かぜはイタ!づら
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<きっとね>と約束したことだけをおぼえている春の街並 みなわ ひとし 「おじさん」セーラー服の桃子が立っている。今日中に仕上げなければいけない仕事を抱え、喜一は少しいらだっていた。「なんだ桃子。邪魔するんじゃないよ」そう言うつもりで顔をあげた。おや。あれ。いつもの桃子じゃない。なにがどうしたとも言えないけれど。喜一は、少しの間ぽかんとしていた、らしい。「おじさん、ぼんやりして。どうしたの?」いやいや、喜一はわずかに首をふった。なんだ、やっぱりいつものうるさい桃子だ。「邪魔するんじゃないよ」喜一は、やりかけの仕事に戻った。桃子は、制服の袖口がぬれないように、クルクルと腕まくりした。小さな台所は、カップラーメンの空っぽになったのや、汚れたコーヒーカップがだらしなく積まれている。スポンジに思い切り洗剤をつけると、ごしごしと洗い始めた。うちにいるときの桃子は、喜一と同じで、食べたら食べっぱなし、飲んだら飲みっぱなしの、どうしようもない甘えん坊の高校生だ。けれど、自分がやるしかないとなったら、母親の見よう見まねで、俄然ヤル気を出すのだ。「こんにちは」あの、まったりのんびりした声はレモンさんだ、桃子は濡れた手を急いで拭いて台所から顔を出す。「こんにちは」と、桃子に笑いかけるとレモンが買い物袋をゆらゆらさせた。「桃子ちゃん、お好み焼き好き?」「だーいすきよ」「よかった。一緒に食べようと思って材料買ってきたの」言いながら、レモンは喜一の背中を見た。「忙しそうね」「いつも追い込まれないとやらないタイプだから」と桃子。「聞こえてるよ」喜一が肩をぐりぐり回すようにしながら振り返った。「忙しそうね」レモンが気遣うように言う。「やっとメドが立ったから。お好み焼きだって。うまいの?それ」「超、超、ウマイの」レモンが、おどけてみせた。「そりゃいい。腹ペコなんだ。小野さん、くるんだ。出張帰りらしい」喜一が乱雑にひろげた仕事を片付け始めた。ホットプレートにお好み焼きの具をのせて焼き始めるころ、小野さんがやってきた。「ほーら、また骨壷が手に入りましたよ」「ウオ、いいねー」喜一が小野さんにグラスを差し出す。「ふーん、いいにおいだ。今日はお好み焼きですか」小野さんは、プレートをのぞきこむように言った。桃子が最後のお好み焼きのタネをプレートに流しいれようとしていた時のことだ。「アレー」表通りをぼんやり見ていた小野さんが頓狂な声をあげた。喜一が、その声につられるように外を見た。「なーに」プレートのお好み焼きとにらめっこしていた桃子が振り返る。「元さん!」叫んだのは、レモンだった。桃子は、不自然に体を硬くして下を向いたまま、コテで、お好み焼きをひっくりかえそうとした。くるり。ぽっとーん。無残に床に落としてしまった。「ああ、台無しじゃないか。まったくドジだな」いつの間に近づいたのか、桃子の目の前に元が優しい目をしてたたずんでいた。床の落とし物を、元は、器用に手で拾いあげた。桃子がさっと皿を差し出した。「ありがとう」桃子がとても小さな声でそう言った。「お帰り」言いながら、小野さんが、おやっという表情をした。喜一に笑いかける。喜一は、桃子のぽっと染まった頬に目をみはった。ははーん。笑みがこぼれる。台所にふきんを取りに行っていたレモンが戻ってきた。おしぼりを元に渡しながら「お帰りなさい」と、レモンの顔がほころんだ。「いや、どうも。ただいま」元は、急にテレたように、斜にかまえた。黒いポロシャツからはみだした二の腕が、見違えるようにたくましくなっている。桃子の顔がほんの少し翳った。おやおや、やれやれ、喜一はそしらぬ顔をした。「それでは、元くんとの再会を祝して、乾杯!」小野さんの声が、ひときわはずんだ。春の名残のように、しずかに雨の降る宵のことだった。 楠田レモン
Jun 14, 2005
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