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経済同友会の代表幹事の小林喜光さんがインタビューで「技術は米中が接近、激変に立ち遅れ、挫折の自覚ない」と説いているので、紹介します。(小林さんへのインタビューを1/30デジタル朝日から転記しました)1946年、新進の企業人83人がつくった経済同友会。経済再建を誓った設立趣意書には、「全く新たなる天地を開拓しなければならない」「同志相引いて互に鞭(むちう)ち脳漿をしぼって」と熱い言葉が並ぶ。以来70年余。同友会を率いる小林喜光さんの頭を離れないのは、日本が2度目の敗北に直面している、との危機感だという。Q:「平成の30年間、日本は敗北の時代だった」と最近発言されています。経団連、日本商工会議所と並ぶ日本を代表する経済団体のトップで、かつ三菱グループの大企業(三菱ケミカルホールディングス)の会長でもある方の言葉として、敗北とは衝撃的です。A:なんてことを言うんだ、と各所でおしかりを受けます。しかし事実を正確に受け止めなければ再起はできません。例えば30年前で世界の企業の株価時価総額を比べると、トップ10入りした米国企業はエクソン・モービルなど2社ほど。NTTや大手銀行など日本企業が8割方を占めていた。中国は改革開放が始まったばかりで影も形もありませんでした。 これが今では、グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンという『GAFA』と、アリババ、テンセントなど米中のネット系が上位を占め、モノづくりの企業はほとんどない。日本はトヨタ自動車が四十数位で、そこまで差がついた。企業の盛衰が反映する国のGDP(国内総生産)でも伸び悩む日本に対し、米中は倍々ゲームで増やしていったのです。Q:日本の一人負けですか。A:テクノロジーは、さらに悲惨です。かつて『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などといい気になっているうちに、半導体、太陽電池、光ディスク、リチウムイオンバッテリーなど、最初は日本が手がけて高いシェアをとったものもいつの間にか中国や台湾、韓国などに席巻されている。もはや日本を引っ張る技術がない状態です。 米中間でせめぎ合いが続く通信の世界でも、次世代規格の5Gに至っては、日本メーカーのシェアはごくわずか。牽引役は中国の華為技術(ファーウェイ)が先行し、北欧のエリクソン、ノキアがどうにか追随している状況です。自動車の自動運転や遠隔医療など次世代の基幹的技術になる5Gでこの有り様では、敗北と言わずに何を敗北と言うんでしょうか。 ■ ■Q:おおかたの国民、さらに国民が選んだ政治家たちに、おっしゃるような深刻な危機感はないと思います。A:事実を事実として受け止めないから『GAFAみたいな世界もすぐ追いつける』とのんきな気分でいられるんでしょう」 そもそも失われた20年とか、デフレマインドの克服とかいうこと自体が本末転倒です。安倍晋三政権で、アベノミクスが唱えられ『財政出動、金融の異次元緩和を進めるから、それで成長せえ』といわれました。しかし本来は時間を稼ぐため、あるいは円高を克服するために取られた手段で、それ自体が成長の戦略だったわけではないのです。この6年間の時間稼ぎのうちに、なにか独創的な技術や産業を生み出すことが目的だったのに顕著な結果が出ていない。ここに本質的な問題があります。Q:失業率が下がったり、株価が上がったり、と足元の状況に満足しているのでしょう、安倍政権の支持率は高いままです。A:内閣府の2018年6月の調査でも74・7%の国民が今に満足していると答えています。18~29歳では83・2%ですよ。心地よい、ゆでガエル状態なんでしょう。日本全体は挫折状態にあるのに、挫折と感じない。この辺でいいや、と思っているうちに世界は激変して米中などの後塵を拝しているのに、自覚もできない。カエルはいずれ煮え上がるでしょう。 国家の未来図が描かれないままの政治が、与野党含めて続いてしまったためです。今さえよければ、自分さえよければ、という本音の中で、国民も政治家も生きてきた。周りが敵ばかりのイスラエルや、覇権を維持するためには科学を前に進めなくてはならない米国などと違い、皆で楽しく生きていきましょうという空気が取り巻いて敗北を自覚しない。運動会で『みんな一緒にテープを切りましょう』と競争自体を忌み嫌った時期もあった国だから無理もない。Q:敗北が見える、自覚できる事態になると、どんな状況が待っているのでしょうか。A:地政学と地経学という二つの次元があるでしょう。地政学では三つの選択肢がある。今は米国依存ですが、さらに従属を深めた米国の別種の州として生きていく。これを断ち切れば、うっかりすると中国の一つの市、北京や上海になる形もあり得るでしょう。どちらも嫌だ。日本は日本だと、独立を守り、米中の間で中立を保つことも可能性としてはある。 経済、技術を通した地経学的な見地が死活的に重要です。現在は歴史的な革命期にあると皆が認識すべきです。5GもAIもサイバーセキュリティーも、日本は本当に遅れてしまい、基幹的な技術を欧米や中国から手に入れなければ産業、社会が立ちゆかなくなる。外国政府や企業の意向を無視しては国家全体が成り立たなくなる。リーディングインダストリー(成長を引っ張る産業)を自国の技術で育てることができず、他国の2次下請け、3次下請けとして食いつなぐ国になってしまう。Q:おっしゃる通りなら非常に恐ろしい世界です。そこから抜け出すのも至難なことでしょう。しかし息継ぎのために国債が乱発された結果、財政に余力はなく、持続可能性が疑問になっています。A:GDPを増やそうとして逆に国内の総負債を増やしたんです。6年間で約60兆円のGDPが増えたといいますが、国と地方の借金は175兆円も拡大しました。これで次の世代に引き継いでいけるでしょうか。一方で5Gや半導体、量子コンピューターなど、次世代が利用する技術の研究開発費は欧米や中国に出遅れている。Q:しかし、アベノミクスに小林さんを含め財界も手をさしのべました。結果的に時間稼ぎに加担した責任は軽くないでしょう。A:非常に問われている。矜持を持つ財界人が少なくなりました。Q:どういうことでしょう。A:経営者として、あるいは社会的公器のリーダーとして、社会に対して強く関わって変革していこうという意志を持った人の絶対数が減ったんです。かつて土光敏夫さんが臨時行政調査会を率いて行政改革を進めた頃、財界には高い権威がありました。 でもネット社会のいまは、財界トップと言っても、持っている情報が一般の社員と比べて特段に優れているわけでもないから、社会的地位も特段に高いわけでもない。そうした状況で、官邸1強体制の中、経済財政諮問会議や未来投資会議など政府の意思決定過程に組み込まれてしまえば、できることもたかがしれている。 ■ ■Q:変えていくためには。A:まずは財界トップに権威のない時代だと自覚する。だからこそ財界人だけで群れて固まらず、学界や知識人、若い人たちも含めた幅広い団体、いわば知的NPOを作って意見を交わし、社会に問いかけ、政治に注文する。そういう柔軟な形でないと世の中は動かなくなっている。まず知的NPOとして活動する場として、今度の大阪万博などは、よい機会になると思います。お金集めなどは二の次です。世界に向けて何を考え、何を訴えるのか、それが本質です。 ■ ■Q:日本の衰退が心配な半面、世界は一国主義や分断が広がっています。A:一国主義を主張する政治家は選ばれた存在に過ぎず、選んでいるのは国民です。悪いのは国民です。各国で国民が劣化したんです。偽りと真実を見極めることが民主主義の原点なのに、それができずに独裁者を生む。プーチン氏や習近平氏であり、西側でもそういう連中ばかりになってきた。劣化は老いから始まったと思います。老いて勉強しない。考えない。新しいものに果敢に挑み、切り開くエネルギーも枯渇してきました。Q:先進国は老いたのですか。A:文明は老いるものです。ローマしかり、大英帝国しかり。新しい血と混ぜることを嫌えば衰退に向かう。それが世界史です。トランプ氏が壁造りに躍起になっていますが、外国からいろんな人がやってきて活性化してきたというエネルギーを馬鹿にしてはいけない。 日本は『弱きを助け強きをくじく』といった大和心は残しつつ進取の気性を培わないと、挫折したまま滅んでしまう。単なる労働力として外国人を入れるのではなく、勉強する、考える日本人を増やす触媒の役割を担ってもらうべきです。Q:社会にはストレスが生まれませんか。A:だからいいんです。無用な対立はいけないですが、異文化と接することで日本本来の文化も磨かれる。陳腐化したものは淘汰される。そうした新陳代謝を怠ったのが、残念ながら平成時代の一つの性格です。異文化とワイワイガヤガヤやって実力がつくのです。(聞き手 編集委員・駒野剛) *小林嘉光:1946年生まれ。相関理化学を専攻。イスラエル留学などを経て74年、三菱化成工業(現三菱ケミカル)に。2015年から経済同友会代表幹事。敗北日本 生き残れるか小林嘉光2019.1.30この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR10に収めておきます。
2019.01.31
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<3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程2>図書館で『3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程』という本を手にしたのです。高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいので借りたわけでおます。【3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程】伊澤岬、他著、彰国社、2018年刊<「BOOK」データベース>より本書は、3・11復興へ手弁当で関わった著者らの挑戦の記録。高防潮堤に代わる「津波をかわす」発想による建築と土木の融合の提案、さらに原発依存から再生エネルギー中心のまちづくりの提案など。しかし、それらは前例主義の壁に阻まれた。なぜなのか。著者らはアンビルドな案に込めたメッセージを言葉へと換える。<読む前の大使寸評>高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいのです。amazon3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程第1章「挑戦のはじまり」で復興支援の活動を、見てみましょう。p20~27<復興支援の活動> 3.11被災直後に復興都市モデル研究グループを産学連携によって立ち上げ、引き続いて東日本大震災復興水上空港ネットワーク構想研究会を、また3.11の直前には太陽エネルギーデザイン研究会を設立し、これらの三組織が有機的に連動しながら今回の復興支援にあたりました。■復興都市モデル研究グループ 復興都市モデル研究グループの活動についてその復興支援の内容を時系列に沿って紹介します。■1岩手県宮古市 3.11から18日目、2011年3月29日に岩手県宮古市田老地区を対象として津波を「かわす」計画理念での新たな防災インフラとしてのツールと、エネルギーによる復興都市モデル案のスケッチを完成させました。同3月31日「東日本大震災復興都市モデル 岩手県宮古市田老地区をエーススタディとして」をまとめ、直ちに主宰する日本大学理工学部社会交通工学科デザイン研究室を中心に産学連携チームを結成しました。 すでに3.11の前年に設立した太陽エネルギーデザイン研究会のメンバーとなる多くの企業にも協力要請をして会員となる建設会社、設計事務所、CAD事務所や太陽光パネルの製造会社などの賛同を得て、産学連携チームの結成につながりました。 4月1日から活動を本格スタートした直後に前述の二つの修士設計をまとめた小林、関の両氏が研究室を突然訪れて支援協力を申し出てくれました。教師冥利につきるものと大変力強く感じました。このように多くの支援を受けながら、今回の被災が並外れて甚大なものであったことを改めて思うとともに、これまでのような防災提案に限定することなく、英知をしぼって未来につながる社会システムの構築が求められていると強く感じました。 どのようにして18日間という、短時間で案をまとめることができたのかをお話ししたいと思います。 研究室の書棚には田老町発刊の「津波と防災」2007年版の小冊子が所蔵されていて、この小冊子にはこれまでの田老地区での津波被害の状況、十mの巨大防潮堤の建設のいきさつとその概要など、復興案構築のための広範囲で充実した内容とともに、当時の市民の避難システムまで掲載されていました。改めてこれらを熟読するとともに、早速市販されている二万五千分の一の地図を求め、二千分の一に拡大して市街地の地形が把握できる模型を作製しました。(中略) 新幹線が復旧した5月2日、岩手県土木整備部長に説明の機会を得て、前述の岩手県宮古市田老地区復興都市モデルを県庁で説明しました。これに日刊建設新聞が同行取材に加わりました。説明後、増田寛也元知事のもとで副知事を務めた故竹内重徳氏、高橋敏彦北上市長らから今回の被災や復興計画の現況についての情報収集と意見交換を行なうとともに、持参した復興提案を詳しく説明しました。両氏とも私達の大学、学部の同窓で、市長は教え子となる建築家で被災直後市長に選ばれました。 翌日、宮古市田老地区の被災状況を視察し、その後、山本宮古市長に先に紹介した修士設計二題とともに今回の復興案を詳しく説明しました。5月11日には、日刊建設新聞誌上にこの田老地区の津波の「かわす」復興案が防災ブリッジ、コリドールと新産業起業をイメージした太陽エネルギーによる環境エネルギー都市像が全体計画図とともに掲載されました(図8)。 記事についての反応は兵庫県などからあったものの、ほとんどが被災地以外からのものでした。その後、新聞報道がきっかけとなって9月に被災地、宮古市田老地区のNPOからのまちづくりの支援要請につながりました。(中略)■4気仙沼市 被災の翌年2011年1月には、震災後被災地での実施に向けた本格的なまちづくりコンペ「気仙沼市復興まちづくりコンペ」が開催されました。港町としての海辺のにぎわいのなかに主催者から求められた巨大な防潮堤に対して、「防潮堤の建築空間化」「防潮堤の避難路化」と「水門と海へのビスタ」による防災ツールの提案で、「建築」と「土木」の融合のなかに津波を「かわして逃げ切る」新たな防災ツールの組合わせの提案となります。 私達の提案は一次審査で最終十案に選ばれ、同年4月29日、36人の被災市民も審査員に加わっての公開の審査会で「佳作」に選ばれましたが、実施案となる一等案は超ハイテク技術による浮上式防潮堤案が選ばれました。この一等案のプレゼンテーションを聞いて、原発事故の引き金になった外部電力が途絶えたときのことが脳裏に浮かびその安全性が懸念されるとともに、デザイン案でなく技術提案が選ばれたことに大きな違和感を覚えました。ウーム 気仙沼市の復興まちづくりコンペ結果に表れた無理と疑惑には大いに違和感を覚えますね。3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程1
2019.01.31
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図書館で『睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ナショジオの鳥シリーズをフォローしているので、その一貫として借りたのです。。【睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年刊<商品の説明>より特集●乱される現代人の睡眠●毒殺される野生動物●インコとオウム 人気者の苦境<読む前の大使寸評>ナショジオの鳥シリーズをフォローしているので、その一貫として借りたのです。amazon睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)睡眠にまつわる病気を、見てみましょう。p59~64<睡眠にまつわる病気:クリスティン・デラモア> 米疾病対策センターによると、米国の成人では、推奨される7時間以上の睡眠をとっていない慢性的な睡眠不足の人は8000万人あまりにのぼる。睡眠パターンのわずかな変化でさえ、深刻な問題につながりかねない。北米では、夏期に標準時間を1時間繰り上げる夏時間が始まった週の月曜日には、普段の月曜日に比べ、心臓病の発生件数が24%増え、車の衝突事故による死者も急増する。 生涯を通じて一度でも睡眠障害と診断される人は、およそ3人に1人にのぼる。慢性的な不眠症や睡眠時無呼吸症候群、むずむず脚症候群といった症状から、はるかにまれな病気まで、睡眠に関する障害はさまざまだ。 眠ろうとすると頭の中で爆発音が聞こえる「頭内爆発音症候群」という病気もある。また、夢から目覚めてもしばらくは体を動かせない金縛りの症状も知られている。一方で、制御不能な眠気に突然襲われる「ナルコレプシー」の患者もいる。クライン・レビン症候群は数年の周期で1週間か2週間ほぼぶっ通しで眠ってしまう病気だが、目覚めた後は、これといった後遺症もなく普通の生活に戻れる。 不眠症はこれらの疾患よりはるかに一般的な障害で、米国の調査では、過去1ヵ月間に睡眠在を服用したと答えた成人の4%が、主な使用目的に不眠の解消を挙げた。不眠症患者の多くはなかなか寝つけない、夜中に目が覚めてしばらく眠れないといった症状を訴える。睡眠が生き物に共通する自然現象で、長い歴史を通じて進化してきた仕組みならば、なぜこれほど多くの人々が不眠に悩んでいるのか。 ほかの生き物と同じく、人間が進化を通じて獲得したのは、いつでも中断でき、融通の利く睡眠だ。より優先度が高い事態が起きれば、眠りは後回しにされる。脳には睡眠を中断するシステムがあり、子どもの泣き声や肉食動物の足音といった緊急事態を察知すれば、睡眠のどの段階にあっても、すぐに目覚める仕組みになっている。(中略) 日常的に睡眠時間が6時間未満の人は、うつ病、精神障害、脳卒中のリスクが高い。睡眠不足は肥満とも直接的な関係がある。睡眠が足りないと、胃などの器官から空腹ホルモンと呼ばれるグレリンが多量に分泌され、必要以上に食べるからだ。 仮眠をとっても、薬に頼っても、問題は解決しない。米ジョンズ・ホプィンズ大学の睡眠科学者ジェフリー・エレンボーゲンは「睡眠は画一的ではありません」と言う。「たとえて言えば、マラソンではなく、十種競技のようなもの。数多くの異なる要素で構成されています。薬や装置で操れたらいいと思うでしょうが、睡眠は十分解明されていません。その一部の要素を人為的に操作するのはリスクが伴います」 エレンボーゲンをはじめとする専門家は、短時間の睡眠で済ませようという考え、とりわけ、睡眠の大半は不要だという考えには批判的だ。ウーム ほぼ昼夜逆転で暮らしている者にとって、気にかかるくだりでおました。睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)1:インコとオウム
2019.01.31
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図書館で『睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)』という雑誌を、手にしたのです。ナショジオの鳥シリーズをフォローしているので、その一貫として借りたのです。。【睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年刊<商品の説明>より特集●乱される現代人の睡眠●毒殺される野生動物●インコとオウム 人気者の苦境<読む前の大使寸評>ナショジオの鳥シリーズをフォローしているので、その一貫として借りたのです。amazon睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)インコとオウムを、見てみましょう。p13~15<インコとオウム 人気者の苦境:クリスティン・デラモア> 南アフリカ第2の都市ダーバンにあるウムゲニ・リバー鳥類園では、時折り、オペラ歌手が発声練習をしているような声が響く。“”はアオボウシインコのモリー。かつての飼い主から音階を教わったという。ここにいるインコやオウムの多くが、飼育を断念した飼い主から引き取られてきた。オウム目に分類されるこうした鳥たちのなかには、3歳児と同じくらいの知識があったり、80歳まで生きたりするものもいる。「鳥の世界の人間」と呼ばれることもあるオウム目は、社会性が高く、飼い主と強い絆を結ぶ。最も人気の高いペットだと言われる理由がそこにありそうだ。しかし、その人気がオウム目の鳥たちを脅かしている面もある。世界各地で人工繁殖が行なわれているものの、現在でも野生から違法に捕獲されることが多いのだ。「米国の場合、売られているインコやオウムの99%は飼育下で繁殖されたものと考えられます」と、米テキサスA&M大学の動物学者ドナルド・ブライトスミスは話す。「一方、ペルーやコスタリカ、メキシコなら99%が野生で捕獲された可能性があるでしょう」 森林伐採などによる生息地の喪失と並んで、高い需要がインコやオウムを窮地に追い込んでいる要因だ。オウム目は約350種いるが、そのうち4種を除いて、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」、いわゆるワシントン条約で保護対象となっている。 オウム目のなかで群を抜いて人気の高いのは、おしゃべり上手なヨウムだ。ワシントン条約事務局によると、過去40年間を通して、少なくとも130万羽が合法的に18ヶ国から輸出されたという。さらに数十万羽が輸送中に命を落とすか、アフリカで密漁されてきた可能性が高い。 南アフリカは世界最大のヨウム輸出国で、取引の中心地になっている。以前は注文のほとんどが欧米諸国いからだったが、鳥インフルエンザへの懸念や鳥の取引を規制する法整備によって、欧米の市場は縮小した。現在、その穴を埋めているのが中東諸国だ。2016年に南アフリカから同地域に輸出されたヨウムの数は数千羽に上る。(中略) 最近、インコやオウムにとって明るい動きが出てきている。これまでワシントン条約による取引規制に応じなかったサウジアラビアとアラブ首長国連邦が、今後は野生で捕獲されたヨウムの輸入をしないと明言したのだ。保全活動でも良い結果がいくつかある。 たとえば、プエルトリコ固有のアカビタイボウシインコは、営巣できる古い木がなくなったために1970年代には生息数が13羽まで減った。その後、生物学者たちが飼育下での繁殖プログラムを立ち上げ、営巣場所になるようにと塩化ビニール製のパイプを設置し始めた。その結果、野生の個体と飼育下の個体を合わせると、現在では数百羽にまで回復してきている。
2019.01.30
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お天気はくもり、めっちゃ寒いけど、久々に横尾忠則を観に行こう♪…ということで、横尾忠則現代美術館に出かけたわけです。(1月29日に観覧)今回のポスターです。横尾忠則 大公開制作劇場より 観客の前で作品をつくる公開制作は、横尾忠則がしばしば行う制作方法の一つです。人に見られることでかえって余計な自我やこだわりが消え、無心状態で制作することができるという横尾にとって、公開制作は「描く」という肉体的行為を再認識するための格好の手段でした。 本展では、横尾がこれまでに公開制作で描いてきた作品を、映像・写真などの資料とともに紹介します。1980年代、画家へと転向したもののアトリエのなかった横尾が、制作できる場所を求めてやむなくとった手段が公開制作でした。 しかし、人前で描くことで逆に迷いを捨てて集中できるという実感を得た横尾は、アトリエが完成した後も様々な場所で公開制作の機会を持つようになります。そして2000年、横尾の代表的シリーズとなる「Y字路」が描き始められると、以降、公開制作において「Y字路」は一つのフォーマットとして展開し、各地の美術館で開催される個展にあわせて、その土地にちなんだ"ご当地Y字路"が次々と生み出されていきました。 そこではまた、横尾自身が仮装して制作するPCPPP(Public Costume Play Performance Painting)も行われるようになります。 横尾は公開制作を演劇にたとえています。舞台の上で起こる事件=創造の現場を固唾をのんで見つめる観客と、その熱気やエネルギーを創造=事件に利用する横尾。その間には、即興的でスリリングな共犯関係が成り立っているといえるでしょう。これら事件の現場を検証することで、横尾の制作に対する姿勢や創造のプロセス、その変遷を辿ります。[会期]2019年1月26日(土)-5月6日(月:振休)残念ながら、今回は展示作品の写真撮影は禁止となっていました。美術館屋外ロビー内展示横尾忠則amazonを見て、図書館予約する手があるやんけ♪横尾忠則を観に行こう♪8:在庫一掃大放出展横尾忠則を観に行こう♪7:横尾忠則 画家の肖像
2019.01.30
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図書館で『星のあひびき』という本を、手にしたのです。歴史的仮名遣いで知られる丸谷さんが、村上春樹訳のチャンドラーからカズオ・イシグロまで、語るってか・・・ナウいやんけ♪(今ごろナウいは通用するだろうか?)なお、帰って調べてみたらこの本を借りるのは2017年11月以来2度目であることが、判明しました(又か、でも再読でもいいではないか)。・・・これではアカンということで、これまで読んだ丸谷さんの作品を集めてみました。・『恋文から論文まで』1987年刊・丸谷才一(群像日本の作家)1997年刊・『ゴシップ的日本語論』2004年刊・『星のあひびき』2010年刊・『人魚はア・カペラで歌う』2012年刊R2:『丸谷才一(群像日本の作家)』を追加*****************************************************************************『恋文から論文まで』1:吉行淳之介×丸谷才一閑談『恋文から論文まで』2:吉行淳之介×丸谷才一閑談(続き)・『丸谷才一(群像日本の作家)』1:清水義範のエッセイ・『丸谷才一(群像日本の作家)』2:中国皇帝や六朝文化・『ゴシップ的日本語論』1:文学は言葉で作るp95~97・『ゴシップ的日本語論』2:泉鏡花の位置p137~141・『ゴシップ的日本語論』3:日本語があぶないp32~37・『星のあひびき』1:小説家が教える海外文学p67~69・『星のあひびき』2:わたしと小説p34~36・『星のあひびき』3:カズオ・イシグロの短篇小説p125~127・『星のあひびき』4:丸谷さんの憂色p205~207・『人魚はア・カペラで歌う』1:小村雪岱の挿絵p181~187・『人魚はア・カペラで歌う』2:満州の森林破壊p199~202・『人魚はア・カペラで歌う』3:魯山人の茶漬p199~202*****************************************************************************【恋文から論文まで】丸谷才一編、福武書店、1987年刊<「BOOK」データベース>より恋文、卒論、作文、料理、小説、悪文…と、豊富な題材で文章上達の極意を伝授!<読む前の大使寸評>たくさんの作家による文章論が載っていて、興味深いではないか♪・・・ということで借りたのです。amazon恋文から論文まで*****************************************************************************【丸谷才一(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より作家であり強靭無比な論理の批評家である丸谷才一。世界と日本の文学を凝視するマルチ作家の全体像を多角的に捕捉し解明する。書き下ろしエッセイ…池澤夏樹/主な執筆者…石川淳、平野謙、大江健三郎、吉行淳之介、他/対談…司馬遼太郎、野坂昭如<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon丸谷才一(群像日本の作家)*****************************************************************************【ゴシップ的日本語論】丸谷才一著、文藝春秋、2004年刊<「BOOK」データベース>よりテレビとケータイが日本語に与えた深刻な影響とは?昭和天皇の「ア、ソウ」と近代日本が背負った重荷!「猫被りの香具師のモモンガーの…」漱石の悪態づくしから学ぶ。さらに鏡花、折口から歌舞伎に現代思想まで、刺戟に満ちた講義、対談が満載。<読む前の大使寸評>なんか見覚えのある表紙の装丁であるが・・・まっ 再読になってもいいか、と思って借りたのです。帰って調べると、やはり再読となることが判明しました。で、(その4)とします。rakutenゴシップ的日本語論*****************************************************************************【星のあひびき】丸谷才一著、集英社、2010年刊<「BOOK」データベース>より戦争の世紀20世紀を眺望し、モーツァルトと『源氏物語』を評価した名誉をたたえる。村上春樹訳のチャンドラーから井上ひさしまで、バルガス=リョサからカズオ・イシグロまでの傑作を推奨する。『坊つちやん』を大胆に解釈し、仔犬を抱いて笑う少年特攻兵の写真に泪する。ゴシップ・ユーモア・奇想・新説がたっぷり。高級で愉しい快楽の書。<読む前の大使寸評>歴史的仮名遣いで知られる丸谷さんが、村上春樹訳のチャンドラーからカズオ・イシグロまで、語るってか・・・ナウいやんけ♪(今ごろナウいは通用するだろうか?)rakuten星のあひびき*****************************************************************************【人魚はア・カペラで歌う】丸谷才一著、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より信長が謙信に贈ったズボンから「小股の切れ上つたいい女」の小股って?まで、頭が刺激されて思わず膝をうつ24篇の知的エッセイ。【目次】鍋の底を眺めながら/検定ばやり/象鳥の研究/浮気な蝶/007とエニグマ暗号機/敵役について/村上春樹から橋本夢道へ/北朝びいき/人さまざま/槍奴〔ほか〕<読む前の大使寸評>ペラペラとめくったら「小村雪岱の挿絵」というくだりがあったので、借りる決め手になりました。rakuten人魚はア・カペラで歌う
2019.01.30
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図書館で『3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程』という本を手にしたのです。高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいので借りたわけでおます。【3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程】伊澤岬、他著、彰国社、2018年刊<「BOOK」データベース>より本書は、3・11復興へ手弁当で関わった著者らの挑戦の記録。高防潮堤に代わる「津波をかわす」発想による建築と土木の融合の提案、さらに原発依存から再生エネルギー中心のまちづくりの提案など。しかし、それらは前例主義の壁に阻まれた。なぜなのか。著者らはアンビルドな案に込めたメッセージを言葉へと換える。<読む前の大使寸評>高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいのです。amazon3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程第2章「復興の理念」で国の復興支援を、見てみましょう。p58~60<復興構想会議と七原則> この「建築」「土木」の関係のメンバーを取り上げる前に二人の学者の発言に注目したいと思います。 一人目が哲学者の梅原猛で、大胆な仮説や推論での新たな歴史論の代表作となる『隠された十字架』では、聖徳太子を鎮魂する寺として法隆寺を取り上げたユニークな建築史論を展開し、さらに『塔』でも歴史ドラマの中に新たな建築史観を示してきました。梅原は特に原発問題を会議の任務から外すとした菅直人首相に対する反発の姿勢は崩しませんでした。今回の被災を「天災」「人災」ではなく「文明災」としています。 次に民俗学者、赤坂憲雄はこれまでの東北での活動の集大成として「東北学」を提唱したことで知られていますが、「被災」を大きな「成長主義的」な考え方からパラダイム転換するとともに、巨大防潮堤が出来た時には人がいなくなる人口減少地帯としての東北の状況を踏まえ、過大な復興投資に疑問を投げかけています。 続いて復興構想の原動力となる建築と土木の建設系の二人のメンバーの一人、河田恵昭は、京都大学在職中に巨大災害研究センター長、防災研究所長をへて阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」長も歴任した土木学者です。著書の『津波災害・・減災社会を築く』(岩波新書、2010)は3.11の前年の出版で復興構想会議でも、この著書のキーワードである「減災」が復興計画理念構築に大きく影響しました。 これは、これまでの災害の被害をゼロとする防災の考え方に対して被害を完全に防ぐことは不可能とし、最小限に抑える「減災」の発想で高台に逃げる、5分で逃げるなどで、津波に強いまちづくりを示しています。 具体的にその対応をハードとしては避難ビル、防潮堤などによる「多重防御」や「人工地盤」を示し、ソフト的対応には「津波警報の改善」、「ハザードマップの充実」などを提唱しています。河田の減災論は、私達の理念とした津波を「かわす」理念に通じるもので、国の復興構想に「減災」が大々的に盛り込まれるきっかけとなりました。 河田は、さらに巨大津波に対して土木が担うこれまでのような大防潮堤ではない、より都市的な拡がりのなかに考えること、すなわち建築と土木の融合を提案しました。これは、復興のスピードを増すために前例主義を掲げる土木界では考えられない画期的なメッセージとなります。 もう一人の「建築」からは阪神・淡路大震災に直面し、その復興活動の経験のある建築家、安藤忠雄です。安藤からは河田のような建築と土木の融合をバックアップするような視点での発言ではありません。 当時、復興支援を進める土木に対峙する建築界からは、日本建築学界を中心に土木学界を巻き込んでの復興でのコラボレーションを再三申し出ましたが、これを具現化する中央官庁、特に国土交通省への働きかけに土木学界としては遠慮があるという学会長の発言に代表されるように結果的には頓挫しました。 このことは学会以上に土木行政が絶対的な権限を有していることを示すこととなり、いうなれば私達の復興計画で示した「防災ブリッジ」「防災コリドール」「斜面住居」の実現可能性がないことを示すこととなります。 結果的には復興計画における建築の出番は極めて限定的となり、第1章のおわりで紹介したように唯一の成果が建築家、伊藤豊雄らによる地域の被災者コミュニティ施設としての「みんなの家」にとどまりました。 この復興会議での建築から社会に向けた強いメッセージがなかったことは、私たちの復興への大きな絶望につながりました。<復興構想会議の復興案>p60~61 復興案は、これまで通りの「巨大防潮堤」に加え、津波浸水被害地の巨大な嵩上げによる「人工の丘」、高台移転による「丘の上のニュータウン」や、さらにこれらを複合的に対応する「多重防御」のメニューが減災の理念の具体的方策として提案されました。 この「人工の丘」は、南三陸町や女川町で採用され、南三陸町では高さ十メートル、建物の高さでは三階建てにも盛土による造成工事が現在でも進められています。盛土は、切土にくらべ沈下などの問題を抱え、重い建物には工事費用がかかりますし、軽い木造の住宅でも基礎には工夫が求められます。さらに重要なことは、津波によるピンポイントへの集中力による土石の崩落をきっかけに、盛土全体に被害が拡大する危険性が想定されます。 その危険性を回避するためには、側面を石垣、植栽などによって土石流の流出を防ぐ工夫が求められます。私達のこうした危惧に対して、古代からの古墳での実績があると土木技術者は胸を張ります。とはいえ、宮古市田老地区のように現況の高さ十mの防潮堤でも、内側の市街地からこれを見上げると強い圧迫感を感じますが、「人工の丘」の高さもかなりの違和感を工事の途中ではありますが感じました。 さらに「減災」に関して新たな津波レベルのコードがこの復興構想会議や国の中央防災会議で示されました。中央防災会議では復興対応として、頻度の高い津波L1と、今回のような最大クラスの津波L2の二つのレベルに分けることが必要となります。想定されたこの二つのレベルの根底にあるのは、今回の巨大津波被害を完全に押さえ込むことは費用の点からも不可能であるというもので、現実的な対応といえます。 L1の津波は防潮堤で守り、L2の津波は防潮堤を越えてくるが、高台移転や非難方法などハードとソフトを合わせた「多重防護」で命だけは守ろうとするものです。1928年の「昭和三陸津波」で犠牲者は三千人、今回の「東日本大震災」は二万人弱でした。復興会議などでは、前者を頻度の高い津波L1とし、後者を最大クラスL2に匹敵するとしています。ウン 津波をかわす「減災論」があったので、辛うじて被災者に寄り添う構想になったようですね。一方で、政府の支援策は相変わらずの縦割り行政であり、復興予算を使いきれない体たらくでおます。
2019.01.29
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図書館に借出し予約していた『転生夢現(上)』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。この本は、いしいしんじさんが絶賛しているので・・・果してどれだけ面白いのか?と借りたわけでおます。【転生夢現(上)】莫言著、河出書房新社、2008年刊<「BOOK」データベース>より人からロバ、牛、豚、犬、猿そして人へ動物と人の心を重ねもって六度の転生。人の身で生きる世界が夢?途方もない物語が始まる。<読む前の大使寸評>この本は、いしいしんじさんが絶賛しているので・・・果してどれだけ面白いのか?と借りたわけでおます。<図書館予約:(1/18予約、1/25受取)>amazon転生夢現(上)『いしいしんじの本』2:中国という感覚第1章「西門ナオが閻魔の庁に無実を訴え、騙されてロバに転生すること」の冒頭あたりを、見てみましょう。p13~15<第1章「西門ナオが閻魔の庁に無実を訴え、騙されてロバに転生すること」> あの連中ときたら、善良で正直でお人好しのこのわしを高手小手に縛り上げて橋のたもとへ追い立て、銃殺じゃ!・・・火薬入れヒョウタン半分ほども火薬を詰め、お椀に半分ほども散弾を込めた猟銃を、半尺ほどの近くでぶっ放しやがった。 ドカーンと物凄い音がして、わしの頭は半分が血泥となって、橋の上や橋の下の冬瓜ほどの灰色の卵石にへばりついた・・・わしは承伏できません。わしは無実じゃ。どうかわしを向こうへもどしてくだされ。あの連中に面と向かって訊いてやりたいのじゃ、わしがいったいどんな罪を犯したのか。 機関銃のようなわしのことばの間中、閻魔大王のてらてら光る大きな顔が絶えず痙攣するのが目に入った。大王の左右の判官どもは目をきょときょとさせて、わしと目を合わせようとはせぬ。連中がみな、わしの無実を知っておるのがわしにわかった。連中ははじめからわしが無実で殺されたとわかっていながら、わしにはわからぬなにかが原因で素知らぬふりを決めこんでおったのじゃ。 わしは無実を叫びつづけたが、ことばは重複し、おなじところをぐるぐる回りした。閻魔大王はかたわらの判官と小声で二言三言ことばを交わすと、驚木を叩きつけて、「もうよい、西門ナオ。汝の無実はわかった。世の中には死ぬべきで死なぬやつは多いし、死んではならぬのに死ぬ者も多い。そいつはこの閻魔の庁でも変えるすべのない現実じゃ。そこで本庁は法外の恩恵として、汝を生き返らせてやろう」 降ってわいた喜びが、重い挽き臼みたいにわしの体を粉々にしそうであったぞ。朱色の三角の令牌を投げると、閻魔大王はさもうるさげな口調で言うた。「牛頭に馬面ども。やつを帰してやれ」 閻魔大王が袖を払って下がると、判官たちもその後に従った。幅広の袖にあおられて、ロウソクの明りが揺れる。黒衣をまとい、腰に橙色の帯を締めた獄卒が二人、左右の脇棟から出て寄ってきた。一人が腰をかがめて令牌を拾うと帯に挿し、もう一人はわしの腕を引っ張って立たせようとする。 令牌を挿した獄卒がわしの腕を引っ張っておった獄卒に手をかけ、経験豊富は先輩が未熟な若い者にお説教を垂れる口ぶりで、「こいつめ。脳味噌に水でもぶっかけられたか、目を禿鷹につつかれでもしおったのか? やつの体が天津は十八番街のカリントウみたいにカリカリに揚がっておるのがわからぬか」「なにをぼけーっとしておる。ロバの血を取って来ぬか!」 若い獄卒は頭を叩いて、なるほどそうだったといった表情を浮かべると、身を翻して大殿から駆け去ったが、じきまた血の痕だらけの木桶を運んできた。体を曲げ、いまにも倒れそうに足下をよろよろさせているところからみて、かなり重そうだった。 獄卒が木桶をドスンとわしのかたわらに据えると、体に響いた。吐き気のする生臭さが襲ってくる。ロバの体温がまだ残っているような、むっとする臭いじゃ。殺されたロバの姿がわしの頭をちらとよぎった。ウーム なんだか魯迅の「阿Q正伝」を彷彿とするお話であるが・・・著者の莫言さんが共産党政権の公認という点である。莫言さんが綱渡りのようなバランスを取っているのかなァ?
2019.01.29
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図書館で借りた『縄文の思考』という新書を読んだところです。これまで読んだ本、テレビ番組などを以下に並べてみるが・・・縄文人の世界がおぼろげながら見えてくる気がします。・『知られざる縄文ライフ』(2017年刊)・『縄文の思想』(2017年刊)・アジア巨大遺跡(第4集)縄文 奇跡の大集落(2015年放映)・『縄文の思考』(2008年刊)・『縄文人は飲んべえだった』(1995年刊)**********************************************************************<『知られざる縄文ライフ』>図書館で『知られざる縄文ライフ』という本を、手にしたのです。火炎型土器、土偶、岡本太郎・・・この流れは、縄文人、縄文ライフにたどりつくわけで、この本をチョイスしたのです。ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル本である・・・とにかく、疲れてきたらビジュアル本でんがな♪【知られざる縄文ライフ】譽田亜紀子著、誠文堂新光社、2017年刊<出版社>より 現代を生きる私たちにとって、誰もが知っているようであまり知らない、縄文時代。この本は研究から見えてきた縄文を、小難しいことを抜きにしてザックリ知るための縄文入門です。 縄文時代ってどんな時代だったのでしょう?1万年というとてつもなく長い年月の中、縄文人たちはどのように暮らしていたのでしょうか?ご飯は? トイレは? 服はどんなものだった??そんな身近な疑問をヒントにすれば、意外と知らなかった縄文時代をノゾキ見するための手掛かりがきっと見つかるはず。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、全ページにカラー画像満載のビジュアル本である・・・とにかく、疲れてきたらビジュアル本でんがな♪rakuten知られざる縄文ライフ『知られざる縄文ライフ』3:縄文人はどこから来たの?『知られざる縄文ライフ』2:縄文の美の発見者『知られざる縄文ライフ』1:鬼界カルデラで大噴火があり**********************************************************************<『縄文の思想』>図書館で『縄文の思想』という新書を手にしたのです。岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?【縄文の思想】瀬川拓郎著、講談社、2017年刊<「BOOK」データベース>よりアイヌ・海民・南島…。縄文は、生きている!!!われわれの内なる「縄文性」に迫る、まったく新しい縄文論。<読む前の大使寸評>岡本太郎が縄文の美を発見して以来、われわれは常に「縄文性」が気になっているのではないか?yodobashi縄文の思想『縄文の思想』2:海民の誕生『縄文の思想』1:北海道の住人**********************************************************************カリフォルニア大学のジャレド・ダイアモンド教授も、農耕に頼らない縄文人の社会は従来の文明論を根底から揺さぶっていると言っていました。アジア巨大遺跡(第4集)縄文 奇跡の大集落初回放送:2015年11月8日 最終回は、日本人の原点とも言われる、縄文文化。その象徴が、青森県にある巨大遺跡、三内丸山である。巨大な6本の柱が並ぶ木造建造物や長さ32メートルもの大型住居など、20年を超える発掘から浮かび上がってきたのは、従来の縄文のイメージを覆す、巨大で豊かな集落の姿だった。 この縄文文化に、今、世界の注目が集まっている。芸術性の高い土器や神秘的な土偶、数千年の時を経ても色あせぬ漆製品。その暮らしぶりは、世界のどの地域でも見られない、洗練されたものとして、欧米の専門家から高い評価を獲得している。さらに、世界を驚かせているのが、その持続性。縄文人は、本格的な農耕を行わず、狩猟採集を生活の基盤としながら、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていた。こうした事実は、農耕を主軸に据えた、従来の文明論を根底から揺さぶっている。 なぜ、縄文は、独自の繁栄を達成し、1万年も持続できたのか。自然科学の手法を用いた最新の研究成果や、長年の発掘調査から明らかになってきたのは、日本列島の豊かな自然を巧みに活用する、独特の姿だった。 さらに、縄文とのつながりを求めて、取材班が訪れたのは、ロシアの巨木の森。そして、地球最後の秘境とも言われるパプアニューギニアで進められている、縄文土器の謎を探る調査にも密着。時空を超えながら、世界に類のない縄文文化の真実に迫っていく。農耕とは地球の自然を人為的に破壊するという側面もあるわけで・・・ブラジルやアメリカのような過度な農耕は地球環境に良いわけないのです。ジャレド・ダイアモンド教授の大局的な慧眼は、そのあたりに注目しているのかも。**********************************************************************<『縄文の思考』>図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。【縄文の思考】小林達雄著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。<読む前の大使寸評>大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。amazon縄文の思考『縄文の思考』3:ムラの生活『縄文の思考』2:縄文語や縄文文化『縄文の思考』1:記念物=モニュメント**********************************************************************<『縄文人は飲んべえだった』>図書館で『縄文人は飲んべえだった』という文庫本を、手にしたのです。先日『知られざる縄文ライフ』という本を読んだが、その勢いでこの本を読んでみようと思ったのです。それにしても、「ハイテク考古学」という視点がいいではないか。この本は『週刊朝日』91~92年に連載した記事をもとに加筆して文庫化しているそうだが、なかなか目を引く構成になっています。【縄文人は飲んべえだった】岩田一平著、朝日新聞出版、1995年刊<「BOOK」データベース>よりバイオ、CGなど最新技術が古代史研究を塗り変えた。ユニークで斬新な「ハイテク考古学」の視点から、言語学、環境考古学の研究動向をふまえ、日本人のルーツ、縄文人の食生活、など数々の謎に迫る。話題の三内丸山遺跡についてもふれた“古代史マジカル・ミステリー・ツアー”へようこそ。<読む前の大使寸評>先日『知られざる縄文ライフ』という本を読んだが、その勢いでこの本を読んでみようと思ったのです。それにしても、「ハイテク考古学」という視点がいいではないか。rakuten縄文人は飲んべえだった『縄文人は飲んべえだった』3:根強い日本人南方起源説『縄文人は飲んべえだった』2:落葉広葉樹林が育てた縄文文化『縄文人は飲んべえだった』1:日本語の起源**********************************************************************
2019.01.29
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「『Shall weダンス?』アメリカを行く」という本を読んだのだが、面白いアメリカ紀行、フィールドワークであった。寡作の周防監督は、冤罪とか終末医療とかシビアな題材を取り上げるようになったが・・・『Shall weダンス?』以来、娯楽作品が見られないのが惜しまれるのである。・・・ということで、大使が観た(これから観る分も含めて)周防監督作品を集めてみました。・『カツベン!(仮)』2019・『終の信託』2012・『それでもボクはやってない』2007・『Shall weダンス?』1996・『シコふんじゃった』1991R1:『カツベン!(仮)』を追記東映の作品公式サイトで周防正行監督映画最新作というのを見かけたので紹介します。公開予定は今年12月とのことで、かなり先になるが待ち遠しいものです♪周防正行監督映画最新作『カツベン!(仮)』キャスト発表!より 周防正行監督最新作の主人公は“活動弁士”!! 今からおよそ100年前、「映画(活動写真)」がまだサイレントでモノクロだった頃。日本では楽士の奏でる音楽とともに独自の“しゃべり”で物語をつくりあげ、観客たちを映画の世界に誘い、そして、熱狂させる【活動弁士】、通称“活弁”(カツベン)が大活躍。他にはない日本独自の文化が花開き、映画を観に行くよりも活動弁士のしゃべりを聞きに行くほど。 本作はそんな時代を舞台に、活動弁士を夢見る青年が、とある小さな町の映画館に流れついたことからすべてが始まる【アクション】×【恋】×【笑い】の要素を織り交ぜたノンストップエンターテインメント!!超満員の映画館、隣町のライバル映画館、再会を果たした初恋相手、大金を狙う泥棒、ニセ活動弁士を追う警察までもを巻き込み、やがて事態は誰もが予想もしなかった展開へ……。周防監督は絵コンテを描かないが、その理由はスタッフの自由度を拘束しないためという。『それでも僕はやっていない』では、冤罪問題の取材に2年以上かけたという。手を抜かない職人のような監督やで♪【終の信託】周防正行 監督、2012年制作、12年10月30日観賞<goo映画解説>より呼吸器内科医の折井綾乃は、同じ職場の医師・高井との不倫に傷つき、沈んだ日々を送っていた。そんな時、重度のぜんそくで入退院を繰り返す江木秦三の優しさに触れて癒やされる。やがて、お互いに思いを寄せるようになる二人だったが、江木の症状は悪化の一途を辿る。死期を悟った彼は、もしもの時は延命治療をせずに楽に死なせて欲しいと綾乃に懇願する。<周防監督インタビュー>より周防監督「折井綾乃は、目の前に座る人を国家権力というよりは1人の人間として、彼が投げかけてくる質問に対して、本当にきちんと向き合って、誠意を持って答えてる。でもその言葉はなかなか届かないんですよね。この映画って、折井綾乃という人が、どうきちんと向き合って生きてきたかっていう映画だと思うんですよ。自分を振り返っても、現代人ってあまりきちんと人と向き合わないでいる気がする。そういう風にしなくても生きていける世の中になってきてしまった。3.11以降、絆とか信頼ってよく言われてますけど、僕はそういうものは、きちんと人や物事を向き合わない限り生まれないものだと思うんですよ。この映画で、折井綾乃は、社会的には敗者のように見えるかもしれないけど、僕は人間としては敗者ではなく、彼女は本当に大事なことを得ることが出来た人だと思ってるんです。だから、この映画で観てほしいことは、人と人とが向き合うこと。誠実に向き合うことの大切さを、どこかで感じてもらえたらいいなって思います」――経験からくる感情と、入念な取材によるリアリティの両方を追求されたんですね。周防監督「それで分かったのは、この映画は1990年代後半が舞台なんです。その必要性というのがあって、医療現場の状況がここ10年でガラっと変わってるんですよ。一例をあげると、お医者さんは自分で自分に処方箋を書けないんですね。睡眠薬がほしいとしたら、違う病院に行ってでも誰かに処方箋を書いてもらわないと手に入らない。主治医1人の判断では何もできないとかも。だから、あの小説を描くにはこの年代を選ばなきゃいけないだっていうのは、取材を通して分かりました」goo映画終の信託「終の信託」を観た byドングリ【それでもボクはやっていない】周防正行監督、2007年制作、2007年観賞<goo映画解説>より大事な就職の面接を控えた日の朝、大勢の通勤客に混じって満員電車から駅のホームへ吐き出されたところを痴漢に間違われ現行犯逮捕されてしまった金子徹平。連行された警察署で容疑を否認すると、そのまま拘留される。その後も一貫して無実を主張するものの、結局は起訴される事に。徹平の無実を信じる母や友人・達雄の依頼でベテランの荒川、新米の須藤の二人の弁護士が徹平の弁護を引き受け、いよいよ裁判が始まる…。<大使寸評>冤罪事件を題材にして映画にした、周防監督の「コロンブスの卵」のような着想と粘り強い制作に拍手です。頻発する冤罪事件の逆転判決にいくらかでも力になったのではないでしょうか。goo映画それでもボクはやっていないそれでもボクはやっていないbyドングリ【『Shall weダンス?』アメリカを行く】周防正行著、太田出版、1998年刊<「BOOK」データベース>より日本映画界の野茂英雄になる-の決意も固く、映画先進国アメリカに乗り込んだ周防監督。ハリウッド流儀を蹴散らし、契約至上主義ビジネスの罠をかいくぐり、米国アカデミー賞に異議を申し立て、前代見聞、満身創痍の悪戦苦闘の末に勝ち取ったのは、「中年の危機」に悩めるアメリカ人の大喝采と、日本映画初の全米大ヒット。強いアメリカに押されっぱなしの日本人のうっぷんを晴らす、痛快ノンフィクション。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、日米の映画産業事情とか、アメリカ人の人間模様が出ていて面白そうである。amazon『Shall weダンス?』アメリカを行く『Shall weダンス?』アメリカを行く8byドングリ【シコふんじゃった】周防正行監督、1991年制作<movie.walker解説>よりひょんな事から大学の相撲部に入ることになった大学生の奮闘をコミカルに描いた異色相撲コメディ。脚本・監督は「ファンシイダンス」の周防正行。撮影は「風、スローダウン」の栢野直樹がそれぞれ担当。<大使寸評>追って記入movie.walkerシコふんじゃった
2019.01.28
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東映の作品公式サイトで周防正行監督映画最新作というのを見かけたので紹介します。公開予定は今年12月とのことで、かなり先になるが待ち遠しいものです♪周防正行監督映画最新作『カツベン!(仮)』キャスト発表!より 周防正行監督最新作の主人公は“活動弁士”!! 今からおよそ100年前、「映画(活動写真)」がまだサイレントでモノクロだった頃。日本では楽士の奏でる音楽とともに独自の“しゃべり”で物語をつくりあげ、観客たちを映画の世界に誘い、そして、熱狂させる【活動弁士】、通称“活弁”(カツベン)が大活躍。他にはない日本独自の文化が花開き、映画を観に行くよりも活動弁士のしゃべりを聞きに行くほど。 本作はそんな時代を舞台に、活動弁士を夢見る青年が、とある小さな町の映画館に流れついたことからすべてが始まる【アクション】×【恋】×【笑い】の要素を織り交ぜたノンストップエンターテインメント!!超満員の映画館、隣町のライバル映画館、再会を果たした初恋相手、大金を狙う泥棒、ニセ活動弁士を追う警察までもを巻き込み、やがて事態は誰もが予想もしなかった展開へ……。周防監督は絵コンテを描かないが、その理由はスタッフの自由度を拘束しないためという。『それでも僕はやっていない』では、冤罪問題の取材に2年以上かけたという。手を抜かない職人のような監督やで♪『カツベン!(仮)』を知ったのは、Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」に周防さんが出ていたからですが・・・対談相手の玉川奈々福さんもなかなかの達人でした。Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」より●『SWITCHインタビュー 達人達「周防正行×玉川奈々福」』NHK Eテレ 2019年1月19日(土)午後10時00分~午後11時00分 東京・浅草に玉川を訪ねた周防、今なぜ浪曲なのか奈々福に尋ねた。それに対し奈々福は「暑苦しいところが魅力」と、喜怒哀楽をストレートにぶつける浪曲ならではの魅力について語る。 一方奈々福は新作映画の撮影現場に出向き、周防流の感情演出を観察。そこではどんな周防の様子が数々のヒット作を生んできた周防だが、監督としてのあり方を変える出来事があったという。良い作品を作るために必要な、監督の心得について語った。浪曲師と三味線の関係は、その場かぎりのアドリブでやっているそうで・・・ジャズみたいな乗りがええでぇ♪
2019.01.28
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図書館で『丸谷才一(群像日本の作家)』というムックを手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【丸谷才一(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より作家であり強靭無比な論理の批評家である丸谷才一。世界と日本の文学を凝視するマルチ作家の全体像を多角的に捕捉し解明する。書き下ろしエッセイ…池澤夏樹/主な執筆者…石川淳、平野謙、大江健三郎、吉行淳之介、他/対談…司馬遼太郎、野坂昭如<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon丸谷才一(群像日本の作家)丸谷さんと司馬さんの対談で中国皇帝や六朝文化が語られているので、見てみましょう。p154~156<中国皇帝の忙しさ>司馬:天皇という存在も、おっしゃる通り、呪術家であり、“源平藤橘”という、やがて全国的になっていく姓の根源である。そして平素の文化性といえば、歌を詠むことだ。その意味からいえば、政治家ではない。 われわれが政治家を思うときは、たとえば源頼朝を考えたり、アメリカの大統領を思ったりしますね。非常に近代主義の目でみて、人民の苦しみ、世の中の不合理とどう対決するか。それを思うんですね。 ところが、平安朝の天皇・・・白河院を例にあげれば、この人ほど自分の権力、王の王たる自分を誇った人はいないわけでしょう。いままでは摂政政治に頼っていた連中ばかりだ。番頭まかせの政治だ、と。しかし、それだけの権力を誇りながら、それをいっさい政治に使わない。せいぜい、ちょっとした宮廷人事に使うぐらいのものですね。 そして、主としてそのエネルギーを女遊びに使う。白河院が一生のあいだにどれだけの女と関係があったかを考えると、気が遠くなる思いがする。丸谷:ええ。(笑) 司馬:たとえば、『平家物語』に登場する彼の恋人、祇園女御のこと。この人の出自は卑しかったといわれていますが、実際には宮廷にいたようです。その養女のショウ子というのが、子供の頃から色気があって賢い。厳密にいえば、白河院の孫になるんです。これを幼女のころから蒲団に入れて可愛がっていて、大きくなったら通じちゃう。だから、この大らかさというのは堂々たるものですね。しかし、天皇の権力というものは、そういう具合にしか表現されていない。 それに比べると、中国の皇帝は僻遠の土地の地方長官が賄賂をとっているかどうかまどと、ずいぶん日常的に監視してますわね。日本では、そういうことがいっさいなくて、キングでもエンペラーでもない。丸谷:そうなんですね。いま北京にいらっしゃる東大の前野直〇教授が、いつぞや中国の皇帝について、あれは官僚の一番トップだと考えれば理解しやすい、とおっしゃっていました。ということは、中国皇帝が最高の官僚であるとすれば、日本の天皇は最高の神主である・・・。司馬:ええ。中国皇帝は最高の官僚ですよね。極端な例でいえば、清朝末期の乾隆、康熙、雍正なんていう皇帝は古今に比類のない猛烈ビジネスマンでしょう。それが自分の股肱の臣にするために、科挙の試験をして官僚に採用する。だから、ダメなやつはダメだけれども、仕事をする皇帝となるとすごいものです。丸谷:唐の玄宗が楊貴妃の色香に迷って、朝政せず、という史実がありますね。最高の官僚が勤務をサボるようになったら、これは困るでしょうが、日本の場合にはべつに困らない。 これはフィクションなんですが、『源氏物語』で時の御門が桐壺の更衣の色香に迷って何もしなくなる、それでみんなが心配するというくだりがありますが、あれは紫式部が中国の皇帝と日本の天皇の区別を知らなかったか、それとも知らないフリをして、(笑)書いてるんですね。司馬:宮中の賢所には、皇祖皇霊が祀ってありますね。それを毎朝詣でるというのが神主としての仕事だから、せいぜいそれをサボったということぐらいでしょう。(笑)丸谷:そうでしょうね。天皇という存在はそれだけのことで、一国の経営の実務にはさほど影響をもたない存在だったと思いますね。司馬:中国皇帝と日本の天皇とのちがいについていえば、王朝時代になぜ政治と関わりを持たなかったのか。それはシャーマンであったからなのか、他の外国文化の影響、ショックをうけたからそうなったのか・・・その契機があったとすれば、六朝文化でしょうね。 六朝と日本とは直接関係はないんですが、われわれは平安期に六朝文化のなかにいたんじゃないかと思うほど、六朝的だ。 よく知られていることですが、六朝は北にいた帝国で異民族に追われて揚子江以南に移った。いわば衰弱した王朝群です。だから、誰の作だったか、これが滅びたあと、この地を訪れて、「三月の雨は六朝の涙に似たり」と詠ったりする。丸谷:ほう。司馬:これは、いい詩ですね。要するに、六朝は中国ではまったく異質な王朝であって、政治をしない。揚子江以南に追われたということもあったでしょうが、とにかく湖南の米作地帯にはいると、政治論をやるやつはまずヤボだという風潮が生まれる。そして、仕事をせず、詩や音楽の話をしたり、女の話をしたりする。いまでもわれわれの文化的気質の中にこれがあるような気がする。 風流というのは、六朝人が発明した言葉なんですね。つまり、毒にも薬にもならないことに熱中するのが風流なんだ。科挙の試験はここでは作動していなくて、貴族が官僚になり、彼らが大臣になったり次官になったりしている。そして、風流が最高価値だという貴族文化が中心なんです。 傍証の多い想像ですけれど、これが南朝鮮の百済を通じて、飛鳥時代の日本に輸入されてきたのではないか。百済という国はどういうわけか、揚子江に船を出して熱心に六朝文化を輸入する。百済人が当時の隣接国、新羅や高句麗とちがうのは、どこか手弱女風で、女性中心の宮廷文化みたいなものがある。そして、やがて統一新羅に滅ぼされようとするときに、日本と結ぶんですね。日本の水軍が白村江で敗れたために百済は滅んで行く。 そのとき、宮廷女官三千が岩から飛びこむ・・・。そういう華やかで、哀れで、どこかいまの演歌にも通じるような、女の怨みみたいなものがこもっている文化だ。 結局、六朝が滅んで隋、唐がおこり、奈良朝文化はこれの影響をうける。しかし、その前の飛鳥時代は六朝そのものでしょう。そうすると、風流はこの世の最高価値だ。大官といえども、書生っぽい政治論議をすると、おまえはヤボだと、いまだにいわれる日本人特有の台詞が、当時から根づいていたんじゃないか。(中略)丸谷:なるほどねえ。感服しました(笑)たしかに、おっしゃる通りかもしれませんね。『丸谷才一(群像日本の作家)』1
2019.01.28
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<祝! 大坂なおみ♪>昨日のテレビは1日中、大坂なおみで持ちきりでしたね。(1日中 テレビをつけっぱなしの暇な大使であったが)大坂なおみ、日本女子の生涯賞金トップに!21歳で10億円突破、杉山愛超えより テニスの全豪オープン第13日が26日、オーストラリア・メルボルンで行われ、女子シングルス決勝で世界ランキング4位で第4シードの大坂なおみ(21=日清食品)は、第8シードのペトラ・クビトバ(28=チェコ)と対戦。7―6、5―7、6―4で勝利し、昨年の全米に続く4大大会優勝を飾った。 今大会の優勝賞金410万豪ドル(約3億2390万円)を獲得。これまで杉山愛が持っていた日本女子の歴代最多賞金獲得額を更新することが確実となった。第2セットで、チャンピオンポイントを3回落として取られたときは、正直なおみは負けたと思ったけど・・・第3セットで、気持ちを切り替えた精神力にはおそれいりました。ところで、にわかに、なおみ特需で1日中テレビに出ずっぱりとなった沢松奈生子さんが、大坂の前陣での高い打点を評価していました。高い打点での前陣速攻といえば・・・卓球のみまパンチと同じ戦法やないけ♪この戦法にはスピードと器用さとそれらを支えるパワーも必用であり・・・わりと日本人向きの戦法なんでしょうね。いや、大坂の場合は、日本人離れをしたパワーと評すべきかも♪なおみさんの人と成りがネットに出ていたので見てみましょう。二重国籍の大坂なおみが日本登録で出場する理由とはより 大坂なおみは北海道出身の母・環さんとハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。二重国籍で、日本語は話す方が苦手。それでも、日本登録で出場し、「日本人」として初の快挙を成し遂げた。大坂が日本登録で出場する理由とは? ◇ ◇ ◇大坂が準決勝を戦う前、1人の米国女性記者が「彼女は本当は米国人よ」と言ってきた。その記者は、昨年10月のツアー最終戦WTAファイナルの時にも、米国の元世界女王キング夫人に「なぜ大坂を日本に持って行かれたのか」とかみついていた。3~4歳時、生まれた大阪から米国に移住した大坂は、日本の記憶はおぼろげだ。米フロリダ在住で言葉も英語の方が流ちょう。日米の二重国籍なため、米国記者が、米国を選んだ方がいいと思うのも当然かもしれない。ならば、なぜ大坂一家は、なおみをいまだに日本登録にしているのか。13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時だった。日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏(40)は、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていた。予選1回戦で敗れたが、1人の初めて見る選手に、目がくぎ付けになった。それが15歳の大坂だった。「すごい才能だと思った」。すぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告。それ以来、日本に来たときは、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきた。吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂が出場していれば必ずコンタクトを取り続けた。大坂は米国テニス協会のジュニア大会に多く出場しているが、目立った成績は残していない。米国では完全に埋もれた存在だった。大坂一家は米国協会に支援を申し込んだが、大して取り合ってもらえなかったという。しかし大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。日米争奪戦の勃発だった。米国は女子代表監督が自ら乗り出し、多額の支援を約束したと伝えられる。だが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。【吉松忠弘】
2019.01.27
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図書館で『丸谷才一(群像日本の作家)』というムックを手にしたのです。ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。【丸谷才一(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より作家であり強靭無比な論理の批評家である丸谷才一。世界と日本の文学を凝視するマルチ作家の全体像を多角的に捕捉し解明する。書き下ろしエッセイ…池澤夏樹/主な執筆者…石川淳、平野謙、大江健三郎、吉行淳之介、他/対談…司馬遼太郎、野坂昭如<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon丸谷才一(群像日本の作家)清水義範が丸谷先生のエッセイを高く(生きる上での幸せと)評価しているので、見てみましょう。p145~146<本を寝酒の友として> 丸谷才一先生がこの本に書いている類の、随筆というか戯文というか、いわゆるエッセイを読めるというのは、日本人のよろこびのひとつである。 こんなに何でも知っていて、次から次へと高度に知的で、それでいて読みやすく、ユーモアも十分にある話をしてくれる人がいるなんて、生きる上での何よりの幸せだからである。 私は独身時代に、夜ごとに丸谷先生と酒を飲むのが習慣だった。いや別に、実際の丸谷先生と知りあいだというのではない。 つまり寝酒の相手を、丸谷先生の本にしてもらったのである。 まず、酒を用意する。ビールの場合もあったけど、多くは日本酒の、それもカップ酒だった。それを近くの自動販売機で三個ほど買ってくるのだ。貧乏青年のことで、ブランデーやバーボンなどとはさっぱり縁がなかった。 酒を買うついでに、肴も自動販売機で買う。選別ボタンを押すと、いろんなつまみがぐるぐる回転するから好みのものを選ぶ、という機械で、のしいかや、ピーナッツを買うわけだ。私がよく買ったのはさばの味噌煮缶詰だった。 そして次に蒲団を敷く。独り者の気楽さというやつで、その辺、実にむさ苦しいのである。うつ伏せに寝て、枕を胸の下に置き、チビチビとカップ酒をなめる。文句のつけようがない夜の楽しみではないか。 そして、酒の場には談話がほしいところである。一人でむっつり飲んでいたって楽しくはないのだ。だが、独り者がここでぶつぶつと訳のわからないことを呟きだしたのでは、おい大丈夫なのかよ、ということになる。 そこで、談話の相手は本に求めるのがいいのだ。 ただし、どんな本でもいいわけではない。特に、小説はやめておいたほうがよい。 こちらは、さあ今から、だんだんと酔ってバカになるぞ、という状態にあるのである。その時にストーリーを追わなきゃいけない小説を読めば、次第に何が何だかわからくなり、誰が主人公だったのかもあいまいになり、誰が殺されたんだかまるで理解できなくなってしまう。 とびきり面白い小説だと、もっとよくないことになる。ついつい本に引きこまれ、いつしか酒を飲むことも忘れ、目を血走らせて巻末まで読みふけって明け方近くになったりするからだ。 そういうわけで、酒の相手とする本は、随筆集などの、スジのないものがよいのだ。ほしいのは談話なのだから。 でも、随筆集なら何でもいいかというと、決してそうではない。むしろどんな作者の随筆にするかというのは、非常に重要なポイントなのである。 酒の上の談話なのだから。 気の合う相手でなければしょうがない。話のレベルが低い奴や、やけに不機嫌で怒ってばかりいるのや、自慢ばかりを際限なく並べる奴、いきなり偉そうに説教する奴などと談話するのはちっとも面白くない。 そうではなくて、話題が豊富で、嫌味がなくて、ユーモアがあり、知識が正確で、しかも紳士的で品のある話し相手がいれば、飲んでる酒もうまくなり、気持よく酔えるではないか。 私にとってはそういう談話の相手が、丸谷先生の本だったのである。文庫本をめぐりながら、心安らかに酒を飲み、時々ニヤニヤと笑ったりしながら、モテない独身男の満ち足りた夜はふけてゆく。 実際、丸谷先生の話題の豊かさにはあきれてしまうしかないではないか。この本の中だけを見ても、セーラー服の由来から始まって、汁かけ飯文化論があり、宮本武蔵見栄っ張り論、英雄色を好むかどうかの考察、鉄仮面の正体についての論考、ナポレオンの辞書の話の真相など、数えあげればきりがないが、へーえ、そんな面白い話があるのか知らなかったなあと、思わずうなるような話題であふれかえっている。頭脳に心地よい刺激を受けるではないか。ウン さばの味噌煮缶詰のコスパは当時でもベストだったようですね。しかしまあ、清水義範の貧乏な時代の話を披露するとは、丸谷先生に対して失礼ではないか(笑)この本も丸谷才一の世界R2に収めておきます。
2019.01.27
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「うつ」状態に落ち込んだような世相であるが・・・ここは、スカッとした無頼の輩たちを描いた映画、映像を挙げてみようではないか。・極夜 記憶の彼方へ(2018年)・スリー・ビルボード(2017年)・百円の恋 (2014年)・イングロリアス・バスターズ(2009年) ・テルマ&ルイーズ(1991年)・兵隊やくざ(1965年)なお、思いつき次第に追記するものといます。R1:『極夜 記憶の彼方へ』、『百円の恋』を追記*********************************************************************2018.12.01極夜 記憶の彼方へ~角幡唯介の旅~より 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。自撮りカメラの映像と肉声でつづる壮絶な旅の記録! 厳冬の北極圏で何か月も太陽が昇らない「極夜」。探検家・角幡唯介は、この暗闇と極寒の世界をたった一人で旅をした。猛烈な吹雪に襲われて方角を知るすべを失い、食料が底を尽き生死の境をさまよう。 壮絶なサバイバルが繰り広げられた「極夜」の世界で、角幡は何を見たのか? 自撮りカメラには、極限の状態に置かれた人間の生々しい姿と肉声、そして人類のはるかな記憶に回帰していく探検家の思索の跡が収められていた。 出発早々に六分儀を失ったので、角幡さんは北極星と月と移動時間だけをたよりに備品デポ地点を目指すのですが、この自撮りレポートはほぼ全篇が暗い地底のような光景が続くのです。それだけに、冬至を過ぎて、地平線上に太陽が顔を出したときの感激がよく伝わったのです。相棒のソリ犬は精神安定剤の役目をはたす存在でもあったが、最悪状況では殺して食べることも考えていたと、サラっと語っていました。【スリー・ビルボード】マーティン・マクドナー監督、2017年、米英制作、H30.07.21観賞<Movie Walker作品情報>よりとある田舎町で起きた殺人事件にまつわる騒動の行方を描き、数々の映画賞で話題を呼んだクライム・サスペンス。『ファーゴ』でアカデミー賞主演女優賞に輝いたフランシス・マクドーマンドが、亡くなった娘を思うがゆえに起こした騒動によって孤立していく母親を、ウディ・ハレルソンが町の人々から支持される警察署長を演じる。<大使寸評>娘をレイプされ殺された者の怒りに比べれば、もう何も恐れるモノはないわけで・・・過激な母親は警察署に火炎瓶を投げつけるのです。この過激なシーンが、案外とストレス発散に効くわけでおます♪警察署長を演じたジョージ・C・スコットには見覚えがあるのだが、「パットン大戦車軍団」のパットンだったんだ。Movie Walkerスリー・ビルボード【百円の恋】武正晴監督、2014年制作、2018.7.23観賞<movie.walker作品情報>より故・松田優作氏の出身地である山口・周南映画祭に新設された第1回松田優作賞グランプリ脚本を「イン・ザ・ヒーロー」の武正晴監督が映画化。不器用でどん底の生活を送っていた32歳の女が、中年ボクサーと出会い、ボクシングを通して変化していく姿を描く。出演は「かぞくのくに」の安藤サクラ、「アウトレイジ ビヨンド」の新井浩文、「ハラがコレなんで」の稲川実代子。第27回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞受賞。 <大使寸評>「立て イチコ!」思わずエールが出そうになったぜ。これまで、ボクシング映画は『ロッキー』とか『ミニオンダラー・ベイビー』など観てきたが・・・泣いた覚えは、ないなあ。では、この映画を観て涙が出てきたのはなぜでしょうね?セコンド陣がタオルを投げずに戦わせたのは、イチコの愚かしいほどのハングリーさを見知っているからでしょう。タオルを投げないのも武士の情というべきか♪movie.walker百円の恋【イングロリアス・バスターズ】クエンティン・タランティーノ監督、2009年米制作<movie.walker解説>よりクエンティン・タランティーノ監督、ブラッド・ピット主演による破天荒な戦争アクション。第2次大戦中のフランスを舞台に、ドイツ軍を恐れさせた連合軍のならず者たちの活躍を描く。<大使寸評>冒頭から「アラモ」のスクリーンミュージックが流れてきて・・・・古い映画のオマージュというより、B級映画でどうよ!と監督が大見得をきっているようで、「アラモ」を映画館で見た世代には堪えられない「つかみ」ですね。見終わった後、「真の戦犯に逃げ道はない」というわりと確固としたテーマが私には見えたけど・・・そんな堅いテーマなんか無いと監督は言うのではないでしょうか?movie.walkerイングロリアス・バスターズイングロリアス・バスターズbyドングリ【テルマ&ルイーズ】リドリー・スコット監督、1991年米制作<movie.walker作品情報>より旅の途中での偶発事件をきっかけに、鮮やかに自己を解放していく女性2人を描いた女だけのロードムービー。監督は「ブラック・レイン」のリドリー・スコット。製作はスコットとミミ・ポーク、脚本はカーリー・クォーリ、撮影はエイドリアン・ビドルが担当。出演はスーザン・サランドン、ジーナ・デイビスほか。<大使寸評>しっかり者のルイーズとアホなテルマがドライブ旅行に出たが、世間知らずのテルマが拳銃まで持ってきてしまうのが、アメリカの異常さなんでしょう。持ち金を盗まれたあと、テルマはコンビニ強盗をしでかすほど生活力を発揮するが・・・・まだ情状酌量できる状況が次第に悪いほうに転がってゆき・・・・警察の狙撃班を相手に逃走するはめに陥るわけです。しっかりしているのに、警察権力にぶち切れたルイーズが状況判断を誤まってしまい・・・・ダイビングを決意するところが哀れと言えなくもないのです。『明日に向って撃て!』は男同士、『テルマ&ルイーズ』は女同士で、どちらの映画も二人組みのアンチヒーローで、最後は死んでしまうところが同じですね。思う存分に暴れまわって、潔い最後を受け入れるところに、割とサバサバした爽快さが味わえるところも、よく似ています。movie.walkerテルマ&ルイーズ【兵隊やくざ】増村保造監督、1965年制作<movie.walkerストーリー>より 昭和18年、極寒の地ソ満国境に近い孫呉の丘に、関東軍四万の兵舎があった。そんなところに、浪曲師の門を追われ、やくざの用心棒をやっていた大宮貴三郎が他の新兵といっしょに入隊してきた。 そして、この貴三郎の指導係を命じられたのが、名門生れのインテリで幹候試験をわざとすべった三年兵・有田であった。星一つちがえは天地ほどの隔りをもつ軍隊で、貴三郎の倣慢な態度は上等兵達の敵意を買った。 なかでも大学の拳闘選手だった黒金伍長は砲兵隊の権威をかさにきて貴三郎を痛めつけた。腹のおさまらない貴三郎は、数日後単身、再び黒金と相対した。しかし相手は多勢さすがの貴三郎も血まみれになった。だが、そこへ有田が駆けつけた。 古兵の出現に事態は逆転し、黒金は指の骨を全部折られたあげく泣き寝入りとなった。そんなうちに貴三郎と有田の間に力強い男の絆が生れた。だが執念深い黒金は、全師団合同大演習の夜、再度貴三郎を襲い、歩兵隊と砲兵隊の喧嘩にまで発展してしまった。やがて事件が上官にも知れ、貴三郎は外出禁足令をくらった。 だがその夜貴三郎は兵舎をぬけ出し、将校専用の芸者屋で音丸と遊び戯れていた。身柄を預かる有田は自ら制裁することを誓って、貴三郎を不問に附した。やがてここにも夏が過ぎ秋も過ぎようとしていた。<大使寸評>アウトローの勝新が暴れまわる、ある意味、爽快な戦争映画であった。9作品も作られたシリーズの第一作であるが、勝新と田村高廣のコンビが絶妙であり・・・やはり「持つべきものは友である」と、思ったわけですmovie.walker兵隊やくざ
2019.01.27
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「手当り次第」でしょうか♪<市立図書館>・睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)・転生夢現(上)・キャンセルされた街の案内<大学図書館>・丸谷才一(群像日本の作家)・3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)】雑誌、日経ナショナルジオグラフィック社、2018年刊<商品の説明>より特集●乱される現代人の睡眠●毒殺される野生動物●インコとオウム 人気者の苦境:<読む前の大使寸評>ナショジオの鳥シリーズをフォローしているので、その一貫として借りたのです。amazon睡眠(ナショナルジオグラフィック2018年8月号)【転生夢現(上)】莫言著、河出書房新社、2008年刊<「BOOK」データベース>より人からロバ、牛、豚、犬、猿そして人へ動物と人の心を重ねもって六度の転生。人の身で生きる世界が夢?途方もない物語が始まる。<読む前の大使寸評>この本は、いしいしんじさんが絶賛しているので・・・果してどれだけ面白いのか?と借りたわけでおます。<図書館予約:(1/18予約、1/25受取)>amazon転生夢現(上)【キャンセルされた街の案内】吉田修一著、新潮社、2009年刊<「BOOK」データベース>より東京、大阪、ソウル、そして記憶の中にしか存在しない街―戸惑い、憂い、懼れ、怒り、それでもどこかにある希望と安らぎ。あらゆる予感が息づく「街」へと誘う全十篇。<読む前の大使寸評>吉田修一の短篇集であるが・・・期待できそうでおます。amazonキャンセルされた街の案内【丸谷才一(群像日本の作家)】ムック、小学館、1997年刊<出版社>より作家であり強靭無比な論理の批評家である丸谷才一。世界と日本の文学を凝視するマルチ作家の全体像を多角的に捕捉し解明する。書き下ろしエッセイ…池澤夏樹/主な執筆者…石川淳、平野謙、大江健三郎、吉行淳之介、他/対談…司馬遼太郎、野坂昭如<読む前の大使寸評>ちょっと古い(群像日本の作家)シリーズであるが、写真も多く、切り口も多彩であり、なかなかのシリーズである。amazon丸谷才一(群像日本の作家)【3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程】伊澤岬、他著、彰国社、2018年刊<「BOOK」データベース>より本書は、3・11復興へ手弁当で関わった著者らの挑戦の記録。高防潮堤に代わる「津波をかわす」発想による建築と土木の融合の提案、さらに原発依存から再生エネルギー中心のまちづくりの提案など。しかし、それらは前例主義の壁に阻まれた。なぜなのか。著者らはアンビルドな案に込めたメッセージを言葉へと換える。<読む前の大使寸評>高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいののです。amazon3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き353
2019.01.26
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。サピエンス全史(上、下)を大学図書館で見つけたので、この本の市図書館予約を取り消すことにしました。<予約中>・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、副本2、予約37)現在6位・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、副本5、予約83)現在40位・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、副本4、予約26)現在12位・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、副本9、予約67)現在41位・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在286位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在71位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在84位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在36位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在60位・浅田次郎著『天子蒙塵(1)』 (1/24予約、副本17、予約1)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・井本三夫『米騒動という大正デモクラシーの市民戦線』・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集:図書館未収蔵・文明に抵抗した弥生の人びと:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・高橋源一郎『ニッポンの小説』:以前に借りている・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・『ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『一汁一菜でよいという提案』・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)<予約分受取:12/09以降> ・与那覇潤『知性は死なない』(7/25予約、12/09受取)・谷川雁「極楽ですか」 (12/01予約、12/09受取)・半藤一利『歴史と戦争』(7/11予約、12/09受取)・佐藤哲也「ぬかるんでから」(12/13予約、12/18受取)・南伸坊「ねこはい」 (12/13予約、12/18受取)・高村薫「神の火」 (12/15予約、12/21受取)・原田マハ『フーテンのマハ』(8/06予約、12/21受取)・『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1/04予約、1/14受取)・いしいしんじ『トリツカレ男』(1/09予約、1/14受取)・装丁/南伸坊(1/13予約、1/20受取)・『ギャシュリークラムのちびっ子たち』(1/14予約、1/20受取)・莫言『転生夢現(上)』(1/18予約、1/25受取)【洞窟おじさん】加村一馬著、小学館、2004年刊<作品情報>より昭和35年、13歳の少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らしヘビやネズミ、コウモリに野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見されたとき、少年は57歳になっていた。実に43年にわたる驚愕のサバイバル生活。―これは現代のロビンソン・クルーソーの記録である。<読む前の大使寸評>驚愕の自叙伝というか、平成の冒険的ドキュメンタリーではなかろうか。図書館で探してみよう。<図書館予約:6/07予約、副本2、予約37>amazon洞窟おじさん【the four GAFA 四騎士が創り変えた世界】スコット・ギャロウェイ著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より激変を預言した著名教授が断言。次の10年を支配するルール。【目次】1章 GAFA-世界を創り変えた四騎士/2章 アマゾンー1兆ドルに最も近い巨人/3章 アップルージョブズという教祖を崇める宗教/4章 フェイスブックー人類の1/4をつなげた怪物/5章 グーグルー全知全能で無慈悲な神/6章 四騎士は「ペテン師」から成り上がった/7章 脳・心・性器を標的にする四騎士/8章 四騎士が共有する「覇権の8遺伝子」/9章 NEXT GAFA-第五の騎士は誰なのか/10章 GAFA「以後」の世界で生き残るための武器/11章 少数の支配者と多数の農奴が生きる世界<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/13予約、副本5、予約83)>rakutenthe four GAFA 四騎士が創り変えた世界【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)>rakuten飛ぶ孔雀【絶滅の人類史】更科功著 、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して「優れていなかった」わけではない。むしろ「弱者」たる私たちが、彼らのいいとこ取りをしながら生き延びたのだ。常識を覆す人類史研究の最前線を、エキサイティングに描き出した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/18予約、副本9、予約67)>rakuten絶滅の人類史【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/24予約、副本17、予約1)>amazon天子蒙塵(1)【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡152予約分受取目録R18好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.01.26
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室p112~113<41 自然散策> 自然を愛する心とドローイングの練習を組み合わせましょう。このラボでは、散歩の途中で出会うさまざまな要素を注意深く観察して描くことによって、小さなドローイングを何点か完成させます。■基本手順1.画材を準備して、お気に入りのハイキングスポットや豊かな自然がある所に行きます。2.このラボでは、リアルに描くことを目指しているので、選んだ題材を時間をかけて注意深く観察します。ざっくりとした、自由な線で描きましょう。3.散策を続け、興味を引かれるものを描きます。4.絵を描いているのであって、写真を撮っているわけではないので、好みに応じて簡略化してもかまいません。アーティストの特権です。5.大小さまざまなサイズ、クローズアップや遠くからの見た目など、いろいろと描いてみましょう。スケールは気にせず、戸外で得た印象で紙を埋めていきましょう。6.紙が埋まるまで作業を続けます。7.自宅の作業場所に戻ったら、ドローイングを何らかの方法で関連付けます。言葉を添えたり、線を引いたり、アリの行列を描き入れるなど、思いついたどんな方法を使ってもかまわないので、散策ドローイングを一つの作品にまとめ上げます。■ペンでドローイングする利点 鉛筆は素晴らしい画材ですし、消しゴムも役に立つ道具です。しかし指導したときに気付いたのですが、消しゴムの使用を許可してしまうと、実際に描いている時間よりも消している時間の方が長くなってしまいます。直接ペンを使って描けば、消せる可能性がなくなるので、描く作業に集中できるようになります。 怖いですか? 確かに怖いかもしれませんが、おかしなことに自由にもなります。このように考えてみましょう。 ペンとインクを使うと、完璧なドローイングを描かなくては、というプレッシャーが弱くなります。1回目から完璧に描けるなんて、誰も期待していないからです。プレッシャーがなくなれば、より良いドローイングが描けるようになることがよくあります。『ドローイングの教室』2:クレー風の転写画『ドローイングの教室』1:「はじめに」から
2019.01.26
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図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。【縄文の思考】小林達雄著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。<読む前の大使寸評>大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。amazon縄文の思考5章「定住生活」からムラの生活を、見てみましょう。p57~61<ムラの生活> この定住的生活への第一歩こそ、人類文化の第一段階から第二段階へと飛躍する、人類史における最初の歴史的大事件である。一箇所に定住することで、身体を動かすことが大幅に減った。 つまり、朝目覚めるや直ちに、自分の肉体を維持するためのカロリーを摂取する食物探しにとりかかり、そのことだけにほとんど1日中費やしていた時間にとって代わって、精神を働かす方に時間を振り向けられることになったのだ。縄文人の知性がいよいよ活発な動きを開始する契機となったのである。 目的地を目指して歩きながら、考えごとをめぐらすのは、なかなか出来そうで出来ない相談である。あるいは激しく動き回るだけでなく、腰を下ろして、食物を食べるときでさえ、考えごとを始めると箸が止まってしまう経験に思い当たるふしがある。じっくり落ち着いて考えることが出来るのには、身体を動かさないで過ごす時間が必要とされたのであり、定住生活によってその状況が整い、縄文文化の形成を約束してくれたのだ。 定住生活はまた、遊動生活における1日刻みの単位から少なくとも数ヶ月あるいは数年単位以上の長期にわたる滞留を意味するのである。それだけ一つの場所空間を占拠し続け、さらに快適さを確保するために邪魔物を排除し、自分に好都合な空間へと整備を進めてゆくこととなった。 やがて、縄文人は縄文人用のためだけに、縄文人の独自の空間=ムラを作り出すに至ったのだ。換言すれば、それまで身を寄せていた自然の一画を勝手に切り取り、明らかに自然に対抗する構えをみせて臆するところがなかった。 自然の中に新たに築いたこの人工的空間としてのムラは、自然的秩序からの分離独立の具体的な宣言であり、縄文人の人間としての主体性確立の象徴である。 ムラの中には、まず第一に寝起きするための、にわか作りではない十分に耐久性のある住居が建てられ、日常的に排出するゴミの捨て場、食物を保存する穴蔵、死者を埋葬する共同墓地などが次々と設けられていった。 いわばムラに住み続けるにつれて、さまざまな施設がその種類と数を増やし、元の自然の様子は見る影を失い、それだけ人工色を強めてゆくのである。こうして占拠した空間は、名実ともに縄文人好みに変形加工され、様相を一変させ、ムラの周囲に広がる自然との差異をくっきりと浮び上がらせて止むところがなかった。 人工色は、住居をはじめとする縄文人の創り出した諸施設ばかりではない。ムラの中には、自然林の中の植物の種類とは別のオオバコやスベリヒユやイヌノフグリなどの陽当りを好む開地性の雑草がはびこってゆく。クリの木は実をつけるから焚木にいないで伸びるにまかせているうちに、ムラの周りあるいは一画はまるで果樹園のような光景を現出する。視覚が捉えるムラは、ムラを取り巻く自然の世界とは別物へと変身を続けるのだ。 目に映る光景ばかりでなく、ムラのあちこちを歩き回るイヌの姿と鳴き声、子供のかまびすしい遊びの声、お互いに交わす挨拶、広場から流れてくる話し声、それらがない交ぜになってムラ特有の音の世界を演出する。それらはムラの外の自然的秩序が有するサウンドスケープとは全く異質の聴覚が捉える世界だ。 視覚や聴覚だけではない。嗅覚を刺激するもう一つのムラもある。自然の中を歩き回って鼻にする匂いとは別の、ムラ成立以前には絶えてなかったヒトが作り出すえも言われぬ人間生活の匂いである。草イキレではない、人イキレが漂い、それがなつかしさを誘う。 外から戻ってくると目に飛び込んでくる光景に、いつの間にか村の中の空気に染みついたなつかしい匂いが、確かに帰って来たぞと安堵させてくれるのだ。ヨーロッパやアジア各地の空港に着いて降り立ったとき、それぞれの建築物やたたずまいの異国情緒よりも、ときにはむしろ最初に鼻に忍び寄ってくる特有の匂いに、改めて外国に来たんだという感懐を意識する経験が思い出される。 縄文人は確保した空間を橋頭堡として、自然と対峙いながら、自然の中に存在し、自然の秩序に従う生物の全てに対して、俺たちはもう動物ではない、ましていわんや植物では勿論ない、人間なんだと自覚するきっかけを獲得したのである。近代以降の自我意識に先立つ、人間意識の萌芽である。自然と一線を引いた縄文人の人間宣言である。(中略) 縄文人の人間宣言とは、生命体を維持するための食料獲得の身体的運動とは別に、象徴的世界を頭の中に創造することを意味するのである。この象徴性こそが人間の脳だけに許された特有の能力であって、手や足の身体運動においては人並み以上に優れた能力を発揮する動物のいかなる種といえども、到底太刀打ち出来ない領域に属するのである。 象徴性にかかわる想像の主体は、コトバである。コトバによってイメージがふつふつと湧き出し、さまざまな幻想、夢、興味など目には見えない心の動きを促し、限りなく拡大させた。ウン ムラのざわめきや匂いまでを語る、著者の時代考証がいいではないですか♪それから・・・縄文人の象徴性や言語に言及するところが他の歴史書とは違っていますね。『縄文の思考』1:縄文語や縄文文化『縄文の思考』1:記念物=モニュメント
2019.01.25
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図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。【縄文の思考】小林達雄著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。<読む前の大使寸評>大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。amazon縄文の思考「結びにかえて」から縄文語や縄文文化を、見てみましょう。p202~205<結びにかえて> 文化の中核にはコトバがある。日本的文化は大和コトバからかたちづくられてきた。さらに遡れば、縄文時代の縄文語に行き着くのである。 大野晋を代表とする一部の言語学者は、日本語につながる祖形は弥生時代に成立したのではないかと考えている。日本文化の遡源を弥生農耕文化に求める柳田国男と共通するものがある。弥生文化に先行する縄文文化については、その存在を視野に入れながらも、なかなかまともに扱おうとはしない。とるに足らない未開状態とでもみなしているがごとくである。 もとより、縄文語は残っていない。その中にあって、小泉保による縄文語の痕跡を探る研究は注目される(『縄文語の発見』)。日本列島に縄文語が行き渡っていたのは紛れもない事実である。 ところで、津軽海峡は、本州と北海道を隔てる難所であることは言うまでもない。今日でも海難事故がしばしばである。新鋭の漁船にしても安全というわけにはいかぬのだから、それに較べたら百分の一以下の性能ともみられる縄文人の丸木舟では大変なことである。それにもかかわらず、縄文時代を通じて、頻繁に往来し、いつも海峡を挟んで一つの文化圏を形成していた。 ところが、北海道の北端、宗谷岬から樺太の丘が見えるのに、縄文人も、樺太先住民も互いに一向に行き来していない。また、九州の縄文人は朝鮮海峡の朝鮮半島寄りに位置する対馬までは活動舞台としているのに、そのまま少し足を伸ばして彼の地に渡るかというと、そうではない。 このことが航海術の未熟のせいでないのは、津軽海峡の往来で実証されている。おればかりか、九州南端からは奄美、沖縄本島にまで、新潟県に産出するヒスイを携えた縄文人の航跡を辿ることができるのであるから、宗谷海峡と朝鮮半島を漕ぎ渡らなかった理由は航海術の問題ではなく、別にあったとみなくてはならない。 それこそがコトバの問題以外のなにものでもない。実は、樺太と朝鮮半島には渡った証拠として、縄文関連の文物がごく少数認められるが、お互いに気心を通じた仲間として一度たりとも同じ文化圏を形成することがなかった事実は大きな意味をもつ。それは、コトバが通じなかったから、それ以上の親密な関係を結ぶことができなかった事情によるのであろう。 渡海の技術上の壁よりも、コトバの壁を容易に越えることができないのは、現代我々の体験上だけえでなく、縄文人とて同じだったのだ。 つまり縄文文化は、ちょうど日本列島内に収まり、樺太、朝鮮半島には異なる文化が対峙していた様子を物語っている。まさに縄文列島あるいは縄文日本語列島の名に値する。 コトバは文化であるから、彼我とはコトバが違い、文化が異なっていたのである。たとえばともに土器を製作し、使用していたが、縄文土器が独特な個性を発揮する口縁の突起や波状口縁は、彼の両地域にはその片鱗すらみることができない。 このことは突起や波状口縁に対する縄文語コトバと、それにまつわる意味については、彼地には全くなかったことを物語る。カタチの有無は、そのカタチにまつわる名づけコトバと意味の有無であり、ときには世界観にまで関係する場合さえ想像されるのである。まさしくコトバによって支えられた文化の問題である。 縄文文化の研究が進むほどに、その充実ぶりは世界的にも注目されるようになってきた。つまり、狩猟漁撈採集の三本柱を基盤とする世界各地の文化では、抜きんでて他の追随を許さないのである。 肩を並べるものを探し出すとすれば、北アメリカ北西海岸のバンクーバー一帯で、あのトーテムポールを立てた人々の文化だ。両者を較べると石器や骨角器の道具の種類やその発達ぶりは互いに甲乙つけ難く、文字通り伯仲する。しかし、あの豊かな木彫品や編籠などの繊維工芸品の分野では、さすがに縄文文化も及ばないかにみえていた。 ところが近年の低湿地遺跡の発掘調査が進むにつれて、水漬け状態で運よく保存されてきた繊維工芸品や木製品などが続々と明らかになると、透かし彫りの柄杓子からさしわたし50センチメートルを超える台付大形木鉢など決して負けをとるものではないのだ。 とくに、縄文文化が誇る土器の製作、使用となると、トーテムポールに関係した集団の間には、ついぞみることはできない。ましてや漆工芸に至っては微塵の影すらない。改めて、縄文文化の水準と充実のほどがよくわかる。ウン 縄文日本語列島という視点がいいではないか。絶海の島国にあっては孤立した文化で暮らすしかないのかも。『縄文の思考』1
2019.01.25
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図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。【縄文の思考】小林達雄著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。<読む前の大使寸評>大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。amazon縄文の思考13章「記念物の造営」から縄文の記念物を、見てみましょう。p150~153<記念物=モニュメント> ムラでの生活が進むにつれて、生活が必要とする施設を次々に設ける方向をいちずに辿った。施設の充実とは、とりもなおさず、日常生活の快適さや効率を実現し、不便さを克服することであった。だからこそ、ムラ空間に施設が増殖しつづけ、必用十分なまでに達するや、その配置などによってムラノスペースデザインが落ち着くのである。 住居が占有する居住区をはじめ貯蔵穴や共同墓地やゴミ捨て場がそれぞれに固有の区画に収まる。こうしてムラは1つの型に整備され、公共的広場をムラの中央においた縄文モデル村が完成する。全体が円形の形態をとるところに特色がある。その萌芽は縄文早期の後半期に始まり、前記以降に発達した。 成長したムラは、単なる諸施設の密集ではなく、円形のカタチそのもの、およびムラの諸施設の一定の型にはまった編成によって、自然界には決して存在することのなかった全く新しい空間が誕生した。 もともとムラ空間に存在した自然的要素は次々と駆逐され、断固として人工的色彩に塗り潰されるに至ったのだ。しかし、日常生活にとっての必要十分な施設の種類と数はほぼ出揃い、型通りに配置されても、その勢いは決して終息しようとはしなかった。むしろ縄文人意識、アイデンティティの確認は鎮静に向かうどころか、余勢をかってさらなる主張を目指して、予想を超えた動きを始めた。 日常生活と密接にかかわる諸施設とは、全く性質を異にするモノの創造である。新たに登場したモノは、そうした日常性の機能とはほとんど無縁の性質を有するものであり、いわば腹の足しにならないのだ。 けれども敢えて創造されているからには、何も用をなさないモノとは考えられない。しかも、そのモノは後述のごとく、その実現のためには日常的諸施設に比べて数十倍はおろか、数千倍もの人の動員と年月を必用とするのである、というよりも量的な勘定の次元を超えている。つまり、それほどまでに人手と時間をかけるほどの、止むに止まれない必用な機能が意識されていたからにほかならない。 この全く新しいモノこそが、記念物=モニュメントと呼ぶものである。腹の足しにならないが、その代わりに頭、心の足しになるものである。 記念物は、特有のカタチをもつことで、その存在を主張する。カタチを実現する素材にはさまざまがある。その一は、石を用いて幾何学的に配置する。円形を主流とするが、楕円形や方形などのバラエティーがある。そのニは、土を盛り上げて台状あるいは環状ドーナツ状の土手を構築する。盛土は単純な土壌ではなく、土器や石器などの遺物や、貝塚地帯では食物の残滓物としての貝殻や獣骨なども積みこまれる。その三は、木の柱を立てるもので、円形や方形などがあり、なかには一本立ちや複数を直線的に並べる例がある。その四は、一定の範囲に壕をめぐらせるものである。その五は、石や土盛や柱立て、ときに土杭などを組み合わせたものである。 記念物は、縄文文化開幕当初から登場したわけでは勿論ない。縄文ムラの整備が十分に進んで、日常的な生活と密着した諸施設が一応出揃ってから縄文人に新たに手がけたものである。つまり、縄文時代創生期には未だなく、早期後半に最初の記念物が顔を出す。縄文時代全体の歴史からみれば、ほぼ三分の一を過ぎようとする頃に当たる。 阿蘇山の麓の熊本県瀬田裏遺跡では、約21×7メートルの長方形に石がならべられている。同じ時期の長野県山の神遺跡でも長方形の石列がある。いずれも規模の大きさからすれば、それほど驚くに足りないが、大石を運び込んで並べるという所業は、どう考えても日常的施設としての用途を思い浮かべることはできない。明らかに縄文人の象徴的観念にかかわる記念物の性格をもつものだ。他にこの古さに匹敵する例は知られておらず、いわば記念物のはしりであり、縄文人の新しい志向の表れの先駆けである。縄文人は、本格的な農耕を行わず主に狩猟採集による生活で、1万年もの長期にわたって持続可能な社会を作りあげていたようだが・・・ジャレド・ダイアモンド教授も縄文人の長い文明に驚いているとのこと。
2019.01.25
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図書館に予約していた『装丁/南伸坊』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊大使は一時期、熱狂的な谷岡ヤスジのファンだったが、伸坊さんはそれ以上だったようです。p160~161<極楽にいる谷岡ヤスジさんに> 亡くなった谷岡ヤスジさんにはカワイがっていただいたのに、病気のことは全然知らなかった。突然の訃報を伝えてくれた編集者に、それが谷岡さんの指示で、誰にも知らせていなかったのだと教えられた。 楽天的で、男っぽい性格だった谷岡さんは、最後まで「自分ならガンに勝てる」と確信していて、全快した暁に「勝利宣言」の本を書く予定だったという。「装丁はシンボーにやらせるから」と勝手に決めていたらしい。ボクはうれしかった。 谷岡さんとは、もうずいぶんお目にかかっていなかったのだ。こんなことになるんだったら、と思うけれども、谷岡さん自身そんな予定じゃなかったのだ。 予定されていた「勝利宣言」の本は出なかったが、天才・谷岡ヤスジの傑作を集めて本にしたい、その装丁をやってくれませんか、と言われて、もちろんつつしんでお受けした。 谷岡さんのキャラクターは、みんなものすごくいい。かわいいし、味があるし、深みがある。ムチャクチャ迫力があるけど愛嬌もある。 バター犬、タロ、スケスケおじさん、ターゴに花っペに、チクリおじさん、アサーッのムジ鳥、パラパラと、原稿のコピーから、キャラクターを探すうちに、思わずマンガの世界に入り込んでしまった。 「偉大なるマンネリ」と呼ばれた谷岡ヤスジの世界。読んでいくうちに、そこは「極楽だったのだ」と発見した。谷岡さんのつくり出した村(ソン)の風景は、そのまま「極楽図」だった。 谷岡さんは亡くなって、自分のつくった「村」に行ったのだと私は思った。 キョーレツで極端な、ラジカルでナンセンスなシーンの連続である谷岡ワールドが、実は「ゴクラク、ゴクラク」な、極楽図だったのであある。 水平線の奥に灯台、入道雲、そして、タップンと波のよせた岸には、ビニールを腰に巻いた暗黒舞踏家のようなスケスケおじさんがツリ糸を垂れている。 地平線のかなたに、噴水のみえる、広い広い空間、おりしもバアター犬が、客を求めて豪徳寺方面に移動中だ。 暑さ35ミリの『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』(実業之日本社)のカバーは、谷岡ワ-ルドの水平線上に、つぎつぎ現れる天才キャラクターたちをデザインした。 蛍光ショッキングピンクの空にまっ白な雲。 谷岡さんは、よろこんでぅれるかなァ、と小声に出して言いながら、自分では「会心の出来だ!」と頭の中で叫んでいる。「気に入ったなァ、ねえ! 谷岡さん、いいでしょ!!」と私は強気になっているのだったが、その魅力のもとは、全面的に谷岡さんのキャラクターの圧倒的な存在感なのだった。『装丁/南伸坊』1大使の蔵書録から『谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明』を引っぱりだしてみました。【谷岡ヤスジ傑作選 天才の証明】谷岡ヤスジ著、実業之日本社、1999年刊<「BOOK」データベース>より「アサー!」「鼻血ブー」から「村」の世界まで、天才・谷岡ヤスジの傑作ギャグのすべてがここに!いしいひさいち、江口寿史、とり・みき、相原コージ、泉昌之、唐沢俊一・なをき、しりあがり寿etc…第一線のギャグ漫画家が、天才・谷岡ヤスジに捧げた描きおろし作品も収録。 <大使寸評>この本は谷岡ヤスジの追悼出版となっていました。天才の夭折という感じで・・・惜しい人を亡くしたものです。amazon谷岡ヤスジ傑作選天才の証明
2019.01.24
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室一見、子供の絵のようなクレーの絵ではあるが、誰でも描けるわけではない。及ばずながらも、クレー風なテクニックを、見てみましょう。p62~63<21 クレー風の転写画> パウル・クレーが考案したテクニックは、鉛筆を使って紙に黒の油彩絵の具を転写することによって、表情豊かな線を作り出すというものです。その独特な風合いを持つ線は、次に紹介する2つの転写テクニックで再現できます。■カーボン紙を用いた転写方法1.水彩紙の上に、カーボン紙をインク面を下にして置きます。2.爪を使って(代わりになるものでもよい)、カーボン紙の上に直接線画を描きます。3.作業中は描いている結果がほとんど見えませんが、重なってしまった線や「間違い」も作品のアクセントになります。4.水彩絵の具、色鉛筆、または好みの画材で彩色します。■アクリル絵の具とハンドローラーを用いた転写方法(省略)■クレーについて 1879年にスイスで生れた画家、パウル・クレーは、分類の難しい画家です。彼の極めて個人的な作品は、表現主義、キュービズム、シュルレアリスム、さらには子供の作品からも影響を受けています。『ドローイングの教室』1:「はじめに」から
2019.01.24
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図書館で『ドローイングの教室』という本を、手にしたのです。暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室「はじめに」が素晴らしいので、見てみましょう。p10~12<はじめに>■難関を乗り越える スティーブン・プレスフィールドは、彼の素晴らしい著書『The War of Art』(日本語版:やりとげる力、筑摩書房)の中で、「恐れを知らぬ戦士、不安を持たないアーティスト、そんなものは存在しない」と書いています。まったくそのとおりです。ドローイングが大好きで、線画(ドローイング)や彩画(ペインティング)を何百も描いてきた私でも、空白のページに向かい合うときには、自分自身との小さい戦いを日々繰り広げています。 この障害を乗り越えるために私が考え出した1つの方法が、ウォームアップエクササイズです。作業のルール、制限、課題を設定しったエクササイズをいくつか考案しておき、制作にとりかかるきっかけとして行なうのです。設定したルールや制限の範囲で描きます。制約があることで、私自身も作品も、過度に力が入らなくなります。また「何を描こう」というプレッシャーなしに描き始めることができます。 歴史を振り返り、クリエイティブな人たちの言葉について考えてみましょう。 「制約が多いほど、精神を縛る鎖から自由になれる」 イーゴリ・ストラヴィンスキー 「制限が無限に形を与える」 ピタゴラス 「芸術家が自らの作品に課す制約が少ないほど、芸術的な成功を収める機会も少なくなる」 アレクサンドル・ソルジェニーツィン これは、まったくの自由が任されると逆に、「固まって」何もできないことが多いという矛盾を示しています。本書は、長年にわたって私自身が作業にとりかかるきっかけに使用してきたウォームアップエクササイズを集めたものです。 また、小学生向けに開発した課題もあります。大人への指導を始めたときに、それらの練習がとても効果的なことが分かったのです。(外見はともかく、誰だっていつまでも子供なんですよね?)■この本の目的 私が守っている3つのルールを紹介します。 1.好きなものを描く。 2.気に入った画材を使って描く。 3.好みのスタイル、技法、プロセスで描く。 本書には、コンタードローイング(輪郭で描く)、ブラインドコンタードローイング(手もとの紙を見ずに輪郭で描く)、ジェスチャードローイング(対象を短時間で見て、短時間で描く)など、伝統的なドローイングの練習も多く含まれていますが、従来のドローイングの本では扱われている内容でも意図的に除外しているものがあります。これは、もう一度ドローイングを始め、その楽しさを発見してもらうための本です! 新たなインスピレーションを得れば、さらに深くドローイングに取り組みたくなるかもしれません。ドローイングに関する優れた書籍を読んだり()、お近くの講座を受講することを強くお勧めします。■必用な画材 アート制作で大切なのは画材ではなく、作品を作ることです。HBの鉛筆しかなければ、それで始めましょう! 以下は、私が手元に置いている画材の簡単なリストです。・大量の白い画用紙 ・ライナー筆・ファブリアーノ水彩紙 ・Pigma Micronペン(黒、太さ0.25mm)・シャープペンシル ・練り消しゴム・画用木炭(柔らかいタイプ) ・耐水性のカラーマーカー・ソフトチャコールペンシル (シャーピーマーカーなど)・コンテクレヨン(赤) ・コピックマーカー(ごく薄い色を何本か)・ペリカン透明水性絵の具(24色) ・色鉛筆・FWアクリルインク ・水性クレヨン・瓶入りインク ・ソフトパステル数本・12号の丸筆 ・スティックのり・つけペン ・ハサミ・平筆(細) ・厚手の紙のスケッチブック(スパイラル綴じ) 手軽に手に入る好みの画材を見つけ、楽しみましょう! 私は、鉛筆は安いもの、紙と筆は高品質のもの、絵の具は中程度のグレードのものを使用しています。肝心なのは、あなたがアーティストだということです。手持ちの画材から1つ選び、それを使って始めましょう。作品で使ってみたいと強く思った画材だけをそこに追加していきます。 本書で使用している画材や材料のほとんどは簡単に手に入るものですが、見つからなければ、周囲を見回して代用品を探しましょう。
2019.01.24
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いま朝ドラの『まんぷく』に安藤サクラに出ていて、もうすぐインスタントラーメン誕生という佳境となります。ところで、朝ドラのヒロインといえば女優の登竜門というのが一般の認識であるが・・・今回の安藤サクラは年増の中堅女優というのが異色ですね、どうでもいいが。大使はこれまで、わりと安藤サクラの映画を観てきたし、高く評価しているので・・・それらを集めてみました。・まんぷく・百円の恋・0.5ミリなお、『万引き家族』については、もうすぐ2本立て館にかかるので、追って載せる予定でおます。**********************************************************************NHKの番組紹介を見てみましょう。番組紹介より連続テレビ小説 第99作『まんぷく』。今や私たちの生活に欠かせないものとなった「インスタントラーメン」を生み出した夫婦の知られざる物語を描きます。何度も失敗してはどん底から立ち上がる"敗者復活戦"を繰り返した末、二人は世紀の大発明へとたどりつく――人生大逆転の成功物語です。■安藤 サクラ1986年2月18日、東京都生まれ。2007年、映画「風の外側」で本格的に俳優デビュー後、映画やドラマで活躍。「愛のむきだし」「かぞくのくに」「愛と誠」「0.5ミリ」などに出演し、10以上の映画賞を受賞。2014年には「百円の恋」で第39回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞するなど、その演技力は高く評価されている。NHKドラマでは『ママゴト』(BSプレミアム)で主演。 **********************************************************************【百円の恋】武正晴監督、2014年制作、2018.7.23観賞<movie.walker作品情報>より故・松田優作氏の出身地である山口・周南映画祭に新設された第1回松田優作賞グランプリ脚本を「イン・ザ・ヒーロー」の武正晴監督が映画化。不器用でどん底の生活を送っていた32歳の女が、中年ボクサーと出会い、ボクシングを通して変化していく姿を描く。出演は「かぞくのくに」の安藤サクラ、「アウトレイジ ビヨンド」の新井浩文、「ハラがコレなんで」の稲川実代子。第27回東京国際映画祭日本映画スプラッシュ部門作品賞受賞。 <大使寸評>「立て イチコ!」思わずエールが出そうになったぜ。これまで、ボクシング映画は『ロッキー』とか『ミニオンダラー・ベイビー』など観てきたが・・・泣いた覚えは、ないなあ。では、この映画を観て涙が出てきたのはなぜでしょうね?セコンド陣がタオルを投げずに戦わせたのは、イチコの愚かしいほどのハングリーさを見知っているからでしょう。タオルを投げないのも武士の情というべきか♪movie.walker百円の恋それにしても、安藤サクラの役者根性が素晴らしい。体型が変わるほどトレーニングを積み・・・ほれぼれするステップを見せてくれます♪**********************************************************************2016年に大学図書館で観た『0.5ミリ』です。【0.5ミリ】安藤桃子監督、2014年制作、2016.4.08観賞<Movie Walker作品情報>より 生活のため町で見かけた訳ありの老人の家に押しかけ身の回りの世話をするヘルパーと、彼女と触れ合ううちに固く閉ざした心を開き生の輝きを取り戻していく老人たちを描いた人間ドラマ。 デビュー作「カケラ」で満たされない女心を描いた安藤桃子監督が、8年におよぶ介護体験に着想を得た自身の小説を映画化。癖の強い老人たちと真正面からぶつかっていくヘルパーを「かぞくのくに」で第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を、「愛と誠」他で同助演女優賞のダブル受賞を果たした実妹の安藤サクラが演じる。 ほか、「カンゾー先生」の柄本明、漫才師の坂田利夫、「沈まぬ太陽」の草笛光子、「マルサの女」の津川雅彦らが出演。2014年10月24日より、高知県・高知城西公園内『0.5ミリ』特設劇場にて先行公開。<大使寸評>ヒロインはヘルパー歴もあり、老人たらしの手管にかけては・・・まさにプロフェッショナルである。安藤姉妹が作った映画であるが・・・桃子監督が8年におよぶ介護体験をもとにしたとのこと。また、この映画には父母の協力、姑でもある柄本明の出演があるわけで・・・まさに、家族総出の映画になっています♪movie.walker0.5ミリ『0.5ミリ』と高知とのかかわりが(視界良考)荒木啓子さんと @安藤桃子監督の革命地・高知で見られます。
2019.01.23
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『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』という本を、図書館に借出し予約しているのだが、いっこうに順番が回ってこないのです。公正取引委員会がGAFAの個人情報保護、運用に関して調査しているとの報道がありました。EUではすでにグーグルに対して課徴金を課しているそうで、ニッポンもやっと動き出した観があるのです。一方で、「アップル製品は決して持たない方針」を貫く大使の場合、グーグル、アマゾンは仕方なく使っているが、フェイスブックは無くても困らないのです。(なお、諸般の事情により、ユーチューブ、ツイッターは使っています)スマホでGPS情報を駆使する生活も羨ましいが、逆に言うと個人がビッグデータの網に囚われることになるのです。・・・この点、大使にはGPS情報発信器が付いてないので、どこに行こうがネットでは見えないわけで、気分爽快でおます♪図書館に借出し予約している『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』です。【the four GAFA 四騎士が創り変えた世界】スコット・ギャロウェイ著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より激変を預言した著名教授が断言。次の10年を支配するルール。【目次】1章 GAFA-世界を創り変えた四騎士/2章 アマゾンー1兆ドルに最も近い巨人/3章 アップルージョブズという教祖を崇める宗教/4章 フェイスブックー人類の1/4をつなげた怪物/5章 グーグルー全知全能で無慈悲な神/6章 四騎士は「ペテン師」から成り上がった/7章 脳・心・性器を標的にする四騎士/8章 四騎士が共有する「覇権の8遺伝子」/9章 NEXT GAFA-第五の騎士は誰なのか/10章 GAFA「以後」の世界で生き残るための武器/11章 少数の支配者と多数の農奴が生きる世界<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/13予約、副本5、予約83)現在43位>rakutenthe four GAFA 四騎士が創り変えた世界大使の場合、GAFAのうちGAのみのややアナログ老人として暮らしているが・・・SNSとは無縁であり心穏やかでおます♪
2019.01.23
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図書館に予約していた『装丁/南伸坊』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊この本をぱらぱらとめくってみると、南さんが装丁した本のカラー写真が満載で観て楽しい本である。それらの本の2割がたは南さん自身の本であり、宣伝も兼ねたチャッカリした構成になっています。他人の本では赤瀬川原平を筆頭に、南さんの友人たちばっかりとなっています。不良中年と老人といえば大使の関心のあるテーマであるが、そのあたりを見てみましょう。p116~117<「不良中年」と「老人力」> 先月書いた赤瀬川原平さんの「老人力」が話題になっていて、週刊誌なんかで「老人力」という新語がチョーリョーバッコする兆しである。 こっちは版元のしかけなのだが、先日、新宿紀伊国屋で「老人力vs.不良中年」バトルトークっていうイベントがあった。 老人力の赤瀬川原平さんと、不良中年の嵐山光三郎さんが対決で、アンパイヤがねじめ正一さん、老人介護に私・伸坊がセコンドにつくという顔ぶれで、記念すべき「紀伊国屋セミナー第100回」が、こういうもので開催されてしまった。 当日は、赤瀬川さんの老人力全開で会場は大爆笑だった。「エート、宇宙は・・・あのオ、四つの力で出来ています」 と、これは別に冗談でもなんでもないのだが、赤瀬川さんの風貌と語り口で、早くも「トンデモ旋風」が巻き起こった感じで大笑いになってしまった。「いやいや、これはホントなんですよ、重力、電磁力、強い力、弱い力・・・。それで、えーと、私の理論は、人間の四つの力ですが・・・これは、身長、体重、強い意志、弱い意思と、この四つになっているわけです」 というような具合。老人力というのは、この弱い意志を弱いまま強く持つと、こういうことです、とワカッたようなワカンナイような話。 次に嵐山さんが登場して、「ゲンペーさんという人は、昔っから、こういうヘンなことを言ってたんですよ。嵐山さん、ボクには分散力というものがああるんですよって言うから、よく聞いてみると、要するに集中力がないって話なの」と、ここでまた大爆笑。しかし、だんだん話を聞いていると、老人力と不良中年というのは、世間の良識や常識をひっくりがえしてるところがすこぶる共通している。「高齢化社会になると、50歳は『第二の人生』の始まりとなる。体力も若いときにくらべれば劣ってくる」 あとの残りの人生を好き勝手に生きなきゃもったいない。しかし50歳までつみあげてきた社会経験がオヤジの不良化をさまたげている。「そんなものは幻影の楼閣だ。早いとこ捨てちまったほうがいい」そうして、不良の先人に学んで立派な不良中年になろうじゃないの、っていう論旨だ。 老人力というのは、世間の常識である「老はマイナスだ」という考えをズラして、マイナスのままプラス評価するわけで、かなり論旨が重なっている。 実はその直後、嵐山さんの新刊『不良中年は色っぽい』(朝日新聞社)の装丁を依頼された。私はこの本を、本屋で老人力と並べたい、同じ興味の方向で2冊、同時に買っていただきたい、と強く希望したのだ。その気持ちがデザインに反映した。『不良中年は色っぽい』はトルコ石色に金文字。『老人力』とほとんど同じデザインである。ウーム 三人そろって、充分立派な不良のようですね。
2019.01.23
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朝日新聞の(視界良好)シリーズが安藤桃子監督を取り上げているが・・・そうだ 朝日デジタルがあるではないかと気づいたわけです♪スクラップファイルとデジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。(2019.1.20朝日デジタル(視界良好)からコピペしました)《@安藤桃子監督の革命地・高知》 少子高齢化が進み、県民所得などの経済指標が全国下位の高知県。だがお金に換算できない「幸福」にひかれて、2014年に高知市に移住した映画監督の安藤桃子さんが、映画館を核に「革命」をおこしている。地方の映画館が冬の時代にもかかわらず、全国から観客がひっきりなしに訪れる場に。なぜ、こんなことができたのか。全国の映画事情に詳しい荒木啓子さんと訪れた。■映画への哲学、人を集める磁場に 高知市中心部「おびさんロード」に、ヨーロッパの街並みのような石畳の道が続く一角がある。アーチ窓とサインボードが目を引くレトロな建物の1階に、安藤さんが代表をつとめる映画館「ウィークエンドキネマM」がある。 「街の顔ですね。映画館は賃料の高い路面階には置かないのが最近の常識になっていますが、感動ですね」と荒木さん。 * 「こんにちは~」。安藤さんが満面の笑みで迎えてくれた。父親は俳優で映画監督の奥田瑛二さん、母親はエッセイストの安藤和津さん。現在、NHKの朝ドラ「まんぷく」のヒロインを演じる安藤サクラさんは妹だ。サクラさん主演の映画「0・5ミリ」を、全編高知で撮ったのをきっかけに移住。おおらかな県民性と自然にほれこんだ。現在は娘を育てながら、高知と全国各地を行き来する。 荒木さんは、若手映画監督の登竜門「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」のディレクターを長年務め、地方で人を集める大変さを身にしみて知っている。「生まれてから一度も映画館体験のない人もいる時代に、映画で、高知で、映画館という場所でできることは?」と切り出した。 安藤桃子さんは目を輝かせて語り始めた。「映画って総合芸術だと、私は本当に信じきっていて。映画はフィクションだけど、受け取った人の感性はリアリティー。お客さんの記憶とか心に刻まれたことが、すべて対話になって生まれてくる。映画の本質は感受性。高知にはその本質がある」 「人の心は、本質は、変わらない。高知は縄文時代の前から本質が残り続けて、スイッチが入りやすいパターンの暮らし方をしている。文化って言うと堅く聞こえるけど、感受性や喜怒哀楽がむき出しの人たちが、むき出しの自然の中で育まれてきた」 高知へのあふれる愛はとどまるところを知らず、話題は森羅万象に及んだ。 * なぜ、高知で映画なのか。記者は後からノートを見直したが、もはや理屈を超えている。確かなことは、安藤さんの熱意が、映画と高知への愛が、人をひきつけてやまないことだ。 「キネマM」の前身は、「0・5ミリ」を高知で先行上映するため、高知城下の公園に作った野外劇場。その後、地元企業から老朽化したビルを建て替えるまでの期間限定で活用を持ちかけられ、2017年秋に常設劇場を開いた。 ギャラリーを併設し、真空管アンプを使った「激音上映」や音楽の生演奏、地元の食材が楽しめるイベントを開いたりと、映画館を核に様々な仕掛けをしてきた。今では珍しくなった35ミリフィルム映写機も導入し、新旧織り交ぜた独自のプログラムを提供する。訪れた客は1万6千人。広島や大阪や千葉、北海道から足を運ぶ人もいる。「東京に出張したときも『高知の映画館にいきたい』と声をかけられる」(安藤さん) 館内の壁の一方には協賛する地元企業の名が並び、一方はこれまで訪れた映画監督や俳優のサインで埋まっている。日本の第一線で活躍する音楽家や建築家も訪れる。 荒木さんは「桃子さんはなぜ映画なのか、映画で何をやりたいのかという哲学がある。だから信頼がうまれ、人が集まる磁場を生み出しているのでしょうね」■一周遅れのトップランナーだからこそ 県民所得や工業生産額など経済指標でみると、高知県は地方都市の課題が山積みのようにみえる。だが地元の土佐経済同友会は、金に換算できない独自の豊かさの指標「GKH(高知県民総幸福度)」を提唱。安藤さんに言わせると、「高知は一周遅れのトップランナー」となる。 「東京でしかできないこともまだいっぱいあるけど、高知には数字にはあらわれない幸せがある。東京をコピーして地方がつぶれていくけど、高知はガラパゴス。だから地球の真ん中になりうる」 文化芸術に関わる人材の育成塾を開き、県内外で映画と高知の魅力を語る安藤さんの行動力は、地元を離れた人たちの心もつかむ。キネマMの支配人の宇賀朋未さん(31)は安藤さんの活動を知ってUターンを決めた。「自分の地元に移住して、自分の好きな映画で何か起こそうとしている人がいる。衝撃だった」 キネマMは23日で常設館としての営業を終え、21年に同じ場所でリニューアルオープンする予定。地元の若者たちと高知発の映画を制作するなど、安藤さんの新たな挑戦が始まる。(伊藤恵里奈) ◇荒木啓子:雑誌編集、イベント企画、映像製作・宣伝などの仕事を経て、92年からPFFディレクター。ウーム 大使の故郷「高知は一周遅れのトップランナー」なのか・・・言い得て妙ではある。2016年に大学図書館で観た『0.5ミリ』です。【0.5ミリ】安藤桃子監督、2014年制作、2016.4.08観賞<Movie Walker作品情報>より 生活のため町で見かけた訳ありの老人の家に押しかけ身の回りの世話をするヘルパーと、彼女と触れ合ううちに固く閉ざした心を開き生の輝きを取り戻していく老人たちを描いた人間ドラマ。 デビュー作「カケラ」で満たされない女心を描いた安藤桃子監督が、8年におよぶ介護体験に着想を得た自身の小説を映画化。癖の強い老人たちと真正面からぶつかっていくヘルパーを「かぞくのくに」で第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を、「愛と誠」他で同助演女優賞のダブル受賞を果たした実妹の安藤サクラが演じる。 ほか、「カンゾー先生」の柄本明、漫才師の坂田利夫、「沈まぬ太陽」の草笛光子、「マルサの女」の津川雅彦らが出演。2014年10月24日より、高知県・高知城西公園内『0.5ミリ』特設劇場にて先行公開。<大使寸評>ヒロインはヘルパー歴もあり、老人たらしの手管にかけては・・・まさにプロフェッショナルである。安藤姉妹が作った映画であるが・・・桃子監督が8年におよぶ介護体験をもとにしたとのこと。また、この映画には父母の協力、姑でもある柄本明の出演があるわけで・・・まさに、家族総出の映画になっています♪movie.walker0.5ミリ(視界良考)荒木啓子さんと @安藤桃子監督の革命地・高知2019.1.20
2019.01.22
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図書館に予約していた『ギャシュリークラムのちびっ子たち』という本を、待つこと6日でゲットしたのです。この絵本は『絵本の冒険』という本で大人向けの絵本ということでとりあげていたもので、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいくという絵本とのこと。【ギャシュリークラムのちびっ子たち】エドワード・ゴーリー著、河出書房新社、2000年刊<「BOOK」データベース>より大人のための絵本作家として世界的なカルト・アーティストであるエドワード・ゴーリー。子どもたちが恐ろしい運命に出会うさまをアルファベットの走馬灯にのせて独自の線画で描いたゴーリーの代表作。<読む前の大使寸評>この絵本は『絵本の冒険』という本で大人向けの絵本ということでとりあげていたもので、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいくという絵本とのこと。<図書館予約:(1/14予約、1/20受取)>rakutenギャシュリークラムのちびっ子たち死亡例をみっつほど、見てみましょう。K is for Kate who was struck with an axeKはケイト まさかりぐさりF is for Fanny sucked dry by a leechFはファニー ヒルがきゅうけつB is for Basil assaulted by bearsBはベイジル くまにやられた・・・なるほど、子ども向けの絵本とは言えませんね。『絵本の冒険』をつけておきます。【絵本の冒険】小野明、他著、フィルムアート社、2018年刊<商品の説明>より感性を磨きたい、よみ手とつくり手のためによもうがよむまいが、伝わるんだよ、絶対に。――五味太郎絵本はいろいろな職業の人が、一生で一度は誰でもつくったほうがいい。――荒井良二<読む前の大使寸評>おお 絵本に関する百科事典のような本ではないか・・・ショーン・タンの『アライバル』も載っていました。amazon絵本の冒険
2019.01.22
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図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治晩年あたりを、見てみましょう。p84~89 <晩年:昭和5年~昭和8年> 昭和5年の3月末頃からようやく起きられるようになり、4月には苗床を造ってもらって園芸を始めた。天候や花・野菜の種まき、移植等をこまかく英語で記録した6月15日までの日記が残っている。 この間、前年春に来訪していた東北砕石工場主鈴木東蔵が4月に再訪、またたびたび手紙での相談にのるようになり、岩手の火山灰地に石灰をもたらす仕事に関心をよせはじめ、9月には自ら工場見学に赴いている。 また、この年から翌年にかけて、初期以来の童話原稿に朱を入れて推敲あるいは改稿改作する仕事が相当に進行したと推定される。 昭和6年に入って、《どうやらもと通りのからだとなりました。4月からまた飛び出すつもりです》と菊池武雄あて賀状にあるとおり、健康が回復したかにみえた。鈴木東蔵はたびたび来訪、あるいは書信による相談を重ねたすえ、2月21日に正式に契約書を交換し、賢治は東北砕石工場技師嘱託として、広告文の起草や炭酸石灰の調査改良、照会への回答、及び、岩手・青森・秋田・山形の宣伝販売を担当することになる。 そして契約のすぐ翌日から、ほとんど毎日のように県内各地を歩き、4月には宮城・秋田、5月にも宮城へ出張する精力的な、あまりに精力的な活動に入った。この間、鈴木東蔵にあてた夥しい業務上の書簡が残っている。 7月には「岩手日報」夕刊に花巻地方の分ケツ状況から今年の稲作の予想を発表。また季刊「児童文学」第1冊に童話「北守将軍と三人兄弟の医者」を発表、9月にはその第3冊に発表を予定して進行中の「風の又三郎」の取材のため、上郷村に沢里武治を訪ねている。 そして9月19日、壁材料の宣伝販売を頼まれて見本をつめた大トランクを掲げて汽車に乗り、途中小牛田・仙台に立寄って20日に上野着、その夜宿舎の八幡館で高熱を発して倒れた。 翌日、遺書をしたためながら、一方では何とか家に報せずに切り抜けることを苦慮。しかし27日、《最後にお父さんの声がききたくなって》と花巻へ電話、驚いた父の手配によりその夜の寝台で帰郷し、そのまま病臥の身となる。 11月3日、手帳に《雨ニモマケズ》ではじまる独白を書き記す。この年は不況、冷害、凶作、また満州事変勃発。そうした状況の中で《決シテイカラズ/イツモシヅカニワラツテヰル》と書きつけたのである。『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』2:大正11年~15年あたり『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』1:国柱会への入会あたり
2019.01.22
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・装丁/南伸坊・ギャシュリークラムのちびっ子たち<大学図書館>・縄文の思考・ドローイングの教室図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【装丁/南伸坊】南伸坊著、フレ-ベル館、2001年刊<「BOOK」データベース>よりアレコレ注文つけられるのは大嫌い。「まかしたよ」といわれれば損得ぬきで夢中になる。大好物は注文主が喜んでくれること。「笑える装丁」をめざす、装丁・南伸坊は、まるで落語に出てくる大工の八つぁんみたいである。実作の現場を語る笑える職人ばなしエッセイ。<読む前の大使寸評>南伸坊さんのマンガ『仙人の壷』、絵本『ねこはい』を読んで以来、その多彩なタレントにしびれているのだが・・・装丁に関しても期待できそうでおます♪<図書館予約:(1/13予約、1/20受取)>rakuten装丁/南伸坊【ギャシュリークラムのちびっ子たち】エドワード・ゴーリー著、河出書房新社、2000年刊<「BOOK」データベース>より大人のための絵本作家として世界的なカルト・アーティストであるエドワード・ゴーリー。子どもたちが恐ろしい運命に出会うさまをアルファベットの走馬灯にのせて独自の線画で描いたゴーリーの代表作。<読む前の大使寸評>この絵本は『絵本の冒険』という本で大人向けの絵本ということでとりあげていたもので、アルファベット26文字それぞれを名前の頭文字とする計26人の子供たちが、それぞれがそれぞれ違う理由で死んでいくという絵本とのこと。<図書館予約:(1/14予約、1/20受取)>rakutenギャシュリークラムのちびっ子たち【縄文の思考】小林達雄著、筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。<読む前の大使寸評>大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。amazon縄文の思考【ドローイングの教室】カーラ・ソンハイム著、ボーンデジタル、2013年刊<商品の説明>よりお絵かきの楽しさを再発見! 小さな教室をめぐるように、1週間に1つずつラボをこなしていけば、1年間かけてじっくりと52個のドローイング(お絵かき)課題に取り組めます。<読む前の大使寸評>暇な大使は、かねてより水彩画を始めようとして、必用な画材を取り揃えているのだが、なかなか踏ん切りがつかないのです。・・・で、この本を読んで腰をあげようという目論みでおます。amazonドローイングの教室********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き352
2019.01.21
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朝日のインタビュー記事、オピニオン記事をスクラップのように集めてみました。ネットでは記事の全文が見えないので、朝日デジタルから全文を転記しました・・・そのうち朝日からお咎めがあるかも?(いい記事なんだから、無料で公表してほしいんだけど)あとで、見渡すとほとんどの記事が2大覇権国からみになっていました。【2019年】・(視界良考)荒木啓子さんと @安藤桃子監督の革命地・高知2019.1.20・(歩きながら考える)収容所の外国人、完了のない支配高橋源一郎2019.1.17・ハッカー集団、背景に中国政府かデジタル朝日2019.1.13・民主主義 生かすためにダニエル・ジブラット2019.1.08【2018年】・日中戦争前夜 絡み合う思惑浅田次郎2018.12.02・吉岡桂子記者の渾身記事24吉岡桂子2018.10.05・中露関係は「離婚なき便宜的結婚」廣瀬陽子2018.9.21・2030年未来予想図ジャック・アタリ2018.8.25・Gゼロの世界の先イアン・ブレマー2018.8.22・(耕論)鏡を見よう、日本エマニュエル・トッド2018.7.18・(ニッポンの宿題)個人データ どこまで岡嶋裕史2018.2.15・(ニッポンの宿題)やはり新築・持ち家?平山洋介2018.2.09・国家で実験ベーシックインカム2018.1.25【2017年】・(耕論)明治維新150年三谷博2017.12.20・(オピニオン)日米同盟の現在地佐藤丙午2017.12.19・(2017衆院選)岐路に立つ平和半藤一利2017.9.29・(ニッポンの宿題)重い住まいの負担川田菜穂子2019.8.8・(ニッポンの宿題)魚、食べ続けるために有路昌彦2017.6.21・取り残された白人たちJ・D・バンス2017.6.06・(ニッポンの宿題)シャッター商店街藻谷浩介2017.5.13・(耕論)緊迫の朝鮮半島平岩俊司2017.4.29・(耕論)史上初、罷免の底流小此木政夫2017.3.11・(ニッポンの宿題)人質司法の闇周防正行2017.2.24・外国人に国をひらく国松考次2017.2.01・(ニッポンの宿題)老朽化するインフラ宮本泰介2017.1.28・トランプ政権への期待オリバー・ストーン2017.1.24・(ニッポンの宿題)米軍基地のこれから佐道明広2017.1.14・(ニッポンの宿題)移民の受入れ方田村太郎2017.1.08・(ニッポンの宿題)老いるニュータウン石橋尋志2017.1.06・(シェアの時代:1)人と人、分かち合い変わる社会2017.1.01【2016年】・東京都は変わるのか上山信一2016.12.21・揺れる中東、100年前の分断クルド人政治学者2016.12.5・大統領を追い込んだ怒り康煕奉2016.11.30・保護者なき日本白井聡2016.11.25・(一語一会)雨宮処凛さん雨宮処凛2016.11.10・(耕論)AIと生きる新保史生2016.11.9・(耕論)変な国アメリカ?矢口祐人2016.11.8・北朝鮮を止めるには古川勝久2016.9.13・IT 30年後の未来2016.9.02・文化大革命50年徐友漁2016.8.31・(憲法を考える)公共のゆくえ桐野夏生2016.4.12・AIは人の脅威か、アルファ碁の圧勝北野宏明2016.4.09・テレビ報道の現場金平キャスター2016.3.30・中東安定への道世界銀行副総裁ハフェズ・ガネム2016.3.26・イランとサウジ田所昌幸・慶大教授2016.3.7・時流に抗う辺見庸2016.1.21・出版流通の壁新井敏記2016.1.20・選べない国で藤田孝典2016.1.04【2015年】・田園回帰1%戦略藤山浩2015.11.17・試されるアジア経済吉野直行2015.11.13・中国の自画像北京大学国際関係学院院長2015.10.30・イスラム過激派の系譜パリ政治学院教授2015.10.20・TPPの底流白石隆2015.10.07・変調する中国経済余永定、茅于軾2015.9.30・書棚から見える中国 書店「万聖書園」劉蘇里2015.9.12・世界経済、不安の正体猪木武徳2015.8.25・米国との間合い百旗頭真2015.8.06・「あの戦争」とは加藤陽子2015.8.05・日本の誇るべき力ジョン・ダワー2015.8.04・変わらぬダムに物申す宮本博司2015.7.04・生活保護のこれから 上山信一2015.6.30・米国、指導力の行方カート・キャンベル2015.6.20・若者の狂気と希望見つめる藤原新也2015.6.11・中ロ蜜月、その内実ロシア高等経済学院教授2015.6.10・台湾で日本軍にいた私辜寛敏2015.6.4・防衛指針改定、米の視点デビッド・シアー2015.4.29・隣国を、見直す徐賢燮2015.4.8・中国「官僚資本主義」 區龍宇2015.4.2・台湾、ひまわりの芽は邱義仁2015.3.21・IS 本質を見極めるロレッタ・ナポリオーニ2015.3.18・中華民族復興パトリック・ルーカス2015.2.25・分断される世界エマニュエル・トッド2015.2.19・中国、権力と文学閻連科2015.2.06・フランス社会の混迷マリーヌ・ルペン2015.1.27・何となく肯定、変わらない日本斎藤環2015.1.10・人類の未来のために川田順造2015.1.04・失われた平等を求めてトマ・ピケティ2015.1.1【2014年】・政治化するナショナリズムワンチョン2014.11.15・米国と世界のこれからフランシス・フクヤマ2014.11.8・日韓「愛国」の圧力千葉大学教授の趙さん2014.10.24・カジノで考える民主主義内田樹2014.10.21・紛争下で命をどう守る緒方貞子2014.9.17・成長戦略の「勘違い」冨山和彦2014.9.9・国家の枠を超えて中国人文学研究者2014.8.27・揺れ動く民主主義英オックスフォード大学教授2014.8.21・中国バブルの虚実梶谷懐2014.7.12・米政権が見る東アジアダニエル・ラッセル米国務次官補2014.7.7・変わるアジア太平洋マイケル・グリーン2014.6.20・新しい資本論トマ・ピケティ教授2014.6.14・「どん底」から見た中国政治・社会学者のユイさん2014.6.12・在宅医療で見えたもの太田秀樹さん2014.6.3・中国、成長の罠香港大学教授2014.02.26・米国から見る安部政権1年在米作家の冷泉彰彦さん2014.02.21・是枝監督の政治的発言2014.02.16・中国の「不動産バブル」大手不動産会社トップ2014.01.28・これからの日米 キャロライン・ケネディ2014.01.23・ 「満州国化」する日本山室信一2014.01.10【2013年】・人間本意の金融論米エール大教授2013.12.06・NRC委員長インタビュー「第一原発の教訓」 2013.12.05・ 国家は常に秘密主義に傾くAP通信社長2013.11.30・中国 国有企業の行方張維迎 2013.11.07・アレックス・カーさんへのインタビュー2013.10.10・安部政権と戦争の記憶キャロル・グラック 2013.8.21・中国と影の銀行陳志武 2013.08.02・技術者が見る原発事故名嘉幸照 2013.07.15・中国、労働者の権利は常凱 2013.06.22・アベノミクスに欠けるものスティグリッツ 2013.06.16・ アジア主義から見た中国中島岳志 2013.03.30・同盟強化、ですか榊原英資 2013.02.17・米の「アジア回帰」外交カート・キャンベル 2013.02.09・春の闘い何のため?ビル・トッテン 2013.01.31・本屋サバイバル松岡正剛 2013.01.23【2012年】・丹羽さん、ご苦労さんでした丹羽宇一郎 2012.12.23・華夷秩序に生きる精華大学院長イエン・学通 2012.12.13・反TPPの核心佐伯啓思 2012.12.02・北京大教授へのインタビュー賀衛方 2012.11.07・ジョン・ダワーさんのインタビュー2012.10.31・ 「原発ゼロ」方針に驚いたアメリカ米戦略国際問題研究所所長 2012.10.26・成功物語の裏面で米支配が…吉見俊哉 2012.09.06・米保守派の対中感アーロン・フリードバーグ 2012.08.29・米中不信の時代が来るのかケネス・リバソール 2012.07.22・ 金曜の夜、官邸前で 小熊英二 2012.07.21・尖閣問題で開いた傷口をどうするか?宮元雄二、他 2012.07.10・書籍販売の巨人:アマゾンジェフ・ベゾス 2012.05.24・チャイナマネーの正体 高西慶 2012.05.18・老いゆく中国 ツアイ・ファン 2012.04.21・政権を出た派遣村村長湯浅誠 2012.04.14・朝ドラ「カーネーションが終わったけど 渡辺あや 2012.04.06・五百旗頭真(防衛大学校長)のオピニョン2012.02.23・橋下さんのルール 橋下徹 2012.02.14・「真珠湾が教えるもの」加藤陽子 2012.02.08・ドルの落日行天豊雄 2012.02.07・日本は「中国化」しつつある與那覇潤 2012.02.03・デジタル最優先の新聞社ジョン・ペイトン 2012.02/17・国債暴落というオオカミが見える伊藤元重 2012.01.23・五百羅漢図に取り組む村上隆2012.01.17・『貧困の装置化』に対抗して内橋克人 2012.01.08・東アジアは壊れるか 白石隆 2012.01.06・ウォール街占拠の仕掛け人カレ・ラースン 2012.01.02
2019.01.21
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。サピエンス全史(上、下)を大学図書館で見つけたので、この本の市図書館予約を取り消すことにしました。<予約中>・加村一馬著『洞窟おじさん』(6/07予約、副本2、予約37)現在7位・the four GAFA 四騎士が創り変えた世界(10/13予約、副本5、予約83)現在43位・山尾悠子『飛ぶ孔雀』(11/08予約、副本4、予約26)現在13位・更科巧「絶滅の人類史」(11/18予約、副本9、予約67)現在41位・三浦しおん「愛なき世界」(11/25予約、副本23、予約366)現在296位・角幡唯介「極夜行」 (12/02予約、副本7、予約93)現在77位・多和田葉子「献灯使」(12/09予約、副本4、予約94)現在88位・サピエンス全史(下)(12/25予約、副本23、予約122)現在98位・大東建託の内幕(1/06予約、副本5、予約42)現在40位・堀江貴文「これからを稼ごう」(1/12予約、副本7、予約68)現在62位・莫言『転生夢現(上)』(1/18予約、副本1、予約0)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・8月の果て・ある日うっかりPTA(副本4、予約39)<予約候補>・多和田葉子「エクソフォニー」・高橋源一郎『読んじゃいなよ』・銃・病原菌・鉄(上)・井本三夫『米騒動という大正デモクラシーの市民戦線』・トランスヒューマンガンマ線バースト童話集:図書館未収蔵・文明に抵抗した弥生の人びと:図書館未収蔵・「月夜のでんしんばしら」谷川雁、C.W.ニコル:図書館未収蔵・Coloring in Wadaland―和田誠カラー作品集:図書館未収蔵・高橋源一郎『ニッポンの小説』:以前に借りている・浅田次郎『天子蒙塵1~3』:図書館未収蔵・阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』:芸工大に収蔵・阿刀田高『裏声で歌へ君が代』・重松清『ビタミンF』:阿刀田さんが「セッちゃん」をお奨め・デジタルエコノミーはいかにして道を誤まるか:図書館未収蔵・カズオ・イシグロ著『癒されざる者たち』:図書館未収蔵・『ウォルマートがアメリカをそして世界を破壊する』:図書館未収蔵・ネルケ無方著『迷える者の禅修業』・ボリス・ヴィアン著『うたかたの日々』:芸工大に収蔵・『一汁一菜でよいという提案』・『排除と抵抗の郊外 フランス〈移民〉集住地域の形成と変容』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)<予約分受取:11/25以降> ・南伸坊「オレって老人? 」(11/20予約、11/25受取)・与那覇潤『知性は死なない』(7/25予約、12/09受取)・谷川雁「極楽ですか」 (12/01予約、12/09受取)・半藤一利『歴史と戦争』(7/11予約、12/09受取)・佐藤哲也「ぬかるんでから」(12/13予約、12/18受取)・南伸坊「ねこはい」 (12/13予約、12/18受取)・高村薫「神の火」 (12/15予約、12/21受取)・原田マハ『フーテンのマハ』(8/06予約、12/21受取)・『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1/04予約、1/14受取)・いしいしんじ『トリツカレ男』(1/09予約、1/14受取)・装丁/南伸坊(1/13予約、1/20受取)・『ギャシュリークラムのちびっ子たち』(1/14予約、1/20受取)【洞窟おじさん】加村一馬著、小学館、2004年刊<作品情報>より昭和35年、13歳の少年は「両親から逃げたくて」愛犬シロを連れて家出した。以来、彼はたったひとりで、足尾鉱山の洞窟、富士の樹海などの山野で暮らしヘビやネズミ、コウモリに野ウサギなどを食らい命をつないできた。発見されたとき、少年は57歳になっていた。実に43年にわたる驚愕のサバイバル生活。―これは現代のロビンソン・クルーソーの記録である。<読む前の大使寸評>驚愕の自叙伝というか、平成の冒険的ドキュメンタリーではなかろうか。図書館で探してみよう。<図書館予約:6/07予約、副本2、予約37>amazon洞窟おじさん【the four GAFA 四騎士が創り変えた世界】スコット・ギャロウェイ著、東洋経済新報社、2018年刊<「BOOK」データベース>より激変を預言した著名教授が断言。次の10年を支配するルール。【目次】1章 GAFA-世界を創り変えた四騎士/2章 アマゾンー1兆ドルに最も近い巨人/3章 アップルージョブズという教祖を崇める宗教/4章 フェイスブックー人類の1/4をつなげた怪物/5章 グーグルー全知全能で無慈悲な神/6章 四騎士は「ペテン師」から成り上がった/7章 脳・心・性器を標的にする四騎士/8章 四騎士が共有する「覇権の8遺伝子」/9章 NEXT GAFA-第五の騎士は誰なのか/10章 GAFA「以後」の世界で生き残るための武器/11章 少数の支配者と多数の農奴が生きる世界<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/13予約、副本5、予約83)>rakutenthe four GAFA 四騎士が創り変えた世界【飛ぶ孔雀】山尾悠子著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より庭園で火を運ぶ娘たちに孔雀は襲いかかり、大蛇うごめく地下世界を男は遍歴する。伝説の幻想作家、待望の連作長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/08予約、副本4、予約26)>rakuten飛ぶ孔雀【絶滅の人類史】更科功著 、NHK出版、2018年刊<「BOOK」データベース>より700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して「優れていなかった」わけではない。むしろ「弱者」たる私たちが、彼らのいいとこ取りをしながら生き延びたのだ。常識を覆す人類史研究の最前線を、エキサイティングに描き出した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/18予約、副本9、予約67)>rakuten絶滅の人類史【愛なき世界】三浦しをん著 、中央公論新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/25予約、副本23、予約366)>rakuten愛なき世界【極夜行】角幡唯介著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>よりひとり極夜を旅して、四ヵ月ぶりに太陽を見た。まったく、すべてが想定外だったー。太陽が昇らない冬の北極を、一頭の犬とともに命懸けで体感した探検家の記録。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/02予約、副本7、予約93)>rakuten極夜行【献灯使】多和田葉子著、講談社、2014年刊<「BOOK」データベース>より鎖国を続ける「日本」では老人は百歳を過ぎても健康で、子供たちは学校まで歩く体力もないー子供たちに託された“希望の灯”とは?未曾有の“超現実”近未来小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/09予約、副本4、予約94)>rakuten献灯使【サピエンス全史(下)】ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2016年刊<「BOOK」データベース>より文明は人類を幸福にしたのか?帝国、科学、資本が近代をもたらした!現代世界の矛盾を鋭くえぐる!【目次】第3部 人類の統一(宗教という超人間的秩序/歴史の必然と謎めいた選択)/第4部 科学革命(無知の発見と近代科学の成立/科学と帝国の融合/拡大するパイという資本主義のマジック/産業の推進力/国家と市場経済がもたらした世界平和/文明は人間を幸福にしたのか/超ホモ・サピエンスの時代へ)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(12/25予約、副本23、予約122)>rakutenサピエンス全史(下)【大東建託の内幕】三宅勝久著、同時代社、2018年刊<「BOOK」データベース>より“一括借り上げ(サブリース)で資産運用”の甘い罠。「こんなはずではなかった」と苦しむアパート経営者たち。契約を取るために犯罪に手を染める社員、パワハラが横行する職場、成果主義に追い詰められて自殺事件が続発ー。「いい部屋ネット」の大東建託で何が起こっているのか!<読む前の大使寸評>買うにしろ、借りるにしろ、貸すにしろ、住宅は高額商品の最たるもので、庶民の夢でもあるのだが・・・新築に短絡するニッポンの住宅政策が気になるわけです。<図書館予約:(1/06予約、副本5、予約42)>rakuten大東建託の内幕アパート経営商法の闇?byドングリ【これからを稼ごう】堀江貴文著、徳間書店、2018年刊<出版社>よりお金は変わる。そしていずれ「なくなる」--。2017年、バブルを迎えた仮想通貨市場。だが、その本質は投機対象でも決済手段でも、あるいはブロックチェーンという技術革新ですらない。お金という存在の正体に皆が気づき始めたことこそが、革命なのだ。ビットコインが目指した自由、イーサリアムがもたらす大変革、そして新しく訪れる個人と会社・国家との関係性とは。仮想通貨から学ぶ「これからの経済学」。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/12予約、副本7、予約68)>rakutenこれからを稼ごう【転生夢現(上)】莫言著、河出書房新社、2008年刊<「BOOK」データベース>より人からロバ、牛、豚、犬、猿そして人へ動物と人の心を重ねもって六度の転生。人の身で生きる世界が夢?途方もない物語が始まる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/18予約、副本1、予約0)>amazon転生夢現(上)【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死【8月の果て】柳美里著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より日本統治下の朝鮮・密陽に生を受け、マラソンでの五輪出場を目指した亡き祖父・李雨哲。そのうしろ姿を追い、路上を駆けることを決意した柳美里。ふたりの息づかいが時空を越えて重なる瞬間、日本と朝鮮半島のあわいに消えた無数の魂が封印を解かれ、歴史の破れ目から白い頁に甦る。偉丈夫の雨哲と美丈夫の弟・雨根。血族をめぐる、ふたつの真実の物語が、いま日本文学を未踏の高みへと押し上げる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>rakuten8月の果て図書館予約の軌跡151予約分受取目録R18好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・ウィキペディアでめぼしい著作を探す
2019.01.21
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昨夜(19日)のNHKスペシャル『アメリカvs中国 “未来の覇権”争いが始まった』を観たのだが、エライコッチャな内容であった。2019.1.19アメリカvs中国 “未来の覇権”争いが始まったより 激しい対立が続くアメリカと中国の貿易摩擦。トランプ政権が、制裁関税を次々とかけてきた背景には、「中国がハイテク技術の覇権を握ろうとしている」という危機感があった。 習近平国家主席のもと「中国製造2025」を掲げ、ハイテク分野での世界一を目指す中国。いま、国を挙げて取り組んでいるのが、AIなどの先端技術を駆使する「自動運転」や、インターネットに続く革命的な技術「ブロックチェーン」だ。 開発の最前線では、アメリカのIT企業などで技術を学んで帰国した「海亀」と呼ばれる若者たちが急増し、成長を支えている実態があった。対するアメリカは、中国からの投資やM&Aを規制する動きをみせ、水面下で激しい攻防が繰り広げられている。 大国間の攻防の狭間で、日本はどう生き残りをかけるのか?世界の行方を左右する米中の攻防、その最前線を追う。この番組を観ながら気になるところをメモしたのです。・アリババの国際送金サービスが銀行が未整備の低開発国の銀行チェーンを破壊する。現に中国に来ているフィリピン人家政婦がスマホを使って本国に送金している。つまり中国によるネット通販、国際送金によって現状のドル経済にとって変わろうとしている。・イワン・ブレマー氏は、技術をめぐる米中間の新冷戦によってグローバル経済が終わるとまで言う。米国の同盟国ニッポンは難しい判断に迫られている。・産油国カザフスタンは原油のドル取引に不満をもっている。・アメリカの若き起業ベンチャーたちは、資金援助してくれるなら中国で起業することに抵抗感がないと言っているが、気になるところであった。
2019.01.20
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図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治大正11年~15年あたりを、見てみましょう。p39~48 <出京・花巻農学校教師時代> 妹トシの病状は次第に悪化、一時下根子桜の別宅へ移したが[大正11年]11月には実家に戻し、27日夜、ついに永眠する。これは詩人にとって真に衝撃的な出来事であった。この日の日付けをもつ「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」の三篇のあと、しばらく詩作の筆は絶たれたと推定される。 翌大正12年1月、童話原稿を携えて上京、弟清六に東京社へ持ち込ませたが断られている。しかし4月には「岩手毎日新聞」に童話「やまなし」「氷河鼠の毛皮」、詩「外輪山」を発表、5月には同じく「岩手毎日新聞」に童話「シグナルとシグナレス」を連載している。(中略) 翌大正13年4月、これらの心象スケッチを集成した『春と修羅』1千部が刊行された。東京の関根書店を発行元としているが、自費出版である。残された印刷用自筆原稿をみると、それら清書稿にも縦横に手入れが施されているのみならず、収録作品の出し入れなど、詩集の構成にも非常な配慮がなされていることがわかる。 やがて7月3日、読売新聞で辻潤が激賞、年末には「日本詩人」で佐藤惣之助が《十三年の最大収穫》の一つに挙げたが、これらの好評に対して賢治は《まだ挨拶も礼状も書けないほど、恐れ入ってゐます》と、森佐一への手紙に記している。 5月には白藤慈秀とともに生徒を引率して北海道修学旅行、帰ってから「修学旅行復命書」を提出している。演劇活動はこの年の8月にも、農学校講堂で「飢餓陣営」「植物医師」「ポランの広場」「種山ヶ原の夜」の4本立てというかたちで公開され、終演後グラウンドで大道具小道具を燃やして生徒たちと乱舞した。これら、生鮮な文で綴られた「復命書」や生徒たちを指導した演劇活動は賢治の“限界芸術”の実践として、のち鶴見俊輔の評価するところとなるものである。 12月に地方色豊かな童話を類集した『注文の多い料理店』を刊行したが反響はなかった。挿絵を描いた菊池武雄らとの内輪の出版祝の席上で賢治は「銀河鉄道の夜」の第一稿とみられる作品の原稿をポケットから出して読んでみせたという。 翌大正14年、それまで文通のみだった森佐一(当時中学生)と知り合い、また『春と修羅』を読んで驚いていた草野心平から来信があり、森編集の「貌」、草野編集の「銅鑼」に詩を発表しはじめる。そしてこの草野を通じて賢治に注目した尾形亀之助の依頼に応じて、翌大正15年1月に尾形の創刊した「月曜」に童話「オツベルと象」、「ざしき童子のはなし」、「寓話 猫の事務所」が次々に発表された。 この年(大正15年)1月から3月まで県主催により農学校に開設された岩手国民高等学校で講師として農民芸術論を講じているが、この間、すでに退職の意思を固めていて、下根子桜の別宅に大工を入れて改造するなど、次なる活動の準備をしている。『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』1
2019.01.20
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図書館で『新潮日本文学アルバム宮沢賢治』というシリーズ本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、ビジュアル本なので全ページ写真入りなのはもちろんであるが・・・解説もなかなか読ませる内容になっているのです。rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治宮沢賢治の作品には宗教色を帯びたものが見られるが、国柱会への入会あたりを、見てみましょう。p33~36 <出京・花巻農学校教師時代> かねて法華経から受けていた深い感動が、日蓮宗への帰依、そして国柱会への積極的参加へと急速に進んだのがこの大正9年であった。10月に正式に国柱会へ入会し、その機関紙等を配布、父の従弟にあたる関徳弥も入信。その関の家に毎週若い人たちを集めて法華経や日蓮の遺文の輪読を試みたり、町内を唱題して歩く寒修業に励んだりするようになる。 輪読会に出席したある女性は、賢治がまるで他人のことなど眼中にないといった調子である時は黙々と、ある時は恐ろしく熱っぽく論じるという風だったと語っている。 入信勧誘は当然家族にも向けられ、とりわけ父親に対しての改宗要求は激しさを増した。この父子の法論、改宗を迫る賢治に対する政次郎の拒否・反論は、家の者たちの顔を青ざめさせるほどのものであり、母イチが間に立ってどんなに心を痛めているかは、親類の間でも同情と心配の種となった。 大正10年1月23日の暮方、店の火鉢で一人考えこんでいた賢治の頭の上の棚から日蓮遺文書が2冊、ばったり背中に落ちた。《さあもう今だ。今夜だ》・・・決意した賢治はただちに家を出て汽車に乗り、翌朝《上野に着いてすぐに国柱会本部へ行きました》と関徳弥あて手紙に書いている。 賢治を迎えた理事高知尾智耀の応対は、突然のこととて幾分素気なかったが、賢治はめげることなく、本郷菊坂町に間借りして、東大赤門前の文信社でガリ版切りなどしながら国柱会館に通い、さまざまな奉仕活動をしたり、上野公園での街頭布教に参加したりした。(中略) 国柱会では高知尾智耀としばしば会って信仰談を交わすうち、「鋤鍬をとるものはその鋤鍬の上に、ペンをとるものはそのペンのさきに」信仰がにじみ出るようでなければならぬと言われたことから《法華経文学ノ創作》を志すにいたり、猛然と童話の制作に没頭するようになった。 月三千枚書いたとまで言われているが、今日残っている賢治童話のうちの多くがこの時期に本郷菊坂町で第一稿が書かれたものと推測される。8月中旬、「トシビョウキスグカエレ」の電報を受けると、急いでズック張りのトランクを購入、それらの童話原稿をぎっしり詰め込んで帰宅したが、そのトランクの大きさに、花巻駅で出迎えた弟清六はびっくりしたという。 賢治が「童子こさえる代わり書いたのだもや」といって読み聞かせてくれたそれらの童話は、「蜘蛛やなめくじや狸やねずみ、山男や風の又三郎の話」だったと言う。在京中に投稿したものであろうか、童謡「あまの川」一篇が「愛国婦人」9月号に掲載されている。さらに同誌12月号及び翌年1月号に童話「雪渡り」が分載されていいる。 また、「かしわばやしの夜」「月夜のでんしんばしら」「鹿踊りのはじまり」「どんぐりと山猫」などの少なくとも第一稿がこの秋から冬にかけて書かれている。ウーム 宗教といえば、アメリカの福音派やイスラムの原理主義者のように好きになれないのだが・・・宮沢賢治の場合は、その情熱が実学や童話に向けられたのが良かったようですね。
2019.01.20
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図書館で『極東の旅2』という本を、手にしたのです。日清戦争当時の満州・朝鮮あたりをイザベラ バードが旅しているのだが、戦争中なので危険な目にもあっているようです。【極東の旅2】イザベラ バード著、平凡社、2005年刊<「BOOK」データベース>より『日本奥地紀行』の著者のアジアをめぐる記録を初めて集成。知られざるバードの実像と足跡が浮かび上がる。第2巻は旅の実際、キリスト教伝道活動、極東報告などの作品を収録。<読む前の大使寸評>日清戦争当時の満州・朝鮮あたりをイザベラ バードが旅しているのだが、戦争中なので危険な目にもあっているようです。amazon極東の旅2二王廟四川省の旅を、見てみましょう。p19~29<四川省西部の旅> 1896年1月31日、屋形舟で宣昌を出発した私は、2月19日に四川省の万県に着きました。この都市は揚子江が鋭く曲がる所に位置し、背後は30マイルにわたって山地をなしています。町は丘陵地にも展開し、その上には寺院や宝塔も建っています(中略) 万[万県]からの5日間は成都に向かう幹道を通りましたが、その道は立派な造りで、補修も行き届き、敷石が施され、階段状の石畳の道をなして上り下りしながら孫家漕峠を越えていきました。花崗岩の立派な石段は五千段もありました。そして万の港からアヘン、煙草、紙を運ぶ苦力でいっぱいでした。この幹道には鎖石橋で別れを告げました。 ここから先の道は、田の土手を通る幅の狭い泥道のようなものから大路に至るまでさまざまでした。前者は二台のカゴがゆとりをもって行き交えるほどの幅さえありませんでした。一方、北京から成都に至る官道である大路は幅が広く、舗装され、イトスギのすばらしい並木のために薄暗く、太古の昔が偲ばれました。 石橋の多くはすばらしく、その造りはどこに出ても注目されるであろうものでした。このルートの最初の方は美しい山岳風景がずっと続き、植生はあふれんばかりに豊かでした。地層は主に灰色砂岩や石灰岩・礫岩からなっていました。石炭が豊富で、道端にさえも露出しており、子供たちが料理に使う石炭を毎日掘り出していました。その採掘場はきわめて原始的で、掘り出したものは担い籠で運ばれていました。燃える際に煙も灰もほとんど出ない石炭の塊は坑口の所でトン当たりわずか2シリング6ペンスに相当する価格でした。 炭田は四川省の中部と北部の全域に分布しているようです。私の旅のルートに大きく重なっている嘉陵江では、広元から重慶まで500マイルにわたって30トン積みの舟が往来し、膨大な量の石炭が輸送されています。そして敷地が優に1エーカーはあろうかという石炭置場が数ヶ所にあり、8フィートもの高さに積み上げられ、大きな石炭の山になっていました。 山岳部に入ると、山腹の至る所に口の部分が狭くなった馬蹄形のくぼ地があり、階段のようになっていました[棚田]。この上なく見事に耕作されていました。またくぼ地ごとに広くて形の美しい農家があり、一軒ずつヒマラヤスギやイトスギの[屋敷]森で囲まれています。官吏の所有になる田舎の豪邸も珍しくありませんでした。その大きさと堂々たるたたずまいは、わが国の一部の名家の豪邸に勝るとも劣らないものでした。 田舎が開放的になっていきますと、守りを固めた避難所が高い岩山の上に現れたり、正面が色とりどりの磁器でできた大寺院や造り酒屋、製紙場や製粉所も現れるようになりました。町や大きな村はすべて独自の産業をもっています。絹織物業、麦わら帽子やその素材となる麦わらさなだの製造業、皮革業、製鉄業や製銅業、陶器や磁器の製造業、椅子製造業、染色業、偶像を彫ったりそれに金箔を施す産業、紅紙や紙銭の製造業などです。 労働に対する報酬が保障されていることがあらゆるものに看て取れました。冬はありません。2月でさえケシやいろいろな青物野菜が豊かに育っているのです。ケシは8インチもの高さになっていました。ケシ畑は年々水田を蚕食してきており、今では最も広い面積を占めています。(中略) この17日間の旅では、外国人に対する敵対心が顕著でした。町に入ろうとすると、それを合図に群衆が集まることがよくありました。文人に先導された連中はいつもこの上なく残念で、わめいたり囃し立てたり、泥などの飛び道具を投げつけたり、背後から棒で私をたたいたりしました。また「洋鬼子」とか「吃〇子[子供食い]」とか、「女をたたけ!」とか「女を殺せ!」とか言って、鬼のように罵声を浴びせました。梁[梁山]ではぞっとするような暴動が2時間にわたって続きました。まさに絶対絶命になったそのとき、官吏が多数の兵士を引き連れて救出にやってきました。そして翌朝には通りに兵士が配備されました。(中略) 最後の日には成都平原を突っ切りました。道はすばらしい山々に向かって次第に近づいてきました。山々は成都平原から一気にそそり立ち、その北側を壁のように画しているのです。この後私は二度この平原を越えましたが、すごいなあ、なぜだろうという気持ちはあとになるほど強くなりました。このすばらしい平原には400万人の人間が住み、都市や村は繁栄し、「豪壮な」農家が無数にあります。そのような豪邸は、各種のスギや竹、果樹で囲まれています。また、漆塗りや金箔の屋根のついた立派な橋や荘厳な廟、粉を挽いたり油を絞ったりする水車があり、おびただしい数の手押し車が行き交っています。 無限の繁栄と富が存在します。二千年にもわたって旱魃と洪水を免れてきているのです。これらすべては一人の天才的土木技術者の不朽の事績の賜物なのです。その人物を祀る廟[二王廟]は、ミン江の臥龍江を眼下に収める高台の木立に囲まれてあります。その荘厳なことといったら中国随一です。人目につく場所では、[河床を深く掘り、堤防は低くせよ]というこの人の格言の石刻や金文字の扁額を必ず目にします。『極東の旅2』1
2019.01.19
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図書館で『極東の旅2』という本を、手にしたのです。日清戦争当時の満州・朝鮮あたりをイザベラ バードが旅しているのだが、戦争中なので危険な目にもあっているようです。【極東の旅2】イザベラ バード著、平凡社、2005年刊<「BOOK」データベース>より『日本奥地紀行』の著者のアジアをめぐる記録を初めて集成。知られざるバードの実像と足跡が浮かび上がる。第2巻は旅の実際、キリスト教伝道活動、極東報告などの作品を収録。<読む前の大使寸評>日清戦争当時の満州・朝鮮あたりをイザベラ バードが旅しているのだが、戦争中なので危険な目にもあっているようです。amazon極東の旅2日清戦争当時の極東の旅を、見てみましょう。p10~16<朝鮮・中国・ロシア領満州からの手紙、1894年10月5日> 私自身のことについて若干報告しておくのにはほぼよい頃かと思います。前便は南漢江五週間の旅を成功裡に終えた後に、乗っていた小舟の水夫に託し、春川からソウル経由で送りました。そこでは漢江の急灘での事故について記したと思います。この事故で私は多くの覚え書きと漢江で撮影した陰画(ネガ)のほとんどを失ってしまいました。 私はその後北漢江をサンパンという小舟を竿とロープを使って遡れる限り遡り、春川の上流30マイルまで行きました。そしてその地点で引き返すことにし、1週間馬に乗って金剛山へ行きました。一部はキャンベル氏のコースやカーゾン氏のコースをとりましたが、新しいコースもとって内陸へ戻りました。 その後はほぼ真東に進み、高度が4100フィートある「九十九折峠」という名のこの上なくすばらしい峠を越えました。この峠からは海まで急勾配をなして一気に下っていきました。山並みは50マイルにわたって海にへばりつくようにそそり立っています。それを越えた後は、西に転じて安辺と南山に向かい、南山からは幹線道路を通って元山に出ました。 この間非常に成果が上がりましたし、概して快適な2ヶ月でした。私は豆満江およびロシア領満州への旅を続け、雨季が終わったらここに戻るつもりで、元山に旅の装備を一式置いてきました。ですが、戦争のためにこの計画は台無しになりました。 旅はまったく中途半端なものになってしまったのです。私は6月21日に汽船で済物浦に着きました。ここからソウルへ行き、そこでお金と旅の荷物を受け取り、2、3日中に、夏を過ごすために日本へ行くつもりにしておりました。ところが、済物浦は日本軍に占領されてしまっていて、夜の間に退去するようにという命令を受けました。 退去を命じられたのは安全な場所ではなく、危険極まりない所でした。日本の汽船だったのです。船はその夜渤海の複数の港をめざして進みました。私は無一文でした。着替えもまったく持っていませんでした。こんな状態で私はチーフーに到着したのです。ここで領事からお金を用立てていただき、英国公使夫人とスペイン公使夫人には何組もの衣服を仕立ててもらいました。 このように親切にしていただけたおかげで私は長くて暑い夏をしのぎきれました。と申しますのは、私がようやくお金と荷物を入手したのは9月10日のことであり、しかもソウルに置いてある600ドルは今もそのままになっているのです。 数日間横波を受けながら濁った渤海に留まった後、拿捕されるのではと毎日思っていた船長は牛荘に行くことを決断したのですが、そこで私たちは済物浦の騒ぎが根拠のないものだったことを知りました。そのときの私は日本に行けるような状況にはありませんでしたので、この上なくものさびしく旅情をかきたてる複数の港で快適な1週間を過ごした後、「豆を運ぶ小舟」で奉天に向かいました。1週間かかりました。 [王立地理学協会の]皆様には、五日にわたって間断なく降り続く雨がどんな結果をもたらすか想像もつかないと思います。一旦はやんだのですが、その翌日には再び降り出し、まもなくして、私たちは増水し水深が8フィートにもなった激流に巻き込まれました。この洪水によって満州の大平原はマラリアが発生する内海と化しました。30以上の豊かな村が破壊されるのを見ましたし、幸いにも何人かの命を救いました。しかし、暴風雨と一面お暗闇は本当に恐ろしいものでした。 私は体調を崩し、ベッドも衣類もずぶ濡れになりながら、自分の折り畳み式キャンプ用ベッドの上で3日間横になっていました。筵(むしろ)を葺いたジャンクの屋根からはどんどん雨が入ってきました。私はたいへん衰弱していましたので、奉天をめざして上陸したときには寝たまま馬車に乗せられました。それ以来マラリアは全快せず悪寒にも襲われます。 奉天では、ロス博士の住まいが目に入った矢先に馬車がひっくりかえり、ラバは連結用の轅(ながえ)もろとも前のめりになりました。その拍子に私は天井に激突し、右腕を折ってしまいました。そのため以後6週間は副木をし、吊り包帯で吊っていました。今は少しですが、使えるようになりました。以上が私の災難のすべてです。 今は贅沢な部屋、よいベッド、最高の看護、そして病気の回復のためによく気配りされた贅沢さと快適さを実感しています。 私は奉天で6週間以上過ごしました。そしてこの都市に対する興味を覚えました。上層階級の人々すなわち官吏たちがどのような考えをもっているかとか、彼らの生活の内実について見聞を深めるという、ちょっと望めないようなチャンスにも恵まれました。[清国]軍が朝鮮に向かって進軍を始めると、特に、統制のとれていない満州族の軍勢が奉天を通過し始めると、すぐに恐ろしく「厄介な事件」が一つならず発生しました。 スコットランド人宣教師のワイリー氏が殴り殺され、兵隊に扇動された一般住民は、外国人の命を要求したのです。川まで3マイル行くのでさえもきわめて危険だとみられるようになったとき、[ようやく]私は奉天を離れました。ですが、妨害をまったく受けることなく牛荘に到着しました。たいへん楽しい旅でした。私が脱出した1時間後に水上での略奪と殺戮が勃発したことは、のちになって知りました。そのときには私の乗った舟も攻撃目標の一つになっていたのです。 チーフーで1週間、天津でも1週間滞在しましたが、天津では外国人の間に怯えが蔓延していました。それは恐れあるいは恐怖と表現しても過言ではない感情でしたが、私には根も葉もないものに思われました。そのあと私はここ[北京]に入りました。 この行動は駐清英国公使や英国領事の思いとは、いくぶんというよりむしろ大いに反するものでした。両氏によれば、今回特別に出入許可証を交付しますのは、「この上なく慎重な旅行家である」という評判を得ておられるので、ということでした!(中略) 外国人に対する民衆の反乱や大虐殺が危ぶまれていますが、そのような大事件は、現政権が脆弱な権力でもそれを保持している限りは起こらないと確信しています。と言いますのも、満州族の軍勢の利害は[清]王朝のそれに一致しているからです。今晩私はこの公使館内にある壮麗な龍の間で、北京東洋協会のための講演を行ないました。すべての外交関係者、中国海関の官吏たち、国子監の教授方からなる聴衆は、この上ない思いやりと共感をもって耳を傾けてくださいました。 以上記しましたことから、朝鮮中部は例外として、戦争が勃発したために、私が地理学的な調査をほんの少ししかしてこなかったことや、「世界漫遊家」が訪れる所ではなくとも、人々がよく行く所しか訪れなかった事情をおわかりいただけたかと思います。私は[]4月には英国に戻るつもりにはしていますが、私を6度も東洋へと駆り立ててきたその魅力は、色褪せるどころか、ますます輝きを増しています。 朝鮮は私がこれまで旅をしてきた国の中では一番興味をひかれない国ですし、国民は人種のくずのように思われます。しかし、国民の諸困難は[先天的なものでなく]幾多の原因の所産だと思います。オンドルを別としますと、経験を積んだ旅人[である私]を怖気づかせるもの、特に寄せつけなくするようなものは何もありません。中国はもっとひどく、そのひどさは底無しです。ウーム マラリアや骨折にもめげずに旅を続けたのか・・・ええ根性してるでぇ♪それにしても・・・朝鮮や中国の負の側面さえ面白く見る彼女の好奇心(あるいは研究心)は底無しでんな。
2019.01.19
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1・17は阪神・淡路大震災の追悼の日である・・・ということで、今年も東遊園地にでかけてみました。追悼24年目の神戸には、一人暮らしの高齢被災者とそれを支える復興ボランティアがいるが・・・神戸は被災、復興の原点という思いがするのです。2019/1/18神戸・長田の復興住宅で「ふれあい喫茶1・17」より モーニングを楽しみながら、阪神・淡路大震災の記憶を語り合う「ふれあい喫茶1・17」が17日、神戸市長田区若松町3の復興住宅「フレール・アスタ若松」であった。入居者や近隣住民ら計約100人が集会所に集まり、地元婦人会が準備したコーヒーやゆで卵を味わいながら、被災当時の様子や亡くなった家族、知人への思いを伝え合った。 阪神・淡路で焼け残り、淡路市の北淡震災記念公園に移された「神戸の壁」があった地区。復興住宅前の記念碑「明日へわがまち」前などで追悼行事や炊き出しを続けてきたが、住民らが高齢化してきたことなどから「ゆっくりと語れる場を設けよう」と初めて室内で行われた。 同区二葉町2の男性(72)は「昨年までは寒くてお祈りだけで帰っていたが、暖かい屋内のおかげで、当時みんながどんな思いをしたかよく知ることができた」と話した。(西竹唯太朗)もともと神戸市は、ポートアイランド建設に見られたように土木建築ではピカイチの能力があるわけで震災復興では目を見張るスピードを見せてくれました。だけど、長田区の新アーケードでは新設後に一度も開けないシャッターがあったりで、被災者に寄り添うノウハウはいまいちなのが悔やまれています。がんばれ!神戸市でんがな。
2019.01.19
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図書館で『サボ島沖海戦』という本を、手にしたのです。“史上最大の敗北”と米国ジャーナリズムが評した夜の砲戦を見てみようではないか。【サボ島沖海戦】リチャード・F・ニューカム著、潮書房光人社、1998年刊<「BOOK」データベース>より昭和17年8月8日、ガ島沖に集結する敵船団に伝統の夜襲をかけた三川中将率いる巡洋艦部隊は、待ちうけた連合軍艦隊を完膚なきまでに打ちのめした。“史上最大の敗北”と米国ジャーナリズムを震撼させたソロモン海戦の全貌を、米濠司令官・各艦長の砲戦下の動向も据えて克明に描いた感動のノンフィクション。<読む前の大使寸評>“史上最大の敗北”と米国ジャーナリズムが評した夜の砲戦を見てみようではないか。rakutenサボ島沖海戦この海戦の当事者でもある三川中将が回想記を寄せているので、見てみましょう。p319~322<回想記> わたくしは自分がした戦争の話をすることは好まない。だから求められても、いままで人にも会わなかった。この本の発刊に当たって、出版協同社の社長福林正之氏と訳者の田中至氏がわたくしのところへみえて「負けたからこそ大いに兵を語って後世への戒めとなすべきだ。国家と民族の運命にこれほど大きな影響を与えた戦争なのだから、是非の論は別として、事実だけは明らかにしておく義務がわれわれにある」といわれた。それには同感の点もあるので、ここに当時を思い起こしてみることにした。 1942年6月、ミッドウェー海戦ののち、わたくしは第三戦隊の旗艦「比叡」に坐乗し、戦艦「霧島」「金剛」を率いてアリューシャン方面に進出していた。第八艦隊司令長官を拝命したのは、7月初旬、艦隊が南下し、ちょうど大湊沖を通過するときのことであった。その電報によると、ソロモン方面に第八艦隊を編成したから、その初代司令官を命ずるということであった。 それまで、ソロモン海域はトラック島に司令部を置く井上成美中将〇下の第四艦隊が受け持っていた。わたくしは7月25日、トラック島に着いて、第四艦隊の司令部と作戦の打合せを行ない、第八艦隊は巡洋艦七隻と駆逐艦二隻の編成でラバウルに向かった。 ラバウルにいた陸軍は、東部ニューギニアのオーエン・スタンレー山脈を越えてポートモレスビーを占領しようとしていた。これを研究作戦と呼び、現地の陸軍は意気軒昂、豪州軍などではもの足りない、アメリカの正規軍が出てくるのは願ってもないことだ、それを一挙に叩いて、米国民全体の士気を喪失させ、戦争を短期にかたづけてしまおう、とたいへんな鼻息だった。これを聞いたわたくしは、「これまで日本陸軍は負けたことがないのだから、それぐらいのことはやれるだろう」と思った。 このように陸軍と打ち合わせをしている間に、敵が大挙してガダルカナル島とツラギにやってきた。 わたしはここで、自ら進軍して敵を撃滅しようと決心した。 昔から軍書は、損害を恐れて、なすべきこともしない将をいましめている。「孫子」に「勝ってしかる後に戦を求む」とあるが、これは勝算があって初めて戦えという意味で、負けるかもしれないと恐れて戦いをしかけないのもよくないが、だからといって、負けることがわかっているのに猛進するのは愚であるといういましめである。 もともとわたくしの専門は航海術で、真っ暗の海上での操艦には自信があった。この点は海軍部内でも認められていたとみえ、野戦に使う艦、つまり30ノットを出す「」クラスの戦艦艦長をよく務めた。 野戦では、艦を衝突させたり暗礁に乗り上げたりすることを避け、敵より早く相手を発見し、敵より早く命中弾を送ることが要訣である。だから勢力の大小は問題ではない。ひとつのガッチリ組んだ練達の部隊が上手に突っ込めば、敵の半分の勢力でも、十分に戦えるものだ。「米軍ガ島に来襲」の報に接したとき、わたくしは、ただちに部隊を集めて攻撃をかける決心をしたのだが、べつになんら心中の不安はなかった。八艦隊司令部の幕僚中にも、わたくしの考えに反対したものはひとりもいなかった。いわゆる以心伝心で、司令部一同がこの作戦に全く同じ考えだったのだろう。(中略) 戦闘の準備として特に意を用いたことは、各艦の水上機一機ずつに燃料を満載にしたあと、ガソリンの残りは全部海中に棄てさせたことで。その他の甲板上の可燃物もすべて海中に投棄した。 1942年8月8日の日没後、旗艦から最後の水上偵察機を発進させた。敵がどのような勢力でいるのかということは、昼間から何度か行なった偵察でわかっていたから、いまさら偵察の必要はなかった。この「鳥海」水上偵察機の任務は、わが部隊突入時に敵を照らし出す吊光弾を落とすのが任務であった。 吊光弾は敵艦隊の東側、つまりわが艦から見て向こう側に落とすことになっていたが、これがみごとに成功した。敵の艦隊の並んでいるのが、ちょうど影絵のように見えた。こうして魚雷は正確に照準をつけて発射することができた。ウーム ガ島攻防は島嶼戦闘の始まりであったが、1945年の硫黄島攻防、沖縄戦まで3年の間に坂道を転がり落ちるように負け戦さが続くことになります。
2019.01.18
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図書館に予約していた『螢・納屋を焼く・その他の短編』という本を、ゲットしたのです。年末のNHKで村上春樹原作『バーニング』という韓国版映画を観たのだが・・・その勢いでこの本を予約していたわけです。【螢・納屋を焼く・その他の短編 】村上春樹著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった…。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。<読む前の大使寸評>先日、NHKで『納屋を焼く』という韓国版映画を観たのだが・・・その勢いでこの本を予約していたわけです。<図書館予約:(1/04予約、1/14受取予定)>rakuten螢・納屋を焼く・その他の短編 「納屋を焼く」の語り口を、見てみましょう。p52~54<納屋を焼く> 最初に知りあった時、彼女は僕にパントマイムの勉強をしているの、と言った。 へえ、と僕は言った。たいしてびっくりもしなかった。最近の若い女の子はみんな何かをやっている。それに彼女は何かに真剣に打ちこんで才能を磨いていくといったタイプには見えなかった。 それから彼女は「蜜柑むき」もやった。「蜜柑むき」というのは文字どおり蜜柑をむくわけである。彼女の左側に蜜柑が山もりいっぱい入ったガラスの鉢があり、右側に皮を入れる鉢がある(という設定である)本当は何もない。彼女はその想像上の蜜柑をひとつ手にとって、ゆっくりと皮をむき、ひと房ずつ口にふくんでかすをはきだし、ひとつぶんを食べ終えるとかすをまとめて皮でくるんで右手の鉢に入れる。 その動作を延々と繰り返すわけである。言葉で説明すると、これはべつにたいしたことではない。しかし実際に目の前で十分も二十分もそれを眺めていると(僕と彼女はバーのカウンターで世間話をしていて、彼女は話しながら殆んど無意識にその「蜜柑むき」をつづけていた)だんだん僕のまわりから現実感が吸いとられていくような気がしてくるのだ。これはすごく変な気持だ。 昔アイヒマンがイスラエルの法廷で裁判にかけられた時、密室にとじこめられて少しずつ空気を抜いていく刑がふさわしいと言われたことがある。どんな死に方をするのか、くわしいことはよくわからないけれど、僕はふとそのことを思い出した。「君にはどうも才能があるようだな」と僕は言った。「あら、こんなの簡単よ。才能でもなんでもないのよ。要するにね、そこに蜜柑があると思いこむんんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ。それだけ」「まるで禅だね」 僕はそれで彼女が気にいった。 僕と彼女はそれほどしょっちゅう会っていたわけではない。だいたい月に1回、多くて2回くらいのものだった。我々は食事をしてからバーに行ったり、ジャズ・クラブに行ったり、夜の散歩をしたりした。 彼女と2人でいると、僕はとてものんびりとした気持になることができた。やりたくもない仕事のことや、結論の出しようもないつまらないごたごたや、わけのわからない人間が抱くわけのわからない思想のことなんかをさっぱりと忘れ去ることができた。彼女にはなにかしらそういう能力があった。彼女の話す言葉の殆んどには百パーセント意味なんてなかったけれど、それに耳を傾けていると、遠くを流れる雲を眺めている時のように、ひどくぼんやりとして心地良かった。 僕もいろいろと話をしたけれど、たいしたことは何ひとつ話さなかった。話すべきことはべつに何もなかった。 本当にそうなのだ。 話すべきことなんて何もないのだ。ウーム 『バーニング』には、似てると言えば似ているなあ・・・彼女の「蜜柑むき」に他人をまきこむところなんか独特な場を醸しだしているし。年末のNHKで観た村上春樹原作『バーニング』を付けておきます。2018年12月29日村上春樹原作『バーニング』放送!より NHKが、アジアを代表する映画監督たちと、村上春樹の短編小説の映像化に挑戦します! 第一弾は「納屋を焼く」。監督はカンヌ国際映画祭など、世界で評価の高いイ・チャンドン。監督は原作にある小さな謎を大胆にアレンジ、舞台を現代韓国に移し、謎が幾重にも広がるミステリー・ドラマを生み出しました。いったい何が真実で、何が現実なのか・・・。 主演の3人は、若者の将来に希望を持てない“無力さ”や、やり場のない“怒り”を、見事に演じています。さらに、吹替を担当したのは、柄本時生(ジョンス役)、萩原聖人(ベン役)、高梨臨(ヘミ役)の3人です。緊張感あるストーリーを声の演技で盛り上げています。繊細な心の動きをつむぎ出す演技に注目です。 村上春樹の短編小説を原作に巨匠イ・チャンドン監督が仕掛けた究極のミステリー「特集ドラマ バーニング」。12月、BS4Kの開局特番として、また、地上波では総合テレビの年末特集の1本として登場します。【あらすじ】小説家を目指す青年ジョンス(ユ・アイン/柄本時生)は、同じ農村で育った幼馴染の女性ヘミ(チョン・ジョンソ/高梨臨)と都会の片隅で再会する。惹かれ合う二人。しかし、ヘミがアフリカで出会った謎の男ベン(スティーブン・ユアン/萩原聖人)を紹介したことで、3人の運命は複雑に絡みはじめる。ある日、ヘミと一緒にジョンスの家を訪れたベンは、夕暮れのベンチで秘密を打ち明けた。「僕は時々ハウスを燃やしています―」この時から、ジョンスの周囲で不思議なことが起こり出す・・・。
2019.01.18
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朝日新聞の(歩きながら考える:高橋源一郎)シリーズをスクラップしてファイルしているのだが・・・そうだ 朝日デジタルがあるではないかと気づいたわけです♪スクラップファイルとデジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。(2019.1.17(歩きながら考える)からコピペしました)《収容所の外国人、完了のない支配》 「外国人労働力」を確保しようと政府は出入国管理法を改正しました。国籍の異なる人々が国境を越えて出たり入ったりする場面が増えます。「出口」の一つ、光の当てられにくい外国人収容施設を作家の高橋源一郎さんが訪ねました。寄稿を掲載します。 コンビニでレジの前に立つ。すると、少したどたどしい日本語でしゃべる声が聞こえてくる。 「イラッシャイマセ」 目を上げると、そこにいるのは日本人ではない。当たり前の風景だ。そういえば、ハンバーガーショップや立ち食い蕎麦屋で立ち働いている外国人を見ても、驚くことはなくなった。 時々、彼らはどこから来たのか、どんな人間なのか。そう考える。でも、一瞬のことだ。そして、わたしたちはすぐに忘れる。 去年、出入国管理法の改正が大きな議論を呼び、メディアで「入管法」という言葉が飛び交っていた頃、不意に彼らのことを思い出した。改正入管法は、労働力としての外国人の受け入れ拡大を目指して作られた。この国の経済にとって役立つ人材。それが彼らに与えられる役目だ。そして、そのことばかりが議論される。それ以外のことにはみんな無関心だ。心の底で疼(うず)くものがあった。 半世紀前、わたしは学生運動に参加していた。ベトナム反戦。大学制度改悪反対。多くのテーマがあった。その中に、「大村収容所を解体せよ」という声があった。 「彼らも人間なのだ。絶対に忘れてはならない」 どこかの集会でそんな声を聞いた気がした。でも、その時も、わたしは通り過ぎただけだった。 長崎県大村市にある大村入国管理センター(旧大村入国者収容所)を訪ねたのは、改正入管法が成立した少し後のことだった。最新のIT工場のような、大きくて清潔なその建物の中には、在留資格がないなどの理由でアジアやアフリカ、南米など出身の外国人、約100人が収容されていた。 林旗(リンチー)さんは1984年うまれの34歳になる中国人だ。すでに3年近く収容されている。いつ収容施設の外に出られるのかは、誰にもわからない。 「障害のある子どもと妻が大阪で苦しい暮らしをしている、家族を置いて、生活の基盤のない中国に戻るわけにはいかない。家族が夢に出てくる。会いたい」 面会室の透明な窓の向こうで、訥々(とつとつ)としゃべった林さんとの時間はやがて終わった。 半世紀前、学生運動で逮捕され、拘置所に入っていたわたしも、林さんのように窓の向こうにいた。わたしは独房で7ヶ月過ごしたが、終わりごろには、拘禁性ノイローゼになって独房の壁に頭をぶつけ続けたりした。明確な理由も根拠もわからないまま、そして、いつまでなのかもわからず壁の中にいることにわたしは疲れ果てていたのだ。いまでも、わたしはその頃の悪夢を見るのである。 案内された入国管理センターの中の光景は、わたしがいた拘置所の中とほとんど同じだった。 記憶にある「大村」とは何だったのだろうか。そして、あの時、なぜ人びとは、「大村収容所」の解体を求めたのだろうか。わたしは自分の記憶を確かめるために、いくつも資料を読んだ。 大村入国者収容所は、1950年から1993年までの44年間、様々な理由で国外退去命令を受けた「韓国・朝鮮人」を「集団送還」するまで収容する場所だった。そこは「刑期なき獄舎」とも「監獄以上の監獄」とも言われた。「送還にせよ、仮放免にせよ、収容されてから大村収容所を出所できるまでの収容期間には法律上の制限がない」からだった(小野誠之「雑誌『朝鮮人』」27号〈1991年・終刊号〉)。4、5年にもわたる長期の収容によって絶望し、自殺や暴行に走る者も続出した。いまと同じだ。だが、その事実はほとんど知られることはなかった。それもまたいまと全く同じなのである。 「大村収容所を廃止するために」と銘打たれた雑誌「朝鮮人」は、1969年に創刊された。「任錫均」という「在日朝鮮人」の韓国への「強制送還」に反対する運動から生まれた雑誌だった。彼は、軍事独裁政権に抵抗する学生運動に関わって逮捕された。死刑宣告を受け、送還されれば死刑は免れない状況にあった任錫均の生命を守るために、長期の収容から解放し、亡命への道を拓くための運動が行われていたのだ。 雑誌が創刊されたのは、わたしが拘置所にいた頃だった。だが、うかつにも、当時のわたしは、何も知らなかった。いや、知ろうともしなかったのである。 わたしは、創刊号に掲載された任錫均の「大村収容所にはいる」という文章をコピーで読んだ。彼は淡々と収容所の中で起きる出来事を書き、最後にこう結論づける。 「法規を破る者は法による懲罰が科させられるが、懲罰には完了があり、完了の後平常に戻れる余地がある。この法に書かれないしきたりには完了がなく、救済の余地は全くない」 この透明で美しい日本語の書き手は、極限状態に落とされてもなお、自分が置かれた状況を冷徹に分析できるほどの優れた知性の持ち主だった。そこで、彼は、収容所の中に存在する、法によらない支配の原理を告発している。 この雑誌を最後まで支えた哲学者の鶴見俊輔は、終刊号の座談会でこう語っている。 「日本人であることから離れて、離れられないなら一歩距離を置いてね、人間として見る目を持っていればね、どこでも通用する。それが、在日朝鮮人に対する在日日本人のとるべき見方ではないでしょうか」 鶴見は、わたしたちが当たり前にするように人をまず国籍で考える、ということをしなかった。その考えは、わたしたちをただ分断するだけだからだ。鶴見にとって、目の前にいるのは、同じ人間だった。いや、苦しむ人間と、それを助けることができる人間の2種類だけだった。 1世・2世が減り、「集団送還」される在日韓国・朝鮮人がいなくなると、役目のなくなった旧大村入国者収容所は閉鎖された。一つの時代が終わったのである。いまセンターに収容されているのは、他の外国人たちだ。けれども、入国管理センターと名称が変わっても、その本質に変わりはないように思える。いまも「刑期」という定めのない「無期限」の徒刑囚として、彼らは「強制送還」の日を待っているのである。 ネパール人の元留学生で、かつて母国で政治活動をしたため帰れば命の危険があるというラジェンドラさんは、いま37歳。難民認定を求め、大村で計4年の収容生活を送っている。彼は書いている。 「にゅうかんのなかにいるみなさん まいにち3ねん4ねん つらいせいかつ のみこんで せいかつをしてます なぜなら いつかいいことおきるかもしらない いつかあかるいみらいみえるかもしらない いつかだれかがてをのばして たすけるんじゃないか……きぼのひかりをまってます」 それは、すぐ横の壁の向こうから聞こえてくる、わたしたちの隣人の声だ。そしてわたしは考えるのである。ほんとうに、わたしたちは、彼らのように「壁」の向こうに閉じこめられ、自由を奪われるようなことは絶対にないと言えるのだろうかと。しょせん、すべては「他人」の出来事なのだと。■ともに歩いて 鉄格子が目を引く施設内を歩き、高橋さんは「刑罰を受けているのと同じだね」とつぶやきました。家族や社会と切り離された、終わりの見えない拘禁。「大阪で暮らす妻と幼い子を支えたいが仮放免すら許されない」。面会室で訴える男性に、高橋さんは「社会に伝えます」と応えました。その収容期間は裁判所ではなく、事実上、入管当局の裁量で決められています。人権という観点からのチェックが必要だと感じました。(編集委員・塩倉裕)(歩きながら考える)収容所の外国人、完了のない支配2019.1.17
2019.01.18
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図書館に予約していた『神の火』という本を、待つこと6日でゲットしたのです。『リヴィエラを撃て』でスパイ・アクションを描いた高村薫の男性的な筆力に驚いたのであるが・・・このクライシス小説も期待がもてるのである。【神の火】高村薫著、新潮社、1991年刊<「BOOK」データベース>より軍事施設なみの防護網。完璧にシールドされたコンピュータ制御機器。「不可能」のハードルを越えると、またひとつ「不可能」が二人の前に立ち塞がった…。超話題作『黄金を抱いて翔べ』から1年。高村薫は持ち前の科学知識を総動員して、原子炉に狙いを定めた。比類なきクライシス小説千枚。巨大な構築物に素手で立ち向かう男たちの、見果てぬ夢がここにある―。<読む前の大使寸評>『リヴィエラを撃て』でスパイ・アクションを描いた高村薫の男性的な筆力に驚いたのであるが・・・このクライシス小説も期待がもてるのである。<図書館予約:(12/15予約、12/21受取)>rakuten神の火テロリストは金目当ての産業スパイなのか?・・・そうではなくて、北の国のスパイだとしたら話はさらに危険なものになるのです。その後の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p107~109<4>「あまり突っ込まない方がいいんじゃないか」と、島田は穏やかに逃げた。「その辺は適当にやりますわ。僕かてサラリーマンやし。これ、愚痴やないですよ。僕は、愚痴言わなあかんほどサラリーマンしてません」 島田は思わず苦笑いした。それは自分のことだ、と笑いながら、小坂と自分のグラスにアルコールを注ぎ足した。「そやけど、島田さん…。仮に僕や島田さんがテロリストやとして、音海を狙おうと思うたら、不可能なことないと思いませんか」「僕は音海のシステムは知らないから…」と、島田は再び逃げた。微妙なところへ話が進んできたと思う一方、《近づかない》と約束した個人的事情は別にして、これ以上の話は何か億劫な気もしたのだった。「肝心なところは、どこも大して変わらしまへん」と小坂は続けた。「計算プログラムの一部は、島田さんのチームが原研で開発した解析コードを、そっくり利用したものやし」「どのコードだ?」「THYDE-Wです。あれに、うちの開発部がほんの少し、新しいパラメータを加えただけです。制御棒が新型に変わったので、クラスタ引抜きの動特性計算や、燃料挙動や圧力サージの計算は新しくなりましたけど、数値だけのことです」「へえ…」「あ、そうや」と小坂は手を一つ、ぽんと叩いた。「それ、いけますわ。コンピュータに侵入したら、制御プログラムは潰せますよ」「ベティさん、声が大きいよ」「そやかて、あの音海、ほんまに進んでますねん。制御関係はもちろんやけど、炉内作業かて全部ロボットですよ。加圧水型の実用炉ではうちが初めてと違いますやろか。機器の検査はもちろんですけど、炉内構造物の取替作業や、機材の運搬や、掃除までロボットです。人間が要らしまへん。そやけど、ロボットを動かすのは全部コンピュータですからね」 「へえ。全部ロボットか…。でも、コンピュータに侵入すると言ったって、外部接続のないプラント計算機の、どこへ侵入するんだ? それとも、システム設計の段階で誰かが侵入していたと考えるのか? 原子炉保護系のインターロックだけでも、一体いくつのプログラムで動いている? 二十か三十か? アクセス保護がしてあるだろう? 仮に何かの書き込みがあったら、システム監査で見つかるだろう?」「まあそうですね。こんな話しとったら、うちの電算部が怒りよりますわ、ハハ」「ああ。急所はコンピュータだけではないだろうし…」 島田は適当に話を流したが、プログラムの破壊は、侵入さえ出来れば、ある条件を持った者には絶対に不可能とは言えないことをちらりと考えた。保護リレーの流れをよく理解し、急所を選び、それぞれのパラメータ値を予め知っておれば、無作為にプログラムを荒し回る必用はない。基準コードでがんじがらめに縛られた相関式は、係数を一つ動かしただけで狂い出す。 小坂は、しばらく黙っているかと思えば、新物の落花生を美味いと言って食っていた。昔は、落花生を食うとその辺を殻だらけにした男だが、所帯を持ってさすがにそういうことはしなくなった。奥さんに教育されたのだろう。つくばいの水のざわめく音が戻ってくる。遠ざかっていた雨が、また降り出したようだ。「よう降りますね、今年の秋は」などと言いながら、小坂は食い続けた。「そう言えば、僕は自分の話ばっかりしとったわ…」 そうは言っても、小坂は島田のことを決して訊こうとはしない。島田が自分のことを話さない人間であることを、よく知っているからだが、この2年の間に島田の心に起こった変化を知らないからでもあった。話したいことなど何もないが、訊ねられたらそれなりの話はするのに、と思いながら心の中で苦笑した。「これも愚痴やないですけど、話をしたいと思う人間て、なかなかおらへんもんですよ」と小坂は言い足した。「君が忙し過ぎるんだろう」「ハハ、それもありますね、きっと。島田さんは鋭いわ」「それで結局《終わりました》というのは、何が終わったんだろう?」「一つは捜査。一つは計画そのもの。そう解釈せざるを得ませんけど、原子力安全委員会は《終わりました》いう口振りやあらしません。それに、犯人グループも逮捕されてへんし、公安かて、そないに簡単に手を退くはずもないし、僕は何かあるんやと思うてます」「そうだね…」ウーム 原子炉の炉心構造物を熟知した2人のエンジニアの会話みたいになっているが・・・著者の勉強ぶりには驚くのです。このあと、良の仲間3人が殺される大立ち回りが続きます。『神の火』1
2019.01.17
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図書館に予約していた『トリツカレ男』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。薄めの本で、ぱらぱらとめくってみると・・・何だか自由きままなテイストのようです。帰ってウィキペディアで調べてみると・・・この小説をミュージカル仕立てにして全国公演もあったようですね。【トリツカレ男】いしいしんじ著、ビリケン出版、2001年刊<「MARC」データベース>よりいろんなものに、どうしようもなく、とりつかれてしまう男、ジュゼッペが無口な少女に恋をした。哀しくまぶしい、ブレーキなしのラブストーリー。<読む前の大使寸評>薄めの本で、ぱらぱらとめくってみると・・・何だか自由きままなテイストのようです。帰ってウィキペディアで調べてみると・・・この小説をミュージカル仕立てにして全国公演もあったようですね。<図書館予約:(1/09予約、1/14受取予定)>amazonトリツカレ男この小説の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。p9~12<第1章 ジュゼッペ> ある晩、店じまいのあと、店のご主人から、 「ジュゼッペ、お前、このまんまじゃクビだな」 「もうしわーけ、なーいと、おもってーまーす、だんなー…」 ジュゼッペはうつむいて泣きそうな顔つきになる。歌はマイナー調さ。ご主人だってジュゼッペに悪気がないことはわかってる。しょうがないよな、トリツカレ男なんだから。だからご主人はためいきをつき、しばらく休みをやるよ、その癖がなおったら店にでてきな、そういってニ度三度と細かい肩をたたく。ジュゼッペはこつんとうなづき、すぐさま上をみあげ涙まじりに両手をひらき、 「うたー、うたー、うたーがないとー、おうおうおう、いーきさえ、でーきなーい、ばかなおれー、なーんですー、おうおうおう!」 交通事故にあった友達を見舞いにいっちゃあ、陽気に骨折のアリアをうたい、病院からたたきだされた。 こわもてギャングの目の前で、ばくちと銃撃戦のワルツを踊って、半殺しの目にあった。 猫にひっかかれ、カラスにはつっつかれ、膝がしらは犬の噛みあとだらけ、って、そんな毎日だったよ。 それでもジュゼッペはうたうのをやめなかった。オペラの舞台と同じように、寝てもさめても、うたいながら暮らした。てぬきせず、枯れた声をはりあげ、そう、一心不乱にね。そのうち街のみんなも、ジュゼッペの歌に慣れはじめた。 あら、このこったら、まねしちゃいけません、なんて、やんわりたしなめられる子どもまでではじめたんだ。ジュゼッペのオペラはじょじょに、街の暮らしになじんでいったのさ。 ところがだ。 夏の終わりに近づいたある夕方、のんびりやのばあさん連中、それに、めしの支度に忙しい奥さんがたさえ、あれ、なんだか様子がおかしい、って気づいたんだ。ジュゼッペの声がしない。いつものあのばかな歌がどこからも、きこえてきやしない。そのうち気のいい肉屋のおやじが、ジュゼッペなら公園の空き地でみかけたっけなあ、ほうほう、なんていいだし、みんなそろってぞろぞろと見にいったってわけなんだ。 たしかにジュゼッペはそこにいた。ランニングと短パン姿で。とっとっと、と小走りに駆け、大股で足をかえ、一度、二度、三度! 左左右! と飛び跳ねて、それを何度も、何度もくりかえしてる。 「おいおい」 と誰かがぼんやりつぶやいた。 「なんだか別のものがとりついたらしいよ」
2019.01.17
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば、「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・螢・納屋を焼く・その他の短編・トリツカレ男・サボ島沖海戦<大学図書館>・極東の旅2・新潮日本文学アルバム宮沢賢治図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【螢・納屋を焼く・その他の短編 】村上春樹著、新潮社、1987年刊<「BOOK」データベース>より秋が終り冷たい風が吹くようになると、彼女は時々僕の腕に体を寄せた。ダッフル・コートの厚い布地をとおして、僕は彼女の息づかいを感じとることができた。でも、それだけだった。彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。僕の温もりではなく、誰かの温もりだった…。もう戻っては来ないあの時の、まなざし、語らい、想い、そして痛み。リリックな七つの短編。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/04予約、1/14受取予定)>rakuten螢・納屋を焼く・その他の短編 【トリツカレ男】いしいしんじ著、ビリケン出版、2001年刊<「MARC」データベース>よりいろんなものに、どうしようもなく、とりつかれてしまう男、ジュゼッペが無口な少女に恋をした。哀しくまぶしい、ブレーキなしのラブストーリー。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(1/09予約、1/14受取予定)>amazonトリツカレ男【サボ島沖海戦】リチャード・F・ニューカム著、潮書房光人社、1998年刊<「BOOK」データベース>より昭和17年8月8日、ガ島沖に集結する敵船団に伝統の夜襲をかけた三川中将率いる巡洋艦部隊は、待ちうけた連合軍艦隊を完膚なきまでに打ちのめした。“史上最大の敗北”と米国ジャーナリズムを震撼させたソロモン海戦の全貌を、米濠司令官・各艦長の砲戦下の動向も据えて克明に描いた感動のノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenサボ島沖海戦【極東の旅2】イザベラ バード著、平凡社、2005年刊<「BOOK」データベース>より『日本奥地紀行』の著者のアジアをめぐる記録を初めて集成。知られざるバードの実像と足跡が浮かび上がる。第2巻は旅の実際、キリスト教伝道活動、極東報告などの作品を収録。<読む前の大使寸評>追って記入amazon極東の旅2【新潮日本文学アルバム宮沢賢治】全集、新潮社、1984年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつきデータなし<読む前の大使寸評>追って記入rakuten新潮日本文学アルバム宮沢賢治********************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き351
2019.01.17
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稀勢の里が3連敗となり、4日目には後援会が応援に来るという・・・さあどうする、どうなる?2019/1/15稀勢の里3連敗に場内シーン…横綱8連敗は単独最多より 進退をかける注目の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が前頭筆頭の栃煌山(31=春日野)に寄り切られ、初日から3連敗となった。 立ち合い踏み込んだがもろ差しを許し、投げを打たれて体を入れ替えられ土俵を割ると場内は水を打ったような静けさとなった。結び前の一番だったため、そのまま土俵下に残った稀勢の里は、ぼう然とした様子だった。 昨年9月の秋場所から3場所にわたって続く連敗は、ついに歴代横綱の中で、単独最長となる「8」まで伸びてしまった。たしかに、栃煌山戦を見ると体力もないし覇気も感じられない大敗けである・・・こんな大敗はミッドウェー海戦以来ではなかろうか(オイオイ)横綱昇進後に故障をおして出場した姿には日本中から声援がとんだが・・・あのときから(悪魔に魅入られたように)一抹の不安と判断間違いがとりついていたようです。しかしまあ、その時々の事情があったにしろ、これだけ判断ミスを繰り返すとは思いもよらなかったことでしょう。あまりすっきりしないが・・・人生にはこれだけの悲運、不運もあるという戒めとするしかないのかも。********************************************************************16日9時の報道によれば、稀勢の里の現役引退が田子ノ浦親方から表明されました。・・・やはり、そうか。
2019.01.16
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『お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?』という新書を、読んでいるのだが・・・この本はベ-シックインカム導入を題材にして、望まれる社会保障制度を論じているわけです。・・・ということで、ベ-シックインカムについて集めてみます。・「ベーシックインカム」実験 疑問の声も(2019.1.15デジタル朝日)・国家で実験ベーシックインカム(2018.12月デジタル朝日)・『お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?』(2018年刊)・與那覇潤著『中国化する日本』(2011年刊)・ミヒャエル・エンデ著『モモ』(2005年刊)R1:『「ベーシックインカム」実験 疑問の声も』を追記*****************************************************************************<「ベーシックインカム」実験 疑問の声も> 大使は北欧の「ベーシックインカム」実験をフォローしているのだが、1/15デジタル朝日に最新記事が載ったので、紙のスクラップとともにダブルで残したのです。「ベーシックインカム」実験 疑問の声も 隣国フィンランドが模索するのは「ベーシックインカム(BI)」。生活保護のように特定の人が対象ではなく、すべての人に一律の現金を配る仕組みだ。 「いまのシステムは、企業に勤めない人への支援が難しい。どんな手法が可能か、実験の一つ」と首相府のマルクス・カネルバ専門官は説明する。ランダムに選んだ失業者2千人に、月560ユーロ(約7万円)を無税で2年間支給。その間に就職しても支給を続け、収入申告などの手続きは不要だ。 雇用が不安定でも、一定の収入が担保されれば、起業や新しい仕事にも挑戦しやすい。全員一律なので、申請や審査のコストも削減できる、といった狙いがある。 BIには「働く意欲をそぎ、怠け者をうむ」という批判もつきまとう。今回の実験には、「失業者以外も対象にしなければ本当のBIとはいえず、人々の行動にどんな影響があるかの実験としても意味がない」(タンペレ大学のペルッティ・コイスティネン教授)と、BIを支持する専門家にも疑問の声がある。 実験は昨年12月で終わった。対象者は「怠けた」のか。これから本格的な分析が始まる。若者と社会保障 北欧の「全世代型」:中2019.1.15*****************************************************************************<国家で実験ベーシックインカム> ベーシックインカムに関心があって調べていたのだが、およそ1年前の朝日新聞スクラップからフィンランドの実例を見つけたので紹介します。(新聞からの転記になるが、転記すれば頭に入るというアナログ人間の大使でおます)北欧フィンランドで、政府が無条件で一定額のお金を配る「ベーシックインカム」の実証実験が進んでいる。現状の失業保険などの社会保障制度が国民のニーズに対応できておらず、抜本的な見直しが必要ではないかとの問題意識からだ。導入には賛否があるが、欧州では他の地域でも実験を始める動きが続いている…■月7.5万支給 職探し前向きに 「自由を与えられた感じがします」。フィンランド西部ユルバ近郊の村で暮らすユハ・ヤルビネンさん(39)はそう言って喜ぶ。政府は昨年1月から2年間、25~58歳の失業者2千人を対象として、失業保険の代わりに、無条件で月560ユーロ(約7万5千円)のお金を給付する実験を始めた。ヤルビネンさんもその一人に選ばれた。 フィンランドの失業率は8%台と高止まりが続く。政府の狙いは、ベーシックインカムの制度が失業者の働く意欲を高め、雇用増につながるかを調べることだ。政府の担当者によると、世界でも地方自治体レベルによる実験は過去にもあったが、国として取り組むのは初めてだという。 ヤルビネンさんが経営していた窓枠の製造会社は6年前に倒産。5~16歳の6人の子どもを抱え、看護士の妻の収入に、子ども手当や月640ユーロ(約8万6千円)の失業保険を合わせ、計3千ユーロ(約40万円)の収入でギリギリの生活が続いた。1日8ユーロ(約千円)がもらえる教会の手伝いなどもしたが、地元に就職先がほとんどなく、再び起業を目指した。 ところがネックになったのが失業保険だ。一定以上の所得があえwば、失業保険の受取額は段階的に減らされる。「売上高が少ないと、生活が苦しくなるだけだ」とあきらめていた。それが、所得に関係なく毎月安定して入るベーシックインカムに変わったことで、売上額の多寡を気にしなくていい。 昨夏に手作り太鼓などを販売する会社をつくった。「試験期間の2年間で軌道に乗せて、税金もしっかり払えるようにして見せる」と意気込む。 南部タンペレでIT企業で働き出したミカ・ルースネンさん(46)は、従来の失業保険だと、社会保険事務所に臨時所得の有無や求職活動の状況などを定期的に報告せねばならず、「政府にすべてコントロールされている感じがする」。ベーシックインカムなら「そのストレスから解放され、前向きになれる」と話す。 自身もベーシックインカムを受けるジャーナリストのトーマス・ムラヤさん(44)によると、取材した実験参加者5人全員が「職探しに前向きになれた」と答えた。ベーシックインカムだけで生活するのは難しいため、「社会に出るのを後押ししてくれる」と言う。政府から無条件でお金をもらえることで、「怠け者になるのでは」との見方は当らないとの考えだ。 政府は実験終了後、参加者から生活の変化などの聞き取り調査をする予定だ。社会保険庁事務所のマルユッカ・ツルネン部長は「現段階では一切評価していない」と話す。■国の費用負担 課題 導入を巡っては国内でも賛否が割れる。懸念の一つは費用負担だ。実験にかかるのは約2千万ユーロ(約27億円)。政府は当初1万人で計画したが、負担増への批判が出て規模を縮小せざるを得なかった。国全体に広げると、国内総生産(GDP)の約5%の費用が必要との試算もある。 国と企業との責任分担を巡る懸念もある。フィンランド労働組合中央組織の労働政策責任者のピリヨ・バーナネンさん(45)は、政府がベーシックインカムで国民の所得保障に大きな責任を持つようになれば「企業が賃上げに後ろ向きになるなど、逆に不安定な仕事を増やすことにつながらないか」と心配する。 一方、導入に前向きなタンペレ大学のペルッティ・コイスチネン教授は「新しい時代の社会保障の一つに解決策になれる」と話す。(中略) コイスチネン教授は「不安定な仕事につく人が増えているが、今の制度では蚊帳の外に置かれている。そうした人のリスクを減らす制度になりうる」と話す。ウン ニッポンでは拙速で新移民法案が決まったりするけど、北欧ではこんな地道な福祉制度の実験が行なわれているのか・・・国の規模の違いがあるが、政治の質の違いもあるんでしょうね。この記事も一応 朝日のインタビュー記事スクラップR9に収めておきます。*****************************************************************************【お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?】エノ・シュミット, 山森亮著、光文社、2018年刊<「BOOK」データベース>より 2016年5月、スイス・ジュネーブの広場に巨大なポスターが現れた。そこには「What would You do if Your income were taken Care of?」(お金を稼がなくてよくなったら、あなたは何をしますか?)と書かれていた。 これは、世界で初めてベーシックインカムを求める国民投票を実現させたアーティスト、エノ・シュミットらによる「世界最大の問い」だった。世界各地で導入の具体的な動きが広まるベーシックインカムは、社会や人間のあり方に何をもたらすのか。 2017年4月に同志社大学で開催されたシンポジウム「エノ・シュミットと語るコモンズ、フェミニズム、ベーシック・インカム」をもとに、四人の執筆者が「世界最大の問い」を考える。<読む前の大使寸評>「お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?」と大きく問うた経済的コピーにひかれて中身をみたら・・・ベーシックインカムにからむ本であり、つい衝動買いになったのです。rakutenお金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?『お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?』2:山森さんの提言『お金のために働く必用がなくなったら、何をしますか?』1:「働かざる者、食うべからず」ではないか?*****************************************************************************【中国化する日本】與那覇潤著、文藝春秋、2011年刊<内容紹介>より日本の「進歩」は終わったのか──ポスト「3.11」の衝撃の中で、これまで使われてきた「西洋化」・「近代化」・「民主化」の枠組を放棄し、「中国化」「再江戸時代化」という概念をキーワードに、新しいストーリーを描きなおす。ポップにして真摯、大胆にして正統的な、ライブ感あふれる「役に立つ日本史」の誕生!<大使寸評>歴史を今の政治経済にまで引き寄せる與那覇さんの着想が鮮やかであり・・・それをまた、読みやすく書く文才が並の歴史学者と違うのかもしれませんね。Amazon中国化する日本『中国化する日本』8:郡県化する日本:真説政治改革p247~248、ベーシック・インカムをまじめに考えるp275~278与那覇先生が、これしかないというベーシック・インカムであるが・・・・too little too lateが信条ともいえる日本の官僚制度がベーシック・インカムを取り込むとはとうていあり得ないでしょうね。*****************************************************************************エノ・シュミットがミヒャエル・エンデ著『モモ』を引合いに出してベーシックインカムを語っているので、読んでみようと思うのだが。【モモ】ミヒャエル・エンデ著、岩波書店、2005年刊<「BOOK」データベース>より町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。小学5・6年以上。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenモモ
2019.01.16
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朝日新聞の記事をスクラップしているのだが・・・中国のハッカー集団の記事が聞き捨てならないので、デジタル記事としても残しておこうと思ったのです。・・・というわけで1/13デジタル朝日「時々刻々」から転記したのだが、紙のスクラップが増える一方で、いっこうに断捨離できない大使でおます。 経団連への不正アクセス事件をめぐり、米司法省が訴追した中国人ハッカー集団の関与の疑いが明らかになった。高度なハッキング技術を持った集団は「APT10」と呼ばれ、背景に中国政府の存在が指摘されている。日本も主要な標的になっているとされるが、国内では積極的な情報公開や共有がなされておらず、実態が見えづらい。 経団連は2016年秋の発覚まで2年以上にわたり、ハッカーからの侵入を受けていた。朝日新聞が入手した内部資料や関係者の証言から、サイバー攻撃を受けた経緯が見えてきた。 きっかけは14年7月1日、日中関係の団体から経団連の国際協力本部に届いた1通のメールだった。普段やりとりしている相手だったため、経団連の職員はメールに添付されていた、名簿のファイルを開いた。その瞬間、ウイルスによってパソコンのセキュリティーに穴が開けられた。2日後、新たな遠隔操作型のウイルスが送り込まれた。 メールはハッカーが送りつけたものだった。差出人は実在の職員の名前で、名簿も本物だった。送り元とされていた団体側も事前にハッキングされ、実在の職員のメールサーバーが乗っ取られていたことが後に判明した。 経団連のシステムの中に入ったウイルスは拡散を続け、2ヵ月後には、文書を共有するためのサーバーに潜伏。そこから、中国広東省にある通信事業会社のサーバーと通信を始めた。経団連のサーバーには政府とのやりとりや提言に関する資料などが保存されており、外部に情報を送信していた可能性が考えられる。ただ、情報が盗まれたかどうかは特定できなかった。 経団連のネットワークを監視する会社から「不審な通信がある」と指摘を受けたのは16年10月上旬。関係者によると、複数台あるサーバーのあらゆるファイルにアクセスされた痕跡が見つかったほか、経団連幹部のパソコンが別の種類のウイルスに感染していたことも判明した。このパソコンからは、メールの中身を抽出し、圧縮するプログラムも見つかった。 経団連は翌11月、ウイルス感染の疑いがあるパソコンやサーバーが計23台見つかったと発表。この後、数億円かけてシステムを総入れ替えしたという。当時の状況を知る幹部は「実在する団体と人物を名乗って本物のデータが送られてきたら、疑いなく開いてしまう。攻撃者の周到な準備が感じられる高度なサイバー攻撃だった」と振り返る。 APTとは「Advanced Persistent Threat」(高度な持続的脅威)の略で、日本では企業や組織を狙った「標的型攻撃」と訳される。米セキュリティー企業ファイア・アイが特定の組織に的を絞って攻撃する複数のハッカー集団を分類し、番号をつけて監視しており、「APT10」はその一つだ。ほかにもロシア系や北朝鮮系など、計40以上の集団に分けている。 同社の分析では、APT10は欧米と日本の建設や産業技術、航空宇宙、通信業界や官公庁を主な標的に、サイバー攻撃を仕掛けて機密情報の窃取を繰り返してきたという。ハッカー集団の規模や実態は不明だが、中国の国家安全保障や企業を後押しする情報を狙う動きがみられるのが特徴で、「中国政府の関与が疑われる」と指摘する。 米司法省は昨年12月、APT10のメンバー2人を訴追。「中国の国家安全省と協力して活動している」と指摘し、「国家ぐるみ」のハッキングだと位置づけた。司法省によると2人は差出人を装ったメールを送り、相手のパソコンをウイルスに感染させるなどの方法で、45以上の企業や米航空宇宙局、エネルギー省傘下の研究所などから大量の情報を盗み取ったという。経団連へのサイバー攻撃も同様の手口だった。 米国防総省出身でファイア・アイCEO(最高経営責任者)のケビン・マンディア氏は過去に朝日新聞の単独インタビューに応じた際、国家が背後にあるとみられる中国ハッカー集団の特徴について語っている。 「彼らは目的達成に向けて攻撃を延々と繰り返す。まるで決まり事に従うかのように規則正しい。そして盗み取った膨大な情報を決して表に出さない」 APT10が日本を集中的に攻撃している可能性は以前から指摘されている。 英国の国防関連企業のBAEシステムズ、コンサルティング大手PwCが英国立サイバーセキュリティーセンターと協力して17年4月に公表した報告書ではAPT10について「体系的に、日本の組織を狙っている」と指摘。外務省、国際協力機構、自民党などになりすました外部サーバーの通信先を使った攻撃が行われているなど、具体的な実態を明らかにした。 英語で書かれたリポートには、そこかしこに日本語の表記がある。「日米安保戦略対話提言(未定稿)」「事務連絡案内状」といった、APT10がウイルスを送り込んだメールの添付ファイル名や、「日本の教育機関を狙った『おとり』書類」といった文書ファイルも紹介されている。 調査結果についてBAEシステムズなど3者に取材を求めたが回答はなかった。だが関係者は匿名を条件に「APT10が日本を最も重要な標的とみているのは間違いない。リポート公表後、外部からサイバー攻撃があり、(3者は)表立った動きを控えているのだろう」と語った。 リポートにはAPT10の攻撃を受けたかどうかを確認できる情報が掲載されている。経団連が受けた攻撃も、ウイルスの通信先を記者が照合して特定できた。だが、日本でこうした情報がまとまった形で公開されることはほとんどない。 米司法省の訴追に合わせて、日本の外務省は支持する談話を公表し、菅義偉官房長官も会見で「民間企業、学術機関などを対象とした長期にわたる広範な攻撃を確認しており、断固非難する」と、特定のハッカー集団を名指しする異例の発言をした。ただ、政府などが被害を受けているかどうかについて菅氏は「わが国の能力を明らかにすることになるので、詳細は控える」とした。 陸上自衛隊の初代システム防護隊長でファイア・アイ日本法人CTO(最高技術責任者)の伊東寛氏は、サイバー攻撃を受けた組織が被害を公表すると不祥事とみなされる社会の風潮や、各省庁や業界団体がばらばらに水面下で情報共有の仕組みを作っている現状に課題があると指摘する。「昨年12月に成立した改正サイバーセキュリティ基本法で、政府が旗振り役となり業界横断的な情報共有の仕組みを作ろうとしており、この状況が改善されることを期待したい」(編集委員・須藤龍也)ウーム 日本が集中攻撃を受けてるようで・・・エライコッチャの状況でおます。ハッカー集団、背景に中国政府か2019.1.13
2019.01.16
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図書館で『空の冒険』という本を、手にしたのです。この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・ということで借りたわけでおます。【空の冒険】吉田修一著、木楽舎、2010年刊<「BOOK」データベース>よりままならない現実の中で、その先にある光をめざして進む主人公たちの物語。ANAグループ機内誌『翼の王国』から生まれた、心に寄り添うようなショートストーリーの数々。映画『悪人』の原作者であり、脚本も手がけた著者の制作エピソードも収録。<読む前の大使寸評>この本はANAグループ機内誌『翼の王国』に連載した短篇小説とエッセイをまとめた本のようである。そういえば、浅田次郎さんも同じような趣向の本を出していたなあ・・・rakuten空の冒険ロケハンではなくて映画制作後のロケ地巡りを、見てみましょう。p222~225<『悪人』を巡る旅> 小説を書くために取材へ出かけることは多い。 たとえば台湾だったり、大宮だったり、近場では品川埠頭や日比谷公園だったりする。小説の舞台にするのは基本的に自分が好きだったり、気になっていたりする場所が多い。なので、現地を訪れて小説の構想を練るというよりも、すでにある物語をはめこむために改めて訪れることがあ多い。 理由はどうあれ、このように執筆前に舞台となる場所を訪れることを、一般的に取材旅行と呼んでいるのだが、一度だけ、執筆後(それもすでに本が出版されたあと)に、小説の舞台となった場所を巡り歩いたことがある。この場合、何旅行と呼ぶのだろうか。 向かったのは九州北部。朝日新聞の夕刊に連載した『悪人』という小説の舞台だ。 簡単にこの物語を紹介すると、博多で保険外交員をしていた若い女性の遺体が三瀬峠で発見される。容疑をかけられたのは、福岡の裕福な大学生と長崎の漁村に暮らす土木作業員。そこに佐賀の紳士服量販店に勤務する女性が加わり、物語は逃亡劇から純愛劇へと変わっていく。 簡単にあらすじを書いただけでも、博多、三瀬峠、佐賀平野、長崎の漁村と、九州北部のさまざまな風景が立ち現れる。 「『悪人』の舞台になった場所を巡ろう!」というツアーを考案したのは、デビュー時からお世話になっている編集者のSさんで、そこにMさん、Yさんという別の編集者が加わり、どうせだったら、行きつけの飲み屋のママIさんも誘おうということになり、あっという間にツアー客は五人になった。翌週にはこの噂を聞きつけた僕の幼なじみTさんが長崎から参加することも決まる。 福岡から佐賀、長崎へ。となれば、せっかくだから、美味しいものも食べたい。福岡なら長浜ラーメン、鉄鍋餃子。佐賀牛のせいろ蒸しに、呼子でイカ刺し、唐津バーガー。長崎ではえんがわを堪能しましょう! 次々と食事が決まると、今度は誰が言い出したのか、「となると、やっぱり温泉は外せませんよね」ということになる。 じゃあ、嬉野温泉には必ず一泊。あと雲仙まで足を延ばすか、平戸辺りをドライブするか。 半ば、当初の目的は忘れかけ、それぞれガイドブックを買い込んで、羽田空港を出発したのが、珍しく九州地方に雪が積もった冬の日だった。 福岡空港に到着すると、レンタカーで市内に向かう。 それぞれいい年の大人なのだが、日頃仕事に疲れているから、社内は何かが吹っ切れたように明るい。予定通り、まずは長浜のラーメンで腹ごしらえし、小説の中、事件の発端となる市内の東公園に向かう。 「なんか、思ってたのとぜんぜん違いますねー。もっとこう鬱蒼とした公園だと思ってたんですけどー」 この公園、小説の中では、人影もなく、電線が風に揺られて不気味な音を立てているような暗い夜の公園として描かれているのだが、到着したのが昼過ぎで、園内には子供たちの賑やかな声が響いていた。 少し不満げなツアー客たちをなだめ、小説の登場人物たちが暮らしている設定の場所を数ヶ所巡った。 当然、架空の話なので、保険外交員が暮らす寮が実際にあるわけもなく、裕福な大学生が親に買ってもらったマンションがそこにあるわけでもない。ただ、この辺りから僕は奇妙な感覚に襲われるようになっていた。 「この辺りの、こういう感じのマンションに暮らしている設定なんですよ」と説明しながら見上げた高級マンションから、自分が描いた大学生が今にもへらへらと出てきそうな気がしたのだ。 この感覚は、福岡を離れ、佐賀、長崎を巡るあいだもずっと残った。残ったどころか、物語(ツアー)が進むにつれて強くなる。 佐賀県呼子港にある有名なイカ料理店で、作中、登場人物のある男が愛する女性に自分の罪を告白する場面がある。ツアーではこの店にも寄ったのだが、あいにく満席で、しばらく入口で待たされることになった。この時、待合室のベンチに若いカップルがちょこんと座っていた。純朴そうな物静かなカップルで、呼子港のイカ料理店で席が空くのを待ちながら、お互いの凍えた手をときどき微笑み合いながら握り合っている。 とうに小説は完成している。でも、彼らの様子を眺めていると、まるで彼らをモデルに自分が小説を描いたような錯覚に陥ってくる。7年前に観た『悪人』をつけておきます。【悪人】李相日監督、2010年制作、H24.7.18観賞<goo映画解説>より長崎在住の清水祐一は、博多で働く石橋佳乃と待ち合わせをしていた。しかし、待ち合わせ場所で佳乃は他の男の車に乗って行ってしまった。佳乃を追いかけた祐一は、福岡県の三瀬峠で彼女を殺してしまう。その後、長崎でいつも通りの日常を送っていた祐一は、以前出会い系サイトでメールをやりとりしていた馬込光代という女性と会うことに。ホテルでお互いを求めあった後で、祐一は光代に佳乃を殺したことを告白するのだが…。<大使寸評>李相日監督作品となれば、見ないわけにいかないが・・・・娘を殺された親父が、スパナを隠し持って真犯人?に迫るところが、凄い。goo映画悪人『空の冒険』2:プサン、カンコク『空の冒険』1:ラ・ボル、フランス
2019.01.15
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図書館で『日本の景観』という本を、手にしたのです。先日、『思考としてのランドスケープ地上学への誘い』という本を読んだところだが・・・その勢いでこの本を読む気になったわけです。【日本の景観】樋口忠彦著、筑摩書房、1993年刊<「BOOK」データベース>よりどの人にも共通して好ましいと感じられる日本の風景を「水の辺」と「山の辺」、さらに「八葉蓮華」型景観、「隠国」型景観、「蔵風得水」型景観などいくつかの典型にさかのぼり、風景が包含する精神的また空間的な特性を、文学作品や絵画を引用しつつ細かく考察する。さらに日本の景観とヨーロッパの景観を比較検討するとともに、日々変化し続ける現代の都市に生き生きとした棲息地景観を作っていくための道を探る、景観工学の代表作。サントリー学芸賞受賞作。<読む前の大使寸評>先日、『思考としてのランドスケープ地上学への誘い』という本を読んだところだが・・・その勢いでこの本を読む気になったわけです。rakuten日本の景観著者は「流域圏」という考え方に拘っているのだが、そのあたりが第2章「日本の景観」の「はじめに」に出ているので、見てみましょう。p54~58<はじめに> 日本人が自然や自然の景観に対してどのような意識を持っていたかということを第1章で述べた。次に、日本の景観がどのような構造をもっているかを物理的な側面から明らかにしていくことにしよう。 まず、日本の景観のフィジカルな特徴は次のようにまとめられるであろう。(1)日本は、四面を海に囲まれた島国である。(2)世界有数の海岸延長をもち、その海岸線は複雑で変化に富んでいる。(3)さらに、日本列島は、非常に急峻な山脈でできており、そこに源を発した急勾配の河川が流れている。そして、その川の流域に小規模の盆地や平野が点在している。この平地部分は国土面積の3割に満たない。いわゆる「山国」である。(4)その植生は、森林を主体としている。南の方からいえば、琉球列島の亜熱帯林から、次第に西日本の常緑広葉樹林、東日本の落葉広葉樹林になり、北海道の亜寒帯針葉樹林になっている。(5)気候はいわゆる「モンスーン型」で、四季がはっきりとしており、梅雨、台風、北での降雪など多雨である。 日本の風景の特徴としてこれらの要素をうまくまとめて論じたのが、志賀重昴の『日本風景論』である。そこでは(1)気候、海流の多変、多様なること、(2)水蒸気の多量なること、(3)火山岩の多々なること、(4)流水の侵蝕激烈なること、の四つをあげて日本の風景を説明している。これは従来の「もののあわれ」的風景論に対し、日本の風景をフィジカルな側面から科学的に見たものとして画期的なものであった。 このように日本列島全体がどのような特徴をもっているかという位置づけから、日本の様々な特徴を捉えようとする試みは、最近では生態学によって発展させられている。そこでは、特に植生などの面から、日本の風土が論じられている。その中でも梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』や中尾佐助氏・上山春平氏等の『照葉樹林文化』などは代表的なものであろう。 以上のような日本列島全体の位置づけから展開される日本の景観論。風土論に対して、私はもう少し小さなスケールから見ていくことにしたい。即ち、日本人は、そのような日本列島の中の、どのようなところに住み込んできたか、という視点から日本の景観を考えていきたいと思う。 第三次全国総合計画、いわゆる三全総では、「流域圏」という考え方が提出された。先にも述べたように、日本は、急峻な山脈をもち、そこに発した急勾配の河川に沿って小規模な平地が点在している。日本人の居住の場所は、全体にして三割弱のこの平地であった。したがって、「流域圏」という考え方は、日本人の居住の場を、まとまった単位として捉えるのに非常に便利な概念である。 「三全総」で流域圏という概念が提出された理由は次のように述べられている。(1)日本の国土は分水嶺により多くの流域に分割されており、この流域ごとに気象条件や土地条件が微妙に変化し、風俗、習慣も異なる特色ある地域社会が形成されていること、(2)流域を特性づける水系を総合的に管理することにより、流域の安定度と安定性とを高め、流域の生態系と環境の容量とを維持することができること、などである。これらの理由から、地域の特性に応じた国土管理を考える場合、水系を中心とした流域に着目する必要があったということである。 この流域圏という考えは、日本列島全体をさらに細かい段階で見ていく上でなかなかすぐれた着眼点である。(中略) 日本人は、流域に点在する平地に住み込んできた。この流域に点在する平地は、例えば、谷―盆地―谷―平野というようなかたてで存在しているのが、日本においては一般的なのではないだろうか。盆地、谷間の平地、海沿いの平野、ここに住み込んできた。 、、、この三分類は簡単明瞭で、だれしもはっきりしたイメージを思い浮かべることのできる分類ではないだろうか。そこで私は、日本人の居住の場いわゆる棲息の場を、、、という三つの分類でまず大きく捉えてみたいと思う。この三類型は、日本人の棲息の場の大きなまとまりを表現するばかりでなく、日本の景観の大きなまとまりをも表現するはずである。(中略) このように分類された空間や景観こそ、私達にとってもっとも日常的に感じ取られている空間や景観ではないだろうか。「日本列島」的な把握も、「照葉樹林帯」的な把握も、さらには「流域圏」的な把握も、それぞれに有効なものではある。しかし、私達の住む土地が棲息地といて一つのまとまりをもって感じとられるかどうかは、何よりもこのスケールでの空間や景観の状態に大きく左右されると思う。 ここから出発することにより、志賀重昴に代表される総論的ともいえる日本風景論をより詳細な各論へと導いていくことができるのではないだろうか。ウン 水系というか「流域圏」的な把握が、日本の景観を語る上で欠かせないことが分かりました♪『日本の景観』2:水分(みまくり)神社『日本の景観』1:古代の治水技術
2019.01.15
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