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沖縄へ旅立つ日の前日に、ボトルを選んでみました。解説・画像はナチュールアロマテラピーさんより。☆ 一本目 魂のボトル(本質を現わす)ボトルNo 004ボトル名 サンボトル/サンライト カラー イエロー/ゴールドテーマ・・・知識と知恵、思想家おすすめの使用部位・・・太陽神経叢(胃腸のあたり)の位置で身体一周ぐるりと帯状につけます。タロット・・・皇帝(The Emperor)~ボトルのメッセージ~・管理能力に優れ、組織作りなどに力を発揮します。ユーモアセンス溢れ、人を楽しませることができます。物事を所有するよりも、それを知ることのほうが、価値があることを知っています。・「太陽のボトル」と呼ばれるこのボトルは、私たちの恐怖や不安を手放すことができれば、私たちの内なる太陽が輝き始めることを教えてくれます。恐怖を手放すことをサポートしてくれます。 ☆ 二本目 チャレンジ&ギフトのボトル(過去と課題)ボトルNo 069ボトル名 鳴り響く鐘 カラー マゼンタ/クリアテーマ・・・鈍化された欲望、愛の情熱的な衝動おすすめの使用部位・・・身体のあらゆる部分~ボトルのメッセージ~・サウンディングベルという名前が付いたこのボトルは、鐘が鳴り響き、私たちを呼び起こしいつも必要な愛はそこにあるということを知らせてくれています。このボトルを選んだ人は、自分の人生の目的を見つけ、理解し、情熱的に生きている人です。多くの人の幸せを願っています。・一方で、下層部のクリアは、過去の苦しみ、流されなかった涙を表しています。その過去の苦しみ、涙を洗い流すようサポートしてくれます。内面がクリアになることで、本来の情熱や愛が強く沸き起こり輝かしい道が開けてくるでしょう。 ☆ 三本目 「今ここ」のボトル(今の状態と気づき) ボトルNo 070ボトル名 壮麗なるヴィジョン カラー イエロー/クリアテーマ・・・光り輝くヴィジョンおすすめの使用部位・・・胃の周り~ボトルのメッセージ~・知識欲、好奇心旺盛な人で、ユーモアセンスもあり人を楽しませることができる人です。また人の気持ちに共感することができるとても誠実な人です。自分自身をよく知っていて、物事を本質的に見極める明晰性、分析力を持っています。・精神的な混乱や、心配、恐れを手放し、知性の働きを活発にします。心の奥に潜む苦しみを手放し、喜びを見出していけるようサポートします。本来の旺盛な知識欲、好奇心に従い、さまざまなことを学習していくでしょう。 ☆ 四本目 未来のボトル(未来の可能性)ボトルNo 053ボトル名 ヒラリオン カラー ペールグリーン/ペールグリーンメインテーマ・・・道、真理、そして生命おすすめの使用部位・・・胸部の周り~ボトルのメッセージ~・記憶力と識別力がとても優れています。また、自分が誤った方向へ進んでいる場合やプロセスが偽りの方向へと向かっている場合はすぐに気づく人です。周りの人との調和を大切にする誠実な人です。自分にとても正直で、自然体でいる人です。・人を羨んでしまったり、本当の自分の道を見出せないとき、サポートしてくれます。自分らしさを発揮し、新しい道、自分にとって居心地のよいスペースをサポートしてくれます。遠い先のことばかりを考えて、なかなか決断がくだせずにいるときスムースに決断が下せるようサポートしてくれます。 ***沖縄から帰ってからも選んでみたところ、上記に挙げたものとは色合いが変わりターコイズを含んだボトルがふたつありました。雨続きの滞在中に、ほんの数十分だけ見ることができた青い色に影響を受けたのでしょうか、創造性の色は、霊性の高い土地柄にやはり似合うようです。☆ オーラソーマのボトルを選んでみたい方は、楽天さんに出店されている「ナチュール アロマテラピー」さんのメニューから「107本全体の画像と選び方はコチラ」へ。「オーラソーマボトルを選ぶ の日記」
April 30, 2009

我が家のシンボルツリーが今年も綺麗に咲いてくれました。 こちらの画像は先週末に撮ったものですが、風の強い日が続いているので少し傾いてしまうほど、木が満開の花で重たくなっています。 先月は、ようやく芽の先が見えていた程度だった百合たちも揃って伸びてきました。 日当たりの良い場所はカモミールも満開。百合の芽と競うように咲いてくれています。プランターには、花や野菜のタネを少し蒔いてみました。今年は、バジル、レモンバーム、ラディッシュ、ジニア、コスモス、そして夫は昨年同様、アサガオを屋根まで伸ばそうと目論んでいるよう。蒔いた日から、しばらく雨や風の日が続いているので、半分残したタネを蒔き直すことになるかもしれません。GWはそんなこんなで、家でゆっくり過ごすことになりそうです。皆さまも良き休日をお過ごしくださいね。 「我が家の庭の日記」
April 29, 2009

天満宮前の湯豆腐や粟餅のお店の前を通り過ぎ、夫のリクエストでランチは「天下一品」さんへ。まだ午前は11時を過ぎたばかりの頃でしたけれども、するするとコテッとにんにくの効いたスープと麺をいただきました。お腹が満たされたところで西大路通に戻り、市バスに乗り込みます。市バスカードを使ってJR円町駅近くまで乗り、18きっぷでJR京都駅に着いてから、また市バスに乗って東寺まで…というのが予定していたルート。ところが、前日に痛めた足が進まなくなり、円町のバス停で降りたときは駅までのほんのわずかな緩い下り坂と、ホームまでの階段が億劫になってしまいました。そこで、再び市バスに乗って直接、東寺を目指すことに。土曜日の京都はバスが遅れるのでは…という予測をしてはじめはJRも使おうと思っていたのですが、その日はお昼になってもかなりどんよりとした空模様。お花見の人出もこれからなのでしょうか、円町西ノ京から乗り込んだバスはスムーズに京都駅付近まで進んでゆきます。このまま楽に東寺付近まで乗ってゆこうと思っていたとき、とうとうパラパラと雨が降ってきたところで、雨具を用意していなかったことに気づきました。「傘を買った方がいいわね」「そうだね」「京都駅だったら簡単に買えると思うから、いったん降りましょう。できれば100円ショップがあると嬉しいな…」…と言った途端、バスの窓ごしに「ダイソー」さんの看板☆反対側の座席に座っていたら気づかなかったことでしょう。夫は「まさか旅先でそんなに簡単に見つかるわけないだろう」と思っていたようです。京都タワーのビルの二階という超好立地にある100円ショップは、案の定、お店の入り口に雨具を出してくれていました。夫はレインコートを私は傘を購入、装備が整ったところで京都駅から小さな16号バスに乗り、東寺西門前に到着、満開の花に迎えられます。 先回、東寺を訪れたときは一人で。毎年、京都を訪れるきっかけになった旅で右も左も分からないまま京都駅でタクシーに乗り、南門で降ろしてもらったのでした。東寺でパワーをいただくように示唆されて数年、あれから様々な出来事がありヨーガをはじめとしたご縁に支えられていることをしみじみと思い返します。 受付をすませて雨の中を進みます。五重塔にいたる前に、光彩を放っていたのが「不二桜」。数多の戦乱を潜り抜け、いまに往時の姿を伝える場所にはふさわしい名の木ですね。 四度の焼失に見舞われながらも、地震では倒壊したことがないという五重塔。大きな柱に支えられた部分を夫は潜るように覗き込んでいました。亡くなった父が大工さんで、自分もいまは建築関係の仕事をしているので興味があるのでしょうね。 金堂におわしますのは、中央の薬師如来像と、向かって左に月光菩薩、右に日光菩薩の薬師三尊。見上げるような金色の仏さまに、身内の病気平癒をお願いしました。 講堂は、五重塔と同じく弘法大師が着工したのだそう。こちらにいらっしゃる大日如来さまは、家族全員の干支の神さまなのも嬉しく。先回、講堂に入ったときに感銘を受けた「十界」の表を今回は5人分いただいてきました。ご縁ある方に、差し上げられればと。無事に京都のランドマークの数々を、夫とともに訪ねられたことに感謝。来年の平城京遷都1300年記念に合わせて、また古都周辺を訪れたいと思います。読んでいただいてありがとうございました。「京都探訪の日記」
April 28, 2009

桜の平野神社から歩いてすぐ、北野天満宮に到着します。 子供の受験前に太宰府天満宮で御守りをいただきおかげさまで桜を咲かせることができたときはご近所の天神様にお礼参りをしました。今度は桜の季節に総本社に参拝、菅公にお礼申し上げられるのを有り難く感じます。 桜の平野神社に対し、こちらは梅の名所なのだそう。梅はもう終わっているようでしたが、色鮮やかな意匠がきちんと保たれていて篤い信心を集めている様子がうかがえます。 参道にたくさん並んでいた臥牛さんたち。さまざまな色合いの石で作られ、よく撫でられているのか艶々としています。首には有名大学の名前も見えました。 案内図をみると、まるで御所のような壮麗な造りになっていることがわかりますね。 南側から入ったので、鳥居は最後に。きちんとこちら側から入ると、また違った印象を受けるのでしょうね。そろそろ、早めのお昼をいただくことにします。続きます。「京都探訪の日記」
April 27, 2009

金閣寺から西大路通へ出て南下、平野神社を目指します。途中、何台かバスが通り過ぎてゆきましたが、何故か平野神社の前にはバス停がなく、かなり手前か通り過ぎてしまうので一日カードを使うことはなく。ほんの数百メートルの距離でしたが、前日に五条坂をやや早足で下りたとき負担がかかったらしく下り坂と下り階段で左足に痛みが走るように。加減をみながら歩くようにします。 桜の名所だけあって、土曜日の平野神社は屋台がたくさん、お花見に最適な場所も、すでにロープで囲われたところがありました。 提灯も桜。お社をあげて桜の季節を盛り上げているようですね。 門のそばにあったのが「魁桜」という一重の枝垂れ桜。名木だったらしく、携帯を何度か向けていましたら、後ろにいらしたカメラを持った男性から「ちょっとのいてんか」と言われてしまいました。 「寝覚」という名も美しい八重の枝垂れ桜。夜に見ると、また趣きを添えることでしょう。 大きな楠木のまわりには、結ばれた籤が花のように並んでいました。続きます。「京都探訪の日記」
April 26, 2009

足利義満の開いた文化の地・北山は源氏物語「若紫」の舞台といわれる場所。 庭園にある小さな建物には、三層から成る金閣内部の写真がそっと掲げられていました。 正面からは一層目に義満らしき像が仏像と並んでいるのが、ちらりと見えて。一層目は平安時代・寝殿造りの法水院、二層目は鎌倉時代・武家造りの潮音堂、三層目は唐様・禅宗建築の究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれているそうで、仏教界、武家社会、貴族社会と、それぞれの勢力の全てを手中におさめ、この世の頂点たる天皇家にとって替わることも試みた義満の野望を顕現した姿が金閣寺。 まだ10歳の美少女・若紫を、18歳の光源氏が見初めた北山は、天皇に繋がる貴公子ゆかりの地として、その所有者に壮大な夢を抱かせるだけのパワーを持っているのでしょう。 金閣の裏に位置しているのが、義満がお茶の水としたという「銀河泉」。この世の財宝すべて、もしかしたら宇宙でさえもその身におさめたいと思っていたのでしょうか。お隣は「厳下泉」。こちらはお手水に使ったのだそうです。 「厳下泉」の傍らの階段を上った先にあるのが「龍門の滝」と「鯉魚石」。 「安民沢(あんみんたく)」を通った後に現われるのが「夕佳亭(せっかてい)」というお茶室。画像にはありませんが、このお茶室の前には石灯籠と手水鉢があり、義政公が愛用していたものだそうで、夫と一緒に少し手にお湿りをいただきました。こちらでは、内部の画像が欲しいという夫に促され、夕佳亭の近くで絵葉書と日英語併記の小冊子を購入。旅先にゆくと、ついつい目に止まってしまうのが、ご当地キティちゃん。「金閣寺でしか販売されていない」「2009年春限定の」「桜の花をモチーフにした」という触れ込みにのってしまいます☆ 子供のリクエストだった「ブランデー入り生チョコレート」も。「4月中旬までの限定販売」とのことでしたが、これは昨年10月に新幹線構内のお店で購入したものと同じ。間違いなく子供が気に入っているものなので、帰りにはまだ間がありましたが今回は新幹線利用ではないので、手に入れておきました。荷物とおみやげは最小限にして、トートバッグ一つの旅がモットーなので夫にもウェストポーチひとつで良いと言っていたのですけれども、出発直前になって小さい方のバックパックを背負ってくれたのをいいことに、この有様☆どんどん背中と肩が重くなってきた夫は「次は大きい方のカバンで行くぞ」とつぶやいていましたが、列車で座れなかったのに懲りず次回の旅について示唆してくれたのでほっとしました。続きます。「京都探訪の日記」
April 24, 2009

小学校の修学旅行以来の京都でのお泊り、寝る前のヨガのおかげで足の疲れも取れ快適な朝を迎えることができました。二日目は土曜日、桜の季節はさらに混むことが予想されるので、7時過ぎに宿を出ます。 富小路通をバス路線のある四条通へ向かう途中、昨日訪れた錦市場を横断、人の往来はないものの、すでに一部のお店は動き出していました。 まだひっそりとした朝の四条通。車も人もいない光景が目に珍しく映ります。「四条河原町」そばのマクドナルドで朝食をとってから、首尾よく金閣寺行きの12号バスに。前日に購入した「市バス一日乗車券」の旅がスタート。立命館大学の学生さんと思しき若い方々や、海外からいらしたパックパックの人、普段使いにバスを乗り降りする地元の方々と一緒に30分ほど揺られて「金閣寺前」に到着。 ↑バスから降りてすぐ撮った画像、ものすごーく目をよく凝らしていただくと、真ん中のお山にうっすらと「大」の文字が見えます。 苔生す庭園を傍らに続く長い参道。鐘の音が響いてきたので、夫と並んで撞かせていただくことにします。 200円を払い、綱を引いて、絵葉書を受け取って。絵は雪の金閣寺でした。受付で「金閣舎利殿 御守護」のお札をいただいて門を潜って進むと突如という感じで現われる黄金いろ。 前回、訪れたのは小学生のときだったでしょうか。先生方によると、焼失以前の風合いの方が、再建後の金箔の輝きよりも美しく趣きがあったということでしたけれども、いま見る金閣寺は、20数年前の当時よりもさらに照り映えているように思えます。それもそのはず、パンプレットを見るまで知らなかったのですが87年に金箔が張り替えられているのだそうですね。 「陸舟の松」など庭園の美しさにも惹かれて、あちこち撮っていましたら、同じく携帯を使っていた年配のご夫婦に「お願いできますか?」と声をかけられます。こういうときは、すばやく夫にパス☆仲良く並んで携帯画像におさまる方々をみて、この利器があらゆる世代に駆使されているのを改めて感じたのでした。続きます。「京都探訪の日記」
April 23, 2009

修復中の子安塔に張られたネットに巨大な実物大の絵が描かれているのを横目に音羽の滝を過ぎ、鏡に映ったような池の桜を見てから五条坂を下ります。 清水坂を下るルートもあったのですが、なんとなく足が向いたのが正解。五条坂のバス停は人が少なく、難なく座ることができましたが、次の清水道のバス停では、車内がいっぱいになってしまいましたので。有り難く足を休めて、四条通で下車。お腹が空いてきたという夫と共に新京極通を北進、小学校の修学旅行時の面影を探しつつ三条通を出たところで右折(東向き)、「わたみん家」さんという居酒屋に。サラダやお好み焼き、お刺身や麺類など、少量ずつ種類多く食べられるのが夜には嬉しいことでした。お店を出て、三条通を西へ。「大丈夫?宿の場所わかる?」と言う夫に「大丈夫…」と答えながら地図を広げようとしたところ、見覚えのある洋館が現われます。宿のある富小路通を本能寺に向かっていたときに画像をおさめていたSACURAビル、おかげさまで迷うことなく帰ることができました。地下浴場でお風呂をいただいてから、ヨガで足をほぐしていると夫はすぐに熟睡。先回、18きっぷを使って神戸に行った時も、歩き疲れて寝入った夫をよそに宵っ張りの妻は夜中まで開いている近くのカフェーに一人で読書をしに行ったので京都でも…と、秘かに計画を立てていたのですが、今回はオーバーヒート、早々に就寝することに。「京都読書空間」に載っている場所にスタンプを押せなかったのが少し心のこり。旅が終わってから、さらに「京都で珈琲」という本にも出会いましたので次回は是非、いずれかに行ってみたいと思います。続きます。「京都探訪の日記」
April 22, 2009
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2005年に公開されたジェラルド・バトラー主演の「オペラ座の怪人」の日本語吹き替えバージョンが作成されるそうです。熱狂的なファンを生み、劇場に二桁回数以上通う方々が続出した作品は、当時字幕バージョンしかなかったのだそう。ジェラルド・バトラーのファントムに惚れ込んで何度も足を運んでいた頃は彼の声以外の怪人は考えられず、日本語バージョンの存在の有無などまったく思い及ばなかったのですが、実はいま、洋画は吹き替え版の方が人気なのだそうですね。確かに、あの有名な作品を歌いこなせる方々は簡単には集まらないはず、ですから当時、字幕バージョンのみで公開されていたのだと思うのですが、それでも年間洋画興行収入6位、日本で最もヒットしたと言われいまだに劇場での再上映が繰り返される作品に成長したのでした。すでに公開されている名作が、デジタル処理されて再上映されることはありますけれども新たに声をあてて生まれ変わる試みは、おそらくほとんど例を見ないことでしょう。それだけこの作品にファンを生み出す力が、もっと秘められているという期待を込めてのギャガさんの挑戦だと思います。オリジナル・キャストの歌を愛するファンも、まずは劇場に足を運ぶことになるでしょう。できれば通常公開と同じく、字幕版と日本語版が同時上映されることにも大いに期待して。(朝一番に情報を下さったabeさん、ありがとうございます☆) 「オペラ座の怪人の日記」
April 21, 2009

三年坂を上り切ると、清水坂に。一気に人とお店の密度が高くなりました。 八坂の塔のあたりで見え隠れしていた三重塔が近づいてきて。青い光を放つ姿も壮観です。 仁王様に見守られながら山門を潜ると、若い方々がてきぱきと人波を整理してくれていました。 三重塔を過ぎたあたりでは、「胎内めぐり」を初体験。靴を脱いで昼間でも真っ暗と思われる随求堂(ずいぐどう)の堂下に入れていただき「数珠を絶対に放さないで下さい!手を放すと前へ進めなくなります!」という声に従い左手の丸い感触を頼りに、本当に鼻をつままれても分からないとはこのこと、目を開いても完全な闇の中、時おり前の方の足の裏を突いてしまいながらゆるゆると足摺りしてゆきます。目を閉じても、まぶたを通して何処か薄明は感じられてしまう今、完全に視界を失くしてしまえるというのは、本当に貴重な体験。手に数珠が感じられなければ現在地がつかめず、きりもみ状態になってしまうかも、周囲がすべて奈落のようで、一歩先を進むのも怖いような。明かりが見えて、あとから着いてきてくれたはずの夫に少し時間をおいて再会。「後ろにいた人がパニックになって、ずっと背中をつかまれていたよ」とのこと。前を進んでいたのが夫だったら、私もそうしていたかもしれません。日ごろ目を開いて自分で進んでいるようにみえても、本当は母なる悲の存在に優しく手をそえて導いていただいているのでしょうね。さて、堂下の闇ではありませんが、ここからは心の目でひたすら黒っぽい画像を観ていただかなくてはなりません☆ 20数年ぶりに訪れた清水の舞台。闇と灯りのおかげで遠近感が違ってくるのか、以前昼間に訪れたときよりは下までの距離が近いように思え、舞台から少々身を乗り出して携帯を向けても花咲く木々がふかふかとしていて、あまり恐怖感がなく。飛び降りようと思った沢山の方々も、距離感の迷いがあったのかもしれません。 ライトアップされた桜と建物のコントラストに夢中になっていると数分、夫とはぐれてしまいました。すぐに会えましたけれども、双方、目を奪われるものに囲まれていますので☆ 遠くに、これもまたライトアップされた東寺を望んでから本堂内々陣で御開帳されているご本尊・十一面観音像を拝観させていただきました。三十三年に一度、前回は平成12年に御開帳されているので本来は拝観できないようですが平成20年が清水寺にゆかりの深い花山院の千年忌にあたり、今年の5月31日まで、特別に御開帳されているそうです。花山院といえば、藤原氏最盛期に繋がる一条帝即位のため陰謀に巻き込まれて退位、落飾させられた悲劇の方。御所に花を咲かせ、美しい女人を愛し、和歌を能くする芸術性の非常に高い方ということは知っていましたけれども清水寺を含めた西国三十三箇所めぐりの中興にも力を尽くしていらしたよう。一条帝の后に仕えた紫式部や清少納言といった貴族たちが華やかな宮廷文化を繰り広げる中で一千年の昔も観音様に願いをかける方々が数多くいたのでしょう、最愛の人を亡くした悲しみをきっかけに帝という立場を追われるほど人々の心を汲み取ることのできる優しい法王様ゆかりのお山に花の季節に訪れることができて幸運でした。続きます。「京都探訪の日記」
April 21, 2009

本能寺から寺町通を南下し、鳩居堂の前を通って池田屋騒動跡のある三条通へ。高瀬川端の佐久間象山遭難碑を傍らに三条大橋西詰に到着。先回の新撰組ゆかりの地めぐりでは気づかなかったダンダラ模様の札がありましたので読んでみると、橋の欄干に池田屋騒動時につけられたと言われる刀傷があるとのこと。 三条大橋を渡ってみると、それらしき痕。副長ルートで、いったいどんな攻防があったのでしょうね。はからずも隊士さんたちの面影を辿ることになったなと思いながら鴨川を南下、はるかに続く桜並木を見ていると、夫が違う道も歩いてみたいというので、川端通を祇園側に横断。再び疲れが出てきたのか、縄手通手前の小さな広場に椅子を見て一服する夫をよそに先回、レンタサイクルで通れなかった縄手通=副長ルートのそばに来てそわそわと画像を撮りました。暮れ始めた祇園の街を、ゆっくり歩きます。 巽橋のそばは、流石に物凄い人波。海外からいらした方もたくさん見えました。細い路地を通って四条通へ。こちらも混んではいたものの先回来たときのように前に進めないほどではなく。その日に帰る方々がお買い物を終えた後だったからでしょうか。四条通の東端に見えるのが、八坂神社。 歩き疲れていた夫も、寺社のあたりに来るとすっかり元気になりあちこちにデジカメを向けていたよう、私も携帯を夜景設定にします。 八坂神社を出て下河原町通へ。中村桜のあたりで人力車の方に声をかけられましたがこのまま歩いてゆくことに。通りを端まで進み左手を曲がると、突如として現われたのが八坂の塔。 このあたりはガイドブックや旅番組などでよく目にしていたものの、歩いたのは初めて。陽が落ちた後は人影少なく静かな佇まい、曲がった坂を進むと清水寺の三重塔が見え隠れしてきました。三年坂のあたりに来ると、急に明るくなります。桜の季節で、夜間特別拝観中の清水寺がライトアップされているためか普段は6時ごろ閉店するというおみやげ屋さんも多くが営業中。吸い寄せられたのが「くろちく」というお店。楽天さんでお買い物をしようとしていたときに気になっていたところで欲しかった椿柄のエコバックと、桜柄のブックカバーを購入しました。三年坂の石段が始まり、転ばないように歩いていましたら「明保野亭」の文字。 確か坂本竜馬さんのゆかりのお店だったでしょうか、枝垂れた花が色をそえていて。風情ある場所に多くの方が心なぐさめられてきたのでしょうね。続きます。「京都探訪の日記」
April 20, 2009

聖徳太子と親鸞ゆかりの六角堂から東進、富小路通沿いにある宿へ。市内を巡るバス路線の多い四条通にも近くて便利なところです。十畳ほどの和室に通していただき、少しくつろいでから歩いて錦市場へ。お店の商品をチェックしながら一往復、錦天満宮さんで折り返して食べ歩きをスタートさせました。最初にいただいたのは、香ばしそうなたこ焼き(6個180円、チーズ入り250円)。食べるのに夢中になっていて画像は撮り忘れてしまいました。椅子代わりの木箱に座っていただいていると、宅配便のカートを押した方がお店の人と「今日は本当に人が多いな」「平日だけど春休みだから」などと忙しそうにしています。京都は不況など、何処吹く風のようですね。次は豆乳ドーナツ。 店先に並んでいた袋を手に取ろうとすると「すぐ召し上がるなら、こちらでどうぞ」とテーブルのある方を示され、10個入り250円の揚げたてをいただきました。出発前、錦市場の情報を見ていて記憶していたのがチョコレートのコロッケ。夫が見て「食べてみたい」と言っていたコロッケの隣に並んでいたのが、そのチョコレートのフライ、子供が食べたがるかな…と思いつつ、手にしたのは「ミニ牛肉コロッケ」30円と「焼きそばコロッケ」180円。 「山椒ちりめん」もチェックした中では一番リーズナブルでしたので合わせて購入、お店の中に2つだけある椅子に案内され、美味しいほうじ茶といただきました。夫の大好きな漬物のお店も。いろいろと試食させていただき「ゆず大根」「昆布大根」「青唐辛子入り胡瓜」を選びます。最後に、富小路通の角で最初に目にしたお店で「韮餃子」「揚げ蛸」を。大人気の中華料理店のようで、人だかりがしていたのが、ほんの少し引いたのをみてからお店の外にあるベンチに座っていただきました。夜の観光の前にお腹を落ち着かせたところで、いったん宿へ。漬物とちりめんを冷蔵庫に入れて、ロビーで休んでいる夫のところへ戻り、地図でバスの路線を調べます。適当なルートが見つからず何度も地図を見直していると、様子を見たフロントの方からお声をかけられました。宿から近い「本能寺」を見てから「清水寺」に行きたい旨を告げるとやはりルートはないとのこと。どうしてもバスを使いたい場合は、本能寺から四条通まで歩いて戻り清水寺行きのバスに乗ることになるよう。四条通から清水寺までは2キロ足らず、夕刻は交通量が多くバスが進まないことが予想され道中は桜の名所も多いので、やはり歩いてゆくことにしました。富小路通を北進すると最初の角に、またも素敵な洋風建築があります。こちらはSACRAビルという建物で、美味しいケーキのお店が入っているとのこと。佇まいに惹かれて、つい画像を撮ってしまいましたが、これが後から役に立つことに。御池通に出て東進、柊家旅館などの傍らを過ぎて寺町通りを右折(南進)して「本能寺」の前へ。 残念ながら、すでに門は閉じていましたので、表の画像をおさめていると「ここ…やっぱり来たことがある…」と夫。小学校の修学旅行の際「本能寺会館」という名の場所に泊まったらしいのですがいまひとつ確信がもてずにいたところ、この場に来て思い出したそう。幾多の人の記憶をどっさり抱え込んだ街ですね。続きます。「京都探訪の日記」
April 19, 2009

奈良線「みやこ路快速」で宇治から京都へ到着、バスターミナルで次の日に使う「市バス専用 一日乗車券カード」を購入してから、地下鉄烏丸線で烏丸御池駅で下車、御池通から東洞院通へ(南進)。京都市内には、そこかしこに洋風の近代建築があって、つい立ち止まって見てしまいます。↑こちらは東洞院通にある郵便局。この裏手には京都文化博物館があります。東洞院通を3ブロック進み、六角通を右折(西向き)して「六角堂」へ到着。 目の醒めるような桜に惹かれて境内にはいると、出迎えてくれるのは「十六羅漢」さんたち。真ん中の写真を心の目でよーくご覧になるとちゃんと16人いらっしゃいます☆ 山門から入りなおして、本堂へお参り。 山門の左手にある石不動さんと不動明王立像。 朱色の建物は太子堂。周囲は白鳥の泳ぐ池で、聖徳太子が沐浴された池跡も。こちらは「池坊」発祥の地でもあり、境内の横には10階建ての池坊研修施設・WEST18がそびえていました。時間がなくて上れませんでしたがこの建物の展望エレベーターからは、六角堂の屋根が見えるそうです。六角堂を京都観光の最初に選んだのは、その日のお宿に近いということもありますけれども現在、新聞連載中の五木寛之さん著「親鸞」の舞台が、まさに「六角堂」だったから。聖徳太子創建のこの場所で、若き日の親鸞が百日参篭の途中、病に苦しむ方々に治療を施したり、参篭九十五日目に太子からお告げを得て吉水の法然のもとへ行く様子が日々刻々と紙上で描かれている最中に、小説の舞台を訪れることができたのでした。 親鸞堂にも参拝してから、境内のおみやげ屋さんへ。お世話になっている方に般若心経を書いた手ぬぐいを購入しているとお遍路姿の方が入ってこられました。本堂の方にも次々と巡礼の方々が。六角堂は西国三十三所巡礼の十八番目の札所かつ洛陽三十三所巡礼の一番目の札所なのだそうで、そのせいか、夫はすっかりリラックス。おみやげ屋さんの仏像前のベンチで長く寛いでいました。最後に、境内を探しても見つからなかった「へそ石」の位置を聞いてみるとお店の入り口からすぐのところに。花で目隠しされていたようです。 京都の真ん中を確認、夫婦ともども、パワースポットでリフレッシュし、その日の宿に向かいました。続きます。「京都探訪の日記」
April 18, 2009
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二度も死線を彷徨いながらも命を永らえている理由とは。美「暴れてめちゃくちゃなさっている様だけれどね、哀川さん、ずいぶん色んな方を助けてお上げになっているから」江「その通りなんですよね」国「助けている?」江「そのまんまの言葉、お父さんからあるんですよ」美「あ、そうなの?」江「『人を助けた分の命を貰っている』」美「そうなの」江「『それで延びているんだよ』と」美「そういうことなの」哀「命が?」江「寿命が。要するに人を助けますでしょう?そうするとその人の人生を助けるでしょう、で、寿命を延ばすわけでしょう、その人の」美「徳を積むとね、それだけ使うお金がね、銀行に預金が出来ているってこと」哀「いや俺…うちらもね、そういう何かルールをつけてね、要するに『ゴミを投げたら、ラッキーバンクのコインが無くなる』っていうんですよ。『ゴミを拾ったら、ラッキーバンクに貯金される』っていうんですよ。『そういうラッキーバンクっていうのがあるんだよ』と」国「子供に言ってるわけですか」哀「そうなんですよ。俺も含めて。何気にゴミを拾ったりしたら『これでラッキーバンクだ』要するにラッキーを使わないという…」美「それはお寺さんのね、昔からの仏教の教えなんですよ」哀「ええ?そうなの…」美「それをご存知なくて出てるの、自分の中で」国「知らなかったわけですよね?」哀「知らない、知らない…」国「それで自分の中でラッキーバンクっていうのを作って…」哀「そうなの。俺ね、『ラッキー』っていうのを極力無くそうと思って生きているんだよね」美「それを…『徳を積む』っていう言葉なの」江「哀川さんから出ちゃったから、あんまり言うのつまらないんだけど…あの、元々はね、哀川さんの後ろにいる人もそうだけれど、ご自身の前世も修行僧なんですよね。だから水にこだわるの。だから一時、水が怖かったのはお父さんのトラウマがあると思う。でも本来、水が好き。禊とか清めるとか、そういう言葉も大好き。『水に流す』も含めて」哀「うん、水に流すの、大好きですね」国「清めるのとかも好きですか?」哀「清めるも好きだし、川は年がら年中行ってるしね…海も」国「落ち着くんですか、見ているだけで」哀「大好きだね」江「だから行者だったから、禊ってあるじゃないですか、行。本当に川に入るとか、全部。だからそういうことがあるから、本来、水なんか全然怖くないんですよ」美「だからそれを夢で見て、それでポッと泳いだらすぐ泳げたっていうのはそこが繋がっているの」江「昔から禊って大体、滝か海か川ですから。だって後ろにお不動さん、見えるんですよ」哀「そうなんですか?」江「不動明王が見えるの。だから、お不動様信仰とかしたことないですか?お不動様…」哀「ないです、ないです…」江「あのね、うーんとご家族とか…」美「お祖母さんよ…」江「…お祖母さんだ…ご家族が、お不動様信仰をしてるはずなんですよ」哀「いや昔、うちにお寺あってね…」国「あ、あったんですか?」哀「あの、先祖がね。それで今は県に寄贈したんですけど…たまたま今年、その門をね、うちのお袋とかがちょっとずつお金を出して…門をキレイに…四百年のお寺ですから…キレイにして…」美「そこにお不動様はあります?」哀「いやー…あったのかなあ…」美「ご存知ない?」哀「うーん、分かんない…」江「だって不動明王は坐像ですけどね…座ってる…」哀「俺はだって…最初にやった映画の背中不動明王でしたからね」国「背中ですか?」哀「背中に描いて…」美「もんもんが…」哀「ええ…10年やりましたよ、不動明王」美「10年?ああやっぱりそうだ。そのご縁があるんですよね。それで守られているっていうことですよね」哀川さんが演じた映画「修羅がゆく」シリーズでは背中に、またご先祖さまが佐賀県に建立された瑞應寺にも悪魔や煩悩を焼き尽くすという不動明王が祀られているのだそう。哀「あの…まあ自分家の墓が250年建て替えていないっていうから、建て直したんですけど…何かね…まあ何か…何となく今までそんなこと、感じてなかったんです。感じなかった、全く。で、今回、要するにお寺もやり直しちゃおうかなと、ちょっと思ってるんですけど…そんなことも感じだことがないんですよ、1コも…キレイにしたいのよ。何か…」国「それもここ…最近の話なんですか」哀「ここ最近だよね…だから結婚してからだよね…確実に転機って言ったのはそういうこと。今まで俺…そんなこと全くどうでも良かったんだけど…あの…何でそう思ってるのかな?ってちょっと何か変なところあるじゃないですか?でも気持ち良くなりましたよ。OK!みたいな」国「なるほど。『これでいいんだ』と」哀「あ、そうか!みたいな」美「だってそのお寺さんのね、神様とかお不動様とかご先祖様ね、そういったご守護神とかご守護霊とか、そういった方が、孤独じゃなくて、実はずーっと自分の周りを取り囲んで、ずーっとそれを見ていて、守っていらしたということですよ」江「物凄い守り」哀「そういうことなんだね…うん…」国「これはやっぱり、今日だったんですね、来る日が」美「だからそのお寺を新しくなさるのも恩返しなの」哀「何かねえ…お坊さんがねニコニコしながらね、その庭の掃除をしているのが非常に良くて…『うわあ、これは素晴らしい』と思ってね『これは今度は寺だな』と思って…」江「ただね、2、3年はね、本当に体の方を大事にして下さい。今ね、やっぱり節目なんですよ。…全然余談で申し訳ないんだけど、家の引越し、家を新しくするっていうプランが出るのが見えて…だからそれも無難にね、今は…だからまず体調の方をしっかりさせて…それで先のプランが出来てからでも遅くないんじゃないかと思うんです」哀「ちょっと…虫部屋作ろうかな?みたいな…」国「虫部屋?☆虫部屋作ろうかなっていうのがあった…」哀「うん…ちょっと大規模なね」国「それは自分の体を治してからでも…」江「治すっていうか、ほら今ね、健康に不安も出たりしやすくて…でもちゃんと大丈夫なんですよ。だから普通に診て貰っていれば大丈夫ですから。それが出来れば安心できる、さっき言った様に神経むき出しみたいな方だから…あっちこっち、こうだってずっと計算し尽くすから…そうなるとかえって気を揉んじゃうから…『ま、じゃあのんびり構えよう』とすれば、全然大丈夫」哀「年相応っていうことですね☆」江「いえいえそんな…☆」国「大規模な虫部屋を作ろうっていうのが…」美「面白いわね☆」国「凄く気にはなってるんですけれども…相当大きなものを?」哀「『普通の家が建つみたいな虫部屋作ってやろう』みたいなね☆」美「面白い☆」国「出来たらもう、ぜひご一報下さい☆どうしても見てみたくなりました、今のは」【スピリチュアルメッセージ】☆ 全身の神経をムキ出しにして生きているような方。神様が長生きさせたい人だから体を大事にしないと「病という戒め」が来ます。読んでいただいてありがとうございました。街のオーラ「湯島・本郷」編は後日アップする予定です。「オーラの泉の日記」
April 17, 2009
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結婚後は、さらに2人のお子さんに恵まれて5人の父親になられたとのこと。ご近所の友人・RIKACOさんのお話「結構あの…翔ちゃんはブチって切れると物に当たるくせがあって…椅子をこう…バーン!と投げたりですね…それは壁に向かってとか…ちょっと車を飛び蹴りしたりですとか…尋常じゃないその…『これ事故に遭ったの?』っていう位な…あの…へっこみ度具合が☆『相当な力で蹴ったんだな…』みたいな…」哀川さんが2004年にベストファーザー賞を受けた理由についてR「前の…三人のお子さんは自分のお子さんじゃないわけですよね。だけど、その子供も含め、結婚し、子供たちとも一緒に生活をし…その繋がりの…まず凄さっていうのに感動しますよね…あの、世の中の女性は。だって私が今…二人の子供がいて、誰かに出会ってその二人の子供も私を愛するのと同じくらい愛してくれてまた兄弟を増やしていって、その子たちの面倒も一緒にみながら生活するっていうのは…『やっぱり、そういう人っているのかな?』って…だから隣で見ていて…何だろうな…ハートの持ち主っていうか…もう話していても私が涙が出る位…凄い人だと思う」勝俣さんのお話「家族っていうのは族だっていう意識なんですよ、哀川ルールの中では。だから族っていうのは『決められた時間、ご飯を食べる』だから夕方6時だったら、6時にみんな集合なわけですよ、子供なり、家族全員が。で、ある時、一人…やっぱり学校の友達と遊んで来なかったらしいんです。それで怒って…で、子供を殴れないから、椅子をまず壁に投げつけて椅子が刺さり…でもおさまらないので壁を殴ったら、指の骨が飛び出てきて☆その骨を入れたっていう…自分で☆で、『ご飯を食べた後は、花火大会に行く』っていう家族の約束があったので骨を入れて花火をみんなで観に行ったっていう…☆それはもうまさしく、その哀川家、族を表しているエピソードですよね」美「あの…さっきから『言おう』という風に江原さんが思っているのは奥さんとの前世のご縁…はい、どうぞ☆」江「この奥さんとは何回も会ってるの。1回じゃない…2回、3回…僕がいま見えるだけで3回、会ってる。今はご夫婦じゃないですか?一度は同じようにね、ご夫婦にはなれなかったけれども、恋愛というのがあった…ね?だけどまあ…果たせなかったんですよ。その前は、母である時がある…だからね、妙に…不思議とこの人に言われることっていうのは腑に落ちるし、慰められるし、憩いもあるし…で、誰でも得られるものじゃない。同じ言葉を言うでもやっぱり言う人によって違うんですよね」哀「違うとおもいますね」美「他の人に言われたらカチンときてね、後は絶対、言うことを聞かないようなこと、腹の立つことでも、この方だと腹も立たないし、カチンともこないのね」国「どうですか?」哀「…きますけど、まあ…夫婦だからね…だから…『まあ他人だったら言わないだろうな』とかね」国「あー、そこまでと」哀「そういうの、ありますよ」美「そう。それで一回目の結ばれなかったのは、ちょうど桜の頃なのね」江「そうなんですよね」哀「あ、そうなんですか?」江「だからどういうわけか、桜とかを見るとね、あの…楽しくも悲しくも出ちゃうんですよ…」哀「俺はね…花見あんまり好きじゃないんですよ」美「でしょうね」哀「あんまり好きじゃないの。みんなが盛り上がるのは良いんだけど俺自身はそんなに好きじゃないの、花見」美「何故?」哀「分からない」江「分からないでしょう?」美「そのね、ちょうど桜が満開の…物凄い満開のところで、悲しい別れがあったんですよ。ね?それがね、脳裏にずーっと…潜在的に蓄積されているんですよ」哀「そうなんだ…」美「で、今度はその、いま江原さんがね、全部霊視して『何度もそういう風に…』ってあったでしょ?『それを今回は、最後まで結実させよう』ということで生まれ変わってきたんですよ、二人とも。末永く添い遂げて『共に白髪の生えるまで』っていうことで、完成させるための人生ですよ」哀「あの…生かされるものならね、あの…『もうちょっと生きていたいな』とそう思ってますよ」江「あの、ちょうどその話、出たのでね、申し上げるんだけれども、それはね、体、やっぱり大事にした方が良いです。で、何故かと言うとね、ごめんなさい、ずっと最初から見えるから気になって…とにかく胃に潰瘍の痕があるんですよ」哀「潰瘍?」江「潰瘍。あの、胃潰瘍。胃潰瘍をやった痕があるんですよね」哀「まあ…そりゃもう…2ダースとかビールを飲んでましたからね」国「2ダース?☆」哀「ええ。でね『胃が痛いんですけど』って『昨日、お酒飲まれました?』『ええ飲みました。2ダース』と言ったら『誰でも痛くなります』とか言われて…胃カメラのむんだけど、何ともないんだよね」美「いや、その時にやっぱり炎症を起こしていらしたのね」哀「起こしてたんだね」国「その痕が残ってるっていうことですか?」江「そう、残るんです。後ね、若干ね、ええっとこれも別にきちんと検査して診てもらえばいいですけど…心臓」哀「心臓?」江「うん…時々、『ドキドキ…』っていうね…」哀「それは無いんですけどね、俺ね、昔、穴ぼこが空いていてね、心臓に。それで何か…『あんまり激しい動きはするな』って言われたことまで…」国「あ、そうなんですか」美「じゃあやっぱり心臓だったのね」国「あの、不思議な体験の中でも二度、心臓が…」哀「心肺停止っていうのがあるんですよね」美「あ、心肺停止」国「一回目はいつ頃ですか?」哀「一回目は家で…そのまま、スポンといっちゃったんですよ」国「いくつの頃ですか?」哀「30…30ちょい」美「急に?」哀「急に。二回目はガンガン飲んでる時ですね、一週間後」国「一週間後にも、もう一回止まったんですか?」哀「それは完全に止まっちゃって…」美「心臓が?」哀「心臓が。で、救急車が着ちゃったり、調べたんだけど全然、動かなくて…それで電気のアレでガーン!とやってもらって…それで戻ったみたいな…」国「ええ?」美「それでまた、飲んでいらしたの?」哀「ええ、またそれで…はい…いや、それで病院に行って全部、調べてもらったら何ともなくて…全部、やったんですよ」美「精密検査?」哀「精密検査。何ともない」江「戒めでしょうね」哀「え?」江「戒め」哀「戒め?」江「うん…だから、そういう大きなのをやらないと、やはり大事にしないから。自暴自棄になっちゃうしね。だからそういったことがあって…だからね、それは裏を読めば、要するに『長生きさせるため』ですよね。でなかったら、さっき『戒め』って言いましたでしょう?戒めされるってことは、ほら、早く死んでいい人だったら、そんな必要ないわけだし…」哀「いや本当にね…そこは怖かったですね。だからそこをクリアしたというか…『多分俺、そこで死んだんだな』と思ったんですよね、1回。『多分普通だったら、これで死んでんだろう』と思って…ただ生かされてるから…『いや、これはちょっとな…』と思いましたねー」(今回は非常に文字数が多く、四回で載せ切れませんので明日にもう一回分続きます。)「オーラの泉の日記」
April 16, 2009
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1995年には3人のお子さんを持つ女性と結婚、人生の転機を迎えられます。画面には結婚式後の会見の様子と5人が並んでいる写真が映し出されました。勝俣さんのお話「『嘘だ』と思いましたね。無理ですね…あの…本当に…何だろう…虎みたいな方なので『誰も手なづけることは出来ないだろう』っていう…一人の女性のために生きるとかじゃなく翔さんは翔さんのために、自分のために戦ってくっていう…イメージの人だったんで…『何故?』と思いましたけど…」国「哀川さんは人生の転機でも『結婚』という言葉が入ってきましたけれども哀「そうですね」国「奥さんとの出会いのきっかけというのは、どんな…」哀「ええっと…ナンパです」国「哀川さんのナンパですか。一目惚れっていうことですか?」哀「そうですね」国「すぐ声をかけられたんですか?」哀「もうすぐですよ。『ちょっと電話番号、渡して来い』って。人を使ったんですけどね☆」国「電話はかかってきたんですか、すぐに?」哀「いや、それでまあ…ちょっとやり取りして…あの…まあ…『そんな紙を渡すの、気に入らない』とかね、何か色々そういうやり取りがあって…」国「あ、それは奥さんからですか?」哀「そうですね」国「その紙を渡したりとか、『そういうのは気に入らない』と」哀「『気に入らない』と。ただ…『まあいいじゃないか』みたいな…それでまた…今度は住所とか全部書いて…『健康』って書いてね」国「『健康』?」哀「『体はまあ大丈夫だ』☆」国「ラブレターに、まず『健康。俺は体は大丈夫だ』と☆」哀「ええ、『大丈夫だ』と☆それで渡したら…ちょっと打ち解けてね☆」国「あ、それで打ち解けたんですか!」哀「ええ、少し…少し会話になりましたね」国「凄いですね…今まで、ラブレターの中に…まず最初に『健康』って書いた人…僕は初めて聞きましたけど☆」哀「大事でしょ?☆」国「大事ですか」哀「大事ですよ。やっぱり健康でしょう」国「でも…先ほど…あの…勝俣さんも言ってました…『虎みたいな性格』」哀「虎って…どうなのか分からないですけど…ただまあ…徘徊はしてましたよ、毎晩…ええ…まあ365日の360日は六本木にいましたから」美「その奥さんとも六本木でお会いになったんですか?」哀「そうです…まあ逢わなかったのが不思議なんですけどね、偶々、その時初めて…それで何か朝まで喋っちゃって…それで…自分はハワイに行くんで…次の日からハワイに行く予定になってて、GWで。『ハワイ行かないか?』なんて話して…」国「え?その次の日、ハワイに…連れて行こうと思ったんですか?」哀「連れて行こうと思ったわけよ。どうせ俺は一人で行くから…『それじゃあ行こうか?』『子供三人いるけど』『また…そんなこと言って…』って☆」国「奥さんの方が子供を…」哀「『子供三人いるけど、いい?』『またまた…』」国「『冗談を』と」哀「『まあでも三人いるんだったらいいよ、三人とも連れて来い』って言ったの。それですぐ旅行会社に電話したんだけど…『ちょっとチケット取れないか?』って☆」国「当日、チケットなんですよね?そうなると…それで、取れたんですか?」哀「いや…『パンパンです』と。『GWパンパンです』☆」国「なりますね☆」哀「それでまた電話して、朝の7時にね…『パンパンらしい』と。そうしたら『可哀想だからおいで、送ってあげるよ』って言ったの。『いや、送ってくれなくても俺、車呼んでるから。じゃあ俺が車で迎えに行くから、じゃあ皆で』って言った。まだ半信半疑だよ、子供いるなんて…で、リムジンでダーッて道路を走って『○○の前』なんて言って…見たら三人…四人いるんだよ」国「はい、四人いたんですか?」哀「だから自分と子供三人で四人いる…『うわ、本当だ…』と思ってね…それで『皆、乗りな』ってリムジンに乗せて、それで成田まで行って…飯食って…『じゃあ行ってくるわ』みたいなね。リムジンの運転手さんに『家まで送り届けて』みたいなね」国「うわ…凄いですね、その行動力は…」哀「行動力っていうか…いや俺がびっくりしたよ☆言われても、ほら…子供三人いるようにも見えなかったし、俺より若いと思っていたし…」美「でも普通、三人…半信半疑のうちはまだしも、実際に見られると普通のそこいら辺の男の人は引いちゃいますよね、そこで」国「うん、引くと思います」哀「いや、俺はびっくりしたね…」美「だから引かなかったっていうのが不思議だわね…何でしょうね、それは」哀「見ちゃったら、かえって凄いなと思ってね…『おお本当にいるね』と思ってね…『じゃあ皆、乗れ。記念写真でも撮っちゃおうか』みたいな…それで撮っちゃったわけ。(再び5人の写真。よく見るとリムジンの前です)あれ、当日なのよ」国「あ、さっきの写真ですか?」哀「そう、その日なのよ。『写真、撮ろうぜ』みたいな☆」国「確かにリムジンでしたね☆」哀「そうなのよ☆俺、着いたらすぐ、ゴルフやろうと思って…もう…要するに、バイザー被ってるでしょ、ね?」美「子供さんがいるっていうことは、ハンディにならなかったんですね」哀「俺にとってハンディは…無いですねえ…」国「結婚を決意したっていうのは…」哀「結婚を決意したのはね…何となく『これじゃまずいな』と思ったのは二ヵ月後位かな」国「『これじゃまずい』というのは…」哀「ハワイから帰ってきて、もう暮し出したんだよ」国「住んだんですか、もう一緒に?」哀「住み出したんだけど、前の家あるよね?子供たちと一緒に住んでいる家。そこから俺の家に通い出してきて、まあ子供の面倒を見ながら俺の家に来て…みたいなそういう生活だったんだけど、途中から面倒くさいから、子供も全部呼んじゃったの、俺が。『いいよ、子供みんなおいでよ』…それでいきなり、一人暮らしから五人の生活になっちゃった」国「それだって…今まで六本木を300日徘徊してたわけでしょう?」哀「それでも徘徊してたよ」国「してたんですか!」哀「それでも徘徊してたよ…徘徊してたんだけど…ある日『これじゃまずいな』と思って…『これは白黒はっきりつけないと、これはまずいぞ』と。で、『まず子供に聞いてくれ』って言ったんだよ。要は『これ、結婚を前提に付き合っているけど、もし結婚ということになっても子供たち、文句ないか?』子供たちが『嫌だ』と言ったら、俺も嫌だからね。まず子供たちの許可を得たわけ。『どう?』『いいんじゃない?』って言うから『よし、まずOK』。次は親じゃない?お父さんは亡くなられてたから『お母さん、ちょっと北海道から呼んで。話をするから』と」国「奥さんの方のお母さんを呼んで…」哀「まあうちは大丈夫だからね…まあそれで、お母さんを呼んで『真面目に考えていますんで』という話をしたら『よろしくお願いします』と言われたから『よし、OK』って。それじゃあ、まあ迎えられるなと…そこからちょっと…ちょっと楽になったね」国「自分の中で、300日六本木で遊んでいる時代、自分が結婚するとか、子供を持つとかそういうことを考えたことってあったんですか?」哀「いつも考えているんだけどね…」国「考えてはいたんですか?」哀「考えているんですよ…ただ、いつもいなくなるんですよ…付き合ってもね」国「あ、今まで…」哀「まあでも、夜な夜な出歩いていたら、そうなるね」国「いやそうなりますよ。それで結婚を決意してから…夜な夜な外へ出ることは…」哀「出てましたよ」国「出てたんですか?」哀「出てましたよ。ただ、かみさんもついてきちゃった☆」国「…あ、面白いですね」江「でも、ずっと徘徊…いや徘徊じゃない☆何て言うんですか…」哀「ええ、出歩いてね☆」江「それまで、奥さんに出会うまでは皆、逃げちゃうっておっしゃるけれども…その時までは本当につかもうと思った人はいなかったですからね」哀「え?そうなんですか?俺、結構マジだったんですけどね…」江「あのね…気の毒と思うべきかどうか分からないけれども、これは哀川さん独自のことだから…あの…全ての神経をね、むき出しにして生きている様な人なんですよね。だから一番最初に、色んな事を全部気づきますでしょう、先に…っていうのはだから、その経験値っていう部分で誤魔化されちゃってる所があるかもしれませんけどその経験値だけではない、常にね、アンテナが体中にあるみたいなもの」美「そうなの。だからやっかいなのよ」江「で、じっとしていられない」哀「そうなんですよ」江「だから気の毒ってさっき言ったのは、安眠も出来ない。だからそうやって常に動いて動いて…それで疲れ果ててパタッて…子供がよく寝るみたいなそういう寝方をしないとならないから」美「ただね、哀川さんの場合はね、もうやっかいなのはね、もう体中がアンテナがあってねだから人を見た時にね、『自分は霊感がない』とか何とかおっしゃったけれども…」江「そうそう…違う」美「色んな所がね、目に付いちゃってね、気になるのね。相手の欠点とかね色んなものや何かがね…綺麗好きだったり神経質だったりなさるから、そういった所がねピッとこうね、来ちゃうのね。それですぐ分かるでしょう?」哀「いや、気がつく…まあしょうがないですよね…」美「相手のことを」江「自分は性分だと思って割り切ってる所があるだろうから」哀「そうですね、それはしょうがないね…」美「だからご本人も大変だけれど、周りはもっと大変」哀「そう思いますね…だから勝俣がさっき言ったのは、要はああいう風に言いましたけどね『(結婚は)無理だ』っていうのはね、この神経だから『こりゃ無理だろう』という…」美「あのね、こういう方はね、女にとっちゃ一番、厄介なの」国「厄介ですか」美「男っぽいから。前から私、しょっちゅう言っているでしょう?男の中の男ほど、神経質で気が小ちゃくて、物凄く繊細でねデリカシーでガラス細工みたいでね…そういった所があるのよ」国「ああ、なるほど…」哀「うちのかみさん…ほら、かみさんが会社をやっているから…だから…『いたか!』っていうね…一人はいると思ったんだよ、そういう人間が。だから自分の中のテーマとしてね、まあ5000万人、女がいるとしたら一人位いるだろうっていう…この気性に合う…」美「同じ波長のね。波長が合う人ね」哀「そうですよ」国「そういうことですか…」続きます。「オーラの泉の日記」
April 15, 2009
数々の武勇伝は幼い時から始まっているようです。哀「俺はね…小学校5年生でちょっと…ま、一回、悟ったんですよ」国「悟りましたか、小学校5年生で。早いですね、結構」哀「ちょっと暴れ過ぎてね…それで…学校に行ったら皆の目が違うんですよ…『ちょっとおかしいな』と」国「『1回、皆で言わなきゃ駄目じゃないか』…」哀「『ちょっとやってやろうか』みたいな目つきを皆がしているわけですよ。これ一人二人だったら良いんだけどね、クラス中がそうなると、ちょっと変な空気ですよ」国「それは『何だよ』みたいなことになったりしないんですか、哀川少年は?」哀「うん…俺はだから…『ちょっとやばい』と思ったから、ちょっと一人ずつ呼び出して…」国「一人ずつ呼び出して…」哀「『何かおかしいんじゃないか?』」国「『どんな空気になってるんだ、今これ?』っていう…」哀「そうそう。『おかしいだろう?』☆」国「『今までの目と違うじゃないか』と☆」哀「『今までと違う』☆もうそれはね、長年のアレで分かるんですよ☆」国「長年の☆」哀「分かるんですよ。踏み入れた瞬間に俺、お店とかでも分かるんですよ。パッと入った瞬間に『ここは帰った方がいい』と☆分かるんですよ、それだけは」国「それは…凄いじゃないですか☆」哀「それはほら…修羅場の潜り方でね☆」美「それで、一人一人呼び出して、その答えは何て言ったんですか?」哀「答えはね…『あまり意気がり過ぎだ』と。『あまり威張り過ぎだ』と。『だからやってやろう』と。『そういう話し合いを昨日したんだ』と…まあしょうがないから、やりましたけどね」国「やりましたか!1対…」哀「1対20何ぼで」国「20何で…」哀「はい」国「それ、どうなったんですか、結果は?」哀「やっちゃいましたよ、全部」国「え?勝っちゃったんですか?」哀「やっちゃいましたよ、全部☆」美「全部、平らげちゃったんですか☆」哀「全部、やっちゃいました、はい…☆」国「それで悟ったんですか☆」哀「それで悟りました☆」美「どういう風に悟ったんですか?」哀「『あんまり威張っちゃいけないなー』と☆」国「その前に気づくと思うんですよ☆やる前に気づきますけど…」哀「だって向こうだってやる気満々なんだもん☆それはもうどうしようも…俺がどうしようという…ことでもなくて、向こうはやる気満々だから…『表へ出ろ!』だもん」国「なるほど」哀「授業中だよ。『外に出ろ』でしょ、5年生が。それ凄くない?」国「授業中は凄いですね」哀「授業中だから…『はー凄いなー』と思ったね、俺☆」国「それは…20何名は『やっぱり哀川くん、強かったな』っていう風に…」哀「まあ俺、足も速かったしね。結構、距離を取りながらやったよね☆」国「距離感の問題は別に気にしないんですけれども☆」哀「距離感の問題があるんですよ。あるんですよ、距離感は。大事なんですよ」1984年には「一世風靡セピア」としてデビューすることに。「劇男 一世風靡」の後輩・勝俣州和さんのお話「僕が最初に『この人すごいな』と思ったのは…腕相撲のゲームありますよね?あの横綱に余裕で勝ちました。普通みんな、横綱だと手首を折ったり…そういう事故もありながら…横綱を瞬殺で…やっつけたという…後は…僕は『新幹線事件』って言ってるんですけれども…翔さんが映画の『極妻』を撮ってる時に、京都―東京間を行き来してた時に…突然駅じゃない所に新幹線が止まって…で、『何だ?』と思ったら『車掌室に男が立て篭もった』と。それをどうにかしないと新幹線が動かないというところで翔さんともう一人、その道のプロ的な感じの人が手を挙げてその男が立て篭もっているという車掌室の前に行き、ドアを開けて中に突っ込んで次の駅で男を警察に渡してっていう…それで翔さんは自分の席に戻り…車掌さんが『ありがとうございました。お名前をお聞かせ下さい』って聞いたときに『眠いからもういいよ』と言って眠りについたという…☆何ともヒーローみたいな話があるんですけれども…それはやっぱり哀川翔というものを見事に物語っている話ですね」国「いや…こんなこと、あるんですか?」哀「いや…俺もびっくりしたのよ。寝てたんだよね、俺。そうしたら車掌さんが『助けて下さい』って。『え?何?』と言ったら『立て篭もってる』と。『しょうがない。じゃあ行くか』って言って…」国「ちょっと待って下さい。なかなかならないと思うんですよ☆」哀「早く帰りたかったのよ☆撮影が終わって東京に帰る日でしょ?もう疲れ果てて新幹線で寝てるのに…止まってるんだもん、だって見たら。『じゃあ俺、行くわ』って立ち上がったら、もう一人立ち上がってくれた。『二人なら良いね』と思って☆で、行ったらさ『じゃあ俺は扉を開けるから、お前は中の奴つかめ』って言うわけ。おかしいだろう?☆」国「おかしい、おかしい☆」哀「『どう見ても、あなたの方が上手そうだよ』みたいな☆」国「その道のプロって言ってましたものね☆」哀「もうね…俺、もうしょうがないから…『まあいいや』と思ってそれはその…距離感だから☆」国「距離感☆」哀「取り合えず、開ける…ちょっと見といて…バッと見た瞬間に手をバーッとつかんでね、そのままバーッと引っ張り出した…そうしたら速かったねえ…そのプロは。カーテンでガーッとグルグル巻きよ。カーテン…速かったねえ…巻き方が☆」国「凄い経験ですよ☆」哀「それで『すいません…』って言われたんだけど、もうクタクタになっちゃって…」国「『ありがとうございます』ってなりますよね?」哀「うん…で、来たんだけど、クタクタで…『もういいよ、俺、眠いから』ってもうそのまま寝ちゃった」国「うわ…これは格好いい話ですけれども」哀「早く帰りたかっただけです☆」国「そんな哀川さん…意外だったのは雑誌のライターだったんですか?」哀「そうなんですね。東京に来て、すぐ編集部に遊びに行って…テーブルにガーンって写真があって、それを見ながら…ブツブツ言ってたんですよ、俺。『ちょっと書いてごらん』って言うから書いたら、それが採用されちゃったんだよね」国「それは何を書いたんですか?」哀「それはね…原宿で遊んでる人たちのスナップ写真なんだけどそれで写真集を作るって言って…『その写真を見て何を思うか』…要するに俺は自分をそこにのせてしゃべったんだね」国「はーなるほど…」哀「うん。一人称で、ずっと綴ったわけ」国「それが『いいな』っていう話に…」哀「『いいねえ』ということになって…それで要するに自分のコーナーのページをもらうようになって…」国「雑誌のライターっていうのは楽しかったんですか?」哀「あんまり面白くなかった☆」国「でも採用されちゃったから…」哀「…されちゃったし、お金も欲しいし…バイトならいいなと思って…だからあの格好で(オールバックに黒皮のジャンパーで煙草をくわえた写真が映りました)バイトしてましたよ(髪をオールバックにする仕草で)こんなんで☆」国「なかなか出来ないですね、あの格好では☆何年位続いたんですか?」哀「ええっと19から…20、21、22、23…四年間位」国「それ、結構やってましたね」哀「デビューしても、やってましたからね」国「あ、『一世風靡』の中でもライターというか、続けてたんですか?」哀「やってました、ずっと。だから色んな雑誌をやるようになりました、それから。自分のページも自分で書いたりしました」国「あ、『一世風靡セピア』の雑誌の部分の…」哀「要するに取材してくれるじゃないですか。原稿、俺が自分で入れたりしてた」美「それまでは文学や何かに、ご縁がおありになったの?」哀「いや、全くないですね。俺ね、本を読んだことが無くて…俺ね、図鑑しか読んだことがない☆」国「昆虫図鑑?☆」哀「ええ、昆虫図鑑☆それしかないですよ」国「わー、いま気持ちいいですね☆『俺、本読んだことが無くてね』って☆図鑑しかないと…でも、なかなか書けないと思うんですよ。本とかを読まないと…」哀「いやでも…自分の思いですからね。要するに取材して、俺がどう思うかじゃないですか」国「なるほど、なるほど」美「感性ですものね」哀「うん…と思いますね」国「その図鑑っていうのは、よーく見てたんですか?」哀「図鑑は半端じゃないね。生物、半分は暗記したね☆」国「読みましたねー☆」哀「読んだね☆六年間で…よく小学校の時、図書館とか行くでしょ?図書の時間ってありますよね、読書の時間。全部、図鑑だから。借りてる本全部、図鑑☆」国「哀川少年は読書時間を使って、図鑑を見ていたと☆」哀「今も全部図鑑だよ、だから。今、俺の本棚、全部図鑑ですよ」国「え?そうですか」美「じゃあ…あれね、前世はファーブルだったんじゃない?☆」国「どうですか、『一世風靡』との出会いっていうのは何だったんですか?」哀「それはね、取材してたんですよね、歩行者天国で…要するに日曜日の渋谷とか原宿とか表参道とか…そこにその集団がいたんですよ。その…要するに『一世風靡』になる前の…軍団がいたんですよね。で、面白いから、俺、編集長に言ってね『ポスター作りませんかね?』みたいな…」国「あ、その『一世風靡』ではないんですよね、まだ」哀「まだ、ないです。その前の、『一世風靡』って会社を作る前ですから。まだそこでバタバタしてる時代ですよ。そうしたら編集長が『作ろう!』っていう話になって…デビュー前からポスター作っちゃったんですね」国「そこに哀川さん、いないんですよね、入ってないですよね?」哀「入りました☆」国「あ、そこにもう入ったんですか?」哀「入って」国「でも皆さんは、もう踊りを踊れてたんですよね?」哀「もう踊ったりしてましたね」国「哀川さんは踊りは出来てなかったんですよね?」哀「俺は踊り、全然苦手で…結構見てました。ただだんだん何かやらなくちゃいけないような状況になってきて…それも不思議なんだけどね…『やんなくちゃいけないな…日曜日、何で踊ってんだろう?』って思った時あったんだよ俺も」国「あ、自分が☆」哀「そうよ。『何で俺、踊ってんだろう?』って思った時あったんだ…麻雀とかしてて雨とかザーザー降ってるのに『さあ、行かなくちゃ』とか誰か言うでしょう?『何で俺、行かなくちゃいけないんだ?』って思ったよ、俺は…しょうがないから…」国「あ、思ったんですか☆」哀「思ったんだよ…だって途中参加だし…ええ☆」国「でも、相当もてたんじゃないですか?」哀「そうでもないですね」国「え、そうですか?だって相当…僕らも子供の頃、真似しましたし、僕達の同級生の女の子も『やっぱり格好いい、一世風靡セピア、格好いい』っていう様な話を…」哀「だから自分も今は喋りますけど、当時は無口でしたから。俺…中学の時のあだ名『無口くん』だもん☆」国「『無口くん』だったんですか?☆」哀「『無口くん』だもん。ほとんど喋らない」国「ライター時代とかも、あまり喋らない…」哀「ライター時代は要するに必要事項はしゃべらなくちゃいけない…」国「その位で?」哀「…ですね」国「勝俣さんは…」哀「勝俣は自分達がデビューしてからですから。あいつらは六期とか…五期とか六期ですね」国「なるほど…」哀「元気ありましたよね、昔から。ほとんど変わってないです」国「変わってないですか」哀「変わってないですよ、距離取って文句を言うとかね☆」国「距離☆」哀「あいつもね、微妙な距離感を持ってるんだね、あれは良く知ってるんだよね」国「距離取って文句を言うタイプなわけですか☆」哀「そう。パッとつかまれない距離感を知ってるんだよね☆」国「距離感がテーマになってますけれどもね☆」続きます。
April 14, 2009
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俳優として、5人のお子さんを持つ父親として、男性にも憧れの存在である方がゲスト。【スピリチュアル・チェック】☆ 自分の性格をひと言で→えー…短気ですね。☆ 座右の銘→早寝早起きです☆☆ 生活の中でこだわっていること。→うーん…水?☆ 最近のマイブーム→ええっと…カブトムシ…です。☆ 人生の転機→結婚です。☆ 不思議な体験→不思議というか…心臓が二回ほど止まりました。☆ 将来の夢→長生き!国「いやー、哀川さん☆『オーラの泉』、来ちゃいましたね☆」哀「来ると思わなかったね☆」国「いやー…僕、毎年、夏に一緒にクワガタを探しに行ってるんですよ、番組のロケとかで…行ってるんですけれども、まさかでも、この『オーラの泉』に…僕、一緒にお仕事をすることになるとは思わなかったですけれども」哀「いや…自分も番組は良く観させてもらっているんですけれどもまさかここに座るとは思っていなかったですね」国「どうですか?その、スピリチュアルという、こういう世界というのには興味があったりするんですか?」哀「あのね…観てたら面白いですよ…全く、力無いですから、俺は」国「あ、自分にはそういう力は持っていないと…」哀「持ってないですね」国「そう思っているだけかもしれないですよ。実は持っていて、哀川さんが気づいていないというパターン、この『オーラの泉』で何度もありましたから」哀「無いね☆」国「まあそれは後から色々わかってくると思いますから」哀「はい☆」1967年に徳島で生まれた哀川さんは5歳の時に海上自衛隊のパイロットだったお父さまを亡くされたそう。国「お父さんは事故で亡くなられたんですか?」哀「そうですね、あの…訓練中に」国「訓練中に…当時、5歳?」哀「5歳でしたね」国「その当時の事って、覚えていますか?」哀「よく覚えていますね。朝の7時のニュースに、バーン!と顔写真が出たんですよ…何だか分からなかったんだけど、ドーンとうちの親父の顔写真が出て『あれ?』っと思ったら、(家の中が)バタバタとしてるの。それから15分位で車が迎えに来たんだよね。『現地に行ってくれ』って。で、当時、俺は5歳だったんだけど、うちのお袋が要するに…弟の出産で田舎に帰っていたから動けないんだよね」国「あ、お母さん居なかったんですか、そこには?」哀「お袋はもう、飛行機に乗れなかったんだよ、お腹が大きくて…その10日後に、うちの…11日後に弟が生まれたの」国「そうなんですか…」哀「まあ、そういう時期だったんだよ」国「その…現地へ行って、その…お父さんっていう確認を取るんですか?」哀「確認取りますよ、一週間後に上がったんですけど」国「一週間後に…」哀「ええ、上がったんですよ…ちゃんと、分かりましたね…あの…包帯は巻かれているんですけど…要するに見えている部分で、きっちり分かりましたね。それでまあ、お袋に報告して…『確かにそうだ』と。だから要するに、こう…哀しくも何ともないんですよ」国「哀しくない?」哀「あの…その事故に関して、親父が亡くなったということに関しては寂しくも哀しくも何ともない。『早く家に帰りたい』って俺は。そっちの寂しさの方がデカかったですね。もうホームシックですよ」美「子供って、そうなんですよね。よくね、お葬式で子供がね親が死んだのを理解できなくて…それで走り回ったり、騒ぎ回ったりね…飾ってあるお葬式のお花を『綺麗だな…』と思ってたりね…そういうものなのね…」国「お父さんは、どんな方だったんですか?」哀「まあ、自分の今の趣味ね…釣りにしても虫にしても全部、親父の影響なんですよ、それは」国「あ、そうなんですか」哀「そうなんです。5歳までですけど、釣りも連れて行ってもらったしカブトムシも捕ってきてくれているんですよ…ただ…むちゃくちゃ厳しかったね…」国「厳しかったんですか?」哀「厳しかったね…俺はね…外から帰って来て手を洗わなかったんだよ…で、コタツの上に煎餅があったんだよ、真冬でね…煎餅を取ろうとしたら『手を洗え!』って言われた。で、俺は無視して、それを取って食べた瞬間に首根っこを握られて…まだ沸かす前の風呂だよ…あんなかに頭から突っ込まれたもんね」国「え?水ってことですか?」哀「水だよね。お袋が一生懸命、止めてるのを覚えてるね…物凄く厳しいね、今、考えると」美「そこで(スピリチュアル・チェックの)水が出てきたわけね」哀「あー、そうか…」国「なるほど」哀「俺、小学校の5年生まで物凄く水が嫌だったね」国「あ、その覚えがあるからですか?」哀「いや…それは分からなかったけど…すっごく嫌だったね」国「水が嫌だったんですか?」哀「もう水泳とか大嫌いだったもん。ビート板に乗っても進まないんだから、わかる?」国「…だいたい、進みますよね?」哀「だいたい進むよね?…進まないのよ…『沈むんじゃないか?』みたいな…」国「あ、『怖くて…』っていう…」哀「そうだよ、おっかなくてね…」美「だからそれが、あの…今生でのトラウマにもなっているんでしょうね、水がね…」哀「なっている…ただ、夢を見たんですよ…ボンボン泳いでいるのよ…」国「ほう、子供の頃ですか、それ?」哀「そう、5年生の時…『泳げるな』と思ったんだよ、俺」国「それがきっかけで…っていう?」哀「飛び込んだんだよ、俺」国「はい」哀「泳げたんだよ。50メートル、いきなり」国「え?今まで、ビート板でも進まなかったのに?」哀「ビート板で沈んでたのに…下半身が(プールの底に着かなくて)やばい、やばい…みたいな…それが、夢を見たんだよ、ある日の、夏休みのね」美「夢がきっかけで?」哀「夢がきっかけで。『俺は泳げるんだ』と思って…」国「自信を持ったわけですよね」哀「飛び込んだら…泳げたんだ、50メートル…それはちょっと不思議だよ…」国「一番最初にその『水が怖い』っていうのは、お父さんとの出来事っていうのもあるんですか?それとも…」江「影響が大きいでしょうね、今もお話が出たように、トラウマ…小さいときに…そういうのって、子供の時分って、そういう恐怖って、やっぱりどこかでずーっと維持しちゃうんですよね。だからそれを、ご自身で脱却なさったわけですよね…まあ、それには意味ありますけどね☆」哀「そうなの?☆それが怖いね☆」国「いやいや…良いことじゃないですか」哀「そうかなあ」美「だってほら、さっき霊的なものや何かを全く感じないしね、体験もないし、自分には関係ないっておっしゃっていたけれど、ちゃんとそうやってあるじゃありませんか」哀「それはちょっと…ただ…ほら、何かね…自分でこう…ただ怖がっていたのかな?…位の感じで…」江「でも、些細なことでも自分自身で『あ、これってこうなるな』っていう予感って今まで全部、的中していますでしょう?」哀「ほとんど当たってますね」江「ね?だから…」哀「いやそれは…それは経験で…」江「…と思ってますでしょ?」哀「ええ」江「それだけで出来ない人も一杯いますよ、世の中」哀「ええ…『二度目の過ちは犯さない』みたいな…」国「あ、なるほど…でも子供の頃、5歳の頃は父親が亡くなってしまったことを受け止めることは出来なかったと思うですけども、それからはどうだったんですか?」哀「それからもずっと…別に親父の存在を引き摺らなかったですね…でも俺の中では、凄く良い思い出なんですよ」国「うーん、その5年間…」哀「あの…確かに俺が悪いんだよね、手を洗わないから」国「自分が原因だっていう…」哀「原因はね、無視したと。まあ今、俺もそうだね。やっぱり一番嫌いなのは無視だもんね」美「でもね、『自分が悪いんだから』っておっしゃったでしょう?普通、何でもかんでも人のせいにするじゃないですか。『あいつがこうだったから、こうなった』『あいつがこうしなかったから、こうなんだ』ね?だから自分に、ある程度、非があったり、自分にも責任があったりしててもほとんどの人が自分の非を…」哀「認めない」美「ね?認めない。相手のせいにばっかりするじゃないですか」国「本当にそうですね…」美「その方が楽だと思うのね。で、哀川さんは、その真逆なのよ。何でも自分のせいにしちゃうのね。それで解決しちゃうのよ」哀「だから『火中の栗を拾う(他人のために危険を冒すこと)』って言われるんだけどね、俺はね…いつも…『駄目だ、止めろ』って言われて。『何でそっちばっかりに行くんだ?』ってわけじゃないけれども、自分的にはそっちの方が楽なんだね…まあでも、しょうがないなと思って。だから二度と過ちを犯したくないんですよ。『ここは経験したぞ、俺は』って、バーン!と夢でも見たように…もういきなり、ガッと足を踏み込んだ瞬間に『やばい!』っと思いますよ。『これはやばい…』」続きます。「オーラの泉の日記」
April 13, 2009

宇治橋東詰の交差点を渡って右折すると、源氏物語・宇治第六帖「東屋」の古跡の傍にある「菟道稚郎子命」の御陵への道標。 道標の左わきから斜めに延びる道を上り、JRの高架下を潜って、京阪の線路を渡ると、左手にこんもりと木々の緑が見える場所が御陵です。 ところが、行けども行けども入り口が見つからず。御陵をぐるっと裏手まで周り近くまで寄ってみても辿りつけません。見落としたのかしら?と思いながら、ぐるぐると探していると「さっき、石碑みたいなものがあったけど…」と夫。入り口は京阪の線路を越えてすぐのところにあったのですが、交通量の多い細い街道で車を避けているうちに通り過ぎてしまったようです。無事に御陵に頭を下げて入り口の画像をおさめさせていただき、本当にすぐ傍の線路を渡ろうとすると、遮断機が下りてきます。夫には先に進んでもらい、後からゆっくりと歩いて宇治橋のたもとで落ち合いました。さて、喉も渇き、歩いて疲れも出てきたところで、甘い物が欲しくなります☆宇治橋を渡り、再び平等院参道へ。お目当てはもちろん、宇治の甘味、先月にもお団子を購入した「能登椽 稲房安兼」さん☆ ↑先回は迎えに来てくれた夫の車で箱を開け、さらに家に戻ってお抹茶と一緒にいただき、すっきりとした甘さと食感が大好評だった茶だんごを一箱購入(83個入り 1050円)、「お茶は出せませんけど…」と、またも恐縮されるお店の方に許可を得て↓持参した宇治茶と一緒にお店のテーブルでいただきました。大満足してお店を出て、もう一つ心のこりだった抹茶アイスにも挑戦。宇治前商店街から平等院参道にかけて、このソフトクリームをたくさん目にしていましたが一番、美味しそうに見えた「中村藤吉」さんのもの(350円)に決定。白玉や餡が添えられていて、夫婦で競争するようにいただきました。さて、観光地に行ったときのお楽しみのひとつは、地元の方が普段食べているものをのぞいてみること。宇治橋商店街のスーパーに立ち寄って、地元価格のお惣菜やお漬物をチェック、まだしばらく歩くので買えないのを残念に思いながら、宇治茶コーナーやレジの近くで抹茶の甘味をいくつか手に取りました。左上は「小山園」さんの奉天というお菓子。右上は同じく「小山園」さんの抹茶チョコレート。左下は「辻利久」さんの抹茶ミルク。左上は「高岡食品」さんのココアがけの抹茶チョコレート。抹茶色に染まった袋を抱えてお店を出たときは、一足はやく外にいた夫が煙草を買おうとしていたところでした。 宇治橋商店街を進み、代官所や古民家、風情ある銭湯の建物を見ながらJR宇治駅に到着。3月、4月と続けて二度も訪れた宇治は京都駅から十数分、世界遺産をはじめ、源氏物語テーマパークという趣で見どころ多く、お抹茶をはじめとした食べ物も安価で美味しく、お店の方の言葉つきも柔らかく親切で大好きなまちになりました。来年は平城京遷都1300年で、奈良線「みやこ路快速」を使って奈良を訪れる予定、途中下車して、また宇治に寄りたいと思います。午後からは、京都市内観光です。続きます。「京都探訪の日記」
April 12, 2009

先月、午後に訪れた世界遺産は、やや肌寒い中でも賑わいを見せていましたが、今回は午前中のためでしょうか、桜の季節を迎えても、かえって静かな佇まいでした。 宇治にある二つの世界文化遺産は、観光バスが近くまで乗り入れることができないため、環境の保全には良いようです。 「桐原水(きりはらすい)」は、室町時代に宇治茶生産が盛んになった頃「宇治七名水」と謳われた水源で、唯一現存しているものだそう。注意書きには、飲料水としてよりも手水とするようにとありました。 「宇治上神社」に祭られているのは、応神天皇、仁徳天皇、そして菟道稚郎子命。皇太子だった菟道稚郎子命は、父である応神天皇が亡くなった後、兄(後の仁徳天皇)に天皇になってもらうために宇治に遁世するも引き受けてもらえず、三年間、天皇が決まらなかったため、自ら命を絶ったとのこと。ちょうど何人かの方を案内していらしたガイドの方が、この話に触れ「本当は跡目争いで亡くなったのでしょうね」と解説しておられました。仁徳天皇といえば「高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり」民が豊かになるまで苦役を課さなかったという逸話を子供の頃、学校図書館で読んだことがありますけれども、真相はいずれでしょうか。 さて、このままでは片参りになってしまいますので、菟道稚郎子命の御陵にも足を向けるところでしたが、その前に、いま一度、「さわらびの道」を上って、与謝野晶子の歌碑と宇治第三帖「総角」の古跡のある広場に寄りました。「宇治十帖モミュメント」「宇治神社」「早蕨の古跡」「宇治上神社」「総角の古跡」と宇治三姉妹と八の宮ゆかりの場所はやはりワンセットにしたかったものですから。広場を見てすぐ、踵を返して鳥居まで戻りました。参道の脇には、井戸跡らしきものがいくつか。かつては名水を湛えていた場所なのかもしれません。 「さわらびの道」を進み、再び宇治川西岸に出て、宇治橋に向かって進むとこれも八の宮の住まいしていた場所のモデルのひとつ「橋寺放生院」にも再会。椿に加えて、桜が色を添えていました。続きます。「京都探訪の日記」
April 11, 2009

迦陵頻伽が舞うような極彩色に覆われた往時の平等院がCGで再現された映像や、本尊の阿弥陀如来、十一面観音菩薩、地蔵菩薩、空中供養菩薩など、国宝、重要文化財を堪能できる鳳翔館は、平等院・鳳凰堂を観覧すればそのまま入ることのできるミュージアム。お寺や仏像を見るのが案外に好きな夫は、カメラを向けることができないのを残念に思いながらも、かなりテンションが上がり、行きの疲れが払拭されたようです。ミュージアムショップで、画像を撮ることができなかった仏像や鳳凰堂全景の絵葉書、および鳳凰をモチーフにしたデザインの折り紙を購入してから建物を出ると、目の前にあったのが鐘楼と、宿木がいくつもやどった木。 先月、宇治十帖の古跡めぐりをしたときに、宇治第五帖「宿木」のあたりにこの木があるらしいということで、周辺に気を配っていたのですけれども、そのときは見当たらず。思わぬ場所で、目にすることができました。 再び東屋の前を通って門外へ。幕末に宇治茶を復興させたという「辻利久」の創業者の大きな碑があり、子供たちがサッカーに興じていました。焼失、風化しながらも今日まで保たれた遺産を擁する土地は静かながら不屈のバイタリティがあるのでしょうね。 平等院の傍の道から、宇治川の堤防に。翌日から催される桜まつりの提灯も。橘橋は、先月、中洲の方から渡りましたが、今回は宇治川東岸から臨みます。 ひと月たって、花に彩られ始めた「橘島」。七分咲きといったところだったでしょうか。 先回は源氏物語の旅でしたので、目に付いたままスルーしてしまった「宇治川先陣の碑」。宇治川は源義経が木曽義仲を討つための初陣ゆかりの場所だそう。平等院のあたりを所有していた源融もしかり、皇族の末裔にも縁の深い土地柄のようです。 「橘島」から「朝霧橋」を通って宇治川西岸へ渡り、「宇治十帖モニュメント」に再会。ここにも花の色が溢れていて、まだ寒かった頃よりは明るく、匂宮と浮舟も幸せそうな印象を受けます。宇治川西岸を右手にゆくと「福寿園」があるようで、お店の方が「『伊右衛門』の福寿園でーす」と呼びかけながらチラシを配っていました。 恋人達の碑のすぐ背後にある「宇治神社」へ。先回は「宇治上神社」から宇治川へ通り抜けるように参拝しましたけれども今回はきちんと鳥居をくぐると、うさぎさんが迎えてくれました。 宇治に遁世した八の宮(浮舟の父)の住まいになぞらえられている「宇治神社」から、世界文化遺産「宇治上神社」へ向かう「さわらびの道」沿いにある宇治第四帖「早蕨」の古跡にも再会。鎌倉、平安と時代は違えども、貴種流離譚を彷彿とさせる道行きでした。続きます。「京都探訪の日記」
April 10, 2009

参道を歩き、お茶の良い香りが漂うなかで探したお店は「山田園」さん。先月、お抹茶と抹茶飴を購入して、やはり宇治のものは美味しかったので今回も手に入れておこうと、参道商店街のHPを調べたところ双方、一番リーズナブルなものを販売していたのがこちらのお店。綺麗で涼しげな色と50円というお値段が魅力的なグリンティも人気らしく一足はやく店先にいたバックパックの男性が一杯あおってから歩いて行かれました。店内に入り、抹茶飴を二袋とお抹茶一箱を頼んでから、やはり大好きな飲み物も注文。椅子に座っていただいていると「抹茶の入れ物はお家にありますか?」並んでいたお抹茶は缶入りのものだったのですが、お店の方の親切で箱から缶を取って袋入りのお値段にして下さった上、試食の抹茶飴とグリンティもサービスしていただきました。ありがとうございます☆妻のお買い物に時間がかかるのはいつものことなので、夫はいつもの通り、ゆっくり先を歩いています。今回は観るものが沢山あり、いろいろと画像におさめている模様。 ほんの少し歩いて、平等院の前に到着。(ぼんやりとしているのは、ヒカルゲンジを接写モードでおさめてから望遠モードに切り替えるのを忘れ、桜を撮る段階で気づいたため…) 「もう葉桜ね」と言って通り過ぎる方が前を行かれましたが近づいてみると、花はこれからのようだった桜。花の時期に長く赤い葉っぱも顔を出す品種のようです。ふいに、という感じで目の前に現われたのが平等院・鳳凰堂。 藤原氏栄華の極みである建物は、本来は極彩色のものであったよう。もともとこのあたりは光源氏のモデルといわれる源融が所有していたようで宇治十帖といわれる源氏物語の終盤では、源氏の息子・夕霧が父から受け継いだと思われる宇治川西岸の別荘(=平等院のあたり)で饗宴を繰り広げる様子も描かれます。 向かって左側にある東屋の天井。ここから写真を撮ると良いようで、三脚を使う方が何人かいらしゃいました。 鳳凰堂からミュージアムである鳳翔館に続くあたりの桜。この先どちらが年を重ねることができるでしょうか。続きます。「京都探訪の日記」
April 9, 2009

数年前のこと、ある方に東寺でパワーをいただくように示唆されて足を運んで以来、年に一度、大抵は秋の頃に訪れるようになった京都。その間、一応は夫も誘ってはみるものの、毎回返ってくるのは「ひとりでどうぞ」といった言葉。一人で訪れる京都も良いもので、心おきなく小説の舞台となった場所などで時を過ごし、多大なリフレッシュ効果をいただいています。今回の旅も、本当は昨年の秋に計画していたもの。毎年、春頃に行く近隣の小旅行に、やや物足りなさを感じ始めた夫に京都を薦め、ようやく「行ってみようかな」という言葉を引き出しましたが、実際に秋が近づいてみると年末の忙しさがそろそろ気配を見せ始める中ではどうしても旅行という気持ちにはなれない夫の様子を察して、妻はさっさと、恒例の秋の一人旅を敢行したのでした。年が明け、そろそろ春の旅行について考えるときになって今度こそはの思いで夫との京都行きを計画します。年度末までは忙しいとのことで、4月のはじめに休めるであろう日程を教えてもらい宿を探したところ、以前から泊まろうと思っていたところが軒並み満室に。ネットをしばらく逍遥し、何とか身の丈に合った宿を見つけて予約を入れたところでようやく4月はじめは観光シーズンであったことに気づきました。それまでの一人旅では、秋といっても紅葉の一歩手前、日帰りの限られた時間でもなるべくスムーズに周れるような時期と場所を選んで訪れていたのですが桜の季節の京都に行くのは、多分はじめてのこと。相当に混んでいるのを予測しながらも、以前、3月末に神戸まで行くのに使ったことのある18きっぷを購入、5回分のうち1回分は日帰りの宇治行きにした様子は、先月、お伝えしました。さて、当日。7時前に最寄駅から電車に乗ると、平日のためか通勤の方々などで一杯。3月の土曜日に乗ったときも、かなり混んではいたものの、とりあえずは席を見つけて座っていられましたので、大丈夫かなと思っていたのですが平日とはいえ、やはり桜の季節、乗り換えるたびに、どんどんと人が増えてきます。妻の方は車内の隅っこに背中をあずけ、景色や本を楽しむ余裕もあったのですが前日まで仕事だった上、普段は車通勤をしている夫の方は疲れてしまったよう。桜の季節を甘く見積もっていたことを反省しながら京都駅に到着、夫の希望であるところの平等院に行くため、先月と同じく奈良線「みやこ路快速」へ。ようやく座席を見つけて、気力が少し回復したらしく、ホームに戻って売店などをのぞき、珈琲を買ってきた夫と共に宇治駅に到着。 駅前の茶壷型ポストに再会し、宇治橋商店街を通って先月、見かけて気になっていたお店でお弁当を購入、宇治橋西詰に向かいます。 紫式部像の横の階段を下って、先月は流れがかなり早く、一人では傍に近寄れなかった宇治川端の石段に並んで箸を取りました。 すでに乗り継ぎ駅のホームで、鴨入りの麺類を食べている夫でしたが好物のうなぎなので、こちらもあっという間に収まってゆきます。うなぎ専門の「ふな栄」さんは地元で長く続いているお店だそうで、夫が食べた方はご飯の中にもうなぎ入り、さらっとしたタレも美味しく。 宇治川は、先月よりもやや穏やかな表情に。車内から見たときも水位が下がっていて、濁流という印象は受けなかったのですが近くにたたずんでいると、やはり川音は激しく響いてきます。川端は遊歩道になっているらしく、地元の方と思しき方々が犬と一緒にお散歩する姿も。川の対岸に見えるのは、茶の湯が盛んになるに伴い陶器作りが興ったという朝日山でしょうか。階段を戻り、平等院参道に入る直前に咲いていたのは「ヒカルゲンジ」と名づけられた椿。白とピンクのグラデーションが綺麗な花ですね。続きます。「京都探訪の日記」
April 8, 2009

まだ寒さの残る日、花の様子を見に庭に出ました。 故人の植えてくれた球根の花。水仙とスノードロップは、この時期に家の中にも香りを添えてくれます。桜のようなゆすらうめ。六月には赤く甘い実をもたらしてくれる花。数年前、球根をひとつ植えて、大きく育ってくれたすかし百合。今年も元気に芽吹いてくれました。 ユキヤナギと乙女椿。ピンクの優しい花は、風の強い日につぼみを傷めてしまったらしく無事なものを何とか見つけて。シロツメクサは暖かい年には冬も枯れることなく白い花を見せてくれるのですが今年はやはり、庭での領域を休むことなく増やしていたようです。玄関を彩る木香薔薇。この日はようやく陽の良く当たる場所のつぼみをおさめましたが今はこんもりとした樹形全体に、来るべき祭典の準備ができ、花開くときを待っています。「我が家の庭の日記」
April 7, 2009
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旅や源氏物語に関するギフトがたくさんもたらされた3月。「源氏物語 上の巻・下の巻」の鑑賞日記、宇治十帖の旅日記を完成した後パワースポットである浅草の日記をアップさせていただき、続けて旅情を愉しむことができました。さて、ジロドゥ観劇の前に、時間を過ごした美術館の図書室で頁を繰っていたのが芸術新潮のバックナンバー。 友人のパリ・ルーブル行きの計画を聞いた直後でもあり、各国の美術館を中心とした特集記事に目がゆき勝ちになっていたところ昨年、発行されたときに書店で手にとってそのままになっていた「源氏物語千年紀」の号にも再会。少し読むことができたのですが、観劇の時間が近づいていましたので帰宅後、楽天さんで探しました。購入したのは、源氏に関する記事のみを再編集した本で「天皇になれなかった皇子のものがたり」。権力といった視点で源氏を読み解いてゆくのも、面白そうです。夫との京都行きの準備を進める中でも、いくつかの本に出会いました。 上記三点は、近隣の図書館にて。買い物をするという子供を待ちがてら閉館15分前に飛び込んで「蛍の光」を聞きながら旅行コーナーで選んだものですが、それぞれ見どころがありそうです。岩波源氏は宇治十帖まで進み「総角」のあたりを読みながら宇治へ行き4月の京都行きに間に合うように5巻を読み終え、ただいま最終巻に入りました。 浮舟が登場してから俄然、展開が早くドラマチックになるのを改めて味わっています。3月に鑑賞した舞台劇団四季・「トロイ戦争は起こらないだろう」地上波で観た映画&ドラマ「ムーンライト・ジェリーフィッシュ」「クローズZERO」「絶対彼氏 最終章」 手に入れた音源大萩康司さん「HABANA」「Bleu」「11月のある日」 アース・ウィンド&ファイア 「Earth, Wind & Fire / Essential」「感謝したこと」を手元の手帳に書き留めること、今年も続けます。3月のギフト・ヨーガで新しい出会いがあったこと。・宇治へ行けたこと。・源氏物語の日記に一区切りついたこと。・家族が無事に新年度を迎える準備ができたこと。・小説をひとつ書けたこと。・劇団四季・「オペラ座の怪人」の公演が決まったこと☆***日常がどんなに喜びに満ち溢れているかが、目で見てもわかり、潜在意識にも教えてあげられる方法。お薦めです☆皆さまのこのひと月が、素晴らしいものになりますように。「今月のギフトの日記」
April 6, 2009
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4/11(土)は夜7時からの2時間スペシャル。ゲストは哀川翔さん。「街のオーラ」は、芸術と教養 湯島・本郷編だそうです。***最後にお二人が向かわれたのは、縁結びのご利益で話題の神社。江「ほら…『出会うべき人はこれから出会いますよ』」辺「はい…」江「…っていうお話はしたと思うんですよ。その後、少しは予兆、ありました?」辺「あはは…あの…はい…あったっていうか…あの…何ていうんでしょう…うちのお祖父ちゃんがですね、夢に出てきてですね…あの…『そっちじゃない、こっちだろう!』って怒られました☆」江「(手を叩いて)あはは…☆」「オーラの泉・辺見えみりさん」オーラスポット7は、二月の半ばに花をつける河津桜が目印になっている「今戸神社」。辺「わー、いっぱい女の子がいるぞ☆」江「(手を振って)こんにちはー☆」辺「こんにちは☆」「こんにちはー」「高校生でーす」辺「高校生…若いんだね」「大阪から来ました」江「大阪?それは何?お参りしたくて?」「はい!」江「縁結びの?」「はい!!」「お守りも買いましたよ」江「あ、招き猫の…」辺「本当だ…わあ…可愛いね…」縁結びで話題の今戸神社には、二体の招き猫が並ぶお守りやおみくじが並んでいます。さらなる特徴は、美人姉妹の神主さんが迎えて下さること。今戸神社の宮司の家に生まれた市野智絵(32歳)さんと加奈さん(30歳)は小さい頃から神社を手伝いながら育ち、女性では珍しい神職の資格を取られたのだそう。美しい神主姿のご姉妹が並び、にこにこしながら話されます。智恵さん「あの…皆さま、アットホームな下町らしさを求めてくる方が多いので…まあ皆さま、こう…暖かい雰囲気を求めて話したくて来る方が多いので…だから後は、笑い声で元気が出るように、私達、声が大きいんですけど、笑い声で明るく…もう、そういうことしか…ねえ…出来ないんです」江「よく神職は仲取り持ちって言うんだけども、やっぱり(お参りに)いらっしゃる方たちと神さまとの間を自分がちゃんと繋いで、あの…神さまだったらこういう言葉をおっしゃるだろうなっていう言葉を来てくださる方たち、信奉者の方たちに返していらっしゃったり…常に自分達で、真剣に役目をこなしているという思いが、オーラに凄く表れているの…そういうね、金色のね、使命感っていうのが凄くあって…」神社に訪れる人の笑顔が見たくて神主になったというご姉妹に、辺見さんのために縁結びの祝詞をあげていただくことに。(良縁祈願、合格祈願、就職祈願、商売繁盛、交通安全など 5000円~)厳粛な雰囲気の中で神妙に頭を垂れる辺見さんの左斜め後ろに江原さんは座っておられました。加奈さん「では、今戸神社より良き縁がありますことを、心より祈念しております」辺「ありがとうございました」江「ありがとうございました」辺「(いただいた御札をカメラに向けて)何か凄いですね…」江「何か保護者みたい…☆」辺「お父さんが一緒に来たみたいな感じになっちゃいましたけど☆」***国「後半…江原さんがえみりちゃんのお父さんになってましたけどね☆」辺「これはもう…ちゃんとしなきゃと思って…」国「でも、お祖父ちゃんも心配してるんですよね?」辺「あの…この間、夏に出させていただいて(昨年、辺見さんが出演したときお祖父さんは入院中でした)…えっと1月の6日に、亡くなったんですよ。でも、あの…この番組を最期に、観られたんです。あの…1回、あの後に退院して来てで、お家にいる時間が少しだけあったんですよ。で、『この番組に出たんだよ』っていうのを凄く喜んでいて…で、VTRを持って、みんなで観て…それが最期にお家で観れた番組で…」美「良かったわねえ…」辺「もうその後は、あんまりしゃべれなかったりした…でも、本当に喜んでいて、この番組に…」国「感想もあったんですかね?」辺「『あんなに良い子に映っているえみり初めてだ』と☆四十九日の、次の日だったんですよ、ロケが。それで、それも凄くご縁を感じて…」江「お祖父ちゃん、一緒にね、廻ってましたから」国「あ、そうですか!メッセージ的なものとかは…」辺「いや、もうね…絶対、来てると思ってて…☆」江「ああ、そうなの☆」国「どんなメッセージが…」江「最初に言ってきたのは、亡くなった後ね、えみりちゃんが、あの…『お祖父ちゃん、迷わないでね、成仏してね』っていうことをよく言っているから『ああ、ちゃんと聞いてるから大丈夫だよ』っていうことを、まず☆」辺「もうね、そればっかり言ってたんです☆」江「『それよりも、お前が迷うな、人生』というような感じでね☆その声を聞いた後に、今戸神社ですから…だから保護者のような気持ちで『これで良かったね?大丈夫だね?』☆」国「浅草が焼け野原になっていて…五年後の映像を観て…『こんなに早く復興するんだ』っていうのは、本当に驚きましたね」辺「うん…」美「それで私、つくづく思ったのはね…『何て日本人ってしたたかで生命が強いだろう』…生命力」国「はい」美「今、不景気で、世界中そりゃあ不景気で、気の毒な人がたっぷり出てますよ、だけどね、こうやってこういうフィルムを今、見せられるとね…だってね、私、原爆に遭ってきたでしょう?もっと焼け野原ですよ。何にも無くなっちゃったんだから。食べる物も、着る物も、住む所もみんな…全員、ホームレスになったの。南瓜のヘタを食べたりとかおかゆなんて言ったって、お湯だけで米粒が5,6粒浮いてる位のね、そういうおかゆだった…考えてみるとね、今ね…『もう、大変だ、大変だ』…不平、不満を言ってパニックになって…何言ってやがんだいって思っちゃうのね。あの頃の日本人の底力、見てみなよっていうの。だから、これ位のこと、屁の河童ですよ。跳ね除けてね、もっと凄い国になるだけのね凄い力を持っているなって、つくづく…だから私達みたいに、こういう色んなね戦前、戦中、戦後を生き残ってる連中がもっとね、色んな所に出てきてしゃしゃり出てきてね、嫌われても良いから、声を大にして、その経験から…比較論でね、こうやってやるとね、皆さんに勇気を与えることができるし大丈夫っていう風にね、なれるんですよね」「オーラの泉・終戦特別企画 東京大空襲と長崎原爆投下」国「美輪さん、ここ最近、浅草の浅草寺へ入ってゆく間の仲見世なんかは…行ったとかっていうのは…」美「私は好きでね、ブラーッと一人で行くの」国「…それは…それは…凄い…☆」辺「一人で?大丈夫ですか?」美「こんな格好をして行きませんよ。それこそあなた…あの…『笑ゥせぇるすまん』みたいな格好をしてね…」辺「そんな格好なんですか☆」美「全然、変装して行くから、誰にもわからない☆」国「本当ですか?…これはちょっと…美輪さん、僕らもロケ、出ませんか?」美「そうね☆」辺「ここ二人で、ですか☆いいですね」国「二人で…色々と教えてもらって…」読んでいただいてありがとうございました。「オーラの泉の日記」
April 4, 2009
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年間二千万人が訪れる浅草も関東大震災(大正12年)では焼け野原に東京大空襲(昭和20年)では、数多くの焼夷弾が投下され、壊滅的な被害を受けることに。画面には、空襲の直後、一面の焼け野原に、わずかに鉄筋の建物が残っている街や焼け出された家族がひとつ屋根の下で生活する様子が映し出されます。仲見世の人たちは骨組みだけ残った建物で営業を再開、驚くことにわずか5年後の昭和25年の映像では、すっかり復興を遂げ、建物がびっしりと並んでいました。昭和23年には三社祭も復活、その後、浅草寺も再建され、浅草は賑わいを取り戻したそう。「オレンジ通り」にある「喫茶 アンヂェラス」は、戦後間もない昭和21年創業。アンヂェラスとは、平和を祈る聖なる鐘の音という意味。お店の澤田光義さん(65歳)のお話「ここが出来た時…戦後すぐ焼け野原の時、出来たんですが…世間で…やっぱり珈琲を飲むのにお砂糖じゃなくサッカリン(甘味料)を使ってたわけですね。ところが、うちで…あの…珈琲に角砂糖をひとつ付けて…それで出したということが凄くみんなに珍しがられて…」砂糖が貴重だった食糧難の時代に人々の憩いの場として賑わった「喫茶 アンヂェラス」の名物は「アンヂェラス」という甘さを抑えたチョコレートがけのミニロールケーキ(294円)と「ダッチコーヒー」(578円)(氷入りのグラスと珈琲のグラスが一つずつ銀盆に)。「江戸通り」のカフェー「ギャラリー エフ」には、戦災を免れた貴重な建築・江戸時代の材木問屋の蔵(1868年建造)があり、今はギャラリーとして使われているそう。浅草名物・招き猫も戦災を乗り越えたものの一つ。江「(ある建物の玄関の引き戸をカラリと開けて)ごめんください。失礼いたします…ちょっと拝見させていただいていいですか?(通常は見学できないようです。)」オーラスポット6は、「今戸焼き工房」。今戸焼きは500年の歴史があるそう。お二人を迎えられた白井美智子さん(66歳)が今戸焼きの小さな工房で、日本の代表的な縁起物・招き猫をひとつひとつ作っている様子が映し出されました。江「でもやっぱり、味わいがありますね☆」白井さん「あ、そうですか…ありがとうございます」辺「何か…うん…すごくその…お母さんが描いている猫ちゃんっていう…」白「似ちゃうんですよね、困っちゃう…もっと…あの…可愛くなればいいけど☆」辺「可愛い☆」江「可愛い、可愛い☆」白「わあ…☆」江戸時代、浅草の今戸には瓦職人が多く、その傍らで人形を作ったのが招き猫の始まりと言われているそうですが、関東大震災の後は地方に引っ越したり、廃業する職人さんが増え、30軒ほどあった窯元は今ではこの一軒だけになってしまったようです。江「今では貴重な…」辺「そうですよ」江「…存在にね」辺「存在になっているんですものね」白「いや…貴重か何だか分からないんだけど、代々続いてきたから…ここであの…」辺「途切れさせては…」白「途切れさせちゃいけない…」江「もうずっと浅草なんですか?」白「そうなんです…66…」江「ということは、戦争の経験も?空襲を受けた…」白「そうですね…逃げたのも…あの…母親におんぶされて…その時、あの…『雨が降ったのよ』って言うから…あの、『凄い雨が降っていた』って。後から、やっぱりそれを聞いたら…それは油ですよね、焼夷弾の」黒い雨かと思うほど、焼夷弾の油が降り注ぎ、東京は火の海になったのだそう。「オーラの泉・終戦特別企画 東京大空襲と長崎原爆投下」5代目の今戸焼き職人に嫁ぎ、苦しい家計を助けながら3人の子供たちを育てた美智子さんは2008年に今戸焼き最後の職人だったご主人を亡くされた後、招き猫の製作を受け継ぐことに。江「全然、話が違うんですけどね…お母さん、伺っていい?お地蔵さんは作られます?」白「お地蔵さん?…は作ってないんですけど…」江「お地蔵さんが見えるんだけど…さっきからお母さんと話しているとね、お母さんの後ろにね、ずーっとお地蔵さんが見えるの」白「ええ?嬉しい☆」江「お地蔵さんとかを信仰してたってことは、特別ないんですか?」白「そこの聖天さまってあるんですよね。そこで写経をやっていたり…」江「ああ、そこにお地蔵さんがあるんですか?」白「お地蔵さん、いっぱいある」辺「ああ、じゃあそこ…」江「で、お地蔵さんがお母さんのことをね…一生懸命こうね…守ってくれている」白「えーそうですか…」江「じゃあ写経したりとか、お参りしてて…それでお地蔵さんがだからいつも見守ってくれる…」白「私、お地蔵さんに前掛けを、うちの子が二十歳になるまで、三人…」江「『笠地蔵』だ☆」辺「笠地蔵の☆」江「だから守ってくれているんだ☆」白「あー…そう…」3人のお子さんが生まれる度に、お地蔵さんに赤い前掛けを作ってご近所の聖天さまのお地蔵さんに供え、成人されるまでお参りを欠かさなかった白井さんは今もお孫さんたちのためにお参りを続けているそう。工房の奥で静かに座って作業していた方が立ち上がって来られました。辺「息子さんですか?」江「あーこんにちはー☆あ、もう粘土とかやられるんですか?」白「おかげさまで、ありがとうございます」六代目として期待される裕一郎さん、写真のお父さまと風貌がとても似ていらっしゃいます。辺「でもお母さん、息子さんがこう…継ぐって言ってくれた時はやっぱり嬉しかったですか?」白「そうですね…継いでいってくれないとね…」辺「そうですよね…素敵…」江「是非、頑張ってください、ねえ…貴重なものを残していってください」続きます。 「オーラの泉の日記」
April 3, 2009
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浅草で忘れてはならないのが、エンターティメントの歴史。渥美清さん、東八郎さん、萩本欽一さんなど、日本を代表する芸能人が浅草から生まれたそうです。大正時代には西洋のオペラをいち早く取り入れ、日本語で歌った「浅草オペラ」、オペラ歌手・田谷力三さん(1899-1988)などのスターを生み、大ブームに。画面には田谷力三さんの「『芽里女』のカルメン」(1982)の舞台の様子が映し出され、美輪さんは一緒に口ずさんでおられました。浅草出身の芸者から、歌手となった方も。昭和の懐メロブームの時にも大活躍された芸者歌手・市丸さん(1906-1997)の面影を偲ぶことができるのが浅草駅から徒歩五分、自宅を改装して造られた「ルーサイトギャラリー」。二階は不定期営業の喫茶室、隅田川を眺めながら市丸さんの思い出にひたれるところ。 エンターティメントの歴史も沢山ある浅草には、江原さんにとって忘れられない場所があるよう。お二人は、浅草駅そばの見上げるような高い建物の横を歩いています。江「これ…『浅草ビューホテル』」辺「有名です」江「ね?ホテルでしょ?だけど、僕にしてみると、ホテル以前の思い出の方が強いんですよ。ここはね、『国際劇場』って言って…SKDって知ってます?」辺「SKD?」江「宝塚みたいな…こう…☆(着物姿で軽やかに足を上げ下げ)」辺「はいはい…☆(一緒にステップを踏みながら)みんなでこう…ラインダンス的なことですよね?」江「そう…で、実はね、僕…ここによくね、母親に連れられてね…」辺「あ、観に来てたんですか?」江「そうなの☆」「浅草国際劇場」は、SKD(松竹歌劇団)の晴れ舞台だった場所。「西の宝塚、東の松竹」と言われ、豪華絢爛なレビューが大人気、中でも幅27メートルの大舞台に踊り子がずらりと並ぶラインダンスは圧巻、画面には赤と銀の衣装に、赤い羽根飾り、銀の靴の踊り子さんたちが並んでステップを踏む様子が映ります。オーラスポット5は、「浅草国際劇場」跡地に建った「浅草ビューホテル」の裏にある「喫茶 シルクロード」。お二人が入ったお店の奥の横並びにソファーが置かれた空間にはポスターや写真が掲げられていて、SKDの思い出コーナーに。ここはSKDの踊り子さんたちの憩いの場だったのだそうです。江「でもこれ、凄いですねー」辺「サインがもう…」壁だけでなく、天井にもびっしりとサイン色紙があり、その日付は全て同じ「1982.4.5」、浅草国際劇場でのSKD最後の公演の日。この日を最後にSKDは浅草を離れ、国際劇場は同じ年に閉鎖。江原さんは、幼い頃にお母様と一緒に見た華麗なダンサーの方々が今どうなっているのか、気になっているようです。江「あの…今でも…OGってやってるんですか?」お店の女性「はい…STASっていう方たち…今でも見えるんですよね…ちょこちょこ…あの方たち…」「Revue Fantasy 2009」と書かれた黄色いポスターがアップになったところで「こんにちはー」という声々と共に四人の女性が現われました。江「(目と口ををまん丸に開いて驚いて)あーそうなんですかー☆あー嬉しいー☆わあ☆はじめましてー☆びっくりー☆」「はじめまして」辺「急の登場でびっくりしました☆」お店に集まられたのは、元SKDのスターの皆さんで千羽ちどりさん、銀(しろがね)ひ乃でさん、高城美輝さん、明石薫さん。辺「お写真は…」千羽さん「私…(赤い縁取りのポスターにタキシードで大きく前面に写った姿を指して)これです…」江「うわあ☆(拍手)」辺「トップスターじゃないですか☆」千羽ちどりさんは男役のトップスター、銀ひ乃でさんは、「いぶし銀のダンサー」だったそう。江「やっぱりこう…情熱を注いだという時代とか…そういう追い求めるもののある方たちはみんな物凄いオーラを持ってる…10代、20代とかの人たちが持つような赤いオーラ(情熱)を持ってる、みんな」辺「いま現在、情熱的になって…私に足りない赤ですね☆みなさん、持っていらっしゃる…」今もなお赤い情熱のオーラを持つ皆さんは現在、STASの名前で浅草を拠点に定期的に公演を行い、SKDの伝統を伝えているそうです。江「あの…あともう一つ、申し上げていいですか?あの…さっきからずっと…四人がいらっしゃってから…女性でね、本当はこうやってお仲間に入りたかったんだけどご病気で亡くなった方がいらっしゃるの…」銀さん「はい、いらっしゃいます…やなちゃんだね…」絵「それで…その人の姿も見えるの。それで『羨ましいな』と思って…」銀「多分、柳さんだと思うよ。うちの女の子たちを教えてねって…」千「ガンで…」江「うん…壮絶で、苦しくって亡くなっている…だから本当はそれを克服して、その…『一緒にもうちょっと何かやりたいな』と思ってた方なんですよ」銀「お見舞いにね、行ったのね…」千「本当は病気が治ったら…私たちの若い子(後輩)を…」銀「教えて下さるって…」千「…っていう先輩だったんですよ」銀「日本舞踊の物凄い名手だったんですよ…(当時の写真の載った本を開いて指して)これこれ、これですよ」画面には、華奢で気品のある美しい舞姿の女性が映りました。江「あー…日舞の名手だからね…その人はお花が好きだったはず…最後までお花をねこう周りで囲って…お花が大好きで『お花を見ていれば落ち着く』って言って…」銀「柳さんしかいないと思う…『やりましょうね』って話してましたから…」千「そうですね…」辺「でも、こうやってみんなが思い出してくれて嬉しいでしょうね」江「ねえ…うん…」銀「そうなんですか…いや言われてね…」***国「浅草って、まあ…芸人さんを見ることができて、劇場も近くてオペラのミュージカルもあったりとかして…歩いて色んな芸術が見れたんですね」江「『花やしき』なんていうね、遊園地もあるし…もう全てがそう…だから『下町の聖地』なんです」国「そうです、本当に聖地ですよね」江「聖地です」美「不思議なのはね…何とも言えない…空気が違うのよ。時間がゆっくり流れてた頃の…ロマンティックな空気があるのよ。何とも懐かしい」辺「私達はその時代は生きてないんだけど、何かそこにヒュッてこう…連れて行ってもらってるような…雰囲気になるんですよね」美「でしょ?だからね、日常で今ね、ビルだらけで無機質でガラスと鉄とコンクリートの中で…(頭を抱えかけて)もうこんなになっている人とかって…そういった方はね、一番…リフレッシュするには一番いいですよ。是非、お越しいただきたいと思う」国「そうですね」続きます。「オーラの泉の日記」
April 2, 2009
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縁起ものが沢山ある浅草。雷おこしは「家をおこし、名をおこす」という縁起の良いお菓子なのだそう。「浅草公会堂」前にある創業明治3年の老舗、天ぷらの「中清」の名物は通常の5倍ほどもある大きなかき揚げ。画面に映った雷神揚げ定食は、車海老・青柳・貝柱のかき揚げに味噌椀、ご飯、香の物が付いて3150円。雷神揚げは、雷さまの持つ太鼓に似ている縁起物なのだそうです。子育てのお守りとして人気の「笊(ざる)かぶり犬」。「竹」の下に「犬」を書けば「笑」という文字にさらにカサをのせて「重ね重ねいつもニコニコ健康に」という願いが込められているそう。お二人はさらに縁起物を探して仲見世の近くにある江原さんお奨めのお店に。江「ここ知ってます?」辺「え?手ぬぐい屋さん?」江「ここ、有名な手ぬぐいで『ふじ屋』さんっていって…もうね、僕、一度ね、自分の…あの…手ぬぐいを作りたかったんだけど…なかなかまだ、実現できずにね…あの…ちゃんと自分で出来るんですよ」辺「あ、ここで?」江「こんにちはー、お邪魔します☆」辺「お邪魔します…」江「(お店の中を指して)ほら…素敵でしょう?」辺「可愛い☆」オーラスポット4は、昭和21年創業の染絵手ぬぐい専門店「ふじ屋」。こちらの手ぬぐいは、絵柄が綺麗とのことで、椿、薔薇、桜の花びら、達磨、招き猫など様々な色合いと模様の手ぬぐいが、美しい絵のように額で飾られています。ふじ屋のご主人、川上千尋さんのお話「今で言うタオルのような役割も勿論あったんですけれども飾って楽しむっていうことも江戸時代からありまして…」おしゃれと実用を兼ねた粋な手ぬぐいは、オリジナルの柄が300種以上もあるそう。縁起の良い図柄も多く、画面に映し出されたのは青地に真っ赤な大きな鯛がはみ出すように描かれた手ぬぐいでその名も「めでたい」(1800円)。六つのひょうたんが描かれた語呂合わせの「六瓢息災(無病息災)」(1300円)、真っ赤な日の丸と淡いピンクに照らされた富士山とたなびく雲を描いた「赤富士」(2600円)など、美しく縁起の良い手ぬぐいは、噺家さんや芸人さんにも愛用されているそうです。***国「さあ、ということで…この手ぬぐい、『ふじ屋』さんからですね、ちょっとお借りしてきましたけれども…(鏡獅子、夢二の黒船屋、三社大権現、蝶、紅薔薇などの手ぬぐいは額に入って後ろ側に、「いとし藤」「腰かけ袴」「めで鯛」「こまづくし」「結び文」「玉つなぎ」「百寿百福」「青海波」などをデザインした手ぬぐいは折りたたまれて前方のテーブルに置かれて)色が良いですねえ…(「めで鯛」を広げて)」江「ねえ☆」美「やっぱり日本っていうのは、世界一ね、図案化したもののね、デザインの歴史が一番…世界各国で一番古いんですよ、一番、洗練されている国なの」辺「だってこのバランスでこの鯛を描こうっていう…(ふじ屋さんの「めで鯛」は背びれの一部や、胸びれ、尾びれが手ぬぐいからはみ出して描かれていないほど、目やうろこが大きくクローズアップされたデザイン)」美「それで、目が出ているから『めでたい』でしょう?ユーモアがあるの。例えば、これなんか…(テーブルの手ぬぐいを一つ取って)『かまわぬ』っていう…」辺「あ、鎌が…」美「(縦に並んだ三つのデザインのうち、一番上の『鎌の形』を指して)…があるでしょう?(真ん中の『○』を指して)で、ここは輪っかでしょう?(一番下の『ぬ』とひらがなで描かれた部分を指して)で、『ぬ』でしょう☆だからそれで…」辺「あ、『鎌』『輪』『ぬ』(=かまわぬ)なんだ…可愛い☆」国「ええ?!」美「『かまわぬ、かまわぬ』…有名な話があるの。手ぬぐいを、しょっちゅう持っているお祖母さんがいてね、そこいらを拭いたりなんかしてて(手ぬぐいを持って)いつもこうやっているの。そうしたらね、嫁さんが粗相をしたんだって。粗相をして何か大事な物を割って…そうしたらね、謝りに行ったら…」辺「『かまわぬ』だと☆」美「(手ぬぐいを振って)こうやって☆」辺「それって、今でも使えるじゃないですか…そうしたら、みんな仲良く…」江「みんな楽しくねえ☆」美「ユーモアがあるのよ」辺「ね?何か愛らしいですよね☆」美「だから、それが日本人の資質なのよ」江「ね?やっぱり日常の中で縁起物っていうかね、そういう物を身に付けるってすごく良いと思いません?何かネガティブな気持ちになっても『ああ、めでたい』っていうね…そういった中でね、やっぱり情緒っていうか心をコントロールする…そういう何かを持っていましたね、文化を」辺「ああ…そうね…」続きます。 「オーラの泉の日記」
April 1, 2009
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