JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.03
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カテゴリ: 国内旅行
国道228号を走り北海道檜山郡江差町にある開陽丸青少年センター
「えさし海の駅 開陽丸」に到着。
開陽丸管理棟の「えさし海の駅 開陽丸」には、江差町の様々な特産品や農家から直送された
農産物・海産物などを一堂に揃えたお土産店「アンテナショップぷらっと江差」があり、
開陽丸見学後の立ち寄りスポットとして便利な場所。



入口には榎本武揚、土方歳三の写真入りの「開陽丸沈没百五十年記念 開陽丸」と
書かれたパンフレットの表紙と同じ看板が。



ようこそ「開陽丸記念館」へ。



”よみがえる幕末ロマン”

開陽丸は、江戸幕府に引き渡された後に起こった戊辰戦争で活躍しましたが、明治元年(1868)
に江差沖で座礁・沈没しました。
昭和50年(1975)から昭和59年(1984)にかけて、水中での発掘調査が行われ、
約3万3千点の遺物を引き揚げました。
平成2年(1990)実際の開陽丸と同じ大きさで復元した資料館で、大砲・砲弾・船具などの
遺物を展示しています。



まずは、「開陽丸記念館」方向に向かう。
「開陽丸」は、幕末期に江戸幕府が所有していたオランダ製軍艦で、1868年(明治元年)
11月15日に江差沖で暴風雪に遭い、座礁、沈没。
1974年(昭和49年)から遺留品の発掘調査が本格的に開始され、大砲やシャフト、古文書
などの遺留品が3万点以上引き揚げられた。

展示されているのだ。
「えさし海の駅 開陽丸」の横には「引き揚げられた大砲」3門が展示されていた。



「9インチ ダルグレン砲」 
ペリー提督が搭乗していたサスケハナには12門のダルグレン砲が搭載されていた。
ライフリング(施条、銃砲の銃砲身内に施された螺旋状の溝)が彫られていない為に
射程距離は延びないが砲身後部の肉厚が太い為に大量の火薬を詰込む事が可能であり
距離の近い敵に一撃を食らわす事に優れていた。 



9インチ ダルグレン砲 
全長:3m33cm 口径:22.5cm
重量:4200kg 装薬:4. Okg 
射角:4.0度て射程:1,400m 
施条無 アメリカ製



「16サンチクルップ砲」
「サンチ」とはcmのフランス読みで、帝国陸軍の大砲口径の呼称。
「クルップ砲」とはクルップ社の製作した大砲。
特に、1847年に製作した、世界初の鋼鉄製の後装砲(こうそうしき)。
後装式は、銃砲の装填方式を2つに大別した1つで、銃砲身の尾部から砲弾と装薬を装填する
方式を言う。銃砲口から装填する前装式の対義語。



16サンチクルップ砲
全長:3m35cm 口径:15.8cm
重量:2,855kg 装薬:2.5kg
射角:4.5度で射程:3,983m
施条有 ドイツ製



「12ポンドカノン砲」。
「カノン砲」は遠距離を射撃するために、長い砲身から大きな初速の砲弾を平らな弾道で
発射する。ほかの同口径の火器に比べ、砲身、砲架ともに大型で,重量も大きい。
カノン砲は砲弾の重さによって分類される。12ポンド砲とは(通常)12ポンド・5.44kgの
重量を持つ砲弾を使用するように設計されているということ。



12ポンドカノン砲
全長:2m13cm 口径11.6cm
重量:1,000kg 装薬:1.2kg
射角:32.5度で射程:4,700m
施条有



スクリューシャフトと上下装置(真鍮製)。
写真の右側がエンジンの方へ繋がり、右端の溝のある部分がスクリュー側になると。
つまりスクリューユニットが上からストンとこの溝に嵌まって、マイナスのネジを回す要領で
スクリューを回転させる構造。後ろにあるギザギザの部品がスクリューの昇降装置のようだ。
修学旅行?生の姿も前方に。



「スクリューシャフトと上下装置
開陽丸のシャフトの最後部。長さ重量とも出土遺物のなかでも最大級のもの。
全長 680cm、最大径 88cm、推定重量 6t、
左手前は上下装置。帆走時には波の抵抗を避ける為、スクリューを上昇させる装置。
帆船から蒸気船に移行する過渡期の特徴である。」



帆走のみの時には二枚羽根のスクリュー抵抗になり、かえって邪魔になるので、
スクリューユニットを主軸 からはずして引き上げられるような当時では最新式の設計がして
あったのだと。




沈没していた船体の一部も展示されていた。



そして前方に復元された「開陽丸」が夕日を浴びて。



復元された「開陽丸」の内部は「開陽丸記念館」になっていた。
「開陽丸記念館」入口がここであったが、この日は館内には入らなかった。



「開陽丸記念館」案内ボード。



「開陽丸記念館
開陽丸は、江戸幕府か諸外国の海軍に対抗するため、江戸時代末にオランダで
造られた軍艦です。
開陽丸は、江戸幕府に引き渡された後に起こった戊辰戦争で活躍しましたが、明治元年
(1868)に江差沖で座礁・沈没しました、昭和50年(1975)から昭和59年(1984)にかけて、
水中での発掘調査が行われ、約3万3千点の遺物を引き揚げました。
平成2年(1990)実際の開陽丸と同じ大きさで復元した資料館で、大砲・砲弾・船具などの
遺物を展示しています。」



別の場所にあった「開陽丸記念館」案内板。
開陽丸は、江戸幕府が諸外国の海軍に対抗するため、江戸時代末にオランダで造られた軍艦です。
開陽丸はヽ江戸幕府に引き渡された後に起こった戊辰戦争で活躍しましたがヽ明治元年(1968)に工差沖で座礁・沈没しました。
昭和50年(1975)から昭和59年(1984)にかけて、水中での発掘調査が行われ、約3万3千点の
遺物を引き揚げました。
平成2年(1990)実際の開陽丸と同じ大きさで復元した資料館で、大砲・砲弾・船具などの
遺物を展示しています。
と、説明文は上のものと同じであったが・・・???。



案内板下部にあった、沈没した「開陽丸」の遺物引き上げ時の写真。



「開陽丸」2F 作戦会議室の写真。



開陽丸に積まれていたドイツ製の武器・クルップ砲の写真。



幕末の軍艦「開陽丸」をパンフレットから。



「開陽丸」の基本情報。



3本マストの汽帆船で、補助蒸気機関は約400馬力で、蒸気エンジンだけで
約10ノット(約18km)で航行することができた。



「開陽丸」は蒸気船だが、帆を展開して帆走もできるいわゆる汽帆船であった。
帆装:3檣シップ型 面積:2,097.8平方メートル 最大速力約10ノット(汽走時)
写真の煙突は、帆走時には潜水艦の潜望鏡のように艦内に収納できるような仕組み。
また蒸気船としての推進システムでは、スクリュープロペラを使った「スクリュー船」。
これは幕末に浦賀沖に現れたペリー艦隊の蒸気船さえ、水車のような外輪で水を掻いて
進む「外輪船」だったことを思うと画期的なことであったと。



「えさし海の駅 開陽丸」を裏から見る。



「開陽丸」が暴風雨に襲われ江差沖に座礁・沈没したのは、1868年(明治元年)11月15日の夜。土方歳三らと打ち合わせて、江差攻略戦に参加した際の遭難であった。
「開陽丸」の喪失により、旧幕府軍の海軍力は急速に低下。逆に勢いづいた明治新政府軍の
攻撃を受け、翌年の1869年(明治2年)5月に榎本武揚ら旧幕府軍は降伏することに
なったのであった。



「開陽丸」の後部に回り込み。



前方の島が「鴎島(かもめじま)」。



「北海道立自然公園 かもめ島」案内板。



「かもめ島お散歩MAP」。
江差港にある海抜20メートル、周囲約2.6キロメートルの陸繋島で、多くの釣り客で
賑わうフィッシングスポットとして知られる。
島の入口付近は砂浜になっていて、島に向かって右側は「前浜」、左側は「えびす浜」と
呼ばれている。「えびす浜」は夏期間の海水浴場としても使われている。
鷗島にはいろんなスポットがある。
① 馬岩(うまいわ)、② 瓶子岩(へいしいわ )、③ 千畳敷、④ 江差追分記念碑、⑤ 厳島神社
⑥ 浪切鳥居、⑦ 北前船係留跡&北前船飲用井戸、⑧ 徳川幕府砲台跡 等



前浜側の島の隣には高さ約10mの「瓶子岩(へいしいわ)」があり、古来より漁民の守り神
として地元漁師から崇拝されている。2015年(平成27年)4月には、厳島神社建立400年を
記念して、厳島神社四百年記念実行委員会の有志によって「瓶子岩」の前に「朱の鳥居」が
建立された。
鳥居は厳島神社と瓶子岩を望む方角を向く位置に設けられている。



鴎島の脇に建つ「瓶子岩」。
瓶子(へいし・酒徳利)を逆さまにした様な姿であることから名が付いた。
伝説では、折居(おりい)という姥が、神から託された瓶に入っている水を海に注いだところ
ニシンが集まり、江差でニシン漁が盛んになった。その瓶が岩に化したとされている。
毎年、「かもめ島まつり」が行われている7月第1土曜日に、しめ縄飾りの架け替えが行われる。



左側の「えびす浜」の浜辺を歩くと右手に遊歩道が。



ズームで。



「馬岩
伝説では、源義経は衣川(岩手県)で死んでおらず、江差へ渡ってきました。
鴎島の断崖にある白い岩は、義経がさらに北へ逃れる時に、残された義経の愛馬が
石になったものと伝えられています。」



これが義経の愛馬が石になったと言われている「馬岩」。



ライオンの顔の如し。



「開陽丸」が夕日に輝く。



そろそろ、塗装補修が必要。
この時は、引き潮の時間であったのだろうか?座礁の状態?



夕日も「鴎島」の丘に沈んで行く。



ズームして。



更に。



再び「えびす浜」の波打ち際を歩き「開陽丸」の前まで戻る。



正面から。
上部に取り付けられているこの船の紋章は、徳川家の家紋(三葉葵)をデザイン化
したものであると。しかし「三葉葵」の形に違和感を感じたのであったが・・・・。



夕日を背景に。



アシナガオジサンの勇姿をここでも自撮り。



マストには数え切れない数のロープが複雑に。



帆を張り航行する「開陽丸」の絵の姿をネットから。



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                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.12.04 06:31:28
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