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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『旧東海道を歩く』の白須賀宿の散策を続ける。
『郷社 内宮神明神社』
石鳥居下から、階段、拝殿を。
民家前に『高札場跡碑』と『一里塚跡碑』(右)が並んでいた。
『高札建場跡
』(左)
幕府・大名が、法令や禁令・通達を板札に墨書した高札を掲示した場所を高札建場または、
単に建場といい、宿場・渡船場・問屋場など人の目につきやすい場所に設置されました。
白須賀宿にはここ元宿と東長谷に一箇所ずつ設置されていたほか、加宿である境宿村にも
一箇所設置されていました。
『一里塚跡
』(右)
一里塚は徳川家康が最初に手掛けた東海道の整備事業のときに設けられたものです。
慶長9年(1604)から江戸日本橋を基点に一里(約4km)ごとにつくられました。
塚は旅人の目印のためにつくられたもので、街道の両側に高さ2mほどの盛土をし、
榎・しい・松などが植えられました。この辺りでは一里塚のことを一里山と呼んでおり、
石碑にも「一里山旧址」と彫られています。
この一里塚は江戸から70番目の「白須賀一里塚」。70里ということは日本橋から275km。
旧街道を先に進むと右手の筋角に 「潮見観音 蔵法寺」 の立て看板があり、入って行くと突当りに
曹洞宗の龍谷山蔵法寺があった。
蔵法寺には「潮見観音」という有りがたい観音様が祀られているのだ。
遠州灘を行き交う船は必ず帆を下げ観音様の名前を念じて通り過ぎることになっていたのだと。
蔵法寺『山門』
扁額には『龍谷山』と。
『本堂』。
蔵法寺は、西暦790年頃(奈良時代末から平安時代)に、真言宗の寺として開基されたが、
江戸開幕前の慶長3年(1598)に曹洞宗の寺として開基され、その後、慶長8年(1603)には
家康公から23石を賜り、寺勢は盛んとなりなんと寺領は街道を跨って遠州灘の海岸まで
達していたといいます。江戸時代を通じて、将軍代替わりに際しては、寺の住職は
朱印状書き換えのため江戸に参府したといいます。本堂には、本尊の地蔵菩薩とともに、
10年に1度の御開帳となる潮見観音が安置され、境内には三十三観音が祀られている。
『潮見観音』。
『潮見観音像』。
山上から遠州灘の大海の潮を見るということから、『潮見観音像』と呼ばれています。
また海上安全を願う漁民の習わしとして、遠州灘を行きかう船は必ず帆を下げ観音様の名前を
念じて通り過ぎることとされていました。そのためまたの名を「帆下げ観音」とも呼ばれています。
本尊は明治の末頃まで潮見坂の途中にあった観音堂にありましたが、今は蔵法寺の本堂に
安置されています。境内には銅製の潮見観音像が建立されていた。
『潮見観音縁起』
「承応3年(1654)3月10日当蔵法寺前の、遠州灘の海中より漁師の網にかかって
御出現された観音様で、お丈は1尺9寸(57.6cm)でその後堂内に安置され、毎年供養されて
居りました。
宝永4年(1707)10月4日遠州灘一円に大地震があり、その時起きた大津波に一瞬にして
元町宿は悉く浪に呑まれ大被害を受けました。そのとき坂の上に逃れて、その地に現在も
住んでいる子孫も多く居ります。その前夜徳川幕府参勤交代で岡山藩城主池田綱政公当地本陣に
宿泊中で、夜半観音様が夢枕にお立ちになり、「この地に大地震あり、早々に立ち去れ」と
お告げがあったので、夜半急ぎ一行は本陣を出立し危うく難を免れることが出来ました。
綱政公は観音様のご加護に感謝し邸内に潮見観音の御分身を祀り、子々孫々現在の池田牧場まで
続いて居ります。又、同地の長泉寺にも白須賀観音として、御分身が祀られて居ります。」
『宝篋印塔』。
『水子地蔵尊』。
『水子地蔵尊』。
「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)で苦しむ衆生を教化、救済されたり
流産または堕胎した胎児や、幼くして亡くなった子供が、賽の河原で苦しんでいるのを
救われる子供を守る菩薩さまで、慈悲の相をされた阿弥陀如来の分身であられる。」
『安産 子安地蔵尊&子育て 三十三観音』。
境内の『稲荷神社』。
『正一位稲荷大明神』。
夢舞台東海道道標『白須賀宿 潮見坂下』。
蔵法寺の先の右手の山道が『潮見坂』の入口となる 。

かなりの急坂を必死に登って行った。
それにしても、人通りもない急坂の山道。
坂を登りきった先に小・中学校があったが、この坂道を子供達は毎朝登っているのであろうか?
それともこちら側は別学区?
そして太平洋・駿河湾・遠州灘が眼下に現れた。
潮見坂よりの景色は昔と変わっていないようだ。
西国から江戸への道程では、初めて太平洋の大海原や富士山が見ることが出来る場所として、
古くから旅人の詩情をくすぐった地であり、今でもその眺望は変わらず、訪れる人を
楽しませてくれる。
浮世絵で有名な安藤広重もこの絶景には、関心を抱いたようで、遠州灘を背景に
その一帯の風景を忠実に描いている。
潮見坂は、汐見坂・塩見坂・観潮坂とも書き、東海道屈指の景勝地として数々の紀行文などに
その風景が記されています。西国から江戸への道程では、初めて太平洋の大海原や富士山を
みることができる場所として古くから旅人の詩情をくすぐった地でした。
永享四年(1432)には、富士遊覧に出かけた室町幕府六代将軍足利義教がこの地で休息をとり
公卿の飛鳥井雅世らとともに歌会を開きました。
江戸時代には、浮世絵師の歌川広重も遠州灘を背景にその一帯風景を鮮やかに描いています。」
息急き切って坂を登り切ると左側に『おんやど白須賀』の休憩所があった。
冷たいお茶の接待があったので上り坂の疲れをとることが出来たのであった。
ここは、東海道宿駅開設400年記念として建設され白須賀宿の歴史文化や旅人の
交流休憩施設となっているのだと。
新たな文化、交流の発信拠点として活用されています。
展示概要


















藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.14
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.13
藤澤浮世絵館・「御上洛東海道と幕末の浮… 2020.08.12