生活保護不正受給 0
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昨日の北竜(ヒマワリ畑)と、その前の知恵文(ヒマワリ畑)のお出掛け及び帰宅後の食料製作で疲れたのか胃の感じも変になり、体調不良です。そんな時に限って、必ずお盆には誰かかれか(夫の兄弟、親戚)来る。正確には『飯及び飲んで食って目当てで嫁や、たった一人の自分の甥である息子をコキオロシて罵りに来る』と言った方が正しい。結婚21年、『お盆や正月くらい、長男の嫁として』、只管せっせと本膳、フルコースのようなご馳走を作ってきましたが、このイカレタ家では『品行方正な長男の嫁の矜持などクソにもならない事実を亡き義姉の葬儀前後の軋轢で骨の髄まで染みた』。なので、今年からは嫁の反撃、基(もとい)迎撃と言おう。今まで『言わざる、見ざる、聞かざる』で耐えてきた長男の嫁を舐めるなよ(終わり)
2011年08月14日
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冬から春に変わる季節は、寒さと暖かさの中間の春特有の冷え込みがあります。熱が出て悪寒がするのとは違いますが、春先特有の冷えはかなり堪えて具合が悪くなり、その中で何とか家事をこなしております。今日は夫の亡き姉(重度知的障害者)の三周忌ですが、実の弟である当夫でさえ『口に出すのも憚られる』といった感じの知らんふりを決め込んで、相変わらず何一つ言わないで出勤して行った。知らん顔して後で文句だけは人一倍言うのが、このイカレタ家の家風だ。未だに何一つ作らないで、最期まで実姉の下の世話も、風呂の一つも入れる事の無かった夫の妹は、これまた知らんふり。イザとなったら長年面倒みていた義姉をそのまんま当宅に放り出し、さんざん引っ掻き回した赤の他人の里親と、嫁のこき下ろしでもやっているのだろう。結局、残ったのは最期まで面倒みた私と息子のバカの汚名と、大人一人増えた衣食住の分と介護や入院等で国民健康保険で賄えない保険対象外の分が膨大な赤字になって残っただけです。お寺の住職には、『極めて質素に内輪で』と話してあるので、後でお経を上げに来ます。諸行無情は、このイカレタ家と夫の兄弟にあてはまるような気がします。(終わり)
2010年03月08日
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今回は、内輪で目一杯故人を偲んで、一周忌が終わりました。兄と妹、ごく親しい人に来て貰って、亡き義姉も喜んでいるような気がします。朝5時におきて、いろいろ作っていたので少し疲れました。(終わり)
2009年03月08日
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明日は、亡き義姉(夫の姉)の一周忌なので、朝9:30分頃、お寺の住職が来てお経を上げてくれます。なので、見栄でも適度に片付けて、掃除しておかないと。夫は相変わらず知らんふりをして、「オレ知らねー」と、それで過ごすつもりらしい。一生そうやって、逃げていればイイ。今に何処かで、そのツケは夫自身に回って来るから。今更、怒りも絶望も既に通りこしたわ。明日は又、赤の他人が引っ掻き回して更に親戚も加わって修羅の嵐になるか?珍しく内輪だけで平穏に終わるか?この際、言うべき事は言っておこう。それが不足なら、いつでも司法の場に訴える。 (終わり)
2009年03月07日
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19日に、義姉の四十九日法要と納骨を済ませました。いつも、義姉の仏事は晴天に恵まれる。市役所の障害福祉課で入所申請をして、女子待機四人で将来的に確実に入所予定だった施設の理事長、古くからのお友達、園の先生がお参りに来てくれました。『○○ちゃんの、お参りに行きたい』。何よりも、掛け値の無い純粋な気持ちが嬉しいですね。体力回復を目指しつつ、私が経済的に自立可能になり、それを維持して行けるように頑張らないと(終わり)
2008年04月19日
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義姉が需給していた知的障害者の年金の本人死亡に伴う廃止手続き等で、市役所の支所と、社会保険事務所へ夫を連れて行ってきました。社会保健事務所は、芋の子洗い並みに大混雑で、中々理解出来ない人も居るので職員も大変です。それでも一時間半待って全部終わらせたので、49日の法要と納骨が済めば、一区切り付くでしょう。地道に節約と懸賞に励んで、創作に励もう。(終わり)
2008年03月25日
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義姉が、かなり伸びている髪を気にしているので、病院から外出許可が出て、美容室へ連れて行く予定です。でも、北海道は、吹雪と大雪、暴風雪警報が出ておりまして、天候次第でしょう。最悪の場合、街中でも一時的に遭難に近い状態があり得るので、義姉連れてという事は、注意の二乗、三乗が必須です。本日、大雪VS義姉を受け入れてくれる殊勝な美容室。私の行きつけのお店です。言い出したら、どんなに回りに迷惑掛けても『我が道を行く』頑固一徹の義姉に、勝利の女神は微笑むのか?毎日の、義妹と義姉の世話をするための病院通いで、既に私のノドは二倍に腫れて真っ赤です。熱も、喘息も酷くならないのが不思議なくらいです。お互いに、仕事や家族があるので、それなりに大変です。フリーのたいして忙しくないお仕事で、本当に良かった。(終わり)
2008年01月24日
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人口40人当たりに病院一軒の病院銀座と呼ばれる地域に住む者として、バカみたいなタイトルになりました。当市は、高度治療が可能な総合病院や専門病院、個人病院がたくさんあるので病院には不自由しません。義姉が、昨日やっと入院させて貰えて(殆ど院長先生の犠牲的温情と義姉の状態が良くない)その間だけでも私が自分の具合が悪くなっても、ツルツル路面で滑って転んで骨を折ったとしても、義姉が診療拒否して病院を強制退院されない限り、心おきなく病院を受診する事が出来ます。ケータイを、日中は肌身離さず、夜は枕元に置いて、昨夜は何ヶ月かぶりで『その日の内に寝る事が出来ました』。洗濯が、通常一日一回~二回で済む所、糞尿地獄になってからは、昼夜問わず洗濯の山です。何度洗っても取れないウ○チの匂いが、義姉のタイツやズボン、シーツに染み込んで、更にドッと疲れが出てきます。せめて、洗濯物がきれいにウ○チの匂いも無く仕上がれば、アライグマみたいな24時間お洗濯も多少は報われる。私が一番大好きな、懸賞ハガキ書く余裕も、お菓子を作る暇も無い。せめて、息子にゼリーくらい作ってあげたい。朝起きたら、また、右側の背中から腰に掛けてジワジワと痛い。義姉が居ないと、吐くのが酷くなっても、安心して病院で点滴出来ます。(終わり)
2008年01月20日
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朝、いつものようにトイレも衣服も、全部ウ○チで汚した義姉を、きれいにお風呂場で洗ってあげて、朝を食べさせて(ミカン3粒)、いつものかかり付け医に連れて行き、待合室で待っていると、突然の激しい痙攣と、かなりの震えで直ぐに姉の手が氷みたいに冷たくなった。直ぐに申し出て、血圧その他極端な異常は無いが、暫く点滴しながら様子を見るが、かなり体の負担も大きいようだ。取り敢えず、入院になりました。『本人が帰ると言ったら、帰しますから』。束の間の安らぎのひと時になるのか?一瞬の幻で終るのか分かりませんが、このまま入院と退院を繰り返すような気がします。何たって、人一倍、ナルシストで我がままな義姉は、初めての入院体験。耐えられるかどうか?(終わり)
2008年01月19日
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昨日、義姉は、かかりつけ医の紹介で総合病院の専門医を受診して、明日、本人を眠らせた状態で胃カメラ検査です。土石流みたいな便失禁が、本人の自覚が全く無いまま、今日で三日も続いている状態を、そのまんま、包み隠さず話しておきました。『認知症も出てますね』入院出来る精神科、義姉の状態でも入れる施設を紹介してくれるそうです。ホッとした。これで何とか、又、土石流みたいな便失禁の後始末に耐えられる。帰りに、薬局で消毒薬と、使い捨ての手袋、マスク、おしり拭きを買いに行ったのは言うまでも無い。診察が終ってから総合病院のトイレで、朝、あれだけ汚して全部取り替えて、お風呂に入れてきれいにしたのに、前日のバリウム飲んだ後の下剤で、下痢しやすい状態もあるにせよ、又、やってしまった。幸い、土石流までにはならなかったのですが、汚物で汚れたパットを自分で替えられない究極のおバカ。ウエットテイシュは、家にはありますが、仕方ないのでテイシュを濡らして拭いた。おまけに手を洗うのに、家の水道でさえも7ヶ月毎日、一回毎に使い方を忘れる義姉は、自分で手も洗えない。『手を出したら、誰かが洗ってくれるのか』更に、温風殺菌乾燥も、ハンカチで拭くのも、言わないと出来ない。義姉59歳、変な依頼心だけは、200パーセント発達している。私の方こそ『連日の義姉の土石流的排泄物の処理と介護で、限界を超えた疲れとイライラの極致で、かなり、おかしくなってないか』?『私の精神状態はマトモなのか』?精神科を受診したいくらいだ。まだ、1+1=2と、瞬時に充分認識出来るから、多分大丈夫だと思いますが(笑)実際に使ってみると、使い捨ての手袋は、座薬を入れる時に便利ですね。買ったばかりの義姉の衣服についたウ○チの匂いが、しっかりとその部分に洗剤付けて擦り洗いして、洗濯したのですが、洗っても洗っても乾くと明らかな糞臭が取れないので、結局、燃えるゴミに出すしかありません。昨日は、それでサイト検索しまくりました。つくづく、思いました。同居が始まった時点で、その時点では想定外のシャンピニオンエキス、体臭がバラの香りに変わる物などを、元気な内に常日頃から摂取させておくのも一つの、長い目で見た対応策かな?と。(終わり)
2008年01月17日
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昨日の朝から激しく便失禁していた義姉に、朝からお風呂に入れて洗ってあげて、洗濯に追われ、再度病院に連れて行って、取り敢えず穿くタイプの紙オムツと尿取りパットで防御したら何とかなると想定した私は、まだ健常者の範疇でしか物事を見られないようだ。普通の人なら一回言えば分かるが、この義姉は、一回毎に全部忘れて、それも完全にゼロの状態にリセットされる。義姉は、一応、生理の経験もあるらしい。『その時はどうしたの』『ナプキンを、自分で代えた』パットは、それと同じではないか。義姉の頭の中では、今回は『私、初めての経験』になるのだろう。毎朝、義姉のウ○チパンツの処理と洗濯で始まるのは、近日中に総合病院の精神科への紹介・入院があるにせよ、普通の住宅事情の家で、耐え難い事だ。恐らく、これだけ手の掛かる義姉なら、家族の付き添いが無いと入院させてくれないのでは?高校一年男子の、介護と言えば学校のボランティアで車イスを押してあげた、保育園のクリスマス会を手伝ってあげた、祖母の手を引いてあげた程度の、きれいな体験しか無い、免疫の無い、気持ちの優しい息子を真っ先に『青少年の健全育成』『教育上の配慮』の観点から、最優先で保護しなくてはならない』。息子に、義姉のウ○チの世話をさせるつもりは、毛頭無いし『僕で出来る事があれば手伝ってあげる』今の無垢で純粋な状態の息子に、何も鍛えてない60歳の義姉の皺腹及び下半身を晒すのは、絶対に、あってはならない甚だ良くない悪環境です。実際に、その実情を知らない人は『介護の勉強になる』『良い経験になる』などと、超・想定外のウ○コパンツの下の世話もした事も無いのに能書きだけは一人前にノタマウ。確かに、介護の、きれいな部分なら別だ。ノーマライゼーションの観点からも、心の問題も充分過ぎるくらい、理解している。今、切実に思うのは、この義姉よりも一日でも先に死ねないと言う、当たり前の、しかも一番大事な事です。志半ばで、義姉の介護疲れの過労死で死んだら、私は絶対成仏なんか出来ません!!!排泄物の匂いで、喘息が一気に酷くなる私。それに、インフルエンザや、橋本病が悪化して、ツルツル路面で骨でも折ったら?ショックで胃潰瘍が見事に復活するだろう。介護は体力勝負ですが、イッタイ何処まで私の体力が持つのだろうか?前・里親宅で、義姉は便が大量に付いた状態の衣服を、押入れやベッドの下に丸めて放置して、後日大変な悪臭になって事の次第が分かり、『怒られた』当たり前だ。これで褒める人が居たら、どこか異常だ。今日は、義姉のバリウム検査です。其の後、出る物が出たら、かなりの下痢になるだろう。今から、頭クラクラ。(終わり)
2008年01月15日
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朝降りて行くと、何とも言えない肥溜めの匂い。香りの元は、間違いなく義姉だった。それも、手には何重にも擦り付けたような後があり、着ている服と、カーペット、なぜか靴下の片方など、通常の下痢だけでは考えられないような広範囲に点々と、痕跡と何とも言えない匂いが。義姉は『ウ○チ出たー』と、涼しい顔。『手洗いなさい』と言っても、石鹸を付けるフリで、ほんの、サッとで『洗った』。冗談じゃねー!!!トイレの消臭スプレーを撒いてお風呂のお湯を足して、頭から全部シャワーで洗ってあげて、ホントに、私の怒り心頭と驚愕、お察し下さい。それから服から、パジャマ、シーツその他全部洗って、酷いのはそのまま投げて、とにかく私は、必死で洗濯と清掃に励んだ。私の喘息は、特に排泄物の匂いでドッと酷くなるのね。今、冷静になってみると、素手で雑巾と洗剤、石鹸だけだった。私の方への影響は大丈夫か?ウ○チが付いた後の処理は、雑巾で拭いて、石鹸や洗剤で洗って、それだけで大丈夫なのでしょうか?感染などの恐れは無いのでしょうか?義姉本人には、今のところ感染症は出ておりませんが?薬局で売っている消毒薬は、どれが良いのでしょうか?オキシドールと、消毒用エタノール程度しか浮かびませんが?お知恵拝借、お願いします。私の方が、体がフラフラ、おかしくなりそうです。(終わり)
2008年01月14日
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朝起きてから、かなり痛いようだ。痛み止めの座薬も、当然一人では入れられないので、入れてあげるしか無い。当番病院も、一度も掛かった事の無い患者は、データが何も無いので、かなり受け入れが難しい。そうでなくても、重度の知的障害者の義姉。いつもの、かかりつけ医に連絡して、診て貰いました。痛いのと、痛くないのと、主訴が二転、三転する。点滴に痛み止めを入れて、普通の人なら、問題なく終るのに義姉の場合は、100入れるのが精一杯で、管を引き抜こうとして大変だったそうです。なので、私が隣に張り付いて『勝手に抜いたら、ぶっ叩くからネ』と呪文のように繰り返して言い聞かせた。どうも義姉は、点滴をしたり、医療機関を受診すると、物凄い重症=私、悲劇のヒロインだと認識するようで、かなり大げさに受け止めるようだ。その度に周りは大変ですが、本人が足りない分、やはり回りの者が其の時に出来る最善を尽くすハメになる。今頃、どっと疲れが出て来ます。(終わり)
2008年01月13日
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授産所の行事が終わる頃迎えに行ったら、『おなかが痛い』それも、かなり痛そうだ。義姉の、かかり付け医に連絡して土曜日の午後3時なので、当市の当番医を受診。かなり離れた郊外で、路面はツルツル、雪が降って思うように走れなかったが、一刻も早く連れて行ってあげたいのが人の情。幸い、当番病院で義姉の状態を伝えて、受け入れてくれて『本人にはショックを受けないようにナイショ』でと、予め連絡して、断りもせず快く引き受けてくれました。医師も看護師さんも、穏やかに対応してくれて、大変ありがとうございました。帰って来てから、『やさしい先生で良かったネ』と安心して、おかゆを少しと、ミカンと「なます」を、さっぱりして美味しいと食べて薬を飲みました。痛み止めの注射と、薬、座薬で、今は寝ております。いつもは、何をするにも私に全部頼る、ヒステリーのヘタレ夫が動揺しないで、パニック起こさないで、ツルツル路面に気を付けながら運転して、当番医まで新聞で調べた。今回は、我が夫ながら見直しました。いつも、こうだと良いのに。今回、医師や看護師さんに恵まれ、あまつさえ夫までもマトモに行動してくれた。人の輪は、天の恵みか、ご先祖様の裁量か?かくも嬉しい。(終わり)
2008年01月12日
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義姉の、先日のCTの結果は、Drが『癌です』『癌だ』と連呼した癌でした。それも、手術が不可能なほど進行していて、既に腹水が貯まっているそうです。胃カメラをやれば、詳しく分かるが、多分本人がパニック起こして、管を抜いたり予測付かないので、比較的負担の少ないバリウムで検査します。15日のバリウム検査まで、兄弟や身内で『抗がん剤を使った治療をするか、否か』結論を出して欲しい。抗がん剤の治療を受けるのであれば、大きな病院の有名な専門医を紹介すると言っておりました。義姉の兄弟は『抗がん剤でも何でも使って、出来る限りの事をしてやりたい』。その心情、察するに余りある。いくら知的障害が酷いと言っても、血縁の濃さは他人の嫁には適わない。実の弟である夫は、相変わらず一言一句医師の診断や状況を伝えても、ウンともスンとも反応が無い。賛成でも、反対でも、とにかく、自分の意見が全く無い。本人には、授産所から、兄弟間、皆で秘密にしました。多分言っても理解できないでしょうし、余計な不安を与えない方が良いでしょう。この先、義姉の体力が抗がん剤に、どこまで耐えられるか?そのショックで、面倒見ている私の方が、何処まで体力持つか?全ては嫁の体力次第。(終わり)
2008年01月12日
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義姉を見ていて、つくづく思います。ゼロ歳から私が面倒見ていれば、こんなに酷くはならなかった。『名前は漢字で書ける』と、大威張りで言うので、書かせてみたら、ミミズよりも酷かった。それも、自分の名前だけで、ひらがなや、カタカナは、読めない、書けない。住所も電話番号も書けない。それ以前に、筆圧が無いので、子供が小さい頃にやらせた公文のプリントやドリルを探しましたが、一番やさしい『エンピツのおけいこ』でさえも、義姉にはかなりの難関。最低限、筆圧を付けるべく、エンピツやクレヨン持たせて、線のなぞり、色塗りでもやらせようか、粘土や折り紙か?義姉の耳は良いのですが、前・里親宅で音楽系統は一切嫌いで、カラオケや、民謡、詩吟の一つもやらない夫婦で、文化の欠片も無かった。せめて、お茶くらい日常生活と同時進行で教えていれば、少なくても授産所で顰蹙かう程、汚く食べる事も無かったでしょう。『父も母も歌は嫌いだった』と、義姉は律儀に全く受け付けない。きれいなクラシックの音や、本来、母親がやさしく歌い掛けてあげて幼子が安心する子守唄、日本語の歌詞がとてもきれいな童謡も、義姉にとっては永遠に無理か、幻か?時計は、前・里親が一生懸命に教えたらしいが、10時と3時のように、時間しか教えなかったそうだ。いわゆる、何時何分が、全く理解不能。いくら、義姉に、IQ32の、重度の知的障害があるからと言っても、それぐらい教えておかないと、腕時計は持っていても実際に使うことは無いので、授産所に通う時に困るだろう。小学校特殊学級中退の59歳の義姉の為に、遅蒔きながら教育元年になりつつある現実。ここで、例え私が一生懸命教えたとしても、義姉の知的レベルは、来年の今頃も同じ程度だろう。義姉と同居以来、いつも絶望だけなので、けして高望みはしません。名前の他に、北海道と市町村から続く住所くらいは、誰が見ても読める字で、書けるようになって欲しいと思うのは知的過ぎる贅沢でしょうか?あり得ないだろうが、名作絵本の一冊、たとえ、一ページでも良いから義姉に読めるようになって欲しいですね。公文の大量インプット、大量読み聞かせ、童謡掛け流し方式でやってみようか?(終わり)
2008年01月05日
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明日は、義姉の通っている授産所で新年の顔合わせがあるので、午後からショートステイの山の中へ、夫と迎えに行きました。わがまま、超ナルシストの義姉は、家でも何処でも大変です。周りに、手いっぱい面倒掛けるのが当たり前だと認識しているようだ。せっかく戻った体調も、義姉が帰ってきたら、元の木阿弥。また、睡眠四時間の、いつになったら入所できるか分からない介護生活の始まりだ。夫の妹夫婦も、たまに日帰りでも良いから、自分の姉の面倒を見たって罰は当たらないだろう。毎日、神経と体をすり減らして、死ぬほど体調悪くても、家族犠牲にして面倒みるのが当たり前。たかが、長男の嫁とは、実に理不尽で、終生報われない存在ですね。(終わり)
2008年01月03日
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義姉がショートステイに行ってるので、絶えず何処かで間違いが無いように張り詰めている気持ちが開放されております。きっと、この状態で血圧を測れば、元の低い数値で安定している事でしょう。一ヶ月に一週間でも、重度の知的障害者の義姉が、ショートステイを利用できる福祉の制度は、何物にも代え難く喜ぶべき事です。義姉本人にとっても、気心の知れた昔からのお友達や、馴染みの先生方と楽しく遊んで過ごせる毎日は、きっと『快』の空間だと思います。明日の午後、義姉を迎えに行くまで、束の間の命の洗濯を楽しんでおります。極めて質素に、息子の為にお菓子を作って、大好きな懸賞応募に励み、疲れたら横になって、側から見れば一笑に付されそうですが、私にとっても『快』の時間です。(終わり)
2008年01月02日
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睡眠四時間から五時間が常の同居的介護生活をしているので、今回のショートステイの間だけ義姉の心配、目配り無しで眠れます。思いわずらいながらの四時間よりも、ごく普通の四時間の方が、どれだけ貴重でありがたみがあるのか、しみじみと実感いたしました。これで、心おきなく、お菓子を作ろう。気になっていた掃除も出来るし、義姉は昔からのお友達や先生方と、楽しく遊んでいるでしょう。(終わり)
2007年12月26日
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メリークリスマス朝、知的障害者の入所施設まで義姉を送り届けて、やっと平穏なひと時が戻って来ます。新聞やニュースの老老介護や、行く末をはかなんで……の記事が切実に感じる毎日です。お題目だけの『何かあったら協力するから』は、ほんの気休めだと言う事実を赤裸々に体感しました。義姉の障害に、重度の知的障害が無ければ別かもしれませんが、結局介護は『長男の嫁』に全て丸投げで掛かっている当家だけの厳しい現実。これで、やっと7時間か8時間、夜眠れます。贅沢言わない。それだけで、御の字です。素敵な聖夜を。(終わり)
2007年12月25日
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義姉は、授産所のクリスマスパーティです。洗濯するべく、上着を着替えさせたら、何やら不思議な感触。ポケットの中から、レーズンパンの欠片が3×3センチ四方で出て来ました。義姉なりに、将来の食料危機でも想定したのだろうか?はたまた、ダイエットでも目指しているのだろうか?本人に聞くと、『ダイエットはしていない』。パンの乾き具合からして、昨日か一昨日辺りの感じ。以前に、里親宅で何度も残飯(生ごみ)をタンスに入れて置いたり、固形物で汚れた衣服を押入れやベッドの足元に丸めて放置したり、物凄い前歴があるので、早速タンスの中を検査しました。今のところ、まだ大丈夫でしたが?本人より先に、私の方がおかしくなりそうで(笑)『それをやったら、叩き出すからね』!と言った私は、鬼嫁か?夫は、自分の事では無いので、知らんフリ。姉弟は、やはり、似たようなレベル。明日から、義姉は、ショートスティです。家族にも、束の間の、命の洗濯が必要です。(終わり)
2007年12月24日
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今日は、義姉が通っている授産所で、敷地内で父母交流会を兼ねた、ジンギスカンパーティがありました。先ほど、手伝いから帰ってきた所です。お父さん方と、男子の園生・職員で炭を起こしておりましたが、炭を起こすべく団扇で仰ぐにしても、イマイチ気合が足りなくて、焼肉に適した温度に上がりません。それを、根気強く、怒らないで『コウやるんだよ』♪お母さん方と女子職員で、お握りを作り、野菜、お肉いろいろ、焼き鳥、キノコ、うどん、ウインナーその他で、気のせいか義姉と同居以来、久しぶりに食べたような気がします。義姉が、のほほーんと楽しめて、良かった(終わり)
2007年09月24日
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土曜日からの三連休が、恨めしいくらい、朝から晩まで四人分のオサンドンに追われております。朝、スーパーの折り込みチラシで、秋刀魚好きの夫のリクエストで、秋刀魚一箱880円を買いに行き、棒寿司にしようか、塩焼きが良いか?かなり入っているので、どちらも出来るでしょう。義姉が、糖尿で血糖値が高いので、おやつは、お茶や、砂糖の入らない野菜ジュースが殆どで、お菓子の場合は、食べ過ぎないように、皆同じ量で出さないと駄目です。それが無ければ、お菓子いろいろ作るのですが。アッと言う間に、お昼の支度。長男の嫁は、疲れます。金曜日に、出入りの電気屋のアンちゃんが展示会の案内を持って来ました。『多分、行けないわー』義姉の事も全部忘れて、のほほーんと、展示会くらい行ってみたいですね(笑)最新式の調理家電・性能の良いオーブン関係は、大人四人分の食事の支度に追われる主婦に、とても役立つ物なので。(終わり)
2007年09月23日
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連休の土曜日ですが、義姉のかかりつけ医の病院は診療しておりましたので、朝ご飯抜きで、血糖値等の検査を済ませてきました。昨日の夕食後、夫と息子に『明日は、お義姉さんの検査なので、水・お茶一杯意外、絶対に食べさせてはイケナイ』と、固く言い渡しておきました。『検査が終わったら、ちゃんと食べれるからね』と、言い聞かせましたら、果たして明日になって『私、何も食べてない』とパニック起こしたらどうしようか?それが、心配でした。朝、7:30から受付だけ先に出来るので、そのまま待合室で待っていたら、経済誌や一般誌までかなりありました。週刊ダイヤモンド、週刊東洋経済、サライ、別冊文藝春秋、新聞2誌、主婦向けレタスクラブなど。待合室は、受け付けだけして一度帰る人が多いので、活字大好きな私は、空いている快適空間で、読んで読んで読みまくりました。お蔭で、朝から脳の活性化になり、それもこれも『お義姉さまのおかげ』です。一人で採尿できるか心配だったのですが、義姉は、何度採尿したのを覚えていたので、本当に良かった。これが、普段みたいに、一分毎に忘れていたら?(終わり)
2007年09月22日
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連日、体力的にきつかったので、夜は7時間と日中、寝て、かなり楽に動けるようになりました。いつも、眠かろうが、疲れていようが、気力で起きて義姉を迎えに行ったり、いろいろやっていたので疲れもピークになっていたのでしょう。連休明けからは、義姉一人で通わせます。良かったと思ったら、三連休で、義姉の授産所は、お休みで。今日は、授産所と関連施設の行事で『ボーリングと焼肉食べ放題』があったので、行事好きな義姉は、喜んで参加しました。惜しいかな、朝の9:30~14:00迄なので、束の間の息抜きに、義姉の居ぬ間に、夫とドライブに行ってきました。残る二日と半日は、朝から晩まで四人分のオサンドンの用意と後片付け、お洗濯。道の駅で、早生のリンゴと、青くて固いパートレット(洋梨)を買ってきました。洋梨のコンポートでも作りましょう♪フルーツいっぱいの、タルトも、良いですね♪(終わり)
2007年09月15日
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昨日、義姉を、ショートステイから引取りに行って、夕食時の『義姉だけおかゆ』作りが復活しました。施設のフリーマーケットで、キティちゃんの、ピンクの蓋付きどんぶりがあったので、義姉用に二つ買ってあげて、毎日、それで食べています。今日から又、私が駅周辺まで往復付いて行っての授産所通いが始まりました。『授産所も、ショートステイの授産所の入所施設も』、義姉にとっては快い『快』の場所であり空間です。家で何もする事も無く、ボーっとしているよりは、『楽しく過ごせる場所がある』方が本人の為にも良いでしょう。施設云々と言う人もおりますが、昔、義姉が脱走した、規則でがんじがらめの頃とは違い、今は、至れり尽くせりです。園長先生も、職員も、とても優しく、里親みたいに37年間、口汚く罵る事も、四六時中怒られて怒鳴られる事も、ありません。やはり、そうゆう所で、たかが健常者と、知的障害者の違いだけで優劣を付けるべく、人の品性、育ちというものが出るのでしょうね。やっと、義姉にも『心地良く安心して過ごせる』安住の場所を見つけたのですから、市役所の福祉課へ行って申請して認定されるまで何年かかるか分かりませんが、入所申請の手続きをしてきます。義姉の膨大な食費や上下水道、灯油ボイラー等の公共料金沸騰、衣服、バス代は、私が四コマ漫画の原作や投稿で、万難を排して稼ぎます。唯一の収入源=義姉の知的障害者年金は、長男宅として、義姉の為に『全額お貯金して』、施設入所の費用、入院した時の付き添い費用等に、万が一の為に残してあげないと。今日は、義姉が授産所で作業をした給料日です。これも、長男の嫁は『ちゃんとお貯金』します。(終わり)
2007年09月10日
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義姉と暮らしていると、異常にお金が掛かるので、今回のショートステイの間に、いろいろ探しておりました。若くて、体力さえあれば、どうにでもなりますが、長年の喘息と橋本病の影響で、声が細く小さくなっております。立ち仕事は、足に負担が掛かるので、無理。となると、私が唯一直ぐに出来る『新聞・雑誌に文章を書いて投稿する』『メルマガの記事を書く』『漫画の原作を書く』のが最も適切です。今使っているのは昔のデスクトップ型なのですが、ノートパソコンなら、日本全国、ホテルでも空港でも、何処でも使えるタイプで持ち運び可能です。安いの探して、義姉同居に因る膨大な出費を、何とかしましょう。(終わり)
2007年09月08日
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今日の午後から、申請していた義姉のショートスティが認定されて、開始になります。疲れ果てている私と家族に、束の間の休養を。実際に、宝くじに当たるよりも、率直に嬉しいでネ。せめて、五時間以上眠りたいのが、今の正直な気持ちです。(おわり)
2007年08月31日
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毎日、義姉との同居以来、言いようの無い精神的な疲れに加えて、昨日は、特に疲れが酷かった。やっと、ショートスティが認定になったので、これは救いの一手か、一筋の光でしょうか?記載された手帳が来るのを待っている所です。家族も、とっくに限界に来ているので、一応、明日からの予定ですが、果たして結果はどうなる?申請は認定されても、『手帳がまだ届かない』など、最悪の場合も考えておこう。(終わり)
2007年08月30日
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皆既月食の後は、晴天の朝です。朝から、トンボがたくさん飛んでいます。義姉は、毎日、何かかにか、やらかしてくれるので、その度にドッと疲れるか、やればやるだけ無駄になると、絶望するだけです。虚しさと、疲れだけが、延々と残っています。(終わり)
2007年08月29日
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昨日の園のお祭りも、父母も勿論手伝いましたが、指導員の先生方が、早朝から奮闘努力しておりました。今朝は、朝早くから駅前付近の通りで、園生が作った『美味しい野菜』を大きなテントを設営して、売っておりました。義姉は、施設でも特殊な重度の知的障害者で、脱走事件や、違うバスに乗って行方不明事件で、何度も警察と先生方のお世話になっております。普通の園児(者)よりも、大変な手間隙と苦労があります。『私、足が痛くて探しに行けないし、方向音痴で道が分からないから、迷い子になったら、一人で帰って来てネ』!これは、毎日、呪文のようにインプットしております。先生方は、『何か、本人(園者)に良い方法は無いか」?『何か本人が興味を示す好きな事や物が無いか』?と、いろいろ心を砕いてくれます。世間で言われる『今ドキの若い者は云々……』など、ここには存在しません。少しでも、園生に良かれと、真っ直ぐに、ひたむきに努力している先生方を見ていると『先生や園生に厚遇を』と思わずには居られません。『ヨサコイ演舞の人と、一緒に同じに踊る』『マイクを持って、一部、司会のナレーターをやる』。ごく当たり前の事ですが、本人と親や家族にとっては『天下一の立派なデビュー』になりました。『よどみなく、一人だけ遅れる事なく一緒に踊る事が出来た』=それだけで、親にしてみれば、涙が出るほど嬉しい晴れの日でした。その気持ち、心中察するにあまりあります。せめて、義姉がヨサコイでも興味を持ってくれたら、何年でも気長に付合ってあげるのに。何か一つくらい、義姉が好きな極端に難しくない事は無いか?と暗中模索しております。(終わり)
2007年08月27日
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今日は、義姉の授産所と、入所施設のお祭りがありまして、朝、8:45分~14:00分頃まで、一応父母会でお手伝いしてきました。私の担当は、油で揚げた冷凍のウィンナードッグに、ケチャップや、マスタードを付けてパックに入れる事でした。暑い中、先生方や、父母が『子どもの為にエーンやコーラー』!と、皆で奮闘努力の一日で、盛会の内に終わりました。雨も降らなくて、良かったわ♪『暑いので、水分を、こまめに取りましょう』を合言葉に、義姉は、フリーマーケットや、園生のヨサコイ、模擬店など、施設のお友達と縁日気分を楽しみ、私は延々とお手伝い。きっと、明日は足が痛いだろう。でも、やっている時は夢中だったせいか?痛みも無く、今思えば、良く立って居られたなと、大変不思議です。(終わり)
2007年08月26日
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月曜から金曜日まで、毎朝5時に起きて息子のお弁当を作り、朝食の用意をして、5時半になったら、義姉を叩き起こし洗面と朝食をたべさせて、朝の投薬と、お昼の薬を持たせて6時40分に家を出る生活が、6月4日の突然の同居以来、延々と続いております。義姉に因る疲れだけは、確実に増加して行く。市の福祉課から、担当職員二名で聞き取り調査に来た『ショートスティの申請』は、果たして認定されるものやら?不可なら、民間の有料を探すので、早く可否を決めて欲しいですネ。(終わり)
2007年08月22日
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義姉は、今の所、夜九時には寝ております。私とバスで行く時は、朝の5時半に起こしています。夫が休みなら、朝の6時半に起こしますが、着替えて、布団をたたんで顔洗って歯を磨くだけで最低でも25分~30分掛かります。それから、食べ始めて食後の歯磨きして、薬を飲んで軽く30分。昨日から今朝に掛けて、9時間半は寝ておりますが、叩き起こさないと起きません。授産所は、重労働や立ち仕事はありませんし、家ではお風呂に入ってご飯を食べて、9時になったら寝るだけです。夕食後の食器を、テーブルから台所まで3メートルくらい運ぶだけが、同居以来、義姉が出来る唯一のお手伝いです。逆に『箸を人数分並べる』『お皿を置く』などの簡単な用意も、かなり時間と忍耐が必要で、一回ごとに言わないと全部忘れるので、私がやった方が早いのです。かくて、私の頭痛の頓服と、頭痛が起きる頻度は、あっと言う間に増加しました。『強いので、一日二錠以上は飲まないで下さい→一回一錠』足りない分は、アイスノンや保冷剤で冷しております。次回、病院へ行ったら、頭痛の頓服だけ増量して貰おう今、朝のお洗濯、一回目が終わった所です。四人になると、軽く二回のお洗濯が必要です。上下水道料金も、半端じゃありまっしぇーん(終わり)
2007年08月21日
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午後から義姉と一緒に、某・大手消費者金融ア○ム主催の、バリアフリーコンサート・『セロ弾きのゴーシュ』を見てきました。『障害のある方と介護者の方を無料ご招待』で。きれいな音と、可愛い影絵とナレーターの、『見るコンサート』表情豊かな手話が素敵で、そして何よりも感じたのは人の暖かさです。金利では確かに儲けているであろう会社が、きちんと社会貢献している姿勢が、偉いですね。日頃、出掛ける機会も障害の程度で限られ、ましてやコンサートなど滅多に行く機会の無い義姉のような人がたくさんおりました。若い人たちが、一生懸命、お手伝いしておりました。日本の未来は、大丈夫だー!!!家族にしても、たまに、行きたい所があっても、本人を置いて行く訳にも行きません。最初から、一切の感情を持たないように諦めるか?希望的観測で実現に向け、公的支援を利用するべく画策するか?どちらかではないでしょうか?今まで、きれいな曲に触れた事も無い義姉ですが、今日は刺激的な一日だったことでしょう(笑)(終わり)
2007年08月19日
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昨日は、近所の行きつけの理容院で、義姉の顔剃りと、えりあしを剃って貰いました。途中で、やはり、顔を剃っている時に笑い出して、そのまま笑い続けたら、顔中血だらけ、傷だらけになってしまいます。何よりも、困り果てているお店の人に迷惑掛けてはイケマセン。『笑ったら、血が吹き出るから、絶対に笑わないの』!!!『笑い転げて、顔が切れて、お店の人に迷惑掛けたらイケナイの』!言い聞かせても、1分持つか持たないか?原因は、里親と暮らした37年間、『ただの一度も理容院も、美容室も行った事が無い』。お金に意地汚い里親は、自分だけは美容室でセットして、パーマを掛けて、髪はいつも銀髪できれいにしておりました。里親の連れ合いが亡くなった時は、ご町内や近所に知らせる前に、いち早く近所の美容室の先生が、お悔やみに来たくらいですから。かなりのお得意さんだったのでしょう。月に一回程度の姉の美容室(シャンプー・カットで3500円)と理容(顔剃り・えりあしで2000円)費程度は、市から里親宅への養育費『食費・衣服費・生活費』として支給された中で賄えるはずです。義姉の障害者年金の中から出したとしても、最低限の身なりを整えるのに、誰も文句言いません。ボサボサに伸びた義姉の髪を切るのは、私の行きつけの美容室があるので、こんな時は馴染みの店があって良かったなと思いました。それでも、義姉の事ですから、何が起きるか分かりません。側へ付いていて、正解でした。途中で、ゲラゲラ笑い出して、目がテンになっている美容師さん。体が揺れると鋏で切っている時に危ないので、非常に困ります。『お義姉さん、笑わないの』!『笑ったら、ガッタガタになるんだからネ』!その時は、『はい』と言うのですが、1分も経たない内に忘れて、繰り返して。でも、さすがは美容師さん。早いし、きれいに、仕上げてくれました。私の髪も染めたかったのですが、お店で待たせている間に何をやらかすか分かりません。義姉が居ない時でないと、絶望的に無理です。授産所へ行っている間に『心ゆくまで染めて、きれいな髪にしてきます』(笑)終わってから、母の老健施設へ面会に。義姉のお昼を作らなくてはならないので、早々と切り上げて自宅に戻り、サンドイッチを作りました。私って、本当にケナゲな嫁さんだわ(笑)(終わり)
2007年08月19日
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6月4日から同居している義姉の髪が、かなり伸びているので、『今までどうしていたの』?『母(里親)が切ってくれた』!どうやって?『バリカンと鋏で』『顔はどうしたの』?『母(里親)がやってくれた』。里親は、自分の頭は、しょっちゅう美容室できれいにパーマやセットをしていたのに、いくら知的障害が酷いからと言って、義姉本人が全くしゃれっ気が無くたって、そこまでセコク節約して、男みたいなカリアゲ頭にしなくても、良いと思うのですが?『美容室は行った事がないの』?『ない』『それなら床屋(理容院)に行ってみようか』?『行ってみる』私の顔剃りと、息子や夫が行っている理容院に、これから義姉を連れて行ってみます。顔剃りが上手で、花嫁さんの顔剃りを専門にやっている理容院です。私としては、もう少し、髪も顔も(全く化粧っ気なし)適度におしゃれして綺麗にして欲しいのですが、髪は毎日お風呂と同時に洗っています。服装は、私が気を付けているので、何日も同じ物を着て行く事や、極端に地味すぎて見るに耐えない事は皆無になりました。『多少のおしゃれ』も、発達の一種だと思いますが?義姉の場合、年齢と共に備わる正常な発達も、周りの環境次第で阻害されて来たのではないだろうか?果たして、何事も無く、髪を切って顔を剃ってこれるのだろうか?とても心配です。『病院みたいに、ゲラゲラ笑い転げて拒否されたら』?と、何軒か見つけておきました。一軒は、子供に義姉よりも、もっと思い知的障害がある理容院です。そこなら、ナンとかなるかな?(終わり)
2007年08月18日
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全国的にお盆です。義姉との同居以来、『お盆もへったくれも無い』のが本音です。一日に二回の洗濯と、掃除に、送り迎えと、お風呂や整容指導。先日、夫と二人で義姉の荷物を運んで来ました。『タンス二つと衣類だから』。行ってみたら、べこべこの安物タンスと、6畳の部屋にあるもの全部でした。猫の子でも、余所へやる時は鰹節三本は付けるのに、ゴミまで持たせるか?おまけに、殆ど毛玉だらけの下着や衣類ばかりで、実際に着用に耐えるのは三分の一もあっただろうか?どうみても、どっかの婆サマが着るような地味な服ばかりで、『私、スカートは穿かない』義姉のにしては、スカートが、かなり大量にありました。自分の若い頃の服も、『分別が面倒なので、ついでにタンスの中に入れてきたのだろう』と、夫の推測。ウチは(弟宅)は、ゴミの最終処分場か?それを、私と夫で、一日がかりで仕分けしてゴミと使える物に分けて、義姉本人は『ニタニタ笑っている』!言っても説明しても、理解できずに仕分け不可。義姉の事から、ゴミ分別も、イッショクタにして、書類から何から何まで、面倒な事は全部こちらに丸投げで。早い話、『これ幸いと厄介払い』。人の思いやりとか、気持ちなんて、このイカレタ家では、とっくに『死語』になっているのですね。いい嫁だけでは、長男の嫁は、務まりません。この家に居たら、根性最悪の性悪嫁になってしまいます(笑)『立つ鳥あとを残さず』は、日本人の、先人の美徳では無かったのでしょうか?頭クラクラ来て、昨日は頭痛に悩まされ、今にも、怒りの喘息が出そうです。(終わり)
2007年08月14日
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お盆なので、婚家先のお寺と、実家のお寺にお参りに行きました。義姉を一人置いて行く訳にはイカナイので、連れて行きました。お盆も、お線香を上げるのも、まるで分かってないのは、義姉の障害の程度なら、仕方ない。土日なので、義姉は、ぼうっーとしているだけです。嫁の私は、お盆の準備で忙しい。(終わり)
2007年08月11日
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義姉と暮らしていると、毎日必ず一回は、何かやらかしてくれます。昨日は、授産所が終わってから、月に一回通院している病院に、薬を貰いに連れて行きました。(義姉一人では無理)『どこもナンともありませんが、薬は飲んでいた方が良いでしょう』ショートスティの書類の依頼もあったので、Drに『今すぐではありませんが、いずれ、施設入所を考えております』と、お願いしておきました。Dr『その方が良いね』。私の歩き方と義姉を見れば、けして大袈裟な誇張や嘘でないのは、一目瞭然です。やはり、『正義は正しい』!滞り無く、診察も終わり、後は薬を貰って帰るだけ。スタコラサッサと、一足先に待合室に戻った義姉は、見事に、やらかしてくれました。(垂れ流しではない)義姉の、歩く速さは、軽く私の四倍です。『この人に言っても分かるだろうか』?目がテンになり、固まる受け付け嬢3名。『言ってもしょうがない』と悟りを開いている待合室に居たご婦人が約1名。それを書くのは、差し控えますが、義姉本人は『威風堂々』我道を行く。そこで言わないと、また、その状態が、当たり前になり、何でも知的障害者だからと許されるほど、社会も家庭も、寛容ではありません。義姉には、『何でそれが悪いのか』を、理路整然と穏やかに言い聞かせましたが、糠に釘。絶対、忘れるだろうな。家族や、私の苦悩は、エンドレス。(終わり)
2007年08月10日
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土日・祝日は、授産所がお休みです。何でも私に頼り、一人では、何も判断出来ない夫。歩くのが大変で、段差や、転ぶのだけは『これ以上、捻挫や骨折を避けたい』私。昨日、母の老健施設に面会に行くのに、何処かへ行きたそうな顔をしている義姉を連れて、夫と三人で車で行きました。家の前に止めてある車を、義姉は、急に、必死に、車のドアを、こじ開けようと格闘しました。『あせらなくても、ちゃんと開けてあげるから』!『危ないから開けなくてイイからね』!もし、走行中なら、どうなることやら!突然、こうゆう事が起こるので、目が離せません。冷たいようですが、息子を一人前の男として、社会人として世の中に送り出すまでは、断じて、私が簡単に死ぬ訳にはイカナイのです。私が死んだら、誰がイッタイ、人一倍手の掛かる、兄弟でも拒否するIQ32の義姉の面倒を見るのか?今日から、また、朝の五時半に義姉を叩き起こして駅前付近のバス亭まで送って行きました。他の人は、皆、一人で往復できるのに(終わり)
2007年08月06日
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雨も、雷もあがって、晴天に恵まれております。こんな日は、動物園や、ヒンヤリ冷たい鍾乳洞、昆虫館、お花のきれいな所など、義姉を連れて行ってあげたいのですが、私は、段差1センチでもコケて、傾斜地は滑り落ちるので避けて通ります。息子なら、ちゃんと手を引いてくれますが、義姉は、全く不可能です。きっと、私が怪我をして動けなくても、平然と知らんフリして、状況を把握出来ないで居るでしょう。その時に、私に意識があれば問題ありませんが、万一、意識を取り戻すまでの空白の何分間に、義姉が一人で何処かへ行ってしまって迷い子になったら?義姉の場合、過去に、迷い子で警察のお世話になって探して貰ったのが、この、空白の何分かです。休日支援が受けられたら、義姉を授産所の休みの土日に、ボランティアの人と、お出掛け出来るので、ボーっとしている事も少なくなるでしょう。(終わり)
2007年07月29日
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市の障害福祉課から連絡があって、常時介護している私の体力面、両足首サポーターの面で、『通所支援』『休日支援』のサービスがあるので、授産所と相談して下さいとの、嬉しいお知らせがありました。早速、授産所の施設長と相談してみます。平日は授産所があるので良いのですが、土日に『行く所も無く、ボーっとしている義姉に、少しでも楽しく、刺激になれば』と思っています。何せ、実の弟である夫は『自分の姉とは絶対一緒に歩かない』ので、休日に授産所まで車で送迎するだけで『何処にも連れて行かない』正確には『行きたくない』のがホンネ。そこで、『自分の兄弟だもの、アンタが何よりも大好きな花でも温泉でも、車で連れて行ってあげればいいっしょ』!〔北海道弁)『ナンでオレが……』と、頑固に拒否する夫。一つ言い、二つ言い、『この、タクランケ』!『丸投げ親父』!と、喧嘩が始まります。私の足が何とも無ければ、あちこち連れて歩くのですが、傾斜と段差、石ころ、草だらけの美しい花園も、足場が悪く風向明媚な自慢の露天風呂も、滑りやすい大浴場のお風呂も、『これ以上怪我を増やされない』24時間介護者の身には、物凄い危険地帯なのです。加えて、連日の疲れのせいか、『コワイなー(北海弁で異常に疲れる)』と思ったら知らない内にその辺に1・2時間寝ている状態』で、息子が『起こしても起きなかったので、寝せといてあげたよ』普通は、少し横になれば、疲れが取れるのですが、まるで、疲れが取れません。また、何処かの数値に変動があったのか?贅沢言わないから、何もしないで眠りたい。(終わり)
2007年07月28日
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今日は、市の障害福祉課から、職員二名が来て、義姉の知的障害の程度を認定する聞き取り・面談調査です。一人は、いつも窓口を担当している人ですが、専門の資格など持っているのでしょうか?どんな風になるのか、予測が付きませんが、何としても『ショートスティが利用できる状態』で無いと、私の体力が何処まで持つのか正直分かりません。(終わり)
2007年07月27日
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来月、一週間程度の仕事があるので、その間、何も出来ない夫と、思春期真っ盛りの高校一年の息子では到底義姉の面倒を見切れないし、ここには書けませんが、実際に大邸宅でも無い普通の家で暮らしていると、教育上困る面が多々あります。加えて、老健施設の私の母の病状が良く無いので、これから利用する機会も増えるでしょう。義姉が通っている授産所には、入所施設があるので、そこでショートスティを、受け入れております。利用するために聞いてみたら、市の担当課で、介護認定みたいに知的障害区分の認定を、市の職員二名と、医師の意見書を添えて出し、審議採決されてから『ショートステイを利用できます』『利用不可です』に分類されて、それを元に、施設との契約になります。これで利用認定されたら、24時間見ている私が、この先入院の憂き目にあっても、義姉を真っ先にショートスティで保護して貰えば安心して入院できます。ツルツル路面で転んで骨が折れても、骨折後の一番痛い時期は凌げるでしょう。(終わり)
2007年07月25日
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義姉との同居が始まってから、全部断っていた仕事を、東京往復最短コースで済ませて帰って来ました。早速、朝の五時起きで、息子のお弁当を作り、五時半に義姉を起こして、6時に夫と息子を起こして、私と義姉が6:40分に家を出て駅に行くバスに乗る普通の生活に戻りました。今回は、夫と息子に薬その他を頼んで行きましたが、土日とは言え、さぞかし大変だったことでしょう。次回は、義姉をショートステイに頼んでから、行ってきます。(終わり)
2007年07月23日
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義姉は、何が面白いのか?突然笑い出すことがあります。それも、体よじって、ヨダレ垂らして。多くは、食事中や、普通の状態で起こります。いくら、言い聞かせても、1分経たない内に忘れます。『休みだから、おいしいラーメン屋さんに行こう』『たまには焼肉バイキングに行こう』などは、義姉が来てから『全くありえなーい』状況になりました。最低限、可笑しくも無いのに笑わないで、ごく普通に食事が出来るまでは、雨が降ろうが、槍が降ろうが、ぶっ倒れようが、私が作るしかありません。とてもオイシクナイ、味無しピザの出前ならありますが、この辺には気の効いたデリバリーもありません。私が体調最悪で全く動けない時は、スーパーかコンビニのお弁当になります。不味かろうが、不経済であろうが、飽きようが、非常事態には耐えて貰いましょう。それでも、まだ、序の口なのでしょう。この先、何が起こるのか?予測不能です。テレビで入った新潟で震度6のニュースを見て、もしも、あの場面に遭遇したら、『義姉連れて効くかどうか分からない念仏唱えるしか無い』のが、今の所、正直な気持ちです。(終わり)
2007年07月16日
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