JINさんの陽蜂農遠日記

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2016.07.10
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カテゴリ: 国内旅行

湿性花園の見学の後は、箱根の国道1号線を利用し芦ノ湖から三島方面に

向う下り坂の途中にある、山中城址(やまなかじょうあと)へ向かう。

山中城は、静岡県三島市山中新田にある中世の日本の城(山城跡)で、

国の史跡に指定されているのである。 

DSC07371_R.JPG

山中城跡公園案内所・売店のすぐ裏には箱根旧街道石畳がここにも。 

DSC07366_R.JPG

箱根旧街道は、小田原宿から箱根山を越えて「三島宿」にいたる標高845mの

「箱根八里(はこねはちり)」の区間32kmのこと。

ここはその下り四里の途中。

延宝8年(1680)に初めて石だたみが敷かれ、文久2年(1862)に大改修された。

DSC07367_R.JPG

山中城址入口から散策開始。

DSC07373_R.JPG

北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。

永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城。

北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で

造られていた。

1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる7万の軍勢が山中城を攻撃、

守将である北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら4千は奮戦し、

豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出すものの、猛烈な力攻めの結果

わずか半日で落城したのであった。

山中城跡は現在国道1号線で南北に真っ二つに分断されている。

しかし昔の箱根旧街道も1号線に沿って通っていることを考えると、元々街道そのものを

城に取り込み、この峠道を通ろうとすればいやおうなく山中城の中を突っ切らなくては

ならないように築城したものであること間違いなし。

DSC07374_R.JPG

まずは本城である北側の城跡へ進む。

三の丸堀にそって細い坂を上る。

三の丸堀は、三の丸を防御する堀で、三の丸の西側を出丸まで南北に走り、

長さ約180m、最大幅約8m。

自然の谷を利用して、中央に畝を設けた二重堀になっており、畝を境に東側の堀は

田尻の池からの水を流す水路となっていた。

二重堀のうちの西側堀の南端から撮ったもので、現在通路になっている畝の右側が

東側の堀となっていると。 

DSC07378_R.JPG

「田尻の池」には睡蓮が咲いていた。

山中城にはと「田尻の池」と「箱井戸」というふたつの池があり、箱井戸は飲料水用、

田尻の池は洗い場・馬用として使われていたと。 

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ヒツジグサ(未草)であろうか。

スイレン科スイレン属の花は世界に何十種類もあるが、日本にはヒツジグサ(未草)と

呼ばれる比較的小さな白い花を付ける一種のみが古来から生育していると。

普段良く見る大柄のスイレンは明治時代以降に輸入された園芸種で、

日本古来のヒツジグサを含め広くスイレンと呼んでいるのだと。

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ピンクの花も。 

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本丸と二の丸の間の空堀。

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本丸と北ノ丸を結ぶ架橋(かけはし)が木製で復元。

山中城の堀には、土橋が多く構築され、現在も残っているが、重要な曲輪には

木製の橋も架けられていた。木製の橋は土橋と較べて簡単に破壊できるので、

戦いの状況によって破壊して、敵兵が堀を渡れなくすることも可能であり

曲輪の防衛には有利であったと。

DSC07400_R.JPG

天守櫓跡。

標高586m、天守櫓の名にふさわしく、山中城第一の高地に位置。

天守は独自の基壇の上に建てられており、この基壇を天守台という。

基壇は一辺7.5mのほぼ方形となり、盛土によって50~70cmの高さに構築され、

その四周には、幅の狭い帯曲輪のような通路が一段低く設けられているとのこと。 

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本丸堀。

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北ノ丸跡。

標高583m、天守櫓に次ぐ本城第二の高地に位置。

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北ノ丸堀。

山城の生命は堀と土塁にあるといわれる。堀の深さが深く、幅が広いほど曲輪に

つくられる土塁が高く堅固なものとなる。400年の歳月はこの堀底を2m以上埋めているので、

築城時は現況より更に要害を誇っていたに違いない。

この外堀は山中城全域を囲むように掘られ、水のない空堀となっている。

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本丸跡から障子堀跡に向かう。 

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溜池(ためいけ)跡。

ここは溜池(貯水地)の跡。山田川の支流の谷がここまで延びてきていたものを

盛土によって仕切り、人工土手を作って深い堀としたものであると。 

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元西櫓下の堀。

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さらに、西の丸に向けて歩いて行った。

そしてしばらく進むと西の丸跡に出た。 

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山中城は、城の外構が石垣に代わる前に築城された、土塁で守られた城。 

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西の丸からの展望。天気が良ければ写真右側に富士山の勇姿が・・・・。 

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西ノ丸は山中城の西方防衛の拠点で、西端に盛土をして見張り台とし、

ここを中心に曲輪の三方をコの字型に土塁で囲んで築かれていた。

曲輪は東に向かって傾斜しており、東側にある溜池に雨水等を集める仕組みに。    

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西の丸畝堀。     

西の丸周囲は、畝堀や障子堀が取り囲んでいた。

この西の丸畝堀は5本の畝によって区画されています。畝の高さは堀底から約2mあり、

さらに西の丸との高低差は9mほどあります。現在は、芝生が張られていますが、

当時は滑りやすいローム層が露出しており、もし人が堀に落ちれば脱出不可能であったと。

山中城で特に素晴らしいのは、ここ西の丸の周りにある障子堀が再現されていること。 

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更に西櫓に向かって進む。 

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Last updated  2016.07.10 19:38:29 コメントを書く


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