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関西ならではの鍋といえば、てっちり、クエ鍋、ハリハリ鍋などがありますが、自分にとって最後(!?)の未体験鍋がぼたん鍋です。ぼたん鍋とはイノシシの肉が入った鍋のこと。肉を薄切りにして牡丹の花のように皿に盛りつけることにちなんで、名付けられたのだそうです。発祥地は丹波篠山地方ですが、今回は「ぼたん鍋ならココ」と評判の、大阪にある奈良県十津川村の郷土料理の店でいただくことにしました。ということで、まずはぼたん鍋の煮込み前の様子。ぼたん鍋の味付けは、味噌がベースになっていました。醤油ベースというところもあるそうです。猪肉は、豚肉よりも硬くて臭みのあるようなイメージがありましたが、実際にいただいてみたら、まったくそんなことはありません。食感は、豚よりもムチッとした感じです。このお店の猪肉は和歌山県と奈良県の境で捕獲されたあと、飼育して大きくなったものを殺し、冷凍保存したのちに出されます。お店の人によると、天然ものは血が多いと臭みが強くなってしまい、撃たれた部位によっての肉の質の善し悪しがまったく違うのだそうです。飼育してからだと、こめかみに一発なので、血が体中に回ることがないといいます。いただく前に、念入りに合掌。勢いに乗って、ぼたんのしゃぶしゃぶもいってみました。豆腐がとろけて、白濁してきます。この店のオリジナリティは、十津川村の温泉水(重曹炭酸水)で炊かれること。これが鍋のうまみを効果的に引き出してくれるのだそうです。お茶に使うと、渋みが強すぎるのだそうです。ほかにもユニークなメニューがありました。まずは熊野牛のたたき。さらには鹿肉のユッケ。卵とにんにくとねぎで味わいが豊かになります。ぼたん鍋を食べにいったら、十津川村のジビエを一気にいただいたような感じになってしまいました。味わいが実に豊かです。またひとつ奥深い食文化を味わうことができました。
2008年02月20日
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胸毛のハダカ男の写真が不快感を与えるとして、JR東日本が岩手県の蘇民祭のポスターを撤去したことが大きな話題になったことで、今年は裸祭りに注目が集まっています。この時期は全国各地で裸祭りが行われますが、その代表格と言えば、何と言っても岡山の西大寺会陽(さいだいじ・えよう)です。時折、死者まで出る激しさ...いったいどういうことが起きているのか、この目で見てみたいと思いました。西大寺会陽は日本三大奇祭の一つと言われます。裸の男たち8,000~9,000人が、激しく一対の宝木(しんぎ)を奪い合います。宝木を持ち帰った者は、その年の福を得られると信じられているため、奪い合いは真剣そのもの。このあたりの福男争いは、有名な西宮神社の徒競走や和歌山の神倉神社の山下りなどにも見られますね。西大寺会陽のルーツは奈良時代にまでさかのぼります。旧正月の大祈祷が終わる日に渡される護符(牛玉)を受け取った信者が、豊作になったり、厄を免れたりしたことから、年々希望者が増えて取り合いになりました。取り合いになると、牛玉の紙ではちぎれるということで、1510年に木製の宝木に代わり、現在の形になりました。祭りのクライマックスは午前0時の宝木投下。ということで、その1時間ちょっと前に着くことを想定しながら、午後10時に岡山駅前のビジネスホテルを出ました。会場(西大寺観音堂)へは、駅前からのシャトルバスで向かいました。10分間隔で運行されていて、運賃は250円。通常よりもぐっと安く、お得でした。30分以上かかりましたが、会場のすぐ近くまで行ってくれます。バスを降り、会場に向かうと「わっしょい!わっしょい!」という掛け声が聞こえてきました。門前の商店街に入ると「西からラグンが来ます。お気をつけ下さい!」...ラグン? 聞き慣れない言葉だな...ああ、裸の群れね。なんて考えてると、ふんどしに足袋姿の男たちが肩を組んで、次々と通り過ぎて行きます。相当寒そうです。この日はとりわけ寒く大きな声を出さないと体が温まらないだろうなあ...参加資格は特に決まっている訳ではないのか、外国人男性が物見遊山的にふんどし姿で盛り上がって、観客とハイタッチを繰り返していました。会場に入ると、本堂の正面の特別観覧席がスタンドになっています。なんと一席5,000円。早々に売り切れたそうです。500円の立ち見ゾーンもありますが、無料の観覧ゾーンよりも本堂から遠いのが難点。確かに少しだけ高い位置にあるので、見やすいことは確かですが、ちょっと遠すぎ。でも、無料の観覧ゾーンは目の前に警官が立ちふさがって、視界不良。しかし!こんなときのためにと用意した、祭り見物必須アイテムのステップスツールが活躍してくれました。周囲に迷惑がかからないように、警備本部を背にしながら、他より頭一つ抜けて見物することができました。会場では、裸の男たちの隊列が、左から右へと規則正しく誘導されていきます。本堂に入る前に、水垢離(みずごり)をしなくてはなりません。次々と入っていきます。水垢離を終えた隊列からは湯気が立ち上っていました。本堂は大床から裸の男たちがはみ出そうなくらいに混み合ってます。時を追うほどに、密度が濃くなっていきます。一番外側にいる男たちは、風がもろに当たるので、腕組みをして寒さをしのぎます。本堂内側ではもみ合いがおこります。肌と肌がくっつかないように、天井から水が撒かれます。すると、男たちから立ち上る熱気が見えます。自分は警備本部のすぐ前にいたので、死者が出ないようにと神経を尖らせる警察の動きがリアルタイムで伝わりました。面白かったのは、警備本部のアナウンス。言葉が独特なのです。「警備本部から第6中隊に告ぐ。西側第二の柱でハダカが倒れている。大至急、救出せよ」「ハダカはもみ合いをやめて、救出にご協力ください。救出が終わるまで、宝木は投下されません」「警備本部からハダカの皆さんにご連絡します。負傷者は無事救助されました。ご協力ありがとうございました」「警備本部からハダカに連絡する。けんかはやめなさい!」「ハダカ」は単数も複数も一緒なんですね。救出に向かう警官の数も半端ない。白い群れが一気に裸の男たちをかきわけていきます。倒れた男が救出されるとハダカの男たちから拍手が起こっていました。こうして裸の群れに圧倒されるうちに、午前0時を迎えます。混乱の中、本堂の電気がふっと消えました。その間、15秒。住職によって宝木が投下されます。一面真っ暗になるかと言えば、そうではなく、カメラのフラッシュでいっぱいでした。宝木の大きさは直径約4センチ、長さ約20センチ。しばらく騒然となって、激しい取り合いが起きましたが、遠くからは、どこに宝木があるか、まったくわかりません。わかるのは、ハダカの男たちが激しくもみ合う姿です。あとで聞いたところ、個人で宝木を持ち去るのはほぼ不可能で、ラグビーのモールのように、グループで宝木を守りながら運んで行くのが成功の秘訣なのだそうです。個人が宝木を持てば、その場でボコボコにされてしまうのがオチなのだそうです。恐ろしい...5分もすると、宝木はもうなくなったかな、という雰囲気にすらなります。ところが、本堂前の広場で、まだもみ合いが発生したり。どうなっているの?なんだかわからないうちに、本堂の大床から、ハダカの男がいなくなり、観客は家路につきます。会場のすぐ近くに設けられた事務所の前に、テレビカメラがいましたが、おそらくここに福男が宝木を持ってくるのを待ち構えているのでしょう。自分は体の芯からすっかり冷えてしまったので、早々に引き揚げました。岡山駅へ向かうシャトルバスですが、しばらくは祭りの観客のマイカー渋滞に巻き込まれていました。岡山駅前のホテルに着いたのは、午前1時50分頃でした。さすが日本三大奇祭と呼ばれるだけあって、すごい迫力です。外国人観光客が多いのにも驚きました。確かに、これは見応えのある祭りです。でも参加するのは寒そうだなあ...
2008年02月16日
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毎年2月11日に行われる砂かけ祭りは、大和の奇祭として知られています。その遠慮のない砂の舞いっぷりに、新人アナウンサーのレポートには格好のイベントとして、テレビ取材がよく来るのだそうです。いったいどのようなすさまじさなのか、実際に行ってみることにしました。砂かけ祭りが行われる廣瀬神社は、JR法隆寺駅からおよそ5kmの場所にあります。近くを走る路線バスもなく、砂かけが始まる午後2時まで時間がなかったため、タクシーを利用しました(計970円。帰りは歩いてかなり時間がかかりましたので、もし来年以降、行かれる方は駅前のレンタサイクルがオススメです)。地元では人気のお祭りらしく、神社の近くの道路が少し混み合っていました。この砂かけ祭り、その歴史はかなり古く、日本書紀の記述によれば、675年に天武天皇が五穀豊穣を祈願する「大忌祭」(おおいみのまつり)を行ったのが始まりだそうです。砂を雨に見立てて、多く舞うほどによい、というわけです。神社に着くと、すでに多くの参拝客が祭りの開始を待ち構えていました。雲一つない空の下、雨合羽をかぶり完全武装の参拝客ばかり。子供たちは水中メガネまでかけるという、かなりシュールな景色が広がります。カメラマンは、カメラにビニール袋をかぶせていました。嵐の予感...普通の神社とは異なり、境内は一面の砂。砂遊びをする子供たちの姿が目立ちます。拝殿前に4本の竹が立てられ、注連縄が張られます。砂プロレスのリングのようにも見えますが、これで田んぼを表しているのだそうです。太鼓の合図で、全身キルト地の白装束の男(=田人)が一人やってきました。田んぼのふちを一周し、所定の儀式が終わると、男は持っていた細長い鋤(すき)にたんまりと砂を乗せ、高々と空高く振り上げ砂が一気に舞います。子供たちを中心に、男めがけて砂をぶつけます。砂で雪合戦をしているような感じです。もうもうと砂ぼこりが舞います。男は田んぼを離れ、アクティブに周囲に活動範囲を広げ、砂をまき散らします。砂がかかった大人たちは「うわっ」という声をあげ、子供たちは「キャー!」と歓声をあげながら、男に向かって砂をもって立ち向かいます。境内は一気に混沌とします。しばらくすると、再び太鼓が鳴り、男が引き揚げます。これが3回繰り返されます。4度目は、白装束の男の前に、牛のかぶりものをした黒装束の男が現れました。砂かけの前に、田んぼで土を耕したり、田植えの所作をします。やがて、今までと同じように激しい砂かけが始まります。今度は2カ所で大きな砂ぼこりが舞います。これまた3回あります。7回目からは、登場人物が3人に。もうこうなると、わやくちゃです。暴れ方が華やかであるほど、雨が降り、豊作になるということで、羽目の外し方もハンパない感じです。自分もすっかり砂をかぶってしまいました。これも、3回繰り返されます。最後の二回は、参拝客の方が疲れていたような印象でした。続いては、早乙女が登場、田んぼに稲を植える所作を行います。最後は、広場中央に台が移動して、参拝客に松苗と田餅がばらまかれます。松苗は、松の葉を藁で巻いたもので、中に籾が入っています。これを玄関口に刺しておくと、厄よけのお守りになるのだそうです。松苗は2束ゲットできました。田餅は、持ち帰って家でいただくと、一年間無病息災でいられるとか。周りには、大きな袋をもってきて、そこに次々と獲得した松苗や田餅を放り込んでいく人もいました。がめついというか、欲深いというか...帰路につくと、鞄には砂がたくさん入り、頭や顔、体には砂ぼこりをたっぷりかぶりました。でもどこか童心に返ることのできる、無邪気で楽しいお祭りでした。
2008年02月11日
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関西の節分は、関東に比べると、様々なイベントが行われます。大阪では恵方に向かって太巻きを丸かぶり。祇園では芸舞妓さんが「お化け」に扮して、特別な出し物を披露します。それにならって、北新地でも「お化け」があります。各寺社では様々な節分祭が行われますが、中でも京都の吉田神社には、およそ100万人と実に多くの参拝客が訪れます。2月4日の夜11時には幅5m、高さ5mの巨大なとんど焼きが行われるということで、見に行くことにしました。午後9時、神社の入口に着くと、多くの参拝客が吸い込まれるように神社に向かいます。それを迎え撃つように、参道には延々と屋台が続きます。700軒もあるということですが、そんなにあるかなぁ...今宮戎神社の「えべっさん」に似た賑わいです。京都らしいのは八ツ橋の屋台があること。鳥居をくぐった境内にも、屋台が所狭しと並んでいました。境内の一角に、大きな「商品陳列所」があります。時計に洗剤に海外旅行に...実に種類が豊富で、物欲をあおるかのようで、神社らしくない光景です。これは、抽選券付きの福豆を買って、後日の抽選で当たるともらえるということです。早速、自分も運試しとして、和服姿の女の子が売っている福豆売り場でひとつだけ買いました。本宮でお参りを済ませ、さらに屋台の並ぶ坂を右手にしながら、お菓子の神様を祀るという「菓祖神社」へ。スイーツ好きは必ず訪れたい神社です。ここで豆茶をいただくことができます。冷えた体にはとてもありがたい接待です。続いては、料理・飲食の神様を祀る山蔭神社へ。吉田神社の創建(859年)に貢献した藤原山蔭卿が、調理・調味に秀でたとされることに由来しています。ここはグルメな人は必ず訪れたい神社です。目の前のテントで、河道屋が年越しそばを出しています。節分で年越しとは、新しい感覚です。ここで、そばをいただき(600円)、さらに体を温めます。さらに屋台の並ぶ坂を上がります。屋台は、お酒や恵方巻き、干物に土手焼きと、独特のバリエーションです。やがて、そこを一回りすれば日本全国の神社をお参りしたのと同じことになるという、大元宮(だいげんぐう)へ。普段、ここは門が閉ざされていて、入ることができません。中央に八角形の本殿があって、それを囲むように全国3132座の神々が祀られています。この変わった形で、大元宮は重要文化財に指定されています。参拝客は多いのですが、本宮よりも厳かな空気が流れていました。再び、屋台の道をもどり、節分大祭のなかでも最も重要な儀式のひとつ、火炉祭の行われる、直径5m、高さ5mの巨大な八角形の火炉の横へ。参拝の順序としてはおかしいのですが、なにせ祭は夜11時スタート。儀式を見届けてから参拝すると、終電に間に合いません。神様のルールも大切ですが、こちらにも事情がありまして...火炉は、絵馬やお守りなどがギッシリ積み上げられる形になっています。このひとつひとつに願いがこめられていると思うと、ズシッと心に響く重さを感じます。午後11時、神事が始まりました。神職がお祓いをするなどの儀式を終えた後に、火炉にたいまつの火が近づけられ、点火されます。火炉は下から上に向かって燃え広がりました。目の前で立っていると、熱くて溶けそうです。寒くて冷えきった体が、表面だけ強烈にあぶられたような感じになります。巨大なキャンプファイヤーのようにも見えて、近くの酔っ払った学生が「よいさー!」と叫んでいました。火の勢いは強いのですが、燃え広がらないように、火炉の上に網がかけられていたり、横から水がかけられたりします。火にみとれていると、あっという間に11時30分。終電が危ない。店じまいを始めた屋台街を横にみながら、ダッシュで家路につきました。これだけの人出と、屋台やイベントの充実ぶり、厄よけにも歴史と文化を感じさせる、実に京都らしい行事でした。
2008年02月03日
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紀伊半島の南東に位置する、尾鷲。大都市圏からのアクセスが遠く、旅行ガイドに詳しい情報が載らない町です。そんな町が一気に熱くなる「ヤーヤ祭り」が2月1日から行われています。1661年(寛文6年)に始まったという歴史があるにもかかわらず、「なんじゃそりゃ?」と言いたくなってしまう祭りの名前。「紀州の奇祭」として有名で、ホームページの動画を見てみると、若者から大人までが白い祭り装束で真剣におしくらまんじゅうをしていました。これはツッコミどころ満載ではないか?奇祭ウオッチャーとしては、どれだけ迫力があるものか、やはり生で見たい!アクセスが悪くても一度は行かないと何も語れない、ということで、行ってみることにしました。この日は2日目です。午後7時から3カ所の会場で同時に行われます。地区ごとにわかれた、およそ30人の男たち(=練り子)同士が「練り」(激しいおしくらまんじゅう)を繰り広げます。「ヤーヤ」の由来は、戦国時代に武士がいくさで名乗りを上げるときの「やあやあ、我こそは...」の「やあやあ」だというのです。祭りの前に、町の中心にある「まちかどHOTセンター」でオススメの場所を聞いておきました。道幅が狭く、練りの迫力を感じやすい北浦町の会場を薦められました。幅4mほどの道路に、丸太の足場がつくられていました。テレビの取材クルーが2組、新聞のカメラマンが2人、脚立を立てて場所取りをしていました。取材班が来るということは、場所選びとしては正解だったと言えるでしょう。祭りに行くと必ずといっていいほど目障りに動き回るカメラオヤジがほとんどいないのが良かったです。会場の中央で、町の重鎮らしきオジサンがマイクで練り子をコントロールします。「そろそろ、××町の衆がやってきます。みなさん、用意はいいですか~」「はいはい、ずーっと下がって。力を充分にためないと、良い練りにならないよ」「じゃ、いくよ!『チョーサじゃ~!』」すると、ビジターとホームで道路の両端に分かれた練り子たちが呼応します。練り子の中にはかなり酔っぱらっている人もいました。「チョーサじゃ~」と繰り返し叫びながら、じりじりと中央に寄っていきます。はやる気持ちを押さえきれない、という感じで、ハッピを着た制止役を振り切ろうとします。このへんの加減が難しそう。「チョーサじゃ!」...リサーチャーやマーケッターが聞いたら青ざめるような言葉ですが、その由来には「私はことし丁歳(ちょうさい=15歳:ヤーヤ祭りに参加できる年齢)を迎えました」とする説と、「新年おめでとう(超歳:年越し)」とする説があるそうです。そういえば、姫路の魚吹八幡神社の秋まつりでも同じ言葉が使われていましたね。両端からにじり寄ってきた練り子がぶつかると(このへんは相撲の立ち合いによく似てます)、しばらくおしくらまんじゅう。一斉に入り乱れながら「はいっ、はいっ」と声を合わせ、同じタイミングで小刻みにジャンプします。10秒~30秒くらい続きます。仕切り役が鳴らす鐘の音で、練り子たちは分かれます。良い練りになるかどうかは、両側からぶつかるタイミング、力強さ、双方の息が合っているかどうかが、ということにかかっているようです。「練り」は3度ほど行われると、次の練り子集団がやってきます。すると、さっきまでビジターだった練り子たちは、ホーム側に加わります。こうして、練りは時が経つほどに規模が大きくなっていきました。人数が多いほど、練りは迫力を増します。熱気も増して、練り子たちは汗でびっしょりになっていました。そういえば、地元の観光ガイドさんが「昔は8日間やって、毎日足がたたなくなるほどに練りを繰り返したな~」などと話していました。練りは午後8時15分に終了。合計何回あったかな? 練り子たちは列をなして漁港に向かいます。何が行われるかと思って見ていると、何人かが素っ裸で寒い海に飛び込んで行きました。うわー、めちゃめちゃ寒そう。心臓とか大丈夫なの?これは、練り子グループの幹部たちが尾鷲神社に参拝する前に、身を清めるという意味があるのだそうです。飛び込む人数は、地区によって異なりました。3人のところもあれば、12人のところもありました。海から上がった彼らは、祭り装束に再び袖を通しながら、唇を紫色にして「あー、さぶっ!」と全身で震えていました。彼らの勇気に拍手です。ヤーヤ祭り、神輿も山車もありませんが、港町のお祭りらしく、威勢が良くて、豪快で見応えがありました。間近で見られたのもよかった。アクセスの悪さを乗り越え、見に行った甲斐がありました。
2008年02月02日
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三重県尾鷲。紀伊半島の南東部に位置する小さな町です。紀伊半島は山と海が接するようにつながっていて、少ない平地に人間が肩を寄せ合うように暮らしています。道路や鉄道が谷を縫うようにくねくねと通っているために、大都市圏からのアクセスが悪く、名古屋からでも列車で2時間半近くかかります。この町を紹介する旅行ガイドブックはほとんどなく、ネットを通して手がかりを探るのがやっと。そんな町が一気に熱くなる「ヤーヤ祭り」が2月1日から行われています。名前からして面白そう。しかも、この日は月に一度、地元や付近の買物客でにぎわう「イタダキ市」の開催日! 一日に二度おいしい、尾鷲にとってイベント満載の一日。いくら遠くても一度は行かなくては、この町を語ることはできない、と思い、行ってみることにしました。1)イタダキ市毎月第一土曜日に行われるという「尾鷲イタダキ市」。地元の人たちから、県外の客まで買い出しにやってくるという、お得度満載の臨時マーケットが昼過ぎまで開かれているというのです。これに間に合わせるべく、午前8時30分難波発の近鉄特急に乗車。松阪でJR特急「南紀」に乗り換えて、尾鷲に着いたのが11時43分でした。大阪からはこれが最短です。駅で地図やパンフレットをかき集め、足早に「イタダキ市」の会場へ向かいます。通りには人が少なく、本当に月に一度のマーケットは開かれているのか...港までの徒歩10分あまりが長く感じました。漁港の水揚げ場に、地元の魚屋やら、寿司やら、パンやら、いろんな出店が並んでいます。20軒以上は出ているのではないのか、というくらいにひしめきあっています。これは楽しそう!と、勇んでマーケットに入ってみると、名物のさんま寿しは売り切れ、ほかの店先も品数が少なめでした。さすが月に一度、バーゲンの戦いが終わった後のような雰囲気が漂っています。そうは言っても一軒一軒を覗いてみると、魚の呼び名が変わっている。カサゴは「ガシ」、カワハギは「ハゲ」...値札は地元の呼び名でしかついてないので、なんだかわからないことも。「バチマグロのブロック」「ウツボ」や「マンダイ(マンボウの一種)の干物」「からすみ」などを即決で買ってみました。一角には宅配便の受付まであって、東京や大阪まで750円で配送するとのこと。これだと県外の人でも買いにくるかもしれません。12時30分にもなると、店をたたむところが続出。あっという間にモノと時間がなくなった感じです。もう少しゆっくり見たかったなあ。客がごった返して活気あふれるところも見たかった...*後日、地元の人しか食べないという、ウツボの塩焼きを食べてみました。ゴムのようにしっかりとした肉は、筋肉質のかたいタラのようでした。「独特の臭みがある」ということでしたが、それほど感じませんでした...2)尾鷲を散歩する「ヤーヤ祭り」は午後7時開始。それまで時間があるということで、尾鷲を散歩してみました。まずは祭りを主催する、尾鷲神社へ。正面の鳥居のそばに、樹齢数百年にもなるという立派なクスノキがありました。まだ午後1時すぎだというのに、どこに行ったら面白くなるか、わからなくなって町の中心部にある観光情報スポット「まちかどHOTセンター」へ。イタダキ市で買った炊き込みご飯を食べながら、地元のガイドさんと話しました。「今夜はひょっとしたら雨だな」「そうなったら、お祭りはやるんですか?」「うーん、どうだろ。どしゃぶりになったらわからんね」「え~、大阪から見に来たのに~」「こっちの雨はすごいんだよ。それを体験するのも面白いよ」「どれだけスゴいんですか」「土砂降り。ここに尾鷲名産の傘があるんだけど(と言って開いて見せる)、表裏二重に生地が張っていて、しかも骨の数が多い」豪雨が観光名物というのも面白い気はするけど、祭りのほうが見たいなあ。暑い季節の豪雨なら、雨でシャンプーできるか試してみるとか遊べるけど、この寒さだと辛すぎる...結局、どこを回ったら面白いかは自分で判断することにして「熊野古道センター」行きのバスに乗ろうと、バス停で待っていると、回送車が来ました。そこで思いがけない運転手さんの一声がありました。「お兄さん、この後のバス、日曜は運休だよ」「ええええ? 次は1時間後?」「そう」困ったことに、尾鷲にはレンタカーがありません。イタダキ市に間に合わせるべく、鉄道を乗り継いだために、足がなくなってしまったのです。あわてて再び「まちかどHOTセンター」に行って、レンタサイクルを利用(これも、16時には所定の場所に返却しなくてはならない...)することに。2時間で210円(だったかな?)。自転車は熊野古道センターの隣の「夢古道・熊野」という施設にも返却できるということで、時間に余裕ができました。そこで、近くの熊野古道「八鬼山越え」の道を1時間だけ歩いてみることにしました。「八鬼山越え」とは、熊野古道で最も険しい道で、今までに7人がこの道中で亡くなったそうです。途中には供養塔があります。標高600mあまりの山を上って下りるのに、5時間半もかかるそうです。ママチャリで上がるには少し辛い道をのぼると、スタート口があります。初めての熊野古道。歩みを進めて行くと、気持ちが少し改まったような気がします。ところが、蛍光スプレーでの心ない落書きが目立つ箇所がありました。道ばたの石や木に次々と落書きをしているのです。「たかりユネスコ」「たかり文化庁」などと書かれてました。なんのこっちゃ。せっかくの世界遺産が台無しです。なんでこんなしょうもないことをするんだろう? ともあれ、熊野古道は空気もきれいだったし、寒いけどいい運動になりました。カラダが暖まった感じです。尾鷲の中心街に戻るバスの時間を逆算して(なにせ1時間に1本しかない。しかも運休してたりする)、熊野古道センターを見学。熊野古道の歴史や文化、周辺の自然がわかりやすく展示されてました。バスに乗って、とりあえず、港の近くのビジネスホテルにチェックインしました。夜のお祭りに備えて、少し休憩です。(その2につづく)
2008年02月02日
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