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玉野井幹雄氏は「目的本位」を次のように説明されています。この言葉は、生活の発見会では、症状本位とか気分本位という言葉に対して使われるようになったものです。神経症を克服する過程で、症状有無とか、気分の良し悪しを重視するのではなく、目的を達成したかどうかを重視するように指導したところから、「目的本位」という言葉が使われるようになったと記憶しています。神経症で苦しんでいる人は、苦しい境地から抜け出したい一心で集談会にやってくるわけですが、そのような人に対して、私たちはよく「苦しいままにやるべきことをやる」ように言います。実際にそうやっていると、ある程度症状が軽快し、苦しみも軽くなりますが、それ以上には進まないところにぶつかるものです。なぜかと言うと、「症状を治すことを目的にした行動」をしているからであります。なぜ、症状を治すための行動をしてはいけないのかと言いますと、神経症の症状というものは、異常ではないものを異常だと思い込んで、それを取り除こうとして悪戦苦闘しているものですから、もともと治す対象にしてはいけないものだからであります。ですから、それを治そうとすること自体が間違っているのであって、いつまでたっても治らないのが当然です。そこで治すことを一時棚上げして、他のことに精進するようになれば、自然に症状のことを忘れるようになって、結果的に解決するという性質のものであります。ですから、症状治しの行動をしている間は、けっして解決することはないのであります。(いかにして神経症を克服するか 玉野井幹雄 自費出版 32ページ)症状を治すための行動はどんなことになるのか。例えば掃除をする場合、部屋の中を綺麗にするという目的が希薄なために、不十分な掃除になります。後で他の人が掃除のやり直しをするようなことが起きます。その人に掃除を頼まなない方がよかったということになります。また症状を治すためには実践課題を作ってそれに取り組むことが有効だと聞いて、今まで奥さんのやっていた掃除、洗濯、食事作りなど家事一切を自分の実践課題にしてしまった人がいました。奥さんの生活リズムがくずれてしまいました。またやることなすこと手抜きが多くて傍で見ているとイライラして夫婦喧嘩が絶えなくなったということです。治すための行動は注意や意識が行動内容に当たっているのではなく、自分の症状が軽快したかどうかに向いているのです。ですから行動そのものは問題だらけということになります。森田でいう行動とは、日常生活の中で、必要なときに、必要に応じて、必要なだけの行動を心がけるということです。そのためには規則正しい生活習慣を作り上げることが効果的です。何も考えなくても自然に体が動いてくるという状態に持っていくことです。河井寛次郎氏のいう「手考足思」の状態に持っていくことです。そうなれば前頭前野は休息状態となり、頭頂葉や側頭葉が盛んに活動してくれるようになります。
2024.10.15
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医師の井出雅弘氏のお話です。患者さんのなかには、カウンセリングを受けたあと、「何もアドバイスしてもらえなかった」と不満や物足りなさを覚える人もいます。そうした印象を持つ人の多くは、カウンセリングを身の上相談と同じようなものととらえているようです。しかし、心療内科で行われるカウンセリングは、回答を出してくれる身の上相談とは基本的に異なるものです。カウンセリングの目的は、患者さん自身がそれまで抱えていた心理的な問題や自分の性格的な歪みに気づくことによって、同じ過ちを繰り返さない自分になることです。カウンセラーは患者さんが今までの考え方や行動の誤りに気付いてもらうためのお手伝いをしようとしているのです。行動や考え方の修正のアドバイスをするのが目的ではありません。主体はあくまでも患者さんです。カウンセラーに神経症を治してもらう。生きずらさを軽減してもらいたいと思っていても目的を達成することはできません。人間性の誤った認識について知りたい、正したいと考えている人にとっては役に立ちます。(自律神経失調症 井出雅弘 PHP文庫 140ページ)自分の抱えた問題の解決のためのヒントを自ら掴むというのは森田理論学習の基本だと思います。森田理論学習が受け身になると、気づきを得ることは困難です。森田理論に詳しい人の講話を聴く。自ら生活の発見誌や森田関連の本を読んで森田理論の学習を行う。集談会やオンライン学習に参加して学習を続ける。それが一方通行になると、猫に小判、豚に真珠のようなことになる。気づきを得るためには、森田理論と自分の考え方や行動パターンを突き合わせてみることが必要になります。双方の違いを発見することです。違いが見つかると、それが認識の誤りという気づきにつながります。森田理論は森田先生を始め、先人の知恵が詰まっているのです。そして集談会には学習仲間がいます。いわばその人たちがカウンセラーの役割を果してくれています。私たちは自分たちが主体となって、森田理論から気づきを得る。自覚を深めるようにすればよいということになります。私たちは森田理論に出会う前は、神経症の成り立ちが分からなかった。神経質性格はどういう特徴を持っているのか分からなかった。感情に法則があることは全く分からなかった。不安の役割や特徴、不安と欲望の関係については何もわからなかった。行動の原則については考えたこともなかった。観念中心で事実を軽視する生き方が葛藤や苦悩を招いていることが分からなかった。人間関係についての考え方が甘かった。子育ての基本が分かっていなかった。仕事をするという意味について考えたこともなかった。森田人間学が取り扱っている分野はとても広いものがあります。その一つ一つについて気づきや発見を得ていくことは楽しいものです。
2024.07.30
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鎌田實医師のお話です。24歳の女性が目の病気にかかった。ぶどう膜炎だそうだ。ぶどう膜とは、眼球の内部をおおっている脈絡膜と毛様体、虹彩の総称。目のほかの部分よりも血管がたくさんあるため、炎症を起こしやすい。炎症の場所や程度によっては網膜剥離、白内障、緑内障につながり失明することもあるという。この方の場合はその中でも原田病という病気だ。体内に侵入した細菌やウィルスをやっつける免疫システムに異常が生じ、自分自身を攻撃してしまう自己免疫疾患の一つです。白血球がぶどう膜を破壊していく病気である。この方は徐々に視力が無くなり35歳で全盲になった。この方がこんなことを言われている。全盲になったら案外しんどくないんですよ。それまでがえらかった。子どもは小さいし、自分の障害を認められなくて、相変わらず隠そうとしているし、杖をつくのもめちゃめちゃ恥ずかしかった。だから、知り合いに会うのがイヤですね。必ず言われるんですよ。「若いのにかわいそうにねえ」って。同情されるのが嫌いやったから、あの言葉が一番きつかった。母親や知り合いに連れられて、神様参りをやったのもその時分でした。眼病に効く、霊水で有名な京都の柳谷観音に行った。ひょっとしたら狐か狸でもついてるのとちゃうかと、テレビで見た霊能師のところへ月に2回ずつ半年通った。目が治ると言われたらどこへでも行った時期が3年から4年はあった。全盲になってそんな状態を抜け出すことができた。覚悟を決めることができたからだ。私はこの体で生きていくしかないのだ。だったらウジウジせずに、前向きに明るく生きて一度きりの人生を思い切り楽しんでやろうと気持ちを切り替えた。今では盲導犬を連れて外出し、音声パソコンを使いこなしているという。(なげださない 鎌田實 集英社参照)この話は神経症で苦しんでいる人に勇気を与える話である。この人のように覚悟して症状を治すことをやめる。玉野井幹雄氏は神経症でお先真っ暗になっても誰でも「ゆきづまったまま生きていく」という道が残されていると言われている。神経症は確かに苦しいけれども、治すことをやめて、神経症を持ったまま生きていくのだという覚悟を固める。そして自分の持って生まれた神経質性格を活かして、自分のできることに目を向けて生きていく。森田先生曰く。症状が治るか治らないかの境目は、苦痛をなくしよう、逃れようとしている間は10年でも、20年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ。仕方ないと知り分け、往生した時はその日から治るのである。すなわち「逃げようとする」か、「踏みとどまる」かが、治ると治らないとの境である。(森田正馬全集第5巻 389ページ)
2024.07.15
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私は今まで生きてきた中で次の点を反省している。もうどうにもならないことであるが、残りの人生は同じ過ちはしないように心がけたいと思う。そして、私と同じような生き方をしている人は反面教師として役立ててもらいたい。1、気分本位な行動が多かった。イヤだ、しんどそう、面倒だ、どうせ駄目だろう、この障害物は乗り越えられそうもないという感情が湧き起こってきたとき、行動することを回避してきた。森田では気分がどんなに拒否しても、やるべきことから逃げてはいけないということを学んだ。最初は気が乗らなくても、なにか一つでも問題点や課題、改善点や改良点、楽しみや喜びを見つけようと意識して取り組むようにした。気分に振り回されることが徐々に減ってきた。2、感情と行動は別物というが、感情に振り回された行動が多かった。感情は池のなかを優雅に泳ぐ錦鯉をイメージしている。不快な感情にきちんと向き合うだけでよいということが分かった。是非善悪の価値判断をしないことが肝心であることが分かった。今までは不快な感情を敵対視していた。どんな感情が湧いてきても、役者のように行動するように心がけている。その時森田の感情の法則が大変役に立った。3、笑顔で挨拶をすることが少なかった。挨拶を軽視していると人間関係がぎくしゃくすることが分かった。挨拶はエンジンオイル、潤滑油のようなものだと思う。なくても機械は動くかもしれないが、消耗が激しい。痛々しくなる。4、他人が気を悪くすることを平気で口にしてきた。森田で自分の正直な気持ちを伝えるのは考えものだと学んだ。相手が気分を害するようなことを平気で口にしてはならないと学んだ。これは意識すれば、比較的すぐにできるようになった。5、自分や他人に「かくあるべし」を押し付けてきた。これは意識しても大変難しいところであった。事実を受け容れるためにはいくつかの方法があることが分かった。・あたりまえのことに感謝の気持ちを持つ。・「あなたメッセージ」から「私メッセージ」にかえる。・ないものねだりをするのではなく、今あるものを活かすことを優先する。・純な心、初一念を大事にする。・傾聴、共感、受容、許容の気持ちを持つ。・否定語はすぐに取り消して、肯定語に置き換える。・両面観の考えを取り入れる。・プラスアルファを意識して人に役立つことを実行する。人間関係は馬の合う人2割、馬の合わない人2割、どちらでもない人が6割と教えてもらった。上記のことを無視していると、どちらでもない人を敵に回してしまう可能性が出てきます。8割の人を敵に回すと生きていくのが難しくなると思う。さらに自分で自分を否定していると、味方がほとんどいなくなってしまう。
2024.07.12
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生活の発見誌2024年5月号の記事の紹介です。森田先生は40歳の主婦の心臓神経症を一朝に治した。私ははじめその患者を往診したのであるが、早速、次の日曜日には、私の家へ患者が一人で来るように約束したのである。患者は実に21年目の外出である。患者は外出すれば必ずその家の玄関まで来て発作が起きるということである。すなわち私は、その発作の状態を一度私に見せてもらいたいというのである。次の日曜日患者は2里ばかりの途を一人で自動車でやってきた。その日の朝、家を出る少し前から軽い発作が起こったが、私の家に来て午前から夕方まで留めおいて、その発作を起こさせるように追い立てたけれども、思うとおりに少しも発作が起こって来ない。私は予め、その患者が私の家に来ればけっして発作が起こらないことを知っている。患者はまた次の日曜には、朝から今度は一人、電車で私の家に来るように約束した。心悸亢進発作、死の不安等の患者には、自ら進んでその発作を起こすような境遇において、その発作を起こすような境遇において、その発作を起こさせ、その発作の状況を自ら見つめ、精細に観察させることによってこれを治し、けっして再発しないように全治させることができる。私が実験したこんな例ははなはだ多数にのぼっている。勇気ある患者は、10年の心悸亢進発作が、1回の私の診察によって全治し、思いきってこれのできない人は、私の監視の下にこれをやり、怯懦で聞き分けのない人は、入院療法30日以内で全治することができる。その他種々の強迫観念において多くの場合に、この心理を応用することができるのである。なお強迫観念というのは、ある感覚・感情を排除しようするときに起こってくる葛藤状態のことを言います。精神的な苦痛を伴い、生活上の悪循環が始まります。
2024.06.21
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森田先生は昭和6年10月13日、京都東福寺で座談会を開かれた。その時、書痙の人が森田先生に質問をしている。書痙で27年間苦しみ、この夏、宇佐先生のところに2か月入院し、先生はこれでよいと言われましたが、私は完全癖でまだ不十分だと思っています。ゆっくり活字を書くような気持ちで書けば書けるが、急ぐときには十分にはいかない。また別な人で、書痙をまずよかろうというところまで治してもらいました。しかし、退院して生活に追われると、また気がイライラして震えて困っています。そのため、今は針や灸をやっていますが、なんとか治す方法はないでしょうか。これに対して森田先生曰く。もっとよくなりたいというのはごもっとものことです。書痙はとにかく書けるようになった。それでよくなったといえる。事実唯真というが、以前よりよくなったとただ思えばよい。もっと上手になりたいと思うのもよい。ただ、自分はどこまでも欲張るものであるということを認めるとともに、以前よりはよくなったという事実を認めなければならない。10中1つでも治ったと思えば全部治る。1つ治らないといって苦にすれば、また10になる。10中1つよくなったという事実を認めればよい。1つ治ったことを忘れ、悔しいと思えば、また元に戻る。書痙の人はみんな普通の人より上手に書けないから、以前より治ったという事実を認めないのである。よいとか悪いとかを離れて事実を認めるのです。例えば、入院中に、体重が300匁増えたら、それを認めたらよい。体重は増えたが、煩悶はとれないといった風に、よいとか悪いとか気分本位をやめてもらいたい。また、あなたが字がうまく書けない。もっとよく描けるようになりたい。その事実を認めればよい。(森田全集第5巻 152ページから155ページより引用)森田先生に質問された方は、書痙を完全に治したいという気持ちが強いようです。普通の人と同じように一切震えることなくすらすらと字が書けるようになりたい。これは吃音の人も同じです。共通しているのは、不安や悩みをすべて払拭したい。納得するまで不安や悩みのない状態を作り上げたいという気持ちです。森田先生は「10中1つでも治ったと思えば全部治る。1つ治らないといって苦にすれば、また10になる。10中1つよくなったという事実を認めればよい」といわれています。治るということをどのように考えるかで、その後の展開は全く違います。私が対人恐怖症で苦しんでいた時、頭の中は他人の思惑ばかりを気にしていました。そんな中、集談会で症状を治すためには、実践課題を作って丁寧に取り組むことだとアドバイスされました。早速実践課題に取り組みました。すると症状に向いていた注意や意識が少なくなっていきました。行動に弾みがついてくるにつれて、90%、80%、70%・・・と減少してきました。この減少してきた10%、20%、30%の部分が神経症が治ったということだと思います。自分はまだ不十分だと思っているのですが、周りから見ればだいぶ印象が違います。ここで肝心なことは、この調子で症状を0%にしたいところですが、その方向に行けば神経症はいつまで経っても治らないし、むしろますます状態が悪くなります。0%を目指すことは細かいことが気になるという神経質を放棄して、外向的で陽気な性格に変えるようなものです。そんなことはできませんし、そんなことをすれば自分の存在価値はなくなってしまいます。50%くらいまで減少できれば、症状とは関わらない方が得策です。私の参加している集談会にお寺の住職さんがいらっしゃいました。その人のモットーは「ほどほど道」でした。ほどほどの治り方を目標にして、その後は生活を楽しむことを考えた方がよいということでした。日常生活の中で小さな楽しみや感動をたくさん味わう。さらに小さな成功体験を積み重ねて、自己肯定感を確立するほうが味わい深い人生になると言われていました。
2024.04.14
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精神科医の阿部亨先生のお話です。神経質者に、「今抱えている不安を100だとすると、どの程度まで下げたいのか」と質問すると、限りなくゼロに近づくまでなくしたいという。普通一般の人に同じような質問をすると、 70とか、 60位に下がってくれば十分だという。精神的な苦痛が多少なりとも少なくなれば、目の前の仕事や日常茶飯事が何とかこなせるようになると考えている。これなら精神科医で十分対応できる。しかし不安を100%なくしてくれと言われても対応できない。普通一般の人は、不安を抱えたまま、仕事や日常茶飯事をこなしているといえよう。神経質者の場合は、今抱えている不安や恐怖が全てなくならないと落ち着かない。また不安を抱えたまま、目の前の仕事や家事、育児をうまくこなせないと考えている。仮に手をつけたとしても、十分に満足できる成果が上がらないと考えている。やることなすことがデタラメになると考えている。100%の成果が上がらないようなことが予想される場合は、手を付けない方がましであると考えているのです。その結果、会社を休んでしまったり、食事の準備を放棄して、出来合いの惣菜で済ませたりする。本来、自分ができる仕事や家事などは、他人に肩代わりしてもらって、自分は今抱えている不安の解消に専念したいと考えているのだ。しかし、なんとかしようとすればするほど、深みにはまって抜け出すことが困難になるのです。そういう意味では、普通一般の人に学び、不安を抱えながらも、目の前の仕事や家事がこなせるような能力を身につけることが大事になってきます。このことを三重野悌次郎氏は「非安心行動」(不安を抱えたまま行動に取り組むこと)といわれています。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人の生きるヒント 阿部亨 参照)生活の発見誌2024年3月号54ページ
2024.04.10
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生活の発見誌2月号(17ページ)に「感情に距離をおく」という記事がありました。神経症に陥ると注意や意識を一つに集中するようになります。すると注意や感覚が強まると同時に、視野が狭くなります。これについてケーナ―先生の実験があります。これは上から見た図です。上の方に塀があります。黒丸は杭です。犬はこの杭を通り抜けられない。A-2、B-2は犬の大好きな肉です。まず犬をA-1へ連れていきました。肉はA-2地点に置きます。犬は最初きょろきょろしていたが、杭の外を通って(点線)A-2に向かった。次に別の犬をB-1に連れていき、肉は手が届かないギリギリのところに置いた。肉のうまい匂いがプンプンとするところです。すると犬は矢も楯もたまらず杭の間から手を突っ込んで一生懸命に獲ろうとしました。獲れそうで獲れないのでむきになって獲ろうとしました。回り道をすれば獲れるということに頭が回らなくなってしまいました。エネルギーを消耗し無駄な努力を飽きもせずいつまでも続ける。この光景は傍から見ていると滑稽ですが、神経症で苦しんでいるときはみんな同じような対応をとっているのです。苦悩を取り除こうともがけばもがくほどパニック状態になります。そのうちアリ地獄に落ちて神経症として固着してしまいます。日常生活や仕事に支障が出てきます。さらに自己嫌悪、自己否定で苦しむようになります。ここまでくると医療機関で対応してもらうことになります。このパターンはまらないためには、症状から距離を置くことが大切です。距離を置くためにはどうすればよいのか。森田でお勧めしているのは、症状には手を付けないで日常生活を充実させていくことです。具体的には規則正しい生活習慣を作る。約3か月続けると自分のものになります。毎日同じ時間に同じことをするというルーティンを確立するのです。まずは起床時間、就寝時間を決める。食事の準備、あと片付け、掃除、洗濯、整理整頓、身支度などです。頭で考えなくても、自然に体がすっと動いていくように持っていく。必要な時に必要なことを必要なだけするという行動が症状を遠ざけていきます。症状で苦しんでいる人は、そんなことで果たして効果があるのかと思われるでしょう。論より証拠。あなたの実践で検証してみて下さい。
2024.03.20
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帚木蓬生氏は自然には癒し効果があるといわれています。満開の桜を見上げるだけで、人は一瞬、生きている幸せを感じます。砂浜に立ち、潮風に吹かれながら、寄せては退く波を見つめていると、ささくれだっていた気持ちが、どこか穏やかになります。満天の自然の中で天の川や星々を見上げていると、自然に抱かれて生きている安心感を覚えます。自然が人の心を癒し、元気を与えてくれる事実については、いくつもの研究成果が示しています。手術後の患者を、窓の外に樹木が見える病室と、四方を壁で囲まれた病室に分けて入れると、緑の見える部屋にいる患者のほうが回復が早いのです。マンションの住民に関する調査では、棟内に樹木や緑の多いマンションのほうが、子供への虐待が少なく、パートナーへのDVも少ないという。緑がほとんどない都会のど真ん中のホテルに宿泊したとき、居心地の悪さを感じるのはそのせいかもしれませんね。帚木蓬生氏は自然の役割として次の3点を挙げておられます。1、人の注意力を、内面から外界に向け直してくれます。人の悩みの大部分は、注意力を自分の内側に向けているために生じます。ああでもない、こうでもないと考えあぐね、解決策を見出せないまま悶々とするのです。そんなとき、身も心も自然のなかに置いてみると、注意が否応なく外界に向けられます。双眼鏡や虫眼鏡、それに昆虫図鑑や植物図鑑、鳥の図鑑を持参していれば、もはや注意力は自分の内面から一気に解放されます。忌まわしい内なる注意力は、より広い自然の営みに向けられ、興味や好奇心、想像力が喚起されます。2、時の流れや巡る季節を人に気づかせてくれる点です。若葉が少しずつ緑を濃くし、やがて色づき、落葉し、雪が降り、冬が去ると、また野に花が咲き乱れます。雲ひとつない晴天かと思えば、白い雲がぽっかり浮かぶ空になったり、三日後には黒雲に覆われ、大雨になります。そうした自然の変化を目のあたりにすれば、人は時の移ろいと、物事の変転を実感させられます。人の感情も自然と同じように、移ろいます。怨みや憎しみとて、大地の岩みたいに、いつまでも人の心に居すわっていません。悲しみや辛さも同様に永続しません。その事実が自然の中で直観できるのです。3、癒しそのものです。きのう、今日、明日と、かかえている自分の難題など、自然の営みのなかでは、些細事に過ぎません。そう考えると、熱していた頭が冷え、展望が開けてきます。四方を壁に囲まれた部屋にいては、決して見えなかった出口と光明が見えてくるはずです。自然の中で没我の境地に至り、気づかなかった新しい自分を発見するのです。(生きる力 森田正馬の15の提言 帚木蓬生 朝日新聞出版 129ページから132ページ要旨引用)
2024.02.02
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ある保険のセールスマンのお話です。彼の営業成績は中の下から抜け出せないような状態でした。その彼がトップセールスマンになりました。その原因はターゲットを開業医に絞って営業活動を始めたからです。開業医は何時ごろ起きて、どういう雑誌を読んで、どういう趣味を持って、所得はどれくらいで、どういう悩みを持っているのか、2年の歳月をかけて、徹底的に開業医のことを調べたのです。彼が焦点を当てたのは、開業医に特化した節税のための保険でした。開業医は忙しくて税金のことを考える時間がない。そのために税金を多く取られているという点に目をつけたのです。この点にスポットを当てて、節税に適した保険とフィナンシャルプランニングのサービスを行いました。彼はそうしたものをまとめたレポートまでつくってセールスのたびに置いていったので、開業医の間で「彼と会うだけでもメリットがあるし、保険に入れば年間300万円も節税できる」と大評判になったのです。(加速成功 道幸武久 サンマーク出版 123ページ)普通保険のセールスの分野でトップになりたいと思った場合、1日中セールスのことばかり考えています。またノルマを果たすために多くのお客さに会っています。数多くの人に営業をかければチャンスが拡大するからです。道幸氏はそれらは必要だと認めたうえで、それだけでは心もとないと言う。対象者を絞る。その人たちの動向の中から潜在的なニーズをつかむ。保険の売り込みを前面に出さないで、まず彼らの抱えている問題解決のための提案を行う。彼らのニーズと保険の接点について説明する。結果として保険に入ってもらえる。噂が広まり紹介営業でお客様が増える。自分の欲望を前面に出すのではなく、相手の役に立つことに特化していくと、結果としてセールスも上向いてくる。この話は森田療法で神経症を克服したい場合も応用することができます。高良武久先生は対人恐怖症の人にこんな話をされています。対人恐怖症を克服したければ、自分が興味のあるもの、得意なことを伸ばすように努力しなさい。それを愚直に10年くらい続けていると、その道では専門家になれます。専門家になると、自信と自己肯定感が生まれてきます。そうなれば対人恐怖症に振り回されることは少なくなります。対人恐怖症と格闘しているだけでは、叶わなかった夢が、いつの間にか実現してくる。私の場合は、老人ホームの慰問活動を長らく続けてきた結果、神経症のことを考える割合がどんどん少なっていったように思います。集談会では症状のことを考える割合が、90%、80%、70%・・・と減ってきて、50%くらいになってくればもう神経症の克服宣言をしてもよいのではないかと教えてもらいました。対人恐怖症で振り回されることが少なくなれば人生を楽しむことができます。またその経験を神経症で苦しんでいる人に伝える活動をすれば、それが生きがいになります。
2023.12.01
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私は以前悪夢にうなされて夜中に目が覚めることが多かったです。数は少ないのですが、最近は楽しかった時の夢も見ることがあります。これについて、普段の心がけが影響しているのかなと考えています。・1日1つの感謝探しをしている。・1日1つのよいこと探しをしている。・それらを毎日日記に書いている。次に普段の生活の中で無意識に否定言葉を使っています。ダメだ、イヤだ、ムリだ、面倒だ、嫌いだ、最悪だなどです。それに気づいたとき、直ちに「今の言葉は取り消します」と言います。すぐさま肯定言葉に置き換えるようにしています。できるかもよ、大丈夫だよ、もしできたら自信になるよ、弾みがつくよ、成長できるよ、小さな成功体験、感動体験が生まれるよ、みんなから誉めてもらえるかもよ。もしミスや失敗を逆手に捉えて、将来に活かせば、加点対象になると考えるようにしています。それから忘備録を見ていつも仏壇の前で口にしている言葉は次の通りです。・自分は自分の最大の味方である。必ず自分を守り通してみせます。・弱気は最大の敵だ。形から入ろう。・やってはいけないことは我慢しよう。耐え抜こう。・やるべきことは苦しくても辛くてもボツボツやっていこう。・不快な感情は錦鯉のように自由自在に泳がそう。きちんと向き合う。そして客観的に眺められるようにしよう。・感情と行動は別物として取り扱う。売り言葉に買い言葉的な発言は極力避けたい。・行動はその時その場で適切なものを選択して実行する。特に相手の心証を悪くするようなことは絶対に言わないようにする。油断するとすぐに元の木阿弥なる。これができると敵対する人が激減する。・この身体は神様からの預かりものである。貸していただいたことに感謝して、与えられた能力を活かして人の役に立つことを実行していく。これを毎日仏壇の前で唱和すると、ご先祖様のご加護があるような気がする。これらは過去のことにいつまでもとらわれないことに役立っているようだ。
2023.11.26
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涙を流すとストレスを緩和する効果があるそうだ。ストレスやうつ状態で辛い人生を送っている人は涙を流すことをお勧めしたい。泣くことはそんな効果があるのか疑問に思われる方も多いでしょう。これは2022年9月6日に「週1回は感動の涙を流そう」で取り上げています。涙で思い出すのは、私は以前中間管理職の仕事をしていた。若い女性の部下から仕事上の相談があった。仕事や人間関係でストレスを抱えている女性は、話をしているうちに涙ぐむことがありました。なかには声をあげて泣きだす人もいました。女性は男性に比べると涙もろいのでしょうか。泣いてもその後すぐに人が変わったように晴れやかな状態になる。これは心のわだかまりも一緒に洗い流していたのではないか。男性にはよく分からないところです。その理屈はこの投稿記事を読むとよく分かります。涙の中には濃縮されたマンガンが含まれているということでした。マンガンは血液の中に含まれています。マンガンが多すぎると、情緒不安定でうつ状態になりやすいのです。涙はそのマンガンを30倍に濃縮して出しているのです。だから涙にはストレスやうつを追い出す効果があるのです。(週末号泣のススメ 安原宏美 扶桑社)そういわれましてもいい大人が号泣するのはみっともないではありませんかと言われそうです。ごもっともです。そういう方のために、とっておきの方法があります。感動的な映画、音楽、DVD、小説、感動シーンを見たり聴いたりして、感動の涙を流せばよいのです。過去の経験を自分なりにカスタマイズしておけば、いつでも感動の涙を流せるようになります。これを週一回程度見たり聴いたりして涙を流すのです。簡単です。分かりにくいでしょうから、参考のために私の例を載せておきます。映画・・・母べい、東京家族、幸せの黄色いハンカチ、私は貝になりたい、アニメ「この世界の片隅に」、あん、火垂るの墓、砂の器テレビ録画・・・フルスィング、プロジェクトXから「瀬戸大橋現場監督・・・杉田秀夫」音楽・・・辻井伸行氏のラカンパネラ マーラーの巨人 25分過ぎ小説・・・三浦綾子氏の「氷点」 藤沢周平氏の「蝉しぐれ」「海鳴り」他スポーツ・・・WBCの大谷翔平のホームラン競馬・・・ディープインパクト(こんな馬は見たことがない)景色・・・和歌山県串本の海金剛 南斜面から見た鳥取の大山の岩肌 (景色は身震いするような感動がある。涙は出ないかもしれない)一部は2022年4月14日に投稿しています。これを参考にして、ご自分なりのコレクションをぜひ取りそろえてみて下さい。そしてお互いに一週間に一回、感動の涙を出そうではありませんか。
2023.11.23
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森田先生の患者の中に、不潔恐怖症の人がいた。巣鴨病院に長らく入院して未治退院された方を自宅に引き取って、催眠術や説得療法などあらゆる方法で治療した。けれどもどうしても治らないので、さすがに強情な森田先生もサジを投げて、腹を立てて患者を殴ったこともあるという。この患者に対してあらゆる手段を試してみたが混迷を深めるだけだった。ところがこの患者が、苦悩と絶望の結果、最後に捨て身になり、忽然と治ってしまった。根もエネルギーも尽き果てて、捨て鉢になって、治すことをあきらめてしまったことが、不潔恐怖症の克服につながったというのは不思議なことです。この体験がきっかけとなって、森田療法の確立に結びついたという。このからくりを、「神経質の本態と療法」の中で、河合博博士が分かりやすく解説されている。本書の中に発作性神経症の治験例があるが、この治し方は、できるだけ発作を起こすように努力してみよ、ということである。症状は神経質患者の意識の中心にあり、これを忘れよう、意識すまいと努力する。すなわち意識の中心より周辺に押しやろう押し込めようとする。そうすればするほど、それは意識の中心を占領する。意識しまいとすればするほどますます、一点に凝集強化される。これが神経質の症状である。しかし意識は、絶えざる流動・変化である。神経質症状も、環境の中で力動的に変化消長するそして症状が意識の中心より、やや遠ざかったときに、意識的に無理にこれを中心に持っていくように患者に努力させる。発作を起こすようにさせる。これは平素の患者の努力とは反対の心の働きをさせるのである。すると、ここに意外なことには、中心に持って行こうとする努力とは逆に、周囲に退くのである。(神経質の本態と療法 森田正馬 白揚社 267ページ)最悪の事態を意識して呼び込むという逆説療法だと思います。なかなかできないかもしれませんが、可能ならば不眠の方、不安神経症の方、パニック障害の方はぜひ試してみていただきたいと思います。パフォマンス限定社交不安障害(楽器のソロ演奏をする時に極度に緊張する等)の私の場合、「わざと間違えてその過程を後で分析してみよう」というような気持を持てれば、意外に間違えないで演奏できることは経験でなんとなく分かっていました。
2023.11.04
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不安、恐怖、違和感、不快感に振り回されて、生活が後退し、人間関係が悪化している人たちは、森田療法でつらい状況を打破したい。そのヒントが欲しいのだと思います。そういう人たちに対して、果たして森田は役に立つものなのだろうか。現在神経症に対して、第一選択肢として薬物療法があります。副作用はあるにしても、薬が比較的よく効くといわれています。ほとんどの人は、処方されるまま数種類の薬を飲んでいる人が多い。それも長期間にわたっている人が多い。精神療法としては、保険適応の認知行動療法があります。その他、精神療法は百花繚乱の様相を呈しています。それ以外にも、臨床心理士などによるカウンセリングもある。カウンセリングによって神経症を克服する人もいらっしゃいます。これらはほとんどが不安を軽減することを目的としているようだ。この点だけ見れば、クライアントの切実な要望に沿った治療法である。森田療法は、不安の取り扱い方が他の療法とは違います。不安を取り去ってもらいたいというクライアントに対して、不安は取り去ることはできないし、取り去ってはいけないものだという。森田理論を学習している人はピンときますが、はじめて聞く人は面食らいます。即効性を期待している人には、森田は受け入れがたいかも知れません。もしそうなら、神経症を治すためには森田療法に固執する必要はありません。幅広い治療法の中から、自分に合ったものを自由に選んでもらう。とりあえずアリ地獄の底から地上に這い出すことが必要です。但し地上に這い出たとしても安心してしまうのは早計です。なぜなら対症療法ではいつまた再発するかもわからない。元々我々は社会体験が不足している。人間関係の距離の持ち方が分からない。神経質性格に伴う、生きづらさは全く解決のめどが立っていない。それらは、即効性のある治療では期待できないものです。そういう状態で社会に放り出されても右往左往するばかりになります。そういう人は、森田理論学習と自助組織に関わることが大事になります。自助組織である生活の発見会の集談会に参加すれば学習が深まります。さらに同じような悩みを持っている人と交流ができます。今やオンライン集談会で家に居ながら交流することも可能になりました。傾聴、共感、受容、許容は集談会で体験することができます。さらに世話活動に取り組むと交流の幅が広がりますし、人の為に役に立つ体験ができます。いざとなったときに停泊できる母港を持っていると安心感があります。母港を持たないということは、GPS未搭載の船で太平洋を航行しているようなことになります。それでは人生90年時代を無難に乗り切ることは難しくなるでしょう。他の療法で改善が見られない人、慢性的な不安症状に振り回されている人、生きづらさを解消したい人は森田理論学習を始めることをお勧めいたします。私がお勧めしている期間は3年です。1年目は基礎的学習です。2年目は「森田理論全体像」から森田理論の核心部分に迫る学習です。そして、3年目は森田理論の活用と応用面を意識した学習です。森田理論学習は人生観を確立することが最終目的となります。そのためには長期間の学習よりも、短期間の学習をお勧めいたします。ポイントを抑えて順序良く学習しているかどうかが大切になります。森田理論を深耕し、なおかつ森田理論を生活の中で応用・活用している人から学ぶことが一番の近道です。生活の発見会の先輩の中にはそういう人がいらっしゃいます。
2023.08.21
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森田先生のお話です。もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるとかいう風では、まだその人は小我に偏執し、自己中心的であって、本当に神経質が全治しているのではない。本当の法悦の味を知らないのであります。どうか皆様も同病相憐れむほかの患者のために、自分の病症やその治るに至った成行きを詳しく打ち明けて、後進の人のために犠牲心を発揮してもらいたいのであります。(森田全集第5巻 47ページ)森田先生は神経症を克服した後は、今現在神経症で苦しんでいる人たちのために、自分の神経症体験を赤裸々に開示することが大事であると言われています。それを自分の恥部と考えて隠してしまうことは大きな問題です。実はその時脳では大変なことが起きています。脳に扁桃体がありますが、ここでは湧き起こってきた感情を、「好き」「嫌い」「快」「不快」に振り分けています。「好き」「快」に振り分けられた感情は、ドーパミンという神経伝達物質により腹側被蓋野から報酬系神経回路を駆け巡ります。この回路をドーパミン神経系A群10番目の神経群なのでA10神経群と呼ばれています。扁桃体によって、この回路に振り分けられると、意識しなくても、積極的、生産的、建設的、創造的な行動へ駆り立てられることになります。一方、「嫌い」「不快」に区分けされてしまった感情は、ノルアドレナリンという神経伝達物質により、青斑核(A6神経系に属しています)に送られます。ここは防衛系神経回路が作動する出発点となっています。青斑核は数10億という防衛系神経組織に影響を与えています。青斑核は、積極的な行動を抑制し、脳全体に防御態勢、戦闘態勢を敷くように指示しているのです。不安や恐怖などの情動反応を起こして、コルチゾールの血中濃度を高めます。この作用により脳全体が専守防衛に傾くことになります。いくら鼓舞しても、消極的、回避的、無気力的な行動をとるしかなくなります。自分の神経症体験を絶対に人に知られてはまずいと考えていると、扁桃体では「嫌い」「不快」な感情とみなして、防衛系神経回路を作動させることになります。せっかく神経症を克服したにもかかわらず、生きづらさは依然として解消できなくなってしまうのです。神経症体験を包み隠さないで、赤裸々に公開していくことは大きなメリットがあります。まず扁桃体が「好き」「快」に振り分けてくれることです。そうなれば意欲的、挑戦的になれます。しだいに元気になれます。そして貴重な教材を提供することによって人の為に尽くすことができます。感謝される人間になれることは、人間として最高の生き方になります。
2023.07.01
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生活の発見誌の5月号にとても役に立つ記事がありました。私は趣味の野球で子供達に野球等を教える機会がありました。その際に、自分がうまいと思う人、そうなりたいと思う人を決めた方がいいよと言ってきました。その上で、「その人の真似をするとうまくなるよ」と言ってきました。モデリングです。この方が教える上で確実であり上達が早いのです。これを集談会に行き始めてから自分に言い聞かせ、実行してきました。言われるままになんでも受け入れて、やってみるようにしました。この考え方は私も同感です。森田理論を自分のものにする早道です。私の場合は集談会に優れた先輩会員の方がいらっしゃいました。その方はいつも優しく寄り添って励まし続けてくださいました。批判や否定されたことは一度もありません。自分が気づいていないような小さなことを評価してくださいました。体験発表した時、他人から言われたことをすぐに生活の中に取り入れることは素晴らしい。あなたのような人はきっと神経症を克服できると言われたことは今でも懐かしく思い出します。その方は森田理論学習も奥深いものがありましたが、私が最も感銘を受けたのは実生活への応用面でした。生活そのものが森田理論の活用・応用といった感じでした。この方にお会いできて親しく交流できたことは感謝以外のなにものでもありません。森田先生からも大きな影響を受けました。それは人の思惑が気になるという神経症で苦しんでいた時でした。森田に限界を感じて、別の道を模索していた時でした。森田全集第5巻を読んでいた時、森田先生はいくつも宴会芸を持っておられることが書いてありました。特に鶯の綱渡りの芸には驚きました。また宴会などでは落語家を招いたり、寸劇やゲームや盆踊りなどをされていることも分かりました。私は直感的にこれだと思いました。私は森田先生の真似をしてみようと考えました。一人一芸を極めることで神経症を克服できるかもしれないと思ったのです。アルトサックス、獅子舞、ドジョウ掬い、浪曲奇術、腹話術、傘踊りなどに取り組みました。そこが高じてチンドン屋のグループに入り、老人ホームの慰問活動をするようになりました。練習に熱が入り、ある日気がつくと神経症のことを忘れていたことに気付きました。神経症を克服するには、この手があることは後で分かりました。現在神経症で苦しんでいる人は、神経症を克服したときに、あの人のような生き方をしたいというモデル探しをすることをお勧めします。集談会に参加しているとそのことが可能になります。
2023.06.26
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野球解説者の古田敦也氏は、人生でスランプに陥った時は、「人生のフォアボール」を狙えと言われています。古田さんは現役のときにスランプに陥った場合、ヒットを打つなどということは考えないようにしてバッターボックスに入ったそうです。ボール球は絶対に振らない、きわどい球はファールでよいという気持ちです。フォアボールで塁に出れば、チームに貢献したことになります。それなのに現実は調子の悪いときに何が何でもヒットを打ちたくなる。不調のときに見逃せばならないようなボール球を追いかけてしまう。その結果、ダブルプレーになればチャンスは一瞬でついえてしまいます。フォアボールはボールを振らないので消極的なようですが、チャンスが拡大する積極的な意味合いを持っています。これは神経症で苦しんでいる人にとって役に立つ考え方ではないでしょうか。神経症に陥った人はその苦しみから一刻も早く逃れたいと思っています。そのために、どうしても神経症と格闘してしまいます。その結果、神経症はよくなるどころか、精神交互作用が働いてどんどん悪化していきます。ではどうすればよいのか。神経症の程度にもよると思います。観念的、行動的な悪循環で仕事や日常生活が停滞している場合は、生活の発見会の協力医に診てもらうことが必要になります。苦悩でのたうちながらも何とか仕事や日常生活がこなせている人は、古田さんの「人生のフォアボール」ねらいが有効になります。神経症の苦悩を抱えながら、なんとか細々と日常生活をこなしていくことです。生活の発見会ではこのことを「超低空飛行」と言います。このメリットは多少なりとも神経症以外のことを考えられるようになることです。5%でも10%でも物事本位になっているのがよいのです。日常茶飯事をすべて家族に丸投げして、自分は症状を治すために格闘しているというのはお勧めできません。ますます神経症が悪化するからです。最低限の日常茶飯事に取り組んでいる人は今は苦しくても希望が持てます。神経症を克服した人は全てこの道を通過しているのです。次にそういう人は神経症の自助組織に参加されることをお勧めします。現在のところ生活の発見会の集談会をお勧めします。ほとんどの県に集談会はあります。月1回半日程度の交流会です。私は集談会に36年間通い続けているのです。現在はZOOMを活用した全国単位のネット集談会も生まれました。これで一挙に全国の神経症仲間とつながりました。神経症は仲間と切磋琢磨して乗り越えていくことが必須となります。学習としては森田理論の学習をお勧めします。森田理論は、神経症を克服するだけではなく、神経質性格者の生き方を教えてくれています。特に「感情と行動の法則」「感情の自然に服従する生き方」はとても役に立ちました。神経質性格者にとっては、今後の人生を乗り切っていくための必須科目と考えています。
2023.05.04
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森田先生のところに入院されていた山野井房一郎氏の主訴は書痙である。森田先生から次のように言われた。1、不自然なペンの持ち方をやめること。そのために手が震えても、あくまで普通の持ち方をすること。2、上手に書こうとしないで、他人にわかるように書くこと。それには活字をまねて書くのが一番である。3、字の練習はやめて、むしろ震え字を稽古すること。ところが、これ等のことがなかなか実行できなかった。その理由は、次のとおりである。1、書けなくては困るので、不自然でも、書けるような持ち方をしてしまい、そのため普通の持ち方はなかなかできない。2、自分の意識では、上手に書こうなどとは最初から考えてはいない。下手でもよいと思っているのに、書くことができない。3、震え字のけいこということは、手や腕の自然の震えにまかせ、それにさからわないで運筆をする練習を指すと思うが、これもなかなかうまくゆかず、こうやってもうまくゆかぬ、ああやってもうまくゆかぬで、結局まだか、まだかと、上手に書けることを期待し、かえって反対の効果をもたらすようになった。さて、全治した今日になって、先生から教えられた3か条は、実に書痙治療の根本義であって、余すところがない。理解のよい患者で、忠実にこの3か条を実行することができれば、その時から一瞬にして全治すると確信する。ペンの持ち方は、普通にするのが書痙治療に一番の捷径であって、また、このほかに治療法がない。私のように、書けないからといって不自然の持ち方をしたのでは、いつまでも書けるようになりはしない。書きにくいけれども、ちょっとがまんして普通の持ち方にすれば、間もなく慣れるものであるのに、実に私は、遠い遠い道を経てきたものである。ちょうど歯の金冠と同様で、最初の2日、3日はそぐわない感じがするけれども、これはやむをえないので、数日にして少しも気にかからなくなるようなものである。震える、書きにくい、なんとなくそぐわない普通の持ち方も、少し辛抱していれば、やがて何ともなくなる。金冠の具合が面白くないからとて、2日、3日で取りさり、またもや入れかえるというふうでは、いつまでたっても解決がつかない。私の経験がまったくこれで、今考えると、ばかばかしい限りであった。(生活の発見誌 1969年(昭和44年)1月号 44ページ)山野井さんの話を基にして私のことを振り返ってみた。神経症に陥ると、普通の人と自分を比較して、これではいけないと慌てふためいてしまう。何としても人並み程度にはしなければ、社会の落ちこぼれとなってしまうというところから始まるように感じる。私の対人恐怖症を考えた場合、人から後ろ指をさされるような人間になっては生きていけなくなる。他人から非難される、否定されるような人間になってはいけないというところから始まった。そして観念と行動の悪循環の罠にはまってしまった。全治した今でもその気持ちは完全になくなってはいない。コアの部分にしっかりと残っている。私はこれを自分の個性と捉えている。個性をなくすると自分のアイデンティティもなくなってしまう。それはまずいことだと考えています。治ったというのは、対人恐怖と関わっている時間が、どんどん減ってきているというところにあると思っている。症状でのたうち回っていた時は、ほぼ100%他人の思惑に神経を張り巡らせていた。治るにつれて、症状以外のことを考えることができるようになった。それが90%、80%、70%、60%、50%という具合に比重が下がってきた。現実的な生活面のことで悩むことが多くなってきたということです。症状のことを気にしている時間帯が半分くらいになれば、別にむきになって症状を治そうなどとは考えなくなってくるものだと思っています。それよりもルーティンワークをこなしていくことが忙しくなってくる。ふと気がつくと症状のことは忘れていた。そういう時間が増えてくる。そして生活の中での楽しみや感動を数多く味わえるようになる。対人恐怖症の治り方は実はこんなものではないかと思っています。
2023.04.01
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生活の発見誌2月号の巻頭言にある言葉である。この言葉は精神科医で小説家でもある帚木蓬生氏の本のタイトルである。副題に「答えの出ない事態に耐える力」とある。一般に「能力」とは、才能、才覚・処理や解決などのポジティブ・ケイパビリティを指しますが、ネガティブ・ケイパビリティはその裏返しで、生半可な知識や意味付けで、未解決の問題に拙速に帳尻を合わせずに、宙ぶらりんの状態を持ちこたえる能力のことです。問題点や改善点が見つけると、すぐに解決してすっきりしたいと思ってしまいます。しかし、現実的には、すぐに解決策や妙案が見つからないことも多い。それが事実ならば、イヤイヤ持ちこたえたまま、それでも生きていかなければならないのではありませんかと言われています。神経症的な不安、恐怖、違和感、不快感は、欲望、欲求、目標、期待を持ったとき、対になって自然発生的に湧き起こってくるものです。不安と欲望はコインの裏表の関係にあると理解すれば分かりやすいと思います。欲望が湧き起こったとき、不安が湧き起こらない人は精神障害を抱えた人です。たとえば、統合失調症で、飛行機でレインボーブリッジの下をくぐってみたいと思いついて飛行機をハイジャックした人がいました。また冬場の寒いとき、トイレに行くのがつらいので、椅子をトイレ付に改造することを思いついて熱心に研究していた入院患者もいたそうです。高良武久先生がそんなことをすると部屋が臭くなるのではないかと言うと、「そこまでは考えていなかった」と返答したという。神経症に陥る人は、本来の目的を追い求めていく途中で障害となって立ちはだかってきた不安を見逃すことができなくなったのです。本来の目的を忘れて、不安を取り除くことが唯一最大の目的となったのです。ミイラ取りがミイラになったのです。森田ではこのことを「手段の自己目的化」と言います。森田理論学習によって、不安と欲望をコインの裏表の関係にあることを理解することは大変重要なことです。さらに大切なことは、それを生活の中で活用していくことです。不安を敵視しないで、不安を抱えたまま、生の欲望に向かって行動することです。イヤイヤ仕方なしの規則正しい生活は、心身ともに健康になります。帚木蓬生氏が指摘されているネガティブ・ケイパビリティはこのことを指摘されているのです。その段階に到達した人は、ひとつの素晴らしい能力を身につけた人と言えます。不安と欲望の取扱主任者という国家資格があれば免許皆伝となります。感情と行動は別物という森田理論の考え方を体得して、日々の生活を大いに楽しみましょう。これは森田理論の学習会に参加して、仲間と切磋琢磨することで身につくものと考えています。
2023.03.25
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北海道浦河の赤十字病院の精神科医川村敏明医師のお話です。私に「先生が治してくれました」、「先生のおかげです」っていう感謝を述べて退院していった患者さんが数多くいます。しかしその人たちはみな、再発して戻ってきました。(では自分は)感謝される医師なのかと。感謝されるような治療をして、全員が再発するっていうことは、・・・自分の仕事っていうのはなんだろうか、こんなに感謝されながら、みんなが悪くなる、これはなにか大事なことがそこにあるんだなっていうふうに考えるようになりました。思いあたることのひとつは、よくなる患者、つまりかんたんに再発することのない患者は、医者と「1対1」の関係のもとで回復しているのではない、ということだった。いろんな人のお世話になってよくなっている。あるいはあれこれの人間関係を作り出し、そのなかで自分を取りもどしていくという過程が、そこには見えてきたのである。そういう患者は退院するとき、いろいろな人に、意外な人にまで、「お世話になりました」と挨拶している。先生にだけお礼を言って退院するのは、だいたい再発して戻ってくる患者だった。そこに大事なことがみえてくる。病気を治すことより、もっとずっとたいせつなことがあるのではないか。ただ働くだけではない、もっともっと視野の広い生き方があるのではないか、そのようなまなざしを、医者や患者という関係を越え、人間に対してたがいに注ぐことができるようになったとき、私たちはそこに「恵みが多い世界」を見出すことになるだろう。そんな川村先生に、北海道浦河町のベてるの家のメンバーは鍛えられている。ちゃんと苦労をするように、悩みを増やすように、「ひとこと俺にいわせろ」といえるように。その期待に応えて、メンバーの松本寛さんは「統合失調症は友達ができる病気です」といった。林園子さんは「もう治さないでください」といった。山本賀代さんは「むなしさを絆に」といい、木村美枝子さんは「病気は宝だ」といっている。そして早坂潔さんは、川村先生と講演に出かけたある日、大勢の聴衆に向かってこういったことがある。「ぼくたちは、先生の失敗作です」治っていないし、治せていない。とはいえ、それがちょうどいいかげん、なのだ。そういう患者を育て、そういう患者に育てられ、治すというよりはつきあいながら、年月を経て先生がたどりついた姿は、「自然体」ということだったかもしれない。それはまた、ベてるの家の人びとが、それぞれに程度の差はあれ、たどりついた姿でもあった。(治りませんように ベてるの家のいま 斉藤道雄 みすず書房 201ページから211ページ要旨引用)「自然体」というのは、森田の世界では「あるがまま」ということではないでしょうか。神経症、統合失調症、命にかかわるような難病、理不尽な出来事、想定外の出来事に次々と巻き込まれてしまうのが人間の偽らざる真実です。それらを目の敵にして戦って取り除こうとするのではなく、イヤイヤ仕方なくでも受け入れていく生き方を目指すべきではないのか。排斥しないで、寄り添って共存する生き方です。そうすればエネルギーの無駄遣いがなくなります。森田の「生の欲望」理解して活用すれば、そのエネルギーの有効活用が可能になります。神経質の性格を活かして、小さなことに取り組むようにすれば、人の役に立つことが相当数できるようになります。さらに自己否定、他人否定をしなくなり、人間関係がよくなります。自分、他人、自然と折り合いが付き、共存共栄ができるようになります。そういう生き方ができるようになれば、人間に生まれてきたことに対して、感謝・感動できるようになります。
2023.03.23
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今日は「ベてるの家」の活動から確認行為について考えてみました。統合失調症の症状の一つに確認行為があります。とにかくなにかを繰り返し確かめずにはいられない。たとえば3時からミーティングがあるとき、ふとそれが気になると「3時ですよね」と周囲に聞いてまわる。何回も何回も確認しないと、いてもたってもいられなくなる。ひどいときにはそれが20回にも30回にもなる。周囲にとってわずらわしいことこの上ない確認行為は、本人にとってもまた、逃げようのないつらさ、苦しさだった。名古屋出身の林さんという女性は、その強迫的な確認行為がなぜ起きるのか、北海道の浦河にきてから仲間の力を借りて解明しようと努めていた。分かったことは、そうするのは「悩んでいる」、「疲れている」、「ひまで」、「さびしい」、「お金がない」か「おなかがすいた」ときに起きることが多い。それぞれの頭文字をとった「な・つ・ひ・さ・お」は、「ベてるの家」の名言としてたちまちメンバーのあいだに定着してしまった。しかも、時を置かずにこの「なつひさお」は疑惑顔をしたキツネのマスコットにキャラクター化され、べてるグッズキーホルダーとして発売された。「なつひさお」ということばがいかに迅速に、また広く浸透したかは、同じような経験をしているメンバーがどれほど多いかを端的に示している。彼らはみな、そういえば「なつひさお」だなと、自らの被害妄想や関係妄想、自傷行為が発生するメカニズムをピタリと言いあてられた思いだったのではないだろうか。林さんは、「ベてるの家」の仲間との交流から「いろんな応援をもらったり手助けをもらったり、いっしょに考えてもらったり」できるようになり、「病気でも、こんないいことがあるんだなと思えるようになっていった」という。彼女は主治医の川村先生にこう言ったという。「先生、こうこれ以上わたしの病気を治さないでくださいね。私は幻聴も聞こえます。ときに被害妄想が頭のなかにいっぱいになったりするときがあります。だけど、もうわたし、これ以上病気をなくしてほしいとは思っていませんと、むしろ病気をなくされたら困ると思っています」真剣な顔でそういわれて、さすがの主治医の川村先生も少し驚いたという。安易に薬を出さないことで有名な川村先生はこう返したそうだ。「これ以上、治したりしない。私は、あなたがあなたのように生きることを邪魔したりはしない」病気が治ったのではなく、病気があっても幸せと思えるようになってきた。林さんは疲れると確認行為に走るだけでなく、被害妄想も出るなど、どこか脆弱性を抱えていて、自分はやっぱり健康人とは違うと、心細くなることもあるという。そんなときはできるだけ、仲間と話すように心がけていたという。「名古屋にいるときは99%は、もうどっぷり病気につかっていたんですよ。それが浦河に来てから・・・(みんなが)あたしを病気の世界から外の世界に連れだしてくれたんですね、誘い出してくれたんです。だから私は今幸せ感があるというか、ほんとに幸せになったと思います」苦しさも楽しさも含めて、林さんにとって精神障害は「味わう」ものになっているのです。(治りませんように ベてるの家のいま 斉藤道雄 みすず書房 27ページ参照)私の確認行為は、今現在やっていることに意識が向いていないときに出てきます。ぼんやりしていた。うわの空になっていた。心ここにあらずで、他の様々な不安などのことを考えていた。林さんが「な・つ・ひ・さ・お」の状態になったときに、確認行為が頻発するというのはよく分かます。今現在に注意を集中しているときは、確認したという記憶が頭に残っていますので確認恐怖は起きません。念のために、2回3回程度の確認を繰り返せば収まります。林さんは、病気はこれ以上治さない。主治医の先生にこれ以上の治療はしないでくださいと言われています。病気を持ったままの状態で生きていくと言われています。そして仲間と助け合いながら生きていければそれで十分だと言われています。こういう心境になると病気のほうが張り合いをなくして逃げていくということになります。神経症に陥った人がそういう気持ちになれば、確認恐怖は軽減できるのではないでしょうか。
2023.03.22
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北海道の浦河町にある「べてるの家」のお話です。統合失調症の患者の6、7割にあらわれるという幻聴は、とても一筋縄ではいかない厄介な相手だ。頭のなかに、現実にはありえない人の声や音が聞こえ、しかも多くは「死ね」とか「バカ」といった否定的なことばで人を傷つけ混乱させる。朝から晩まで1年365日こんなことをいわれていたら、ほんとうに頭がおかしくなってしまう。そういう人は、病院で大量の強い薬が処方されるのが一般的です。その薬物治療は、考えることも、動くこともできなくなってしまいます。一時的に症状を抑えられたとしても、またすぐに再現されてしまう。「べてるの家」では、そんな無理はやめて、幻聴がどうせなくならないのなら、いっそ仲よく暮らすことはできないだろうかと考えたという。そして1990年代、「死ねバカ」系の幻聴に、「幻聴さん、きょうはどうかおとなしくしていてくださいね」とていねいに対応したところ、「そうか、それじゃあ」と、おとなしくなる幻聴の例が次々に報告されたのである。もちろん、それで幻聴がなくなるわけではなく、せいぜいおとなしくなる程度で、しかもそれがどのメンバーにも起こるわけではないのだが、それでもこれは当事者にとって瞠目すべき対処法だった。もうひとつ、浦河弁で有名なのが「お客さん」だ。お客さんというのは、頭のなかに浮かぶネガティブな思考全般のことである。たとえばミーティングに出ようとしたとき、「仲間はみんな、自分のことを嫌っているのではないか」というネガティブ思いが頭に浮かび、尻ごみするようだったら、それは「お客さんがきた」、あるいは「お客さんが入ってきた」という。きらわれているだけではなく、自分はダメな人間だ、他人が自分の悪口を言っているのではないかという疑念、なんでもない仲間のひとことが自分を非難しているのではないかという思い込みもまた「お客さん」である。幻聴と似ているが、幻聴が音やことばであるのに対し、お客さんは想念であるところがちがう。そしてまたこれがじつに便利な用語で、浦河の日常生活では挨拶のように使われている。お客さんがなぜ便利な言葉かというと、メンバーはそれで自分のいまの心理状態をリアルタイムで周囲に伝えることができるからだ。「いまお客さんだらけになっています」「その話されると、お客さんくるんだよね」といいながら、自分の心のなかを開示し、ほとんど裸の自分を伝えていく。さらに、頻繁に使われることばとして、「誤作動」がある。「仲間に無視されている」「きらわれている」といったお客さんや、「攻撃されている」といった被害妄想があり、自分が過剰な反応をしているとき、また意図しない反応をしているような場合、それは誤作動だという。旧来の概念でいえば「妄想だ」と決めつけられるような場合であっても、「誤作動だ」と言い換えるとメンバーは納得しやすい。誤作動が言葉として定着しているのは、語感の新鮮さもさることながら、言葉が実際に当事者の感覚にあっているからだろう。べてるの家では症状と敵対しないで、「さん」づけで丁重に取り扱っている。症状で苦しいときは、お客さんが来ていて対応しなければならないので、他のことに手が回らなくなると周りに伝える。症状に振り回されて、支離滅裂な言動をしてしまうのは、ブレーキとアクセルを踏み間違えるような誤作動が起きているとみなす。「べテルの家」では、統合失調症などの精神疾患を抱えている人たちが、力を合わせてお互いに助け合いながら仕事や生活をしています。幻聴や病気が出てきたとき、まるで第三者が外から症状を観察するような感じになっている。それがミーティングを通じて仲間同士共通認識として定着しているのです。自分も許されるし、相手も許すことができているのです。(なおりませんように 斉藤道雄 みすず書房 18ページ)この話は神経症との付き合い方に応用できるかもしれません。神経症を「さん」づけで呼ぶ。対人さん、確認さん、パニックさんなどと呼ぶ。痛めつけようと思っている神経症のほうは居心地が悪くなるのではないか。神経症でパニックになっとき、頭のなかにお客様がきたと考える。お客様がきたときはそれなりに対応しなければならないので、それ以外のことには手が回らない。手がすくまで、ちょっと待ってください。神経症で逃避してしまうときは「誤作動」を起こしている。誤作動を修正するので多少時間をいただきますので、ご了承願います。集談会は神経症で悩んでいる人や以前に悩んでいた人の集まりです。このようなやり取りができると、神経症の見方が変わってくるのではないでしょうか。
2023.03.19
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五木寛之さんのお話です。つらいこと、悲しいことがあると、早くこの心の痛みをどうにかしたい、治したいと願ってしまいます。一刻も早くこの傷から逃げたい、晴れやかな幸せな気分になりたい、そう思ってしまうのは当然のこととは思いますが、本当にそれでいいのでしょうか。こころを癒すという時に、その傷ついた状態を「悪」と考えてしまい、「だから治さなければならない」という考えになってしまうのは間違いではないかと思っているのです。本当の意味で、こころの傷や痛みは治ることはないと私は考えます。治らないけれども、その痛みと折り合いをつけて生きていく。その折り合いのつけ方を工夫するほかない。こころの傷というものは、そういうものではないでしょうか。他人のこころが傷つくこと、それは善でも悪でもない。一つのあるがままの自然な状態なのです。簡単ではありませんが、こころの傷は「治める」ことはできるかもしれません。もしあなたがこころの傷を負ったと感じたら、無理にその傷を「治そう」と思わないでほしいのです。人は、生きていく中で、大なり小なりたくさんの傷を負います。その傷を抱えながら、少しずつ治めながら、ともに生きていくのです。(ただ生きていく、それだけで素晴らしい 五木寛之 PHP 73ページ要旨引用)五木寛之氏の言われている「こころの傷」というのは、我々でいえば神経症的な不安や恐怖、不快感のことだと思います。これらは治そうとしてはいけないと言われています。治さずに治めるようにする。何とか折り合いをつけるようにする。その不安を抱えながら、折り合いをつけて、ともに生きていくことだと言われています。不本意であっても、不安を持ったまま、自分の人生を切り開いて前進していくしかない。森田では不安は欲望の裏返しで発生しているので、不安はそのままにしておいて、生の欲望を発揮していく方向を目指していけばよいと言われています。五木寛之氏は森田理論と同じことを提案されているのです。この点については、森田先生の言葉をご紹介します。症状が治るか治らないかの境目は、苦痛をなくしよう、逃れようとしている間は10年でも、20年でも決して治らないが、苦痛はこれをどうすることもできない。仕方がないとあきらめ往生したときはその日から治るのである。すなわちやりくりをし、逃げようとするのか、あるいは我慢して、耐えて踏みとどまるかが、治ると治らぬとの境である。(森田全集 第5巻 389ページ)
2023.01.06
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和田秀樹氏は、「適応障害の真実」という著書(宝島社新書)の中で森田理論について紹介されています。その中の「神経症と森田療法のかかわり方」という話が参考になりました。赤面恐怖という病気の患者は「顔が赤くなるから人前に出られない」「赤い顔では皆に嫌われてしまう」などと思い込んでいるわけです。その患者が「先生、顔が赤くなるのをなんとかしてください」といった時に、森田療法では「あなたはなぜ顔が赤くなるのが嫌なの」と問いかけることから始めます。「こんな赤い顔になっていてはみんなに嫌われますよ」「嫌われたくないということは、あなたは人から好かれたいのですね」「いや好かれたいけれど、こんなに顔が赤いのでは嫌われてしまいます」「私は30年も精神科医をやっているけれど、顔が赤くなっても好かれている人を何人も知っていますよ」「そんなの例外です」「そうでもありませんよ。それに、もっとたくさん知っているのは顔が赤くなくても嫌われている人です」そこでさらに踏み込んで「あなたの顔が赤くなるのを治せば好かれると思っているけど、それは甘い考えだと思いますよ」と指摘します。そして「顔の色に関係なく、好かれる努力をしない限りは好かれませんよ」と考え方や行動の変化を促していくのです。「あなたの顔が赤くなるのは治せないけれども、あなたが人から好かれるために、もうちょっと話術を磨くとか、普段からニコニコするとか、極力元気にあいさつをするというような、あなたが他人から好かれる方法であれば一緒に考えることはできますよ」このようなアプローチが森田療法的なカウンセリングの一例です。(同書194ページ)この例は赤面恐怖症の例ですが、これを自分の症状に置き換えると森田療法的カウンセリングでの治し方が明確になります。①具体的な症状を明確にする。②誤った行動を整理する。③その裏に隠れている自分の生の欲望に気づく。④生の欲望を達成するための具体的な方法を考える。⑤不安との格闘を中止して、生の欲望に向かって行動を開始する。例えば私の場合は対人恐怖症です。人から非難、否定、無視、からかわれることが極度に気になります。それが嫌でそんな場面になるといつも逃げ回っているわけです。その裏には人から高く評価されたいという強い欲望があるわけです。その目的を達成するためには、仕事でも集談会でも、人から評価されるような具体的な行動をとらない限り、いつまで経っても対人緊張はなくなりません。人の役に立つことを考えて、人の喜ぶ姿を見たいという欲望に向かって動き出すことです。そうすれば初期の目的を果たすことができます。老婆心ながら一言付け加えておきます。そこまでしても10人の人すべての人から評価されることはあり得ません。人間関係に完全主義を持ち込むと苦しくなるばかりです。2人の人から評価される。2人の人から非難される。残り6人の人はそのどちらでもない。これが普通の人間関係だと心得ておくことです。ほどほどのところを目指して行動することです。集談会ではこの方法は「ホドホド道」だと教えてもらいました。
2022.12.12
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9月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。水谷先生の啓心寮を退寮するときのことです。水谷先生は、「家に帰ったら親兄弟に治ったと言いなさい」と言われていたという。仮に治っていなくてもそういうふうに言いなさいと指導されていたという。治った気がしなくても、家に帰り治った気になって生活していると、本当に治ってしまうといわれているのだ。退寮を言い渡された入院生は半信半疑で不安だったことでしょう。この記事を書かれた方は、退院してから、目の前の必要なことに手を出していけば、その後どんどん治っていくということだと説明されています。完全に治そうと考えていると治らない。むしろ神経症は悪化してくる。治ったふりをして生活すると、不思議なことに本当に治ってしまう。症状を治してから何かをやろうとすれば、悪循環にはまるので注意した方がよいと指摘されていました。今日はこの話を基にして治るとはどういうことかを考えてみたい。神経症に陥った人は、自分の症状1点にフォーカスしてのたうち回っています。頭の中で考えていることは、神経症を治すことばかりです。自分の日常生活や仕事のことは無頓着になっています。家族や他人のことを考えるゆとりは持てません。つまり考えていることが100%症状がらみということになります。私は治るということは、その割合が減少してくることだと考えています。90%になれば、10%だけは治っていると考えるのは如何でしょうか。20%、30%・・・と下がってきて、50%くらいにまで減少してくれば、本人の主観とは関係なく、もう神経症の克服宣言をしてもよい。神経症の克服以外のことを考えて、生活や仕事に本腰を入れて取り組むことができれば申し分ありません。神経症を最初から完全、完璧に治そうという人は、実現不可能な目標に取り組んでいるようなものだと思います。不安に振り回されやすいという性格傾向は変わらないわけですから、どうしても芯のようなものは残ります。神経症というのは完全に治るということはありえないと思います。神経質性格というものは、その人が持っている素晴らしい個性のようなものです。性格まで根こそぎ治してしまおうという考えは、やり過ぎだと思います。心配性というのは、感性が強く、高性能のレーダーを標準装備しているようなものです。それをプラスに考える必要があります。これは神経質性格以外の人がいくらお金を積んでも買えないものなのです。私たちは親からもらった素晴らしいこの宝物を、有効活用するように心がけていくべきだと思います。治るということを、このように考えると建設的な生き方ができます。それはエネルギーの活用方向が変わってくるからです。私は神経症が治ったのかと聞かれれば、いつも50%くらいは治ったと答えています。高らかに克服宣言をしているのです。それだけ治れば十分だ。その以上のことはしないように心がけた方が、トータルで見ると、より素晴らしい人生を築くことができるのだと考えています。
2022.10.23
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10月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。40日の入院療法の最も大事な条件は、このとらわれから離れることである。このとらわれから離れるには、どうすればよいのかといえば、一方には、常に目的物から目を離さぬことであるが、一方には、自分の心がとらわれから離れない時には、そのとらわれのままにとらわれていることも、同時にとらわれから離れるところの一つの方法であります。この部分だけを読んでいると何のことだかよく分かりませんね。この部分は森田全集の第5巻の244ページで森田先生が説明されています。前後の話を読んでみると、その内容がとてもよく分かります。まず、とらわれから離れない時には、とらわれのままにとらわれていることが大切だといわれています。この点については、船酔いの話で説明されています。さきほど船酔いの話が出たが、三沢君の、あの船の動き方を見張っていたのは、船にとらわれた状態で、そのままにとらわれている時に、船酔いを忘れることができる。これに反して、船のことは思わないようにとか、眼をそらしして、ほかの事を考えて、ことさらに気を紛らわせようとしたりすると、かえって船の事を忘れられないで、船に酔うようなものである。つまりとらわれている状態は不快で気分が悪いので、なんとか気を紛らせ、取り去ってすっきりしたいと考えると、精神交互作用でどんどんとらわれが強くなっていくといわれている。とらわれに対して反抗的な態度はとらないで、不快な気分をそのまま味わい尽くすという態度になるとよい。不快な感情と一体になるということです。次に目的物から目を離さないことが大切になるといわれています。これについては川にかかる丸木橋を渡る時、向こう岸に渡りたいという強い意志を持つことが大切になるといわれている。そのうえで先方の目標物をしっかりと見定めて、目標に向かって行動を起こすことが肝心であると説明されています。これは生の欲望の発揮のことです。神経症のとらわれから解放されるためには、不安はあるがままに受け入れて、目の前のなすべき課題や目標に向かって行動していくことが大事になります。森田理論では、神経症の不安は欲望の裏返しであるという考え方です。ですから不安を目の敵にして、不安を無きものにしようとすると、目的は達成できないばかりか、益々泥沼にはまってしまうということになります。森田理論の「不安と欲望」という単元を学ぶと、不安を抱えたまま、生の欲望の方にエネルギーを投入することが肝心であるということが分かります。自動車でいえば、アクセルを踏み込まないと自動車は前進しません。いつまで経っても目的地に向かうことは出来ません。アクセルは生の欲望の発揮のことです。大事なことは、まずはアクセルを踏み込むということです。でも下り坂でアクセルを踏み込むようなことをすれば、スピードが出過ぎて大事故になる可能性が高まります。一旦車が動き出したら、適宜ブレーキを作動させなければなりません。ブレーキは不安を活用するということです。神経症で苦しんでいる人は、ひたすら不安と格闘している人です。生活が停滞し、不安はどんどん強まり、神経症として固着してしまいます。原則として、不安には手を付けないで、生の欲望の発揮にエネルギーを投入することが大切になります。森田理論が教えてくれているのは、欲望と不安はあざなえる縄のようなもので、どちらも必要なものです。生の欲望を前面に押し出しながら、適宜不安活用して、欲望と不安のバランスを上手に取りながら、生活を前に進めていくことがあなたの腕の見せ所ということになります。
2022.10.13
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対人恐怖症は、人が怖いという感情が強くでてくる人です。他人は自分に危害をもたらす存在であるという気持ちが強い。この感情は不快な感情ですから、扁桃核から青斑核に送られます。ここからノルアドレナリンという神経伝達物質によって防衛系神経回路が作動します。この神経回路は専守防衛です。闘うか逃げるかのどちらかです。このときドパミン主導の報酬系神経回路はお休みしています。やる気が湧いてこなくなり、生産的、建設的、創造的な行動は抑制されます。他人が恐ろしいという感情は自然現象です。人間の意志の自由はありません。その感情を抱えたまま生きていくしかありません。どのような心掛けで生きていけばよいのでしょうか。対人恐怖の人は、職場や学校で、他人が自分をどのように取り扱うかに神経が集中しています。寝ても覚めても人間関係のことばかり考えているのではないでしょうか。仲間から嫌われないようにしたい。上司から叱責されないようにしたい。同僚から能力のない奴だと軽蔑されないようにしたい。そのことばかり考えていると神経過敏になり心が休まる時がありません。肝心の仕事の方は上の空になります。イヤイヤ取り組んでいるように見えます。その結果どうしてもミスや失敗が多くなります。それが仲間、同僚、上司に伝わり、ますます付け込まれるようになります。悪循環のスパイラルから逃れることは出来なくなります。ではどうすればよいのか。100%対人関係のことで頭の中がいっぱいという状態が問題だと思います。その比率を90%、80%、70%・・・と下げていくように頭を切り替えて実践していくというのはどうでしょうか。実はこの考え方は神経症を治していく方法の一つなのです。その方法として考えられることを思いつくままにあげてみましょう。1、仕事の方ではとるに足らないような小さな仕事を丁寧に行う。例えば1枚の伝票にお金を扱うように大事に扱う。書類をファイルして文房具をチキンと整理整頓する。気持よく仕事をするために、朝少し早く出勤して掃除をする。仕事仲間にはこちらから積極的に挨拶をする。2、次に日常生活は規則正しく丁寧に取り組む。凡事徹底です。時間の有効活用を心がける。就寝時間、朝起きる時間を一定にする。食事は買い出し、料理、片付けをきちんと行う。これが手抜きになってはいけません。整理整頓、掃除、洗濯をきちんと行う。3、次に集談会に参加している人は、世話役を引き受けて、みんなに喜ばれるように真剣に取り組む。4、ぺットなどを飼い、親身になって世話をする。観葉植物の手入れをする。自家用野菜作りを始める。5、趣味を作って取り組む。自分の興味や関心のあるものに取り組む。6、会社以外の楽しい人間関係を作る。趣味の会、カラオケ仲間など。7、健康維持のために運動やウォーキング、ストレッチなどを心がける。8、資格試験に取り組む。生涯学習を始める。好きなスポーツに取り組む。9、楽器演奏、一人一芸に取り組む。10、慰問活動などのボランティアに取り組む。これ以外にもいろいろとあると思います。ご自分でも考えてみてください。対人恐怖症は正攻法で対処するとますます悪化します。また、対人恐怖症は、人の思惑にとらわれやすいという性格傾向を持っているということですから、完全になくすることは出来ません。頭の中が100%対人不安で一杯だった状態が、徐々にその比率を下げて、それ以外のことにも頭が働くような方向を目指すのがよいのです。その下がった部分だけ対人恐怖症が治ったと考えるのです。そして50%くらいまで下がってきたら、それ以上の根治を目指すのは考えものだと思います。対人不安でビクビクハラハラしながらでも、人生を謳歌して楽しむ方に方向転換していきましょう。その方が味わい深い人生になります。最後に、森田理論が教えてくれた人間関係の極意を紹介しておきましょう。それは「不即不離」を応用することです。これは、親密になりすぎず、疎遠になりすぎない人間関係です。引っ付きすぎてもいけないし、離れすぎてもいけない。適度な距離感があり、広くて薄い人間関係のことです。コップに一杯の人間関係よりも、コップに少しだけの人間関係をたくさん作るという気持ちで生活するということです。人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心掛けることです。この考え方もぜひ参考にして取り入れてみてください。
2022.10.11
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6月号の生活の発見誌に「神経症の成立と好循環サイクル」という図解があった。生活の発見誌を購読している方はぜひともご覧ください。これを見ると神経症の成り立ちと克服の過程が一目瞭然であった。この部分はコピーして永久保存版とすることにした。私のテキストの「神経症が治るとは」という単元に挿入したい。それによるとまず神経質性格が症状の形成に大きな影響を与えている。自己内省性、執着性、心配性、完全指向、強い欲求、強い感受性、幼弱性があげられていた。次に生活していく中で様々な不安や恐怖が発生する。不安や恐怖や不快感などはあってはならないものと考えて取り除こうとする。取り除こうとすればするほどその感覚は強大になる。つまり精神交互作用により、「神経症」に発展して固着する。そのうち神経症に振り回されて日常生活に支障が出る。うつ状態になり生きづらさを抱えるようになる。森田療法、その自助組織である生活の発見会の集談会に参加する。森田療法理論を学習する。症状は器質的な病気ではなく認識の誤りから生じていることが分かる。ここでは、不安と欲望、感情の法則、感情と行動の法則、行動の原則、気分本位と目的本位の学習が役に立つと説明されている。次に人間性に対する正しい認識を獲得することが大切である。つまり、不安・恐怖などの不快感は、日常生活に必要なものなので取り除く必要はない。不安は欲望の裏返しとして発生している。これが分かれば、欲望に思いを馳せて、今なすべきことをやっていく。でも長年からだに染み付いた感情のクセ(感情態度)が、新しい行動にでるとき全力をあげて抵抗します。しかし逃げてばかりでは何も変わりません。苦しくても恐怖突入することが大切です。恐怖突入とは、症状の為に逃げていたことを、不安を感じるままに行うことです。普通の人にとっては当たり前のことですが、神経症に陥ると実行することが困難になります。恐怖突入とは、必要な時に、必要に応じて、今やらなければならないことを実行することです。つまり普通の人間になることを目指しているのです。森田理論は、神経症的な不安は欲望の反面として発生しているという考え方です。この考え方は、他の精神療法とは違います。他の精神療法は、現実的な不安と神経症的な不安を混同しているのです。神経症的な不安も取り除いたり緩和していくべき対象とみているのです。薬物療法や他の精神療法で不安を解消しようとすると、神経症との格闘は一生続く可能性が高くなります。ここでは、不安の特徴や役割、不安と欲望の関係を学習して、生活面に応用していくことが肝心ですと説明されています。なおこの説明は、森田理論の半分だけを説明しているものと思います。もう一つ忘れてはならない側面があります。それは頭で考えたことが、事実よりも優先されるべきであるという考え方です。観念と事実が食い違うとき、「かくあるべし」という態度で事実を取り扱おうとする態度が問題になります。この態度が葛藤や苦悩を生み出しているのです。観念中心から事実本位の世界に切り替えることができたなら、葛藤や苦悩はなくなります。そしてそのエネルギーを生の欲望の発揮に使うことが可能になります。森田理論学習では以上2つの視点から学習を深めることが大切です。身に付ければ、生涯に渡ってあなたの財産になります。
2022.07.20
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元中日ドラゴンズの山本昌さんのお話です。僕は、毎年のように自分の投球フォームに手を加えているが、実は投手にとってフォームを改良することは勇気のいることなのだ。改良して良い結果が出れば問題ないが、必ずしもそうなるとは限らない。そして、一度変えてしまったフォームはなかなか元に戻しにくい。表面上の動作は同じになったとしても、同じ感覚を取り戻すことは困難なのだ。それでも僕は、まだよくなると信じて改良の道を選択してきた。そのとき、ポイントとなるのが「変えていいものと変えてはいけないもの」の見極めだ。僕の場合、「変えてはいけないもの」のポイントが2つある。1つ目は、球を離すタイミングだ。2つ目は、利き腕と逆の体幹の動きだ。逆にいえば、この2つの動作・感覚以外はどこをいじってもいいと考えている。この考え方は先発ローテーションの調整についても言える。僕は調整のために2回ブルペンに入るようにしていた。これは僕の中では変えてはいけないものだ。そのときの体調に合わせて、球数は変えてもいいが、回数だけは2回で固定する。もし、1回に減らしたら、リズムが狂って、試合に向けてベストなコンディションが作れなくなってします。(山本昌という生き方 山本昌 小学館 69ページ)この考え方はとても参考になります。私は森田理論を生活に応用する場合、ここは変えてはいけないというものを考えてみた。2つあると思います。1つ目は、不安に対する態度です。神経症的な不安は欲望の裏返しとして湧き上がってくるということです。この点は森田理論学習でしっかりと理解してください。ここは森田療法と他の精神療法の違うところです。ですから、不安の解消に取り組むよりも、生の欲望にエネルギーを投入していく。その際、不安の役割を活用して、欲望が暴走しないように制御するように心がければ申し分ない。老婆心ながら、一言付け加えると、現実的な不安の取り扱い方は違います。これは、不安に学び、積極果敢に不安をなくするための行動をとることが欠かせません。2つ目は、観念優先で事実、現実、現状を批判・否定しないということです。この態度は「かくあるべし」を押し付ける態度です。森田でいうと「事実唯真」の態度を貫くということです。どんなに理不尽な出来事が起きても、それを批判、否定しないで、あるがままに受け入れるようにすることです。常に事実優先の態度を前面に押し出し、その後観念優先の理知の力を借りて総合的に判断する態度を堅持することです。逆に言うと、それ以外のことは、少々アレンジを加えてもよい。この2つがぶれないで、たとえ一時的に横道にそれても、元に戻ることができれば大丈夫だと思います。
2022.05.25
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4月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。森田療法を学ぶ前は、森田療法で神経症を治すことが出来るという希望がありました。森田療法を学ぶにつれて単純に森田で治るとは考えられなくなりました。治りたいと思えば思うほど症状がきつくなる現実に打ちのめされました。これは深刻な問題です。私の場合で振り返ってみました。私の症状は対人恐怖症でした。人から非難、否定、からかわれる、無視されることが苦痛でした。苦痛をなくするというよりも、逃げ回ることばかり考えて生きてきました。生きることは苦しむことだと思っていました。森田理論学習の自助組織に参加して36年になります。今では森田に関わってきてよかったと思っています。森田に関わっていなかったら、のたうち回ってみじめな人生に甘んじていたと思います。では対人恐怖症が治ったのかと言われると、それもちょっと違うという気持ちです。治るとか、治らないとかという問題を議論する必要がないという心境です。では森田の学習で何を学び、どんな心境の変化が起きたのか。対人恐怖症を持ちながらでも、何とか楽しく生きていける。4月号の巻頭言に、「日常のささやかな幸せが人生の幸せ」という記事がありましたが、私もその様な心境です。「たかが人生、されど人生」という気持ちで、生活を精一杯楽しむことが出来るようになりました。森田理論で役に立ったのは、対人恐怖症の裏には人から評価されたい、一目置かれるような人間になりたいという大きな欲望があることが分かりました。対人恐怖症をなくすることよりも、他人から尊敬され、褒められるような人間になるように努力精進することが肝心であることが分かりました。「対人恐怖症という不安」と「一目置かれる人間になるという大きな欲望」を天秤に例えてみました。そしていかにしてそのバランスをとっていくかにエネルギーを投入した方がよいという結論に達しました。この考え方を持つようになってきてから、対人恐怖症で振り回されことは少なくなりました。「生の欲望の発揮」というのは、森田の最終目的地になると思っています。次に対人恐怖症には、「不即不離」の人間関係作りが有効だというのが分かりました。コップ一杯の親しい人間関係を5つくらいというのではなく、コップに少しだけの人間関係をたくさん作るという方法です。人間関係は、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心掛ける。これは画期的な考え方だと思います。これだけでも、森田を学習してよかったと思っています。そして高良武久先生から、対人関係で苦しんでいる人は、エキスパートを目指しなさいと教えてもらいました。一つのことを10年続けていけば、だいたいその道の専門家になれます。専門家になれば、対人関係で悩むことはなくなるはずだと言われたのです。このブログを始めてくしくも10年目になります。この考えは確かに間違いなかったと思っています。それから私は完全主義、理想主義の塊でした。言い換えれば、頭でっかちで、観念優先で現実、現状、事実を批判・否定ばかりしてきました。この態度が自分を苦しめていることが分かりました。森田理論学習で、事実に寄り添う態度を身につけることを学びました。これはまだ道半ばですが、方向性とやり方は森田理論学習で理解しました。事実本位になることが、生の欲望への登竜門だと考えています。今後はこの方法で進んでいくことにしています。神経症で苦しんでいた時は、100%症状のことで頭の中が一杯でしたが、生活が好循環してくるとともに、その比率が少しずつ下がり始めました。今現在は少なくとも50%程度には下がっていると思います。神経症から縁が切れたのかと言われると返答に苦しみます。でもこの程度の治り方で自分としては十分に満足しているのです。むしろ対人恐怖症が全部なくなると、自分の個性もなくなってしまうのではないかと考えています。個性のない人間にはなりたくありません。
2022.04.13
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2022年2月号の生活の発見誌に臨床心理士さんの記事があります。この方は神経症と格闘しているうちに心理学そのものを勉強したくなったそうです。働きながらですから大変だったでしょう。まず放送大学に入り心理学を受講した。弾みがついて夜間の大学院に通って臨床心理士の資格まで取得された。生活の発見会にはすごい努力家がいます。私の知ってる人の中には、臨床心理士、精神科医、産業カウンセラー、一級建築士、公認会計士、司法書士、土地家屋調査士、社会保険労務士になった人がいます。向上心が半端ではないといった感じですね。そういえば森田先生の時代は、弁護士、外交官、検察官、陸軍幹部、新聞記者、医者、大企業の経営者、大学教授、自営業で成功した人などが目白押しでした。生活の発見会に入ると、そういう人たちと親しく交流でできるのですからたまりません。さて紹介記事に入りましょう。私の対人恐怖の症状がなくなったかと言われれば、決してそうではありません。苦手な場面ではいまも緊張します。しかし、これまではそれが人生の「最大の悩み」だったものが、人生の数ある中の「悩みの一つ」になりました。不安や症状に対する見方が大きく変わったからです。「悩み」は必ずしもなくならなくても、「悩み」を持ちながらでも人は十分生きることができる。それを森田から学びました。それは私にとって「治る」ことに匹敵するとても大きな変化だったのです。この記事は短いですが、神経症が治るということを的確に説明されています。治るということは、症状が跡形もなく消えてなくなるということではありません。そういう希望を持って森田理論学習を続けておられる方がいらっしゃいましたら、希望に沿うことはできません。最初は神経症の葛藤や悩みが頭の中を覆い尽くしていたと思います。森田理論学習と実践により、その比率が少しずつ下がってきます。その比率が下がってきた分だけが、神経症が治ってきたということになるのです。ですから、たとえばがんが治って元の状態に戻るような治り方はしないということです。神経症の火種というものは最後まで無くならない。不安にとらわれやすいという神経質性格は元のままです。10%、20%、30%・・・というふうに、治った部分に焦点をあてて、感謝できるようになった人が治った人ということになります。それが語弊があれば、治りつつある人と言い換えてもよいでしょう。普通は、治った部分は当たり前のことで、まだ苦しい治らない部分に注意を向けてどうしても根治を目指してしまうのです。その方向は、思いがかなえられることはなく、アリ地獄へ真っ逆さまに落ちてしまうのです。ですから短絡的に、神経症が治ったが治らないかという二者択一的な考え方をもつことは、百害あって一利なしということになります。治った部分に感謝しながら、日常生活の中で小さな楽しみや喜びを見つけ出していく。家事、育児、仕事、勉強、趣味、人との交流に課題や目標を持って取り組む。日々生活に丁寧に取り組むようになった人は、それだけで救われている人です。その理屈を森田理論学習によって理解し、実践行動に結びつけた人は魅力あふれる人になることができます。
2022.03.22
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「そのままのあなたですべてよし」(生活の発見会 山中和己)という本に次のように書いてある。「実践はしているが、いつまで経っても治らない」相談中にそう発言されるかたが、あとを絶たない。そこでわたしは、こんなふうにいってみる。「実践」と「なおる」ということとはべつもの・・・。そう、とらえたほうが妥当ではないでしょうか。ただし、これからも、毎日の「仕方なしの生活」は続けてくださいね。(同書 218ページ)まったく同感です。神経症を治すために、ハツカネズミが一晩中糸車を回し続けているような行動は、神経症を治す方向には向かない。むしろ意識や注意を神経症に引き付けてしまう。これは実践するとよく分かります。神経症の苦しみが増えてくる。治すための必死な行動がバカらしくなってきます。最初はイヤイヤ、仕方なしの行動・実践で構いません。むしろ行動に弾みがつくまでは、そうすることが大事です。気分本位になって、しんどい、つらい、おっくう、めんどう、できない、動きたくないといって行動や実践を回避してしまうというのは駄々っ子のすることです。その道を選ぶと、暇を持て余し、考えることが内向きになり、ネガティブで悲観的なことばかり考えるようになります。この段階では、行動する習慣をつけることに専念した方がよいのです。つまり神経症を治すための行動であっても何ら構わないということです。しかし、曲りなりに規則正しい生活になった時、その意識を持ち続けると、神経症は以前よりも悪化するということになります。症状を治すという目的を持った行動は、そこに注意や意識を強力に引き付けます。そして以前持っていた症状よりもさらに悪化するということになります。ここでは発想の転換が必要になります。行動は神経症を治すという目的のために行っているのではない。行動や実践は、自分の生活を維持して生きていくために、必要な時に、必要に応じて、必要なだけを心掛けるようにするとよいのです。そのためには、行動・実践にあたっては、物そのものになりきるという心がけが大切になります。一心不乱になって、目の前のことに集中する。気が付いたら、症状を治すということをすっかり忘れていた。つまり一時的には症状がなくなっていたということです。こういう体験を積み重ねていけばよいのです。行動の中から、興味や関心、気づきや発見が見つかったら、しめたものです。ここでは感情が谷あいを流れる小川のように動き出したということが肝心です。問題点、改善点、アイデア、工夫が泉のごとく湧き出てくるようになれば、神経症的な悩みは一時的に棚上げ状態になります。頭の中が神経症の悩みで一杯の状態から、仕事や日常生活、趣味や付き合いなどのことで少しずつ置き換えられるようになります。この方向に切り替わっていくことが、神経症が治るということになります。100%症状のことで頭がいっぱいだった状態が、いつの間にかその比重を下げてきたという実績が大事なのです。不安神経症の人は頓悟で治る人が出てきます。強迫神経症の場合は、急に神経症が治るということはありません。徐々に時間をかけて、振り返ってみたら、神経症に振り回されなくなっていた。そういえば、神経症で振り回されてつらいときがあったと思うようになります。強迫神経症の人は、普通は漸次という治り方をします。老婆心ながら、神経症は完全に治るということはありません。神経症は特定の不安にとりつかれて、深みにはまり観念と生活が悪循環することです。不安にとらわれやすいという性格自体は治すことはできません。またこの鋭い感受性は無くしてはなりません。それは自分の個性のようなものです。自分の長所としてとらえるべきです。大事に育てていく姿勢を持って、頭の中で過度にとらわれなくなって、生活がまがりなみにも前進するようになった時点で、神経症の克服宣言をすることです。周りの人に「治った、克服した」と言っているうちに本当に治ってしまう。ですから「ほどほどに治す」のがベターなのです。森田の理論学習の中で「ほどほど道」を目指そうと聞いたことがありますが同感です。そのエネルギーを、生の欲望の発揮に投入していくようにすれば、神経症に振り回されなくなり、さらに味わい深い人生に転換してくるはずです。ここに焦点を当てて日々の生活を大切にして気を抜かないで取り組んでいきましょう。
2021.12.05
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昨日の続きです。神経質者が陥りやすい悪循環は4つということでした。今日は神経質者が陥りやすい1と2の悪循環をどうして断ち切るのかを考えてみたいと思います。1、森田理論では注意と感覚の悪循環は、精神交互作用と言われています。不安、恐怖、違和感、不快感を直接取り上げても打開策は見つかりません。これを断ち切るには、不安と欲望の関係を理解することが重要です。神経症的な不安は、欲望の裏返しとして湧き上がってきます。この悪循環を断ち切るには、ここに眼をつけることがポイントになります。欲望が存在する限り、不安はつきものです。セットとして考えることです。では不安との付き合いはどうするか。参考意見として聞くようにするのです。行動するにあたって、貴重なご意見ありがとうという気持ちを持つことです。不安の忠告に留意して慎重に行動していくとよいのです。決してまともに取り扱ってはいけません。欲求を放り投げて、不安を取り除くことを目的にしてはいけません。森田理論ではこのことを手段の自己目的化と言います。不安を取り除こうとすると、悪循環のスパイラルに陥ります。そして最後に神経症として固着してしまうのです。2、観念と事実の悪循環をどう断ち切るか。これについては2021年7月11日から7月22日にわたって、「観念中心の態度を事実優先の態度に切り替えるために」と題して投稿しました。ここでは詳しく説明しませんので、関心のある方はお読みください。入り方は、このブログの上部の「新着記事一覧」をクリックすると「月別記事」があります。2021年7月をクリックすると簡単にアクセスできます。ちなみに項目だけをあげておきます。1、「かくあるべし」の弊害と「事実本位」の利点についての理解を深める。2、自分のなかにいる二人の自分を一人に統一する。3、事実観察を徹底する。事実は具体的、赤裸々に取り扱う。4、観念による先入観、決めつけ、マイナスのレッテル張りをやめる。5、物の性を尽くす。己の性を尽くす。他人の性を尽くす。6、「あなたメッセージ」を「私メッセージ」に変更する。7、両面観のものの見方を身につける。8、純な心(直観、第一の感情、初一念)の感情を大切にする。9、否定語から肯定語の活用を心掛ける。これら全部に取り組む必要はありません。一つか二つに絞って、深耕することが有効です。愚直に取り組むことで、事実本位の生活態度が養成されます。森田先生は、「事実を最優先して、その後理知的な考えを活用して調整していくことが大切です」と言われているように思います。事実を優先する態度は、葛藤や苦悩がなくなります。のびのびと生の欲望に邁進できるようになります。水を得た魚のごとくです。エネルギーの無駄遣いが無くなり、有効活用ができるようになります。これによって逆転人生の幕が切って落とされるということです。人間関係の悪循環、行動上の悪循環の打破については、明日の投稿課題とします。
2021.11.30
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森田先生の言葉です。神経質で治りにくい人は必ずみな、少し残った不快感をもって、強いて治らないといい張る人であって、そんな人には、神様も「あんなにまでいうものをかわいそうだ」といって、治らない事に決めて下さっているのかも知れません。神様は気が長いからよいけれども、僕は気が短いから、憎らしくなってしまう。(森田正馬全集 第5巻 696ページ)神経症は完全に治すことを目標にしない方がよいといわれています。たとえば、戸締りやガスの元栓が気になる人は、生活に支障のない範囲で治ればそれでよしとしなければならない。その不安が完全になくなることはあり得ないし、その不安は残しておいた方がよいのである。その人の為になるのです。対人恐怖症の人は、対人恐怖症に振り回されて、日常生活、仕事、勉強などが手につかなくなる。それが少し治ってくると、不安に振り回されなくなり、本来のなすべき目的に向かって手足が動くようになる。その時点で、対人緊張がなくなっているかと言えば、そんなことはない。特に、自分を批判、否定、無視、軽視、からかう人は依然として苦手である。うっかりすると、またとらわれてパニックになりそうな気がする。気持ち的にはすっきりとしない。人を見ると危害を加えられそうで、常に防衛態勢に入ってしまう。それはコアの部分にしっかりと、対人恐怖症の種火のようなものが残っているのである。ここでさらにその種火のようなものまで、取り除いてしまおうする人が出てくる。このように考えると、いつまで経っても対人恐怖症は治らない。よいところまで到達したのに、この方向に向かうことは元の木阿弥になる可能性がある。過ぎたるは及ばざるがごとしとはこのことだ。他人の思惑が気になるという気質はどうにもならない。神経質性格もおいそれと発揚性気質などに取り換えることはできない。それらはその人のアイデンティティなのである。それを無くしてしまうことは、その人がその人ではなくなるということを意味する。なくすることはできないし、なくそうとしてはいけない。自分の目標とする7割程度治れば、それでよしとしなければいけない。7割程度治った時点で、神経症を治すという努力を中止することが得策である。完全主義にとらわれると、神経症は泥沼化していく。私の場合でいえば、森田実践に取り組んで15年くらいは、来る日も来る日も神経症を治そうとしていた。そんな時、「神経症は治そうとしていては10年、それ以上の年月をかけても治らない。治すのを止めたときはその日から治る」という森田先生の言葉を見つけた。そして「俎板の鯉になったつもり」「清水の舞台から飛び降りるようなつもり」というキャッチフレーズを机の前に張り付けた。後ろ髪をひかれる思いで、対人恐怖症を治すという努力と縁を切った。つまりしぶしぶやむなく神経症との格闘から撤退していったのです。それでは、益々対人恐怖症が悪化するだろうと思われるかもしれません。実際はその逆の現象が起きたのです。そこが逆転人生の始まりだったのです。そこに投入していたあり余るエネルギーを、生活面、仕事面、対人関係に投入することが可能になりました。規則正しい生活、凡事徹底、好奇心のある事、興味や関心のある事、家族や親との付き合い、不即不離に基づいた人間関係の改善、家庭菜園、一人一芸の習得、資格試験の取得などに取り組むことが可能になりました。続々と成果が上がってきました。今まで通り神経症と格闘していては、何ら果実は手にできなかったと思います。今思うと、60%くらいの不本意な治り方を受けいれて、「生の欲望の発揮」の方向に転換したことが正解であったと断言できます。他人の思惑が常に気になるが、やりたいことが多くて、それらに一方的に振り回されることがなくなったという状態が対人恐怖症が治ったということなのです。決してすっきりと跡形もなく完治するようなものではありません。ここで声を大にして言いたいことは、神経症は中途半端な治り方で十分です。アリ地獄の底から地上に這い出た人は、それ以上の治し方を目指すよりも、「生の欲望」に向かって舵を切れるかどうかが運命の分かれ路になると思います。このことを、どうかご自分の体験で確認してみてください。
2021.11.05
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渡辺利夫さんの話です。蛇足ですが、渡辺さんは「神経症の時代」という開高健賞を受賞された素晴らしい本を執筆されています。森田にとって神経症とは、特定の病覚に主観的にとらわれた心の状態のことです。この心のとらわれから放たれて精神が自然に流露していくことが神経症は治癒だということになります。つまり神経症の治癒とは、症状に対する心のとらわれからの解放であって、症状そのものがなくなることではない、ということです。心臓発作恐怖症者の人の場合であれば、その発作神経症が治癒した後でも、心臓が鼓動をやめることはありませんし、死の恐怖それ自体が人間の心の底から去ってしまうことはないのですから、恐怖と不安は恒常的なものだといわざるをえません。心臓発作を一再ならず経験し、これを恐怖した人から、恐怖を完全に拭い去るといったことができるはずもありません。対人恐怖の症者は、他人の視線が気になるという気分から完全に自由になるわけにはいきません。森田は、これらの症状それ自体は存在してもいいのだ。症状は存在していてもそれのみにとらわれることなく、生の欲望にのっとって人間としてなすべきをなしていくという態度が形成されること、つまりはこれが神経症の治癒である、と説くわけです。逆説的な表現を使えば、人間生活を全うする過程で、おこるべき時期と境遇に応じて必ずおこる感情のすべてにとらわれて、一点への執着から離脱すること、これが森田にとっての神経症の治癒なのです。神経症とは、その意味で過度の意識性が特定の一点にのみ、たとえば心臓の鼓動とか他人の視線とか、そういう一点に局限され、その一点以外への意識性が希薄化した心の状態です。したがって人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡り、特定の一点への意識集中が相対的にその「水位」を下げていくこと、これが神経症の治癒だということなのです。症状が消えるのではありません。症状は穿鑿すればまごうことなく存在しているのですが、それへの意識の執着がなくなること、これが神経症の治癒だということになるのです。森田にとっての神経症の治癒とは、帰するところ意識を無意識化させること、つまりは「意識の無意識化」だということになります。(現代に生きる森田正馬のことば1 生活の発見会編 白揚社 24ページより引用)神経症の苦悩、生活上の悪循環からの解放に向かって、何を目指していけばよいのか明確に説明されています。症状は、意識や注意がある一点に局限された状態である。その状態を改めて、人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡るように仕向けて行けばよい。そのためには、症状は苦しいけれども、それとかかわりを持つことを徐々に少なくしていく。そして、目の前の日常茶飯事、仕事、家事、育児に視線を移して、丁寧に取り組んでいく。生活上の不安や悩みに取り組んでいくということです。取り組めば成果が期待できるものにエネルギーを投入していくことです。気がついてみたら、症状のとこは一時的に忘れていたという時間を多く作り出していく。最終的には、以前は100%近く症状のことばかり考えて悩んでいたが、現在は症状のことは10%ぐらいしか考えていない。大半は当面の生活上の問題や課題のことで忙殺されている。そういえば以前は神経症のことにとりつかれていたな、いまはそんなゆとりもなく、生きていくことで精一杯だと思えるようになることが目指すべき終着点です。その方法を集談会の相互学習の中で、確実に自分のものにしていくというのが森田理論の醍醐味であると言えます。
2021.11.04
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生活の発見会の山中和己氏のところに、次のような相談が後を絶たないと言われる。「実践はしているが、いつまで経っても治らない」「森田療法の本を読んで、自分なりには実践はやっているつもりです。でも不安や恐怖は、強いままです。さっぱり減りません。なぜでしょうか・・・」これに対して、山中氏は次のようにアドバイスされている。「実践」と「なおる」ということはべつもの・・・。そう、とらえたほうが妥当ではないでしょうか。ただし、これからも、毎日の「仕方なしの生活」はつづけてくださいね。(そのままのあなたですべてよし 山中和己 生活の発見会 217、218ページ)これをもとにしてさらに深めてみましょう。生活の発見会の集談会では、神経症の克服のためには、実践課題を掲げて、目的本位の生活を続けることですと学びました。誰でも神経症は、苦しみ以外のなにものでもありませんので、藁にもしがみつく思いで、取り組むことになります。布団上げ、靴磨き、風呂の掃除、部屋の掃除、整理整頓、料理、車の洗車など。頭で考えることを中断して、行動に主軸を移していくと、症状に関わる時間が少なくなりますので、少し楽になったような錯覚を起こします。神経症を早く治したいという気持ちが強いと、それが加速して馬車馬のような行動になります。このような行動・実践を続けていると、精神的にも肉体的にも疲れ果てて、こんなに努力しているのに、症状はよくならないと嘆くようになります。そして、突然実践課題を放り投げてしまうことにもなります。すると神経症は益々悪化しているということになります。この心理は、けがをしてかさぶたができたときに、けがの治り具合を確かめるために、かさぶたを取り除いて傷口を観察するようなものです。これをすると傷口の修復が遅れて、いつまで経ってもけがが治らないということになります。別の例でいうと、野菜の苗を植えて、2~3日経った頃、根付いているかどうか心配になって、引っこ抜いて確かめようとするようなものです。伸びてきた根が切れて、最悪の場合、枯れてしまいます。ここで言いたいことは、症状を治すことを目的としている行動・実践は、一時的によくなったかのように見えても、長い目で見ると、症状に注意や意識を集中してしまうので、症状の改善には結びつかない。むしろ逆に悪化の一途をたどってしまうということです。ただし、まったく行動・実践が滞っている人は、それで構いません。むしろそうすることが大事になってきます。ところがある程度行動・実践できるようになった人は、症状を治すという目的を意識してはいけないということです。ではどうすればよいのか。自分の生活を維持し、豊かにするために、必要なことを必要なだけするということです。こうなると無理はしなくなります。疲れません。お使い根性の仕事ではなくなります。奥さんの家事を取り上げて、自分の実践課題にしてしまうことはなくなります。このような心掛けを持っていると、次々と日常生活の中で課題が見えてきます。行動・実践の中に、気づきや発見、興味や関心が生まれてきます。新たな問題点や課題も見つかってきます。それらを解決しようとやる気や意欲が高まります。ここで大切なことは、症状を何とかしようと思って凝り固まっていた感情が、いつの間にかすっと動き出しているということです。森田理論は、感情を、谷あいを流れる小川のようにさらさらと流すという理論になっています。決してお堀の水のように、ずっととどめておくという理論にはなっていません。そうなれば、水が汚く濁り、雑菌や藻や蚊などが発生して、不衛生極まりないということになります。行動・実践によって、神経症を治そうとしていると、感情がさらさらと流れるのではなく、いつまでも症状にこだわるという結果を招いてしまうのです。少しの違いですが、後々大きな差となって取り返しのつかないことになります。
2021.10.26
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生活の発見誌の10月号に神経症が治るということについて、明確に説明されていました。これは自分の神経症がなくなることではなく、神経症は相変わらず存在する。以前と違うのは神経症の占める割合が変わってくるのである。今までは神経症が自分の意識の全てだった人が、今は自分の神経症を治すことよりもっと大事なことに気づき、そして、その方向に意識が向き、努力して人間的に大きく成長しているのである。その結果、神経症が次第に気にならなくなり、人間が本来持っている自然治癒力が働き、消滅するのではないかと思っている。私はこの考えに全面的に賛同します。神経症は自分が気になることに注意や意識を集中することによって起こります。自分の気になることを、跡形もなく無くするということはできません。仮に無くしても、不安にとらわれやすいという神経質性格を持っているわけですから、別のことが気になり、今度は別なことにとらわれるようになるでしょう。イタチごっこが続くということです。神経症が治るというのは、今症状のことで100%頭の中が一杯だった状態が、どんどんその比重が下がってくるということなのです。10%下がっただけでも気持ちが楽になります。30%も下がった人は、周りから見るとほぼ克服したように見えます。本人はとらわれが強くて苦しいと思っていても、注意や意識の30%は症状以外のことを考えているわけです。その瞬間は全面的に症状とかかわってはいません。不十分ながらも、仕事、衣食住、子育てや教育、趣味、友達、親戚、近所付き合いの問題や課題に取り組んでいるのです。方向性とすれば、さらに比重を下げるべく努力すればよいのです。凡事徹底のことです。ある程度軌道に乗ってくれば、ものそのものになって取り組むようにすれば、鬼に金棒です。この時点で森田から離れても構わないのですが、一度立ち止まり、神経症の成り立ちを学習しておくと再発防止に役立つと思います。森田理論の学習をしておくとよいのです。とらわれることによる生きづらさを抱えている人は、さらに森田理論を深耕することが有効です。生きづらさを抱えて苦しんでいる人は、頭でっかちの人です。分析力に優れて、論理的、建設的、創造的に考えることができる人です。つまり頭の良い人なのです。それを過信して、観念優先で物事を理解して、理想や完全の立場から現実問題を解決しようとしている人です。それが可能であると信じて疑わない人です。そうなると、現実を非難・否定するようになります。現実を正しく把握しようともしなくなるのです。変化に臨機応変に対応できなくなります。現実と理想のギャップに押しつぶされて、身動きできなくなってしまうのです。こういう傾向が強い人は、森田理論の学習をして観念優先の態度を事実優先の態度に変更する必要があります。「かくあるべし」を自分や他人や自然に押し付けることを止めて、問題のある理不尽な事実、現実、現状にいつも優しく寄り添う態度を養成すればよいのです。森田では「事実唯真」「事実本位」の生活態度を身につけると言います。これを身につけた人は、グチ、非難、否定の言動はぐっと少なくなります。それにとって代わって、肯定、感謝、承認の言動がどんどん増えてきます。ここまでくれば、神経症とは無縁になります。人間に生まれてきて本当によかった。その喜びを胸に持って、益々人生を謳歌できるようになります。
2021.10.05
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森田療法は神経症をどうとらえ、どこへ導こうとしているのだろうか。精神疾患の一つとしてとらえ、不安を根絶しようとしているわけではない。ここが薬物療法や精神分析、一般的な認知行動療法等の精神療法と大きく異なるところである。不安を憎き相手とみなしているのではなく、手を携えて協力し合う仲間として大切にしているのが森田理論なのです。ここが森田理論の最も優れたところです。早速、神経症の成り立ちを見てみよう。不安は誰にでも発生するものであるが、神経質性格者は感受性が強いので、小さな不安でも見逃さない。そしてキャッチした不安に対して、敏感に反応する。引っ付かず離れずで適当にあしらっておけばよいものまで、真面目にかかわりを持ってしまう。そして不安を持ったままでは苦しいだろうから、なんとかして取り除いて楽にしてあげようと考える。かかわりを持ちすぎていつの間にか、引くに引けない状況に追い込まれてしまう。神経症が固着すると、その不安に振り回されて、普段の生活や仕事に悪影響が出てしまう。神経症は100人いれば100通りの症状があるが、同じからくりから生み出されている。脳の働きに異常があって、発生する器質的な精神疾患ではない。自分が気になる一つの不安を、精神交互作用によってどんどん増悪させた結果なのである。しかし時として、神経症は器質的な精神疾患の患者よりも、より深刻な病気を持っているように見えてしまう。一つの不安にとらわれすぎるというのは、実に悲惨な結果を招いてしまう。森田療法は一つのことにとらわれて、生活を破壊され、治っても生きづらさを抱えて苦悩している人に対して、どのように手を差しのべようとしているのだろうか。人間が適度に不安にとらわれるのは当たり前のことである。だから大いにいろんなことにとらわれたらよいのである。しかし、神経症に陥った人は、一つの不安に絞って深入りし過ぎているとみているのです。深入りし過ぎて、車のスピードメーターが振り切れたような状態になっている。車でも100キロも120キロも出したら緊張を強いられ、もしものことが頭をよぎります。これはいくら何でもやり過ぎというものです。一瞬のハンドル操作の間違いで一巻の終わりです。それでは後悔しますよ。車でいえば、50キロから60キロぐらいのスビートに落とせば、精神的にリラックスできて、ドライブを楽しむことができるじゃありませんか。一つの不安にあまりにも肩入れするのではなく、もう少し力を抜いたらどうですか。その時の脳の容量を100とすると、一つのことにとらわれているときは、症状のことで80%から90%を占めているのではありませんか。ほかのことを考えるゆとりはありません。その比率が70%、60%に下がった時のことを想像してみてください。だいぶ他のことを考えるゆとりが生まれました。さらに、50%、40%、30%、20%に下がった時のことも考えてみましょう。症状のことは、時たま思い出すくらいで、大半は、仕事や日常茶飯事や子育てや趣味など様々なことを考えているのではありませんか。10%にまで低下した人は、神経症とは無縁な人です。普通の人と比べても、より生産的、建設的、創造的な魅力ある人間として、人生を楽しんでおられるはずです。森田理論で症状が治るとは、こういうイメージなのです。様々な同じ程度の不安が現れては消えているといった感じになります。森田理論は、突出した不安の取り扱いを、他の不安と同じ程度の比重に下げようとしているだけなのです。神経症に陥る人は、不安の取り扱い方を間違えているということです。一つ注意したいことがあります。それは、神経症のもとになった、不安を根絶しようなどとは、夢にも思わないことです。「不安と欲望」の単元を学習すればよく分かりますが、不安は戦うべき相手ではなく、あなたの味方であり、協力者なのです。不安とは仲良く付き合わないといけません。その時、あまりベタベタと付き合うのではなく、森田理論の「不即不離」を応用して付き合えばよいということです。不安を抱えたまま、ある程度のストレスを感じなから生きていくことに意義があるのです。
2021.09.15
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生活の発見会発行の「学習会シリーズ」という本に次のような説明があります。集談会のメンバーで「治った」と明言する人にあまりあったことがないという話をしましたが、こうして「治る」という意味を考えてくると、「治る」という表現が適切ではなく、「あまり気にならなくなった」などの表現の方が事実に近いと分かってきます。いずれにしろ、森田の「治る」ことの究極の目標は「人間としての成長」です。私たちは「神経症が治る」という言葉をよく使います。この方は、この表現は適切ではないといわれています。「あまり気にならなくなった」という表現がよいのではないかと説明されています。私もこの考えに賛同します。不安神経症の場合は、心機一転、頓悟の経過を経て、突然に治るということが起きます。確認行為を続けている人も、突然強迫行為をやめた瞬間から症状から解放されます。神経症が治るというのは、この人たちのことを言うのだと思います。一般的に強迫神経症の人は、スパッと竹を割ったような治り方はしないものです。よくタマネギの薄皮をはがすような治り方をするといわれます。たとえば、対人恐怖症の人の場合で説明します。職場で孤立して、仕事が手につかなくなります。朝目ざめても職場に行くことができない。不安や恐怖に押しつぶされるようでイライラします。休職して、薬物療法、認知行動療法、カウンセリングなどを受けます。その途中で森田療法にも出会いました。一筋の光明が見えた瞬間です。森田理論の「不安を抱えたまま、なすべきことに手を付けましょう」という魔法の言葉に促されて、早速実践課題に取り組みます。このことに愚直に取り組んだ人は、1年もたたないうちに、蟻地獄の底から地上に這い出しています。仕事に対して前向きに取り組んでいるので、職場の仲間から評価されるようになります。この状態は普通の人と何ら変わらないわけですから、一般的には治ったといえると思います。これで大丈夫と思う人は結構なことです。しかしこの段階は表面的に治ったかに見えるだけで、対人恐怖のもとになっている不安や恐怖は依然として続いている。積極的に行動できるようになると、悩みはますます増えてくる。対人恐怖症に伴う生きづらさは一向に解消されていない。ここで気分本位になって、行動力が鈍ってくると、もとの状態に戻っていく。神経症に苦しんでいたころよりも、精神的な葛藤がより深刻になってくる場合があります。つまり症状のぶり返しが起きてくるのです。プロ野球の打率と同じで、調子が良い時は高い打率を維持できるが、スランプに陥ると打率はどんどん下がっていくのです。治るということに自信をなくしてしまいます。他人から見ると症状を克服したように見えるが、本人としては対人恐怖症を乗り越えたとは思えないのです。この段階で苦しんでいる人は次の段階に進むことが大事になります。それは森田理論学習の深耕によって、対人恐怖症は治すということはできないということの自覚を深める段階です。どんな手段を用いても、対人恐怖症は治すことはできない。人を見ると、自分の安全をおびやかし、精神的に自分に危害を加えるのではないかと思う感情が泉のようにこんこんと湧き出てくる。これを食い止める手立てはないと観念する段階です。ここまで到達した人は、対人恐怖症から解放されます。しかしこれは嫌な感情に完全服従するということですから、乗り越えるハードルは高いです。でも結果的に乗り越えたかのような、状況にまで持っていくことはできる。それは何かというと、対人的な不安や恐怖はそのままに放置して、自分のなすべきことや挑戦してみたいことにどんどん手を出していくことです。人生を楽しむということです。気分本位になって逃避しない。不安や恐怖を取り除こうとしない。そんなことに関わるよりは生活をもっと豊かにしていこう。興味や関心のあることに目を向けて、人生をとことん楽しもうというふうに考えて行動するのです。ここでは神経症を治すことをやめた人が、結果的に神経症から解放されるというパラドックス現象が起きているのです。神経症を治すという言葉に引っ掛かっている人は、いつまでも治らない。治すという言葉を忘れて生活していたという人が、結果として神経症を克服しているということです。これが、神経症は治るのではなく、「気にならなくなった」という意味です。治るという言葉に変えて、「神経症が気にならなくなる」「神経症に振り回されなくなった」という方向性を目指したいものです。
2021.08.22
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森田先生の言葉です。さて、書痙なり・そのほかの神経質の症状が治るには、背水の陣という事が最も必要なことです。背水の陣というのは、兵法で敵前に、川を後ろにして陣をしいて、逃げることのできないようにする事です。退却することができないと確定すると、突進して血路を開くよりほかに方法が尽きてしまう。鼠一匹でも、正面からパッと飛びかかって来ると、たいていの人が身をかわすものです。必死の勢いで突進して行けば、必ず血路は開ける。これを必死必勝といいます。「窮すれば通ず」といって、神経質の症状は、みなこの心境になりさえすれば、必ず全治することができます。(森田正馬全集第5巻 687ページ)神経症は不安にとらわれて、不安を取り除こう、不安から逃げようと「はからう」ことで、どんどん増悪して、最後には日常生活に支障を起こすようになるまで悪化するのです。森田理論学習によって、神経症の成り立ちが分かれば、その逆のことをすれば、神経症で苦しむことは無くなります。不安を取り除こうとするのを止める。不安から逃げない。しかしこれは、たとえ森田理論学習で理解しても、実行となると大変難しい。苦しくて気が狂いそうなときは、どうしても神経症の原因である不安を取り除きたい、取り除くことができなければ逃げて身の安全を確保したい。これが人情です。私の場合を振り返ってみるとそのパターンにはまっていました。対人恐怖症という強迫神経症でしたので、背水の陣を敷くことができなかったのです。その点不安神経症の人は、集談会にやってきたときは、生きるか死ぬかのような大変な苦しみを抱えておられるのですが、それが結果として背水の陣を敷くきっかけになっていたようです。森田にすべてを託してしまうと、1年足らずで症状から解放される人も数多く見かけました。胃腸神経症で苦しまれた公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団の元理事長の岡本常男さんもそうでした。大手企業の営業本部長や副社長を歴任された方でした。岡本さんは胃腸神経症で体重が30キロ台にまで落ちました。そのころの写真を見せてもらいましたが、骸骨のようなみすぼらしさでした。自宅への坂道も、一人では登り切れず、奥さんに背中を押してもらってやっと家にたどり着くという有様だったと聞きました。そういう最悪の状態を経験されていたのです。岡本さんは、縁あって取引先の方から、森田療法を紹介してもらわれたのです。するとなんと1年足らずで、完全に胃腸神経症を克服されました。体重はすぐに50キロ台にまで回復したそうです。背水の陣を敷かざるを得ない状況が、幸いしたのだと思います。関心のある方は「自分に克つ生き方」(ごま書房)を参照してください。私が対人恐怖症を克服したと感じたのは、森田理論学習に15年くらい取り組んでいた時です。「不安はそのままにしてなすべきをなす」という実践を続けて、日常生活や仕事面では、大きな成果を上げていました。ところが他人の思惑が気になるという対人恐怖症の葛藤や苦しみは、全く改善の目途が立たなかったのです。そんな時玉野井幹雄さんの自費出版の本を読んでいた時、次のような言葉に出会いました。「森田先生は神経症が治るとは一言も言っていない。治そうとすればするほど治らない。治そうとしてはならない。治すべきではない。むしろ症状と一体になって生きるところに本当の生き方があるのだ」玉野井幹雄さんは、30数年間対人恐怖症で苦しみ、最後にたどり着いた先は、対人恐怖症という地獄に住家を構えて、生きづまったまま生きていくしかないと覚悟を固められたのです。つまり対人恐怖症を治すことを断念するという決意を固められたのです。まさに、死地に入ってかすかな光明を見つけられたのです。そこから自分らしい生き方ができるようになったのです。私は玉野井幹雄さんの壮絶な人生に接して、対人恐怖症を治すのは、これなんだなと認識を新たにしました。今までなんとエネルギーの浪費をしていたことかと思いました。そうだ、これからはそのエネルギーを興味のあること、やってみたいことに投入したらよいのではないかと思いました。残りの人生は神経症を治すことよりも、日常生活に基盤を置いて、人生を悔いのないように思い切り楽しんでいこうと決めました。しだいに、対人恐怖症は気にはなりますが、関わることが少なくなっていったのです。私が対人恐怖症に関わらないものですから、対人恐怖症の方は張り合いをなくしたのでしょう。そのうち趣味の数も増え、利害関係のない付き合いも格段に増えてきました。それから10年くらいたってみると、そういえば昔は対人恐怖症で、生きていても仕方ないなと思っていた時があったなと思うくらいです。今も依然として他人の思惑は気になりますが、楽しい事を追いかけるほうに時間を取られて、振り回されることはほとんどありません。たとえ振り回されても、すぐに断ち切ることができるようになりました。これは対人恐怖症を克服したという事ではないのでしょうか。対人恐怖症は、不安神経症の人のように短期間に克服することは難しいと思います。強迫神経症はタマネギの薄皮を取り去るように治っていくといわれますが、実際には私のような経過たどって、あとで振り返ってみると、そんなに気にならなくなっていた。むしろ広く浅い人間関係は、自分の人生を豊かに彩ってくれていると、しみじみと感じる今日この頃です。
2021.08.05
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生活の発見誌6月号より森田先生のお話です。子供を持った28歳になる会社員の妻がありました。ある日、突然悪寒がして動悸が激しくなり、めまいがして倒れてしまいました。1年前に叔父さんと甥を亡くしていたため、今度は自分が死ぬ番ではないかとひどく恐怖した。突然自分が狂いはしないかと感じたり、刃物を見るとぞっと恐ろしくなって包丁に手を出すことができなくなってしまいました。新聞の死亡記事が気になり、それを読むまいと苦しんだりした。そのうちに不眠症に悩まされるようになりました。頭がぼんやりとし、時々めまいがしたりするので、外出はほとんどせず、新聞を読むことさえ堪えられなくなりました。身体は疲労しやすく根気は無くなり、何事も冷ややかに感じられ、いつも世を厭う気持ちで憂欝で、子供の面倒を見たり顔を見るのさえ嫌になり、自分の死を願うようになりました。その人はドクターショッピングを繰り返しました。内科、婦人科、漢方医と、しかしどこでも神経衰弱だと診断されたのです。どの治療も効き目がなかったので、今度は方向を変えて眼科医の診断をうけたのです。眼科医の見立てに従って、普段はサングラスをかけるようになりました。普段は粥を食べ、ほとんど毎日臥床しておりましたので、診察の際直立しても、めまいと体の動揺が強くて不動の姿勢がとれないほどでした。全く憔悴して、途切れ途切れに病気の苦痛を訴えるのです。この容態は多くの医師が指摘した強度の神経衰弱にあたるのです。森田先生の見立ては、典型的な神経症という診断でした。本人はなんだか分からないうちに、アリ地獄に突き落された感じです。地上に這い出ようと砂を搔きむしると、ますますアリ地獄の底に突き落されてしまうような悪循環に陥っています。こういう人は森田療法に取り組むことがベストです。この方の場合は、入院森田療法から入ることをお勧めします。現在は慈恵医科大学に、森田療法センターがありますので、そこへの入院を検討されることをお勧めしたいです。次善の策としては、外来森田療法もあります。最初は薬物療法を主体にする。精神状態が上向いてくれば、本格的に入院森田療法に取り組む。慈恵医大には森田療法に詳しい先生が多数いらっしゃいますので一安心です。そこを退院できるまでに回復されても安心するのは早すぎます。ここではマラソンの出発点に立てただけのことです。ここで気を抜くと再発は免れないでしょう。さらに神経質者特有の生きづらさが解消されていないので、生きることは針の筵に座っているようなものです。この時点に到達された人は、森田理論学習に本格的に取り組むことをお勧めします。学習に当たっては自分一人ではなく、仲間と一緒になって取り組むことをお勧めします。そうしないと学習が進みません。途中でやめてしまうことにもなります。また誤った独りよがりの理解や表面的な理解で留まってしまうことにもなります。これでは自分の生き方を変革することは難しいと思います。NPO法人生活の発見会の会員になり集談会に参加することです。現在は停滞気味ですが、全国的な規模で見ると、優れた先輩が多数在籍しておられます。そういう人の力を借りてレベルアップを図ることが理になっています。森田理論学習によって、神経質者としての人生を切り開いて、実り多い悔いのない人生を築き上げていただきたいと切に願っております。
2021.07.29
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吉田兼好の徒然草の92段に次のようにある。ある人、弓射ることを習うに、もろ矢(二本の対の矢)たばさみて的に向かう。師の言はく、「初心の人、ふたつの矢をもつことなかれ。後の矢を頼みて、はじめの矢になおざりの心あり。毎度ただ得失なく、この矢に定むべしと思へ」と言ふ。わづかに2つの矢、師の前にて一つをおろそかにせんと思わんや。懈怠(怠ける気持ち)の心、みづから知らずといえども、師これを知る。このいましめ、万事にわたるべし。道を学する人、夕べには朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、かさねてねんごろに修せんことを期す。況(いは)んや一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることの甚だ難き。弓を射る時に2本の矢を用意していると、仮に1本目を外しても、もう一本の矢が残っている。そういう逃げ道があると、背水の陣は敷くことができない。真剣さが足りなくなる。「二兎を追うものは1兎も得ず」ということわざ通りの結果になることが多い。的を射る矢は、これしかない。これを外せばすべて終わりだ。そういう覚悟を決めて、真剣に取り組む姿勢が大切だ。二本の矢のどちらかの矢が当たればよいという考えでは、真剣さが欠けるために、二本とも外してしまう事が多くなる可能性が高くなる。神経症の克服でいうと、森田療法、薬物療法、いろんな精神療法、カウンセリングに手あたり次第取り組んでみたが症状が治ったとはいいがたい。そういう人はいづれか一つに賭けた方が、良い結果が出てくる可能性が高くなると思います。ある人は気分本位になり、すっかりあきらめて無為の人生で折り合いをつける。これではいつまでも神経症の克服はできない。残念な人生で幕引きとなります。こういう人は、人生90年代を羅針盤を持たずに大海を航行するようなものです。私は、神経症を治し、神経質者としての生きる指針を見つけるためには、森田理論にすべてをかけてみることをお勧めいたします。具体的には、症状に対しては背水の陣を引く。俎板の鯉に学ぶことです。治すことはできないと白旗を上げて降伏することが大切です。神経症とは休戦状態に入ることです。そして仲間の援助を受けて森田理論学習に取り組む。「神経質にありがとう」の著者である玉野井幹雄さんは、治すことに絶望して、地獄に落ちたまま、地獄の住民として生きていくことを選ばれました。玉野井さんは、生きづまったままの人生を受けいれたことが、神経症の克服につながったといわれています。そういうあきらめの気持ち、戦意喪失の気持ちに入ることができた人は、不思議なことが起きます。特筆すべきことは、精神的な葛藤や苦悩がなくなります。その日から神経症克服後の逆転人生が幕を上げるのです。生まれ変わり、再生の人生が始まるのです。これを逃す手はないと思います。ここから本格的に日常茶飯事や好奇心、興味や関心のあることに手を出していけばよいのです。神経症の克服に向かって、手を変え品を変えてあらゆる治療法を渡り歩いている人は、なかなか思ったような成果が出ていないようです。特に生きづらさがいつまでも取れないようです。森田理論学習に絞って愚直に取り組んでいる人は、神経症の克服のみならず、確固たる人生観をものにしている。人生観を獲得しないと人生は味気ないものになります。私は森田に絞っている努力している人を見ると、つい応援したくなります。
2021.05.30
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今日は「心機一転」という言葉が何を意味しているのか考えてみたいと思います。森田先生は、神経質者の経験する「心機一転」は、内向的な心が外向的に一転することでありましょうと言われています。それはたとえば、「今まで足元ばかり見、また自分の勇気の有無ばかりを考えてどうしても渡ることのできなかった丸木橋を、捨て身になった拍子に、前の方ばかり見つめてスラスラと渡ってしまった時のようなもの」であります。神経症で苦しんでいるときは、注意や意識が、内向的、自己内省的、自己防衛的に片寄ってっています。それが森田理論の学習と実践により、注意や意識の向かう方向が、外向的、生産的、創造的、物事中心に変化してくることが心機一転ということだと説明されています。別の言葉でいえば頓悟ということになります。これはキャッチボールについても言えます。目線は相手の構えたグローブをしっかりと見据えることが必要です。つまり目標物を絶えず意識することです。それを曖昧にして、注意や意識を自分の投球動作やボールのにぎりなどに向けていると、暴投が起きる可能性が高まります。心機一転で大事なことは、まず頭の中で理解することが大切です。でもそこに留まっては、絵に描いた餅になってしまいます。それを生活の中で実践してみることがかかせません。体験によって裏打ちされ、以後注意や意識の方向性が、外向き、物事本位に切り替わることが大事になります。これは口でいうのは簡単ですが、実行はかなり難しいと思います。「心機一転」で神経症を克服できるのは、不安神経症や普通神経症の人です。たとえば新幹線に乗れないという人や胃腸神経症で物が食べられないという人は、生きるか死ぬかの瀬戸際に追い詰められます。これ以上ない苦しい状態に突き落とされた人は、逃げ道がなくなるのです。こういう人は、森田理論学習により、認識や考え方の間違いに気づいたら、乗り越えるのが早い。気づいた瞬間から治る。さらに実行力が伴えば鬼に金棒です。問題は強迫神経症の場合です。不安に振り回されて、悪循環でのたうち回っている人です。不安の種をどんどん膨らませて、それを目の敵に祭り上げて、戦いを挑んでいるのですから、負け戦になることは勝負の前から分かっているのです。強迫神経症の場合は、別に神経症で命を落とすことは考えにくい。逃げ道がいくらでもあるわけです。逃避すれば一時的にはなんとか回避できる。葛藤や苦悩で大変ですと言っても、逃げ道がいくつも用意されている。この差が大きいのです。ですから、対人恐怖症や強迫行為の人の場合は、心機一転、頓悟という治り方は難しいと思います。そういう人は、「漸次」という治り方を目指すことをお勧めします。一般的には、タマネギの薄皮をはがすような治り方を目指すことです。時間がかかります。ただし時間をかけて治していくと、再発することは起こりにくい。「漸次」というのは、段階を踏んで少しずつ治していくということです。たとえば、次のような目標を設定して、二歩前進一歩後退の繰り返しの生活を続ける。1、まず不安を抱えたままなすべきことができることを目指す。2、その次に、観念主導の行動を少なくしていく。3、「かくあるべし」で自分や他人を否定しない。4、事実を事実のままに素直な気持ちで受け入れる。5、事実に対して安易に是非善悪の価値批判をしない。6、生の欲望の発揮に邁進する。1から6まで基準点を超えるようになれば神経症は克服できます。おおむね、50点を超えると、その人は大きく成長しているはずです。これらを1年ごとに自己採点するか、集談会の仲間に採点してもらうのです。現在神経症の真っただ中にある人は、1にフォーカスしてみることをお勧めします。
2021.04.22
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「症状不問」という言葉を聞かれたことがあると思います。神経症を治すためには、症状を治すという考え方をすっぱりと捨てる。そして、目の前のなすべき課題に取り組んでいくということです。薬物療法や他の精神療法では、神経症のもとになっている不安を軽減するか取り除いていくという対症療法が中心となっています。森田療法とは不安に対する考え方が、根本的に違います。森田療法では、不安はイヤなものであるが、生きていく上でなくてはならないものである。だから排除する。逃げまくるという方法は間違いですという立場に立っています。不安と共存して、不安の役割を正しく認識する。さらに「不安は安心のための用心」として日常生活に活かしていく。最終的には、不安を欲望の暴走の抑止力として活用していく。こういう立場にたっているわけです。この考え方に目覚めた人は、遠くにかすかな光明を見つけたような気持になります。問題は、「症状不問」を口にすればするほど、「症状不問」から離れていくということです。それは、「症状不問」に注意や意識が向いて、物事本位になり切れていないということだと思います。それを判断するには、その人の普段の生活を観察すればすぐに分かります。でも「症状不問」という森田の基本的な考え方に、心の底から賛同することができたというのは、とても素晴らしいことです。それを否定するものではありません。真理を発見したのですから、うれしさでむせび泣くような気持になることは素晴らしいことです。あとは、実践や行動の面で活用していくことが大切です。そのためには、いったん「症状不問」という言葉を封印することが必要になります。「症状不問」に注意を向けて、意識している状態から離れていくということです。では何をするか。規則正しい生活を徹底する。日常茶飯事を一心不乱になって丁寧に行う。つまり凡事徹底を実践するということです。これらを「症状不問」という言葉を忘れるほど徹底する必要があります。なんだそんな事か。つまらないと思われるかもしれません。私の見るところ、「症状不問」をことさらに唱える人は、意識してそれなりに努力をされています。行動面で目を見張るほどの実践をされています。素晴らしいことです。ただ意識して自分を叱咤激励して実践しているということが、後々問題になるのです。それは、「症状不問」という言葉を頻繁に使うことで、自分の実践の程度を推し量っているところがある。森田先生は、「あるがまま」を学んで、「あるがまま」になろうとしても、決して「あるがまま」にはなれないと言われました。事実として、「あるがまま」とは正反対になり、葛藤や苦悩が増えていく。それは、「あるがまま」というキーワードが、「かくあるべし」という観念として固着してしまうからです。実践や行動の後で振り返ってみると、いつの間にか「症状不問」になっていた。症状を治すということよりも、目の前の課題に向かって一心不乱に取り組んでいた。こういうことが日常生活の中で格段に増えてくる。まわりの人は、そういう人をみて、「症状不問」を身に着けて、森田理論を体得していると判断するのです。「症状不問」という真理を理解しただけでは、人は納得しない。日常生活に活かされていなければ、自己顕示欲が強く自己満足の人です。まわりの人は、実践によってオーラを放ち、周りに好影響を与えている人を称賛するのです。
2021.04.16
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「神経症は治す方法はないが、治る方法がある」という言葉があります。現在、神経症で格闘している人は、何とも意味不明の、もどかしい言葉かもしれません。大体、神経症は治そうとしなければ、生活が行き詰ったままで時間ばかりが過ぎていく。生きづらさは一生ついて回る。そうなりますと、将来暗澹たる気持ちになります。生きる意欲がなくなり、無気力になってしまうかもしれません。薬物療法は、不安を軽減させてくれるじゃありませんか。認知行動療法は、神経症から逃げないように訓練して、生活が好回転を始めるじゃありませんか。カウンセリングは、まちがった考え方や思い込みを正してくれるじゃありませんか。それなのに、森田療法は神経症の治癒には役立たないというのですか。そんな気持ちになるかもしれません。どの意見も一理あります。森田先生は、神経質は器質的な病気ではありません。ですから、治癒する必要はありませんと言われています。つまり治す方法はないと言われているのです。神経症は、治しようがないという代物なのです。神経症は、頭に浮かんできた不安、恐怖、違和感、不快感に対して、なんとか取り除きたいと思ったときから始まります。できる限りの手を尽くして真面目に努力してきた人がかかります。神経症の方からしてみると、まんまと引っかかってきたと喜んでいるかもしれません。治す努力をすればするほど、神経症は悪化するという代物だったのです。裏を返すと、神経症は不安、恐怖、違和感、不快感に対して無頓着な人には縁がありません。発揚性気質でそんなものを無視して、笑い飛ばせるような人には無縁です。ただそういう人は、ザルで水を掬うようなもので、小さなミスや失敗で思わぬ不覚を取ることが発生します。石橋を叩いて渡るような気持がないのですから、別の意味で心配な人です。神経症は治すことはできないと覚悟した人は、治すための第一歩をすでに踏み出しているということになります。何とも酷な言い方ですが、それが真実なのです。でも覚悟するというハードルや壁を乗り越えることは非常に難しいのです。普通は大きな壁を目の前にして、右往左往してしまうのです。覚悟を固めるためには時間がかかります。森田理論学習によって、神経症のからくりを理解する必要があります。しかし一旦覚悟を固めると、後の展開はものすごく早くなります。森田理論学習では、不安、恐怖、違和感、不快感は取り除こうとしない。怖れをなして逃げ回ってはいけない。それらを持ちこたえたまま、目の前のなすべき課題に取り組みなさいと言います。それができるようになれば神経症は治ります。こうした態度が習慣化されれば、鬼に金棒です。実際、神経症を克服した人は、この関所を何とか通過しているのです。これができる人は、その方向で頑張ってください。森田先生の入院森田療法では、無理やりその方向に追い込んでいたのです。指導者からの強制力が働かないと、動き出すことが難しいということかも知れません。よいことは分かっているのだが、どうしても行動ができないという人によい提案があります。今現在、あなたにとって興味や関心があることはありませんか。なんでもよいのです。たとえば、コンサートに行く。楽器を始める。自家用菜園を始める。菊作りを始める。盆栽を始める。園芸を始める。お菓子つくりを始める。ペットを飼う。公民館の料理教室に通う。新作料理に取り組む。加工食品作りを始める。カラオケを始める。一人一芸を始める。釣りを始める。麻雀を覚える。発見誌の切り抜きをしてみる。森田全集第5巻を読む。工場見学をする。ハイキングを始める。水泳を始める。運動を始める。パソコン教室に行く。一言注意したいのは、自ら積極的に行動するものを選ぶことです。受け身になって他人から刺激を与えてもらうようなものでは、たいした効果が期待できません。たとえばテレビを見ることが好きなので、一日中テレビを楽しむといったようなことです。ここでお勧めしているのは、自分は何もしないで刺激や快楽を期待することではありません。できれば、やりたいことのリスト作りに取り組みましょう。これを少なくとも20個から30個程度見つけて下さい。つぎにそれらの情報集めに力を入れる。チャンスがあれば、すぐに手を出してみる。すると新しい経験ができるとともに、同好の仲間ができます。日常茶飯事や凡事徹底という方面には及び腰の人も、自分の好きなことには取り組みやすいのではないでしょうか。私は森田先生の「鶯の綱渡り」という宴会芸の話を聞いて、一人一芸に取り組みました。神経症は苦しかったですが、その練習をしている時は、一時的に神経症のことは忘れていました。それらが、積もり積もって神経症の解放につながっていったのです。次から次へと興味や関心のあることに、手を付けていると、弾みがついてきます。それが、最終的には「治す方法はないが、治る方法がある」ということにつながるのです。
2021.04.07
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2021年2月号の生活の発見誌に次のようなお悩み相談がありました。いろんな雑念や強迫観念が次々起こり、生活に支障が出るほど困っている。森田神経症の典型的な悩みのようです。森田ではどのような解決策を提示しているのでしょうか。不安を取ろうと努力すればするほど取れません。むしろ精神交互作用でますます悪化してきます。不安をなくしてしまおうとしても、どうにもなるものでもない。また、気分本位になって逃げまくっていると、自己否定で苦しむようになります。森田理論では不安の裏側には、必ずそれに対応した欲望があるという立場です。不安が小さい時は欲望も小さい。欲望が大きくなれば不安もそれに比例して大きくなる。不安にばかり注意や意識を集中させるのではなく、むしろ欲望の方に注意や意識を向けていきませんかという理論なのです。これを、森田理論では「生の欲望の発揮」と呼んでいます。これは難しいと思われるかもしれません。不安には直接手を付けないわけですから、こんなことでよくなるわけはないと思われるかもしれません。実際私も最初はそう思いました。集談会では、不安の取り除き方は何も教えてもらえない。実践課題を作って、日常茶飯事に丁寧に取り組みなさいと言われる。会社では一生懸命に仕事に取り組みなさいと言われる。失業中の人には早く仕事につきなさいと言われる。仮病を使って休んではいけません。苦しいからといって退職してもいけない。藁をつかむ思いで集談会に参加したのに、がっかりしました。でも私の場合は、薬物療法だけでは行き詰っていました。森田療法に従うしか道がなかったのです。仲間のアドバイスを受けながらの半信半疑の取り組みでした。これが効果がある事が分かったのは、実践課題が軌道に乗り始めた後です。NHKの番組で山里亮太さん司会で「逆転人生」という番組があります。私の好きな番組でよく見ています。この番組に登場する人は、経済的にも精神的にも、全員どん底を味わっています。間違えば人生を投げてしまってもおかしくなかった人たちです。しかし、どこかで反転のきっかけをつかみ、再び浮上しています。この番組の冒頭で、青い矢印がどんどん下降していきます。奈落の底に突き落とされているようなものです。この時は精神的、肉体的、経済的、人間関係で苦しんでいます。しかし、その矢印は、やがて底を打って反転しています。すると、矢印が青色から赤色に変わりどんどん上昇していきます。そこには人生が好転するターニングポイントがあったのだと思われます。幸運、人の援助、協力者、励まし、自助努力などがあったのです。それが全く掴めなかったらいつまでも下降していたはずです。森田ではそのターニングポイントに当たるものは何でしょうか。自分の人生が切り替わるポイントは何でしょうか。ズバリ言いますと、雑念や強迫観念はどうすることもできない。無くして精神的に楽になることはできないと体感することです。治すことや逃避する道を断念する。そういう覚悟を決めるということです。それが逆転人生の転換点になるのです。マラソン選手でいえば、オリンピックの出場権を得て、スタート地点に立つことができたようなものです。そこに立つことができると、人生はすぐに好転してきます。これは私も体験していますので、間違いありません。でもこれは、簡単なことのようですが、スタート地点に立つことは本当に難しい。不安神経症の人はどん底に落とされることが多いので、絶体絶命の心境になりやすいのです。強迫神経症の場合は、絶体絶命の状態に追い込まれことが少ない。どん底に落ちる度合いが多ければ、あきらめも早い。頓悟というのは不安神経症の人の為にある言葉かもしれません。あとで振り返れば、それが逆転人生の出発点となっていたということです。治す努力をきっぱりとやめる。やめざるを得ない状況に自分を追い込む。神経症を取り除くことが、治るということだという誤った認識がなくなった時、神経症克服への転換点になるということを頭に入れてほしいのです。そういう気持ちで森田理論学習に取り組んでほしいものです。
2021.03.20
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森田先生のお話です。お釈迦様は・・・14、15歳から17歳くらいの間に、人生問題に悩み始めて、つまるところ「安心立命」という事を目的として、王位を捨てて宮中を出奔したのが29歳の時であった。お釈迦様は有名な学者・修道者を歴訪して、修道の法を尋ねた。ところがどうしても納得できる悟りには至らなかった。お釈迦様は、ついに一人で山に入って、自力の修行を始めた。6年間の歳月を費やしてようやく強迫観念が全治した。発病してからは12、13年後のことである。心機一転して、転迷開悟したのが「諸行無常・是生滅法」という事であった。(森田全集第5巻 650、651ページ)これは世の中のすべての出来事は、一定の所にとどまっているものは何もない。絶えず変化流転している。私たちはその流れにのって駆け抜けていくことしかできない。その方が無理がないのでうまくいく。これは精神面においても同じことがいえる。心配事を安心したり、忙しいのを落ち着いたりしようとするのは、それは「難きに求む」以上のことで、全く不可能の努力である。心配事をも、作為をもって安心しようとするから、そこに迷妄が起こり、たえざる不安心に駆られるようになるのである。不安心に常住すれば、初めてそこに安心立命の境地がある。世の中の出来事はすべて「諸行無常」である。すなわちこの世に固定・常住しているものは何もないというのが真実である。この事実をそのままに認識さえすれば、初めて安心立命の境地に到達し、強迫観念が解消する。気になる不安にいつまでも固執するのではなく、それを抱えたまま変化の流れに乗って生活していくということである。つまりあるがままの生活を続けることです。口でいうのはたやすいが、実行できるようになるまで持っていくことが大切です。これを無理なく自然に実行できるようになることが肝心です。私は対人恐怖症は治すことはできないと体感できたのが、森田と出会ってから15年くらい経ってからのことである。それまでは、なんとかして治そう、その方法は必ずあるはずだと信じて疑わなかった。その間、対人恐怖の葛藤や苦悩は頭から消え去ることはなかった。「まな板の鯉になったつもり」「清水の舞台から飛び降りるようなつもり」という背水の陣を敷いたときに、対人恐怖症の解消への重い扉が開いた。これは人からいくら分かりやすく理屈を教えてもらっても無理なのだ。自分が絶体絶命に追い込まれて、初めて体感できることなのです。そのためには対人恐怖症でいえば、どうしても苦しむ無駄な時間の経過が必要なのかなと思っています。そして森田から離れないようにしておくことも大切です。いったんこのような心境に至れば次の展開は早いです。それは過去のしがらみから決別できるからです。次のステップに向けての出発点に立てるからです。せき止められていた水が一挙に動きだすようになるのです。ぜひこの体験を味わってみてください。味わい深い人生が口を開けて待っているはずです。
2021.03.11
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対人恐怖症の人は人の思惑を気にするあまり、自分の気持ちを素直に出すことができない。自己主張はなるべく抑圧する。そして耐えたり、我慢することが多くなる。それで何ら問題が発生しなければ、対人恐怖症にはならない。対人恐怖症になる人は、自分の気持ちを抑圧することで精神的な苦痛を抱える。慢性的な精神的ストレスを抱えることになる。生きづらさを抱えて生活することになる。このような状態で一生苦しむことは到底容認できないのです。お先真っ暗だと思ってしまうのです。そして、なんとしても対人恐怖症を克服しようとする。その時の目標は、人の思惑が気にならないように性格そのものを変えてしまおう。小さなことにクヨクヨと悩む性格から、小さなことはあっけらかんと笑い飛ばせるような発揚性気質の性格に変えてしまいたいと考えるようになります。しかし持って生まれた神経質性格を変えてしまうことは大変難しい。不可能といってもよいかも知れません。その結果、八方ふさがりのような状態になります。それでは対人恐怖症はどう対処すればよいのでしょうか。対人恐怖症の人は、仕事や社会生活の面で、対人関係の弊害が出ることがあります。その弊害を少しだけ修正するだけでよろしいと思います。また神経質性格を、外向的な性格に変えることはできませんし、その必要もありません。そんな事に挑戦するよりも、神経質性格の優れた面を伸ばすことに力を入れた方がよいのです。目標の立て方を間違えないようにしたいものです。対人恐怖症人は、不快な気分に襲われると思うと、一目散になって逃げることが多いように思います。営業などの仕事をしていると、ノルマを達成しようとするよりも、断られたらイヤだという気分に振り回されて仕事をさぼる。同僚よりも営業成績を上げて評価されたいという気持ちを持っているにもかかわらず、現実としては仕事をさぼっている場合が多い。その結果、ノルマ未達となり、上司や同僚などに軽蔑されるようになります。上司やイヤな人との交渉事などは最初から回避してしまう。あるいは先延ばしにしてしまう。ミスや失敗などは隠蔽する。あるいは事実を捻じ曲げてなかったことにしようとする。最終的にはごまかして、責任を取ろうとしない。または他人に責任転嫁してしまう。自分のミスや失敗、弱点や欠点が相手に知られてしまうと、自分は社会的に葬られてしまうに違いないと信じて疑わないのです。実際は失敗やミスを公開した方が人は近づいてくるのですが、そのことに気づいていない。対人恐怖症の人はいかに気分が悪くても、仕事をさぼらない。イヤだなと思っても、必要な報告、交渉事から逃げない。すぐに実行する。気分本位でなすべき課題に手を付けないという態度はやめる。自分一人で難しいときは、他人の力を借りてでもなすべきことに手をつけていく。他人に逃げようとしたときに抑止力を依頼しておくのです。保険をかけておくのです。逃げることが習慣になっている人は、そのイライラを刺激的、刹那的、享楽的な本能的欲望で解消する傾向があるので、配偶者、親しい友人、同僚、集談会の仲間などに、抑止力としての役割を依頼しておくのです。他人の批判や叱責はイヤだが、ミスや失敗、弱点や欠点を隠さない。事実をごまかすような工作をしない。問題ある事実をそのままに正直に早く報告する。事実をあるがままに認める。これらを清水の舞台から飛び降りるようなつもりで実行する。あるいは俎板の鯉になったつもりで取り組んでいく。これらができるようになった人は、傍から見ると、対人恐怖症の人には見えません。本人はいくら内心でビクビクハラハラして症状で苦しいといってもそうです。対人恐怖症とは縁のない人に見えてしまうのです。対人恐怖症であるかどうかは、自分で判断するよりも、他人判断してもらう方が正確な診断ができます。他人が治っていると言えば、その人は形の上で克服しているのです。対人恐怖症は主観的な判断よりも、第三者の客観的な判断が優先されるのです。対人恐怖症が治ったかどうかは、自分自身が気分的にすっきりしたかどうかは全く関係ない事です。第三者に聞いて生活態度が改善されたと認められた時が治ったときなのです。対人関係に伴う、不快な気分はそのままにして、小さな成功体験や小さな喜びを見つけ出す行動に取り組むことで、対人恐怖症は克服できるのです。その段階に至っても、対人的な不安、恐怖、違和感、不快感はあります。さらに増えてくるかもしれません。それらをすべてなくしたいと思って格闘し始めると、元の木阿弥になります。ある程度のところで、見切りをつけて、生活面を充実させるように視線を変えていきたいものです。
2021.02.11
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昨日の引き続きです。森田理論の第2の要点について投稿します。自分にとって都合の悪い出来事、問題のある出来事が目の前に突き出されたときにどのように対応すればよいのかという問題です。よくありがちなことは、その事実を軽率に取り扱うことです。事実を無視してしまうことです。さらに進んで、事実を隠す、ごまかす、捻じ曲げる、責任転嫁をする。そのための手段として、「かくあるべし」という観念で対応します。気分、イメージ、雰囲気で判断してしまう。先入観、決めつけ、思い込み、他人の意見で事実を解釈してしまう。大衆意見、常識、先例、法律、しきたり、慣行で是非善悪の判断をおこなう。この方向に向かうと、事実が見えなくなります。事実を観念によって捏造してしまうことが起きます。都合の悪い事実や問題のある事実はさらに混迷の度を深めていきます。真実が闇に葬られて、問題解決の糸口は見えなくなります。間違った行動や対策をとることによって、状況は益々悪化してきます。神経症を発症して蟻地獄に落ちてしまうということになります。森田理論では、自分にとって都合の悪い出来事、問題のある出来事に対してどのような対応をお勧めしているのか。まず、本当の事実関係を精査しなさいということです。観念や決めつけや前例に振り回されるのではなく、事実を事実として正しく取り扱いなさい。問題のある不都合な出来事をゼロベースで見直しなさいということです。同じような出来事であっても、すべて同じということはあり得ない。真実こそが神様であるという立場に立つということです。そういう態度をとり続けることで、事実を隠す、ごまかす、捻じ曲げる、責任転嫁することはなくなります。最初は精神的に耐えがたい痛みがありますが、いずれ消え去ります。隠していると、どこかにほころびがでてくることが多くなります。それをさらに隠す、ごまかす、捻じ曲げるための工作を考えて実行しなければなりません。実に無駄なことに貴重なエネルギーを投入しなければならなくなるのです。また、ごまかしている自分自身を嫌悪するようになります。さらに、他人を欺くことですから、他人を不幸に陥れることになります。他人の信頼は得られなくなります。他人から反発を受けることにもなります。どんな不都合な事実であっても、基本的には、その事実、現実、現状を認める。そして受け入れるようにするのです。事実にこだわっていると、問題点や改善点がはっきりと見えるようになってきます。そしてどのような対策を立てて行動するとよいのかが明確になります。事実にこだわればこだわるほど精度が増してくるのです。問題解決、目標達成、相手との合意に至る確率が高くなります。森田理論の言わんとするところを学習して、実行できるようになったとき、あなたの新しい人生が始まるのです。ぜひ事実にこだわる態度を身に着けていきましょう。
2021.01.13
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森田理論は神経症を克服して、素晴らしい人生観を手に入れることを目指しています。そのために2つの視点から説明されているように思われます。まず、第一の要点から説明します。不安、恐怖、違和感、不快感、怒り、悲しみ、劣等感などが湧き上がってきたときにどう対応するかです。神経症の人は、これらを精神の安定を損なう異物とみなして、取り除くことに精力を傾けます。どうにも対応でないと思うと、白旗を上げるのではなく、逃げ回る道を選びます。この道は精神交互作用で神経症の固着に向かうことは、何回も学習されていると思います。森田理論によると、「不安は欲望の裏返し」であるといいます。不安はなくならない。欲望が大きくなると不安もそれにつれて大きくなる性質があります。不安は人類の進化の過程で淘汰されませんでした。それは不安の果たす役割が生命の安全にとって欠かせないものだったからです。信号でいえば黄色を点灯させて、注意を促すという役割です。その信号に従ってスピードを落として慎重に運転すれば、事故に遭う確率は少なくなります。また人間は欲望が暴走しやすいという特徴があります。欲望が暴走すると、「今だけ、金だけ、自分だけ」という気持ちになり、他人を痛めつけることになります。そんなことが進行すれば人類の滅亡を招いてしまいます。それに歯止めをかけているのが不安です。有難いものなのです。不安を活用して、さらに暴走を抑止することは、人類が生き延びていくためのキーとなっています。ですからこれらは、上手に活用する物であって、取り除くようなものではなりません。また取り除こうとしても、決して取り除くことはできないものです。ここに大きな認識の誤りを抱えている人が多いのです。紛争、内乱、戦争は欲望の暴走以外の何物でもありません。この不安、恐怖、違和感、不快感などについて、森田理論では無条件に受け入れることを提案しています。耐える、我慢することを求めているのです。これができない人は、神経症で苦しむことになります。下手をするとそれは一生付きまといます。自分は葛藤や苦悩を体験するために、この世に生を受けたと勘違いすることになります。曲がりなりにも「無条件受け入れ」の方向に向かっている人は、次の展開が両手を広げて待っています。家でいえばコンクリートのしっかりした基礎が出来上がりましたので、その先はその人の好みに応じて、どんな家でも建てることが可能になります。なすべき課題、自分に与えられた問題、夢や目標に向かって舵を切ることができるようになります。そこに全エネルギーを投入することができます。大いに人生を楽しむこともできます。まとめです。森田理論が目指している第一の要点は、自然現象である不安、恐怖、違和感、不快感などが湧き上がってきたとき、その対応方法を誤らないようにしてくださいということです。間違った方向を選択するととんでもないところへ行くことになります。神経症で苦しんでいる人はその方法に行きかけているのです。でも森田理論を学んでいるあなたは、引き返すチャンスを与えられているのです。森田理論を学習して、実践によって正道を歩むことを応援しているのが森田理論学習です。第2の要点は都合の悪い出来事、問題のある出来事が目の前に突き出されたときにどう対応するのかです。この視点からの考察も重要になります。この2つが理解できて、行動に結びついてくると、神経症の苦しみからは解放されます。それどころか、人類史に貴重な1ページを刻むことができるようになります。第2の要点は明日投稿します。
2021.01.12
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