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【さらにさらに追記】あら、タイトル曲に全然触れてなかったわ。「まつりばやし」は、今となっては初期とされる中島みゆきさんの曲です。アルバム『あ・り・が・と・う』(1977年)に収録。なにげない情景描写で始まるのですが、それがもう取り戻せない風景なのだということがわかります。亡父君との思い出を歌ったものだそうです。 ♪ 私のところへは まつりばやしは ♪ 二度と来ないような気がするよ ♪ もう紅い花が揺れても ♪ もう紅い花が揺れても【さらに追記】mae_coさんのところで「色占い」というのをみかけたので、やってみた。普段はこういうことをしないのだが、なんだか気晴らしがしたかったのです。質問に答えていくとつぎのような怪しい診断を下してくれます。そうよ、あたしは天使よ♪-------------------------------------Answer_File_No.7 Ver.2.01【色占い結果】あなたの心の色は下記の通りですあなたの心の色:白あなたのタイプ:奇跡の天使 - あなたの心の色の特徴 - あなたの心の色は、白です。 この色の特徴は... * 心が清く、やさしい * 人を信用し、疑うことを知らない * だまされやすい * 欲がない * 嘘をつかない、つけない * ポーカーフェイスが出来ない * 自分の世界に引きこもる あなたは、現代社会では珍しい、清い心の持ち主です。さらに、誰に対しても優しく、欲深くないという天使のような人格の持ち主です。ただし、そんな世間離れした考えの持ち主であるがゆえに、空想にふけり自分の殻に引きこもる傾向があります。 現代社会において、人を疑うことを知らないあなたは、詐欺行為の絶好の的となってしまいます。さらに、誰かに利用されていることにも気付かない可哀相な人です。あなたは人生において、金銭的には恵まれていないかもしれませんが、あなたにとってはそんな事は問題とならないでしょう。 - あなたの心の数値レベル -積極性★★★★★★★ 35 %論理的計算性★★★★★★★★★★★★60 %協調性★★★★★★★★★★★★ 60 %やさしさ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 100 %野心度0 %お金への執着度★★★★★★★★ 40 %恋愛積極性★★★★★★★★★★★★ 60 %現実逃避性★★ 10 % - あなたが適している職種 - * 宗教家、住職 * 医療、看護関係 * 福祉、ボランティア関係 * 動物園の飼育係 * SF作家 * 世紀末救世主伝説- あなたの対人関係 - あなたは、他人を引き付ける強力な魅力を持つ人です。その為、誰からも愛され、親しみを持って接しられます。ただし、あなたのその魅力が強ければ強いほど、それに対して反抗心を抱く人間も現れます。 あなたは、人生において得をする場面よりも、損をする場面が多々あります。しかし、周囲の人間に助けられる場面にも多く遭遇するでしょう。 あなたの周囲に対し頼れる存在であり、頼られる存在です。 あなたは、恋愛において惜しみなく相手に愛情をささげるでしょう。あなたは、どんな相手に対してもすばらしい恋愛が出来ます。しかし、その結末はあなたを悲しませるものが多いでしょう。なぜなら、あなたの愛情が時として重荷になってしまうからです。 そんなあなたの理想の恋愛相手は、自分と同類の人間です。お互いに惜しみない愛情をささげ合うことで、永遠の愛を誓えることでしょう。- あなたを引き立たせる色 - あなたを引き立たせる色は、ずばり白です。あなたの心の色と同じ色は、よりあなたを輝かせることでしょう。その姿は、まさに地上に舞い降りた天使そのものです。 また、アクセサリー等は身につけない方が良いと思われます。アクセサリーなど無くても、あなたは十分魅力的な内面を持っていますから。-------------------------------------【追記】風邪をひいた後でいけないのは、キャンディなど買う癖がついてしまうことですな。今回はコンビニに寄るたびに「季節限定商品 ココア ミルキー」なんぞ買ってしまう。さすがに一袋全部食べるのは気がひけるので、周りにいた人にほいほい配ってしまう。そして翌日、そんなことをすっかり忘れてまた買ってしまう。明日はやめよう。ミルキーを包んでいる紙だが、これにペコちゃんの顔が10個、切れない完全な形であるとラッキーだという話。「ココア ミルキー」の場合は、結構10個印刷されている。普通のミルキーより少し顔が小さいのかしらん。やっぱりこれではありがたみが減るようだ。地元の神社祭礼。冷たい雨が降っている。あの夜は、実はこの祭りの夜だった。やっぱり冷たい雨が降っていた。昼間は空が真っ黒に曇っていたが、夜になって冷たい雨に変わったのだ。夜遅く帰宅すると、留守番電話にナオコの声が入っていた。帰宅直前にかかってきた電話のようだ。いつもと違い、とてもか細い声で聞き取りにくい。「昨夜泥棒に入られました。警察の取り調べから帰ったところです。電話ください。」空き巣に入られただけでこんな時間になるはずがない。瞬時に最悪の物語が頭に浮かび、そしてそれがだいたい当たっていることが予想できた。どうしようか。電車はもうない。かなりの距離だが、タクシーをとばして行けないこともない。それよりも、電話をかけて現実と直面するのが恐かった。すぐには電話をかけることができず、一瞬躊躇した。闇の中で独り震えているナオコの姿が頭に浮かんだ。僕が電話をかけなければならない。それは他の誰にもできないことなのだ。ほんの数秒が、とてつもなく長く感じられた。電話をかけると、ナオコはすぐに出た。留守電に入れた言葉を繰り返すだけなので、言葉を選んでなるべくゆっくりと質問する。遠回しな言葉の支離滅裂な内容を整理して、事実を確認する。深夜包丁を持った賊がアパートの部屋に侵入し、朝まで監禁されていたのである。男が眠った隙に逃げ出して、近くの家に助けを求めた。そして警察がやってきて、眠っている男を逮捕した。警察での調書の作成、部屋での現場検証、婦人科での診察。夕方部屋に戻り、とにかくめちゃくちゃに掃除をして、その後ずっと僕に電話をかけていたらしい。まだ携帯電話の時代ではない。すぐに行こうかと言うと、独りになるのが恐いので明るくなるまで電話の相手をしていてほしいと言う。僕は始発電車の出る時間まで、ずっと受話器を握りしめていた。明るい話などできるはずもない。結局朝までかけて、一日のうちに起きたことの詳細を聞いてあげただけである。引っ越しが決まって部屋へ案内された時、行き止まりの突き当たりにあるアパートで、二階の奥なので心配したことを思い出した。入り口が道から完全に死角に入っている。鍵は必ず二つ掛けろよなどと忠告した覚えがある。あの部屋。人に会うのが恐いが、部屋に独りでいるのも恐いというので、なんとか駅まで出てくるように言った。ナオコの暮らす町に、こんなに暗い気持ちで出かけるのは初めてのことだった。
2003.11.30
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【さらにさらに追記】学生時代映画のサークルにいたのですが、大学祭で映画を上映したあとの教室でそのまま、内輪の打ち上げでのどじまん大会をしました。レコードを回してのカラオケ大会なのですが、私は生ギターで「プカプカ」を歌いました。その時録音したカセットテープが、うちにあります。原田芳雄さんが「プカプカ」を歌っているのは有名ですが、元ストリッパーの殿岡ハツエさんもレコードを出していました。バックはあのキャラメル・ママです。【さらに追記】水曜日のことだが、わが母校のんびり東高校で文化講演会があったそうな。のどかな県副知事。副知事というものを知らなかったのだが、天下り官僚ではなくて県職員のトップの地位らしい。どうしてそんな人物が呼ばれ、いったい何の話をしたのかと不思議に思ったら、なんのことはない、建設予定の空港を宣伝していったのだそうな。といっても、どうもまともに話を聞いていた者がいないらしい。熱血漢あやりん(仮名♀十代)は質問をしようと気合いを入れていたらしいが、ごにょごにょ何を言ってるのかわからかったので質問できなかったのだそうな。デインジャラスなりえどん(仮名♀十代)他の面々も同様だったらしい。金をかけたパンフレットはほとんど捨てられたのだろう。静岡空港公式サイト ●空港建設におけるマネージメント 空港は、道路・河川と同じ「社会資本」です。建設にかかる費用は、 暮らしを便利にし、産業を活性化するための将来を見つめた投資です。 空港の建設は長期的な視野に立って、進められています。平成4年度か ら18年度の15年間に、総額約1,900億円を予定しており、各事業とも着 実に進んでいます。ふ~ん。「産業を活性化」って、文字が抜け落ちてるよ。「土木・建設産業を活性化」だろう。赤字空港になるのがわかりきっているのに、建設までに1,900億円の税金を使うのだ。空港ができてからはいくらの税金を使うのだろう。少なくとも県東部の住民は羽田空港を利用した方が便利だ。暮らしは便利にならないし、産業も活性化されない。メリットは皆無である。それでいて同じように税金は払っているのだぞ。いったい誰がこんな人物を呼んだんだ?【追記】googleで検索したら、「記帳」の書き込みが見つかりました。[西岡恭蔵 ホームページ 掲示板]99/04/08(Thu) 00時34分12秒幻泉館主人 新聞のテレビ欄で知りました。私の青春の通底音として「プカプカ」が鳴っていました。ご冥福をお祈りします。恭蔵さん、ありがとうございましたゾウさんのクリスマス・アルバムが届いた。新譜です。亡くなったのは1999年。これは97年のライブ盤です。西岡恭蔵『X’mas Song At. Banana Hall 1997』 1. Banana X’mas Tree2. 真冬のアロハ・パーティ3. X’masは家にいて4. クリスマスはカリプソ5. アンダルシアのジングルベル6. Glory Hallellujah7. Soul X’mas8. X’mas Song9. Glory X’mas10. X’mas Dreamin’恭蔵さんのラストアルバム『Farewell Song』に入っていた「Glory Hallelujah」。駒沢裕城さんのペダル・スチールに、このライブでは大神留利子さんのコーラスが入る。楽しいアルバムなのだが、このあたりでついほろっときてしまう。ダメだよ。こういうことを歌っていた人が自分で死を選んではいけないなぁ。 ♪ Glory Glory Hallelujah 愛は生きる事 ♪ 私が私で ある事を願いながら ♪ 心の中にある神様の言葉が ♪ 祈りの唄になり あなたに届くように西岡恭蔵さんが作った「プカプカ」という曲は、70年代の私の愛唱歌でありました。 ♪俺のあん娘はタバコが好きで♪明るいブルースで、かなり多くの歌い手さんが録音したようだ。恭蔵さんはプロの歌手だからもちろん音痴なんかじゃないのだが、それを少しフラット気味に歌う。味のある声で、実に良かった。ジャズ歌手安田南がモデルだと聞いて、かっこいいなあと思ったものだ。その後、奥さんのKUROちゃんと旅をし、曲を作る。この辺りは後から聴くようになったのだが、いい歳のとりかただなあと思ったものだ。98年にKUROちゃんが癌で亡くなる。「恋が生まれる日」という曲のタイトルを「Farewell Song」に変え、最後のアルバムを発表。99年、KUROちゃんの一周忌に、恭蔵さんは自らの死を選びました。この訃報はさすがにショックで、オフィシャルサイトの掲示板に書き込みをした覚えがあります。文字どおり記帳です。西岡恭蔵&KURO追悼コンサート三ヶ月後に日比谷野外音楽堂で行われた追悼コンサートに行くことはできなかったけれど、NHKがBSで放映してくれました。宝物みたいになっております。このコンサートでは、亀渕友香さんが「Glory Hallelujaj」を歌っています。中川五郎さんが歌った「我が心のヤスガ-ズ・ファ-ム」もほろっときます。ヤスガ-ズ・ファ-ムというのは、ウッドストック・コンサートの会場を指します。ウッドストックが出発点、原風景なんですね。恭蔵さんの「春一番」という曲をは同名の野外コンサートのテーマソングとして作られたものです。
2003.11.29
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帰りが遅かったので、自分の締め切りではまったく日記が書けず。もう、まったく季違えですが、「深夜放送」で検索した過去日録を蔵出ししてお茶を濁します。【2003年4月29日付日録】[万緑やわが掌に釘の痕もなし]本日は統一地方選挙後半の投票日、4/27(日)であります。洗濯をして、投票に行って、種を買って、畑仕事をして。平和な日曜日ですが、お休みがあっという間に終わってしまいました。のどかな県のんびり市では、今日は市議会議員選挙。支持していた方が引退してしまったので、投票は誰に入れようか困るんです。引退した方は旧労農派系で、学生時代に論文用の調査取材などさせていただきました。有名な冤罪事件で名誉回復できないまま亡くなった方のお葬式も、この方の家で行なわれました。畑ではトウモロコシの種を蒔きました。種床作りに大汗かきましたぜ。陽射しが強かったから、結構焼けたかも。ヤフオクで落札したCDが届く。『深夜放送グラフィティ オールナイト・ニッポン』。糸居五郎さん、亀淵昭信さん、斉藤安弘さんのDJに、当時のヒット曲が挿入されている。 1. マーシー・マーシー・マーシー/バキンガムズ 2. 雨の訪問者のワルツ 3. 風/はしだのりひことシューベルツ 4. 水虫の唄/カメ&アンコー 5. カリフォルニアの青い空/アルバート・ハモンド 6. 空に星があるように/荒木一郎ま、何度も聴くもんじゃないか。中村草田男「万緑の中や吾子の歯生え初むる」が気になったので、近くにいたりえどん(仮名♀十代)に聞いてみる。やっぱり中学校で習ったそうだ。ただ、「緑と赤と白」と、妙なことを言い出す。この句はなんといっても、この三色なんだそうな。「万緑の緑、口の赤、歯の白」。元優等生なんだろう、すらすらと解説してくれる。そのまんま覚えさせられたらしい。でもな、それは違うと思うよ。とにかく冒頭の万緑が圧倒的だ。これはいわば攻めの句。「新緑」だったら誰にでもひねり出せるが、「万緑」は草田男以前に俳句の世界にはない言葉だ。圧倒的な緑には、歯以外には対置できない。どう考えても緑と白の二色ではないか?もう一つ。赤ん坊の口って、そんなに赤いか?ついに力技で万緑を季語にしてしまったのが、この語が草田男の造語とされる所以だが、出典はある。「万緑叢中紅一点」王荊公(王安石)作とされる「石榴詩」の中の句である。ご存知紅一点の出典元であるが、タイトルが「石榴詩」なのだから、この紅は石榴の紅である。圧倒的な緑の中に、小さな紅が一点。非常に鮮やかな絵であり、そして草田男「万緑の中」がなんとよく似ていることか。つまり、中村草田男の句は、この詩の本歌取りなのである。三番目の色が入り込む隙はない。中村草田男さん以降、「万緑や」で始まる句がいったいいくつ作られたことだろうか。まさに捨て身の一撃で生み出された圧倒的な言葉なので、なかなか二番煎じを越えることができないと思う。その中で私が好きな句。 > 万緑やわが掌に釘の痕もなし 山口誓子釘の痕とはもちろん聖痕を指す。磔刑となったイエスの象徴である。圧倒的な自然の緑に、非力な普通の人の掌が対置されている。「じっと手を見る」のである。もう一つ、昨日付けの日録を書いてから思い出したのが、ストラヴィンスキー「春の祭典」。ティンパニーが印象的なあの曲です。重低音と変拍子で、なんだか腹の底から揺るがしてくれるアレは、日本でいえば縄文の復権。「爆発だ~!」岡本太郎さんの世界に近いですね。キリスト教以前のロシアの土俗的祭礼がモチーフなわけです。ご清潔なキリスト教的芸術観では、許すことのできない魅力に満ちていることになります。May Day話の補足でした。
2003.11.28
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【追記】BSマンガ夜話が「漫画家残酷物語」だよ~と教えてくださった方がいたのだが、時すでに遅し。残念でした。その後のイラン・日本合作映画というのをぼやっと見てます。-------------------------------------------------------夕方ヨーカドーへ買い出し。例によって冷凍食品4割引。各種スパゲッティ、エビピラフ、ドライカレーを買い込んできました。おばちゃん体質ではありますが、外見上はあの色付きメガネ&マスク付きの怪人のままです。一応買い物前に西の空を1枚撮影して、あわてて買い物をして戻ると、ちょうど良い時間。帰りの車の中で見た空がきれいだったけど、夕陽は撮影できず。事務所の近所でも1枚撮っておきました。更新しております ↓夕陽が好き![I Love Sunset!] 本館訪問者の方より、「あんた去年の今頃も風邪ひいてたよ」と御指摘をいただく。あ、そうなんすか。まるで忘れていたので覗いてみると、なるほど、携帯を買い換えたりしたのを思い出した。おお、焼肉屋行ってるわ。一年前の日録を蔵出ししてみます。東峰夫さんの『オキナワの少年』(文春文庫)は今amazon.co.jpで検索してみたら、「ユーズド商品」という名称で古本が出ていました。定価320円の本が、1,800円になっています。あらまあ。【2002年11月26日付日録】[オキナワの少年:1970 ぼくたちの青春]録画しておいた『OKINAWAN BOYS オキナワの少年』を観る。老人と子供が出てくるともうダメなので、こういう映画には弱い。おまけにオキナワである。子役もいいし、青年となった主人公たちも悪くないのだが、惜しむらくは。あの子供たちが大きくなって、こういう顔にはならないだろう、な。「真理子」は、小野みゆきにはならないよ。娼婦の姉役で出ていた女優さんの方が、もっと雰囲気が近い。さらに遠いのが、主人公とその親友の二人ね。内藤剛志さんは『ヒポクラテスたち』の方がはまってた。原作を読んだことがなかったのでamazonを覗いたら、これが入手不能。文春文庫に入っていたので、見掛けた時に買っておけばよかった。1980年の芥川賞受賞作。へそまがりなのでそういう受賞作はあまり買わない癖がありまして、それが災いしたですね。『OKINAWAN BOYS オキナワの少年』(1983年)原作:東峰夫監督:新城卓 出演:藤川一歩 内藤剛志 小野みゆき 岡田奈々 緒形拳 ほか------------------------------------------------北朝鮮による拉致被害者が帰国したころからひっかかっていたドラマがある。調べてみたら、1991年にフジTV系列で放映された『1970 ぼくたちの青春』だった。そうか、もう10年以上前のドラマになるのか。大葬の礼の際の映像から始まり、風間杜夫が過去を回想するという形式だったような。主演が吉岡秀隆だったのは調べてみて思い出したことで、記憶に残っていたのは筒井道隆演じる在日朝鮮人の友人である。その友人は帰国事業で「北に帰って」いく。そして「国家建設のためにがんばっている」と便りを寄越すのである。フジTVの青春ドラマの中にこれだけむきだしの形で国家が出現することはあまりないのではなかろうか。金日成が抗日パルチザンの伝説と共に歴史に出現して以来、抗日・反日が個人(というよりも家柄)を計る基準となっているのが北朝鮮である。日本から見れば、国家建設などとっくに破綻している。だが、大日本帝国の蛮行がなければ、金日成の伝説も、「ならず者国家」も生まれていない。北朝鮮から見れば、日本との戦争はずっと続いている。戦争の清算が済んでいないと思っていれば、拉致問題も相対化されてずっと小さなものに見えるのは道理だろう。北に帰った在日の苦労は痛ましい。そして、帰らなかった在日の苦労も痛ましい。金成日国家の無法をあげつらう大合唱の声に、人間の姿を見失ってはいかんよ。【さらに追記】本館に書いたやつ。今日はレスを付けにくそうなので、せっかくだからゴミを転載しておきます。しつこいようですが、ここのアクセスログは自前鯖で詳細に記録しておりますので、くれぐれもおいたなどしないように。すぐにお礼に伺います。「洩れ串」など意味がないので、お間違えのなきように。-------------------------------------------あんまり汚いモノのことを書きたくないのだが、「2ちゃんねら~」再考。もちろんこれは2ちゃんねるにアクセスする人すべてを指しているわけではありません。以前書いたヒマ人、仮に「和田さん」としておきます。そんなに他人の悪口も言わない複数の楽天住民から悪評を聞いたので少し覗いてみて考えました。「和田さん」のサイトは時々ものすごいアクセス数になります。他人の悪口しか書いてないのになぜなんだろう。カウンターをクリックすると表示される「アクセス数」に「利用者」という項目がありますね。「ゲストさん」ばかりというのも異様です。「ゲストさん」が異様に多いサイトは、一つには反共「2ちゃんねら~」から監視されているサイトがあります。もちろん「和田さん」の場合は違います。彼はこっそり監視している方の人間です。そんな他人様の悪口雑言ばかり読みたがるヒマ人がそれほどいるとは思えないのだがなあ。ふと思いついたのは、これが張り子の虎じゃないかということ。It’s only a paper tiger.虚勢を張ってカウンタを上げている可能性はあるな。2ちゃんねるにURLを書き込んで誘導する手もありますが、それは「和田さん」のシンパや取り巻きではありません。その場合も張り子にすぎないのです。楽天広場のカウンタ/アクセスログは、簡単にごまかすことができそうです。あまり書くと楽天さんから怒られそうなので、ちょっとやばい方法は書きません。スキルがなくてもできるのは、IPを二つ同時に使うこと。交互にアクセスすれば、どんどん数字が上がっていくはずです。実際は手作業でなく、スクリプトを書いて実行すればOK。PCを2台使ったり、本当に2箇所のIPを利用する必要もありません。普通はそんなバカなことはやらないだろうと思いますが、「和田さん」のサイトの内容を考えると異様にヒマな方のようなので、せっせと手作業でやってるかもしれません。もちろんそんな人物とは関わらないというのが一番なんですが、泣いている人もいるかと思うと、少し余計なことを言いたくなりました。「2ちゃんねら~」諸君は語彙が乏しいので、「和田さん」のような人物に対しては普通こういう言葉を投げかけるものである。曰く「粘着君」。
2003.11.27
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【さらに追記】70年代末の吉祥寺牛丼戦争を調べたくてgoogleしてみた。「牛丼」「戦争」「吉祥寺」いきなりジョンリーフッカーさんがヒットしたのがおかしかった。【追記】なんとなく夜中に思い出したこと。脈絡ないです。いまどきの若者は、デュラン・デュランとボブ・ディランを間違えるようであります。ヤフオクでもボブ・デュランなんぞという表記をよく目にします。お姉さん、それは違うわよ。「小室哲也」と「小室等」を間違えるという人もいましたが、「小椋桂」を「小室等」と思っていた人もいました。同じなのは「小」の字だけじゃん。何と読んでいたのか不明。ああ、神田神保町を「かんだかんぼちょう」と読んでる人もいた。これは地名だから、しかたがないと言えば仕方がない。ただ、都の西北大学文学部の学生だったのはちょっとイタイ。杉並生まれの友人が世田谷の「烏山」を「鳥山」と書いていたのにも驚いた。フォントが見えない?前者が「烏・カラス」、後者が「鳥・トリ」です。今までどう読み分けていたのか尋ねたら、なんとなく読み分けていたのであった。この人は都の西北大学政経学部。昭和の御代が終わるころ、後楽園の前でダフ屋さんに「デュラン・デュラン、300円だよ、お兄さん」と声をかけられましたっけ。---------------------------------------------------音楽板の怪人きりぽん氏が教えてくれたサイト。Rolling Stone誌 500 Greatest Albums of All Timeこれで500日分日記のネタができるじゃん……ちょっと無理か。出がけに椎名林檎「りんごのうた」を購入。しまった、CCCDじゃん。ダメだよ、買っちゃ。昨年末に新結成&解散した新生フォークルは、新曲「感謝」「ライカはローリングストーン」ともにとても良い曲でした。音としては何といってもマーチンのギターと和太鼓の重低音がポイントだったと思います。正月に聞き込んだのでマーチンの音が頭の中をぐるぐる回り、結局D-28という分不相応なものを買うことになったのです。何度か本館日録で書いたので、検索してつまみぐい、再編集してアップします。これも蔵出しね。Martin買おうか買うまいかというころ。しかし、本当に楽天広場にも過去記事検索の機能が欲しいわ。ふらふらと本屋さんに出かけ、少し前から気になっていた文庫を購入。「木」偏に「世」の「エイ」文庫。文字が簡単に出ないのは致命的だぞ。頭悪いっぽい。『M型ライカヒストリーブック』やら『ワーゲンバスの気分』やら、おじさんのモノ心をくすぐる企画が多い。ほとんど新生フォークルの「ライカはローリングストーン」のまんま。今回は『マーティンD-28という伝説 』を買いました。そう、♪あ~ あのあこがれの 本当のギターだぜ~♪ です。昔の写真をばアップすると、ほぼ別人28号……てな具合に日本語の基本語彙として定着した「鉄人28号」。(ウソじゃ)どうして鉄人は28号なんだろう。原作のマンガでは、旧日本軍が開発を進めていたロボットの、28番目の試作品ということになっていたような気がする。腹に小型ロボットをたくさん蓄えた29号なんてのも悪役として登場したと思う。なんだかいいかげんな話で申し訳ないが、アトムと違って鉄人は原作が手に入らないのだ。後付けの知識では、大戦末期に日本の空を脅かした爆撃機ボーイング社B-29のイメージでキャラクターを造形したらしい。B-17, B-27, B-29とラインナップを書き連ねると、なんだかギターみたい。そう、なんのことはない、Martin D-28から連想しただけです。以前も書きましたが、C.F.マーティン社のDシリーズはDreadnaught(Dreadnought)を意味します。dread(恐怖)、naught/nought(零、無)なので、「こわいもの知らず」、つまり国士無双みたいな名前です。Dreadnaughtは元々大英帝国の軍艦に付けられた名前で、それが大型戦艦を意味する言葉に変わります。「ドレッドノート艦」と訳しますが、「弩級戦艦」とも訳します。それでうちのD-28を弩級28号君と呼んでいるわけです。すべての武器を楽器に!なんですが、Dシリーズはかなりキナ臭い名前なんですね。Martinの楽器はカントリー&ウェスタンで使われることが多いのですが、そういう音楽の愛好者は保守的な層の人が多いようで、マッチョな大統領の好戦的政策を支持してる人も多そうです。広島に原爆を投下したエノラ・ゲイはB-29。原子爆弾投下のために特別な改良が加えられていたそうで、製造したのはネブラスカ州オマハの「マーティン航空機会社」なんだってさ。D-28の豪華版がD-45。でかくて音が大きいんですが、繊細な音も出る、70年代耳に馴染んだアコースティックギターの音です。中川イサトさんや石川鷹彦さんの参加した曲はものすごい数に上ると思います。スタジオ録音ではD-18が多かったのかな。「エイ」文庫の本の方は、このD-28についていろいろ書いてくれてあって、なかなかよろしいです。やっぱり出てきた坂崎幸之助君。高校時代に弾いていたギターが「ジャンボ」と書いてあります!おお!初めて見たぞ!ぐっと親近感が増しました。まあ、幸之助さんはそれでアコギの名手となって、私はすぐに放り投げてしまいましたが。中にあるコラムの寄せ集めの章がちょっとひどいできでいただけません。名前は書きませんが、文章を書けないライターさんが混じっています。せっかく好印象が残りそうな本だったのになあ。実際、この本を買うよりも、[Martin][D-28]なんぞの検索語でgoogle検索した方が有意義な情報を得られます。いや、すごい世界です。マーチン信者多いです。眺めているとどんどん欲しくなりました。今年はPC買うのやめよう。それでD-28買った方が有意義。どんどん自分が説得できてしまいます。D-28はメーカー希望小売価格330,000。専用ハードケース付属。石橋楽器の通信販売サイトだと、231,000(送料別、悪税別)。これがD-45だとメーカー希望小売価格1,050,000。石橋楽器で735,000(送料別、税別)うひゃあ、な値段ですけど、私が高校生の頃の感覚だと、D-28でこのぐらいの価格なんです。かなり安くなったんだなあ。それでヤフオク覗いてみました、いえ、中古は手を出しません。並行輸入のショップが出品してる新品ね。お!D-28だと20万円切るなあ。う~ん。サラ金のCMに出てくる清水章吾さん状態。う~ん。C.F.Martin オフィシャルサイト
2003.11.26
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依然発熱したまま夜なべ仕事を抱え、蔵出し継続。う~ん、何にしようか。プロフィール画像はちょっとやりすぎ。吾妻ひでおさんのマンガに出てくる変質者っぽいキャラクターを狙ったのですが、かえって汚いところが隠れて美化されたという説も。【追記】 リクエストがあったので、もう一枚。 不採用画像を本館にアップしました。 いわゆるオルターナティブ・テイクですな。 物好きな方はご覧くださいませ。 幻泉館本館本物は子泣きじじいみたいな中年おやぢです。砂かけばばあ、いや、ムーミンやトトロでもいいです。少しだけ妖かしのもの、妖怪や妖精の類いが入ってるかも。それでざしきわらしのことをいつか書いたのを思い出しました。だらだらと、ごく普通に書いた日記。70年代だし、音楽のことも書いてあるし、まんまいきます。ジャンボ君というのは、私が高校生の時に買ったフォークギター。Martinを買ったらまったく触らなくなったので、里子に出しました。あやりん(仮名♀十代)とあやりんママ(仮名♀年齢内緒)にかわいがってもらっているようです。【2003年6月15日付日録】[ざしきわらし / Lennon Legend]6/13(金)の深夜。特に悪いことも起こらなかったので、まずまずの一日か。早く読めという無言の圧力の下で少しずつ『うしおととら』を読み進めていたら、座敷童が出てきた。ふと吉田秋生さんの描いていた「ざしきわらし」が読みたくなった。大きめのコミックはどこかに行ってしまったが、文庫で買い直したものがすぐに出てきた。ああ、これこれ。初期短編集なんですね、『きつねのよめいり』。傑作『カリフォルニア物語』を連載中に絵柄が変わってしまうのですが、急成長したころの作品です。「ざしきわらし」は本当に短い作品なんですが、妙に心に残っていて、時々眺めたくなります。座敷童はもちろん柳田国男『遠野物語』に記述のある神様です。毎度おなじみ『広辞苑』。> * ざしき‐わらし【座敷童】> 東北地方の旧家に住むと信じられている家神。> 小児の形をして顔が赤く、髪を垂れているという。> 枕返しなどのいたずらもするが、居なくなるとそ> の家が衰えるという。これがどうにも心惹かれる神様なんですね。吉田秋生さんの「ざしきわらし」では、> 子供ならだれでもよく知っていて> けれど> おとなになると> いつか会えなくなってしまう> なつかしい友だちという設定になっています。いろいろなことがあって、人はだんだん子供のころのことを忘れてしまい、大人には座敷童が見えない。本当は私にはもう見えないんですが、でも見えるような気がすることがあります。ジャンボ君はあやりんにかわいがってもらっているらしいが、楽譜がないという声が聞こえきた。歌本を何冊か持っていって、必要なものだけコピーしてもらおうと思ったら、意外に『フォーク・ビレッジ 1001曲』は歌える曲が多いらしい。コピーも面倒なので、本をそのまま貸してしまう。以前映画『I AM SAM』のサントラ盤でまゆぞう&あやりんが覚えて楽しそうに歌っていた「TWO OF US」が、古い『ヤングギター』誌の切り抜きにあったので、コピーしてみる。隅が欠けてるし、黒地にシアンの文字色なので、まるで古文書のようである。妙な楽譜。二人ともまだ「F」が弱点なんだそうな。そこを越えれば恐いものはないぞ。(少しウソです)マスターしてくれたまえ。本日はワタクシ、ジョン・レノンの一日でした。フランスW杯の年に出たベストものを輸入盤で注文していたのだ。これはダビングしたはずなのだが、あまり聴いていなかった。あらためて聴くと、実にいい。名曲揃い。映画『スタンド・バイ・ミー』のヒット以来、「STAND BY ME」はベン E. キングが完全に復活しましたが、ジョン君のもいいですよ。やっぱSimon & Garfunkelより、John Lennonのが好きだわ。この2枚のベスト盤をMDにダビングしながら書いております。> Keep you doped with religion and sex and TV> And you think you’re so clever and classless and free> But you’re still fucking peasants as far as I can see宗教漬け、セックス漬け、テレビ漬けの暮らしを続けてみなよ自分がとっても賢いと、階級なんてものはないと、自由だと思えるだろうでも、俺の見たところでは相変わらずの水呑み百姓だぜ WORKING CLASS HERO (労働者階級の英雄) 幻泉館主人 私訳・試訳Lennon Legend: The Very Best Of John LennonU.S. 定価: $16.98amazon価格:¥1,6511998年2月24日1. Imagine2. Instant Karma!3. Mother (Single Edit)4. Jealous Guy5. Power To The People6. Cold Turkey7. Love8. Mind Games9. Whatever Gets You Thru The Night10. #9 Dream11. Stand By Me12. (Just Like) Starting Over13. Woman14. Beautiful Boy (Darling Boy)15. Watching The Wheels16. Nobody Told Me17. Borrowed Time18. Working Class Hero19. Happy Xmas (War Is Over)20. Give Peace A Chance
2003.11.25
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【追記】 仕事さぼってプロフィール画像を更新してました。 ほぼコスプレ状態。 でも、今日は本当にこの格好なんです。ぽぉっと熱っぽいまま大忙し。車の運転をするので薬を飲んでいないのだが、充分にメスカリン・ドライブ。くらくら発熱トリップしながら忙しく動き回った一日でありました。緊急入院した従姉ちゃんを見舞い、その姿にちょっとびっくり。帰宅して少し休んでから大菜園へ畑仕事に出かける。いただきものの玉葱の苗を植えることになったので、薩摩芋を全部、里芋を一部収穫してしまう。思ったよりも出来がよく、大仕事になってしまった。柚子や京菜などもだいぶ採ってくる。作業を終えた時にはもう夕陽が迫っている。西側の谷をデジカメで撮って、これが本日の夕陽。少しだけ「天使が降りてきそうな空」ね。あ、収穫物の写真を撮るのを忘れてた。夕陽が好き![I Love Sunset!] 今夜はくだらない原稿書きをしなければならない。明日は国民の祝日の振替休日らしいが、私は非国民なので例によってお仕事。きついぜ。ということでまたも本館より蔵出しです。私、トレーシー・チャップマン好きなんです。いいだろと他人様に曲を聞かせると、トレーシー・チャップマンって女の人なんですかと、よく訊かれます。写真を見せても、まだそういうことを言う。無礼者~!!声は少し野太いけど、知的な美しい女性ではありませんか。The Official Tracy Chapman Site【2003年2月2日付日録】[Sinead O’Connor & Tracy Chapman]トレーシー・チャップマンの新譜を発見して、ついでにシニード・オコナーを見つけたので発注したのだが、すぐに届いた。この二人が揃うと思い出すのがBob Dylanのデビュー30周年記念コンサート(1992年)。前にも書いたけど、アイルランドの丸刈り~た過激姉ちゃんがステージに立つと、観客が大ブーイングの嵐。シニード(シネイド?)姉さんは小さい頃自分が育ったカトリック教会を批判していたのっす。ディランのコンサートに来る人がなぜと思うほどのブーイング。だいたい宗教難民が作った国なんだから信仰の自由が前提の国家なのに、「反キリスト教」には非常にキビシイのね。そういう意味ではとても保守的な国民性らしいんす。ゲストが順番にディラン様の曲を歌っていく構成だったので、シニード姉さんもそういう曲を歌うはずだったんだけど、止めます。それで泣きじゃくりながら、ボブはボブでもBob Marley様の「WAR」をアカペラで歌って下がります。そこで次の出を待っていた我らがトレーシーがそっとシニードの肩を抱いて慰めるですよ。そして、ギター1本で力強く「The Times They Are A-Changin’」を歌います。ああ、これからはトレーシー・チャップマンの時代なんだと思いました。ディランは終わってる。ディランを聴く層って、単なる懐メロおやぢなんだと納得した次第です。本当に「時代は変わる」んですね。お、それ考えると、あのニール・ヤング様のトンガリ具合いはどうだ。すごい爺さんになったな。ビデオではこの場面が全部見れるんだけど、CDではシニード姉さん影も形もなくなっちゃってます。しかし、この人のスキンヘッドはかっちょいい。"Sean-Nos Nua"はOld-Styled Newぐらいの意味だそうで、アイルランドの有名な曲のカバー集なんだそうです。要するに「アイリッシュ・トラッド・フォーク・ソング」でありまして、アレンジが洗練されているので、日本で言えば簡単に「癒し系」というラベルが貼られることになります。ケルトです。いい感じで心に響いてきます。きれいです。でも、ちゃんと芯があるんだよ。Sinead O’Connor "Sean-Nos Nua"1. Peggy Gordon2. Her Mantle So Green3. Lord Franklin4. The Singing Bird5. O’ro’, Se’ Do Bheatha ’Bhaile6. Molly Malone7. Paddy’s Lament8. The Moorlough Shore9. The Parting Glass10. Ba’idi’n Fheilimi’11. My Lagan Love12. Lord Baker (with Christy Moore)13. I’ll Tell me MaTracy Chapman "Let it Rain"1. Almost2. Another Sun3. Broken4. Goodbye5. Happy6. Hard Wired7. I Am Yours8. In the Dark9. Let It Rain10. Say Hallelujah11. You’re the One
2003.11.24
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【追記】とりあえず晴れてよかった。生ごみたっぷり2週間分を畑に埋めに行かないと。従姉が入院したそうなので見舞いにも行かんといけないのだが、風邪もってくのもなあ。はらびず、ずびずび。-----------------------------------------------------日ごろの不摂生がたたってまた発熱。布団の中で朦朧としております。それで今夜もまた蔵出し。すんませんな。う~ん、何にしようか。昨夜夏見還さんのところで「ソウル・フラワー10周年ライブ」というのを見かけて、ちょっと調べてみた。行けたら行ってみたい。あら残念、やっぱり行けないのね。そうか、どこかでモノノケのこと書いたっけな。それを思い出して引っ張り出しました。70年代と関係ないじゃん、なんですが、このバンドはあのころから生き延びているような雰囲気がするのです。渡さんたちがやっていたことも引き継いでいるし、ジャケットも三里塚だったりするので。時々「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」が聴きたくなる時があります。水牛楽団のカセットブックを持ってますけど、あの演奏は歌詞が入ってないのね。うたごえ喫茶みたいなのはあんまり好きじゃないし。歴史を持った歌だからいろいろなこと書けると思いますが、早寝しないと関係各方面から怒られるので、やめておきます。うずうず。ひとつだけ。去年、連合赤軍関係の書籍や資料をを集中的に読んだんだけど、あの人たちは実によく歌を歌っていました。好漢バロン植垣氏などは、とても楽しそうに書いています。[2003年3月14日付日録]深夜の片付けなどしようと思い、元気が出るCDをMDにダビングしようと発掘したのが、soul flower。おぢさんなんで、チンドンなmononoke summitなのよ。阪神淡路大震災を機に結成されたユニットね。中川クンが三線弾いてます。活動は終わったのかと思っていたら、2002年5月にヨーロッパツアーで、東ティモール独立祝賀コンサートというものに出演してますね。お、つうか、今もmononokeで毎月ライブやってるじゃん。soul flower mononoke summitmononoke summitとしては2枚のアルバムがあります。asyl ching-dong(1996年)とLEVELERS CHING DONG(1997年)。前から気になっていたのですが、今回確認してみたら2枚のアルバムがぴったり1枚のMDに収まりました♪asylのジャケ写真は懐かし三里塚少年行動隊です。高校生の時に学校の図書館でこの本読んだわ。元革命政党が嫌がる写真ですな。そういえば以前「インターナショル」(楽曲のね)について調べようと思ってさまよいこんだサイトで民主青年系の学者さん(?)が書いていました。「若者に人気の軽薄なロック・バンドが神聖な革命歌を冒涜している」っつうような内容を。アホか。でも、今度の選挙ではそのアホな政党に投票するかもしれません。学生時代の友人で教育労働者やってるクンから来た年賀状には「だいぶいい年になってきました」と書いてあったが、そうか?めちゃくちゃひどい年になってないか?あ、年って年齢のことか。今まで気づかなかった。確かにもうだいぶいい年です、ハイ(タメドシ)。今でも2枚ともamazonで入手可能です。お薦め。アジール・チンドン(1996年)ソウル・フラワー・モノノケ・サミット1.復興節2.美しき天然3.ラッパ節4.聞け万国の労働者5.デモクラシー節6.貝殻節~アランペニ7.がんばろう8.東京節9.竹田の子守唄レヴェラーズ・チンドン(1997年)ソウル・フラワー・モノノケ・サミット1.インターナショナル2.ハイカラソング3.水平歌(解放歌)~農民歌~革命歌(鳴呼革命は近づけり)4.アリラン5.ダンチョネ節(特攻隊節)~ピリカの唄6.安里屋ユンタ7.弥三郎節8.もずが枯木で9.カチューシャの唄10.むらさき節11.蒲田行進曲12.有難や節13.さよなら港
2003.11.23
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【追記】発掘した昔の日記を貼り付けました。[October 1, 1997]物神崇拝ナンセンス! コンピューターはおもしろい道具だってことだよ。シーナ&ロケッツの鮎川誠さんの本がおもしろかったので書いたものです。(一時期よく「椎名誠」と言ってしまったっけ。)あの御夫妻は信濃屋さんというスーパーで仲良くお買い物をしているのをよく見掛けました。[February 8, 1998]銀幕に輝くヒカリミミズの怪,再びこれは屁理屈です。頭に来るとこういう挑発的な物言いになってしまうのが、私の悪い癖です。直す気がありません。明けて11月22日、忘れていたが、誰かの誕生日だ。本当は「誰か」ではないが、詳しくは書けない。人との別れ方が下手だったな、オレは。あまり思い出したくはない、そういう誕生日。『LET IT BE』を引っ張り出してきて、繰り返し聴いている。やっぱり耳に馴染んでいる分、『NAKED』よりも『LET IT BE』。意外に大きいのが曲順です。この順でないと、『LET IT BE』らしくない。ああ、『NAKED』には「DIG IT」入ってないのか。「ACROSS THE UNVERSE」からすっと静かに「LET IT BE」に入ってしまうのはなんとも不思議。でも、バンドらしさは『Naked』が上。そうか、自分で編集して順番入れ替えればいいんじゃん。曲に入る前の音を補うことも可能。MDでやるんじゃなくて、CDからPCに取り込んで編集します。サウンド編集ソフトはフリーのもので結構使えるのがあるんです。LP→CD-Rという作業をする時はこの作業が絶対必要でした。これでレコードの傷の音も消したりできます。さて、私はなぜこれを書こうと思ったんだろう。数日前のことなのに、すっかり忘れてしまいました。テロの標的として原子力発電所はあるよなあと思ったからかしら。思いもかけずに見せていただいた懐かしい画像のこともあるかもしれない。最初に会った時、ボブ・マーリーはまだ生きていた。会わなくなった時に、ボブ・マーリーは亡くなっていた。加川良さんも歌ってたな。 ♪ みず みず みず長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』はイメージとしては80年代なんだけど、実は70年代末の映画。中学校の理科教師(ジュリ~~~!)が原子力発電所からプルトニウムを盗みだして原爆を作るお話。なんといっても、原爆の製造過程が楽しい。どうしようもないDJが出てきてジュリーを助けたりするのですが、ジュリーがライバルとして指名した刑事(菅原文太)が最後には放射能にやられてゴジラになってしまいます。(ウソです)ビニールで蚊帳のようなシールドを作って犯人は原爆を作るのですが、ボブ・マーリーの曲で踊ったりします。1979年は、ボブ・マーリーが来日した年。そしてボブが "Africans, unite!"と歌った『SURVIVAL』が出た年でもあります。その翌年にボブはツアーの途中で倒れ、1981年にこの世を去ります。ジミー・クリフが主演した映画『ハーダー・ゼイ・カム Harder They Come』は1972年の作品。当時の幻泉館主人はそんなことは知りません。ただ、レゲエという音楽は耳にしました。まだ「レゲエ」という訳語が確定しておらず、「レガエ」とか「レギー」という表記もあったと記憶しています。「レガエ」やら「レギー」やらという珍妙な表記を目にしたのは、おそらくレゲエのリズムでは日本で最初にヒットしたポップス、ポール・サイモン「母と子の絆」(1972年)に関する記事の中だと思う。新しい言葉が日本に入ってきたとき、最初はまだ訳語が確定していないのだから仕方がない。S&G解散後、ポール・サイモンが最初にリリースした曲はレゲエだったのです。エリック・クラプトンが「アイ・ショット・ザ・シェリフ」をカバーして大ヒットさせたのは1975年。まだだいぶ先のことでした。ポリスは『白いレガッタ』でしたね、お、これも1979年だ。79年は、どうも私の中では80年代のイメージなのだな。そのころだと思うが、die-inを何て訳そうかねえという話をしたことがあった。「死に込み」なんて、あなた、そりゃかっこ悪いわね。ボブ・マーリーの曲で一番好きなのは、「ノー・ウーマン・ノー・クライ」かな。一緒に路上生活を送っていた仲間の死を悼む歌。いろいろな人のカバーがあります。CAT-Oさんが書いている『メモリアル・ネーネーズ オキナワ』にはネーネーズ版「ノー・ウーマン・ノー・クライ」が入っていますね。歌詞は全然違う内容になってます。これは異論のある方が多いと思いますが、私はボブ・マーリーのアルバムだと『SURVIVAL』が一番好きです。リアルタイムで聴いたのがこのアルバムからだからと思います。まさに1979年の時点での生の主張を、同時代に生きて聴けたのです。歌詞が聞き取りやすくて新鮮でした。でも、バビロン・システムが吸血鬼とは?不思議ですよね、レゲエ。カルトのテーマソングみたいなものですもの。エチオピア皇帝ラス・タファリを崇拝する「ラスタファリズム」。これがラスタマン。旧約聖書からの引用で成り立っているのが不思議です。中心はバビロン捕囚。舞台は今のイラク。バビロンに強制移住させられた古代のユダヤ人に自分たちを重ねあわせます。悪の集まる場所であるバビロニア(→ジャマイカ)を抜け出し、約束の地ザイオン(→エチオピア)を目指す。刃物を身体に当ててはいけないので、頭髪は自然にドレッドになります。それと聖なる草マリファナですな。アムステルダムの「コーヒー屋」で吸うのでは、聖なる草にはなりますまい。ある年とても暑い夏があったのでこんなんなっちゃったという、のったらだらだらというリズムで平和な夢を見るものでしょう。Bob Marley「SURVIVAL」(1979年)1. So Much Trouble in the World2. Zimbabwe3. Top Rankin’4. Babylon System5. Survival6. Africa Unite7. One Drop8. Ride Natty Ride9. Ambush in the Night10. Wake up and Live
2003.11.22
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【追記】 スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』。 スピルバーグ君あたりとは全然格が違う戦争映画でしたな。 あの映画のラストシーンが、私が持っているミッキー君のイメージなのです。----------------------------------------------------------ミッキー・マウスの誕生日に本館で書いておいたものです。楽天広場にアップしようとしてすっかり忘れておりました。実にまぬけです。11月18日、ミッキー・マウス君、おめでとうさんでした。そうか、彼もいい男が多いという蠍座だったのですね。Yahoo!オークションには「アラート」という機能があって、自分で設定した語句を含んだ出品があると知らせてくれる。私の場合はこんな言葉を設定してある。 ホン・ヨンウン 中山ラビ まんがNo.1 ソングライター・ルネッサンス フォークリポート 岩井宏 五つの赤い風船 桜三月散歩道 樹村みのり 深夜放送 水牛楽団 六文銭 いずれもある狙いがあっての設定だが、時々妙なものがひっかかる。検索語を狙って、やたらに関係ない言葉を詰め込んだ出品者もいて、これはかなり不愉快。ま、楽天広場にもありますな、タイトルと内容が関係ない人 > オレだ、オレ。今日は、コンサートのチケットがひっかかりました。500円は安いなあと思ったら、これは予約番号譲渡金。なるほどなあ、チケット取れないんだろうなあ。と思って検索したら、簡単にチケット買えてしまいました。Yahoo!オークションで入札できる人なら、絶対に予約できるチケットでした。手数料500円……ひどい出品者だなあ。おお、「システム利用料3%負担願います」だって。ずいぶんひさしぶりのコンサート。これを励みにお仕事がんばろう。さて、今日(11/18)はミッキーマウスの誕生日なんだそうです。1928年、『蒸気船ウィリー』が公開された日という話です。おめでとう、ミッキー!それで、以前日録にミッキー・マウスのことを書いたのを思い出しました。本人が忘れてるんだから、ほとんどのお客さんは忘れてると思いますので、自家引用します。いわゆる蔵だし。2003年1月19日付日録の後半、[Oswald Rabbit]です。あれ?Mickey Mouseじゃないの?夜中に朝日新聞のサイトasahi.comで読んだ記事がなくなってる。なんだろうな。こういうのは訂正記事とか出ないのかしら。アメリカで著作権延長法を憲法違反だと訴訟を起こした人がいて、その判決が出たという記事です。「ディズニーとアメリカが勝った」という、明らかに敗れた原告側べったりの記事だったんじゃが。英語を日本語訳した関連記事もなくなってる。もしかして、まだ判決出てない?関連記事の方には「ノートルダムのせむしおとこ」なんて言葉があって、朝日新聞も大胆だなあと思ったのですよ。盗作『ライオン・キング』とまで行かなくても、ディズニーの長編アニメは意外にオリジナル・ストーリーが少ない。ただし、ディズニーはたとえば『ノートルダムの鐘』原作者ユーゴーに使用料を払ってはいない。著作権者がいないからだ。あれ、いないんだろうか?いないんです、法律で著作権者の死後何年と決められているから。今は何年ということになってるの?アメリカでは制作後75年だったものが、95年に延長されたそうです。これはミッキー・マウスの著作権が2003年に切れてしまうのを、ディズニーがメジャー映画会社と結託してあと20年延長させたものです。金の成る木ですから、そうそう簡単には手放せないということね。こういう期限延長は、アメリカではこの40年間に11回も行っているのだそうな。先人の知的財産を駆使して作ったものを、自分だけ契約処理して抜け駆けしたビル・ゲイツ君の手法とよく似ています。ずるずるとどこまでもどんどんイっちゃうという見本みたいなもの。天下の悪税・消費税と同じで、いったん味をしめると際限がありません。ところでミッキー・マウス君なんですが、中学高校の英語教材なんかで誕生伝説を読まされたことがありませんか。教科書にも載っちゃったりするような、ああいう英語教材ってどうしてあんなにウソが多いんでしょう。ミッキー・マウスに関して言えば、あれはウォルト・ディズニー氏が自分自身から盗用したデザインらしいです。ネタ元はオズワルド・ザ・ラッキー・ラビット。下の絵をご覧ください。初期のミッキー・マウスとほぼ同じキャラクターですね。ウォルト・ディズニー氏はミッキー・マウス誕生前年の1927年にこのオズワルド・ザ・ラッキー・ラビットを創造しました。ところが契約でハメられて、このキャラクターを映画会社に取られたのだそうです。おまけにスタッフまで引き抜かれて。そこで残ったスタッフと二人でオズワルドからでっちあげたキャラクターがミッキー・マウス。最初の失敗に懲りて、後はビル・ゲイツのアニキ分といったような進撃を続けることになるわけです。Oswald The Lucky Rabbit
2003.11.21
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僕はヒットメーカー中島みゆきさんが歌う近頃の曲より、初期の小体(こてい)な曲の方が好きだ。「ほうせんか」は78年シングル「おもいで河」のB面。STVディレクター竹田氏への追悼曲だという。 ♪ほうせんか 私の心 ♪砕けて 砕けて 紅くなれ ♪ほうせんか 空まであがれ ♪あの人に しがみつけ事情により今夜はタイトルとまったく関係なく、本館より蔵出し。本館の日録を読んだ方が、「サト」の写真を見せてくださった。僕は彼女の写真など一枚も持っていない。はっきりとは見えない画像なのだが、それは紛れもなく、まさに僕が思い出して書いた時期の「サト」だった。二十年以上隔たっているというのに、突然時間に復讐されたような気がした。ひとつの家に同じレコードが2枚あるという状態。確かに二人でそれを見たのだが、どんなアルバムだったのかまったく覚えていない。画像は1978年の大学ですが、回想の内容は1982年のことです。【2003年3月20日付日録より-------------------------------「ETV特集 死霊」の最終回を観る。埴谷雄高氏の撮影した井の頭公園の写真が映っている。平日の静かな公園が好きだった。中川五郎さんも近くに住んでたな。高田渡さんはいまも「いせや」に通っているのかしら。知久寿焼クンもよく出没してたぞ。釈迦と大雄の論争は魅力的。科学は量だが、文学には量なんて関係ない。埴谷さんの言葉に力がこもっている。ここ4回ほど私小説のように回想を語ってみましたが、今回で終了します。あまり説明的ではブンガクにならないねえ。ウェブの文体だと一つの文を短くしないと読みにくいのも、大きな制限だ。しかし、なんといっても納得のいくように書けないのが大きな理由。書かれていることはどれも事実なのだが、もっといろんなことがあり、いろんな気持ちがあったのを書けないのがもどかしい。ここに書いたようなことを他人様に語るのは、初めてのことであります。忘れていたことをいろいろ思い出したし、思い出したくないことを表に出して対象化することができました。ご希望があれば再開するかもしれません。もちろん登場した人物はどれも仮名でした。(京くん・海ちゃん兄妹を除いて。)サトと夜道を歩きながら、話はあまりしなかった。手も握らなかった。一緒にゆっくりと歩くのが楽しかった。一日の仕事が終わり、本郷から坂を下って後楽園の裏を通り、編集部に着く。約束したわけではないけれど、そこにはやはり一日の授業を終えて早稲田から地下鉄に乗ってサトが来ている。一緒に何か食べようよとあてのない時間をすごす。何時間でも歩いていたかった。サトもそう感じているのがわかった。そうしようと思えば手をつないで歩くことぐらいはできたのだが、お互いにその先にあるものがやや面倒でもあった。そうなれば別れがそれほど遠いことではなくなるような気がした。千秋が僕たちを評して「ニューファミリーになれるよ」と言った。嫌みで言ったのではなかった。既に革命を目指す決意をしていた千秋の、市民生活への訣別の辞でもあったのだろう。でも、それは違うんだと僕は思った。サトと僕の未来がニューファミリーなんかであるはずはなかった。雑誌の執筆者である田中夫妻がしばらく留守をするので、飼い猫の世話をかねてサトが留守番で泊まることになった。人が集まることの多かった家で、僕も何度か行ったことがあった。酒を飲んで意識を失ったのも、この家である。「じゃあ、お酒でも買って泊まりに行くよ。」言ってしまってから、僕はその言葉が意味することに気づいた。サトは少し間をおいてから、「うん」と頷いた。当日、僕は民芸品風の容器に入った焼酎を買っていった。湯割りにして飲んだ。何を食べたのだろうか、覚えていない。田中家に同じレコードが2枚あるのをサトが見つけて、不思議がる。一緒に暮らすというのはそういうことなんだ。サトにはそれがわからない。別々だった二つの暮らしが、一つの場所に収まる。物はそんなふうに収まった場所が見える。心の方はそうはならない。僕にはそれがわからない。幸恵から電話がかかった。高校生のころから編集部に出入りしていた子だ。その時には専門学校に通っていたのだろうか。すごい剣幕だ。どうして二人だけでいるのかと責める。怒って怒鳴り散らしている。そんなのは許せない、邪魔してやると言っている。サトは初めてなんだぞと、要らぬことまでわめく。幸恵は僕のことが好きなのだと、サトが冷静に言う。ここまで乗り込んでくるほどの度胸はないようだ。電話が切れた後、僕たちは何もなかったかのようにゆったりとした時間を過ごした。僕は少しびくびくしていた。1978年12月 早稲田大学第1学生会館入り口
2003.11.20
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amazonから注文しておいたCDが届き、今日はこればかり聴いている。国内盤は2,667+悪税で、しかもCCCD。これはどうしたって輸入盤だろ。US盤1,680+悪税。もちろん「Let It Be Naked」です。[Naked]とはよく付けたものだというタイトル。まさにnakedな雰囲気で、あたりまえのことなのですが、ビートルズってバンドだったんだよなあと感じることができます。私はビートルズ世代ではないので、なんとか映画『レット・イット・ビー』(1970年)の公開時に中学校の同級生たちとやっと滑り込んだという感じ。併映の『ウッドストック』の方がずっと面白かったというのは以前書きましたね。「ビートルズのレコーディングって、こんなふうにやってるんだ、へぇ~」と思いましたが、「へぇ~」止まりでした。この映画『レット・イット・ビー』のビデオは、今廃盤(絶版?)状態なんですよね。ずっと以前にテレビで放映したのを録画したビデオと、LD→DVDの海賊盤を持っていますが、早く公式DVDが出てほしいものです。元々アルバムよりも映画の音の方が評判良かったですな。中学生だったので、LPを買える者はあまりいませんでした。同級生の中ではミヤやんがLPを買ったというので、ヒーローとなりました。ところが、彼はみんなの前であのサビを「えるっぴぃ~、えるっぴぃ~」と歌ってしまい、ヒーローでいることができたのは一瞬でした。私の場合はシングル盤を買いました。B面が「You Know My Name」。どっかいっちゃいました。惜しまれます。思えばあのころはLPを買うと、ライナーノーツも隅から隅までしっかり読んだものだった。そこに書いてあるちょっとした語句が頭に刻み込まれてしまう。「……単なるラブソングを超えて……」こんなことが書いてあると、「単なるラブソング」なんてどうしようもないものだという価値観を素直に吸収してしまうわけです。私は「単なるラブソング」こそが大切なのだと、今は考えておりますよ。「ホセ・フェリシアーノのギターはコピーできるが、長谷川きよしのギターはコピーできない」こんな言葉を覚えています。それだけ魂がこもってるぞと言いたいのでしょうが、これではやはり贔屓の引き倒しでしょう。この言い回しはそっくりなのを見たことがあるので、どこかに元ネタがあったのだと想像できます。「スティーブン・スティルスのギターはコピーできるが、ニール・ヤングのギターはコピーできない」多少言葉遣いは違いますが、同じ文脈です。もっとも、これは両方とも当時の『ヤングギター』あたりで、同じ人が書いた文章かもしれません。同じネタで商売しましたね。だから今はあんまりCDの解説を読んだりはしません。どれだけいいかげんに書いているかがわかったから。でも、中学生高校生諸君は一所懸命に読んでしまうのかなあ。ビートルズに話を戻すと、書店に行ってびっくりしました。「Naked」販売戦略すごいですなあ。雑誌でガンガン特集やってる。今の若者がわざわざ買う必要もないと思うんですが、ま、いいか。旧「幻泉館ホームページ」の記事を発見したので、他人様の翻訳のチェックのことを思い出しました。あんまりな誤訳に腹を立ててサイトに書き殴ったのは、ソニー・マガジンズから出ていた『メイキング・オブ・ブレードランナー』(品川四郎監訳)のことでした。笑ってしまうぐらい御粗末な翻訳で、原著を見なくても何をどう間違えたのか想像できてしまうひどいもの。googleで検索すると、まだ私の名前がヒットするようです。今は入手不可のようだし、原著を入手していないので、これはもういいです。チョムスキーの『9.11』はとても大事だと思うのですが、やっぱりそんなことやってるヒマがない。ビートルズでも一つ気になっているのがあるんですよ。リットーミュージックから出ている『THE BEATLES アンソロジー』。不良在庫みたいなので安くなってるのを買ったんですよ。なんだかえげつない販売法で売りまくったやつ。原著が安かったのでそちらも買いました。並べてみると、どうも誤訳疑惑がバシバシ。単純な間違いというよりも、レイアウト優先のためにだいぶ情報をカットしたのではないかという疑惑を持ちました。ぱっと見て同じページに同じ図版と、文字情報。それは無理でしょ。まともに翻訳したら、日本語の方が分量が増えるはずです。目立たないコラムは削ってあったような気がする。これをチェックしたいのだが、なにぶん量が多すぎて、よほどの暇人でないと調べ切れない。翻訳者の名前を出していないのも卑怯な気がするぞ。本の内容からいっても、分量からいっても、比べる読者なんていないだろうから、半ば確信犯的に手を抜いていないか?あ、もちろんCDやビデオの方の『アンソロジー』は買ってないです。
2003.11.19
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【さらに追記】チョムスキー『9.11』日本語版のトンデモ誤訳について。実は聖書学者田川建三さんのサイトに『9.11』の誤訳をまとめるというようなことが書いてあったので、それなら待てばいいやと思っていたのです。http://www6.ocn.ne.jp/~tagawakn/index.htmlところが忙しい方なので、なかなか手が回らないようなんですね。誤訳の指摘なんて作業は、実にばかばかしいことですし。googleで検索してみると、さすがにこの本の誤訳は気になる人が多いようで、こんなサイトもありました。http://plaza11.mbn.or.jp/~subarugaikokugo/inada.html大学院入試対策のゼミをやってる方ですね。こういうわけのわからん日本語が出てきたら、誤訳だそうです。 > 人材をひっぱる溜め池」 >「皇帝国家」 >「米国の夜の投下」 >「ぎりぎり必要な食糧のお預け期間」 >「この静かな皆殺しに、やさしくなってもらいたい」 >「同伴者の被害」ね、やっぱり読む気がしなくなってきたでしょ?翻訳には誤訳が付き物です。私は極めて温厚な性格なので(ホントよ!)、普通はたかが誤訳ごときに腹を立てたりいたしません。が、それにも限度があります。特にチョムスキーの『9.11』は広く読まれるべき本だと思うので、実にヤバイ翻訳だと思います。もしかして反戦平和勢力を嫌う文藝春秋社が、チョムスキーを貶めるためにわざとトンデモ訳の本を出版した……なんてね。【追記】どこかに消えてしまったと思っていたファイルを見つけた。1997年の「幻泉館ホームページ」。それももうダイジェストしか残ってないんですけどね。当時は「書評ページ」だった!あんまりなクソ本を買って、腹を立ててます。「メイキング・オブ・ブレードランナー」という本です。本来なら原著と突き合わせて誤訳のチェックをしたいところだったが、まだamazonが利用できなかったのだ。本当は今、ノーム・チョムスキー『9.11』(Noam Chomsky "9-11")の翻訳があまりにひどいので、そのチェックをしたいところだ。山崎淳さんという方の訳である。ただ、時間が足りない。誰かきちっと突き合わせてみてくれないだろうか。[November 5, 1997]「監訳者・品川四郎さん,この本はもう読みましたか?」深夜の密室芸人タモリさんがフジテレビのお昼の番組の司会をすると聞いた時はびっくりした。似た驚きを感じたのが、『バイトくん』の「いしいひさいち」さんが朝日新聞の4コマ漫画を担当すると聞いた時。さすがにどちらも毒は薄まるわなあ。阪神淡路大震災のときに「いしい被災地」と書いたり、オウムの「石井久子」と名前がよく似ていることをネタにしたり、これは表の芸ではありませんわね。今の人に「いしいひさいち」が登場した時のインパクトはわからないかもしれません。何かというと、それまでの4コマ漫画は、あまりおもしろくないものだったのです。『サザエさん』とかあるじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、『サザエさん』には、意外にステロタイプの笑いが多いのです。いわゆる月並み。『がんばれ!! タブチくん!!』が「いしいひさいち」さん全国区ブレイクのきっかけです。明らかに田淵幸一選手をモデルとしたマンガであんなふうにおちょっくていいのかしら。ちょっと不安に思いながらも大いに笑わせてもらいました。izumatsu君がアクションの増刊号かなんかを買っていたのを覚えています。私はあれ、買いそびれたんですよ。作品としては、『バイトくん』の方が好きでした。関西のことはよくわからないんですが、関西大学在学中から「日刊アルバイト情報」に『Oh! バイトくん』を連載していて、それが単行本にまとめられたのがデビュー作。「タブチくん」はその中に登場したキャラクターで、とても人気が出たので独立したマンガが始まったとか。極端に誇張してあるのですが、バイト君の生活はなんだかとても近しいものでした。私自身でんぷん体質で、なんとなく形がバイトくん。何をやっても中途半端なあの仲間たちの中に自分もいるような気がしました。バイトくんは永遠の四畳半に暮らす、永遠の大学生。実は私もいい歳してまだそんな気分でいたりします。ところで仲野荘に暮らす東淀川区貧民共闘の面々はうやけにリアリティがあるので、これは作者の学生時代がモデルなんだろうなと漠然と思っていました。さきほど何気なくgoogleしてみて驚きました。やっぱり実在していたアパートなんですね。実際に大阪市東淀川区下新庄にあったというところがすごいです。いしいひさいちFC“仲野荘”【追記】 すごいサイトです。↑ 「いしいひさいち」さんの顔がやっとわかりました。お察しのよろしい方はお気づきと思いますが、「いしいひさいち」さんのマンガをひさしぶりに購入したのです。新刊が出ると何も考えずに反射的に買ってしまう作家、その一人なんです。だから時々amazonで「いしいひさいち」と検索します。今日届いたのは『眼前の敵』河出書房新社 新書判 680円+悪税『いしいひさいち選集 37 蜜月マーヤの暴言』 双葉社 新書判 429円+悪税『がんばれ!! タブチくん!! 阪神死闘篇』 双葉社 文庫判 571円+悪税『大統領の陰謀』双葉社 文庫判 571円+悪税下の2冊は双葉文庫の「ひさいち文庫」です。「ひさいち文庫」とは、すごい文庫名ですな。文庫だけあって、解説が付いてます。『タブチくん』の方が有栖川有栖さん、『大統領』の方が呉智英さんです。これはいいですね。呉智英さんの解説では、「いしいひさいち」さんが『COM』に投稿していたとありますが、これは初耳です。最初の2冊のはずなのに、「い 17-03」「い 17-04」なのはなぜ?双葉文庫に入っているなにかが「い 17-01」「い 17-02」なんでしょうが、双葉文庫には『地底人の逆襲』『B型平次捕物帖』『ノンキャリウーマン (1)』『ノンキャリウーマン (2)』『新ノンキャリウーマン―ちょっとのんびり、三宅さん』と、確実に5冊以上は入っているのです。なぜだ?どれも持っているはずなのですが、埋もれていて確かめようがありません。ところで、この三宅さんというのはバイトくんの彼女と同じキャラクターです。双葉社の新書判は「ドーナッツブックス」。これは長いですねえ。もう終わったかと思ったら、忘れたころにまた出る。全巻揃ってるはずなんだけど、これもまた確かめようがありません。情けないっす。
2003.11.18
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日曜日。ひさびさによく晴れてくれて、洗濯物がさっぱりする。これは素敵な夕陽日和、と思っていたのだが、ちょっと風が強すぎた。先日ヤフオクで入手した300mmの望遠レンズを試したかったのだが、持って行った三脚がカメラバッグに収まる小さなものだったので、ちゃんと固定できないのだ。風でガタガタ揺れてしまう。しかたがないので300mmは1枚だけ。これがうちでのFA☆300mmのデビューとなった。かなり小さくリサイズしましたが、トリミングはしてません。[PENTAX *ist D]+[FA☆300mmF4.5ED]もう少し大きいものや他の写真は夕陽が好き![I Love Sunset!]にアップしました。夕陽行の伴は五つの赤い風船の「遠い空の彼方に」。「西岡たかし・五つの赤い風船 CD-BOX」からの1枚が車のCDドライブに突っ込んであって、それを聴きながら浜へ行き来した。この録音はたぶんURCの第一回配付アルバム『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)からのものだろう。ギターがまだ中川砂人(イサト)さんの時。これがデビューとは信じられないほど、楽曲の完成度が高い。デザイナー西岡たかしが、しっかりとしたコンテを作っていたのである。最初に潮騒がコラージュされている。そしてヴィブラフォーンのイントロ。五つの赤い風船のアレンジでは、ヴィブラフォーンで海を表現することが多い。「遠い空の彼方に」は「空」の歌のはずなのだが、海と空が分かちがたく結びついている。やはり絵画的だなあと思う。 ♪ 遠い空の彼方に 小さく青い島がうかぶ ♪ 私はいつも島をながめ この浜辺で夢を見る「みんなと暮らし」、「小さなしあわせ」を夢見るのだが、突然夢の中に戦争が現われる。「遠い空の彼方に」は戦争があるのだ。この曲は「まぼろしの翼と共に」や「血まみれの鳩」と共に、風船らしい静かな反戦歌である。いわゆるプロテストソングではないが、メッセージははっきりとしていて力強い。「血まみれの鳩」はケネディ暗殺を契機に、代表曲「遠い世界に」は政界の黒い霧事件をきっかけに作ったのだそうな。 ♪ いやな夢… あの国では 戦争が… ♪ 人々が 子供達が 泣き 幸せ どこに あるのだろうフー子さん(藤原秀子さん)の言葉が、レコードのライナーノーツに載っている。 > 西岡さんの曲を初めて聞いた時、何曲か聞いたんですけど、 > これだけは、絶対歌いたいという曲がありました。 > その曲が風船を作ったのと違うかなと思うんです。それが「遠い空の彼方に」である。 ♪ 私はそっと ひざまずき ♪ みんなの幸せ 祈るんだ
2003.11.17
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幻泉館には時々古い写真がアップされますが、高校の卒業写真を除けば、おおむね自分で撮影したものです。当時のフィルムが残っているものは、フィルムスキャナーにかけます。専用スキャナーも持っているのですが、今は普通のスキャナーでもフィルムがスキャンできるようになりました。また、紙焼きでも結構きれいにスキャンできるようになりましたね。撮影に使ったカメラは、「ヤシカ エレクトロ35」という、一世を風靡したカメラです。高校1年生の時(1972年)に買ってもらい、大学を出てしばらくしてから人にあげてしまいました。今で言うコンパクトカメラなのですが、「ロウソク1本の光で写る」というキャッチフレーズで爆発的に売れた高性能EEカメラです。一眼レフでなかったので当時の私は最初やや不満に思ったのですが、実は本当に使いやすい高性能カメラでした。1966年に発売され、1975年に最後のモデルが発売されて、その歴史を終えます。この約十年の間に価格が2万円台から3万円台に変わりますが、物価上昇を考えるとかなり安くなっていったのだと思います。現在のカメラ価格を考えると、高級コンパクトカメラに匹敵する価格でもあります。ずいぶん贅沢なものを買ってもらっていたのだなあ。父さん、母さん、その節はありがとうございました。googleで検索してみると、かつてのベストセラー機だけあって、いろいろなサイトでその姿を見ることができます。YASHICA ELECTRO INVESTIGATION魅惑のエレクトロルームクラカメ堂これで見ると付いていたレンズは「45mm F1.7」意外に明るいレンズです。そして、しっかり三脚で固定していれば、確かにロウソク1本の明りで撮影できたのです。今はちょっとしたデジカメではCCDの性能がものすごいですから、それほど驚くほどのことでもありませんが、当時手軽にこんなことができたのは、驚くべきことなのです。『サインはV』というテレビドラマがありましたね。実在の実業団バレーボール・チームを連想させるようなチーム名でした。[実在チーム]→[ドラマのチーム] 日立武蔵 → 立木大和 ニチボー貝塚→ レインボー ヤシカ → ミカサ光学バレーボールのことはよく知らないのですが、ヤシカは強豪チームだったのですね。ちなみに主人公の朝丘ユミ(岡田可愛)やジュン・サンダース(苑文雀)が所属しているのが、立木大和。椿麻里(中山麻里)が移籍するライバルチームがレインボー。「ミカサ」は大本竜子の殺人アタックが必殺技で出てたライバルチームです。今はヤシカというメーカーはありません。京セラと合併して、CONTAXブランドの製品を作っています。私は一眼レフはPENTAXを使っていますが、コンパクトカメラは現在銀塩&デジタルどちらもCONTAXを使っております。こちらの腕をはるかに凌ぐ写真を生み出してくれる良いカメラです。画像は「80年安保」。1980年6月15日、日比谷野外音楽堂で開かれた集会と、その後のデモで撮った写真です。もちろんエレクトロ35。本当は一緒に行った仲間達の写真がおもしろいのですが、顔が写っているので公開できません。周囲から顰蹙を買いそうな、実に不真面目そうな面々でありました。コンサートのつもりで集会に出かけていたのですから。この時は水玉消防団やZELDAが出ていたんだったかな。こりゃわかりませんわ。
2003.11.16
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^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^【追記】 今「h・kitchen」さんのところで得た情報。 今夜NHK総合で00:50am~ クレイジーケンバンドのコンサート録画放映です。 渋谷公会堂。 ちょうど楽天広場のメンテですな。 夜の寂しさが紛れるかしら。 2:21am~はデュランデュランの武道館だそうな。 幻泉館本館はずっと開いております~。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^あら、また寝コケてしまいました。はっと目を覚ますと、午前2時ですの。起きてくれないかなあと、ヒナが周りをウロウロしてました。日ごろわがまま娘のくせに、眠ってる人には気をつかうのです。昨夜はまゆぞう&あやりん(共に仮名♀十代)のギター練習日。これは、今私が一番心安らぐ時間かもしれない。どうしてなのかと思ったら、アレなのかな。以前書いた幻のフォークソング同好会。10月26日付日録今更これをやっているつもりなのかもしれない。ン十年前の復讐なのか、私もかなりしつこいね。天気が悪くてずっと夕陽を見ることができなかったのだけれど、ひさびさに夕焼けが見えました。ただ、忙しくて空の広いところまで出かけることができませんでした。事務所の近くでなんとか数枚。ちょこっとだけ夕焼け画像を更新しております。夕陽が好き![I Love Sunset!] ああ、日曜日、晴れるといいな。日照りの道をさまよう若者が、お百姓さんのために雨がふってくれたらいいなと祈るのは……あれは『フーテン』の中のエピソードだったろうか。こんなふうに、幼いころに読んだマンガの言葉なんかがふと浮かんでくることがある。結局虫プロの月刊誌「COM」で私がいちばん影響を受けたマンガはこの『フーテン』なのかもしれない。どういうわけか私の場合は絶対に薬物をやろうとは思わないのだが、あの白タマ(ハイミナール)でラリったおかしな連中の話が好きだった。シロウトの想像なのだが、あれは理性の蓋を外したり、潜在意識を解放したりするだけなので、元々そのような平和願望を持っているのでなければ、そんな人類平和を希求する夢や幻を見ることはないのではなかろうか。あの時代の若者だから悟りをひらいた気になれるのであって、ひたすら自己愛に向かってリストカットに励むような今の若者たち、「他者性への眼差しや意識が希薄化」している若者たちがいくらラリったとしても、けっして見えない夢なのではないかと思う。自分の身の丈を越えて飛ぶことなどできなかろう。「電脳・風月堂」は数年前にみつけたサイトだが、実に元気。60年代新宿「風月堂」の姿を伝えてくれています。電脳・風月堂そういえば中学生の時に買った妙なマグカップがうちにあります。かなり大きなカップで、まだ都電が走っていたころの新宿のイラストマップが描いてあるのです。新宿に憧れていたんだね。コートさんのキャラクターが小学生の私のお気に入りだったのですが、このごろは彼のような眼鏡をかけています。色付きジョン・レノン丸メガネね。実際は、60年代の『フーテン』よりも、70年代の『若者たち』の方が、私の生活には近いものとなりました。時代が違うんだからあたりまえだわな。『フーテン』はダンさん自身の物語ですが、『若者たち』は永島慎二さんのアシスタントをしていた村岡栄一さんが主人公のモデルです。喫茶店「ぽえむ」が出てきます。吉祥寺の南口に「ぽえむ」ができた時にはよく行きました。この『若者たち』はNHKの銀河ドラマになりました。「黄色い涙」というタイトルだったと思います。脚本家市川森一さんの名前はこのドラマで覚えました。主題歌は小椋佳さん。佐藤春夫さんの詩に曲を付けた「海辺の恋」がとても良かったです。 ♪ こぼれ松葉をかきあつめ ♪ をとめのごとき君なりき ♪ こぼれ松葉に火をはなち ♪ わらべのごときわれなりき出演は、森本レオさん、下条アトムさん、岸部シローさんなど。彼らが若者だったころ。私は高校生でした。たぶん受験生だったのだと思います。なぜか昼間の再放送を見ていた覚えがありますから。少女マンガ雑誌でモデルなどをしていた保倉幸恵さんが女優になって出演していました。あの痛快はちゃめちゃドラマ「天下御免」(1971年)に星娘という役で出演していて、その不思議な役の似合う人でした。平賀源内(山口崇)が主人公のこのドラマも大好きでしたね。小野寺右京之介(林隆三)、稲葉小僧(津坂匡章)、紅(中野良子)、田沼意次(仲谷昇)、杉田玄白(坂本九)などという配役です。保倉幸恵さんが自殺をしたという小さな新聞記事をみかけた時はショックでした。1975年のことです。
2003.11.15
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深夜放送の中島みゆきファンは多かったと思う。歌とのギャップがおもしろかった。「あくしゅ券」と聞くたびにどんなものか不思議に思っていました。半年ほど前、ヤフオクに出ていました。100円から入札スタートで、29入札。落札価格は34,500-でした。そう、3万4千5百円!驚きました。私は画像だけ拾っておきました。こういうものだったんですね、「あくしゅ券」。ちゃんとナンバーがふってあります。夜明け前の吉野家で、ひとりぼっちの青年がやりきれない思いのぶつけどころもなく夢見る「狼」とは何なのか?避暑地で顰蹙を買うはすっぱな「あたい」を見守るのと同様、中島みゆきが狼予備軍に注ぐ視線は意外に温かい。救いようのない暗さと評された70年代末の中島みゆきだが、実は他者に対しては優しく温かい歌が多い。人生の応援歌なんです。ユーミンに比べてみゆきさんはコアなファンが多かったと思う。だから、いわゆるみゆき本が多い。語りたくなるのだろう。で、たいていはクソ本です。唯一、天澤退二郎さんの本だけが、良かった。『中島みゆきを求めて』。尾崎翠全集を出している創樹社から80年代前半に出た本なんですが、今は河出文庫に入ってます。今とは違う独特の世界を作り出していた中島みゆきさんに論客天沢退二郎がメロメロになっている様子が正直に書いてあって、実に微笑ましいです。超ロングセラーとなった中島みゆき「地上の星」はわからんでもない。だけど、これをカラオケで歌って目をうるうるさせるオジさん&オジイさんは、やっぱダメだ。本当にごくわずかしか残っていないナケナシの元気を搾り出すような、殺人ソングではないかしら。そこで元気出したら、もう死んじゃうのに~、みたいな。あ、「腹上死ソング」?あの紅白歌合戦の黒部中継、見ました、見ました。すごかったですねえ、あの中継。歌唱中継としては最悪の場所ですよ、あんなトンネル。最初に少しハウリング出しただけで、後は全然なかったですよね。あれ、どうやって吸音してるの?ホント、すごいよね。歌詞間違えたらあわててテロップ消すのも、局舎の方でがんばってるオジさんを想像させました。(本当はオバさんやお姉さんかもしれないのに)もう現場は「プロジェクトX」の主人公になり切ってますね、絶対。仕事を終えてから、職場で「山月記」を読む。短編なのですぐ読める。本当は音読した方が良い作品なのだが、恥ずかしいのでMDを聴きながら黙読。胸に染みました。俺は詩人になるはずだった。最後に吠える声は、獣の咆哮でしかない。中島敦という作家は、最初に高校教科書に採用された時には、無名だったそうです。第二次大戦後おびただしい数の小説が教科書に採用されながらも、すぐに消えてしまい、いつしか定番ともいえる作品が決まっていきました。たとえば夏目漱石「こころ」、森鴎外「舞姫」。その「こころ」や「舞姫」よりも採用頻度が高いのが、中島敦「山月記」なのだそうです。国語教師に人気のある作品なのでしょう。気持ちはわかります。ちょいとamazonで検索してみると、各文庫で出てますね。普通は「李陵」「山月記」は入っているので、他に何が入っているか、解説は誰なのかが選ぶポイントかな。カバーのデザインなんかも重要……か?最近中年男が女子高生に変身するマンガ(江口寿史)を読みましたが、変身譚というのはなぜこうも人の心を惹くのだろう。コメディでも悲しいのな。時間に関する感覚が世間と隔絶している場合は、これも変身みたいなものです。北村薫さんの『スキップ』なんてのはそうだよね。ある朝目が覚めると、女子高生がオバサンになっている。これは実に悲劇ですが、そこをなんとか心暖まる物語にしてしまうのが、作者の力。お、そういえばこの人、国語の先生でしたね。
2003.11.14
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【追記】-------------------------------------------------私がナマのディランを見ることができたのは、東京国際フォーラムの柿落とし。1997年になってからのことです。泣き虫なんで、コンサートの途中から泣いちゃいました。『欲望(DESIRE)』でディランは終わったと思っていたのに。ぐーぐるしてみたら、同じコンサートに行った方の感想がありました。1997年2月9日(日) Bob Dylan / 東京国際フォーラム【さらに追記】 ぐっすり寝たので元気です。 皆様方、お見舞いのお言葉&御叱責ありがとうございました。---------------------------------------------------------『ハリーとトント』の主役を演じていた方が亡くなったそうだ。アート・カーニーさん、享年85。体を冷やしてしまったらしく、頭がガンガンする。またまた本館より蔵だしで失礼。10月28日の日録に書いたのと同じ1978年制作の「ルポルタージュにっぽん」を見た時のもの。似たような番組なのだが、レポーターの差が出てしまい、番組の質はだいぶ違います。レポーターだけの責任じゃないわな。社会現象として扱ったつもりなんだろうが、実に中途半端。もちろん、まるっきり音楽番組ではない。当時の風景がとても懐かしい、それだけの番組になってしまっています。[2003年5月12日付日録より][ボブ・ディランがやって来た]NHKアーカイブスはルポルタージュにっぽん。『ボブ・ディランがやって来た』1978(昭和53年)4月15日放送分。時々見える東京の風景が懐かしいです。そう、私の拉致前画像のころです。たぶんテレビを持っていなかったので、こんな番組見ていません。しかし、NHKのセンスのなさがひどい。ディランの音楽に関してはかなり見当はずれ。加賀美アナが「風に吹かれて」の訳詞を朗読。本当にヘン。しかしまあ、もったいない番組だなあ。村上龍のいいかげんなインタビューなんだけど、これだけ様々な人が出てくるんだから、たっぷり濃い内容の2時間番組が作れただろうに。NHKは経費ふんだんに使えるからなあ。元はみんな皆様の聴取料。ディランは1978年2月羽田空港に来日。そう、成田空港開港直前。もっとも、3/26の開港は阻止されたんだがね、ふふ。ディラン来日時、共同記者会見の質問、最低。ディラン、よく怒らないものだ。当時のディランは36歳?オトナですな。質問「かつてはですね、反戦歌、いわゆるプロテスト・ソングをですね、主に歌われてたと思うんですが、愛をテーマにされた心境の変化とはどういうことなんですか?」(Dylan:They are my most beautiful love songs.)通訳「プロテストの曲が自分が一番素晴らしい愛の歌だと思っています。」リポーター:村上龍(26)中山ラビ……おお、ラビさん! 若い!(失礼)「私、大真面目に音楽やってると思って惚れ直しましたけどね。」児島鉄平(23)……誰?「とにかく素敵だった、でも、それ以上は言いたくない。」泉谷しげる(29)…テロップ「"ディランの子"と呼ばれる」嘘だ。「わかんねえんだよ、とにかく。どれ聴いても、グニャグニャグニャグニャ歌っててね。もう、鼻水垂らしたような歌、歌ってるでしょ。『なんでこんなのが良いの?』って言ったわけ、俺は。」岡本おさみ(36)……この人の感想は実に正確。「一部の休憩があった時に、なんかそういう風に、向こうはすごく若返って……若返ろうとしてる感じを受けたのね。それで、でもお客さんはなんかちっとも若返ってないっていう。」高橋三千綱(29)……村上龍と高橋三千綱ではディランを語れないだろ。「ボブ・ディランってね、あんまり。聴いたけどね、今なんか反戦なんて言われてるみたいじゃない。昔言われてたの、そういう風にして聴いてたっていう記憶がないね。」沢田研二(30)……バリバリにジュリーだったころ。「一部はちょっと眠かったけど、二部は知ってる曲なんかも3曲ぐらいあって、結構観てよかったなと思いました。清水哲男(40)……詩人なんだけど、FMの朝番組やってましたね。「プロテストはプロテストなんだけれども、誰でもが、どんな立場からでも、"Yes"と言える、賛成できる歌なわけ。」牛次郎(37)……おお、『包丁人味平』「ボブ・ディランはどうやって終わってくれるのかと。終わりに興味があるね。」実際は、ちょうどボブ・ディランが終わったところだったと思います。立木義治(40)……紀信の前にメジャーのトップだった人。「早い時間にバーンと山を散歩なさった方だから、なんかやっぱり非常に傲慢な部分は当然出てくるわけでしょ。その傲慢な部分つーのは、写真屋さんっていうか、その映像の分野の人が1番興味を持つ、まあ小説もおんなじだろうけども、欠陥人間の方がむしろ興味を、我々自身は抱くわけじゃない。」つかこうへい(29)……あら、お若い。「うん、嫌いでもないけどね。喫茶店のね、コーヒー飲んでる時の音楽だったらいいけどね。それ以上にしゃしゃり出られるとさ、おいおいチョット、チョットっていう感じになるけどね。」加藤哲郎(36)……プレイボーイ編集デスク:お下品「そうね、わりとさめる時期でしょ。ディランもさめてる。ディランがもう今ラブを歌った、平和だとか小市民的な歌をものすごく歌ってるわけじゃない。カーター大統領が選挙のコピーに使うぐらいの受け入れられ方っていうのが、キャパが違うわけだよね。」女性:……誰?「今度離婚するんでしょ? 女の人一人幸せにできなくて、世界は変わるとか時代は変わるとか言う資格あるのかなぁ?」資格あるだろ、そりゃ関係ないだろ。高石ともや(37)……福井県納田庄村にて「ボブ・ディランとジョーン・バエズと僕と、同い年だという意識があるわけ。」七字英輔(30)……CM雑誌編集者(今は演劇評論家?)僕等の高校時代っていうのは、ディランはともかくとして、ギンズバーグだとか、クラークだとか、今はディランを持ち上げているナット・ヘントフとか。つまり、教典なわけですよね、我々の。」芥正彦(32)……演劇家「あいつはデモ行かないもの。それだけでも俺は好きだったね。」西岡恭蔵(30)……ゾウさんだ。合掌。「根本的なのがやっぱり、俺達はやっぱり時代とね、対決してる気分だと思うのね。それを感じていたいしね、負けたくないしね。」秋田明大(31)……68年日大全共闘議長村上龍はこの人に会いたかったのだということね。「昔、なんかあることがどっかにあったっていうようなね、で、それはなんか、綺麗に見えるかもしれませんけどね、なんかどろどろした、それは人間の怨念とか何とかいうんじゃなくて、どろどろして、目茶目茶な何か……時代がどっかにあったっていうことじゃないかと思うんですけどね。」
2003.11.13
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【追記】 J-PHONEがVODAPHONEに変わるとか。 関係ないかと思っていたら、既にメールで実害あり。 ぷんすかぷん。来年の手帳はどうしようかと思っていたが、結局ちくまの文庫手帳を買ってくる。取材で動き回っていた時は毎日人に会う約束や制作スケジュールをきちっと書き込む必要があったが、今はまったく必要ない。事務所の机の上のカレンダーで事足りてしまう。新潮社のシンプルな革手帳はかっこいいのだが、なにぶん高すぎる。今度からこの文庫手帳にしよう。amazonの文庫カバーをかけると結構いい感じ。定価580円+悪税総選挙に関してはまだまだいろいろ言いたいことがあるのだが、一昨日分日録で終了します。たくさんの敵を作る可能性のある書き込みでありました。本館で少数のおなじみさん相手にぼやいてる分にはかまわないが、楽天のような不特定多数が覗きにくる大規模システムでは、かなり危険なことです。レスが付けにくいと連絡をいただいたが、さもありなん。代わりにメッセージを数通いただいた。亭屋(あずまや)さんから引用許可願いが来たのには驚いた。引用してくださったのはこの部分。 > 本人は覚えていないのだが、私は小さなころ、 > 「戦争に行くのはいやだ」と言って泣いたのだそうな。同様の体験をなさっているのだそうな。だいたい同世代の方なので、同じ時代の空気を吸っていた。だからにたような経験をなさったようだ。分析にうなずくところが多かった。いまでもなんとなく「戦後二十年」という感覚がある。実は敗戦から六十年近く経っているとはちょっと信じがたい。戦後二十年とは、「戦後は終わった」と宣言された時代。終わったとされながらも、沖縄はまだ米軍の軍政下にあった。二十歳で敗戦を迎えた者が四十歳。自分のことを振り返ってみればよくわかる。私が回想しているのはもっと長い時間を越えたできごとだ。つまり、戦争の記憶は大人にとってまだ生々しかったころだ。「自虐史観」などという言い方で戦後民主主義を否定する者がいるが、実は少年たちが接する大衆文化は、そんなに戦後民主主義的なものばかりではなかった。「忍者部隊 月光」というテレビドラマがあったのを御記憶だろうか。 ♪空を飛び 風を切り♪ ♪進みゆく忍者 正義の味方♪1964年、東京オリンピックの年に放映されたドラマである。テレビでは、悪の組織「マキウラ」を相手に、正義の味方忍者部隊が戦いました。原作は吉田竜夫さんの「少年忍者部隊月光」。はい、竜の子プロの大将です。『週刊少年キング』連載のマンガでした。これが、テレビとは設定がだいぶ違うのです。原作のマンガでは、少年忍者部隊とは、陸軍中野学校で甲賀流及び伊賀流の忍法を会得した少年兵の部隊なのです。よく覚えているシーンとしては、戦艦の艦内で少年忍者たちが海軍の山本五十六長官と食事をするところ。カツを盗んで雑巾を揚げたものとすりかえておいたら、それを自分が食べることになるという悲喜劇的状況。後に今は亡き親父様が「のらくろ」の一巻を買ったので読んでいたら、同じ話が出てきました。なんとまあ、「のらくろ」からパクっていたとは。同じ『少年キング』連載、辻なおきさんの「0戦はやと」。『冒険王』連載、貝塚ひろしさんの「ゼロ戦レッド」。ゼロ戦は少年たちのヒーローを乗せて飛んでいました。『週刊少年マガジン』連載、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」あたりは反戦・厭戦的雰囲気を描いていましたが、今で言う軍事おたくの少年でなくても、戦記ものマンガに熱狂していたのです。亭屋さんのおかげで、こんなことを思い出しました。
2003.11.12
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寝コケてしまいました。せっかくおいでくださってるので、また本館より蔵だしいたします。申し訳ない。最後に出てくる「コーヒーカップ」。僕に何か贈り物をしようとすると、どんな物がいいのかわからなくて困るのだろう。そのころ、僕は女の子からコーヒーカップをもらうことが多かった。贈った本人はもう覚えていないのだろうが、どのカップも壊れずにいるので、僕は遠い日の女の子たちの顔を思い出すことがあるのだ。[2003年3月19日付日録]--------------------------------------[精神のリレー]「ETV特集 死霊」の続きを観る。これを観るのは深夜がいい。アナウンサーは「プロジェクトX」でおなじみの国井雅比古さん。「死霊」の声の方がずっと落ち着いていていい。 埴谷さんは浴衣というより寝間着姿で熱弁をふるっていたが、今回はお洒落をして文壇バーへ。アルコールをあおりながら、精神のリレーということを語る。昔の人の本を読んでわかるということは、その人と友達になれるということ。その友達の精神を次代につないでいく義務が私たちにはあるのだと。 遠い昔に死んでしまった人達とつきあうのは、気持ちのうえでは楽なことだ。もうこの人達は、他人を裏切ったりしないから。生きるということは、変わるということでもある。 僕はとにかく党派が嫌いだった。口だけは革命を目指してセクトのために動くことは、紺のスーツを着てネクタイを絞め企業を回ってペコペコすることと、僕の目には同質に見えた。実際、威勢のいいことを言っていたいっぱしの活動家が、妙にきちんとした身なりをして就職活動に励むなどという変身を見掛けて、欺瞞だと思った。人は変わる。あたりまえのことだ。でも、そんな変わり方は本当にかっこ悪いと思った。80年代に入る前に、新左翼系とされる雑誌がいくつか創刊された。その中に、新左翼の運動と思想に疲れて今で言う「癒し系」に走ったと、世間的に評価されている雑誌があった。千秋がその編集部で仕事をするようになり、僕もそこへ顔を出すようになった。世間の評価とは違い、埴谷さんの言う「社会革命だけではだめだ、存在の革命が必要だ」に近いのではないかと感じた。僕は別の出版社に勤めるようになったが、帰りにはその編集部に寄って、フリースペースでごろごろしていた。 千秋が少しずつ僕から離れていくのは、よくわかった。嘘を積み重ねるのが見えた。きっと彼女は引き止めてほしかったのだろう。でも僕はそんな努力をする気が失せていた。妻子ある男性は千秋ではなく、妻と生まれたばかりの娘の方を選んだ。そんな結果は千秋も知っていたはずだ。 千秋が手首を切った時、僕が呼ばれた理由がわからなかった。 以前はおなじみだった部屋で大量に湯が沸かされ、優しい表情をした人達が集まっていた。そんなことで死ねるわけがないし、今更自分が呼ばれることが不愉快だった。腹立たしく思いながらも、元気のない千秋を見ると涙が出た。その夜、僕を含めたみんなはどうしたのだったろうか。帰ったのか、泊まったのか、まったく覚えていない。ただ黙ってにこにこしてみせていたことだけ覚えている。 僕は毎晩のように誰かと酒を飲んでいたのだが、自分が何をしたのかわからなくなったのは、そのころの一度だけだ。ザ・タイガースの「廃墟の鳩」を歌って、そのまま眠ってしまったそうだ。人は誰も悪いことを覚えすぎたこの世界。 千秋は大学を中退し、それからセクトの活動家になった。ローザ・ルクセンブルクの名を口にするようになり、人民戦線を唱えた。それなら内ゲバはやめろよと、僕は言った。高田馬場の駅前に呼び出され、セクトの活動家を紹介された。千秋はセクトの拠点となっている大学に入りなおし、そこで名を知られるようになった。 千秋が完全に姿を消した後も、僕は仕事帰りに雑誌の編集部に寄った。千秋の友達だったサトと一緒に夜歩くようになった。まだ仏文科の学生で、僕以上に愛想がなかった。誰かが「……に行こうよ」と言うと、「行けば」と答えてしまうような女の子だった。小さくて細いので初対面の人はなめてかかることが多いのだが、そういうやつは決まってサトにひどく不愉快な思いをさせられることになる。 でも、僕と東京の夜空を見上げる時は素直だった。自分の容姿にコンプレックスを持っているようだったが、僕に見せてくれる、はにかんだ笑顔はかわいいと思った。実際は近づきがたいだけで、男の子には人気があった。 サトは一見虚弱体質で食が細そうなのだが、埋め立てられる前の飯田堀にあったステーキハウスで、安いホルモン焼きを食べるのが好きだった。吉祥寺の「のろ」で焼酎を飲んだ。サトとは毎晩静かにデートをしているようなものだった。サトの下宿がある中野のスナックで飲んでいると、ジャクソン・ブラウンがかかった。力のない声がかえって誠実さを感じさせた。西海岸といえばニール・ヤングぐらいしか興味がなかったのだが、いいなと思った。日ごろは冷静なサトが、無邪気に笑って喜んだ。ジャクソン・ブラウンについて、ファンクラブの会報に記事を書くようにサトから頼まれた。サトはファンクラブの会長をしていて、来日時には握手をしたのだと嬉しそうに言った。結局記事は書けなかったのだが、僕はその時よりも今の方がずっとジャクソン・ブラウンが好きだ。サトは自分には大きすぎるからと、弟の古着を僕にくれた。そのダンガリーシャツは、確かに僕にぴったりだった。コーヒーカップと違って、もうそのシャツはない。Jackson Browne(1972)1. Jamaica Say You Will2. Child in These Hills3. Song for Adam4. Doctor My Eyes5. From Silver Lake6. Something Fine7. Under the Falling Sky8. Looking into You9. Rock Me on the Water10. My Opening Farewell
2003.11.11
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今は亡き親父様の祥月命日なので墓参り。墓石に水が流れるのを見ているのは好きだ。【追記】-------------------------------------------------あの単なる石の塊に、やっぱり感情移入できてしまうのが不思議だ。いつか夜中にテレビで見た『イン・カントリー(In Country)』(1989年)という映画で主人公の少女が戦没者の碑銘にある父親の名前を見つけ出すところが良かったな。(この映画、なかなか拾い物)亡くなった者の象徴を求める感情は宗教を問わないんだなと妙に納得した次第。---------------------------------------------------------そのまま選挙の投票所に行った。卒業した小学校の体育館がなくなっていた。私はあそこで最初に卒業式をやった学年でした。それも、私が最初に名前を呼ばれて。学年は二百人ぐらいだったかな。あの体育館がなくなっていたのは、ちょっと寂しい。開票速報はあまり興味がないのだが、夜なべ仕事などあるので、テレビをつけておいてちらちら見るのかもしれない。午後、少しごろごろしてから畑仕事。なんとか雨は降らずに済んだが、午後4時にはもう夜のようになってしまた。夕陽なし。柚子の写真を本館掲示板に揚げてあります。選挙区で土井たか子落選。象徴的だ。あたりまえの国家とやらを目指して、改憲への扉が開いた。今年の四月に私が見た夢を自家引用しておきます。[2003年4月16日付日録]---------------------------------------[身捨つるほどの祖国はありや]本人は覚えていないのだが、私は小さなころ、「戦争に行くのはいやだ」と言って泣いたのだそうな。どういう経緯でそんなことを言ったのかわからない。三つ子の魂百まで。私が御国のために戦争で人を殺すことは、絶対にない。私怨ならあるかもしれない。他人を殺したいと思ったことはある。愛する者を守ったり、そのために復讐したり、そんなことで人を殺してしまうことはあるかもしれない。もちろんそれは犯罪だから、裁かれることになる。でも、たかが国家に、自分の良心まで裁かれはしない。夢を見た。徴兵制が敷かれているらしい。召集令状が届いたと、女の子に言う。その女の子が誰なのかは書かない。きっと「僕」は恋をしているのだろう。その子が抱きついて「死なないで」と泣く。僕たちは初めてくちづけをした。「絶対に死なない。」僕は戦争には行かないのだから。逃げるのだ。兵役忌避である。「一緒に来てくれるか?」どうやら土地の有力者にかくまってもらうようだ。土蔵の地下室のようなところにかくまってもらうらしい。でも、こもりっきりではなくて、外を歩いたりしている。古風な制服の警官に見咎められると、有力者が出てきて人を呼ぶ。私兵のような群れの中に紛れて、僕たちは隠れ家に逃れる。有力者は異形の者である。出口王仁三郎なのかもしれない。ドラム缶に湯を沸かさせ、入ろうとしている。湯が青白く光っているのは、中にコバルト60が入っているからだ。「危険ではないか」と問うと、これでなければいかんと言う。彼が着物を脱ぐと、身体に付いたぬめりが同様に光っている。それを落とすためには、この湯でないと駄目なのだ。---------------------------------------------------------私の投票行動について書いておきます。大衆社会状況の出現のおかげで、私のような非国民にも一票があります。当然ながら、砂の中の一粒です。さらに、三権分立と言いますが、実際は行政権力が圧倒的に力を持っています。国家権力の最高機関であるはずの国会自体も軽くなっています。でも、投票には毎回ちゃんと行きます。もとより積極的にああせいこうせいと主張することがあまりないので、ネガティブに投票します。これはダメということが主眼におかれます。権力を削るという視点です。最高裁の裁判官にはすべて×を付けます。だって、これが楽しみで投票所に行くんですから。内閣を支持していないので当然の行動です。首相が指名する者にイエスというわけには参りません。(正確には長官は指名、他は任命ね)比例区の投票は、護憲のために存続している社民党に投票しました。私は護憲派ではありません。「貴族あれば賎族あり」第1条は削除して共和国になってもらいたいと思っています。今の「日本国」は他国と違って主権者が誰なのか名乗っていない、珍しい国です。憲法を読めば明らかに、君主を象徴として定義した立憲君主国家です。でも、何よりもまず第9条を死守しなければならないと考えています。したがって護憲政党に投票しました。選挙区も基準は同じなので、自民・民主は選びません。でも、どちらかというと両党の候補者が二世議員であるというのが、私が選ばない主な理由です。白票を投じても良いのですが、元前衛政党の候補者に投票しました。その方が批判が生きると考えたからです。下の画像は以前拾い物画像を連結してみたものです。国民を戦争に駆り立てる、Mr. John BullとMr. Uncle Samです。とても恐いです。ずいぶん前の絵なのに、今でもこいつらが世界中で戦争を起こしています。こいつらに尻尾を振ってついていくようなことは拒む。これが投票の基準でした。【さらに追記】 このアンクル・サム、ちょっと我が国の首相に似てないか?【さらにさらに追記】 70年代との、最も大きな違い。 当時は公明党が平和勢力だった。 今はアンクル・サムの側にいる。【まだまだ追記】さっき「噂の真相」12月号を買ってきた。ぱらぱら見ていたら、佐高信さんの連載「タレント文化人 筆刀両断!」を読んで驚いた。1969年秋に出版された藤原弘達著『創価学会を斬る』に現在の姿が予言されていたというのである。70年代に平和勢力だったなんてのは、私の寝ぼけた甘い認識でした。この本、うちにもあるはず。折伏(しゃくぶく)に悩まされた親が買ったのだと思う。出版妨害事件、すごかったもんなあ。以下、佐高さんからの孫引き。 > もし自由民主党が過半数の議席を失うというような > ことになった場合、公明党に手をさしのべて、これ > との連立政権によって圧倒的多数の政権を構成する > ならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らか > にファシズムへのワンステップを踏み出すときでは > ないかと思う。さらに、自民党の中の「右翼ファシズム的要素」と公明党の「宗教的ファナティックな要素」の間に奇妙な癒着関係ができ、「強力にファッショ的要素にもっていく起爆剤的役割として働く可能性」を論じている。いつまでもこんなことばかり書いていたくないので、レスが付けにくいと言われた今日の日録に押し込めておきます。楽天の掲示板は書き込み制限を解除しました。同時に、このホームページの詳細なアクセスログを取得できるように設定しました。いたずらや「あらし」に関しては、お礼に伺います。私の場合、楽天広場の自分のページでログを取るのに一番簡単な方法は、自宅サーバから何かを読み込ませることです。たとえばページトップのヒナは、幻泉館鯖にある画像ファイルを表示させてみました。そうすると、ApacheというWWWサーバのログが自動的にブラウザから出された要求を記録しているので、ヒナを見た人はみんな足跡を残してくれることになります。幻泉館鯖に対してこのような要求だけを出した人は、楽天でヒナを見た人だということになります。 ↓ [GET /~saturate/hina03.jpg]画像を表示させないブラウザもありますね。その場合どうするかは、ひ・み・つ(は~と)。フリーのLinuxやFreeBSDには、いろいろなプログラム言語やスクリプト言語がセットで入っていますから、少しだけ勉強すればたいていのことはできてしまいます。簡単なことしかしていませんが、やっぱ鯖持ってると何でもできるんだなあと実感。よく、無料サービスで「アクセスログ解析」なんてのがありますね。あれがちょこちょこっとやるだけで、自分でできちゃいます。普通のブラウザなら、IPと呼ばれる自分の接続先を吐き出します。これでおおむね身元がわかります。それを隠すために、proxyサーバを通すということをする人がいます。これがいわゆる「串」です。ただ、実際は生のIPを洩らしている「洩れ串」も多いですし、「匿名串」のつもりでも、わざわざ覆面をして外を歩いていますよと言っているようなものなので、その人は目を付けられます。「匿名串」の管理者が悪意を持っていれば、かなりヤバイことになります。リファラーといって、どこのリンク先から飛んできたかという情報も吐き出します。楽天の「ランダム」でアクセスしてきた人は、こんな足跡が残るのですぐにわかります。 ↓[http://plaza.rakuten.co.jp/?action=random&p_user_id=2035075]ブラウザは自分が何者かを名乗ることになっているので、こんな足跡を残します。 ↓[Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.4) Gecko/20030624 Netscape/7.1 (ax)]これは私が普段あちこち残す足跡で、珍しくNetscapeを使ってる人だとわかります。さらに、Micro$oft社WindowsXP用のNetscapeなので、OSもたぶんWinXPだろうということがわかります。皆さんが普段受信しているe-mailにも、ヘッダーといってこんな情報を記述してある部分があります。普通はどんなメーラーを使っているか、どんなサーバを通ってきたのか書いてあるので、読んでみるとおもしろいかも、です。
2003.11.10
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いやあ、寝コケちまいました。帰宅して遅い晩飯食って、サッカーの結果など気にしながら、風呂入ろうか。いや、先にメールだけチェックしておこう。ここで書斎のデスクトップに向かえばよいものを、なぜか寝室のノートPCに向かう。枕元に置いてあるので、当然横になって、ああ気持ちいい。例によって目的意識を喪失して目を閉じると。はい、午前2時です。夜なべ仕事が待っているので、お風呂は割愛。皆様に、初期「よしだたくろう」の曲を捧げます。「もう寝ます」寝れないのですが。 ♪起きてても♪ ゲラゲラ~最初に聴いたのはお風呂で。NHKラジオ、馬場こずえさんの「若いこだま」かな。拓郎さんは馬場さんに「お尻みたいな顔してますねえ」と大変欠礼なこと言ってた。うまいこと言うなあと、私も欠礼なリスナー。『よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち』(1971年)に入っている曲です。このころのエレックは実にいいかげんにアルバムを作っていました。ただ、そのおかげで拓郎さんのライブの雰囲気がよく伝わるものとなっています。「わっちゃいせい」なんて一発芸の曲(?)なんですが、拓郎さんがR&Bやってたのがわかります。そうだ、朝日ソノラマの盤のこともいつか書かないと。このアルバムはフォーライフがCD化したのですが、今は廃盤。おそらくそのままの形で再びCD化されることはもうありません。MCや曲に自粛したいとされるような言葉遣いがてんこもりなのであります。CDがヤフオクで出品されると、かなりの高値が付きます。ただ、アナログ盤はエレックの元盤、CBSソニーが出した盤、ともによく見かけますし、千円程度で買えます。ソニーの盤はジャケットが写真から絵に変わっているのではないかな。エレックが契約切れの前にずっこいことして出した『たくろう オン・ステージ 第二集』なんてのもあります。これはCD化されてません。ボブ・ディランの曲に詞を付けてしまった「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」なんかが入ってるんですが、本人に無断で出したアルバムなので、これも丸ごと復刻されることはありません。せっかくなのでまた本館より蔵だし。まったく季節外れの日記です。2003年4月24日付日録 -----------------------------------------[サンジョルディの日 / 小さな恋のメロディ]日録の日付は4/24になってしまいましたが、これを書いている「今」はまだ4/21になったばかりです。で、ふと思い出したのが、「書店くじ」なくなっちゃったなあということ。秋の読書週間じゃなくて、春の「サンジョルディの日」の日書連のくじね。前はよく100円の図書券もらいました。4/23がサンジョルディの日なのでございます。サンジョルディさんというのは、Saint Georgeつまり聖ジョージ(ゲオルギオス)さんのことです。ベッカム様のイングランド代表が着ているユニフォーム、あれは白地に赤十字の「Saint George’s cross(聖ジョージ十字)」がモチーフですよね。つまり、イングランドの守護聖人なんですが、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害で殉教したんですね。その命日が303年4月23日。私は中学校の時に英語の教科書でドラゴンを退治する聖ジョージさんの話を読んだ覚えがありますぞ。この4月23日という日付は他にもいろいろ意味がありまして、イングランドのシェイクスピア(1564-1616)の誕生日にして命日(日付は怪しいようですが)。ヒトゴロシのイロイロね。それからスペインでシェークスピアに相当する、ドン・キホーテを書いたセルバンテス(1547-1616)の命日でもあります。イーコヨナ、イロイロね。同年同日というのがわかりやすい。ついでに言うと、私が中学3年の時に初めて女の子と映画を見に行った、その相手の誕生日が4月23日でございました。同級生なんですけど、半年ほど年上状態が続くのを気にしておりました。かわいいやね。実はこれもイングランドがらみ。見に行った映画が『小さな恋のメロディ』というイングランドの映画なのでございます。マーク・レスター、トレーシー・ハイド、ジャック・ワイルド、いやあ、良かった、良かった。この映画、音楽も実に良かったんですよ。The Bee Geesの「Melody Fair」「First of May」、それからなんつってもCSN&Yの「Teach Your Children」。併映が、やっぱりガキの恋愛モノだったんすけど、こっちはベッドシーンまであってとっても恥ずかしかったっす。あ、話が逸れた。で、聖ジョージ、聖ゲオルギウス信仰はケルト文化の中で語り継がれていたものが、例の十字軍の時に戦士たちの守護者として各地に定着したそうです。それがイングランドであり、カタロニア(カタルーニャ)であったわけです。カタロニアでは、ドラゴンの血の色をした赤い薔薇を、聖ゲオルギウスの日に男性が女性に送るようになったそうです。その後、スペイン語(カッシリア語)の使用を義務付けられるようになったカタロニアでは、禁止されたカタロニア語の本をこっそりとプレゼントするようになりました。カタロニアというのはカッシリア(カスティリア・カステラ)にまつろわぬ者どもですから、今でもバルセローナのレアルに対する敵愾心はすごいですよね。レアル・マドリッドは、独裁者フランコのチームでもありました。スペイン内乱で共和国派が破れた後、カタロニアの庶民は独裁者フランコを聖ゲオルギウスが倒したドラゴンに擬していたのです。「本を贈る」という点に着目した広告代理店が仕掛けたのが、サンジョルディの日。カタロニアでは、この日に本を贈るという行為が、自分たちの言葉を取り戻して、自分たちの国を作るという意味が込められていました。そりゃ日本では無理よ。いまどき、本なんて贈らないわなあ。結局定着しなかったですね。
2003.11.09
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♪毎晩 夜通し 起きていて♪ ♪ボクは 何にもしてやしないのです♪高田渡さんが、亡父高田豊さんの詩に曲を付けたのが、この「火吹竹」。ベルウッドからの3枚目のアルバム『石』の最後に入っている。静かな、とてもいい曲です。これから夜なべ仕事をします。時々気分転換になんか書くかも。です。ほい、忘れてた。掲示板に書いたことです。以下、自家引用。> とりあえずここも少し防御措置をとることにしました。> 少なくともみなさんのブラウザが吐き出す情報はうち> から丸見えになるようにいたしましたので、あしからず。> つまらない「串」はかえって命取りになりますから、> お間違えのなきよう。----------------------------------------------------あ、しまった。メッセージをくださった方がいたので、ついついず~っと気分転換してしまっていた。うう、泣きそう。しかし、あれだね、楽天の4:00am-5:00amごろ、閉まってるの痛いね。でも、これがないと寝れない人も多いのかしら。その間インフォシーク・プロフィールへ行って……んなことやってちゃ、ダメ、ダメ。(この、「ダメ、ダメ」ってなんだかよくわかってないんすけど)せっかくいらしてくださった方に悪いので、本館より蔵だし。2002年12月15日付日録 -----------------------------------[すかんぽ/哀れな草]日曜の夜に冒頭を見逃した『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』のリピート放送を怪人KIRIさんが教えてくれた。おかげで今夜最初から見ることができました♪渡さんがドイツに行って、詩人ヨアヒム・リンゲルナッツ(1883-1934)の足跡を辿るものです。正確にはリンゲルナッツの伝記ものではなくて、「哀れな草」という題の詩を辿るのですね。語りは柄本明さん。東京乾電池の面々は恭蔵さんのコンサートにも出演してたな。「哀れな草」は高田渡さんの「すかんぽ」という歌の原詩である。渡さんは60年代末から歌っているのだが、主にアメリカのフォークソングやブルースのメロディに、現代詩をのせて歌うという不思議な手法を開発してしまった。思えば私が山之口貘やラングストン・ヒューズの詩集を買ったのは、渡さんのおかげであります。つまり、師匠と呼んでいい人なのである。吉祥寺東急デパートの裏あたりで、酔っ払っておまわりさんにからんでいた姿も、私の師匠そのものであると言える。 ♪ 土堤の上ですかんぽは ♪ レールの間に立っていた埃にまみれ、ただ立ち尽くすだけの「すかんぽ」に自身を重ね合わせ、渡師匠は哀感を込めて歌うのである。ところが、本国ドイツでこの詩に付けられた曲は軽くユーモラスなのであった。お? 師匠は間違っていたのか?ドイツの若造ミュージシャンたちもこの詩を「滑稽な詩だ」と言う。ヘンクドーベルというグループは、実に滑稽に演奏する。どこかで聴いたような歌だな??思い出した。「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」(Supercalifragilisticexpialidocious)ディズニー映画『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』で使われている曲にそっくりです。ここで少し調べてみると、このおまじないにはちゃんと意味があるそうで、> 高度に教育できる極端で繊細な美しさを償うこと> (super-超,cali-美,fragilistic-繊細な,expiali-償う,docious教育できる)なんだそうな。ほんまかいな。さて、ヘンクドーベルの諸君は雑草が擬人化されるのが滑稽だと言う。まあ、第一言語の詩を語る連中にはかなわないわな。渡師匠敗れたり。リンゲルナッツは道化を詠った詩人なんだそうな。「ユーモアと人間愛」が放浪詩人リンゲルナッツのキーワード。だけど、番組ではちゃんとクライマックスを用意してありました。渡師匠同様に、リンゲルナッツの詩を歌うビリ・ベダルフというフォーク・シンガーが登場します。ピート・シーガーとブルース・ウィルスを足して二で割ったようなおっちゃんです。この人との交歓とセッションがヤマ場ね。う~ん、なかなか良い番組でした。
2003.11.08
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夏見還さんのところで「夢二記念館」と書いてあるので、サイトを覗いてみた。竹久夢二伊香保記念館カレンダーか、いいなあ。夢二キャラメルも素敵ね。(歯に悪いぞ)ところがよく見ると、去年の宣伝だ。直接電話をかけてみると、来年のカレンダーもできたそうだ。早速申し込む。これは注文書を送ってくれるらしい。そういえば夜中に「きいちのぬりえ」を思い出したのだった。蔦谷喜一さん、まだ現役とは存じませんでした。きいちのぬりえ幻泉館主人は小さなころ、お従姉ちゃんたちのおもちゃやパシリだったので、女の子の遊びをひととおりやらされたのです。ぬりえはヘタクソでした。力を入れてガシガシ塗ろうとするので、きれいな仕上がりにならないのです。そうか!中学生の時に「地理」の範囲の授業はどうも好きになれなかったのは、そのせいかもしれない。境界部分は濃く描いて、中は薄く塗るというようなことを覚えたのだが、やっぱり白地図塗り塗りが苦手だったのです。絵を描くというような「美術」は好きだったんですよ。あの、白地図塗り塗りがいけない。今日は思いっきりイヤミな文章を書いてしまいました。申し訳ございません。こんな落書きを読んでくださる方に、「追放の歌」という曲を捧げます。休みの国(高橋照幸・カイゾク)です。名曲なので、ディラIIや六文銭など、いろいろな人が歌っています。私が最初に聴いたのは六文銭。コンサートで聴いて、いい曲だなあと思いました。とても演劇的なイメージを喚起させるので、ずっと別役実さんの作詞による六文銭の曲だと思い込んでいました。演劇のステージで六文銭が歌っているものだと勘違いしたのです。岡林信康と抱き合わせだった最初のアルバムにある「第五氷河期」なんて題も、安部公房さんの作品と混ざってしまいました。あほじゃん、オレ。 ♪きのうは おれも 一緒に 歌ってた♪大臣がそんな激務だとは知らなかった。兼務では片手間になるって、ほかならぬ小泉内閣でも兼務大臣がいるじゃないですか。そうかそうか、片手間で行政改革やってるのか、やっぱし。選挙らしい。うるさい。今回はまだないのだが、車で信号待ちの時に選挙カーも停止して、「御声援ありがとうございます!」などと狙い撃ちされるのが、特に嫌だ。逃げ場がないから。声援なんかしてないっつうのに。そういう時は車の窓を開ける。右腕を窓の外に突き出す。選挙カーの連中は手を振ってくれると思って、こちらに視線を合わせてニコニコする。一段と声に力が入る。そう、少し間を置いた方がいい。それから親指を突き出して下に向け、腕をゆっくり上下に振る。動作はなるべくゆっくりと。選挙カーの声が止まり、皆視線をそむける。そんな縁起の悪いものは見なかったことにするのだろう。1955年に成立した日本の政治システムを「55年体制」と呼ぶことがある。強大な自民党を1とすると、社会党がその半分の議員数。それで一と二分の一政党制と呼ぶこともある。二大政党制ではない。政権交代能力を持たない社会党だったが、存在意義は大きかった。自民党に、憲法改正に必要な三分の二の議席数を与えないことである。政権に参加することによって、この旧社会党は崩壊した。土井たか子を衆院議長に祭り上げることによってその動きを封じることを考えた知恵者は誰なのか。すごいものだなと思った。幻泉館主人は自称アナキストなのだが、政府要人に爆裂弾を投げつけるなどというアホなことはしない。選挙は毎回まじめに投票する。開票速報はあまり興味がない。だいたいうちの選挙区はあまりおもしろくない。二大政党の候補者は共に二世議員である。二世殿Aは人柄がよさそうだが、人気取り超タカ派幹事長とにこにこポスターに収まっている。二世殿Bは元反共政党大物代議士のせがれなので、やっぱりダメだ。「地盤を引き継ぐ」ということが、私には理解できない。そんなことでは問題の金ちゃん国家を批判できないだろう。世襲議員はダメか?ダメである。苦労を知らないから、頭だけでかっこよさに走る。しつこいようだが、「ファシズムはさわやかに登場する」のだ。二世・三世議員がさわやかに国民を、戦争への道に駆り立てている。 「2ちゃんねる」的なるものというのがある。どうも苦手だ。え~っと、2002年11月23日付日録で書いてるな。日録に検索機能を付けておいて良かった。データがたまってくると、検索機能は必須だ。楽天広場の日記にも過去日記の中で検索できる機能が欲しいものだ。いったんメールで自分のところに送ったデータならいけるか。テキストファイルをgrepすれば良いのだ。今はWin上では[WZ EDITOR]の[WZ GREP]をよく使っている。検索結果の一覧から該当ファイル名をクリックすると、そのファイルの編集モードに入ってくれる。私のPCライフでは、ブラウザ(Netscape)とエディタ(WZ)が必須のものとなっている。Linuxだったら両方ともEmacsで済んでしまうが、さすがにブラウザはNetscape(Mozilla)を使った方が楽だわ。そう、それで「2ちゃんねる」的なるもの。自家引用 [2002年11月23日付日録]---------------------昨夜から暴走族がうるさい。2ちゃんねるというシステムはともかく、2ちゃんねら~という連中はどうも苦手だ。音楽仲間があんぐら化したのも、2ちゃんねら~から逃れたかったという側面がある。で、その2ちゃんねら~たちが「珍走団」という言葉を提案していた。やるじゃん、と思ったのだが、一瞬。思い起こせば私は80年代の暴走族がけっして嫌いではなかったのだった。さらには、それで商売させてもらったりしたのだった。今の暴走族は当時の暴走族ほど楽しい連中ではない。それでも、2ちゃんねら~よりはましかもな。あいつら、他人の揚げ足取りばかり考えているくせに、絶対に自分の身体は張らない。卑怯な臆病者ばかりなんだ。あれ? じゃあ、かわいそうな連中じゃん。-----------------------------------------------------「ファシズムの露払い」という言い方は、宮台真司『援交から天皇へ』(朝日文庫)を読んでいたら出てきたのだった。インターネットを評して「まったく戦力にもツールにもならないどころか、最悪のファシズムの露払い!」と言っているのだ。笑っちゃいました。アメリカではカウンター・カルチャーの連中がネットに流れ込んで、今も確かにそんな香りを残している。日本の場合は2ちゃんねるだろ、確かに「ファシズムの露払い」だわ。どうしてこんなことを書いているかというと、そういう汚いものをまた見てしまったからだ。ネット上ではどうも幻泉館主人を人格者と勘違いされる向きもあるようで、ネット生活の相談など受けたりする。そこでまた「2ちゃんねる」的なるものを見せられてしまったのであります。やだなあ、アレ、見たくないんだよ。論客になったつもりの方。仮に「和田さん」としておこう。「和田さん」、取り巻きが多いらしい。いよっ! 人気者!「お前、和田さんの人格を否定するようなこと書いてんじゃね~よ!」と、入れ替り立ち替りうるさいこと。いろいろな人格が登場しては、ああ言えばこう言う状態なんで、多勢に無勢、勝てるわけない。なんといってもフレーミングが趣味の連中なんだから。自分の品性の下劣さを宣伝しているようなものだとは気づかないらしい。そんなものほうっておきなさいよ。あれは論争ではない。インネンつけてるだけ。人生は短いんだから、そんな汚物にかかわってるのは時間がもったいない。ワタクシ?論客じゃありませんよ。論争しません。ばかなプライドありませんから、自分が悪かったらすぐに謝ります。ごめんね、ジロー。それで許してくれない相手からは、逃げて逃げて逃げまくります。これは庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』に学びました。もっとも私はこすからいところがあるので、相手が油断したら、石を投げつけるかもしれませんが。「フェアプレーは時期尚早」これは魯迅から学びました。>> しかるに犬は、この例を当てはめて、対等の敵と見なすことができない。>> 何となれば、犬は、いかに狂い吠えようとも、実際は「道義」などを絶>> 対に解さぬのだから。卑劣な連中相手にフェアな姿勢を貫く必要はないでしょう。あら、あんた、2ちゃんねら~?ごめんなさいね♪私、番犬と喧嘩する気はないんです。
2003.11.07
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夜なべ仕事をためてしまったので、泣きそう。遊んで起きているのとは疲労度が違うわ。ヤフオクで中古CDを落札したものが届いた。レンタル落ちで1枚500円。ほかにもたくさん出ていたシリーズだが、競合したものはつきあわないことにしていたら、4枚だけ落札できた。ソングライター・ルネッサンスは、90年代前半に出た懐メロのシリーズ。各レコード会社が出しているのだが、おおむね私にとっての懐メロといえるもの。今回のものでは「ショーボート」が気持ちいいかな。URCやベルウッドのものは、他のアルバムで揃ってますので。ショーボートはトリオが作ったレーベル。1973年の初回新譜が南佳孝『摩天楼のヒロイン』と吉田美奈子『扉の冬』。「はっぴいえんど」&風都市の松本隆さんや細野春臣さんがプロデュースしている。これで、このレーベルの雰囲気がわかると思う。リリース当日には、「はっぴいえんど」の解散記念イベントが行なわれている。この日の模様は、別にアルバムになっている。「ニュー・ミュージック」が始まった瞬間とも言える。本当に言えるのか?まあいいや、少なくとも「はっぴいえんど史観」ではそうなってるらしい。吉田美奈子さんはねえ、音楽好きには評価高いと思うんですよ。だけど、なんとなくこの方は幸薄そうなイメージがあるんです。本当のところはどうなんでしょう。『摩天楼のヒロイン』は大学の同級生、河村君が大好きだったな。忘れてましたが、以前貼り付けたことがある私の昔の写真、水前寺公園で撮ったやつは、この河村君が一緒でした。河村君の彼女も一緒でした。あれ?ホテルのバーでお酒を飲んでいたら、「プレスリー」が死んだというニュースが入ったのだった。ってことは、あれは1977年8月16日だったんだ。そうそう、長崎の精霊流しを見物した。爆竹が恐くて、ユミちゃん(河村君の彼女)が泣き出したんだった。いったいなんなんだ、オレは。その旅行、福岡ではizumatsu君の家でお世話になりました。その節はありがとうございました。私が「さだまさし」さんのCDを買うことはないと思う。でも、あの人の歌は私の声質に合っているようだ。「精霊流し」「無縁坂」なんかも、今回の落札で歌が確認できてありがたい。夜中にぽつぽつ歌う歌が増える。徳間ジャパンコミュニケーションズ・エディションだけは、以前新品を買っていた。実はあまり聴いていない。入手不能だった中川五郎さん、西岡恭蔵さん、高田渡さんの曲だけを抜いて焼きなおしたりした。今回はこれで計5枚になったが、これだけあると結構壮観。カーステレオなんぞにまとめて放り込んでおけば有線感覚で聴けるが、車だったら洋モノか、もっと新しいものを入れたい。うちのは6枚しか入れておけないので、この辺は入らないのです。続けてヤフオクで検索してみると、何枚か出ている。500円のものだったら、「買い」だな。「廃盤」ということを売りに、なんと5000円の値を付けている人もいる。私のはレンタル落ちなんでシールが貼ってあったり、色が褪せていたり。でも、盤そのものはどれも綺麗だったので、まったく問題ない。いま、この手がちょうど出回る時期なのだろうか。懐メロものとしては選曲が気持ちいいので、ブックオフのようなところで見かけたら、やっぱり買いですな。マイベストMDなんぞ作る時に、このシリーズは便利です。ソングライター・ルネッサンス徳間ジャパンコミュニケーションズ1. いろはにこんぺいとう(矢野顕子)2. 電話線(矢野顕子)3. ヂパングボーイ(あがた森魚)4. 君のことすきなんだ(あがた森魚)5. ミリオン・スターズ(桑名晴子)6. ハイサイおじさん(喜納昌吉&チャンプルーズ)7. 25年目のおっぱい(中川五郎)8. アフリカの月(大塚まさじ)9. フィッシングオンサンデー(高田渡)10. ろっかばいまいべいびい(西岡恭蔵)11. ソウル地下鉄(Sooo Baad Revue)12. ラヴ・シック・ブルース(南正人)13. 鼻唄とお月さん(中川イサト)14. 北風によせて(加川良)ソングライター・ルネッサンスソニーレコード・エディション1. 旅の宿(吉田拓郎)2. 少女(五輪真弓)3. バイバイグッドバイサラバイ(斉藤哲夫)4. 密漁の夜(友部正人)5. 26ばんめの秋(岡林信康)6. 「いちご白書」をもう一度(バンバン)7. 遠い汽笛(遠藤賢司)8. 飲んだくれジョニイ(古井戸)9. やさしさとして想い出として(ふきのとう)10. 迷い道(渡辺真知子)11. 踊り子(下田逸郎)12. 岬めぐり(山本コータローとウィークエンド)13. きみの朝(岸田智史)14. 地下鉄にのって(猫)15. ペガサスの朝(五十嵐浩晃)16. 初恋(村下孝蔵)ソングライター・ルネッサンスキング・エディションVol. 11. 雨が空から降れば(小室等)2. 出発の歌~失われた時を求めて(上條恒彦と六文銭)3. 一本道(友部正人)4. 風をあつめて(はっぴいえんど)5. 家へ帰ろう(南正人)6. 悲しみは果てしなく(ザ・ディラII)7. 教訓1(加川良)8. 淋しい気持ちで(武蔵野タンポポ団)9. 負ける時もあるだろう(三上寛)10. ゆめいらんかね(やしきたかじん)11. 途上にて(みなみらんぼう)12. ケンとメリー~愛と風のように(BUZZ)13. ミッドナイト・クィーン(高橋ユキヒロ)14. 面影橋から(及川恒平と六文銭)15. 音を立てて愛が(長谷川きよし)ソングライター・ルネッサンス 徳間ショーボート1. おいらぎゃんぐだぞ(南佳孝)2. 勝手にしやがれ(南佳孝)3. 扉の冬(吉田美奈子)4. 待ちぼうけ(吉田美奈子)5. 嫌んなった(憂歌団)6. おそうじオバチャン(憂歌団)7. 星くず(久保田麻琴と夕焼け楽団)8. ディキシー・フィーバー(久保田麻琴と夕焼け楽団)9. 上を向いて歩こう(小坂忠)10. 月夜のドライブ(ムーンライダーズ)11. ビュンビュン(外道)12. Funky Cowboy(オレンジ・カウンティ・ブラザーズ)13. ダイナ(井上ケン一)14. 無頼横町(ココナッツ・バンク)ソングライター・ルネッサンスワーナー・ミュージック・ジャパン1. 精霊流し(グレープ)2. 無縁坂(グレープ)3. 僕にまかせてください(クラフト)4. あなた(小坂明子)5. 池上線(西島三重子)6. パープルモンスーン(上田知華+KARYOBIN)7. 秋色化粧(上田知華+KARYOBIN)8. さらばミシシッピー(柳ジョージ&レイニーウッド)9. 青い瞳のステラ、1962年夏…(柳ジョージ&レイニーウッド)10. クィーンはまぶしい(松野こうき)11. 取り残された悲しみ(瀬戸口修)12. かあさんの下駄(中村ブン)13. やさしい酒(さかうえけんいち)14. ご案内(ウイッシュ)15. 淋しくありませんか(メロディー)16. YOKOHAMA(増田俊郎)
2003.11.06
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今日は家でこなす仕事がたくさんあったのだが、昨夜熱を出していたので午前中はぐっすり眠って体調を戻し、午後は少し眠って体調を整え……。あれま、ねたきり中年じゃん。お天気が良くなってから、スバルの販売店へ行きました。昨日、リアウィンドーのワイパーからゴムが外れていたのです。せっかくだから浜を回りました。夕陽は見えなかったけど、やっぱりいい空でした。日曜日ほど人がいないけれど、どうも仕事中のおじさんたちが夕陽を見にきていました。画像を2枚だけアップしておきました。Yahoo!PHOTOSもフォルダーを分けないといけないな。[I Love Sunset!] 夕陽が好き!愛車黒トラ君は、とても気持ちのいい車です。初めて、運転していて気持ちいいなあと思った車です。トラヴィックという名前でスバルが販売しているミニバンですが、中身はオペルのザフィーラという車なんです。それをスバルがチューンナップしているので、めちゃくちゃ走りのいいミニバンです。貧者のドイツ車。オルターナティブもいいところですが、お薦め車です。純正部品を買いに行ったら、ちょいちょいと交換してくれました。ゴムの付いている「ブレード」という部分。なるほど、ブレードだわな。『ブレード ランナー』の「ブレード」です。そのまま牛乳を買いに大手スーパーを回りました。ああ、食玩もののCDを見ようとと思ったら、なんだか高校生の集団が大騒ぎしています。高校の同級生の娘さんが中にまじっていて、こちらに「ああ、☆☆やんだ!」などと大声を挙げるので近づけず。コージーコーナーがあったので、ケーキを買って帰りました。充実していたような、いないような外出でした。夜になって 夏見還さん「還尼抄」で気になる食玩を知る。> 20世紀漫画家コレクション5「高橋留美子の世界」。> こたつネコ(しかも錯乱坊つき)のフィギュアがライン> ナップに入っているのです!う~む。こたつネコ欲しい……。およそギャンブルをしない人間なんで、中身のわからないクジみたいな食玩は好きじゃないのだが、う~ん、欲しい。しかも錯乱坊つき。すぐに近所のコンビニに向かったのだが、20世紀漫画家コレクションというものを売っていない。コンビニのチェーンによるのか、地域が限定されているのか。代わりに、CD付きお菓子(というよりお菓子付きCD)を買ってきた。(全然代わりになっていない。)渡辺真知子「かもめが翔んだ日/唇よ、熱く君を語れ」よしだたくろう「結婚しようよ/旅の宿」真知子さんのCD買ったの初めてです。こんな形で申し訳ない。それと、初期拓郎ファンなんで。「結婚しようよ」(1972年)は、もう語ることもないほどの有名曲。これで大ブレイクして、日本の歌謡界が変わっていく。加藤和彦さんがバックで12弦ギターを弾いていた……って、どこかで書いたかな。歌詞が新鮮でしたね。僕の髪が肩まで伸びても、君の髪も伸びているから同じにはならない。アキレスは亀を追い越せないのである。そうじゃない。結婚という制度に何の疑念も抱かず、そんなふうに歌える拓郎さんは、当時の「フォーク」としては新鮮だったのではなかろうか。そういえば教会での結婚式というのも流行ったんですね。のどかな県のんびり市には、ひそかな名所があります。高速道路のインターチェンジの近くに、大モーテル街があるのです。週末には首都圏からもお客さんがおしよせるようです。山本晋也さんの「おとなの社会学」(だったっけ?)の取材が何度も訪れたところなので、テレビでご覧になった方も多いでしょう。そのもう少し山奥にはゴルフ場がいくつもあって、山を殺してくれました。保水能力を失って、麓の村では雨が降るとすぐに川があふれるようになってしまいました。モーテル街とゴルフ場の間には禅宗のお寺があるようで、道路沿いに大きな看板を立てています。「莫妄想」中国唐代の禅僧・無業禅師の言葉だそうです。人間がいくら考えても分からない問題なんか考えるなという意味らしいです。でも、どう考えても「妄想するなよ」としか読めません。ええっと、教会での結婚式です。80年代のことですが、この一大モーテル街に至る道路沿いに、教会が建てられたのです。白くて、妙に派手な教会。不思議だなあと思っていたら、それは結婚式場でした。なぜか韓国朝鮮の民族衣装を着ている方が外の庭に集まっているのをよく見かけました。私が通っていた高校もその近くにあります。その怪しい教会は、今はもうありません。で、ぐずぐず言ってたら夏見還さんが画像をアップしてくださいました。いただきました、ありがとうございます♪上の画像が、夏見還さんからいただいた、誕生日のプレゼントです。【追記】 何度も書き込みでハネられた。 試行錯誤の末、画像のファイル名がいけなかったようだ。 「j」「pop」「cook」「ies.jpg」は不可でした。
2003.11.05
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【追記】 みなさま方、お祝いをありがとうございます♪ 近年まれなはっぴいばーすでいとなり、感謝しております。誕生日おめでとう!はは、オレにです。まっつぁんにもです。はまだくんやみつえちゃんにもです。このあたり、お誕生日ラッシュなんだよね。いい歳してめでたいか?いい歳だからめでたいんですよ。んで、今年はちゃんと言わないと。歳くった幻子心母に。産んでくれてありがとうって。【ここから11月3日の話】明仁さんのお父さんが裕仁さん。裕仁さんのお父さんが嘉仁さん。嘉仁さんのお父さんが睦仁さんという名前でした。睦仁さんは亡くなってから諡(おくりな)され、在位期間の元号を採って明治天皇と呼ばれています。この名前はなんとなくgoogle検索でヒットしたhttp://ja.wikipedia.org/で調べたものです。そうそう、私が投げ出したwikiです。参加者がどんどんページを作って書き換えていくという面白いシステムなのですが、なにぶん友達がいないもので、幻泉館本館のwikiは開店休業のまま消えてしまいました。遊んでみたい方はhttp://gensenkan.hn.org/~saturate/WalWiki2/wiki.cgiに残骸が残っているので、存分にいじってください。それで、この睦仁さんのお誕生日が1852年11月3日(嘉永五年九月二二日)でして、没後、その日の呼び方がいろいろ変化しました。天長節:1873(明治6)年~1911(明治44)年 (1872(明治5)年までは太陰暦で9月22日)明治節:1927(昭和2)年~1947(昭和22)年文化の日:1948(昭和23)年~ただし、「文化の日」は明治天皇の誕生日を祝う日ではありません。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日です。日本国憲法公布の日です。もちろん憲法記念日は5月3日ですが、それは施行の日です。11月3日からちょうど半年後だったから、5月3日が憲法記念日になったのですね。形式的には明治憲法の改正ということで日本国憲法が制定されたのですが、公布の日にわざわざ明治天皇の誕生日を選んだなんてところがおもしろいです。祝日に公布したなんて、変じゃないの?いずれにしても、日本国憲法の誕生を祝ってくださいませ♪日本国憲法の誕生で、11月3日は国民の祝日だったけど、幻泉館主人は非国民なので仕事なんぞしてました。国民の祝日とは、国民の祝日に関する法律 (祝日法)で定められた日です。この法律は国民主権となった日本国憲法の下で1948年に制定されたもの。だから「祝祭日」という言い方は、今では不正確です。「祝日」しかないのです。1948年以前は、「国家の祝日」と「皇室の大祭日」を併称して「祝祭日」と言いました。祝日は臣民が祝わなければならない日。祭日は皇室の行事がある日。広辞苑によれば、1927年以後の祝日・準祝日として四方拝(1月1日)・新年宴会(1月5日)・紀元節(2月11日)・天長節(4月29日)・明治節(11月3日)。大祭日として元始祭(1月3日)・春季皇霊祭(3月21日頃)・神武天皇祭(4月3日)・秋季皇霊祭(9月23日頃)・神嘗祭(10月17日)・新嘗祭(11月23日)・大正天皇祭(12月25日)があったそうです。大正天皇祭というのは、命日ですね。だから昭和元年は1週間しかなかった。明治天皇の誕生日、昭和天皇の誕生日が祝日として生き残っているのだから、大正天皇の誕生日も適当な記念日として、国民の祝日にしてもらいたいものです。あれ?何月何日?googleで簡単に見つかりました。 大正天皇略年譜 誕生:1879(明治12)年8月31日 立太子:1889(明治22)年11月3日 即位:1915(大正4)年11月10日 崩御:1926(大正15)年12月25日(48歳)8月31日!私の場合は夏休み最後の日という大うんじゃらげイメージがあります。が、2学期制なんぞが広まってきて夏休みが8月中に終わってしまう学校が増えたようなので、やっぱ祝日にしてもよろしいんじゃないでしょうか。祝! 『ゲームは終わり』3枚組み復刻!amazon/avexによる『ゲームは終わり』の復刻盤情報を書こうと、amazonの該当ページをチェックした。すると嬉しい告知が。> 『ゲームは終わり (解散記念実況盤)』は当初2枚組とアナウンスしておりましたが、3枚組でリリースすることに決定しました。おお!斉藤哲夫さんの「吉祥寺」が入るか!このライブの「吉祥寺」、好きなんです。「曲目は決定次第、このページでお知らせします。もうしばらくお待ちください。」これはおそらく岡林信康さんと交渉中なのではあるまいか。『関西フォークの歴史』のシリーズや『うた・復権 はみだし歌番組』が完全に岡林信康をカットした形で復刻されたので、今回も岡林抜きの可能性が高い。それでも、他の曲が入ると入らないでは大違い。冒頭は風船がアメリカに行った時のスライドを上映している模様から始まります。長野隆君が弁士になっておもしろおかしく解説し、それにフー子ちゃん(藤原秀子)の歌う「私は地の果てまで」がかぶさっていきます。このアルバムの1枚目はいいですよ~。どうか完全復刻となりますように!五つの赤い風船『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』12/10発売予定 3枚組 3,000-ディスク: 11.私は地の果てまで2.ふる里の言葉は3.美しいものは4.そんな気が…5.まぼろしの翼とともに6.ささ舟7.もしもボクの背中に羽根が生えてたら8.殺してしまおうディスク: 21.おとぎ話を聞きたいの2.どこかの星に伝えて下さい3.血まみれの鳩4.ボクは風5.遠い世界に6.これがボクらの道なのかディスク: 31.あいさつ / 山本コウタロウ2.吉祥寺 / 斉藤哲夫とアーリータイムス・ストリングスバンド3.その気になれば / 中川イサト4.こがらし・えれじい / 加川 良と西岡たかし5.追放の歌 / IMOバンド (長野 隆・太田ぼう・金森幸介・上田康彦・秋山たかし)6.ランブリングボーイ / 岡林信康・西岡たかし・加藤和彦・中川イサト・長野 隆7.アイシャルビーリリースト / 岡林信康・西岡たかし・加藤和彦・中川イサト・長野 隆8.時は変ってしまった / 全員合唱9.遠い世界に / 全員合唱10.これがボクらの道なのか / 全員合唱
2003.11.04
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暑かったですね。すごくいい天気。これはいい夕陽が見えるとウキウキしながら畑仕事。法事があったので、2週間分の生ごみとお蕎麦屋さんのダシかすはポリバケツ2杯分たっぷりありました。小松菜かなんか蒔いたあたりの土がすごかった。小さくぴょこぴょこ蠢(うごめ)いてる。え?これが、小さなコオロギがたくさん跳ねてるんですわ。びっくりしました。狗尾草(ヱノコログサ)が伸び放題なのに、鎌を忘れてきてしまった。手で抜いて回ったんだけど、トレーナーやズボンにびっしり付いて、これもすごかった。晴れて急に暑くなったんで、妙に生命活動が活発なんだな。大菜園(見栄張ってます、すんません)から家に帰って、さてのんびり浜にでも出ようかと思っていたら、幻子心母が「ガス展」に連れていけと言う。あら、聞いてないよ。聞いてないけど、しょうがない。あたふたとガス会社のイベントに行ってきて、浜に向かって車をとばしました。途中の夕陽がきれいだったなあ。ただ、写真に撮るには半端な建物が建っている道だったので、海に行けば大丈夫だと思っていたのだ。途中で後ろに付いていた車が、どうものどかな県立大学のたえさん(仮名♀二十代)っぽかった。お~? 何やってるんだ~?ところが、浜に着くと下の方に雲が出ていて、太陽が隠れてしまっていた。あらま。先週と同様に、堤防には人がたくさんいた。お日様は雲に隠れたけど、それでもみんな空を見ている。なんだろうな、この感じが好きなんだな。みんな邪念がないのね。ただ空を見てる人たち。本当はヤフオクで落札した300mmのレンズを試したかったのだが、今日は使わず。帰りがけに、森田童子のような後ろ姿の人が空を見ているところを撮った。日が沈んでも、じっと空を見ている。本当は何か一所懸命に考えたり、悩んだりしているのかもしれない。こちらには、空を眺めていたいのだということしかわからない。ありがとう、夕陽、また来週!Yahoo! PHOTOS更新しました。NHK BS-2で「ステージ101」の同窓会番組みたいなのをやっていた。『ヤング101 復活コンサート』シアターコクーンでやったのか、そりゃ変だ。ま、NHK近いからな。高校時代はほとんどテレビを見ていなかったはずなのに、なんだか知っているメンバーが多い。「涙をこえて」ああ、かぜ耕士さん、中村八大さんの曲。永六輔さんじゃないのがポイント。シング・アウトの。あとでピコ(樋口康雄)出てくるんだろうか。え? このオジさん、ワカ(若子内悦郎)なの!?ワカとヒロのワカ?これはちょっとショック。ああ、太田裕美さんはね。若者に説明しておくと、NHKが作ったスクールメイツみたいな集団。っつっても、何の説明にもなってない。私は学生時代にかなり若く見えたので、卒業するころでもトレーナーなんか着ていくと、先輩に「お、スクールメイツ!」などとからわかれました。どうして先輩がいるのかというと、ずいぶん長いこと学部にいる先輩が多かったんです、うちのサークルは。やっぱり何の説明にもなっていない。ヤング101をかっこいいと思ったことはないんですよ。(東京キッドブラザーズをかっこいいと思ったこともないけど。)ただ、あんまりイヤだなとも思わなかった。自分より少し年上のお兄さん、お姉さんがたくさん出てくるんで、それが楽しかったのね。あ、西玲子さん!ああ、この人好きでした。なんだろう、どこがだろう。うわっ懐かしい!学芸会みたいだけど、楽しい。いや、我ながらよく覚えてるもんだ。西玲子さんは、昔の面影そのままのなのが嬉しいな♪女性は下腹に来るんだなあという、失礼な感想。他人様のことは言えないでしょ。と、こんな調子でビデオにとっておいたやつをこれから見ます~。【幻泉館本館 2003年2月12日付日録】より、蔵だし。本当は2/9(日)の夜中に書いてます。夜9時よりNHKスペシャル『こども・輝けいのち(1) 「父ちゃん母ちゃん、生きるんや」~大阪・西成 こどもの里』。大阪西成区(いわゆる釜ヶ崎)にある民間福祉施設「こどもの里」で暮らす子どもたちのドキュメンタリーです。これだけ金と時間をかけて長期取材ができるのも、NHKだからだなあ。『じゃりん子チエ』が現実だとしたらチエちゃんはすごい不幸な子だよなあと思っていたのですが、いや事実は小説より奇なり。入院した父親の世話をやく8歳の香菜ちゃん、もうナミダものです。(お母さんはいません)15歳博君の母親は完全なアル中、弟妹の世話をしながら、博君は母親をひきとって一緒に暮らそうとする。(お父さんはいません)あれ、言葉にしてしまうとあんまり感動的じゃないな。「家族」の回復をテーマに設定した制作者側の意図が丸見えになるからだろうな。けなげな子どもたちの映像はすごい説得力があるんですけどね。ホントのことを言うと、釜ヶ崎の暮らしそのものの映像が少ない。同じように「寄せ場」と呼ばれ、一見同じように見えるのだが、東京の山谷ではこういう「家族」の回復はないだろう。明日を信じることができる子どもたちの姿がない。山谷では徹底的に独りである。だからNHKスペシャルの映像になることもおそらくない。十年前の知識なので、今どうなっているのかは知らないのだが。もう一つ。「こどもの里」はキリスト教団体(聖イグナチオ教会?)の施設です。山谷でもプロテスタント、カトリックそれぞれの教会があり、福祉活動を行なっています。仏教・神道の団体による活動はほとんどありません。なぜなんでしょう。悲田院・施薬院なんてのを、日本史の授業で習った記憶がありますがね。ああいうのは仏教の伝統にはならなかったんでしょうか。儲からないとダメなんすかね。
2003.11.03
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私は夢や幻を語ることはあるが、怪力乱神は語らない。幽霊などいない。死んだ者に会いたくなっても、誰ひとりとして会いにきてはくれないのだから。思い残しはいっぱいあっただろう?言いたいことがあっただろう?残された者も、言いたいことがある。聞きたかったこと、謝っておきたかったことがたくさんある。でも、死んでしまったらそれはもうかなうことがない。CD『Glory Hallelujah 西岡恭蔵自選Best』には、大塚まさじさんと友部正人さんの「ゾウさんへ」が書いてある。「たまには出てきて」とか書いてあるのがおかしい。そう、たまには出てくればいいのに、みんな。死んだらそれで何もなくなってしまうというのは、ずいぶんつらいことなんだよね。霊が存在するのだと考えた方が、ずっと気持ちが楽になる。あなたが幽霊に出会ったことがあると言っても、それは否定しないよ。きっとウソではないのだろうし、あなたは運が良いのかもしれない。でも、私には、幽霊は存在しないのです。オウム真理教元教祖結審。判決はだいぶ先になるだろうが、その結果は残った宗教団体の活動にはたいした影響を与えないだろう。死刑判決が出ても、それは「法難」にすぎない。生き延びてまた妙なことをやらかしてくれるより、さっさと「殉教」してくれた方が、教団運営者には都合がいいのかもしれない。信者たちが教祖の面をかぶって選挙運動をしているのを、西武新宿線の駅前でよく見かけた。最初はみんなギョッとするのだが、苦笑している者が多かった。だって、あれで投票する人がいるとは思えない。今思えば、オウムの連中はそういう「普通の感覚」を失っていたのだ。笑えないよ。「象牙の塔」にこもっている権威ある方々も、そんな「普通の感覚」がなくなっているようだから。それから少し経ってだろうか。高円寺駅を出ると、コンサートの客引きがいた。どこかで聞いたような電子音楽をひゅーひゅーと流し、画板のようなものを抱えた若者がいる。コンサートに行かなくてもいいから、胸の前の板に載せた本をもらってくれと言う。「はい、ありがとう。」薄いパンフレット類には目もくれず、なるべく立派な装丁の本と、A5判の機関誌らしい雑誌を数冊ひっつかんでいく。「あ。それは……」「ありがとう。」おばさん体質なので、オウムの下っ端なんぞには負けない。その夜、下宿で一通り目を通した。アホだなと思った。「最終解脱」はどう読んでもインチキだ。これはひっかかる方が悪い。ただ、ヨガの方法が写真入りで解説されているのは、ウケるだろうなと思った。本に書かれたように、つまりマニュアルどおりに行動していれば、それなりの効果が感じられる。自分の頭で考えることをしないのなら、安直に「修業」できていいのだろう。その本は不思議に捨てなかった。サリン事件当時、探したら簡単に出てきた。あの機関誌は名前を変えて、まだ出ていた。問い合わせると、八重洲ブックセンターや書泉ではバックナンバーもまだあるという。あわてて買い揃えた。あのアホな、でも善良そうな信徒たちがどうしてそんなことになったのか知りたかったのだ。答えは出ていない。集めた資料は段ボール一箱分にまで減らして、放ってある。事件をエスカレートさせた責任の一端がテレビにあることは確かだと思う。ただ、不謹慎な言い方だが、あれだけテレビがおもしろかった時期もない。幹部がテレビ出演した後で逮捕されたり、刺殺されたりしているのだ。95年当時、まだインターネットは普通の家庭ではなかなか繋げないものだった。今で言うプロバイダも少なく、繋げたとしても従量制料金が重くのしかかったくる。のんびり市では繋がらず、県庁所在地のどかな市まで電話をかけなければならなかったのではないか。私はいわゆるパソコン通信を始めてから十年ほど経っていた。そのころは、NiftyServeでオウムに関する意見交換を眺めていた。舞台は市民運動に関するフォーラムがメインだったろうか。「猫が好き♪」というハンドルの論客がいて、私のお気に入りだった。その前には原理の連中、統一協会とバトルを繰り広げていた人物だ。原理の方には「伝道師」という人物がいた。彼らは今も活躍しているのだろうか。当時、既成宗教団体はオウムを宗教ではないと黙殺し、真剣に論じることはあまりなかった。「猫が好き♪」氏はその点において既成宗教団体を批判した。オウムは宗教団体である。それも、この事件で世間から叩かれる中を生き延びることができれば、宗教団体として成長するのではないかと論じていた。カルトもまた宗教。オウムはあちこちからいろいろなものをとってきて作った宗教である。原始仏教から直接学ぼうとしたのは、アメリカ西海岸からの逆輸入思想である。それでいてキリストになっちまうんだから、噴飯ものだ。ところが、そのがらくたみたいな教義と、本当の宗教とされる教義の境界は、実はかなりあいまいなものではないか。オウムの同調者であるという間違った非難を受けて大学の職を追われた島田裕巳さんは、たとえがらくたのようなものであっても宗教は宗教であると考えていた。それは正しいと思う。あまり言及されることがなかったが、高橋和巳『邪宗門』はオウム事件の時にもっと論じられるべきだった。この小説については、またいつか書こう。オウム真理教を生んだものについて、少しふれておく。直接的には「ムウ」のような雑誌。そしてもっとずっとオウム真理教に影響を与えたのは、テレビのオカルト番組だ。実にばかばかしい、本当にがらくたのような番組。あるプロデューサーの名前を思い浮かべることができる。彼にオウム真理教事件の直接的な責任はないのだが、かつてオウムの元教祖が門を叩いた他の宗教団体ではなく、そんなくだらない低俗超能力・UFO・心霊番組が、オウムの父であり、母である。ユリ・ゲラーの初来日は1974年。これでスプーンを曲げてみる子供が日本にたくさん出現した。(もったいないなあ)その前年に出版されたのが、おそらく戦後最大のトンデモ本、『ノストラダムスの大予言』である。ここまで書いてきて、実にばかばしくなった。論じるほどのものではないのだ。雑誌記者が、おもしろい企画だと思ってでっちあげた話を真に受けて、本がバカ売れしてしまっただけの話だ。他のこと書きゃ良かった。音楽出てこないし。ええい、見つけたぞ。『ノストラダムスの大予言』は翌年1974年に映画化されています。舛田利雄監督。『日本沈没』に味をシメた東宝が作りました。主演はあの丹波哲郎さんです。音楽が富田勲さん。『月の光』や「きょうの料理」のテーマソングばかりじゃなくて、こんな仕事もしてるんですね。シンセサイザーがひゅーひゅー鳴ってるという音楽です。そうです、高円寺で私が耳にしたオウムの天上音楽は、このマネ。やっぱり『ノストラダムスの大予言』がオウムの親だったという、いいかげんなオチでした。ごめんなさい。「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる」で、降ってこなくてどうしたんだっけ、五島さん。【追記】楽天広場掲示板の、プロバイダによる書き込み制限を解除しました。楽天登録ユーザ以外の方、画像を貼り付けたい方は幻泉館掲示板へどうぞ。
2003.11.02
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高校時代、家の近くにレコード屋さんができた。これはすごい快挙だった。その時の嬉しさは、都会育ちの人にはわからないだろう。だって、周りはたんぼしかなかったんだから。幼稚園の時にここに引っ越してきた。なぜか二つの市立中学校がすぐそばに建っていたのだが、他にはほとんど何もなかった。あまりの寂しさに、家から見える富士山を私は薄紫色で描いた。それから十年近く経って、田園の中に郊外型の大型レコード店ができたのだ。高価なオーディオ機器も展示してあって、夢のようだった。のんびり市の説明を少ししておくと、東京から約120km、東海道ベルト地帯なので、まずまず栄えた町である。これならべつにわざわざ「のんびり市」などと書かなくてもすぐわかるから実名を書けばよさそうなものだけど、若干事実を曲げて説明することもあるのです。よく言えば私の「イーハトーボ」にしたいからです。幻泉館主人は日ソ国交回復の年、スターリン批判の年、ハンガリー事件の年に生まれました。もちろん生まれた本人はそんな出来事などまったく知りません。のんびり市の下町、日本で一番重要とされる幹線道路沿いにあった伯母の家で生まれました。当時はその国道を市電が走っていました。道路の反対側を少し行くと一級河川が流れていて、川の向こうには小さな山があります。標高193m、「一休さん」と覚えます。山というより、丘ですね。うっすらとした記憶ですが、小さいころ父と母に連れられてその山に登ったのを覚えています。何故かその頃、渡し舟がありました。途中で疲れて歩くのがいやになり、二人の間で手を持ってもらい、ぶらさがったりしたのを覚えています。その山全体が市の公園なのですが、その山の頂上に、やはりどういうわけか大宇宙教といったような名前の宗教団体が勝手に天文台を造ってしまいました。テレビで砂の嵐を見せて、「ハイ、これが人工衛星!」などと怪しい説明をしていました。かわいそうなライカ犬は既に消滅し、若き空軍少佐ユーリ・ガガーリンが搭乗していたころでしょう。天文台の隣には、本当にごくごく小さな動物園もありました。伯母の家にはもちろん上水道が通っていましたが、なぜか共同井戸も使っていました。今夜はカレーライスだというような時、つまり生水を飲む時は井戸の水を使いました。富士山の雪解け水ということでおいしかったのでしょうか。市電(チンチン電車)も、渡し舟も、天文台も、共同井戸も、今はありません。60年安保のころでしょう、小さな幻泉館主人(かわいい♪)は、近くの駄菓子屋「やなぎや」さんに行くのが大好きでした。駄菓子にはあまり興味がないのです。おそらく売れ残って返本となった月刊雑誌の付録のマンガ本が、新聞紙で作った袋に入れられていて、クジのように自分で選んで買うものがあったのです。これは何と呼べばいいものなのでしょうか。袋物……じゃないよなあ。本当に三つ子の魂百まででして、おかげで今でも半端な本や雑誌に埋もれて暮らしています。まだ幼稚園にも行く前なので完全にオミソなんですが、地域のガキ大将が面倒を見てくれました。元号は使いたくないのですが、昭和三十年代のガキ大将はみんなの遊びを考え、ルールを作り、そしてちびっ子の安全を配慮していました。威張るだけの努力をちゃんとしていたのです。テレビの台数も少ないころ、近所の人たちがみんな一軒の家に集まってわあわあ言いながら放送を見たそうです。私は、それは覚えていません。家に初めてテレビが来た日は覚えています。あのころの親父様は、今の私よりずっと若かったのだな。思えば、あの頃の親父様はいい笑顔をしていました。あの、無法松の坂妻の笑顔。昔の日本人の、庶民の笑顔。映画『戦場のメリークリスマス』のビートたけしや、『異人たちの夏』の片岡鶴太郎は、その笑顔を出そうとしたのでしょう。幻泉館の近くには日本で最も重要とされる国道が走っている。私が小さな頃育った伯母の家の近くに走っていた幹線道路が、やはりこちらに移ってきたのである。地元の人たちは今でもこの幹線道をバイパスと呼んでいる。70年代に建設された「バイパス」だったからだ。バイパスからさらに山側に入ると、60年代に建設された高速道路が走っている。伯母の家は川や海が近かったが、今の幻泉館は山(丘じゃない本当の山)が近い。私が高校生の時はバイパスがまだ建設中だった。水田も残っており、ガランとした風景の中を広いバイパスが通っていた。全線開通はしていなかったが、幻泉館付近では道路部分が完成して、車も通行していた。ただ、側道や中央分離帯はまだ手付かずだったので、適当なところで横断することができた。地域の県立進学高も川の側から山の中に移転していた。私はこのバイパスをいいかげんなところで横断して高校に通っていた。今は絶対に渡ることができない場所を、のんびり横断していたのである。高速道路を使ってやってくる観光客目当てに、広い道路端で西瓜を並べて売ったりしていた。中古のパチンコ台なんかも並べてあった。学生時代、短期間だが測量のアルバイトをしたことがある。早稲田鶴巻町あたりの、つまり下宿の近所の区画整理が現場のはずだったのだが、足立区の方へも連れていかれた。がらんとした殺風景な土地を環状七号線が通っている。同じ道路なのに、高円寺あたりの風景と比べると本当に殺伐としていた。故郷の建設中バイパスに似ているなと思った。幻泉館近くの「バイパス」は今では、この道端でスイカを売っていたと言っても信じてもらえないほど、郊外型の大規模店舗が軒を並べている。家電・パソコン、CD・楽器、ファミレス、ジーンズ・礼服、カラオケ、書籍 etc...高校生の時、つまりまだ道端でスイカを売っていたころに、そのレコード屋さんは他に先駆けて郊外型の大規模店舗を造ったのである。当然のことだが、そのレコード屋さんにはよく通った。(ずいぶん長い前置きでしたな。もうそんなに書けない。)ここで、とにかくレコードを一枚一枚見ていたのだ。それも、日本盤は高いので、妙に安い輸入盤をじっくりと見た。輸入盤なら千円ぐらいからあったので、毎月買うことができた。ただ、シュリンク包装してあるので、試聴することができない。流行モノの新譜はさすがにちょっと高い。まるで知らない名前のポップシンガー、カントリー&ウェスタン、ジャズ、こんなところを怪しげな英語力で解読して、勘を頼りに買うのである。値段を考えると、結局はジャズが無難だということがわかった。マイルス・デイビスのレコードはこうやって買ったものが多い。50年代の名盤である。ウェイン・ショーターが参加したような新しいものは、まだ高かったのだ。日本の歌謡曲がニューミュージックと呼ばれるようになると、かつてフォークと呼ばれた音楽は輝きを失った。僕はジャズのレコードばかり買うようになり、早く東京に出たいなと思った。スイングジャーナル社が創刊した雑誌「アドリブ」の創刊号はマイルス・デイビスの完全ディスコグラフィーが売り物で、まだジャズ雑誌と言っても良かった。"CIRCLE"では前衛的ジャズという印象だったチック・コリアがRETURN TO FOREVERというグループを結成して、同名のアルバムを発表した。例の1972年である。とにかくNHKの番組のバックにはよく流れていた。「永遠回帰」とはまた妙な名前を付けたものだ。「リターン・トゥ・フォーエヴァー」の第一アルバムは『かもめのジョナサン』とイメージが重なるのだが、それも故なしではない。導師グルがいて弟子がいる、あのオウム真理教の好んだ戯画をどちらも描いているのだっから。70年代初頭に、このチック・コリアがECMというレーベルから出したアルバムで時代を席巻するのでありますが、同時期にキース・ジャレットもECMからアルバムを発表しました。『フェイシング・ユー』(1971年)『ソロ・コンサート』(1973年)これがすごかったんですね。ただ、高かった。3枚組みではとても買えないんです。ところが、1975年、さらに『ソロ・コンサート』をもっとずっと聴きやすくしたような2枚組みアルバムが出ました。かなり早い時期に安い輸入盤を見つけて、買いました。これがあの『ケルン・コンサート』(1975年)。聴きやすいどころじゃない、あちこちでやたらに流れる、超有名アルバムになってしまいました。なんだかフォーク・ロックみたいなフレーズが繰り返されたり、あの冒頭のアレ、FMの番組のテーマになったりしましたね。そうだ、『ケルン・コンサート』は井の頭のアパートで聴いていたのだ。
2003.11.01
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