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カテゴリ: 日清戦争占話考

本日は、 1882 年(明治 15 年)7月に発生した壬午事変についての占例をご紹介します。

当時、朝鮮国内では国王高宗の妃であった閔氏が勢力を握り [i]

日本の明治維新に倣い日本に接近して国内改革を進めていました。

これに対して保守派の大院君がクーデターを起こしたものです。

直接の原因は、 13 か月も滞っていた兵士への米の支給をめぐるトラブルでした。

1882 年7月 19 日、兵士たちが待ちに待っていた米がようやく支給されます。

しかしその米は、倉庫を管理する役人の不正のために屑米や砂の混じる劣悪なものでした。

「ふざけるな!」

これをきっかけに兵士たちの不満が爆発しました。

もともと閔氏の近代化政策のなかで在来軍隊の待遇は悪くなる一方でしたので [ii]

積もり積もっていた下級兵士の不満の爆発です。

「閔氏を殺せー!」

7月 23 日、兵士たちの反発の行動が始まると、

そこに零細商人、手工業者などの都市下層民も加わります。

日本の明治維新を見習い、

改革を進めていた閔氏政権に対して、

零細商人等の都市下層民も不満に感じておりました。

1876 年の日朝修好条約以降、日本と朝鮮との貿易は拡大しておりましたが、これにより米穀が不足し [iii] 米価が高騰しておりました。

その結果、漢城に居住する下級兵士、都市下層民の生活が苦しくなっていたためです。

彼らは、閔氏政権の高官の屋敷を破壊し、別技軍教官の堀本礼造少尉を殺害して、さらに奪った武器で武装し、西大門外の日本公使館を襲撃します。

日本公使館は焼打ちにされ、公使館を脱出した花房義質公使らや死傷者を出しながら翌24日仁川に逃亡し、最終的にはイギリスの測量船に助けられて長崎に逃げ帰りました。

「閔氏はどこだ!」

24日、兵士たちは王宮に向かい閔氏政権の高官を殺害します。

しかし、彼らは、最大の攻撃目標であった閔氏を発見できませんでした。

彼女は女官に化け王宮を脱出し実家のある、驪州(よじゅ)に身を隠していたのです。

国王の高宗は事態収拾の術を失います。

そして、閔氏に引退させられていた大院君 [iv] に政治を大権をゆだねることとなります。

復活した大院君政権は閔氏政権が進めていた開化政策を白紙に戻し、

反乱に参加した兵士たちへの給料支払いを約束して事態の収拾を図りました。

そして、行方不明の閔氏は死亡したとして葬儀を行ったのです。

日本政府は、7月 30 日、この事変を、

逃げ帰った花房公使からの電報で知らされました。

31 日に急遽、閣議決定を行い、

井上馨外務卿は花房公使に、朝鮮政府に対する公式謝罪、賠償金支払いなどの要求を内容とする訓令を与え、軍艦三隻とともに仁川に向かわせます。

この記事が新聞に載ると国民も大騒ぎとなります。

その中で某高官が、高島嘉右衛門に占筮を求めに来たのでした。

【結果】

高島の占筮の結果は

鼎の4爻でした。

―――

――― ○

―――

―――

鼎(かなえ)とは、古代の中国で使われた調理するための器です。

写真で見ると

こんな感じ
  ↓
​​ 鼎の写真



下の、卦の形が、鼎を横から見た形に似ているからつけられました。

―――

―   鼎の耳

――― 

―――

―――

―   鼎の足

【高島嘉右衛門の占断】

鼎というのは、見た目もどっしりとして安定感を持っていますが、古代は、神様を祭るための器でした。複雑な文様が記されていますが、それが悪霊を鎮めるものとされています。

そこで、高島は、この鼎を朝鮮政府に見て取りました。政治とは神様を祭る、政(まつりごと)とされていたためです。

この四爻と出ています。

四爻の辞は、次のとおり。

九四、鼎折足、覆公餗。其形渥。凶。

(九四は、鼎足を折り、公の餗[あつもの]を覆す。其の形渥[あく]たり。凶なり。)

鼎の足は3つありますが、その一つが折れる(鼎折足)。

その結果、鼎が倒れて、中にあった食べ物(餗)がこぼれてしまう(覆公餗)。

この食べ物(餗)は、個人のため煮るのではなく、神様を祭るため煮るものだから「公餗」としています。

それをこぼしてしまったのだから罰せられる(其形渥)。

形とは刑のことであり、渥とは部屋の中。

つまり、「形渥」とは室内で重刑に処せられることです。

では、誰が罰せられるのか。

これを高島は、今回の政変で実力を掌握した大院君と見ました。

この四爻は、易経の解説である繋辞伝にて、次のように説明されています。

子曰、德薄而位尊、知小而謀大、力小而任重、鮮不及矣。易曰、鼎折足、覆公餗、其形渥、凶、言不勝其任也。

(子曰く、德薄くして位尊く、知小にして謀大に、力小にして任重ければ、及ばざること鮮し。易に曰く、鼎足を折り、公の餗[そく]を覆す、其の形渥たり、凶なりとは、其の任に勝えざるを言うなり。)

現在の大院君は、徳は薄いくせに位が高くなってしまい、智慧は少ない癖にはかりごとが多い。力が足らず重責を担いきれない。

結果、身を誤り国を誤り、重罰に処せられる、

というのが高島嘉衛門の占断でした。

なお、彼は、この壬午事変を、大院君の謀略によるものだと考えていたようです。

根拠としては、繋辞伝に「謀大に」とあること

また、4爻が応じる初爻 [v] の辞の解釈を踏まえてのことでした。

初爻の辞は、次のとおりです。

初六、鼎顚趾。 利出否。

(初六は、鼎[かなえ]趾[あし]を顚[さかしま]にす。否を出だすに利ろし。)

鼎の足を逆さにする(鼎顚趾)、そうすると、中のものが外に出て(出否)きれいさっぱりとする。その後に、食べ物の材料を煮てグツグツと煮ることができるのでよろし(利)というのが一般的な理解ですが。

高島は、鼎の足、尖って下に向いている鼎の足を逆にして上に向かうのを以て、兵隊が矛を逆さに向ける象ととらえます。そして、「利出否」を叛乱を計るものがある象と捉えます。

まさに、不満を爆発させ閔氏政権に反乱を起こす兵士たちをあらわした象と見るとともに、これは大院君と、相応じて乱を起こしたと捉らえたのでした。

大院君に、当初からこのような謀略があったかどうかは不明ですが、少なくとも兵士たちの反乱を利用して、政権を獲得したことは事実かもしれません。

【その後の展開】

日本では、井上馨外務卿の訓命を受け花房公使は8月10日下関を出発し12日に仁川に到着、8月16日に軍団を引きつれて入京し、20日に国王や大院君と会見、日本側の要求を示して3日以内の回答を要求します。

しかし、清国の対応も迅速でした。

8月20日、呉長慶軍が仁川に到着し漢城へ向かいます。馬建忠は花房と会見し、清は日本と開戦の意図はないことを強調し、軍乱の平定と国王による執政に戻すことが目的であると述べ、さらに26日には一連の事件の実質的責任者とみなした大院君を拘束し天津に連行したのです。そして、清国の介入で再び大院君から高宗に権限が戻され、閔氏政権が復活し、死んだはずの閔氏も王宮に帰ることになりました

結果、室内で重刑に処せられるという高島の占いは当たったこととなりました。

清国の馬建忠は朝鮮政府に対して、日本側の要求を呑む形で花房公使と交渉するように指示をします。次いで呉長慶の配下の袁世凱と協議して軍乱を平定し、8月28日、日朝交渉が再開されます。

次回は、この日朝交渉の行方に関する占例をご紹介します。

【参考文献】

日清戦争 大谷正著 中公文書

訳注高島嘉右衛門占例集 鴨書店 竹中利貞

高島易断(仁、義、礼、智、信) 八幡書房

いっきに学びなおす日本史(上下) 東洋経済 安達達郎

詳説世界史研究 山川出版社



[i] 李朝では国王の信任を受けた王妃や皇太后の一族が政権を握る世道(セド)政治の伝統がありました。

[ii] あたかも明治維新により軍隊の近代化の埒外におかれた武士たちのようなものです。

[iii] 当時の日朝貿易は、日本を介してイギリス製綿製品を輸入し、日本へは金地金と米・大豆などの米穀が輸出される構造でした。そのため米穀の供給が不足がちでした。

[iv] この時期の朝鮮国王は第26代高宗(李戴晃 イジェファン)は、 1864 年、前国王の死とともに国王に選ばれました。選ばれた当初は 12 歳、そこでその後、 10 年間、幼い高宗に変わって実父の大院君が政務を握り、政治改革と鎖国・攘夷政策を行いました。しかし、高宗が成長して、 1873 年親政を開始すると大院君は引退させられ、王妃閔妃の影響力が高まります。このように当時の朝鮮政界のキーパーソンは国王高宗、大院君、閔妃であり、彼らが国内の勢力と協力・対立関係を繰り返すことで朝鮮の政治を複雑なものとしていました。

[v] 易経には「応」という概念があります。易の卦は、二つの卦の組み合わせでなりたちますが(たとえば、鼎でしたら上卦が火、下卦が風)、この上の卦の第一爻、第二爻、第三爻は、下の卦の第一爻(初爻と普通は言います)、第二爻、第三爻と各々対応するとされます。そして、ただ、対応するのではなくお互いに陰と陽の場合に、「応じる」と呼ぶわけです。今回の鼎の四爻は陽爻であり、鼎の第一爻は陰爻であるため「応じ」ます。するとお互いに意味ある関係となるわけです。






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最終更新日  2018年08月17日 14時59分16秒


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