しあわせのかたち

しあわせのかたち

2004/07/31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
再び楽天をしばらく回ってみた。

自作の「詩」を書いている人がとても多いのにまた驚いてしまった(驚いてばかりだ)。内面を吐露するのに、心に浮かんだ言葉を羅列する。そうした表現ツールとして「詩」というのは便利なのだろう。お仕事モードの目で読んでみても、かなり美しい、レベルの高い詩を綴ってらっしゃる方もいらっしゃった。
(もちろん、「そうでない方」のほうが多いわけだけども)

現実問題として、日本文学界における「詩」というカテゴリーは、壊滅状態にある。これは純文学の分野でもよく言われていることなのだけれども、文章を綴るというのは基本的に「自分(人間)の内面を晒す行為」である。
ギスギスざらざらした「内面」を削り取って、その切れ端を「さあどうだ」と読者に晒す。まあいささか抽象的だが、そういう行為だと思ってもらって構わない。そうした行為のなかで、「詩」や「純文学」というのは、最も「生のかたちで」その切れ端を見せる行為なのだ。

しかるに文学の世界では、「もう読者に晒す、目新しい切れ端はなくなってしまったのではないか」と言われて久しい。「人間の内面」はさまざまな著者に削り取られ、ツルツルピカピカの球体になってしまったというわけだ。

上記の比喩は学生時代に近代文学の先生に教わったことなのだけれども、それが現実世界の「表現」や、文学学会の現状に即しているのかどうか、私は知らない。でもまあ気に入っていて、これまで何人かに教えたりメールで書いたりしてきた。

なんで気に入っているかというと、「何かものを書く」という行為が、人間の心のギスギスしたところを切り取る行為なのであれば、それは切り取られたぶんだけ「書いた人の心」が丸くなる、ということだからですな。

私はプライベートでも読書好きだし、なにより自分の食いぶちがちょっとだけだけど絡んでいるので、文学には頑張ってもらいたい。けれどもどこかで「文学界の未来? そんなもんなんとかなるさ」とも思っている。実際私が心配したところでどうということはなかろう。



それがただ「寂しいから、誰かに構って欲しいから」という願いのみで綴られたものでもまったく構わない。むしろウェルカム。詩を書き、それを不特定多数に見せることでちょっぴり心のギザギザが取れて丸くなる。それこそが「詩の本義」になる可能性を強く秘めている。

冷静に考えて、この先ネットからだろうが文芸誌からだろうが、「偉大な詩人」が日本文学界に鮮烈にデビューすることは考えづらい。商業出版の世界では、「詩集」そのものが存続の危機に立たされてもいる。でもまあいいぢゃないか。ざらざらした「内面」の切れっ端を見せることで、誰かの心がわずかでも丸くなるんであれば。ねえ。

もちろん、私の探し物はまだ見つからないわけだけども。

(7/31 4:25に少々加筆)





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Last updated  2004/07/31 01:16:40 AM


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