どん底生活からよみがえり

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ひまわり0724

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2025.06.09
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カテゴリ: うつ病

終盤は精神病院で意識障害になり、共立病院と安佐市民病院に転院した。私は記憶にない。

主治医は脳に障害が残るかもしれないと言っていたそうだ。先代の出雲大社広島分祠長に母が相談に行ったが、私を救えるのは神様か母しかいないと言われ、母と夫はかなりショックを受けていたそうだ。

意識障害の時の診断書等を見るとベッドから落下し、顎の骨を骨折したようである。ベッドに固定されていたようだ。

精神病院に転院(車いすで運ばれたようだが記憶にない)しても暫くは隔離室で過ごした。脳に支障が出るかもしれないからと主治医が折り紙を折るように指示があった。
 鶴を折り続けた。脱毛、呼吸困難、腹痛、不眠がしばらく続いた。
 車いす状態で風呂に入るための脱衣が出来ず、脱衣の補助、髪の毛と体を補助看護士に洗ってもらっていた。
 しかし、コロナが流行り患者の半分はコロナに感染し、死亡者も出たそうだ。感染者と非感染者を分けたが、その境に風呂場があったので、コロナが収まるまでの1カ月間は風呂に入れず不衛生な状態だった。

 私は一生隔離室から出れないと覚悟を決めていたほど重症であった。
 隔離室にはナースコールがないため、助けを呼ぶことはできず耐えるしかなかった。
 過呼吸になったら私は死亡するだろうと思っていた。
 定刻に飲み物を渡されるが、扉には鍵が掛かっているため小窓から差し出されるだけであり、ほぼ刑務所状態だった。
 水分補給の時間は午前10時と午後3時のみで、夕食以降は水分補給が出来ず苦しんだ。
 看護士が1時間に1回巡回するが、声を掛けることなく通り過ぎるだけだったので、水分補給を要求するのが大変困難であった。


 コロナに感染した患者を優先するため、主治医の定期的に行われていた診察はなくなった。
 脱毛、呼吸困難、腹痛、不眠に耐え続けた。髪の毛が多く抜け、禿げるのではないかと女心に傷ついたので、母に帽子を買ってもらった。
 看護士の半分がコロナに感染し、他の病棟から応援に来ていた。
 母が絵手紙を送っていたが看護士の過重労働のためか放置状態であった。

 コロナが終息後、隔離室の開放時間で塗り絵をデイルームで始める。
 開放時間が増え徐々に回復したので一般病棟に移る。
 不眠症が続いていたので、主治医に睡眠薬を追加して欲しいと言ったことがあるが、主治医は健康に良くないからと薬を追加することはなかった。主治医は薬を増やしたら病院が儲かるだけで、患者にとって良くないから処方したくないと言われたことがある。

母は絵手紙を定期的に送ってくれていたので、塗り絵友達の患者に見せていた。
 その患者は母と同じ絵手紙の先生に習っていたことから、夫と母に塗り絵と手紙を出すことを勧められた。そんな発想はなく今まで夫にも母にも手紙を出したことはなかった。
 これを機に定期的に草花や野菜の塗り絵と手紙を出すことにした。体調不良で良い言葉がなかなか思い浮かばないが、心と体の苦しみを言葉にするしかなかった。それでも夫も母も大事に手紙を保管してくれていた。

塗り絵友達の患者は老人ホームで暴れて精神病院に入院したと教えてくれた。
 もう普通なのだから今の6人部屋では5人が精神病でつらい環境の中過ごすのは忍びないから老人ホームに帰ったらどうかと尋ねた。
 老人ホームが精神安定上望ましいが、入居費用が高額でこの精神病院に一生過ごすことにしたそうである。
 院長に一生、精神病院で過ごすことをサインさせられたと言っていた。
 旦那様が40歳過ぎに亡くなったため貧乏生活になり、娘さんが仕事をしているので介護してもらえないからという理由だそうだ。


 私は次第に回復し4人部屋で過ごしたが、知的障碍者が前のベッドの患者だったため国語と算数を教え始め、自分も漢字ドリルとロジックを始めた。脳を使っていなかったため、漢字の練習が必要だった。


 しかし違う患者が毎日、早朝と就寝前にそれぞれ約30分間私のベッドに訪れ、毎回同じ話を繰り返していたが、精神病院は鍵が掛かっているため私は逃げることができず困っていた。
 ある看護士に死ねと言われたと泣きながら幻聴、幻覚を言われ、また違う患者に荷物を盗まれたと被害を私に訴えられ続けた。看護士は彼女をあまり相手にしていなかった。
 また元看護士も患者として入院していたが、いつも同じ悩みを繰り返し私に言い、この2人の患者から精神的苦痛を毎日受け続けていたことで、私の病状がなかなか改善しなかった。






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Last updated  2025.06.09 12:40:20
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