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2026.02.23
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2月23日(月)


動画の仏教の法話を見るのが好きなので、今回もある
先生の
仏教動画を見ていたのですが、ちょっと気にな
ることがあった
ので、日記にしてみました.

まず、ぼくは仏教徒です.宗派は日蓮宗です.

なのですが、ためになる仏教動画なら、浄土真宗の先
生の
法話も聞いています.

だが今回は、ちょっと心穏やかではなかった.

その先生はこう言った.

日蓮は「念仏は無間地獄、真言は亡国、禅は天魔…」
あとわすれたけど、さんざん日蓮がひどいやつだと



日蓮は無茶は言っていないとおもうのです.

比叡山で学んだ結果、そういう結論に至ったという
理解でいいと思うのです.

それはそうとして、その先生はさらに、親鸞聖人の
ことを
ほめちぎっていました.自分を追いやった人
にでも
恨みを抱かず、感謝する、立派な人だ、云々.

でもそれぐらいのことは日蓮も言っていたって.
白鵜の恩は黒鵜に報ぜよとか.

日蓮は、親鸞よりも人当たりは悪かったでしょう、
けっこう辛辣に人の間違いを指摘していましたから。

その点、親鸞は穏やかだったというのです.

ばかいっちゃいけない。辛辣に人を責めることにお
いては
お釈迦様だって、すごかったんだよ.

自分を誘惑しようとした女に、
「中身がうんこで、それをきれいな皮膚で包みこんだ
お前が私に、何の用ですか?」

とか、驚くようなけなし方をされていますよ.

人当たりがいいから、優れた人、という考えはやめたほう
がいい.


ずっとむかし、テレビのドラマ(ドクターXだったと思う)
で口の悪い、でも手術の腕のいい大門未知子医師のことを
同僚の医師がこう言っていた.

「もしも自分が患者さんだったら、口がうまい外科医よりも
手術がうまい外科医にめぐり合いたいし、
もしも患者で、切ってもらうなら、感じがいい外科医よりも
腕がいい外科医に切ってもらいたいですよね」

それはまさに大門未知子という口の悪い腕のいい外科医
のことを言っていたのでした.

日蓮はこのタイプの坊主です.口は悪いが、僧侶としては
まともなことを言っていた.仏教の教主は釈迦牟尼世尊だ、
歴史上、間違いなく存在し指導した.阿弥陀如来という
人は歴史上いない.実在しない.教主釈迦如来を捨てて
阿弥陀さん信仰して、お釈迦さまに失礼だ、地獄に落ち
る、まあ理屈に叶っているでしょう.




日蓮の時代、法華経が在世の釈迦が霊鷲山で説いたもの
と信じられていた.確かに今の時代から見ると、日蓮は
根本的に間違った情報を取り入れて、その結果、臨終の
枕元に釈迦世尊の仏像ではなく、題目を置くように言っ
た.だけど絶対これが間違っていたわけではない.
釈迦生存の時代でも釈尊は、ことあるたび、「ここには
何千人もの同じ名前の者が果てているがどの人のことだ?」
とか、多くの過去世のことを説いている.

過去世を説くということは当然、世尊自身にも過去世が
あるわけだから、それを推察すれば、①久遠実成の釈迦
②ジャータカに説かれる菩薩の二通りに分かれる.

ところで釈尊の説かれた「因果律」は当然久遠の
昔からある法則なので、
①の久遠実成の釈迦が存在してきていると考えても、
ごく自然なことであります.

法華経には久遠実成の釈迦が登場する. 
しかも
500年ほど経ってから編まれた
ものだ、そういって、こ
れを荒唐無稽と
片付けていいでしょうか.

釈迦滅後に僧侶たちが編纂した法華経が
必ずしも釈迦の説法と無関係のものだとは
言い切れません.その内容はけっこう正しい.
ストライクゾーンに入っています.

なぜなら、過去という時間は無限で生まれ変わり
も星の数はあるでしょうから.

ただし在世の釈迦は、そういう過去にはあまり
触れなかった.人々を惑わすことなく、因果の
法則を説きたかったからだと思います.

その動画にはコメントは差し控えました.
あちらはプロですから営業妨害になるような
行為は、ぼくは慎みたいと思ったからです.
昔「がきデカ」という漫画がありました.

悪いやつらに言い返す勇気のないがきデカ
が教室の片隅の掃除用具入れの中で
言い返していましたけど、それと同じだね.

あのマンガを読んだときは、腹を抱えて
笑いころげましたけど、今はぼくがみな
さんに笑われる順番になったということかも.
これも因果の法則の一環でしょうか.


3月15日(日)

読み返していて、気がついた点を書き加えます.

歴史上の釈迦と経典の久遠実成の釈迦は別者だ
という向きもありますが、それは大丈夫です.

鹿野園の初転法輪では、「友よ、私は不死を得た.
汝らに死なないの法を説こう.」

つまり、釈尊は「死なない」ことを菩提樹下で
覚っていたのです.

これはどういうことかといいますと、
死なないのだから生まれない.

つまり今の私はこの世に生まれたのではなく、
久遠の昔から存在していた.生まれも死にも
せず、ずっとあり続けてきている.不生不滅
である.つまり肉体はやがて脱ぎ捨てるだろ
うが、私はなおも存在をつづけている.

これを法華経は「久遠実成の釈迦」と説いた.
久遠実成であるが、形而下に教えを説くため
肉体にしばし宿った.宿泊は80年だった.
36歳から80歳まで教えを説いた.
そうしておけば、後の世に、その教えの大要を
弟子たちがまとめるであろう、とお考えに
なられたことでしょう.







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最終更新日  2026.05.01 04:07:31
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