PR
Keyword Search
New!
隠居人はせじぃさん
GママさんComments
Calendar
時の鐘。
時の鐘は、寛永4年から11年(1627~1634)の間に川越城主酒井忠勝が、城下
多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初。 現在の鐘楼は、明治26年(1893)に
起きた川越大火の翌年に再建されたもの。
3層構造で、高さ約16メートル。創建された江戸時代の初期から、 暮らしに欠かせない
「時」を告げてきた川越のシンボル。 現在、1日に4回(午前6時・正午・午後3時・
午後6時)、蔵造りの町並みに 鐘の音を響かせているのです。
平成8年に、時の鐘は環境庁主催の「残したい"日本の音風景100選"」に選ばれました。


一度見たら忘れない、大きな文字で書かれた「フカゼン」。
川越市の有形文化財にも指定されている蔵造りで、観光客が賑わう時の鐘近くに。
明治28年に建造された小谷野家住宅は、屋号を「深善」とし、美術表具店を営んでいたと。
元は太物商卸問屋「山仁商店」を営む高山仁兵衛が建てた物を、小谷野家が譲り受けた
のだと。
伝統的な蔵造り商家の外観が保存される中、特徴的なのが2階部分。一般的には重厚な
観音開扉が設けられるのに対し、小谷野家は生活の利便性を重視し、開放的な窓。
その分心配されるのが火災対策。それを補うため窓の両端には袖壁(火の廻り込を防ぐ)が
設置されているのだ。

鳶の纏のマンホール。


公園にはペットボトルに色水を入れたハートマーク?作品が展示されていた。


法善寺入り口。

蔵造りの街並みから陶鋪やまわの角を脇道を入っていくと、真っ直ぐに伸びた門前通り
の先に現れた長喜院山門。


蔵造りの町の中心に青緑色のドームが目立つ建物、埼玉りそな銀行川越支店
(旧第八十五銀行)がそびえ建っていた。
建物は大正7年(1918)に第八十五銀行の本店として建てられたと。
鉄骨鉄筋コンクリート造り、三階建て、搭屋・金庫室付き。高さ25m、面積291m2。
近代金融史のシンボル的な洋風建築で、ネオ・ルネッサンス、サラセン風デザインは、
保岡勝也氏による設計。

菓子屋横丁の裏手すぐのところにあった養寿院の立派な山門。
山門には大きく「不許葷酒入山門」(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)と書かれていた。
ネギ・ニラなど臭気のある野菜と酒の臭いのする者は入門禁止と。


山門前の銀杏の木は既に葉を落としていた。


菓子屋横丁に向かう。菓子屋横丁は、元町にある菓子屋・駄菓子屋が立ち並ぶ商店街。

途中の店前の巨大な五円玉に載る蛙いやカメレオン?。


店の前を流れる小川には大きな鯉の一群がのんびりと。


至る所に巨大な動物が。


1796年(寛政8年)、養寿院の門前町として栄えていた当地に鈴木藤左衛門が、
江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことに始まると。
その後、のれん分けで周囲に菓子屋が増えていったとのこと。

関東大震災以後は被害を受けた東京に代わって千歳飴、金太郎飴、水ようかん、かりん糖
など江戸菓子の製造供給を賄い全国に出荷。昭和初期には70軒以上の店があったと。
現在は20数件ではあるが、石畳の風情のある町には伝統的な手法で菓子を作り続けて
いる店舗が並び、ノスタルジックな観光地となっているのだ。
環境省の「かおり風景100選」に選定されているとのこと。

再び時の鐘入り口に戻る。


歌姫の像。
川越出身の方の作品。それにしても変わったドレス・・・・・。


大江戸(東京)に対し小江戸と呼ばれる川越、その市街地に蔵造りの建物が並ぶ一角。
「蔵造りの町並み」といわれる仲町から札の辻までの通り沿いには、それぞれ個性のある
30数棟の蔵造りの商家が軒を連ねているのです。


仲町交差点まで再び歩き、ここからはTXでJR川越駅まで戻ったのであった。
右側は角にあるマツザキスポーツ川越店。


蔵造りは「倉」に用いるのが普通ですが、川越では一般の町家で家全体を土蔵造りに。
特に黒くて厚い壁、大きな鬼瓦と高い棟、どっしりとした風格のある蔵造りが、これだけ
軒を連ね残っているのは他の都市では見られない景観。また、蔵造り以外にも、
近代洋風建築や和風住宅、寺社、そして時の鐘など各時代を代表する多様な建築様式
の建物を見学することができたのであった。まるで町そのものが博物館のようであった。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04