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Dr.悠々さんの日記「同じ風に吹かれてきた」に出てきた『雲遊天下』の38号を購入。驚いたのは、ホン・ヨンウンのビデオが現在発売中と書いてあったことだ。これは手に入れなければ。『HON YONUN 1993 LIVE ~歌は風みたいさ~』早速編集部に電話をしてみるが、誰も出ない。一応東京の事務所にも電話してみるが、やっぱり誰も出ない。う~む。結局ビレッジプレスへe-mailを出した。本当に来るかしら。楽しみ♪ところで、1988年のカセットテープ『一人町の中で』は持っていないので、ヤフオクのアラートを設定している。「ホン・ヨンウン」という言葉を含んだものが出品されるとメールが届くというもの。これがまったく使えない。毎日毎日、韓国ドラマのDVDが出たぞというメールが来るだけ。【追記】No.1e-mailの返事はすぐに来ました。わい♪
2005.01.31
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【追記】No.1昨日の日録でいわゆるネット右翼(プロ奴隷)や軍事ヲタクのことを「葦原将軍」に擬したのだが、今ではあまりポピュラーな名前ではないようだ。googleで検索したら、「兄妹相姦漫画コレクション」なんてものがヒットしてびっくり。そういう名前でマンガを描いている人がいるんですね。もしかしてそっちだと思われてたりして。違いますよ。「葦原将軍」と呼ばれていたのは下記のような人物です。反米嫌日戦線(死ぬのはやつらだ)さんも書いていたのですね。 →臨床精神医学辞典:葦原金次郎(1852-1937) →反米嫌日戦線:明るい躁病 狂気の蘆原天皇 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]それで、シスコ・ヒューストンのことに話が行ってしまいます。当然と言えば当然のことで、シスコ・ヒューストンはディランが師と仰ぐウッディ・ガスリー(Woody Gythrie)の、いわば相方だったのです。「ウッディの完璧な相方(counterpart)だった」と、ディランも書いています。→Cisco Houstonシスコの病は末期的なものであり、その最期のステージをフォークシティでやっていました。だからこそディランはフォークシティに通ったのです。カウボーイの歌、材木伐り出し人(lumberjack)の歌、鉄道の歌、悪党のバラッド。ウッディは数多くのレコーディングをシスコと共に行なっていたのです。もちろんウッディと共に旅をして、歌を歌っていました。第二次大戦中は二人で同じ商船に乗っていたそうです。シスコはエロール・フリン(Errol Flynn)に似たハンサムな男で、俳優にだってなれたとディランは書いています。うん、こういうのがわからないんですよね。ええっと。 →[Errol Flynn - Official Web Site] →西部劇俳優リスト:エロール・フリンなるほど、剣劇スター。カスター将軍は確かに似合いそうです。そういう容貌でやわらかなバリトン・ボイス。もてたんでしょうな。美男も短命なようです。わしゃ長生きできそう。p.63です。
2005.01.30
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【追記】No.2いわゆるネット右翼(プロ奴隷)や軍事ヲタクが愚かなのは、「ブラブラ節」に描かれるような貧乏人の生活に自分が陥ったところを思うだけの想像力が欠如しているところである。二世議員とは、勤務実績がまったくなくても給与や年金を払ってもらえるような連中だ。そういうものの言いなりになる、まさに奴隷志願者。彼らの脳内では、自らの姿は虫けらのように殺される一兵卒ではなくて、軍事参謀あたりになってしまっているのだろう。「葦原将軍」みたいなもの。哀れと言えば哀れだな。【追記】No.1私の場合は古い日録をトラックバックに付けることが多いので、今日の分に新しく追記したのかと誤解なさる方がいらっしゃいます。違うんですよ。今日は夏見還さんが添田唖蝉坊やソウル・フラワー・モノノケ・サミットのことを書いていたので、下の日録をトラックバックしたのでございます。高田渡さんも歌っている「ブラブラ節」の一節が心に響きます。この歌詞は今では放送されることはないでしょう。 ♪ 親はお前に銃剣もたせ ♪ 人を殺せと教えたか ♪ 二十一まで育てたか ♪ なったなったなった 兵隊さんが片輪に ♪ なってまた見らりょか ブーラブラ →[2004年6月12日付日録:人を殺せと教えたか] →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]ディランはカミーラ・アダムズ(Camilla Adams)のところでマイク・シーガーと出会ったようです。え?誰?たぶんお店をやっていた女性ですね。---------------------------------------Camilla was an exotic, dark haired lady, a full-bodied woman who looked like Ava Gardner.---------------------------------------「full-bodied」というのは、「大柄な」だと思いますが、もしかしたら太っていたのかもしれません。エヴァ・ガードナー(Ava Gardner)に似ていたそうです。え?誰? →Ava Gardner Museum →エヴァ・ガードナー あ、なるほど。映画で見たことあります。濃い目の美人ということですね。ディランはこのカミーラを、「ゲルデ・フォーク・シティ(Gerde's Folk City)」でよく見かけたそうです。 →GERDE'S FOLK CITY月曜の夜は「フーテナニー・ナイト(Hootenanny Night)」と称して、無名のフォークシンガーが歌っていました。その時にカミーラと出会って、それ以来ちょっとばかり知っているのだそうです。カミーラはいつも私立探偵みたいなタイプの男と一緒にいたそうです。それで、ジョッシュ・ホワイト(Josh White)の親友だったそうです。 →Josh White Jr ジョッシュは探偵みたいじゃないですよね。それでシスコ・ヒューストン(Cisco Houston)とも仲良しだったそうです。 →Cisco Houston Discographyシスコ・ヒューストンは今描かれている時から少し経って亡くなっているんですね。ウッディの曲をよく歌っていたようです。あれれ?影響を受けたというマイク・シーガーのことを書いてくれるかと思ったら、もうすっかり忘れているようです。お話はどうもカミーラ・アダムズという女性のことに移ってしまったようですよ。
2005.01.29
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【追記】No.2 昨夜幻泉館サーバのアクセスログを眺めていたら、[北原謙二]という検索語で飛んで来た人が何人もいた。さっき起きて新聞を読んだら、訃報が載っていた。そうか、亡くなったんだ。享年六十五。初代ジャニーズの前に従姉が好きになった歌手がこの人だったので、昭和歌謡というと思い出す。 ♪ 君には君の 夢があり ♪ 僕には僕の 夢がある「若いふたり」は歌える。染み込んでいるらしい。合掌。【追記】No.1あちこちに幻泉館日録のミラーを作って、いろいろなblogを試してみた。楽天広場は必死にblogの呼称を欲していたのでそういうことになりつつあるようだが、一日に一つしか記事が投稿できないのは、どうにも寂しい。◎楽天広場の長所 データサイズが無制限である。●楽天広場の短所 スタイルシートが使えない。 投稿記事が一日に一つだけ。 携帯でコメントが読み書きできない。 いわゆるネット右翼(プロ奴隷)が多い。 突然アカウントを削除される。使い勝手が一番良いのは、もちろん自前のサーバで運営している本館である。常時接続環境でルータを使用している人なら、古いノートPC一台あれば自分でサーバを運営できるので、それをお勧めしたい。誰でも簡単にできますよ。ところで、昨日の追記部分は他のblogでは「僕たちの将来」と題して独立した記事となっている。ミラーの一つgoo blogにコメントが一つ付いた。これが、意味がわからない。----------------------------------Unknown (Unknown) 2005-01-27 21:32:43 公務員なのに公の場で「日本に来るな」と平気で言うような人種を公務員管理職ポストに置くようになっらそれはそれでこの国の最後だと思いますけどね。 ----------------------------------この人が何を言いたいのかがわからない。原告の在日韓国人を批判しているのだろうか。「人種」とは何なのか。一旦「それが差別なんだよ」とコメントを付けたのだが、思い直して書き換えた。---------------------------------->Unknown (幻泉館主人) 2005-01-27 22:42:42 石原都知事やなんとかいう法務大臣のことだね。----------------------------------楽天広場に巣くうネズミの糞未満のような悪質な書き込みの場合は、IPを公開したりしようと思っている。楽天広場に嫌気がさした場合は、こんなblogをどうぞ。幻泉館日録がサンプルに入っているとお考えください。→幻泉館日録 本館blog 古いノートPCにLinuxを入れて運営。 Movable Typeを使用。 誰でも無料でできます。→幻泉館日録@goo BLOG システムを拡張したばかりなので、軽くなりました。 すごい勢いで利用者が増えています。 お仕着せのデザインも悪くないし、自分でカスタマイズできます。 お勧め。→幻泉館日録@livedoor デザインの自由度が高いです。 経団連志向の楽天よりは、まだホリエモンの方が好感を持てるという方はこちらへ。→幻泉館日録@teacup 懐かしい無料掲示板のteacupが運営するblog。 urlにリンクタグが自動的に入ってしまうので、私はかえって使いにくいです。→幻泉館日録@So-net So-netが試行錯誤中のblog。 機能は先進的です。 作ってまだ日が浅いけれどアクセスは必ず三桁行ってるので、ミラーの中では一番活発かも。 --------------------------------------どんなことが起きるのかという変化の予兆はほんのささやかなことなので、気づかないこともあるだろう。それから、何かいきなり変化が起こり、別世界、未知なる世界に投げ出されることになる。それは本能的に理解できる--君は解放されたのだ。--------------------------------------ディランの名曲を思い出しますね。I Shall Be released.→2004年5月26日付日録:われ解放さるべし ♪ I see my light come shining ♪ From the west unto the east. ♪ Any day now, any day now, ♪ I shall be released. ♪ おれの光りがひかってくるのが見える ♪ 西から東へ。 ♪ もういつだって、いつだって ♪ われ解放さるべし (片桐ユズル&中山容訳)段落が変わって、ディランが影響を受けた人物としてマイク・シーガー(Mike Seeger)の名前が出てきます。ああ、あのビデオに出ていた人だ。 →2004年8月23日付日録:Pete Seeger's Family: SING-A-LONGバンジョー、マンドリン、フィドル、オートハープ、ガットギター、とにかく楽器をいろいろ持ち替える器用な人だった。ピートの息子かと思ったら、弟さんのようですね。 →Mike Seeger Music from True Vineマウンテン・ミュージックの大御所なんですな。Folkwaysからたくさんレコードを出していたので、ディランが憧れたようです。
2005.01.28
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【追記】No.1極右の知事が君臨する東京都。最高裁大法廷は外国籍職員訴訟で昇任試験を拒否した東京都の言い分を認めてしまった。原告の東京都保健師、在日韓国人二世は敗訴したのである。おそらくこの国に「僕たちの将来」は、もうない。こうやって日本国は緩慢な死を迎えていくのだ。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]ジョニー・リヴァースが歌ったチャック・ベリーのMaybellene"と"Memphis"を引き合いに出してさらにジョニーのことを語った後、改行して再びレイの部屋に戻ります。 →The Official Site of Chuck Berry------------------------------------僕が太陽の国にたどり着くのは、それから数年後のことである。部屋の中を見回して、そして裏窓から外を見ると、黄昏が迫っていた。避難ばしごは表面全部に氷が厚く積み重なっていた。路地を見下ろして、それから上を見上げて高い建物の屋根を次から次に見ていった。また雪が降り始めていて、セメントに覆われた地面をさらに雪が覆った。------------------------------------私はディランの情景描写がとても好きです。レイの部屋からニューヨークの街を見下ろした雪の日。ディランは1961年2月のこの日の風景を、本当に覚えているのだと思います。そして、自分の人生について思いをめぐらします。------------------------------------僕はものごとを、思想を、遠くから見る方法を学ぶ必要があった。図書館の本と同じように、ものごとは一度に見るには大きすぎる。正しく見ることができれば、そのすべてを一つの段落や詩の一節の言葉にすることができるかもしれない。------------------------------------黄昏のニューヨーク、舞い散る雪を眺めながら、思いは決意に変わっていったようです。2行空けて話が変わります。------------------------------------Sometimes you know things have to change, are going to change, but you can only feel it----like in that song of Sam Cooke's, "Change Is Gonna Come"----but you don't know it in a purposeful way.------------------------------------最後に付け加えた節に胸が痛みます。「僕たちの将来」はどう変わっていくのでしょう。 →SONGFACTS: A Change Is Gonna Comeこれはディランの"Blowin' In The Wind"を聴いて大いに影響を受け、作られた曲なのだそうです。シングル盤の発売はサム・クックが射殺された後。私の場合はやはりThe Bandの演奏でおなじみです。以前書いたオフィシャルサイトで少しだけ聴けます。 →The Band: A Change Is Gonna Comeもちろん「gonna」は「going to」のことです。明らかに、近い将来に変化が訪れるのだと、変革を歌った曲ですね。サムが射殺されたのは1964年12月10日。その二か月後、1965年2月21日にはマルコムXが暗殺されました。
2005.01.27
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【追記】No.1『絶対安全剃刀』に入っている「田辺のつる」は『漫金超』の創刊号に載っていた。この高野文子さんと『童夢』の大友克洋さんの登場によって、80年代はマンガが変わるのだなあという感慨を抱いた。90年代に入る時や21世紀に入る時に、そういう感慨はまったくなかった。喫茶店文化が滅んだので、外でマンガ雑誌を読むことがなくなったためかもしれない。「絶対安全地帯」というのは、おそらくは高野文子さんの作品名からヒントを得て高橋春男さんが『噂の真相』の連載に付けたタイトルだ。高野さんや高橋さんにはまったく関係ないことなのだが、2ちゃんねら~的なるものに出会うと、いつもこの言葉を思い出す。絶対安全地帯(と本人が思い込んでいるところ)に身を置いて、無責任な発言や「攻撃」を行なうから。まあ、ネットで見かければアホの一言で片付ければ済むものなのであるが、こんなご時世なので、現実の世界でもちらほら迷惑をかけてくれるようになった。先日サンプルを見かけたので、ちょっとメモしておきますわ。とにかくうるさい。----------------------------------捕獲:某月某日某酒場にて分類:酔漢性別:男性推定年齢:三十代半ば知能水準:安ホ晋三と同程度やたらに人の良さそうな二人の連れを相手に、2時間以上持論(だと本人が思い込んでいる)を延々と繰り返しがなり続ける。中国が大嫌いなようだ。中国人抹殺まで言い出す。もちろん南京大虐殺はでっちあげなのだそうな。朝日新聞はアカだと思っている。日中戦争の史実を懸命に覚えたようだが、間違いが多い。歪曲された部分だけ明瞭。日中戦争のことと現在のことしか話さないのは、他の部分の知識が皆無のため。この手のサンプルが好む「ソース」は、ほぼ2ちゃんねるで仕入れたもの。テレビは見るようだが、本は読まない。日本国の将来を憂いて憤慨しているようなのだが、気分だけは官僚と一致しているらしい。静かな酒場でこいつの声だけが響き渡る。全共闘で有名なマンモス私大の哲学科出身であることを自分で暴露してしまっていたが、きっと数多くの同窓生が迷惑を被るぞ。一緒にいた二人、友達は選べよ。直接他人に向かって言えば犯罪を立件できるような言葉が多いので、そのまま書けないのが残念である。----------------------------------街でこんなものを一匹見かけたということは、ひきこもっているものが十匹ぐらいはいるということだろう。数が増えると面倒なので、早目に退治しておかなくてはいけないようだ。昼過ぎまではぽかぽかといい陽気だったのだが、夕方雲が出て寒くなった。浜に行っても、暗い雲が広がっているだけ。この辺りでは葬式の後に故人の使っていた食器類を海に流す習慣がある。今日も喪服姿の人たちが杯を干してから、何かを流していた。ディランが夢のカリフォルニアに行ったのは、もう有名になってからでした。サンタモニカ市民公会堂(?)で演奏をし、自分の曲をレコーディングしたミュージシャンと会うことになります。 →Santa Monica Civic Auditorium The Byrds "Mr. Tambourine Man" http://www.lyon.edu/webdata/users/kadler/public_html/rmcguinn/ http://members.aol.com/byrdsonlne/byrdsstuff/byrds.htm Sonny and Cher "All I Really Want to Do" http://www.tvparty.com/sonnycher.html http://home.att.net/~movie.stars.1950/sonny_cher.html The Turtles "It Ain't Me, Babe" http://www.marstalent.com/bio_turtles.htm Glen Campbell "Don't Think Twice" http://www.glencampbellshow.com/ Johnny Rivers "Positively 4th Street" http://www.johnnyrivers.com/こうしてみると、やっぱりディランってすごいなあ。The Bandやこのあたりの音が、私の聴く音楽の基本になっているような気がします。で、御大ディランは、自分の曲を他人が歌ったすべてのバージョンの中で、このジョニー・リヴァースの録音が一番好きなんだそうです。---------------------------------------------It was obvious that we were from the same side of town, had been read the same citations, came from the same musical family and were cut from the same cloth.---------------------------------------------自らの音楽的出自と非常に近しいものを感じているんですね。ジョニーの"Positively 4th Street"は自分で歌ったものより好きなんだそうです。自分の歌に自信を持っているディランとしては珍しい記述です。残念なことに、私はこれを聴いたことがないんです。p.61に入りました。
2005.01.26
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【追記】No.1 (アメリカ国歌の節で) ♪ 頼まれへんのに平和を作ると ♪ 爆弾落とし地獄を作る古い日記にレスが付いたので、思い出しました。ええい、腹が立つ。詳しくはこちらを↓ →岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)自家引用やら替え歌やらで多重構造になっております。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]故郷にいた時のディランのガールフレンドの家には、他にも魅力的なものがありました。レミントンのタイプライター、白鳥の首のようなサキソフォンのネック、モロッコ革のカバーが付いたアルミ製双眼鏡。4Vの電気を出力する小さな器械、小さなモホークのテープレコーダー、奇妙な写真。ペットのフクロウを肩に乗せたフローレンス・ナイチンゲールの写真などもあったそうです。ちょっと気になったのでgoogleで検索しましたが、そういうナイチンゲールの写真は見つかりませんでした。 →Florence Nightingale要するに、おもちゃ箱のようなおうちだったんですね。ディラン少年は、椰子の木が写った、カリフォルニアの絵はがきがお気に入りだったようです。実際にカリフォルニアに行ったことはありませんでした。そこは、とても魅力的な人達が暮らしている場所のようでした。夢のカリフォルニア!映画はカリフォルニアで作られているし、「とねりこ(Ash Grove)」という名のフォーク・クラブがロサンジェルスにあることも知っていました。 →「とねりこの木立」ウェールズ民謡 →The Ash Groveフォークロア・センターで「とねりこ」のフォーク・ショーのポスターを見て、そこで演奏することを夢見ていたのだそうです。とても遠くに思えました。いったいそんなところに行くことができるのかしら。実際にディランがカリフォルニアに行ったのは、既に名声を得てからのことだそうです。無名時代の憧れの地、それがカリフォルニアだったんです。
2005.01.25
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イラク侵略大演習を嗤え。人道的支援を名目に昨年来自衛隊がイラクの地に派遣されている。さわやかファシスト首相の言では非戦闘地域だそうだが、もちろん戦地だからこそ自衛隊が派兵されたのである。実戦経験のない自衛隊に経験を積ませ、海外派兵の実績を作り出す。解釈改憲によって既成事実を作り、現実に合わせると称して憲法を改悪する。大本営発表の実績を持つNHKを通して、これが当然のことだというように、国民の意識を変えようとしている。現実が変わったのではない。意識が変わろうとしているのだ。NHKは決してイラクの現実を伝えない。「自己責任」で危険を冒して現地入りする記者などいるはずもない。本当はイラクのことなんてどうでもいいと思っているんじゃないのか。ブッシュの侵略戦争に便乗して、侵略戦争の大演習を行なっているのだ。ただただ愚かである。こんな馬鹿な演習を根拠に、憲法変えられてたまるものか。2005年を憲法改悪の年にはしないよ。 →「関東防空大演習を嗤う」桐生悠々 *「嗤う」は「 ばかにしてわらう、嘲笑する」。 *AKはNHK(東京)のこと。ディラン少年は故郷の彼女の家で、ジミー・ロジャーズのレコードを聴きまくりました。「ブルー・ヨーデル」をレコードと一緒に歌っていたそうです。 Jimmie Rodger's Blue Yodels ♪ 俺はテネシーのハスラー ♪ 働かなくってもいいのさ「僕も働きたくなかった」と、ディランは書いています。正直者。レイの工房で銃を眺めながら、ディランはやっぱり故郷での昔の彼女のことを思い出します。「あの子どうしてるかな。」最後に会った時、彼女は西に行こうとしていたそうです。「West」と書いていますが、西部ではなくて西海岸のことだと思います。もしかしたら、映画の世界を目指したのかもしれません。「みんな彼女のことをブリジット・バルドーに似ていると言ったが、実際よく似ていた。」あら、「puppy love」のお相手のイメージがだいぶ違いました。p.60に入ったところです。
2005.01.24
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【追記】No.1VJE-Delta 3.0の設定メモ →「ただのにっき」 →キーバインドについて →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]----------------------------------------I'd seen guns before. My old hometown girlfriend, my Becky Thatcher had a father who wasn't anything like Judge Thatcher.それ以前に銃を見たことはあった。故郷の昔のガールフレンド、僕のベッキー・サッチャーには、サッチャー判事とは似ても似つかぬ父親がいた。----------------------------------------おお、書いてないけど、トム・ソーヤーですね。サッチャー判事は高潔な人物だった……んですよね?覚えてないわ。 → "Judge Thatcher said it was a noble, a generous, a magnificent lie."なるほど、判事らしい感じです。ちなみに鉄の女サッチャーが英国の首相になった時、なんとなく『トム・ソーヤーの冒険』を連想したのですが、ベッキーじゃないよなあと思っていました。その母親がマーガレット・サッチャーなんですね。田舎にいた時のディランのガールフレンドの父親、この人がやっぱり銃をやたらにたくさん持っていたのだそうです。鹿を撃つためのライフルやショットガン(散弾銃)、銃身の長いピストル。ディラン少年はぞっとしたようですよ。彼女の家は町外れ、もう道路がアスファルトで舗装してないところに暮らしていたのですが、そこを訪れるのは危険なことだったそうです。その年老いた父親は「being mean」という悪評がたっていたからです。ディラン少年はなんというガールフレンドがいたのでしょう。その代わり、お母さんはとても優しい人でした。「like Mother Earth」は「母なる大地のように」でいいのかな。そこのお父さんが働いている時は、とてもいい人でした。でも、そうでない時は酔っ払って邪悪な人物に変わってしまうのです。「お酒飲まきゃいい人なのに」というのは、「お酒飲むからダメな人」なんですよね。部屋に入ってきて、何やらぶつぶつ言い出します。ある時などは、ディラン少年とそのガールフレンドは、ショットガンを持って追い払ったそうです。真っ暗な砂利道で、二人めがけてショットガンをぶっぱなしたとか。すげえ親爺です。その時に撃ち殺されてなくて良かったですなあ、ディラン君。それでもディランはこの家に遊びに行くのが好きでした。おさな恋(puppy love)であるからもちろん彼女のおうちに行きたいのは決まってますが、実はそこには古い78回転のレコードがあったからなのでした。ジミー・ロジャーズのレコードでした。ジミー・ロジャーズなら、「リーダーズ英和(プラス)」に載っています。----------------------------------------'Jimmie' Rodgers [James Charles Rodgers] (1897-1933) 《米国の歌手・作曲家; カントリーアンドウェスタンを一般に広めた一人; 鉄道で働いていたが結核で退職, 歌手に転じて成功, `Singing Brakeman' のあだ名で知られた; 生涯に 100 曲以上をレコーディング, 主な曲に `Blue Yodel No.1' `The Brakeman's Blues' など》----------------------------------------「カントリーミュージックの父」なんですね。 →[Jimmie Rodgers - The Father of Country Music]
2005.01.23
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【追記】No.2レイの言葉が冗談なのか本心なのかわからないのですが、さまざまな部品まで揃えておいて、それだけで満足していたわけではないようです。つまり、少なくとも頭の中ではその銃を手に取って戦う映像が描かれているわけです。いつか使う日が来る、そういう銃です。だからモデルガンではだめなんでしょう。日本では、普通に銃を持つことはできません。支配者に有利な「刀狩り」のためといよりは、日本国憲法第9条の精神に近いのだと思います。人間の心は弱いものですから、あれば使ってしまうことがあるかもしれない。もちろん食事用のナイフやフォークでも人を殺すことはできるのですが、カッとなって銃をぶっぱなすのと比べれば、ずっと安全です。大東亜共栄圏の主張にひとかけらの真実もなかったわけではありません。アジアの解放はまさに大義でした。でも、大日本帝国は解放したのではなく、侵略を行なったのです。日本国憲法は外国から与えられたものです。もし与えられなかったら、二・一ゼネストは本当の革命になっていたかもしれません。革命ではなくて日本国憲法を選ぶという選択は、おそらく正しかったのでしょう。そんな戦後を、自民党は今雰囲気だけで一気に清算しようとしています。外国で戦争をする国に変えようとしています。国連が認定した難民を強制退去させるような国が、海外でどんな戦争をするつもりなのでしょうか。【追記】No.1昨日(金曜)のヒナのひるねです。わけのわからん生き物になってますな。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]レイのところには広い工房のような部屋があったそうです。ハンマー、弓のこ、ドライバー、プライヤー、ワイヤーカッター、てこ(レバー)、たがね、歯車の付いた箱。こんな工具が散らかっていて、鋼鉄製の花があったりします。もしかして、レイはクマさんのように鉄のゲージツ家だったのかしら。 →KUMA'S FACTORYところが、銃器類の部品もたくさんあったようなのです。小さなピストルから、かなり大きなものまで。-------------------------------------There were different parts of guns----of pistols, large frame, small frame, Taurus Tracker pistol, a pocket pistol, trigger guards, everything like in a compost heap----alterd guns... guns with shortened barrels, different brands of guns----Ruger, Browning, a single-action Navy pistol to work, shined out.-------------------------------------いやはや、説明がわからんですよ、ルガーやブローニングが出てくるとほっとします。ディランも銃に詳しいですなあ。これは常識なんでしょうか。レイは単にガンマニアだったんだろうと思うと、それが違うのだと続きます。-------------------------------------It was weired. Ray was anything but a macho tough guy. I asked him once what he did with all this stuff back there, what it was for. "Tactical response," he said.それは不思議なことだった。レイはけっしてマッチョなタフガイなんかではなかった。その奥にある物でいったい何をするのか尋ねたことがある。「戦術的対応だ」とレイは言った。-------------------------------------あはは、やっぱりなんだかよくわかりません。ところで「macho マッチョ」というと筋肉モリモリを想像するかもしれませんが、必ずしも筋肉と必然的な結びつきはないようです。ほれ、やたらに軍服着て登場したがる好戦的な大統領、ああいうのが、マッチョを気取ってるというわけです。ペルーで日本大使館占拠事件が起きた時も、日系人の大統領が銃を持って見せましたね。今はこそこそと隠れているようで、あまりマッチョではありません。あ、日系人じゃなくて、日本国民だったのか、そりゃ知らなかった。
2005.01.22
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【追記】No.2 小林とむぼさんが「本館に飛べない」と書いてくださったので気づいたのだが、深夜に接続IPが変わっていた。そういう時にはDiceというフリーソフトがダイナミックDNSサービスをしているところに連絡をして、新しい情報に更新してくれることになっているのです。 ところが、livedoorのDDNSだけ更新に失敗しているようなんですよね。とりあえず手作業で更新手続をしたので、今はつながるはずなんですが、さて困ったな。 →Dice 自宅でインターネットサーバーを立ち上げよう 【追記】No.1古いThinkPadを修理した。2年間以上電源が入れっぱなしになっている幻泉館サーバが少し心配になったので、いざという時の代替機として準備しようと思ったからだ。せっかくだから、Vine Linuxの最新版3.1CRを入れた。ネックとなるビデオもネットワークもするすると自動認識。サーバにするはずが、着々と端末として使える環境を整えてしまう。目的意識を喪失しがちな、猫体質ですな。Win機で使っているMozilla FirefoxとThunderbirdが入ると、なんだかすごく落ち着く。製品版なので、日本語入力にはVJE-Deltaが付いていて、いきなり快適に使える。というように、夜更かしをして遊んでいます。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]ニューヨークに来る前は、ケルアック(Kerouac)の『路上(On the Road)』がディランのバイブルでした。そこに描かれたビート族(hipster)に憧れていたわけです。でも、実際ニューヨークで暮らし始めると、数ヶ月で興味を失ったようです。もちろんその本の中の詩的な言葉は大好きだけれど、登場人物モリアーティに対する共感は失せてしまいました。行き当たりばったりな感じの生き方が嫌になったようですね。 →映画『死にたいほどの夜』---------------------------------------------------Ray wasn't like that. He wasn't somebody who would leave any footprints on the sands of time, but there was something special about him. レイはそういう人物ではなかった。時代の砂に自分の足跡を残すような大物ではなかったが、特別なところがあった。---------------------------------------------------レイには邪悪なところがまったくなかったそうです。望みさえすればいつでも時代に打ち勝ち、支配することができるような人。よくわかりませんね。---------------------------------------------------Ray was mysterious as hell.レイはひどく不思議な人物だった。---------------------------------------------------ディランの結論がこれでは、やっぱりわかりませんわ。p.58です。
2005.01.21
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]謎の部屋主レイの服装は、さまざまだったそうです。----------------------------------------Sometimes you'd see him in a stirped suit with a wing-shaped colloar, pleated pants that were pegged.----------------------------------------「striped suit」はわかりますな。私も一応持ってます。親父様が亡くなる前に知り合いの仕立屋さんを呼んで作らせたのです。一度も着たことがありません。横に成長してしまったので、たぶんもう入りません。「wing-shaped collar」が今ひとつわかりません。「リーダーズ英和」に「wing collar」なら載っていました。 →wing collar ウイングカラー《スタンドカラーの前端が下に折れ曲がったカラーで紳士の正装用》う~む、「スタンドカラー」がわかりません。そこでgoogle検索。便利だなあ。 →YUMA'S ファッションWORLDスーツの襟ではなくて、シャツの襟なんですね。タキシードに合いそうなのがウイングカラー、もちろん私は一着も持っていません。スタンドカラーのシャツは持っています。一段と怪しさが増します。「pleated patns」はプリーツの付いたズボンのようですが、プリーツって何?前にピシっと折り目の付けてあるズボンでいいのかな。「with pegged」は何よ。ファッション弱点ですなあ、まったくわかりません。「リーダーズ英和」では、「pegged pants」「peg tops」に「こま型ズボン」と書いてあります。あの、お正月に回して遊ぶとされていた、コマのことですね。途中に膨らみがあるということでしょうか。言いたい結論はよくわかります。フォーマルな服装の時もあったということでしょう。----------------------------------------Sometimes he's in a sweater, corduroy trousers, country boots. A lot of times he dressed in overalls like a garage mechanic.----------------------------------------こちらはとてもよくわかります。要するに私の服装と同じ世界です。コーデュロイをどうして「コール天」というのか不思議だったのですが、「corded velveteen 畝織(うねおり)のビロード」から来ているそうです。受験生諸君、「trousers」は発音問題頻出語でしたな。母音は[au]ですぞ。長いコートを着ていた。褐色に日焼けしていた。髪はラクダ色(黄褐色)だった。うん、これではレイがどんな人なのか全然わかりませんわ。まだp.57です。
2005.01.20
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【追記】No.1遅い夕食をとっていると、おっ母さんがテレビのスイッチを入れる。NHKの「プロジェクトX」。極細繊維の開発苦労談。東レかぁ。JR東海道本線三島駅の南側に楽寿園という公園がある。元宮家の別邸だった森と湧水池が市立公園となり、国の「天然記念物及び名勝」に指定されている。私が小さいころは遊園地も賑わっており、富士の雪解け水が湧水となって、大きな池に豊かな水をたたえていた。今は干上がっている。駅の北側にある東レの工場が大量に水を汲み上げているためだ。開発苦労談もなんだかそらぞらしくなってしまう。 →「三島自然を守る会」実は私はこの番組「プロジェクトX」があまり好きではない。以前あった「電子立国日本の自叙伝」のシリーズは、よくこんなところが取材できたなあと思うところもあっておもしろく見ていた。「プロジェクトX」は、見ていると勘弁してくれという気になる。取材が楽でいいなと思う。以前NHKの下請け(というより孫請け)仕事をしたことがあるが、取材が楽なので驚いた。企業の犯罪性を問うような取材にも、「NHKなら」ということで簡単に協力してもらえた。「どこの馬の骨かわからない」フリーの立場でとても苦労した後だったので、本当に驚いた。NHKの記者は、そういう苦労は知らない。NHKの看板を自分の力と勘違いする者もいることだろう。経費がふんだんに使えることにも驚いた。本来のペイそのものは安くても、飲み食いのお金までいただけるので、恐縮した。皆様の受信料はこんなふうに遣われているんだと、これもびっくり。もちろん大手企業なので、サラリーマン根性に染まった職員が多い。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]「愛奴」と書いて「あいど」と読めば、ハマショウこと浜田省吾がいたバンド。あまりよく知らない。羽仁進監督の映画にもそんなタイトルのものがあったように思う。詩人小熊秀雄は、「愛奴」と書いて「アイヌ」と読ませていた。 →青空文庫:小熊秀雄苺姉さんのところで『アイヌ神謡集』のことを見かけたので、私もふと思い立ってCDを注文した。 →ねんねんおねむ「鈍りくらんで 行く手も見わかず」私はアイヌ語やユーカラの本を出している会社に在籍していたことがあるのだが、実際のアイヌ語をほとんど知らない。その言葉の響きが聞きたかった。そのことをずっと忘れていた。文字と意味では言葉は成立しない。音と意味が必要条件だろう。文字のない言葉、アイヌ語は、耳で聞かなければ触れたことにならないのではないかと思ったのだ。amazonで検索するとCDが何種類か出ていたが、とりあえず萱野茂さんが採集したり実際に御自分で歌っている音源を注文してみた。巻き舌の「rr」を多用して「オッホルルルル~」と子供をあやす子守歌、ユカラのリズムはやっぱり実際に聞いてみないとわからない。「rr」は鶴の舞いでも出てくる。鳴き声をまねているのだろうか。蛇や雨燕や鶴、動物を模して歌い踊るというものは、これは映像を見ないとダメだなあ。こんなふうに豊かな自然の中で動物や精霊と共に暮らしていた人々の生活を破壊したのは、もちろんシャモなのだ、日本なのだ。北海道沖縄開発庁長官という言葉を耳にした時に、奇異な感じを抱いた。「北海道沖縄開発庁」という役所があるのかと思ったのだ。もちろんそんなものはない。1950年に作られたのが北海道開発庁、復帰の1972年に作られたのが沖縄開発庁。「開発」? →環境記3号実際には関東・中部・関西を除けば「開発」担当の役所があるようだが、それでも北海道と沖縄は特別である。北海道に関して言えば、たとえば二風谷のダム建設に見られるように、それは先住民の生活の破壊を意味している。そんなに昔の話ではない。アイヌのうた価格: ¥1,895 (税込)1. イユタウポポ(搗き物をするときの歌)2. アペヘコテカムイノミ(火の神へのお祈り)3. シンヌラッパ(先祖へ供物を送る言葉)4. イヨンノッカ(子守歌)15. イヨンノッカ(子守歌)26. イヨンノッカ(子守歌)37. 早口言葉18. 早口言葉29. 早口言葉310. ウポポ(座り歌)11. チャッピーヤク(雨燕の舞)12. ハララキ(鶴の舞)13. アンナホーレ(湿原に遊ぶ鶴の舞)14. ヤイサマ(即興歌)15. ホリッパ(輪踊り)16. カムイユカラ(神謡)「支笏湖の大蛇」17. ウウェペケレ(昔話)「二つの頭を持った男」18. ユカラ(叙事詩)「山丹の美女と大まむし」
2005.01.19
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【追記】No.2今日は二階の廊下=サンルームがぽっかぽかでした。当然ヒナが昼寝をしていたのです。定位置。【追記】No.1時々覗きに行く「反米嫌日戦線 LIVE and LET DIE」で『M*A*S*H』を取り上げていた。私の好きな曲「あの世に行けたら(SUICIDE IS PAINLESS)」の聴けるサイトにリンクが張ってある。あら、嬉し♪ →テレビ版『M*A*S*H』テーマ以前日録で取り上げた曲なんだけど、結局輸入盤で映画のサントラCD買いました。時々聴きたくなる曲なんですが、外堀通りの夕方の渋滞を思い出します。 →[2004年4月17日付日録:もしもあの世に行けたなら(1970年)] →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] また二行空けて話が変わります。あの大乱読家のレイは、ディランにフォークナーを読むように勧めたのだそうです。毎度おなじみ「リーダーズ英和」を引いてみます。--------------------------------------Faulkner, Falknerフォークナー William (Cuthbert) Faulkner (1897-1962) 《米国の小説家; The Sound and the Fury (1929), Light in August (1932), Absalom, Absalom! (1936); Nobel 文学賞 (1949)》.--------------------------------------1962年没ですから、その死の前年ですね。ディランにとっては同時代の作家という印象なんでしょう。「フォークナーのやってるのは、大変なことだよ」と、レイが言います。「深い感情を言葉に直すのは大変だ。『資本論』を書く方が易しいことだ。」レイはアヘン吸飲者(opium smoker)だったそうです。キノコ型の皿が付いた竹のパイプで吸引します。台所でその塊を煮込んで、ガムのようにしたことがあるそうです。何度も煮なおして、布で濾します。台所が猫のおしっこのような臭いでいっぱいになったと、ディランは書いてます。そんな臭いなんだ。意外です。でも、レイは阿片窟のジャンキーのようなダメ人間ではなかったそうです。レイは阿片中毒ではなかったと書いています。ディランは阿片窟のジャンキーを知っているんでしょうか。どうもレイは謎の人物なんですね。ディランは、どうしてレイが逮捕されなかったのかわからないとまで言っています。--------------------------------------One time Clayton and myself came in late and Ray was asleep in a big chair----he looked like he was asleep in the room with the light on his face----dark hollows under his eyes, face caked with sweat. It looked like he was dreaming a dead dream. We just stood there.ある時クレイトンとボクが夜遅く入っていくと、レイは大きな椅子で眠っていた。顔の上に明かりを点けたまま眠ってしまったようだった。目の下が黒くこけて、汗がかたまりついていた。恐ろしい夢を見ているみたいだった。僕たちはそこに立ち尽くした。--------------------------------------ディランの居候先、謎の人物レイのことがもう少しわかるのでしょうか。p.57です。
2005.01.18
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【追記】No.1先生と呼ばれるほどの馬鹿もなしNHKの番組制作で最も問題なのは、日常的に政治的圧力がかかっている点だ。今回CPが内部告発した番組では、当時の放送総局長が権力者の不興を買いそうだと判断して自民党の国会議員にチクったのである。番組制作現場に圧力をかけた政治家の側では、NHKを元々自分たちの広報機関だと思い込んでいるのだから、不当な圧力をかけたという意識などまったく持っていない。罪悪感のかけらもなくそんな些細なことだと感じたのだから、記憶に残るはずもない。政権与党なのに憲法遵守精神のかけらもないセンセイ方である。NHKの存在が元来とても怪しげなものなのである。ちゃんと国営放送になれば良いのである。不偏不党ではない。政府広報放送である。日本国政府の代弁者。もちろん国税で運営する。極端に予算は少ないものとして、国税の無駄遣いは許さない。報道部門は持つべきではない。放送が電波管理ということで郵政の管轄なのが間違いだな。現教育放送は、文部科学省の管轄にして、文化に金を遣うべし。やっぱりNHKは要らないじゃん。"Tom Load"に関しては解決しました。ワタクシが文字が読めなかったんですね。loveminus0さんが指摘してくださったとおり、ちゃんと"Tom Joad"と書いてありますわ。とほほ。ウッディ・ガスリーの「トム・ジョード」ですね。 →Tom Joad当時のディランが歌っていた長いトラディショナル・ソングとして、他にも数曲が挙げてられています。 →"Fair Ellender" →"Lord Thomas and Fair Ellender" →Lord Lovell 音源アリ →Mattie Groves確かに長いですね。それで、当時のボブ青年はどうやら暗記の練習をしたようなんです。バイロン(Lord Byron)の"Don Juan"やコールリッジ(Coleridge)の"Kubla Khan"を丸暗記しようとチャレンジしたそうです。 →Byron's Don Juan →don-juan.org →Samuel Taylor Coleridge "Kubla Khan"そういえば吉田拓郎さんがブレイクしたころ、歌謡曲の歌い手にさんざん批判されてましたね。楽譜(歌詞カード)を見て歌うなんてプロじゃないと。確かに当時の拓郎さんは、譜面台にスヌーピーの表紙のノートを置いて、それを見ながら弾き語りしてました。実はかっこいいなあと思ってました。おお、渡さんも譜面見てますね。そのための老眼鏡を探すのが、コンサートの風物詩。
2005.01.17
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【追記】No.2NHKに自民党が政治的圧力をかけた問題で、ネット右翼がやたらに元気らしい。ミラーというかブログをいろいろ試していて作ったlivedoorの別館に妙なトラックバックが付いていた。>朝日新聞とNHKに巣食う「一部の勢力」はなどと書いているのであんまり読みたくないのだが、本人の主張はなかった。代わりにまた他のところを見に行けという、面倒な話。古館アナの番組のことが書いてあるから見に行けという親切心もあったのかしら。でも、出演者の名前の後に「(工作員)」などと付け加えてあっては、読む気もせんよ。それではソースとやらにならんだろ。自らの脳内の妄想で事実を曲げてはいけない。ネット右翼を「プロ奴隷」と呼ぼうという提案もあるが、あまり気持ちがよくない。「プロ市民」というアホな語の二番煎じに見える。楽天広場の場合、あれは単なる「ストーカー」でいいだろう。【追記】No.1 以前gooのRSSリーダーを入れてみたのだが、なんだか使い勝手が悪いので外してしまった。あたりまえなのだが、gooのサイトを中心に使うことになってしまうから。ふと気づくと、Mozilla ThunderbirdはRSSリーダーとして使えるじゃないですか。早速お試し。[ツール]→[アカウント設定]から、左側下方にある[アカウントを追加(A)]を選びます。そこで出てきたメニューの[RSS ニュースとブログ]をチェックして、ほいほいと進めば出来上がり。メールのアドレスの他に[ユースとブログ]というアカウントができているはずです。あとは自分で、サイトの更新情報を伝える[RSS]のURLを追加していきます。これはThunderbirdのオンラインヘルプに書いてありますね。 →http://www.mozilla-japan.org/products/thunderbird/rss.html具体例として朝日新聞のアサヒコムが書いてあります。http://www3.asahi.com/rss/index.rdf↑このURLを、[ニュースとブログ]の[購読するニュースとブログを管理する]をクリックすると出てくるメニューで、[追加]を選んで放り込みます。そうすると、新着メールと同様に新しく作られたページが表示されます。アサヒコムのようなところなら新着ニュース、ブログなら新しいエントリー(記事)ですね。楽天広場もブログだと言いたくてXMLが導入されたので、指定できます。幻泉館日録@楽天の場合はこうかな。↓http://api.plaza.rakuten.ne.jp/gensenkan/rss/幻泉館本館のblogだとこれです。↓http://www.gensenkan.net/~blog/index.rdf楽天広場のアカウントはいつ削除されるかわかりませんので、ぜひ本館blogのRSS情報をThunderbirdに放り込んでおいてくださいませ。と、例によって自己宣伝のオチがついたところで、お後がよろしいようで。テケテンテンテン~フェリーニの映画について少し触れた次の段落では、テレビのことを書いています。60年代初頭、テレビがすごい勢いで普及して、アメリカでは多くのことが変わりつつありました。注意力が非常に短い時間しか持続しなくなるので、子供たちの精神と想像力が損なわれるのではないかという、社会学者の警告まで引き合いに出しています。-----------------------------------Maybe that's the true but the three minute song also did the same thing. Symphonies and operas are incredibly long, but the audience never seems to lose its place or fail to follow along. With the three minute song, the listener doesn't have to remember anything as far back as twenty or even ten minutes ago.もしかしたらそれは本当かもしれないのだが、三分間の歌も同じことをしたのだ。交響曲やオペラは信じられないほど長いが、どこをやっているの聴衆がわからなくなったり、ついていけなくなったりすることなど決してない。三分間の歌の場合、聴く者は二十分も前のことや十分前のことさえ覚えている必要はないのだ。-----------------------------------シャボン玉のような三分間のポップスはテレビ以前の時代に生まれていたと思うのですが、その三分だけのポップスを批判しているようです。関わるべきものなど何もない。記憶すべきものなど何もない。なんだか北村透谷を思い出しました。人生に相渉るとは何の謂ぞ。そういう流行歌に比べると、当時ディランが歌っていた歌はおそろしく長い歌が多かったのだそうです。"Tom Load"は少なくとも16番(sixteen verses)まであったし、"Barbara Allen"は20番ぐらいまであったというのだから驚きです。叙事詩だったのですね。googleで検索すると、"Barbara Allen"の方はいろいろヒットします。 →The Ballad of Barbara Allen"いろいろなバージョンがあるようで、上記サイトにはジョーン・バエズ版とガーファンクル版が載っています。ドリス・デイが有名なのかな。いろいろな人が歌っているスコットランド民謡ですね。でも、"Tom Load"が見つからないんですよ。"BRUCE SPRIGSTEEN, THE GHOST OF TOM LOAD"というアルバムはヒットするんですが。googleで検索し始めるとあっちこっちおもしろいところにひっかかって、楽しいんですが何もできなくなってしまいます。これは保留。ただいまp.54です。
2005.01.16
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【追記】No.3今日は小豆粥。片粥は縁起が悪いからと、毎年同じセリフを聞きながらいただく。朝は毎日お粥でもいいんだがな。冷たい雨が降っています。他の地方では雪のところも多いんだろう。今日はセンター試験。とりあえず、頑張れ、受験生!風邪ひくなよ。 →小正月に食べる小豆粥【追記】No.2NEWS23でHEATWAVEが「満月の夕(ゆうべ)」やるよと連絡をいただいたので、録画して観た。1995年1月17日からもうすぐ十年が経つ。震災を歌ったこの歌も十年を迎えるのだ。ソウルフラワーの歌はおなじみなのだが、HEATWAVEは聴いたことがなかったのです。放送の音が悪いように思ったが、ソウルフラワーとは違う歌詞が新鮮でした。瓦礫の映像と重ねられると、思いもかけず涙が浮かんできた。 ♪ ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る ♪ ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る ♪ 解き放て 命で笑え 満月の夕 →HEATWAVE版「満月の夕」同世代の作家田中康夫は瓦礫の中を原付で走り回って何かを考え、長野県知事となった。この十年、俺は何をやってきたんだろうな。大学の同級生は年賀状に「そろそろラスト十年」と書いてくれた。これから十年、それで俺が何者であったかが決まるのかもしれない。楽天広場でストーカーのような行為を繰り返しているネット右翼某ネズミの糞未満が、震災の被災者だというウソをついていた。これだけは許せない。【追記】No.1昨日は見れなかったんだけど、テレビ朝日系列のなんとかステーション、ひどかったらしいな。NHKのCPが内部告発をしたのは、制作者の良心に従ったからだろう。自民党有力議員の言い分だけたれ流したら嘘つき呼ばわりしているようなものだ。古館アナよ、あなたに報道番組は無理だ。もうやめなさい。朝日新聞社が「アエラ」という雑誌を出して、「週刊朝日ジャーナル」をつぶした時のことを思い出した。バングラデシュ・コンサートのCDを買った。Disc2のディランがお目当てだったのだが、最初から楽しめる。評価の低いアルバムのようだが、私は好きだ。シタールの音を聴いたのは何年ぶりだろう。高校生のころ、安い輸入盤でラヴィ・シャンカールのレコードを買ったなあ。まだどこかに潜んでいるはずだ。 →バングラデシュ救済コンサートチャリティとしては散々な結果だったんですな。当時中学生だった私はそんなこと知る由もない。三枚組みのアルバムは高くてまったく手が出ませんでした。今でも日本盤CD(二枚組み)は定価4,180円(悪税込)と、めちゃくちゃな値段。もちろん輸入盤で買ったのですが、それでも高いなあ。このジャケット写真の子供はどうなったんだろう。三十年経ったって、人間は何も賢くなってない。Concert for Bangla Desh [FROM UK] [IMPORT] [LIVE]amazon.co,jp価格 ¥3,262(悪税込)Album DescriptionThe 1971 all Star Charity Concert Organized by the Late George Harrison. It was the First Mega Charity Event that Included Stars of Stellar Proportion in the Rock World. Special Guests Include Ringo Starr, Bob Dylan, Eric Clapton, Leon Russell, Badfinger, Ravi Shankar and More. Disc: 11. Introduction2. Bangla Dhun - Ravi Shankar3. Wah-Wah4. My Sweet Lord5. Awaiting On You All6. That's The Way God Planned It - Billy Preston7. It Don't Come Easy - Richard Starkey8. Beware Of Darkness9. While My Guitar Gently WeepsDisc: 21. Medley: Jumpin' Jack Flash/Youngblood - M. Jagger2. Here Comes The Sun3. A Hard Rain's Gonna Fall - Bob Dylan4. It Takes A Lot To Laugh, It Takes a Train To Cry5. Blowin' In the Wind6. Mr. Tambourine Man7. Just Like A Woman8. Something9. Bangla Desh
2005.01.15
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【追記】No.1「NHKに捧げる歌」(1970年)ピカソの再婚話の後は、また突然話が変わります。ビレッジには外国映画を上映する映画館があったという話です。フランス映画、イタリア映画、ドイツ映画。----------------------------------------これはとても意味のあることだった。偉大なるフォークソング研究図書館員アラン・ローマックス(Alan Lomax)自身がどこかで言っていた。「アメリカから外に出たければ、グリニッチ・ビレッッジに行け」と。----------------------------------------ディランは"the great folk archivist"という言葉を使っているので、そのまま訳すと「偉大なる民俗文書館員」ということになります。比喩かと思ったら、本当に国会図書館のリサーチで、フォークソングを収集していたのですね。 →Alan Lomax (2004/3/4) →THE ALAN LOMAX COLLECTIONディランはビレッジの映画館で、フェリーニの映画を観たそうです。"La Strada"と"La Dolce Vita"。おお、『道』(1954年)と『甘い生活』(1960年)ですね。『道』は大分前の映画ですが、『甘い生活』はまだ新作という感じだったことでしょう。 →『フェデリコ・フェリーニ映画祭』ディランは『甘い生活』の方の内容に触れています。----------------------------------------それは魂を売ってゴシップを追いかける猟犬となる男の話だ。どんな怪物も登場せず、怪物のように暮らす普通の人間が出てくるだけなのだが、まるでカーニバルの鏡の中の生活のようだ。二度と観ることはないかもしれないと思って、熱心に観た。----------------------------------------確かに60年代に映画館で観た映画を、繰り返して家庭で手軽に観ることができるようになるとは思いませんでしたね。聖なる一回性。昔は映画も、演劇のように観ていたのです。数年後にディランは、この映画に出ていた俳優のエヴァン・ジョーンズ(Evan Jones)とロンドンで仕事をします。ジョーンズが書いた脚本で演技をしたのだそうです。会ったときに、初めてのような気がしなかったと書いています。自分は決して人の顔を忘れないと断言しています。本当かしら。
2005.01.14
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【追記】No.1chappi丼の真似をして、お風呂でミカンを食べた。昨日買った伊予柑だ。お風呂に入ろうとして台所を通ると、風呂場に連れていけとテーブルの上にある伊予柑が語りかけてきたのだ。仕方のないやつめ。ワックスがかかってそうだから、湯船には入れないよ。縁で待ってなさい。身体が温まってから、ひんやりしたやつを一房ずつ食べる。目を閉じると、四十年前の風呂場を思い出した。今は洗濯場の土間になっているが、最初は窓を開けるとすぐ外だったのだ。裏の雑木林が見えたっけ。小学生になると、風呂をわかすのが僕の仕事になった。面倒というよりも、家の重要な仕事を任されたのが嬉しかった。ダルマストーブのようなもので、何でも燃やせた。親父様が適当な大きさに切って積み上げてある薪を、ナタでさらに細く割る。それがおもしろいので、細くめらめら燃える燃え木をたくさん作った。少しだけ新聞紙を使って火を点ける。台所ではおばあちゃんが夕餉の準備をしている。だからまだ明るいうちにお風呂に入っていたのだろう。寒いですわ。暖かいのんびり市でも、今夜は氷点下まで下がりそうです。「ライ・ウィスキー」の歌詞を引用した次の段落がおかしいので、そのまま引用しておきます。-------------------------------------In the world news, Picasso at seventy-nine years old had just married his tirty-five-years-old model. Wow. Picasso wasn't just loafing about on crowded sidewalks. Life hadn't flowed past him yet. Picasso had fractured the art world and cracked it wide open. He was revolutionary. I wanted to be like that.国際ニュースでは、79歳のピカソが35歳のモデルと結婚していた。すげっ。ピカソは人混みの歩道を歩き回っていたわけではなかった。人生はまだ彼の前を流れ去ってはいなかった。ピカソは芸術の世界を破壊して、こじ開けた。ピカソは革命的だった。僕はそういうものになりたかった。-------------------------------------鼻歌で「ライ・ウィスキー」でも歌いながら書いていそうです。ディランの文章は情景描写が詩的で美しいのですが、鼻歌まじりの時もあります。本当にウィスキーでも飲んでいたのかもしれません。なんといっても「Wow」がおかしいです。このニュースを聞いた時の二十歳ごろのディランが抱いた印象と、今のディランが抱いている印象はかなり違うものかもしれません。結婚相手のジャクリーヌに関して触れたサイトがありました。 →『ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション』Q&A結婚は1961年ですが、つきあって(?)十年近く経つのですね。ピカソは1973年に91歳で亡くなるのですが、最期の二十年近く創作と生活を支えた女性なわけです。ただいまp.55です。
2005.01.13
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「ジョー・ヒル」の歌をどう書こうかといろいろ考えながらも、結局ディランはその歌を書きませんでした。二行空けて、また突然話が変わるようです。ニューヨークの冬は寒いのですね。映画『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy)』で陽光を夢見るラッツォを思い出します。ディランも、「青い霧のかかった凍てつくような」ニューヨークの冬の夜を描きながら、「草の上寝転がって本当の夏の匂いを感じていたのは、もうずっと昔のことみたいだった」と少し弱音を吐いています。------------------------------------------早朝にマンハッタンの七番街を歩けば、車の後部座席で人が眠っているのを目にするだろう。泊まる場所があるのだから、僕は幸運だった。ニューヨークに暮らす人だって、寝る場所がないこともあるのだから。僕は持っていないものがたくさんあったのだけど、確固としたアイデンティティなんてものもそんなに持ってはいなかった。「俺らは流れ者、俺らはギャンブラー。故郷を遠く離れて。」 ("I'm a rambler----I'm a gambler. I'm a long way from home.")------------------------------------------ちょっとおセンチになってみせていますが、なんだか怪しいです。引用符も付いているので、これはなにかの歌詞ですね。google検索にそのまま放り込むと、ちゃんとヒットしました。"Rye Whisky"という曲です。 →Rye Whiskyどこかで聴いた曲だと思ったら、『春一番ライブ'75』で朝比奈逸人さんが弾き語りしている「ライ・ウィスキー」ですね。 →2004年5月27日付日録:春一番ライブ '75~'79 ♪ ウィスキー ウィスキー ウィスキーをくれ ♪ ウィスキーがなけりゃ 夜も明けぬ ♪ ウィスキー ウィスキー 泣きたいぞ ♪ ウィスキーがなけりゃ 死んでやるなんだか我が心の師匠高田渡大人の歌みたいです。そうそう、村上律さんも持ち歌にしてますが、タイトルは「ウィスキー」に変わっています。ライ・ウィスキーって、あんまり飲みませんものね。 →2004年4月27日付日録:ダンラン ♪ 腹が減ったら ウィスキーさ ♪ 泳ぎたくなったら ウィスキーさ ♪ ウィスキー ウィスキー 殺しておくれ ♪ 死ねなきゃ 死ぬまで生きてやる忘れてました。もちろん高田渡大人も歌っているのです。渡さんの場合、タイトルは「ウィスキーの唄」となっています。
2005.01.12
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-------------------------------------I fantasied that if I had written the song, I would have immortalized him in a different way----more like Casey Jones or Jesse James.もしも自分がこの歌を書いていたとしたら、もっと違ったふうに、もっとケーシー・ジョーンズやジェシー・ジェームズのようにジョー・ヒルの名を残しただろうと、僕は想像した。-------------------------------------おお、懐かし仮定法過去完了ですな。ここでケーシー・ジョーンズって誰だったかしらと思ってgoogleで検索したのですが、間違えて「Casey James」で検索してしまったので、まあ大変。本当にスイカみたいなのをぶら下げた「pornstar」がひっかかったり、生後一週間で亡くなった赤ん坊の屍体画像がヒットしたり、散々でした。「Casey Jones」と「Jesse James」ですね。同じサイトに歌詞とMIDIファイルがありました。 →Casey Jones →Jesse James二人とも「リーダーズ英和」に載っていました。-------------------------------------Casey Jones→ケーシー・ジョーンズ 《列車事故で死んだKentucky州Cayce生まれの機関士 (本名 John Luther Jones (1864-1900)) を歌ったフォークソングの主人公》`Jesse' James [Jesse Woodson James] (1847-82)→ジェシー・ジェームズ 《米国の無法者; 列車強盗や銀行強盗をはたらいたが, 賞金目当ての仲間の一人に殺された; 伝説では英雄化されて義賊となり, 俗謡や小説の題材となった》-------------------------------------ディランはかなり具体的に「ジョー・ヒル」の歌を考えたようで、二つの手法を紹介しています。一つはディランも挙げていたジョー・ヒルの最期の言葉をタイトルにするというもの。"Scatter My Ashes Anyplace but Utah"そして、このタイトルをリフレインにします。"Casey Jones"や"Jesse James"の曲調にこの決め台詞を載せてできる歌は、想像できますね。それはそれで名曲になったのではないかと思います。でも、ディランはもう一つの方法の方が有力だと言っています。墓の下、あの世から男が語る歌、"Long Black Veil"のような曲。ある女性の名誉を守るために他人の犯罪を背負い、自分の生命をあきらめる男の歌、それがディランの「ジョー・ヒル」です。そして、それこそはジョー・ヒル自身の最期の曲として書かれるべきだったのだと。"Long Black Veil"はどこかで聞いたタイトルだなあと思ったら、The Bandもやってました。おなじみのアルバムに入っています。 →Music from Big Pink →Long Black Veil 上記サイト、なぜか試聴できる箇所がページによって違います。ジョー・ヒルを先駆者だと書いてたので、ディランにとってきっとバプテスマのヨハネのような存在なのだろうと数日前に書きました。本命はあくまでもウッディ・ガスリーだったのです。結局ディランがなんとか書き終えた、いくぶんかでも重要だと自負する最初の曲は、ウッディの曲でした。
2005.01.11
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【追記】No.1表紙を開いた最初の扉にある言葉にびっくりしました。-------------------------------------押し入れから古いギターを出すもよし、憧れのマーチンを大人買い(?)するもよし、あの頃のあの唄を今こそ思う存分うたいましょう-------------------------------------な、なぜわかる?わしじゃ、わしのことじゃ~!本屋さんで『セメント・フォーク大全集II』を見つけました。おお、続編が出るということは、売れたんですな、『セメント・フォーク大全集』。ん?それにしては、買ってからもう二年近く経つのは妙だなあ。売れたのならもっと早く出そうなものです。 →2003年12月2日付日録:セメント・フォーク大全集前回の494曲に対して、今回は419曲とやや減。定価は本体1500円+悪税と変わらないので、やや値上げということです。残念。でも、この値段でこの充実度はやはりお買い得度抜群です。なんといっても、私の「歌える率」が非常に高いのです。選曲協力は永遠のフォーク少年坂崎幸之助氏で、異存はまったくございません。さあ、D-28号君も引っ張り出したことだし、オールナイト夜泣きか~?!『セメント・フォーク大全集II』自由国民社2005年1月10日発行本体1500円+悪税
2005.01.10
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]ディランの記述によって、ジョー・ヒルが殺人犯にされた事件の概略を見てみましょう。食料雑貨商とその息子が殺されたのですが、息子の方は死ぬ直前に銃を撃ちました。ジョー・ヒルは銃創があったので、有罪だとされたのです。その夜は同じ病院で五人の人物が銃による傷の治療を受けています。ジョー・ヒル以外の四人はみないなくなってしまいました。現在の日本の基準からすれば、銃によって負傷したということは必然的に犯罪との関わりを示しますが、20世紀初頭のアメリカでは、そうでもないのでしょう。事件のあった時刻にどこで誰と一緒にいたのか、ジョー・ヒルはけっして語りませんでした。一般的には、名を明かしてはならない女性と共にいたのだと信じられているそうです。事件の翌日に、ジョー・ヒルの親友も姿を消しています。ジョー・ヒルはあらゆる無産労働者から愛されていたけれど、政治家と資本家はずっと長い間ジョー・ヒルを抹殺したいと思っていた。裁判以前に、彼の有罪は決まっていたのである。1915年には、アメリカ全土の大都市で大規模なデモが行なわれた。ウッドロー・ウィルソン大統領も、ユタ州に事件を再審させようとした。しかし、ユタ州知事は大統領を嘲笑した(thmubed his nose at the president)。最後にジョー・ヒルはこう言った。"Scatter my ashes anyplace but Utah."「私の灰を撒いてくれ、ユタ州以外の国中に(ユタ州にだけは撒くな)。」-----------------------------------------------その後しばらくして"Joe Hill"という歌が作られた。プロテスト・ソングに関していえば、わずかしか聴いたことがなかった。レッドベリの歌"Burgeois Blues"、ウッディの"Jesus Christ"と"Ludlow Massacre"、ビリー・ホリデーの"Strange Fruit"といったようなものだ。ここに挙げた曲はどれも"Joe Hill"より優れている。プロテスト・ソングは説教臭く一面的にならないように作るのが難しい。そこにあるのにまだ人々が気づいていない、自分自身のある一面を示すように作らなければならないのだ。-----------------------------------------------ほらほら、ディランは「ジョー・ヒル」をダメな曲だと言ってるみたいですよ。その心あまりて言葉足らず。「ジョー・ヒル」はディランにとって、説教臭くて一面的なのね。それでは自分だったらどう作るのか、ディランは少し書いていますが、また次回。ただいまp.54です。
2005.01.09
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【追記】No.270年代の春一番コンサート、風太さんは英語で歌うバンドを認めなかったそうです。だから憂歌団も最初はダメだったとか。ディランだけは例外だったと言ってたけれど、ディランの曲を歌うバンドは英語でもOKだったということなのかな。春一番は日本のウッドストックを目指して始まったそういだけど、心のお手本はボブ・ディランだったんでしょう。その感じがだんだんわかってきた気がします。春一番の掲示板に、「純粋に音楽を楽しみに来たんだから政治的な主張はやめてもらいたい」と書いていた人がいたけど、やっぱりそれは見当違い。ラブソングも、プロテストソングも、歌なんだ。歌詞なんてどうでもいいと思って作られた歌ばかり聴いていると、そうなっちゃうんだろう。ウィリアム・ザンジンガーという青年の名前を記憶している人は多い。金持ちのドラ息子だった。町の有力者が集まっているパーティで、ウェイトレスをしていた黒人女性を殴り殺した。そう、ハッティ・キャロルだ。この曲"The Lonesome Death of Hattie Carroll"を収録したディランのアルバム"The Times They Are A-Changin'"は1964年リリース。事件が起きたのは1963年。最新のニュースを歌い込んだものだ。歌の内容はご存知のように殺人事件そのものよりも、ウィリアム・ザンジンガーに下された判決がわずか6ヵ月の刑期であることを告発している。実際には刑の執行は猶予されたらしい。ディランもまだザンジンガーと同世代の青年だった。こんな不公正が許されていいものか。ディランの怒りと悲しみは、同時代に向けて歌われたのだ。この曲は日本でも数多くの人の心を動かした。こういう内容を、こんなふうに歌っていいんだ。歌の新しい形が見えたように思った。ボブ・ディランは「今まで存在しなかった新しいもの」を創造したのだが、それは「フォークソング」の伝統に従うことによって生まれたものだ。本当は「フォークソング」は「民謡」と書くべきだろう。つまりディランは「新民謡」のヒーローとして輝いたのである。60年代の日本の若者の心を動かしたアメリカの「新民謡」は、日本でもフォークブームを引き起こし、歌謡曲の世界を大きく変えることになる。だが、事件を具体的に歌う、アメリカの「民謡」の手法は漂白されて消えてしまう。高田渡さんが三億円事件を歌ったり、友部正人さんが連合赤軍事件を歌ったのは、例外的なものとなってしまった。この国では、差別は常に遥かな国、遠い昔のことのように語られるのだ。アンネ・フランクやローザ・パークスを学校で教えて、差別は非人道的だと教師は語る。しかし、自分の娘が在日朝鮮人や被差別部落の青年に恋するのは好まない。何も変わっていない。【追記】No.1五黄の寅1950さんから、以前教えていただいた『戯歌番外地 替歌にみる学生運動』にこの歌が載っているよと、また教えていただいた。早速ヒナのワンダーランドとなっている山脈を崩し、該当の三一新書を発掘した。おお、確かに出ています。以下引用。----------------------------------------------12 代々木と奴隷 代々木がおごそかに 革命を語るとき おれたちは腹がたつ そこで代々木が猫撫で声で おまちもうすぐだ 革命はやってくる 統一せ 団結せ 寝てたら 歴史は勝利する----------------------------------------------下段に解説があります。----------------------------------------------12 六〇年前後、安保ブント結成頃に作られたものと推定される。元歌は、日共の歌声運動でも時々歌われていた。 元歌「牧師と奴隷」黒人民謡 牧師がおごそかに 天国を語る時 おれたちは腹がへる そこで牧師が猫撫で声で おまちもうすぐだ 天国へ行く日が来る 働け 我慢せ 死んだらあの世で食べられる----------------------------------------------なるほど、民青が歌っていたので、ブントが替え歌を作ったのですね。六〇年安保、もう45年も前の話になってしまいました。この本の発行は奥付によれば1970年6月15日です。 →2004年6月11日付幻泉館日録: 戯歌番外地(1970年)ジョー・ヒルの代表曲として、ディランは"Pie in the Sky"を挙げています。googleで検索すると、どうも"THE PREACHER AND THE SLAVE"という曲のようですね。「説教者と奴隷」? →THE PREACHER AND THE SLAVE ♪ Work and pray, live on hay, ♪ You'll get pie in the sky when you die. ♪ 働きなさい、祈りなさい、干し草食って生きなさい ♪ 死んだらあの世で パイがいただける上記サイトによれば、この歌は救世軍の賛美歌"Sweet Bye and Bye"の替え歌。救世軍の伝道を皮肉ったものですね。魂の救済なんかより、とりあえず胃袋を満たしたい。救世軍の説教者は、そんな欲求を押し殺して奴隷の思想を植え付けようとしているのだぞ。林業や建設の現場で働く季節労働者に、この歌を歌ってウケたのでしょう。私は1946年の食糧メーデーにおけるプラカード事件を思い出しました。 「朕はたらふく喰っている、なんじ臣民飢ゑて死ね」名誉毀損によって懲役8ヵ月の判決が言い渡されたのですね。たとえ事実であっても名誉毀損罪が成立するということでしょう。--------------------------------------------Joe wrote the song "Pie in the Sky" and was the forerunner of Woody Guthrie. That's all I needed to know.ジョーは「天国のパイ」という歌を書き、ウッディ・ガスリーの先駆者となった。僕が知る必要があるのは、それだけだった。--------------------------------------------大文字を使って「the Forerunner」と表記すると、バプテスマのヨハネ(John the Baptist)を指します。ディランにってジョー・ヒルは、クリスチャンにとってのバプテスマのヨハネのような存在だったのでしょう。この後ディランは、冤罪でジョー・ヒルが銃殺されることとなった殺人事件のことを記述しています。
2005.01.08
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【追記】No.1ジョー・ヒルが活動していた組合は、IWW(Industrial Workers of the World)です。世界産業労働者組合。例によって「リーダーズ英和」を引くと、こんな説明があります。「1905年Chicagoで組織され, 賃金制廃止・産業別組合主義を掲げたが20年に解散」おお、過激で短命な組合だったんですね。日本の企業別御用組合と比べると、まったく違う世界です。ついでにジョー・ヒルも引いてみました。-------------------------------------------Joe Hill (1879?-1915) 《米国の労働運動指導者; 状況証拠のみで殺人犯とされて死刑となり, 死後 労働運動の世界でヒーローになった; 多くの労働歌を残した》-------------------------------------------『ひげよ、さらば』『砂の上のロビンソン』そして加川良さんが歌った「教訓 I」の上野瞭さんがジョー・ヒルのことを書いていました。 →『ハックルべリイ・フィン』を読む アメリカの貧困上野さんは2002年に亡くなっていたんですね。合掌。--------------------------------------人生よりも大きな歌を書きたいと思う。身に起きた変わったことや、見かけた変わったことについて語りたいと思う。それなら、過去に日常語で語った人達のことをよく知らなければならない。歌を生み出すのに、先人たちが用いた冷徹な正確さ、それはすごいものがある。一つの歌を聴いて、君の心が前に飛び出してしまうことがあるかもしれない。自分の考え方とよく似た考え方をしていると思って。--------------------------------------流行歌を聴いて、「ああ私のことを歌ってくれてる、そうなのよ、その通りなのよ」と思ったりするのと同じなんでしょうか。違うのでしょうか。ディランの話の水準が、よくわかりません。--------------------------------------僕はある歌を「良い」とか「悪い」というように見たことは一度もない。いろいろな種類の良い歌があるだけなんだ。--------------------------------------これはさらによくわかりません。ディランが「つまらない歌だなあ」と感じた歌がたくさんあるはずだと思うのです。ある水準を超えた歌のことなんでしょうか。まてまて、ディランはあまり深く考えない、正直な人のようなので、本当にそう思ってるのかもしれません。とにかく歌が好き。でも、自分だったらもっとうまく書けるとか、自分だったらもっとうまく歌えると思ったのかな。歌の中には人生の真実を言い当てるものがあると前置きして、ディランは"I Dreamed I Saw Joe Hill"という曲のことを語ります。Googleで検索してみると、正式なタイトルは"I Dreamed I Saw Joe Hill Last Night"のようです。 →I dreamed I saw Joe Hill last nightディランはジョー・ヒルが実在の人物だとは知っていたけれど、どんな人なのかまだ知りませんでした。そこでフォークロア・センターでイジーに尋ねました。イジーが何冊かパンフレットを渡してくれたので、ディランはセンターのバックルームでそれを読みました。ミステリー小説のように読んだそうです。ディランの記述では、ジョー・ヒルはスウェーデンからの移民で、メキシコ戦争に従軍しました。かろうじて食っていくような生活を送り、1910年ごろ外西部で組合のオルグになります。資本主義の賃金システムを廃止しようとした、キリストのような人物。機械工で、ミュージシャンで、詩人。労働者のロバート・バーンズと呼ばれていた。ジョーヒ・ルは知ってますが、ロバート・バーンズの方がわかりません。「リーダーズ英和」にはこう出ています。--------------------------------------Robert Burns (1759-96) 《スコットランドの国民詩人; 主としてスコットランド語で恋愛詩・自然詩・諷刺詩を書いた; `Auld Lang Syne', 愛国的な `Scots, Wha Hae', 魔女伝説を扱った `Tam o' Shanter' など》--------------------------------------なるほど。みんなが知っている詩人ということですね。本筋のジョー・ヒルの方は、冤罪によって死刑になってしまった労働運動家です。映画化されています。 →goo映画『ジョー・ヒル』(1971年)ホセ・フェリシアーノが「ケ・サラ」を歌ってヒットさせたのは、その少し後だったでしょうか。 →Che Sara' MIDIと原詞 →ケ・サラ にしむらよしあき訳詞 quicktimeと&楽譜 ♪ いつも思い出すのさ ♪ 自由のために死を選んだ ♪ グェン・バンチョイ ジョー・ヒル ♪ ビクトル・ハラを ♪ 決して忘れはしないさそう、あのジョー・ヒルです。私がその名前を知ったのは、映画の主題歌となったジョーン・バエズの歌だったと思います。ただいまp.52です。
2005.01.07
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今日は忙しかったので、もうバテバテ。とりあえず昨日と今日撮った画像をアップして、お風呂に入ります。昨日町中の郵便局に行こうとして商店街を通ると、不思議なモノがありました。トトロ神社?賽銭箱は新潟中越地震被災地への義捐金箱になってました。本当にいろいろなことがありました。台風、震災、大津波、そして戦争。どさくさ紛れに憲法も変えようとしている連中がいます。憲法遵守義務がある連中がそれを言い立てるのはひどいなあ。そして今日はひさびさにヒナのひるねを撮りました。冬場はサンルームと化す、二階の廊下です。
2005.01.06
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【追記】No.2もはや日常生活に欠かせないブラウザ&メーラーですが、私はMicro$oft社のソフトが嫌いです。使い勝手が悪いし、危険です。それでNetscape Navigatorの系統を使うことが多かったのですが、今は「Firefox」と「Thunderbird」です。正式版が出たんですよね。Internet ExplorerやOutlookの「お気に入り」や古いメールも読み込んでくれます。そろそろまともなソフトに乗り換えませんか。→「Firefox」→「Thunderbird」 【追記】No.1昨夜NHK BS-2で見たライブ番組、UAがアカペラで「水色」を歌っていた。ひさしぶりだなあ、この歌。つい自分で歌ってみたくなる。CDを持っているのだが、発掘が面倒。どこかに歌詞が落ちていないかしら。あら、あるものですね。 →水色どうも難しい。ヘタクソだ。伴奏が欲しくなる。ストーブを出すためにD-28をケースにしまったのは温度や湿度が云々というより、単にスタンドに立てておくスペースがないからだ。一五一会ならひょいと吊るしておける。そのためのハンガーも既に取り付けてある。ということで、一五一会君登場。これまたひさしぶりに触ったので、もう何がなんだかわからない。仕方なくギターの高い方4弦のチューニングでちょいと伴奏。ギターのコードだと左手が低い音を探してしまうので、弾きにくいことがわかりました。当たり前だわな。マジメな開放チューニングに合わせて、練習しよう。 ♪ わたしは 水色のつばさ おおぞらにひろげ ♪ 疲れた とべない日は おおきな木にとまり ♪ 愛のことばと かぜのうた あなたにうたいましょう すっかり忘れてました。タイトルに「CHRONICLES #XX」と書き込まずに、ほんの少しだけ読み進んでおりました。これは「LifeSaver」の記述の後に出てくるのです。今書こうとして気づました。以下再掲。///////////////////////////////////////////小さなころに聴いたラジオ番組の話をしていると思ったら、また突然二行空けて、歌作りについて語り始めます。------------------------------------------自分の歌を書こうなんていつ思いついたのかわからない。自分が歌っているフォークソングの歌詞が世界をどう感じるか決めてくれたのだけど、それに似たようなものを作ることも僕にはできなかった。そういうことはきっと少しずつ起こるものなのだろう。ある日目を覚まして歌を書こうと決めるというものではない。特にたくさんの歌を知っていて、毎日さらに多くの歌を覚える歌手の場合は。------------------------------------------///////////////////////////////////////////ボブ・ディランという人は類い稀なソング・ライターとして有名なのですが、どうも自身の認識は少し違うようです。あくまでも「歌い手」のつもりだったようです。そして、非常に早い時期から、歌手としての自分の実力に相当の自信を持っていたのですね。「歌を書こうという機会は、現存するものを、まだ存在しないものに変えようとする時に訪れるものだ」ディランの場合、何か新しいことを表現したくて、必然的に自分で歌を作ることになってしまったということなんでしょう。今では当たり前のようになってしまったことも、1960年ごろにはまだまったく存在しなかった。ボブ・ディランはそれを自分で切り拓くという仕事をすることになるのです。1962年のデビューアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』では、ディランはまだ「歌い手」です。ここに書いたような「まだ存在しないものに変えよう」という気持ちを持っていたのでしょうが、本当に新しいものを創造するのは、その翌年のセカンドアルバム1963年の『フリー・ホイーリン(The Freewheelin' Bob Dylan)』(1963年)だったと言っていいでしょう。
2005.01.05
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【追記】No.1UAの番組までのつなぎにNHK総合のジョン・レノン音楽祭を少し見る。宇崎竜童さんと一緒に出ていた「アラビンディア」がおもしろかった。しかし、あまりにもイタイ出演者が続くのでいやになって、チャンネルをサッカー番組に変えてしまう。UAのライブは2004年9月の日比谷野音。ああ、去年は台風が多かったんだよな。ステージも観客もびしょびしょ。UAの発音はきれいではないけれど、あまりいやな感じはしない。言葉を大切にして歌っていると思う。ジョン・レノン音楽祭の一部の出演者は、あまりにも御粗末な発音で、曲に対する愛情が感じられなかった。もう歌の力が全然違う。ジョン君も彼岸で苦笑いしているのではないだろうか。天国なんてないんだけどさ。前から気になっていたのだが、UAのバックでベースを弾いているのは、やっぱりリトル・クリーチャーズのメンバーだった。鈴木正人さん。リトル・クリーチャーズ懐かしいなあ。 →little creatures2:30amからNHK BS-2でUAライブ。リピートだけど見たことないみたいなので、要予約。メモでした。正月三日目も畑仕事をした他は、浜へ出ただけでした。まあ、本当に何もしない静かな正月でした。昨年は1月3日に新宿と吉祥寺で酔っ払っていたのですね。よく飲んだわ。 →幻ちゃんを探せ@新宿なんと雑煮大会までやってるじゃないですか。すごい元気だったのね。 →雑煮自慢数人の方に「イベントやらないの~?」と聞かれましたが、私は単なる会場提供者でして、言い出しっぺさんさえいれば、すぐにでもできますよ。どなたか楽しい企画を御提案くださいませ。さて、また日常が始まるので、ディラン御大の本でも読みましょうか。前回どこまでやったか忘れてしまいました。歌作りに関して書いてるところまでは行ってないんですな。p.51。ディランが出演していた「ガス灯(Gaslight)」の隣にある「魚鍋(Kettle of Fish)」にはいろいろな人が出入りしていて、ラジオ番組制作者のことから、いきあたりばったりにラジオ番組の回想をしていたのでした。-----------------------------------------I asked the guy who made the sound effects for the radio shows how he got the sound of the electric chair and he said it was bacon sizzling. What about broken bones? The guy took out a LifeSaver and crushed it between his teeth.ラジオ番組の効果音を作っているやつに電気椅子の音はどうやって作るのか聞いたら、ベーコンをジュージュー焦がすのだと言った。それじゃ骨の折れる音は? そいつは「ライフセイヴァーズ」を取り出すと歯で噛み砕いた。-----------------------------------------ラジオの時代、音作りは本当に丁寧だったと思います。それしかないんだから。三谷幸喜さんの映画『ラヂオの時間』でおひょいさん(藤村俊二さん)が、そんな擬音職人を飄飄と演じてましたね。「electric chair」というのはSFではなくて、文字どおり処刑用の電気椅子のことです。本当にベーコンを炒めた時のようなジュージューという音がするのかというと、大いに疑問に思いました。それで調べてみたら、電気椅子の処刑は実際にものすごい音がするんですね。これはひどい。 →『死刑百科事典』電気椅子の項「ライフセイヴァーズ」は馴染みがありませんが、誰でもしっているリング型のキャンディです。ディランはその名前を少し間違えているのかな。 →LIFESAVERS昭和三十年代に極東で幻少年が食べたのは何だったかしらと思って調べてみましたが、よくわかりません。確かにこういう円筒形のパッケージのキャンディを食べたことがあるんですがね。うろうろしていて思い出したのでが、「サクマドロップス」と「サクマ式ドロップス」は別の会社が作ってるんですね。創業者の息子さんの会社と番頭さんの会社みたいなものだったかしら。戦争中の統制経済が影を落としています。そういえば映画『火照るの墓』の絵を印刷した復刻「サクマ式ドロップス」を見かけたことがありますが、それではお菓子として買えません。悲し過ぎます。うちのおっ母さん、あの映画見ることができません。
2005.01.04
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【追記】No.2明日から仕事なのでうんじゃらげの夜。宿題が少しあるのだが、とりあえず机周りを少しかたづける。あら、出てくるわ、出てくるわ、ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ。CDが何枚も発掘される。他人様から借用したものまで出てくる。しまった。椎名林檎姫、じゃない、東京事変のアルバムや、ソウル・フラワー・ユニオンの「極東戦線異状なし!?」を聴きながら、コーヒーを淹れてのんびりしてしまう。おお、やる気出さにゃ。 ♪ この戦争を やめさせろ この戦争を~ ♪ あのブッシュやシャロンみたいなゴロツキは ♪ 世界のあまたの歌が 首根っこを押さえるぜ 「極東戦線異状なし!?」異議なし!【追記】No.1今年の正月、元旦と二日は本当に何もしないで、ただ夕陽を撮りに行って、ついでにコンビニに寄っただけです。元旦は新聞を買うのが楽しみね。東京新聞は売り切れていたので、毎日新聞。以前はテレビ欄が欲しかったのだけど、今はニュース番組以外に地上波をほとんど見ないので、不要なのです。で、今年はついつい余計なものを買ってしまいました。チキンラーメン&どんぶりセット、390円ナリ(悪税込)。去年の夏に売っていたんですね。 →「チキンラーメン付きどんぶり」手許の箱には「★2005年 とり年 新春限定バージョン★」「●ひよこちゃん&モモピーバージョンフタつき●」と書いてあります。そうか、このキャラはひよこちゃんとモモピーなんだな。原材料名にチキンエキス、チキンオイルが入っていて、「生卵のせ」がお勧めだそうだけど、それって共食いだなあ。チキンラーメン食べたの何年ぶりだろ。ストーブで沸いたお湯でちょこちょこっと食べました。ノスタルジックでおいしかったです。 ♪ すぐおいしい~ ♪ すこしおいしい~ん?なんか違うか? →「夕陽が好き!」I Love Sunset!アップしました。今日も夕方千本浜へ。昨日のような風もなく波に静かだったが、今日は何組も家族連れが凧上げをしていた。驚いたのは、アイスクリーム屋さんが出ていたことだ。やっぱりのんびり市は日本のウェストコーストだべ。浜に出る前は自前サーバをいじっていました。気づかなかったのですが、新ドメイン「http://www.gensenakn.net/」はすぐに有効になっていたようです。ご利用の方はお手数ですが、URLを書き換えてくださいませ。これで決定です。(ほんまかいな)[幻泉館 本館] 2002年10月からの日録&掲示板 →http://www.gensenkan.net/~saturate/[幻泉館 blog] 「クロニクルズ」以降 →http://www.gensenkan.net/~blog/リンクの張り替えをしなければならないのですが、まあぼちぼちと。お気づきの方はご連絡ください。しかし、「幻泉館ネット」ですよ。これは嬉しいわ。これでいつ喫茶店開いても大丈夫(?)。副産物みたいなものですが、メールアドレスも「gensenkan.net」が使えるようになりました。したがって、「master@gensenkan.net」が使えます。え?何が嬉しいかって?これでメールアドレスも「幻泉館主人」ではないですか。「@」は本当は「@」なんですが、スパムメールのためのメールアドレスを収集しているロボットがいるので、わざと変えてあります。あ、メールアドレスを大々的に書いてしまいましたが、くださったメールは公開することがあります。アホなことしたら十倍にしてお礼させていただきますよ。元旦と二日は本当に浜へ夕陽を撮りに行っただけでした。これでお正月は終わり。明日三日は畑仕事をしなければ。ところで幻泉館とは何か? そのわかりやすい説明。 →ゲンセンカン主人 / MASKED AND ANONYMOUS
2005.01.03
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→「夕陽が好き!」元旦恒例初日の入りです。空は澄んでいましたが、風が強くて寒いので、そう長い時間堤防の上に立っていることができません。人出は多かったですよ。みんな海を見に来ているんだなあ。と思ったら、げげげ。ウィンドサーフィンやカイトボーディング(カイトサーフィン)の人たちがいました。いくら雪の降らないのんびり市といっても、これはすごい。寒中水泳のような悲壮さはなく、普通にやってました。のんびり市は日本のウェストコーストだべ。→Sunrise,Sunset MIDIも聞けます。
2005.01.02
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【追記】No.2[gensenkan.hn.org]というドメイン名はお金を払って取得したわけではなくて、無料でダイナミックDNSサービスを行なっているハンマーノード(HAMMERNODE)というサイトで借りたものです。覚えやすいので気にいっていたし、なんといっても無料というところが私のおばちゃん体質に合っていたのです。ところが今回の不都合でちょっとめげてしまいました。ほいほいと気軽に利用できなければ意味がないんですわ。何かいいところはないかなと調べていたら、あのlivedoorがドメイン取得の代行サービスをやっていることがわかりました。お金を払ってドメイン名を取得して、それをlivedoorが無料でダイナミックDNSサービスをするというものです。ここまで来たら有料でも[gensenkan]の入ったドメイン取得しておくかと、気持ちが変わりました。年間3550円なら、バチも当たらないだろ。livedoor ドメイン ダイナミックDNS[gensenkan.com]と[gensenkan.jp]は既に使われていたので、残っていたのは[gensenkan.net]のみ。「幻泉館ネット」で、かえって覚えやすいか。ということで、申し込んでしまいました、わはは。数日したら[http://www.gensenkan.net/]で本館にアクセスできるようになるはずです。ちなみに[gensenkan.com]と[gensenkan.jp]はこういうところです。http://www.gensenkan.com/ 元泉館http://www.gensenkan.jp/ 厳選館【追記】No.1それで結局大晦日はずっとディランなど聴きながら、ダイナミックDNSの設定をいじくっていたのですが、[gensenkan.hn.org]に関してはアウトでした。いつまでもこんなことはやっていられないので、このドメインはあきらめます。本館ご利用の方で[gensenkan.hn.org]をURLに使ってらっしゃる方は、お手数ですがすべて[goodmusic.ddo.jp]に置き換えてくださいませ。[例]http://gensenkan.hn.org/~blog/ ↓http://goodmusic.ddo.jp/~blogあけましておめでとうございます。今年もよろしく♪夕陽画像の整理などしながら、五つの赤い風船の歌を思い出しました。2003年の11月に書いた日記の一部をもう一度アップしておきます。幸せに生きることのできない子供たちがたくさんいる世界を、少しでも良い方向に変えていかなければならないのだと思います。「心情的な戦争反対」がなぜ批判されるのか、私にはわかりません。本当のところはただ単に、殺す側の論理が通用しないからなのではないでしょうか。それが女子供の論理だというのなら、私は一人前の男などというものにはなりません。殺すな。それで十分です。[2003年11月17日付日録より]---------------夕陽行の伴は五つの赤い風船の「遠い空の彼方に」。「西岡たかし・五つの赤い風船 CD-BOX」からの1枚が車のCDドライブに突っ込んであって、それを聴きながら浜へ行き来した。この録音はたぶんURCの第一回配付アルバム『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)からのものだろう。ギターがまだ中川砂人(イサト)さんの時。これがデビューとは信じられないほど、楽曲の完成度が高い。デザイナー西岡たかしが、しっかりとしたコンテを作っていたのである。最初に潮騒がコラージュされている。そしてヴィブラフォーンのイントロ。五つの赤い風船のアレンジでは、ヴィブラフォーンで海を表現することが多い。「遠い空の彼方に」は「空」の歌のはずなのだが、海と空が分かちがたく結びついている。やはり絵画的だなあと思う。 ♪ 遠い空の彼方に 小さく青い島がうかぶ ♪ 私はいつも島をながめ この浜辺で夢を見る「みんなと暮らし」、「小さなしあわせ」を夢見るのだが、突然夢の中に戦争が現われる。「遠い空の彼方に」は戦争があるのだ。この曲は「まぼろしの翼と共に」や「血まみれの鳩」と共に、風船らしい静かな反戦歌である。いわゆるプロテストソングではないが、メッセージははっきりとしていて力強い。「血まみれの鳩」はケネディ暗殺を契機に、代表曲「遠い世界に」は政界の黒い霧事件をきっかけに作ったのだそうな。 ♪ いやな夢… あの国では 戦争が… ♪ 人々が 子供達が 泣き 幸せ どこに あるのだろうフー子さん(藤原秀子さん)の言葉が、レコードのライナーノーツに載っている。 > 西岡さんの曲を初めて聞いた時、何曲か聞いたんですけど、 > これだけは、絶対歌いたいという曲がありました。 > その曲が風船を作ったのと違うかなと思うんです。それが「遠い空の彼方に」である。 ♪ 私はそっと ひざまずき ♪ みんなの幸せ 祈るんだ
2005.01.01
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