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実は、ここ2~3日、落ち込んだ気持ちで過ごしていました。温めていた大切な夢に向けてやってみたことが、上手くいかなかったことが分かったから。この夢を見始めてから、実現に向けていろいろやってみたのだけれど、どうもうまく形にならないことばかりでした。今度こそは……と思っても、結局ダメ。そんなことが度重なると、だんだん自信もなくなってきます。しょせん、私にはムリなのかな。そんな思いが頭をよぎります。次に何をやったらいいのか、もう思いつかない。いっそのこと、方向転換したほうがいいのかも……。そう思っても、別のことも思いつかない。広~い宇宙の真ん中で、一人ぽつんととり残されて、どこへ行けばいいのか分からなくて、途方にくれている。そんな気持ち。何もしなくたっていいんだよ。特に今は、生まれてくる子どものことを第一に考える時なんだから。気持ちをゆったりと持って、ゆっくりした時間を過ごすのが一番。周りのみんなは、そう言ってくれます。それは、そのとおり。お腹の赤ちゃんと対話しながらゆっくり過ごす時間は、何とも言えない幸せな気持ちにさせてくれます。でも、私は、それ「だけ」ではやっていけない。母親になるからといって、夢を忘れたりあきらめたりすることはできない。とても大事なこの夢に限って、どうしてちっとも近づいてきてくれないんだろう?悶々としていました。そんな昨日のこと。ピアノを弾きに行った、レンタルスタジオのある店で、あるピアニストの方が書いた本を眼に留めました。本に眼を通してみると、想像を絶する波乱に富んだ人生を歩んできた方であることが分かりました。ヨーロッパに留学して、人種差別をはじめ様々な障害を乗り越えて、やっと才能に眼をつけてくれる人たちが現れて、コンサートを開けることになった矢先のこと。風邪をこじらせ、なんと聴力を失ってしまったのです。コンサートはキャンセルせざるを得ず、千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになってしまった彼女。あと一歩で夢が現実になるという時に、その夢が砂上の楼閣のようにあっという間に崩れ去ってしまった。その時、まだ年若かった彼女がどんな思いだったか、想像に余りあります。彼女はその後、生計を立てるために音楽教師としての仕事を細々と続けたそうです。小さな町に暮らし、ピアニストとして舞台に立つ機会にはまったく恵まれず、失意の日を送ること、なんと20年。しかし、身の回りの人たちを集めたホームコンサートや、アルバイト先の病院で弾いたピアノが喜ばれるようになります。そして、彼女は、聴衆を選んだり、形にこだわったりすることなく、自分のピアノを本当に喜んで聴いてくれる人たちのために、どんな形であっても弾き続けていこう、と思うようになっていくのです。そんな時、ふとしたことから彼女の生涯がテレビ放映されることになり、それがきっかけで注目が集まり始めます。そして、リスクを冒してCDを出すことを承諾した会社から発売された一枚目のCDは、何十万枚も売れたそうです。彼女が書いた言葉の中には、人生を天に委ねるといった意味のことがちりばめられていました。そして、どんな状況にあろうとも、好きなピアノをやめなくて良かった、とも。彼女の経験とは比較できなくとも、失意の中にあった私が、どんなに勇気づけられたか知れません。私も、気がつかないうちに、形や見返りにとらわれて、自分の夢の本質を見失いかけていたのかもしれない……そんな気がしました。初心に戻って、私のやることを少しでも喜んでくれる人たちを大切に、もう一度できることをやってみよう。そう思いました。この本に出会ったのも、偶然ではないに違いありません。そう思うと、素直に感謝の気持ちがわいてきます。
2007.06.29
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今日は、以前働いていた国際NGOの日本事務所主催のイベントに顔を出してきました。大勢の元同僚たちに再会し、おしゃべりも弾んで、大変楽しい時間を過ごしました。イベントは、写真展やパネルディスカッションを通して日本や世界の子どもたちのことを考えるものでした。世界中をまわっているフォトジャーナリストの方や、途上国と日本と両方で地域の子どもたちのための活動をされてきた方が、「目指すべきものは消費社会という形での『発展』ではないのではないか」とおっしゃっていたのが印象に残りました。私がかねがね、何となく考えていたことが、改めて浮き彫りにされた感がありました。日本では今、特に若い世代の自殺が増えていたり、奇妙な事件が後を絶たなかったりします。何か満たされない気持ちを抱えていたり、未来に希望を持てなかったりする人たちが多いことが見てとれます。実際、私も、彼らが感じている漠然とした虚ろさや閉塞感は分かる気がします。そして、今までの生き方や働き方を見直したり、自分の人生を改めて見つめてみたりする人たちが少しずつ増えているようです。一方、「発展途上国」と呼ばれる国へ行くと、日本は憧れの国なのです。技術が進んでいて、便利で、豊かで、平和な国。そこに暮らす人たちは、みな幸せなのだろうと信じている人たちが多いのです。特に、私が二ヶ月前まで住んだアフリカの国では、あまりに日本とかけ離れた状況にあったせいか、その印象が強かったように思います。そこで私は、現地の知り合いたちに、自分なりに伝えようとしてみたものです。日本は日本で、また違う問題を抱えているんだよ、「幸せ」と感じている人たちばかりではないんだよ、と。物質的に豊かになること「だけ」を目指していくと、行き着く先は、実は思い描いたものではないかもしれないよ……そんな思いをこめて。でも、彼らには、まったくと言っていいほど、私の言うことが分からないようでした。そこで、私は思ったものでした。物質的な豊かさを手に入れるために一生懸命な人たちには、その行き着く先がどんなものなのかを理解するのは、無理なのかもしれない。私たちだって、自分たちがそれを目指してきて、いざそこに「住んで」みたからこそ、やっと、何かが違うと分かってきたのだから。中には世俗を超越した方もいらっしゃるでしょうが(笑)、物質的な豊かさを手に入れたいのは、ふつうは誰でも同じですよね。それを「止めるべき」「違うものを目指すべき」というのは、しょせんムリな話だと思うのです。ただ、物質的な豊かさに加えて、精神的な豊かさも大切にして、心から幸せだと思えるように生きられるのが理想。私たちの次の世代が、願わくば「回り道」をせずに、その両方をバランスよく大切にしていけるように、何ができるだろうか……。そんなことを考え続けている今日この頃です。
2007.06.24
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昨日は、お台場まで足を伸ばして、Ashes and snowという展覧会を観て来ました。ご覧になった方も多いかと思いますが、人間と動物が自然の中で共に在る姿の写真や映像が、音楽や詩のような手紙の朗読と合わせて展示されたり流されたりしている、不思議な空間でした。砂漠の中で、目を閉じてチーター(豹かな?)とともにじっとたたずむ母と子。象とともに川の中に身体を横たえ、激しく降る雨に身を委ねる少年。空を舞う鷲とともに踊る女性。鯨とともに踊るように海の中を動きまわる男性。何ともいえない、瞑想的でもあり、幻想的でもある世界です。そして、これらの写真や映像はすべて、合成やグラフィックを使わないで撮影されたものだということです。この現代にも、こんなふうに動物たちと戯れ、自然に身を委ねる人たちが存在するんだ、ということに新鮮な驚きをおぼえます。そして、そういう人たちが、私たちの暮らしのせわしいペースとはまったく異なるリズムで、何をすることもなく、じっと目を閉じて静寂に身を任せたり、自然の中でまどろんだりするような時間を持つということにも。いったい、何を感じて何を聞いているんだろう……。つらつらと考えをめぐらせていたら、ふと、私も昔、自然に身を委ねる時間を持ったことを思い出しました。ずいぶん前のことですが、転職を機に思い切って長い休みを取って、南の島々に二週間ほど一人で旅をしたことがあります。毎日、何をするわけでもなく、浜辺で気の向くままに寝そべったり、散歩したり、波と戯れたり、本を読んだりして過ごしました。聞こえてくるのは、風と波の音、そして鳥の声だけ。そんな中で頭を空っぽにして、移りゆく海や陽射しの色を眺めて過ごしました。そして、旅が終わってみると、驚くほど心身ともに元気になっていたのでした。東京に戻ってから、街のネオンやスピーカーから流れてくる音がやたらとうるさく感じられたのを覚えています。また、自然と静寂の中に身を置く時間が欲しくなりました。
2007.06.12
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今日は、久しぶりに両親が少し長い時間出かけたので、一人の時間を楽しむことにして、かねてから興味のあったビデオを観てみました。(何を隠そう、最近、以前にも増して涙腺がゆるくなってしまって、人と一緒にビデオを観るのがちょっぴり恥ずかしいのです......)「シービスケット」とい競争馬の話です。以前、夫に原作の本を薦められて、初めは「馬の話なんて、面白いのかしら......」なんて感じで読み始めたのですが、すぐにすっかり魅せられてしまった私。映画も一度観てみたいと思っていたのでした。物語としての奥の深さや広がりは原作には叶わない一方で、話のハイライトの部分を上手に生かした映画でした。馬と人間の細やかな心のふれ合い。馬の気質をしっかり把握して可能性を見抜き、どんな時にもそれを信じて生かしていくことで、素晴らしい競走馬を育てあげる調教師と、それに応える誇り高い馬。「馬に乗る」という好きなことを、ただひたすら追求するジョッキー。そして、彼らが生き生きとひたむきに走る姿を見守ることで、過去の心の傷を少しずつ癒していく馬のオーナー。この話は実話なのですが、大恐慌の後、夢破れたり、苦しい暮らしを余儀なくされたりした人たちは、こぞってこの馬のレースに詰めかけ、当時の新聞に一番多く取り上げられたのは、政治家や実業家ではなく、なんとこの競走馬だったと、原作に書いてあります。この馬とジョッキーは、当時の人たちにとって、夢や可能性を再び信じさせてくれる存在だったに違いありません。私も、先のことや見返りなど何も考えず、ただひたすら「走りたいから走る」姿の美しさに改めて心を打たれました。そして、わが身をふり返って、気がつかないうちに、結果やら障害やらを考えすぎて、無心に行動することを忘れていたのかもしれない、とも思いました。
2007.06.09
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皆さん、こんにちは。大分ご無沙汰してしまいました。前回の日記に書いたように4月の末に日本に帰国してから、かなりのんびりした暮らしを送っていて、そのせいか、ブログのほうも先延ばしになってしまいました。でも、月が変わったこともあり、また書き始めようと、少々重い腰を上げたところです。今のところ、日本での暮らしはとにかく快適です。停電や断水の心配がないというだけで、私にとってはもう天国(笑)。気候もいいし、ゆっくりお風呂に入れるのも気持ちいいし、食べものは種類が多くておいしい。一人でふらりと出歩けるのも嬉しい。もちろん、実際ここで暮らすとなれば、生活費や住居、ラッシュなどをはじめ、アフリカで経験したのとはまた違うストレスがあることは重々承知ですが……。帰国してからというもの、家族や友人たちは、身重の私を気遣って、とにかく「甘やかして」くれます。電車の中で空いた席を素早く確保してくれたり、特に重くもない荷物まで持ってくれたり、疲れないかどうか気にしてくれたり。家では、家事の手伝いもさせてもらえません(笑)。加えて、ちょっとしたお祝いをいただいたり、食事をおごっていただいたりすることもあります。一方、夫は夫で、新しい赴任地で忙しく仕事をするかたわら、引越しの手配や家探しを一手に引き受けてくれています。そして、私が家族とゆっくりした快適な時間を過ごしていて、食欲も出てきたのをとても喜んでくれます。そんな中で、私はといえば、みんなの心遣いをとても嬉しくありがたく思う一方で、何とも言えず居心地が悪いような、落ちつかないような気持ちにもなったのです。この一ヶ月の間、もっぱら、無理をしたりストレスをためたりしないことを第一に考えて暮らしてきました。朝はゆっくり起きて、食後はしっかり休み、昼間は無理のないペースで友だちと会ったり興味のあるところへ出かけたり、予定のない日は家でのんびり音楽を聴いたり。帰国直前にいただいた在宅の仕事もやっていますが、あくまでマイペース。みんなの手を煩わせてばかりいて、自分は何もしないでこんなにふんぞり返っていていいのかなあ。世の中には、家事や仕事をしながら頑張っている妊婦さんだって沢山いるのに、何だか申し訳ないなあ。そんな思いが胸をよぎります。「今は、何もしないで、ひたすら甘やかしてもらう時なんだ」と自分に言い聞かせることができたのは、ひたすらお腹の赤ちゃんのことを考えたからでした。何もしなくとも、私がみんなの好意をしっかりありがたく受け取って、リラックスして元気でいる、そのことだけで、みんなは喜んでくれるんだ、ということを自分の中で消化できるようになるまで、少し時間がかかりました。私も意外と「受け取り下手」なのかもしれませんね。「人に何かしてあげられる存在でありたい」と、ずっとずっと思ってきた私。でも、何かしてあげられない状態であっても、何かを「してもらう」ことを素直に心から喜んで受け取れるようになること、そのこと自体が人に喜んでもらえることなんだ。そんな当たり前のことに気づいた一ヶ月でした。
2007.06.04
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