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隠居人はせじぃさん
GママさんComments
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福島・郡山に出張しました。
前夜泊で郡山に入り駅前のビジネスホテルに宿泊。
そして翌朝はいつもの早朝散歩。6:30にホテルを出発。
ホテル近くのフロンティア通りには2つの彫刻が。
「街」SEIJI SATO 作


「将軍の孫」北村西望 作

郡山駅。


駅の近くにある池ノ台緑地。既に公園の木々の紅葉が始まっていた。



公園内にあった彫像。郡山出身の三坂 耿一郎の作品『チュールの少女』


荒池公園。
荒池はかんがい用池として1662年に築造。当時の郡山は河川はおおくあるものの、
水田に水を引くにはいたらず、荒野のままだった。しかし、満々と水をたたえる荒池周辺は
この水を有効に利用。時代は変わり農業用水としての役割は薄らいだものの、現在でも
市民の憩いの場として親しまれていると。

池の近くにあった石碑には「掩八紘而爲宇」(八紘(あめのした)を掩(おお)ひて
宇(いえ)と爲(なさ)む)という言葉。世界は屋根の下に暮らす家族のごとく
平和であって欲しいという崇高な世界平和を願った言葉なのであった。


三坂耿一郎 の作品 『遊ぶ』がここにも。


麓山公園(はやまこうえん)。
旧二本松藩主・丹羽長祥の馬場であった場所。
日本の歴史公園100選に選定されていると。

鴨が水面にのんびりと。


近くの噴水。


郡山市水道局の壁画。


こおりやま文学の森資料館。
2000年(平成12年)、鎌倉市にあった久米正雄の邸宅が親族から郡山市に寄付され、
郡山総合体育館に隣接するこの地に移築されたことをきっかけに設立されたとのこと。


せせらぎ広場。


せせらぎこみち。
総延長3kmの遊歩道。水と緑をテーマにしており、小道には水が流れ、様々な花木が
植えられていた。散歩道や通学・通勤などに利用されていたのであった。


ミュージカルがくと館。
郡山市の音楽・文化交流館。


郡山総合運動場内の開成山陸上競技場。
収容人員 15,500名.
私が働き始めた年1974年の8月4日から10日にかけて、日本初の本格的な
ロック・フェスティバルとしてワンステップフェスティバルのロックコンサートが開かれた場所。


開成山野球場。


久米正雄の句碑。
久米正雄や宮本百合子などの作家たちは青年時代、開成山一帯を散歩して感性を
養い、素地を育てたと。
『松柏の嵐の底や返り花』


開拓の心の碑。
九州・旧久留米藩を筆頭に全国9藩から約2,000人が郡山に移り住んで来たと。
奥州街道沿いにあって、藩政末の中心地人口が5千人に満たなかった宿場町・郡山は、
現在、33万人の中核市へと発展しているのだ。激動の明治初期、
『一尺を開けば一尺の仕合(仕合わせ)あり、一寸を墾すれば一寸の幸あり』
この言葉を信じて、荒涼たる原野を拓き、疏水を穿った多くの先人たちが。
この「開拓の心」の碑は、当時を沸々としのばせるのであった。


野外音楽堂。


鴨が仲良く。緑色の頭、白い首輪からマガモか?


公園のシンボル的な赤の橋を渡る。


郡山は猪苗代湖の水を引いて発展しただけに、本当に水が豊か。
この開成山公園は数ある市内の公園の中でももっとも水が豊富で、大規模な公園。
この開拓者の群像は公園のシンボルでもあり、郡山のシンボルでもあるモニュメント。
高さ20mはある石塔。中央の石塔の頂上には、市の鳥『カッコウ』が。


開拓者の群像。これも三坂耿一郎 の作品のようだ。

現在の郡山の始まりの安積開拓はこの地、大槻原と呼ばれた、開成山の地から。


開成山大神宮 。
明治9年、伊勢の神宮の御分霊が奉遷され、以来「東北のお伊勢さま」と称され、
多くの参拝者が訪れていると。


そしてこの日の散歩を終え、同僚に車で迎えに来てもらいこの日の仕事場へ。
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