JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.04.23
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カテゴリ: 大和市歴史散歩
【大和市の神社仏閣を巡る】目次

更に大和駅東側プロムナードを駅に向かって進むと左側にあったのが「文化複合施設」の
「SiRiUS(シリウス)」。
文化創造拠点シリウスは、図書館、芸術文化ホール、生涯学習センター、屋内こども広場など、
複数の機能が融合した新しいタイプの公共施設。
平成28年11月3日(祝)、大和駅の東側に誕生した と。
「SiRiUS(シリウス)」という名称は、夜空のどの星よりも明るく輝く星の名・「シリウス」
からで、「文化創造拠点が未来にわたって光り輝き、市民に愛される施設となるように」という
想いを込めて名付けられたのだと。



住所    神奈川県大和市大和南 1-8-1

規模    地上6階、地下1階
延床面積  26,003m2
備考    蔵書数 570,000冊 客席数 大1,007席、小272席
ホール前、プロムナード横に手形のモニュメントが。



第154回直木三十五賞受賞
青山文平
大和市に居住し、小説家として活動。
2011年を初めての時代小説『白樫の樹の下で』で第18回松本清張賞受賞。
2015年『鬼はもとより』で第17回大薮春彦賞を受賞。
2016年『つまをめとらば』で第154回直木三十五賞を受賞した。
主な受賞歴  1992 第18回中央公論新人賞
       2011、第18回松本清張賞
       2015 第17回大藪春彦賞
       2016 第154回直木三十五賞



ローザンヌ国際バレエコンクール1位
菅井円加
小学校1年生から大和市で開設している佐々木三夏バレエアカデミ—lこ所属し、スイスで開催
された世界的な若手バレエダンサーの登竜門「第40回ローザンヌ国際バレーコンクール」で
1位となった。
主な受賞歴   2012ローザンヌ国際バレエコンクール1位



ノーベル化学賞 受賞
名誉市民
根岸英一
大和町大和国民学校(現大和市立大和小学校)・大和町立大和中学校(現大和市立大和中学校)を
卒業し、高校及び大学を卒業するまで大和市に居住。
2010年「クロスカップリング」の研究においてノーベル化学賞を受賞し、その功績を称えられ
同年11月1日に名誉市民として顧彰された。
主な受賞歴  1997 日本化学会賞
       1998 アメリカ化学会有機金属化学賞
       2010 アメリカ化学会有機合成化学賞
       2010 ノーベル化学賞
       2010 文化勲章



そして、「SiRiUS(シリウス)」内に入り、2階屋上デッキにある「大和天満宮」を訪ねた。
正面に朱の鳥居が。



扁額「大和天満宮」。



社号標石「大和天満宮」



「大和天満宮本殿建設紀念碑」。



手水舎。
水盤の文字は「天道」であると力強い学友から。



龍の水口。



狛犬・阿形(右)。



狛犬・吽形(左)。



「社殿」。
「大和天滿宮の由緒に就いて
開闢以来外國との戰鬪を交え、始めて敗戰を知った昭和貮拾年八月拾五日其の時、人々が
心の奥深く悩んだのは、敗戰の混亂の中に於て、武運長久を祈願した唯一の神社、
即ち厚木空神社(祭神は天照大神並びに戰死者の靈)の事に就いてゞあった。
人々が一夜熟慮に熟慮を重ねた結果、翌十六日の早朝「敗戰に依り人心が動揺してゐる此の際、
社殿を有難く頂戴して大和の何れかの場所に安置祭神しようではないか」と考え、而も最近の
大和驛附近の人口の増加は急激に増大し百八拾餘軒になりつゝある現在大和の綠地帶を他に移し、
其の場所に神社を建立せしと、主だった人々と馬力車壹臺、リヤカ壹臺を率いて、
即ち昭和貮拾年八月貮拾日厚木海軍航空隊に赴き社殿(前述の如く厚木空神社には天照大神を
祀る社殿一と戰死者の靈を祀る社殿一の計二社殿あり、其の一の天照大神を祭神とした社殿を
譲り受けたのである)を受領し、現在地(大和驛東方參百米)に安置奉齋したものである。」
とネットから。



社殿扁額「大和天満宮」
「大和天滿宮と命名した理由に就いて
全役員協議の結果、厚木海軍航空隊に奉齋しありし時は、厚木空神社でありしも敗戰に依り
軍隊も消滅解散した現在、學問の神として知られる菅原道真公を祭神として
「日本復興の道標にすべし」と滿場一致で決定、九州の太宰府より天滿宮を勸請し奉り、
茲に「南大和天滿宮」と命名する。宮司役員氏子と延々列をなし現在地(大和驛東方參百米)に
奉祀したるもの也。
のち「大和天滿宮」と改名したるもの也」とこれもネット情報から。



「酒樽」



「内陣」。



「大和天満宮 催事掲示板」。



「御札、破魔矢、絵馬、俵宝船」等授与品も展示。



ガラスケース内には祭り用の太鼓や神輿、提灯等が展示されていた。



「神輿」。



「大和天満宮」境内から「SiRiUS(シリウス)」の建物を見上げる。



境内から「社殿」を見る。



そして右手のスロープで「大和天満宮」を後にし、「SiRiUS(シリウス)」を振り返る。



そして「大和駅」に駅ビルの「PROSS(プロス)」が正面に。



そして小田急線での帰路に、徒歩では距離のあった2社の神社に立ち寄るため「桜ヶ丘駅」で
途中下車して向かう。
西口に出ると「桜ヶ丘駅」周辺の街区案内図が。



そして最初に訪ねたのが「福田神社」。
大和市福田8丁目8−6。


「市指定無形民俗文化財(民無第一号)
福田神社囃子獅子舞
獅子舞は獅子を演じる人数により「一人立ち」と「二人立ち」の二系統に分類されますが、
福田神社囃子獅子舞はこのうちの「二人立ち」に属する獅子舞です。
囃子方は、笛一・締太鼓二・大太鼓一・鉦一の五人囃子を伴奏とし、踊りは二人立ちの
獅子・おかめ・ひょっとこが登場します。曲目は屋台・鎌倉・四丁目・岡崎が伝承されて
います。お囃子と獅子舞は毎年福田神社の祭礼で上演され、また、正月には災難除けを願って
氏子の家々を回って門付をしています。
福田神社は昭和41年に、境橋の日枝神社と山下の子之社が合併してできた神社ですが、
この囃子獅子舞は子之社氏子中に伝承されてきたものです。」

「市定重要有形文化財(有第十三号)
旧子ノ社鰐ロ(個人蔵)
鯱ロとは神社仏閣の堂前の軒にかけた金属製の打器のことで、その前に鉦の緒という太い緒を
たらし、礼拝のときこの緒を振って打ち鳴らしました。横から見た形が鰐のロに似ていること
からその名がついたものです。
この鰐ロは銅鋳製で、撞座は表のみで八葉複弁、中心に三ッ柏紋を線刻しています。
松木谷都(上福田地区)の旧家である山下家の血縁的な氏神を祀った子ノ社に奉納されたもので
天文十四年の刻銘があります。子ノ社の創建年代を知ることができる資料としても貴重な
ものです。」


「神輿舎」。


内部の御神輿を隙間から。

右手の狭い石段の上には「稲荷舎」が。



「稲荷社殿」。



社殿への石段を上って行く。



「社殿」。
昭和41年に大和市福田の境橋地区にあった日枝社と、山下地区にあった子ノ社を合祀した。
もともと子ノ社が大国主命(おおくにぬしのみこと)、日枝社が大己貴命(おおなむちのみこと)
を祀っており、また子ノ社に伝わる神輿がもともと八坂神社のものであったため、八坂神社の
祭神である須佐之男命も一緒に祀っているとのことです。
大己貴命は、大国主命の別名でもあり、子ノ社・日枝社ともに祭神が同じであるため、近年は
大国主命で統一しているとのこと。
御祭神:大国主命   ( おおくにぬしのみこと )
例大祭:7月14日



扁額「福田神社」。



「内陣」。



脇にあった石碑。



「福田神社」碑。



そしてこの日の最後の訪問となる「金比羅神社」に向けて小田急線の「大和5号踏切」を渡る。



そして「金比羅神社」に到着。
大和市上和田959。



社号標「金比羅神社」。



境内の「桜ヶ丘自治会館」。



「手水舎」。



そして「社殿」。
天保二年(一八三一)十一月二十八日、神祇伯雅寿王勧遷の金毘羅大権現、並に素盞男命を
奉斎し一般庶民の崇敬も厚い。往古は境内地を初め付近は桜樹多く、未だに当地名を桜株と称し、
小田急線の開通以来桜丘と改めらる と。



扁額「金比羅神社」。
御祭神:金山彦命(かなやまひこのみこと)、素盞男命((すさのおのみこと)。

金毘羅神社
昭和ニ十一年(一九四六年)、神社本庁に申請し、昭和ニ十八年(一九五三年)に登録神社と
なった。主祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)である。
相殿は須佐之男命(すさのおのみこと)を御神体どしている。例大祭は
七月十四日で、近年はこの日に近い土日に行われている。
上和田字宮久保の神谷家の先祖が四国にお参りに行き、金毘羅様の分霊をいただいてきたのが
発祥とされ、法戸時代末期の天保ニ年(一八三一年)十一月ころ、宮久保の裏山に金毘羅大権現
として祀られていたと伝わる。桜株(現在の桜ヶ丘)に移住した人たちが自分たちの氏神を希望し、
明治ニ十年(一八八七年)四月に現在地へ移設した。
社殿は明治ニ十八年(一八九五年)の火災て焼失したか、十五年後に新築して境内を拡充した。
さらに昭和十六年( 一九四一年)、深見神社が社殿を建て替えた際に、古い定物を譲り受けて
現在の社殿を建てた。
当初は葺屋根だったが、昭和四十四年( 一九六九年)にトタン板、昭和五十九年(一九八四年)に
銅板にそれぞれ替わり、現在に至っている。
御神体を収める本殿は、正面の柱いニ本て間口が一つである一間社流造・(いっけんしゃながれ
づくり) である。天保三年(一八三ニ年)に建築されたが、明治の火災で運び出されて被害を
免れたのてはないかと推定される。原型を良く保っており貴重な遺構である。」

社殿の横には保存が良い「庚申塔」があった。


唐破風笠付角柱庚申塔

月日・青面金剛像(合掌・六臂)・三猿・道標
宝永7年(1710)9月29日
右側面「宝永七庚寅天 八王子ミち」・6人の名
左側面「九月廿九日 大山ミち」・7人の名


そしてこの日の散策をすべて終え、小田急線「桜ヶ丘駅」からの帰途についたのであった。
帰宅して歩数を見てみると何と40049歩の表示に驚いたのであった。


明日からは、「大和市の神社仏閣を巡る」の続きは一旦中断し、同期間に併行して行っている、
同じく隣接市の鎌倉を歩く・『​ 古都「鎌倉」を巡る ​』👈リンク を暫くの間アップいたします
のでアクセスをお願いいたします。


                              ・・・​ もどる ・・・
                   ・・・つづく・・・





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Last updated  2021.09.05 06:05:58
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