃんだ!」「■×くんのお父さんだ!」と大騒ぎしているけれど、いざ学校では、普通にクラスメートらしい。大人に、こんなことはできないなあ、と思う。
2008年09月16日
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毎年、退院促進支援事業の絡みで、自分の担当患者さんの病状、行き先さえあれば退院可能かどうか...というようなアンケートへの回答をしている。いわゆる社会的入院を減らして、精神科の病床数をいくつまで減らすのかという目標設定の基準になるので、アンケートへの回答は、原則「まだ退院できない」という回答をすることにしている。私の入院担当患者数は26~30名くらいの間で推移している。常勤は一人当たり30名担当を基準とするのだが、私の場合30に届いていることは珍しい。最初は30だったが、長期入院の人がよくなって何人か退院したので、「固定客」は23~24名に減ってしまった(「~しまった」というのもおかしな話だが...)。まず第一に、自分でとった入院は短期(数週間~3ヶ月)で退院してしまうのである。もうひとつは、再入院してくる患者さんが少ないのである。さらに入院目的で紹介されてきた初診患者さんの身体疾患を見つけてしまい、総合病院へ送ることも、多いのである。家族関係や、職場関係がうまくいっていないなどの理由....つまり入院治療で効果を出せる可能性がない入院は、原則とらないのである(よくならない、ということを説明した上で、それでもどうしても休養させてほしい、という人を1週間とか、2週間単位で引き受けることは、ある)。ところが、引きが強いせいなのか、主義の違いなのか、入院患者さんを沢山キープしている先生、というのはいる。私が病床を空けても、そういう先生の患者さんがすぐ埋めてしまう。埋めてしまって動かない。埋めてしまって動かないと、入院相談の電話を私が受けても、「明日来て頂ければ、診察は致しますが、即日入院できず、お待ち頂く可能性があります」と説明せざるを得ず、結果として断ったことになる。電話なく連れて来られてしまった、即入院必要な患者さんを入れるところがなくて(そういう患者さんは保護室か個室が必要なケースが多い)、その「埋めている患者さん」の先生たちに頭を下げて頼みこむことになる。「ああ、この患者さんは無理ですから」とろくに話も聞かず遮られたり、明らかに嫌な顔をされながら部屋を譲ってもらったりするのは、私だって気が重い。そんなこんなでやっているのだが、入院患者数が膨らんでしまう先生は、たまに31~32名まで減っても、すぐに35名とか、37名になっている。で、初診を受けた先生が外来看護師やPSW、事務に手回しして、新しい患者さんを、私の担当日に入院させることにしているのである。もちろん、私の知らないうちに。「患者さんにはこう説明しました。PSWも承知しています。じゅびあ先生は今担当患者さんが少ないですからお願いします。」と事後承諾だ。こういうのが何名か続くと、手持ちの入院患者数(毎週表で貼り出される)が減ってくるたび焦ることになる。「じゅびあ先生は入院患者数が少ない」=「じゅぴあ先生は仕事をあまりしていない」と周囲から評価されているのではないかと、強迫的、被害的になってくるのだ。空床のない病棟へ行くと、ナースたちにまたよく言われるんだ。「●●さんは、だいぶ落ち着いていますけど、じゅぴあ先生はこのままずっとここにいてもらうおつもりですか?」PSWも言う。「じゅびあ先生、××さんは、介護が主体になっていますし、施設への退院ができるんじゃないでしょうか。」...いや、確かにそうなんだけど。家族のもとへ帰せる人はとにかく優先して、1日も早く退院させている。その方針は変わらない。だけど、どのみち家族のもとへは帰れない人(施設などへの退院)については、あんまり一気に減らしてしまうと私の入院数が減って、困るのよ。今月末までに、あと3人、退院しちゃうし....。最初は「うんうん」と聞いてすぐに動いていたのだけど、最近は「それって、私だけでなくて、他の先生にも言ってよね...」と言っている。ある看護長とその話になった時、「じゅびあ先生、最近、★病棟と、▽病棟でも、言われたんじゃないですか?」と訊かれた。「うんうん、そう言えば言われた。」「看護師はつい、言いやすいと言うか、実際動いてくれそうな先生に言ってしまうんですよね。はなから『ああ、この人は無理だから』って言うだけの取りつくシマのない先生には、あんまり言わないものなんです。」退院は、させる方が患者さんのため。なるべく入院させないで、外来で維持するのが患者さんのため。でも、「じゅぴあ先生だけ目立って入院患者数が少ない」という言われ方をするのは心外。このジレンマは、入院病床をもつ病院に勤めている限り、ずっと続くのかも。
2008年09月15日
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あるデパートで、帰り際にトイレを借り、3つ洗面ボウルのあるカウンターに自分のバッグを置いて、手を洗っていた。後ろから飛び込んできた人が、隣の鏡で化粧直しを始めたが、カウンターに置かれたバッグは、私のと色違いで、サイズも同じバッグだった。その後、もう一人トイレを済ませた人が、残りの場所で手を洗い始めた。カウンターに置かれたバッグは、やはり私と、化粧直しの人と、さらに色違いで、同じサイズのバッグだった。「うえっ」と思った末、思わず「皆さんお揃いですねー」と口に出そうになり、ぐっとこらえた。でも、残りの二人も、同じように思ったに違いない。
2008年09月05日
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今回に限り、これは患者さんの訴えではない。本当に起きていること。いや、信じてもらえないと私は患者と見なされて、精神科に入院させられてしまうけど。私の留守中(当然勤務中)、我が家に隣人がこんな書面を持って、やってきた。要は、「自分が総務局より免許を得て、無線局を開局した。」「●月×日~▽日まで試験電波を流す。」「テレビ、電話、ラジオの異常があれば言ってくれ。」という内容。それとともに、「問題なければ署名と捺印をしろ」という用紙を持ってきていた。母は何度か失敗があるので、私の留守中にこういった書面には、絶対署名捺印をしないことになっている(それで後から何回ケンカしたか)。何かの説明をしたいから、御主人がいつならいるか教えてくれ、お宅の電話番号を教えてくれなどという質問にも一切答えないことになっている(食い下がる営業マンに電話番号を教えてしまい、「電話してから来る」と言われたために、電話番号を変更するか、数日後からの旅行をキャンセルするかでもめたことがある。そんなことしたら空き巣に入られかねない)。私が帰宅して電話をすると、「形だけなので署名をしてくれ」と隣人が言う。とんでもない!だいたい、試験電波を流す、という書面を持ってきたのは、その日で発射を終了する日。そういったことをするのなら、開始前に持って来て、「いついつの期間、何時から何時まで毎日電波を流すので、ノイズが入らないかチェックして欲しい」と言うべきだ。後から言われても、「ちょっと変だったけどいつだっけ」「直接関係あるとも言えないし」ということになってしまう。しかも、我が家にはしっかり電波障害があったのだ。北海道から帰って以後、今、ブログを書いているこのPCから、何度も電話が混線したような、モゴモゴした音声が出るようになった。病院の新人看護師向けの講義資料なんかも作るので、毎晩立ち上げているが、ネットは常時接続だから、ネットからなのか本体からなのか分からなかった。子どもが寝てからなど、ボリュームを絞っているが、それと無関係に入ってくる。ウイルスにでもやられたか、マジで盗聴器でも仕掛けられているのかと思っていた。それとも、心霊現象か。続くようなら修理に出さなきゃ、でも今使っているし...と悩んでいたのだ。それと、ここしばらく、謎のエアコン誤作動が続いていた。先週も、「知らないうちにエアコンがついてる」という母と「あんたがボケたんじゃないの」とケンカしたが、その後私の寝室のエアコンが、朝になると「故障中」になっていた。室外機も、フィルターも異常なく、最終的にコンセント差し直しで直った。ここのところ天候不順だから、雷でも拾ったのかと思っていた。実は短期間に電子レンジと車も不調になっている。PCの音声以外のことは隣人に言わなかった。PCの音声のことを言うと、「実は、マイクで話すとうちのデスクトップからも声が出ていた」と言い出す。「当然何も異常はないだろう」みたいな態度だったのに!隣人は今からアンテナの高さを調整して、フィルターをかけるので、ノイズが出ないか確かめてくれと言う。しかたがなく5分ほど出ないことを確認させられて、サインしてしまった。ところが、その夜、またエアコンが急に停止。故障を示すランプが点滅。夜中の3時にそれに気付き、電波のせいかと思うと頭が痛くなって眠れない。コンセント差し直しで、また復旧する。朝7時前だったが、「何かあったらすぐに連絡せよ」とある番号に電話をして隣人を叩き起こし、昨日の用紙を持参して署名捺印を破棄させて欲しいと要求した。ところが隣人は、昨夜PCのチェックをして以降、電波は出してないからそれは関係ない、家電への影響なんてないはずだと言う。寝室のエアコンを見せてくれと言われ、お断りした。向こうが電器会社を呼んで調べるというのも、「そんなのはこっちですることだ」とお断りした。だいたい、いつも再現されるわけではないのだ。電波障害の調査を依頼する文面が、試験電波発射開始前でなく終了時に来たこと、それでいきなりご近所に署名しろと言われれば、明確な根拠がない限り署名せざるを得ないこと、その時電波を出しているか出していないかなど、外から見て判断できず、今後家電などの不調があるたびに、こちらは「電波のせいではないか」と心理的不安にさらされ続けること、原因も知らされずPCから出る異常な音声についてかなり不気味で不安な思いをし続けたこと、などひとしきり文句を言った。隣人は「とにかく夕べはあれきり電波を出していないから自分は無関係だ」と言い張る。「では絶対にそのせいではないと言うんですね。もういいです」私は言い捨てた。どうしても署名を確保するつもりだ。仕方ないので、こう付け加えた。「私の方が納得できない限り、もう1軒の姉のほうには、署名させませんから。」...うちにはまだもう1軒身内があったのだった。あんまり頭に血が昇って、勤務中に鼻血が出た(笑)。ちなみにうちは地元では文教地区と言われる閑静な、でもかなり密集した住宅地の中。問題の寝室から外を見ると、すごいデカイ隣の鉄塔が1ヶ月前から目の前にある。だが隣人の、「地球の裏側の人と交信したい♪」という欲求のために、こっちがこんな思いをする理由はない。朝から他の先生や看護師をつかまえて、「隣が出した電波が入ってくる」「聴こえないはずの声が聞こえる」「盗聴器が仕掛けられているように思った」「隣は宇宙と交信するつもりみたいだ」「そのせいで頭が痛くて、イライラして眠れない!」などと訴えていたのだが、ふと気づいた。私の話していることは、字面だけならまるっきり普段よく聞く統合失調症の患者さんの話と同じだった....。この内容を、そのへんの病院に連れていかれていきなりまくしたてたら、出されるのは間違いなくリスパだ。本当にそうなのに、信じてもらえなかったら、と考えると、患者さんの気持ちが少しわかった気がした。同時に「患者さんのとこにも本当に電波が来てたのかも」と、突然これまでの診断に自信がなくなってしまった(笑)。
2008年09月04日
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同業者ならよく分かると思うけれど、患者さんの中には不思議に沢山結婚歴のある人(特に女性)がいる。海外ならともかく、5回くらいなんてツワモノもたまに見かける。もちろん、婚姻暦一度も無しという患者さんも多いけれど、一方で3回以上なんてのはザラだ。もう長年の病歴で家庭がしっちゃかめっちゃかになっているのに、何故かすごく辛抱強い、いい旦那さんが、親身に看てたりして、「愛があっていいなあ」なんて思ってしまう。こういう患者さんが来るたびに、看護師たちと話題にして、「先生面白い」とウケてしまうのだが...。「この患者さんは何回も結婚出来てるのに、どうして私は出来ないんだろう?」「この患者さんにあって、私に無いものはいったい何なんだ!私に何が欠けているって言うんだ!どうして私には愛が無いんだ!」「じゅびあ先生、再婚したいとか思ってないでしょう」「じゅびあ先生は自立してるから」「じゅびあ先生みたいだと、彼氏は出来ても結婚はねえ」「もう少し男性に依存しないと」別にあえて拒否的に再婚したくないわけではないです。チャンスがあればユアウェルカムです。結論から言えば、私に欠けているものは「可愛げ」ってことらしいです。
2008年08月27日
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今の病院に赴任した時、とても驚いたのは、「下剤でコントロール不能な便秘のある入院患者さんが多すぎる」ということだった。一般的に抗精神病薬は抗コリン作用があるので、口渇や便秘、おしっこが出にくい尿閉なんかがただでさえ起きやすいのだが、これまで勤めてきた他の病院に比べて今の病院には、「同程度の薬剤を使っていても何故か排便コントロールが難しい」入院患者さんが多かった。精神症状のコントロールがイマイチだった患者さんの数名にちょっと処方変更をした途端に、2名がイレウス(腸閉塞)を起こした。酸化マグネシウム3gにプルゼニド4錠、大建中湯6g、さらに水薬の下剤を毎日40滴使っても排便が確保できずに浣腸指示が要るってどういうことだろう、と思っていた。別の主治医の患者さんでは、酸化マグネシウムの使い過ぎで高マグネシウム血症を起こした人が出た、という話も聞いた。外来患者さんでは、このようなことはない。もちろん外来患者さんより入院患者さんの方が、処方量が多い傾向があることを考慮に入れても、ひどすぎた。私は、「これは食事に問題があるのではないか」と感じていた。病院側も気づいたようで、最近は「食物繊維パウダー」を食事に添加するようになった。その結果、毎日下剤液20~40滴使用していた患者さんたちが、0~10滴くらいで足りるようになったのである。患者さん用の食事には、食物繊維が添加されたが、職員用の食事は以前のままである。そして、やはり食事が問題であることを、私は身をもって知ることとなった。汚い話で申し訳ないが、私は生まれてこの方ほとんど便秘をしたことがない。上部消化管撮影をしても、下剤をのむ前に違和感なくバリウムが出てしまうほどだ。そんな私が、今の病院で連直(二晩以上の当直)をすると、トイレの水が真っ赤に染まるほどの大出血をしてしまう。当直が終わっても数日間、毎日トイレで決していきまないよう悩み、さらにうつぶせ寝をしなければならないので不眠に悩むのだ。1週間以内に自然と止血し、普通に生活できる。3回くらいそんなことが続いてやっと、当直時の食事が問題、と気づいた。連直のたびにQOL(Quality of Life)が下がるってどういうことだ。当直が怖い。今の院長はなぜか病院の給食をこよなく愛する人で、お弁当を持ち込んだり、売店で買ったものを食べていたりすると、不機嫌さを隠そうとしない。「給食をご用意してありますから、召し上がってください。先生たちの権利ですから。」できるだけこっそり食品を持ち込むしかないが、連直時は2日目まで賄えない。せめて患者さんと同じレベルの食事を、職員にも用意してほしい....。
2008年08月22日
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ニュースに出てる。逃避型うつ病、未熟型うつ病や非定型うつ病が、「新型うつ」として。仕事への意欲は低下しているけど、休職の診断書を出すと、友達と旅行に出かけたり、買い物したりは生き生きとやれる...という患者さんは、実際増えている。こういう人には薬の効き目は鈍い。それならそれで、カウンセリング...と言うけれど、「行きたくない職場に行きたくなるようにしてください」って、そんな魔術の心得はない。職務内容とか、配置とか、人間関係とか、職場と本来直接話し合って解決すべきことを、話し合いもできずに(話し合いを重ねてくる人も一部にはいるが、医師の診断書など、道具がないと話し合いができない率が、これまた高い。これをやってくる人は、わりと定型的なうつ病であることが多い)、「うまくやれるようにしてください」「仕事をやりたくなるようにしてください」「充実感を持てるようにしてください」...前にも書いたような気がするが、私なんてマークシートの医師国家試験に受かっただけの、そのへんのねーさん(オバサンという説があるが、気持ちだけはねーさんと言いたい)なのだ。そうそうみんながみんな、毎日楽しく、環境や人間関係に恵まれて、自分の仕事を評価されて、充実感を持って過ごせるわけがないのだが、どうもそう思っているような気がする患者さんは多い。その結果、定型的なうつ病の「自分を責める(自責)」タイプより「他人に原因があるとする(他責)」タイプが増えているのだ。こういう患者さんをよくするのは非常に難しいんだけど、よくならないならよくならないで、やっぱり他責的に「医者の治療が悪い」ってことになりやすいから、ますます行き詰まる。「先生みたいに、立派な仕事を持って、毎日笑顔で、明るく元気に働いている人には分からないと思います。」ってあんた、本当に私に何の悩みもないと思っているのかしら?仕事だから、いろんなことを押し隠して、患者さんの前では出さないでやってる。それがプロ(お金をもらって働く)ってものだからね。何はともあれ、ああいう記事が出ると、「私は新型うつ病です」って来る患者さんがまた増えるんだろうな...。それにしても、昨日から来ているローテート研修医。午前の外来は診察室で爆睡。午後の症例検討会でもコックリコックリ(上の医者は誰一人眠っていない)。あまりにも緊張感無さすぎ。昨日新入院を一緒にとって、「よかったら診てくださいね」と言ったけど、それは「よかったら」じゃなくて、「診ろ」って意味だぞ。提出するレポートのケース以外は診ないつもりか。ベッドサイドに一度も行ってない(今日の今現在)!今回は私が指導担当医でないから、それ以上は言わないが、私が指導医だったら絶対許さん。...ていうか私が指導医の時ってわりと当たりというか、やる気のある人が回ってくるのよね。
2008年08月12日
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例年、本読みと作文の苦手なうちの子どもらは夏休み読書感想文を書かないのだが、今年は「書くから課題図書を買って」と言い出した。読書感想文、読書感想画、理科か社会科の自由研究、工作のうち、どれかをやっていかなくてはならない(最低1個、2個以上が望ましい)と学校から通知が来たのだ。私が小学校から高校時代、夏休みに読書感想文を必ず1本書いたものだ。私は速筆だったし、1回どおり読んでいつも下書きなしで一気に書いていたが、不思議なことに大体規定字数どおりに完成してしまう。これは結構な特技で、親には出来上がった感想文に目を通させることこそあっても、手伝わせたことは一度も無い。それでいて、3年に1度は賞状なんかももらっていた。きっと大変だろうな、と思いながら、「必ず書くのね」と約束して、読書感想文の課題図書を2冊、読書感想画用の課題図書を2冊買った。さすがの私でも、同じ本を題材に二人の子どもに全く違う読書感想文を書かせるのはどう考えても難しいので、別の本でそれぞれ書かせることにしたのである。案の定子どもは嫌いな作文を後回しにして、感想画から始めた。感想そのものを絵にするのは難しいから、一番印象に残ったシーンを、子どもらなりのイメージで膨らませて、描けばいいだろう、と思った。私が勤務から帰ると、「色はまだ塗ってないけど、描いたよ」と子どもが画用紙を持ってきた。「がびーん...」娘は、本の表紙カバーを見て丸写し。息子のは、場面こそ自分で描いたものの、登場人物の顔が本の挿絵にそっくりなのだ。しかも力を入れて描いているので、鉛筆の跡に沿って画用紙が凹んでしまい、消しても直せない。「あんたたちさ、ポケモンの似顔絵を葉書に描いて、テレビ局に応募するのと違うのよ。本とそっくりに描けました、っていう賞をくれるんじゃないんだから...。それにこれは誰の絵?この画家さんの作品だよ。こういうの、盗作っていうのよ。この頃問題になってるでしょ。本に出ている絵と、全く違う絵を描かなきゃいけないの。」これを理解させるだけでかなりの時間を要した。やっとオリジナルの絵を描き始めたが、いつものことながら、絵が小さい...。四つ切画用紙に、まるでメモ帳にでも描くような大きさの人物や動物。それが、前後の重なりも無く、画用紙の上に、無関係に点在してしまう。「余白が多すぎる」「絵が小さすぎて迫力が無い」「一部はみ出てもいいんだよ」「だからってメインの猫の耳がはみ出しちゃったら、何だか分からない!」「マンガみたいに全部パッチリお目目でウインクさせるなって」「腕と脚が棒のようなのは、マンガだよ!」3時間くらい、二つの部屋を行ったり来たりしてわめき続ける私。見かねてA4の紙に、おおまかにこれくらいの絵を描きなさい、と構図や人物、動物のポーズを描いて渡したが、それでも私の見本の絵のサイズより小さく、四つ切画用紙に描いてしまう。どうにもならず、ついに画用紙3枚目。「これが最後の画用紙。もう描き直しは無いよ」と渡し、ついに画用紙に直接私が構図を描いた。私は決して絵が得意ではない。図画工作や美術は、体育の次に悪かった。それでも主な人物や猫、周辺の人物、本に登場する大道具小道具...鉛筆で軽く、うっすらと丸や線を描いて、「ここに、これくらいの大きさで、この枠いっぱいに描きなさい」とひとつひとつ指示。それでも「マンガになってる!」などと何回かわめいて、1時間後。どうにか鉛筆で下書きが完成。その後もいきなり先が磨り減って太くなったクレヨンで背景から塗りつぶそうとする娘や、絵の具をパレットの上で混ぜようともせず「生の色」をそのまま塗りたくろうとする息子を何度も制止。手前の人物と背景をほとんど同じ色にしてしまい、埋もれてしまったところを水で塗らして溶かして直したりするのはやっぱり私の仕事で。「絵の具は水をたっぷり混ぜて、薄い色から少しずつ様子を見ながら塗りなさい!」「そんな太い筆でどうやって塗るの!」「パレットの上に出して色を作るときは、一度に全部混ぜず、少しずつ混ぜながら塗るの!そうすると、色にいろんなところができて、上手に見えるの!」「ここがガラーンと空いてしまっているから、場面に出てくるはずのものを描き足してみなさい!」「背景は一色でなくてもいいの。地面と壁が違っていてもいいし、濃いところと薄いところがあってもいい。一色で塗ったら埋もれてしまうものがあるなら、変えて描く!」...3日、いや4日かけて、完成した。読書感想文の課題図書だって、1回読んだだけで「読んじゃった!」うちの子どもの読解力では、1度読んだだけで書けるはずがない。「最低でも3回は読め」と言ったら部屋に戻っていったが、「3回読んだ!」と降りてきた。「この話のどんなところが面白いと思ったか」をそれぞれ子どもに尋ねた。「青いティーセットを庭に埋めたのは、誰だったと思う?」「緑の妖精が埋めた。」「お花が子どもになったでしょう?それってどういう意味があるの?」「ううん、魔法は解けなかった。でもそのうち解けると思う。」全然分かってないよ、娘。確かに本に出てくる物語では、妖精が魔法をかけて、ティーセットを埋めてるけど、その物語のとおりに、庭を掘ると出てくる、っていうお話なのよね。「主人公が最初は嫌がっていた牛の世話をするようになったのはどうして?牛に対する気持ちは、どう変わった?」「可愛いから、やった。可愛いなと思えるようになった。」息子よ、それだけでどうやって原稿用紙3枚書くつもりだ。仕方なく、子どもが寝てから、それぞれの本について質問事項を書き出した。登場人物が、その気持ちが、そしてその人たちの関係が、それぞれ物語の場面でどう変わったか、を順序立てて箇条書きにし、質問を作った。1冊の本について、20項目を超えたが、この質問に答えて繋げれば、読書感想文の体裁をとれるだろう。翌日、子どもにその紙を渡して仕事に出かけた。帰宅すると、もちろん、びっくりするほど浅はかな回答も多々あったが、どうにか修正可能な範囲。とりあえず、原稿用紙3枚ずつ渡し、分量を見るために一番言いたいことは何かを決めて、書かせてみた。娘が「できた!」と持ってきた感想文は、原稿用紙2枚半だが、感想は最後の1行で、残りは全て本のあらすじ。それを元に赤鉛筆を入れるつもりだったが、元にしようがない。しかもその最後の感想1行は唐突で全く意味が分からない。「課題図書の感想文は、審査する人全員がその本を読んで、内容を知っていて読むの。だから、感想を説明するのに最低限必要なのを除いて、あらすじは一切、書かなくていい。あなたの感想だけを書く。」聞いていた息子が書きかけの1枚目を持ってきたが、やはり大半があらすじ。「次の日...」とかいう説明は要らない、と教えたが理解したかどうか。まだまだ読書感想文と格闘の日々は、続くようだ。夏休みの終わりまでに、できるかなあ...。私はもちろん、この8月になって1週間、忙しい合間を縫って本を4冊全部読んだ。読まなきゃ教えられないからね。私も今まで生きていて、一番本を読んだ夏かもしれない(笑)。
2008年08月10日
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これまでにいくつかの病院で、勤務をしてきたが、医局の冷蔵庫、というのは、どこでも大変恐ろしい箱だった。冷蔵庫自体の新しい・古い、きれい・汚いにかかわらず、あそこには見るのもおぞましい物体が入っていることが多い。...管理する人間がいないのである。医局秘書のいる病院であっても、「医者」が冷蔵庫に保存したものを勝手に捨てることはできないようだ。つまり、冷蔵庫にその食品を入れた医師が、自己責任できちんと管理しなければならないのだが、非常勤で1週間や2週間に一度当直に来るだけの医者が持ち帰るのを忘れたタッパーに入った「モノ」、コンビニで買って持ち込んだ惣菜などは、すぐに得体の知れない物体になってしまう。それ以外によくあるのが検食(病院の給食)についてきた、ゼリーやヨーグルト、牛乳など。手をつけずに返すのも何なので、とりあえず冷蔵庫に入れて、そのまま。入れた本人以外は、他の医師のものだと思うので、それきり触らない。何ヶ月も消費期限を過ぎて、ちょっと膨らみかけた牛乳のパックなんて、開けて捨てるには勇気が要る。...たいてい耐えきれずに私が捨てるのだ(笑)。横を向いて見ないように、鼻をつまんで。飲みかけで残りが2センチほどになったペットボトルが、ずっと入っていたり....。以前に勤めていた病院の事務が転勤して別の病院から、「当直が足りないので少しでもやれないか」と直接私に電話をくれた(さては私の連絡先を持ち出したな、と思ったが、よくしてもらった人なので別にいい)。それで、月に数回だけ、どうしてものところをお手伝いに行ったのだが、そこの冷蔵庫に入っていた最古の牛乳の消費期限が、去年の9月!今年の5月に切れた牛乳とヨーグルトも入っていた。絶対にゴミだが非常勤なのでさすがに勝手に捨てにくく、ドアを開けて見える方向に消費期限を向けて並べて入れ直してきた。誰か気づいて捨ててくれるといいのだが。そういう医局の湯沸かしポットのお湯なんて、いつ入れ替えたか分かったものじゃないから、お茶を淹れることもできず、いちいちペットボトルを買ってきて飲んでいる。去年の9月の牛乳か...全部飲んだら100万円、と言われたら飲めるかなあ。100万円なら、すごく飲みたいけど、絶対飲めないだろうなあ。1億円なら、飲めるかなあ。去年の9月が100万円なら、今年の5月のは10万円くらいかなあ。そっちだったら飲めるかなあ。....何故かそんなことを空想して、一人葛藤してみた。
2008年08月03日
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福岡でうつ病学会があったため、「はやぶさ」で出かけた。ブルートレインもどんどん廃止されていくご時世、この機を逃すと九州方面にブルトレで出かけることは二度とないかもしれない...。発売日にいつもの駅でキップを購入。一人旅、さすがに防犯上個室が取れなかったら新幹線か飛行機にしようと思っていたが、あっさり往復Bソロをゲット。復路のきっぷは発売時刻ではなく、夕方の購入だったので、マルスくんに「残席1」と言われた。車両の端だから揺れるだろうな、と思ったが選択の余地なし。...実際同じ2階でもかなりの揺れ(4番個室
2008年07月27日
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今日のタイトルは、ある先生からのリクエスト。こういう世界があることを、ぜひ書いて、とおっしゃったので、お応えすることにした。入院患者さんの間の歴然とした「貧富の差」。これは非常に切実な問題で、これによって精神症状が不安定になったり、起こす行動によっては患者さんの処遇が変更になってしまうほどの、大きな壁なのである。今回の場合、医療費支払いで各ご家庭が裕福かどうかという点を言っているのではない。入院患者さんのお小遣いの間にある、「貧富の差」の話。長期入院患者さんにとって、お小遣いの金額は死活問題だ。閉鎖病棟では一日の小遣いを一律に決めているケースもあるが、特に開放病棟では...。小遣いの金額、それにタバコ代を含むのか、タバコは別に差し入れなのか、電話代を含むのか、別にテレカでもらっているのか...。そういったものは当然家族の心づもりひとつなのだが、看護師が手渡すので、病院から支給されていると思っている患者さん、結構いる。1日の小遣いが110円(自販機1回分)、タバコは1日5本の患者さんが診察のたびに私に言う。「先生、小遣いを1日300円にしてください。せめてタバコを1日10本にしてください。」患者さんって言うのは、主治医の指示は絶対だと思っているわけ。だから、私が指示すれば、小遣いの金額が上がるとか、煙草の本数が増やしてもらえるとか、本気で思っている。医師が唯一小遣いの金額を決められるのは、家族からの預かり金はたんまりあるが、精神症状や糖尿病などで渡す小遣いを制限しているケース。とにかくもともとの銭がなければ始まらないのだ。「お小遣いとか、タバコとかは、ご家族がどれだけ入れてくれるか、で決まるのよ。私が自分の権限であなたに出してあげられるのは、薬だけなんだってば。タバコは、10本ずつ吸ったら、次に送られてくるまでの2週間は無しで我慢よ。我慢できないでしょう?」何回同じ説明をしただろう。しかし彼はなおも食い下がる。「●●さんは1日1箱タバコをもらっている。小遣いだって2000円だ。タバコは今日送られてきたはずで、無いはずがない。先生が指示すればそうなるはずだ。家族がというなら、先生が家族に電話してください。俺が自分で電話すると、家族は電話に出ない。先生がかければ、出るはずだ。」「ご家族はあなたからの電話だから出ないわけじゃないって。ナンバーディスプレイだったとしても、表示されるのは病院の電話番号なんだから、私がかけても同じ。」自分で言ってて、無駄な説明と分かっている。この患者さんの場合、一度は家族にお願いして、看護師が2日で300円渡したことがある。ところが数日後に衣類を届けに来た家族が、「そんなことを許可した覚えはない」と激怒したのだった。タバコをなんとか増やしてもらうことも「とんでもない。あいつにこれ以上渡すものはない」と一蹴された。そんなこと、彼に伝えるのもあんまりだが、仕方ないのでやんわりと伝えた。それでもなお「先生が決めればそうなるはずだ。先生の口一つだ。自分だけ、小遣いが少なくて病院からいじめられている」と彼は信じている。週に500円の患者さんなら彼よりもらっている金額が少ないのだが、彼はその受け取っている瞬間を見るだけなので「自分が一番少なく貰っている」のである。1週間の小遣いが500円の別の患者さんは、診察のたびに「小遣いを、お札でください」と言う。1度に1000円渡したら、2週間に1回になります、という説明をいくらしても、「そんなことないよー。毎週1000円出てくるよ」と譲らない。楽しみと言えばやはりタバコくらいだが、先日も家族から「タバコの消費が早すぎる。もっと吸わせないようにしろ」と看護師がクレームを受けた。C券の500円札、岩倉具視くん、少しとっとけばよかった。板垣退助の100円札でもいいのか(笑)。どうせ使うのは病院の売店なんだから、数枚あれば、後から500円玉と両替して、彼専用の院内日銀券みたいに流通させれば....。やはり小遣い週500円の別の患者さんは、自分より多少お金を持っている同室者にイ●ンで広告の品のインスタントコーヒーを買ってくるよう頼んでしまった。しかも、その買い物の帰り道、頼まれた患者さんが日射病で倒れ、救急車で戻り大騒ぎになった。インスタントコーヒーの方が毎日缶コーヒーを買うより安いし、たくさん飲めるから、と彼なりに知恵を絞ったようであるが、代金398円を返すことができず、トラブルになった。だいたいこういうのは、頼まれた患者さんも若干の見返りを期待して引き受けているのである。一番いいのは家族に買い取って持ち帰ってもらうことだが、家族は「そんなこと知るか。病院の管理の問題だろう」と言う。どうにか預かり金から出す、などということをしたら、次から味をしめてますます他の患者さんに買い物を頼むようになってしまう。結局翌週の小遣い500円から差し引いてコーヒー代を支払ったのだが、今度は金がないので他の患者さんにタバコをせびって、問題になった。一部の「裕福な」患者さんはタバコの1本くらい「おう、やるよ」と言ったふうで、何とも思わないのだが、そうでない患者さんは「あいつが盗った」「借りておいて返さない(足りなくて借りたタバコを返すあてなどあるはずがない)」と大騒ぎになってしまう。自分の貯金がかなりあって、自由に使える患者さんでも、院内での小遣いは週2000円で我慢してもらっている。病院だって資本主義社会、本来は自由にすべきだが、週2000円でも、周囲の患者さんにはかなりの目の毒、実際やっかまれている。誰が沢山お金とお菓子やタバコを持っているのか、患者さんは本当によく知っている。患者さんの社会性を考えたら、閉鎖病棟より開放病棟で、自由に買い物ができたほうが、いいに決まっている。でも診察のたびに、小遣いを110円からせめて200円にしてくれとか、タバコを5本から10本にしてくれとか、そんなことで何十分ももめていると、「今日のところは私が100円(またはタバコ1本)あげるからこれで1週間看護師にも不満を言わず黙っといて」と言いたい気持ちになる。言わないけどね.....。
2008年07月18日
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ローテート研修時代はなんと全科当直をやっていたけれど、精神科に入って以降すでにいくつもの精神科病院の当直をやってきた。当直環境や条件は、非常に様々で...過酷なところもあった。ある男性医師:「僕はユニットバスって好きでね。当直室の風呂で、ほら、あの西洋風の、湯船にぶくぶく泡立てて入ってさ、垢を擦るといっぱい浮いて...あれを見るのが快感なんだ。」...先生、それは止めてください。私は曜日の関係で、必ず先生の次の日が当直なんです。それを聞いて以降、私はその病院で真夏でも風呂に入れなくなってしまったではないですか。とってもアブラギッシュで、夏場は当直室の冷房温度設定を最低の16℃に設定するあなた。しかも設定を変えず、翌日までスイッチを入れたまま。激しく寒いです。地球にも優しくないと思います。なによりあなたの入ったあとの浴室は、見るのも怖くて、ドアを開けることができません。普通の日は昼間に掃除が入るからいいけれど、連休であなたの後は最悪です。シャンプーやボディソープを、あなたは今も浴室に置いているのでしょうか。あなたの使った後は髪の毛やらなんやら、いっぱいボトルにひっかかっているのです。私物を置きっぱなしはよくないし、せめてさっと流してから出ましょうよ。家で奥さまに風呂の使い方が汚いと怒られるので、当直で一番ゆっくり入れる、とおっしゃいましたが....。だからって、朝寝坊したのにまた風呂に入り、医局の冷房を最低温度にして涼み、出勤してきた私とパンツ1丁で鉢合せ、ってどういうことですか。他の先生の中には、パンツ1丁すらまとわぬあなたと朝の挨拶をしてしまった方もいるそうです。医局は保護室ではありません....。その病院で初めて当直をした時、シーツや枕カバーに髪の毛がいっぱいついてて、驚いた。リネン交換が週に1回だなんて、気持ちよく当直できる先生は常に1人だけ(平日は曜日ごとに決まっていたから)。仕方がないので、自分の白衣を持って来て、上に広げ、コートをかぶって寝た。その次からは、バスタオル1枚とタオルケットを2枚持って来て、その間で寝た。荷物と洗濯が多くなって大変だった。後から赴任した女医さんが、自分の当直日にシーツを交換しろ、と事務に要求し、「あの女医はわがままだ、事務をなんだと思ってる」と大顰蹙を買った。交換は自分でしてもいいけど、せめて交換用のシーツを置いてだけほしい、と私は思った。結局その女医さんはシーツ交換日を自分の当直日に変えさせることに成功した。私は何も言えなくて、バスタオルとタオルケットを当直キットに入れたままだった。ちなみに、夜21時になると冷暖房が切れるのもキツかった。夏なんて、その時間に寝そびれたらもう寝られない。冬も、21時からその汚い布団に入ってないと凍えた。恵まれない環境での当直は、あまりコールがなくてもそれだけで消耗してしまうのです。
2008年07月17日
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精神科の教科書に二人組精神病(フォリアドゥ)、という言葉がある。親密な関係である二人(生活を共にするような親子、夫婦...)のうちの一人に幻覚や妄想がある時、もう一人も同じような訴えを持つことがある、そういうケースのこと。もともと精神病を持たない片方の人間が、たとえば結婚して精神病の親と離れて生活を始めた場合、まるで憑き物が落ちたように症状が消えてしまうのが特徴である。ある、初老期の統合失調症の女性を、入院でお預かりした。何十年もほとんど家から出ずに生活していたため、とりたてて大きな問題を起こさなかったが、今回は、隣の敷地で木の枝を切ったり、石を投げたりしてしまったのである。いらした時は、腕を振り回すばかりで、まったく話が通じなかった。一応話しているのが日本語とは分かるが、疎通がここまでとれないと、宇宙人と対話しているようなものである。女性の場合、幻覚妄想や著しく解体した思考を持ちながら、何十年も家庭で過ごした末、未治療で精神科病院に訪れることが割合多くある。圧倒的に男性より多いのだが、これは決して長寿なせいではないし、「座敷牢」に入れられていたわけでもない。話もほとんど通じないのに、単純型統合失調症といえるようなもので、家族の寛容度が高く、家の中の家事だけはきちんとやってきたなんていうケース。話を戻そう。この患者さん、当然病識もないし、自分で入院治療に同意するだけの現実検討能力がないから、娘さんを保護者とする医療保護入院となった。入院で治療を開始し1週間ほどで、拒絶的な態度はなくなり、多少はこちらの問いに答えてくれるようになった。家では半年以上入っていなかった風呂にも入れたし、髪も洗ってとかせたし、魔女のように伸びた爪も切らせてくれた。落ち着きなくうろうろすることもなくなって、椅子に落ち着いて座っていられるようになったし、自室を飛び出すこともなく休めるようになった。それでも「隣の土地の●●さんが」と突然話し出したり、「私はビジネスママなのよ」など意味不明な会話が半分くらいだった。本人は患者さんだからこんなものだが、いざ入院させてから娘さんが謎すぎた。着替えを頼めば、タンクトップや、マイクロミニみたいなスカートばかり持ってきた。一応初老のおばあちゃんなので、「えええっ?」とスタッフと目を丸くしたものだ。娘さんは非常にマメに面会に来るのだが、あの意味不明な会話をする患者さんと、長時間話し込んでいるのである。患者さんは時々意味なく娘さんの頬をぴしゃんと叩いたりしているが、それをニコニコと何度も「ダメでしょ」と両手でくるんでは離している。そんな様子を見ていると、突然娘さんが家族面談を要求した。「まあ、来た時よりは随分静かに落ち着けるようになったなあ。娘さんもそう思っているだろう。でも退院はまだ当分先ですよ」と説明しようとして面談室で対面した私は、突然娘さんに怒られたのである。「確かにうちの母はご近所に迷惑をかけました。保健所や役所にも言われて仕方がないから連れてきました。お風呂にも入れてもらって有難いと思っています。でも、ここへ入院させて動けなくさせられるとは思わなかった。前はもっと、よく動いていました。」誤解のないように言っておくが、患者さんは決して動けなくなっていない。もちろん入院時に若干鎮静をかけるという説明はした。食事・排泄・歩行も自力でしているし、ドアを開けてベランダに出てベンチに座り、ブツブツ独語もしている。ただ、うろうろ無意味に動き回ることがなくなって、一ヶ所に落ち着いて座っている時間が長くなったというだけだ。「この娘さんは、私たちと『正常・異常』の感覚が違う!」と気づいた。まったく話が噛み合わず、インフォームドコンセントがなんとか、というレベルの話ではない。つまりこの保護者である娘さんのニーズ(あるのかないのかよく分からない)と、私の提供できる治療というサービスが、一致することはないのである。さて困った。これでは退院させても、外来治療にものらないだろう。何しろこの娘さんは本当には困っていなくて、近所や役所に言われたから連れてきただけなのである。治療としては全く中途半端だ(まだほとんど軌道に乗っていない)が、退院にするしかなかった。看護の職員に尋ねると、やはりこの娘さんとの接触性に違和感があったと言う。病棟の説明をしても、聞いているのか聞いていないのかわからないような感じで、共感性に乏しかったのだ。数日後に改めて迎えに来て退院、とあいなったのだが、それを聞いた役所が血相を変えて「どうして退院させるんだ。市長同意(保護者になりうる身内がいない場合に使う)で何とか継続できないのか」と電話してきた。入院前は年金のことなどで、毎日のように役所に押し掛け、意味不明のクレームをつけていたようなので、役所としては簡単に出て来られては困るのが本音なんだろう。以前にもご近所トラブルでこの患者さんが警察に保護された時、迎えに来るよう連絡しても、この娘さんは「別に大したことではないから、行く必要はない」と気にもかけなかったそうである。私はこの娘さんの印象を、ちょっと病的、ひょっとしたら発病しかけているのかもしれない、と感じていた。実際、患者さんと話をしているのに近かった。少なくとも、スキゾタイパルな人であることは間違いない。もしこの娘さんが、精神病であると診断されれば保護者として不適格ということになるから、市長同意に切り替えというのもありだろう。しかし、それにはこの娘さんがどこかへ受診して診断を受けることが必須だし、その診断は他医が行うべきで、私がするべきではない。入院継続を拒否した保護者に、「お前は精神病だ」といきなり主治医が言って、勝手に入院を継続した、とあっては、訴訟になってしまう。だいぶ役所には食い下がられ、しまいには保健所の保健師まで退院になるのが納得できないと飛んできたが、彼女の入院治療を行うには、何か刑事事件を起こして措置入院になるしか方法がないだろう、逆に微罪であっても、そのタイミングで持ち込むしかないと説明した。まあ、ご近所には迷惑だが、とんでもなく大きな事件は起こさないと思う。いっそ最初から娘さんなしで、「身寄りがありません」と来てもらえば、対応できたのだが、こればかりは仕方ない。この娘さんの感覚のズレ、が患者さんである母親に長年育てられた環境因なのか、それとも娘さん自身にある遺伝負因なのかは、わからない。「うちの母のいったいどこがおかしいのか、言ってみてください」とまで言われては、たぶん、二度と私のところに来ないだろうし。
2008年07月13日
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サミットのニュースを「去年行ったなあ」と思いながら眺めていると、マダム方が昼食会をしたという記事が目に留まった。...真狩村のレストラン。ユリ園を歩いている写真も、奥様方が並んでいる後ろに写る緑色の屋根も。子どもがカブトムシとカエルを捕まえて喜んでいたまさに同じ場所。みんなみんな、見覚えのあるところだった。日経「プロの選んだオーベルジュ」のトップ1にも輝いていたから、到底今年の夏は予約が取れないと思い、あえて外してコースを組んだ。...夏のご案内レターもせっかく頂いたけれど。ニュースを見ながら、子どもが、母が、「すごいところだったんだね」「また行きたいね」と話していた。残念ながら、これまで以上に予約が取れない店になってしまうんだろうなあ。サミットと、日経が憎いです...。
2008年07月09日
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東京(銀座~新橋界隈)に出ると、買うと決まっているものが、いくつかある。1.「ホテル西洋銀座」のパンドミー(食パン)うちの中では知る限り、ここの食パンが一番美味しい、飽きない、と言われている。イーストの匂いの強い食パンはうちでは論外。フ○ションのパンドミーの方が皮の香ばしさは上のような気がするが、ややフワフワしすぎてモチモチ感が物足りない。ロ●ションのパンドミーより値段は安いが、西洋のは食事パンとして存在を主張しすぎないところがいい。何枚でも食べられるくせのない美味しさ。カルピスバターはもとより、イグレックプリュス+(世界一の朝食で有名な神戸北野ホテル)のコンフィチュールとのコラボが絶品。テイクアウトで買ってこそできる贅沢である。2.「空也」のもなか(平日限定)有名すぎてわりと普通のおみや。上あごに皮がくっつかないところがいい。変哲のない普通のもなかだとは思うが、きちんと作ってある感じ。銀座で買う割に値段が安いのもよい。3.「たちばな」のかりんとう(平日限定)袋入りのものしか買ったことがないが、外から見ても割れや欠けがなく、艶やかなかりんとうがぎっしり入っている姿はそれだけで壮観。一般的なかりんとうによくある、黒糖のこゆい味とは全く違う味。2に通じるが原材料のシンプルさが潔い。4.「ウエスト」のチーズバトンとにかく子どもが取り合いになるほど好き。箱なし、袋入りを買うとお値打ち。大丸の中で帰り際に買うことが多いが、喫茶で食べる卵サンド(ぶっ飛ぶほど高いけど)も美味しい。5.「東京ばな奈」の「ゴーフレット」なぜゴーフレットか?日持ちがいいから。軽いのもよい。箱が子どもの工作の材料にもマル。なんだか唐突な話題ですみません。
2008年07月06日
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