JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.12.23
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カテゴリ: 国内旅行
今年も山陰・鳥取県境港市の丸八水産から松葉がにを2匹購入し、昨日到着しました。

ズワイガニのうち、成長した雄を「松葉がに」と呼び、ぎっしりと詰まった身と上品な旨味が
楽しめる、鳥取を代表する冬の味覚なのです。
毎年、年末恒例の松葉ガニを楽しむ行事なのです。



顔をズームで。



昨日は1匹を妻と二人でシェアー。
生蟹の刺し身で。
足をはずし横にハサミを入れて、手でからを外しながら皮を殻から取る。

とろっとした食感と独特の甘さが今年も味わえたのです。



残りも茹で蟹で二人で1匹をシェアー。



かにみそも量が多く絶品でした。



今日も同じメニューでもう一匹を楽しみたいと思っています。いや今日は焼き蟹か?



「妙福寺」の横の石畳の道・「チャチャ登り」を下っていくと右側にあったのが
「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」。
茶色の十字形をした屋根が印象的なこの建物は、四面の白壁に十字架をあしらい、
函館山山頂やロープウエイからも眺めることができたのであった。
4方に鋭角の尖塔アーチ型の妻面を張り出した斬新で現代的なデザイン。



教会の裏側の入口から入り「聖ヨハネ教会」正面に。




「日本聖公会函館聖ヨハネ教会
この函館聖ヨハネ教会は、現在、世界聖公会のうちの日本聖公会に属する。
明治7年(1874 )英国聖公会海外伝道教会の宣教師デニンクガ函館に来て伝道
を開始したのが日本聖公会の北海道伝道の始まりで、同派の道内にあける宣教活動の
根拠地であった。

ため幾度な移転した。度重なる火災にまる類焼の後、現在の地に再建されたのは大正10年
(1921)の大火災後である。
この聞、教育(アイヌ学校を始め清和女学校などの開設)、医療奉仕活動などを活発に行なった。
現在の建物は、昭和54年(1979 )に完成したもので、上空から見ると十字の形に見えるが、
これは中世紀のヨーロッパの教会に見られる建築様式を取り入れ近代なテザインとしての
ものである。」



「函館聖ヨハネ教会」の内部に入る。



正面の祭壇。



天井はドーム構造。



階段上の美しいステンドグラス。



壁の絵画。



こちらはピンボケ。



外に出て別の角度から。



こちらが「日本聖公会函館聖ヨハネ教会」正門。



「チャチャ登り
函館では珍しいアイヌ語の坂道で、幕末頃ついた名前らしい。
チャチャとはおじいさんのことで、この坂が急なため、前かがみに腰を曲げて登る姿が
老人に似ていたことから「チャチャ登り」と呼ばれた。」



そして「チャチャ登り」を隔てて隣りにあったのが「カトリック元町教会」。
最初の教会堂は1859(安政6)年創建。現在の建物は1923(大正12)年に再建。
大聖堂内の祭壇はローマ教皇から贈られたもの。元町の代表的風景、教会群の一角を占める。
大三坂先のチャチャ登りへ入る手前に建つカトリック元町教会は、12世紀のゴシック建築様式を
用いた、高くそびえるとがった屋根の大鐘楼が特徴。
徳川幕府が発布していたキリシタン禁教令が廃止されるのに先駆け、キリスト教宣教再開の
象徴として、横浜と長崎に建立するカトリック教会と並び、国内では最も古い歴史を持ちます。



「カトリック元町教会
元町教会は、安政6年(1859年)フランスの宣教師メルメ・ドウ・カション(バリー外国
宣教会司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の
日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。
明治元年( 1868年)同宣教会司祭ム二クー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、
その後、明治10年(1877年)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
以降、3回の大火で類焼したのち、大正13年( 1924年)現在の大聖堂が完成した。
この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁十四景の十字架
道行の聖像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から
贈られた由緒あるものである。」



正面にファサード、右側に高さ百尺(33メートル)の尖塔を持つ鐘楼がある
ゴシック様式の聖堂。



聖堂入口・ファサードの上にキリストを抱くマリア像が。



ファサードの 重厚な扉の両脇には聖人が二人
左側の聖人。



お顔をズームで。



右側の聖人。



お顔をズームで。



「聖堂内」
中央祭壇と左右両壁十四景の十字架道行の聖像 ​👈リンク。



聖堂内の中央祭壇や副祭壇、両壁にある14景の十字架の道行きは、火事の見舞いとして、
ローマ教皇ベネディクト15世から贈られたもの。
14景の十字架の道行きとは主イエスが裁判にかけられてから葬られるまでの出来事を語った
ものであると。
また、聖堂裏には、高さ1.5mの聖母マリア像をまつる「ルルドの洞窟」があり、
毎年5、10月に信者が祈りをささげているとのこと。



右側にあった「天主公教會」と書かれた建物。



この屋根にもキリストを抱くマリア像が。



尖塔をズームで。



「カトリック元町教会」前にあったのが「亀井勝一郎生誕之地」碑。



「亀井勝一郎生誕之地 武者小路実篤書」と刻まれた石柱が左に。
そして石碑には
「私の家のすぐ隣は、フランスの神父のいるローマカソリック教会堂であった。その隣は
ロシヤ系のハリストス正教会である。この二つの会堂は、それぞれ高さ五十メートルほどの
塔をもっているので、船で港へはいるとすぐ目につく。
ハリストス正教会の前には、イギリス系の聖公会があり やや坂を下ったところには
アメリカ系のメソヂスト教会がある。私の家は浄土真宗だが、菩提寺たる東本願寺は、
坂道をへだててわが家の門前にあるまた同じ町内の小高いところには、この港町の守護神である
船魂神社が祭られ、そこから一直線に下ったところには、中国領事館があって、ここは道教の
廟堂を兼ねていた。要するに世界中の宗教が私の家を中心に集まっていたようなもので、
私は幼少年時代を、これら教会や寺院を遊び場として過ごしたのである。
″東海の小島の思い出″の一節より」と。



「亀井勝一郎生誕之地
亀井勝一郎は、明治40年(1907)2月6日、ここ元町で喜一郎の長男として生まれ、
弥生小学校、函館中学校、山形高等学校、東京帝国大学文学部に学び、のちに文芸評論家、
思想家として活躍した。
昭和12年(1937)「人間教育」、同18年「大和古寺風物詩」等不朽の名著を残し、昭和40年
(1965)日本芸術院会員に推挙された。
晩年の大作「日本精神史研究」は亀井文学の集大成として高く評価されたが、昭和41年(1966)
11月14日病により永眠し、未完に終わったのが惜しまれる。
勝一郎は終生函館弁を使い、函館のサケのすしやイカの刺身を好んだという。
なお、青柳町函館公園付近には、勝一郎真筆による寸言「人生邂逅し開眼し瞑目す」と
刻まれた文学碑がある。」



再び「チャチャ登り」方面に「大三坂」を登って行った。



「函館ハリストス正教会」に向かって右折する。
「カトリック元町教会」の壁に張り付き、真っ赤に紅葉した蔦の葉。
そしてその蔦の葉越しの尖塔を見る。



見事に紅葉した蔦の葉が陽光に輝いて。



「函館市元町末広町重要伝統的建造物群保存地区」案内板。



「函館市元町末広町重要伝統的建造物群保存地区
函館は、安政6年( 1859年)に、長崎・横浜とともに、我が国最初の開港場として開かれ
たまちで、以来、諸外国との買易や北洋漁業の基地そして北海道の玄関口として繁栄して
きたまちであります。
当該保存地区は、その中心的な役割を果たしてきたところで、現在でも旧外国公館や
各宗教施設、公共施設や煉反倉庫群などのほか和風、洋風および函館独特の上下和洋折衷様式の
町家が混在し、異国情緒豊かな町並みを形成しております。
面積は、約14.5ヘクタールで、弥生町、大町、末広町、元町および豊川町の各一部の範囲
となっており、指定されている伝統的建造物等が歴史的な雰囲気を醸し出して往時の姿を
残しております。
函館市では、こうした町並みを後世に継承するため、「函館市都市景観条例」に基づき
「伝統的建造物群保存地区」を定め、北海道で唯一国の選定を受けた「重要伝統的建造物群
保存地区」の貴重な歴史的町並みの保護保存に努めております。」



そして次に訪ねたのが「函館ハリストス正教会」。
ハリストスとはギリシャ語で救世主の意。



日本初のロシア正教会聖堂。白壁と緑屋根の対比が美しく、函館を代表する歴史的建造物。
現存する聖堂は1916年築。週末などには美しい鐘の音色が響きわたる。
異国情緒漂うエキゾチックな町並みを形作る洋風建築物の代表格と言えるのが、
函館ハリストス正教会。白壁と緑屋根の外観に加え、美しい音色を奏でる鐘があることも
有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。



ハリストス正教会の鐘「​ 日本の音風景100選  ​​」👈リンク 認定。



1859年、初代ロシア領事ゴシケヴィッチが現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を
確保しました。翌1860年、領事館付属聖堂として建てられたのが、初代の聖堂です。
1861年に来函した青年司祭聖ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めて正教会を布教
しました。1907年に起きた大火で建物を焼失しましたが、1916年に二代目となる現聖堂が
再建され、1983年に国の重要文化財に指定されました。
正面玄関上にそびえる八角形の「鐘塔」。



「鐘楼」をズームで。



「重要文化財 函館ハリストス正教会復活聖堂 昭和大修理
ロシア・ビザンチン様式の外観がひときわ美しいこの聖堂は、イイスス・ハリストス
(イエス・キリスト)の復活を記念して建てられたため、「復活聖堂」と呼ばれる。
当時、正教会の副輔祭であった河村伊蔵の設計で、1916年(大正5年)に竣功した。
平面構造は、正方形の聖所を中心とし、前方に啓蒙所と玄関、後方に半円形の至聖所が付く
正教会聖堂の標準的な十字形平面である。
正面玄関上には、八角形平面の鐘塔がそびえ、屋根上にはロシア正教独特のクーポルがのる。
壁はレンガ造白漆喰塗で、大小のアーチや蛇腹が外観にアクセントを加えている。
天井は唐草模様の花ゴザ敷で、聖所にはハリストスや聖人を描いたイコノスタス(聖障)が
壁面いっぱいに広がる。
修復工事は、1986年(昭和61年)5月から始まり、主として内外壁および天井の漆喰塗り直し
屋根銅板葺きと小屋組木部腐朽部分の補修、基礎石および蛇腹石の補修、正面石階段の据直し
フニスおよびペンキの塗直し、イコノスタスのクリーニングなどが行われた。
また、修復工事にともなう綿密な調査によって、聖堂内にパニカジーロ(シャンデリア)・
ランバート(吊燭台)や花ゴザ、および正門鉄扉の建設当初の姿が明らかとなったので、
これらもあわせて復元した。
1988年(昭和63年)10月、とどこおりなく修復工事を終え、翌月6日に成聖式を挙行し
まさに神の宮として”復活”した。」



「ハリストス」。



屋根の上には玉ネギのようなクーポラ(小さなドーム)が飛び出ていたが、
これはロシア式聖堂の特徴で、ロウソクの炎をかたどっているのだ。



屋根には多くの「クーポラ」が。



周囲を散策しながら「クーポラ」をカメラで追う。



先程訪ねた「カトリック元町教会」を再び。



「カトリック元町教会」入口・ファサードの上のキリストを抱くマリア像をズームで。



「ハリストス正教会」の「鐘楼」を再びズームで。
現在取り付けられている鐘は5個で5代目であると。



裏に廻って。



庭の一角には、この教会を拠点にロシア正教を布教した宣教師ニコライ像が
「亜使徒 日本の大主教 聖ニコライ 1836~1912」。



ズームで。



裏側から。クーポラの数は中央に大1,四隅に小4。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.12.23 01:25:49
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