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少年犯罪と毒親の影響 ~私の知り合いの刑務官の悩み~数年前になりますが、とあるイベントで少年院の刑務官と知り合いました。とても真面目で気さくな方でしたが、凄く仕事に対して情熱を持っていました。少年が犯罪に走ってしまう原因の大半は家庭環境にあります。両親が不仲だったり、子供に関心がない、逆に過保護すぎたりと…本来、家庭とは心が安らげる“ホッとできる場所”だと私は思います。しかし、家に居場所がないと感じる子は外へと居場所を求めるようになり過保護すぎる親の元で育った子供は家の中で殿様になります。少年犯罪の再犯率は成人より高い私が子供の頃に住んでいた家の近所にいた男の子の話をしたいと思います。その男の子(仮称A君)は私の2つ下で、6歳上の姉と両親の4人家族でした。A君は子供の目から見ても両親に甘やかされていたと思います。子供同士の喧嘩(どう見てもA君が悪いのですが…)「うちの息子をいじめるな!」と怒鳴りこむ。まあ、今で言うモンスターペアレントて奴です。こうして育ってきた子供は我慢を知らず、狡さが際立ってきます。そして、両親が思い通りに動かないと殴る蹴る。成長してガッシリした体格になった息子に両親が勝てるはずもなく…母親が肋骨骨折で入院したこともありました。親子間の暴力は例え警察を呼んだとしても、親自身が被害届を出さない限り逮捕されることはありません。でも、親の方は『自分の子供を犯罪者にしたくない』という思いと『釈放された時に報復されたら…』という思いから被害届を出さないのです。このA君の場合超過保護な毒親の元で育っています。でも、前の投稿で話した4タイプの毒親を持つ子供とは自己肯定感の低くなり自分に自信が持てずに苦しんでる人が殆どです。しかし、A君の場合は自己肯定感しかありません。悪いことしたら𠮟るこれがなかった彼は自分のやることは全て正しいと思い込んでしまいます。中学卒業後は家に籠って親にお金をせびる生活を送っていましたが、50半ばを過ぎた現在は未亡人の姉と30代の甥の稼ぎをあてにして…というか、姉と甥の稼ぎを自分のものとして使ってのです。給料日には姉と甥の家へ行き、給料を全額差し出させます。差し出さなければ殴る蹴るを繰り返す。A君は自分が世間に受け入れられていないことは分かっているようで、自分のやってることを正当化するために噓を重ねます。ちょっとした知識を持っていれば直ぐにバレる噓なんですけどね(笑)彼が生きてきた人生の中で先生や近所の大人などがA君を𠮟ったことは過去に何度もありました。それこそがA君を更生させるチャンスだったと私は思います。それをことごとく潰したのは他ならぬ両親。昔のことですから自衛隊が迎えに来たこともありました。この時には既に両親に手を挙げていて、A君を持て余してしたので両親は送り出したようです。しかし、ぬるま湯の中で育った彼は勝手に戻って来てしまいました。その度に上官が迎えに来て連れ戻します。そうこうしているうちに3年間を自衛隊で過ごし19歳で除隊。自宅に戻ってきました。A君が留守の間に両親も彼がどうしてああなってしまったのかを考え自分たちの行動を省みていれば、その後の彼の人生は変わったかもしれません。しかし、A君が自衛隊から帰ってきた後も以前と同じように接していたようです。A君が元の暴君に戻るのは『あっという間』でした。そして今は姉と甥からお金を巻き上げているのです。あるイベントで知り合った少年院の刑務官が嘆いていました。犯罪を犯して少年院へ来た子の殆どが家庭に問題を抱えているそうです。刑務官は少年院に来た子供たちを更生させるべく、真剣に1人1人と向き合い、話を聞いて寄り添うようにするそうです。そして更生プログラムを元に再犯を防ぐようにしています。自分の過ちに気づき「もう悪いことはしない」と約束をして出所するのですが、未成年が戻る先は家しかありません。刑務官も受刑者の気構えは変えられても受け入れる家の中までは変えられないのが現状です。とても『もどかしい』と悩んでいました。A君のことも同じだと思うのです。自衛隊から帰って来る時までに親の心構えを変えられていれば彼の人生は違ったと…現在のA君は自分で働かずにお金を得る方法だけを考えています。例えそれが世間的に見れば間違っていても彼にとっては正解。そのように歪んだ常識を誰も正さなかった。誰もが腫れ物に触るように接し、報復を恐れ見て見ぬふりをする。A君の両親は幼い頃から部落差別による迫害を受けてきました。その背景から『子供をバカにされるてはいけない』と彼らなりに必死になって守ってきたのでしょう。毒親の背景には根深い時代背景も関連していると私は思うのです。A君と会う機会があれば彼と話して、少しずつでもいいから歪んだ彼の常識を変えてあげたいと思っています。彼自身も過保護な毒親の被害者ですから。最後まで読んでくださりありがとうございました。
2025.11.03
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根深い毒親からのしがらみから抜け出した方法生まれて直ぐに属するのは『家族』という名のコミュニティ。その小さな世界が子供にとっての全てになります。親の行動を見て子供は育ち、親の発する言葉で学ぶのです。『子は親の鏡』とはよく言ったもので、親が接したようにしか子供は育ちません。成長とともに親の言動に違和感を覚えるか、そうでないかでその後が変わります。違和感を覚えなければ同じ道をたどるのです。私の母親がそうでした。これまで聞いてきた母親の愚痴は父親のことか私の祖父母のことが多く、祖母は当時の私の母親と同じことをやっていたのです。ただ、祖父が愛人を作っていたので家族内は敵味方に別れてしまったことで、その後の母親の人生に大きく影響を与えたように感じます。なら、私は子供たちのために負のスパイラルは断ち切らねばなりません。自分のことが一番大事な母親。それと、子煩悩ではあるけど精神的な未熟さのある父親。こんな家庭環境で育ったので私自身も精神的に未熟でした。友達と会っていても会話は母親と同じように人の悪口ばかり。常に満たされない思いを抱えていたので不満しかありませんでした。そう、結局のところ私も母親と同じことをしていたのです。途轍もなく嫌な女でした(;´Д`)この世に生を受けて一番最初に所属するコミュニティが家族。そこで覚えたコミュニケーション方法しか知りませんから、本人が自覚しない限りは親と同じ行動を取ってしまいます。自分のそんな言動に気づいたのは結婚して子供を持ってからでした。結婚・出産が一度目の転機一番上が小学生になった頃、自分が母親と同じことを言ってることに気づいたのです。「お母さんがお父さんに怒られちゃうから」ということを口にした時、ハッとしました。私は、あの母親と同じことを言ってる…それからは誰かの悪口を子供の前で言わない。自分が可哀想という態度を取らない。などなど、自分で自覚していることはやらないように努力しました。そして両親にはやってもらいたかったこと子供と一緒に遊んだり、子供が喜びそうな物を段ボールで作ってみたり、流行っいる音楽で一緒に踊ったり(当時は”慎吾ママのおはロック”)自分がやってもらえたら嬉しかったと思えることをやりました。とにかく、子供が喜ぶ顔を見ると子供に愛情を注げているんだと安心できというのもあります。(元旦那にはメチャクチャ怒られましたが…)その後、一番上が中学2年の時に離婚。結婚14年目での離婚が二度目の転機子供のこと、生活の全ては私1人の肩にのしかかりました。それと同時に、自分がいかに母親のように配偶者に依存し、自分で考えて行動して来なかったかに気づいたのです。ここは、踏ん張りどころ!そう思って頑張っていましたが、どうしてもネガティブになってしまう。私は離婚する6年ほど前から精神安定剤を服用していました。不安に支配されると体がだるくなり寝込んでしまうのです。これは結婚生活もさることながら成育歴も関係すると考えていた私は焦りました。何とかしないと…とカウンセリングを受けようと思いましたが経済的に余裕がありません。そこで、まず初級心理カウンセラーの勉強を始めました。自分の感情の流れや志向を理解すれば何とかなるかも?そう思ったのです。本当に基本的なことが分かった後は、セルフカウンセリングの本を買いチャレンジしてみました。素人が独学でやるものではないのでしょうが…でも、そのおかげで私自身がどういった感情になった時にネガティブな思考になるのかという思考の癖を見つけることができたのです。そこからは自分の感情や思考を俯瞰して見るように毎日毎日訓練しました。ネガティブな感情になるきっかけはなにかそうならないためにどうしたらいいかネガティブな感情や思考に流れるのは一瞬です。この訓練をするようになってから自分がネガティブに思っていることは、実はそんな大きなことではないということに気づくことができました。私は母親の愛情を知りません。それは人格形成に大きくかかわってきます。その影響を断ち切れた今、同じように苦しんでいる人の支えになれたらと思っています。最後まで読んでくださりありがとうございました。群馬県みなかみ町にある宝川温泉♨私が初めて水上温泉に行ったのは32年前昔懐かしの射的やゲームがあってちょっと楽しかったです(^^)あの頃はバブル崩壊直後だったので団体客なども多く賑わっていましたが、今はそれもありません。ですが、温泉をゆっくり楽しみたい人にはお勧めです。何と言っても、日本一の大露天風呂がありますからね(*^^)v
2025.11.01
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子供のことを常に否定する毒親 ~自分は野球が好きだからとサッカーをやる子供を否定し続ける毒親~毒親の行動はタイプ別など関係なく子供の自己肯定感を低くしてしまいます。『フキハラ』『悲劇のヒロイン』『完璧主義』いずれの毒親も、自分の都合を優先して子供の人格を見ようとしません。子供を褒めるでもなく、自分の考えや感情を優先する。このような環境では自己肯定感を持てるはずがありません。そこへ更に言葉で否定されるのが『子供のことを否定ばかりする』毒親を持つ子供です。態度だけでなく言葉でも否定された子供は投げやりになり、自分を見失うことも少なくありません。『子供のことを常に否定する毒親』というと、一番に思いつくのは元旦那です。元旦那の場合、子供だけでなく私も否定の対象ですが…(^-^;長男が小学校3年生の時、少年サッカーチームに入りました。一つ上の従兄がやっていたこともあって、息子もやりたがっていたので入団させることにしました。ですがサッカーに興味がなかった元旦那は全く息子たちに関わろうとせず、送迎や遠征は私の役目でした。長男は中学生になるとクラブチームに所属。それまではお金のかからないボランティアのようなチームでしたがクラブチームはそうはいきません。しかし、サッカーをすることに反対していた元旦那は我関せずだったので、私のパート代から出していました。なのに!クラブチームに入った途端に口だけは出してくるよなったのです。練習があるのは週に2回、土日は殆ど遠征か地元近くのグランドで練習試合。夜10時頃に練習から帰って来る息子に「ちゃんと練習しろよ! 金かけてやらせてやってるんだから結果を出せ!」そう、毎回言ってきました。それだけではありません。遠征や練習試合の翌日にチームのホームページを見ては「お前、何やってるんだ!金かけてサッカーやらせてやってるのに名前が乗ってないじゃないか!」と息子に怒鳴るのです。チームのホームページには得点した選手とそのアシストをした選手の名前が出ます。名前が出る選手はトップ、フォワードなど、センターラインより上のポジションにいる選手です。しかし、うちの息子は右サイドバック。デイフェンスがメインのポジションです。名前が出るはずありません。そんな超人的なことが出来るのは日本代表の選手くらいではないでしょうか?それくらい無理なことを息子に言っているんだと元旦那は聞く耳を持ちません。ブチ切れた私は「サッカーというものを理解してから言え!」と怒鳴りかえしてやりました(^^)v「俺はサッカーは好きじゃない」と、子供のやりたい事を受け入れようとせず、関わろうとしない。そのくせ、『父親』というだけで理不尽な文句を言う。そんな男に息子を潰されたくはありませんでしたから。ここで母親である私が守る姿勢を見せていなければ息子の心は壊れていたでしょう。息子や元旦那に気づかれないように影で手を回し、思いつく限りの手を使って息子を守りました。毒親を持ったことで悩み、苦しんでる人たちから相談を受けている今『息子を守ること』これをやったことは後の息子に良い影響を与えていたと感じます。次回は私が毒親の呪縛からどうやって抜け出せたのかを話していきたいと思います。これは北軽井沢にある白糸の滝です。滝の近くにある茶屋では鮎の塩焼きが食べられ、そこが子供たちのお気に入りでした。高校生の頃にはついてきてくれたのですが、アラサーにもなると親は放置ですねwまた、夏に今度は一人で堪能してきたいと思います。
2025.11.01
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完璧主義の毒親 ~俺の言うとおりにしてれば間違いないと豪語する毒親~毒親というのは意外と身近にいるものです。10年程前に次男の高校より案内がきた講演会に足を運びました。その公演は「ひきこもり」についてのもの。当時から毒親というものに興味があり勉強していた私は「ひきこもり」についても知りたかったのです。結果、私の推測していた通りの答えだったので少しだけ自信に繋がったのを覚えています。「ひきこもり」と「完璧主義の毒親」はあると私は思っています。完璧主義の毒親の殆どは自己評価がメチャクチャ高いのです。私が見てきたある男の子の父親も自分の生き方に異常なまでに自信を持った人でした。その異常なまでの自信は息子への攻撃へと変わっていきます。男の子には一つ下の妹がいますが、その子には傍から見ても溺愛しているのがよく分かりました。学校から帰ってきた息子に「今日も目標をもって学校生活を送ってきたか⁉」と大声で聞く。幼い頃からそんな接し方をされていた息子の方はすっかり萎縮していました。中学は小学校の頃の友達と一緒に公立へ入学。自営業で成功している父親は、その手助けをするべく良い仕事につけるように高校は進学校に行くようにと強要。当然、テストの結果は高順位を求められ、点数が低いと説教が始めります。最もテスト結果が良くても褒めることなく、更に上を目指すよう強要する。その息子さんは本当に優しく、何事にも一生懸命な子なんですよ。私は何度かその父親と話したことがあります。実を言うと、この息子さんは私の息子の同級生でして、そういった関係から父親とも話す機会を持てました。話をする度に息子さんの良いところを伝えるのですが、「あいつはダメな奴だから俺がしっかり導いてやらないと」と言って自分の息子の良いところを認めようとしません。『このクソオヤジが!』と何度思ったことか(;一_一)結局、中学を卒業して会う機会が無くなってしまいましたがその後、息子さんは進学校へいき大学へと進学。大学卒業後は就職したそうですが、1年ほどで退職。そのまま家に引きこもってしまったそうです。「俺の言う通りにしていれば間違いないんだ!」そう言って子供に完璧を求め、自分で息子の進学先を決める。要は人生のレールを親が敷いてしまうだけでなく、子供の考える力も奪ってしまうのです。イヤイヤながらも親が敷いたレールに乗って人生を歩んでいた子供が、就職して社会へと出る。そこで初めて自分で考えて行動をしなくてはいけないという壁に突き当たります。自分で考えて行動することを拒絶されて育った子供は指示をされなければ何もできません。息子さんは自分が周囲に受け入れられない理由が分からなくなってしまったのでしょう。立場的に難しかったとはいえ、彼の力になれなかったことを悔しく思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。次回は4タイプの中の『否定ばかりする毒親』について書いていきたいと思います。日光市にある竜頭の滝は茶屋の目の前にあるので、ゆっくりお茶をしたり食事をしながら眺めることができます。茶屋まで急な坂道があるので高齢者を連れて行くのにはちょっと厳しかったです。でも、紅葉と滝のコントラストは見ていて飽きませんでした(*^^)v
2025.10.29
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私の母親は悲劇のヒロインタイプの毒親「お父さんが○○してくれない」「お父さんのせいでこうなった」私は母親から常にそんな話を聞かされていました。ちょうどその頃、テレビで『くれない族の反乱』というドラマがありました。その内容を知って「うわー! うちの母親みたい」と思ったのを覚えています。本当に母親の愚痴をまとめると白馬の王子様を求めているんじゃないか?とさえ思えます(笑)自分は可哀想アピールして子供を盾にする母親ブログタイトルにもあるように私の母親は悲劇のヒロインタイプの毒親です。父親は依頼心が強く決断力がないくせにワンマンな昭和のオヤジ。兄弟は4つ上の姉と3つ下の弟、そして私の3人。姉が高校を卒業して進学の為に家を出たのですが、その時から母親の愚痴聞き役が私に回ってきました。それまで両親の関心は私にはなく、かなり自由だったような気がします。そんなものですから、ある日突然母親の愚痴聞き役にされた時は正直言ってきつかった…当時、中学2年生でしたからね。母親がかなり重く感じました。毎日のように父親の悪口や愚痴、近所の人の悪口を聞かされて自分は可哀想アピールをしてきます。同じような内容にウンザリして聞かないようにしていると「お前はあてにならない! お母さんがこんなに辛い思いをしてるのに!」と怒られて…あなたの際限のない悪口を聞いてると㏋がガリガリ削られるんですよ。そう言えたらどんなに楽か…反論しようものなら全く関係のないところから話をもってきて自分を正当化してきます。本当にめんどくさい人でした(;一_一)それだけじゃありません。父親の機嫌が悪い時には自分を庇うように毎回仕向けてきます。「お父さんが機嫌悪いから機嫌とってきて! じゃないとお母さんが辛いから」子供の頃は「泣いてるお母さん可哀想」でしたが、ある程度の年齢になると母親の言動には違和感しかありませんでした。家を出れば、そんな重い母親と距離を置くことは出来ますし、ある意味解放されます。でも、生まれて初めて属するコミュニティがこの家族ですから、私自身にも母親のような人への接し方、考え方は染み付いているのです。無意識に母親と同じ行動をしている自分に気づくたびに自己嫌悪に陥って…あの頃は本当に自分が嫌いでした。しかし、ある方法で母親と同じ行動をする自分から脱出したのです(*^^)vこの方法は後の記事で書いていきたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。次の記事は毒親4タイプの中の『完璧主義の毒親』について書いていきたいと思います。父親が祖父母を四万温泉まで送って行くのに家族でついて行ったようなのですが、幼すぎて覚えていません(^-^;唯一覚えているのは雪の積もる渋峠(日本一標高の高い所を通る国道)を通ったことです。次は自分の運転で綺麗な四万湖や渋峠を通ってみたいとお思います。
2025.10.29
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フキハラ(不機嫌ハラスメント)タイプの毒親とは?前回の記事で毒親は大きく分けって4タイプに分類されると話ましたね。その中の一つのフキハラ(不機嫌ハラスメント)について書いていきたいと思います。フキハラというと私は中学校の時の部活の顧問を思い出します。当時30代前半だった男性教員なのですが、この先生はメチャクチャ自分の感情に左右される人でした。不機嫌な時は練習中に怒鳴り散らして…嫌な気分で練習をしていましたが、部活の時間が終われば解放されます。しかし、そう簡単に解放されないのが毒親からのフキハラ。私が相談を受けた方の話を例に説明していきたいと思います。晩酌の時に子供に話し相手をさせるフキハラ親父子供が自分の思うように動かないと不機嫌になって当たり散らす。親の不機嫌は子供にとって不安になりますし、居場所がないような気持ちになります。そんな子供はどこで安らげばいいのでしょうか?子供が家で心の安定と居場所を求め親の望む通りの言葉を口にするようにしたり、親の望む行動を取るようになるのです。他に行く場所なんてありませんし、子供って今いる環境で生きていくしかありませんからね。私が以前勤めていた会社で知り合った女の子の話をしたいと思います。その女の子は幼い頃から毎晩、父親の晩酌に付き合わされていたそうです。父親が仕事から帰って来る時間が近づいてくるとドキドキして緊張してしまうと言っていました。家に帰って来ると居間のいつもの場所に座り晩酌を始める父親。そして、子供たちを自分の目の前に座らせるしかも正座で…お酒を飲み始めた父親は饒舌になり、娘たちに職場での愚痴を聞かせます。1時間は序の口で長い時は10時過ぎまで及ぶとか。長い時間正座をさせられ、父親の愚痴を聞く。話の内容が分かる大人でもうんざりしてきます。話の内容が理解できない子供には苦行ですよね?そうなると居眠りをしてしまっても仕方ないと思うのです。でも、眠そうな顔をすると不機嫌になり怒鳴ってきたとか。怒鳴られるのが怖くて必死に眠気に堪え、父親の気に入るであろう返事をする。それでも何回も居眠りをしてしまったことがあったそうです。すると、父親はブチ切れて彼女を家の外にある物置小屋に連れて行き「父親の話を聞かずに居眠りしたバツだ!」と言って、彼女の首にロープを括り付け柱に繋ぎ放置したそうです。父親が酔いつぶれて寝た頃に母親が迎えにいってたそうなのですが、それを聞いて私はメチャクチャ腹が立ちました。この父親、教育的指導してやろうか‼ (--〆)おそらく、この父親は外では自分の言いたいことも言えない性格だったのだと思います。だから、自分の妻や子供という立場の弱い人間を従わせることで自分の自尊心を保っていたのでしょうね。彼女は高校を卒業後、就職して家を出たそうなのですが、幼い頃から恐怖で支配されていた彼女の心の深い傷を癒すのに長い時間を要すると思います。彼女とは残念なことに縁が切れてしまいましたが、現在相談を受けている人たちにはこれからも寄り添い力になって行きたいと思ってします。最後まで読んでくださりありがとうございました。次の記事は『悲劇のヒロインタイプの毒親』について話していきたいと思います。草津温泉の源泉の温度はは95℃と非常に高いため、湯畑に流して温度を下げるようにしているそうです。名物の湯もみも温度を下げるため行われていたとか。小さい頃に家族で行ってると父親は言うのですが、幼すぎて私は覚えていません(^-^;源泉は腰痛に良いと聞きますので、紅葉の季節に両親を連れて行ってこようと思います。
2025.10.27
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私は毒親育ち その呪縛から抜け出すまで ~毒親とはどういう生き物?前回は私の自己紹介をメインにお話させていただきました。私の経験上、毒親というのは自分が一番大事な生き物だと思います。自分が一番で、それを守るためには子供を犠牲にする。無自覚だから怖いんです(;一_一)そんな毒親はどういう生き物なのか書いていきたいと思います。毒親とはどういう生き物なの? ~4つのタイプの毒親~そもそも毒親とは1989年にアメリカの臨床ソーシャルワーカー、スーザン・フォワードの著書からきています。「子供の人生を支配し、子供に害悪を及ぼす親」という意味で毒親という言葉を使い始めました。確かに私自身に置き換えて考えてみても悪影響しかなかったように思います。ていうか、悪影響だけでした(;´Д`)私のところに相談してくれる人たちも毒親の害悪に苦しんでいます。この方たちの親は私の親のタイプとは異なりますが、子供に害悪なのは変わりありません。毒親とは大まかに4つに分かれます。1.フキハラ(不機嫌ハラスメント) 自分の思い通りにならないと直ぐに不機嫌になり、物に当たり散らしたり暴言を吐く。2.悲劇のヒロイン 子供が話しかけても「自分の方が大変」と子供の話は聞かずに自分のことばかりを話して子供は聞き 役になる。3.完璧主義 子供のミスを認めず常にパーフェクトを求める。 「100点以外は認めない」「賞を取らなければ意味がない」など4.否定ばかりする 「こんなこともできないの?」とか「私があなた位の時にはできてたわ、本当にダメな子ね」 などと、子供の些細な言動まで否定する。この詳細については次の記事で説明していきたいと思うます。タイプ別に分けてはいますが、基本的に毒親の根底にあるのは精神的な未熟さがあるということです。未熟が故に自分のことしか考えられず、自分の子供を支配しようとしたり、自分の都合を優先する。要は、このようにして自分の心やプライドを守ってきたのでしょうね。例えていうと私の姉が高校生の時のことの話をしたいと思います。難しい年頃の姉はしょっちゅう父親と衝突していました。その後は100%の確率で姉は自室に籠り、父親は不機嫌になります。不機嫌になった父親は母親に八つ当たり。すると、母親はこっそり私を台所に呼んでこう言ってきます。「お姉ちゃんが部屋に籠ってると、お母さんがお父さんに当たられて辛いから 早くお姉ちゃんを呼んできて」当時、私は小学6年か中学生です。アルバイトからの帰宅時間が少し遅くなっただけで父親に怒鳴られた姉を何故、父親のいる居間に呼んで来なければいけないのだろうか?子供でも分かることなんですけどね。自分が『辛い』という理由で子供を不機嫌な父親の前に連れ出そうとするのです。勿論、私は姉を呼んで来ませんでしたけどね。このように毒親は自分が一番大事な生き物なのです。最後まで読んでくださりありがとうございました。次は4タイプの中の1番目、フキハラについて話していきたいと思います。これは6月下旬に山形米沢市に行った時のものです。車で行ったのですが、下りの安達太良サービスエリアにはウルトラマンティガ上りにはウルトラセブンが設置されてます。写真だけ撮って満足していたのですが、この自販機でドリンクを買うと「シュワッ!」という音声が流れるそうです。次回はドリンクを買って動画に収めたいと思います!(^^)!
2025.10.24
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私は毒親育ち その呪縛から抜け出すまで ~母親は悲劇のヒロインタイプの毒親~初めまして。3人の子育てを終えた、アラ還シングルマザーのコロコロ心コロシアムです(^^)近年SNSやテレビなどで毒親というワードを耳にするようになりましたね?字面からして「親が毒なのかな?」と漠然としたイメージはできると思います。では、親のどのような言動が毒親と呼ばれるのでしょうか?また、毒親の元で育つとどうなってしまうのか?毒親は基本、非常識ですからね影響を受けて育つと生きにくいし、苦しんですよ(;´Д`)でも、私はその呪縛から抜け出すことができました。それを私自身の経験を元に話していきたいと思います。まずは自己紹介冒頭でお話しましたが私はバツイチのアラ還です。4つ上の姉と3つ下の弟の3人兄弟。母親は『有り得ない言動』を上げたらキリがないくらいの毒親っぷりwそんな私は40代前半まで人との付き合い方が分からずに生きてきました。幼稚園から小学校4年生くらいまでは1人で行動していた記憶しかありません。幼稚園に入る前は近所のおばあちゃん(祖母ではありません)の畑仕事を眺めたりしていました。幼少期はそんな感じで、いわゆる放置気味で育ったわけです。人との関わり方が分からないから大人になっても何となく距離を取られていました。「みんな、どうして上手に付き合えるんだろう?」「なんで私は他人に受け入れられないんだろう?」いつも虚無感と満たされない思いを抱えていました。なんていうか、いつも一人ぼっちという感覚が強かったですね。自分は何でこうなんだろう?と、ずっと悩んでいました。後に分かったことですが、4つ上の姉も3つ下の弟も同じ思いを抱えていたようです。こんな思いを抱えながら結婚し3人の子供をもうけました。しかし、子育てしていく中で『母親と同じことをしてはいけない』と常に自分の行動に気を使って。母親と同じことをしてしまいそうになると自己嫌悪に陥入り、自分なりに正解を見つけては子供たちと接する。結婚生活は14年ほどで終了しましたが、シングルになってからは自分の言動に注意しつつ子供たちのケアをしました。しかし、1人で子供3人を育てる上で母親のメンタルが不安定だと子供たちが安心できません。でも、カウンセリングを受けるのは経済的に厳しい…「だったら自分で勉強して解決方法を探そう!」そんな考えに至り、先ずは初級心理カウンセラーの勉強を始めました。そして自分の思考の癖に気づき、次にセルフカウンセリングという道に辿り着いたのです。あれは、辛かった…(T_T)でも、それがあったから今の私があるのです。人と話すと相手の育った環境が何となくですが分かり、「だから、この人はこんなこと言うんだろうな」と、相手の思考の癖が見えて来るようになりました。それだけではなく、子供の友達の虐め問題も解決できて、10年以上経った今でもその子とは連絡を取ってます。この子もまた毒親の元で育ちました。また、同じ様に毒親育ちのせいで苦しんでいる人たちから「話を聞いて欲しい」と、相談を持ち掛けられたりもしています。私の経験が人の役に立つと思うと嬉しいですね(^^)だからといって調子に乗ることなく日々勉強して精進し、これからもそういった人達に寄り添って行けたらと思っています。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。これは鬼怒川温泉の鬼怒川プラザホテルに泊まった時に部屋から撮った物です。この時は父親の兄弟(長兄93歳、父親、母親、妹80歳、末妹77歳)を連れて行きました。自分の考え方が変わったことで出来たことです。秋には赤や黄色に彩られて、また違った景色が楽しめるでしょう。その頃にまた連れて行きたいと思います(^^)
2025.10.21
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