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隠居人はせじぃさんComments
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享保2年(1717年)に南町奉行となった大岡忠相は、翌3年に名主たちの意見も取り入れ、
火消組合の組織化。
享保15年(1730年)には、いろは47組を一番組から十番組まで10の大組に分け、大纏を与えて
統括したと。
大岡越前守墓提所と書かれた石柱の側面には彼が組織した町火消しの大纏の絵が刻まれていた。



















浄土宗を開かれた法然上人は幼名を勢至丸といい、美作国(現在の岡山県)にお生まれに
なった。九歳の時父親の漆間時国公は夜討ちにあい、「仇を恨んではならない」と
遺言した。
勢至丸は父の菩提を弔うため母とも別れ、叔父の智鏡房観学が院主を勤める菩提寺に入り仏教を
勉強した。「一を聞いて十をさとる」勢至丸の非凡な才能を早くから見抜いた智鏡房は、求道の
志が篤いのを知り、さらに勉強を勧めるため、当時学問の(仏教)中心地であった比叡山へ
旅立たせのだと。
時は久安三年(1147)勢至丸十五歳の春のこと。
この「旅立ちの法然さま」は、母と別れ一人比叡山をめざし旅立つ勢至丸の平和を求めるお姿を
表すものである と。





「十三重石塔」が手水舎の先に。
十二という数は、十二因縁、十二支を意味。因縁を超えた十三という数、宇宙の摂理である
十二支、十二か月を超えた十三という不思議な数に因んだと。
また十三は十三仏の最後、虚空蔵菩薩をあらわしているとされ、十三重の塔は虚空蔵菩薩を
あらわすと。











「絵馬奉納場所」。
こちらの正面には「大岡七宝紋」が。
七宝は連続文様の『輪違い紋』から生まれた文様。輪が四方に広がるという意味から「四方」➡
「七宝」になった。また、仏教では宝塔を飾る七つの宝玉が功徳を指すことから「七宝」も
吉祥の紋とされる。

大岡忠相の法名は「松運院殿前越前刺史興誉仁山崇義大居士」であることを
この位牌から以前に知ったのであったが・・・。



茅ヶ崎・浜降祭へ(その5) 2023.08.15
茅ヶ崎・浜降祭へ(その4) 2023.08.14
茅ヶ崎・浜降祭へ(その3) 2023.08.13