海のむこうから
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先日の日記で、ある講習会に出たときのことを少しお話ししました。詳しいことは省きますが、そこで学んだことのひとつが、「我を捨てること」「謙虚になること」でした。言い換えれば、「自分が何かをする」という気持ちを捨てて、「自分を超えた大きなもの」とつながり、その大きなもののエネルギーを生かすための「道具」に徹することです。講習会の後、少しずつそのことを意識してみるようにしてみていました。そんな今日、久しぶりにスタジオを借りてピアノを弾きに行きました。ピアノの前に座って、ふと思いついて、自分は「大きなもの」のエネルギーが音となり、メロディーとなって流れるための「道具」「回路」なんだ、と感じながら弾いてみることにしました。不思議なことに、そうしてみると、肩や手から余分な力が抜けて、今までよりも軽やかに弾けたような気がしたのです。もちろん、練習不足は歴然(笑)。ナマった指が突然動くようになるわけでも、弱い指で満足な音が出るわけでもありません。でも、何か違う感覚で弾けたのでした。上手く弾けないときも、焦ったり力んだりする代わりに、「道具」「回路」を意識し直すことで、ちょっとだけ上手くいくようになったりする。そうして、自分が何かとつながっているようなかすかな感覚を楽しみながら、自分だけのために大好きな音楽に身を委ねるのは、とても幸せな時間でした。昔の作曲家たちが、切なさや哀しみも含めて美しいものを表現したものを、自分の手で再び音にして流す。それは、昔から私にとって、祈りにも似た時間でした。そして、思えば、これまで私が心惹かれてきたものは、音楽であれ、料理であれ、絵画であれ、どこかそういった「謙虚さ」が感じられるものが多かったのでした。「どうだ、私が作ったこれはすごいだろう」という得意さが見え隠れするものではなく、「自分を超えた大きなもの」が作り出す美しさや尊さを引き出し、表現することに徹している人たちが作り出したものでした。その人たちがどんな感覚で素晴らしいものを作り出してきたのか、少しだけ垣間見られたような気がしました。
2007.09.03
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