JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.08.27
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カテゴリ: JINさんの農園
「辺津宮」への東側鳥居から中津宮に向かって進む。



御岩屋道 」を「 中津宮 」に向かう。
【江の島】内に 2つの商店街《弁財天仲見世通り》《御岩屋道通り》があり、こちらは
《弁財天仲見世通り》と比較し レトロ感タップリの店舗が何軒かあります、
但し《弁財天仲見世通り》はフラットな道ですが こちらは 石段を上がったり下がったりする
必要があります(山二つと江の島岩屋の高低差は 約44m)。
しかしながら 《江の島》の名物《女夫(めおと)饅頭》の店舗を比較した場合 

【中村屋羊羹店 明治35年(1902)】創業 添付 写真参照】は 雰囲気タップリであり 
又【魚見亭】【富士見亭】のように 眺望の良い飲食店もあり お薦めします とネットから。



右手にあった「 中津宮広場 」を歩く。



季節のフローティングフラワー



近づいて。



展望台広場 に向かって進む。



「展望台広場ウッドデッキ からの「江の島ヨットハーバー」を見下ろす。



湘南港灯台 」方向をズームして。



江の島ヨットハーバー管理事務所 」、
その左手が「 湘南港 」。
「聖天島公園」内にある「 聖天神社 」も見えた。



中津宮 」が現れた。



平成11年に江の島歌舞伎が行われた時の 5代尾上菊五郎、7代菊之助の記念手形



「しだれ梅」。



「平成十一年(一九九九年)七代目尾上菊五郎、五代目尾上菊之助出演の「江の島大歌舞伎」が
盛大に開催されました。当地ゆかりの「弁天娘女男白波」を演目とし、菊之助が演じた
弁天小僧は大いに観衆をわかせました。
開演に先立ちお練りで弁財天に詣でた際、菊之助御自身の手植えにより献樹された
「しだれ梅」であります。」



ご祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)
中津宮は、もとの上之宮で、文徳天皇仁壽三年(853年)に 慈覚大師 が創建。
元禄二年(1689年)に、五代将軍・徳川綱吉により、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造りの
社殿が再建されました。現在の社殿は、平成八年(1996年)の全面的な改修によるもので、
元禄二年当時の朱色が鮮明な社殿を再現しています。
平成二十三年(2011年)には幣殿、拝殿の床板を張り替え、御札授与所も再建され、
社殿脇には水琴窟を構えた庭園が開園しました(開園時間は午前9時~午後4時/無料)。
また、境内に奉納された石燈籠からは、江戸時代における商人・芸人・庶民の信仰の深さを
うかがい知ることができます と。



見事な彫刻をズームして。



「中津宮」を後にして、「エスカー3区乗場」方向に進む。



正面に「 江の島サムエル・コッキング苑 」が現れた。



夕焼けを背景に「 江の島シーキャンドル 」の展望台を見る。



江の島サムエル・コッキング苑 」チケット売り場。



再び展望台をズームして。



「江の島燈籠 2024
特別企画 夜灯りの夢庭
会場   江の島サムエル・コッキンク苑」



「亀ヶ岡広場」を訪ねた。



「亀ヶ岡広場」は江の島の頂上付近まで楽々登れるエスカーの終点近くにある広場。
眺めがよく、海や江の島展望台シーキャンドルの姿を見ることが出来たのであった。
広場には売店やベンチがあり、江の島観光の一休みに利用する方も多い場所。
毎年イルミネーションの時期には美しい光に彩られ、幻想的な広場に変身する。
お隣のサムエルコッキング苑は有料だが、亀ヶ岡広場は無料でイルミネーションを堪能する
ことが出来るのであった。



「亀ヶ岡広場」からの「 江の島シーキャンドル 」は未だ点灯せず。
時間は18:58。



「江の島展望台」近く、南の海方向への燈籠。



近づいて。



緑にライトアップされて。



後2分で点灯か?



「江の島サムエル・コッキンク苑」の園内を訪ねるのは帰路にと、さらに御岩屋道を
奥津宮に向かって進む。



「海花亭」の燈籠も暗くなり色鮮やかに。
時間は19:00。



その先にあったのが「 江の島大師 」。

江の島大師は、島から仏教寺院がなくなって百数十年を経た1993年(平成5年)、
1964年(昭和39年)に廃業した旅館「江の島館」跡地に、最福寺 (鹿児島市)の関東別院
として創建された単立寺院である と。



高野山真言宗 最福寺別院 」と。
しかし、既に門は閉ざされていたが、内部の境内には「 真っ赤な大きな仁王像 」の姿が。



色あざやかな阿吽の仁王像が入口両側に。 
仁王像(右)。



仁王像(左)。



その先にあったのが「 福島漁村の句碑 」。



福島漁村の句碑 」案内碑。



 「 昔、この場所には江の島館という旅館があり、福島漁村はその旅館の主人 でした。
漁村は、間宮霞軒(中津宮境内に句碑あり)と同じく、恵比寿楼の永野泉山の門下で俳諧・
歌学を学び、特に優れた弟子でした。
句碑は、 漁村の三回忌である昭和31年(1956年) につくられたものです。
旅館はその後、火災により焼失しました。
貝がらも 桜の名あり 島の春




さらに奥津宮に向かって進む。



貝広物産店
世界の貝2000種を展示即売。インテリアやお土産、また貝のコレクターに人気の店 と。



民宿 海上亭 」。



玄関前には、竹で編んだ球状のカゴの如き燈籠。



さらに石段を下る。



江の島をちょうど二分する境となって いることから、俗に「山ふたつ」といわれている場所。ガイドによると、断層に沿って侵食された海食胴が崩落したことで「山ふたつ」が出来たとも

いわれていると。



山ふたつ
江の島は上空から見るとひょうたんのようにくびれた形をしており、ここは江の島をニ分する
くびれ部分にあたることから俗に「山ふたっ」と呼ばれています。波によって削られてできた
洞窟の天井部分が崩れ落らたことにより、現在のようなくびれた形になったといわれています。
山ふたつの谷底には遊行僧が修行したと伝わる窟がありますが、現在は危険なため立ら入りが
禁止されています。」



「江の島の関東ローム層と「江の島縁起」
この場所で観察できる赤主は関東ローム層中の武蔵野口一ム層と呼はれる地層です。これは、
第四紀後期更新世(約12.6~1.17万年前)に活発な火山活動をしていた箱根山、富士山などの
火山から降り注いた火山灰や火山砕屑物が江の島の基盤をつくる葉山層と呼ばれる固い岩石の
上に堆積してできたもので、関東一円に広がっています。長い年月の間に火山灰にまれる鉱物の
鉄分が酸化した鉄さびが赤土の色を作っています。
赤土の中に、やや粒が荒く、白っぽい帯のような地層が何本か確認できます。これは軽石層
(パミス)と呼ばれ、主に箱根火山の大噴火の時に短時間で大量に降り積もった火山砕屑物です。
ここでは、下層から三涌軽石層(MP)、東京軽石層(TP)、箱根三色旗軽石層(SP)の3つの軽石層を
見ることができます。箱根火山由来のローム層の中で、江の島で観察できるのは約8万年前の
ものからですので、島が陸化したのもその時代ではないかと推察されます。
有名な「江ノ島縁起」は平安時代中期に書かれた五頭竜と弁天様が登場する江の島誕生の物語
です。その中に「欽明天皇13年(西暦552年) 4月13日真っ黒い雲が天空を覆い、深い霧が立ち
込め、大地震が10日も続いた後、霧の上から弁天様が従えた四天王や風神雷神が空から石を
降らせ、海からは真っ赤な火柱とともに岩が噴き出して江の島は誕生した」との記述があります。
平安中期には、大地震による島の隆起や富士山の噴火で火山灰や軽石が降ってきた記録もあり、
このような自然現象が人々の暮らしや信仰と結びついて、「江ノ島縁起」誕生となったのかも
しれません。」




                                ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・











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Last updated  2024.08.27 08:28:20
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