JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

箱根一泊旅行 (その5… New! オジン0523さん

2026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

【椿 名前が分からぬ… Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

Calendar

2013.10.22
XML
カテゴリ: 国内旅行

 福島・郡山に出張しました。

前夜泊で郡山に入り駅前のビジネスホテルに宿泊。

そして翌朝はいつもの早朝散歩。6:30にホテルを出発。

ホテル近くのフロンティア通りには2つの彫刻が。 

「街」SEIJI SATO 作 

DSC04776_R.JPGDSC04776_R.JPG

「将軍の孫」北村西望 作 

DSC04777_R.JPG

DSC04777_R.JPG郡山駅。 

DSC04778_R.JPGDSC04778_R.JPG

駅の近くにある池ノ台緑地。既に公園の木々の紅葉が始まっていた。 

DSC04782_R.JPGDSC04782_R.JPG

DSC04784_R.JPG

DSC04784_R.JPG公園内にあった彫像。郡山出身の三坂 耿一郎の作品『チュールの少女』

DSC04785_R.JPGDSC04785_R.JPG

荒池公園。

荒池はかんがい用池として1662年に築造。当時の郡山は河川はおおくあるものの、

水田に水を引くにはいたらず、荒野のままだった。しかし、満々と水をたたえる荒池周辺は

この水を有効に利用。時代は変わり農業用水としての役割は薄らいだものの、現在でも

市民の憩いの場として親しまれていると。

DSC04791_R.JPG

DSC04791_R.JPG池の近くにあった石碑には「掩八紘而爲宇」(八紘(あめのした)を掩(おお)ひて

宇(いえ)と爲(なさ)む)という言葉。世界は屋根の下に暮らす家族のごとく

平和であって欲しいという崇高な世界平和を願った言葉なのであった。 

DSC04792_R.JPGDSC04792_R.JPG

三坂耿一郎 の作品 『遊ぶ』がここにも。 

DSC04793_R.JPGDSC04793_R.JPG

麓山公園(はやまこうえん)。

旧二本松藩主・丹羽長祥の馬場であった場所。

日本の歴史公園100選に選定されていると。

DSC04795_R.JPG

鴨が水面にのんびりと。 

DSC04797_R.JPGDSC04797_R.JPG

近くの噴水。 

DSC04798_R.JPGDSC04798_R.JPG

郡山市水道局の壁画。 

DSC04799_R.JPGDSC04799_R.JPG

こおりやま文学の森資料館。

2000年(平成12年)、鎌倉市にあった久米正雄の邸宅が親族から郡山市に寄付され、

郡山総合体育館に隣接するこの地に移築されたことをきっかけに設立されたとのこと。

DSC04801_R.JPGDSC04801_R.JPG

せせらぎ広場。 

DSC04804_R.JPGDSC04804_R.JPG

せせらぎこみち。 

総延長3kmの遊歩道。水と緑をテーマにしており、小道には水が流れ、様々な花木が

植えられていた。散歩道や通学・通勤などに利用されていたのであった。

DSC04805_R.JPGDSC04805_R.JPG

ミュージカルがくと館。

郡山市の音楽・文化交流館。

DSC04806_R.JPGDSC04806_R.JPG

郡山総合運動場内の開成山陸上競技場。

収容人員 15,500名.

私が働き始めた年1974年の8月4日から10日にかけて、日本初の本格的な

ロック・フェスティバルとしてワンステップフェスティバルのロックコンサートが開かれた場所。

DSC04808_R.JPGDSC04808_R.JPG

開成山野球場。 

DSC04811_R.JPGDSC04811_R.JPG

久米正雄の句碑。

久米正雄や宮本百合子などの作家たちは青年時代、開成山一帯を散歩して感性を

養い、素地を育てたと。

『松柏の嵐の底や返り花』

DSC04812_R.JPGDSC04812_R.JPG

開拓の心の碑。

九州・旧久留米藩を筆頭に全国9藩から約2,000人が郡山に移り住んで来たと。

奥州街道沿いにあって、藩政末の中心地人口が5千人に満たなかった宿場町・郡山は、

現在、33万人の中核市へと発展しているのだ。激動の明治初期、

『一尺を開けば一尺の仕合(仕合わせ)あり、一寸を墾すれば一寸の幸あり』

この言葉を信じて、荒涼たる原野を拓き、疏水を穿った多くの先人たちが。

この「開拓の心」の碑は、当時を沸々としのばせるのであった。 

DSC04815_R.JPGDSC04815_R.JPG

野外音楽堂。 

DSC04816_R.JPGDSC04816_R.JPG

鴨が仲良く。緑色の頭、白い首輪からマガモか? 

DSC04817_R.JPGDSC04817_R.JPG

公園のシンボル的な赤の橋を渡る。 

DSC04822_R.JPGDSC04822_R.JPG

郡山は猪苗代湖の水を引いて発展しただけに、本当に水が豊か。

この開成山公園は数ある市内の公園の中でももっとも水が豊富で、大規模な公園。

この開拓者の群像は公園のシンボルでもあり、郡山のシンボルでもあるモニュメント。

高さ20mはある石塔。中央の石塔の頂上には、市の鳥『カッコウ』が。

DSC04826_R.JPGDSC04826_R.JPG

開拓者の群像。これも三坂耿一郎 の作品のようだ。

DSC04828_R.JPG

DSC04828_R.JPG現在の郡山の始まりの安積開拓はこの地、大槻原と呼ばれた、開成山の地から。

DSC04829_R.JPGDSC04829_R.JPG

開成山大神宮 。

明治9年、伊勢の神宮の御分霊が奉遷され、以来「東北のお伊勢さま」と称され、

多くの参拝者が訪れていると。

DSC04832_R.JPGDSC04832_R.JPG

そしてこの日の散歩を終え、同僚に車で迎えに来てもらいこの日の仕事場へ。 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.09.01 07:09:33 コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: