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メキシコのヤシの木 国営富岡製糸場と松代の横田英の”富岡日記” 開業明治5年の国営富岡製糸場は明治政府の重要な施設だった。政府が急いだのは生糸の輸出で外貨を稼ぐこと。そのためには生糸の品質の改良と大量生産。これを実現するために、国内各地に国営富岡製糸場をまねた製糸場をつくる。そのための15~25歳の技術伝習工女が国営富岡製糸場で活躍した。その中のひとりで当時松代の武士の娘で横田英(結婚後は和田英)”富岡日記”を残した。 エスペランサは日本各地から技術伝習工女が集められた背景には、西洋技術を積極的に学びたいという気質もあった。たとえば松代藩では佐久間象山のような西洋技術(大砲、電信技術など)を取り入れて日本の開国を進める人もいた。 長野県 松代の横田英の”富岡日記” 横田英の”富岡日記”は国営富岡製糸場の技術伝習工女として16歳の横田英は同郷の長野県松代の女子15名とともに1年数ヶ月国営富岡製糸場で研修した。富岡日記の特徴は観察眼の鋭さ、10台女性の揺れ動く心、生き生きとらえたみずみずしい文章などである。当時の国営富岡製糸場の周りの人々の様子や生活を知るための貴重な資料であり、近代の礎を築いた、一時代を生きた一人の女性の生き様である。 横田英の”富岡日記”の内容 横田英の富岡日記を読んで感じることは、日記の形式でなく国営富岡製糸場および長野県の六工社(松代)~横田英が技術指導~で勤務したときの印象に残ることごとを後年まとめて要約した形式でした。(回想は約30年の後に書かれた。)多分、日記のように日々の出来事を書き連ねていれば、大きなとらえ方ができず、物事の本質を浮かび上がらせることは書けないと思う。 横田英の書き方は後年に記したためか、事件の本質を捉え、うわべのことを省略した記述になっている。もちろん明治の初期の世情、社会がまだ江戸時代の雰囲気を残しているので、すべてが明治の新しい世の中ではない。古くからの長野県の考えや、封建的な思考も横田英の考えに出てくる。それは明治初期に生きた生身の人間として、当時の世間の考えを正直にそのまま書いている点でも、好意的にとらえられる。10代始めから繊維業に入り、多くの経験を積み重ねて行った横田英の人生観、処世術がみられる。 横田英の富岡日記の中で特に見られるのは、父親が武士で武家としての誇りを貫きたいという横田英の気持ちや父母への孝行や神仏への硬い信仰心により多くの難問に当たる考えが、強く文章にあらわれている。現代の考えからは遥かに異なった精神性を強く持った横田英という明治の一女性の強さを感じた。 横田英の”富岡日記”の意義 この回想記が現代まで読み継がれてきた意味を考える。この本の現代的意味は地域女性史や常民史の発掘が研究の主要な動向になった時期に無名の一明治初期の女性の生き方が話題になった。明治政府の殖産興業の目的のため、信州松代から富岡まで製糸技術の伝習のために出かけ、後に信州松代での六工社での製糸技術を工女に伝えた記録であり生きた行動の記録である。 特に信州松代については明治維新に向けての特記すべき革新的なものがある。松代藩の時代には佐久間象山を生み出したこと。松代藩の藩校で進んだ西洋の学問など取り入れていた。江戸時代末期にアメリカのペリーなどの海外からの開国要求の中、松代藩主・真田幸貫が徳川幕府の老中兼任で海防掛に任ぜられて以降、状況が一変する。佐久間象山などにより国防から大砲の実験や多くの西洋の品物を取り入れている。こうした進取の雰囲気は横田英の考えにも反映されたと思われる。 横田英の”富岡日記”研究と世界遺産推薦 富岡日記が社会的に知られる経過は1965年に上条宏之氏による「富岡日記ー富岡入場略記*六工社創立記」の刊行。1976年同氏の「定本 富岡日記」、1978年に「富岡日記」(中公文庫)などが出て歴史的評価が高まる。 2014年国営富岡製糸場の世界遺産推薦をめぐる経過は、明治5年(1872年)の開業以来の企業存続により現在、国営富岡製糸場が 見学可能になった。現在まで続く130年の時を経た歴史は官営から1893年三井家に払い下げられその後、原合名会社をへて片倉工業の所有で1987年まで操業を続けた。片倉工業は30年以上毎年大きな費用をかけて保存管理してきた。その後片倉工業から敷地ごと富岡市が譲り受け製糸場をメインにした養蚕、織物、絹関連の遺産を世界遺産登録の推薦リストに載せるまでになった。 世界遺産登録の推薦リストまでの日本国の各指定は2005年国指定史跡、同年建造物を富岡市に寄贈。2006年国指定重要文化財。2007年富岡製糸場と絹産業遺産群を世界遺産暫定一覧表に記載。2012年政府で世界遺産委員会への推薦が決定。2013年世界遺産委員会へ推薦書を提出。 エスペランサの繭の乾燥アルバイトの思い出 高崎の大学に行っている時期に、サークルはワンダーフォーゲル部にいた。クラブ全員で夏合宿のための資金つくりのために深谷にある深谷倉庫での繭のアルバイトを行った。 大学のワンゲル時代の思い出で製糸つながりの深谷倉庫での繭のアルバイトを思い出します。暑い時期でワンゲル部員全員で深谷での厳しいバイト(12時間も働らいた。なんと2週間近く)を40年以上の過去の思い出が今でも繭の独特な匂いとともに懐かしく覚えています。 長野県 松代 旧横田家住宅 武士の暮らしぶりを身近に感じる空間 1800年代前半から中頃にかけて建築されたとみられる中級武士の武家屋敷です。 松代の中級武家住宅の典型的な間取り、構成を残しており、1986(昭和61)年に国の重要文化財に指定されました。長野市が保存・修景工事を行い、1992(平成4)年から一般公開されています。 長屋門・一部2階建ての主屋・隠居屋・土蔵、遠山を借景とする庭園・菜園、庭に流れる泉水などを見ることができ、江戸時代の中級武士の暮らしが身近に感じられます。 横田家は、「富岡日記」で知られる和田英をはじめ、幕末から明治・大正・昭和にかけ、最高裁判所長官、鉄道大臣など多くの人材を輩出しました。所在地 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1434-1 お問い合せ 026−278−2274 2014年世界遺産登録へ 国営富岡製糸場と絹産業遺産群 国営富岡製糸場は世界遺産としてどんな価値があるのか?国営富岡製糸場はフランスの技術導入から始まり、日本独自の自動繰糸機の実用化まで、製糸の技術革新が絶え間なく行われてきました。国営富岡製糸場と絹産業遺産群は高品質な生糸の大量生産に貢献した。19世紀後半から20世紀にの日本の養蚕、製糸分野における世界との技術交流と技術革新を示した絹産業に関する遺産です。
2013.10.12
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"メキシコのチチェンイッア遺跡" 最近、ブログ更新について~エスペランサのお詫び 2013年9月22日に生命にかかわるアクシデント(事実は後日記す) のため10月10日に更新。記事は国営富岡製糸場の再録です。 国営富岡製糸場と女工哀史(2013/9/8訪問) 初秋の頃(2013年9月)、霧の中、高速を飛ばし松本から群馬県富岡にある2014年世界遺産推薦の国営富岡製糸場を訪ねた。あまりにも製糸場全体の規模が大きいのにまず驚く。概要は重要文化財の東西の繭倉庫、繰糸場、検査人館、女工館など。この日本初、東洋初の製糸場は明治5年始業でフランス式繰糸器が使用された。 この製糸場の一番の特徴は日本の資本主義を生み出した場所。当時の主要な輸出品である絹糸の輸出によって明治維新政府は外貨を稼いだ。ガイドの説明の中で私の頭に浮かんだのは、この国営富岡製糸場の研修生(全国から製糸技術の研修にきた女性)と”ああ野麦峠”などの映画で描かれた明治~大正時代の女工哀史の女工の待遇の違いでした。 フランスから招かれた技術者のブリュナなどは当時の政府の大臣クラスの年収と聞いた。(現在の価値にして年収で6億)富岡製糸場の研修生は8時間労働でよい賃金に福利も充実していたとのこと。全国に製糸工場を広げるため研修生は各地で技術指導した。 比較できないが女工哀史の女工は8時間以上の長時間労働の上、寄宿生活とランク別の賃金と劣悪な福祉制度など同じ製糸技術の労働でも大多数の明治~大正時代の女工の待遇のひどさが日本の資本主義の土台を作る犠牲になったことを感じた。
2013.10.10
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海を望むツルム遺跡 穂高神社の大遷宮祭とは? 2009年の5月2日から約1ケ月行われる穂高神社の大遷宮祭の紹介をする。20年に1度のお祭りで穂高神社がお宮を建築して、まったく新しい神社に生まれ変わっている。日本アルプスの総鎮守として信仰を集める穂高神社や、古代北九州より移り住んだ安曇族(安曇野はたぶんこの安曇族からの名前)祖神「海神」を御祭神として祀られております。 穂高神社の永い歴史と伝統の中で、最も重要で大きな祭りが二十年に一度行われる式年(定められた年)の大遷宮祭(安曇野市無形民族文化財指定)であり、仮本殿を造り替える習わしになっております。2009年(平成21年)はその年に当たり、5月の寅の日寅の刻(5月9日午前3時)に穂高大神様に神殿へお遷りを仰ぐ遷座祭が浄暗の中で行われます。 文明15年(1483年)の古文書に依ると、7年毎に、本殿は勿論のこと荒垣まで造り替える式年の遷宮制が確立し、徳川時代に入り20年毎の式年の大遷宮祭と此の間2回(7年目、13年目)小遷宮が行われるようになり、以後連綿として受け継がれて参りました。江戸時代に確立した制度は20年毎の式年の大遷宮祭と7年目、13年目に小遷宮が行われてきた。私の推測ではお宮の全体の新築には多額の費用を要するため、7年目、13年目に小遷宮で一部の修理をしたと思われる。
2013.09.21
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幼稚園に向う母と子 穂高連峰の山々 奥穂高岳(おくほたかだけ)穂高連峰の主峰であり、標高3,190m。富士山・北岳に次いで日本で3番目の高さを誇る。長野県と岐阜県の最高峰。穂高神社の主祭神「穂高見神」が降臨した場所とされ、嶺宮が置かれている。 涸沢岳(からさわだけ)白出のコル(穂高岳山荘)と北穂高岳の間の峰。三角点の標高は3,103mであるが、最高点は3,110mで、奥穂高岳に次いで高い。 北穂高岳(きたほたかだけ)穂高連峰北端の山。日本有数の岩場である滝谷が西面にある。山頂付近に北穂高小屋がある。標高3,106m。 前穂高岳(まえほたかだけ)奥穂高岳と吊り尾根でつながる峰。標高3,090m。北方に北尾根が伸び、その西面には奥又白方面の岩場がある。また、北尾根の突端の峰を屏風の頭(2,570m)と呼び、その東北面が高度差1,000mの岩壁である屏風岩である。 明神岳(みょうじんだけ)大正時代以前のカミコウチの中心地(神河内=現在名、上高地明神)の真上にそびえ、古代からの信仰の山「穂高岳」の尊称。穂高見命のご神体。前穂高岳とは、別の山体で南方に伸びる広い領域、稜線中に多数の岩峰が有る。多くの登攀ルートを持つ。標高2,931m。 西穂高岳(にしほたかだけ)奥穂高岳より南西に伸びる痩せ尾根の先にあるが、前後に同様の岩峰が連なっており、一目では判別困難である。標高2,909m。 間ノ岳(あいのだけ)奥穂高岳と西穂高岳の間の稜線中にある。標高2,907m。 蒲田富士(がまだふじ)涸沢岳の西のピーク。冬期の奥穂高岳へのルートとして登られる。標高2,742m。
2013.09.20
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カリブ海に囲まれたカンクンのホテル群 穂高岳解明~奥穂高岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳。 穂高岳をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べると標高 3,190m、長野県松本市と岐阜県高山市の県境の山岳。飛騨山脈と呼ばれる。 穂高岳(ほたかだけ)は、中部山岳国立公園の飛騨山脈(北アルプス)にある山。日本第三位の高峰。日本百名山に選定されている。 奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳などの峰々からなる穂高連峰の総称。前穂高岳以外は主に長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置している。主峰は奥穂高岳であり、長野県(信州)と岐阜県(飛騨)の最高峰である。「北アルプスの盟主」と呼ばれる。 北は、大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なっている。途中、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場・滝谷を擁する(滝谷は急峻なだけでなく、崩れやすい岩も多く、岩の墓場と形容される)。南は、奥穂高岳より西穂高岳に至る痩せ尾根を経て、焼岳へと連なる。 奥穂高岳より吊り尾根を経て、前穂高岳に至り、カール(圏谷)を下れば、上高地河童橋に至る。また、岐阜県側に穂高岳山荘から白出沢を下るか、あるいは西穂高岳(エスペランサは1度日の出を見るため登山した。)からロープウェーかその下の道を下れば、新穂高温泉である。 穂高岳は、剱岳、谷川岳と共に日本三大岩場に数えられている。特に、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場滝谷を擁する。また、前穂高岳の東側、奥又白谷の上部も角度の高い岩壁となっている(前穂東壁と呼ばれる)。井上靖の小説『氷壁』で魚津が遭難したのが前者で小坂が遭難したのが後者である。 穂高岳登山の拠点となる涸沢は、奥穂高岳と前穂高岳に挟まれた吊り尾根よりU字型にえぐられた圏谷で、夏でも雪渓が残る。
2013.09.19
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メキシコ~カリブ海の舞踊 穂高繋がり~穂高神社、穂高岳、上高地の明神池、穂高奥宮 今回、安曇野市と上高地に焦点を当てて、地元信州と松本市周辺を紹介してみたい。 穂高で連想することのエッセイ。安曇野市の穂高神社、上高地穂高岳、上高地の穂高神社ご神体(明神池)、これらには穂高の神を祭つっている共通した点がある。 2009年5月は20年毎の式年の大遷宮祭が安曇野市の穂高神社で挙行された。信州には数年毎の祭りが多い。御柱祭と善光寺のご開帳が7年に1度、穂高の大遷宮祭が20年毎である 地理的に遠く離れた穂高町(安曇野市に合併前の名称)の穂高神社と上高地の穂高岳、上高地の穂高神社ご神体(明神池)~奥宮はどんな関係にあるのか。穂高岳はご存知のように奥穂高、前穂高、西穂高、北穂高の各峰みねがある。 多分山の名前と上高地に穂高神社の奥宮が作られたのは同じ時代だと思われる。普通、安曇野市にある穂高神社の奥宮が明神池にある穂高神社奥宮と言われている。私も1度上高地(駐車場から1時間歩く)の明神池を訪れた。毎年明神池で行われる、穂高神社のお船祭りは地元のテレビ局でニュースで流される。 日本は古来山岳信仰が盛んで山と神社(例:富士山と富士浅間神社)は一体のものとして信仰の対象であった。今まであげた穂高の名前の付いた奥穂高、前穂高、西穂高、北穂高の各峰みねと明神池の奥宮、穂高神社は穂高の信仰として一体のものであると私は考えている。
2013.09.18
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イタリア、ピサの斜塔 旧横田家住宅 武士の暮らしぶりを身近に感じる空間 1800年代前半から中頃にかけて建築されたとみられる中級武士の武家屋敷です。松代の中級武家住宅の典型的な間取り、構成を残しており、1986(昭和61)年に国の重要文化財に指定されました。長野市が保存・修景工事を行い、1992(平成4)年から一般公開されています。 長屋門・一部2階建ての主屋・隠居屋・土蔵、遠山を借景とする庭園・菜園、庭に流れる泉水などを見ることができ、江戸時代の中級武士の暮らしが身近に感じられます。 横田家は、「富岡日記」で知られる和田(横田)英をはじめ、幕末から明治・大正・昭和にかけ、最高裁判所長官、鉄道大臣など多くの人材を輩出しました。所在地 〒381-1231 長野県長野市松代町松代1434-1 お問い合せ 026−278−2274
2013.09.17
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イタリア、ラベンナのモザイク天井 2014年世界遺産登録へ 国営富岡製糸場と絹産業遺産群 国営富岡製糸場は世界遺産としてどんな価値があるのか? 国営富岡製糸場はフランスの技術導入から始まり、日本独自の自動繰糸機の実用化まで、製糸の技術革新が絶え間なく行われてきました。国営富岡製糸場と絹産業遺産群は高品質な生糸の大量生産に貢献した。 19世紀後半から20世紀にの日本の養蚕、製糸分野における世界との技術交流と技術革新を示した絹産業に関する遺産です。
2013.09.16
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イタリア、ラベンナの聖堂モザイク 横田英の”富岡日記”研究と世界遺産推薦 富岡日記が社会的に知られる経過は1965年に上条宏之氏による「富岡日記ー富岡入場略記*六工社創立記」の刊行。1976年同氏の「定本 富岡日記」、1978年に「富岡日記」(中公文庫)などが出て歴史的評価が高まる。 2014年国営富岡製糸場の世界遺産推薦をめぐる経過は、明治5年(1872年)の開業以来の企業存続により現在、国営富岡製糸場が 見学可能になった。現在まで続く130年の時を経た歴史は官営から1893年三井家に払い下げられその後、原合名会社をへて片倉工業の所有で1987年まで操業を続けた。 片倉工業は30年以上毎年大きな費用をかけて保存管理してきた。その後片倉工業から敷地ごと富岡市が譲り受け製糸場をメインにした養蚕、織物、絹関連の遺産を世界遺産登録の推薦リストに載せるまでになった。 世界遺産登録の推薦リストまでの日本国の各指定は2005年国指定史跡、同年建造物を富岡市に寄贈。2006年国指定重要文化財。2007年富岡製糸場と絹産業遺産群を世界遺産暫定一覧表に記載。2012年政府で世界遺産委員会への推薦が決定。2013年世界遺産委員会へ推薦書を提出。
2013.09.15
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イタリア、ラベンナの聖堂モザイク 横田英の”富岡日記”の意義 この回想記が現代まで読み継がれてきた意味を考える。この本の現代的意味は地域女性史や常民史の発掘が研究の主要な動向になった時期に無名の一明治初期の女性の生き方が話題になった。 明治政府の殖産興業の目的のため、信州松代から富岡まで製糸技術の伝習のために出かけ、後に信州松代での六工社での製糸技術を工女に伝えた記録であり生きた行動の記録である。 特に信州松代については明治維新に向けての特記すべき革新的なものがある。松代藩の時代には佐久間象山を生み出したこと。松代藩の藩校で進んだ西洋の学問など取り入れていた。江戸時代末期にアメリカのペリーなどの海外からの開国要求の中、松代藩主・真田幸貫が徳川幕府の老中兼任で海防掛に任ぜられて以降、状況が一変する。 佐久間象山などにより国防から大砲の実験や多くの西洋の品物を取り入れている。こうした進取の雰囲気は横田英の考えにも反映されたと思われる。
2013.09.14
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イタリア、ラベンナの郊外の聖堂 横田英の”富岡日記”の内容 横田英の富岡日記を読んで感じることは、日記の形式でなく国営富岡製糸場および長野県の六工社(松代)~横田英が技術指導~で勤務したときの印象に残ることごとを後年まとめて要約した形式でした。(回想は約30年の後に書かれた。)多分、日記のように日々の出来事を書き連ねていれば、大きなとらえ方ができず、物事の本質を浮かび上がらせることは書けないと思う。 横田英の書き方は後年に記したためか、事件の本質を捉え、うわべのことを省略した記述になっている。もちろん明治の初期の世情、社会がまだ江戸時代の雰囲気を残しているので、すべてが明治の新しい世の中ではない。古くからの長野県の考えや、封建的な思考も横田英の考えに出てくる。それは明治初期に生きた生身の人間として、当時の世間の考えを正直にそのまま書いている点でも、好意的にとらえられる。10代始めから繊維産業に入り、多くの経験を積み重ねて行った横田英の人生観、処世術がみられる。 横田英の富岡日記の中で特に見られるのは、父親が武士で武家としての誇りを貫きたいという横田英の気持ちや父母への孝行や神仏への硬い信仰心により多くの難問に当たる考えが、強く文章にあらわれている。現代の考えからは遥かに異なった精神性を強く持った横田英という明治の一女性の強さを感じた。
2013.09.13
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イタリア、ラベンナの聖堂外観 松代の横田英の”富岡日記” 横田英の”富岡日記”は国営富岡製糸場の技術伝習工女として16歳の横田英は同郷の長野県松代の女子15名とともに1年数ヶ月国営富岡製糸場で研修した。富岡日記の特徴は観察眼の鋭さ、10台女性の揺れ動く心、生き生きとらえたみずみずしい文章などである。 当時の国営富岡製糸場の周りの人々の様子や生活を知るための貴重な資料であり、近代の礎を築いた、一時代を生きた一人の女性の生き様である。
2013.09.12
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イタリア、緑のラベンナ 国営富岡製糸場と松代の横田英の”富岡日記” 開業明治5年の国営富岡製糸場は明治政府の重要な施設だった。政府が急いだのは生糸の輸出で外貨を稼ぐこと。そのためには生糸の品質の改良と大量生産。これを実現するために、国内各地に国営富岡製糸場をまねた製糸場をつくる。そのための15~25歳の技術伝習工女が国営富岡製糸場で活躍した。その中のひとりで当時松代の武士の娘で横田英(和田英)”富岡日記”を残した。 エスペランサは日本各地から技術伝習工女が集められた背景には、西洋技術を積極的に学びたいという気質もあった。たとえば松代藩では佐久間象山のような西洋技術(大砲、電信技術など)を取り入れて日本の開国を進める人もいた。
2013.09.11
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イタリア、海の都のベネツア 国営富岡製糸場と女工哀史 フランスから招かれた技術者のブリュナなどは当時の政府の大臣クラスの年収と聞いた。(現在の価値にして年収で6億)富岡製糸場の研修生は8時間労働でよい賃金(ランク別)に福利も充実していたとのこと。全国に製糸工場を広げるため研修生は各地で技術指導に従事した。 仕事上比較できないが女工哀史の女工は8時間以上の長時間労働の上、寄宿生活とランク別の賃金と劣悪な福祉制度など同じ製糸技術の労働者でも大多数の明治~大正時代の女工の待遇のひどさが日本の資本主義の土台を作る犠牲になったことを感じた。
2013.09.10
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イタリア、ベネチアのゴンドラ 初秋の頃、霧の中、高速を飛ばし松本から群馬県富岡にある2014年世界遺産推薦の国営富岡製糸場を訪ねた。あまりにも製糸場全体の規模が大きいのにまず驚く。施設の概要は重要文化財の東西の繭倉庫、繰糸場、検査人館、女工館など。この日本初、東洋初の製糸場は明治5年始業(停止は昭和62年で115年操業)でフランス式繰糸器が使用された。 この製糸場の一番の特徴は日本の資本主義を生み出した場所。当時の主要な輸出品である絹糸の輸出によって明治維新政府は外貨を稼いだ。ガイドの説明の中で私の頭に浮かんだのは、この国営富岡製糸場の研修生(全国から製糸技術の研修にきた女性)と”ああ野麦峠”などの映画で描かれた明治~大正時代の女工哀史での女工の待遇の違いでした。
2013.09.09
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イタリア、べネッツアのサンマルコ寺院 松本ぼんぼん祭り 8月7日夕方から松本市が1年で一番、町に多くの人が集まる松本ぼんぼんの祭りがありました。松本駅のある松本市の中心街を会場に数百連の踊り連がそれぞれの祭り衣装を着て、踊る。”アルプスの里、歴史をしのぶ城下町に、響かせよう松本ぼんぼんの歌と踊りを!”がアピール。 数万人が松本の通りを埋める踊りは壮観な眺めである。私も久しぶりに歩行者天国の町を歩いた。日ごろよく行く縄手通りも、人、人、人で埋め尽くされていた。オレンジの生絞りや地ビールの振る舞い、鯛焼き、アイスコーヒーなどをのんで、楽しい踊りを見て早めに帰った。
2013.09.08
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トルコ、エフィソスの遺跡 塩を求める人々の姿 - 塩の道 (講談社学術文庫) 表題の「塩の道」と「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」という、3つの章からなり、いずれも著者最晩年の講演内容を起こしたものだそうだ。昔から山奥の人は塩分の補給をどうしていたのだろうかと疑問に思っていた。 やはり人間の体には必要不可欠なものだけあって、昔から日本には塩を運ぶ道があちこちに通じており、その運搬方法も様々であった。本書のすばらしいのは、その解説を通じて、塩を運ぶ方法や歴史的背景のみならず、当時の人々の生きる姿が浮かび上がってくることである。
2013.09.07
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イタリア、ピサの大聖堂とピサの斜塔 塩の大切さ、農耕、人々の暮らし : 塩の道 (講談社学術文庫) 塩が普通にスーパーで手に入る暮らしをしていると、かつて、内陸部に暮らしていた人々が塩を入手するのにいかに苦労したかに思い至ることがなかった。でも塩がなければ人は生きられず、大陸の乾燥地帯のように内陸で岩塩を採取するわけにもいかないこの日本で、塩を運搬するルートを切り開くことがいかに重要だったか、いかにそれを人々が心待ちにしていたかが見えてくる。そして、そのことで交流が始まり、様々な物品がやりとりされたことがわかる。 第一部「塩の道」で興味深かったのは、「塩には霊がない」というところ。穀物の霊は古くから今も大切に祀られている。しかし塩にはそれがないと言うのだ。塩をつくった神が祀られる例はあるが、塩自体が祀られる例はないと言う。なぜだろう。その後、研究はされたのだろうか。製塩法も勉強になった。 第二部「日本人と食べ物」では、アワは米よりも先に日本にも入ってきたのではないか、そうすると稲作以前の古い時代から農耕が行われていたのでは、と宮本先生は指摘されている。北海道では独自の文化があったのだが、そこでソバが栽培されていたという痕跡もあるそうだ。とすると、ソバのルートは朝鮮半島ルートと、北方ルートの2種類があることになる。 第三部「暮らしの形と美」では、農耕機具や、日々の生活に使われた道具についての考察がなされている。
2013.09.06
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イタリア、チンクエ、テッラの海岸 現在そして未来をつくる民族の由来 塩の道 (講談社学術文庫 ) 「民俗採訪」という言葉があるそうです。民俗学者の中でも随一と言われるほどのフィールドワーク、民俗採訪をこなし、その経験をもとに、日本人の生活の基層に流れるもののありようを探り続けた著者晩年の講演集で、三つの異なるテーマが採録されています。中でも三番目の「暮らしの形と美」が最もとっつきやすく印象深い。 日本列島というカプセルの中に、異なる系譜をひく人々が数次にわたって流れ込み、様々な文化をもたらし、日本の風土に適応していくための工夫・改善を繰り返す中で、日本の社会が形作られていく様が、いくつかの事例をもとに素描されます。 環境の違いから来る地域性が産業の発達を促す一方、その交流によって、ネットワークが形成され、国としてのまとまり・民族としての一体感が形作られ、強化されていく。長い年月に繰り返されるこうした生活における適応が、私たちのデザインや色における美意識の基底をなしていることも知れます。 トヨタに代表されるカイゼンも、ごく自然に我々日本人のDNAとして理解されます。推論であって、荒い内容ですが、色々考えさせられます。ちょっと日々の生活を離れ、歴史的文脈の中から、自分の血肉を形作る日本人の民族性に思いを馳せるのも良いものです。
2013.09.05
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イタリア、チンクエテッラ(5つの村)で祭り 歴史雑学本を買うよりは本書を: 塩の道 (講談社学術文庫 ) 表題にもなった「塩の道」と、「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」、そして田村善次郎氏の解説という四部から構成されている。表題の「塩の道」は、長野・岐阜周辺の山間部において、人々が必需物資としての「塩」を入手するためのドラマを描く。余談として語られる、近江周辺の製鉄技術伝播のくだりはとても興味深かった。 ただ、史学界ではほぼ否定されている江上波夫氏の騎馬民族学説に依拠するなど、専門の歴史学者ではない私から見ても学問的に誤っていると断定できる部分が、本書に散見される(初出が2、30年前であることを考えると仕方ないのかもしれないが)。 しかし、著者のやさしい語り口調と博識には、それを補って余りある魅力がある(村の古老の昔話のようだ)。読み物としてかなりお勧め。
2013.09.04
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金沢市 金沢城内部 ブログについてのお詫び 2013年6月以来、このブログのIDを誤って記録していたため この9月3日までブログ更新ができませんでした。 今後、IDなどのミスのないようブログ発行を継続したいと思います。 2013年9月3日 発行人 エスペランサ
2013.09.03
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金沢市 金沢城内部 2.ビザンチン美術のモザイク(伊、ラベンナ) サンタポリナーレ、ヌエボ教会 教会では始めての壁モザイクに感激、バシリカ方式の教会。初期キリスト教時代になる。堂内は長方形で両側の壁にモザイクの聖人の列がある。モザイクの細かいピースは見えない。初めての聖堂で、こんなにも感動するとはやはり旅には来て見ないことには、解からない。 サンビッターレ教会(バシリカ)この建物は8角形の形の聖堂。ビザンチン様式。皇帝と妃のモザイクが凄い。鳥や花のモザイクが良い。教会内の祭壇の周りはモザイクで埋められている。他の部分はアーチが綺麗でビザンチン様式の教会建築。 アリアーニ洗礼堂市内の小さなバブテスマ(洗礼堂)、素朴な感じで天井の12使徒とキリストのモザイクは素晴らしい。 サンタポリナーレ、イン、クラッセ聖堂ラベンナ郊外にある、バスで向かう。聖堂の規模が大きい。有名な”キリストと12匹の羊(使徒を表す)”が正面にある。6C(世紀)中頃、天井が木製の木組みで古さを感じる。キリスト教初期の聖堂様式。正面のキリスト像の両側の聖人たちのモザイクは凄いただ感心する。 ネノニアーノ洗礼堂 八角形の5世紀の聖堂。円天井のモザイクにキリストの洗礼と12使徒がテーマ。大司教博物舘のなかでマクシミアヌスの司教座(椅子)の象牙の浮き彫りの椅子(6世紀のもの)が凄い彫刻だ。 ガッラ、プラチーヂィアの廟 5世紀半ば皇帝の妹のガッラにより建てられた静かな小さな、ビザンチン十字形の廟。このモザイクは色彩に富み、円天井の深い青が印象的。地味な色彩の中に色彩のシンフォニーと讃えられる。
2013.06.20
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お知らせ 5月末から6月4日まで、IDとパスの件でブログが作成できなかったこと おわびします。この間のブログは中山道ブログに掲載しています。 中山道ブログ http://plaza.rakuten.co.jp/okumu/ 金沢市 金沢城内部 それ以外で鳥インフルエンザにかかることはありますか? 鳥インフルエンザにかかった鳥の羽や粉末状になったフンを吸い込んだり、その鳥のフンや内臓に触れてウイルスに汚染された手から鼻へウイルスが入るなど、人の体内に大量のウイルスが入ってしまった場合に、ごくまれに感染することが報告されています。 なお、海外では、人から人へ感染したことが疑われる事例が数件報告されています。いずれの事例も、患者の世話をした家族が感染するなど、ある程度の期間、密接に患者と接触したことによる感染と考えられています。 日本では、この病気にかかったニワトリの処分や施設等の消毒などを徹底的に行っているので、通常の生活では病気の鳥と接触したり、フンを吸い込んだりするようなことはほとんどありません。そのため、人が鳥インフルエンザにかかる可能性はきわめて低いと考えられます。 なお、鳥インフルエンザが発生した現場を見に行ったりするのはやめましょう。病気の鳥と接触したり、フンを吸い込んだりする機会をみずから作ることになります。さらに、知らず知らずのうちに鳥インフルエンザウイルスを発生現場から他の場所へ持ち運び、感染を広げてしまうおそれもあります。 もしも鳥インフルエンザに感染している鳥、感染が疑われる鳥と接触した後に、突然の高熱や咳、全身のだるさ、筋肉痛などインフルエンザを疑う症状が現れたら、近くの保健所に相談し、前もって医師に連絡を入れてから診てもらいましょう。病院に行くときはマスクをつけるとよいでしょう。
2013.06.05
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イスタンブール、モスク正面 新型肺炎(SARS,サーズ) 原因と感染方法 SARSを引き起こす新コロナウイルスにより感染/発病する。 2003年4月14日 CDCはSARSの世界的流行の原因とされているコロナウイルスのゲノム配列を決定。WHOのFAQによると、おもに飛沫感染によって広がる。飛沫感染とは空気感染ではなく、咳やくしゃみで飛んだSARS患者の唾液を吸い込むことによる感染である。 飛沫は大きいため、飛ぶ距離は通常1メートル以内。しかし、SARSは空気や汚染された物を介してもっと広範囲に広がる可能性もある。普通の風邪ウイルスも飛沫感染によって広がる。空気感染によって広がるウイルスには、麻疹ウイルスがある。 通常のコロナウイルスは体外で3時間以上生き延びるが、SARSウイルスは乾燥したプラスチック上で24時間以上生存することが確認された。 感染経路の調査結果によると、ごく一部の患者が多数の人にうつしたとみられ、このような患者はスーパースプレッダーと呼ばれているが、その理由を含む感染の仕組みは解明されていない。通常の患者は1~2人に感染させるが、スーパースプレッダーは20人以上にうつしていた。 このウイルスの発生源はハクビシンが疑われていたが、キクガシラコウモリが保菌者であった。
2013.05.27
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トルコの花壇 新たなウイルス感染警戒を=「世界全体のリスクに」―WHO事務局長 5月20日 世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長は20日、中国でH7N9型鳥インフルエンザ、中東などでの新型コロナウイルス感染拡大を受けて、 「ある地域の脅威が急速に世界全体のリスクになる」と警戒を強めるよう呼び掛けた。ジュネーブの国連欧州本部でこの日始まった年次総会の全体会合で述べた。
2013.05.26
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飛騨、古川の祭り ダニ媒介性疾患で実態調査=ワクチン開発目指し-厚労省 ダニ媒介性疾患「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」について、厚生労働省は今年度から3年計画で本格的な実態調査を実施することを決め、24日の厚生科学審議会感染症部会に報告した。 調査は国立感染症研究所や長崎大、北海道大などが参加し、国の科学研究費補助金で行われる。患者が出た地域で他に感染者がいないか調べたり、ウイルスを持つマダニの生息状況を確認したりする。基礎研究を行い、ワクチン開発を目指す。 SFTSはウイルスを持つマダニにかまれて感染し、6日~2週間で発熱や嘔吐(おうと)などの症状が出る。同省によると、2013年4月18日までに8県で計13人が感染し、うち8人の死亡が確認されている。(2013/04/24) 2013年5月25日現在 日本のマダニ感染症 感染15名 死者8名
2013.05.25
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飛騨の古川祭り マダニ感染症~日本 マダニが生息しているところはどんなとこ? 野山や山林など、マダニが生息しているところであればどこでも感染する機会があります。農作業中や山林作業、山菜取りなどで感染することが多いようです。 発生地域には偏りがあり、九州南部や四国・中国地方で多く発生しています。宮崎県では南部で多く発生しています。 予防するにはどうすればよいですか? マダニが生息している場所に出かけるときには次のことに注意してください。 ・肌を露出しない(長袖・長ズボン・手袋などを着用する) ・肌の露出部分には防虫スプレーを使用する ・草むらや地面に直接座ったり、衣類をおいたりしないようにする ・野山や草むらに入った後は、すぐに入浴して新しい服に着替える また、咬みついているダニを見つけたときにはつぶしたりせず、ピンセットなどをつかってダニの 頭のほうをつかんでとってください(つぶすと病原体を身体の中に注入してしまう場合がありま す)。難しい場合は医療機関でとってもらいましょう。 日本のマダニ感染症 感染15名 死者8名
2013.05.24
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トルコ、シルクロードの隊商宿入り口 新型肺炎 SARS(サーズ)~2003年 2003年 SARS(サーズ)は、SARSウイルスにより引き起こされる新種の感染症。 新型肺炎(非典型肺炎、中国肺炎、Atypical Pneumonia)とも呼ばれる。 2002年11月(広州市呼吸病研究所は7月と発表)に中華人民共和国広東省で発生し、 2003年7月に新型肺炎制圧宣言が出されるまでの間に8,098人が感染し、774人が死亡した。
2013.05.23
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トルコ、トロイ遺跡 パンデミックが起こった場合 Q6. パンデミックが起こった場合に、社会全体にはどのような影響がでるのでしょうか? 将来パンデミックがおこった際の社会への影響は多数の因子により支配されます。これには、(1)ウイルス自体の病原性、(2)一定の期間に罹患する感染者数、(3)重症合併症の頻度、(4)罹患患者の年齢層、(5)感染拡大の速度、(6)事前準備の程度、(7)対策の効果、(8)社会背景(年齢構成や人口密度、一般的な衛生状態)、(9)医療レベルなどがあり、またそれぞれの寄与の度合いも様々ですが、これらにより実際の社会への影響は大きく変わってくることが予想されます。 しかしながら、一般的な想定として、1)膨大な数の患者と死亡、2)精神的・肉体的苦痛、3)医療従事者の感染、4)医療機関への過剰負担と医療サービス供給の破綻、5)社会基盤従事者(交通・通信・警察・電気・食料・水道、消防など)の感染、6)社会機能・行政機能の破綻、7)日常生活の制限、8)企業活動の制限、9)ドミノ効果による企業の存続基盤の崩壊、9)生産年齢人口の減少、10)莫大な経済的損失などが考えられます。 もちろん、将来起こるパンデミックがどのような性質をもつものかは、現状ではわかりませんので、上述の各種因子に、いろいろな数字を仮定して社会への影響が推計されています。たとえば、近い将来パンデミックが発生した場合、WHOはアジアインフルのデータを基礎とした方法により、全世界で200~740万人の死亡がでると推計していますが、スペインインフルのデータから推計すれば、1億人を超える数字がでてきます。 われわれが、数十年あるいはそれ以上の期間をおいて大きな地震が起こる可能性を想定し、常日頃からそれに対して供えを築き上げてゆくように、インフルエンザ・パンデミックに対しても、近い将来の最悪の事態を想定して、社会全体で今から可能な準備を始めることが必要であるといえます。
2013.05.22
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トルコ、マルマラ海の夕日 Q4. 鳥インフルエンザと新型インフルエンザのウイルスにはどのような関係がありますか? A型のインフルエンザウイルスは、水禽(カモ、ガンなど)、特にカモが起源と考えられており、現在知られているすべてのA型インフルエンザウイルス、すなわち、HA亜型(インフルエンザウイルス表面の、ヘムアグルチニンと呼ばれるタンパク質の型による分類)のH1型からH16型までと、NA亜型(同じくウイルス表面の、ノイラミニダーゼと呼ばれるタンパク質の型による分類)のN1型からN9型までのすべての組み合わせ(最大16x9=144種類)のウイルスを保有しています。 これらのウイルスが、他の水禽や家禽(家畜として飼っている鳥類)、家畜、野生動物、そしてヒトへ感染して、その動物種のあいだで感染を起こし続けることにより、それぞれの種に適応して、それらの種の固有のインフルエンザウイルスとなっています。これまでの新型インフルエンザウイルスは、すべて鳥世界からヒト世界に侵入したウイルスから発生していると考えられています。 新しいインフルエンザウイルスの侵入には、3つの段階があります。まず1段階目は、新しい亜型のインフルエンザウイルスがヒトの身近に出現することです。2段階目は、そのウイルスが人の体内で増えることができるようになり、ヒトで症状を起こすようになることです。3段階目は、ヒトからヒトへと効率よく感染する能力を獲得することです。これらの変化は、鳥インフルエンザウイルスの遺伝子に変異をおこしたり、ヒトのインフルエンザウイルスとの間で遺伝子の組み換えをおこしたりすることによって、起こると考えられています。
2013.05.21
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トルコ、エフィソスの古代ローマ遺跡 <鳥インフル>中国の感染終息は時期尚早…有識者会議会長 5月13日 患者の発生が減少傾向と見られている中国の鳥インフルエンザウイルス「H7N9型」について、国の新型インフルエンザ等対策有識者会議の尾身茂会長は5月13日の記者会見で、「感染が終息すると判断するのは時期尚早」との見方を示した。 尾身会長は「他の鳥インフルエンザウイルスの感染者は、夏場に減少して冬場に増加する。今回のウイルスも同様の可能性がある」とした。
2013.05.20
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イスタンブール市内のカーリエ博物館 H7N9型鳥インフルエンザの特性 関連の研究では、インフルエンザ患者は冬に増加する一方、夏には減少し、季節性が強いことが分かっている。例えば、致死率が高いとされる鳥インフルエンザ(H5N1型)のここ10年間の研究では、冬に鳥類において動きが活発化するのに対し、夏になると活動を弱めることが分かっている。 同センターは「H7N9型も同様の傾向を持つと考えられるため、同ウイルスの鳥類における活動が弱まるにつれ、人が接触したり感染したりする機会も減少する」と予想。ただ、「そうであっても、また寒い季節にH7N9型は勢いを取り戻して感染を拡大させるかもしれない」と警告している。 一方、中国人民解放軍総病院(北京)呼吸科の劉又寧(リウ・ヨウニン)主任も、「インフルエンザウイルスは寒い環境で長く生き、気温が高いと寿命が短くなることが分かっている。中でも気温が0度の時の生命力が最も強く、何日も生きていることがある」と指摘。 「夏に気温が上がり、感染の拡大ペースが緩まったとしても、H7N9型の感染リスクは依然としてある。新鮮さを求めて、生きたニワトリや鴨を屠殺することは避けなければならない。また、病気の鳥の羽毛や糞便などにも近づいてはならない。もし、くしゃみや咳など、呼吸器感染症の症状が見られる場合、手で口や鼻を覆って、ほかの人が感染しないよう注意しなければならない」と呼びかけている。(人民網日本語版・翻訳)
2013.05.19
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トルコ、エフィソスの遺跡 <鳥インフル>新規感染が減少傾向へ、気温上昇で―中国 Record China 5月17日 17日、米国疾病管理予防センターはこのほど、中国で拡大が問題となっていた鳥インフルエンザ(H7N9型)に関して、5月初めから新たな感染者の数が減少傾向にあると発表した。 2013年5月17日、米紙ニューヨーク・タイムズによると、4月から中国で拡大が問題となっていた鳥インフルエンザ(H7N9型)に関して、米国疾病管理予防センター(CDC)はこのほど、5月初めから新たな感染者の数が減少傾向にあると発表。 要因として、▽生きた家禽を売る市場を閉鎖するなどの中国政府の予防・防止対策が功を奏した▽気候が暖かくなり、感染の拡大ペースが緩まった――ことを挙げた。生命時報が伝えた。 5月18日現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者 132名 死者数 36名
2013.05.18
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トルコ、パムッカレの景色 アジア インフルエンザ(1957-1958) 国際的伝播の速度は非常に速く、香港への到達後6ヶ月未満で世界中で症例が確認されました。しかしながら、それぞれの国内ではかなり異なった様相を呈し、熱帯の国と日本では、ウイルスが入ると同時に急激に広がり、広範な流行となりました。欧米では対照的で、ウイルスの侵入から流行となるまで少なくとも約6週間かかったとされています。 疫学的には、この間に静かにウイルスが播種(seeding)されていたと信じられています。すなわち、あらゆる国にウイルス自体は侵入していたものの、感染拡大のタイミングが国によって異なっていた、ということです。この理由は定かではありませんが、気候と学校の休暇の関係だったと考えられています。 一旦流行が始まると罹患のパターンはどこの国もほとんど同様で、スペインフルの第一波の時のように膨大な数の患者と爆発的なアウトブレイクの発生がみられましたが、致死率はスペインフルよりもかなり低かったとされています。死亡のパターンは、季節性インフルエンザと同様、乳児と高齢者に限定されていました。 第一波では患者のほとんどは学童期年齢に集中していました。第一波の終息後2~3ヶ月後、より高い致死率の第二波が発生しましたが、これは主に学童中心だった第一波と異なり、第二波では高齢者に感染が集中したためと考えられています。このパンデミックにより世界での超過死亡数は200万人以上と推定されています。
2013.05.17
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トルコ、エフィソスの古代ローマ遺跡 世界的なインフルエンザの歴史 アジアインフルエンザ(1957-1958) 1957年に始まったアジアインフルエンザは、スペインインフルエンザより若干軽症のウイルスによって起こったと考えられています。また、このころにはスペインインフルエンザの時代以降の医学の進歩もあり、インフルエンザウイルスに関する知見は急速に進歩し、季節性インフルエンザに対するワクチンは開発され、細菌性肺炎を治療する抗生物質も利用可能でした。またWHOの世界インフルエンザサーベイランスネットワークはすでに10年の稼働実績がありました。 1957年2月下旬に中国の一つの地域で流行が始まり、3月には国中に広がり、4月中旬には香港に達し、そして5月の中旬までには、シンガポールと日本でウイルスが分離されました。1週間以内にWHOネットワークは解析を終了して新しい亜型であることを確認後、世界にパンデミックの発生を宣言しました。ウイルスサンプルは即座に世界中のワクチン製造者に配布されました。
2013.05.16
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地中海クルーズ船 フランスで2人目の新型ウイルス感染者~新型コロナウイルス 5月13日 フランス保健省は5月12日、同国内で2人目の新型コロナウイルス「NCoV」感染者が確認されたと発表した。この患者は、同国で最初に感染が確認された男性と同じ病室に入院していたことがあるという。 保健省によると、この患者はフランス北部バランシエンヌの病院で4月27日から29日まで、同国で最初にNCoVの感染が確認された男性と同じ病室に入院していた。現在はリールの大学病院で隔離されているという。 新型ウイルスのNCoVは、重度の呼吸器系の症状を引き起こすコロナウイルスの新種で、世界中で感染が問題となった重症急性呼吸器症候群(SARS)のウイルスに近い。SARSは2003年に世界で感染者7000名以上、死者800名を出した世界的な感染病。NCoVは最近になって初めて人への感染が確認され、主にサウジアラビアを中心とする中東で感染が報告されている。 世界保健機関(WHO)によると、これまでに感染が確認された31人のうち、少なくとも18人が死亡した。WHOは12日、複数の国で別々に集団発生が起きている実態を受け、NCoVが人から人へ感染する可能性がさらに高まったとの見方を示した。(感染が多い国~サウジアラビア) 米疾病対策センターによれば、NCoVは重度の呼吸器系の症状を引き起こし、肺炎や腎不全に至ることもある。SARSの場合は2004年までに終息宣言が出されたが、「新型ウイルスはSARSのウイルスとは異なる」とWHOは指摘。「互いに異なっていながら関連があるため、世界的に懸念が強まっている」とした。
2013.05.15
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地中海クルーズの寄港地 新型コロナウイルス、ヒトからヒトへ感染か 5月13日 2003年に世界的に流行した新型肺炎(SARS)ウイルスに近い新型のコロナウイルスの感染者が中東やヨーロッパで増えていることについて、WHO(世界保健機関)のフクダ事務局長補は5月12日、ヒトからヒトへ感染した疑いがあることを明らかにしました。 新型のコロナウイルスはサウジアラビアなどの中東・湾岸地域で去年から感染が確認され、WHOによりますと、30人以上が感染し、うち18人が死亡したということです。このうち、フランスでも12日、中東から帰国した感染者と同じ病室にいた男性の感染が判明、感染者が2人となるなど、ヨーロッパでも感染者が出ています。 これについて、サウジアラビア入りして調査したWHOのフクダ事務局長補は、ロイター通信に対し「感染者がさまざまな国で見つかっていることから、濃厚接触によってヒトからヒトへ感染する疑いが強くなっている」と語りました。しかし、これまでのところ、「持続的に感染する証拠はない」として、直ちに大流行にはつながらないとの見方を示しています。 (2013年5月13日)
2013.05.14
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スペイン、バルセロナのカタルーニャ博物館 日本紅斑熱とはどんな病気ですか? 「日本紅斑熱」は、 リケッチア ジャポニカ という病原体をもつ ※マダニに咬まれることで感染する病気で、咬まれてから2~10日後に倦怠感や発熱、発疹などの症状があらわれます。ヒトからヒトにうつることはありません。 ※マダニ:ダニの一種で、山野、農耕地に生息し動物の血液を吸って生きています。家屋の周辺の草むらなどにいることはありますが、家屋の中にはいません。日本紅斑熱をはこぶのはヤマアラシチマダニ、フタトゲチマダニなどです。 2.具体的な症状をおしえてください。 高熱・発疹・刺し口を特徴とします。 ・高熱:39~40度以上の熱がでて、悪寒や頭痛を伴います。 ・発疹:熱とともに小豆大の紅い斑点が全身にでますが、あまりはっきりしないときもあります。 発疹は3~4日目にピークとなり、2週間ぐらいできえていきます。 ・刺し口:ダニに刺されたところが、5~10mmくらいに赤くはれたり、かさぶたをつくったりします。 治療によりよくなる病気ですが、重症化することがあり、多臓器不全や ※DIC(播種性血管内凝固症候群)などの重い症状で死亡することもあります。 ※DIC;感染症や癌などの疾患が重症になった場合に併発するもので、血液凝固(血栓形成)と出血傾向が同時に見られる状態
2013.05.13
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クルーズ船上のプール周辺 マダニの危険性~日本国内で8名死者 ~日本での危険を考える 5/12 マダニがウイルス媒介 新感染症、国内でも死者 ダニが媒介するウイルスが引き起こす新しい感染症「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」に注目が集まっている。2013年1月に国内で初めて感染による死亡例が発表され、これまでに計5人の死亡が報告されている。 ただ、このウイルスは以前から日本に存在していたと考えられ、「感染が急拡大している可能性は低い」と専門家は指摘する。 SFTSによる国内初の死亡報告例は山口県の成人女性。厚生労働省が公表して以降、愛媛、宮崎で事例が報告された。
2013.05.12
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クルーズ船内のロビー 上海、鳥インフル警戒解除=感染20日間なく制御状態―中国 5月10日 中国上海市政府は10日、H7N9型鳥インフルエンザの人への感染を受けて4月2日に発動した警戒態勢を解除した。 上海では同月21日以降20日間、新たな感染例が確認されていないことや、持続的に「人から人」に感染している証拠がないことなどを踏まえ、「感染拡大を防止し制御できる状態にある」と判断した。 ただ、鳥が有力な感染源とみられることから、生きた鳥の取引全面停止措置は継続する。 5月11日 現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者132名 死者32名
2013.05.11
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クルーズ船内の食事風景 鳥インフル、感染者131人に=中国 5月7日 中国江西省政府は7日、南昌市の女性(79)がH7N9型鳥インフルエンザに感染していることを確認したと発表した。これで中国本土の感染者は上海、北京の2市と8省の131人(うち31人死亡)となった。このほか台湾でも感染者1人が確認されている。 江西省の感染者は6人目(同1人死亡)。女性は自宅で鶏などを飼っており、3日に発病。現在容体は安定しているという。 5月10日 現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者 132名 死者数 31名
2013.05.10
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イタリア、シチリア~モンレアーレ大聖堂 新型インフルで行動計画 H7N9型を感染症法上の「指定感染症」に 5月1日 新型インフルエンザの感染防止を目的とする特別措置法が2013年4月13日施行、同法に基づく行動計画案もまとまった。中国でH7N9型鳥インフルエンザウイルスが人に感染しているため前倒しして施行した。併せて、H7N9型を、5月6日に感染症法上の「指定感染症」にする。同ウイルスの国内への感染に備え、"臨戦態勢"が整うことになる。ただ、一度感染が広がれば、対応は容易でなく、課題は多い。 自治体も地域の特性に合わせて独自計画 特措法では感染拡大を防ぐため、政府が区域を限って「緊急事態」を宣言すると、そこの都道府県知事が、多数の人が集まるようなことで感染が一気に広がるのを防ぐなどの措置を取る。そのため、政府が同法基づく行動計画を策定するとともに、自治体も地域の特性に合わせた独自の計画を作ることになる。 その第1のポイントは、知事権限により学校、幼稚園を休校にしたり、劇場や博物館、百貨店などの営業制限や一時休業を指示できること。従わない場合は施設名公表という罰則付きだ。 第2がワクチンの優先接種。海外で感染が散発的に発生しても、人から人に連続的に感染が広がる「新型インフルエンザ」にはなっていない段階でワクチンの製造準備を始める。新型インフルエンザに変異し、国内にも感染が広がる段階では、医療従事者や公務員を始め、電力・ガス・鉄道などの従業員らから接種することになる。 こうした自治体レベルまで特措法の行動計画が整う前に、H7N9型が新型インフルエンザ化する恐れが強まっていることから、"つなぎ"として指定感染症とした。感染症法は、危険度に応じて感染症を1~3類に分類しており、鳥インフルエンザでは、重症化しやすいH5N1型が2類だ。さらに、それ以外のマラリアなど動物や昆虫から感染する感染症を4類、季節性インフルエンザなどを5類と定めている。 H7N9型は今のところ4類とされているが、指定感染症とされると1~3類相当の緊急的対応が可能になり、強制的な入院や就業制限もできる。同時に検疫法に基づき、患者と疑われる人を空港で強制的に検査できる検疫感染症にも指定し、水際での対策を強める。 5月9日現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者130名、死者数31名
2013.05.09
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クルーズ船~出航地 やっぱり問題あり 中国の鳥インフル対応 2013/04/27 鳥インフルエンザ(H7N9型)が中国で広がりを見せている。発生が確認されてから3週間で、感染者は100人を超え、台湾でも初の感染者が確認された。 2003年に新型肺炎(SARS)が発生した際は情報公開の遅れが批判された中国政府だが、H7N9型については、死亡した4人の患者から分離したウイルスの遺伝子情報を早期に公開。世界中の研究者がその情報を元に解析を始め、ワクチンの早期開発などにつながると期待された。 ところが、発生確認から間もなく1カ月になろうとする現在、中国政府からもたらされる情報は極めて少ない。そのうえ、中国の衛生当局は毎日実施していたH7N9型の感染状況の発表を週1回にすることを明らかにした。 感染症対策をするうえで、情報は多いに越したことはない。例えば、感染者がどのような症状を示し、医療機関でどのような処置を受けたのか。こうした情報は、世界の医療機関が患者を診るうえで重要だし、治療薬の選択や開発にも欠かせないものだ。 さらに、公開されたウイルスの遺伝子情報が、感染確認初期の4人分(うち1人のものは不完全な情報らしい)にとどまっているのも気になる。ウイルスは常に、変異を繰り返している。「鳥インフル」は鳥から人に感染するが、感染した人からさらに別の人に移ることはまれだ。 だが、これがいつ、人から人へ持続的に感染する新型インフルエンザウイルスに変異するかは分からない。多くの人が免疫を持たない新型は、爆発的な流行が懸念される。中国国内で患者100人超という現状からは、爆発的な流行が起きているとは考えにくいが、油断はできない。 2013/5/8現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者130名、死者数31名
2013.05.08
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地中海クルーズ H7N9型鳥インフル、「指定感染症」に~日本 5月6日 中国で感染がひろがっているH7N9型鳥インフルエンザについて、日本政府は、感染症法に基づく「指定感染症」とする政令を6日から施行しました。 6日から施行されるこの政令は、日本国内にH7N9型の鳥インフルエンザウイルスが入ってきたとき、政府としての対応を最長2年間有効にする緊急措置を定めたものです。 これにより、都道府県知事が患者や感染した疑いの強い人に入院の勧告を行い、従わない場合には強制入院させることができるほか、就業制限も行うことができるなど、強制力を持った措置が取れることが特徴です。また、検疫法の対象となる「検疫感染症」にも指定し、検疫所での検査や診察を可能にしました。 大型連休で海外からの帰国者が増えることから、日本政府は政令の施行を急いでいました。 (2013年5月06日) 2013年5月7日現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ~感染129名、死者 31名
2013.05.07
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バルセロナのカタルニア美術館 「感染者、入国の可能性も」=鳥インフルで2回目リスク評価・感染研 中国で広がっているH7N9型鳥インフルエンザについて、国立感染症研究所は1日、2回目のリスク評価を公表した。感染源が判明しておらず、今後も中国で発症者が相次ぐ恐れがあることから、「感染者が日本国内に入国する可能性がある」と言及した。 評価では、中国が鳥や豚などの約20万検体を調べた結果、陽性は0.07%にとどまったことや、感染した鳥と人から検出したウイルスに明らかな違いがあることから、「感染源は不明」とした。その上で、中国で有効な感染源の除去ができずに新たな患者発生が続いた結果、感染者が入国する可能性もあるとした。(2013/05/01) 2013/5/6 現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ~感染129名、死者 27名
2013.05.06
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スペイン、バルセロナの海岸 鳥インフル、死者27人に=江蘇省などで増加~中国 5月2日 【上海】中国国家衛生計画出産委員会は2日までに、H7N9型鳥インフルエンザへの感染による死者が江蘇省で2人増え、計26人になったと発表した。また、湖南省政府は2日、同省の病院で治療を受けていた江西省の男性(54)が1日死亡したことを明らかにした。これで中国の死者は上海市と4省の27人に増えた。 同委員会は従来毎日発表していた感染情報を前回を最後に週1回に変更。4月24日から1日までに中国本土の感染者は19人増え、上海、北京の2市と8省の128人となった。このほか台湾でも感染者1人が確認されている。 2013年5月5日現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ~感染129名、死者 27名
2013.05.05
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金沢城、城内 インフルエンザ・パンデミック 過去におこったインフルエンザ・パンデミックにはどのようなものがありますか? インフルエンザ・パンデミックと考えられる流行の記録は1800年代ころからありますが、パンデミックの発生が科学的に証明されているのは1900年ころからです。20世紀に入って以降、1918-19年、1957-58年、1968-69年と3回のパンデミックが記録されています。 それぞれは、スペインインフルエンザ(原因ウイルスはA/H1N1亜型)、アジアインフルエンザ(A/H2N2亜型)、香港インフルエンザ(A/H3N2亜型)とよばれていますが、それぞれが異なる様相を呈しました。また、最近1889~1891年にもH3N8によるパンデミックが発生していたとの報告(Taubenberger J, 2006.)があります。
2013.05.04
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金沢城の長屋つくり建物 鳥インフル、死者24人に=上海で13人目~中国 4月29日 【上海】中国上海市政府は29日、H7N9型鳥インフルエンザへの感染が17日に確認されていた男性(89)が29日午前、死亡したと発表した。上海では13人目、中国では24人目の死者となった。 一方、上海では29日も新たな感染者は報告されなかった。「ゼロ」報告は21日以降9日連続。これまでの中国本土の感染者は上海、北京の2市と8省の126人。これ以外に台湾でも感染者1人が確認されている。 5月2日現在 中国の感染者 127名 死者 24名 中国への旅行での注意 インフルエンザへの感染を予防するため注意事項 ●生きた鳥を扱う市場や家禽飼育場への立入を避ける。 ●死んだ鳥や放し飼いの家禽との接触を避ける。 ●鳥の排泄物に汚染された物との接触を避ける。 ●手洗い,うがいにつとめ,衛生管理を心がける。 ●外出する場合には,人混みは出来るだけ避け, 人混みではマスクをする等の対策を心がける。 ●突然の発熱や咳など,呼吸器感染症の症状が 現れた場合には,速やかに最寄りの医療機関 を受診する。
2013.05.03
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金沢城の門 <鳥インフル>4歳児、父から感染か~「家庭内」疑い3例目 4月29日 【上海】中国山東省の衛生当局は28日夜、同省で鳥インフルエンザウイルス(H7N9型)の感染が初めて確認された棗荘(そうそう)市の男性(36)の息子(4)も感染を確認したと発表した。家族内で複数の感染者が確認されたのは上海市の2例に続き3例目。 世界で初めてヒトへの感染が上海市で確認されてから30日で1カ月。衛生当局は感染経路を調べているが、「現段階ではヒトからヒトへの感染を示す証拠はない」と強調している。 上海市で29日、感染者1人が死亡し、中国本土での感染者は2市8省で計126人、うち死者は24人となった。ほかに台湾で1人の感染が確認されている。 山東省の衛生当局によると、男児は27日に発熱症状が出た。病状は安定している。父親は14日ごろに発熱やせきの症状が出て、23日に感染が確認され、重体となっている。 2013年 5月 1日現在 中国のH7N9型鳥インフルエンザ 感染者126名 死者数 24名
2013.05.02
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金沢城の門 海外安全ニュースから経過の確認 H7N9型鳥インフルエンザの現在の状況は 1.中国における鳥インフルエンザA(H7N9型)のヒト感染症例 (北京市,河南省,上海市,江蘇省,浙江省,安徽省) 4月3日以降,中国における鳥インフルエンザA(H7N9型)のヒト感染症例発生についてお知らせしています。17日から18日にかけて,上海市,浙江省,河南省において計6件の新規感染症例が確認されています。 4月30日17:00現在の状況は,次のとおりです。(1)在上海日本国総領事館からの報告によれば,17日17:00までに,上海市当局より1例,浙江省当局より4例の新規感染例を確認したことを発表しました。なお,中国疾病予防センターでは,江蘇省において死亡例が1例追加したとされておりますが,こちらについては現在詳細を確認中です。また18日,河南省鄭州市において,新規感染例1例が確認されたとのことです。 (2)30日17:00現在,中国国内で鳥インフルエンザA(H7N9型)感染者が確認されたのは上海市,安徽省,江蘇省,浙江省,北京市,河南省の2市4省で,感染者数は127名(うち死亡24名)です。これまでの地域別の感染者数は以下のとおりです。 鳥インフルエンザ 鳥インフル、感染者127人に=中国 【上海時事】中国福建省政府は4月30日、福州市の男性(58)がH7N9型鳥インフルエンザに感染していることを確認したと発表した。同省では3例目。中国本土の感染者は上海、北京の2市と8省の127人(うち24人死亡)となった。このほか台湾でも感染者1人が確認されている。 (時事通信) (3)中国国家衛生・計画生育委員会は,4月8日午前にWHOと合同記者会見を行い,8日時点,ヒト-ヒト感染を示す根拠は確認されていないこと,感染者との濃厚接触者に対する経過観察で異常はみつかっていないこと等を説明しました。また,18日,WHOは,引き続き本件感染症に関するヒトーヒト感染例は確認されていないこと,及び本件感染症に関し,渡航や貿易を制限することを推奨しないとしています。中国当局ならびにWHOは,今後も引き続き,感染源の特定や感染発生状況等につき,疫学的調査を継続していくとしています。 (4)また,中国農業部は,4月17日,これまでに,各地の家禽屠殺場,家禽養殖場,ブタ屠殺場,野生禽類生息地などから集めた84,444サンプルのうち,47,801サンプルについて検査を終了し,39サンプルについて鳥インフルエンザA(H7N9型)の陽性を確認したことを明らかにしました。同部の発表によれば,39サンプルには,南京市秦淮区の野生の鳩のサンプルの他,浙江省湖州市の浙北農副産品卸売市場の鶏のサンプル,同市呉興区の道場郷農貿市場の鶏のサンプルなど,上海,安徽,浙江,江蘇の生きた禽類を扱う9ヶ所の市場のサンプルが含まれている一方,現時点では,家禽類やブタの養殖場ではウイルスは検出されていないとされています。 2.現在の状況は上記のとおりですが,中国は4月29日より労働節の休暇期間となり,また,日本でもゴールデンウィーク期間。中国への渡航,滞在,特に上記1.(2)の感染症例が確認されている地域に滞在中の方及び渡航を予定されている方は最新情報を随時確認する。 4月30日現在 感染者127人(うち24人死亡)
2013.05.01
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