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ほとんどの子が、勉強を勘違いしています。努力して辛いのを我慢して、将来の幸せのために勝ち取るものだと思い込んでいます。 学問は、幸せになるためのツールです。そのツールを学ぶ過程が、不幸せなのは、自己矛盾です。 一番基本的な羅針盤を、子ども達に与えないで、勉強させています。どの学問も、幸せへのロードマップを持っており、さらに、その道を歩くこと自体が、幸せなのです。それを伝えられなくて、何が教師でしょうか? 良い成績で、希望の進学をするのも、確かに幸せです。それも含めて、学問それ自体が、素敵な幸せな世界に私たちを引き入れてくれるのです。
2014.04.28
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どうも覚えが悪い、という子の場合、いろんな原因がありますが、多くの場合、全体像を把握できていないようです。全体のマップが無いものですから、せっかく手にした知識の置き場所がないのです。つまり、関連性で知識をつなぎとめることができないのです。 さらに、つっこめば、思考の座標軸がないことがわかります。座標軸がないところに、知識を点としてもってきても、宇宙のかなたに、ふっとんでしまうばかりです。 子どもたちに、座標軸を与えましょう。
2014.04.26
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日本人の美徳に、謙遜があると思われています。しかし、「謙遜」って本当に美徳でしょうか?まず、そういう習慣のない外国人に対して誤解を招く恐れがあります。しかし、それよりも、自分自身の潜在意識に、それが本当であるように刻み込んでしまう恐れがあります。 うまくいったら、「当然です。もっとうまくできると思う。」と考えましょう。 日本人は、反省が大好きです。たしかに、反省によって、進歩していきます。しかし、反省は、気持ちを萎えさせます。気持ちを高揚させる反省は少ないでしょう。どんな中にも、反省すべき点は、ありますが、それ以上に、本当は、良かった点がいっぱいあるはずです。自分のモチベーションと、パフォーマンスを最高に引き出すには、一つ反省するなら、3個の良かった点を確認すべきです。いや、もっとです。1個の反省に、10個の賞賛がちょうど良いくらいです。 国家だけでなく、個人的な自分に対する「自虐史観」も、捨て去るべきです。それが、真面目で真摯な生き方だと思います。
2014.04.25
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学問は、目に見えないものを見る力です。これを指導者は、忘れてはいけない。学習成果も、学習する意欲も、見えないものを見る力が生み出します。 社会を支える力も、見えない力です。お隣の国の海難事故や、絶望的な腐敗社会を知るにつけ、日本に生まれた幸せを実感します。なぜ、彼らが、自己中心の保身行動しかできないのか?合理的な行動を取れないのか?それは、社会の合理性への信頼が無いからです。人と人との信頼が無いからです。相手を思いやる心、というのも、目に見えない力です。科学法則も目に見えないものです。科学は唯物論だなんて、50年以上時代遅れです。(霊を信じるとかじゃないですよ) 人間の目に見えるものしか信じない愚かさ。物欲・利害損得(それも目先の)しか見えないことが、いかに「文化」から遠いことか、反面教師として、日本人は教えられているんじゃないでしょうか。 人間は、自己を関係性でしか認識できません。ここ十数年の国際情勢は、日本人の自己認識を新たにしてくれました。私たちが当たり前に見えているものが、見えていない人々がいるのです。あらためて、日本人のアイデンティティーを確認させる格好の教材です。 仕事にしろ、人間関係にしろ、日本人は、その周囲または、内部に、見えないものを見ているのです。これこそが、私たちの誇るべき文化であり、今後も守り育んでいくべきものです。 その意識で、学問を教えていきたいと思います。
2014.04.24
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私たちは、当たり前のことを、しばしば忘れる。大半の子どもたちの問題は、勉強が嫌いだということです。もし、好んで勉強に取り組んだら、あっという間に、問題は解決してしまいます。 よく、「勉強の仕方がわからないようだから、教えてあげてほしい」、という要望をいただきます。もちろん、それは大切なことですが、その前に、「勉強が好きになる方法がわからない」という問題を重大視するべきです。 「勉強がわかるようになれば、好きになるから、まずわからせてくれ」という論理もあります。もっとものようですが、私は、大きな間違いだと思います。 物事に対するやる気が出るかどうかというのは、それがわかるかどうか、とは関係ありません。本質的に。得意かどうかも関係ありません。 要は、その物事や仕事に対するイメージというか、解釈なのです。掃除が苦手だという人は、掃除の仕方がわからないわけではないのです。掃除に対するイメージが、行動を起こさせるには、パワー不足なだけです。 逆に、わからないからこそ、やってみたくなることだって多いはずです。それが、自分のワクワクすることにつながっていれば、そうイメージできれば、やめろと言われても、人は動いてしまいます。大人も子どもも、自分の仕事や課題に、どんなイメージを抱いているか、その優劣によって、圧倒的な違いを生み出します。イメージの持ち方の技術を教えましょう。
2014.04.23
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数学の計算は得意だけれど、図形は苦手な子は多いです。逆に、私なんかは、数式でいくら解けても、図形化できないとスッキリしません。 しかし、計算、つまり代数学(algebra)と、幾何学(geometry)は、一体であり、全く等価です。どちらが高級だというものでもありません。なんか、ドラマ・「ガリレオ」の福山雅治のように、数式を黒板に、ザーっと書けるのが、高級な数学のように思ってしまいますが、それを、わかりやすい絵にしても、どっちも同じレベルなのです。 文章と絵画みたいなものだと思います。そして、人間の潜在能力から言えば、右脳を使った方が有利ですから、絵画的な理解の方が、発展可能性が高いと思います。代数が得意な人も、数式を書きながら、実はアタマの中は、絵図のイメージになっているとそう、私は思います。 そこで、絵図・絵画と言えばですが、誰でも絵は描けそうでいて、なかなか描けない、苦手な人も多いです。そういう人は、生まれつきの才能だと思ってしまいがちです。しかし、絵も、技術としてある程度教えられれば、見違えるようにレベルが高くなるものです。 数学の絵図も、よくヒラメキ力だとか、応用力だとかに理由付けされてしまいますが、補助線の引き方などのテクニックとして、技術を教えられることによって一気に問題解決してしまうものです。要は、視点の技術なのです。 科学でも、いろんな問題設定が考えられるのですが、発展性があり、面白い視点というのは、限られます。それを、技術として教えられれば、徐々に、自分でも面白いものの見方ができるようになるものです。
2014.04.22
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数学は、現実のものではありません。根本的に、架空の想像の世界のものです。先人が空想した世界を理解し、その世界で一緒に遊ぶことです。 つまり、一種のオタクであり、数学を学ぶとは、オタクの仲間入りをすることです。だから、数学の才能があるかどうかのリトマス試験紙は、何も見えない空間に、ものを想像できるかどうかです。 たとえば、「ここに[a]という数字があります。」と、手にボールのような 「a」 を持って見せます。そして、生徒に渡して、持ってもらいます。重さ、感触を確かめてもらいます。(もちろん演技です。)「また、こちらには、もっと思い、[b]があります。」「ほら、重いでしょう。」「気をつけてね。」 「ここで、変わったものをお見せしましょう。」「ほら、さっきの[a]と形がそっくりなボール[-a]です。」「大きさは同じなのですが、実は、これは空間の穴なのです。ブラックホールみたいに、ものを吸い込んでしまいます。」「ここに、こんな穴が空いているのは気持ちが悪いので、この穴に、[a]を入れてみます。」「そうすると、何と、ピタっとはまったかと思うと、穴もボールも消えてしまいました。」 こんな空想遊びが、数学の本質です。こんな遊びが何の役に立つのかって?これは、あくまで遊びなんで、根本的に役立つ必要はありません。ここが、科学とは違うところです。しかし、この役立たない精神が、現実には大いに役立つのです。なぜでしょう?実は、現実も架空の世界だからです。(これには、解説が大いに必要ですが)だから、現実を分析したり、変えたりするのに、数学の精神がモロに役立つのです。私は、数学こそが、幸せの秘訣だと思っています。
2014.04.21
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志望校選定で、多くの子が陥るワナは、落ちたらどうしよう、という恐怖です。あるアタマの良い子ですが、その子が、高校浪人して、後輩と机を並べることを考えると、身震いしてしまうと言っていました。 人が行動をする動機には、「やりたい」からやるのと「しなければならない」からやるのと2種類あります。 しかし、「ねばならない」型の思考は、潜在能力を大きく損ないます。それは、本人が気づかない内に、自尊心を深く傷つける行為だからです。 その詳しいメカニズムは、後ほど説明することにして、恐怖に根を置いた思考は、想像力や思考の柔軟性を失い、学習力としては、最悪の状態を作ってしまうのです。 でも、そうは言っても、現実には… という声が聞こえてきますが、そこでこそ、本当の思考能力、イメージ転換力が威力を発揮するのです。恐怖によってもたらさるモチベーションを、自発的な「したい」モチベーションに変えることができるのです。 できれば、自分でこれに気づき、自分自身で、イメージ変換できるようになるまで訓練することこれが、教育指導者のまずすべきことだと思います。 ここ一週間、朝から忙しく、ブログ更新できませんでした。にも関わらず、一日に、400人以上の方にアクセスいただき、そして、お問い合わせいただき、誠にありがとうございます。 科学実験教室の件ですが、今年は、土日が家庭教師で忙しいので、できれば、土日をはずしたスケジュールを希望いたします。何度も申しますが、ご予算は、そちら様のご予算に合わせます。ただし、条件があります。丸なげでなく、一緒に、知恵を絞ってくださる団体に限らせていただきます。
2014.04.18
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数列の漸化式を指導していました。あれは、決まりきった必殺技を使うしかないのですが、そのほとんどが、ある意味、ズルイ置き換えの技です。が、これを、さらに人生に置き換えてみると、とても参考になると思います。 そのままでは、問題構造がさっぱり見えないものを、先に、処理のし易い、理想的なものに式を変化できると過程しちゃうのです。で、理想的なモデルを先に置いて、それに問題を当てはめちゃうのです。 その過程では、長い式を一つのものとして、まとめてしまう見方、分母と分子をひっくり返す力、対数で表現しちゃう力、いろんなテクニックで、見方を変えていくのです。 そうすると、問題構造がシンプルになり、見えてくるのです。そして、解決するのです。 私たちの人生でも、メンタル・ブロックになっている問題や障害がいっぱいありますが、それは、まともに当たっても、なかなか勝目がありません。嫌なことは、忘れられないからです。 しかし、それを、別の見方で、別のまとまりにしちゃうことは可能のはずです。少なくとも、数学の問題を解くくらいの、試行錯誤は、普段していないのじゃないでしょうか。必ず、心が楽になる置き換え方法があるはずです。イメージ変換を図りましょぅ。 この意味で、数学は、人生のガイドでもあります。
2014.04.08
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数学の歴史は、相手の話を鵜呑みにしないことが土台になっています。数学は古代ギリシャの民主主義の風土で、話し合いで、相手を説得した方が勝ち、という状況の中で、どう言えば、相手を倒せるか、または、相手の説得を打ち破れるかという必死の技術として発達してきました。 だから、もっともらしい話の弱点を見つけることこそが大切なのです。納得していないのに、わかったフリをするのは数学の精神に、もっともモトルことなのです。徹底的に、叩き合いましょう。他の暗記科目とは、根本的に違うのです。
2014.04.02
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