森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2017.03.15
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カウンセラーの杉原保史さんの話です。

共感というのは、個人の境界線を越えて、あなたと私の間に響き合う心の現象、つまり、 「人と人とが関わり合い、互いに影響し合うプロセス」の事なのです。
ですから共感は、ただ相手と同じ気持ちになる事を指すわけではありません。
むしろ、互いの心の響き合いを感じながら関わっていくプロセスであり、それを促進していくための注意の向け方や表現のあり方などをさすものです。

共感するという作業にとって、自分の意見は関係ないのです。
あなたから見れば、 「この人の考えは未熟だ」 「この人の考えは明らかにおかしい」 「この人の考え方は、どう考えても破滅的だ」などといった事はあるでしょう。
それでも、さしあたり、そのことは脇に置いておきます。

相手がどのような思いを持ち、どのような気持ちでいて、どのような考えをしているのか、相手はできるだけ自由に、安心して、のびのびと話せるように、相手の思いをありのままに受け止めていくのです。
あなたは、 「共感できないな」と思うかもしれません。それでもいいのです。

その思いを我慢して押し込んでおくのではありません。
ただ、心に浮かぶままに放っておくのです。
そうして、相手が何を思い、何を感じ、何を考えているのかを、聞いていきます。

そうしているうちに、いつか、 「ああ、この人はこういう風に思っていたのか」などと相手の立場に立って理解できるようになってくるかもしれません。
実際共感できない自分の思いを放っておく心構えができれば、必ずそうなります。
あなたは共感しようと努力する必要は少しもありません。
ただ、いつの間にか共感している自分に気がつくだけです。
人の心は、そうなるようにできているのです。

さて、私たちは、 「自分の視点」を離れることがなかなかできません。
そして、ついつい「それは正しいことだ」 「それは間違ったことだ」 「それはやめた方がいい」 「それはいいことだ」 「それはおかしい」 「それは素晴らしい」などなど、自分の視点から評価したり判断したりしてしまいがちです。そこから離れることはとても難しいのです。
そのような評価や判断の活動を止めることが必要だと言っているわけではありません。


それでも、そういう頭の活動を放っておくことなら、心がけ次第である程度は可能だと思います。
自分の価値判断の評価や判断から離れ、それを放っておきましょう。
価値判断を留保した態度で、そのままに、ありのままに受け止める態度が受容であり、そこで感じられることに注意を向けて感じ取ることが共感なのです。
受容と共感を心より正しく理解すれば、たとえ本人が話したがらなくても、慎重な配慮を伴いながらも、少しおせっかいな姿勢で本人に接していくことも、当然ありうる選択肢なのです。

次に、受容するだけでは不十分です。相手に対して変化を促すようなサポートが必要になります。

例えば、学校へ行くのが恐ろしいと言っている青年がいるとします。
その青年と関わっている人が、青年の恐ろしい感じを受容し、その感じに共感することができるなら、その青年はほっとするでしょう。
しかし、関わり手が恐ろしさに共感して、一緒になって「恐ろしいね」と言っているだけでは、青年は決して救われません。さしあたりほっとするだけです。
共感があって、その後に何も生じないのであれば、青年は落胆することでしょう。

青年にとって、恐ろしさを共感してくれた上で、その恐ろしさをどう乗り越えていくのかを一緒に考えてくれる人が必要なのです。
話し手が、 「友達がいなくて淋しい」と言うのであれば、聞き手は寂しさに共感するとともに、どうやって友達を作っていくのかを一緒に考え、そこに取り組むよう働きかけることが必要です。
受験生の話し手が、 「焦って必死に勉強することは止められなくて辛い」というのであれば、聞き手は話し手の不安に共感するとともに、何が話し手を不安にさせているのか、不安の源を探るように話を聞いていくことが必要です。
そしてその不安を効果的に乗り越える、あるいは緩和する道筋を話し手と一緒に探していくことが必要です。
そして話し手は勉強以外の有意義な活動に楽しんで取り組めるよう、一緒に具体的に考えていくことが必要です。

ここで私が言いたいのは、聞き手が可哀想な話し手に変わって、問題を解決してあげるべきだ、と言っているのではありません。ほとんどの心の苦痛は本人にしか解決できないものです。
しかし本人にしか解決できないことだから、ひとりで取り組ませておけ、と言うのはあまりにも冷酷な姿勢だといえます。 1人ではできないこと、一緒に考えてくれる人が必要なのです。
たいていは正解など無い道のりです。人生の問題ですから。
一人一人、状況も、条件も違います。誰も正解を教えてあげることなどできません。
結局は自分で答えを出すしかありません。ですが、それを踏まえた上で、一緒になって悩んでくれ、孤独な道のりを共に歩んでくれる人が必要なのです。

最初から計画的に、共感すること自体を最終目標として掲げるような援助計画は、もったいないことです。
せっかく共感する所まで到達したのなら、それを土台として、その頭脳をなんとか違ったようにできないか、一緒に具体的に考えていく援助が出てくるのが自然だと思います。
「受容」 「共感」 そして「変化促進」 、この3つは、相互に手に手を取り合って螺旋状に深まっていくものです。
通常、受容と共感があって、その先に変化の促進が可能になります。
(プロカウンセラーの共感の技術 杉原保史 創元社より引用)

私たちの森田理論学習では、受容と共感、傾聴の重要性について学習しました。
集談会に参加した人の話を、価値批判なしに素直に聞く態度がまずもって大切になります。
相手の立場に立って、最初はなかなか共感が持てない場合であっても、相手のことを分かろうとする態度が重要です。
そういう姿勢で相手の話を受容していると、そのうち神経症で苦しんだ者同士で共感の気持ちも湧いてきます。
そういう受容と共感の気持ちを踏まえた上で、打開策を一緒になって考えてみることが、相手の期待している所ではないでしょうか。神経症から回復した人は、相手の悩みに対して解決の手助けができるような何かをつかまれているものと思います。
私の体験では、先輩の森田理論を生活面に応用された生き方にとても影響を受けました。
その人に身近に接することで、目標がはっきりと見えてきたように思います。





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