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東京、夢の島にある第五福竜丸の保存施設に来た。夢の島と言えばごみ捨て場。捨てられていたのが元第五福竜丸の木造船。よく見つけたな。ビキニ環礁近くで操業していたところ、アメリカ側が想定していたより3倍の規模になった核実験に巻き込まれて、破壊したサンゴに放射性物質が付着し「死の灰」が大量に降り注いだ。そのまま焼津まで2週間かけて自力で航行して帰港。船員に火傷症状が見られ一部病院に行った。一部は夜の酒場で騒いでいるところに居合わせた読売新聞の記者によってスクープとして報道された。当該船舶を始め、近海で操業していた漁船のマグロの競りは中止されるなど混乱も発生。被害を受けた船舶は1400を超えたという。
2025.11.16
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日本丸の総帆展帆をやっていた。一番下を残して2段目から広げていき上まで広げ、最後に一番下を広げる。一時期公開していなかったような。
2025.09.21
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大宮駅西口側にひょっこり存在しているRAILYARD、だいぶ昔からあるイメージですが、今月末をもって閉店だそうです。といっても、どうやら改装のためで、鉄道の日頃には復活するらしく。すこーしだけセールやってます。
2025.08.28
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戦争と絵画の歴史。現場に居なくとも想像を視覚に表せる絵画は政策遂行に於いて、特に写真や映像に残すのが困難な激戦地でのたたかいをPRするには絶好であった。満州への移民推奨からはじまり、五族協和、大東亜共栄圏、日本軍の快進撃、日本軍の玉砕、と、軍隊が遠い場所で斃れていくところから、絵画を見て歓喜をしていたであろう人々が亡くなっていく様までもが絵画として記録され、やがて終戦。終戦後の荒れた社会、そして落ち着きを取り戻すとともに、人びとが戦争を記録に残そうと書き留めた絵、そして散逸した戦争画の収集、と、絵画の戦争史を一気見できます。おすすめの展示会です。
2025.08.13
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参議院議員選挙の投票証明書と横浜市長選挙の投票証明書を並べるとこうなる。⋯⋯オタクにしか刺さらん。そもそも市長選挙は争点がないから現職圧倒的有利なうえ、参議院選挙の後なのでだいぶ覚めてる。良い取り組みかどうかはよくわからん。
2025.08.03
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組合員向けのような演説会。 少しパンチが足りない。 能力アピールと人脈アピールはよい。相手への批判が弱い。
2025.07.11
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博多港に入ってきて、下船してふと遠くに見えたので近づいてみましたが、浸水を隠して運航していたクイーンビートル大先生じゃありませんか!韓国かどこかに売られるとの報道がありましたが、まだ居るんですね。JR九州は船舶事業から撤退してしまいました。同じ日の新聞に、浸水してでも運航したJR九州と、一部に輪軸不正が発覚して全部止めたJR貨物が並んで掲載されていたのが印象的でした。
2025.06.16
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今からちょうど80年前の1945年5月29日、米軍は機銃を降ろして爆弾の量を増やす改造をした戦略爆撃機B-29を517機、この日初めて護衛をつけ、護衛のP-51戦闘機101機を従え、横浜上空に襲来。木造家屋が密集した地域を狙った焼夷弾での精密爆撃を行い、市街は炎上。多くの市民が焼死しました。 いわゆる吉田新田では、遊郭のあった真金町から、現在の黄金町駅付近まで、広範囲が焼き尽くされました。戦後が長くなるほど、そうした事実は忘れ去られていきます。 1992年に慰霊碑が建立されました。大通り公園の坂東橋付近に設置されています。内部は回廊になっていて、犠牲者の氏名が刻まれています。碑文にはこう書いてありました。平和祈念碑 由来之記 1941年12月8日 日本軍の米軍真珠湾軍港に対する奇襲攻撃により 大日本帝国は 連合国軍との間に戦端を開くに至った。その後1945年8月15日に至り わが民族の滅亡を憂うご聖断により漸く敗戦の日を迎えた。 その間 三年九ヵ月余。政・軍・官の情報統制の下 一般庶民は戦争の実相を知らされることなく ひたすら盲従を強いられた日々であった。 戦線が次第に日本本土に近づくにつれ 米軍機による空爆は熾烈を極め 国内百数十の都市が軍事施設・民間施設の別なく攻撃を受け 非武装の一般民衆が多数犠牲となった。横浜は間三十数回の空爆を受けた。特に1945年5月29日白昼 当時世界最大級の重爆撃機B29五百余機 随伴戦闘機P51百余機の連合軍機により 市内は絨毯爆撃を受けること一時間余。 焼夷弾換算の四十三万余発の投下により市内は灼熱地獄の様相を呈し 非武装民衆に万余の犠牲者を生じせしめた。 この地に戦火止みて既に四十数年の歳月が経過したが 残された遺族の心の傷は今なお癒えることはない。当時を知る遺族もその多くは鬼籍に入り 犠牲者達の恒久平和を希求する声なき声を伝うべきよすがとして失われようとしているこの時 遺族縁類相倚り相扶け 私財を投じ 心ある市民の合力を得て 平和祈念碑建立を発願した。 祈念碑回廊中には犠牲者の姓名を彫刻し そのアイデンタティを復活せしめ 共に手をたずさえて平和のメッセージを伝え 全世界において我らが子々孫々に至るまで戦争の惨禍におびえることなく恒久平和を享受出来る世界の実現を願い 惻隠の情を意味する「愛」と 飢餓のない世を理想とする「平和」の文字を 我らのいのちを支える「地球」に配して象徴とした。幸い 横浜市会代表の正・副議長殿の賛同を得 国会・県議会有志議員諸賢 神奈川県知事の賛意を得た。題字には 横浜市長 高秀 秀信殿のご揮毫になる。「平和祈念碑」の彫刻を付し 横浜市から施設設置許可を受け この地に恒久平和実現の為の一里塚として この碑を建立した。 除幕式には 国際連合駐日代表殿 広島市長殿 長崎市長殿 世界各地のピース・メッセンジャー都市首長殿から 多数の寄せられた。 この人類至高の祈りが 志ある人々により継承発展され 犠牲者も平和の使徒の先駆者として 至福の時を 共に迎える日の近きことを信ずる。1992年5月29日 横浜戦災遺族会 会長 池谷榮一撰-51- 最後の51頁というのの意味が気になりますが、92年の時点で空襲の風化が危惧されていたようです。 建立からさらに33年が経過しました。さらに鬼籍に入られた方が増え、ほとんどが鬼籍に入られていると思います。戦後80年、焼け残ったものもほとんどが消えたと思われます。 惨禍を次世代に引き継いでいきたいと思います。 今朝の神奈川新聞は清水ヶ丘から吉田新田を眺める絵でした。京急の高架が残る以外はほぼ瓦礫の街でした。
2025.05.29
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保土ヶ谷で飲んでて帰ろうとしたら人身事故で動いてない。ということで、地下鉄の駅に向かおうと、久々に水道の道を歩く。関東大震災の復興事業として、保土ヶ谷から吉野町方面に水道を引く工事が行われ、水道トンネルとして、大原隧道と東隧道が建設された。東隧道は狭いながらも道路で路線バスも通るが、大原隧道は完全に人道。そしてそれなりに長さがある。下部を水道が通り、吉野町側の出口先には水栓もある。しかし夜はなんとなく不気味なファサードをかまえる。
2025.05.09
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桜木町駅前前原大軍師を迎え入れて支持率共産党に抜かれる快挙を達成した日本維新の会日本共産党系と認識している自由法曹団法輪功動物愛護団体まぁ賑やかだけど。何言ってるかわからないレベルで。(笑)
2025.05.03
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<独自>JR東社員がトイレで女性を隠し撮り「3年で40回」、被害者望むも公表せず |Infoseekニューストイレで女性を隠し撮りしたとして、JR東日本の男性社員(37)が昨年9月、埼玉県警に逮捕されていたことが29日、関係者への取材で分かった。社員は逮捕後に懲戒解雇されたが、県警の調べに「3年前から40回は撮影した」と供述。犯行の常習性は明らかだったが、JR東は事実を公表しなかった。JR東は理由について…【全文を読む】 本日の産経新聞朝刊23面に記事が載っていた。 ちょっとわかりにくいが、駅の女性トイレで盗撮をやっていたのが発覚して、その件で逮捕。 捜査の過程で調べたところ、勤務先の事務所のトイレでも盗撮を行っていたことが発覚。 産経新聞の記者さんの独自ルートで、勤務先での被害者に接触して話を聞いたと思われる。 が、もう少し裏があるだろう、と言うのが正直な感想。 少し気になるのが、この手のモラル崩壊がJR東日本の中に蔓延っているように思えること。というのは、2月にも社員が暴行を受けたにもかかわらず、暴行を受けた側を加害者として幾重にも処分をして左遷させたために裁判沙汰に発展している。 パワハラから逃れようとしたら…「上司に暴行した」と懲戒処分 JR東日本のブラックな職場、若手社員が提訴(東京新聞 2025年2月1日 有料記事)JR東日本の男性社員、懲戒処分と出向命令の取り消し求め会社・上司を提訴 東京地裁(弁護士jp 2025年1月31日)パワハラされたのに懲戒処分は不当と主張、JR東日本の若手社員が会社を提訴(企業法務ナビ 2025年2月7日) 以上三件は同一の事象を扱ったニュースである。加害者が被害者されてが加入した(最初から加入していればもう少しまともに対応されたと思うのだが)東日本旅客鉄道労働組合では、武蔵小金井暴行事件として取り扱われている。専用のホームページまでできているので、経緯はそこで確認したほうが良いと思う。 さて、この少し前にも気になるニュースがあって、パワハラで労働組合から脱退するように迫られた、というもの。企業法務ナビの最後で触れられている。あまり好きではないが週刊金曜日のリンクをつけておく。こちらの労組はJR東日本輸送サービス労働組合で、2018年にJR東労組でストライキに突っ走ったグループが、穏健派に主導権を取られて分裂した側で、自称たたかう労働組合である。2018年を境に労働組合の組織率が一気に9割減っているので、どっからどう見てもパワハラ脱退強要があったんだろうとしか言いようがない状態ではあるが、裁判では1名にしか認められなかった。 が、ほとんど労働組合に組織されていた労働者を組織されない場所に連れ出した、ということは、会社側としては、例えば時間外労働の36協定無視とか、劣悪が環境下での労働とか、法外な労働を行わせることに加え、パワハラ・セクハラなどのリスクヘッジになる。こうした悪辣なことが今後、特に労働組合に入っていない社員を中心にやられる。最悪、ハラスメントが会社運営の根幹になったら、社員がいくら傷つこうが死のうが関係ないのであるから、その先には乗客の死が待っている。 JR東日本、特に労働組合に入っていない社員の方々、今のままじゃ危険ですよ。
2025.03.30
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いろいろと難のある旧製品から移植していたのですが、先頭だけ新規で室内が起こしてあり、狭幅の室内灯。その他の車両は、旧来の広幅の室内灯。なかなか一筋縄には行きませんなぁ。
2025.03.25
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画像がどうなるか不明ですがテスト投稿今年は桜が遅め。桜木町。鉄道創業の地碑の後ろに移されたモレルの桜。ようやく開花。
2025.03.24
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ANA697便で羽田空港から山口宇部空港へ。ボーイング767-300の後部席に座っていたがガラガラ。K席に座っていたが、隣の着座はA席。この機体の必要があるのか、いや帰りに乗るのか、とあれこれ思いながら、広島上空を通過して山口宇部空港へ。着陸ルートが北斗七星のような大回り。どこ飛んでるかいまいちわからず。着陸直前の海上に海底炭鉱の跡が見える。長生炭鉱の墓標と化した排気筒である。
2025.01.16
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年初恒例のIMON創業祭にて北総鉄道の7000系が出ていたので買った。個人的には2000年代前半によく見かける車両であったので、「北総開発鉄道」という社名のほうが馴染みがある。複雑な前面形状はメーカー泣かせであったようで、独特の前面形状から「ゲンコツ電車」と呼ばれた。このような前面形状の電車は後にも先にも存在しない独特の車両であった。
2025.01.08
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スペースの都合等々で展示漏れ13編成。組成したけど後から発売されたとか、組成したけどダウトとか、JR東海かJR西かの違いしかない、未完成、違いがほぼ無い等々で展示漏れ。 マイクロで組成したNH82 パンタカバーが特殊 マイクロで組成したYK1編成 1998年~1999年に残っていたYk編成3本 (Yk29、Yk41、Yk49) 改造で作った300系の改良型 など、紹介するのがめんどい。 昔つくったマイクロの岡山開業ひかり、なぜか18次車で組成しているのでダウトですねぇ。解消しましょ。
2024.11.12
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2020年7月からN700Sの量産車が投入された。運用は固定されておらず、次の運用をホームページで公開していた。当然ながら新型コロナウイルス感染症の影響でガラガラだったと思われる。 21年の改正から運用固定の列車を18本設定、22年改正で運用固定は50本まで増える。その他にもランダムで運転され、運用が拡大。 途中客室にも変化があり、300系から続く1323人定員が1319名に減少(普通席を撤去して車椅子席を6席追加)した。 今後は喫煙ルームがなくなり、100系以来の個室グリーンを設置する予定となっています。 現行品はTomixを所持。N700系(N700S)東海道 山陽新幹線基本セット(4両)【TOMIX・98424】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2024.11.11
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N700Aの大量投入に伴い、運用を減らしていった700系は2019年末をもって定期運用を終了した。これにより営業列車の動力性能はN700系以後のものに統一され、強力な加速力とブレーキ力および定速装置を持つもので統一。皮肉かもしれないが、700系が天下をとったときに増発用に開業した品川駅であったが、700系が引退と同時に品川駅を使わずとも増発が可能になる、ということなった。 2020年にさよなら運転と団体臨時列車を設定したが、新型コロナウイルス感染症の拡大でさよなら列車の運転は中止となり、静かな最後になった。 なお、どうでもいいですが、さよなら列車のために少し前から大阪入りしていた自分は暇を持て余すことになった。 例によってTomixが製品化。最終増備の車両ではなかったため、金型を新規に起こす必要なく、綺麗な塗装で幻のラストランが再現されています。【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 97929 JR 700-0系 (ありがとう東海道新幹線700系) 16両セット 【A´】 外箱傷み/取扱説明書袋開封 ぽちで中古品があったので、気になる方はどうぞ。
2024.11.10
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2018年よりN700系をさらに改良して、JR東海では新形式として扱っているN700S系の試作車両ともいえる編成が登場。N700S性能確認試験車と呼ばれていた。 技術進歩により機器構成を見直し、電動機や主変換機を小型化して、開いたスペースにリチウムイオンバッテリーを搭載し、給電が無い状態でもある程度の移動を可能にするように設計された。 一方で将来の短編成化や、他線区での仕様に合わせやすいよう、4両ユニットはそのままではあるが、ユニットを崩しても組成可能な機器構成としており、後に開業する西九州新幹線は3両ユニットとなっている。 性能面も遜色なく、試運転では362km/hでの走行を記録するなどした。 Tomixさんが製品化している。パンタグラフ設置用と思われる屋根上の凹凸部分を除けば量産車とあまり違いがないと思う。 初めて見た印象は、座布団。 編成2カ所に凹凸のある屋根がある。
2024.11.09
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N700Aの投入と平行して、既存のN700系にN700Aに搭載された新機軸の一部を追加する工事が行われました。 主なものとして ・中央締結ディスクブレーキに交換 ・定速走行装置の搭載 ・地震対応時のブレーキ強化 といった点で、機器と走行性能を合わせることで、東海道新幹線での運行やメンテナンスを統一化・効率化する利点がありました。 改造後はZ編成からX編成に変わり、ロゴに小さく「A」が追加されました。 例によってTomixを所有しております。(現役車両なのに品薄だなぁ) ところで、N700とN700Aでは、帯のスタート位置とライトの形状が異なるってご存じですか? 左がN700a、右がN700Aの模型ですが、N700Aの方がライトケースが後方裾側に伸びていて、わかりにくいですが帯の開始位置も前寄りです。模型でもしっかり再現。 ただ全車両がこの違いがあるわけではなく、帯の開始位置は一部のN700aが前寄りになっていたり、事件で車体を取り換えたX59はN700Aの先頭車両の形状をしていたりします。
2024.11.08
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2013年2月からN700系の改良型、通称N700Aが投入される。外観で大きく変わっているところはあまりないが、側面の大きなAのロゴや、床下の通気口の形状で判別は可能。主だった改良点は、定速走行装置の搭載と、中央締結ディスクブレーキの採用でブレーキ力を上げた点。全線にわたり上限速度を維持して走行可能かつ、緊急時のブレーキでは停止距離を大幅に短縮できるようになった。 初めてこの車両に乗ったときに、緊急地震速報が鳴ったために緊急停止になり、中央締結ディスクブレーキの威力を思い知ることになる。(乗客としてはまったくわからん) 由比付近のトンネル内にしばらく止まっていた。 客室内も若干の変更箇所があり、シートモケットの変更、床面の色が薄くなって車内のコントラストが大きくなっている印象をうける。またドアチャイムとドア上にランプがついていた。 NゲージではTomixを所有。床下がN700系と同じ手抜き仕様。 最近発売されている製品は、現行車両と同じ床下に変えたようです。送料無料◆セット販売 98573/98574/98575 TOMIX トミックス JR N700-1000系 (N700A) 東海道・山陽新幹線 基本セット(4両)+増結セットA(4両)+増結セットB(8両) Nゲージ 鉄道模型(ZN122166)
2024.11.07
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N700系の増備により、300系の廃車が進行し、JR東海の700系がJR西日本に移籍をさせてまで、JR東海、JR西日本の300系を淘汰していきました。0系、100系と違い、東海道新幹線内でも走行性能はあまり差がないため、比較的ダイヤ改正直前まで定期運用を行っていた。ダイヤ改正前日の臨時列車をもって引退。山陽新幹線では100系の引退と同日となり、岡山駅で並ぶシーンも見られたという。 引退列車はJ57編成。例の如くTomixが製品化している。 3両ユニットの300系は短編成化すると、単純化して7両で4M3Tとなり性能的に劣るため使いにくく、かといって改造も容易ではないため、短編成化はなされずに消滅した。東海道新幹線を走った形式のなかで、唯一16両編成以外の編成を組んだことが無い形式となった。
2024.11.06
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N700系の登場で、ながらく「のぞみ」専用だった500系も、性能面で東海道新幹線では山陽新幹線では並ばれます。となると、ドア位置の不揃いや居住性に難があり、経年も気になりだす500系の立場が小さくなります。加えて山陽新幹線では0系が引退し、100系の置換え時期も迫るなかで、16両編成前提でユニットを組んでしまった300系は使いづらく、500系を短編成化することで対応するように決まりました。0系が完全に引退した少し後から8両編成に短縮された500系が山陽新幹線に登場。「のぞみ」での運用は急減し、元々の本数も少なかったために、トップナンバーのW1のみが16両で残存。2010年2月まで運用された。 模型ではさよならセットでおなじみのTomixが発売 W1編成特有のセンサー(通称:ホクロ)再現 編成全景 表記も印刷済み。 運用終了後、W1編成は短縮されることもなく、長らく博多総合車両所で余生を送っていましたが、2014年に正式に廃車となり、両先頭車のみ残存、1号車が京都鉄道博物館に展示されています。
2024.11.05
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3年近い試運転の末、2007年夏のダイヤ改正でN700系量産車が営業投入されます。 量産車は喫煙ルームが設置され、全車禁煙になりました。表示類も先行車より大型に変更されています。喫煙ルーム部分以外に外観上はあまり差異はありませんが、内装の細かい仕様が異なるために、先行車は基本的に営業運転に入らないことになりました。 表記類が大型化。禁煙のマークは縦に並ぶようになりました。 東海道新幹線内では4往復でスタート。初日の新大阪発は即完売だったと思います。まぁ下りは99号と1号で2本あったというもあるでしょうが、期待値の高さを物語るエピソードでしょうか。 それまでの車両より高性能で車体傾斜機能のために曲線も速度を維持できるため、東京・品川・新横浜・名古屋に停車して新大阪に行く場合、N700用ダイヤでは、品川か新横浜のどちらかを通過する従来ダイヤと所要時間が変わらなくなった。このため、翌年のダイヤ改正では、全列車が4駅全て停車のダイヤに変更された。 デビューから3週間後くらいの浜松駅にて動画撮影
2024.11.04
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2005年に登場したN700系の試作車。車体傾斜機構の搭載や、パンタグラフの抜本的な見直しなどが行われ、全線に渡って導入されたデジタルATCに最大限対応できる運動性能を備えた、これまでとは一線を画す高性能な新幹線車両が登場。当初は700N系と呼ばれていましたが、N700系に落ち着きました。 2005年に登場した試作車は、量産車と細かい仕様が異なる部分が多く、ほとんど試験専用として使われて2019年に廃車されている。 NゲージではTomixで製品化されている。 背景の積んである展示漏れ供養塔がだいぶ高くなってきました…… Tomixは機構上のこともあり全周幌の再現なし。モールドとか印刷でそれっぽくしてもいいかな、とは思いますが。 パンタグラフ周り。本体のカバーが大型化してアームを収納。足も削減。EGS窓も廃されて穴がなくなりました。 実物は何度か目撃していますが、偶然博多駅で目の前に現れたときに動画を回してました。
2024.11.03
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100系が引退し、走行車両は922形電気軌道総合試験車を除いて全て最高速度270km/hに統一された直後のダイヤ改正。品川駅開業と同時に「のぞみ」を大増発して「ひかり」を縮小、TOKIOの歌うタイアップソング「AMBITIOUS JAPAN」を引っ提げて第二の開業と言わしめた変化がありました。【中古】 AMBITIOUS JAPAN!(初回限定盤)/TOKIO 走行する700系のうち、JR東海所属の車両には側面帯に巨大な「AMBITIOUS JAPAN!」の装飾が入り、一部ドア横にドアステッカー、同様に300系にもドアステッカーが貼られました。 鉄道模型では同年以降に発売されたKATO製品にステッカーが付属、またTOMIXでは印刷済みの700系が限定品で発売されています。 私自身はステッカーが出る前の700系で作ってしまいましたが、当時市販されていたオリジナルステッカー用のシール素材がものすごく分厚く目立っていましたが、Tomixさんから発売されたのでそちらを紹介。 色味がおかしくなってますが横に大きなAMBITIOUS JAPAN!の文字 ステッカーも印刷済み。 装飾率が高めな気がする……
2024.11.02
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2003年8月をもって100系の定期列車の運行が終了、9月に記憶が確かなら3日間、臨時列車「ひかり」が100系で運転されるイベントを行った。0系のときのように装飾が施され、前頭と側面に装飾が施された編成が4本用意されていた。そのうち1本は万が一の予備だったようで、装飾を施したまま1度も東京第二車両所から出ることなく、最終運行日の翌日早朝の回送で東京に出てくるだけだったと記憶している。 Tomixから最終の「ひかり309号」に充当されていたG49編成が製品化されている。 0系の引退からわずか4年で100系も引退へ。 先頭車の装飾。 2階建てグリーン車の装飾。 たまには動画も貼り付けてみます。
2024.11.01
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2001年頃から製造された700系から若干の変化が見られ、客室ドアがこれまで上部の絞りを避けて低い位置に窓を設置していたものが、上部の絞りに対応した曲面のある窓を設置して位置を上に上げたことが外見上の大きい変化であった。前部の連結器を取りだすためのカバーの分割も変化して、開口部が小さくなるように変更された。 客室内では、初めて車端部の席にコンセントが設置された。今ではほぼ当たり前のコンセント設置はこのときに始まり拡大していったが、700系では改造・増設などはされず、後期車の車端部席のみが唯一コンセントのある車両となった。なお友人はこのコンセントを使って雷サージが直撃してパソコンが死んだ。 後期車はTomixが製品化している。
2024.10.31
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700系の登場後、300系の変態編成登場時から予想はできたが、300系のパンタグラフおよび屋根周りを700系タイプに変更する工事が行われ、全編成のパンタグラフと屋根周りが700系と同様の形状に改められた。 機器の関係でパンタグラフの搭載する号車は弄らないため、東京方のパンタグラフは搭載位置が1両ズレている。 これにより低騒音化と、トンネル内でのパンタグラフカバーに起因する横揺れを最小限に抑えることができるようになったという。
2024.10.30
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1999年初頭に残っていた0系はYk8、Yk29、Yk41の3編成にまで減り、3月に最新型の700系が投入されます。運行本数はまだ少なかったものの、東京駅14番線に700系、15番線に0系が並ぶ時間がありました。最終運転日は9月18日と設定され、ささやかな装飾がひかり前頭に施されました。他の車両と性能差が歴然としていて、かつダイヤに余裕がないため、引退関係の臨時列車の設定はほとんどなく、9月18日のこだま473号の定期列車運行をもって東海道新幹線から引退しました。 Nゲージでは、Tomixが「さよなら0系東海道新幹線20世紀保存セット」という名称で、形だけ16両編成のいわゆる「さよならセット」の第一弾として発売されましたが、アンテナ数、窓配置だけでも実車と合致している車両が8両しかなく、半分の車両は何かしらが実写と異なっている。また2&2シートは何故かグリーン車のシートにされており、窓配置と合っていないなど、強引すぎる商品化におそらくクレームだらけになったと思われ、それ以後の「さよならセット」は可能な限り実車に合わせて型を設計して作り分けるようになった。 あまりに実車と違うので、後発品で新しい車体が出ている26-2200形や、25‐1000、26-1000など、他のセットやジャンクから探してきて、白い車体塗装にして編成に入れている。 先頭の21‐2000もアンテナは独立した2個であるが4個一体型のままになっている。他の車両で2個にしたものもあるのでそのうち改造はしたいと思いつつ放置されている。 21‐2029 屋根上のアンテナは4個一体型だが、実物の場合、最後に作られた2両(2029と2030)および先頭車改造車は、右の後継車両のように2個独立で製造されている。なお車体色はそれまでのアイボリーではなく、100系以降と同様の白色に変わっている。 ひかり前頭の装飾がそのまま再現。0系は文字だけの実にシンプルな装飾だった。 26‐2200は、山陽新幹線引退時の「さよなら0系ひかりセット」でようやく製品化された。何故かジャンクでよく転がっていたので買い集めて白く塗って組み込んでいる。 編成内に2両組み込まれていた1000番台。最初は窓をプラ板自作したものを連結していたが、見栄えがよろしくなく、製品化を期に入れ替えた。車体は白に塗っている。
2024.10.29
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1999年3月に700系「のぞみ」がデビュー。300系から居住性を大幅に改善、かつ、500系より安価に製造できるということで、2000年代の主力車両として活躍を始めます。山陽新幹線内では500系より遅く285km/hでの運転にはなりましたが、東海道新幹線には影響しないため、より経済的な車両になりました。 ここではKATOの16両編成。2編成所有していますがあえて状態の悪い方を出しました。(鉄道イベントに出張してきた会社が初めて中古品を扱ったらしく、とんでもなく状態が悪いので16両で11000円まで値切って買った)。 だいぶ直しましたが車体ごと取り換えないとダメな車両がまだ存在するのでどうしたものかと思いつつ16両。 KATOの700系は初期車で、特徴としては客室窓の位置がだいぶ低いことが挙げられます。連結器カバーの分割線の違いなど、細かいところも違います。 シングルアームパンタグラフが採用されたのは700系から。500系はシングルアームパンタグラフの開発が間に合いませんでした。この形状のパンタグラフカバーは300系にも改造で取り付けられていきます。
2024.10.28
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この頃、700系の設計が完成し、試作車にパンタグラフをとっかえひっかえでいろいろ載せて試験をしていて、300系の新製車両も700系の設計に引っ張られて不思議な車両が登場する。筆者は1999年に親に連れられて乗った300系新幹線がこれ(J59)であったため、強烈な違和感を持ったのを覚えている。 案の定ながらTomixで作ってしまう。 左が1998年~99年登場の300系。基本は後で紹介する300系のパンタグラフ取り換え編成に強引に初回製品のパンタグラフを取り付けるというもの。この形状でJ58からJ61編成が登場。まず屋根が白いのが他の300系新造車両と違う。 屋根上は700系の設計に準じた4両ごとのケーブルヘッドと直ジョイント。300系は3両ユニットなので、分割位置が異なるのですが、4両ごとにケーブルヘッドが置かれました。 白い屋根に強引に乗せられた巨大パンタグラフカバー。僅か数年で700系タイプのパンタグラフに変更される運命であった。 ケーブルヘッドを使わず直ジョイントになった状態で新製された300系。やはり違和感ありまくりでした。
2024.10.27
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500系はパンタグラフ2基で1997年に登場したが、その前後で300系のパンタグラフを1基削減する工事が行われ、新車においても2基のパンタグラフで登場することとなった。 単純に真ん中のパンタグラフとその周囲のカバーを取り外しただけかと思いきや、残ったパンタグラフに設置されているカバーの形状も変わっている。Tomixの旧製品はカバーの形状変更を無視して製品化されていた。 6号車のパンタグラフ。奥のものと形状が違うカバー。よく見るとわかりますが、右が旧製品、左が改良製品の車体。 9号車のパンタグラフ撤去跡。ケーブルヘッドが異様に長い。 12号車のパンタグラフとカバー。奥のものとやはり形状が違う。
2024.10.26
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JR西日本では山陽新幹線区間で300km/h運転を行うため、独自開発の500系を投入。当初は山陽新幹線内のみの運転であったが、半年後に東海道新幹線に進出した。後にも先にもJR西日本が独自開発した唯一の新幹線となっている。ドイツのデザイナー、アレキサンダー・ノイマイスター氏によるデザインで、他の新幹線とはだいぶ意匠が異なり、航空機型の先頭車両や円筒の車体など、本系列独自の形状が目立つ。一方でこれらが災いして、車内が狭く、揺れが多く、居住性はあまり良くない部分もあった。 模型ではTomixのかなり古い製品を保有。学園祭などで走らせまくることになり、シャフトやギアボックスを交換したりしている。 tomixの現行製品やKATOの製品(ロットによって塗分け位置が違うらしい)も気になるが、持っているのはこれだけである。 人気車両なので、基本セットはある程度簡単に手に入るようである。500系東海道 山陽新幹線(のぞみ)基本セット (4両)【TOMIX・98363】「鉄道模型 Nゲージ トミックス」
2024.10.25
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300系が改良改造を重ねながら増備される一方、押し出されるのは当然、車齢の高い0系であり、特に300系から逃げる運用は、300系に、という風に置き換えられていったため、0系の「ひかり」編成は急速に減り、1995年のNH49編成を最後に消滅しました。 どういうわけかマイクロエースがわざわざ製品化してくれたので、ご紹介までに。 また中古品がとんでもない価格で売られているけど、俺みたいなマニア以外にそんな価値ないし、俺でも買わんわ、と楽天で検索して思った。 マイクロエース A9656 A9657 NH49編成「ひかり」最終編成 なお、後ろに積み上がり始めているのは、展示漏れした車両たちの供養です。
2024.10.24
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1993年投入の300系です。どこが違うかというと、ドアをケチって客室ドアがプラグドアから引き戸に変更されました。J16編成以後は引き戸になっています。 Tomixではご丁寧に旧製品はプラグドア、現行製品は引き戸に変更されています。TOMIX Nゲージ JR 300 0系 東海道 山陽新幹線 後期型 登場時 鉄道模型 電車 白 右側が前回紹介の初回製品300系をあれこれした16両編成、左側が最新の300系後期形登場時のセットです。 最新製品は車種が全部つくられて、屋根もしっかり分けられているので、例えば3号車は右側の手作り感満載の屋根ではなくなっています。 同じく15号車の屋根もしっかり製品化。右側の手作り感満載と比べると。 パンタグラフカバーは変化がないですね。
2024.10.23
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JR東海が民営化直後から進めていた高速化計画がついに実現するのが1992年の300系「のぞみ」登場である。最初の改正では朝晩の「のぞみ」東京~新大阪間2往復と、「ひかり」1往復に充当された。 高速化のために300系車両を開発したほか、軌道の改良なども大規模に行われ、特に曲線のカント量修正は120kmにも及んだという。しかしながら、走り込みの不足など、試験期間の短さに由来するトラブルが相次ぐことになってしまった。 それでは模型で紹介する。種車はTomixの300系初回製品をベースにいろいろと寄せ集めた。初回製品は代用車両が多く、パンタグラフが登場時の3基から1つ減らされた2基での発売であったが、パンタグラフカバーが3基のときの形状のまま、など、だいぶ妥協が多い製品だった。 300系最大の特徴、楔形でレール上面を先頭にして立ち上がる形状の先頭車。開発後に最後尾での揺れが著しく、後の研究でこの形状がレール面付近で空気の圧力差を発生させて、それに呼応して車両が揺さぶられることが判明したため、このような形状は300系以外では採用されませんでした。 新大阪方のパンタグラフカバー。旧製品の形状のまま。5号車側が矢じりのような形状になっている。 編成中央のパンタグラフカバー。新大阪側と東京側の箱型タイプのカバーをを組み合わせて設置。販売されている製品ではこの位置にパンタグラフはなし。初回製品はグリーン車も代用品だった。 東京方のパンタグラフ。やはり矢じりのような形をしている。これは製品のまま。(よく見ると脱輪してんな) 大型で目立つパンタグラフカバーですが、風を左右に切る形状が災いして、トンネル内では進行方向左側の空気の逃げ場がないため、進行左側の圧力差が発生して激しく揺れる原因となってしまうことになりました。 高速化に全振りしすぎて居住性に難があるため、今後300系は改良改造が続くことになります。
2024.10.22
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100系G編成が大量50編成投入されるとうことで、0系の「ひかり」編成が急速に減っていきますが、置き場が足りず、置けそうな場所には0系の余剰車両が置かれまくるという状態に陥ります。 一方、世の中はバブル景気で乗車率はうなぎのぼりになっている状況もあり、そんなわけなので、「こだま」に状態のよい車両を4両増結して16両編成化して、少しでも遊んでいる車両を減らす努力が始まりました。が、これがまた単純にいくわけもなく、11号車から14号車に入れる経年が浅くて状態の良い車両を見つけてきて、11号車と12号車は2&2シートに改造して連結する、ということをやっていた。通常は25形と26形が対象ではあるが、経年が浅いという条件であるとどうしても足りず、食堂車の相方27形を持ってきて25形に改造する工事を行い、25形4900番台とした。JR東海では珍しい0系の改番を伴う工事であった。 そんなこんなで、1989年から91年にかけて「こだま」は16両編成にもどされた。 模型ではマイクロエースのNH49をあれやこれやして組成。Yk編成。 号車札が元の車両のままだけど2&2シートステッカーを追加。
2024.10.21
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1989年、今度はJR西日本設計の新型車両が東海道新幹線に登場。100系3000番台「グランドひかり」である。名前は100系を冠しているが、相違点が多く、届け出された書面上では100系とは別形式とされている。 JR西日本では山陽新幹線と他交通機関との競合が激しく、12両編成や6両編成の新幹線を仕立てて運行を行うようになった。一方東海道新幹線に直通するとなると16両編成が必要なため、その前提に立って、東京~博多間でシェアを握れるような設計をしないとけなかった。 というわけで、二階建てを4両つなげてみたり、ビデオサービスなどをつけてみたりと、客室内容も他の100系と異なるほか、将来は短編成化して山陽新幹線内で使うととが想定できるため、先頭も電動車とし、他の100系とユニット配置が逆になった。また270km/hでの走行を目指して足回りも変えたが、実際に270km/hで走らせてみると、100系の車体では騒音規制をクリアできず、新たな形式に譲ることとし、山陽新幹線内はちょっとだけ速い230km/h運転とした。 模型はKATOから出ているグランドひかりのセットそのままである。 なんか中古でとんでもない値段で売ってますねぇ……。そこまでレア品とも思わないのですが……
2024.10.20
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1987年4月に国鉄は分割民営化され、東海道新幹線はJR東海に、ではなく、新幹線保有機構の持ち物となり、JR東海とJR西日本が列車を運行することになった。が、JR東海にとってこの措置は好ましいものではなく、自社に帰属すべき資産を持てない状態でのスタートとなってしまった。このため、まず資産を増やすべく巨大投資を行うこととなる。 1988年3月に、二階建ての食堂車を二階建てのグリーン車に置き換えた100系G編成が新造される。需要の多い東京~新大阪の東海道新幹線区間限定で走るため、食堂が不要と判断され、かつ、折しもバブル景気に入ってきてグリーン車の需要が急増することを受けての措置である。これを一気に50編成投入することとした。 模型は前世代のtomix製品より。まもなくリニューアル品が出ます。 【2024年10月】 TOMIX|トミックス 100系東海道・山陽新幹線(G編成)増結セット(6両) TOMIX【発売日以降のお届け】
2024.10.19
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1986年11月改正で100系量産車の「ひかり」が正式デビュー。一方で、0系は38次車の投入が完了し、これにて製造を終了。3216両に渡る製造が終了した。そして最高速度がこれまでの210km/hから220km/hに引き上げられた。これにより、東京~新大阪間が最速2時間56分、新大阪~博多間が最速2時間59分となり、どちらも3時間の壁を越えることになった。 100系量産車は大窓化されて登場。 二階建ての食堂車がひときわ目立つ。 この改正では山陽側にも今につながる変化、すなわち、12両編成の「こだま」編成の一部が博多に転属して、山陽新幹線の「ひかり」として運転されることになる。 模型はTomixの前回製品98874 JR 100系東海道・山陽新幹線基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《10月予約》98875 JR 100系東海道・山陽新幹線(X編成)増結セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《10月予約》
2024.10.18
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突如12両編成で走り出した100系ですが、10月に正式に16両編成でデビューします。 X1編成、マイクロエースから出ていますが、デビュー時を保有していないので晩年です。 二階建て車両。新車時はNSマークがついていましたが、晩年はなくなっています。 X1編成は小窓で登場しましたが、量産編成は大窓になっています。客室設備にも試行錯誤した跡がのこっていました。 なにはともあれ、編成内で製造年次がバラバラ問題は、新形式の編成投入で解消されていくことになります。が、この時点でも0系の増産はまだ続いていました。
2024.10.17
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かねてから新型東海道新幹線車両100系は試運転を行っていたが、それは1985年6月のこと。 ありとあらゆる方法で12両編成化されていた「こだま」の営業列車に登場。 期待の大型新人、100系新幹線、「こだま」12両編成でいきなりデビュー。12両編成化が間に合わずなのか、12両編成で営業運転を開始してしまいます。当然二階建て車両は連結しておらず、グリーン車は平屋の1両のみ。「こだま」として足慣らしで4カ月くらいは運転されていました。 編成はTomixから発売されたもので、間もなく販売開始されるのを現行世代とすると二世代前の製品の寄せ集めになります。【2024年10月】 TOMIX|トミックス 100系東海道・山陽新幹線基本セット(6両) TOMIX【発売日以降のお届け】
2024.10.16
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空席が目立つようになった「こだま」を12両編成に短縮することになり、16両編成から4両を抜いて……、と、そう単純な話にはならず、4両以上抜いて不足分を別の編成から抜いた奴を入れてみたり、不足したところに新車を突っ込んでみたり、はたまた先頭を含む新車を4両用意して、他の編成から抜いた車両を入れるパターンなどがあった。12両化した編成はS編成とされた。 模型はTomixの0系大窓と2000番台で組成しました。初期のJR東海「こだま」のつもりで。
2024.10.15
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1977年からお召列車は白V字から青ひげ塗装に変更されて運転されていました。マイクロエースは8両編成で製品化されています。 不思議な8両編成のお召列車は、1981年からしばらく運転された。事の発端は前年の3月に運転されたお召列車で、天皇陛下を見送りにきた、大平正芳首相が、元大蔵省役人で赤字国債を渋々発行していたという経緯もあり、高木国鉄総裁に詰め寄って「あー、いくら天皇陛下のためとはいえね、うー、お召列車を16両編成で運転するのは無駄だろう? あー、国鉄は大赤字なのに、うー、お前は何を考えてるんだアホボケカス!肥溜めに落ちて肥料でもなっとけ!」と怒鳴り散らして(筆者の想像です)、そのまますぐ死んでしまったため、最初は「ド素人が黙っとれ。」と思っていましたが、死んでしまったので、なんとなく流れでやる雰囲気になってしまい、お召列車運転をするために 1.指定編成を大井支所の留置場所へまず回送する 2.編成をバラバラに切り離し、8両編成に組成しなおす 3.各種試験を行い全ての機器が通常動作をするかどうか確認 4.8両編成に対応した運転曲線を算出し、通常ダイヤに乗るよう配置 5.ダイヤにそって何度も練習試運転を行う (本番) 7.編成をバラバラにして16両編成に組成しなおす 8.各種試験を行い全ての機器が通常動作をするかどうか確認 9.所定の待機箇所へ回送する という、16両編成で運転すれば全く必要ない作業を入れ込み、通常のお召列車の数十倍の費用をかけて「経費節減」をしたとのことです。あまりにも無駄な作業が多いので、長くは続かなかったとのことです。当然ですね。 また16両編成で稀に故障でユニットカットが発生してしまうと、16両編成のときは電動比率7:1ですが、8両編成だと電動車両6両に附随車2両、比率3:1となり、全車電動が前提の0系では相当な負担増になり、実際に試運転では何度か故障していたので、リスキーなことはやらない方が良いでしょう。 さて、模型の話。 1981年から何度か運転された8両編成は、扱いやすい規模であるので、マイクロエースとTomixが製品化しており、現在も在庫があります。お気になりましたらどうぞ。A9660 国鉄 新幹線0系 0/1000番台 お召列車(青帯入) 8両セット[マイクロエース]【送料無料】《発売済・在庫品》送料無料◆98790 TOMIX トミックス 国鉄 0系東海道・山陽新幹線 (NH16編成・特別塗装) セット(8両) Nゲージ 鉄道模型(ZN117715)
2024.10.14
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特に大きいトピックでもないですが、2000番台の製造されている背景として、当然、東北新幹線が開業するためにその車両とサービスレベルを合わせる必要があるため、というのが一つある。とすれば、特にフラッグシップとなる「ひかり」編成に重点的に投入したい。が、国鉄は新幹線開業以来ずっと赤字であり、すでに倒産していないとおかしいレベルに達していて投入する数は限られる。加えて、置き換えなければならない車両は大量に分散している。という事実がある。一方で輸送量が初めて減り、減量ダイヤ改正を1980年に行って「こだま」を中心に大幅に列車本数を削った。 従って、2000番台は編成で投入された車両は存在せず、当初は「ひかり」編成に重点投入して玉突き廃車を始めたが、間に合わなくなって「こだま」にも直接投入を始める。といった具合になり、どの車両を取り換えて、出てきた車両を廃車にするのか、転用するのか、転用するとしたらどの編成のどの車両を取り換えるのか、という、もはや答えのない無限パズル状態になるので、「16両編成の新車」を直接投入した方が圧倒的楽で、東北新幹線開業もあり、同水準の車両を新車として投入した方が楽、という判断で、裏では100系の設計が始まっていました。 そして、国鉄の分割民営化が方針として決定されたのが、1982年9月でした。 さて、国鉄激動を端緒となる1983年製の2000番台さんは立て続けにKATOさんの「特別企画品」の基本セットと増結セットの16両編成。車両番号だけで見ていくと、個人調べですが、NH16編成に9両、NH43編成に4両、NH46編成に1両、N99編成に2両と、見事にバラバラです。NH16編成はあと3両車番入れられただろうに。頑なに26形2200番台の車番を拒否してんのは何故だ。見た目は明らかに2200番台のくせに。 てなわけでダウト含む組成。 ↑やっぱり蟻のままの姿見せてますねぇ。 ↑食堂車は当然マイクロエースの大窓。しかしなぜ小窓をチョイスしたKATO。NH1621-201126-202125-103426-221225-71226-72327-4236-4237-251726-221715-101616-200725-201926-202225-202022-2011
2024.10.13
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1979年に1000番台の投入が終わり、その後編成削減が行われて、使える車両はたの編成の老朽車を置き換える、ということが行われ始めました。特に「こだま」編成は顕著で、もはやパターン化できない組み換えになっていきました。 1981年になると、シートピッチを4cm広げて、東北新幹線に投入する200系と同等の設備にされた2000番台が登場します。2000番台の組み換えはもはやパターンではなく、古い車両を優先的に取り換える。あるいは「ひかり」編成に優先して投入して、1000番台を押し出してその車両を「こだま」編成へ、というような複雑化していきます。 そんな複雑化した2000番台の編成で紹介するのが、今まで登場していなかった某大手メーカーです。10年前に「東海道新幹線開業50周年記念セット」という名称で1982年に登場した車両をプロトタイプにパッケージングして、1982年の車両で1964年の開業式典を再現してたKATOさん、ついに登場です。 造形は悪くないのにあらゆるところがダウトなので、いい加減まともな編成になるの作りませんかねぇ? ↑お判りでしょうか? 左端が2000番台先頭のKATO製品。のはずですがお判りでしょうか? ↑製品に詳しい方ならお分かりですが、蟻のままの姿を見せております。 ↑明らかに、蟻のままの車両があります。 というわけで、KATOさんの「JR東海に所属した21‐2002」という表記を売りに50周年セット基本増結8両を出したわけですが、確かに8両は2000番台のNH61編成、そのほかは全部大窓なのでKATOだけでは再現できず、マイクロエースを持ってきて強引に編成を組んでいます。マイクロエースさんが謎の空気を読み、新しいロットの0系は何故か新幹線カプラーからアールドカプラーに退化しており、これを取り付けることで案外楽に組成できました。NH61 21-2002 26-2003 25-639 26-899 25-808 26-900 27-33 36-33 37-2505 26-722 15-61 16-2003 25-640 26-2004 25-2003 22-2002
2024.10.12
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前年の77年から80年まで、小窓の1000番台が大量増備されて、開業初期からの車両を次々置き換えていった。3次車からは「こだま」編成を含むため、こだま編成にも大窓小窓が混在する編成が出現した。 前年同様にいくつかのパターンが存在し、ひかり編成では、博多開業時に組み込まれた車両を除く11両を置き換えるパターン。こだま編成からひかり編成に戻されたときに、組み換えて編成内に入った26形と15形の2両を置き換えるパターン、博多開業時に挿入された35形と26形のユニットを37形と26形に置き換えるパターンがあった。 こだま編成では、3次車以降しばらく「こだま」のための増備であったため、こだま編成では大量の置換が発生し、編成内の8両ないし11両が1000番台に置き換わることになった。 また37形は1000番台から客室を一列排してビュフェスペースを拡大した1500番台を79年に投入。また食堂車の通路壁に窓をつける、いわゆる「マウントフジ」工事がこの頃行われて、食堂車で食事をしながら富士山が眺められるようになった。 Tomixで2両だけ1000番台になっている変わり者編成をつくりました。
2024.10.11
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新幹線車両の寿命は12年程度と判断され、1964年開業時の車両を1000番台で置き換えることになった。 が、既に開業時の車両は各編成にバラバラに配置されているために編成によって、 A.博多開業時までに純粋に増結、振り替えを行った編成は16両中11両を廃車取り換え。 B.博多開業時に編成から押し出され、他編成に入れた35形のみを37形1000代に取り換え。 C.博多開業時に編成から押し出され、他編成に入れた35形+26形のユニットを37形+26型に取り換えという三パターンが発生した。 とりあえず、Aパターンの11両が1000番台、5両が0番台の編成を再現した。 かき集めて作ったはいいけど、Tomixから来年冒頭に発売されるNH編成はこの編成なので、ご興味がある方はどうぞ。送料無料◆セット販売 98885/98887 TOMIX トミックス 国鉄 0-1000系 東海道・山陽新幹線 基本セット(8両)+(NH編成) 増結セット(8両) Nゲージ 鉄道模型 【1月予約】
2024.10.10
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増備に増備を重ねて、「ひかり」編成は96本まで増えた。 一方で、冬場の関ケ原での窓破損が問題になっており、横幅の広い窓ガラスを取り換えるのには難があるため、窓を1列に1カ所とした1000番台が登場した。1000番台は3編成のみフル編成増備となり、「ひかり」編成は99本に到達した。 NゲージではTomix、マイクロエース、KATOが中間車のみのダウト編成を出しているが、1000番台純正編成はTomixで再現可能です。なお1000番台純正で16両編成を組んだのはこの時のみであり、窓が小さい食堂車36形と相方の27形は3両ずつしかいない貴重な存在でした。 0‐1000系はTomixからリニューアル再生産が予告されており、2025年1月発売予定となっています。 欲しい方は、是非。N編成の増結を買うと全部小窓になります。98885 国鉄 0-1000系東海道・山陽新幹線基本セット(8両)[TOMIX]【送料無料】《01月予約》98886 国鉄 0-1000系東海道・山陽新幹線(N編成)増結セット(8両)[TOMIX]【送料無料】《01月予約》
2024.10.09
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