JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.05.01
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
相州 藤沢・白旗神社の「弁慶藤」、「義経藤」を愛でた後は、久しぶりに境内の散策を。
手前に白旗川に平成8年架橋された「 御典橋 」とその奥に「 大鳥居 」。
日本初のグラスファイバー製の 「大鳥居」であると。
高さ8m、幅6mの明神鳥居で、昭和59年12月に建立された。
地震対策のために軽量で耐久性のあるグラスファイバーを取り入れ、建設時には
新聞、テレビ、週刊誌等で報道されたのだと。



「御典橋」の右側欄干には 真鯉(まごい)



「御典橋」の左側欄干には 緋鯉(ひごい) が。



大鳥居脇には小さな日本庭園があり、奥に「 白旗弁財天 」が祀られていた。



手水舎 」。
この「手水舎」は平成5年7月に建てられた。
手水石は真鶴の銘石、小松石で作られている。参拝の前に身を清める場所。



亀が鎮座。
その昔、街道から白旗神社を望むと、亀の形に見える事から(白旗神社は頭の部分)
亀形山と呼ばれているのだ。







「手水舎」の天井には龍が描かれていた。



向かい合うようにあったのが「 源義経公武蔵丸弁慶公之像 」。

この「源義経公武蔵丸弁慶公之像」は2019年(令和元年)10月竣工。
源義経公没後830年の「​ 記念事業 ​」👈リンク の一つとして建てられたのだ。



「義経公・弁慶公の御首は、文治5年(1189)6月13日に腰越の浜で首実検の後、金色の亀に
乗り当地に辿り着いたと伝えられています。義経公の首塚は、現在の位置より北に40メートル、
当社から南に150メートルの場所にあり、その御霊は当社に祀られました。
一方、弁慶公の弁慶塚は藤沢宿 常光寺内にあり、その御霊は常光寺内の八王子社に
祀られていましたが、現在は塚のみを残しています。一般的に神社は南向きか東向きに
建てられていますが、この八王子社に限っては、主君 義経公が祀られている白旗神社の方を
向いていたため北向きに建てられていたと謂います。
此度、令和御大典の嘉年と主従役儀830年の佳節を吉年とし、ここに源義経公・武蔵丸弁慶公の
銅像を建立し、御霊の平安と隆昌を永年に亘り祈り奉ります。」



源義経公武蔵坊弁慶之像 」。



馬に乗る「 源義経公 」。
平安武将の大鎧を再現した見事な源義経騎馬像。
鎧だけでなく、馬具・轡(くつわ)なども忠実に再現したのだと。



ズームして。



そして「 武蔵丸弁慶公 」。
武蔵坊弁慶が主君の義経を仰ぎ見る忠義の士の姿。



拝殿への階段手前の右側には石碑が並んでいた。



御大典記念 永代御供米三俵 藤澤米穀肥料商組合 」と刻まれた石碑。



八海山大神 」と刻まれた石碑。



御嶽大神 」と刻まれた石碑。



「三笠山大神」と刻まれた石碑。



「白旗神社
御祭神 寒川比古命 源義経公
配神  天照皇大神・大国主命・大山祇命・国狭槌命
由緒
古くは相模の国一の宮の寒川神社の御分霊を祀って寒川神社と呼ばれていた。
しかし、くわしくはわからない。
鎌倉幕府によって記録された『吾妻鏡』によると、源義経は兄頼朝の勘気をうけ、
文治5年(1189年)閏4月30日、奥州(岩手県)平泉衣川館において自害された。
その首は奥州より新田冠者高平を使いとして鎌倉に送られた。高平は腰越の浦に着き、
和田義盛・梶原景時によって首実検が行われたという。伝承では、弁慶の首も同時におくられ、
首実検がなされ、夜の間に二つの首は、此の神社に飛んできたという。
このことを鎌倉(頼朝)に伝えると、白旗明神として此の神社に祀るようにとのことで、
義経公を御祭神とし、のちに白旗神社とよばれるようになった。弁慶の首は八王子社として
祀られた。」



「旧東海道・藤沢宿」案内地図。

​ーー​ が旧東海道。



そして拝殿への階段手前の左側にも石碑が並んでいた。
江の島弁財天道標が一番右に。
道標の横には、20数基の庚申塔群があった。



近寄って。
正面に「えのしま道」、側面に「一切衆生」「二世安楽」と刻字されていた
杉山検校が江ノ島弁財天に祈願し、成就したお礼に藤沢宿から江ノ島まで48基の
道標を建てた。10基が現存し、そのうちの1基。
昭和41年1月17日藤沢市重要文化財に指定された。



庚申供養 」碑。



藤沢市指定重要文化財となっている「 寛文五年庚申供養塔 」。



近寄って。



市指定重要文化財 寛文五年庚申供養塔(有形文化財)
庚申信仰は十干・十二支の組合せによって、六十日に一度めぐってくる「庚申の日」に、
徹夜で無病・息災・長寿を願う信仰である。
「人の体内にいる三尸(さんし)虫が、庚申の夜、天に登ってその人の罪過を天帝に告げるため
生命を縮められる」とする道教の教えに由来している。
この供養塔の中央上の梵字は釈迦如来(主尊)、続く八字ナムアミダブソワーカーの一呪、
下の梵字はここでは青面金剛を表している。
猿像の脚ぼその彫刻は、江戸時代初期のものに見かけられるものである。
江の島弁財天道標(建造物)
その昔、杉山検校が「多くの参詣者が道に迷うことがないように」との祈念から
建てられたものと伝えられる。もとは四十八基あったといわれ、現在は十基が
残存している。いずれもほぼ同型で、この道標も尖頭角柱形の三面に「一切衆生」
「金のしま道」、「二世安楽」と刻まれており、造立者の温情がしのばれる。」



隣の素朴な石碑。



その奥にあったのが「 歌川 広重 東海道五拾三次の内 藤澤 遊行寺
藤沢は遊行寺の参詣者が多く、江ノ島への分岐点として賑わった。
遠くに北条時宗の本山、遊行寺の伽藍が描かれ、その右手にある家並は道場坂の存在を示し、
大鋸橋を挟んで、江ノ島弁天の鳥居がある。お参りをすませた人々が山門をでて橋を渡り、
鳥居をくぐろうとしている。



ズームして。
江ノ島弁天の鳥居そしてお参りをすませた人々が山門をでて橋を渡り、
鳥居をくぐろうとしている様子が。



更に奥にあった境内社は共に「 稲荷社 」。



向かって右。



向かって左。




                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2024.08.28 08:25:38
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