JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.06.25
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​ ​ 『旧東海道を歩く』ブログ 目次 ​

『東本徳寺』
入口に『髭題目碑』と『清正公三百年祭記念碑』が立っていた。



『清正公三百年祭記念碑』



槇に囲まれた参道を歩く。



『山門』。



『本堂』。行学院日朝上人の開基になります。
芝生の緑と、青空。そして本堂、綺麗な境内。



『永代霊塔』



『逆境を嘆くことなかれ、強敵に磨かれ人は鍛えられる』・・・しかり!!。



東本徳寺の裏手には、西本徳寺があった。
入口に『髭題目碑』と『海中出現 釈迦牟尼佛安置碑』が立っていた。



『本堂』。
海中出現の釈尊の立像が祀られている。
寺伝によると、鎌倉時代の仁治2年(1241)4月8日、遠州灘の浜において漁師の網に
かかって引き上げられたという。



本堂を斜めから。
村人たちが堂を建てお祀りするうちに歳月が流れたが、630年を経て、平成15年に
建設計画が立てられ、平成21年に本堂・位牌堂が完成したと。
西本徳寺は東本徳寺と開創時の由緒は全く一緒、身延山第十一代行学院日朝上人が
南北朝期の永徳元年(1381)に開いたとされている。
日朝は日蓮宗の名僧で伊豆の人である。



本堂の見事な彫刻。



『万霊供養塔』。



『浄行菩薩像』



『馬郡跨線橋南』交差点を進む。
交差点の先に大きな石灯籠が見えた。



右手にあったのが『春日神社、津島神社』。



『春日神社』石鳥居。



『手水舎』。



『春日神社』拝殿。



『春日神社
「鎮座地 浜松市馬郡町一八八ニ-ニ』
 祭神   武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比売神
 例祭日 十月中旬
 由緒  往昔永徳元年(1381)秋甲州行脚の沙門律師日朝当地へ廻国の折神仏深理と
     悟し民族挙って一社を建立を願ふに依りて後小松天皇の御年應永二甲戊年
     (1395)八月十五日春日大明神の神札を奉祀勧請す後天正十二年(1584)
     以来数度の改築あり慶安元年(1648)十月二十四日徳川三代将軍より
     朱印六石下賜あり代々拝領す明治六年(1873)三月村社に列す仝七年末社を合祀す 
     昭和八年(1933)七月十八日本殿、拝殿、幣殿改築遷宮以後現在にいたる。
 末社   若宮神社 八幡社 山宮神社 天王社(例祭日 七月十四日) 」



応永2年(1395年)奈良の春日大社より祭神を勧請し建立された春日神社。
狛犬に代わり雌雄の狛鹿を置く。いかにも春日社らしい。
右は『雄の狛鹿』。



左は『雌の狛鹿』



『拝殿』の奥に朱の『本殿』。



『境内社』。これが『津島神社』と思っていたが違うらしい。



境内社『拝殿』。



跨線橋南交差点から県道49号線に入り、舞阪駅南入口交差点を過ぎるとすぐ、
700mにわたる舞阪のみごとな松並木が始まった。
よく整備されており、これまでで最高の松並木。




その松並木が始まる所に、『夢舞台・東海道「松並木」』の標柱が立っていた。



約700mの両側におよそ340本ほどの松が残っているのだと。



『東海道松並木』。



常夜燈を模したものであろうか。



汚水マンホール蓋もひたすら『松』。



松への薬剤散布の管理TAGのようであった。



進行方向右手には 干支(えと)で時刻を表す石像が 。
左手には東海道五十三次の 宿場の碑



車の少ない時にシャッターを。



枯れて伐採された松の株、中が空洞になっていた。




道路側は『 東海道 五拾三次内 舞阪 三拾之宿  平成三年 』



歩道側は『今切のレリーフ(左) 舞坂 今切真景(右)』
「舞坂宿は、日本橋から67里(264,9km)品川宿から数えて30番目の宿である。
東海道の陸路は、舞坂で一度切れて、ここから新居宿まで海上一里半船を頼りとして
渡ることになる。
浜名湖は、かつて遠淡海(遠江)とうたわれる淡水湖であったが、明応7年(1498)の
地震により切れて入海となった。その切口を「今切」と呼ぶ。地震による被災から復興して
「今切渡船」の発着地となり、舞坂は交通の要地となった。」




「この松並木は、慶長9年(1604)徳川家康の命により街道を整備し、黒松を
植えたのに始まる。正徳2年(1712)には舞阪宿の東端「見付石垣」より馬郡境まで、
8町40間(約920m)道の両側の堤に、1,420本の立木があったという。
その後、寿命や台風で倒れる一方で、その都度補植など行ってきたが、昭和13年(1938)
国道付け替えの際。堤を崩し両側に歩道をつけ今日の姿になった。




道路側は『舞阪宿』。



往時の東海道を偲ぶ松並木。やはり旧街道に松並木は似合う。



松並木の途中にあった『舞阪橋跡』。
「ここは江戸時代、舞阪宿唯一の橋である舞阪橋がかかっていました。北に西長池という
大きな池があり、南から松並木を横切って昭和10年頃まできれいな水がながれていました。
天保14年の東海道宿村大概帳には次のように書かれています。
字 舞阪橋 
土橋 長7尺 横3間 橋杭4本立て弐組
是は前々より御普請所にて、寛政10年御代官辻甚太郎掛にて御普請これあり、
この証拠書物は宿方にあり、文化14年にも御普請これあり、もっとも土橋のため保持に
難あり宿役で板橋に掛換えをした。」




松並木が終わった所にあり、小太鼓を抱えた可愛い小僧が四角い石の上に座っていた。
傍に公衆トイレもあった。



「むかし、遠州灘の浜では、地引網漁が行われていました。魚が取れない日が続いたある日、
真っ黒な小僧が網にかかりました。漁師たちは気味悪がり小僧を殺そうとすると、小僧は
「私は海の底に住む浪小僧です。命だけはお助けください。その代わり、ご恩返しに、
海が荒れたり、風が強くなったりする時は、海の底で太鼓をたたいてお知らせします」と
言うので、海にもどしてやりました。それ以来、天気の変わる時、波の音がするようになったと
伝えられています。 ~遠州七不思議より」



『MAISAKA(舞阪) MAP』。
ここは新町交差点の手前。



新町交差点で終わる東海道松並木。



そして新町交差点で国道1号線と合流するが、直ぐに別れ旧東海道は左側に。
道路の分かれ目の先端には『東海道⬅舞阪宿』の表示板があった。



そして道路の前方両側に石垣が。



『見付石垣』
宿の東外れに位置していると。



『史跡 見付石垣』。
「この石垣は舞阪宿の東はずれに位置している。石垣の起源の詳細は明らかでないが、
宝永六年(一七○九年)の古地図には既に存在している。
見付は見張所にあたり、大名が通行の時などには、ここに六尺棒を持った番人が立ち、
人馬の出入りを監視するとともに、治安の維持にあたった所である。」



『東海道舞阪宿一里塚』碑が右側に。



近寄って。



『一里塚跡』碑が左側に。



「江戸幕府は、交通政策に重点を置き、諸国に通じる街道を整備し、慶長9年(1604年)、
主要街道に一里塚を築くようお触れを出した。これにより、日本橋を起点として
1里(約3.9km)ごとに、道の両端に土を盛り、その上に榎や松などを植えた一里塚が
整備されていった。一里塚は、旅行者の目印になるとともに、馬や駕籠の賃銭を支払う
目安にもされた。舞阪の一里塚は、日本橋から68里(約267km)に位置し、松が
植えられていた。」



『宿内軒別書絵図面』
文久二年
東海道舞坂宿
宿内軒別書絵図面



現在地付近。
写真中央付近に『壱里塚』、『秋葉山常燈明』の文字が。



『一里塚跡』手前には『新町 常夜燈』が。



「舞阪には往還沿いに3基の常夜燈がある。 舞阪宿では、文化6年(1809)元日、宿場の大半を
焼く大きな火事に見舞われたことから、これをきっかけに火防の秋葉信仰が広がり、常夜灯を建て
秋葉講を組織して火の恵みに感謝するとともに、火の用心を誓いあった。
常夜燈の竿石の四面には両皇太神宮、秋葉大権現、津島牛頭天王、建立年月が刻まれている。
新町の常夜燈は、文化12年(1815年)正月に建立されたもので、灯りをともして悪霊の侵入
を防ぎ地域を鎮めるとともに、闇夜を照らす道しるべとして守られてきた。
月詣りやのぼり立ては、今も地域の人たちに受け継がれている。
」




                              ​ その3 ​  に戻る。

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 12:24:53
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