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2022.05.21
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
​【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

そして次に「浄見寺」の山門の前にある茅ヶ崎市重要文化財・「旧和田家住宅」を訪ねた。



「旧和田家住宅」案内柱。



正面に「​ 下寺尾廃寺(七堂伽藍) ​👈リンク の礎石」。




ここに置かれている大きな石は、市内下寺尾に所在した古代寺院(七堂伽藍)跡から出土した
ものの一部で、当時のお寺の建物の柱を支えた礎石と考えられています。石質は凝灰質閃緑岩と
鑑定されており、柱を据える部分を加工したものと見られます。
このような礎石の多くは、古くから土地所有者の方が掘り出されていたようで、現在では下寺尾
周辺で約三十個が庭石等として保存されていることが確認されています。
下寺尾廃寺(七堂伽藍跡)と呼ばれているこの寺院は今から約1300年前に創建されたと考えられて
おり、海老名にある国分寺より古い時期に建てられた、相模国における初期寺院として注目されて

出土しており、これらの礎石の存在から、このお寺には礎石建ちで瓦葺きのりっぱな建物が
あったことがわかります。



場所を変えて。



「民俗資料館 旧和田家」。



「茅ヶ崎市景観重要建造物 第1号 平成29年4月7日指定
民俗資料館 旧和田家
和田家は、江戸時代に萩園村の村役人を務めた家柄です。旧和田家は、同家11代和田清右衛門に
よって建てられたもので、幕末の民家の特徴を備え、良質の材料を使い、また改造も少ないこと
から建築当時の姿が見られる歴史的にも価値の高い建造物です。
移築復元のため、解体作業中に「安政2 (1855)年3月吉日」の年号のある棟礼(むなふだ)が発見
され、建てられた年代が明確になりました。また、「居宅普請財木買入帳(きょたくふしん
ざいもくかいいれちょう)」などの建築に係わる記録も残っており、建築準備が始まったのが
嘉永4 (1851)年であることや、建築資材の購入先、普請に関わった人々のことが詳細に
分かりました。
開館時間   午前9時~午後4時
休館日    月曜日(祝日が月曜日のときは翌日が休館)
       年末年始(12月27日~翌年1月4日)」


「旧和田家について
茅ヶ崎市指定重要文化財 旧和田家住宅
この建物は、茅ヶ崎市か萩園の和田家から寄贈を受け、移築復元したものです。
和田家は、萩園の旧家で江戸時代には萩園村の村役人をつとめました。
この建物は、同家11代和田清右衛門によって建てられました。遺跡復元のための解体作業中に、
「安政二年三月吉日」(1855)の年号のある棟札が発見され、建てられた年代が明らかです。
解体した昭和57年まで、123年間の歴史を経たものです。
また、棟札の他に「居宅普請財(材)本買入帳」などの記録も残っていて、嘉永4年(1881)に材木の
購入が始まったこと、これらの購人先、工事にたずさわった職人たちのことなどがわかりました。
建物は、桁行約21m、梁行き約11m、面積224平方m、7つの部屋と広い土間のる大型の民家です。
この民家は、①幕未大型民家の特徴を備えている、②ケヤキを主とした良質の材料を用いている。
③改造が少ない。④残されている記録から建設の経過などがわかるなどの特徴を備えている
ことから、茅ヶ崎市重要文化財に指定し、ここに移築復元しました。
所在地      茅ヶ崎市堤3,882番外
敷地面積     3、991平方m
旧所在地     茅ヶ崎市萩園2,334番
寄贈された年   昭和57年
文化財指定の日  昭和57年7月20日
         茅ヶ崎市重要文化財      
構造・間取り   寄棟 木造 平屋建
         藁ぶき屋根 7間取り変形
竣工       昭和60年4月
会館の日     昭和60年4月18日」



旧和田家住宅 間取図。



土間に面した「チャノマ(茶の間)」。
家族の団らんする場所、囲炉裏がある。



ナガト(手前)。そしてその先にナカノマ(中の間)、オクノマ(奥の間)。



「市指定重要文化財
茅ヶ崎の宝である「旧和田家住宅」では、令和元年度から2年度にかけて、耐震改修工事が
行われました。
一般的な住宅の改修工事(リフォーム)とは異なり、文化財の建物の改修工事は、元々使われていた
部材をなるべくそのまま使います。
朽ちてしまっていた場合は、新しくしますが、同じ材を使います。
「以前と一体何が変わったの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ここでは耐震改修工事の内容をご説明します。
①耐震補強
建物に、耐震補強をしました。
震度5で損傷しない・震度6でも倒壊しない強度となりました。
②土壁
各所の土壁を修復しました。東京の左官屋さんが携わっています。
左の写真は、オトコペヤで作業しているところです。」



③建物周辺の溝
建物を適切に保存するため、今回の工事で設置しました。雨水による建物への影響が減りました。
④屋根
屋根に挿し茅(さしがや)をしました。茅の生産や職人は年々減少しています。
建築当時は市内で茅を調達しましたが、今回、茅は京都から運ばれました。
また、宮城県石巻市の茅職人が今回の工事に携わりました。
古い茅は廃するのではなく、そのまま残し、新しい茅を挿していきました。
また、棟飾りは移築当初の意匠にしました。



⑤犬走り
犬走は、砕石で底を固め、その上に土を盛って叩いて固めました。土には、もともと
旧和田家の犬走りにあった土と、新たに5種類の土(荒木田土・石灰・山砂・ビリ砂利(細かい砂利)
豆砂利(普通の砂利) )、そして苦汁水を混ぜています。
南側の犬走りは、小出小学校の5年生(令和2年度当時)が、たたきました。
⑥不同沈下
北側に大きく不同沈下していたため、平行になるよう持ち上げました。
よく見ると、持ち上げた分、コンクリートを入れ、高さを調整しています。」


土間には農機具の唐箕(とうみ)や樽が置かれていた。



「オトコベヤ(男部屋)




「民族資料館 旧和田家
昭和五十七年七月 茅ヶ崎市指定重要文化財
市内萩園の旧家で、江戸時代には村役人をつとめていた和田家の住宅を、昭和六十年に
移築復元したものです。
この民家の特徴は、幕末の大型民家であること、良質の材料を用いていること、改造が
少ないこと、記録が残されていて建設の経過がわかることてす。
「安政ニ乙卯年(一ハ五五)三月吉日/御棟札/富家十一代和田清右衛門盛久」と書かれた棟札もあり、
棟上げした時期がわかります。また、建築に関わる記録から、用材などを買い始めたのは嘉永四年
(一ハ五一)、地ならしなどを始めたのは嘉永七年(一ハ五四〕であることや、用材の購入先、
関わった職人職種や数などもわかります。」



ナカノマ(中の間)。



仏壇。



オクノマ(奥の間)。



「オクノマ(奥の間)。
客間として使用された。
普段は使用せず、親類が来た時に泊めた。」



斜め前から。



正面から。



旧和田家住宅のそばに旧三橋家住宅があったので、浄見寺の境内を横切って向かう。
浄見寺はこの後にゆっくりと。



階段の横にはシャガの花が。



和田家よりも30年ほど早く建築された住宅。三橋家もかつて香川村で名主を務めた旧家ですが、
こちらの住宅は和田家と比べると一般的な造りの家で、田の字型の間取りをしている。
旧三橋家住宅も、昭和46(1971)年に市の重要文化財に指定されている。
その後昭和47年(1972年)に香川から現在の浄見寺境内に移築され、同48(1973)年に
民俗資料館として開館した。



「民俗資料館(旧三橋家)お願い」



「民俗資料館 旧三橋家住宅
昭和四十六年三月 茅ヶ崎市指定重要文化財
この建物は、旧家て江戸時代には香川村の中の、旗本戸田氏の知行地の名主をつとめていた
三橋家の住宅を昭和四十八年に移築復元したものです。
建築の経過を記録した「大工木引(挽)萬控帳」(文政十年一ハニ七)や同十一年の年号のある
揀札が伝えられています。
この民家の特徴は、江戸時代末期の大型民家であること、改善や改造が少ないこと、また先に
紹介した記録などがあって建築年代やその経過がわかることてす。
建設当時の当主を伊右衛門といい、その後六代の間、三橋家の住宅として使われていました。」


「茅ヶ崎市景観要建造物 第2号 平成29年4月7日指定
民裕資料館 旧三橋家
旧三橋家は、三橋伊右衛門によって建てられたもので、幕末の農家の作りの特徴を備え、改造が
少ないことから建築の当時の姿が見られる歴史的にも価値の高い建造物です.
文政11(1828 )年の年号のある棟札や、建築経過を記録した「大工木挽萬控帳」(文政10年)
などが付属し、「控帳」によると、文政10 (1827)年7月9日に木挽き職人の仕事が始まり、
手斧立、棟揚げ、内装などの作業を経て、翌年の2月未に建物は完成しています.

会館時間   午前9時~午後4時
体館日    月曜日(祝日が月曜日のときは翌日が休館)
       年末年始(12月27日~翌年1月4日)」



間取図。



ここの土間にも農機具の唐箕(とうみ)等が展示されていた。



土間から上がり框を見る。



板床のザシキ(座敷)を見る。



井戸は立入禁止。



その奥に地蔵尊と山神社碑。



文化六己巳年(1809)八月吉日と刻まれていた。



「山神社」碑。
明治二十六年と。



再び室内を見る。
床の間にあったのは藁細工の祝い舟であろうか。



奥の畳の部屋。





囲炉裏もあった。



階段箪笥。



別の場所から囲炉裏と階段箪笥を。



奥の床の間を見る。



土間。



大きな竈門の上には釜と蒸し器セイロが。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.21 08:40:38
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