全65件 (65件中 1-50件目)
NHK国会中継では、論点は裏金疑惑に尽きるとも言わんばかりである。野党からの数多い追及に応える岸田さんの説明責任も大変であるが・・・ここで、かつての日記(2018年の日記)から、自民党の政治手法に触れたものがあるので読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************衆院選挙(2018年)では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。ということで、図書館に予約している『自民党―「一強」の実像』という本を、心待ちしているのです。【自民党―「一強」の実像】中北浩爾著、中央公論新社、2017年刊<BOOK」データベース>より自民党は結党以来38年間にわたり政権を担い、2度「下野」したが、2012年に政権に復帰。一強状態にある。その間、自民党は大きな変貌を遂げた。本書は、関係者へのインタビューや数量的なデータなどを駆使し、派閥、総裁選挙、ポスト配分、政策決定プロセス、国政選挙、友好団体、地方組織、個人後援会、理念といった多様な視角から、包括的に分析。政権復帰後の自民党の特異な強さと脆さを徹底的に明らかにする。【目次】第1章 派閥ー弱体化する「党中党」/第2章 総裁選挙とポスト配分ー総裁権力の増大/第3章 政策決定プロセスー事前審査制と官邸主導/第4章 国政選挙ー伏在する二重構造/第5章 友好団体ー減少する票とカネ/第6章 地方組織と個人後援会ー強さの源泉の行方/終章 自民党の現在ー変化する組織と理念<読む前の大使寸評>衆院選挙では、小池さんの誤算があったにせよ、あらためて自公の強さを思い知ったわけでおます。・・・ということで、時宜を得たこの本を読んでみます。<図書館予約:(7/18予約、2/01受取)>rakuten自民党―「一強」の実像「第6章 地方組織と個人後援会」から自民党の強さの源泉を、見てみましょう。p237~<保守系無所属という存在> 自民党を最も基底の部分で支えているのが、保守系無所属の地方議員である。ここでの無所属には異なる二つの意味があり、一つが立候補届出時に無所属とする議員、もう一つが自民党籍を持たない議員である。自民党では後者の意味で使う場合が多いようであるが、それはどのような存在なのか。 保守系無所属が大きな割合を占める町村議会について、全国町村議会議長会が2011年に実施した意識調査およびそれに基づく報告書「町村議会議員の活動実態と意識」から探ってみよう。 まず注目されるのは、議員報酬の平均が月額約21万円と低く、町村議会議員の世帯の年収総額に占める議員報酬の割合が、五割未満という回答が全体の69.5%に達することである。九割以上という回答は4.5%にすぎない。そのため、議員専業を意味する無職の比率が、23.4%と少ない。 しかも、無職のかなりの割合は、定年退職後の男性や専業主婦の女性が占めているようである。一般の会社員は兼職が難しい以上、町村議会議員になることに高い金銭的なハードルが存在する。 したがって、町村議会議員に就任するのは、兼職が可能な自営業者や会社・団体役員が必然的に多くなる。職業別の構成比を見ると、国勢調査では2.1%にすぎない農林水産業が町村議会議員の44.6%、同じく1.4%の商業が20.4%を占めている。 いうまでもなく、農林水産業、商業、会社経営といった職業は、自民党の支持者に多い。議員報酬の低さが一因となって、町村議会の構成は自民党に有利になっている。 もちろん、議員報酬だけが理由ではない。農民や商工業者といった旧中間層は、職業を世襲的に相続することが多く、人的ネットワークを幅広く持ち、仕事柄、地域に対する関心が強い。リソースなどの面で地域のリーダーになりうる存在なのである。しかも、農村部では社会の同質性が高いため、急中間層のなかの有力者が、そのまま重要な政治的地位を占める傾向がある。実際、町村議会議員は、町村内の各地域を代表するポストとみなされ、有力者間の調整によって決められる場合が少なくなかった。(中略) 自民党幹事長を務めた加藤紘一は、保守系無所属とは人徳を有する地域のリーダーであると書いた。比較的高い教育を受けて時間や金銭的に余裕があり、お祭りや年中行事を取り仕切ったり、農作業の段取りや田畑への水の配分を公平に行ったりと、地域のために積極的に貢献するような人物である。 加藤は「保守勢力とは、地域リーダーシップが代表する地域意思の総体であって、自由民主党とイコールではない」と強調しているが、さらに「最近地方が自民党から離れ始めているような気配が感じられるようになった」という危機感を示している。2009年に自民党が下野する直前のことである。 野党時代の自民党は、地域で少人数の会合を開く「ふるさと対話集会」を開始したが、それは加藤の提案によるものであった。地域に根を張る保守系無所属に依拠しつつ自民党を再構築する試みといえる。 その一方で、保守系無所属の地方議員を自民党の内部に組み込み、地方組織を強化する努力もなされている。そのための枠組みが、地方議員連絡協議会である。『自民党―「一強」の実像』3:自民党の強さの源泉『自民党―「一強」の実像』2:小泉さんや安倍さんの政治手法(続き)『自民党―「一強」の実像』1:小泉さんや安倍さんの政治手法
2024.01.31
コメント(0)
図書館で「河原者ノススメ」という本を手にしたのです。画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ小早川家の秋「第1章 芸能賤民の運命」のなかで小津安二郎が語られているあたりを、見てみましょう。p24~26<小津安二郎の自嘲> 映画は20世紀の初頭から世界に普及した現代芸術である。そのキャメラ、フィルム、ライトといったメカニズムが産業革命の申し子であることから、日本映画についても20世紀以前の芸能史の埒外に置かれて考察されがちだが、まぎれもなく、この国の芸能の「運命」から逃れることはできなかったはずである。 私が属した映画界で働く人々は「活動屋」と呼ばれ、映画のことは「写真」、たとえ仕事が深夜からはじまってもスタッフは「お早うございます」と挨拶するのがしきたりである。このしきたりは先行する歌舞伎・浄瑠璃界の観衆から引き継いだものである。「お早うございます」を口にした時から、私は日本に古来伝えられてきた「しきたり」の残る芸能界への加盟を余儀なくされた。つまり一般人とは異なる通過儀礼を果したと感じた。以来、この世界独特の隠語を当たり前のように使う自分になっていった。この隠語が最近では世間に流出して、芸能者の特異性が薄らいでいる。「目線」とは単独でカメラを向けられた俳優が見えざる対話者に「視線」を定めて演技をする目印のことである。この「目線」も現代では普通の人々にまで行き渡ってしまって、「視線」は死語になってしまった。 これほどに、現代芸術である映画が、日本では古代に起源をもつ芸能世界の水脈と連結しているのだ。えいが『スパイ・ゾルゲ』でも私は能の作劇法を連想していた。黒澤明の『羅生門』(1950)や溝口健二の『雨月物語』(1952)にも能の手法が読み取れるはずだ。「おれは橋の下で菰をかぶって客を引く女郎、吉田さんは橋の上に立って客を引く女郎」(『小津安二郎と20世紀』国書刊行会) このセリフを吐いたのは小津安二郎である。昭和38年(1963)正月の鎌倉。松竹大船撮影所に所属する監督たちの新年会の宴半ば、不意に小津安二郎は立ち上がって末座にいた吉田嘉重の正面に座り、酒を勧めながら怒気を含んだ前記のコトバを吐いた。 小津の脚本『小早川家の秋』(1962)に描かれた若い人間像に年寄りの厚化粧のいやらしさがある、と雑誌の対談で吉田が発言したことに端を発したのだ。私は吉田の隣で一部始終を目撃した。吉田は一言も発しなかったので論争にはならなかったが、小津が映画監督という職業を、橋の下で菰をかぶった女郎に重ねたことが意外だった。 キャメラポジションがロウアングルとはいえ、小津の作風の高潔さは橋上からの眺めそのものであって、ヌーベルバーグと括られた我々こそ商業主義から排除され、橋の下の境遇ではないか、と。 この頃、私は完成させたばかりの『乾いた花』(1964)が難解だという理由でオクラにされ、公開のメドが立っていなかった。テレビという新興のメディアが映画産業を直撃していたのだ。映画館から観客が急激に離れつつあった。わかりやすい、庶民のための映画が再び求められていたのだ。 小津自身、自作の中に若い風俗を取り込んで時代の流れから離れまいとしたことにも、テレビの出現が大きく作用していたに違いない。吉田はそれを敏感に察して、小津は本来のたそがれゆく父の悲哀に徹すべきだと批評していた。 この年の暮れ、芸術院会員にして河原者と自称する小津安二郎は、「豆腐屋は豆腐しかつくれない」と自嘲しながら60歳で死んだ。『河原者ノススメ』1:「第1章 芸能賤民の運命」の冒頭
2024.01.31
コメント(0)
図書館で「河原者ノススメ」という本を手にしたのです。画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ『法然上人絵伝』(知恩院蔵)まず、「第1章 芸能賤民の運命」の冒頭から、見てみましょう。p12~16<善と悪の変転> 奈良の平城京から抜け出した古代王権が、山城の京都に遷都して平安京を確定させると、中世と呼ばれる多様で世俗的な時代が到来した。この時代変革は、古代大和王権の宗教儀礼に関与しながら育ってきた芸能とその縁者たちの境遇に、多様な変容をもたらした。その変容の底知れない形態は、日本演劇への歴史的考察を錯綜させ、その所説を解題するだけでも、あまりのハードルの高さに呆然とするばかりである。 まず「中世」という時代区分が問題となる。西洋史では、東方のフン族の圧迫で四世紀頃にはじまったゲルマニア民族の大移動から、百年戦争が終結した十五世紀頃までを指すと教えられてきたが、日本史では、武士が政権を奪い鎌倉幕府が成立した十二世紀末から室町幕府の消滅までと定義されている。しかし、山路興造は芸能史にこのような政治史の時代区分は合わないとする。 たしかに芸能の変容が歴史の変動と連動してきた例は多くあるが、化石のように古代が温存、継承されてきた芸能もある。山路興造は「中世」を、古代から中世への流れと、中世から近世への流れの二つに区分し、天皇家が継承権で分裂抗争した南北朝をもって境界とした。私はこの意見に賛意を表したい。 さらに、芸能を論ずるにはコトバだけではすまないという難問が控えている。私が学生だった昭和20年代の教室でも邦楽史の授業があったが、テレビはもちろんのこと、テープレコーダーもまだ教室にはなかった。芸能者が演ずる音声や舞踏の姿を、現代のエレクトロニクスが再生する音声や画像として体験することはできなかった。芸道物や時代劇の映画音楽、極めてまれに歌舞伎・能狂言の舞台鑑賞、そしてラジオから耳にする邦楽演奏だけが頼りであった。 私の場合、姉たちが嫁入り前の教養で琴や三味線を倣っていたので、門前の小僧よろしく『六段』や『越後獅子』を口ずさむ程度の体験があった。 十二世紀、源平争乱に翻弄されながら後白河法皇自ら編纂した『梁塵秘抄』は、平安期に流行した「今様」の歌謡集である。だが、歌詞そのものは採録されたが、肝心な今様の温局自体がどのように歌われたかは、推測の域にとどまっている。『紫式部日記』の寛弘5年(1008)8月20日過ぎの手記では、宿直の公達たちが秋の夜長に読経争いや今様の美声を競ったと記されている。傀儡女と卑しめられた芸能者の唄が、貴族たちの世界に深く浸透していたさまが読みとれる。 読経争いという言葉から、仏教の勤行が美声を競う芸能と化している光景も興味深い。 この紫式部の時代の今様が、百数十年後の源平争乱の最中に後白河法皇によってさらなる「今様」となり採録されたのだ。後述するが、源義経の愛人だった静御前も白拍子で、兄頼朝と政子の夫妻の面前で今様を舞い歌ったことは有名である。今様という芸能をひとつ取り上げても、中世の混沌とした変容と向かい合ってしまう。 遊女の好むもの 雑芸 鼓 小端舟 おほがさ翳し 艫取女 男の愛祈る百太夫(『梁塵秘抄』380番歌) 嘉禎3年(1237)に成立したという『法然上人絵伝』(知恩院蔵)の中に、江口、神崎という高名な港町のある淀川水系河口の光景が描かれている(図)。大傘を差しかけられた遊女が小舟に乗って、船旅へ向かう貴族たちの停泊している船へ、鼓を鳴らしながら近づいていく。楫をとって櫂を漕ぐのも女である。遊女が鼓の音を川面に響かせながら旅船へと接近する風情には、身を売る女の哀歌がある。
2024.01.30
コメント(0)
ビゴーといえば、歴史の教科書なんかにビゴーの風刺画が出てくるが・・・辛辣で才気活発な人物像が面白いので、復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『明治の世相:ビゴー素描コレクション2』という大形本を手にしたのです。パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。【明治の世相:ビゴー素描コレクション2】ジョルジュ・ビゴ-, 芳賀徹著、岩波書店、1989年刊<「BOOK」データベース>より明治20年から23年まで、横浜居留地で刊行された『トバエ』は、当時の日本の世相を冷徹な眼力で描いたもので、その辛辣な政治諷刺は、ビゴーの諷刺画の最高傑作といわれている。『トバエ』を中心に220余点収録。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。rakuten明治の世相:ビゴー素描コレクション2p149~150 <フランスから来た浮世絵師:芳賀徹> 『トバエ』を中心としたこの素描集を繰ってゆくと、ジョルジュ・ビゴーというのはまことに才気活発、あらゆる意味で「達者な男」だったことに、あらためて気がつき、感心する。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。他に水彩の自画像などもある。 それらを見ても、この絵師は日本人の生活と社会にぶしつけなほどの好奇心を向け、そのなにげない細部にまで鋭敏な眼を走らせ、日本人との少々のトラブルなどは持ち前の陽気さとフランス人としての優越感によってまたたくまに乗りこえてしまったにちがいないと思われる。少なくても画中に見えるところではそんな風な男だ。 18年の日本滞在中、後半になるとさすがに少し太ったようではあるが、それでも背は高くて高すぎず、顔は面長で眉は濃く、黒っぽい眼は丸く大きくれ、よく動きよく笑う。長くて高い鼻の下には濃い口ひげを生やしたり、剃ったりしている。艶のいい頬やもみあげのあたりからはいつもオー・ド・コローニュのいい匂いなどさせていたのではなかろうか。そんな風にも思われるほど、こざっぱりとして、身奇麗だ。(中略) 明治15年(1882)4月、来日して3ヶ月目に横浜で撮ったという侍姿の写真も残っているが、なかなかハンサムな優男に写っている。これではビゴーの身辺にさまざまな日本女性が出入りしたというのも、もっともだと思われる。作品から推しても彼自身かなりの色好みだったと思われるが、女のほうから眺めてもちょっと惚れたくなるような洒落者だったのだろう。 口にくわえている曲がったパイプをちょっとはずすと、たちまち軽快な早口のフランス語が飛び出し、それに片言の面白おかしい日本語や、ときに英語も混じったのにちがいない。男の眼は愉快そうにまた皮肉っぽく、いきいきと輝きながら・・・・。 このようなパリ生まれのパリっ児の才人が、1870年代の後半、ジャポニスムがいよいよさかんになるパリで、フェリックス・ビュオやエドモン・ド・ゴンクール、フェリックス・レガメなどと知り合いになり、日本に憧れてついに明治15年(1882)1月末、22歳の若さで横浜にやって来たのである。 そしてそれから明治32年(1899)6月、39歳で帰国するまで、前に記したように実に18年の間を日本で暮らした。 いわゆる文明開化時代の終りの頃から、自由民権と鹿鳴館の時代、そして憲法発布と日清戦争、またなによりも条約改正へと、内にも外へも揺れ動き、急速に変転する明治半ばから後半の日本列島の情景を、あのよく動く眼で上から下から、表から裏から、外国人の治外法権の特権を生かしながらも大概は斜めから、ほとんど絶え間もなく観察し、記録し、風刺をこめて描いていったのである。ビゴーのこの漫画集、石版素描集が面白くないはずがない。 ビゴーの作品は、『トバエ』などの石版画のみならず、その水彩や油彩の作品も含めて、まだまともにフランス美術史のなかに位置づけられてはおらず、フランス・ジャポニスム運動の一環に名をとどめるにすぎないという。それは無理もないことである。 ビゴーは才気ある絵師にはちがいなかったが、同時代のマネヤモネやルノワールやゴーガンとならぶような第一流の独創の天才ではもちろんなかった。第二流でさえなかったろう。しかし、この異国における風刺の絵師をそのように同時代母国の画壇にすぐさまひきもどして格付けをしてみようというのは、たとえば徳川美術史の上で淋派や南画派と浮世絵師とを直接にならべてどちらが偉いかと問うのにも似て、あるいはそれ以上に、ジャンル、技法、また職分の別を故意に無視してしまうことになりかねない。 ジョルジュ・ビゴーにはジョルジュ・ビゴーの、19世紀後半の東西美術・文化交流史、また明治日本社会史の上における「分」、役割というものがあったのであって、彼はそれを十分に立派に果たした。おそらくはドーミエの風刺画の流れに北斎漫画の刺激が加わった画環境のなかから出てきて日本に渡来し、その資質と境遇とさまざまの偶然とから、明治日本の世態風俗を独自の見方で思うさまに描き批評するのが、その生涯の主要な仕事となってしまった画家。 彼はみずから「仏国の江戸っ子なりと自称」していたそうだが、まさにフランス生まれの浮世絵師、パリからやってきた明治の浮世絵師として、河鍋暁斉、チャールズ・ワーグマン、小林清親ら、日本における先輩・同僚の向こうを張ることとなったのであった。私たちはそのような日本なりの評価を添えて、いつか彼をフランスの近代美術史、美術社会史の分野に一時帰国させてやればよいのであろう。■ビゴー漫画のプロンプター ところが、明治の世相風刺の絵師としても、ビゴーの独創性はどの程度であったか、どのあたりまでが彼自身のものといえるのか、一応は疑ってみる必用のある作も少なくない。 とくに『トバエ』を中心としたこの「明治の世相」の巻で、日本語の文章を長短さまざまに書き入れた政治風刺の作については、かならずや日本側の協力者がいたにちがいない。達筆で書かれたその文字はもちろん、ときに中国の故事や漢詩の数句を織りこんだりする文章も、日本人でかなり学のある者でなければ書けないものであることは確かである。さらには風刺の発想そのものも日本人協力者から来ているのではないかと思われる例もある。トバエの数枚を見てみましょう。
2024.01.30
コメント(0)
図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくる「第四章」でケニア人の恋人を、見てみましょう。p175~179<第四章 おいらの嫁さんケニア人>■ナイロビに戻り、恋人ワンジルと再会 ナイロビに戻って、星野学院に顔を出す。ワンジルが、「信じられない!」と驚く。「まさかマサオが帰って来るとはおもわなかったわ」 と抱き着いてきて、大雨のキスが降り注ぐ。スティーブンも駆け寄ってきた。「マサオ、ジャンボ!」 久しぶりの対面であった。彼女たちのうれしそうな顔を見て、「これからこの二人のために、褌を締め直してかからねば」 という気持ちになる。 そして、三菱重工の仕事でナイバシャ湖の奥地にある発電所に向かう。現場のある所はグレート・リーフ・バレー谷が深く切り込んでいて、アフリカ南北を縦断している。マサイ族によると、その谷底にはヒョウが棲息しているという。ただ、彼らは実際に見たことはないらしい。 この谷は毎年少しずつ廣逢っていて、数千億年後にはアフリカ大陸を二つに分裂させるかもしれないとも言われている。 職員に連れられて夜のサファリに連れていかれるが、何となく不気味である。電気もなく真夜中の中をジープで走り回るのであるが、ジープのライトに照らされて至るところに炎が動いているように見える。それはなんと動物の目であった。その光る目を目指してジープで追いかける。 猛禽類はおらず、キリンやシマウマ、シカ類だけであったが、追い回すだけで捕まえようなどという気は起こさないところがいい。もっとも、捕まえようとしても捕まるような動物たちではない。 また別の日には、午後、庭に出て椅子でうつらうつらしていて目を覚ますと、目の前に三メートルほどもあるブラックコブラが散歩しているのだ。驚いて近くにある長い棒を手に取り、「さあこい、いつでもいいぞ」 とこの難敵を退治しようと構えた。すると殺気を感じたのか、コブラは全速力で逃げ始めたのだ。コブラが近づいてきた時には眠っていたのが、幸いしたのである。コブラは人の目を目掛けて毒液を飛ばし、液が目に入ると失明してしまうという。 コブラは素早く穴を見つけ、その中に潜り込んでしまった。しかし、私一人だったので、もし向かってこられたら勝負はどうなっていたかわからない。■ケニアで鴻池組の食事作りをする ナイバシャ湖の三菱重工のアルバイトも終わってぶらぶらしていると、友人から連絡が入り、「建設会社の鴻池組でアルバイトしませんか」と誘われた。今度はこれに応じることにする。鴻池組の仕事は、ケニア国内三ヵ所でサイロ(穀物貯蔵庫)作りの手伝いである。本部はナクル湖のあるナクルの町にあり、二ヵ所目はビクトリア湖のある湖畔の町キスム、三ヵ所目はウガンダとの国境沿いにあるブンゴムの町である。 ナクル湖はナクル湖国立公園の中心部であり、世界遺産の一部にもなっている。ビクトリア湖は、アフリカでもっとも広く、さらに世界でも第三位を誇る湖水面積を持つ。 私はそのうち三ヵ所を回って各現場で食事を作ることになる。しかし、この仕事は将来の自分の仕事につながることになるのだ。 サイロとは穀物貯蔵庫のことで、高さは約30メートルほどもある。技師によると、いったんサイロを作り始めると途中でやめることはできず、でき上るまでほぼ1ヵ月間は不眠不休になる。徹夜作業のため、技師の人たちは交代で仮眠を取るのであって、このような工事はかなり体力を消耗するという。 ワンジルとは生活を共にするようになっていた。まだ正式に結婚してはいないが、もう家族同然であった。もちろん、息子のスティーブンも一緒である。 そのような仕事だったので、長い間家族とも会っていなかった。それでナイロビよりワンジルとスティーブンを宿舎に呼び寄せることにした。二人が到着すると、私は社から車を借りて三泊四日の小旅行に出かけた。『ちょっとケニアに行ってくる』2:南仏での生活『ちょっとケニアに行ってくる』1:はじめに
2024.01.29
コメント(0)
神戸出身の作家ということで市民から好かれているわけで・・・復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『雨過天青』という本を、手にしたのです。陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪【雨過天青】陳舜臣著、集英社、1999年刊<「BOOK」データベース>より故宮の文物から始まり、茶の話、世界各地の旅で感じたこと、住まいである神戸の街のこと、友人たちとの交流などを綴ったエッセイ。「雨過天青」とは雨上がりの雲の去った天の青さで、著者は青という色を「青年とか青春とか、生命力に満ちたものに用いられる。私たちが、さまざまな青を愛し、青磁の色に自分たちの理想を託そうとするのは、生命を愛するからにちがいない」と言う。<読む前の大使寸評>陳舜臣さんというフィルターを通すと、神戸の街や陳さん好みの事物が輝きを増すのです♪借りたのは1994年刊のハードカバーです。rakuten雨過天青兵馬俑坑の発掘あたりを、見てみましょう。p230~232<書かれざる歴史> 位置からいって、長江と中原との中間にある重要な場所であり、文献からもれているとは信じられない。そのあたりには随という国があった。曽候乙墓も随州市の郊外で発見されたのである。 戦国初期から千年ほどのち、随に封ぜられた楊堅が、天下を取ったとき、国号を「隋」とした。「随」の字のなかのシンニュウは「走る」という意味で、短期王朝を暗示するというので、それを抜き取って、新しい文字をつくったのである。そんな小手先細工をしても仕方がないもので、隋は三十数年という短期王朝に終わった。 この「随」もしくは「隋」は、春秋戦国の昔から現在に至るまで地名でありつづけたのに、「曽」はないのである。曽候乙墓研究の段階で、曽とは随の別名ではなかろうか、という説もあったようだ。だが、出土品に「随」を示唆する文字はないし、同時代の楚の恵王はかつて随に亡命したことがあり、それには「隋」と明記されている。どうやら同地異名説は不利なようである。 交通の要衝であり、豊かな土地であったはずなのに、文献にのせられていない。これはなにも「曽」だけではないだろう。文献は歴史のごく一部分を記載するだけで、全体をカバーできないものである。 歴史は文献と等身大ではない。文献よりも歴史のほうがはるかに巨大であり、歴史をさぐるには、書斎で本ばかり読んでもつかみ切れない。ほうぼうに出むき、ときには土も掘らねばならないのである。 兵馬俑坑は世界に衝撃を与えた大発見であった。1号坑だけで、六千体の陶兵、陶馬が埋められていたのである。いずれも等身大(平均1.8メートル)であり、「地下の軍団」と呼ばれるにふさわしい。膝をついて弓をひきしぼっている兵士は、とうぜん靴のうらをみせているが、靴底のすべりどめの鋲まで、ていねいに表現されている。しかも容貌は、一人一人が特徴をおっているのだ。型から大量生産されたのではない。陶兵たちが手にしていた武器は、ほんものの青銅製のものであった。 1号坑は東西230メートル、東西62メートルの規模で周囲に回廊があり、東西に9条の溝が走っている。これほどのものが、文献のなかに記載されていないのである。 司馬遷は『史記』のなかで、始皇帝陵のもようを詳述し、秦滅亡後に墓が荒されたいきさつまで記しているのに、兵馬俑坑については一行もふれていない。 いまの私たちは目をみはって驚くが、当時の人たちは、「たかが粘土を焼いた人形」と、おもっていたにちがいない。 始皇帝の陵は、項羽が三十万人を動員し、三十日かかって運び出したが、それでも運びきれず、あとは火を放った。銅板を熔かして銅を得るためである。火は九十日ものあいだ燃えつづけたという。徹底的に略奪されたのに、粘土を焼いた人形は誰も持ち出さなかった。お金にならないからである。 兵馬俑は誰にもかえりみられず、いつしか土砂に埋もれてしまった。当時の人はもちろん、百年しかたっていない時代の司馬遷も、そんなものを記述しようという気持をおこさなかったのである。 記述意欲は価値観によって左右される。だが、価値観は時代によって変遷する。 いまの私たちは、始皇帝陵墓内を覆っていた銅板を熔かすよりは、兵馬俑一体を失敬するほうが、よほど金になるとおもっている。 先人が苦労して我々に記述して残してくれたものは、たしかにありがたいが、それよりもずっと大切なものが記述されなかったはずである。そのいくらかを取り戻そうとするのが、いわゆるフィールド派の作業といえるだろう。『雨過天青』4:兵馬俑坑の発掘『雨過天青』3:械闘なるもの『雨過天青』2:茶の文化『雨過天青』1:カササギの橋
2024.01.29
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震3分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は3メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書の申請・発行が19日にスタートしたそうで・・・お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。*********************************************************R3<27日追記>■23日、岸田首相は新企画「能登復興本部」を立ち上げると表明したが・・・投入予算、規模を大きくするのはいいとしても、どんなもんになるやら?■大雪で、日本海側の各JRでは運休する列車が続出しているが・・・酷寒のなか避難所の皆さんの苦難はいかばかりか。■27日、石川県の一般ボランティア受け入れが始まったようで、作業は日帰りで県のバスで往復するとのこと。まだ受け入れ態勢が整ってない地区もあるようです。■受験勉強もままならない人、学校が再開できていない地域もあるようで・・・ただ頑張ってというしかない?状況もあるようです。■半島という閉鎖的な地域で余震が続く・・・私が体験した阪神・淡路大震災は開放的な地形だったので、ボランティアの受け入れもスムーズで、立ち直りが早かったわけで・・・能登半島は(年単位の)長期戦を覚悟すべきか(特に水道、電気、排泄物)。■二次避難所でより過酷な条件に陥る人もいるわけで・・・周到な避難者受け入れ計画が求められるのだろう。■農林・水産など一次産業への支援は、隆起した漁港の復興など中長期の構想、避難者の心が萎えないように希望が語られる必要があるのだろう。■輪島塗は124工程にわたる分業システムだったので、復興させるには地域のシステム全体に目を配る必要があり、立ち直り期間の資金支援が必要だろう。
2024.01.28
コメント(0)
今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「映画」でしょうか♪<市立図書館>・ISSUE 和田誠のたね・映画でみる移民/ 難民/ レイシズム・河原者ノススメ<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【ISSUE 和田誠のたね】和田誠著、スイッチ・パブリッシング、2021年刊<「BOOK」データベース>より【目次】不合格のための世界史/LONG INTERVIEW和田誠 美しい発芽(文・インタビュー構成=川口恵子)/だから冒険はやめられない/家族のヒント/これからのお楽しみ/ぼくの好きな先生/これ、何のたね?/はじまりの一冊<読む前の大使寸評>とにかく、和田誠が描いた絵日記から漫画、インタビューなどを通じて和田誠のたねに迫る本になっているようです。rakutenISSUE 和田誠のたね【映画でみる移民/ 難民/ レイシズム】中村一成著、影書房、2019年刊<「BOOK」データベース>より戦争、虐殺、差別、貧困・格差、植民地主義…現代世界が直面する課題を眼前にしながら、奮闘する映画人たちがいる。日本社会の課題をも照射する映画評論集。<読む前の大使寸評>この本が取り上げた作品は、ほとんど観ていないのだが・・・まあなんと、観るのも辛いような問題作が並んでいます。rakuten映画でみる移民/ 難民/ レイシズム【河原者ノススメ】 篠田正浩著、幻戯書房、2021年刊<出版社>より構想50年の渾身の書き下ろし。日本映画界の旗手が、芸能者たちの《運命》を丹念に追跡し読み解く意欲作。独自の視点で、日本の芸能の歴史を再構築する。2010年第38回泉鏡花文学賞受賞作。映画『夜叉が池』リメイク版公開を記念に、泉鏡花をめぐる文章を増補して新版として刊行。<読む前の大使寸評>画像も多く、内容も充実していて・・・2010年泉鏡花文学賞受賞作というのも納得できるのです。rakuten河原者ノススメ
2024.01.28
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在8位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在274位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在180位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在87位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在73位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在258位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在27位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在19位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在9位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在83位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在68位・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』(1/26予約、副本?、予約20)現在19位・絲山秋子『御社のチャラ男』(1/27予約、副本?、予約20)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『御社のチャラ男』・絲山秋子『神と黒蟹県』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・養老孟司『形を読む』<予約分受取:10/28以降> ・有川ひろ『旅猫リポート』(10/27予約、10/28受取)・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【世にもあいまいなことばの秘密】 川添愛著、筑摩書房、2023年刊<「BOOK」データベース>より「この先生きのこるには」「冷房を上げてください」言葉には、読み方次第で意味が変わるものが多々あり、そのせいですれ違ったり、争ったりすることがある。曖昧さの特徴を知り、言葉の不思議に迫ろう。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/26予約、副本?、予約20)>rakuten世にもあいまいなことばの秘密【御社のチャラ男】 絲山秋子著、 講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/27予約、副本?、予約?)>rakuten御社のチャラ男【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.01.28
コメント(0)
江戸18世紀の外国文化受容に対する独特な視点は著者・田中優子さんというべきか♪・・・ということで復刻してみたのです。*********************************************************図書館で『江戸の想像力』という本を、手にしたのです。江戸の想像力もさることながら・・・想像力を膨らませて、この本を書ききる著者のガムシャラな筆力に驚くのでおます♪ところで、この本にはデジャブを感じて借りたのだが、帰って調べると3ヶ月ほど前に借りていたのです(またか)【江戸の想像力】田中優子著、筑摩書房、1992年刊<「BOOK」データベース>より近世的なるものとは何だったのか―。平賀源内と上田秋成という同時代の異質な個性を軸にしながら、博物学・浮世絵・世界図・読本といったさまざまなジャンルの地殻変動を織り込んで、江戸18世紀の外国文化受容の屈折したありようとダイナミックな近世の〈運動〉を描いた傑作評論。1986年度芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、思いのほか画像の多いのが楽しい本である。この本のデータは1992年刊の文庫本のものだが、借りたのは1986年刊のハードカバーでした。amazon江戸の想像力「第1章 金唐皮は世界をめぐる」の冒頭から、見てみましょう。<第1章 金唐皮は世界をめぐる>p3~7 江戸に「きんからかわ」というものがあって、世界をめぐりめぐったすえ、刀がなくなって腰のあたりがすーすーする明治の男たちの腰を飾った。 もっとも、明治になる前からもう男たちの腰は空しかった。鉄砲用の火薬は使いどころが無くなり、男たちの身体から射撃されるかわりに、両国橋の花火となって炸裂した。刀は腰にさびついて、鞘は単なる腰の飾りとなった。そして、どうせアクセサリーならもっと飾ってやろうと、印籠には根付や緒締めの玉を細工し、煙草入れや巾着には15世紀イタリアのルネッサンスと、17世紀ヨーロッパのバロックと、18世紀フランスのロココとを、オランダを介して持ち込んだのだった。 江戸の男を18世紀末のピーコックにしたのは、東インド会社という、アギーレをサラリーマン化したような連中だった。むろん彼らはピーコックになるひまがなかった。日本からきんきらきんの皿や壷を積み出し、帰りにデルフトの応接間の壁から「きんからかわ」を剥ぎ取って来るので忙しかった。 「きんからかわ」は「金唐皮」と書く。「金唐皮」とは、その研究の第一人者である徳力彦之助氏に拠って出来るだけ正確に表現すると、タンニンでなめした皮革に接着塗料を塗って合金の箔を貼り、金属に彫った型でプレスしてエンボス(浮き出し)を作り、さらにその上から塗料で彩色等をほどこして壁材などに使用したもの、である。 このうちのどれが欠けても偽物であるが、江戸における金唐皮を語ろうとすると、多くの偽物について語ることになる。■世紀末天明様態 ここで話は変わる。山東京伝は天明の洒落本に『通言総籬』というのを書いた。黄表紙『江戸生艶気樺焼』が受けに受けたので、同じ主人公に洒落本という別のジャンルにも出演してもらったのだった。 その黄表紙界のスター・艶二郎は、『通言総籬』で頭のてっぺんから足の先まで、「天明ぶり」という華麗にして遊惰、安逸、骨なしのファッションで登場したのだった。 黒茶の小紋が入った黄八丈の着物に、お納戸茶の帯をしめ、黒八丈のずらりと長い羽織をひっかける。八丈の下には、さらに舶来広東縞の着物、さらにその下には紺螺鈿絞りの襦袢を着けて、下からは花色縮緬の裾廻しがちらりと見えるしかけ。頭巾を襟巻にして、吉原の通人用の草履を穿き、黒皮の足袋をつける。 梅花形の模様のついた脇差を差し、諏訪町の有名理髪師に額の毛を抜かせて、広くなったおでこを見せながら、当時はやりの本多まげを結い上げる。さかやきはもちろん剃って二日目、この日がいちばんキマるのだ。 艶二郎の本多まげは、天明の男たちの流行の最先端である。堅気の人々はしぶい顔をして、これを「疫病本多」と呼ぶ。髪の毛をわざわざ少なくするからである。眉毛は、男も剃って細くする。これを「かったい眉毛」という。「かったい」とは「癩」と書く。ハンセン氏病のことである。帯は極細で、これも嫌悪をこめて「首つり帯」と呼ばれる。 羽織はあくまでも長くだらしない。織り方は縮緬と八丈が流行った。小袖は黒、帯は緋、その他は鳶色と鶸茶色の使用が群を抜いていた。刀は完全に装飾品となり、細みの大小が好まれる。そして男女とも面を包む頭巾が用いられた。 こういうわけのわからないファッションには、いつの時代でも、眉をひそめる人がいるものだ。あるひと、怒り心頭に発してこう書かずにはいられなかった。天明年中、おろかなる弱輩もの、かくのごとく流行るなれど、心有る人達は流行姿に心を移さず。皆小家の供侍、または軽き御家人、町方は職人等の手下、おろか者の致せし事、(『宝暦現来集』)ウーム 「疫病本多」ってか、いつの時代にもバカタレはいるもんで・・・昨今の男性のヘアファッションだって、相当に疫病がかっているけどね。『江戸の想像力』4:金唐皮は世界をめぐる『江戸の想像力』3:日本人のアジア交易pi~vi『江戸の想像力』2:江南から日本列島への亡命者p134~137『江戸の想像力』1:中国文化、特に中国版画p95~97
2024.01.27
コメント(0)
図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくるサント・ヴィクトワール山「第一章」で南仏での生活を、見てみましょう。p65~67<第一章 日本を飛び出してフランスへ>■南仏の優雅な昼食会を楽しむ エクス=アン=プロヴァンスは、画家のポール・セザンヌが生まれた町として知られる。彼がよく描いたサント・ヴィクトワール山が近くにあり、アジア人のグループでそこに上ることになった。サント・ヴィクトワール山は標高1011メートルと、さほど高い山ではなく、ちょうどいいハイキングコースである。 山すそにはピカソのヴォーヴナルグ城があるというし、流行した「デュランス川の流れのように」の歌詞となったデュランス川が流れている。その麓のル・トロネでは毎年8月に音楽祭が行われ、多くの人が集まってくるという。 この付近にはいたるところにラベンダーの花が咲き乱れ、とてもよい香りがする。 この町に仏文学を勉強しに来ていた明治大学の助教授夫妻が、カドリーブという炭鉱の村に転居していったので、日本人数人で二人を訪れることにする。カドリーブはエクス=アン=プロヴァンスから20キロメートルほど離れて離れているところにあった。 夫妻がすんでいる家の大家は、ムッシュ・ルイという。彼の奥さんは結婚当時料理が下手だったので、彼が料理本をプレゼントしたところ、奥さんの料理の腕が開花し、めきめき上達したという。そして、今では村一番の料理長となってしまった。村で行事があると、必ず彼女が呼ばれ、大いに腕を振るっていた。 炭鉱の村で楽しみが少なく、鉱区から出ると、まずは数少ないバーに直行して必ずアブサン酒を飲むという。アブサン酒はアルコール度数が高く、70パーセントから低くても40パーセントほどもある。水で割って飲むのだが、水を加えると牛乳のように白くなる魔法の飲み物である。 炭鉱の暗い場所から太陽のもとに出たときには、この酒を飲むとホッとするそうである。「今日も一日、無事生きながらえた」という祝いの酒でもあるという。 この助教授の家にはガスの設備はなく、石炭を使って料理するのだ。この村ではガスを使っている家は少ないという。フランスの地方には、このような村が散在しているという。花の都パリとはかけ離れた生活である。 ルイの奥さんの話では、この付近でエスカルゴが獲れるという。獲ったエスカルゴは約1ヵ月間暗いところに置いておくと、砂を吐き出してきれいな体になる。その後、白ワインと香料を入れ、3時間ほどゆっくり煮る。その後、好みの料理にするのだという。このあたりは香草の宝庫でもあった。 助教授の裏庭で、長テーブルを囲んで昼食をいただく。夫妻を囲んで10人ほどであり、それぞれ持参した料理をテーブルに並べ、久しぶりに日本人だけの昼食会となる。 私も何か手伝おうとしたのだが、「いやいや、今日はお客さんですから、ゆっくりしていってくださいよ」と助教授に言われ、お言葉に甘えることにする。炭鉱の村のため、観光客が訪れることもないという。ラベンダーの花に囲まれ、「これが南仏らしい生活なんだなぁ」と感慨に浸る。『ちょっとケニアに行ってくる』1:はじめに
2024.01.27
コメント(0)
図書館で「ちょっとケニアに行ってくる」という本を手にしたのです。パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくるまず「はじめに」から、見てみましょう。p5~9<はじめに ケニアのレストラン奮闘記> この日のメインデッシュは、山羊の丸焼きである。 ケニアの人々は焼き肉が大好きだ。いたるところに肉やがあり、そこで自分の欲しい肉を必要な分量だけ買い、その場で焼いてもらう。なんと、フィレ肉を除いた他の部位はみな同じ値段なのだ。 私もときどきお母ちゃんとこれらの焼き肉を食べたものだ。1キログラムくらいの肉なら、二人でぺろりと平らげてしまう。 ケニアの人は、肉さえあれば文句は言わない。もちろん、歯が丈夫なことが条件である。 この焼き肉に必ずついてくるのが、「カチュンバリ」というサラダである。トマト、玉ネギ、ニンニク、コリアンダーを細かく刻んで、好みに合わせて塩、唐辛子をごく少量加えるだけのシンプルなものだが、爽やかな香りが肉料理にぴったりなのだ。 これらの材料をフードプロセッサーにかけてみたら、こんなにも味が違うものかと感嘆するほど旨い。さらに一晩寝かせてみると、一段と美味しさが増しているではないか。シチューのように、一晩寝かせた方が旨いことを発見したのだ。以来、このソースが病みつきとなる。 さて、その日のお客さまは、ケニアの公供大臣である。 数日前に大臣から電話があり、「ミスター・イケダ、次の日曜日に私の家でパーティーをするので、料理の出前を頼みますよ」 というのである。そこで、私のレストランのコックとウェイターを引き連れてやってきたのだ。 大臣の屋敷は、それはそれは大きなものだった。三エーカーほどもあるという。日本の坪に換算すると、約3600坪にあたる。この屋敷には第一夫人とその家族が住んでいた。大臣には四人の妻があり、そのうちの一人はイギリス人だった。 彼女はふだんから私のレストランを利用してくれていた。大臣とは別行動だったが、ご主人と一緒のところを人に見られたくなかったのかもしれない。 大臣のように複数の夫人を持っているのは、イスラム教の人たちばかりではない。そのうえ恋人までいるのだ。 うらやましい限りだが、しかしそれは「体力」と「経済力」がなくてはできない相談である。この高いハードルに挑戦しようとは思わない。 これもビジネスの一環であろうか。「何を言うか。悔しかったらやってみろ」 と言われそうである。 私が600坪の雑木林を切り開いて、林庭つきレストラン「シェ・ラミ」を開業したのが、1996年8月6日。店のキャッチフレーズは、「スリー・コーナーズ・オブ・ザ・ワールド」つまり、和洋中料理である。 もともとは私の専門分野であるフランス料理だけを提供するつもりだったのだが、店のディレクターでもあるお母ちゃんが、「お父ちゃん、ナイロビには日本人もいるのだから、和食も入れた方がいいわよ」 と言うので、なかば強制的に和食が加えられたのである。 ケニア人であるお母ちゃんの持ち株が六割、私は四割。これはケニアでビジネスを始めるときの外国人の持ち株と決められている。この配分からしたら、お母ちゃんの意見を受け入れざるを得ないのだ。 急きょナイロビで知り合った中国人の陳さんに弟子入りして、簡単な中華料理を教えてもらった。これで和洋中がそろったわけだ。 私が目指すのはフュージョン料理だから、これでよいのだ。 レストラン「シェ・ラミ」は、その後、客席30席の本店のほかに40隻の新店舗を作り、さらにバーレストランが人気で、お客さまが集中してしまうので、旧店舗は特別室として利用していた。 あまりの忙しさに、「ローラースケートでもあれば、もっとスムーズに仕事ができるのになぁ!」 と思ったものだ。「シェ・ラミ」とは、フランス語で「友だちの家」を意味する。その名の通り、日本人はもちろん、欧米人から地元ケニアの人々が誘い合わせて来てくれるレストランとなっていた。 開店当初から、アフリカでさんざんお世話になった鴻池組の皆さんの絶大なる支援や、大使館はじめ現地の日本人たち、そしてケニアの人々がランチにディナーにと料理を楽しんで店を盛り上げてくれたおかげなのだ。 毎週金曜日と土曜日はことのほか忙しく、席がすべてふさがってしまい、お客さまには外で待っていてもらうほどだった。「シェ・ラミ」という名の通り、ケニアにいる世界中の人々が集うレストランだった。「小切手で支払いたい」と言って、現金払いを促すお母ちゃんと押し問答になった国連勤務のデンマーク人。「ここで結婚披露宴を開きたい」と言って、バラの飾りつけの中で皆の祝福を受けた赤十字社のスイス人カップル。 はるばる日本からやってくる旅行者も、後を絶たない。 そして、レストランに不慣れで右往左往のケニア人スタッフたち・・・。 日本では想像もできない奇想天外な事件が巻き起こるオドロキの毎日。難問が降りかかった時、悪者に啖呵を切り、パーティ用の店の飾りつけに才能を発揮し、バッサバッサとさばいていくのがケニア人のお母ちゃんなのだ。
2024.01.26
コメント(0)
図書館で「メルケル 世界一の宰相」という本を手にしたのです。東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相「第15章 トランプ登場」でメルケルのトランプ評価の「続き」を、見てみましょう。とにかく・・・アメリカ人が唱えるアメリカ第一主義の危険性が気になるのです。p332~335<第15章 トランプ登場>■アメリカはもはや信頼できるパートナーではない トランプが大統領に就任してちょうど4ヶ月後、西側の国際秩序にけんか腰で異議を唱えるトランプに対し、ついにメルケルは返答することにした。滑稽なほどドイツらしい場所で・・・。 ミュンヘンのテント張りのビヤホールで、伝統衣装の半ズボンをはいて地元産のビールのグラスを掲げる赤ら顔の男たちや、伝統衣装のディルンドルを着て給仕する女たちに囲まれながら、メルケルはガツンと言ってのけた。アメリカはもはや信頼できるパートナーではない、と。 彼女はこの言葉を、ビールを飲みに集まった連中に向けて言い放ったわけだが、もちろん世界中に届くことを意識していた。 同じ月にシチリアで開催されたG7サミットでも、メルケルは同様な発言をしている。「全面的に他人を頼りにできる時代はある程度終わった」・・・この“ある程度”というのがいかにもメルケルらしい。何事も断定的に決めつけるのを嫌い、事態が思っていたより良い結果になる可能性も残そうと、常にドアを少し開けておくのだ。そのようなメルケルが、珍しいほどはっきりと言い切った。「我々ヨーロッパ人は、自分の運命を自らの手で握らなければならない。私はそう確信しています」 後にメルケルは言い足した。「もちろん我々は米国や英国、そしてロシアを含めた近隣諸国と友好的な関係を保つ必要があります。しかし、我々は自らの未来を自らの手で勝ち取らねばならないのです」もはやアメリカはドイツにとってロシアと同様、居並ぶ“友好国”の一つに過ぎない・・・この辛い事実は、歴史の一つの分岐点であった。「今やアメリカ第一主義を堂々と信じる人物が大統領なのです」とメルケルは言った。彼女はドイツを最優先することを決して誇りに思ったりはしないだろう。ちらりとでも愛国精神を見せつける行為を、彼女は本能的に嫌う。自分の国のどこが好きかと聞かれると、おどけてこう答えるのが定番だ。「嵐にも負けない優秀な窓があるところね」かつてCDUの晩餐会で、各テーブルに飾られた小さなドイツ国旗をすべて撤去するよう求めたこともある。 だが、トランプのせいでメルケルは、意に染まぬ行為をせざるを得なくなった。「我々にとってこれは、ヨーロッパの理念と価値観を我々自身で守らねばならないということです」と彼女は続けた。ブレギジットで支柱の一本を失った欧州連合が、どのようにそれを実現するのか、答えはまだ見えていない。それでも、メルケルの力強い言葉は欧州諸国のどのリーダーの言葉よりも大きな意味を持つ。 アメリカにとってドイツは、とりわけその首相は、欧州における最も強固な同盟相手であり続けてきた。おそらくドイツより強固な同盟相手はイギリスだけだろう。メルケルは将来に向けた新しい航路を、以前よりも欧州を中心に据えて描き直している。とはいえ、ワシントンとの絶交を検討するには、メルケルはあまりに用心深かった。そのうえ、ドイツが安全保障面で引き続き米国の傘を必要としていることも、十分過ぎるほど理解していた。(中略) 記者会見の間、感情を表わさないメルケルの鉄のような自己コントロールが一瞬崩れた場面があった。トランプが突然、退役軍人の扱いに関してアドリブの発言をした時だ。「我が国の退役軍人にひどい仕打ちをするやつらがいたら、我々は即座にそいつらをクビにしてやる! ドイツのクビ切りと同じくらい素早くだ!」・・・トランプはメルケルに顔を向けながらそう言った。彼女は驚きのあまり眉(時として最も豊かに彼女の感情を代弁する部位)をつり上げた。「私たちが過去から何を学んだか、次の10年で明らかになるでしょう」トランプとの昼食を終えた後、メルケルは言った。「もしくは、何も学んでいないか、です」。寡黙なメルケルはこれだけしか言わなかったが、十分に言いたいことは伝わった。 『メルケル 世界一の宰相』1:メルケルのトランプ評価
2024.01.26
コメント(0)
図書館で「メルケル 世界一の宰相」という本を手にしたのです。東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相このところ、共和党予備選で圧倒的な支持率をとりつけるトランプであるが・・・「第15章 トランプ登場」でメルケルのトランプ評価を、見てみましょう。p319~321<第15章 トランプ登場> トランプは歴史上の独裁者についてあまりよく知らないようだが、ドイツ人は彼らのことをよく知っている。とりわけメルケルと同世代のドイツ人はそうだ。ナポレオン一世やヒトラー、そしてスターリンが、フランスやドイツやソビエトを“偉大な国”にして自らの権威を高めようとした結果、欧州は荒れ果て、墓地は死体であふれた。 戦争を体験した世代がいなくなったらどうなるのか・・・首相としての最後の数年間、メルケルはこうした懸念をひんぱんに口にするようになる。「なんらかの優位を取り、そこをしっかり守るのがいい」。トランプの勝利が決まった後で、オバマはメルケルにそう助言した。聞くと行うとではまったく異なる助言であった。 トランプのような人物を民主主義的な考え方に改宗させることができると思うほど、メルケルは世間知らずではない。だが、自分がそれなりの優位を守っている限り、自らの信じる価値観を人々に訴え、世界が地滑りのように無秩序になっていくのを全力で防ぐことができると思っていた。その時メルケルはまだ知らなかったのだ。 ただ“守る”だけでも、尋常でない楽観主義とギリシャ神話のシジフォス並みの忍耐力が必要であることを・・・。 共和党の大統領予備選挙の間、トランプは政敵を一人ずつやり玉に挙げては侮辱し、相手の名誉を傷つけてきた。だが、同盟を結んだ国家の集団をいじめるのは、権力を笠に着て個人攻撃するよりも難しい。西側同盟を一枚岩のままで守ることが、メルケルの最大の目標となった。彼女は世界中の市民に向け、自国中心ではなく世界全体のために行動するよう訴えることになる。 人々に訴えかけて影響を与えようというのは、メルケルのように言葉の力に懐疑的で、その使い方も上手でない人物が自然にできることではない。だが、民主主義が支援を必要とした時、アンゲラ・メルケルは底力を発揮してそれをやってのけたのである。<「プレイボーイ」とリアリティ番組で入念な“予習”> ドナルド・トランプとの初会議に備えるため、メルケルは1990年の「プレイボーイ」誌のインタビューを読んだ。はるか昔のものなのに、発言内容は今と変わらぬ罵詈雑言と“負け犬”への侮辱、そして自己賛美のオンパレード・・・長い時を経て今や世界中がよく知るようになるトランプそのものだった。 当然ながら、メルケルの好む謙虚さはどこにも見られない。それでもインタビューは参考になった。彼の社会ダーウィニズム(適者生存)的な価値観の萌芽が読み取られたからだ。「私は他人を信用せず、敵をたたきのめす(ことが好きだ)」とトランプは誇らしげに語っていた。 また、この古いインタビュー記事から、トランプがドイツに対して奇妙な敵意を抱いていることも読み取れた。当時はまだおふざけだった「もしトランプ大統領が誕生したら、大統領執務室で最初にすることはなんでしょう?」という質問に答えて「この国になだれ込んでいるメルセデス・ベンツに一台残らず税金をかける」と述べている。(中略) ヒトラーが大集会を活用した事実をよく知るメルケルにとって、最もショッキングだったのは、トランプがアメリカの中西部で行った選挙集会だ。とりわけ衝撃的だったのは、トランプが聴衆の怒りの矛先を民主党大統領候補ヒラリー・クリントンに向けさせ、攻撃的な口調で「彼女を投獄しろ! 彼女を投獄しろ! 」とみなが一斉に叫んだ場面である。 ホワイトハウス入りすれば彼もかわりますよ・・・メルケルを安心させるため、ホイスゲンが言った。「彼は決して変わらない」とメルケルは答えた。「選挙で彼を選んだ人々のために、公約を実行するでしょう」。 トランプ時代を生き抜くためには、「謙遜」よりはるかに強烈な資質をいくつも発揮する必要がある・・・メルケルはそのことをわかっていた。まず最初に、最大限の自己抑制を発揮しなければならない。というのも、トランプという人物が世間からの評価を熱烈に欲しがっており、それを得た他人には嫉妬心を燃やすことがわかっていたからだ。
2024.01.25
コメント(0)
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その63):「「宗教の本領」とは何か?」を追記2024-01-19 朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か?よりもちろん、スーパーマンだって「アイデンティティーの危機」には遭遇します。例えば、スーパーマンが活躍して悪人と戦うとき、巻き添えで市民が傷ついたりすることがあります。すると、その犠牲者の家族が「スーパーマンのバカ野郎。この人殺し」と罵ったりすることがある。つねに歓呼の声に迎えられることになれているスーパーマンは、その言葉に深く傷つき、アイデンティティーの危機を迎えて、鬱状態になります。でも、何かのはずみで再びヒーローとして活躍する機会に恵まれ、市民たちから「ありがとう」と感謝の言葉を浴びると、鬱から癒されて、もとのスーパーヒーローに戻る・・・こういう物語を僕たちは飽きるほど見せられてきました。 アメリカの「ヒーローもの」物語のパターンはすべて同じです。「ほんとうの自分に出会うと人間のパフォーマンスは爆発的に向上し、アイデンティティーが揺らぐと無力になる」。そういう話です。「別人になる」という解はないんです。 ときどき、鬱状態のヒーロー(ウルヴァリンとかランボーとか)が山の中とか外国のスラムとかに「隠棲」するというエピソードはありますけれども、それは「別人」になっているわけではなく、一時的に「偽名」を使っているだけで、そのうちに誰かが探しに来て、困難なミッションを託されて、再びヒーロー復活・・・という展開になるのです。必ず。 欧米型ヒーロー物語は「ほんとうの自分の発見」、ほとんどそれだけを中心に展開します。 でも、これまでの東アジア文化圏では、「ほんとうの自分の発見」ということはほとんど問題になったことがありません。さすがに今では欧米の影響で、そういう考え方をする人が増えてきましたけれども、これはせいぜい20世紀後半からの話です。 修行というのは、「連続的な自己刷新」のことですから、「ほんとうの自分」なんていうものはどこにもありません。昨日の自分と今日の自分は「もう別人」であるというのが修行のかんどころです。 教育論でもよく僕は「呉下の阿蒙」の話や、「名人伝」の紀昌の話を引きますけれど、どちらも「長い努力の末、昔の自分とは似ても似つかぬものになった人」の話です。それが東アジアでは「人格陶冶の正しい道」とみなされてきました。何よりたいせつなのは「今の自分」に居着かないことです。だとしたら「アイデンティティー」が問題になることはあり得ません。 修行は東アジアに固有の「自己陶冶」のあり方です。僕は武道修行を通じて、それを実践してきました。 釈先生は僕の武道に向かう態度やあるいはレヴィナス先生に仕える「弟子」の作法を見て、そこに「仏道修行に通じるもの」を感じて、「宗教の本領」という言葉を口にされたのではないかと思います。こんな説明でご理解頂けたでしょうか。2023-12-29 「『街場の米中論』を読んで」より「カウボーイ」が存在したのは、1865年~1890年までの僅か約25年のことで、しかも最下層労働者である「カウボーイ」は、黒人やインディアン、中国人と雑多な人種から形成されていたという事実である。そんな、我々が西部劇で見るような風景と、実際とが全然違うはずなのに、アメリカ人は、カウボーイを「アメリカ的男性のロールモデル」に仕立て上げ、アメリカ人の無意識的な欲望を盛り込まれた幻想的なアイコンになった。 アメリカにおける「カントリーミュージック」の由来は、遅れてきた移民に由来する。彼らには、居住する場所が残されておらず、主にアパラチア山脈の麓に住み始めた。彼らは、「ヒルビリー」という蔑称で呼ばれていた。アメリカには、「レッドネック」、「ヒルビリー」、「オウキー」など特定の白人に対する多くの蔑称が存在する。なかでも「ヒルビリー」については、その情報があまりに少ないせいで、ネガティブな情報だけが独り歩きした。暴力的で大酒呑み。あるいは、閉じられたコミュニティの中でしか生きていけず、近親相〇を繰り返しているなど。これら、蔑称の総称が「ホワイト・トラッシュ」である。 当時、「ホワイト・トラッシュ」に関する映画を調べていたところ、映画評論家の町山智浩の推薦する「脱出」という作品を観た。いわゆるホラー映画ではないが、久しぶりに怖い映画を観た。ストーリーは、男4人組が、カヌーで渓流下りを楽しむために、山深い町で出会うハプニングといったところだろうか。この作品は、山にひっそりと暮らしている「ヒルビリー」に出会ったことから始まる悲劇を描いているといってもいいだろう。 そして、「クライモリ」である。題名は、何となく知っていたのだが、先日WOWWOWで放送されていているのを観た。なんとも怖い映画だった。見終わったあと調べてみると、ウィキペディアには、「ヒルビリーホラー復活のきっかけを作った作品」で、「シリーズ化され、6作目まで制作された。」そうである。 アメリカ人は、「ホワイト・トラッシュ」への自責の念からか、どこかで恐怖を覚えている。「ガース・ブルックス」の登場は、1989年である。1989年といえば、ベルリンの壁が崩壊し、12月3日のマルタ会談で冷戦の終結が宣言され、アメリカは「冷戦後」に突入する。そんなときに必要だったのは、「あるべきアメリカの姿」だったのではないだろうか。そんな「あるべき姿」として、自分たちが蔑んできた「ホワイト・トラッシュ」への差別を一回捻ったうえで、「カントリーミュージック」に託したのではないだろうか。2023-11-16 月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」より― ウクライナ戦争に続いてイスラエル・ハマス戦争が起こりました。この事態をどう受け止めていますか。内田 強い衝撃を受けました。これまでもイスラエルとパレスチナは衝突を繰り返してきましたが、今回は暴力性の次元が違うと感じます。イスラム組織ハマスがパレスチナ自治区ガザから攻撃を仕掛け、イスラエルは「戦争状態」を宣言して以来、徹底的な報復攻撃を行っています。欧米はイスラエルの自衛権を支持していますが、「これは自衛の範囲を超えている」と批判している国も多くあります。 でも、今回の事態を何と表現すればいいのか、私にも実はよく分からないのです。これは近代的な国民国家間の戦争ではありません。かといって、ポストモダン的な非国家アクターによるテロではないし、単なる民族抗争、宗教戦争とも言い切れない。そのどれでもなく、そのどれでもあるような、複合的な戦いが起きている。このような事態を適切に表現する言葉を私たちは持っていないという気がします。私たちはまず「何が起きているのかうまく説明できず、解決方法もわからない」というおのれの無知と無能を認めるところから出発する必要があると思います。 ただ、イスラエル側の認識には前近代的な宗教戦争や「聖戦」思想に近いものを感じます。今回、ハマスは非戦闘員を含むイスラエル国民を無差別に虐殺しました。これについてネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りましあ。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。 戦時国際法では、攻撃してよいのは敵戦闘員か軍事基地などに限られます。降伏者、負傷者、病人などの非戦闘員は攻撃目標にしてはなりませんし、医療施設も教育施設も宗教施設なども軍事目標にしてはならない。もちろん、実際の戦闘においては、市民や非軍事的な施設が「巻き添えを食う」ことは避けられませんが、それでも交戦時には「巻き添え被害」を最小限にとどめることがすべての軍隊には求められています。 しかし、今回のイスラエルのガザ空爆は敵国の構成員は原理的にはすべて潜在的な戦闘員だという理解に基づいています。たしかに戦闘員と非戦闘員の線引きは困難ですけれども、交戦に際しては、その線引きのために最大限の努力をすることが求められている。自分が殺そうとしている相手が戦闘員か非戦闘員かがわからないときには、引き金を引くことを「ためらう」ことを求めている。それは正義の実現とはほど遠いけれども、犯さなくてもよい罪は犯さない方がいいと命じている。ことは原理の問題ではなくて、程度の問題なんです。 ところが、今回イスラエルは、敵国の構成員である以上、子どもも大きくなれば兵士になるかも知れないし、医療施設で治療を受けた人間は治癒すれば前線で戦うかも知れないという理屈で「子どもも殺すし、病院も爆撃する」ことを正当化している。「ジェノサイド」と呼ばれるようになったのは、そのためです。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.01.25
コメント(0)
図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない「第四章 食を文化として研究する」で、日本食調査を見てみましょう。p129~<海外の日本食調査> 農水省の調査によると、2017年における海外の日本食レストランの店舗数は、前回調査(2015年)の三割増の約11万8千店にのぼるという。ちなみに東京都全体での飲食店数は約8万店である。 日本貿易振興機構(JETRO)が台湾、香港、米国、フランスでおこなったアンケート調査によると、「が愛国料理で好きなもの」の第一位が日本料理、二位が中国料理、三位がイタリア料理であった。また「」の第一位が食事で62.5%であった。 わたしが海外に出かけるようになった1960年代、世界で日本料理店があったのは、旧植民地であった朝鮮半島、台湾と、日本人移民がおおく、ジャパニーズ・タウン(日本人街)が形成されたロスアンジェルス、ホノルル、サンフランシスコ、サンパウロなどの都市にかぎられていた。 食文化研究に着手する以前のわたしは、日本食が世界性を獲得するのは困難であろうと考えていた。世界のほとんどの地域で、肉や油脂、香辛料を多用した料理がご馳走とされているのにたいして、そのような料理の伝統が希薄で、魚と野菜を主役とし、スシや刺身などの生魚料理をご馳走とする伝統的日本食は特殊すぎて、海外で評価されることはむずかしいだろうと思ったのである。 当時の日本の食文化の産物で世界性を獲得しつつあったのは、味の素、醤油、即席麺であった。これらの食品工業の製品は、日本人の食文化をはなれても世界的商品となりえる。しかし、日本の伝統文化の文脈のなかではぐくまれた日本料理の味が、海外で理解されるのは困難だろうと考えたのである。 わたしの予想は見事にくつがえった。1970年代末に、ニューヨークとロスアンジェルスを拠点に、アメリカでスシ・ブームがおこったのである。 その頃には食文化研究を開始していたわたしは、同僚の小山修三さん(現在、民博名誉教授)らとロスアンジェルスの日本料理店の調査をした。さいわい、この調査にはトヨタ財団の研究助成をうけることができた。 1980年に、ロスアンジェルスのリトル・トウキョウという日本人街を中心に50軒ほどの日本料理店を訪問してインタビューや料理の記録をし、日本食に興味を持つ約五百人のアメリカ人に70項目におよぶアンケートを依頼した。アンケートの質問項目には、「日本食」ということばから連想される単語を三語記入してもらう欄があった。回答を集計してみると、「テンプラ」、「スシ」、「テリヤキ」、「サシミ」といった料理名と、「魚」、「野菜」といった食材名が上位を占めていた。 注目されるのは、「健康的(healthy)」、「軽い(light)」、「生(raw)」、「単純(simple)」、「清潔(clean)」、「美しい(beautiful)」ということばも上位を占めていることである。 いっぽう、「アメリカ食」ということばから連想される単語を記入してもらった結果の集計では、「ハンバーガー」、「ステーキ」、「ホットドッグ」というアメリカを代表する食べものが上位三位を占め、「よい(good)」という単語もあらわれるが、「脂っこい(greasy)」、「肥る(fattening)」、「おもい(heavy)」という、油脂を多用するアメリカ食は肥満につながる非健康的な食事であるというイメージをしめす単語が上位を占めている。 栄養過多による生活習慣病が社会問題となったアメリカでは、魚、野菜、米を素材として低カロリー、低コレステロールの日本食が「健康によい食事」と評価されるようになったのである。『座右の銘はない』2:京都大学大サハラ学術探検隊『座右の銘はない』1:梅棹忠夫さんの付き合い
2024.01.24
コメント(0)
図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない「第二章 京大探検部から人文研へ」で、アフリカ調査を見てみましょう。p66~70<アフリカ調査>■リビア砂漠 東アフリカのタンザニアから帰って9ヶ月後の1967年12月には、「京都大学大サハラ学術探検隊」の隊員として、北アフリカのリビアに旅立つことになった。「サハラ」とは、アラビア語で「荒れ地」を示す普通名詞である。それが固有名詞化して、現在のサハラ砂漠という地名になったのである。この探検隊はサハラということばの原義にもどって、サハラ砂漠をふくむ北アフリカの砂漠地帯とその周辺を調査しようということで、「大サハラ」学術探検隊と名乗っている。 さまざまな分野の研究者19名に新聞記者やテレビ取材チームが参加した26名の隊員で構成された大調査隊である。 本体は、4台のランドクルーザーで、アルジェリアからサハラ砂漠を縦断し、西アフリカにいたる2万5千キロを走破する古典的な遠征調査をおこなった。 わたしが参加した別働隊の「人類班・リビア支班」は、リビア砂漠のオアシスに滞在して、農業と遊牧の調査する目的のチームで、梅棹忠夫さんと谷泰さんとわたしの三名で構成されていた。三人とも人文科学研究所の所員であった。この調査当時の谷さんは、わたしとおなじく助手であった。牧畜や西欧文化に詳しい谷さんは、のちに人文科学研究所の所長を務めることになる。 その頃、リビア入国の査証を取得するには、パリのリビア大使館に出頭しなければならなかった。パリへ行くため、わたしは船でウラジオストクに着き、雪のシベリア鉄道全線を8日間乗ってモスクワに到着し、そこから航空機でパリに到着することにした。時間はかかるが、当時それがいちばん安上がりのコースであった。旅費を節約して、その分をリビア調査の終了後、「おもろいこと」に使おうともくろんでいたのである。 パリで日本から飛行機で到着した谷さんと落ちあい、空路アルジェリアの首都アルジェに行き、そこから鉄道でチュニジアの首都チュニスに行き、そこから長距離バスでリビアの首都トリポリに着いたのが1968年1月1日であった。日本からリビアまで、約1ヶ月の旅であった。 谷さんとリビア南部のフェザン地方のオアシスで、砂漠での遊牧とオアシス農業についての調査をした。3月には、そこへ梅棹さんもやってきた。オアシスの村の民家を借りて住み、三人で毎晩討論をしていたので、梅棹研究室の共同研究会がリビアに引っ越ししてきたようなものであった。 滞在時の食事は、わたしが担当していた。魚のない砂漠地帯での生活にそなえて、トリポリで買っておいた干ダラをうまくもどして薄切りにし、オアシスで手にいれたニワトリをつぶして、砂肝とササミを薄く切ってだしたら、梅棹さんにおどろかれた。「石毛は砂漠で刺身をつくりよる」とのちのちまでいわれる羽目になった。 4月のはじめ、梅棹、谷の二人は帰国の途についた。帰ったら、すぐさま新学期の講義や公務が待ちかまえている。わたしは、あと2カ月出張を延期することが可能だった。この残された期間に「なんぞ、おもろいことをしたろう」と考えていた。 そのひとつは、カメラとノートをもっただけで、遊牧民のテントに居候させてもらい、ラクダの遊牧についていったりして、遊牧生活を体験することである。これは「学問的におもろい」ことであった。 もうひとつは、無人のリビア砂漠を縦断して、南のサバンナ地帯であるチャド、ニジェール方面に行くことである。それは北アフリカの沙漠縦断路のなかで、いちばん知られてないルートで、探検の対象とされていた。わたしは「探検家としておもろい」ことをすることにした。トリポリで知り合ったリビア人の実業家の手配で、冒険商人たちが企画した沙漠縦断のトラック・キャラバンに便乗することにしたのである。 地中海貿易でリビアに集荷した世界各地の商品を、海から遠いアフリカ中央部のチャドやニジェールの奥地に運ぶと、数倍の値段で売ることが」できる。そこでリビアの冒険商人たちが、トラックに商品を積んで沙漠を縦断するキャバンを企画することがあるのだ。 わたしの乗せてもらった大型トラックの荷台には、チャドで自動車燃料や自家発電に使用されるディーゼル・オイルをいれたドラム缶20本、食品の缶詰数百ダース、服飾用の日本製のプリント生地、中国製の紅茶などが格納されていた。荷台に、これらの商品を山積みにして、そのうえにチャドでこれらの商品を売りさばく冒険商人たちが乗っている。彼らは日陰で40度以上ある高温の沙漠での強烈な日光と、砂煙にさらされながら旅するのである。『座右の銘はない』1:梅棹忠夫さんの付き合い
2024.01.24
コメント(0)
<満州あれこれR16>『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んでいるのだが・・・このところ集中的に満州関連の本を読んでいるので、その本やメディア情報を集めてみました。・ 映画パンフレット『ラストエンペラー』(1988年刊)・『韃靼漂流記』(1991年刊)・『張学良の昭和史最後の証言』(1995年刊)・『満州の誕生』(1996年刊)・『満州鉄道まぼろし旅行』(2002年刊)・『馬賊で見る「満州」』(2004年刊)・『満州事変から日中戦争へ』(2007年刊)・『マンチュリアン・リポート』(2010年刊)・『カズオ・イシグロ』(2011年刊)・『絶滅寸前の満州語』(2013年9月朝日)・『「満州国化」する日本』(2014年1月朝日)・『太平洋戦争入門』(2016年刊)・『天子蒙塵(1)』(2016年刊)・『天子蒙塵(2)』(2016年刊)・『天子蒙塵(3)』(2018年刊)・『天子蒙塵(4)』(2018年刊)・『日中戦争前夜 絡み合う思惑』(2018年朝日)・『歴史講義満州事変』(2018年刊)・『火の鳥 54』(2020年朝日)・『満州国のラジオ放送』(2020年刊)・『地図と拳』(2022年刊)・『満州国グランドホテル』(2022年刊)南満州鉄道株式会社 経営施設概要R16:『満州事変から日中戦争へ』『満州国グランドホテル』を追加*****************************************************************************<映画パンフレット『ラストエンペラー』>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。今時の映画パンフレットは、だいたい700円くらいするので手元不如意の大使は手がでないのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラー映画パンフレット『ラストエンペラー』2:幻影の王国とスペクタクル映画パンフレット『ラストエンペラー』1:関東軍によってつくられた「満州」という国*****************************************************************************【韃靼漂流記】園田一亀著、平凡社、1991年刊<カスタマーレビュー>より 17世紀の半ば、越前国新保村の竹内藤右衛門ら58名は、松前貿易のために三国浦を船出しますが、航海中暴風のため難破の憂き目に遭い、今の沿海州ポシエット湾の辺り、「韃靼」の地に漂着します。仲間の大半は現地民とのトラブルにより非業の最期を遂げますが、生き残った15名は瀋陽を経て北京に送られ、当局の保護の下、暫し北京滞在の日々を送ることとなります。<読む前の大使寸評>興味深い史実であるが・・・ぱっと見とにかく、漢字の密度が多い文章である。歴史的仮名遣いは丸谷才一さんほどではないけど、読みにくいことこの上ないのだ。amazon韃靼漂流記『韃靼漂流記』7:北京留置の理由『韃靼漂流記』6:北京の見聞談、満州語の紹介『韃靼漂流記』5:奉天官憲の取調べ『韃靼漂流記』4:韃靼国の都・奉天までの旅『韃靼漂流記』3:下手人の素性『韃靼漂流記』2:遭難の状況『韃靼漂流記』1:著者による序言*****************************************************************************【張学良の昭和史最後の証言】臼井勝美編、角川書店、1995年刊<「BOOK」データベース>より関東軍により爆殺された張作霖の長男、張学良。父を敬愛し、頭脳明晰であった彼はまた、プレイボーイと呼ばれ、西洋人と交流する一面も併せ持っていた。西安事件で蒋介石を監禁し国共合作を迫った張学良は、以来半世紀をこえる幽閉生活を送ってきた。そしてついに沈黙を破り、その数奇な生涯と日中に横たわる謎がときあかされた―。張作霖爆殺事件から西安事件までの日中秘話。<読む前の大使寸評>おお この本の発刊時(1995年)、張学良は生きていたのか・・・近代史の生き証人の感があるで♪amazon張学良の昭和史最後の証言『張学良の昭和史最後の証言』5:エピローグp254~257『張学良の昭和史最後の証言』4:満州の政治状況p88~90『張学良の昭和史最後の証言』3:張作霖死亡時の張学良の行動p71~74『張学良の昭和史最後の証言』2:日本訪問p41~44『張学良の昭和史最後の証言』1:プロローグp13~16*****************************************************************************【満州鉄道まぼろし旅行】川村湊著、 文藝春秋、2002年刊<商品の説明>より超豪華特急「あじあ号」でめぐる建国の旅大連、旅順、奉天……。特急「あじあ号」に乗って、満州全都市と三大温泉を巡る架空旅行記。昭和12年当時の資料を元に書き上げた。<読む前の大使寸評>追って記入amazon満州鉄道まぼろし旅行*****************************************************************************【満州の誕生】久保尚之著、丸善、1996年刊<「BOOK」データベース>より19泊20日にもわたる“満鮮支”修学旅行を体験し、卒業後は就職の場を求めて大陸へと渡っていった商業学校の生徒たち。満鉄総裁になった旧友・中村是公の招きで満州を訪れた夏目漱石が、その目でとらえ、書き残したもの。アメリカの鉄道王が日本政府とかわした満鉄共同経営の約束を電報一本で反古にされた「ハリマン事件」の真相など、日本の敗戦とともに消滅した“満州”にまつわる歴史と人の生きざまを掘り起こす。<読む前の大使寸評>副題に「日米摩擦のはじまり」とあるように・・・日本だけが悪者だったわけでもないようです(当然だけど)amazon満州の誕生『満州の誕生』4:ニッポンの帝国主義メカニズム『満州の誕生』3:中国の民族主義『満州の誕生』2:アメリカの陰謀『満州の誕生』1:児玉・後藤の移民政策*****************************************************************************【馬賊で見る「満州」】澁谷由里著、講談社、2004年刊<「BOOK」データベース>より馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>rakuten馬賊で見る「満州」『馬賊で見る「満州」』5:間島地域『馬賊で見る「満州」』4:日清戦争の衝撃『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景*****************************************************************************【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識*****************************************************************************【マンチュリアン・リポート】浅田次郎著、講談社、2010年刊<「BOOK」データベース>より昭和3年6月4日未明。張作霖を乗せた列車が日本の関東軍によって爆破された。一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に昭和天皇は激怒し、誰よりも強く、「真実」を知りたいと願ったー。混沌の中国。張り巡らされた罠。計算と誤算。伏せられた「真実」。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenマンチュリアン・リポート*****************************************************************************【カズオ・イシグロ】平井杏子著、水声社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー作(『遠い山なみの光』)から最新作(『夜想曲集』)までの全作品をとりあげグローバルな作家の全貌にせまる。本邦初のイシグロ論。<読む前の大使寸評>カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは2017年であるが、2011年にこれだけの本(本邦初のイシグロ論とのこと)が出ていたことに驚くわけでおます。amazonカズオ・イシグロ『カズオ・イシグロ』2:幻想の上海租界*****************************************************************************<絶滅寸前の満州語>6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。絶滅寸前の満州語byドングリ*****************************************************************************<「満州国化」する日本> 京大人文科学研究所長・山室信一さんががインタビューで「一元的な政権が米国の傀儡の性格を強めている」と説いているので、紹介します。(2014.01.10デジタル朝日から転記) かつて中国の東北部に、13年間だけ存在した「国」があった。満州国と呼ばれたその国は、高い理想を掲げながら、矛盾と偽りに満ちていた。安倍政権の誕生から1年を経た今、山室信一さんは「いま進んでいることは、日本の満州国化だと思っています」という。2014年の日本は、あの国とどこが似てきているのだろうか(長くなるので省略、全文はここ) 「満州国化」する日本山室信一2014.01.10*****************************************************************************【太平洋戦争入門】洋泉社編、洋泉社、2016年刊<「BOOK」データベース>より満州事変からポツダム宣言受託まで太平洋戦争の全貌に迫る!15年にわたる「戦争の時代」を1年ごとに徹底解説!【目次】はじめに いまこそ知りたい「戦争の時代」の真実/第1章 なぜ開戦は避けられなかったのか?開戦目前!日米英中ソの思惑と世界情勢(日露戦争の勝利を列強はどう見たのか/第一次世界大戦参戦と拡大する領土 ほか)/第2章 満州事変から終戦までの15年間を1年ごとに徹底解説 1931-1945太平洋戦争の全貌(31年 満州事変、はじまる/32年 五・一五事件が起こした波紋 ほか)/第3章 建国から崩壊まで、その知られざる真実に迫る 王道楽土・満州帝国の実像(日本の大陸進出と日清戦争/日露戦争での勝利と満州への進出 ほか)/第4章 歴史を動かした日本の指導者たち 太平洋戦争人物列伝(石原莞爾/板垣征四郎 ほか)<読む前の大使寸評>日本はなぜ遅れながらも帝国主義を追い求めたのか? なぜ太平洋戦争開戦は避けられなかったのか?・・・という視点で読んでみようと思うわけでおます。rakuten太平洋戦争入門『太平洋戦争入門』3:拡大する日中戦争『太平洋戦争入門』2:満州事変後の日中戦争『太平洋戦争入門』1:張作霖爆殺事件あたり*****************************************************************************【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口*****************************************************************************【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)『天子蒙塵(2)』1:馬占山が張作霖を回顧するあたり*****************************************************************************【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>おお 著者の『蒼穹の昴』に摂り付いて以来、ついに「日中戦争」前夜まで辿りつくことになるのか♪<図書館予約:(3/25予約、6/11受取)>rakuten天子蒙塵・第三巻『天子蒙塵(3)』2:ヌルハチ公神話を語る主人公『天子蒙塵(3)』1:ヌルハチの伝説*****************************************************************************【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)『天子蒙塵(四)』1:冒頭の語り口************************************************************【歴史講義満州事変】 倉山満著、ベストセラーズ、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。世界最強の大日本帝国を滅ぼした要因!現代日本の病巣の全てがここにあった!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歴史講義満州事変************************************************************<日中戦争前夜 絡み合う思惑> 『浅田次郎さんの「蒼穹の昴」第5部が完結』という朝日の記事を、紹介します。(浅田次郎さんの記事を12/02デジタル朝日から転記しました)日中戦争突入を前にした中国を描く浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結した。1996年から続く「蒼穹の昴」シリーズの第5部。満州国皇帝の座に就こうとする溥儀と、欧州から上海に帰った張学良。2人が歴史の表舞台に出ようとする激動の中、絡み合う日中の思惑があぶりだされる。 「第5部まできましたが、シリーズは続きます」。あと2部で5巻ほど、という見通しを立てている。「どこからでもいい。おもしろければ、最初から読んでいただけたら」 「蒼穹の昴」シリーズは、西太后が権力を握る清朝末期を舞台にスタート。『珍妃の井戸』『中原の虹』と続き、第4部『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件を扱った。第5部では、欧州に向かった張学良が上海に帰還し、刺客たちを返り討ちに。清朝最後の皇帝溥儀は、満州国で再び皇帝の座に就こうとする。関東軍では東亜連盟を構想する石原莞爾が勢いを増していく。それを持つものは世を統率する力を持つ、とされる「龍玉」の伝説も、随所に織りこまれる。 シリーズ累計530万部超。第4部まで文庫本で10冊。第5部は単行本4冊、という破格の規模で、近代の中国と日本の分かちがたい関係を浮かび上がらせてゆく。中国には40回ほど渡った、という浅田さん。最初に取材目的で渡った20年ほど前は、いまほどの経済大国になるとは考えていなかった。「中国そのものが変わっていっている。いろんな意味で、このシリーズは早く書けません」「人も街も画一的ではなく、なぞが多く、奥が深い」と中国を評する。中学の頃から漢文の美しい言葉にあこがれるようになり、10代の頃からこつこつと通史などを学んできた。中国出身の担当編集者は「偏らない見方で、日本と中国が描かれている。知らなかったことも多く、読みながら歴史を知る思いです」と言い添える。■96年から刊行「シリーズ続く」「早くは書けない」 シリーズで一貫して描かれているのは不屈の人々。波乱の人生を送った張学良は、100歳まで生きた。最新刊では「嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ」と、溥儀を幼い頃から支えてきた人物が語る最終盤の場面が印象深い。 そんな精神の強さは「負けず嫌い、ということで生きてきたようなもの」という自身の歩みとも重なる。 例えば、出版不況ということも安易に信じない。「時代のせいにしたら、終わりです。本が売れなくなった背景に、刊行点数が多すぎ、内容もよくない本が目立つようになったことがある。もっと、いい本をつくっていかなくては」。そのうえで「子供が最初に出合う本がつまらなければ、もう読まなくなります」と将来を見据える。 「いい小説というものは、分かりやすく、美しく、おもしろく」と3ヵ条を示す。根っこにあるのは、小説の神様の存在を信じる思い。小説とは考えて書けるものではなく、素材そのものが落ちてくるものという。それも若いからいただけるのか、と考えていたが、「意外とジジイになっても降ってくることが分かりました」と明かす。 もうすぐ67歳。「贈りものを受け止められるよう、一定のテンションに張り詰めていく努力はしております」(聞き手・木元健二)日中戦争前夜 絡み合う思惑2018.12.02*****************************************************************************<火の鳥 54>このところ新聞のスクラップとその記事のデジタル保存に勤しんでいるが・・・なにしろ、コロナウィルス対応の自粛で読む本に事欠いてきたので、連載中のこの「火の鳥」を読んでみようかと思い立ったわけでおます。デジタル朝日の記事をコピペしたので見てみましょう。2020年5月23日火の鳥 大地編:54より〈四章 東京 その七 赤い夕日の満州国〉の続き。要造は、火の鳥調査隊の4代目の隊長として、保の息子で陸軍少尉の緑郎を指名。家庭内のゴタゴタもあって、緑郎を自分と重ね、思い入れを強めるのだった。緑郎がタクラマカン砂漠に向かった後、石原莞爾、山本五十六とともに要造は「鳳凰機関」として、相談を重ねる。一方、日本国内では、軍部や右翼団体によるクーデターやテロが相次ぎ、不穏な空気が漂っていた。要造の継母・雪崩も標的となる。火の鳥 53この連載小説の背景ともいえる満州に関しては浅田次郎さんの日中戦争前夜 絡み合う思惑がお奨めです。*****************************************************************************<『満州国のラジオ放送』>図書館に予約していた『満州国のラジオ放送』という本を、待つこと3ヵ月ほどでゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。【満州国のラジオ放送】代珂著、論創社、2020年刊<商品の説明>より満州国のラジオ放送の実相に迫る。本邦初公開の資料なども駆使して、満洲国でのラジオ放送内容、番組構成、機能と効果、文化形成に対するラジオ放送の影響などを検証。メディアとしてのラジオの役割を当時の文化状況に迫りながらラジオ放送の機能とその効果の検証を試みている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。<図書館予約:(2/26予約、5/20受取)>amazon満州国のラジオ放送***************************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳***************************************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル
2024.01.23
コメント(0)
図書館に予約していた『満州国グランドホテル』という本を待つこと1ヶ月ほどでゲットしたのです。手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル著者・平山周吉さんの「小津安二郎」が大佛次郎賞を受賞したが、この際同氏の「満州国グランドホテル」が気になるのです。勝手ですが、村上春樹の名が見られるあたりから、見てみましょう。p379~382<第27回 「事件記者」島田一男と「ねじまき鳥」村上春樹の「国境線へ行く」>「新聞のハルピン特派員だった私にとって、昭和14年は実に憂鬱な年であった。満州事変以来、幾度か戦闘に従軍し、いつでもノウノウと戦勝の美酒に酔っていたのだが、その年初めて負け戦のみじめさを嫌というほど味わされたのだ。ノモンハン事件である。 5月11日、日ソ両軍が蒙古の大草原で激突した。翌日、私はハイラルに飛んで、機械化部隊の榊原兵団に従軍して第一線に出ていたのだが、これは惨憺たる戦いであった。火炎放射器の猛攻を受けた戦車の中には、焼き鳥のようにクルクルッと丸まった友軍兵士の死体が転がっていた。ピアノ線と称する新式の鉄条網には、無数に日本兵の戦死体がぶら下がっている。完敗だった。私は、敗残部隊とともに、リュックも、水筒も捨て、蹌踉としてハイラルへ逃げ帰らねばならなかった」 かつてNHKで「事件記者」という長寿番組があった。昭和30年代の人気ドラマで、警視庁詰めの記者たちの群像ドラマである。私が記憶しているのは記者たちが夜な夜な集まる小料理屋「ひさご」のシーンだけしかない。 ドラマの影響で新聞記者となった人は多く、その中には池上彰もいた。その「事件記者」の作者が推理小説作家の島田一男である。島田が戦前の記者時代を回想した『中国大陸横断 満州日報時代の思い出』の中に、上記のノモンハン従軍の一節が出てくる。 島田は満州事変の年に満州日報に入社した。24歳だった。「学校ルンペンの私も、新聞社の空気が性に合ったのか、終戦で会社がつぶれるまでの十余年間を勤続することが出来た。この間の記者歴も、半分は社会部記者で、半分は従軍記者であり、陸海軍の報道班員であった」と自筆年譜に記している。ノモンハン事件は思い出したくなかったのか、『中国大陸横断』での記述はこれだけである。 その代わりというわけではないだろうが、昭和10年(1935)に満州国と外蒙政府との間で行われた国境会議の取材余話を書いている。ノモンハン事件は草原地帯の国境線不確定が原因で起こった、日満両軍とソ連・外蒙古軍との間の戦争だった。「いうなれば、昭和十年から二、三年間は、張鼓峰・ノモンハンの大噴火を控えての鳴動期であり、延々6千キロにわたる国境線は、重っ苦しい戦雲に包まれていたのであった」。 島田はソ連との国境・満州里への出張を命じられる。「満州里といえば満州国北西の国境の町だ。私のいた大連からは、満鉄自慢の特急と万国寝台列車(ワゴン・リー)を乗り継いでも丸二昼夜はかかる」。相棒はいつもの山口晴康写真部長だった。「八時を過ぎると、武装した国境の町は、真夜中のように静かになる。この不気味な静寂は、陸の国境を持っていない日本にいては、ちょっと想像もつかないだろう。静かだが決して眠ってはいない。スパイが、密輸業者が、新しい天地を求める脱出者が、目を血走らせて、越境の機会を狙っている。そして、トンガリ軍帽のソ連兵と戦闘帽の満軍兵士とはたがいに越境者を警戒して、闇の中で銃を構えているのだ。 どこからか、哀情切々たる蒙古の古い民謡が、むせぶように流れて来た。唄っているのは[国境会議の満州国側]代表の一人、興安北省省長の凌ショウ氏だった。浅酌低唱開かれぬ会談の無聊を自ら慰めているのか、丸い童顔の凌ショウ氏は壁にもたれて片膝を立て静かに眼を閉じて唄い続けていた・・・」 何日待っても会議は一向に始まらなかった。ソ連側の焦らし作戦らしい。代表の凌霄からは、自分が護照(身分証明の公文書)を書いてやるから、ダライ湖、ボイル湖を観光してくるといい、と親切な申し出があった。「行こう。・・・外蒙国境を走る・・・、ちょいとハッタリをきかすと、きわ物のいい読み物が出来るぜ」と即決した。島田と山口は凌ショウから、「ゴシャゴシャと漢字と蒙古字を書き並べ、大きな判を、ベタベタといくつも押した黄色い唐紙の護照」をもらった。代表のもうひとり下村信貞参事官は蒙古旅行の経験があり、細々と注意をしてくれる。「第一に、飲用水を充分に用意して行くこと・・・、蒙古では、水は金よりも貴いのだから、ちょいと飲ましてもらうというわけにはいかない。次に食料・・・。パンをたっぷり持って行くこと。普通の食パンは固くなるから、ロシア式の黒パンがいいだろう。それから、毛布を一人あて三、四まい・・・。沙漠の夜は、ものすごく冷える・・・。最後にだな、蒙古女にはくれぐれも気をつけること・・・。蒙古梅毒はおっかねエぞ。こんなものをしょわされたら、一生台なしだ。護照がモノをいうんだよ。それにね、どういうもンか、蒙古人は日本人が好きなんだ。女がね、勇敢な日本人のタネをくれと押しかけてくる。やに下がっていると、大事なものがとろけちゃうぞ」 下村参事官の注意を拳拳服膺して、車で出発である。運転手は満州里ホテル(ロシア家屋を改造した日本式旅館)のロシア人客引きグリコフが引き受けてくれた。車はというと、「馬に乗れない満州国皇帝陛下が、閲兵する時に使うような四角ばった黒塗りのオープン・カー」で、車体はロールス・ロイスだが、エンジンは不明、タイヤは継ぎだらけというシロモノである。それでもバルガ大草原を快調に進んだ。「突然、ダダダダッ・・・、静まり返った空気をひき裂いて、銃声が響いた。四、五十メートル前方から、弾着の土煙が、シュシュシュッと、稲妻形にのびて来る。キューンとグリコフが急カーブを切った。おんボロ自動車が、尻を跳ね上げて突っ走る。幸い、銃声は続かなかった」 軽機関銃を射ってきたのは外蒙古の国境警備兵だった。射たれた場所は国境の西方、つまり外蒙でなのだから、射たれて当たり前だった。国境といっても、広い野っ原に標識一つあるわけでない。外蒙兵も本気では射たなかったろう。「放牧の羊や馬は、悠々と満州外蒙両国の草を食っている。これじゃ、越境した、侵入したといって、ことごとに騒ぎ立て、銃砲をぶっ放し、国境紛争だ・・・といきり立つ方が、無理なんじゃあるまいか、わたしはそんな気持がしてきたのだった」 島田のこの感想はノモンハン事件以前に持ったのか、以後だったのか。いずれにしても、ノモンハン事件の無益を暗に批判している。
2024.01.23
コメント(0)
図書館で『モンゴル最後の王女』という本を手にしたのです。最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。【モンゴル最後の王女】楊海英×新間聡著、草思社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルダイと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。そして、あの文化大革命が始まるー。著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。<読む前の大使寸評>最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。rakutenモンゴル最後の王女「第四章」で、失敗を繰り返す中国の政策を、見てみましょう。p157~161<第四章 モンゴル高原にのしかかる中国の黒雲>■生態を無視した深耕作業 1958年(昭和33)5月から、中国を社会主義社会に改造し、生産の大飛躍を目指す「三面紅旗運動」が開始された。三面とはこれまで推進されてきた総路線・大躍進・人民公社を、新生中国の国旗である紅旗三本に見立てたものである。また思想面、生産面、技術面での改革、改造を、より強化しようというものであった。 中国の未来の夢を語り、人民のやる気をひき出すはずのこれらの政策が、各分野の専門家に適切な指導をうけていたら、その後、大きな挫折に遇うことはなかったかもしれない。 農業を基礎に、工業を導き手とする発展戦略も、人口の8割までが農民の中国では、当然のいき方だったろう。それにしても先を急ぎすぎたようだ。知識と技術の蓄積を軽くみて、政治教育と思想教育を優先したところに、地方幹部の独善性が生まれ、失敗をくりかえす原因があった。 土法高炉による鉄鋼増産運動にしてもそうである。たとえ小さな規模にしろ、鉄鋼石や、ひろい集めたくず鉄を原料にし、コークスを燃料にしたキューポラまがいの炉ならまだいい。なにせ人件費をいれないのだから、精錬にたえる粗鋼が生産できれば、それはそれでよかったのだろう。 しかし、イギリスに追いつけ、追いこせとばかり、中学校の校庭や工場、役所の空き地に、石焼きいものカマに毛のはえた程度のものを、いくらたくさんつくったところで、近代工業に役立つ粗鋼ができるわけがない。 ・・・中国にはハエやカが一匹もいなくなった! と、進歩的文化人といわれる人たちの話が、日本のマスコミに登場したのもこのころである。 1957年から全国的に展開された「四害撲滅」運動の成果が、社会主義中国の勝利として伝えられたのだ。四害とはスズメ、ネズミ、それにハエとカをさし、農業と公衆衛生に害をなす«悪»として、撲滅の対象となった。「解放」前の中国では、当時«東洋の不夜城»を誇った国際都市・上海でも、ハエやカの大群は珍しくなかった。街なかの小さな店で、湯麵をすすっていても、ちょっと箸をやすめたとたん、汁のついた箸の半分が、たちまちハエの群れに占領され、まっ黒い棒に一変する。 夏の夕暮れどき、庭先であくびでもしようものなら、蚊柱を立てて飛びまわるなかの一、二ひきが、口のなかに飛びこんでくる。まずはハエやカの天国といってもよかった。 そんな経験をしたことのある日本人は、新生中国のいぶきにビックリしたものだが、それから30年後、改革・開放下の80年代後半になると、四害は六害にふえ内容もガラリと変わる。賭博、ポルノ、買春、麻薬、婦女誘拐と人身売買、迷信・邪教という社会悪の登場である。 まあ、そんな関係のない話は別にして・・・。ここでは、参加させることに政治・思想教育上の意義がある大躍進時代の«運動»の進めかたを、ひややかに見つめてみたい。(中略) モンゴル高原のウーシン旗での四害撲滅運動の成果も、記録されている。この年の秋から冬にかけて全住民を動員した結果の数字だ。たんねんに勘定したものだが、スズメは127万7千5百羽、ネズミは113万1千2百匹が捕殺された。住民ひとり当たりにすると、スズメは40羽、ネズミは30匹弱トナリ、ウアエとカは数えきれないほど多かったそうだ。 つまり、中国の政治運動とは全員の参加が前提なのだ。シャルリグの人民公社が、1958年冬から開始した農地の「深耕」も、全国の流行に合わせて幹部が音頭をとった運動である。運動だから、幹部は公社員の全員を参加させることに意義を見いだし、公社員である牧畜民は、深耕の意義が理解できないまま、なれぬ重労働にアゴを出した。 だれが決めたかはわからない。ウーシン旗全体では深さ1メートル以上の深耕が240ヘクタール、1メートルは2050ヘクタール、35センチ前後が4270ヘクタールとされた。 シャルリグ公社へのノルマは、深さ1メートルの深耕だった。オルドス一帯の土地は、レンガ色をした黄土層で形成されている。小石まじりの表土を10センチか15センチもはげば、下は何メートルも黄土がつづく。酸性の黄土層をいくら掘り返しても、有機肥料をふんだんに鋤きこまないかぎり、沃土への転換はできない。 しかも冬をむかえ、こおりかけた土は、容易に鍬や〇を受けつけない。体力のあるボロルダイら男性社員でも、こたえる作業だったから、スチンカンルはじめ女性社員らには、苦行といってよかった。その間にも現場会議や、軍事訓練は相変わらずつづく。ウーン、四害撲滅運動とか生態を無視した深耕作業とかわけのわからないものが出てくるなあ・・・とにかく牧草しか生えない土地を、根性で深耕するわけだから。『モンゴル最後の王女』1:王女スチンカンルが生まれた地域
2024.01.22
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************R1<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。*********************************************************R2<21日追記>■輪島市、珠洲市の漁港は1メートルほど地盤が隆起(あるいは陥没)し、冷蔵庫・冷凍庫などの損傷も大きくて・・・この地域の漁業そのものがダメージを受けたようです。■医薬品を揃えたモバイル・ファーマシーが有効であるが、その車が少ないとのこと。■在宅避難が多いとのことで、避難が多様化している・・・通信状況が悪いので安否不明者がなかなか減らない。■地元に残るか二次避難所へ移るか苦渋の決断が求められているが・・・家屋近くや郷土から離れたくないのが、北国の控えめな人たちの心情なんでしょうね。■二次避難所は安心できる場所だという情報提供、地域がまとまって移住できるという施策が肝心なのでは。■熊本地震では空き巣被害が1年以上つづいたそうで、息の長い防犯体制が求められるとのこと。■罹災証明書のデータシステムが19日にスタートしたそうで、お役所の立ち上がりはこんなものかも。■穴水町が受け取っている災害廃棄物は、通常の廃棄物の30年分発生したとのこと。■障碍者向けの福祉避難所も少数にはあるが、スタッフの確保が難しいのでうまく機能していない。
2024.01.22
コメント(0)
今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・満州国グランドホテル・ちょっとケニアに行ってくる・メルケル 世界一の宰相<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>著者・平山周吉さんの「小津安二郎」が大佛次郎賞を受賞したが、この際同氏の「満州国グランドホテル」が気になるので図書館予約したのです。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル【ちょっとケニアに行ってくる】池田正夫著、彩流社、2020年刊<「BOOK」データベース>より大胆不敵、無謀、無計画!40年以上、世界各地を飛び回りケニア人と結婚。レストランの客は大統領から他店のスパイ、詐欺師まで。日本を飛び出し世界を飛び回った男の、汗と笑いの人生奮闘記!<読む前の大使寸評>パリから南仏へ、さらにはアフリカへと、フランス語もままならぬ著者はケニア人の伴侶とともにレストラン経営に邁進したようです。rakutenちょっとケニアに行ってくる【メルケル 世界一の宰相】カティ・マートン著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より世界で最も権力を持った女性宰相メルケル。その想いと人生を描き切った決定的評伝。<読む前の大使寸評>東独生まれで物理学を学び、35歳で政治家に転身、51歳で初の女性首相へ。ドイツをEU盟主へ導き、トランプ、プーチン、習近平ら独裁者たちとも渡り合った・・・と、表紙の裏に書いてありました。rakutenメルケル 世界一の宰相
2024.01.21
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在12位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在281位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在195位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在93位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在75位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在269位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在29位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在21位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在9位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在85位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)現在70位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・絲山秋子『御社のチャラ男』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・川添愛『世にもあいまいなことばの秘密』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』・養老孟司『形を読む』<予約分受取:10/28以降> ・有川ひろ『旅猫リポート』(10/27予約、10/28受取)・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)・満州国グランドホテル(12/20予約、1/20受取)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.01.21
コメント(0)
図書館で『モンゴル最後の王女』という本を手にしたのです。最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。【モンゴル最後の王女】楊海英×新間聡著、草思社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルダイと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。そして、あの文化大革命が始まるー。著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。<読む前の大使寸評>最後の王女もさることながら、漢民族の採る少数民族政策が気になるのでチョイスしたのです。rakutenモンゴル最後の王女「第一章」で、王女スチンカンルが生まれた地域から、見てみましょう。p33~37<第一章 黄金家族のたそがれ>■チンギス・ハーンの末裔 王女、スチンカンルの生い立ちをたどる前に、まず地理学的な説明から入るとしよう。 内モンゴルとは、中華人民共和国の「内蒙古自治区」の通称である。西と北部で(外)モンゴル国と、東北部ではロシアに接する面積110万平方キロメートルの地域で、自治区の首府は北京から空路約1時間のフフホト市である。 中国の「自治区」は「省」と同等の権限をあたえられた行政区画であり、行政府の長はその地区を代表する少数民族のなかから選ばれるが、実権を握る共産党書記は必ず中国人でなければならない。内蒙古自治区もそのひとつで、中国にはこのほかに寧夏回族自治区、新疆ウイグル自治区、広西壮族自治区と西蔵(チベット)自治区の合計五自治区がある。 2019年9月時点で、人口約13億に達している中国だが、約91.5パーセントを漢民族が占め、残りは55の少数民族から成っている。少数民族でも比較的に人口が多く、古くから居住密度の高い地域が自治区とおもえばいい。本書が描く文化大革命のとき、内蒙古自治区にはおよそ150万弱のモンゴル人が暮らしていたが、中国から入植してきた中国人は1300万人に膨れ上がっていた。自治区とは名ばかりで、あらゆる権力を外来の中国人に掌握されていた。 自治区の首府フホホトから西に120キロ、包頭で汽車を乗り換え、黄河を渡って南へおよそ100キロ下ると、イケジョ・アイマクの東勝市に着く。アイマク(盟)という内モンゴルの行政単位は、日本の府県に相当する。東勝市はイケジョ・アイマクの盟(県)庁が置かれている同地方最大の都市である。 モンゴル人のスチンカンルが生まれ育った土地は、ここからバスで300キロの道を西南に下ったウーシン旗のシャルリグという村である。旗もモンゴル独特の行政単位で、日本の郡にあたるか。 飛行機ではなく、北京駅から大同、フホホトを経由して包頭、さらに東勝まで汽車を乗り継ぎ、そこから、夜は運転手も仮眠をとるという長距離バスの旅路をゆけば、三日半はかかる行程となる。 イケジョ・アイマクの一帯を、中国では古くから河套地区と呼ぶ。大きく湾曲した黄河に囲まれているからだ。が、日本人にはオルドスといったほうが、とおりがいいかもしれない。世界史的にもまた、オルドスの方が広く知られている。 チベット高原の青海省から流れ下ってきた黄河は、甘粛省の蘭州で流れを大きく北へ変え、寧夏回族自治区の首府、銀川を貫流して、内モンゴルへと北上する。そしてイケジョ・アイマクを取りかこむように、凸の字の上半分の形さながらに蛇行し、山西省に南下する。 スチンカンルが生まれたウーシン旗のシャルリグは、このオルドス高原の最南端に近い。緯度からいえば、ほぼ北緯38度線上にある。南にはオルドス南部の大高原を深く切りひらいた無定河が流れ、さらにその南はるか彼方には、陝西省との北を画する万里の長城がつらなっている。 秦の始皇帝以来、長城以南が中国農耕民族の領土で、北のモンゴル高原が騎馬遊牧民の地、と考えられていたとすれば、ここオルドスはつねに両者の勢力が相接する最前線でもあった。 モンゴル人の住居、とくに草原を拠点に遊牧する牧畜民の家は、解体、移動に便利なフェルト製の円形テントで、モンゴル語ではゲルといい、満州人と日本人は筒(パオ)と詠んだ。だからモンゴル人の家と聞くと、たいていの人は「あー、あの、まんじゅう型のテントか」とおもう。 だが、いまのオルドス地方ではゲルが姿を消し、人びとは日干しレンガかレンガ作りの固定家屋に住んでいる。草原の一角にゲルがならび建っているとすれば、それは観光用の宿泊設備であろう。もっとも、内モンゴルでも東北部から中部の草原では、ゲルに住んで放牧生活を送るモンゴル人も少数ながらいる。
2024.01.20
コメント(0)
<二十四節季の大寒に注目(復刻3)>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。今年の冬は暖冬と言われていたが・・・さすがにこの時期の寒さは厳しいのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり蕗冬華この本で、大寒のあたりを見てみましょう。和暦p5<大寒>二十四節季が新たに始まる直前の節気 「大寒」は、現行の暦では1月21日ころ、第1日目を迎え、立春(2月4日ころ)に入る前日までとなっている。前節気「小寒」からは「寒」に入っており、寒明けと同時に「大寒節気」も終わる。寒が明けると、暦の上では「春」になる。 寒の入りは、前節気「小寒」から始まっているが、手が切れるほど冷たい「大寒の水」には、その清らかさのために霊力があると考えられていた。 朝の水は1年間腐らないとも言われ、容器などに汲み保管し、薬を飲むときや祝い事の料理に使う家庭も少なくないという。寒の水は、酒造や化粧水にも用いられている。 1年で最も寒さが厳しいとされる「大寒」を『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。 また、寒の厳しい最中の鍛錬は、心身共に向上するとして、武道では「寒稽古」が行われる。加えて、「寒施行」も寒中の独特の行為だ。 これは餌の乏しい寒中に、野の動物に与えることだが、これは「放生会(ほうじょうえ)」を行う仏教の影響のようだ。ちなみに「放生会」は、殺生を戒め生き物を野に放つ仏事で、秋の季語になっている。 大寒の期間の七十二候は、次の通り。 初候は「蕗冬華(ふきのはなさく)」蕗の薹が蕾を出し始める。 次候「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」沢に氷が厚く張りつめる。 末候は「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」鶏が卵を産み始める。 寒中の微妙な気候の変化が読み取れる。二十四節季の小寒に注目(復刻)二十四節季の冬至に注目(復刻)
2024.01.20
コメント(0)
図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「第三章 世界史の謎」で秦の始皇帝のあたりを、見てみましょう。p91~93<秦の始皇帝が焚書坑儒を行ったのはなぜ?>■最初に直系家族が生まれた地域 では、直系家族が歴史において最初に生まれたのはどの地域でしょうか? オリエントと中国華北部です。このうち、中国華北部について見てみましょう。 アジアには現在、中華人民共和国という大国が存在しています。この中国とロシアが、「外婚制共同体家族国家」の典型であることは、トッドが『第三惑星』で指摘しているとおりです。 中国に最初の外婚制共同体家族国家を築き上げたのは、秦の始皇帝でした。彼は、焚書坑儒を行ったことでも知られていますが、なぜそのようなことを行ったのでしょう。 トッドは、中国の華北地方では、春秋戦国時代、『三国志』の時代には直系家族社会が成立していたと考えています。おそらく、華南や華中に比べて土壌の肥沃さにおいては劣る華北では直系家族が生まれやすかったのだと思われます。 ところで、直系家族は、タテ1本の家系を守って、平等原理は持ち合わせていませんから、横に連帯して大きくなるということはありません。日本でいえば藩、豪族、ヨーロッパではクランのサイズで、小那分立という形をとります。ドイツも、ドイツ帝国と名乗るまでは長くその形でした。春秋戦国の時代もまさにそうなのです。 また、直系家族においては権威と権力の分離を伴いますが、これも、春秋時代の初期においては、すでに観察できます。晋が韓・魏・趙に分裂する前には、権威はいちおう晋王にあるけれど実際の権力は後の韓・魏・趙の諸侯に分有されていたといわれますが、これなどまさに直系家族的国家でなければ見られない現象です。 また、この時代に成立した孔子の『論語』も、「親に孝」「君に忠」「学んでときにこれを倣う」等々、直系家族の原理を敷衍したような訓話集でした。 そうした直系家族的な小那のところへ、遊牧民の匈奴(フン族)が襲ってきます。このころの遊牧民は、平等主義的傾向を持った起源的核家族の集団ですが、大勢の騎兵、歩兵を細かく動かすたくみな戦法に長けていました。破壊力はあるけれども鈍重な小那の戦車部隊では太刀打ちできないと、小那の一つである秦は考え、敵の戦い方を模倣します。 その戦法を用いて、小那群をとりまとめ、一大帝国に築き上げたのが、秦の始皇帝でした。始皇帝は、大勢の人間が横一線に並んで協働するという遊牧民のスタイイルに、直系家族由来の父親の権威性を加えて、共同体家族国家を確立させたのです。 始皇帝は、この共同体家族原理を発動させると、今度は、直系家族原理の撲滅に手を染めます。それが焚書坑儒です。書物に目を付けたというのは、知識の集積を絶つということです。自らの独裁権力のみで大勢の人間を従えるためには、よけいな知識や思想は邪魔なのです。そういう意味では、始皇帝は、トッドの家族類型論を、2200年も前にすでに理解していたわけです。 追い詰められた直系家族の思想は、朝鮮半島を経由して日本に到達します。これがなければ、日本の直系家族化はもっと遅くなっていたかもしれません。中国で『論語』は消えて、韓国で生き返り、さらに日本に伝わります。直系家族社会の日本の、直系的な組織である会社で、いまも『論語』が指針の一つであるのは、こうした経緯によるのかもしれません。『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』4:秦の始皇帝が焚書坑儒『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』3:トッド理論の基礎『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』2:ドイツ・日本型の家族システム『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』1:エマニュル・トッドとは何者か
2024.01.19
コメント(0)
図書館で『座右の銘はない』という本を手にしたのです。おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>おお “鉄の胃袋の持ち主”と評される石毛直道さんの自叙伝てか・・・ええではないか♪rakuten座右の銘はない京大探検部の顧問には今西錦司、梅棹忠夫、中尾佐助、川喜多二郎さんらが名を連ねていて、文化人類学学界とでもいえる有り様だった。「第二章」で、著者と梅棹忠夫さんの付き合いを見てみましょう。p54~57<第二章 京大探検部から人文研へ>■梅棹研究室 梅棹忠夫さんとのおつきあいは京大探検部の学生時代にはじまり、人文科学研究所、国立民族学博物館と、半世紀以上つづいた。 アジアやアフリカなどで探検や登山をかさね、生物学の基礎の上に動物社会学、文化人類学、情報学、比較文明学の研究をしてきた梅棹さんは、専門領域の枠を超えた知の巨人だった。 私の学生時代、京大の近くに住んでいた梅棹さんは、毎月第一、第三金曜日の晩に自宅を開放して、「金曜会」とか「梅棹サロン」とよばれる会をひらいていた。この会には誰でも訪れることができたが、登山や短剣、人類学に興味を持つ若者たちが常連で、のちに学界やジャーナリズムで活躍するおおくの人材が「梅棹サロン」で育てられた。 金曜日に、梅棹家の夕食がすんだ頃に集まり、応接間で梅棹さんと話をするのだが、参加者は冷蔵庫からビールを勝手にとりだして飲み、明け方近くまで議論をするのであった。大酒飲みの貧乏学生であったわたしは、ビール飲み放題の魅力にとりつかれ、梅棹サロンの常連となった。 梅棹邸に出入りするようになった初期に聞いたことばで忘れられないのは、「若者は牙をむきだせ」といわれたことである。 平和で安定した現代社会では、イノシシが牙をむきだして猪突猛進するような行動は必要なく、牙をふりまわされたら迷惑でもある。しかし牙を失ったイノシシはブタになってしまう。「おまえたちはブタにはなるな!」と梅棹さんが学生たちを扇動したのである。(中略) いっぽう、「梅棹サロン」の常連たちも文化人類学の勉強会をつくっていた。空想人類学科設立案に関わった研究者とサロンの参加者が合流して、1964年、私的な自主講座「京都大学人類学研究会」が発足した。毎週水曜日の夜、近衛通の楽友会間に集まって開催するので、この会は通称「近衛ロンド」と呼ばれた。ロンドとはエスペラント語で「集まり」の意味だ。 梅棹研究室は近衛ロンドの事務を担当することになった。1970年、近衛ロンドが学術誌『季刊人類学』を発刊すると、わたしは編集事務をおこなうことになった。 助手のわたしは、月曜は共同研究会、水曜は近衛ロンドの準備で大忙しであった。人文研での共同研究は、今西教授時代からの「人類の比較社会学的研究」が一段落し、梅棹さんが研究代表者を務める「重層社会の人類学的研究」がはじまった。この共同研究会には他大学から参加する共同研究者もおおく、一時は20人近くが集まる研究会となった。 この時期の忙しさは充実感を伴うものだった。刺激的な議論がおおく、第一線の研究者による知的生産の現場に居合わせている快感があった。「文明の生態史観」で注目を浴び、総合雑誌への寄稿などでマスコミにもおおく東条していた梅棹さんのもとには、毎日のように来客があり、SF作家の小松左京さんもよく来られていた。この関係が後に大阪万博の基本構想づくりにつながり、小松さんとわたしの交遊も生涯続くのだが、それについてはあとで述べることにする。 梅棹さんは文化の比較研究をしながら、人類全体の将来や文明の未来について考え、普遍性のある大きな理論を構築したいと願っていた。1969年からは「文明の比較社会学的研究」という共同研究が始まり、わたしも参加した。その後、民博でも文明学の共同研究が続けられた。わたしが食文化研究をはじめたとき、まず、全世界と人類史を視野にいれた「食の文明論」を考えたのは梅棹さんの影響である。 借り物の知識より、自分で調べて独創性のある論を組みたてることをもとめた梅棹さんは、なによりもフィールドワークを重視した。わたしは梅棹研究室に約5年在籍したのだが、そのうち20カ月は海外調査に出かけていた。長期間研究室を空ける助手を、梅棹さんはいつも快く送りだしてくれた。 梅棹さんは、教育きらいで、大阪市立大学で助教授として生物学を講じていたときも休講がおおかったという。教師と生徒という環境で、一方的な知識の切り売りをするのはいやな賤業だが、自分に牙をむいて立ち向かうような若者と話すのは楽しいという。「梅沢サロン」では、酔っぱらっても、知的な会話がとぎれることはなかった。
2024.01.19
コメント(0)
*********************************************************図書館で『ペンの力』という新書を手にしたのです。おお 「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。【ペンの力】浅田次郎×吉岡忍、集英社、2018年刊<「BOOK」データベース>より戦後70年間、暗黙のうちに、政治的な立場を表明せずに中立を保つことが作家のとるべき理想的態度とされてきた。だが、特定秘密保護法案やいわゆる「共謀罪」が可決され、言論の自由が岐路に立たされつつあるいま、「政治と文学」をめぐる従来的なスタンスは根本から問い直されている。閉塞感にあふれた「もの言えぬ時代」の中で、日本ペンクラブ前会長・浅田次郎と現会長・吉岡忍が、もはや絵空事とはいえなくなった「言論弾圧」の悪夢に対して警鐘を鳴らした緊急対談。<読む前の大使寸評>「政治と文学」をめぐる巨頭の緊急対談ってか・・・これは興味深いのでおます。rakutenペンの力第6章でエネルギーや環境問題あたりを、見てみましょう。p198~202<第6章 それでも私たちは戦争に反対する>■ソ連のチェルノブイリ原発事故吉岡:福島へは、ペンクラブの面々もずいぶん行きましたよ。そうね、スリーマイルやチェルノブイリのときは、どうだろう、何か声明みたいなものを出しているのかしら。浅田:ペン小史を読んでいるんですけど、出てこないですね。信じられないな。吉岡:いずれにしても、よくも悪くも世界が身近になって、北朝鮮のミサイルと核開発や中国の言論状況はもちろん、世界中のテロと世界と難民問題でも、エネルギーや原発問題でも、何かすべてがつながって、日本の問題、ペンクアブの課題になってくる。そんな時代ですね。浅田:そうなんでしょうね。だから、ある意味、井上ひさし会長時代から、ちょこちょこそういうことを、ペンクラブでやり始めた。吉岡:やっぱり9.11があったからですよ。冷戦崩壊後のグローバリズムの・・・あれは一つの帰結ですね。浅田:9.11があったから。■地球環境問題吉岡:さっき言ったように、梅原猛会長の時代にね、地球環境ということを積極的に言い始めたんですよ。むろん戦争は最大の環境破壊である、と言うことも可能なので、それ以前から意識はされていたとも言えるんですが。 でも、例えば、石牟礼道子さんの『苦海浄土』をどう受け止めたのか。あの作品はチッソの水銀汚染だけじゃなく、人間と歴史の関係、文明のあり方の問題まで、魂に触れるような言葉で描いていますが、それがペンのなかで問題になったという話はあまり聞いてないですね。浅田:環境問題というのも、僕もずっと覚えているけれども、いろいろな問題が積み上げられてきたよね。 でも、それは、どこかで、原発の肯定にすり変わったんだよ。原発が一番クリーンなエネルギーであるという話に変わったんだよ。吉岡:ああ、そうだね。使用済み核燃料を10万年も保管しつづかなきゃいけない、なんていう問題はなかなか頭に浮ばなかったんですもんね。浅田:何かね、あそこが、やっぱり一つの分岐点だったね。吉岡:いや、3.11で福島原発事故が起きたあと、ペンの主催で、日比谷の日本プレスセンターで集まりをやりましたよね。会員同士、ペンは原発問題についてどう考えるのかを議論した。 その会場で、会員のなかから、東京電力の原発キャンペーンのCMに出ていたような会員を除名すべきだ、という意見が出たでしょう。何人も賛成者がいて、ちょっともめたことがありました。浅田:あった。吉岡:どう考えるんだと言われて、壇上に、浅田さんや僕もいて・・・。浅田:つるし上げられたな。吉岡:そうとう批判されましたよ。でも、その場で答えなきゃいけない。 僕が言ったのは、僕自身は原発に反対だ、と。だけど、原発に賛成した人を追い出す、除名する、そういう組織のあり方がいいとも思わない、ということね。僕だって、いまこうやってしゃべっていることが、いつか間違いだったと気づくことがあるかもしれない。誰だって、何かを間違えることがあるんだから。 それはね、言論表現の自由を主題とする団体として、いつも考えておかなくちゃいけないことだと思うんですよ。対話する、議論する、考える、そういうなかで間違いなら間違いを修正していく、やっぱりそれがペンのあり方なんじゃないか。 もちろん会員もそのことは十分理解しているから、その場はそれで収まりましたけど、あのときはペンの存在意義が問われているな、と感じました。逆に言えば、それだけ原発問題を僕らがちゃんと考えてこなかった、ということでもあったんですけどね。浅田:3.11の前までは、原発論議は、環境問題に押しまくられていたよ。吉岡:そうでしたね。浅田:むしろ問題は、火力発電のCO2をいっぱい出す問題とかさ、水力発電の自然破壊だとかさ。吉岡:温暖化問題ですね。浅田:そう、そう、そう。そういうふうに言われていたから。 あのね、僕は、もちろん、原発には反対ですけれども、それ以前にあまり言われてないことなんだけれども、あるにしても、数が多過ぎる問題。『ペンの力』3:エネルギーや環境問題『ペンの力』2:作家が従軍するもう一つの理由『ペンの力』1:日中戦争期の戦争と文学
2024.01.19
コメント(0)
図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「序章 人類史のルール」でトッド理論の基礎を、見てみましょう。p17~20<トッド理論のあらましを知る>■四つの家族類型とイデオロギー トッド理論の基礎となるのは、「家族システム」ないしは「家族類型」という考え方ですが、いきなり、こうした分類法にたどり着いたわけではなく、出発点にはケンブリッジ・グループのそれと同じくらいに大きな一つの疑問がありました。 それは人口学のイロハとなっている大きな問題と関係しています。 人口学にとって最も初歩的かつ最も解くのに困難な疑問は、人類はなにゆえに多産多死型社会(伝統的社会ないしは前工業化社会)から少産少死型社会(近代的社会ないしは工業化社会)へと移行したのかというものです。 人類は長い間、正確にいうと18世紀の半ばまで、たくさんの子どもを産み、その子どもがたくさん死ぬという再生産パターンを踏襲していたのです。これは医療が不完全でしかも栄養状態が悪ければ乳児死亡率が高いので、スペアとしてたくさん子どもを産んでおかなければならないという、現在でもアフリカの発展途上国に見られるタイプです。■人口の急激な増加が起きた理由 ところが、人類は18世紀のある時期に、コノパターンを脱却して、少なく産んだ子どもを死なないように育てるという少産少死型社会へと移行を開始したのです。 しかし、さらに詳しくみると、少産少死といっても、この二つの現象が始まるには時期的なずれがあるのです。 最初に始まるのは少死化です。すなわち、乳児死亡率が下がって、人が若くして死ななくなるのです。これはさまざまな要因から説明可能です。つまり種痘などのワクチンの発明と栄養状態の向上です。人口動態学では、この少死化の始まりのことを死亡力転換と呼びます。反対に出生率が低下することを出生力転換と呼びます。 ところが、死亡力転換が起こっても、出生率の方は高止まりしたままなのです。死亡力転換が出生率の低下を正比例的に導いて、出生力転換が起きることはないのです。その結果、どういうことが起きるかというと人口の急激な増加です。 世界は全体として見ると、いまでもまだこの状態にあります。ワクチンの普及や栄養状態の向上で死ぬ人が減っているのに、産まれてくる子どもは多いままなのです。 では、ユニセフがアフリカでやっているように避妊知識の普及や避妊器具の無償配付などを行えば、出生力転換が起きるのかといえば、そんなことはありません。こうした努力は少子化にほとんどつながらないのです。 しからば、死亡力転換が起こっても、出生力転換が起きることはないのかというと、これは先進国を見ればわかるように、歴史のある時期において、確実に起こったのです。 いいかえると、死亡力転換が起こってからかなりの時間をおいた「ある時期」に出生力転換が起きると、出生率はそのまま下がり続けます。日本のように、下がり続けて止まらない国もあり、よほど人為的な政策をとらない限り、再び上向くことはほとんどないのです。 要約すると、死亡力転換からしばらくすると出生力転換は確実に起きる。しかし、それがいつ起きるかについては一概には言えないのです。 なぜかというと、出生力転換が起きるのは、個人個人の意識の結果の総和としてではなく、あくまで集団的な無意識の結果だからです。 トッドが人口学者として問題にしていたのはこの点です。『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』2:ドイツ・日本型の家族システム『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』1:エマニュル・トッドとは何者か
2024.01.18
コメント(0)
鄭成功の倭寇貿易とか清朝の没落などは、中国歴史のエポックメーキングなあたりなので・・・以下復刻して読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『コロンブスからはじまるグローバル社会1493』という本を、手にしたのです。タイム誌ベストノンフィクション部門の第1位になったとか・・・さて、どんなグローバル社会なのか。【コロンブスからはじまるグローバル社会1493】チャールズ・C・マン著、あすなろ書房、2017年刊<「BOOK」データベース>よりコロンブスのアメリカ到達によって、世界はどう変わったのか?さまざまな思惑によって、人とモノが行き交い、世界がつながっていく様子をダイナミックにたどる新しい歴史入門書。タイム誌ベストノンフィクション部門(2011年度)第1位の大著が、わかりやすくコンパクトに!<読む前の大使寸評>タイム誌ベストノンフィクション部門の第1位になったとか・・・さて、どんなグローバル社会なのか。rakutenコロンブスからはじまるグローバル社会I493鄭成功「第6章 中国のタバコとトウモロコシ」で海賊王・鄭成功を、見てみましょう。p127~131<鄭成功の物語> 17世紀半ば、清王朝が沿岸部の人々を内陸部へ強制移住させたため、マニラのスペイン人は福建商人との貿易ができなくなった。交易をつづけられるのは海賊のみ、倭寇だけになった。 倭寇貿易は、日本人を母にもつ鄭成功が牛耳るようになっていた。鄭は海賊としてずっと明王朝に歯向かってきたが、清の支配がはじまると、倭寇にとっては明の統治の方が有利であると気づいた。そこで、明の皇族・遺臣が樹立した対抗政権側の軍人となり、今しもその政権を倒そうとしていた清軍に対し、海上から大規模な攻撃をしかけて援護した。 それから海賊へもどり、ある記録によると、1万5000から2万隻からなる倭寇の大艦隊を編成したという。月港の川向かいにある城を根城として、中国の南東部沿岸を支配した。鄭こそ、まさしく海賊王だった。 1657年からは、中国製の商品とスペイン銀を交換する貿易をマニラで開始した。ところが、清との戦いに気をとられていたせいか、鄭は二つの重大な事実に気づいていなかった。それは、スペイン人が絹や陶磁器を手に入れるには、自分しかルートはないということと、鄭自身が倭寇の大艦隊を率いる海賊の頭だということだ。 1622年、鄭はマニラのスペイン人へ、取引条件の変更を通告した。おまえたちは従来どおりすべての銀を引き渡せ、その見返りにこちらは命だけは助けてやろうと…。スペイン人は恐慌をきたし、フィリピン在住の中国人をかり集めるや、その多数を殺害し、残りの者は船に詰めこんで送り返した。しかし、そんな対抗措置は結局むだになった。その二ヵ月後、おそらくはマラリアのために、鄭が急死したのだ。彼の息子たちが後継争いをはじめ、マニラでの貿易は捨て置かれた。 清王朝が沿岸部の人々を強制移住させたため、海上貿易もとだえたが、この政策は裏目に出た。銀貿易が中断されて、国内の通過供給がまひしてしまったのだ。銀は磨耗して失われやすいし、あるいは隠しもったり埋められたりして蓄えられていたので、通貨保有量は減少しつつあった。1681年、清は仕方なく遷界令を解いて、銀貿易を再開させたのである。<森林破壊と洪水> 清政府は、沿岸部の人々を内陸の高地へ追い立てただけでなく、乾燥した中央部への移住を、さらに積極的に進めた。政府は、ほとんど無人の中央部山岳地帯へ、多くの人を送りこむことが王朝の将来にとって重要だと考えたのだ。といっても、そこにはすでに異民族集団が住んでいたのだが…。 減税措置と安い土地に誘われて、東部の人々は群れをなして中央部へ移った。移民の大半は棚民と同じく貧しかった。そして棚民と同様に、森を伐採した新開地の急斜面に、サツマイモ、トウモロコシ、後にはジャガイモを植えた。こうして国内の農耕地は急増した。そこからとれる農産物も急増し、人口が増えた。わずか100年間で、人口が100倍になった地域まで複数あったほどだ。(中略) しかし、耕作地の急激な増加には、深刻な事態がともなった。木を失った山の急斜面から、雨水が激流となってかけ下り、土中の養分を洗い流した。トウモロコシ栽培の経験のない農民たちは、階段状に畝を立てず、斜面に沿って縦方向に畝を作った。これでは雨水が流れる溝を作ったのと同じことになり、浸食はさらに進んだ。おまけに、土地を借りているだけの移民たちは土地所有者とは違い、灰や堆肥をほどこして、流亡した土の養分を補ったり、収量をあげようとは考えなかった。当然、新たに開墾された山の耕作地は、たちまち疲弊した。(中略) もちろん、清の崩壊にはほかの要因も関係していた。キリスト教に感化された客家が主導する太平天国の乱で、国は大きく分断された。また、非力な皇帝たちは政府内の腐敗をただすことができなかった。さらには、清朝は、麻薬アヘンを中国へ密輸させていたイギリスとの二度の戦争にも敗北し、沿岸部の重要な港を開港させられた。しかしながら、清朝の没落への道は、コロンブス交換によって既にひらかれていたのである。『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』5:海賊王・鄭成功『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』4:倭寇や客家『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』3:ガレオン貿易『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』2:鄭和の大遠征『コロンブスからはじまるグローバル社会I493』1:コロンブス交換
2024.01.18
コメント(0)
「図説 第二次世界大戦」という本を読んだところであるが・・・陸軍の対ソ認識、対中認識が出てくるこの『満州事変から日中戦争へ』という新書を読み直してみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『満州事変から日中戦争へ』という新書を、手にしたのです。1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ陸軍の対ソ認識、対中認識を「おわりに」で、見てみましょう。p235~236<おわりに> ここまで読み進めてこられた読者はすでにお気づきのことと思うが、昭和戦前期の日本においては、国防思想普及運動などによって国民を巻き込み、扇動し、満州事変への支持を調達した陸軍などが真にめざしていたものと、扇動の過程で国民の前で強調され、展開された論理との間には、実のところずれがあった。 石原莞爾が望んだのは、1.ソ連がいまだ弱体な時、2.中国とソ連の関係が悪化している時、3.日本とソ連が将来的に対峙する防衛ラインを、中ソ国境の天然の要害まで北に西に押し上げておくことであった。将来的な対米戦の補給基地としても満州は必用とされていた。しかし、それは国民の前には伏せられ、条約を守らない中国、日本品をボイコットする中国という構図で、国民の激しい排外感情に火が点ぜられた。 松岡洋右が、そして建川美次までが連盟に止まろうと奮闘した1932年暮れから33年初頭、ジュネーブ軍縮会議の陸軍側随員の1人として同じくジュネーブに居合わせた石原は、早期脱退をぶつのでもなく、冷静に傍観していたとの証言がある。戦略上の目的が達成されれば日中紛争の帰結など問題ではなかったのだろう。掻き立てられ、後に放置された国民の憤怒は「満州事変は復仇」との自己説得の論理に、より強く結びつけられてゆくほかはない。 ずれは日中戦争においても起きた。参謀本部第一部長だった石原は、37年後半にもソ連の対日参戦がありうると見ていた。ソ連を警戒するあまり、満州に駐屯していた現役兵の多い屈強な師団には手をつけず、荒木貞夫が喝破したように、後備兵の比率の高い弱体な特設師団に上海・南京戦を戦わせた。いっぽう、軍内の拡大派もまた、目の前の中国との戦争を名目に臨時軍事費を獲得し、実のところ将来の対ソ戦に備えた拡充計画、国防国家化に予算の6割を振り向けていた。 陸軍の不拡大派も拡大派も、その実、中国と正対していなかったのである。『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識
2024.01.17
コメント(0)
図書館で「図説 第二次世界大戦」という本を手にしたのです。世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。【図説 第二次世界大戦】池田清×太平洋戦争研究会著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より80年前、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。独裁者に翻弄され、恐るべき破壊と、膨大な兵士と市民の殺戮が行われた「世界戦争」の全貌を、270点余の豊富な写真で見せる永久保存版!<読む前の大使寸評>世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。rakuten図説 第二次世界大戦「終章 大戦後の世界」で、賠償の取り立て、戦争犯罪人の断罪などを、見てみましょう。p130~135■占領地ドイツに対する連合国の態度 連合国は、ドイツ全土を4カ国で分割占領したが、ソ連と米英仏など西側諸国とでは、その占領政策に関して著しい違いをみせた。 すなわち、占領直後から1年間にアメリカは2億ドル、イギリスは3億2000万ドルもの食糧をドイツへ供給した。これに対して、ソ連は奪う側にまわった・自国の占領地区からはもとより、西側占領地区からも向上、工業施設、さまざまな技術装置などを撤去してソ連へ運び込んだ。 ソ連は、中国東北地区(日本が満州国と称していた地区)からも工場を解体して持ち去ったが、同じような手法である。いずれにしても、ソ連は1945年中に、ドイツ国内のソ連占領地区から33パーセント、西側占領地区から85パーセントの施設を解体して持ち去った。 もともと、ソ連のスターリン首相ははじめから連合国が受け取るべき賠償額は200億ドルと決めてかかり、その半分をソ連の取り分として主張した。トルーマン大統領はこれを拒否しつづけ、ドイツからの物資の撤去を認めるという妥協におちついたのだった。ドイツは米英仏ソの4カ国に分割占領されていたので、米英仏占領地区からの一定割合の解体撤去も認めたのである。 最終的には、商品、芸術品、軍票支払いの役務、現物生産、その他の支払いをふくめると、1953年までに「自己の占領地区からだけでも265億ドルの賠償支払いを得たことになる」試みに当時の1ドル360円に換算してみると、約9兆5000億円にのぼる。 ソ連は直接ドイツの侵攻を受け、約4年間ドイツ軍と戦い、軍人約1700万人、民間人約1700万人が死亡したといわれている。これに次ぐ死亡者の多かった国は日本が侵略した中国(民間人最大推定約2000万人、軍人140万人と言われている)だが、それにしてもソ連のドイツに対する報復はすさまじいものがあった。 賠償の取り立てのほかにも、報復は、たとえばドイツ人に対する直接的な迫害・追放の形で実施された。その典型的なケースがポーランドに残っていたドイツ人に対するもので、そのほとんどが「ガスによらず家や食料を奪い、長く苦痛のともなう餓死に追い込んで抹殺することが意図されている」状況に陥っていた。 すでにポーランドでは親ソ共産党政府が実権を握っていて、完全なソ連支配下にあり、せんそうちゅうはもとより戦後はとりわけソ連情報は西側に対し極端に閉ざされていた。 チャーチル英首相がルーズヴェルト死去にともなって大統領職を引き継いだトルーマンに対して、「鉄のカーテンが彼らの戦線におろされたのです。その背後で何がおこっているか、われわれにはわかりません」と書き送ったのは、ドイツ降伏から数日後のことである。 鉄のカーテンの向こう側には、ポーランドをはじめ、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスラヴィアなどがふくまれていた。ドイツ降伏と同時に、米英仏とソ連の冷戦が始まっていたのである。■ニュルンベルク裁判 連合国は、「ドイツ国民を絶滅ないしは奴隷化することを意図するものではない。連合国として、ドイツ国民に民主的で平和な基盤のうえに、あらためてその生活を立て直す用意をする可能性を与えたい」(ポツダム会議議定書)ということを基本としていたが、一方、ナチズムの根絶には容赦なかった。 それと並行して、戦争を始めて平和を乱した罪や人道に対する罪を犯した政治家・軍人・学者に対する国際軍事裁判を始めた。ニュルンベルクで行われたので、ニュルンベルク裁判とも呼ばれる。 そのとき、ヒトラーはすでに自殺しており、その他のナチス党幹部のうち、ゲシュタポ長官・全ドイツ警察長官のハインリヒ・ヒムラーは服毒自殺、国民啓蒙宣伝相ヨーゼフ・ゲッペルスも家族6人とともに自殺、ヒトラー秘書長マルチン・ボルマンは行方不明になっていた。 ニュルンベルク裁判では行方不明のボルマンをふくめて24人が起訴された(1945年11月、起訴状朗読)。 敗戦国の指導者が戦勝国の軍事裁判によって断罪されるのはかつてなかったことである。したがって、明確な国際刑法や刑事訴訟法があったわけではない。連合国は国債軍事裁判条例を策定して、それに代えた。 24人は「侵略戦争の共同謀議」「平和に対する罪」「殺人・虐殺など戦時犯罪」「人道に対する罪」のどれかに当てはまるとして、起訴された。侵略戦争を始めることが「平和に対する罪」であると明記してある国際刑法がなくても、ハーグの「開戦に関する条約」(1907年)、ジュネーブ議定書の「侵略戦争は国際犯罪を構成する」という規定(1924年)、さらに不戦条約(1928年、英米仏独日など15カ国が調印)など先例や慣習によって財形法定主義の要件を満たしているという立場をとった。 また、「人道に対する罪」は「文明に対する罪」とでもいうべきもので、ユダヤ人をはじめとする国内や占領地国民や政治犯に対する野蛮で大規模な虐殺・虐待は、人類が到達し得ている文明の見地からみて許すべからざる犯罪とした。 基礎から判決まで約1年の間に403回の公判廷が開かれ、123人から証言をとり、22人に対して12人の死刑をふくむ判決がくだされた(1946年10月1日)。(中略)■東京裁判 日本の戦争犯罪人を裁いた東京裁判(正式には極東国際軍事裁判)もまた、ニュルンベルク裁判と軌を同じくするものである。ここでは満州事変以来の中国に対する侵略戦争と、米英仏蘭に対する侵略戦争、さらにはソ連に対する侵略戦争(ノモンハン事件など)を共同謀議で始めた罪を裁こうとした。 同時に、南京虐殺や、占領地国民や捕虜に対する虐待など一般的な戦争犯罪などいわゆる「人道に対する罪」も問題とした。 起訴された者は陸軍大将東条英機元首相をはじめ28人で、1946年4月から始まり、48年11月12日に判決を下した。最高統治者である天皇の訴追は見送られたが、これは占領軍最高司令官マッカーサー元帥をはじめアメリカの賢明な決断だった。 日本の侵略戦争は、ヒトラーが全権を握って独裁的に推し進めたような戦争ではなかった。とくに、中国に対する戦争はそうだった。満州事変から支那事変を経て対米英宣戦までの10年間に、首相は11人、外務大臣にいたっては13人を数えた。陸軍大臣も11人、陸軍統帥の最高ポスト参謀総長は3人だが、うち一人は皇族(載仁親王)で、その9年間の在職中に実質的に裁量した次長は9人を数えている。 海軍大臣は9人が次々に代わった。やはり海軍統帥の最高ポストである軍令部早朝は3人だが、うち一人は皇族(伏見宮博恭王)で9年間つとめた。載仁親王より自分を主張した珍しい皇族だったが、事実上は自嘲が裁量した。その次長は伏見宮博恭王在任中に6人代わっている。 こうみてくると、ある意味では、あれだけの大戦争をつづけながら、最終的に責任をとろうとした指導者がいなかったというのが実態だった。戦争を始めたのは誰、と特定するのは困難で、さりとて彼らが戦争を始め、継続し、途中でやめさせなかった責任がまったくないと断定することもできない。 東京裁判では、右にあげたような最高首脳のうち23人が共同謀議して中国や米英ソなどに戦争を始めたと論じ、7人を絞首刑(1948年12月23日執行)、16人を終身禁固刑(のち、全員釈放)とした。7人の絞首刑のうち一人だけは(松井岩根陸軍大将)共同謀議とは関係なく、ただ南京虐殺の最高指揮官としての責任を問われたのである。『図説 第二次世界大戦』2:日米開戦前の状況『図説 第二次世界大戦』1:キエフ陥落とヒトラーの戦争目的
2024.01.17
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者(政府対策本部?)不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮説トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。*********************************************************<15日追記>■ヘリコプターやバスを利用して2次避難所へ移っています。金沢市のホテル、加賀市のホテル、全国の観光ホテルなどへ。■1泊2日の休養のために、自衛隊がクルーズ船を借り上げ派遣して、風呂、温かい食事を提供とのこと。■屋根補修などと称して、悪質な詐欺商法が頻発しているそうで・・・そういう非国民はどしどし逮捕されんことを。■15日の発表によれば、死者222人のうち災害関連死は14人とのこと。輪島、珠洲の情報が不明であるので・・・実際はこんな数字ではないはずである。■15日、通行止めは36路線で86ヵ所。道路と給水管の復旧工事は除雪が必要で難渋しているとのこと。■輪島塗の工房が大きなダメージを受け、業界復旧も困難なほどとか、でも頑張ると言う若い人もいます。
2024.01.16
コメント(2)
図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「第一章」でドイツ・日本型の家族システムを、見てみましょう。p50~54<直系家族「ドイツ・日本型」>■EUの覇者ドイツ EUを実質的に牛耳っているのは、たしかにドイツです。ドイツはなぜイギリスやフランスを押さえ、EUでナンバー1の地位を獲得できたのか。 それは、ドイツが伝統的に「直系家族」社会だったからなのです。いまはドイツも、日本と同様に、現実レベルでは核家族化が進んでいますが、集団の無意識、つまり共同幻想のレベルではあいかわらず、典型的な直系家族社会です。(中略) このように直系家族とは農地と家という不動産と密接に結びついたシステムです。そのため、直系家族地域の農地は、ドイツの地主貴族ユンカーの支配していたプロイセンに見られるように、家を囲む農地に境界線を示す柵があり、他者の侵入を防ぐというかたちをとることが多く、そのため、農村では、民家がポツリポツリと点在する風景が見られます。 イングランドやフランス・パリ盆地のような民家が1ヵ所にかたまって、そのまわりにオープン・フィールドが展開するというような農村風景は見られません。 また、こうした囲い込みの原理が国家にも反映されますから、直系家族原理でつくられた国は一般に地方分権型の連邦制をとることが多くなります。ドイツ連邦しかり、日本の江戸時代しかりです。■イエの支配者としての父親の権威 単位を家に戻すと、家では親の「権威」がたいへん強いとされています。しかし親個人が現実に権力をふるうかどうかは関係がありません。構造体としてのイエの支配者である父親の権威、つまり、権力ではなく権威が強いということです。実際の父親は、弱虫でも、役立たずでも、とにかく「お父さんはえらい」ということが前提とされているのです。 母親にも、父親ほどではないですが、権威はあり、家のなかを仕切ります。さらに、父親の次には長男がえらいということになっていますから、自動的に長男の嫁もえらいということになり、実質的には、この長男の嫁に権力が集中します。 日本で、お父さんが貰った月給はそのままお母さんに引き渡され、家計はお母さんがやり繰りして、お父さんは小遣いで我慢というのは、絶対核家族や平等主義核家族から見たら考えられないことなのです。 いずれ、詳述しますが、こうした権威と権力の分散が直系家族の特徴で、言えと会社をアナロジーで結ぶと、権威は社長(お父さん)にありますが、実際の権力は長男の嫁に相当する人事部長や秘書課長が握っているというケースが少なくないのです。 また、直系家族においては絶対核家族や平等主義核家族と比べて、親が子どものしつけで肉体的な暴力を振るう機会は非常に少ないとされてきましたが、これも構造体としてある権威の強さのためなのです。昔の日本では、「地震、雷、火事、親父」というように親父は恐いものの象徴とされてきましたが、これも実際に暴力的で恐いのではなく、権威的だから恐かったのです。■東日本大震災でモラルの高さが賞賛された日本 こうした家族は、たいへん教育熱心なのも特徴です。代々ほどこされる知育・徳育は主として長男の嫁をキーパーソンとして、長い間に知識、徳目として家庭内に蓄積されます。東日本大震災のあとで、世界中に感銘をいだかせた日本人のモラルの高さはこのようにして育まれたわけです。 ドイツが、二度の世界大戦で敗者となり、また再統一という試練があったにもかかわらず、さして間を置かずにヨーロッパの覇者となりえたのは、直系家族が大切にしてきた教育熱心さ、知識への信頼、すなわち、「知力」の高さゆえなのです。 しかし、その反面、家の支配原理が隅々にまでおよぶ、鬱陶しい「見えざる視線による相互監視」、つまり「世間」というものが強くなり、同時にそれに対する反発も生まれます。日本の近代文学というのは、こうした直系家族の「見えざる視線による相互監視」に対する反発の系譜だったと捉えることができます。 では、直系家族において、長兄一人が財産をすべて受け継いだ後、その弟たち、次男、三男たちはどうしていたのでしょうか。絶対核家族なら、財産をめぐって、兄弟間の競争が起こるところです。 しかし、直系家族では、次男・三男たちは「排除」されておしまいでした。彼らは家を出され、他家に婿入りしたり、工場や商家で働かねばなりませんでした。あるいは、寺社・修道院に入門したり、兵員として雇われる(ヨーロッパなら各国傭兵部隊、日本なら僧兵、武士軍団)など、身一つで生き抜いていかねばなりませんでした。 直系家族からはじき出された次男・三男たちは、歴史をつくる原動力となっていきます。その具体的な史実は、後の章で詳述してゆきます。 ウン、そう言えば、我が家も長男(わたし)の嫁に権力が集中しているのかも。『エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層』1:エマニュル・トッドとは何者か
2024.01.16
コメント(0)
図書館で「エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層」という新書を手にしたのです。家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層「序章 人類史のルール」の冒頭から、見てみましょう。p10~13<エマニュル・トッドとは何者か> エマニュル・トッドという名前が近年ジャーナリズムをにぎわせて、新書のいくつかがベストセラーに名を連ねています。 昨年のアメリカ大統領選前後、今年1月のトランプ新大統領就任に際しても、大統領選直前まで大方の識者がヒラリーと予測する中で、「トランプ当選」を予見していた数少ないうちの一人がトッドでした。 これ以前にも、彼は・ソ連の崩壊・アメリカの金融危機(リーマン・ショック)・アラブの春・イギリスのEU離脱 などを、予言して、ことごとく当てていたように見えます。 しかし、トッドにしてみれば、21世紀の予言者などと呼ばれても、ありがた迷惑なだけでしょう。 なぜかと言えば、別に予言者を気取っているわけではなく、専門としている家族人類学と人口動態学から割り出した数値にもとづいて、蓋然的な予想を述べているにすぎないからです。■予言者誕生 ところが、目先の派手さにしか興味のないジャーナリストたちがトッドの著作もまったく読まずに(というよりも専門性が高いので読めずに)、結論だけを聞きたがるので、結果として、「予言者誕生」ということにあいなったのです。 トッドにインタビューした記事をまとめてつくられた新書というものをいくつか読んでみましたが、ひどいのになると、トッドの本など1冊も読んだことのない人がインタビューしてることが歴然としているものさえあります。トッドの著作を少しでも紐解いていれば、こんなことは聞かないはずだとわかる愚かな問いを連発しているからです。 トッドはそうした愚問にも誠実に答えているようですが、しかし、バッド・クエスチョンはいくら数を放ってもグッド・アンサーを引き出さないのが定理ですから、トッドにすればかなり迷惑なジャーナリズム人気だと思います。 私は、このジャーナリズムに特徴的な「結論だけでいい。過程はいらない」という姿勢がどうにも我慢できなくなったので、「トッドの言っていることはそうじゃないぞ」と抗議のためにペンを取りたくなりました。 では、トッドが言っていることとはなんなのでしょうか?■数字にすべてを語らせよう それは、数字がすべてだから、数字に語らせようよ、ということです。いかにも人口統計から出発した学者らしい態度です。データを調べ上げ、読み込み、試行錯誤しながら、緻密に分析し、仮説を立てて論証し、その後もさらに再検証を重ねていくというルールから逸脱しない誠実な「家族人類学者」なのです。 その意見や論評、さらにいえば「予言」に見えるようなものすべてに確たる論拠があります。データの裏づけがあります。原則的には、誰もがアクセス可能な数値にもとづいています。理科系の学問のように、ほかの人が同じデータから出発してその人なりの研究を進めていくことができるのです。 ただし、そうしたデータの読み込み方、比較のしかた、変数の導入のしかた、チャート化・グラフ化する際のアイデア、術語の選択などは彼一流のものであり、その過程で「発見」をつかむセンスは、天才的と言ってもよいでしょう。 ところで、いま「家族人類学」という言葉を使いましたが、日本では耳慣れない言葉なので、とりあえず、こうした言葉の定義から入りたいと思いますが、それには、トッドという学者の成り立ちから説明するのがよいかと思います。 エマニュル・トッドは1951年にフランスのサンジェルマン・アン・レーに生まれました。父親のオリヴィエ・トッドがイギリス出身のジャーナリスト、母親は作家のポール・ニザンとアンリエットの娘トイウフランス・インテリ階級の出身です。 『アデン・アラビア』で有名なポール・ニザンは、サルトルとアンリ四世校およびエコール・ノルマルで同級生。若くして共産党に入党し、共産党系のジャーナリストとして活躍しますが、独ソ不可侵条約に絶望して共産党を離れ、第二次大戦で戦死しています。これはトッド自身の経歴と似たところがありますが、トッドがこの母方の祖父について言及することはあまりありません。 トッドにとって、英仏双方の血を引き、二つの文化的背景を持つことは他のフランス人学者にはない強みになっています。父親の友人だったアナール派の大立者ル・ロワ=ラデュリの勧めで、イギリスのケンブリッジ大学へ留学します。
2024.01.15
コメント(0)
図書館で「図説 第二次世界大戦」という本を手にしたのです。世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。【図説 第二次世界大戦】池田清×太平洋戦争研究会著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より80年前、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。独裁者に翻弄され、恐るべき破壊と、膨大な兵士と市民の殺戮が行われた「世界戦争」の全貌を、270点余の豊富な写真で見せる永久保存版!<読む前の大使寸評>世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。rakuten図説 第二次世界大戦第5章で、日米開戦前の状況を見てみましょう。p70~71<第5章 日本、米英に宣戦布告■日中戦争の行き詰まりと対日禁輸 盧溝橋事件(1937年7月7日)を発端として続々と中国大陸に兵力を投入、北京・上海・南京・広州・武漢三鎮(現在の武漢市)など主要都市を占領したものの、日本はついに中国政府(蒋介石政権)を屈服させることはできなかった。 日本は中国の徹底抗戦の意欲とそれを支援する米英勢力に対抗するため、日独伊三国同盟を結んだ。しかしそれは、米英の結束をますます固め、対中援助を強化することにしか役立たなかった。その政治的信念したがい三国同盟を締結した松岡洋右(第二次近衛内閣の外相)は、日米開戦の報を聞き、自分の見込み違いを悔やみ、はらはらと涙を流した。 国内の戦争準備とヨーロッパ戦線への援助に忙しかったアメリカは、日本に対する経済的締め付けを徐々に行いながらも、石油の輸出だけはストップしなかった。アメリカの戦争準備が整わないうちに戦争に訴えられたらかなわない。 当時の石油の最も大きな消費者は軍であり、とりわけ海軍の比重が圧倒的に大きかった。石油の対日輸出を止めれば、日本はすべてが干上がることをアメリカはよく知っていた。実際、需要の7割以上をアメリカから輸入していたのである。あとは蘭印(オランダ領東インド)からである。 日本軍が南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐した直後、アメリカは日本への石油輸出を禁止した(1941年8月)。蘭印もこれにならう。 海軍首脳はそれまでアメリカとの戦争は避けたいと考えていた。連合艦隊司令長官の山本五十六大将はその急先鋒だった。1年ほどは暴れられるが、長期戦になったら必ず負けると近衛首相に断言していたほどだ。 こうした考えにおおむね同調していた海軍首脳も、いざ石油が輸入できなくなる事態に直面すると、戦争をやるならまだ石油のストックがあるうちにやってもらいたいと主張するようになった。アメリカを軍事的に屈服させることは出来ない相談ながら(これは陸軍首脳も同じだった)石油が豊富にある蘭印(を占領し、付近の米英勢力を追放することができれば、日本は生き延びられるのではないかと考えた。いわゆる自在自衛論である。 日中戦争に自ら幕を引き、中国から撤兵することは、アングロサクソン(米英)に対する屈従であると考えられた。中国の日本一国支配を放棄することを意味していたからだ。日本はどうしても中国を日本だけで支配したかったのである。 日本が中国に対して独占的・排他的に勢力を扶植するというこのような姿勢は、第一次大戦中の「対華21ヶ条の要求」以来のものである。戦後、アメリカはワシントン会議を招集して日本・中国・米・英をふくむ9ヵ国条約を結び(1922年)、中国の主権と独立を尊重し、各国の中国に対する門戸開放・機会均等を規定した。 いわゆるワシントン体制の根幹をなす条約だが、日本は満州事変(1931年)につづく満州国建設で、このワシントン体制に公然と挑戦し、米英協調路線を放棄した。 それから10年目に日米対立は戦争にまで発展した。双方譲らなかったし、中国は賢明にも米英の協力をとりつけていたから、日本は進退きわまっていた。日本は自分の侵略行為を棚に上げて、米英を非難し、米英の支援を受けて抗戦する中国を非難していた。■聖戦の名のもとに 日中戦争は聖戦の名のもとに遂行されていたから、批判の声は封じられた。批判や停戦、休戦を言うことは、天皇にそむくことであって、それは「非国民」なのだった。日本はアメリカやイギリスと違って、公然と意見を交わし、世論を形成し、それに従って政治を行うという国家ではなかった。 それでも海軍の最高首脳の間で、アメリカが要求しているように中国から撤兵して、米英と協調路線をとって国家が生きる道を模索すべきであるという議論が開戦2ヵ月前に煮詰まろうとした瞬間があった。 しかしそれには、撤兵など論外とする陸軍との大喧嘩(内乱)を覚悟することでもあり、海軍にはそこまでの決意はなかった。中国からの撤兵は満州国を動揺させ、ひいては朝鮮統治を危うくする、それは明治維新直後の日本に逆戻りすることである、それでもいいのかという陸軍の主張を論破するだけの経綸(ビジョン、青写真)を持っていなかった。 この論法を強力に展開したのが1940年7月以来の陸軍大臣・東条英機中将である。東条のリーダーシップというより陸軍の総意であった。最後の段階で東条は首相を命じられるが、最後まで日本の譲歩に反対した。彼はヒトラーのような独裁者ではないから、閣僚は自由に意見を述べることはできたが、反駁し、矛盾をつき、別の考え方の正統性を、誰も主張しなかった。(中略) 天皇の命令には絶対服従だったが、天皇の命令はすべて政府や軍部が決定したものである。絶対権力者の恣意的な決定を防ぐ効果はあったが、決定事項に議会も新聞も放送も国民も異論を唱えられない仕組みになっていた。 日中戦争が始まってからは、その度合いがますます強められていた。いわゆる国家総動員法(1938年成立)は、戦争のためにあらゆる物資の生産計画をたてたり、物資の価格を統制したり、流通先を限定したりするだけでなく、戦争に疑問を出したり、反対を表明したりする意見も取り締まる法律だった。そういう意見につながりそうな自由主義思想そのものも取り締まりの対象となっていた。『図説 第二次世界大戦』1:キエフ陥落とヒトラーの戦争目的
2024.01.15
コメント(0)
図書館で「図説 第二次世界大戦」という本を手にしたのです。世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。【図説 第二次世界大戦】池田清×太平洋戦争研究会著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より80年前、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。独裁者に翻弄され、恐るべき破壊と、膨大な兵士と市民の殺戮が行われた「世界戦争」の全貌を、270点余の豊富な写真で見せる永久保存版!<読む前の大使寸評>世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。rakuten図説 第二次世界大戦1941年6月にドイツ軍300万は、ソ連へ侵攻(バルバロッサ作戦開始)したのです。300万の軍勢は、中央軍集団、北部軍集団、南部軍集団と三つに分けられていたが、そのうち南部軍集団はウクライナを目指していた。現在ではウクライナを舞台にしてウクライナとロシア連邦が戦っているが、当時はドイツとソ連がどのように戦ったのか・・・史実を見てみましょう。T34型戦車p60~63<キエフ陥落とヒトラーの戦争目的)> キエフはウクライナ共和国の首都であり、ドニエプル川中流沿岸にある。「ロシア諸都市の母」と呼ばれるように、9世紀ごろから栄えてきた古い都市で、ドイツ軍の侵攻当時すでに人口は150万を超えていた。 ソノキエフをドイツ軍が包囲したのは9月2日である。ソ連軍も35個師団(約70万人)で応戦したが、9月中旬までに戦闘は終わった。ドイツ軍は捕虜66万人、捕獲した戦車は約900両、大砲は約3700門と宣伝した。もっともソ連側は悔しまぎれに捕虜は55万人と言い返したそうだ。 ソ連の降伏は時間の問題と信じたヒトラーは、キエフでの戦いがたけなわのころ、軍やナチス幹部を前にして占領後のロシアについて「将来計画」を語っていた。 ロシア人をウラル山脈の東側に追い払い、ドイツ人を中心として、ノルウェー人、スウェーデン人、デンマーク人、オランダ人を占領地に移し、大農業地帯をつくる。 ドイツ人移民のために「30キロから40キロの環状地帯をつくり、そこに美しい農村を建設して、最上級の道路によって結びつけ」、「ロシア人たちは、ドイツ移民とまったく別の世界に住まわせ、なんの文明施設も与えずに放置すればよい。ただ彼らはドイツ人に無条件に服従しなければならない。もし、彼らが革命を起こすようなことがあれば、その町々に対して、ニ、三発の爆弾を射ち込んで、町もろともに全滅させてしまうべきだ」(村瀬興雄著「ナチズム」) ヒトラーはソ連国民のなかのウクライナ人や白ロシア人の一定数の絶滅と追放、それ以外のソ連人(大ロシア人)は三分の一を絶滅させ、三分の一を追放することを基本としていた。 このように、ヒトラー・ドイツのソ連に対する戦争は、領土や資源の獲得が最終目的ではなかった。対ユダヤ人のようにすべてを絶滅させるという方針こそなかったが、ポーランド人と同様にロシア人の大部分を抹殺し、生かした者を奴隷にしようというものだった。 こうした方針に従って、開戦早々の占領地区は、捕虜やソ連国民に対する凄惨な強制労働・リンチ・虐殺・追放が始まっていた。<なぜソ連軍は弱かったのか> それにしてもソ連軍はどうしてこんなにも弱かったのだろうか。 じつを言うと、ソ連軍のT34型戦車はドイツ製のものより大型で77ミリ砲を装備していた。それはドイツ軍の主力である4号戦車の75ミリ砲より威力があり、装甲も厚かった。わずか2ミリの差ではあっても、戦場では格段の違いが生まれる。 当時、ソ連軍はそれほどの威力をもつT34型戦車を少なくとも1200両以上、少し多めに推定すると2000両ほど配備できていたと思われる。だから、負けるにしてもこれほど一方的に敗北を重ねるにはそれなりの理由があるはずである。 よく指摘されるのは、1936年から38年にかけてスターリンが実施した大粛清こそソ連軍弱体化の原因だということである。この大粛清は共産党幹部から一般党員、軍人、市民にまで、処刑・強制収容所送りが少なく見積もっても350万人、最大1200万人と推定されている。 トップクラスの党幹部に対する粛清裁判は外国人記者も傍聴する公開裁判で実施された。これによって、スターリンは名実ともに絶対権力者の地位を確立する。 赤軍、すなわちソ連軍幹部に対する粛清は37、8年に行われ、トハチェフスキー元帥を筆頭に高級将校8人が処刑されたのをはじめ、全部隊にわたって粛清の嵐が吹き荒れた。有能な軍幹部で生きのびた者は、ジューコフ元帥(当時は大将)などまことに少数だった。 そのうえ、粛清前にはドイツ軍にも劣らぬほどの機甲軍団を持っていたが、1939年にすべて解隊してしまった。「戦車は歩兵部隊に協力する兵器」という、戦車が開発されたごく初期の見方から抜け出せない、出来の悪い幹部しか生き残らなかった証拠、という評者が少なくない。 しかし、ドイツ軍がその機甲部隊を駆使して、ベルギー、オランダを席巻し、あっという間にフランスを占領するのを見て、腰を抜かした。戦車はああいうふうに使うものかとわかった。大急ぎで機甲軍団を編成しはじめた。そこまではよかったが、戦車の生産能力を無視した無茶苦茶なやり方で、年間1000両しか生産できないT34型戦車を1万2600両も必要とするような大軍団を1年あまりで一気に編成しようとした。 ドイツ軍がソ連侵攻を始めたとき25個軍団まで完成配備されていたが、T34戦車は各軍団に総花的に配分され、不足分は旧式戦車を数だけそろえた見かけだけの機甲師団だったわけである。案の定、ソ連軍はかつてのフランスのようにドイツ電撃戦のまえに蹴散らされてしまった。
2024.01.14
コメント(0)
今回借りた4冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「世界史」でしょうか♪<市立図書館>・エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層・図説 第二次世界大戦・モンゴル最後の王女・座右の銘はない<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【エマニュル・トッドで読み解く世界史の深層】鹿島茂著、ベストセラーズ、2017年刊<「BOOK」データベース>より英国のEU離脱、トランプ当選など予言を次々と的中させ、世界中で注目を集めているフランス人類学者エマニュエル・トッド。なぜ、トッドの予言は的中するのでしょうか?大胆な彼の発言を支える理論を、鹿島茂教授がわかりやすく解説します。明治大学で人気の「トッド入門」講義を一冊にまとめました。初の解説書。「あらゆる問題は、彼の家族システムという概念で説明ができる」と、世界史の有名な出来事や混迷する社会の問題、さらには現代人の悩みや未来の切り開き方まで、トッド理論で紐解いていきます。<読む前の大使寸評>家族人類学者エマニュル・トッド?・・・知らんなあ。でも著者・鹿島茂がわかり易く説き明かしているようなので、チョイスしたのです。rakutenエマニュル・トッドで読み解く世界史の深層【図説 第二次世界大戦】池田清×太平洋戦争研究会著、河出書房新社、2019年刊<「BOOK」データベース>より80年前、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。独裁者に翻弄され、恐るべき破壊と、膨大な兵士と市民の殺戮が行われた「世界戦争」の全貌を、270点余の豊富な写真で見せる永久保存版!<読む前の大使寸評>世界に災禍をもたらした独ソ戦争や太平洋戦争はなぜ起きたのか?、アメリカの参戦はなぜ遅れたのか?という興味でチョイスしたのです。rakuten図説 第二次世界大戦【モンゴル最後の王女】楊海英×新間聡著、草思社、2019年刊<「BOOK」データベース>より1927年、内モンゴル・オルドスにチンギス・ハーンの血を受け継ぐ最後の王女スチンカンルが生まれた。17歳の冬、父の従者だったボロルダイと結婚し、一人息子に恵まれて穏やかに暮らしていたが、中華人民共和国建国後、その人生に暗雲が立ち込める。スチンカンルは反革命分子のレッテルを貼られ、使役に駆り出され、祖先を祀る聖地を開墾する屈辱に甘んじなければならなかった。そして、あの文化大革命が始まるー。著者の楊海英氏自身も内モンゴル・オルドスの出身。中国で現在もなお続く苛烈な民族問題の知られざる実態を、激動を生き抜いた女性の半生を通じて描きあげた迫真のドキュメンタリー。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenモンゴル最後の王女【座右の銘はない】 石毛直道著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より自分が「おもろい」を追求、「食文化」のパイオニアに。学術探検・民族資料収集で辺境の地を駆け巡り、世界各地の生活や文化を考えていくと、人々がなにをどのように食べているか、が主たる研究分野になっていた。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten座右の銘はない
2024.01.14
コメント(0)
『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・楊双子『台湾漫遊鉄道のふたり』(6/23予約、副本1、予約55)現在13位・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、副本?、予約504)現在292位・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、副本12、予約373)現在198位・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、副本7、予約177)現在94位・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、副本5、予約126)現在80位・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、副本17、予約402)現在274位・南海トラフ地震の真実(10/20予約、副本?、予約44)現在30位・斎藤幸平『マルクス解体』(11/28予約、副本?、予約?)現在21位・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、副本?、予約?)現在10位・満州国グランドホテル(12/20予約、副本?、予約3)現在1位・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、副本3、予約86)現在87位・大学教授 こそこそ日記(1/12予約、入荷待ち、予約?)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・中島京子『やさしい猫』・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・李琴峰『彼岸花が咲く島』:第165回芥川賞受賞作(21年)・ひさうちみちお『パースペクティブキッド』・松里公孝『ウクライナ動乱』・村上春樹×柴田元幸『翻訳夜話』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』・養老孟司『形を読む』<予約分受取:10/28以降> ・有川ひろ『旅猫リポート』(10/27予約、10/28受取)・ジンセイハ、オンガクデアル(2/10予約、11/15受取)・ブレイディみかこ『リスペクト』(9/05予約、11/23受取予定)・『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(5/23予約、11/28受取)・村山由佳『命とられるわけじゃない』(11/21予約、11/28受取)・多和田葉子『白鶴亮翅』(8/2予約、12/05受取)・村上龍『ユーチューバー』(5/20予約、12/11受取)・斎藤環『社会的ひきこもり』(12/25予約、12/27受取)**********************************************************************【台湾漫遊鉄道のふたり】楊双子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より昭和十三年、五月の台湾。作家・青山千鶴子は講演旅行に招かれ、台湾人通訳・王千鶴と出会う。現地の食文化や歴史に通じるのみならず、料理の腕まで天才的な千鶴と台湾縦貫鉄道に乗りこみ、つぎつぎ台湾の味に魅了されていく。ただ、いつまでも心の奥を見せない千鶴に、千鶴子の焦燥感は募り…国家の争い、女性への抑圧、植民地をめぐる立場の差。あらゆる壁に阻まれ、近づいては離れるふたりの旅の終点はー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/23予約、副本1、予約55)>rakuten台湾漫遊鉄道のふたり【黄色い家】川上未映子著、中央公論新社、2023年刊<「BOOK」データベース>より2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。長らく忘却していた20年前の記憶ー黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな“シノギ”に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい…。善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/24予約、副本?、予約504)>rakuten黄色い家【墨のゆらめき】三浦しおん著、 新潮社、2023年刊<出版社>より実直なホテルマンは奔放な書家と文字に魅せられていく。書下ろし長篇小説! 都内の老舗ホテル勤務の続力は招待状の宛名書きを新たに引き受けた書家の遠田薫を訪ねたところ、副業の手紙の代筆を手伝うはめに。この代筆は依頼者に代わって手紙の文面を考え、依頼者の筆跡を模写するというものだった。AmazonのAudible(朗読)との共同企画、配信開始ですでに大人気の書き下ろし長篇小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/9予約、副本12、予約373)>rakuten墨のゆらめき【堤未果のショック・ドクトリン】堤未果著、幻冬舎、2023年刊<「BOOK」データベース>より「ショック・ドクトリン」とはテロや大災害など、恐怖で国民が思考停止している最中に、為政者や巨大資本がどさくさに紛れに過激な政策を推し進める悪魔の手法のことである。日本でも大地震やコロナ禍という惨事の裏で、知らない間に個人情報や資産が奪われようとしている。パンデミックで空前の利益を得る製薬企業の手口、マイナンバーカード普及の先にある政府の思惑など…。強欲資本主義の巧妙な正体を見抜き、私たちの生命・財産を守る方法とは?滅びゆく日本の実態を看破する覚悟の一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/25予約、副本7、予約177)>rakuten堤未果のショック・ドクトリン【ぼくはあと何回、満月を見るだろう】坂本龍一著、新潮社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「何もしなければ余命は半年ですね」ガンの転移が発覚し、医師からそう告げられたのは、2020年12月のこと。だが、その日が来る前に言葉にしておくべきことがある。創作や社会運動を支える哲学、坂本家の歴史と家族に対する想い、そして自分が去ったあとの世界についてー。幼少期から57歳までの人生を振り返った『音楽は自由にする』を継ぎ、最晩年までの足跡を未来に遺す、決定的自伝。著者の最期の日々を綴った、盟友・鈴木正文による書き下ろし原稿を収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/18予約、副本5、予約126)>rakutenぼくはあと何回、満月を見るだろう【図書館のお夜食】原田ひ香著、ポプラ社、2023年刊<「BOOK」データベース>より東北地方の書店に勤めるものの、うまくいかず、仕事を辞めようかと思っていた樋口乙葉は、SNSで知った、東京の郊外にある「夜の図書館」で働くことになる。そこは普通の図書館と異なり、亡くなった作家の蔵書が集められた、“本の博物館”のような図書館だった。開館時間は夜7時から12時まで、まかないとして“実在の本に登場する料理”が出てくる「夜の図書館」で、本好きの同僚に囲まれながら働き始める乙葉だったがー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/04予約、副本17、予約402)>rakuten図書館のお夜食【南海トラフ地震の真実】 小澤慧一著、東京新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>より「南海トラフは発生確率の高さでえこひいきされている」。ある学者の告発を受け、その確率が特別な計算式で水増しされていると知った記者。非公開の議事録に隠されたやりとりを明らかにし、計算の根拠となる江戸時代の古文書を調査するうちに浮かんだ高い数値の裏にある「真実」。予算獲得のためにないがしろにされる科学ー。地震学と行政・防災のいびつな関係を暴く渾身の調査報道。科学ジャーナリスト賞で注目のスクープを書籍化!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/20予約、副本?、予約44)>rakuten南海トラフ地震の真実【マルクス解体】斎藤幸平著、 講談社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりいまや多くの問題を引き起こしている資本主義に対する処方箋として、斎藤幸平は、マルクスという古典からこれからの世の中に必要な理論を提示する。本書『マルクス解体』は、マルクスの物質代謝論、エコロジー論、プロメテウス主義の批判から、未来への希望を託す脱成長コミュニズム論までを精緻に語る。これまでの斎藤の活動の集大成であり、同時に「自由」や「豊かさ」をめぐり21世紀の基盤となる新たな議論を提起する書である。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(11/28予約、副本?、予約?)>rakutenマルクス解体【鉄道と愛国】吉岡桂子著、岩波書店、2023年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の発展の象徴、新幹線。アジア各地で高速鉄道の新設計画が進み、中国が日本と輸出を巡って競い合う現在、新幹線はどこまで日本の期待を背負って走るのか。一九九〇年代から始まった新幹線商戦の舞台裏を取材し、世界最長の路線網を実現した中国の高速鉄道発展の実像に迫る第一部、中国、香港、韓国、東南アジア、インド、ハンガリーなど世界各地をたずね、鉄道を走らせる各国の思惑と、現地に生きる人々の声を伝える第二部を通じて、時代と共に移りゆく日中関係を描き出し、日本の現在地をあぶりだす。<読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(12/04予約、副本?、予約?)>rakuten鉄道と愛国【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>著者・平山周吉さんの「小津安二郎」が大佛次郎賞を受賞したが、この際同氏の「満州国グランドホテル」が気になるので図書館予約したのです。<図書館予約:(12/20予約、副本?、予約3)>rakuten満州国グランドホテル【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝【大学教授 こそこそ日記】 多井学著、三五館シンシャ、2023年刊<「BOOK」データベース>より「いくらでも手抜きのできる仕事」。現役教授が打ち明ける、ちっとも優雅じゃない生活。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、入荷待ち、予約?)>rakuten大学教授 こそこそ日記【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.01.13
コメント(0)
図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第六章 躁」では映画撮影の現場がいかなるものか、述べられています。p70~72<第六章 躁> 映画『戦場のメリークリスマス』の撮影は、日本人俳優がラロトンガ入りする直前の8月21日からスタートしていた。収容所でのデヴィッド・ボウイ、トム・コンティの絡みのシーンだ。これが映画のファースト・カットとなった。 大島監督らすでに現地入りしていたスタッフを除く、日本人のキャスト、スタッフらがラロトンガ入りしたのは8月23日。途中、フィジーでの2泊を含む、日本から4日をかけての長旅だった。この長旅の間中、英語の台詞が多い坂本龍一は脚本()とつねに格闘していたという。 到着するなり、そこはもう戦場だった。日本人、外国人のキャスト、スタッフが入り乱れ、宿舎となったラロトンガ・ホテルは収容所ならずとも、戦地のキャンプのような様相を呈していた。 英語、日本語が飛び交い、あちこちで文化の衝突もあれば融合もあった。何人かの日本語に堪能な外国人スタッフたちがその緩衝材、橋渡しの役を担った。 その代表が、外国人キャストへの日本語の台詞指導や大島監督の相談役というポジションにいたロジャー・バルバースだった。ロジャー・バルバース ラロトンガでの撮影中のぼくのスケジュールは、基本的に朝起きてまず、オンボロのトヨタで監督や成島さんらをロケ場所まで送る。ほんとうにこの車は大丈夫かっていうぐらいの錆びた車でした。そして朝食のときに、トム・コンティ、ボウイ、ジャック・トンプソンら外国人俳優と打ち合わせをして、監督の要望を伝えたり、彼らの悩みや相談を聞いたりする。 彼らのほうから「このシーンはこういうふうにやりたいのだけど、どうか?」と訊かれて、監督に伝えもしました。そういうときは監督の答えはほとんど「好きなようにやってください」というものでした。 でも外国人俳優たちに「Do as you like(好きにやって)」と伝えても、彼らはそれに納得しない。自分の提案に対して、もうちょっと監督からの意見や積極的な肯定の言葉がほしい、と。 というと、監督は、そんなのいちいち指示しない、段取りも組まない。好きにやってくれ、と。 撮影現場では本当にそうだったんです。俳優に向かって、ここでこうしなさい、こういうふうに、ということがまったくない。小津安二郎監督とは180度ちがうというか(笑)、本当に演出の指示をしない、俳優にまかせて、大体ワン・テイク。ときには撮影監督がOKを出す前に「よし次!」って(笑)。 監督は、とにかく役者の自発性にまかせて、最初のテイクがいちばんおもしろいっていう天才的なひらめきがある人。自発性とフレッシュネス、新鮮さとその雰囲気を尊重する。フィルムではそれがうまく出ているわけですから正解でした。 これはよく憶えているのですが、あるシーンでトム・コンティが「ロジャー、このハラ軍曹が現れるシーンでは、ぼくはどういうふうにしゃべるのがいいと思う?」って訊いてきたんです。で、ぼくは何気なく「この椅子から立ち上がりながらしゃべるのがいいんじゃない」って答えたら、それを見ていた監督が「ロジャー! 演出するな!」って怒鳴るんですよ。もう本当に北極からの冷たい風が身体を通り抜けたように凍りつきましたね(笑)。「トム、悪いけど自分で考えて好きなようにして!」って(笑)。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」2:第二次大戦の日本軍と俘虜の関係「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.01.13
コメント(0)
元旦に起きた能登半島地震は、現地は震度7で神戸も震度1程度でユラ~リと揺れて不気味であった。その後余震が今でも続いていて、地震学者も悩むほどの現象であるようだ。政府の対応は責任者不在で心もとないが、自衛隊や現場の職員の頑張りでかろうじて復旧、復興に進みだしているようだ。阪神淡路大震災の震度6弱を体験した者として、能登半島地震対策の問題点やアイデアを以下のとおりメモしてみます。*********************************************************■地盤が4メートルも隆起した場所がある。■起震1分後に1~2メートルほどの津波が押し寄せた場所もあったようだ。■正月休み中の地震だったので、消防、警察、役所、NHKの初動が不十分だった。■群発地震メカニズムと気象庁見解がかみ合わないように思える。■能登空港再開は1月25日とのこと。道路の復旧は目処がたっていない。■高齢者、乳幼児への支援、感染症予防用資材の搬入が追い付いていない。■停電、断水の復旧は道路が復旧した後となる。■仮設トイレは寒いし、照明がないので、夜は使いづらい。■避難所での災害関連死を防ぐ対策が重要、支援ルートの道路復旧が重要。■インフラ復旧のための現地の職員、従業員が不足している。■ガソリンスタンドが被災しているので、輪島市や珠洲市に向かう支援車には予備燃料を持参して。■生活再生支援金:賃貸型応急住宅、災害資材廃棄の無料持ち込み、公営住宅の一時的使用など■農林水産業への支援として漁港の復旧が必要■奈良市はホテルに避難者を1カ月程度受け入れると表明(1月8日表明)■兵庫県と神戸市は能登側の要請を受けて、避難所運営支援のため、14名の職員を8日に派遣した。■ふるさと納税で1月9日で、2500人ほどのホテル避難が達成できる。■10日に、輪島市の火災現場に専門家や支援職員が訪問して、今後の支援業務に必要なスキルについて調査したそうだ。やっと地道な動きが始まったぜ。■支援職員は、元旦から働いているので交代要員を県外から受け入れる必要があるが、なかなか集まらないようだ。■食・水とトイレは過酷な状況にあるわけで、簡易トイレの搬入配布が始まった。■志賀原発の損傷に対する調査が始まり、対策の確立が望まれる。30キロ範囲のモニタリングポストのデータ復旧が必要とのこと。それらデータの(年単位の)審査が必要とのと。■珠洲市の沿岸部では津波は5メートルまで達していた痕跡が見つかった。■金沢の一次支援集積所から10か所の二次支援集積所に配分されるが、そのあとが滞るという状況に陥っている。■11日、低体温症による災害関連死が出始めるとともに、事の重大さが認識されるに至った。■12日、安否不明者が2562人との発表があったが・・・こんなものじゃあないであろう。■12日、秋田からトイレトレーラー車が派遣されたそうです。できればもっとほしいのだが。■12日、国会の衆参予算委員会で能登半島地震対策について審議されるとのこと、キックバック問題もあるでよう。*********************************************************「つなみ!にげて!」という警報阪神・淡路大震災については内閣府阪神・淡路大震災の概要がお奨めです。
2024.01.12
コメント(0)
かつて三宮の阪急神戸ビルの中にアートシアターギルドという映画館があり、マイナーな映画をよく観にいったものです。・・・ということで、以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************1960年台ににATG(アートシアターギルド)という映画配給会社があった。その配給映画を継続して見せるアートシアター(映画館)が三宮にあり、よく見に行ったものです。興味ふかいが(芸術的)、マイナーな映画をよくこんな常設館で続けられるもんだと驚いていましたが、比較的都会だったから経営できたのかもしれません。ATGはたぶん経営不振かなんかで、10年くらい(洋画配給1962~1974年)で活動を終えたが、洋画で75本、邦画も多数配給し、映画ファンに楽しみを与えてくれた。ATGの配給作品のうち、記憶に残っている作品を挙げてみると・・・・・・気狂いピエロ(ゴダール)・かくも長き不在(アンリ・コルピ)・尼僧ヨアンナ(カワレロウィッチ)・華氏451(トリュフォー)・道化師の夜(ベイルマン)・彼女と彼(羽仁進)・肉弾(岡本喜八)・・とかです。*********************************************************なお かくも長き不在、尼僧ヨアンナについては、なでしこさんの日記にすばらしい感想が載っているので覗いてみてはどうでしょう。清水義範さんが『映画でボクが勉強したこと』で、ATGの配給作品を取り上げています。また、ゴダールの「中国女」や「気狂いピエロ」については、『ゴダールの「中国女」』で取り上げております。*********************************************************
2024.01.12
コメント(0)
樹木もまた私のツボでもあるので・・・『地球遺産最後の巨樹』という本を復刻して読んでみようと思うのです。*********************************************************図書館で『地球遺産最後の巨樹』という大型本を、手にしたのです。全ページにわたってカラー写真満載の大型ビジュアル本である・・・写真と文章の著作コンビが世界中を訪ねた熱意と薀蓄がええでぇ♪【地球遺産最後の巨樹】吉田繁, 蟹江節子著、講談社、2002年刊<「BOOK」データベース>より【目次】プロローグ 地上に残った巨樹たち/奇樹バオバブ(マダガスカル)/世界一の巨樹の森(米国カリフォルニア州)/世界最長寿の樹(米国カリフォルニア州東部)/樹幅世界一の巨樹(メキシコ)/台湾神木十傑(台湾)/日本最大級の巨樹(日本)/宝石になった巨樹(米国アリゾナ州)/古代文明を支えた巨樹(レバノン)/森を失った国に残された巨樹たち(イギリス)/星の王子さまのバオバブ(ジンバブエ)/世界一の巨樹発見(南アフリカ)/世界を創った森の神(カナダ クイーン・シャーロット諸島)<読む前の大使寸評>全ページにわたってカラー写真満載の大型ビジュアル本である・・・写真と文章の著作コンビが世界中を訪ねた熱意と薀蓄がええでぇ♪rakuten地球遺産最後の巨樹レバノンスギレバノンスギの今について、見てみましょう。p95~98太古の巨樹を守る現代の救世主:LEBANON 横に大きく扇を広げたようなしなやかな枝ぶり。まっすぐに天空に伸びたたくましい幹。そして芳しい香りを放つレバノンスギ。 カディーシャ渓谷の石窟につくられた修道院には「神に従う人はナツメヤシのように繁り、レバノンスギのようにそびえる」と旧約聖書の言葉が掲げられている。 残された太古の森を「神の杉の森(アルゼラブ)」と名づけたのはマロン派の人々である。弟子たちを連れて高い山に登ったイエスはそこで神に姿を変え、最も大切な樹を植えた。その樹こそがレバノンスギで、高い山がこの森だと言い伝えられているからだ。神の杉の森の中心には、そのときの様子が描かれた祭壇画が飾られた小さな石造りの教会がある。 しかし、敬虔なクリスチャンたちが守り続けてきた小さな森にも陰りが見えてくる。数千年を生きたレバノンスギの中には無残に倒れるものが現れ、樹皮が剥がれ落ち痛々しく木肌をさらす古木が増えてきたのだ。 だが太古の貴重な森には現代も救世主がいた。 太古の巨樹を救おうと最初に立ち上がったのは国際日本文化研究センターの安田嘉憲教授である。その依頼を受けてアルゼラブにやって来たのは、漢方薬を主成分とした樹勢回復剤を弱った樹に注入しているのが広島県の戎晃司氏。戎さんは広島大学の中根周歩教授と共同開発したマツ枯れ防止剤を数千万円以上無償提供し、ボランティアで毎年この森の治療にやってくる。 戎さんが1本1本樹勢を調べたレバノンスギは620本。推定樹齢6500年の巨樹も含め、治療を施した樹は大量の花と実をつけた。レバノンスギの活力が復活してきたことを示すように、枯れたように見えた樹肌にはマツヤニがにじみ出した。 破壊し尽くした人類の歴史から奇蹟的に生き残った太古の巨樹。その行く末をレバノンから遠く離れた日本人が今、見守っている。そして、それに続くように村人たちもまた苗木をつくり、神の杉の森の周囲に若い森を育て始めている。『地球遺産最後の巨樹』3:レバノンスギ『地球遺産最後の巨樹』2:台湾ヒノキ『地球遺産最後の巨樹』1:イギリスのオーク
2024.01.11
コメント(0)
図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実「第二章 走」の一部を、見てみましょう。第二次大戦の日本軍と俘虜の関係が述べられています。p23~25<第二章 走> 1980年は戦後35年。まだまだ戦時がリアリティを持っていた時代だ。 そして、おそらく映画のテーマに大きく関与することになるいくつかの証言もある。東洋である日本と西洋の価値観のすれちがい、摩擦がまさに俘虜収容所で起こっていたという不幸な証言がいくつも聞き取りされている。 いくつか紹介したい。「日本軍の水準からすると、連合軍の俘虜はみな規律も態度もひどい。そうした態度の悪い者をいちいち営倉に入れるのではなく、ビンタ一発で水に流して許してやるというのが日本の温情だった。しかし後に裁判の結果で営倉に入れられることは俘虜の誇りが保てるのに対し、ビンタは虐待であると戦犯となった」「俘虜は顔を殴られることに最大の侮辱を感じていた」「俘虜一人の失敗を俘虜全体の共同責任とみなし、何日か水を与えないでいたり、断食をさせたりした。俘虜を生き埋めにしたこともある」「日本が敗色濃厚になってきて、玉砕の情報などが耳に入ってくると、さすがにこちらも人間ですから、自分の仲間が目の前にいる連合軍兵士の仲間に殺されているという思いに敵愾心を湧いてくるのを押さえられず、手洗い扱いになったこともある」「日本軍の戦陣訓からすると、当然自決すべきなのに俘虜になっている人間という見方はあった」「俘虜たちは日本および日本軍のことを決してジャパン、ジャパニーズとは呼ばなかった。それらは日本を侮辱した呼び方ということで、ニッポン、ニッポニーズと呼んだ。中には“Our host”という呼び方をする者もいた」 また、映画ではジョニー大倉演じる朝鮮人軍属の役柄が印象的だったが、当時の朝鮮人軍属の待遇などについても大島は詳細な聞き取りを行っている。証言者は実際に朝鮮人軍属として従軍した人物、日本の将官の側近だった人たちだ。「ジャワの収容所では、所長と下士官を除くほとんどが朝鮮人軍属であった。彼らは朝鮮の南三道から“捕虜監視要員募集”という名目で集められた20歳を基準とした男3000名であった。当初の約束では二年間の勤務のはずであったが、二年経っても帰してもらえなかった。日本軍にだまされたと感じていた」(中略)「Kという通名を名乗っていた朝鮮人軍属は(残虐なことで知られていた)Ⅿ軍曹の通訳だったため、氏が収容されていた刑務所では看守たちが復讐のためにK氏を探し回ったが、朝鮮名のⅬを名乗っていたため発見されずにすんだ。もし発見されていたらまちがいなく殺されていただろう」 ここに名前が出ているⅯ軍曹は、ある島の俘虜収容所の下士官で、ハラ軍曹の人物造形に大きく影響を与えたと思われる日本兵だ。「中国戦線で勲章をもらって転戦してきた、見るからに勇ましい、生粋の兵士という感じの人だった。身ぎれいな格好をし、将校クラスの長靴を履き、革のベルトに本物の日本刀を軍刀として差していた」「いつも竹のじょうを持ち歩き、バンブーⅯと呼ばれた。収容所内では我が物顔で上級将校の命令も半分ぐらい無視して好きなようにやっていた。自分専用の宿舎を収容所内に作り、その前にはⅯ専用のバナナの木もあった」「俘虜たちが娯楽でオスカー・ワイルドの『真面目が肝心』という演劇を上演したときに、その内容に興味を持って俘虜に説明させた」「教育を受けておらず、自分の名前も上手に書けない人。内地の奥さんに出す手紙も、夜通し書いても書き上げられず、字の上手な朝鮮人軍属に代筆させていた」 これらと並行して大島は原作者のヴァン・デル・ポストからも、連合軍俘虜としての立場での証言を詳細に聞き取りをしている。それらの多くは映画の各シーンの描写によく生かされている。 こうした日本兵と軍属側、連合国側の証言はこの項で紹介したもの以外にも膨大に残されており、それらは単なるいち映画の資料としてのみならず、第二次大戦の日本軍と俘虜の関係についての歴史的な資料でもある。「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」1:坂本龍一さんへのインタビュー
2024.01.11
コメント(0)
図書館で『おいしい水』という本を手にしたのです。神戸を舞台にして繰り広げられるラブストーリーのようです。カラー写真のページも多くて・・・ええでぇ♪【おいしい水】 原田マハ著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>よりあの頃、誰かを好きになると、世界が、変わる。-若い恋の“決定的瞬間”をたどったラブストーリー。<読む前の大使寸評>神戸を舞台にして繰り広げられるラブストーリーのようです。カラー写真のページも多くて・・・ええでぇ♪rakutenおいしい水ややネタバレにはなるが、この絵本のラストを見てみましょう。P83~85 大学の新学期が始まる頃、女子寮にナツコさんから電話がかかってくる。「スチール・アンド・モーション」のビルの取り壊し作業が開始される日、店の前に不審なケースが置いてあったのだそうだ。黒いカメラケース。ナツコさんはそれを引き取って、私に連絡をくれた。ベベの、あのケースに違いなかった。「開けてみはったんですか」 私は胸の高鳴りを抑えながら、最初に尋ねた。ナツコさんは、くすっと笑って答えた。「だからあんたに電話したんやないか。はよ、取においで」「エビアン」で、待ち合わせをした。わかってはいたけれど、いちばん奥の席には、誰も座ってはいなかった。 誰かがやってくるのを待っているかのように、満席の店内でその席だけがぽつりと空いていた。私はその隣の席が空くのを待ってから、店に入っていった。あいかわらず不愛想に、ママさんが黙ってコーヒーを運んできた。 ひさしぶりに会ったナツコさんは少しふっくらとして、元気そうだった。「もうストレスないよって」と笑う。大阪のデザイン会社に、再就職を決めたとのことだった。 ナツコさんはケースを渡されて、私は滑稽なくらい戸惑った。絶対に開けてはならないパンドラの箱。それがいま、私の目の前にある。「どうしたん? 開けてみ」 ナツコさんにうながされて、小さなテーブルの上を占領しているケースの銀色の留め金に手をかけた。 指が細かく震えてしまう。なんとかぱちん、と開けた。恐る恐る、ふたを開く。 中を覗きこんで、私は呼吸が止まりそうになった。 ケースいっぱいに詰めこまれていたのは、スライドだった。 何百枚ものスライド。私は震える指先で、その中の一枚を取り出した。 海の向こうに広がる、美しい街の風景。あの日、船の上で撮った写真だ。 一枚一枚、取り出して見る。海岸通の夕焼け、フラワーロードの並木、パン屋の店先。 ああ、「エビアン」の緑色の椅子もある。ポストカードの並ぶ窓辺も。 ずっと下のほうから出てきたスライドに、私は長いこと視線を落とした。 泣き顔の、私。 泣き顔のショットは、何枚も何枚も、ケースの底からあふれるように出てくる。「なさけない顔やなあ」 ナツコさんが、ふふっと笑う。 ぽつん、としょっぱい水が一滴、テーブルの上に落ちる。 おいしい水、とベベが言った。 アストラッド・ジルベルトの名曲のタイトルだと、いまならわかる。 けれどあの頃、私は19歳。 桜が咲き乱れる季節に20歳になる、ほんの一歩手前を生きていた。 ようやくほころびかけた、硬いつぼみ。 おいしい水の味に気づくには、もう少し時間が必要だった。『おいしい水』1:メリケン波止場やトアロードやポートタワー
2024.01.10
コメント(0)
このところ、多和田葉子の作品を集中的に読んでいるのだが・・・デジタル朝日で『(文化の扉)多和田文学、ふわり越境』という記事を見て、この際、多和田さんのアンソロジーを編んでみました。・白鶴亮翅(2023年)・太陽諸島(2022年)・オオカミ県(2021年)・多和田葉子の〈演劇〉を読む(2021年)・星に仄めかされて(2020年)・(文化の扉)多和田文学、ふわり越境(2019年)・文学界(2019年1月号)(2019年)・歓待する文学(2018年刊)・地球にちりばめられて(2018年刊)・言語、非言語、文化、異文化のはざまで言葉を編む(2016年)・献灯使(2014年刊)・雪の練習生(2011年刊)・尼僧とキューピッドの弓(2010年)・ソウル-ベルリン玉突き書簡(2008年刊)・溶ける街透ける路(2007年刊)・エクソフォニー(2006年刊)・容疑者の夜行列車(2002年刊)・球形時間(2002年刊)R14:「オオカミ県」を追加***********************************************************************『白鶴亮翅』1:冒頭の語り口 『太陽諸島』2:バルト海の料理『太陽諸島』1:第1章 Hirukoは語るオオカミ県『星に仄めかされて』3:ハンブルグまで行く連中『星に仄めかされて』2:「だるまさんが転んだ」という遊び『星に仄めかされて』1:「パンスカ」が出てくるあたり『文学界(2019年1月号)』2:古市憲寿とメディアアーチスト・落合陽一との対談『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談『地球にちりばめられて』4:「第10章 クヌートは語る3」『地球にちりばめられて』3:「第9章 Hirukoは語る3」『地球にちりばめられて』2:第6章 Hirukoは語る2『地球にちりばめられて』1:独自の言語“パンスカ”『歓待する文学』4:小野正嗣さんのフランス体験『歓待する文学』3:J・M・クッチェーの『マイケル・K』『歓待する文学』2:村上春樹の自伝的エッセイ『歓待する文学』1:雪の練習生『献灯使』5:献灯使の選定『献灯使』4:言語の輸出入『献灯使』3:日本の鎖国『献灯使』2:「ナウマン象」『献灯使』1:『献灯使』の語り口『雪の練習生』:冒頭部あたりの語り口『尼僧とキューピッドの弓』1『ソウル-ベルリン玉突き書簡』4:ヨーロッパの景観『ソウル-ベルリン玉突き書簡』3:旅の楽しみ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』2:中国人ディアスポラ『ソウル-ベルリン玉突き書簡』1:漢字や東アジア人の名前『溶ける街透ける路』3:リガ『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ『エクソフォニー』4:ハンブルグ『エクソフォニー』3:森鴎外とドイツ語『エクソフォニー』2:マルセイユ『エクソフォニー』1:北京『容疑者の夜行列車』3:ハンブルグへ『容疑者の夜行列車』2:北京へ『容疑者の夜行列車』1:グラーツへ『球形時間』1:冒頭の語り口************************************************************【白鶴亮翅】多和田葉子著、朝日新聞出版、2023年刊<「BOOK」データベース>よりベルリンで一人暮らしをする美砂は、隣人Mさんに誘われて太極拳学校へ。さまざまな文化的背景の人びととの出会い、第二次大戦前後のドイツと日本の歴史に引き込まれ、名作を女性の視点で読み直す。<読む前の大使寸評>おお 多和田葉子の最新小説ではないか♪・・・ということで予約していた本です。<図書館予約:(8/2予約、副本?、予約57)>rakuten白鶴亮翅************************************************************【太陽諸島】多和田葉子著、講談社、2022年刊<出版社>より世界文学の旗手が紡ぐ、初の連作長篇三部作、完結!響きあう言葉とともに地球を旅する仲間たちの行方はーー。国境を越えて人と人をつなぐ、新しい時代の神話言葉で結びついた仲間たちの、時空を超えた出会いと冒険を描く、多和田葉子の新たな代表作。『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』に続くサーガ、ついに完結!<読む前の大使寸評>サーガ三部作の完結編とのことで、期待が大きいのです。バルト海沿岸の港町が舞台とのことで・・・ウクライナあるいはロシアのスパイは出てくるか?(それはないか)<図書館予約:(11/21予約、副本5、予約17)>rakuten太陽諸島***********************************************************************【オオカミ県】多和田葉子×溝上幾久子著、論創社、2021年刊<「BOOK」データベース>より都会の白兎は何を食って生きているのかー。不思議さ、可笑しさ、不気味さをはらむ物語を美しく細密な銅版画絵で彩るアート絵本です。10代から大人まで楽しめます。<読む前の大使寸評>多和田葉子著の絵本ということでチョイスしたのだが・・・言ってることはよくわからないけど、絵がいいのです。rakutenオオカミ県この絵本にはページ数が書かれていないのだが、最終部分を見てみましょう。オオカミは人を襲う狂暴な動物だと思いこんでいる人がいるようだが、それは違う。オオカミが人を襲うことなどありえない。人に襲われた時に抵抗するだけだ。そのまま放っておいてくれれば静かに生活しているんだが、そんな危ないものをつくる工場を押しつけてこられたのでは、こちらの命が危ない。そうなったらもう、犬みたいにお偉方に尻尾をふっているわけにはいかねえ。ぶじゅっとオオカミになろうぜ。オオカミに。***********************************************************************【多和田葉子の〈演劇〉を読む】多和田葉子著、谷川道子(編集)、論創社、2021年刊<amazon>より〈演劇人間(ホモテアトラーリス)〉としての多和田葉子に本格的に光をあてる初の試み。劇評、演出ノート、作品論、ドキュメント、初邦訳戯曲2本他で多和田の演劇ワールドを探り、パノラマ・可視化する。多和田書き下ろしエッセイ「多声社会としての舞台」も収録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(8/31予約、副本1、予約2)>amazon多和田葉子の〈演劇〉を読む***********************************************************************【星に仄めかされて】多和田葉子著、講談社、2020年刊<「BOOK」データベース>より世界文学の旗手が紡ぎだす国境を越えた物語の新展開!失われた国の言葉を探して地球を旅する仲間が出会ったものはー?<読む前の大使寸評>多和田葉子さんと言えば・・・ドイツに在住の作家で、なんといっても「パンスカ」という言葉を造語した言語感覚が素晴らしいのです。つまり汎スカンディナビア語を「パンスカ」としたのです♪<図書館予約:(1/05予約、副本5、予約20)>rakuten星に仄めかされて***********************************************************************<(文化の扉)多和田文学、ふわり越境>デジタル朝日が「日独2言語で/言葉遊びとユーモアと」と説いているので、紹介します。この記事を紙媒体でスクラップしたのだが、電子媒体でも保存するところが、いかにも老人であるなあ。(この記事を6/24デジタル朝日から転記しました)ドイツ在住の作家、多和田葉子が世界的に注目を集めている。日本、ドイツ、米国で権威ある文学賞を受けてきた。作風は前衛的で国境や言語にとらわれないコスモポリタン。と同時に、日本語の魅力を追究した日本文学である。 多和田葉子は大学卒業後、22歳でハンブルクに移住した。現在はベルリンに暮らす。日本語とドイツ語の両方で、小説や詩を発表してきた。日本では芥川賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞といった純文学の大きな賞を次々に受賞。ドイツではクライスト賞を受け、独特の文体が評価された。いま、世界で活躍する日本人作家のひとりだ。 昨秋には英語版の「献灯使」が米国の権威ある文学賞、全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した。大災厄の後に鎖国を選んだ近未来の「日本」が舞台。訳者の満谷マーガレットさんは、「受賞作は震災後の汚染された日本を描く。決して日本だけの問題ではない。全米図書賞という重要な賞を受けたことでこの作品が世界で広く読まれ、受け止められる、その意義は大きいと思う」と話す。 100歳を超えても頑丈な老人たちが社会を支え、子どもは弱くて歩けない。「彼女のファンタジーは現実に根ざしているから力がある」と満谷さん。深刻な物語だが、ユーモアに包まれ、読後感は朗らか。理由の一つに多和田作品の特徴である言葉遊びがある。「献灯使」では「みどりの日」があるなら「赤の日」も、と休日が際限なく増えていく。すたれてきた性交を奨励する「枕の日」、「インターネットがなくなった日を祝うのは「御婦裸淫の日」だ。***********************************************************************<『文学界(2019年1月号)』1>図書館の放出本のラックで『文学界(2019年1月号)』という雑誌を、手にしたのです。表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。【文学界(2019年1月号)】雑誌、文芸春秋、2019年刊<商品の説明>より▼2019年を占うビッグ対談落合陽一×古市憲寿 「平成」が終わり、「魔法元年」が始まる多和田葉子×温又柔 「移民」は日本語文学をどう変えるか?<読む前の大使寸評>表紙に出ている特集に多和田葉子の名前が載ているのがゲットする決め手となりました。amazon文学界(2019年1月号)『文学界(2019年1月号)』1:台湾人作家・温又柔との対談*********************************************************************** <『歓待する文学』>図書館で『歓待する文学』という本を手にしたのです。小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪【歓待する文学】小野正嗣著、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より文学は私たちの心にどう入り込み、個人の生活や社会に影響を与えるのか。芥川賞作家である著者が欧米、アフリカ、中東、アジアの選りすぐりの作品を紹介。書き手がどのような土地に根ざし、どういう言語で作品を生み出したのか、それが読み手にどう作用するのかを探る。<読む前の大使寸評>小野正嗣が選りすぐりの作品について十三回の放送で紹介する構成であるが、取りあげた作品が、ええでぇ♪歓待する文学この本でJ・M・クッチェーが語られているので、『多和田葉子アンソロジー』R5を参照ください。***********************************************************************【地球にちりばめられて】多和田葉子著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る―。言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。<読む前の大使寸評>言語学的なSFは、モロに太子のツボであるが・・・ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語“パンスカ”をつくり出したHirukoという元ニッポン人が、興味深いのです。<図書館予約:(2/18予約、8/28受取)>rakuten地球にちりばめられて***********************************************************************以降については、『多和田葉子アンソロジー』R8による。
2024.01.10
コメント(0)
図書館で「『戦場のメリークリスマス』知られざる真実」という本を手にしたのです。【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実坂本龍一さんへのインタビューから、見てみましょう。p110~111<坂本龍一(ヨノイ大尉、音楽)> サウンドトラックの音楽に関しては、すべての撮影を終えて日本に帰ってきてからスタートしました。 映画のラフ編集ができあがってからみんなで観てみて、その後にこれを元に音楽の打ち合わせをしましょうと、大島監督とご飯を食べに行きましたね。 そのとき、ぼくは映画のどのシーンにどのような音楽を入れるべきかっていう案を書きだして持っていきました。大島さんも、同じような案を持ってきていた。それをお互いに突き合わせてみたら、なんと9割方が同じ案でした。偶然のようで、これは偶然じゃないですよね。大島さんも我が意を得たりと喜んでくださって、じゃあ、もうあとは好きにやってくれとまかせていただいた。 そう言ってもらえて喜び勇んで録音スタジオに入って、まず最初にメイン・テーマを作り始めました。まず映画のメインとなるテーマを作り、それに準ずるテーマを4つぐらい作っていった。映画では主要なキャストが4人いますから、その4人のテーマをまず作り、それぞれがストーリーの進行に合わせて絡み合っていく。物語の進行に合わせてそれぞれのテーマを変奏しながら使っていったんです。 メイン・テーマに関しては、わりと理詰めに考えて作りました。まずは「クリスマス・ソング」であるべきだろうということ。世の中には有名なクリスマス・ソングがいっぱいあります。それらを念頭に置いた上で、この映画らしいクリスマスの曲を作ろうと思ったんです。 映画の舞台が南洋のアジアで、ストーリーも非常にオリエンタルというかエキゾチックなところがある。東洋の人間と西洋の人間の間での、わかりあえる部分、通じるところ、対立するところが複雑に絡み合ったストーリーの映画。なので、東洋人が聴いても西洋人が聴いてもエキゾチックに聴こえるクリスマスの曲にしようと思ったんです。 ただ、これはけっこう難しくて、単なるアジア音楽では西洋人にとってはエキゾチックでも、アジアの人間にとっては普通に日常にあるものですから、普通の音楽にしか聴こえない。東洋人からも西洋人からもエキゾチックに聴こえる音楽はどういうものかをまず考えて、それをさらに主要なテーマであるクリスマス音楽に沿ったものにしなければならない。(中略) 音楽の制作期間は当時はもちろん、現在の基準でも異例なほど長くとってもらえました。3ヵ月ぐらいかけて作ることができた。なにしろ初めての映画音楽なので、それまでの自分のソロ作品を作る上でこれぐらいの期間が必要だろうとお願いしたんです。そのため自分のペースで作ることができた。珍しいケースでしょうね。 もともと、大島監督がぼくをキャスティングするという噂がまず耳に入ってきたんです。でもまあ、噂だし、半信半疑でいた。ところがある日、事務所に大島監督から電話がかかってきて、ぼくに会いたいと言う。じゃあ、あの噂はただの噂じゃなかったのか!?と、当日はどきどきしながら事務所で大島監督を待っていた。で、窓から覗くと、本当に大島さんがこちらにひとりで歩いてこられるのが見えたんですよ。台本を脇に抱えているのも見えた。 それでいらっしゃった大島さんにご挨拶したら、いきなり映画に出てくれ、と。 こっちはもうびっくりしちゃって、だって映画に出演したどころか、役者としての経験もこちらにはないし、それを言っても、かまわないと。 で、自分でもそれまでそんなことを考えたことはなかったのに、じゃあ、音楽もやらせてくださいってお願いしちゃったんです。もちろん、映画音楽を作った経験もないんですよ。 でも、大島さんは即座に、わかりました。お願いしますと。役者に加えて映画音楽という経験したことのない仕事がダブルとなり、つまりリスクが2倍になったのだけど、ぼくはもううれしくて「ぜひやらせてください!」と応えて決定しました。いま考えても、引き受けるほうも引き受けるほうだけど、そんなリスクをあえて取る監督もすごいなあと、つくづく思います。 演技経験が自分にはないことはわかっているけど、やはり若かったから、自分にもきっとできるだろうと思ってました。
2024.01.09
コメント(0)
図書館で『おいしい水』という本を手にしたのです。神戸を舞台にして繰り広げられるラブストーリーのようです。カラー写真のページも多くて・・・ええでぇ♪【おいしい水】 原田マハ著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>よりあの頃、誰かを好きになると、世界が、変わる。-若い恋の“決定的瞬間”をたどったラブストーリー。<読む前の大使寸評>神戸を舞台にして繰り広げられるラブストーリーのようです。カラー写真のページも多くて・・・ええでぇ♪rakutenおいしい水メリケン波止場やトアロードやポートタワーが出てくるあたりを、見てみましょう。p60~63 あの頃、携帯電話なんてなかった。 ましてやメールやインターネットなんて。 気になる男の子のことを知ろうとすれば、友達か本人に聞くしかなかった。 共通の友だちもいない、本人も口を割らない、となると、その男の子のことは、永遠に謎になる。 話をしたくても、いつでもしゃべれるわけじゃない。伝えたいことがあっても、なかなかうまく伝えられない。 待ち合わせをすれば、絶対に遅れずにその場所に行く。来なくても、いつまでも待つ。 ただ、信じて待つしかないのだ。「まだ待ってたんか」 約束の時間を1時間過ぎても、私は北風の中、ベベを待ち続けた。センター街の角の鞄家の前で、海岸通りの古い銀行の前で、トアロードのパン屋の前で。ベベは決まって遅刻した。早くて十分遅れ、三十分はざらだった。ひどいときは一時間以上、遅れてやってきた。 そのつど、辛抱強く待っている私をみつけては、「まだ待っていたんか」とあきれて言う。「約束やもん」 私はふくれて返す。だけど一度も、哀しいなんて思ったことはない。必ず、ベベは現れる。どんなに遅れても、私が待っていることを忘れないで、やって来るのだ。 私たちは、ぽつぽつと会うようになっていた。冬が終わりに近づく頃、私の大学が春休みに入る頃には、三日に一度、会っていた。私はその年、年末年始も実家に帰ろうとしなかった。長い休みのあいだに、二度とベベに会えなくなってしまったらどうしよう、と不安だったのだ。 何をするでもない。ただ、あてもなく街なかを並んで歩くだけだ。 私は自分のことをほとんどベベに話した。実家は岡山、父は普通のサラリーマン、母は専業主婦、兄は地元で今年就職した。通っている大学のこと。女子寮の話、口うるさい管理人のおばさん。ブランド好きの同級生、つまらない授業、学食のメニュー。 ナツコさんのこと。センスがよくて、おもしろくて、聡明な憧れの女性。デザイン会社に勤務して蓄えた貯金で、「スチール・アンド・モーション」をオープンした。経営難に陥っていることは、言わなかった。 それから、大好きな写真家のこと。 ベベは何ひとつ、自分のことは教えてくれなかった。本名も、年齢も、住んでいる場所も、恋人がいるかどうかも。もちろん、あの男、フツダとの関係も。けれどたったひとつ話してくれたのは、写真のことだった。「おれは、ブラッサイが好きやな」 ブラッサイの写真集、それも三万円近くする高級本を、ベベは「スチール・アンド・モーション」で買っていた。「パリのカフェの写真、あたしも好き。あのにぎやかな感じ」 ポストカードになっているブラッサイの写真を、私は思い出していた。(中略) トアロードから北へ、山の方角へずっと上がっていく。異人館が立ち並ぶ北野町界隈に出る。異人館通りを通って、東へ。緑色のよろい戸の異人館の脇を、急こう配の坂を上がる。うろこ模様の壁の異人館が見えてくる。息切れするくらいの坂道を登りきったところで、「振り向いてみ」とベベが言った。 わあ、と私は自然に声を上げた。 両腕をいっぱいに広げたように、街並みがなだらかに広がる。その向こうに、灰色の海が見える。ちょこんと突き出ている赤い突起はポートタワーだ。空中をあちこち指差して、私はひとりではしゃいだ。
2024.01.09
コメント(0)
図書館で『オオカミ県』という絵本を手にしたのです。多和田葉子著の絵本ということでチョイスしたのだが・・・言ってることはよくわからないけど、絵がいいのです。【オオカミ県】多和田葉子×溝上幾久子著、論創社、2021年刊<「BOOK」データベース>より都会の白兎は何を食って生きているのかー。不思議さ、可笑しさ、不気味さをはらむ物語を美しく細密な銅版画絵で彩るアート絵本です。10代から大人まで楽しめます。<読む前の大使寸評>多和田葉子著の絵本ということでチョイスしたのだが・・・言ってることはよくわからないけど、絵がいいのです。rakutenオオカミ県この絵本にはページ数が書かれていないのだが、最終部分を見てみましょう。オオカミは人を襲う狂暴な動物だと思いこんでいる人がいるようだが、それは違う。オオカミが人を襲うことなどありえない。人に襲われた時に抵抗するだけだ。そのまま放っておいてくれれば静かに生活しているんだが、そんな危ないものをつくる工場を押しつけてこられたのでは、こちらの命が危ない。そうなったらもう、犬みたいにお偉方に尻尾をふっているわけにはいかねえ。ぶじゅっとオオカミになろうぜ。オオカミに。
2024.01.08
コメント(0)
今回借りた3冊です。 だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「絵本」でしょうか♪<市立図書館>・『戦場のメリークリスマス』知られざる真実・おいしい水・オオカミ県<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【『戦場のメリークリスマス』知られざる真実】 WOWOW「ノンフィクションW」取材班×吉村 栄一著、東京ニュース通信社、2021年刊<「BOOK」データベース>より1980年代、男が最も美しかった世界、男が最も哀しかった時代。オーシマ、ボウイ、サカモト、タケシ。二度と現れない、しかし、三度も四度も味わいたい、脅威の「創造」力、結集の秘密と奇跡。貴重な発掘資料と関係者へのインタビューで、伝説の映画の知られざる真実を掘り起こす。ピーター・バラカン、大島新への新規インタビューなども加えた「完全保存版」。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten『戦場のメリークリスマス』知られざる真実【おいしい水】 原田マハ著、岩波書店、2008年刊<「BOOK」データベース>よりあの頃、誰かを好きになると、世界が、変わる。-若い恋の“決定的瞬間”をたどったラブストーリー。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenおいしい水【オオカミ県】多和田葉子×溝上幾久子著、論創社、2021年刊<「BOOK」データベース>より都会の白兎は何を食って生きているのかー。不思議さ、可笑しさ、不気味さをはらむ物語を美しく細密な銅版画絵で彩るアート絵本です。10代から大人まで楽しめます。<読む前の大使寸評>多和田葉子著の絵本ということでチョイスしたのだが・・・言ってることはよくわからないけど、絵がいいのです。rakutenオオカミ県
2024.01.08
コメント(0)
全65件 (65件中 1-50件目)