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今日はお父さんの誕生日。例年のようにケーキを買うのとはちょっと違う心境。それでも夜になって、話題にあがらないので、つい、子どもたちに聞いた。「今日、お父さんの誕生日だって分かってた?」長女は無言でうなづき、次女は「も・ち・ろ・ん」と言う。二人とも、あたりまえという顔つきなのをみて 妙に安心した私です。全然関係ないんだけど、このブログ、カウンターが 77777に近づいてます。誰がその番号踏むのか、ちょっと興味あります。踏んだ人、教えてくださいねー。なんということもないんだけど、気になります。
2006年11月29日
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6つの短編からなる 森 絵都さんのこの本。昨年から今年にかけて文芸春秋に掲載された作品だそう。私は、今年の7月頃に購入して読みました。あたたたくて力強くて、とても深みのある作品に感動しました。半分は、長女や次女に読ませる本を探していて、もう半分は自分の為。お父さんの病状が悪化したのが辛くて、心の休憩がしたくて読んだ本の一つ。その私の期待に見事に応えてくれた本です。残念ながら、わが道を行く長女は読んでいませんが、次女は私が読んで「すごい~。いい本や~」と漏らしていたのに影響を受けて、読んでいました。6つの短編。主人公が今の時代を走るキャリアウーマン主婦一見フリーターだけど光っている勤労学生仏像に魅せられた男性会社員国連難民高等弁務官事務所で働く外国人を夫に持つ女性まったく違う人たちを描く短編群だけれど、いずれも登場人物の考え方や心の動きが共感を呼び、さらりとストーリーに組み込まれている時代への問題提起がズシリと心に響く。老若男女問わず、感動できる本だと思います。文章もいいのだけど、それ以上に内容に心が打たれます。自分のことで頭がいっぱいにならないように、いじめにあってる子たちにも、いい本を日頃から読ませてあげられたら、と思います。『風に舞い上がるビニールシート』というタイトルが、なぜこういうタイトルなのかが分かったときには、本当に心が痛みます。でも同時に、生きることの大切さとか前向きであることの尊さも教えてくれる本です。
2006年11月28日
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23日に四十九日の法要が無事終わり、昨日は職体セミナーが終わり、ほっとした。今日は15年ぶりくらい?でTOEICを一般会場に受けに行く。教えているのに自分が最近、受験していないというのではダメだからね。企業内で団体受験を実施するTOEIC IPテストは、まだ旧テスト形式だけど、今日受けるのは新しくなったTOEIC。マッタク対策してないけど、本音を言うと対策は嫌いだ。試験対策は教えるけれど、自分のためにはほとんどやらない。今日も何もせず受けにいってきます。
2006年11月26日
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翻訳という職業体験の教材準備してるんだけど、なかなかはかどらないなぁ。高校生や大学生が対象なので、簡単で興味がもてそうなものを準備。ユニバーサルスタジオのホームページを使って、産業翻訳という仕事の面白さを味わってもらおうと思うのだけど。明日、グランキューブ大阪(国際会議場)で予定しています。私は語学のブースで講師をしたり、英語ゲームのデモンストレーターなどをしております。ミュージシャンとかダンサーのは去年もすごかったよ。見るだけでも面白い。生き生きした若い人たちを見るだけで元気がもらえる。それから、クリエイティブ関係も。マンガとかイラストレーター、ゲームクリエイターとか楽しそうです。製菓職人の体験もあって、お菓子のお土産ももらえるみたいですよ~。http://www.vista.ne.jp/shigoto/index.html最近は、こうやっていろんな職業がどんなものなのか、体験できる機会があります。今は余裕がありすぎて進路に迷う時代ですね。去年は800人くらいの人が来ました。
2006年11月24日
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四十九日の法要を前に、家の中を片付けていると、なおちゃんが生まれたばかりの頃の育児ノートが出てきた。母乳やミルクを飲んだ量やウンチなど、時間や様子を毎日細かくつけている。お父さんと私の筆跡が交互に入っていた。なおちゃんが生まれたのは今から5年前。お母さんに子どもが生まれると知ったときの、はるちゃんとチャッピーの反応は面白かった。まさに?????、えーっ???の状態。目が文字通り丸くなっていた。チャッピーが8歳だったので、4人家族で8年間過ごしてきたことになる。4人というのは何かとちょうど都合が良い数字なのだ。さすがに小学生とマージャンはまだ早いので、お父さんは、ポケモンポンジャンを購入していた。週末にはよく4人でボードゲームをした。子どもであろうと容赦のないお父さん。強い強い!勝負事にすごい力出すのは、お父さんとはるちゃん。お母さんとチャッピーは弱くて負けまくる。膨大な数のポケモンカードが「手持ち資金」。お父さんはすごいたくさん積み上げていた。晴香も強いんだよね。性格がお父さんに似ているからか?子どもたちも大きくなって4人で映画を見に行ったり、買い物に行ったりするのが楽しかった・・・・ところへ新しい家族が増えることになった。お父さんはすでに会社を辞めていたから、子育ては本当の意味で夫婦でしてきた。それにお姉ちゃんたち2人も。はるちゃんは、「チビは嫌い」と公言していたのに、やっぱり可愛いといって抱っこしていた。チャッピーはとにかく赤ちゃんや小さい子が大好きで、それまでも近所の小さい子たちを抱っこするのが好きだったけど、自分に妹が出来て、それはそれはものすごく可愛がっていた。はるちゃんやチャッピーに、ガルルーと叱り飛ばしながら、振り向いた途端、「なおちゃ~ん」と猫なで声に変わっているお父さんが面白かった。なおちゃんが家族の一員になって、家族の関係にまた新しい拡がりが出来たのを実感した。
2006年11月22日
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一昨日、歯茎が痛くて早くに布団に入ったけれど、痛みで目が覚めて鎮痛剤を飲んでから起きていたところに、長女が朝方、目を腫らして起きてきた。お父さんのことでかな?と聞くと、やっぱりそう。日ごろはとても明るく元気にしているけれど、こうやって一人で泣いてるんだよね、この子は。二人で話をした。お父さんがいると楽しかったんだよね。朝、長女を起こすとき、耳元でタンバリンたたいてたお父さん。しかも、嬉しそうに陽気に。寝てるときにタンバリン耳元でたたかれたら、私だったらたまらない。でも、「起きなさいっ!」を連発されるより良かったみたい。なおちゃんまでお父さんにくっついて、二人で嬉しそうに横でタンバリンたたかれたら、長女も起きざるを得ない。私のほうは、金曜日に歯医者で歯茎を切開して膿を出してもらい、化膿止めをもらってから少し状態が良くなったら、今度は下痢。なんか、今は体調が低下ぎみみたい。おなかの調子が悪くなることってあんまりない体質なのに。瀬戸内寂聴さんの「釈迦」という小説は興味深く読めたのだけど、お釈迦さまが最後は食あたりからくる下痢と下血で涅槃に入られたというのを読んで、影響受けたのかな??例の初期仏教のスマナサーラ長老の本、3冊目をほぼ読み終えかけてるところ。本は私にとっては薬なので、この良い薬を飲んでいるうちに、お父さんの死を私に合った形で受け入れられそうな感じがする。スマナサーラ長老の話がやっぱり一番納得いく。日本のように亡くなってから急にお坊さんが来るのは変だという話も納得いく。私も最初すごく不自然に思ったから。お父さんのことだけじゃなく、これからどうやって生きていくのか導いてくれてるように感じる。毎日、お父さんの遺影の前に座ってしばらく考えるのが、私の瞑想の時間です。ちなみに次女は、今、シャーロックホームズに懲りまくっている。本当に話が良く出来ている、と絶賛している。彼女が一番元気なような気がする。さて、今日は長女の高卒認定資格試験の日。彼女は高校1年の単位があるので、卒業認定に足りないのは理科と社会だけ。試験を受けるのは、地理・世界史・化学の3科目。化学は好きな科目だけど、過去問題をみると、習ってないところからたくさん出ていたらしい。そりゃまだ学校ですべて終えてない段階で辞めたんだから、習ってないところも出るわね。何しろ高校卒業認定なんだから。がんばってきてください。
2006年11月19日
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ローボードとオーディオ用キャビネットとお仏壇が来て、テレビやオーディオと光ケーブルの配線と格闘しながら何とかすべておさまるべき位置におさまった。それにしても光ケーブルだけが何とかならんものか、と思う。ワイヤレスなら楽よね、最近は増えてるのかな?アンプが相当な年代モノで重くて大きくて、購入したキャビネットの奥行きではおさまらないことが判明!! まさかそんなことはありえないと、アンプの奥行きまで測ってなかった!!しょうがないから、ガラスドアのクッションのところにさらに詰め物をたくさんいれてドアを締めたときに少し開いた状態で止まるようにした。ぶさいく~(--;)。まっいいか。ビデオテープなどを整理して新しいローボードについている引き出しに入れ替えようかと物置の奥のほうをさわっていると、結婚式のときの記念ビデオが出てきた。もらったときにちょろっと見ただけで18年間見てない。なおちゃんと一緒に見た。長女と次女もちょろちょろ見に来た。お父さん、ビデオテープん中でも、にこにこしてる~!やっぱり最高の笑顔やね、お父さん。今より若くて髪の毛がふさふさしていて、メガネが違うので、子どもたちは、今のお父さんのほうがいいといってたけど、「声が一緒や~!」と喜んでいた。長女は、「私は結婚式なんかしない」と言っているが、まったく性格が逆のなおちゃんは、お母さんの衣装にもっぱら注目。最初の衣装のブンキンタカシマダの頭が重くて緊張して、お母さんの顔がこわばってるなー、というと、なおちゃん、それでもうらやましそうに、「なおちゃんも大きくなったら、結婚式でキモノ着てアタマ重たくなるー!」ふ、ふしぎな願望だ・・・スピーチ聞いてると、多分にお世辞はあるとはいえ、新郎新婦がどんなふうに周囲から思われていたのか分かって興味深いです。主賓で上司だったAさんが、「この二人ならどんなことがあっても何とかなる、というより、何とかする、と思います」と言ってくださっていた。いろんなこと経験した今になってスピーチ聞くと感慨深いです。これからは一人。何とかできるかな。子どもたちがいる。それにしても途中から笑える披露宴だった。ひどい新郎新婦の唄だった。出だしは間違うし、音程は悪いし、よくもまあこんな席で。司会してくれたお父さんの大学の後輩が、唄の後、「失礼しました」と締めくくってたの、許します。口をついて出てきた言葉だと思います。なおちゃんの「目立ちたがり」はやっぱり両親似だ。
2006年11月18日
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八正道の一番最初、「正見」を知ったとき、あぁー、まさにこれだ!と思った。何か嫌なことが起きたとき、「嫌だ、悲しい、辛い、イライラする、腹が立つ」という気持ちを置いておいて、なぜ、そんな気持ちに自分がなっているのか、その根本を探す心の旅をすること。私、なんでこんなに辛いんだろう?とその元を探っていくと、そうか、こういうことでこんな気持ちになっている、と原因が分かる。原因が分かるとどうすればいいかも分かることが多い。すると、すごく気持ちが落ち着いて、ある意味、「幸せな」気持ちまで起きる。だから、自分を正しく観察する、という心の動きは私を幸せにする心の作業だな、と思う。ただ、2日前から苦しんでいる歯痛は、正見しても心は落ち着かないのよね。(--;)なぜ、こんなに歯が痛いのか?心を落ち着かせて、痛みのあるところを探り当てる。以前、治療した歯の上の歯茎が痛いのがわかる。その痛みでその周辺全体が痛い。果ては、右顔面から頭まで痛くなってしまってる。以前、歯の治療をしたときに、すごく痛かったけれど、神経は殺さないほうがいいので、そのまま詰めたのだけど、そこのところがおそらく隙間が出来て、滲みるから痛いのだろう。真実にちょっと近づいていると思う。でも、「幸せな」気持ちにはならないのよねー(--;)。イタイ・・・この話、長女にすると、「そりゃそうやろ」といわれたけど、バッファリンに出来ることなら、精神統一でできてもおかしくないなぁ、と思う。痛みを伝える神経伝達物質をブロックすりゃいいのだから。昨日、本当は歯医者に行きたかったけど、木曜休診だったので今日までガマンしたけど、もう痛み止めがほとんど効かない。正見とは、苦(dukkha)を知る、 苦がどのように生まれるか、その原因を知る、 苦が消えた状態を知る、 苦を消滅させる方法を知るhttp://www.j-theravada.net/pali/key-ariya-attangika-magga.html#samma-ditthi
2006年11月17日
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最近、寝る前にお釈迦さまについて書かれた本など読んでいるせいか、夜中にふと目がさめて、考えが研ぎ澄まされていくような感覚を覚えることがある。でも、最後までまだ至らない。生きる喜びとか、幸せとか、わかりそうな気がしているのだけど、お父さんのことについてになると、頭が鈍ってくる。どう受け入れるのかまだ心が決まらない。お父さん、夢に出てきたときは普通に話していて、「病気が治ってよかったねー!」って二人で喜んでいる。現実とはまったく違っていて、何のヒントにも慰めにもならないナンセンスな夢なのです。たぶん、「答えは自分で見つけろ」って、お父さんは言っているのだと思う。
2006年11月13日
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長女、次女が小さかったこの時期、子育てでがんじがらめだった、という記憶しかなかったのだけど、よーく思い出してみると、私は勉強に、かこつけて出かけていた。そう、ちょうどこの頃に土曜日に自分で英語討論のサークルを始めた。通訳の仕事にはたまにしか出ないので、日ごろ英語を話す機会がなきゃ急にできないし。その後も、仕事にプラスにするためと大学にも通ったし。お父さんは自分が束縛されたくない人だったけど、その分、私もまったく自由だった。 ----------------------離婚ソウドウの話に戻ります。そのうち、少しずつ話し合いをするようになった。もうどんなこと話し合ったか、かなり忘れてしまったけど、私の記憶に残っているのは、お父さんが、「はるちゃんの足の病気があるから、離婚はないと思ってた」と言ったこと。そんなのないでしょ!と思った。お父さん、ほんとに分かってなかったんだよね。もっと昔、夫の友達のいろんな楽しい話を聞いていたときに、「人のことはよくわかるけど、自分のことが分からない」と自嘲気味に言っていたけど、ほんとにそのとおり。離婚したいと言っている妻に、「子どものために離婚はないと思ってた」なんて言って、効果あると思ってるのかなぁ~。いや、まあ、効果など考えずに率直な気持ちなんだと思うけど・・・「やっぱり、子どものために、しかたなく夫婦してるんだー」「離婚はないとタカくくって、したい放題してるんだー」とか、ツッコミ入れたくなる。それに「子どものために夫婦でいる」というのは、本当は、子どものために良くないと思う。「お父さんもお母さんも、あなたたちのためにガマンしたのよ」なんて将来、ぽろっとでもこぼしたら・・・私が子どもだったら嫌だ。 私のために親の人生が犠牲だったなんて。それでも、今までなら、話し合おうとしてもお父さんは、はなから私の話を聞こうとせず、「いいかげんにしてくれよ」という顔をされて、まともに話し合うことすらできなかったのが、やっとお互いの考えていることを話し合える時間ができたのだった。お父さん、親としての義務からじゃなく、純粋な愛情から、子育てを楽しむことできる?子どもたちが大人になって独立してからでも、私と一緒に生きていきたいと思う? よく考えてみて。一人のほうが自由で、自分が好きなことできていいでしょう? この質問への回答を、お父さんに考えてほしかった。この離婚ソウドウは、最初は、ソウドウだったけど、そのうちソウドウではなくなって、離婚の話とはいうものの、子どもたちが寝静まった後の何かしら「秘密の夫婦の会話」のようだった。と思ってたのは私だけで(汗)、夫は、会社の人にもこんな内輪の話をしていて、会社の人がこんなこと言ったとか、そんなことまで私に話す。とにかくすっかり落ち着いて話ができるようになった。深刻な話なのに、離婚した後のことなどまで二人で話してるうちに、笑いも混じった。離婚する、しないの話し合い・・・・・子どもが寝静まった夜中、半年以上続いた。以前は、冗談交じりに、自分がお釈迦さまで、私はその手のひらに乗っている猿のようなもんだ、と人を小ばかにするようなことしか言ってなかったお父さんが、私から学んだことがたくさんある・・・と言ってくれた。子どもが独立しても、やっぱり私とずっと一緒に暮らしたい、といった。私が手紙に書いたことは、そのとおりかな、と思った、といった。離婚届と一緒に封筒に入れたあの手紙、後年になって机の引き出しから見つけて私が捨てたんだったかな。えーっと・・・捨てたのはたぶん今から7、8年前。
2006年11月12日
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保育園に連絡帳を持って行くのを忘れたり、水筒持参の日なのに忘れたり、なんか最近、抜けが多い。おたよりはきちんとチェックしているつもりなのに。なんでこんなに抜けるんだろう・・・なんと今日は、保育参観ということも頭から抜けてしまっていた! 親戚の方がおまいりに来てくださる予定だったので参観に出れず。なおちゃんに、「いてほしかったー」とおこられた。忘れ物で、なおちゃんを何度もしょんぼりさせてしまってるのに! お母さん、ダメ!それから先日、中学校では2年生の保護者を集めての緊急集会があった。公立中学は特に2年生が中だるみで、生活が乱れてくる子が多い。学級崩壊などはないものの、いろんな問題が発生している。うちの次女も最近、友達関係のことで親から見ていても、とても気になることがあるので、集会で聞いた話は決して人ごとではない。中学生は、髪型が流行と違うとか、カバンがみんな持っているのと違うとか、とてもつまらないことがきっかけで、一人の子を集中的にからかったりするようだ。授業で手を挙げるのも良くないらしい。長女は今月、高校卒業認定資格試験を受ける。来年は受験勉強に専念したいことを考えると今のうちに合格しておきたい。っていうか、もし落ちたらハタラケッ!て言わないとね、お父さんの代わりに。お仏壇をやっと決めて、そのお仏壇の置く場所を確保するために、ローボードを購入する。今日、ネットで調べた後、家具屋さんでチェックした。お仏壇を納めてもらう日とか、入仏式とかややこしい、今までノー知識のことばかりなので。はぁ~、頭いたい。
2006年11月11日
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手紙を渡してから、きっと読んでくれただろうとは思っていたけど、それからしばらく話し合わなかった。子どもたちは、寝ているときのことで何も知らない。毎日、普通の日常を過ごしていた。普通の日常を過ごしているといっても、小学校や保育園に行く二人が出かける頃は、お父さんはまだ寝ているし、帰宅は子どもたちが寝静まった深夜なので、もともと家族4人が起きて顔を合わすときはない。だから、何の異常も感じるわけないんだけどね。手紙への返事も会話もなかったけど、お父さん、夜遅く帰ってきて、流しに残っている食器を洗ったりするようになった。それから私がはるちゃんを送り出し、チャッピーを保育園に連れて行く頃に、お父さんが起きてきて「行ってらっしゃい」を言うこともあったかなぁ。休日に、はるちゃんとチャッピーを連れて飛行場に飛行機を見に連れていったりするようになった。私も家の中をかたづけたり、ほっとする時間が持てた。
2006年11月10日
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「離婚してほしい」と言うと、お父さんは逆上した。「お父さんが出て行くか、私と子どもたちが出て行くか、どちらかにする。家も探す」と言ったら、「子ども置いてオマエだけ出て行け!」と怒鳴られた。初めてお父さんの涙を見た。私にとっては、意外だった。ものすごく「温度が低い」夫でありお父さんだったのに、こんなに取り乱すなんて。世間体を気にして? いや、もともと、世間体などは気にする人ではない・・・とにかく、お父さんは感情的だった。次の日、手紙を書いた。長い手紙。なぜ、私がこんな結論を出すに至ったのか。いくら働いて給料を持って帰っても、それだけの人なら、お父さんはお父さんでない。お金を運んでくる人。私はただの家政婦。それなら、家政婦を雇えば何も困らないでしょう。結婚してまもなくから、お父さんの「温度の低さ」は少し感じていた。結婚前とのギャップに最初は驚いた。はるちゃんの病気のことがあったから、それまでモッタノダ。でも、嫌いになったわけじゃなかった。必要とされてないと分かっていて一緒にいるのは苦痛だし、こちらが期待する存在になってもらえないなら、期待するだけストレスが溜まるばかりだから、だから、別れたほうがお互いの為だと思った。こんな家族を続けるより、長い目で見れば、子どもたちにもそのほうがいいと思った。お父さんから学んだことはたくさんある。誰に対しても、ほんとに思いやりがあってよく気がつく。気が利かない私には、見習いたいと思うことも多かった。ちょっとしたことを気にする私に、「すべての人に自分のことを理解されるわけじゃない」と言ったお父さんの言葉には、目の前の暗幕がすぅーっと上がったような気になった。全然、愚痴をこぼさないところは尊敬だった。他人の楽しい話はしても、ぜったいに悪口は言わない。話が理路整然としていて、純粋に会話が楽しかった。お父さんから、いい影響をいっぱいもらったと思う。でも・・・一緒に住んでいるのに、子育てを協力するでもなく、そんな会話もなくなってしまったら、一緒にいる意味がないよね。今までありがとう。お互いにこれから先のそれぞれの人生、しっかり生きていこう、そういう気持ちだったんだけど。ああ、今、これを書いて気がついた。なんということ!はるちゃんの病気は、お父さんと私をつないでおく大事な事件だったんだ。
2006年11月09日
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はるちゃんは、つかまり立ちをする頃から、ベビーチェアにつかまって、スクワットをするのが趣味?で何も要求していないのに、自分でものすごい足腰のトレーニングをしていた。1歳から広島の保育園に入って元気いっぱいどろんこになって遊んだ。片方の足に障害があるとは思えないほど、バランス感覚もすぐれ、ジャングルジムも平均台も得意中の得意。92年の暮れに、お父さんが大阪に転勤になり、戻ってきた。私はちゃっぴーを妊娠していた。もう8か月だったかな。また大きなおなかで引越し。翌年2月3日に生まれた。元旦の次は節分。看護婦さんにまた、「まだ時間がかかる」といわれたけど、「最初もそう言われたけど、早く生まれたので」と言っておいたら、やっぱり早く生まれた。でも今回は体調もとても良く、退院した7日目からすぐに仕事を始めた。在宅での翻訳の仕事。広島で始めたビジネス・技術翻訳の仕事。広島の会社を退職するときに「餞別!」といって会社のお古のファックスをくださった。あの頃はまだ一般家庭にファックスはあまりなかったからね。退院してきた日に、そのファックスに仕事が入ったのだ。なんという良いタイミング。PCはMS-DOS。翻訳の仕事は、あの頃はまだパソコン通信で納品。家で子ども二人の面倒を見ながら仕事ができた。充実した日々だった。ただ、この年の翻訳は初夏までで、その後、はるちゃんの入院、足の手術、長期にわたる治療に私がつきっきりだった。チャッピーは手がかからない赤ん坊で助かった。はるちゃん4歳、チャッピー1歳、はるちゃんの治療が一段落して、私が仕事を再開し、在宅でフリーのビジネス翻訳者として売れ出した頃、お父さんの仕事もだんだん忙しくなっていった。お父さんという人が、何を考えているのかわからなくなりつつあった。会社からバス1本で帰れるところに住んでいるというのに、帰宅は毎晩深夜。それでなくても遅いのに、趣味のスパイ小説を読んでるから寝不足ぎみで朝はぎりぎりまで寝ていて、起きたら新聞見ながらあわてて食べて出て行く。休日は寝ているか自分の好きな本を読んでいるか、音楽を聴いている。すべて単独行動。家族との会話がない毎日。まるで一人暮らししている人みたい。最近のお父さんの姿からは、とても同一人物とは思えない。私は一人で、仕事と子育てに振り回されて、毎日、毎日がへとへとだった。子どもに負担をかけたくない、と在宅翻訳の仕事を選んだものの、私はPCに向かって黙々と仕事を一人でこなし、子どもが熱を出して保育園を休んだら、一人で看病しながら睡眠時間を削って仕事し、お父さんとは会話のない日が数年続いた。翻訳ばかりだと、ずっと家にいてPCがお友達。大人と話す機会がない私は、ときどき通訳に出るようになった。仕事が私の気分転換だった。私がほとんど家にいるのに、休みにどこかに行った覚えもない。旅行どころか日帰りで出かけた覚えもない。外食もほとんどなし。通訳での出張と、お盆とお正月に帰る夫の実家だけが私の「外出」だった。そんなに家族に見向きもしない夫なのに、会社の人にはすごく優しいんだよね。これがまた。この人は一人でも十分生きていける。家族は必要じゃないんだ。私にはそうみえた。私がきちんと話し合おうとしても、面倒くさがるお父さん。話し合おうとしても、ため息ついてタバコ吸って「もう寝る」といって本を読みはじめる。そのたびにとても後味が悪く、お互いに嫌な思いをしただけで、言わなきゃ良かった、と思った。こんな生活が2,3年続いた頃だったかな。私は離婚届をお父さんに渡したんだよね。そのときは本当に別れるつもりだった。今から思うと、あの頃のお父さんもやっぱり一人で「自由人」してたんだよね。ただ、あの頃は仕事で時間の大半をとられていたから、あとの時間は自分ひとりの楽しみの時間。家族のための時間は全然残っていなかったんだ。お父さん、不器用だったんだ。何でもソツなくこなす人だと思ってたけど、そうじゃなかった。あの頃のことを思えば、この数年は、見違えるほどの「お父さんぶり」を発揮していたのに。人生楽しみながら、家族も楽しませてくれていたのにね。
2006年11月07日
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昨日の私の日記読んだ長女本人が、「何これー、デストロイヤーって!!」とぷんぷんしながらも、「足バタバタ」と、「一等賞~!」を覚えてると言ってた・・・・すごい。まだ生まれて数ヶ月の頃のことなのに。人間の記憶ってすごいんだねー。何が嬉しかったんだか、今から考えるとわからないけど、嬉しかったのを覚えてるらしい・・・そうそう、She is a destroyer!! 以外にもDangerous baby!! (危険な赤ん坊!!)と叫ばれてました。16歳の娘は、あいかわらず今も、すごく心が和む笑顔を見せてくれています。
2006年11月04日
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大晦日は、テレビ見たりして朝方まで起きていたのに、元旦の早朝、何だか通常とは違うお腹の張りを感じて目が覚めた。不安になって病院に電話した。予定日よりまだ10日以上早いし、初産なので、「張りの間隔が15分くらい(だったかな?)になったら病院に来てください」と言われた。でも、いつまで経ってもそんな間隔にならない感じだし、間隔も徐々に縮まるのじゃなく、間隔が短かったり長かったりしてよく分からない。結局、家でゴロゴロしながら、夜8時頃になって、急に頻繁に張るようになったので病院に行くことになった・・・ら、お父さん、「ちょっと待って、ご飯食べるわ」 !!!もう、こっちが不安になってるのに、ゴハン食べてるんだから。午後9時過ぎに病院についた。「まだまだ時間がかかります。翌朝になると思うので、ご主人はいったん家に帰ってください」と助産婦さんに言われたのに、すぐ生まれた。 午後11時。 元旦生まれになった。 初産でしかも元旦の夜。病院はすごく人手がない上に、産気づいて病院にきた妊婦がほかにも2人。私は陣痛の間、ほとんど一人で過ごし、かなり心細い思いをしたんだよね。こういうとき、せめてダンナがそばにいてたら気も休まるというものを・・・お父さんは、カメラを持って再び病院に来た。はるちゃんの生まれたばかりの写真がある。白い産着を着せてもらい、真っ赤な顔で激しく泣いて、涙を飛ばしている元気な様子。お父さんが撮ったんだよね。でも、その後、お父さんがいない、いない・・と看護師さんが探していたら、別の病室の空いているベッドで寝ていたそう。後で分かったんだけど、はるちゃんの先天性の足の病気のことを先生から私より先に聞かされて、動揺で立ってられなかったらしい。一度はお父さんと二人で病室で泣いたけど、泣くのは「違う」と思った。お父さんが、「はるか」にしようと言い、「晴」の漢字は私が選んだ。晴れ晴れした笑顔がすてきな子に育ちますように。産後1か月を過ぎて、紹介状を持って広島大学医学部付属病院に行った。定期的な診察と週2回のリハビリに通うことになった。障害など吹き飛ばす元気で明るい子に育ってほしいと、毎日、笑顔を見せて、はるちゃんの両足首を持ち、走っているように左右の足を早く動かしては、「一等賞~!!」というのが、私のクセになっていた。これをやると、はるちゃんは大喜びだった。そのうち、私が動かさなくても、足をバタバタさせて笑うのが、はるちゃんのクセになった。会社の人たちと小旅行に行ったとき、はるちゃんは、まだ、おすわりもできないうちから、仰向けに寝かされた状態だというのに、あまりにも足をバタバタさせて旅館の畳の上であばれまわって移動?しているので、夫の同僚の外国人に、”Destroyer"(デストロイヤー・・・破壊者)と呼ばれた。
2006年11月03日
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