しあわせのかたち

しあわせのかたち

2006/05/31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 例えば幼少から青年期にかけての頃、自分のなかの感情で、モヤモヤウズウズした「なんだかよくわからない思い」、「どうにも名付け得ぬ感情」が渦巻いたことはないか?

 気になる異性のことを考えた時。
 教師に理不尽なことで叱られた時。
 名作と言われる小説を読んだり映画を見たりマンガを読んだりした時。
 親の言動がどうしても許せないと思った時。
 友人に裏切られた時。
 可愛がっていたペットが死んだ時。
 どうしてもやらなければならない勉強をしている時。

 意味なく叫んでみたり、体を動かしてみたり、「この感情はどういうものなんだろう」と考え抜いても、結論はでたようなでなかったような。



 あるいは論理的であろうとする人間は、その感情の「名前の不在」に耐え切れず、
「これは“恋”だ」
「これは“怒り”だ」
「これは“感動”だ」
「これは反発”だ」
 と、自分のそれぞれの感情を、社会一般によく言われているような、「誰でもが感じるであろう思いの名前」に当てはめ、「そうか、これは恋だったのか」と納得する。

 けれど、それは本当に恋なのか?(byドルバッキー)

 世間一般的に言われる「恋」という感情や、それにともなう言動。
 これに自分のなかで生まれたモヤモヤした感情。
 このふたつがピタリと一致することは、有り得ない。一緒であるはずがない。

 ある人は「あの異性を抱きしめたい」と思い、ある人は「傷つけたい」と思い、ある人は「見守りたい」と思い、ある人は「忘れたい」とさえ思う。形態も大きさも質もまったく違うそれぞれの「モヤモヤとした感情」を、「それは恋だよ」などと乱暴に括っていいはずがない。


 それは自身が持つ感情を、人が積極的に「世間一般的に“恋”と呼ばれる感情」にすり合わせるからだ。

 なぜそんな「すり合わせ」をするのか。
「名付け得ぬ感情」は「わかりにくい」からである。「恋」や「怒り」や「感動」という名前をつけて、「わかりやすく」したい。「伝えやすく」したい。
 人間は自身の感情であれ事象であれ事件であれ物体であれ、いま目の前にある「名付け得ぬもの」を、そのままにはしておけない生き物なのだ。

 これが構造主義的記号論のキーコンセプトである。


「わからないまま」にしておくことは、実は知性の働きによるものだ。

 少年はなぜ少女を殺したのか?
 妻はなぜ夫を捨てて逃げたのか?
 男はなぜいきなり包丁を振り回して無関係の人を傷つけたのか?

 世に起こる数多くの事件、事象を、人はなんとか「わかりやすく」しようとして、理由付けをする。それは恋か、痴情か、病気か、社会悪か。なにがしかの理由をつけずにいられない。理由をつけて、既存の概念に「すり合わせよう」、「押し込めよう」としている。

 9.11テロの時、「いま、本来はわかり得ないことを、“私にはわからない”と声に出して言う知性が求められているのではないか」と書いたのは蓮實重彦だった。この「わからないままでいる」という態度を知性と呼ぶ思想が、ポスト構造主義の考え方である。

 ちなみにそのポスト構造主義を、私はよくわかっていない。
 この説明で、説明しきれているとも思えない。
 ポスト構造主義は「それでいいのだ」とバカボンのパパみたいに言う。

 わかんねーなー。

 探しものはまだ見つかっていない。





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Last updated  2006/05/31 01:45:50 PM


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