森田理論学習のすすめ

森田理論学習のすすめ

2021.08.08
XML
カテゴリ: 身近な社会問題
私の参加している集談会には、歴史に興味を持っている人が5人おられます。
地元の歴史研究会などに参加されている。旺盛な知識欲に感心しています。
積極的に現地に出向いたり、図書館に通って研究をされている。
これは、神経質者の強い好奇心、分析力という性格が多分に影響している。
歴史に学び、今後の世の中の動きを自分なりに展望することは、これからの生き方に影響を与える。

実は私もそのうちの一人です。私は現代史に興味がある。それには訳があります。
私の母は、原爆が落とされたとき、広島駅で改札の仕事をしていて被爆しました。
なんとか命は助かりました。私は被爆二世なのです。

特に先の太平洋戦争(第二次世界大戦、大東亜戦争という人もいる)は、312万人の日本人が亡くなり、戦後はアメリカに支配され、国民の生活の困窮を招いたが、この戦争を回避する道はなかったのかに興味がある。結論から言うと、この戦争は避けることが可能であったと思います。

今日はこの問題を取り上げて分かっている範囲で紹介したいと思う。

当時のアメリカ大統領はルーズベルトでした。日本を戦争へと向かわせた張本人です。
ただアメリカ政府のバックには、ディープステート(陰で政府を操っているロックフェラー系のユダヤ系国際金融資本)がいることを見逃すと分析を誤ることになると考えている。

当時のアメリカの世論の9割は、第一次世界大戦で12万人の戦死者を出し、戦争は絶対反対の立場だった。しかしディーブステートの考えは違いました。戦争を引き起こすことで、自分たちの富を増やすことができるのです。造船、航空機、兵器製造、戦時物資、食料、移送、土木、建設などあらゆる分野で儲ける機会が爆発的に増加するわけですから、人の命が軽く扱われることは何とも思わない。それどころか、戦争を引き起こすことが悲願なわけです。

その意向を受けてルーズベルトはある作戦を立てました。
日本をガラガラヘビに見立てて、針でつつきまわせば、からなず反撃してくるはずだと思っていたというのです。仮に日本が挑発に乗ってくれれば、戦争反対の国内世論が、「憎き日本を打つべし。戦争に無条件に賛成します」という方向に転換するとみていたのです。

選挙では当選するために、表向き戦場に若者を送ることはしないと言っていましたが、自国防衛のためにやむなく戦争を開始せざるを得なくなったというシナリオを描いてそれを実行したのです。1939年から、矢継ぎ早に輸出製品の制限を強化して日本を挑発しています。
とどめは1941年石油の全面輸出禁止です。
これが日本が戦争に踏み切る大きな引き金となりました。

当時石油はアメリカに9割方依存していました。
しかし驚くことに、日本が2年間戦えるだけの石油は備蓄させています。


その挑発にまんまと乗ったのが、山本五十六連合艦隊長官の率いる日本の海軍です。
1941年12月8日ハワイの真珠湾を攻撃しました。
その時の暗号は、事前にすべてアメリカで解読されています。
ルーズベルトは、日本連合艦隊が、国後島を出発して、南下していることをすでに知っていました。しかし、日本に警告はしませんでした。
予期せぬ攻撃に見せるために黙殺していたのです。

戦争開戦の口実が、日本によって作られるのが目に見えたからです。
早速ルーズベルトは、最新鋭の空母は真珠湾から緊急避難させました。
その上、旧式戦艦ミズリーを「いけにえ」として無防備で真珠湾に停泊させていたのです。
できるだけ派手に暴れてくれというお膳立てをして、笑いを隠して静観していたのです。
もちろんその内情はアメリカ国民には極秘事項です。
結局挑発に乗った日本はピエロを演じていたのです。

実はドイツも大西洋でアメリカ海軍から挑発を受けていましたが、耐えがたきを耐えて、アメリカの挑発に乗ることはなかったのです。
アメリカを敵に回して戦争すると負けるということが分かっていたのです。
そんな時に、日本というガラガラヘビがまんまと噛みついてくれて、世論を味方につけて戦争を開始することができたのです。まさにシナリオ通りです。

ここで疑問なのは、山本五十六長官は、日本がアメリカを相手に戦争しても勝ち目がないということは百も承知していました。それなのに、あえて陸軍や海軍省軍務局などで反対意見の多かった真珠湾攻撃を強行したのか。彼一存の考えではなかったことが想像できます。
アメリカの挑発以外にも、近衛文麿前首相やその他の閣僚等の強力な後押しがあったはずです。
この点は東京裁判で一部明らかにされていますが、詳細は不明になっています。
今後の解明が必要です。しかしキーマンの証拠文章は、敗戦後焼却されたので、難しいかも知れません。

さて、ここで重要なことは、1941年9月29日に、大本営陸海軍部で「対米英蘭戦争指導要綱」が正式決定されています。これは重要な文章です。
この内容を見ると、日本は世界の情勢を正確に分析しているのです。
その中にアメリカとの戦争はどんな手段をとっても回避すべしという方針を打ち出しているのです。この方針に基づいて行動していれば、戦争は防ぐことができたと思われます。

この要綱によると、日本がアメリカを刺激しなければ、アメリカは日本を敵に回して戦争に踏み切らないとみていました。それはアメリカ国民の9割を超える戦争反対の世論があった。
さらにルーズベルトは戦争不参加を公約として当選した大統領だった。
いくらディープステートの傀儡政権とはいえ、積極的に戦争に打って出られなかった。
日本が日本や東南アジアの防衛に専念すると、地理的な面で不利であったことなどが上げられる。当時航空機で日本本土を攻撃しても、帰還は困難で、そのまま中国に着陸しないと燃料が持たないといわれていました。

この要綱によると、真珠湾攻撃などはもってのほかの自殺行為だとみなしていました。
アメリカの動向を注視しつつ、東南アジアから、ビルマ、インド、中東への侵攻が正しいと指摘している。この戦略に基づいて、真珠湾攻撃と同時期に、インドネシアに侵攻して、石油の生産設備を無傷で獲得している。
シンガポール陥落では、欧米列強による植民地支配の一大拠点を壊滅させている。
当時のインド洋はイギリスが進出して、アジア各国を植民地化していました。
反面ドイツの潜水艦Uボート作戦により多くの軍艦を失い、相当な戦力ダウンになっていました。
その上、第一次世界大戦の後始末で戦費を賄う状況にはありませんでした。
日本がイギリスをアジアから追い出すには、千載一遇のチャンスだったのです。

そういう作戦を国内で共有していたにもかかわらず、山本五十六長官が真珠湾の攻撃を行い、その後サイパン、ミッドウェイ、ガダルカナルに航空基地を作って、アメリカとの全面戦争に入ったことは、勇み足としか言いようがありません。日本国民を奈落の底に陥れたのは、まさにこの独断的な作戦にあったと言えます。本来なら誰かが実力行使で止める必要があったのです。
もしその時アメリカと戦争をしていなかったらと思うと残念です。
日本はアジア各国の独立自治を推し進めて、協力して欧米に対抗しようとしていました。
決して欧米のようにアジア各国を植民地にして、骨の髄まで吸い取ってやろうと考えていたわけではないと思います。その証拠に日本が駐留していた東南アジアの各国からは、いまだに親日国が多いのです。

くわしく知りたい人は次の書籍をお読みください。
「日米戦争を策謀したのは誰だ」 林千勝 ワック株式会社 全396ページ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.04.07 08:58:26
コメント(0) | コメントを書く
[身近な社会問題] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

森田生涯

森田生涯

Calendar

Comments

X youhei00002 フォローしてください@ Re:愛着障害について(03/12) X youhei00002 フォローしてください
森田生涯 @ Re[3]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ 今の生活は日中のほとんどが…
stst@ Re[2]:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、返信アドバイスをしていただ…
森田生涯 @ Re[1]:強情と盲従の弊害について(02/27) ststさんへ コメントありがとうございま…
stst@ Re:強情と盲従の弊害について(02/27) 森田生涯様、こんばんは。 過去に何度かコ…

© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: