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その花を目にするたび、記憶の奥がわずかに揺れる。実家のそばにあった神社のことだ。
神主の常駐していない小さめの神社だった。毎年、八重桜が散り際を迎えるころに祭りが開かれていた。
季節の余韻と人の熱気が溶け合う、あの場所の光景である。
境内は朝のうちから静かに準備の気配に満ち、夕刻にはすでに別世界へと変わっていた。
提灯が灯り、夜店が並び、焼きそばや綿菓子の匂いが風に混じる。
その上に、八重桜の重なり合う花びらが、絶え間なく、しかしどこか柔らかく舞い落ちていく。
それは「花吹雪」という言葉では捉えきれないものだった。猛吹雪である。
ひらひらという軽さではなく、層をなした厚みをもつ流れ。視界の随所でほどけていく花の粒が、灯りに照らされて金や淡い桃色に揺らめく。
どこを見ているのかさえ曖昧になるほどの、過剰な美と賑わいのただ中にいた。
人の声、笑い声、太鼓の響き。
そのあいだを縫うように花びらが降り続ける。現実の輪郭はわずかに滲み、「楽しい」という感覚だけが身体の内側を満たしていく。
あの頃の自分にとって、それは季節のなかに突如として立ち現れる祝祭だった。
しかし今振り返れば、その光景には確かな遠さがある。同じように繰り返されていたはずの時間が、もう二度と同じ形では戻らないことを知ってしまったからだ。
八重桜は今年も咲く。けれど、その下に確かに存在していたはずの喧騒も、灯りも、花吹雪に包まれるような感覚も、いまでは記憶のなかでしか立ち上がらない。
八重桜を見るたびに思い出すのは、花そのものではなく、そのとき確かにそこに流れていた「時間」なのだろう。もう帰ることのないふるさとが、花びらのように静かに心へ降り積もっていく。
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