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最後に書いた日記から大分間が空いてしまいました。その間に色々なことがあり、明日、この国を去ることになりました。以前の日記に書いたように、夫の転職が決まっていて、あと一週間ほどで次の赴任地へ赴くことになっています。しかし、異動を目前にして、お腹に赤ちゃんがいることが分かりました。夫も私も、子どもは欲しかったので大喜び。でも、そうなると、今まで考えもしなかった変化が出るものですね。身体的にも精神的にも、以前よりもろくなってしまったようで、冴えない気分で過ごす日が続きました。そんな時に限って、ひどく暑い上に長い停電が相次いだりして、私はかなり参っていました。以前のように淡々と対応することなど、とてもできない状態。ストレスをためるとお腹の子に良くない、などと聞くと、ストレスがたまること自体がストレスになるという悪循環。でも、暑くて、すぐ疲れて、何もする気にならなくて、気分が冴えないことは変えようがない。悶々とする日が続きました。そんな中で、私は次の赴任地へ行く気を次第になくしていきました。停電や断水があることはこの街と変わらない(あるいはもっとひどい)と聞いていたからです。もうこんな生活を続けたくない。こういう時くらい、電気や水の心配なんかせずに、快適に暮らしたい。そればかり考えていました。それに、新しい赴任地での生活環境が整うまでは、私は自由に出歩くことも出来ず、ホテルにかんづめになってしまう。そのホテルだって、ちゃんと電気や水があるかどうか分からない。自分で食べたいものを料理するわけにもいかない。そう考えると、気が滅入るようでした。自分の弱さをこれでもかと見せつけられる思いでした。かつては、発展途上国で貧しい暮らしを送る人たちに何か貢献したくてNGOで働き、途上国で暮らし、同じ思いで仕事をする夫とともにこの国にやってきたのに。でも、自分がちょっぴり弱い立場に置かれると、そんなことはどうでも良くなって、この環境から逃れることばかり考えてしまう。でも、それが自分の「器」なら仕方ない、という気にもなりました。そして、今はとにかく、自分が心地よくいられるようにしよう、と。そこで、しばらく日本に帰ることにしました。ありがたいことに、夫は、引越しの手配や家探しは僕がやるからのんびりしておいで、と言ってくれます。本当は、私が手伝うことなのに。そんな思いがこみ上げるのを打ち消して、この際、甘えてしまおう、と自分に言い聞かせています(笑)。急に帰国を決めたこともあり、この国にはもう戻ってこないんだ、という実感がなかなかわきません。いろんなことを見せ、いろんなことを考えさせてくれたこの国での経験を、これから少しずつ反すうしてみようと思います。
2007.04.24
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一昨日、我が家でちょっとした撮影大会がありました。夫が勤めるNGOでは、若者たちのグループを作ってエイズに関連する色々なことについての教育を行っています。今回、その若者たちに出演してもらって、エイズにからめたストーリー仕立てのちょっとした連続テレビ番組を流す企画が上がりました。目指すところは、エイズに対する一般の人たちの知識を高め、偏見を減らすことです。そして、その番組のいくつかの場面を我が家で撮影することになったのです。プロの人たちが関わっているとはいえ、撮影のやり方は、私の眼から見ると、かなりアマチュア風でした。いわゆるハンディカメラと、小さなライトひとつだけを使った撮影。出演者たちも、着る服はひととおり持って来ているものの、他の小道具はその場その場で行き当たりばったりで用意するといった具合。立ち会っている夫の事務所の人たちも自由に意見をはさみ、セリフや演技の仕方を変えていく。でも、これがまた楽しいのですね。学生時代の文化祭を思い出すような雰囲気です。私も、我が家のランチョンマットや食器を持ってきて食事の場面のテーブルをセッティングしたり、タオルやバスローブなどのちょっとした小道具を貸したり、といった手伝いをしました。その他にも、「こんな感じのBGMが欲しいんだけど」とか、服にアイロンをかけたいとか、泣く場面のために目薬が必要だとか、色々なリクエストが入ります。(↓撮影の一場面です)そんな感じでとても楽しかったのですが、ひとつ、疑問に思ったことがありました。この国に住む平均的な人たちに見せる番組なのに、私たちの家で撮影していいの?ということです。夫と私が住む家は、この国のふつうの人たちから見れば、えらく贅沢なものだからです。そういう家の食堂やリビングで家族の食事の場面や会話を映したって、観る人たちにはウソっぽく見えるだけじゃないの?と、少し心配になったのです。夫にその心配を打ち明けると、彼はこう言いました。この国の人たちは、テレビではきれいな家や豊かな暮らしを観たがるんだ。そうでないと、視聴率は上がらないんだよ。ふだん、貧しさにどっぷり浸かって暮らしている人たちは、ささやかな娯楽として観るテレビでまで、貧しさを見せつけられたくないんだろう。眼からウロコが落ちるような気持ちでした。豊かな暮らしを眼にすることは、この国の人たちにとって、羨望の対象であるだけではなくて、夢や憧れを楽しむことも併せ持つものだったのですね。「憧れの暮らし」を垣間見たことが、撮影に参加した若者たちの心に素敵な印象を残すことがあったら嬉しいな、と思いました。いずれにせよ、この撮影は、出演する若者たちにとって、一生の思い出になるに違いありません。後になっても、「あの時、テレビに出たんだよ!」ってなつかしく思い出せるような。美しい思い出が心の中に積み重なっていくと、それだけで人生は豊かになります。この国の若者たちがそんな機会のひとつを持つのに立ち会えたことを、とても嬉しく思いました。
2007.04.06
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前の日記の続きです。ストレスを感じたとはいえ、銃撃戦を目の当たりにしないで済んだのと、男性三人に守られていたのとで、「怖い」と感じることはありませんでした。そして、何はともあれ夫と二人で無事にいられることと、外には出られなくても自分の家で過ごせることが本当にありがたく感じられました。夫のアシスタントの同僚はなかなかの料理上手で、夫が買ってきた冷凍のまるごとの鶏をさばいておいしい食事を作ってくれたりもしました。ジョンは、電話をかけまくって情報を集めたり、ちょこちょこと足りないものを近くの露店で買ってきてくれたり、ほとんど休まずに働いてくれました。もう一人の門番のドドも、交代せずにずっと詰めてくれ、疲れているはずなのに、イヤな顔ひとつせず、お手伝いさんが来られない間、テラスの掃除をしてくれたりしました。今は、とりあえず街はほぼふつうの状態に戻っています。でも、銃撃戦のとばっちりを受けた銀行や電話会社の建物は、窓ガラスが割れたまま生々しく残っています。国連軍の戦車も、いつもよりずっと沢山見かけます。(↓街の写真です) 撃ち合いの温床となった状況については、ここで詳しくは述べませんが、こういう事態を招いた政府に対する不満や批判は強くなっています。負けた大統領候補のほうは、国外へ脱出しました。(そこから、いったい何をするつもりやら?) ひとまず騒ぎは収まったものの、これからどうなるのか、「予断を許さない」というのが実感です。こういう状況では、自分たちの身を守ることと、平和を願うことくらいしか、出来ることはないんだな、とつくづく感じます。少し落ちついた後の日曜日の朝、夫と一緒にいつも行く教会へ足を運ぶと、ふだんの三倍はいるかと思われる信者たちで、大きな教会がほぼ満杯でした。祈りながら涙ぐんでいる人もいて、みんな、国の平和を祈りに来ているんだろうな、と思うと、ちょっとじ~んとしました。沢山の人たちの思いが通じて何かを動かすように、私も心から祈っていようと思います。
2007.04.02
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皆さん、こんにちは。少しご無沙汰してしまいました。日本ではほとんどニュースにならなかったようですが、3月下旬の数日間、私たちの住む国はかなりの政情不安に陥っていました。以前の日記に何度か書いたように、この国では昨年、何十年ぶりに初めての民主選挙が行われたばかり。「正式に」大統領が就任した後、敗れた候補者との間に「停戦協定」みたいなものが結ばれたのですが、いろいろあってうまくいかず、両者の間には、いつも緊張した関係が続いていました。そして、ついに、私たちが住む首都で、政府の軍隊と、その敗れた候補者の私兵たちとが撃ち合いを始めてしまいました。そのニュースが入ったとき、私はちょうど買い物に向かう途中でした。ある地点で、周りの車が次から次へと引き返しているのを見て、何かおかしいと思って誰かに聞いてみたところ、街の中心街で撃ち合いが始まったことが分かったのです。ほぼ同時に夫からも電話が入り、私たちはとにかく家へ引き返すことにしました。その後、撃ち合いはどんどん激しくなりました。一時は、敗れた候補者の私兵たちが優勢で、街の中心部や、川沿いの国境のあたりをすべて「占領」していたそうです。出先や事務所から出るに出られなくてかんづめになってしまったり、避難所のようなところで二晩ほど過ごさなければならなかったりした友人たちもいました。夫は、家の近くの小さなスーパーで缶詰や瓶詰めの食料を沢山買い込んで帰宅しました。万が一の時にすぐ車を駆って脱出できるように、夫のアシスタントの同僚と、門番兼運転手のジョンとが泊まりこんでくれました。私は、念のため、簡単な荷造りもしておきました。こうして、家に閉じこもっての四人の共同生活が始まりました。なぜか、こういう時に限って、何度も長~い停電が起きたりするのですね(笑)。また、運の悪いことに、我が家では、ちょうどその日からインターネットがダウン。朝から修理を頼んでいたのですが、こういう状況になってしまっては、とてもじゃないけれど修理に来ることは出来ません。「かんづめ生活」の間、インターネットが使えないまま過ごすことになりました。金曜の夜は「外出禁止令」などという、本でしか読んだことのなかったものが出て、念のために家の敷地の外灯をすべて消したりしました。正直言って、少しストレスも感じました。男性三人が居間に陣取って日がな一日テレビを観ていると、テレビがきらいな私は居場所がないような気がしてイライラしたりしました。それに、停電の中、限られた材料を使ってコンロひとつだけで四人分の食事を作ったり、皿洗いをしたり、家の中を片付けたり、という作業を一人でやるのは、お手伝いさんのいる暮らしに慣れてしまった私にはちょっとしんどかったのです(笑)。長くなるので、続きは次回の日記に書きますね。
2007.04.02
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