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各地の福祉事務所には生活保護申請率の低減目標値というものがあったりするそうです。つまり申請を受理せず、脅かしたりだましたりして(これを“相談”と称している)、門前払いして、申請率の低減を図るんだそうです。申請を受理して初めて、審査がスタートするのであるが、スタートラインにも立たせず、困窮の話そのものを抹殺するわけです。これは福祉とは真っ向から反する考え方であり人権問題でもあるわけで、これがお役人というものなんでしょうか?福祉政策の破綻を恐れる役人が、さして疑問にも思わず本末転倒の思考に陥いる根の深さが問題なんでしょう。守るべきは死に瀕している生活困窮者なのか?お役所システムなのか?ということです。北九州市は生活保護予算が10年ほど年間300億円と横ばいで“優等生”と呼ばれているらしいが・・・(身内で優等生でも、最も非情な都市ということではないか)過去の実績を見て予算を組むのはいいとしても、予算をオーバーすると困ると考えるならば、福祉の何たるかを初心に立ち返り、お勉強する必要があるようです。
2006.07.29
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NHKの番組でワーキングプアという実態を見たが、暗澹とした気分がいまだに尾をひいている。ハローワークで30歳前の若者がなんとかガードマンへの採用にこぎつけたが、住所確認によって採用取消になってしまった。つまり日本では、30歳前の若者であっても住所不定ということで、再チャレンジできない実態がある。サラリーマンの3人にひとりは派遣社員という世の中になってしまったが、派遣社員にもなれない若者もいるのである。派遣社員は低コストで得られる切捨て自由の労働力であり、つい最近の派遣法改正も市場原理にかなっているのか、派遣業界はますます盛隆しているようです。ワーキングプアという潮流には、派遣法改正も若しかしたら後押ししているのかもしれないですね。(派遣法改正のどこがおかしいのか?調べてみます)「省益さえ確保できれば良きに計らえ」というのが昨今のお役人のようですが、こういうワーキングプアというような危機に対しては市場原理に逆らってでも監視、規制するのが正しいお役人のあり方ではないだろうか?たいして役にたたないハローワークの職務など民間に任せて、ハローワークは廃止または市場原理の歪みを監視、規制する部署に変換すれば、このワーキングプアという危機的状況に多少なりとも改善が得られるのではないかと思うのだが・・・・ハローワークの弛緩した役人にこのような改革を望むのは、酷かもしれないですね。小泉さんの「小さな政府」には期待していたが・・・・・もともと実態は民営化されていた特定郵便局の職員をカットして、公務員の人数を削減したとしているが、依然として「小さな政府」は実現していないようです。小泉さんのワンフレーズには、体よくだまされたのかもしれないですね。「再チャレンジできる社会」という安部さんのワンフレーズが最近となえられていて、ワンフレーズとしては魅力的でご立派であるが・・・多分、これにもだまされないように眉に唾をつけないといけないのだろう。肥大して、腐臭を放つまでだれきった官僚組織に、大鉈をふるえるかもしれないと、変人小泉さんの意固地さに期待したが・・・・ダメでした。このような改革はプリンシプルのない3世議員には、荷が重過ぎるようですね。『下流社会』の著者三浦氏に聞くと、ワーキングプアでは結婚もできず、「中流」という生活も再生産できないようです。三浦:『下流社会』でも、「結婚すると中流」というか、「中流になれる人だけが結婚する」と書きました。今、下流の人は「できちゃった婚」でしか家族をつくれない。だから、23歳で子供が2人みたいなタイプと、33歳で結婚して、4、5歳の子供がいて40歳近いよっていう、ある意味、上と下に二極化しています。昔だったら「中流」が「中流という生活」を再生産できたのが、今は、「中の上」でないと再生産できない。ワーキングプアを生み出したのは誰か労働者派遣事業
2006.07.26
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3歩あるくと悩みを忘れるという、ニワトリのあっけらかんとした元気のよさを、襖絵として水墨画で描いているんですねー!40歳で絵師をめざして家業をゆずり・・・ニワトリを飼い、2年間も習作を重ねたそうです。華麗な色付きの絵のほうが知られているが、若冲晩年の水墨画もなかなかのものです。習作を重ねたうえで、エッセンスをデフォルメして描く元気の良さがすきですね。まるでDr.スランプ アラレちゃんのように元気です。現代絵画は何でもありが許されるが、これだけの独創性は江戸時代からつい近年まで評価されなかったんですね。「具眼の士を千年待とう」という若冲・・・・アメリカ人のプライスが評価するまで、若冲を見落としていた画商の眼力のなさが際立ちます。水墨画ではこのブドウの絵がすごいですね。「若冲と江戸絵画」展のオフィシャルブログ伊藤若沖・作『鳥獣花木図屏風』ハマリごと--伊藤若冲「花鳥 - 愛でる心、彩る技<若冲を中心に>」 三の丸尚蔵館http://library666.seesaa.net/article/20489618.html
2006.07.23
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アサヒコムが昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」A級戦犯合祀と伝えています。昭和天皇は松岡洋右と合祀を決めた松平永芳・靖国神社宮司がお嫌いだった様子ですが、その率直な気持ちには人間天皇が現れているように思います。天皇も毛嫌いする靖国神社ですが、宗教施設ということで法律では勝手な祭祀をとがめることもできないようになっているようです。問題は、その靖国に為政者が公式参拝することで・・・・政教分離ができてないような態度に中国、韓国がクレームをつけるのは良くわかります。小泉さんは昭和天皇の気持ちがどうあろうと靖国参拝は個人の信条であるとして意固地な美学を曲げないようだが、困ったものです。政治家たるもの中国、韓国がどう騒ごうと、政教分離を貫いてほしいですね。元宮内庁長官のメモが、なぜこの時期に誰の思惑で出てきたのだろう?時期総裁選の前に踏絵みたいな問題が出てきたわけだが・・・・・これで靖国参拝を争点から外す動きがあるかもしれないが、きちんと踏絵を踏んでもらいたいものです。思うに、靖国神社とは国(政府)に殉じた軍人、軍属を祀る神社であり・・・空襲で死んだ民間人は合祀の対象ではない。合祀は神社が決める建前ではあるが、政教分離といいつつも厚生省との連携は良く取れていたようです。台湾の遺族が合祀取りやめを要求してもとり合わないようですが、神社のこの硬直した態度には、お上の無謬性が重なって見えるようです。つまるところ靖国は徹頭徹尾に“官の祭祀”であり・・・・戦争責任とかいうものは、合祀基準のどこを探しても無いのかもしれません。天皇発言の政治利用けん制 安倍氏、首相靖国参拝でとのこと・・・・プリンシプル(最近はやりの言葉とか)の無い3世議員の言い草はこうなるのか。週刊文春の別記事を紹介“通達”でA級戦犯合祀を決定したようです
2006.07.21
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ウィキペディアには「最近の出来事」欄があるので、既にオープンソース・ジャーナリズムとして機能しているが、ウィキペディアの原動力は人々の知りたい、知らせたいという無償の意志ではないだろうか。個人ブログでも、「きっこの日記」などは怒りを原動力とした草の根ジャーナリズムとでもいうものだろう。一方、最近とみに広告頁の充実を図る大手メディア(テレビ、新聞)であるが・・・・広告頁でどっしりと重たいアメリカ流を真似たというわけでもないだろうが、生き残りをかけて市場原理に磨きをかけているようです。加速するIT,Webにより新規メディアが頻出する昨今、既存の大手メディアは自らも変身させつつ生き残りを模索しているのではないだろうか?メディアにおいては、オープンソースと市場原理は対極をなすメカニズムかもしれないので、市場原理に堕した大手メディアがオープンソース・ジャーナリズムを脅威とみなすのはわかるが・・・・・大手メディアには“木鐸”という基本に立ち返り、オープンソース・ジャーナリズムと協調する度量を期待したいものである。(そのほうが精神衛生上いいのでは?)ところで、きっこさんが19日の日記で大手メディアを以下のとうりボロクソにこき下ろしているけど・・・大手メディアには、せめてオープンソース・ジャーナリズムのラディカルな論調と張り合うくらいの意地を示してほしいですね。コイズミ内閣の圧力に屈して、伝えるべきニュースを伝えられない腰抜け報道機関なんか、別にどうでもいい。こんなことは、今に始まったことじゃないから、真実を知りたい国民は、とっくに新聞やテレビなんかには見切りをつけてるし、情報はインターネットで得るようにしてるからだ。だけど、すべての国民が、アルジャジーラのサイトを見て、いちいち和訳して、読んでるワケはない。だから、誰かがそれをして、ニポン語の検索エンジンに引っかかるようにしないと、この国の国民は、永久に政府の書いたシナリオ通りに騙され続けてくだけなのだ。このところバイオリズムがすぐれないせいか?日記更新が滞っていたが・・・・埋め合わせに、怒涛の3連書込み!でした。
2006.07.19
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JanJanの『ザ・選挙』が田中康夫知事、2時間 独演(前編)をリリースした。『みんなで創る選挙サイト』の快調なすべりだしに、喝采を送ります。お!田中康夫知事、2時間 独演(後編)も出てるわ。******************************************************************************<長野県知事選>激戦、行方は混とんより告示直前の豪雨では、県内で11人が命を落とした。「220万人に奉仕するために知事を務めている」と話し、災害対策の陣頭指揮を執った。このため、7月29日まで日中の選挙活動を控えざるを得ず、出遅れた感は否めない。 演説では県政改革の継続を訴える。財政再建によって福祉サービスを充実させた成果を強調。「木製ガードレール」の設置や在宅介護を支援する無料ヘルパー制度の導入を公約に掲げる。しかし村井氏の繰り返す県政批判を前に、訴えはかすみがち。勝手連頼みの選挙は前回同様だが、知事不信任に端を発した前回選のような勢いはない。 陣営幹部は「ここまで接戦になるとは思わなかった。村井氏のネガティブキャンペーンで田中氏が誤解され、票が流れているようだ」と指摘する。「地道な訴えを浸透させれば、反田中票を切り崩せる」と話すが、不安の色もにじんでいる。【川崎桂吾、藤原章博】
2006.07.18
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作品を見てすごい!と思ったが・・・・作品の軌跡が結果的に示すように哲学的な“途方もなさ”、廃墟を彷徨しながらも希望を捨てない“人の良さ”という予感に打たれたのかも知れません。ジャイアント・トらやん<ヤノベケンジの軌跡>・タンキングマシーン・チェルノブイリへの旅・サバイバル×リバイバル・メガロマニア・森の映画館・キンダガルテン落着くところが子供とは・・・・途方もないけど、根は優しい人なんでしょう。(道は違うけど、ベクトルは宮崎駿と似ているわけだ。)「KENJI YANOBE 1969-2005 」から都築正敏さん評を以下引用します。●「僕は、サブ・カルチャーから美意識を学んだんですよ。その“美しい”“カワイイ”などの感覚について、表面でなく、世代を超えてつながる美の核のようなものを発見し、表現したい。ゴジラがなぜカッコいいのか、美しいのか、その究極にあるものを追求して抽出すると、世代も国籍も超えて誰にも受け入れられるのではないかと。(ヤノベケンジ)」●2003年、ヤノベケンジは、黄色いアトムスーツを着て様々な未来の廃墟を旅する「アトムスーツ・プロジェクト」の終了を宣言する。「今はアトムスーツが現実に必要になるほど不安定な時代になってしまった。」と語る彼は、時代が表現に追い付きつつあることを実感していたのだった。 “黄色”がヤノベのシンボルカラーでなくなる日がきたのかと、少々寂しい気持ちになっていた我々の前に、突然登場したのが新キャラクター「なにわのトらやん」である。「トらやん」は、ヤノベの実の父親が購入してきた腹話術の人形であり、今後のヤノベの制作活動において重要な役割を担うだろう新たなトリックスターである。愛くるしい瞳に禿頭とちょび髭。 子供であり大人という不気味なキャラクターにしばし呆然としたが、しかし「なにわのトらやん」という名前を聞いて思わずニヤッとしてしまった。そう、ここにもしっかりと黄色の概念が受け継がれているではないか。恐るべし!ヤノベケンジである。●ヤノベの作品は明解で親しげな外観を装いつつ、われわれの世界の通常の認識を揺るがすように企てられているのである。ヤノベケンジがつくりだすアートワールドは、巷に溢れる遊園地やテーマパークより圧倒的に魅力的でおもしろい。そこでは、刹那的な歓びではなく、“見る哲学”としての愉しみが享受できるのである。キンダガルテン(KENJI YANOBE 1969-2005 青幻舎 3800円)もーほんとに・・・・トラやんの血をひく潔いやり方で、最前線を置去りにして突っ走ってほしいですね。世界の評価は後から付いてくるでしょう。ヤノベケンジの世界
2006.07.17
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うるとびーずさんの日記に載っていたんですが・・・・・JanJanが『ザ・選挙~JanJan全国政治家データベース』を7日に立ち上げたそうです。覗いてみたけど、かなりのすぐれものですね。大手メディアのWebサイトでもやっていないことを、弱小市民メディアが始めたということが、素晴らしいではないですか。ところで、自民党が発表した「インターネットを利用した選挙運動に関する最終報告案」:有権者編では、公示前にブログで特定候補を応援することは禁じるようになってます。この『ザ・選挙』の関連記事は特定候補を応援しているわけではないが、立ち位置は市民サイドであるだけに、今後どんな扱いを受けるのでしょうね?テレビの『選挙ステーション』には、自民党からのクレームがついたが『選挙ステーション』ほどには有権者の注目が集まらないとして、お目こぼしがあるのだろうか?ところで、先日の、滋賀県知事選で民主党は相乗りをして、嘉田さんに惨敗を喫したが、『ザ・選挙』のなかで加藤議員が以下のとおり弁明しています。それにしても、嘉田さんの推薦依頼を蹴ってまで相乗りしたらしいが、ほんとにアホな相乗りでしたね。 “そこで、わが民主党も、小沢さんが代表に就任してから、首長(知事や政令市長)選挙において相乗りを原則禁止するというルールを作りました。これによって、地方自治の世界においても、自民・民主の対立構造を明確にして、わかりやすい選挙を行うことができるようになります。 先日の、滋賀県知事選では、自・公・民の相乗り候補を出し敗北しましたが、これは、相乗り禁止ルールができるまえに当該候補者を推薦することが決まっていたからです”以下にJanJanの社長さんの挨拶を転載します。待望の『ザ・選挙~JanJan全国政治家データベース』を本日、グランドオープンしました。「待望の」と申し上げたのは、『JANJAN』創刊(2003年2月)当初から「選挙サイトを創ろう」という構想を温めてきた私にとって、ようやくスタートラインにつくことができたからです。 なぜ、こんな手間の掛かることを考えたかといえば、選挙が民主主義を支える基盤であるにもかかわらず、選挙や候補者に関する情報があまりにも少なすぎるからです。これは公職選挙法という悪法に過半の原因があります。公選法は候補者同士の選挙戦でのルールを細かく規制するあまり、もっとも大事な有権者に有効な情報を提供する発想がすっかり欠け落ちています。 でも、日本の政治が活性化しない原因を法律のせいにばかりしていても始まりません。『JANJAN』は報道機関として、できる限りの選挙情報を社会に提供する仕事に挑戦しよう、それが『ザ・選挙』を企画した動機です。全国5万人の政治家を対象にしたデータベースですので、システムの制作と基礎データ集めにかなりの準備期間を要しました。しかも、まだデータは極めて不十分です。 『ザ・選挙』の特色の1つは、インターネットの双方向性を生かして、全国の皆さまにご協力を戴きながら、逐次データの充実を図る『みんなで創る選挙サイト』です。議員や首長の皆さんにも書き込みをお願いしております。多くの方々が「待望」する選挙データベースを創り上げたいと思います。 ぜひ、皆さま方のご愛顧とご協力をよろしくお願い申し上げます。 2006年7月7日 日本インターネット新聞社社長・竹内謙
2006.07.11
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「ネット社会の未来像」を読み終えて図書館に返したところです。高給新聞、NHKがなにやら既得権益サイドに擦り寄っている今、宮台さんが半信半疑で市民メディアに期待しているが・・・・再出発日記さんが日記でTBセンターについて、こう言っています。“誰かの呟きが世界を変えるかもしれない。TBできる人は誰でもかまいません。性格もまだはっきりしていないので、実質どんな記事でもTBできます。(たぶんずーとそうでしょう)”どっこい!TBセンターは頑張っているなーと思った次第です。宮台さんの本の一部を以下のとおり書き留めました。 以前、鳩山由紀夫さんにご出演いただいて鳩山憲法私案を議論しました。そのとき、鳩山さんは「補完性の原則」が公共圏という概念を考えるためには大切だとおっしゃっていました。僕の意見も全く同じでして、僕の本に書かれている言葉では「私的自治の原則」ないし「自治と補完の原則」ということになります。 ところが、メディアリテラシー以前の問題として、廃藩置県以降の日本的近代化の枠組では、そういう「自治と補完の原則」的な発想を要求されたこともなかったどころか、明治20年代まで民権運動の廃絶や、30年代以降の国粋主義化を通じてそうした発想は徹底的に排撃されたんですよ。 日本的近代化のスキームを一口で言えば、自然史的な中間集団を廃絶し、かわりに町内会組織や学校組織のような人為的な中間集団を組織することで国家管理の便宜を図るというものでした。いわば、国家の指令を末端に届ける役割を帯びると同時にヤバイ奴を国家に引き渡す役割を帯びたわけですね。 NHK的なものやフジテレビ的なものに対する期待水準がさがった。ならば、そこを何で埋めるか。機能的に別のものに置き換えるとすれば何だろうか。欲望を満たすだけなら、たやすく別のものに置き換えられるでしょう。しかし、欲望を満たしてくれるシステムを維持するために何が必要なのかを「自分達で」論じると言う意味ではどうか。 公共性が「お上に従うこと」から「自分たちのことは自分たちで解決すること」にシフトしなければ社会システムが機能不全に陥るのが、近代成熟期なのです。それに対応してNHK的な「上からの公共性」を市民メディア的な「自分達の公共性」に置き換える必要があります。とかくNHKや高給新聞は啓蒙的であろうと頑張っているようだが、それは分かった。自前で調査し、その情報を自主規制のフルイにかけずに流してくれればいいだけだと思うけど・・・・視聴率とかスクープが第一になってしまうようで、もっと基本にたち返り、木鐸ということばの意味を噛み締めてほしい気がします。JanJanの安曇さんがブログで、自民党が発表した「インターネットを利用した選挙運動に関する最終報告案」:有権者編を紹介しています。読んでみると「選挙運動の奨励よりは規制ではないか」という内容になっていました。
2006.07.09
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「ゾウの時間ネズミの時間」という本を図書館で借りて読んでいるんですが・・・ハードSFのネタになるような話がゴロゴロしていて、面白い本です。「低レイノルズ数の世界」の章など読むと、学校ではこのような無次元数を興味深く理解できなかった自分の愚かさを今頃になって自覚している次第です。当時は期末試験を楽してやり過ごすことが第一だったのかもしれません。低レイノルズ数の世界「ゾウの時間ネズミの時間」より 体長1ミリをほぼ境にして、生き物の生きている世界ががらりと変わる。小さい世界と大きい世界とでは、働く物理法則が違ってくるからである。大きい世界はニュートン力学が支配する世界であり、慣性力が主役となる。 体長1ミリ以下では、粘性力が慣性力より大きい。粘性力の支配する世界では、環境がベタベタと粘りついてくる。水は、われわれにとってはサラサラしていると感じられるのだが、サイズの小さいものにとっては、水飴のようにベタベタと粘っこいものなのである。 メダカ程度の小魚でもレイノルズ数は1000を超えてしまう。レイノルズ数が1000ということは、慣性力が粘性力の1000倍大きいということであり、慣性力の支配する世界である。逆に、鞭毛、繊毛を使うものたちのレイノルズ数は0.1以下であり、粘性力に支配される世界となる。レイノルズ数=慣性力/粘性力レイノルズ数は慣性力と粘性力の比なので、レイノルズ数が大きければ粘性力は無視でき、慣性力だけを考えて、ことが足りることを意味する。レイノルズ数が小さければ粘性力だけを考慮すればよい。レイノルズ数を知れば、その物体に働く力の種類や物体のまわりの流れの様子が分かるので、この数は流体力学ではもっとも基本的な数値となっている。時間は体重の1/4乗に比例することを、数式を使って物理的に証明するなど・・・この本には次のような原理の面白い説明があり、興味は尽きません。・心拍数一定の法則・時間は体重の1/4乗に比例する。・標準代謝量は体重の3/4乗に比例する。・3/4乗則・・・生命の設計原理・なぜ車輪動物がいないのか興に乗って以下のHPまで覗いてしまったが、ハードSFのネタの宝庫と考えれば、取っ付きやすいのではないでしょうか?(かなり無理がある?)無次元数検索ページ自然単位系基礎物理定数本川先生のゾウの時間ネズミの時間60年代SF
2006.07.08
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子供のとき観た「白蛇伝」は、ストーリーまでは覚えていないが、ヒロイン(名前?)の美しさにはかなり強くゆさぶられたように思います。ウィキペディアの白蛇伝によれば、中国の民話を題材にした異類婚姻譚となっていて、この種のお話は世界各地にあるようですね。日本では、よく知られた鶴女房があります。この映画は日本初のカラー長編アニメ映画だったようですが、初にしてはかなりよくできた、突然変異的名作ではないかと私は評価しているのです。長編アニメ映画といえば、デズニーの白雪姫(世界初の長編アニメ映画)などが完成度が高いかもしれないが、ストーリーの面白さ、ヒロインの美しさでは白蛇伝が上ではないだろうか。売れる映画を作るのは会社の命題ではあるが、制作に2年を費やしたスタッフの意欲はそれ以上ではなかったかと思います。(ちなみに、日本初の本格的長編アニメ映画は昭和20年の国策映画「桃太郎・海の神兵」であり、幼き日の手塚治に大きな感動を与えたそうです。)画像からも、その妖艶な美しさが見てとれるが・・・・こういう女性であれば素性が白蛇でも鶴でも、いっこうにかまわないのだ!子供といっても妖艶な美しさにはまいってしまうのだから・・・・制作で手を抜いてはいけない!そして、ばかにしてはいけない!(笑)アニメであれば・・・・優しくて貞淑で妖艶で強いという理想の女を描くことができるのがいいですね。「白蛇伝」との出会い叶精二さんの解説より 宮崎氏は、中学生頃から学習院大学経済学部在学中まで、ずっと漫画(劇画)家志望であった。高校時代までは、社会に対する不信感や両親からの自立願望から本音や不満を劇画にぶつけて消化していたと言う。要するに、現在の主流「アニメ」と同様に、自分のネガティブな表現欲求に正直な作品を描き続けていたわけだ。 大学在学中は、漫画研究会がなかったため、児童文学研究会に所属。幾つかの人形劇などを企画しつつ、大長編漫画を描き続けていた。 ところが、卒業後の進路について悩んだ末に、漫画家を断念し、アニメーションの道を志すことになる。それは、原稿を持ち込んだ出版各社で不採用を宣告されたことで漫画家として生計を立てる自信がなくなっていたこともあるが、基本的には以下のような決意に基づいていた。「劇画の世界と、東映の長篇アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんですね。」「劇画はこどものためのものじゃないと思ったから、そうじゃない(こどもたちのためのものとしての)世界として、アニメーションにすごく魅力があったんです。」(「THIS IS ANIMATION 1」小学館/1982年) 後の氏の人生を見れば、これは人生最大の選択の一つであったろう。「子供たちのために創作したい。それには漫画ではなく、アニメーションをやるべきだ。」この決意の端緒となった体験、それは東映動画の「白蛇伝」であった。 大学受験期の真っ最中、鬱屈とした日々を過ごしていた17歳の宮崎青年は、恋する青年と結ばれるために生死を顧みずに行動する白蛇の精・白娘(パイニャン)と銀幕で出会った。躍動するヒロインの姿に、宮崎青年は恋こがれ、我を忘れて涙していた。それは、紙に印刷されたコマ画にじっと見入り、自由な想像で膨らませて楽しむ劇画・漫画とは全く違った生々しい感動であったろう。 基より、アニメーションは複雑な筋書きを語るメディアとして発生したわけではなく、動き(アニメート)自体の面白さの連続によって成立していた。当時の東映動画には、「くもとちゅうりっぷ」(1943年)の政岡憲三氏に代表されるような、リアリズムに根ざしつつ、素朴で心和むフルアニメーションの伝統芸が息づいていた。藪下氏と共に短編「こねこのらくがき」(1957年)を制作した森康二氏の画風・作風は、その直系と言ってよかった。もう一方の雄である大工原章氏が中心となって描かれた白娘のアニメートにも、動き(演技)によって動機や心情を表現する要素が多々盛り込まれていた。宮崎青年を魅了したのも、物語の進行でなくヒロインの存在感であった。氏は当時を以下のように述懐している。「『白蛇伝』との出会いは強烈な衝撃を残していった。 マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。 それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。」(「日本映画の現在」岩波書店 1988年) しかし、「白蛇伝」には幾多の不満も抱いた。主要キャラクター以外の描写がおざなりで、作品の世界観が実に不徹底であったのだ。このことは、「自分ならこういうアニメーションを作る!」という創作意欲に火をつけることになった。 以降、宮崎氏は「・劇画・が描けなくなった」と語っている。それまでどっぷりと浸っていたニヒリズムや個人的情念の世界と手を切り、明るさや健全さを込めた物語や人物描写を模索して、改めて・漫画・に取り組んだ。人物よりも建物や周辺設定といった世界観の構築に興味が向くようになったとも言う。「『白蛇伝』を見て、目からウロコが落ちたように、子どものすなおな、大らかなものを描いていくべきだと思ったわけなんです。しかし、親というものは、子どもの純粋さ、大らかさをややもすれば踏みにじることがあるんですね。そこで、子どもに向かって『おまえら、親に食い殺されるな』というような作品を世に送り出したいと考えたのです。」「そういう出発点が、20年間たった現在でも継続されているわけです。」(「自分の原点」アニメーション研究会連合主催講演 1982年) これは約20年前に当時の心情を語った発言だが、まるで「千と千尋の神隠し」の冒頭部について語ったような内容であり、その一貫性には驚かされる。 ともあれ、宮崎氏は子供たちを対象に据え、健全さを求めて4年間の大学生活で漫画と格闘した。しかし、それは返ってアニメーションへの憧れをかき立てる過程でもあったようだ。日本漫画映画の全貌に初期のアニメ作品が出ています。
2006.07.07
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「もし日本の人びとがわたしのことをおぼえていて、あの人はバスク人だが一生を日本のためにささげたのだといってくれるならば、わたしはじゅうぶんに祖国のために働いたことになるのである。」(S.カンドウ)司馬さんの「南蛮のみち」にこの言葉がのっているが・・・・伝道師の宿命といってしまえばそれまでかも知れないが、こういうタイムスパンで物事を考え、祖国を誇る人がいることに感嘆してしまうのです。総裁とか理事長と名のつく人のトリッキーな拝金主義が横行する昨今、しばし、立ち止まってカンドウ神父の言葉に耳を傾けるという余裕とかバランス感覚が望まれているのではないでしょうか?(金に追い回されて、それどころじゃない?)「南蛮のみち」より彼女は熱烈なバスク人である。-熱烈な。とは、二種類存在する。ひとつは、テロをふくむ激烈な行動集団であるETAで、他の一種類というのは、自分がバスク人であろうとしているひとびとである。コンチータ嬢がそうであることが、あとでわかった。元来“バスク系スペイン人”だった彼女は、成人してバスク語を獲得することによってあらためてバスク人になった。大統領も国会議長も、彼女とおなじようにバスク語を大人になってから学び、公認されたバスク人になった。熱烈というほかない。S.カンドウさん1897年、南フランス・バスク地方に生まれる。第1次世界大戦に参戦し負傷。療養地ブルターニュ地方の深い信仰に感動し、聖職者を志す。1925年、パリ外国宣教会の司祭として来日。1929年、東京大神学校の初代校長に選ばれ、日本人司祭の育成にあたる。終戦後は、日仏学院主席教授、あけの星社会事業団の指導者をつとめる。日本語の著書に「思想の旅」、「永遠の傑作」、「バスクの星」など多数がある。1955年9月28日死去。
2006.07.03
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姪の結婚式があり、久々に、東京にでかけた。神谷町駅を出たところで、カツラ並木に出会った。どの町でもカツラに出会うと、お!カツラだ。と嬉しくなる。(葉っぱフェチの面目躍如というべきか?それとも、私ってずれているのだろうか?)15年ほど前にはこの町で2年も働いていたのに、この樹があることさえ気がつかなかったが・・・・関心のないものには(当時は)、在っても見えなかったのですね。15年も経てば、街路樹はそれぞれが大きく育ち、うっそうとした場所もあったりして・・・町の様子も、樹の様子も様変わりした感じがしました。
2006.07.02
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