しあわせのかたち

しあわせのかたち

2006/02/28
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 ほどよくだらーっと思考中。

 学生の頃は一人暮らしの女の子の家に住み着くのが趣味で(趣味!?)、コーヒーとか飲みながら一日ぼーっとしているのが好きだった。あれは愛だったんだろうか。よくわからん。モラトリアム乾燥期。

 確かハタチぐらいの頃のある日、同級生の女の子の家に転がり込んでしばらく生活してた時に、家主の子に「ねえ、何を考えているのかわからない男は、たいてい何も考えていないって本当?」と聞かれたことがある。

 本当です。
 なんも考えてませんでした。そして今もたいてい何も考えてない。

 あの子、どこかで見ているだろうか。
 男とか女とかあんまり関係ないと思うんだけどなー。
 しあわせでいてほしいと思うのだけども。

    ※



 仕事とかさ。
 恋愛とかさ。
 法律とか学問とかスポーツでもいいんだけどさ。

 個々人が支払った努力にたいして、間尺に合うということってあるんだろうか。
 第3章まで読み進めた『資本論』にはそこらへんのことは書かれていない。

 例えば育児を見てみると、とても「損得勘定で間尺に合う」とは思えない。
 男女の恋愛でもそうだ。
 相手にそそぐ愛情の量と、相手から受ける(と認識する)愛情と。
 間尺に合う、なんてことがあるんだろうか。

 冷静に論理的に考えると、私は「損得勘定でイーブンにはならんだろう」と思う。少なくとも(「自分の人生」という貴重すぎる)身銭を切るギャンブルとしては、分が悪過ぎる。

 自分が愛しただけ、相手は愛し返してはくれない。

 自分が貢献しただけ、社会は自分を守ってはくれない。
 とかくこの世はままならぬ。

 初めから損含みの不条理なものなのだ。
 そしておそらくこれは、「理由なんてよくわかんないけど、とりあえずそうやって人間はずっと生きてきた」としか理解できない種類の問題なのである。

 私ひとりの言葉では説得力がなかろう。


(以下引用開始)

 私たちは信仰や慣習の原初の起源については何ひとつ知らないし、これから先も何ひとつ知ることができないだろう。信仰や慣習の根源は遠い過去のうちに沈んでいるからである。しかし、現在についてなら確かなことがひとつある。それは社会的行動とは個人が自発的に演じうるものではない、ということである。

(『今日のトーテミスム』より引用抜粋/クロード・レヴィ=ストロース著・みすずライブラリー刊)

 なぜ私たちは子供を生み育てるのか?
 なぜ私たちは他者を愛するのか?
 なぜ私たちは労働するのか?
 なぜ私たちは共同体を作るのか?
 なぜ私たちは「何か」を信仰せずにいられないのか?
 なぜ私たちは道徳的であろうとするのか?

「そんなもんはわからんよ」とレヴィ爺さんは言う。
 意味など問うても栓なきことよ、と。

 ただわかるのは、人類は「それら」を続けてきたし、「それら」を続けてきたものが「人類というイキモノ」である、とレヴィ爺さんは語る。

     ※

 いったい私は本ログでなにが言いたいのか。
 コトは大きく飛んで、女系天皇論議と秋篠宮妃ご懐妊報道についてである。

 特に女系天皇については、左右両派からさまざまな論理が飛び出している。
 私が目にした範囲で最も「やるなあ」と思ったのは、 古い友人 が書いた安い掛け合い漫才の台本だった。

「女系天皇反対派の迷走」 と題された友人の論考は、特に以下の部分で悪魔的に鋭い。

(以下引用開始)

 議論するのにふさわしい対象とは、それが合理的なことが要請される場合に限られるといいたいんだよ。合理的であることが要請される議論をおこなうと、天皇制なる非合理な制度の基盤を掘り崩してしまうのではないか?。そう懸念してるんだよ。そもそも、議論なるものは、信頼できる法や制度を整え、それに服従するリベラル勢力が持ち出すならいざしらず、伝統といった超越的なものに服従することを旨とする保守勢力が、しかも「天皇制」について持ち出すのは、天皇制そのものを葬送する行為になりかねないじゃないか。

(引用終了)

 上記は「議論好きのウヨク」という(私もそこにカテゴライズされる)連中を、まとめて葬送する文章である。まさに論理のバンカーバスター。「ウヨは(特に天皇制そのものについては)議論すべきではない」という、死刑宣告だ。


 そんな殺生な、と私は思う。思うが、確かにその通りだ。


 だから私は負け惜しみのように、以下のように続けねばならない。

「じゃあお前らリベラルが信奉する法や制度は、(現在の社会制度のほとんどが不合理だというのに)充分に合理だって言えるのか。そもそも合理なんていうものにどれほどの価値があり、意味があるというんだ」と。

「合理」とは畢竟、理を求めることである。理とは意味のことだ。
 法も、信仰も、恋愛も、出産も、労働も、人類はその起源から「意味を求めずそれを行なってきた」。

「天皇制にはどんな意味があるのか」
 という問いは、深く鋭い。
 それについては、
「意味? 意味を求めて何になるんだい? そもそも意味がわかってやっていて、それが理に適ってることってどれだけあるんだい?」
 と返さざるをえない。

 きっと初めから、そこにしか居場所はなかったんじゃないか。
 いま私はそう思う。

 探しものは見つかっていない。
 私は不合理に信仰する。ゆえに私は不合理を選択する。
 女系天皇賛成。皇室典範なぞどーでもいい。






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Last updated  2006/02/28 01:56:17 PM


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