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森田理論のなかに「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」というのがあります。集談会でこの考え方はおかしいという話が出ました。過剰に行動すると、身体に疲れがたまり悪影響が出るということでした。自己内省的な人が行動すれば、意識が外向的になり、症状が軽快することは分かっているが、ハツカネズミが一日中糸車を回すようなやり方は考えものだ。自分を叱咤激励して行動力をつけようとするのは如何なものか。疲れたら休むようにした方がよいと言われました。ごもっともな話だと思いました。精神科の先生からは、うつ病の人はエネルギーが切れている状態だから、行動力をつけるよりも安静にして休ませないといけないと聞きました。そして薬物療法を第一選択肢とする。つまりうつ病の人に性急に森田療法を適応してはならないということでした。それでは「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という指針は意味がないものなのか。私は森田先生が訴えたいことは別なことだと思う。森田理論に「物の性を尽くす」というのがあります。これはそのものが持っている価値、潜在能力を見つけ出して、居場所や活躍の場を与えて、命ある限りとことん活かし尽くすということです。森田先生のところでは、風呂の残り水をすぐに捨てないで、雑巾がけに使う。打ち水に使う。植木や花や野菜にやるというエピソードが有名です。これは物だけではなく、己、他人、時間、お金の性を尽くすことにもつながります。時間については限られた時間を有意義に活用した方がよいということになります。神経質性格者は頭でいつまでも考えてばかりで、なかなか取り掛からない。しかし一旦とりかかると弾みがついて、今度は坂道を転がる雪だるまのように止めることができなくなります。このような時間の使い方は弊害が出てきます。一つのことにいつまでも関わっているとそのうち飽きてしまう。次にやるべきことが用意されていないと暇を持て余すようになります。神経質性格者の場合は自己内省をするようになります。また特定の部位を使いつづけるとその部分に疲労がたまり苦痛になってくるという側面もあります。これらを解消するためには、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という考え方は理にかなっています。これを活用して30分おきに手掛ける仕事を変えているという人がいました。頭を使う仕事をしたら、今度は身体を動かす仕事に変える。すばらしい心がけだと思います。大学の授業は90分ですが、それは人間の脳はそれ以上集中できないようになっているからだという話を聞きました。
2024.02.14
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2023年3月1日に1年で66795円を貯める方法をご紹介しました。これは1から365のくじを作り、当たった数字の金額を貯金していくというものでした。実際にはエクセルで管理してしています。表計算は便利です。左から日付、当たったくじ、入金額、預り金、貯蓄額です。たとえばこんな具合です。12月1日 くじ300円 入金額1000円 預り金700円 貯蓄額60000円12月2日 くじ160円 入金額 0円 預り金540円 貯蓄額60160円12月3日 くじ210円 入金額 0円 預り金330円 貯蓄額60370円これを繰り返した結果、12月31日で66795円貯まりました。自由に使えるある程度まとまったお金があるのはうれしいものです。たまには思い切って贅沢でもしてみようかとワクワクします。今年はくじを引かずにこの表を活用して続けることにしました。手間がかからず、自動的にお金が貯まり、楽しみが増えます。昨年は欲しかった7インチのポータブルナビを買いました。チンドン屋の興行で老人ホームや公民館や町内会へ行くことが多いのですが、道に迷いいつも難儀していたのです。このポータブルナビは取り外しができます。これが便利なのです。翌日にイベントがあるという場合は、家で訪問先を特定して地点登録するのです。そしてルートのシュミレーションを起動させて道順を確認します。普通にナビを起動させると高速道路を通るように案内が始まります。これは設定で一般道路を第一選択肢として指定すればよいことが分かりました。でも、自分の考えていた一般道とは違う道を案内することが頻繁に起こります。これはルート編集で経由地を何か所かあらかじめ設定しておけば、ストレスがなくなることが分かりました。このナビは初めての場所に行くときは手離せなくなりました。近くの景勝地や施設などの観光案内も豊富に用意されていました。今度はこれを活用して出かけてみようと思っています。去年貯めたお金が多少余りましたので、孫を連れて新しくできたサッカースタジアムやプロ野球観戦に出かけることを考えています。皆さんもよかったら今年の実践課題として取り組んでみませんか。岩国の錦帯橋が見えます。周りは吉香公園です。
2024.01.02
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森田理論に「物の性を尽くす」という考え方があります。人や物や時間やお金には、それぞれに違った潜在価値や能力が宿っている。そこに光を当てて伸ばしていく。世のため人の為に活かしていく。ないものを追い求めるのではなく、自分備わっているもの、あるもの、努力すれば実現可能なところを伸ばして生きていくという考え方です。まだ十分使用価値があるのに無視されることは残念なことです。どうすれば、そのような生き方ができるようになるのでしょうか。1、自分の持ち物に多少不平不満があっても、あるいは型が古くなって故障がちになっても安易に新しいものを買わないようにする。そのためには、最初に買う時に少々高くても丈夫で長持ちするものを買う。特に家具などはそうです。イギリスなどでは、3代続けて同じ家具を使いつづけているという。2、多くの物を所有するのではなく、必要な時に必要なものをレンタルするという考え方を持つ。家に入らないくらいのものを所有して、ほとんど使用しないというのは管理が大変です。3、潜在価値や能力を見極めるためには、できるだけ側に寄り添うようにする。宝の持ち腐れにならないように気を付ける。そしてそのものの居場所を確保する。新たな活用方法を見つける。4、自分の持ち物は時々取りだして整理する。ボロボロになって使用不能になっていないか確認する。埃だらけになっていないか、掃除を兼ねてきれいにする。虫食い、カビなどが発生していないか。たまには太陽に当てる。5、衣類、鞄、靴、書籍、請求書・領収書類、生活必需品、文房具、カード類、小物類、通帳、大事な書類、家電製品、冷蔵庫にあるもの、自転車、自動車などの棚卸をする。毎日1品目30分の時間をとって取りだして見る。見たら元に戻す。中身を確認していると、こんなものが出てきた。また使ってみよう。いろんな再発見があるはずです。棚卸しないと宝の持ち腐れになります。あるいはもう使うことはないので必要な人にあげよう。あるいは、ブックオフやリサイクルショップで処分しよう。こうすれば、自分で活用できなくても、他人に活用してもらうことができます。
2023.10.19
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日本人は畳の部屋を有効活用しています。夜は布団を敷いて寝る場所となる。昼は様々な活動の場に変身する。部屋にとっては、居場所や活躍の場が与えられている。ここにベッドをおくと別の使い方はできなくなります。使えるのは夜だけということになります。昼は広い場所を占領して他の使い方は難しくなります。ダイコンにはさまざまな利用方法があります。大根おろし、刺身の添え物、ふろ吹き大根、煮物、けんちん汁、おでん、大根サラダ、たくあんなどである。葉っぱは炒め物として使えます。利用方法を様々に見つけ出すことは、食の豊かさにつながります。森田先生は風呂の残り水をすぐに捨てるようなことはなかった。洗濯水、部屋の掃除、庭への打ち水、植物への水やりなどに使われていた。新聞に入ってくるチラシはメモ用紙やカルテとして使われていた。これらは森田理論では「物の性を尽くす」と言われています。物にさまざまな居場所と活躍の場を与えて、最後まで生き尽くしてもらうということです。どんなものにも、存在しているだけで価値を持っているということになります。機能面でどんなに魅力的なものが販売されても安易に買い替えることはしません。現在持っているものに愛情を注ぎ、不具合があれば、修理や改良して、かけがいのないものとして最後まで大事に使い続けることになります。物にとっては見捨てられることなく、最後まで大切に使ってもらえるので本望です。これは決して物だけに限りません。己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすことにもつながります。ないものねだりをするのではなく、今あるものに光を当て続けることになります。存在価値を高め、能力や強みの有効活用を工夫するようになります。それは自他ともに活かすことになります。争いがなくなり、平和が訪れます。特に料理などでは、この素材を最高に活かすにはどんな方法があるだろうと工夫するようになると、料理のレパートリーがどんどん広がっていきます。料理が面白くなると、生きがいが生まれて、神経症と関わることは少なくなります。「物の性を尽くす」という考え方は、森田理論の中で最も身に着けたいことの一つです。山口県長門市の元乃隅稲成神社
2023.07.19
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お金を有効活用するために面白い話を聞きました。1から365までの数字が書かれたくじ引きのような紙を用意します。これはエクセルを使えばすぐにできます。それをハサミで切り離します。それをごちゃ混ぜにします。用意出来たら毎日1個だけくじ引きをします。出てきた数字のお金を毎日貯金するというものです。これを毎日続けていくと、1年では66795円の貯金ができるそうです。結構な金額になります。クイズ感覚で取り組めば楽しみ倍増です。私もさっそく取り掛かりました。まずエクセルで表を作りました。その表には左から日付、くじで出た数字、入金、預り金、貯金と並んでいます。例えば2月27日 くじ50円 入金50円、預り金0円 貯金50円2月28日 くじ320円 入金1000円 預り金680円 貯金370円3月1日 くじ92円 入金0円 預り金588円 貯金462円今年1月1日から運用開始しました。2月28日現在で9143円ほど貯金できました。毎日くじで当たった金額を貯金していくのがよいのでしょうが、これだと小銭がないときイライラします。そこで不足したらまとまった金額を入金して、余ったお金は預り金としてプールする方法をとっています。ただ溜めるのではなく、1年先を見越してこれをどんなことに使うのか、自分なりに決めておくと励みになります。普段はもったいないこと思うような事でも、思い切って使うことができます。例えば、・一泊二日の小旅行を企画する。・普段は手が出なかった欲しかったものを買う。・家族や親に豪華なプレゼントをする。・海や庭園を眺めながら豪華なランチを楽しむ。・S席を予約してオーケストラ音楽を楽しむ。・特等席でマツダスタジアムのプロ野球観戦を楽しむ。その際娘夫婦と孫を招待する。気に入ったらみなさんもぜひ挑戦してみてください。きっとお金も喜んでくれると思います。
2023.03.01
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私は以前とは違う棟でマンションの管理人をしています。今度は定年はありません。体の続く限り働くことができます。ちなみに私の知り合いで管理人の仕事を5人ほどしています。仕事時間は13時から18時までの5時間です。以前の会社は9時から17時までの7時間だった。仕事量を少なくして自分の時間を増やしました。午前中の自由時間が取れたことがよかったです。勤務時間に合わせて、時間の使い方を大きく変更しました。今日は私の時間の使い方を紹介してみたい。6時20分から8時までは、このブログの投稿原稿の作成のために使う。8時から9時までは、朝食、着替え、洗面、観葉植物の手入れなど。9時から12時までは基本的には自由時間です。この時間帯は、まず、高知のしば天踊り、ストレッチ、ダンベル体操、正座瞑想、ドジョウ掬い、傘踊りなどの練習を行います。その他に用事があるときはこの時間帯を利用している。特段の用事がない時は、読書をする。ブログのネタ集めをするのである。同時にyou tubeプレミアムの広告なしの音楽を楽しんでいる。それも11時過ぎには切り上げている。その後はカラオケやサックスの練習、掃除や整理整頓などに取り掛かる。11時50分から昼食を済ませ、12時20分にはバイクで職場に向かう。13時から仕事が始まる。仕事も時間によって大きく3つに分けている。13時30分から16時までは窓口業務、巡回、点検、清掃等の仕事。16時から16時40分のその日気づいた課題や事務関係の仕事。17時から17時30分の2回目の巡回の仕事。その他の空き時間は事務所内で受付や別の仕事を行う。ルーティンの仕事の中で問題点や課題を見つけるようにしている。見つかればすぐにメモして忘れないようにする。そして実行に移す。これが仕事を面白くすることにつながると思っている。家に帰るのは18時40分くらいになる。その後晩酌を兼ねての夕食をとる。しばらくして眠くなった時はしばらく仮眠をとることもある。21時30分くらいからまた読書をする。23時から風呂に入って、23時30分くらいから就寝する。この生活をバックアップしてくれている妻には大変感謝している。心がけているのは、毎日決まった時間に同じことを行うことです。ルーティンの中で課題や楽しみをたくさん見つけることを目指しています。時間はおおむね30分で区切りをつけることを意識している。頭を使うことをしたら、今度は手先や体を使う。森田の「物の性を尽くす」という考えを応用して、「時間の性を尽くす」ことを意識しているのである。私の生活ぶりを見てせわしないという人がいた。私は人が言われたことではなく、自分のやりたいことを自分で見つけてやっているので、つらいとか嫌だとか思ったことはありません。自己内省することが少なくなり、生活がリズムを刻んで淡々と流れていくので、むしろ爽快である。土曜日、日曜日、祝日は気持ちを入れ替えて、主に田舎での農作業などに取り組んでいる。そのほか小旅行、カラオケ、買い物、飲み会、趣味の会の練習などで気分転換を図っている。土日にやるべきことは、月曜日から金曜日のあいだにリストアップしているので、10個くらいはだいたい持っている。森田のおかげで生活の好循環が習慣化されてきた。日々小さな楽しみや感動で一杯である。
2023.02.06
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今日は時間の使い方について考えてみたいと思います。人間は集中できる時間は、長くても2時間から3時間だといわれています。それ以上になると、疲れて頭の回転が悪くなります。飽きてくる。そして精神が緊張状態から弛緩状態へと変化してくる。大学の講義時間は90分が基本です。映画の上映時間は90分から120分程度。サッカーの試合は45分×2の90分。野球の試合でも2時間から3時間程度です。たまに4時間くらいの時もありますが、見るほうもやる方もダレてきます。仕事では一般的には9時からとりかかり12時まで働く。3時間です。そして1時間休む。食事の後は眠くなる。うつらうつらとしている。そして2時くらいから5時くらいまで、3時間くらい集中して仕事をする。そして一休みして、さらに遅くまで働く人が多いのですが、それはやりすぎというものでしょう。確かに、みんなが働いているのに、自分だけ帰宅するというのは気が引けます。ですから時間の使い方としては、2時間から3時間を目安にして取り組むことが理にかなっているということです。神経質者は動き出すまでは時間がかかるが、その後弾みがついてくるとのめりこんでしまうという人がいます。特にネットゲームなどに凝っている人は、深夜まで続けています。貴重な時間の使い方が気分に流されています。気分本位を地でいっているようなものです。森田先生が指摘されている「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」という言葉を思い出していただきたいと思います。森田ではリズムを意識した時間の使い方が必須となります。一日のうちで一番頭の回転が良くなるのは早朝4時から8時くらいまでだといわれています。早起きして、この時間帯を有効活用することが大切になります。私も社会保険労務士の試験勉強をしていた時は、早寝して、毎日4時に起きて2時間30分ほど勉強していました。頭がさえているので、勉強がはかどるという体験をしました。このブログも前日のうちにテーマを決めて、早朝6時20分くらいから、7時50分までの間に一気に書き上げます。これを午後に持ってきたことはありません。頭と体がついてこないからです。午後は、投稿テーマ見つけ、体を動かすことを考えて行動しています。これを8年以上も続けていると、完全に習慣化しました。早起きして学習する利点は、一日の生活のリズムが作れることです。規則正しい生活が自然と身についてきます。リズムに沿って緊張と弛緩の波に乗るという生活習慣は安心感や安定感が生まれてきます。1週間で区切ってみると、火曜日、水曜日くらいが調子がよいように思います。本来ですと、土日の休みを取った月曜日が調子がよいように思いがちです。でも実際には仕事が体になじんでくるのに、半日くらいかかるような気がします。その後やっとエンジンがかかり、午後からやっと走り出すことができるような感じです。ですから仮病を使って月曜日にお休みするということは、極力避けなければいけません。そうすると、火曜日が月曜日のような状態になるからです。他の人が仕事の調子が上がっているのに、自分だけとり残されたような状態になります。1週間のうちでも、緊張と弛緩のリズムがあるということを理解しておくと、月曜日に気分本位になって休むということは避けることになります。時間の使い方に特化して神経症を克服することができます。興味のある人は、「時間の性を尽くす」ことに取り組んでみてください。その段階に至れば、森田理論の要点のほとんどが芋づる式に理解できるようになるはずです。
2021.08.11
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今日は「時間の性を尽くす」ということを考えてみたい。30分の時間を、1時間も2時間にも活かしていく方法である。その前提として、私たちに与えられた生涯時間について考えてみたい。365日×24時間×人生80年と仮定すると、約70万時間になる。その中で睡眠時間1日8時間として、約23万時間。3度の食事、身支度などに使う時間を、一日1時間30分とすると4万4000時間。学校で勉強する時間として1年(250日×8時間)×(6歳~20歳)で3万時間。仕事をする時間として、1年(250日×8時間)×(20歳~60歳)で8万時間。人によって大きく違うが、これは大まかな目安と考えていただきたい。これらを集計すると、残り時間は約32万時間となる。膨大な自由時間がある事が分かります。この自由時間をいかに充実させるか。森田理論を学んだものとしてその使い方を考えてみたい。いくつか趣味を見つけて深めていく。スポーツ、武道、音楽、絵画、観劇、ウォーキングなどに取り組む。子育てや介護など家族との交流を深める。自己の能力や教養の向上を目指す。家庭菜園、自給生活、料理作り、加工食品作りを楽しむ。ペットを飼い、草花を育てる。旅行、ハイキングなどを楽しむ。ボランティアなど社会貢献に取り組む。やりたかった好きな仕事に取り組む。町内会などの地域活動に取り組む。社会参加や市民活動に取り組む。国際社会への貢献活動に取り組む。森田理論学習の深耕と日常生活への応用を考える。森田理論学習の普及に努める。その他もろもろ。人それぞれいろいろとあると思います。定年退職してからの時間の使い方は特に留意する必要がある。定年前から取り組みたいことを模索して、すぐに出発できるようにしておきたいものです。やりたいことを最低でも10個ぐらいは用意しておくことが肝心です。集談会で教えてもらったのですが、20個ぐらいないと退屈さを感じるということでした。ほぼ毎日、テレビ、パソコンに張り付いて、車でその日の買い出しに出かけるだけというような生活の繰り返しになると、足の筋力が衰えてきます。足の衰えは即脳の衰えを招きます。毎日のやるべき柱のようなものがあり、それを中心として規則正しい生活になっている。毎日の日常生活のルーティンを淡々とこなしていく。そうした生活の中で、小さな感動や楽しみのかけらをたくさん見つけることができる。時間の経つのを忘れるくらい、一心不乱に取り組むことができる。時間の活用を工夫・研究していくのが、森田の目指すところになると考えています。
2021.02.16
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本来自然界には「雑草」という植物はありません。田んぼの畔や耕作放棄地に生えている草を、役に立たないもの、人間にとって迷惑なものと判断してなずけているものです。雑魚、雑木林、雑仕事、雑誌などもそうです。つまり本来なら生命体として存在してはいけない。さっさと消え失せてほしい、存在そのものを忌み嫌い、否定しているものです。私は4月に入ると仕事が休みになるたびに田んぼの草刈りをしています。夏場から秋にかけて同じところを3回も刈り取らなければなりません。平場だけならまだましです。ところが田舎の田んぼは傾斜地が多い。高速で回転する草刈り機は危険作業なのです。また踏ん張る力が必要になり無理な態勢で体力の消耗を招きます。特に夏場は熱中症との戦いになります。草刈り機も高価なものです。私は用途に応じて2台持っています。近所の人は自走式のものを持っておられますが、それは一台30万円もします。それなら放置しておけばよいのにと思われるかもしれませんが、近隣住民に迷惑が掛かり、クレームがきますので草刈り作業は欠かせないのです。昔、牛や馬を飼育していた時は、雑草という考え方はありませんでした。牛や馬の貴重な食べ物だったのです。この牛や馬はトラクターがなかった時代は、田起こしや山からの薪の運搬になくてはならなかったのです。田んぼの草を刈り取って牛や馬の餌にしていたのです。無駄や無理がなかったということです。田んぼの草刈りは朝飯前の一仕事でした。自然循環と自分たちの生活が好回転していたのです。この草は化学肥料をふんだんに与えて作る牧草と比べると、様々な草が混ざった天然ものでありうまいものだったのです。この草に藁を刻んだものや米ぬかや残飯を混ぜて与えるととても喜んでおいしそうに食べていました。こう考えると、田んぼの畔に生えている草は、牛や馬を育てるための貴重な自然の恵みとしてとらえていたということです。こうしたあるものを活かして、とことん活用しつくすという考え方は森田理論の「物の性を尽くす」という考えです。存在しているものはどんなものにも価値があるはずだ。それを見つけ出してできる限り活用し尽くして、陽の目を見させてあげましょうという考え方です。雑草という先入観や決めつけで、汚らわしいもの、いなくなってほしいものという対立した考え方を取ってはいないのです。ではどうして長年続いてきた農業の仕組みが壊されてきたのでしょうか。農業はきつい、汚い、必要悪だという考え方で、改革や改善がなされ、今までの暮らしの仕組みを根こそぎ破壊してしまったからだと思います。今は牛や馬はいません。その代わりに、トラクター、田植え機、コンバイン、軽トラック、乾燥機などがあります。便利で楽になりました。しかしそれらを買いそろえるためのお金は少なくても1000万円にも上ります。そのために本来の農作業は簡単にして、勤めに出てせっせと稼がなくてはいけなくなったのです。一方では雑草退治に貴重な時間を奪われているというのが実態なのです。伝統的な生活、生きがい、自然循環、近所の人とのつながりはほぼ破壊されているのです。その結果田舎に住みたい若者はいなくなりました。それどころか、夜になると鹿やイノシシや猿やクマが縦横無尽に出没するようになったのです。共同体も破壊されて、地域の維持管理ができない限界集落が出現しているのです。これは人間が勝手で短絡的な価値観で従来の暮らしを破壊してきたための自然からのしっぺ返しを受けているように思えてなりません。現在田舎の土地は二束三文です。その土地を中国が狙っているのです。特に北海道の土地の3分の1はすでに中国に買われました。後50年もすると田舎の土地は中国に買い荒らされて、日本という国は実質中国の属国になっていたという笑えない状況がすぐそこまでやってきているのです。残念なことですが、これが日本の現実です。
2021.01.18
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森田先生は「物の性を尽くす」という言葉について次のように説明されている。「中庸」に「物の性を尽くす」という言葉がある。すべての物の持つ働き・値打ちをベストに発揮させることです。風呂焚きをすれば、塵紙やゴミでも、ことごとく有効にするように、全力で工夫をする。例えば、水を使うにも、洗面の水をそのままこぼさないで、バケツにとり、これを雑巾がけに使い、さらにそれを植木や散水に使うという風である。「物をむだにせぬ」という事は、同時に自分の頭の働きも、力もベストに使う事で、すなわち「己の性を尽くす」という事にもなる。(森田全集第5巻 439ページより抜粋)ここで重要なことは、その物の持つ働き、値打ちをベストに発揮させるということです。単に物をぞんざいに取り扱い、無駄にすることが忍びない。だから生活習慣として物を大切にしなさいという事ではないのです。それでは「もったいない運動」と全く違いがない。森田先生は、現在あるもの、存在そのもの、潜在能力、値打ちなどを見つけ出して、それらを存分に活用しなさいと言われているのです。普通古いものは故障しがちになり、性能も新しいものと比べると落ちてきます。ましてやその方が安価で手に入るという事になると、古いものは処分して買い替えるという事になります。森田先生は安易に買い替えるということには反対なのです。その物がこの世に存在していることは、存在意義を主張しているとみておられるのです。例え古くなって故障しがちであっても、命のある限り、精いっぱい持てる力を発揮して生を全うしたいという気持ちがあるはずだ。その気持ちを評価して、命の限り発揮させてあげることが、私たちの務めなのではないかといわれているのだと思います。これは最終的には、森田理論の「生の欲望の発揮」に通じるものがあるのです。森田先生は「物の性を尽くす」のほかに、「己の性を尽くす」とも言われています。人と比較して、ことさら自分に不足しているものを見つけ出して、補填していく生き方を目指す必要はない。自分の存在価値、性格、働き、能力などをどんどん活用して生きていくことを勧められています。こういう態度になりますと、自己嫌悪、自己否定はなくなります。自分の備わっているものを基点にして、さらに新しいものを生み出すという生き方ですから、葛藤や苦悩はなくなります。「物の性を尽くす」という考え方を突き詰めていくと、「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「時間の性を尽くす」「お金の性を尽くす」ことにつながります。つまり争いがなくなり、平和な社会が訪れるわけです。お金の性を尽くすという事で考えれば、例えばここに1万円があるとします。これを存分に活かして使えば、3万円分にも10万円分にも生きた使い方ができるでしょう。反対にギャンブルなどに使えば、ドブの中に捨てるような使い方にもなります。少なくとも使われたお金の身になれば、あまりうれしい事ではありません。森田を学習した人は、限られた生活費の中で、いかに上手にやりくりするかを考えるようになると思います。家計簿や小遣帳をつけて、支出の工夫をするようになります。ですから集談会で家計簿の付け方などの話で盛り上がるようになるのです。また将来に備えて貯蓄をするようになるかもしれません。あるいはもっと有効活用するために、有効活用している人に寄付して活かすことも考えられます。いずれにしろ、森田理論の世界では、これらが別々の事ではなく、すべてが根っこの部分でつながっているのです。一つのことが理解できれば、すべての分野に波及してきます。ちなみに、私はこの分野に特化することで、神経症を克服し、素晴らしい人生観を築き上げた人を知っています。
2020.08.22
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このブログは朝6時20分に投稿している。すでに1か月前に予約した原稿が自動的にアップされるようになっている。私は1か月前にはこんなことを考えていたのだなと読み返している。先日うれしいプライベイトメールが届いた。その方は毎朝6時20分に投稿している私のブログを見るために、目覚まし時計を6時20分にセットされているらしい。毎日一番に拝見するのが習慣となりましたということだった。投稿記事については、よい記事もあるが、これはという記事もあるということだった。ただ、森田を神経症治療の範疇を超えて、「森田人間学」の立場からとらえておられることに共感ができるということでした。これからも羽目を外して大いに楽しませてくださいという内容だった。まあ人それぞれ考えていることが違うので納得できる。辛口批評ができるということは、自分に引き寄せて考えられていることだから、その人にとってはこのブログは刺激を与える役割を果たしているのかなと感じた。それよりも、その人の生活習慣を変えてしまったというところが気に入った。多分このブログを朝一番に読もうという気がなかったら、起床時間は不規則になっていたかもしれないと感じた次第です。7時になって起床したり、それ以降に延びていたかもしれない。そうすると、規則正しい生活のリズムが作れない。一日の最初から不安定な生活になってしまう。リズム感のない生活は、自律神経の活動に変調をきたす。体調面で不調になりやすい。朝の起床時間をなるべく早くして、一定に保つことは大切なのです。また朝の時間は意欲に満ちており、特に精神的活動をするものにとっては貴重な時間帯である。昔の人は「朝起きは三文の得がある」といった。これをむざむざ寝て過ごすことは、森田理論でいう「物の性を尽くす」つまり、「時間の性を尽くす」という観点から見るとまるっきり反対のことをしていることにならないかと思う。つまり宝の持ち腐れになっているのである。
2020.02.28
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樹木希林さんは果てしない物欲は人間をダメにすると考えられていたようである。それを自ら実践し、子育てにも応用されていたのが素晴らしい。娘の也哉子さんが言われるには、自分の子供から「周りの友達がみんな持っているから、どうしても欲しい」と言われると、「子どもに寂しい思いはさせたくない」と考えて普通親は買ってあげるのです。樹木希林さんからしたらそんなことはばかばかしいことなんですね。文房具一つにしてもそうなのです。也哉子さんが小学生のころ、自分の文房具はキャラクターのプリントのない地味なものばかりだった。友達はみんなかわいい文房具を持っていて、「今度交換しようね」などと話している。私は1度もそういう輪に入れてもらえないのです。私は嫌で嫌で、本当に母のことを恨みました。この件について母は、「キャラクター付きの文房具なんてセンスが悪いじゃないの」という。「え、あんなかっこ悪いものをあなたはいいと思うの」「うあ、私にはそのセンスはありえない。私がお金出すんだから、私の好きなモノしか買いません」母が妥協して買い与えるということは皆無でした。小学校の制服が新しくなった時のこと。「古い型を着ていてもいい」と言われたのですが、みんな替えるのです。タータンチェックのスカートで、チェックの幅と色が少し変わったぐらいだから、そんなに大きな変化ではないのです。その時は母は私に言いました。「そんなものは買わなくてもいい」「着倒すまでその制服を着なさい。そんなに欲しいのなら、お年玉を貯めて自分で買いなさい」そこで私は、自分で頑張ってお金を貯めて、やっと新しい制服を買いました。洋服一つ、日用品一つにしても、そんな感じなのです。子供のころは、母のストイックさには本当に嫌気がさしていました。そうかといって母はケチでそうしているのではないのです。初めて洋服を買ってもらったのが、中学に入ったお祝いの時です。「冠婚葬祭に行けるような、キチットしたスーツみたいなのが必要だよね」私が洋服屋さんで、「ああ、あれもいいな。これもいいな。ジャケットとパンツ。ジャケットに合わすスカート。で、ワンピース」とかで悩んでいたら、母は、「じゃあ、それ全部ください」といって、全部買ってくれたの。もう、あの時のことは忘れないです。その太っ腹にびっくりしちゃって。その時に買った服ね。今でも着ているのですよ。母も時々、「あれ、ちょっと貸して」と言って、紺のジャケットなんか、しょっちゅう二人で着てた。30年使っているから、元は十分に取っているのですが。「ウチは貧乏なのかな」と思っていたから、衝撃が強かったのです。森田では物の性を尽くす、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすと言います。これは元々それぞれが持っている能力や価値を最大限に活用していくという考え方です。「もったいないから、むやみに新しいものを買わない」ということではありません。風呂の残り湯はすぐに捨てるのではなく、雑巾がけに使い、打ち水に使う。植物にかける。役に立つ限りはトントン活用していくという考え方です。つまり生き方の問題なのです。樹木希林さんが、森田理論を学習されたわけでもないのに、そういう境地に達しておられたという事に驚かされます。
2020.02.13
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樹木希林さんのお話です。私ね、自分の身体は自分のものだと考えていたんですよ。とんでもない。これ、借りものなんだっていうふうに思えるようになってきました。親から産んでもらったこの体をお借りしているんだ、と。そこにね、私というなんだかよくわからない性格のものが入っているんだ、と。ところが、その借りものをさあ、若い頃からずっとわがもの顔で使ってきたわけじゃない。ちよっとぞんざいに扱いすぎたかなぁ。今頃になって気づいてさ、「ごめんなさいねぇ」って謝っても、もう遅いわねぇっていう感じかな。家や土地っていうのもさ、なんか自分で買ったんだから、自分のものだと思っちゃうじゃない。でも、これって、地球から借りているものなんだよね。・・・突き詰めて考えてみれば、地球からお借りしているものなんだっていうふうに思ったの。その時にスコーンとね、「これが欲しい」「あれが欲しい」っていうのがなくなっちった。病気してからね、病気をして死に至ったと時にね、持っていかれないわけだから。それでなんか腑に落ちた。物欲がね、スッとなくなっちゃいましたね。これだけたくさんのガンを持ってると、「いつかは死ぬ」じゃなくて、「いつでも死ぬ」、という感覚なんですよ。それに関しては「あっ、ごくろうさま。お借りしていたものをお返しいたします」という感覚でいるからね、すごく楽なんですよね。(この世を生き切る醍醐味 樹木希林 朝日新書 195ページより引用)私もこの考え方を支持しています。自分の身体の中に、私という魂というか、心というか、意識というかそういうものが入りこんでいるのではないか。もちろん証拠を見せろと言われたらお手上げです。でもそういう仮説を持って生活をすることのメリットは大きいものがあります。肉体が死を迎えたときに、魂が肉体から離脱して、元にいたところに帰っていくのではないか。それが間違っていても、何もダメージを受けることはありません。そう信じて生活するということは、自分の身体との向き合い方が変わってきます。自分の身体は、レンターカー、賃貸住宅、市民菜園を借りているようなことになります。あるいはリース契約をして、自動車、コピー機、パソコン、建設機械を借りているようなものです。所有者は自分ではありません。自分は使用者という存在です。乱暴に扱うと、傷がついたり、故障します。そうなると損害賠償をしなくてはならなくなります。反対に人様のものを一時的に預かり、利用させてもらっているのだと考えれば、傷をつけないように丁寧に扱うようになります。自分の魂が身体を借りてこの世でやりたいことをやらせてもらっているのだと考えれば、自分の身体をいとおしむことにつながります。自然に感謝の気持ちが湧いてきます。家庭菜園でいえば、お借りしたときよりも、より豊かな土壌に作り換えてお返しをしたとすると、貸した人は感謝すると思います。出来ればまたこの人に貸してあげたい。人間の身体も同じです。病気をしないように、食事に気を配る。酒を飲みすぎないようにする。ストレッチや運動を心がける。笑いを心がける。規則正しい生活を心がけ、睡眠を十分にとる。絶えずメンテナンスをして、身体も精神面も健康体を心がける。そういう人には、条件の良いところでもっとその能力を開花させてあげたいと思うのではないでしょうか。そういう考え方をしていると、身の周りのものに感謝してあるものをできるだけ有効に活かしていきたいと思うようになります。
2020.02.09
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田舞徳太郎氏は時間の量は計れるといわれる。Aさんの一生の長さ、(a)80年です。(b)時間の使い方は、逃避したり、怠けたり、言い訳をしたり、という具合にほどほどの時間を過ごしました。自分の能力の10%程度のいい加減な時間の使い方をしてきたわけです。その結果は、ほどほどの人生への取り組みですから、(C)10%程度しか学べないし、気づけません。「人生ってこんなものじゃない」という浅いレベルの気づきです。これを計算すると、時間の量は、時間の長さ×時間の使い方×学んだもの、80×10×10となって、8000という数字が出てきます。これがAさんの時間量というわけです。Bさんの一生の長さはAさんと同じ、(a)80年です。その80年を「人生2度なし」の気構えで、必死に生きました。何事にも真剣に本気で取り組みました。100%全力投球したのです。その結果、多くのことを学び、100%気づくことができました。「なるほど、生きることはこういうことか」と人生に対する悟りのようなものをつかみました。Bさんの時間の量を計算すると、80×100×100ですから800000という数字が出てきます。二人とも80年の人生を生きてきました。しかし時間の量で見ると大差がついています。この大差は、時間をどう使い、何を学び気づいたか、つまり如何に生きるかによってついたものです。(気づきの成功学 田舞徳太郎 致知出版社 265ページより引用)60年の一生、80年の一生、100年の一生と人さまざまですが、それだけではその人の生きた時間の量は計れないということです。その人がどんなことに気づいてきたのか。どんなことに関心や興味を抱いてきたのか。そしてそれらにどんなに精力的に取り組んできたのか。実践や行動として真剣に取り組んできたのかということです。その人の時間の量は、3つの掛け算によって決まるといわれているのです。これを森田先生に当てはめると、64×100×100で640000となります。いろいろな試行錯誤の末に森田療法という神経症に対する特殊療法を創始され、実際に多くの人に影響を与え続けていることを考え合わせると当然の結果だと思います。森田先生は今でいえばあまりにも早い死でしたが、生きた時間量でいうと、我々が足元にも及ばない長い時間を生きたということができるのではないでしょうか。私たちは森田先生より長く生きたとしても、時間量で森田先生を上回ることは難しいと言わざるを得ません。でも少しでも近づきたい気持です。毎日緊張感を持って日常茶飯事に取り組むこと。興味や関心のあることには、積極的に取り組んでみること。夢や目標が見つかれば、どんどん挑戦してみること。その中で興味や関心、気づきや、発見、工夫が次から次へと生まれてきます。そして、時間を忘れるくらい早く時間が過ぎていくでしょう。そういう状態になったとき、気づきと取り組みの数字が増えていきます。結果として、人間の時間量は飛躍的に増えていくものと思います。私もそういう人生を送っていきたいと思っています。
2020.01.18
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大学の授業は90分になっています。それは人間が一つのことに集中できる時間の限界だからと聞いたことがあります。よほど好きなことならともかく、一つのことばかり手掛けていると、マンネリになります。飽きてきたり、疲れてきます。眠くなったり、注意力散漫になることもあります。そういうときは森田理論が参考になります。「休息は仕事の中止ではなく、仕事の転換にある」という考え方です。私は本を読むことが多いのですが、その継続時間は45分を目安にしています。90分は少し長すぎるというのが実感です。45分経つと興味が出てきても、飽きてきた時も自動的に本読みは中止します。45分経ったらしおりを挟んで本を閉じてしまいます。そして15分間はコーヒーを飲んだり、音楽を聴いたり、カラオケの練習をしたり、散歩やスクワットなどの運動をします。頭を使ったあとは、身体全体を使った運動などがよいようです。眠くなっていても、15分ぐらいたつと、眠気がどこかに飛んでいってしまいます。15分運動をして読書に戻ると、さらに新たな気持ちで取り組めるように思います。時間管理はスマホのタイマーで簡単にセットできます。時間の使い方という点では、午前中の時間の使い方がとても重要であると感じています。このブログの作成時間は朝6時20分から7時50分までと決めています。これはここ何年も変わっていません。習慣になっており、日の出の遅い冬場でもさっと起床して取り掛かることができます。この時間帯が頭が一番さえているのです。その時間を有効に活用しています。記事の内容は、昼間に練っておいて、この時間帯は頭を使って一気に書き上げるという感じです。また、この時間帯を無事に通過すると、一日のリズムをとりやすいのです。身支度、朝食、しばてん踊りとどじょう掬いの練習、出勤へと続きます。昼ごはんをとると30分程度の仮眠をとります。基本的には昼からの2時間程度はぼんやりしている感じです。仕事もボツボツとこなしています。この時間帯は過度に頭や体を使うことは避けています。どちらかというと、胃腸の方にエネルギーを使っている感じです。すると3時くらいからまた頭や身体がさえてくるといった形です。家に帰るとその余勢で、サックスの練習、カラオケの練習、草花の手入れ、株の分析、日記、メールのチェックなどをしています。晩酌付きの食事をした後は、風呂に入り、テレビニュースを見たり、録画を見たりしています。バラエティー番組はほとんど見ません。よい番組を録画してCMを飛ばしてみています。時には趣味のネット麻雀もします。現在六段になりました。ただし半荘1回だけです。基本的に12時の就寝まではリラックスタイムです。うとうとしています。疲れているいるせいか、頭の働きは半分以下に落ちているのではないかと思います。とてもブログの記事を書こうと気持ちは湧いてきません。仕事はいつしているのだと言われそうです。マンションの管理人の仕事なので、受付、掃除、点検、立ち合い、連絡調整が主な仕事です。もう10年も続けており、ポイントは掴んでいて、問題なくできています。ただ初心を忘れて、自己流の仕事をしていると、思わぬミスを起こしますので注意しています。機械式駐車場のトラブル、騒音問題、駐車違反、照明機器の故障、書類の管理などです。苦情などの受付時間が半分以上を占めており、ゆとりのある時間の使い方ができています。トイレも冷暖房も完備しており、規則正しい生活ができるので、今の私にとっては天職です。
2020.01.16
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水谷啓二先生は、時間は目に見えないが、その価値を大事にしなければならないと言われている。水谷先生が駆け出しの新聞記者であった頃、先輩の老記者から「話は5分で片付けよ。重要な用件があって自宅を訪問したときでも30分以上長居をするな」と教えられたが、これは一般社会人にとっても大事な心がけである。人々から迷惑がられているようでは何をやっても成功するはずはなく、社会人として落第である。それから、森田先生は著作の読者などで、便箋に細字でぎっしりと10枚くらいも手紙を書き、 10円切手1枚封入して「大至急お返事をいただきたい」などと言ってくる人がある。こういう人は、人の時間と労力を、何と思っているのであろうか。ひどいのになると、 20円切手を貼るべきところを、 10円しか貼ってなく、こちらが不足分を払わされることがある。こんなに非常識であるからこそ、神経質にもなるわけであって、他人の時間や労力を正しく評価できるようになれば、神経症も治るはずである。(生活の発見誌 2018年2月号 13ページより引用)時間は有限である。自分のことならともかく、貴重な他人の時間を自分勝手に奪うようなことをしてはならない。便箋に細字で10枚も自分の症状のことを長々と書いて、返信を催促するのは自己中心的である。普通は相手のことを思いやって、控えめにするのが人情である。 森田理論に、 「物の性を尽くす」と言うのがある。これは、自分、他人、物、お金、時間等をその持っている存在価値をとことんまで工夫して活かし尽くすということである。森田理論を学習し、ものそのものになりきって行動・実践すれば実現できる。時間について言えば、 1時間の時間を、2時間にも3時間にも有効に活かし工夫して使うようになれば、神経症は治る。森田理論で、 「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」という言葉がある。同じ仕事を続けていると、疲労が蓄積してくる。さらに飽きがくる。それを解消するには、別の仕事に手をつけるとよいということだ。そうすれば、新たな刺激が加わり、結果的に時間を何倍にも活かして有効に使うことができる。会議や学習会などでは、普通の人は携帯電話の電源を切るか、マナーモードにしている。ところが、時々携帯電話の着信音が鳴る人がいる。うっかり切り忘れているのなら仕方がない。でもなかには、すぐに切るのではなくて、その場で会話を始める人がいる。こういう人は会議や学習会の時間をどう考えているのだろうか。自分のことを優先して考えているような気がする。そのような考え方をする人は、 他方で「私の趣味はギャンブルです」などと公言される。一度に使う資金は5万円にも及ぶことがあるという。もったいないという気は起こらないようだ。時間の使い方に無頓着な人は、お金にも無頓着になるようだ。森田先生は1000円のお金を、5000円にも10000円にも活かして使う工夫をしなければならないと言われている。そういう人は自分、他人、身の回りの物などについても、その潜在能力を極限まで活かし尽くそうという考えは毛頭ないのではないか。家で時間を持て余していると言われるので、家庭菜園でも始めたらどうですかというと、 「土いじりのような手が汚れるようなことはやるつもりはない」などと言われる。森田理論の知識は豊富になっても、行動や実践が森田的になっていかないので、ますます神経症の泥沼に入っていくのではないかと思う。
2018.02.27
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アメリカでは余命6か月などの不治の病にかかった場合、安楽死が認められている州があるという。確かに余命6か月ですなどと宣告されると、その気持ちも分からないではない。これは第3者がとやかく言うことではないかもしれない。でも森田理論に照らし合わせてみると、どうしても引っかかるところがある。この問題は森田先生の見解を聞いてみたいと思う。その手がかりは残されている。森田先生は何度も死と隣り合わせの大病を経験されていた。森田先生は、亡くなる前に主治医に向かって、たとえダメであっても、できる限りの手を尽くしてくれと言われていた。簡単に見放すことはしないでくれと言われていた。最後にこと切れるまでは、何度でも生き返って神経症の治療や研究を続けたいと願っておられた。喘息で息をするのが苦しいから一思いに死んでしまいたいなどということは、考えもしないことだった。この点、現在のがん治療について、「日本のガン治療の名医100人」に選ばれている倉敷のすばるクリニックの伊丹仁朗医師の話を伺った。今のがん治療は、ほとんどのがん拠点病院では、手術、抗がん剤、放射線の治療である。それ以外に30種類も治療法があるが、まったく無視されている。問題は、3つの治療法でだけで治らずに悪化した場合どうするのか。ほぼホスピスに行って安らかな死を迎えてくださいということになるそうだ。そんなことで患者が納得できるでしょうか。患者が別の治療法を試みてくださいなどと要求しても無視される。生の欲望はきっぱりと否定されるのだ。患者の立場に立って至れり尽くせりの治療は望むべくもないといわれる。伊丹医師はがん患者の組合、生きがい療法ユニオンを作って頑張っておられる。伊丹先生は難病治療の権威であると同時に、森田療法の専門医であることを付け加えておきたい。さて、森田先生は正岡子規の話をよく出される。正岡子規は結核と脊椎カリエスで7年間は寝たきりであった。最後は寝返りもできなくなった。そこでひもを体に巻いて、柱に通したひもを引っ張って体の向きを変えるというありさまだった。それでも俳句を作り続けて、創作活動を中止することはなかったという。理論物理学者のホーキング博士は、脳だけが機能しているだけで、体の自由は全く効かない。車椅子で講演される。口もきけない。顔も動かすことができない。それでも世界の宇宙科学をけん引しておられる。運命を切り開くとはこのような人のことをいうのだろう。森田的生き方の具現者であると思う。森田先生は、「死の権利」の合法化については、きっと反対されるだろう。我々人間は、どんな身体的困難な状況に陥っても、残された機能を活用して、死ぬ真際まで生の欲望を発揮して、運命を切り開いていくという宿命を負った存在である。簡単にあきらめてはならない。命のある限り、生き尽くさなければならない。つまりこの問題は、「あなたはどう人生に立ち向かうのですか」という生き方を問われているのである。皆さんはどうお考えでしょうか。
2018.01.23
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森田先生は、昭和13年4月12日、 64歳で亡くなっられました。昭和6年3月にも大病をされて生死の境をさまよわれました。その時の事を次のように話されています。今度、私の3月の病気の時も、自分は心臓性の喘息であるから、命が危ないと思い、古閑君か佐藤君か、よく覚えていないが、死んだら解剖のことを頼み、また井上君や山野井君や修養のできた人には、危篤の電報を打ち、香取君には電話で、きてもらった。それは私が死ぬる今はの実際の状況を見せて、参考に供したいと考えたからである。つまり、肉体的解剖でも、臨終の心理的状況でも、これを無駄にしないで、有効な実験物として提供したいので、あるいはこれを功利主義と言えるかもしれないと思うのである。 (森田正馬全集第5巻 白揚社 113ページより引用)自分が死んだとき献体をして医学の発展のために役立ててもらいたいというのは、果たして何人おられるだろうか。また、意識が朦朧となり、臨終の時に当たって、その時の様子を、今後の参考のために、弟子たちに見せておきたいという気持ちになるような人がおられるだろうか。私はここに、森田先生の「物の性を尽くす」という考え方が非常によく出ていると思っている。「物の性を尽くす」というのは、一般的には物を粗末にしないで生活すると言う意味に捉えられやすい。以前滋賀県知事が、 「もったいない」運動で県知事に当選したことがあった。森田先生の言われている「物の性を尽くす」と言う意味はそれとは違う。元滋賀県知事のいわれているのは、無駄な出費は拒否するという考え方なのだ。森田先生のいわれているのは、その物の持っている存在価値、性質、潜在能力、資質、性格などを見つけ出して、極限にまで活用し、活かし尽くすということである。これは物だけに限らない。自分や他人を含めた生きとし生けるもの、お金や時間も含まれる。例えばお金でも、 100円を1,000円に、 1,000円の1万円に、そのお金の価値をもっともっと活かして使いなさい、と言われているのである。この「物の性を尽くす」という考え方が、神経症が治るということにどう関係しているのか。神経症に陥っている人は、自分の症状のことばかり頭の中にある。その状態の時は、目の前のなすべきこと、課題、目標の達成は頭の中にはない状態にある。考えることや行動が、ほぼ100%症状をなくすることに片寄っている。神経症から回復する過程においては、その比率が少しずつ下がってくる。反対に、目の前のなすべき事、課題、目標などを考えることが多くなってくる。その時に、ただ単に注意や意識が外向きになってやみくもに行動するだけでは心もとない。その状態はハツカネズミが糸車を回している様に見える。治すことを目的とした行動になっているのだ。神経症の苦しみがなくなると、またもとの木阿弥になる可能性が強い。自分が動き回るのは、そうすることによって症状を取ることが目的となっているのは問題だ。ただ単に治すために行動するのではなく、生活の必要に応じて行動することが大切である。そうすると、行動によって感じが発生して高まり、気づきや発見が生まれてくるようになる。ここが大事なところです。ここでもし「物の性を尽くす」ということを、そこに取り入れるとどうなるか。たとえばパチンコ好きの人がいるとする。1回勝負すると3万円も使うこともあるという。「物の性を尽くす」ことを実践に取り入れている人は、「お金の性を尽くそう」と考えるので、お金の無駄遣いはできなくなると思う。それよりも年間の生活の予算管理を立てたり、家計簿をつけたりして、無駄使いを避けて、出来る限り有効活用を考えるようになるだろう。その工夫が次々に浮かぶことになる。高良武久先生は、 「物の性を尽くす」にあたっては、贅沢三昧の生活を抑制することが大切であると言われている。私もこのことは強調しておきたい。贅沢なものばかりに関心があると、大抵、日常の小さいことに対する喜びがなくなるのです。珍しいもの、刺激のあるものに目が奪われて、そのものの存在価値、潜在能力の発掘には目がゆかなくなるのです。これは森田理論を活用するという点から見ると、とても残念なことです。路傍の草に咲いている花を見ても喜びを感じると言う風になると、見栄えのしない花だけれども、こういう物には、ランの花に及ばない情緒がある。すべてのものは、そのものの個性があって、他のものと比較にならない価値がある、と思えるようになる。その価値を発見し、その価値を評価して、最大限に活かすことを考えるようになる。人間もそうですね。自分の不足している部分にばかり目を向けていると、自分のもともと持っているものについては関心が無くなってくる。自分の持っているものを大事にして、ある点では人に及ばないところがあるけれども、自分自身の値打ちというものは、やはり他人と取り替えることのできないものだという事を自覚し、自分の存在価値、能力、神経質性格を存分に活かしていくことが大切です。それが結局は他人のためになることになり、人間関係は改善してきます。(生活の発見誌 1977年7月号より引用)
2017.05.26
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形外先生言行録56ページの浅羽武一さんの話を紹介します。昭和2年の初夏のある日曜日のことであった。午前中の外来の診療が終わった後に、突然、森田先生が、今日はデパートに買い物に行くといわれた。そして先生より野村兄などわれわれ弟子たちは一枚の十円札をもらった。しかし買い方の条件があった。それは十円札を全部使うこと、つり銭を残さないこと、自分の金を使ってはいけないこと、1時間以内にすますことであった。我々弟子たちはデパートでいざ買うとなると、計算をしつつ、つまらないものを買わないように、むだ使いをしないようにと、大変気を使って、買い物をした。ふたたび先生の家に帰って、皆で買った品物を先生の前にそれぞれ出して、見てもらった。先生は一つ一つ見て批評されて、これは役立つもの、これは役に立たないもの、良い物、悪い物などと教えられた。つまらない物を買った弟子たちは先生の話が身にしみた。先生はこんな具合に、すべて実物指導されて、親切に教えられた。買い物をするときの心がまえを、いろいろと話されて、われわれを指導されたのである。ここで10円札とあるが、当時の1円は現在の1万円にあたるようだ。つまり10円札は現在の10万円にあたる。かなりの買い物ができる額である。この話は、森田先生のお金の使い方に関しての考え方がよく出ていると思う。お金は持って貯めているだけではダメだ。実際に活用しないといけない。活用の仕方はいろいろと創意工夫しなさいということを言われているように思う。さて森田先生がどんなものがよいと判定されたのかはとても興味がある。森田先生は重視されたのは実用的なものだと思う。保存の効く食べ物、消耗品、日常生活ですぐに役立つもの、毎日使うもの、みんなが使うもの。身の周りの物で常日頃あったら便利だろうなと思っているもの。みんなを楽しませるもの。逆に悪い物とされたものはどんなものだろうか。趣向品、贅沢品、珍しい物。すでに持っているもの。ほとんど使い道のない物。使い捨てのもの。すぐ壊れるもの。値段が高すぎて価格に見合っていないもの。高い骨董品。保存がきかなくてすぐに腐るもの。ちなみに森田先生の診療所には壁に次のような張り紙があった。1、 困るもの―菓子、果物・特にメロン、商品券2、 困らぬもの―卵、鰹節、茶、缶詰、金、りんご3、 うれしきものー一輪花、盆栽、チョコレート(瓶詰め)、サンドウィッチ、女中に反物私はこずかいは1年の初めに予算を立てている。それを月ごとに割り振っている。食費、外食代、電気、ガス、下水道料、通信費、新聞・テレビ受信料、交通費、車両代、高速代、所得税や固定資産税などの税金、冠婚葬祭費、田舎の経費、本代、各種保険、交際費、旅行、趣味、厚生費、医療費、衣類、電化製品、毎年発生する各種会費、予備費などである。気をつけているのは、予算の範囲で生活すること。予算管理をしていると、スポーツ観戦、コンサートなどちょっとチケット代が高いと思っても、年間予算の範囲なら思い切っていくことができるようになったことである。生活が苦しくなったら生活必需品のみの生活に徐々に絞ってゆこうと考えている。
2016.05.18
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子供や孫がこずかいが欲しいと言ってきたときに親はどう対応するか。ゲームセンター等では子供や孫に言われるがままに小銭を与えている人がいます。またおもちゃ売り場ではほしいというおもちゃを無条件に買い与えている人もいます。外食に行く場合も子どもの好みに合わせるという状況です。子供や孫が要求するがままにその都度与えているというのはどうなのでしょうか。私の小さい頃は、ほしいものも買ってもらえる経済的な余裕もありませんでした。ほしいのを我慢させられていました。こずかいをもらうということは全く考えられませんでした。今は子や孫に言われるがままに甘やかせていることが多くないでしょうか。末恐ろしい気がします。石川遼を育てた石川勝美氏は、遼君がこずかいが欲しいと言えば、家の手伝いをさせたそうです。その際1カ月とか、2カ月の期間を決めてやらせる。その決められた期間、決められた仕事をきちんとこなした時にはじめてこずかいをあげたというのです。労働の対価としてこずかいはもらえるのだということを小さいときから教えていったのだそうです。今度のテストで100点とったらあげると等というような、餌で魚を釣るようなことはしなかったそうです。これも一つの考え方だと思います。それからこずかいは小出しに与えるのではなく、まとめて与えるのがよいと言われています。月のこずかいをまとめて与えるのです。そしてこずかい帳のつけ方を教えて、自分で計画を立てて管理させるのだそうです。でもこずかいの範囲では自由に使わせる。こまごまと使い方に指示はしない。でもそれ以上の要求にはのらない。よほどのことがあれば家族会議で決める。そういえば、賞与がでた時、家族会議を開きその使用方法を家族全員で協議するという人もいるそうです。父親の稼ぎだから自由に使ってよいということにはならないのだそうです。祖父母、配偶者、子供、孫を含めてすべての人に利用権があります。すると家族のコミュニケーションにもなり、子供たちも自分の意見をはっきりと言えるようになります。そして他の家族に譲るところ、妥協すること、我慢したりすることも学ぶことができます。そして将来の人生設計も立てることができます。なによりもお金の性を尽くすことができます。それに反して言われるがままに与えていると、自由放任、過保護になって、子供の将来にとって何らよいことにはなりません。ちなみに私もパソコンでこずかい管理をしています。予算を立てて進行状況を月々管理しています。また将来のあらゆるリスクを想定して生活資金の増減のシュミレーションをしています。いわゆるライフプランをたてて、毎年正月には見直し作業をしています。それをもしもの時は家族に分かるようにまとめています。あれこれと家族と相談しながら考えることは楽しいものです。自分が亡くなるときには葬式費用と多少の蓄えを子供に残して、それ以外はすべて有効に使い切ることが目標です。
2015.05.17
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今日は「物の性を尽くす」ことについて考えてみたい。「なんでも鑑定団」というテレビ番組がある。家に眠っているお宝を鑑定の専門家に鑑定してもらう番組である。鑑定後に必ず鑑定額が示される。あまり大切にしていなかったものに高値がつくことがある。一般的に有名な陶芸家、画家、書家、技工士等の作品には思わぬ高値がつく。反対に本物と信じて疑わなかったのに、真っ赤な偽物と分かりがっかりするケースも多い。出演者の口にすることが面白い。「もし高かったらこれを売って家族で海外旅行に行くための資金にしたい」ここで言うものの価値はなんで決まるのか。希少価値、流通価値、歴史的価値、評価価値、経済的価値等である。一言でいえば、高い鑑定額がつくかどうかということである。その経済的価値一辺倒で一喜一憂しているのである。拝金主義の現代の価値観をそのまま反映しているのである。ここにはものそのものに対する存在価値を認めるという考えは希薄である。次に2006年滋賀県知事に当選した嘉田さんの「もったいない」という言葉がある。少し不便さを我慢すれば無駄遣いが防げる。欲望のままに無駄遣い、浪費、使い捨てすることはいけません。そんな生活を続けていくと早晩石油資源、森林資源、海洋資源、鉱物資源等が枯渇してきます。さらにゴミ処理問題、地球の温暖化などの環境汚染を招き人類の生存に悪影響を及ぼします。だからまだ利用価値があるのに使い捨てするのはやめましょう。欲望を抑えて浪費や資源の無駄遣いはなくしてゆきましょう。古いものをできる限り長く大切に使いましょう。紙などは再利用して使いましょう。なくても生活できるのなら多少の不便は我慢して生活してゆきましょうという考え方です。つまり欲望の暴走を抑えて永続性のある社会を作りましょうという事です。これに対して森田理論の言う「物の性を尽くす」という考え方は何をいっているのか。物にはそれぞれに存在価値があります。自分には自分の存在価値があります。他人には他人の存在価値があります。ところが普段は他と比べて是非善悪の価値判断をしています。存在価値を忘れて、経済的価値、利用価値、評価価値で優劣の判断を付けているのです。存在価値よりもそちらの方の価値に意味があると考えているのです。でもそれは違いますよと教えてくれているのです。その考えによると、「かくあるべし」で考えた理想、完全、完璧な状態のものだけを評価していくということになります。比較して見劣りするもの、価値のないものは簡単に見捨てられてしまいます。安易に新しいもの、すぐれたものと取り換えようとします。森田では生きとし生けるものすべてに存在価値があります。その独自の潜在価値や潜在能力を発掘しましょう。それを土台にして出発して、めいっぱい活用する。さらに磨きをかけて伸ばしてゆきましょう。新しいものに買え変えたりする前に、そのものの利用方法を考えてみましょう。人間についても、ないものねだりをして自己改造を目指すのではなく、元々自分や他人にそなわっている特徴、性格、能力を活かしていくことに力を入れてゆきましょうと言っているのです。これは事実をそのまま認めていく生き方につながります。
2015.04.04
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森田全集第5巻113ページより今度、私の3月の病気の時も、自分は心臓性の喘息であるから命が危ないと思い、古賀君か佐藤君か、よく覚えていないが、死んだら解剖の事を頼み、また井上君や山野井君や修養のできた人には、危篤の電報を打ち、香取君には電話で来てもらった。それは私が死ぬる「今は」の実際の状況を見せて、参考に供したいと考えたからである。つまり肉体的解剖でも、臨終の心理的状況でも、これをむだにしないで、有効な実験物として提供したいので、あるいはこれを功利主義と言えるかもしれないと思うのである。また形外先生言行録の中にこんな話がある。中川医師が森田先生の病室にいた時のこと。そこに主治医と看護婦がきて洗腸をするという。慌てて病室を出ようとすると、森田先生曰く。「中川君、洗腸とはどういうようにやるものか、よく見て勉強しなさい」普通は自分の恥部は隠したいものである。驚くべき話である。私はここに森田先生の「物の性を尽くす」という真髄を見る思いがする。最後の最後まで、これでもかこれでもかと自分の活用方法、活かし方を追求する生活態度が見て取れるのである。この態度が入院生に向けられた時、なんともいえない温かい人間教育になってくる。神経質性格を持ち症状で苦しんでいる人に、神経質性格のプラス面を充分に自覚して、それを生活の中に活かしてみなさいと厳しく教えられているような気がする。だから退院後も森田先生を慈父のように慕う人が多いいのだろうと思う。普通は自分に備わっているもの、能力や特徴には目もくれないで、自分にないものばかりを得ようとしている人があまりにも多いような気がする。まずは足元から見直すことが大切だ。
2014.12.09
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セブンイレブン本社は面白い会社である。直営店舗はほとんど持たない。惣菜や弁当を作る会社を一切持たない。倉庫や運搬車両などの物流システムは一切持たない。店舗で働く人を一切持たない。つまり土地や建物、人に至るまでセブンイレブンのものではないのである。最初に事業を立ち上げた時は資金もなかった。だから早く上場して資金さえも人様のものを活用しようと考えてやってきた。持っているのは常に自己変革を続ける頭脳のみである。つまりセブンイレブン本社は所有することよりも、他人の持っている物を活用することのみを考えてきたのである。これはP.F.ドラッカーが「未来への決断」で述べたポスト資本主義社会の実現そのものであると思う。本来会社が大きくなると自社ビルを建て、土地を買い集め、M&Aで子会社を増やし、社員を増やしていく傾向にある。これに対してセブンイレブンは真っ向から反対の経営を貫いてきた。セブンイレブンは自らの事業目的を達成するために、それらの経営資源を持っている人にお願いして協力してもらっているのである。自分はアイデアだけを出す。そして粘り強く、それらの経営資源を持っている人を説得してきたのである。つまり単独では意味のないものを、一つの経営理念の下で効果的、有機的に結びつけてきたのである。かたくなに所有ではなく、活用という立場に立脚しているのである。所有は限界があるが、活用は無限に広がる。これを鈴木敏文氏は次のように説明される。「なぜみんなは、自分のものを持つことにこだわるのだろうか。それなら会社が大きくなってきて、社員の出張が増えたからといって、はたして飛行機を持つであろうか。いや仮に飛行機を持つことだけなら持てるかもしれない。しかし、それなら、その整備はどうするのか。また飛行場は自分で持てるのか。管制はどうするのか。こう考えていったら、何でも自分の所有にこだわることがいかにナンセンスかわかってくる。世の中には専門、専門がある。その専門に生命をかけているものがいる。その専門機能を活かして用いればよいではないか。何から何まで自分でやる必要なんかない。」これは森田理論の「物の性を尽くす」を会社経営に取り入れた例である。自分の性をつくす、他人の性を尽くす、物の性を尽くす、お金の性を尽くすなどとても参考になります。自分のやりたいことや目標をしっかりと持つ。それを達成するために、自分のできることは最善を尽くす。しかし、何でもかんでも自分一人でやろうとしないこと。人に依頼すれば短時間に安価によりよいものが手に入ることが多い。そういうものは思い切って専門家に協力依頼する。自分はコーディネーターになったつもりで、うまくまとめて活用していく。そして大きな目標に近づいていく。このスタンスが一番うまくいく。すると自分も活かされ、他人も物もともに活かされることになるのである。(創造的破壊経営 緒方知行 小学館文庫参照)
2014.08.11
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物の性を尽くすという言葉があります。森田先生の水の活用は有名です。風呂のお湯は洗濯、ふき掃除、植木、打ち水など徹底的に利用しつくすというものです。森田先生はそのまま捨てるということは考えられません。この手のエピソードは森田正馬全集5巻に満載です。私は、これは比較的自分の生活に応用できると思いました。こういう気持ちでいると、神経が四方八方に敏感に反応していくようになります。これを徹底して神経症を克服した人を知っています。「急がば回れ」ということわざがあります。直接神経症を治そうとするよりも、かえってこのやり方が早かったという実感があります。私は5点に拡大して取り組んでいます。物、お金、時間、己、他人などです。それぞれ持っている「存在価値」や「潜在能力」を最大限に活かしてゆくことを言います。これは言葉で理解するだけではなく、実際に生活の中で実践して生活してゆくことが大切です。私の物の性を尽くすことで取り組んでいたこと、いる事を紹介します。マイ箸を持ち歩く。買い物袋を持ち歩く。コピー用紙は裏も利用する。服の棚卸をして、有効活用する。無駄なものはバザーに出す。本はリサイクルされたものを利用する。ボールペンやシャープペンシルは限られたものを大切に扱う。水を出しっぱなしにしない。洗面器一杯の水で顔を洗う。パソコンや電燈のスイッチをこまめに切る。テレビはDVDに落としたものを見る。生活の発見誌は切り抜きをして整理する。お金の活用のためこずかい帳をつける。こずかい帳の予算管理をする。時間の活用として細切れ時間の利用自分の活用として、やってみたいこと興味のあることに手を出してみる。他人の活用として適材適所の仕事を見つけてあげる。これ以外にもいろいろとあります。皆さんもそれぞれに考えておられることでしょう。さらに増やして生活の中に取り入れてみてください。
2014.03.25
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2014年1月号の「生活の発見」誌に青木羊耳さんの記事がある。あれこれやりたいことがあるが、「これは1時間でやろう」「これは30分でやろう」「これは3時間かかるな」と分かるとタイマーをセットされるらしい。ベルが鳴ったらやめる。もうちょっとやればもっといいものになるのだが、それ以上はやらない。次の仕事にかかる。「森田の達人」は例外なく時間の使い方がうまいのには感心する。森田理論に「物の性を尽くす」というのがあるが、「時間の性の尽くし方」も例外なく上手である。時間の使い方の上手な人は、「己の性の尽くし方」「他人の性の尽くし方」「お金の性の尽くし方」「物の性の尽くし方」も芋ずる式にうまいのである。一つのことにコツをつかむと、その他のことにも極意が自然と分かるのである。岩田真理さんも30分ずつどんどん仕事を変えるといっておられる。森田先生も、「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」といわれています。ここら辺りは、森田理論学習の初歩だと思う。森田理論の体得は、これらから手を付けて習慣化すればよいと思う。もう一つ付け加えれば、ダイソーで小さなメモ用紙を買って、それにストラップでボールペンを取り付ける。気が付いたことをできるだけ多くメモするようにする。実行すれば線を引いて消すという試みも効果が大きい。これはできたかどうかよりも、課題をいくつ集めたかということが大事である。いつもメモに課題が満載であるというのがよい。たまにはユーモア小話の題材や川柳などを作ってみるのも面白い。
2014.01.08
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人間には23対の染色体がある。男と女はXとY染色体によって分かれている。染色体は二本の長い鎖がらせん状に巻いている。遺伝子はアデニンA、チミンT、シトシンC、グアニンGという4つの塩基配列によってできている。その数なんと30億もあるという。すべて解読されており、現在1日で解読可能である。解読すると病気の成り立ちが分かるという。肺がんなどの病気にかからない人と病気にかかりやすい人を比べると、塩基配列が違っているという。肺がんになる人はALK遺伝子が関与していることがある。この遺伝子は細胞分裂を促す遺伝子で、塩基配列が違っている事で肺がんの細胞分裂が暴走することがある。治療としてはALK遺伝子が働かなくする方法があるという。ある患者は咳が止まらなく、一方の肺の半分ぐらいががん細胞におかされていたが、この服薬治療で、1ヶ月で5分の1ぐらいに縮小していた。この塩基配列は、私たちの体が細胞分裂する時、コピーミスをおこすことによって後天的に病気の火種を抱えることにもなる。先天的な遺伝子の異常だけではないということだ。30億分の1のコピーミスによっても重大な疾患に結び付くこともあるそうです。次に、この遺伝子はスイッチがオンになっているか、オフになっているかが重要であるという。これを遺伝子のメチル化という。家の配電盤を思い出してほしい。ブレーカーがいくつもついている。家庭ではすべてをオンにして電気を使っているが、人間の体ではスイッチをオンにしている時とオフにしている時としょっちゅう入れ替えているということです。病気になるというのは、病気になりやすい塩基配列の人が、スイッチオンに切り替えられた時である。ですから逆にいえば、ガンになりやすいタイプの人が、スイッチオフで生活できれば病気にかかることは軽減できる。それを自覚して予防すればある程度は防げるのである。私は痛風持ちである。多分塩基配列に問題があるのだろうと思う。でも問題があるということを自覚しているので、毎月病院へ出向き経過観察している。1回症状がでただけでその後は出ていない。また、効果は少ないらしいが食事に気を使っている。プリン体の多い食品、飲物を加減しているのである。もし自覚がなかったとしたら、私の好きなビールは飲み放題、かつおのたたきや白子、辛子明太子は食べ放題という生活を続けているだろうと思う。遺伝子はスイッチがオンになっているか、オフになっているかは生活習慣と大きく関わっているようである。たとえばがん細胞は、誰でも数千単位で毎日作られているという。でも全員ががんを発症するわけではない。小指の先ほどのがん細胞の生成には10年程度の歳月が流れているという。その間ストレスを少なくして、白血球の中のリンパ球と顆粒球のバランスを整え行けばがんの退縮が起きることは十分に考えられることだ。ストレスの多い生活、不規則な生活が遺伝子スイッチをオンに切り替えているのではなかろうか。自分の体は自分のものであって自由自在に酷使するという考え方は慎みたい。自分の体は預かりものであり、できるだけメンテナンス、ケアを心がけ、体をいたわり大切にする心掛けが大切です。森田では「己の性を尽くす」と言います。私も予防できることは普段から気をつけてゆきたいと思う。
2013.09.16
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森田先生は朝の洗面では、洗面器一杯だけの水で済ませるように言っておられます。これに取り組んでみました。でもうまくゆきません。まず歯磨きをします。水道から水を少しだけ出して歯ブラシを湿らせます。森田先生の指導では歯磨きはなにもつけなくてもよいといわれています。これはまずできません。歯磨き粉は必ずつけます。よく泡立ちます。歯磨きが終わるとコップに一杯水をとります。口を丁寧にゆすぎます。口の周りには歯磨きの跡がついています。次に洗面器に一杯だけ水を入れます。まず口の周りについて歯磨きの跡をきれいに流し落とします。それから顔を丁寧に洗います。森田を学習する前は水道の水を出しっぱなしにして顔を洗っていました。これが当たり前と思っていました。この点少し変わりました。今時期はよいのですが、冬は水が冷たいので大変です。我慢するしかありません。毎日のことなので365日続けるとちりと積もれば山となるかもしれません。森田ではこうしたちょっとしたことを実践することによって、自分を活かし、人を活かし、物を活かし、時間を活かし、お金を活かすことを身につけて、森田的生き方を体得していくのだと思います。一杯の水を大切にできない人が、自分を大切にして再評価すること、最大限に持てる能力を伸ばすことは難しいと思います。森田先生の目の付けどころに拍手です。
2013.05.20
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曽野綾子さんの著書に「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」というのがある。森田先生の言いそうな言葉である。唯我独尊、物の性を尽くす、境遇に柔順なれに通じる言葉である。森田先生は小さい頃なにかものを欲しがると、下の人を見なさいと言われたそうである。私たちは自分の性格にしろ、持ち物にしろ、境遇にしろ、家族にしろ、自分のことは持っているのが当たり前ぐらいに思って、むしろないものねだりをしているようである。その段階ならまだいい方で、欲望の充足ばかりに走ってしまうと、弾みがついて歯止めがかからなくなってしまう。欲望が欲望を生み、欲望の充足のために仕事をするということになりかねない。私は最低限の必要なものだけで生活し、持っているものをもっともっと活かして生きてゆきたいと思っている。だからこの曽野綾子さんの言葉は大変共感できるのである。以前勤めていた会社で、多くの人は机の中にボールぺンやシャープペンシル、マーカー、消しゴムその他クリップ等山のように入れ込んでいた。そうゆう人は伝票などの扱いも雑であった。反対に必要最低限のものしか机の中に入っていない人もいた。ある人は万年筆を持っていたが、それを皮のペンケースに入れ丁寧に扱って、宝物のように使っていた。そうゆう人は一事が万事自分の持ち物はなんでも丁寧に扱っていたようである。車もよく洗車していたし、部屋もいつもきちんと整理していた。そうゆう人は伝票も丁寧に扱い、仕事もこまかいところまで行き届いていた。なによりも人生に対して真摯に向き合っているのがとても好感が持てた。私は6月と10月には夏物と冬物の衣類の入れ替えをしているが、持っているだけで全く着ることのない衣類がある。着ないものはバザーなどに出しているが、実にもったいなくて心苦しい。できる限り量を少なくして、多くの服に袖を通すようにしたいと思っています。
2013.01.28
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形外先生言行録の中に田原あやさんの原稿があります。森田先生から物の性を尽くし、100円のものは1000円に、1000円のものは1万円に、というふうに、その物よりもっと高く活かして使いなさい、とよく言われました。「綾子たちは、1000円のものは100円に、100円のものは10円にしてしまう。もったいなくてやる気にもならない。」といわれました。森田先生はお金も価値以上に活かして使うように工夫しなさいといわれているのです。私はこのお金の価値を十分生かすということを生活の中に取り入れています。森田先生と同じように、年間予算を組みます。妻には日常生活にかかる費用を手渡します。私はわずかな自分のこずかいと、冠婚葬祭費、税金、車維持費、家の修理費、家電製品買い替え、町内会費用、田舎でかかる費用、旅行費用、外食、レジャーなどの管理です。これらの費用が馬鹿になりません。家計簿はパソコンで表を作り数字を入れれば集計も自動的にできます。予算を決めているので、予算対比がすぐにできます。これをやるまではとにかく節約一辺倒でしたが、年間予算を立ててからは趣味や旅行など予算の範囲で思い切って使うことができるようになりました。またパチンコなどの遊戯費はあまりにばかばかしくなり全くしなくなりました。そしてお金を使うメリハリがつき、これは生きた使い方かどうかよく考えるようになりました。それにしても、経済番組ではもっともっと消費を増やさなければいけないといわれますが、そんなに見境なく使うと将来の生活不安があり少しは貯蓄をと思っていますが、みなさんはどう思われますか。
2013.01.15
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「形外先生言行録」の61ページ片岡さんの次ような逸話が残っています。「形外先生言行録」は森田先生生誕100周年にあたり(1974年、昭和49年)記念行事の一環として作られました。入院生の森田先生との交流が、赤裸々に思慕の念を持って描かれております。考えさせられること、自分の生活に取り入れたいことが満載です。残念ながら現在絶版です。たまに持っておられる人がおられます。また、岩田真理さんの「森田正馬が語る森田療法」はこの本から多くの森田先生のエピソードを紹介されています。「縁の下をもぐって掃除していたら、きたない古下駄が一個出てきたので、ゴミを捨てる穴に持っていって、ポイと投げ入れた。その途端書斎におられた先生に、ちらりと見られてしまった。今何を捨てたのか。はい下駄を捨てました。燃えないか。はい燃えます。早々に梯子を持って来て、穴に入り、拾い出してきた。」高口憲章医師はこれを読まれて、「森田先生は古下駄にどんな情緒を抱かれたのだろう。奥山の杉の種が必死に生き抜いて年月を経て大木になり、木こりが汗を流して切り倒す。筏師が命がけで杉の丸太を運び、材木商の手を経て下駄職人へ。杉の命は、商人の手を経て私の下駄になる機縁があった。すり減って捨てられるまで私の役に立ってくれた。使えなくなったからといって、どうして粗末にできようか、と考えられたのではなかろうか。」と発見誌に書かれていました。森田先生は「物の性を尽くす」と言われています。そのものの持っている価値や能力をどこまでも伸ばしてゆこうとする考え方です。物だけではなく、自分も、他人も、入院患者も今現在置かれた状況の中で、できる限り「生の欲望」を発揮してゆくことを常に考えておられたのです。
2013.01.11
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